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[番外地9] 現在のアイヌ人は日本人とのハーフが10万人、純系のアイヌ人が1万人代 中川隆
8. 中川隆[-6460] koaQ7Jey 2021年3月21日 08:00:05 : 56w0TbOpRk : SWJDemhtTzJaUWc=[1]
>後から北海道に来て、一万人有り得ないね。後から来たから、一万人しか居ない。

狩猟採集民族は人口が増えると餓死するから、嬰児殺しや産児制限で人口を増やさない様にしているんだよ。縄文時代も日本全体で10万人しか居なかった、特に縄文晩期は寒冷だったので人口が激減し、北海道では釧路以外の地域のコタンは全滅した。 今のアイヌ人は釧路に居た縄文人の子孫だよ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/229.html#c8

[番外地9] 現在のアイヌ人は日本人とのハーフが10万人、純系のアイヌ人が1万人代 中川隆
9. 中川隆[-6459] koaQ7Jey 2021年3月21日 08:05:27 : 56w0TbOpRk : SWJDemhtTzJaUWc=[2]
>そしたら今ある北はなんで国なの?

南chousen は長江の稲作民が移住して無文土器人になって人口が増えた。 無文土器人が日本に移住したのが弥生人だ。 現代日本人は無文土器人=弥生人の子孫で、縄文人の遺伝子は入っていないのがわかってきた。
北chousen はツングース系の狩猟民しか住んでいなかったから人口が少ないんだよ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/229.html#c9

[番外地9] 日本の実質失業率は50%だよ 中川隆
1. 中川隆[-6458] koaQ7Jey 2021年3月21日 08:27:29 : 56w0TbOpRk : SWJDemhtTzJaUWc=[3]
日本の実質失業率は50%だよ:
デフレの原因は技術の進歩で供給力が需要の4倍、5倍に増えた為です、未来永劫絶対にデフレ脱却はできません。
日本は大昔から供給過剰な国で、食べ物、住居、自動車、家電等は作ろうと思えば必要量の何倍でも直ぐに作れるのです。 しかし余計に作っても売れないので、日本人の過半数は食べる為にやってもやらなくても何も変わらない意味無い仕事をやっているのです。 従って、三橋貴明さんが何時も言っている 需要・供給というのは やってもやらなくても何も変わらない意味無い仕事の 需要・供給なのです。 インフレ・デフレとは関係ありません。

有っても無くても何も変わらない商品の値段が上がっても下がっても、世の中に溢れている生活必需品の価格が変わらなければインフレにもデフレにもなりません。三橋貴明さんが何時も騒いでいる 需要・供給とインフレ・デフレの関係は明らかな間違いなのです。

MMT論者は需要・供給、潜在供給量やGDP・経済成長率について基本的に誤解をしているのです:
そもそも需要や供給で意味が有るのは農業・食品や日用品、自動車・家電製品、輸送・電力・ガス・水道、土木・建設、介護・病院・学校関係くらいです。 それ以外の需要や供給は有っても無くても大して変わらないので、需要・供給の数値には意味は有りません:


大西つねき
民間銀行はもうこの世に必要ない(Live配信2021/1/12) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=a3y34SLGKlo

今、ネットで話題になっているのが「政府支出が増えると経済成長する」というもの。本当にそうなのでしょうか? 

アホ右翼でも理解できる様に超簡単に解説しました。
経済成長ってなに?【政府支出が増えると経済成長する?】
https://www.youtube.com/watch?v=C12Mllv1nbQ&feature=emb_title

今は技術の進歩で、日本人の1/3が8時間労働すれば日本人全員が生活に必要な物をすべて作れる時代です。

警察・防衛、司法・行政・政治を含めても、まともな意味の有る仕事をしているのは日本人の半分だけでしょう。

そもそも輸出品の供給力に対応する需要は海外の購買力なので、日本の内需を拡大しても輸出や日本への観光客が増える訳ではないのです。 言い換えると、日本人の 半分はやる仕事が無いんですね。少子化は意図的に進めるのが正しいのです。
政府が公共事業で需要を増やしたところで日本人の 半分がやっている、やってもやらなくても何も変わらないどうでもいい仕事の量が増える事はありません。その金は不動産や株式市場に流れてバブルを起こすだけです。起業するより不動産や多国籍の株を買った方がリスクが低いし儲かりますからね。

日本人の 半分 は、風俗、水商売、パチンコ、ヤクザとか、(スキー場・温泉宿・タクシー・ガソリンスタンド・コンビニ・回転寿司・ファミリーレストラン・ラーメン屋・飲み屋・調剤薬局・歯医者・弁護士・地方銀行・保険会社・証券会社みたいに既に適正数の何倍も店舗がある、やってもやらなくても何も変わらない労働生産性がゼロに近いサービス業をやって何とか食べているのです。
公共事業をやっても日本人の 半分がやる仕事ができるという訳ではないですね。
現在の日本がデフレだというのは言い換えると、技術の進歩で労働者が1日2,3時間も働けば生活に必要な食べ物や工業製品をすべて作れる時代になってしまった、それ以上の仕事はやってもやらなくても同じだという事です。
だから今は農業人口も200万人以下で日本全体の食糧消費の大半を簡単に作れるのです。
今は高齢者186万人が農業に従事しているだけです:

