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[番外地6] アホが書いた日本国憲法 中川隆
39. 中川隆[-8118] koaQ7Jey 2024年12月25日 01:32:29 : FwovQ5AUOk : SzA0NXp0TE9lMnM=[1]
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植草一秀の『知られざる真実』2024年12月24日
憲法改正の必要性を感じない
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3a1b07.html

日経新聞に米国コロンビア大学名誉教授のジェラルド・カーティス氏が「私の履歴書」を連載している。

ジェラルド・カーティス氏は大学院生時代に日本で地方選挙の実態を徹底取材した内容を博士論文として執筆。

これがベストセラーとなり、政権与党の実力者や財界の要人らと数十年にわたって深い関係を築き、アメリカ有数のジャパン・ウォッチャーとして知られるようになった。

CIAの上級オフィサーで2000年に没したロバート・クロウリーが残した協力者一覧「クロウリーファイル」に名前が掲載されている。

CIA協力者でもある。

米国の対日工作の中心は「反共政策」

1945年から47年のGHQによる日本の占領初期においては徹底した「日本民主化」措置が取られたが、1947年3月にトルーマンドクトリンが発出されて米国の外交基本方針が「反共」に転じたことを背景に、対日占領政策も劇的に転換した。

敗戦後の日本には重大な断絶がある。

1947年以降の対日占領政策の基本は非民主化=反共化である。

1945〜47年の占領初期だけが特異な時間帯だった。

1947年以降の時代と断絶がある。

占領初期の「遺産」が「日本国憲法」である。

憲法施行は1947年5月。

憲法施行が半年遅れていれば、憲法はまったく違うものになった可能性が高い。

1947年以降の対日政治工作中枢を担ったのが日本国際交流センター(JCIE)。

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JCIEはデイヴィッド・ロックフェラーが委員長を務める日米欧委員会(三極委員会=トライラテラル・コミッション)の事務局を兼ねており、日本におけるロックフェラー財閥の代表機関だった。

同時にJCIEがMRA(道徳再武装)の本部をも兼ねていた。

ジェラルド・カーティス氏の日本における活動の舞台の中心がJCIEだった。

因みに2010年にJCIE理事長に就任した渋沢健氏は渋沢栄一氏の5代目の孫にあたる。

日本の紙幣の図案に渋沢栄一氏が用いられた背景にこうした事情がある。

MRAと強いつながりがあるのが統一協会・国際勝共連合であり、旧社会党右派、民社党・同盟、松下政経塾などとともにMRAという一本の縦糸で連鎖している。

MRAによる日米間の文化交流プログラムがCIAの秘密ミッションの隠れ蓑になってきたと見られる。

これらの活動の中核で行動してきたのがジェラルド・カーティス氏ということになる。

小泉進次郎氏はカーティス氏の計らいでコロンビア大学に在籍する機会を得ている。

「私の履歴書」でカーティス氏が中曽根康弘氏との交流について記述した。

カーティス氏は2013年2月に中曽根氏にインタビューし、中曽根氏の憲法改正に対する考え方が変わったことに驚いたことを記述している。

中曽根氏はインタビューで憲法改正についてこう発言した。

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「憲法の改正はだんだん遠ざかる。

一般の人たちはそれほど改正の必要性を感じない。

憲法の独自性とか、誕生の秘密性とか、そういう問題は我々の時代には非常に強かったが、時間がたってみたら、そのような問題意識はほとんどなくなって、中身が良いか悪いか(が大事になり)そう悪くないじゃないかと、そういう過程に入ってきている」

中曽根氏のこの発言についてカーティス氏は

「日本は歴史上、外のものを多く輸入、消化し、自分のものとしてきた。

憲法も誕生の過程はともかく、時を経て日本国民に受け入れられたのだから全面改正の必要はなく、不都合な部分に手を入れればいい。

そういう思いなのだと私は受け止めた。」

2013年2月といえば、いまから12年前のこと。

自民党は2012年4月28日に憲法改正草案を公表した。

日本国憲法を大日本帝国憲法に書き換えるかの如くの完全なる憲法の書き換え案だったが、中曽根氏の上記の認識とはかけ離れたものである。

憲法について「日本が自主的に定めたものでない」、「憲法制定過程でGHQが深く関与した」ことなどを根拠に、日本人が日本人の手で憲法を制定するべきだとの主張は長く提示されてきた。

私は個人の見解として「制定のプロセスではなく、中身が重要である」との認識を示すとともに、日本国憲法が示した内容は、日本が世界に誇ることのできる最善に近い内容であり、憲法を改正する必要はないと論じてきた。

立憲民主党の枝野幸男元代表が現在、衆院の憲法審査会の会長を務めている。

その枝野氏が12月21日、さいたま市で開いた会合で、

「(憲法を)良く変えるための議論をするのが私の仕事だ。

議論は積極的に進めていきたい」

と述べた。

必要のない憲法改定に向けて立憲民主党が前のめりになり始めていることに強い警戒感が生じている。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3a1b07.html
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/613.html#c39

[リバイバル3] GHQに君臨した"マッカーサー"の愚将ぶり 中川隆
14. 中川隆[-8117] koaQ7Jey 2024年12月25日 01:35:21 : FwovQ5AUOk : SzA0NXp0TE9lMnM=[2]
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植草一秀の『知られざる真実』2024年12月24日
憲法改正の必要性を感じない
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3a1b07.html

日経新聞に米国コロンビア大学名誉教授のジェラルド・カーティス氏が「私の履歴書」を連載している。

ジェラルド・カーティス氏は大学院生時代に日本で地方選挙の実態を徹底取材した内容を博士論文として執筆。

これがベストセラーとなり、政権与党の実力者や財界の要人らと数十年にわたって深い関係を築き、アメリカ有数のジャパン・ウォッチャーとして知られるようになった。

CIAの上級オフィサーで2000年に没したロバート・クロウリーが残した協力者一覧「クロウリーファイル」に名前が掲載されている。

CIA協力者でもある。

米国の対日工作の中心は「反共政策」

1945年から47年のGHQによる日本の占領初期においては徹底した「日本民主化」措置が取られたが、1947年3月にトルーマンドクトリンが発出されて米国の外交基本方針が「反共」に転じたことを背景に、対日占領政策も劇的に転換した。

敗戦後の日本には重大な断絶がある。

1947年以降の対日占領政策の基本は非民主化=反共化である。

1945〜47年の占領初期だけが特異な時間帯だった。

1947年以降の時代と断絶がある。

占領初期の「遺産」が「日本国憲法」である。

憲法施行は1947年5月。

憲法施行が半年遅れていれば、憲法はまったく違うものになった可能性が高い。

1947年以降の対日政治工作中枢を担ったのが日本国際交流センター(JCIE)。

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JCIEはデイヴィッド・ロックフェラーが委員長を務める日米欧委員会(三極委員会=トライラテラル・コミッション)の事務局を兼ねており、日本におけるロックフェラー財閥の代表機関だった。

