10. 2022年5月05日 02:00:12 : m9zPNkFjnY : TEswdGJjbnltVDY=[1]
「桂田社長はほとんど来ない」「口癖はやっとくー」元事務員が明かす「知床遊覧船」の実態
「週刊文春」編集部
https://bunshun.jp/articles/-/54120
北海道・知床半島の沖合いで4月23日に発生した観光船「KAZU T」の事故。同船の運航会社「知床遊覧船」を巡っては、5月3日に関係先が業務上過失致死の疑いで捜索を受けるなど、その安全管理体制に問題がなかったか捜査が進んでいる。
同社で事務員を務めていた元従業員の渡辺瞳氏(仮名)が「週刊文春」の取材に応じ、知床遊覧船を桂田精一社長(58)がどのように経営していたか、その内情を語った。
「無事故であることが誇りだったのに」
渡辺氏が「知床遊覧船」に入社したのが、2018年のことだった。
「採用に際して、性格診断テストを受けました。観光船の運航は安全が第一ですので慎重な性格である必要がある。第一印象としてきちんと人をみる、ちゃんとした会社だなと思いました」(渡辺氏)
渡辺氏が主に従事したのは、操船ではなく受付や客の案内など「知床遊覧船」の運営業務。日給は約8000円だった。
「出船する日は朝7時から夜6時頃まで働きましたね。当時のベテラン船長はとても安全面に気を配り、頻繁に港で海に潜って、船底に傷がないのかを確認していました。責任感が強い当時の船長は天候の判断が早く見極めも的確。一緒に出ている他の船会社の遊覧船に『天候がまずいから帰ろう』と伝えるくらいだった。無事故であることが誇りだったのに……」
案内業務では受付で運航についての説明を行った。
「『もし天候が悪化した場合は引き返すことがあります。その場合はたどり着いた航程までの料金となり、差額は返金します』とお客様には告知していましたね」
桂田社長に覚えた“違和感”
同社は2017年から高齢となった創業社長が経営権を4000万円で譲渡。「知床遊覧船」の社長の座についたのが、地元のホテルチェーン「しれとこ村グループ」の桂田精一氏だった。
渡辺氏は、共に働くうちに桂田社長に違和感を覚えていったという。
「安全が第一な船会社なのに、社長がほとんど遊覧船の事務所に来ないんです。遊覧船の仕事をしていると思ったら、『看板をどうしよう』とか『パンフレットのデザインは』とか集客に関することばかり。船のメンテナンスなどはベテラン船長に任せきりでした」
だがーー。桂田氏の「人員を刷新したい」という意向で昨年3月、ベテラン船長を含む長年遊覧船事業を支えてきた計5名が会社を去っていった。新しく船長に就任したのが、今回事故を起こした船の舵を握り、依然行方不明となっている豊田徳幸氏(54)だった。
「残ったスタッフに聞くと、『豊田船長は天候が悪くても自分で港まで足を運ばず甲板員に行かせている』とぼやいていました。豊田さんは川などの経験は豊富ですが、海での操船経験はそれまでほとんどなかったとも。ベテラン船長がいなくては天候や潮の流れが複雑な知床の海はとても走れません」
昨年6月11日に、豊田船長が出航後、約5分で事故を起こしてしまったが、
「普通事故を起こす場所ではなく、遊覧船仲間は皆『ええ〜、なんで?』と首を傾げていました。豊田船長は船の業務が終わるとホテルの仕事に従事していましたので、操船技術を学ぶ時間もなかったのしれません」
社長は「分かったわ」「やっとくー」が口癖
国土交通省は桂田社長が沈没した観光船の引き上げについて「可能な限り対応したい」と話したことを明らかにしている。しかし、渡辺氏はその言葉を額面通りには受け取れないという。
「社長は『分かったわ』『やっとくー』が口癖。私も予約管理など業務上必要なパソコンの購入を申し出たら、『買うわ』と言われたものの退職するまで実行されませんでした。入社時に『甲板員としての採用なので、いずれ船舶免許を取らせる』という約束もしたのですが、反故にされました」
事故後、桂田社長は地元の信金を訪問して今後の資金面について相談。会社側は保険会社とも補償について協議を重ねている。
「私は会社に不信感を持ったこともあって、1シーズンで退職しました。退職を申し出ると桂田社長は『あ、分かったわ』とだけ言い、人をなんだと思ってるんだと感じましたね。社長が経験や技術を持った従業員を辞めさせなければ今回の事故は起きなかった。これからは遺族への対応をしっかりとやっていただきたいと、とにかく願っています」
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