(農業就業人口は引き続き減少・高齢化)
農業就業人口のうち基幹的農業従事者(*2)数は、186万2千人となり、前年に比べて18万9千人(9.2%)減少し、200万人を下回りました。 また、65歳以上の割合は59.1%と前年に比べて2ポイント低下したものの6割を占めており、平均年齢も66歳と高齢化が進んでいます。


MMT論者は緊縮財政を続けると日本の供給力が壊滅して開発途上国になると騒いでいますが、元々日本は供給力が増えすぎて困っているのです。 食料も電気製品も住居も土地も日本では有り余っています。 ただ、労働者の賃金が安くて世の中に有り余っているものを消費できないというだけです。デフレギャップを減らすには、終戦直後にGHQがやった様に、意図的にインフレを起こして資本家の資産を目減りさせて労働者に再分配するしかありません。国債発行や公共事業をいくらやっても、増えた金はすべて資本家に持って行かれるだけで、労働者の実質賃金はどんどん下がっていきます。

日本の仕事の殆どはサービス産業なので、食べていく為にやってもやらなくても良い無駄な仕事をしている事になります。
人口が減ればそういう無意味な仕事をする必要も無くなるので、デービッド・アトキンソンの最低賃金を上げて、それに耐えられない中小企業は潰せ、というのは正しいです。存在価値が無い中小企業を淘汰するのは合理的です。

安物・粗悪品の製造会社、アマゾンに対抗できない小売店、国債の利息でなんとか生きながらえている地方銀行、海外からの技術研修生を使わないとやっていけない会社、コンビニより多い歯科医院、外人留学生が居ないとやっていけない大学・専門学校、インバウンドで食べている旅館・観光会社、風俗等のヤクザのしのぎになっている仕事、パチンコ・IR

すべて日本の生産性を下げているだけの無意味・無駄な仕事です。
______

起業家の半数が1年で廃業し収入はバイト以下
起業しても10%以下しか継続できない


10数年前から日本政府は起業を奨励していて、起業すれば必ず成功するかのようなキャンペーンをやっていました。

ブームに乗って実際に起業した人たちがどうなったか検証してみると、政府が振りまいた夢とは正反対の現実があった。

中小企業白書によると個人事業主として開業した人の約3割が、1年以内に廃業し、2年で約半数、10年後には88%が廃業しています。


個人ではなく会社を設立した場合、1年以内で6割が廃業(倒産)し、5年後には85%が廃業、10年後に残っているのは6%でした。


「起業に成功する人、失敗する人」のような本は多く出ていますが、そもそも会社の数は足りているのです。


現在存在している会社だけで世の中は足りているのに、そこに割って入って仕事を奪うのが「起業」だと言えます。

既存の会社には目の敵にされるし、会社員として実績があっても、おそらく助けては貰えないでしょう。

インターネット関係の新しいアイディアは1年もたずに陳腐化してしまい、事業として続かない事が多いです。
日本政策金融公庫の調査で起業家の4割がが月商30万円未満だと発表されました。

起業家の8割は1人で自宅で仕事をし、最近はネットで仕事をするネット企業家が増えています。
起業した人の多くは会社員時代より収入が減り、しかも労働時間が延びる傾向があります。

働いた分だけ収入になるのは、働かなければ収入がない事なので、特に時給に換算した収入が減少します。
会社では10人分の仕事を10人でやり、起業すると1人分の仕事を1人でやり、一見同じ事に思えるが効率が大幅に悪化します。
時代の波を乗り越えて10年後に事業を続けていられる人は、10%前後というわけです。

______


失業者には国が十分な金を出せばいいだけでしょう。
MMTでお金はいくらでも発行できます。
生活困窮者の生活費を国で出せばいいだけですね。
日本は世界一の金持ち国で対外資産が沢山あるので、日本人は大して働かなくても食べていけるのです。

貧困者を救済した為にインフレになったら、貧困者にばら撒いた金額分だけ大企業や資本家の資産が減り、所得再分配が達成されます。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/222.html#c1

[番外地9] 現在のアイヌ人は日本人とのハーフが10万人、純系のアイヌ人が1万人代 中川隆
10. 2021年3月21日 09:11:02 : 56w0TbOpRk : SWJDemhtTzJaUWc=[4]
日本にも方言差、地域差が有るだろ、アイヌも同じさ。
ニブフとアイヌの差やツングースとアイヌの差の方がアイヌ内の地域差・方言差より何万倍も大きいんだ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/229.html#c10
[リバイバル3] 古いアンプやスピーカーにはリスクが有る 中川隆
100. 2021年3月21日 09:32:08 : 56w0TbOpRk : SWJDemhtTzJaUWc=[5]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
1980年代・1990年代の中古機器は電源部のコンデンサー劣化が進んでいる 2021年03月21日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/057501605e096bd58f0673aaa38c55da


昨年12月頃から(気温が10℃以下になる頃)動作不良の目立った機器が増えた。その中の1台にSONY MDS-E58も有った。3月になり暖かくなって10℃を超える気温になった。久しぶりにこの機種に電源を入れて回してみた。あら不思議??全然異状なく使えるでは有りませんか!!!