同時にJCIEがMRA(道徳再武装)の本部をも兼ねていた。

ジェラルド・カーティス氏の日本における活動の舞台の中心がJCIEだった。

因みに2010年にJCIE理事長に就任した渋沢健氏は渋沢栄一氏の5代目の孫にあたる。

日本の紙幣の図案に渋沢栄一氏が用いられた背景にこうした事情がある。

MRAと強いつながりがあるのが統一協会・国際勝共連合であり、旧社会党右派、民社党・同盟、松下政経塾などとともにMRAという一本の縦糸で連鎖している。

MRAによる日米間の文化交流プログラムがCIAの秘密ミッションの隠れ蓑になってきたと見られる。

これらの活動の中核で行動してきたのがジェラルド・カーティス氏ということになる。

小泉進次郎氏はカーティス氏の計らいでコロンビア大学に在籍する機会を得ている。

「私の履歴書」でカーティス氏が中曽根康弘氏との交流について記述した。

カーティス氏は2013年2月に中曽根氏にインタビューし、中曽根氏の憲法改正に対する考え方が変わったことに驚いたことを記述している。

中曽根氏はインタビューで憲法改正についてこう発言した。

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「憲法の改正はだんだん遠ざかる。

一般の人たちはそれほど改正の必要性を感じない。

憲法の独自性とか、誕生の秘密性とか、そういう問題は我々の時代には非常に強かったが、時間がたってみたら、そのような問題意識はほとんどなくなって、中身が良いか悪いか(が大事になり)そう悪くないじゃないかと、そういう過程に入ってきている」

中曽根氏のこの発言についてカーティス氏は

「日本は歴史上、外のものを多く輸入、消化し、自分のものとしてきた。

憲法も誕生の過程はともかく、時を経て日本国民に受け入れられたのだから全面改正の必要はなく、不都合な部分に手を入れればいい。

そういう思いなのだと私は受け止めた。」

2013年2月といえば、いまから12年前のこと。

自民党は2012年4月28日に憲法改正草案を公表した。

日本国憲法を大日本帝国憲法に書き換えるかの如くの完全なる憲法の書き換え案だったが、中曽根氏の上記の認識とはかけ離れたものである。

憲法について「日本が自主的に定めたものでない」、「憲法制定過程でGHQが深く関与した」ことなどを根拠に、日本人が日本人の手で憲法を制定するべきだとの主張は長く提示されてきた。

私は個人の見解として「制定のプロセスではなく、中身が重要である」との認識を示すとともに、日本国憲法が示した内容は、日本が世界に誇ることのできる最善に近い内容であり、憲法を改正する必要はないと論じてきた。

立憲民主党の枝野幸男元代表が現在、衆院の憲法審査会の会長を務めている。

その枝野氏が12月21日、さいたま市で開いた会合で、

「(憲法を)良く変えるための議論をするのが私の仕事だ。

議論は積極的に進めていきたい」

と述べた。

必要のない憲法改定に向けて立憲民主党が前のめりになり始めていることに強い警戒感が生じている。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3a1b07.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/748.html#c14

[昼休み53] 日本は現在でも米国の軍事占領下にある _ 日本の政治を決定している日米合同委員会とは 中川隆
32. 中川隆[-8116] koaQ7Jey 2024年12月25日 01:36:42 : FwovQ5AUOk : SzA0NXp0TE9lMnM=[3]
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植草一秀の『知られざる真実』2024年12月24日
憲法改正の必要性を感じない
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3a1b07.html

日経新聞に米国コロンビア大学名誉教授のジェラルド・カーティス氏が「私の履歴書」を連載している。

ジェラルド・カーティス氏は大学院生時代に日本で地方選挙の実態を徹底取材した内容を博士論文として執筆。

これがベストセラーとなり、政権与党の実力者や財界の要人らと数十年にわたって深い関係を築き、アメリカ有数のジャパン・ウォッチャーとして知られるようになった。

CIAの上級オフィサーで2000年に没したロバート・クロウリーが残した協力者一覧「クロウリーファイル」に名前が掲載されている。

CIA協力者でもある。

米国の対日工作の中心は「反共政策」

1945年から47年のGHQによる日本の占領初期においては徹底した「日本民主化」措置が取られたが、1947年3月にトルーマンドクトリンが発出されて米国の外交基本方針が「反共」に転じたことを背景に、対日占領政策も劇的に転換した。

敗戦後の日本には重大な断絶がある。

1947年以降の対日占領政策の基本は非民主化=反共化である。

1945〜47年の占領初期だけが特異な時間帯だった。

1947年以降の時代と断絶がある。

占領初期の「遺産」が「日本国憲法」である。

憲法施行は1947年5月。

憲法施行が半年遅れていれば、憲法はまったく違うものになった可能性が高い。

1947年以降の対日政治工作中枢を担ったのが日本国際交流センター(JCIE)。

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JCIEはデイヴィッド・ロックフェラーが委員長を務める日米欧委員会(三極委員会=トライラテラル・コミッション)の事務局を兼ねており、日本におけるロックフェラー財閥の代表機関だった。

同時にJCIEがMRA(道徳再武装)の本部をも兼ねていた。

ジェラルド・カーティス氏の日本における活動の舞台の中心がJCIEだった。

因みに2010年にJCIE理事長に就任した渋沢健氏は渋沢栄一氏の5代目の孫にあたる。

日本の紙幣の図案に渋沢栄一氏が用いられた背景にこうした事情がある。

MRAと強いつながりがあるのが統一協会・国際勝共連合であり、旧社会党右派、民社党・同盟、松下政経塾などとともにMRAという一本の縦糸で連鎖している。

MRAによる日米間の文化交流プログラムがCIAの秘密ミッションの隠れ蓑になってきたと見られる。

これらの活動の中核で行動してきたのがジェラルド・カーティス氏ということになる。

小泉進次郎氏はカーティス氏の計らいでコロンビア大学に在籍する機会を得ている。

「私の履歴書」でカーティス氏が中曽根康弘氏との交流について記述した。

カーティス氏は2013年2月に中曽根氏にインタビューし、中曽根氏の憲法改正に対する考え方が変わったことに驚いたことを記述している。

中曽根氏はインタビューで憲法改正についてこう発言した。

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「憲法の改正はだんだん遠ざかる。

一般の人たちはそれほど改正の必要性を感じない。

憲法の独自性とか、誕生の秘密性とか、そういう問題は我々の時代には非常に強かったが、時間がたってみたら、そのような問題意識はほとんどなくなって、中身が良いか悪いか(が大事になり)そう悪くないじゃないかと、そういう過程に入ってきている」

中曽根氏のこの発言についてカーティス氏は

「日本は歴史上、外のものを多く輸入、消化し、自分のものとしてきた。

憲法も誕生の過程はともかく、時を経て日本国民に受け入れられたのだから全面改正の必要はなく、不都合な部分に手を入れればいい。

そういう思いなのだと私は受け止めた。」

2013年2月といえば、いまから12年前のこと。

自民党は2012年4月28日に憲法改正草案を公表した。

日本国憲法を大日本帝国憲法に書き換えるかの如くの完全なる憲法の書き換え案だったが、中曽根氏の上記の認識とはかけ離れたものである。

憲法について「日本が自主的に定めたものでない」、「憲法制定過程でGHQが深く関与した」ことなどを根拠に、日本人が日本人の手で憲法を制定するべきだとの主張は長く提示されてきた。

私は個人の見解として「制定のプロセスではなく、中身が重要である」との認識を示すとともに、日本国憲法が示した内容は、日本が世界に誇ることのできる最善に近い内容であり、憲法を改正する必要はないと論じてきた。

立憲民主党の枝野幸男元代表が現在、衆院の憲法審査会の会長を務めている。

その枝野氏が12月21日、さいたま市で開いた会合で、

「(憲法を)良く変えるための議論をするのが私の仕事だ。

議論は積極的に進めていきたい」

と述べた。

必要のない憲法改定に向けて立憲民主党が前のめりになり始めていることに強い警戒感が生じている。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3a1b07.html
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/532.html#c32

[昼休み53] 日本はアメリカの仮想敵国 _ 米軍は日本が独立するのを阻止する為に日本に駐留している 中川隆
22. 中川隆[-8115] koaQ7Jey 2024年12月25日 01:36:57 : FwovQ5AUOk : SzA0NXp0TE9lMnM=[4]
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植草一秀の『知られざる真実』2024年12月24日
憲法改正の必要性を感じない
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3a1b07.html

日経新聞に米国コロンビア大学名誉教授のジェラルド・カーティス氏が「私の履歴書」を連載している。

ジェラルド・カーティス氏は大学院生時代に日本で地方選挙の実態を徹底取材した内容を博士論文として執筆。

これがベストセラーとなり、政権与党の実力者や財界の要人らと数十年にわたって深い関係を築き、アメリカ有数のジャパン・ウォッチャーとして知られるようになった。

CIAの上級オフィサーで2000年に没したロバート・クロウリーが残した協力者一覧「クロウリーファイル」に名前が掲載されている。

CIA協力者でもある。

米国の対日工作の中心は「反共政策」

1945年から47年のGHQによる日本の占領初期においては徹底した「日本民主化」措置が取られたが、1947年3月にトルーマンドクトリンが発出されて米国の外交基本方針が「反共」に転じたことを背景に、対日占領政策も劇的に転換した。

敗戦後の日本には重大な断絶がある。

1947年以降の対日占領政策の基本は非民主化=反共化である。

1945〜47年の占領初期だけが特異な時間帯だった。

1947年以降の時代と断絶がある。

占領初期の「遺産」が「日本国憲法」である。

憲法施行は1947年5月。

憲法施行が半年遅れていれば、憲法はまったく違うものになった可能性が高い。

1947年以降の対日政治工作中枢を担ったのが日本国際交流センター(JCIE)。

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JCIEはデイヴィッド・ロックフェラーが委員長を務める日米欧委員会(三極委員会=トライラテラル・コミッション)の事務局を兼ねており、日本におけるロックフェラー財閥の代表機関だった。

同時にJCIEがMRA(道徳再武装)の本部をも兼ねていた。

ジェラルド・カーティス氏の日本における活動の舞台の中心がJCIEだった。

因みに2010年にJCIE理事長に就任した渋沢健氏は渋沢栄一氏の5代目の孫にあたる。

日本の紙幣の図案に渋沢栄一氏が用いられた背景にこうした事情がある。

MRAと強いつながりがあるのが統一協会・国際勝共連合であり、旧社会党右派、民社党・同盟、松下政経塾などとともにMRAという一本の縦糸で連鎖している。

MRAによる日米間の文化交流プログラムがCIAの秘密ミッションの隠れ蓑になってきたと見られる。

これらの活動の中核で行動してきたのがジェラルド・カーティス氏ということになる。

小泉進次郎氏はカーティス氏の計らいでコロンビア大学に在籍する機会を得ている。

「私の履歴書」でカーティス氏が中曽根康弘氏との交流について記述した。

カーティス氏は2013年2月に中曽根氏にインタビューし、中曽根氏の憲法改正に対する考え方が変わったことに驚いたことを記述している。

中曽根氏はインタビューで憲法改正についてこう発言した。

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「憲法の改正はだんだん遠ざかる。

一般の人たちはそれほど改正の必要性を感じない。

憲法の独自性とか、誕生の秘密性とか、そういう問題は我々の時代には非常に強かったが、時間がたってみたら、そのような問題意識はほとんどなくなって、中身が良いか悪いか(が大事になり)そう悪くないじゃないかと、そういう過程に入ってきている」

中曽根氏のこの発言についてカーティス氏は

「日本は歴史上、外のものを多く輸入、消化し、自分のものとしてきた。

憲法も誕生の過程はともかく、時を経て日本国民に受け入れられたのだから全面改正の必要はなく、不都合な部分に手を入れればいい。

そういう思いなのだと私は受け止めた。」

2013年2月といえば、いまから12年前のこと。

自民党は2012年4月28日に憲法改正草案を公表した。

日本国憲法を大日本帝国憲法に書き換えるかの如くの完全なる憲法の書き換え案だったが、中曽根氏の上記の認識とはかけ離れたものである。

憲法について「日本が自主的に定めたものでない」、「憲法制定過程でGHQが深く関与した」ことなどを根拠に、日本人が日本人の手で憲法を制定するべきだとの主張は長く提示されてきた。

私は個人の見解として「制定のプロセスではなく、中身が重要である」との認識を示すとともに、日本国憲法が示した内容は、日本が世界に誇ることのできる最善に近い内容であり、憲法を改正する必要はないと論じてきた。

立憲民主党の枝野幸男元代表が現在、衆院の憲法審査会の会長を務めている。

その枝野氏が12月21日、さいたま市で開いた会合で、

「(憲法を)良く変えるための議論をするのが私の仕事だ。

議論は積極的に進めていきたい」

と述べた。

必要のない憲法改定に向けて立憲民主党が前のめりになり始めていることに強い警戒感が生じている。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3a1b07.html
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/528.html#c22

[近代史5] 民主社会党(民社党)は CIA が野党分断の為に作った 中川隆
7. 中川隆[-8114] koaQ7Jey 2024年12月25日 01:37:23 : FwovQ5AUOk : SzA0NXp0TE9lMnM=[5]
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植草一秀の『知られざる真実』2024年12月24日
憲法改正の必要性を感じない
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3a1b07.html

日経新聞に米国コロンビア大学名誉教授のジェラルド・カーティス氏が「私の履歴書」を連載している。

ジェラルド・カーティス氏は大学院生時代に日本で地方選挙の実態を徹底取材した内容を博士論文として執筆。

これがベストセラーとなり、政権与党の実力者や財界の要人らと数十年にわたって深い関係を築き、アメリカ有数のジャパン・ウォッチャーとして知られるようになった。

CIAの上級オフィサーで2000年に没したロバート・クロウリーが残した協力者一覧「クロウリーファイル」に名前が掲載されている。

CIA協力者でもある。

米国の対日工作の中心は「反共政策」

1945年から47年のGHQによる日本の占領初期においては徹底した「日本民主化」措置が取られたが、1947年3月にトルーマンドクトリンが発出されて米国の外交基本方針が「反共」に転じたことを背景に、対日占領政策も劇的に転換した。

敗戦後の日本には重大な断絶がある。

1947年以降の対日占領政策の基本は非民主化=反共化である。

1945〜47年の占領初期だけが特異な時間帯だった。

1947年以降の時代と断絶がある。

占領初期の「遺産」が「日本国憲法」である。

憲法施行は1947年5月。

憲法施行が半年遅れていれば、憲法はまったく違うものになった可能性が高い。

1947年以降の対日政治工作中枢を担ったのが日本国際交流センター(JCIE)。

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JCIEはデイヴィッド・ロックフェラーが委員長を務める日米欧委員会(三極委員会=トライラテラル・コミッション)の事務局を兼ねており、日本におけるロックフェラー財閥の代表機関だった。

同時にJCIEがMRA(道徳再武装)の本部をも兼ねていた。

ジェラルド・カーティス氏の日本における活動の舞台の中心がJCIEだった。

因みに2010年にJCIE理事長に就任した渋沢健氏は渋沢栄一氏の5代目の孫にあたる。

日本の紙幣の図案に渋沢栄一氏が用いられた背景にこうした事情がある。

MRAと強いつながりがあるのが統一協会・国際勝共連合であり、旧社会党右派、民社党・同盟、松下政経塾などとともにMRAという一本の縦糸で連鎖している。

MRAによる日米間の文化交流プログラムがCIAの秘密ミッションの隠れ蓑になってきたと見られる。

これらの活動の中核で行動してきたのがジェラルド・カーティス氏ということになる。

小泉進次郎氏はカーティス氏の計らいでコロンビア大学に在籍する機会を得ている。

「私の履歴書」でカーティス氏が中曽根康弘氏との交流について記述した。

カーティス氏は2013年2月に中曽根氏にインタビューし、中曽根氏の憲法改正に対する考え方が変わったことに驚いたことを記述している。

中曽根氏はインタビューで憲法改正についてこう発言した。

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「憲法の改正はだんだん遠ざかる。

一般の人たちはそれほど改正の必要性を感じない。

憲法の独自性とか、誕生の秘密性とか、そういう問題は我々の時代には非常に強かったが、時間がたってみたら、そのような問題意識はほとんどなくなって、中身が良いか悪いか(が大事になり)そう悪くないじゃないかと、そういう過程に入ってきている」

中曽根氏のこの発言についてカーティス氏は

「日本は歴史上、外のものを多く輸入、消化し、自分のものとしてきた。

憲法も誕生の過程はともかく、時を経て日本国民に受け入れられたのだから全面改正の必要はなく、不都合な部分に手を入れればいい。

そういう思いなのだと私は受け止めた。」

2013年2月といえば、いまから12年前のこと。

自民党は2012年4月28日に憲法改正草案を公表した。

日本国憲法を大日本帝国憲法に書き換えるかの如くの完全なる憲法の書き換え案だったが、中曽根氏の上記の認識とはかけ離れたものである。

憲法について「日本が自主的に定めたものでない」、「憲法制定過程でGHQが深く関与した」ことなどを根拠に、日本人が日本人の手で憲法を制定するべきだとの主張は長く提示されてきた。

私は個人の見解として「制定のプロセスではなく、中身が重要である」との認識を示すとともに、日本国憲法が示した内容は、日本が世界に誇ることのできる最善に近い内容であり、憲法を改正する必要はないと論じてきた。

立憲民主党の枝野幸男元代表が現在、衆院の憲法審査会の会長を務めている。

その枝野氏が12月21日、さいたま市で開いた会合で、

「(憲法を)良く変えるための議論をするのが私の仕事だ。

議論は積極的に進めていきたい」

と述べた。

必要のない憲法改定に向けて立憲民主党が前のめりになり始めていることに強い警戒感が生じている。
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http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1169.html#c7

[近代史4] 戦後日本のバブル崩壊以前の一億総中流社会は共産主義者ばかりの GHQ が意図的に作ったものだった 中川隆
13. 中川隆[-8113] koaQ7Jey 2024年12月25日 01:38:03 : FwovQ5AUOk : SzA0NXp0TE9lMnM=[6]
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植草一秀の『知られざる真実』2024年12月24日
憲法改正の必要性を感じない
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3a1b07.html

日経新聞に米国コロンビア大学名誉教授のジェラルド・カーティス氏が「私の履歴書」を連載している。

ジェラルド・カーティス氏は大学院生時代に日本で地方選挙の実態を徹底取材した内容を博士論文として執筆。

これがベストセラーとなり、政権与党の実力者や財界の要人らと数十年にわたって深い関係を築き、アメリカ有数のジャパン・ウォッチャーとして知られるようになった。

CIAの上級オフィサーで2000年に没したロバート・クロウリーが残した協力者一覧「クロウリーファイル」に名前が掲載されている。

CIA協力者でもある。

米国の対日工作の中心は「反共政策」

1945年から47年のGHQによる日本の占領初期においては徹底した「日本民主化」措置が取られたが、1947年3月にトルーマンドクトリンが発出されて米国の外交基本方針が「反共」に転じたことを背景に、対日占領政策も劇的に転換した。

敗戦後の日本には重大な断絶がある。

1947年以降の対日占領政策の基本は非民主化=反共化である。

1945〜47年の占領初期だけが特異な時間帯だった。

1947年以降の時代と断絶がある。

占領初期の「遺産」が「日本国憲法」である。

憲法施行は1947年5月。

憲法施行が半年遅れていれば、憲法はまったく違うものになった可能性が高い。

1947年以降の対日政治工作中枢を担ったのが日本国際交流センター(JCIE)。

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JCIEはデイヴィッド・ロックフェラーが委員長を務める日米欧委員会(三極委員会=トライラテラル・コミッション)の事務局を兼ねており、日本におけるロックフェラー財閥の代表機関だった。

同時にJCIEがMRA(道徳再武装)の本部をも兼ねていた。

ジェラルド・カーティス氏の日本における活動の舞台の中心がJCIEだった。

因みに2010年にJCIE理事長に就任した渋沢健氏は渋沢栄一氏の5代目の孫にあたる。

日本の紙幣の図案に渋沢栄一氏が用いられた背景にこうした事情がある。

MRAと強いつながりがあるのが統一協会・国際勝共連合であり、旧社会党右派、民社党・同盟、松下政経塾などとともにMRAという一本の縦糸で連鎖している。

MRAによる日米間の文化交流プログラムがCIAの秘密ミッションの隠れ蓑になってきたと見られる。

これらの活動の中核で行動してきたのがジェラルド・カーティス氏ということになる。

小泉進次郎氏はカーティス氏の計らいでコロンビア大学に在籍する機会を得ている。

「私の履歴書」でカーティス氏が中曽根康弘氏との交流について記述した。

カーティス氏は2013年2月に中曽根氏にインタビューし、中曽根氏の憲法改正に対する考え方が変わったことに驚いたことを記述している。

中曽根氏はインタビューで憲法改正についてこう発言した。

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「憲法の改正はだんだん遠ざかる。

一般の人たちはそれほど改正の必要性を感じない。

憲法の独自性とか、誕生の秘密性とか、そういう問題は我々の時代には非常に強かったが、時間がたってみたら、そのような問題意識はほとんどなくなって、中身が良いか悪いか(が大事になり)そう悪くないじゃないかと、そういう過程に入ってきている」

中曽根氏のこの発言についてカーティス氏は

「日本は歴史上、外のものを多く輸入、消化し、自分のものとしてきた。

憲法も誕生の過程はともかく、時を経て日本国民に受け入れられたのだから全面改正の必要はなく、不都合な部分に手を入れればいい。

そういう思いなのだと私は受け止めた。」

2013年2月といえば、いまから12年前のこと。

自民党は2012年4月28日に憲法改正草案を公表した。

日本国憲法を大日本帝国憲法に書き換えるかの如くの完全なる憲法の書き換え案だったが、中曽根氏の上記の認識とはかけ離れたものである。

憲法について「日本が自主的に定めたものでない」、「憲法制定過程でGHQが深く関与した」ことなどを根拠に、日本人が日本人の手で憲法を制定するべきだとの主張は長く提示されてきた。

私は個人の見解として「制定のプロセスではなく、中身が重要である」との認識を示すとともに、日本国憲法が示した内容は、日本が世界に誇ることのできる最善に近い内容であり、憲法を改正する必要はないと論じてきた。

立憲民主党の枝野幸男元代表が現在、衆院の憲法審査会の会長を務めている。

その枝野氏が12月21日、さいたま市で開いた会合で、

「(憲法を)良く変えるための議論をするのが私の仕事だ。

議論は積極的に進めていきたい」

と述べた。

必要のない憲法改定に向けて立憲民主党が前のめりになり始めていることに強い警戒感が生じている。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3a1b07.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/830.html#c13

[近代史4] ウォール街やシティと戦った共産主義者のフランクリン・ルーズベルト 中川隆
23. 中川隆[-8112] koaQ7Jey 2024年12月25日 01:38:57 : FwovQ5AUOk : SzA0NXp0TE9lMnM=[7]
<■73行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
植草一秀の『知られざる真実』2024年12月24日
憲法改正の必要性を感じない
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3a1b07.html

日経新聞に米国コロンビア大学名誉教授のジェラルド・カーティス氏が「私の履歴書」を連載している。

ジェラルド・カーティス氏は大学院生時代に日本で地方選挙の実態を徹底取材した内容を博士論文として執筆。

これがベストセラーとなり、政権与党の実力者や財界の要人らと数十年にわたって深い関係を築き、アメリカ有数のジャパン・ウォッチャーとして知られるようになった。

CIAの上級オフィサーで2000年に没したロバート・クロウリーが残した協力者一覧「クロウリーファイル」に名前が掲載されている。

CIA協力者でもある。

米国の対日工作の中心は「反共政策」

1945年から47年のGHQによる日本の占領初期においては徹底した「日本民主化」措置が取られたが、1947年3月にトルーマンドクトリンが発出されて米国の外交基本方針が「反共」に転じたことを背景に、対日占領政策も劇的に転換した。

敗戦後の日本には重大な断絶がある。

1947年以降の対日占領政策の基本は非民主化=反共化である。

1945〜47年の占領初期だけが特異な時間帯だった。

1947年以降の時代と断絶がある。

占領初期の「遺産」が「日本国憲法」である。

憲法施行は1947年5月。

憲法施行が半年遅れていれば、憲法はまったく違うものになった可能性が高い。

1947年以降の対日政治工作中枢を担ったのが日本国際交流センター(JCIE)。

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JCIEはデイヴィッド・ロックフェラーが委員長を務める日米欧委員会(三極委員会=トライラテラル・コミッション)の事務局を兼ねており、日本におけるロックフェラー財閥の代表機関だった。

同時にJCIEがMRA(道徳再武装)の本部をも兼ねていた。

ジェラルド・カーティス氏の日本における活動の舞台の中心がJCIEだった。

因みに2010年にJCIE理事長に就任した渋沢健氏は渋沢栄一氏の5代目の孫にあたる。

日本の紙幣の図案に渋沢栄一氏が用いられた背景にこうした事情がある。

MRAと強いつながりがあるのが統一協会・国際勝共連合であり、旧社会党右派、民社党・同盟、松下政経塾などとともにMRAという一本の縦糸で連鎖している。

MRAによる日米間の文化交流プログラムがCIAの秘密ミッションの隠れ蓑になってきたと見られる。

これらの活動の中核で行動してきたのがジェラルド・カーティス氏ということになる。

小泉進次郎氏はカーティス氏の計らいでコロンビア大学に在籍する機会を得ている。

「私の履歴書」でカーティス氏が中曽根康弘氏との交流について記述した。

カーティス氏は2013年2月に中曽根氏にインタビューし、中曽根氏の憲法改正に対する考え方が変わったことに驚いたことを記述している。

中曽根氏はインタビューで憲法改正についてこう発言した。

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「憲法の改正はだんだん遠ざかる。

一般の人たちはそれほど改正の必要性を感じない。

憲法の独自性とか、誕生の秘密性とか、そういう問題は我々の時代には非常に強かったが、時間がたってみたら、そのような問題意識はほとんどなくなって、中身が良いか悪いか(が大事になり)そう悪くないじゃないかと、そういう過程に入ってきている」

中曽根氏のこの発言についてカーティス氏は

「日本は歴史上、外のものを多く輸入、消化し、自分のものとしてきた。

憲法も誕生の過程はともかく、時を経て日本国民に受け入れられたのだから全面改正の必要はなく、不都合な部分に手を入れればいい。

そういう思いなのだと私は受け止めた。」

2013年2月といえば、いまから12年前のこと。

自民党は2012年4月28日に憲法改正草案を公表した。

日本国憲法を大日本帝国憲法に書き換えるかの如くの完全なる憲法の書き換え案だったが、中曽根氏の上記の認識とはかけ離れたものである。

憲法について「日本が自主的に定めたものでない」、「憲法制定過程でGHQが深く関与した」ことなどを根拠に、日本人が日本人の手で憲法を制定するべきだとの主張は長く提示されてきた。

私は個人の見解として「制定のプロセスではなく、中身が重要である」との認識を示すとともに、日本国憲法が示した内容は、日本が世界に誇ることのできる最善に近い内容であり、憲法を改正する必要はないと論じてきた。

立憲民主党の枝野幸男元代表が現在、衆院の憲法審査会の会長を務めている。

その枝野氏が12月21日、さいたま市で開いた会合で、

「(憲法を)良く変えるための議論をするのが私の仕事だ。

議論は積極的に進めていきたい」

と述べた。

必要のない憲法改定に向けて立憲民主党が前のめりになり始めていることに強い警戒感が生じている。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3a1b07.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1037.html#c23

[近代史3] 戦後の日本が世界で最も成功した社会主義国、理想の共産社会に近い一億総中流社会になった理由 中川隆
12. 中川隆[-8111] koaQ7Jey 2024年12月25日 01:40:12 : FwovQ5AUOk : SzA0NXp0TE9lMnM=[8]
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植草一秀の『知られざる真実』2024年12月24日
憲法改正の必要性を感じない
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3a1b07.html

日経新聞に米国コロンビア大学名誉教授のジェラルド・カーティス氏が「私の履歴書」を連載している。

ジェラルド・カーティス氏は大学院生時代に日本で地方選挙の実態を徹底取材した内容を博士論文として執筆。

これがベストセラーとなり、政権与党の実力者や財界の要人らと数十年にわたって深い関係を築き、アメリカ有数のジャパン・ウォッチャーとして知られるようになった。

CIAの上級オフィサーで2000年に没したロバート・クロウリーが残した協力者一覧「クロウリーファイル」に名前が掲載されている。

CIA協力者でもある。

米国の対日工作の中心は「反共政策」

1945年から47年のGHQによる日本の占領初期においては徹底した「日本民主化」措置が取られたが、1947年3月にトルーマンドクトリンが発出されて米国の外交基本方針が「反共」に転じたことを背景に、対日占領政策も劇的に転換した。

敗戦後の日本には重大な断絶がある。

1947年以降の対日占領政策の基本は非民主化=反共化である。

1945〜47年の占領初期だけが特異な時間帯だった。

1947年以降の時代と断絶がある。

占領初期の「遺産」が「日本国憲法」である。

憲法施行は1947年5月。

憲法施行が半年遅れていれば、憲法はまったく違うものになった可能性が高い。

1947年以降の対日政治工作中枢を担ったのが日本国際交流センター(JCIE)。

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JCIEはデイヴィッド・ロックフェラーが委員長を務める日米欧委員会(三極委員会=トライラテラル・コミッション)の事務局を兼ねており、日本におけるロックフェラー財閥の代表機関だった。

同時にJCIEがMRA(道徳再武装)の本部をも兼ねていた。

ジェラルド・カーティス氏の日本における活動の舞台の中心がJCIEだった。

因みに2010年にJCIE理事長に就任した渋沢健氏は渋沢栄一氏の5代目の孫にあたる。

日本の紙幣の図案に渋沢栄一氏が用いられた背景にこうした事情がある。

MRAと強いつながりがあるのが統一協会・国際勝共連合であり、旧社会党右派、民社党・同盟、松下政経塾などとともにMRAという一本の縦糸で連鎖している。

MRAによる日米間の文化交流プログラムがCIAの秘密ミッションの隠れ蓑になってきたと見られる。

これらの活動の中核で行動してきたのがジェラルド・カーティス氏ということになる。

小泉進次郎氏はカーティス氏の計らいでコロンビア大学に在籍する機会を得ている。

「私の履歴書」でカーティス氏が中曽根康弘氏との交流について記述した。

カーティス氏は2013年2月に中曽根氏にインタビューし、中曽根氏の憲法改正に対する考え方が変わったことに驚いたことを記述している。

中曽根氏はインタビューで憲法改正についてこう発言した。

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「憲法の改正はだんだん遠ざかる。

一般の人たちはそれほど改正の必要性を感じない。

憲法の独自性とか、誕生の秘密性とか、そういう問題は我々の時代には非常に強かったが、時間がたってみたら、そのような問題意識はほとんどなくなって、中身が良いか悪いか(が大事になり)そう悪くないじゃないかと、そういう過程に入ってきている」

中曽根氏のこの発言についてカーティス氏は

「日本は歴史上、外のものを多く輸入、消化し、自分のものとしてきた。

憲法も誕生の過程はともかく、時を経て日本国民に受け入れられたのだから全面改正の必要はなく、不都合な部分に手を入れればいい。

そういう思いなのだと私は受け止めた。」

2013年2月といえば、いまから12年前のこと。

自民党は2012年4月28日に憲法改正草案を公表した。

日本国憲法を大日本帝国憲法に書き換えるかの如くの完全なる憲法の書き換え案だったが、中曽根氏の上記の認識とはかけ離れたものである。

憲法について「日本が自主的に定めたものでない」、「憲法制定過程でGHQが深く関与した」ことなどを根拠に、日本人が日本人の手で憲法を制定するべきだとの主張は長く提示されてきた。

私は個人の見解として「制定のプロセスではなく、中身が重要である」との認識を示すとともに、日本国憲法が示した内容は、日本が世界に誇ることのできる最善に近い内容であり、憲法を改正する必要はないと論じてきた。

立憲民主党の枝野幸男元代表が現在、衆院の憲法審査会の会長を務めている。

その枝野氏が12月21日、さいたま市で開いた会合で、

「(憲法を)良く変えるための議論をするのが私の仕事だ。

議論は積極的に進めていきたい」

と述べた。

必要のない憲法改定に向けて立憲民主党が前のめりになり始めていることに強い警戒感が生じている。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3a1b07.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/353.html#c12

[近代史5] 世界で唯一成功した共産国家はバブル崩壊までの日本だけだった 中川隆
7. 中川隆[-8110] koaQ7Jey 2024年12月25日 01:40:32 : FwovQ5AUOk : SzA0NXp0TE9lMnM=[9]
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植草一秀の『知られざる真実』2024年12月24日
憲法改正の必要性を感じない
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3a1b07.html

日経新聞に米国コロンビア大学名誉教授のジェラルド・カーティス氏が「私の履歴書」を連載している。

ジェラルド・カーティス氏は大学院生時代に日本で地方選挙の実態を徹底取材した内容を博士論文として執筆。

これがベストセラーとなり、政権与党の実力者や財界の要人らと数十年にわたって深い関係を築き、アメリカ有数のジャパン・ウォッチャーとして知られるようになった。

CIAの上級オフィサーで2000年に没したロバート・クロウリーが残した協力者一覧「クロウリーファイル」に名前が掲載されている。

CIA協力者でもある。

米国の対日工作の中心は「反共政策」

1945年から47年のGHQによる日本の占領初期においては徹底した「日本民主化」措置が取られたが、1947年3月にトルーマンドクトリンが発出されて米国の外交基本方針が「反共」に転じたことを背景に、対日占領政策も劇的に転換した。

敗戦後の日本には重大な断絶がある。

1947年以降の対日占領政策の基本は非民主化=反共化である。

1945〜47年の占領初期だけが特異な時間帯だった。

1947年以降の時代と断絶がある。

占領初期の「遺産」が「日本国憲法」である。

憲法施行は1947年5月。

憲法施行が半年遅れていれば、憲法はまったく違うものになった可能性が高い。

1947年以降の対日政治工作中枢を担ったのが日本国際交流センター(JCIE)。

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同時にJCIEがMRA(道徳再武装)の本部をも兼ねていた。

ジェラルド・カーティス氏の日本における活動の舞台の中心がJCIEだった。

因みに2010年にJCIE理事長に就任した渋沢健氏は渋沢栄一氏の5代目の孫にあたる。

日本の紙幣の図案に渋沢栄一氏が用いられた背景にこうした事情がある。

MRAと強いつながりがあるのが統一協会・国際勝共連合であり、旧社会党右派、民社党・同盟、松下政経塾などとともにMRAという一本の縦糸で連鎖している。

MRAによる日米間の文化交流プログラムがCIAの秘密ミッションの隠れ蓑になってきたと見られる。

これらの活動の中核で行動してきたのがジェラルド・カーティス氏ということになる。

小泉進次郎氏はカーティス氏の計らいでコロンビア大学に在籍する機会を得ている。

「私の履歴書」でカーティス氏が中曽根康弘氏との交流について記述した。

カーティス氏は2013年2月に中曽根氏にインタビューし、中曽根氏の憲法改正に対する考え方が変わったことに驚いたことを記述している。

中曽根氏はインタビューで憲法改正についてこう発言した。

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「憲法の改正はだんだん遠ざかる。

一般の人たちはそれほど改正の必要性を感じない。

憲法の独自性とか、誕生の秘密性とか、そういう問題は我々の時代には非常に強かったが、時間がたってみたら、そのような問題意識はほとんどなくなって、中身が良いか悪いか(が大事になり)そう悪くないじゃないかと、そういう過程に入ってきている」

中曽根氏のこの発言についてカーティス氏は

「日本は歴史上、外のものを多く輸入、消化し、自分のものとしてきた。

憲法も誕生の過程はともかく、時を経て日本国民に受け入れられたのだから全面改正の必要はなく、不都合な部分に手を入れればいい。

そういう思いなのだと私は受け止めた。」

2013年2月といえば、いまから12年前のこと。

自民党は2012年4月28日に憲法改正草案を公表した。

日本国憲法を大日本帝国憲法に書き換えるかの如くの完全なる憲法の書き換え案だったが、中曽根氏の上記の認識とはかけ離れたものである。

憲法について「日本が自主的に定めたものでない」、「憲法制定過程でGHQが深く関与した」ことなどを根拠に、日本人が日本人の手で憲法を制定するべきだとの主張は長く提示されてきた。

私は個人の見解として「制定のプロセスではなく、中身が重要である」との認識を示すとともに、日本国憲法が示した内容は、日本が世界に誇ることのできる最善に近い内容であり、憲法を改正する必要はないと論じてきた。

立憲民主党の枝野幸男元代表が現在、衆院の憲法審査会の会長を務めている。

その枝野氏が12月21日、さいたま市で開いた会合で、

「(憲法を)良く変えるための議論をするのが私の仕事だ。

議論は積極的に進めていきたい」

と述べた。

必要のない憲法改定に向けて立憲民主党が前のめりになり始めていることに強い警戒感が生じている。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3a1b07.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/117.html#c7

[近代史3] GHQ とユダヤ金融資本は戦後の日本を共産化しようとして農地改革、人為的インフレ生成、預金封鎖、日本国憲法制定を行った 中川隆
33. 中川隆[-8109] koaQ7Jey 2024年12月25日 01:40:51 : FwovQ5AUOk : SzA0NXp0TE9lMnM=[10]
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植草一秀の『知られざる真実』2024年12月24日
憲法改正の必要性を感じない
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3a1b07.html

日経新聞に米国コロンビア大学名誉教授のジェラルド・カーティス氏が「私の履歴書」を連載している。

ジェラルド・カーティス氏は大学院生時代に日本で地方選挙の実態を徹底取材した内容を博士論文として執筆。

これがベストセラーとなり、政権与党の実力者や財界の要人らと数十年にわたって深い関係を築き、アメリカ有数のジャパン・ウォッチャーとして知られるようになった。

CIAの上級オフィサーで2000年に没したロバート・クロウリーが残した協力者一覧「クロウリーファイル」に名前が掲載されている。

CIA協力者でもある。

米国の対日工作の中心は「反共政策」

1945年から47年のGHQによる日本の占領初期においては徹底した「日本民主化」措置が取られたが、1947年3月にトルーマンドクトリンが発出されて米国の外交基本方針が「反共」に転じたことを背景に、対日占領政策も劇的に転換した。

敗戦後の日本には重大な断絶がある。

1947年以降の対日占領政策の基本は非民主化=反共化である。

1945〜47年の占領初期だけが特異な時間帯だった。

1947年以降の時代と断絶がある。

占領初期の「遺産」が「日本国憲法」である。

憲法施行は1947年5月。

憲法施行が半年遅れていれば、憲法はまったく違うものになった可能性が高い。

1947年以降の対日政治工作中枢を担ったのが日本国際交流センター(JCIE)。

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JCIEはデイヴィッド・ロックフェラーが委員長を務める日米欧委員会(三極委員会=トライラテラル・コミッション)の事務局を兼ねており、日本におけるロックフェラー財閥の代表機関だった。

同時にJCIEがMRA(道徳再武装)の本部をも兼ねていた。

ジェラルド・カーティス氏の日本における活動の舞台の中心がJCIEだった。

因みに2010年にJCIE理事長に就任した渋沢健氏は渋沢栄一氏の5代目の孫にあたる。

日本の紙幣の図案に渋沢栄一氏が用いられた背景にこうした事情がある。

MRAと強いつながりがあるのが統一協会・国際勝共連合であり、旧社会党右派、民社党・同盟、松下政経塾などとともにMRAという一本の縦糸で連鎖している。

MRAによる日米間の文化交流プログラムがCIAの秘密ミッションの隠れ蓑になってきたと見られる。

これらの活動の中核で行動してきたのがジェラルド・カーティス氏ということになる。

小泉進次郎氏はカーティス氏の計らいでコロンビア大学に在籍する機会を得ている。

「私の履歴書」でカーティス氏が中曽根康弘氏との交流について記述した。

カーティス氏は2013年2月に中曽根氏にインタビューし、中曽根氏の憲法改正に対する考え方が変わったことに驚いたことを記述している。

中曽根氏はインタビューで憲法改正についてこう発言した。

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一般の人たちはそれほど改正の必要性を感じない。

憲法の独自性とか、誕生の秘密性とか、そういう問題は我々の時代には非常に強かったが、時間がたってみたら、そのような問題意識はほとんどなくなって、中身が良いか悪いか(が大事になり)そう悪くないじゃないかと、そういう過程に入ってきている」

中曽根氏のこの発言についてカーティス氏は

「日本は歴史上、外のものを多く輸入、消化し、自分のものとしてきた。

憲法も誕生の過程はともかく、時を経て日本国民に受け入れられたのだから全面改正の必要はなく、不都合な部分に手を入れればいい。

そういう思いなのだと私は受け止めた。」

2013年2月といえば、いまから12年前のこと。

自民党は2012年4月28日に憲法改正草案を公表した。

日本国憲法を大日本帝国憲法に書き換えるかの如くの完全なる憲法の書き換え案だったが、中曽根氏の上記の認識とはかけ離れたものである。

憲法について「日本が自主的に定めたものでない」、「憲法制定過程でGHQが深く関与した」ことなどを根拠に、日本人が日本人の手で憲法を制定するべきだとの主張は長く提示されてきた。

私は個人の見解として「制定のプロセスではなく、中身が重要である」との認識を示すとともに、日本国憲法が示した内容は、日本が世界に誇ることのできる最善に近い内容であり、憲法を改正する必要はないと論じてきた。

立憲民主党の枝野幸男元代表が現在、衆院の憲法審査会の会長を務めている。

その枝野氏が12月21日、さいたま市で開いた会合で、

「(憲法を)良く変えるための議論をするのが私の仕事だ。

議論は積極的に進めていきたい」

と述べた。

必要のない憲法改定に向けて立憲民主党が前のめりになり始めていることに強い警戒感が生じている。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3a1b07.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/146.html#c33

[番外地12] プーチンがウクライナ人やポーランド人からあそこまで憎まれている理由、プーチンは 隠れyudaya人 で yudaya人の利益にしか関心… 中川隆
6. 中川隆[-8108] koaQ7Jey 2024年12月25日 02:16:37 : FwovQ5AUOk : SzA0NXp0TE9lMnM=[11]
<■141行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
プーチンがグローバリズムと闘っている愛国者だという悪質な嘘を撒き散らしている伊藤貫やチャンネル桜に騙されるな:
プーチンがウクライナ人やポーランド人からあそこまで憎まれている理由
プーチンは 隠れユxx人 で ユxx人 の利益にしか関心が無く、スラブ人や少数民族を徹底的に収奪・搾取・弾圧している。 プーチンはグローバリストと戦っているのではなく、単に ユxx人 の中で内ゲバしているだけです。だからこそプーチンとキッシンジャーは仲が良いのです。
ロシアの実際の生活、物価、月収 ロシア人3人にインタビュー
ロシアは現在、経済制裁やインフレ圧力、労働力不足が続いているにもかかわらず、 ロシア政府は軍事費を増加させ予算の約三分の一を軍事費にあてている。そして、 モスクワでは富裕層の華やかな生活が見られる一方、一般国民は物価高騰に苦しんでいる。


自国民を苦しめるプーチン政権・ロシアの実際の生活、物価、月収 ロシア人3人にインタビュー
水無月レナ 2024年12月23日

ロシアの今
 ロシアは現在、経済制裁やインフレ圧力、労働力不足が続いているにもかかわらず、ロシア政府は軍事費を増加させ予算の約三分の一を軍事費にあてている。そして、モスクワでは富裕層の華やかな生活が見られる一方、一般国民は物価高騰に苦しんでいる。

 また、人口減少も深刻な問題であり、出生率の低下や若年層の国外流出などが悪影響を及ぼしており、ロシアの労働市場は、深刻な労働力不足に直面している。ロシア中央銀行の企業調査では、労働力不足が過去25年で最も深刻であると報告されているそうだ。

 10月28日、プーチン大統領は「ロシア経済は依然として厳しい状況にある」と述べ、制裁や物流問題、人材不足をその原因に挙げた。実際、インフレ率は2023年夏以降加速し、10月時点で8.5%に達しており、主要食品の価格も大幅に上昇し、ジャガイモが50%、バターが23.4%、パンが11.2%、牛肉の価格は10ヶ月で10.2%、リンゴも13.1%値上がりし、公共交通機関の運賃も10%以上値上がりするなど、国民の負担がさらに増している。
 ロシア連邦統計局(ロススタット)の調査結果と「RIAノーボスチ」によれば、ロシアの家庭の大半はすべての支出をまかなうのに必要な収入が足りず、今年4月から6月にかけて十分な収入があった家庭はわずか4.9%にとどまった。


ロシアの現状。実際の生活、物価、月収。給料がとても安い?!生活費は?ロシア人3人にインタビュー
れなちゃんねる・水無月レナ 2024/12/23
https://www.youtube.com/watch?v=zGHnzLQ_P7I
https://note.com/lena066/n/n593967417d89?sub_rt=share_b

▲△▽▼


ロシアの経済ニュース紹介&少し解説!制裁の影響は?ロシア国民は制裁の影響に気づいているのか?ガスプロム赤字、ロシア政府、必死になって増税始める!
れなちゃんねる・水無月レナ 2023/07/17
https://www.youtube.com/watch?v=O-kGj-0O7ig

今回は、ロシアのニュースを紹介しようと思って、色々まとめてみました。ガスプロムが抱える赤字、ガス料金値上げ、新たな税金、制裁の影響、プーチンの考えなど!

▲△▽▼

ロシアの選挙について。プーチンはなぜ当選したのか?投票用紙に無効票にしようと何か書いたら逮捕される?!不正だらけの選挙の実態。
れなちゃんねる・水無月レナ 2024/03/20
https://www.youtube.com/watch?v=enNnMhc6y9c

ご存知の通り、17日に選挙が終わり、プーチンが87%余りの得票率で圧勝。しかし私はそんな選挙は認めないし、みんなにも認めてほしくない。占領地で選挙をやっている時点でアウトだが、プーチン政権は自国民の扱いも酷く、選挙でさえ何の意味もない茶番と化している。プーチンは大統領ではない、ただの犯罪者。

▲△▽▼

真っ白な紙でも逮捕?!言論の自由がない国、ロシアの実態。
れなちゃんねる・水無月レナ 2024/03/16
https://www.youtube.com/watch?v=lTnRi3FyKj8

皆さんはもうご存知かと思うが、今のロシアではプーチン政権やウクライナ侵攻に反対したり、批判的な意見を言うと逮捕され、そしてソ連時代のように密告も増え、とんでもない状況に。
「平和」という言葉も、もはや使えない。
しかしロシアの言論統制は今始まったことではなく、前から強まっていき、そしてプーチン政権は、相当怯えているのか、何も書いていないただの白い紙も許さず、反対する意志を全て潰そうとしている。
今回の動画ではそういう逮捕事例をまとめてみました。


ロシアのZ脳は虹色とウクライナカラーを見ると発狂しちゃう!虹色や青と黄色を身につけていただけで逮捕。 自由のない国、ロシアの実態(後半)
https://www.youtube.com/watch?v=UIojhIXVLkA

ロシアは、LGBTを過激派組織に指定し、禁止にしたため、今は虹色を身につけているだけで逮捕されかねない。そして一番やっかいなのは、一般人の通報。ソ連時代に逆戻り?と聴きたくなるほど、くだらない通報はどんどん増え、自由がさらに奪われる。
ウクライナカラーも、ウクライナ応援などの、そういう意味がなくてもその組み合わせを見ただけで通報する人がいて、そして警察も容赦なく逮捕し、その色を使った人は挙句の果て罰金を払わされる。
そのようなおかしい通報や逮捕事例をまとめてみました。


▲△▽▼


ロシアの「愛国教育」という名の洗脳・教育の軍事化とプーチン崇拝、高校で軍事訓練など
れなちゃんねる・水無月レナ 2024/10/29
https://www.youtube.com/watch?v=1DZWeUJzp94
https://note.com/lena066/n/nf4cfe84f863f

ロシアの教育の今。愛国授業、学校を訪れる帰還兵、戦闘と戦術を学ぶ軍事ゲーム、高校で必須の軍事訓練、歪められた歴史。幼稚園の子供たちまで洗脳対象に。プーチン崇拝と戦争賛美。


ロシアの教育はどうなっている?教育の実態と授業内容、戦争の影響、洗脳とプロパガンダ。
れなちゃんねる・水無月レナ 2024/02/23
https://www.youtube.com/watch?v=wxXhsFmDNvs


ロシアの教育、洗脳と戦争プロパガンダ パート2 小学生や幼稚園児に軍服?戦争美化と「愛国心」
https://www.youtube.com/watch?v=Vt3dhs2HKNE

今回はロシアの大きなイベント、戦勝記念日とその影響、平和を願うはずのお祝いの変わり果てた姿や子供の軍服姿、学校、幼稚園などにおける軍事的イベントや歪んだ愛国心の押し付けなどについてお話します。


ロシアの高校卒業試験(大学入試)がやばい!!試験で起こった出来事、カンニングしまくる学生と人権が無視される試験会場。前半。
https://www.youtube.com/watch?v=tiJSxhKINfw

つい最近ロシアのネットで話題になった、試験会場で女子高生が金属探知機に引っかかって大変なことになった話やロシアの中高生がカンニング、不正しまくる話、試験会場のトイレがとんでもないことになっている話などをします。前半です。後半では、自分が中学の卒業試験で誰かに解答用紙の答えを書き直されて点数を下げられた話をしたいと思います。

ロシアの卒業試験、やばい!後半。 中学校の卒業試験で採点者が私の解答用紙を改ざんし、合っていた答えを間違った答えに書き変え、点数を下げた話。
https://www.youtube.com/watch?v=XhYxtuk_KAo

前半は試験会場で起こった出来事、カンニングしまくる学生とそのとんでもない対策について話しました。

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朝香豊 _ プーチンのデタラメ歴史観に騙される日本 の「保守」を論破します
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16841387

ウクライナはロシアではない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16827873

プーチンはユダヤ人だった _「ロシアという国」の本当の姿をジェームズ斉藤が解説!
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/187.html

ロシアの生活はモスクワと田舎で大差、少数民族は月収3万円程度
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16826015

ロシア軍で囚人兵やウクライナ人兵はウクライナ軍の攻撃の 「的」として使われている
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14048884

毒を盛られた? ナワリヌイ氏やっぱり恐るべしプーチンロシア
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16840882

戦争をするほど好景気になるロシア _ ヒトラー的好景気は持続しない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16828077
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/300.html#c6

   

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