他にも同様に12月になって動作不良になったMDS-E55もDM-7080も動く様になっています。昨冬も同様の症状の出たDM-9090の電源部のコンデンサーを、昨年交換したら今冬は正常に動作していました。

1980〜1990年代の機器は、製造されてから30〜40年も経過しています。電源部のコンデンサーのみならず、回路に使われているコンデンサー系は劣化が進んでいると推測されます。MD機やDAT機、CDP等のソース機器は言うに及ばず、アンプ類もコンデンサー類の見直し・交換が必要になって来ていると推測します。

この事が分からず、余計な機器を沢山「買い込んでは手放し」を繰り返してしまいました。買う時は正常品との事でも、売る時はジャンク品です。かなり損をしてしまいました。

資金が出来たら、古い機器は随時「コンデンサー交換」に出していきたいと考えています。機器は正常に動作してくれないと使い物になりません。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/057501605e096bd58f0673aaa38c55da
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/832.html#c100

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
47. 2021年3月21日 09:56:09 : 56w0TbOpRk : SWJDemhtTzJaUWc=[6]
TANNOY(タンノイ)の歴史 〜守り続ける美学、至高の響き〜(前編)
https://audio.kaitori8.com/story/tannoy-1/


英国の老舗スピーカーメーカー「TANNOY(タンノイ)」。

現在、本社はスコットランドのノース・ラナークシャーコートブリッジにあるが、創業は1926年、ガイ・ルパート・ファウンテン(Gay Rupert Fountain)により、英国ロンドンのウエスト・ノーウッドに設立された。
タンノイと言えば、日本のオーディオファンにとってはJBLと並びスピーカーシステムの頂点に君臨するブランドだ。そして、数多くの人間を虜にしたブランドとしても有名で、芥川賞受賞作家「五味康祐」はその最も有名なうちの一人だろう。

一貫した美学と誇りを堅持し、神格化された存在にすらなっていった「タンノイ」。
今日わたしたちは、そんな英国のスピーカーブランド「タンノイ」の、戦前の歴史について一緒に振り返りたい。

目次
1.ファウンテンの青年期
2.タンノイ誕生
3.黄金時代
まとめ

1.ファウンテンの青年期
1-1.ガイ・ルパート・ファウンテン
ガイ・ルパート・ファウンテンは、タンノイの創業者である。

彼は19世紀最後の年の1900年、ヨークシャー地方リーズ近郊で生まれた。リーズは、今でこそ金融経済の中核をなす都市として発展を遂げ、「北の首都」と称されるに至っているが、当時は羊毛産業を中心とする工業都市だった。
彼はグラマースクール(日本で言う中学校)までをその土地で過ごした。卒業後は航空部隊(英国空軍の前身)へ入隊予定だったが、第一次世界大戦は1918年に集結した。そこで、彼は将来を求め、何のあてもなかったがロンドンへ向かった。

1920年、ガイ・ルパート・ファウンテン、二十歳のことだった。

1-2.ランカスター自動車会社


まず、ファウンテンはロンドン南東のウェスト・ノーウッドに生活拠点を置いた。そして、彫板作りを専門とする会社で働き始める。
が、自動車技術に強い興味を抱いていた彼は、数人の友人とともに「ランカスター自動車会社」を設立する。この会社は、当時では一般的だった受注生産方式をとり、車台(シャシー)に車体を架装するコーチワークを主にしていた。

1-3.電子技術への関心
1920代中頃になると、ファウンテンは電子機器に関心を抱くようになる。
この頃と言えば、ちょうどラジオやトーキーと言った、当時の最新技術を駆使して提供される娯楽に世間が注目していた。また、この産業を開拓しようとパイオニア達はやっきになっていた。
ファウンテンもそうした将来性に魅せられた一人であり、この産業に大きく魅了されていく。

当時の電子機器が直面していた問題は、真空管のヒーター用電圧やプレート電圧を提供する電源部にあった。整流器というものがなく、すべてをバッタリーに頼っていた。
しかし、鉛酸バッテリーは価格も高く、かさばり、その上頻繁に充電しなければならなかった。一方、レクラニシェタイプの乾電池も、高価で寿命が短いという欠点があった。
この問題は業務用ならまだしも、例えば家庭用ラジオにおいては解決は急務であった。
そこで、ファウンテンは交流電源から直流の電源をとる方法を考え始めるのである。

2.タンノイ誕生
2-1.整流器の完成
ファウンテンはグラマースクールまでしか学校を出ていなかった。また、彼は天才でも理論家でも発明家でもなかった。職人だった。彼の物理と化学の知識は基礎的なもののみであり、優れた整流器を考案し製造するには相当な試練があったと思われる。
しかし、彼は試行錯誤の末、とうとう家庭で簡単に取り扱うことができる上、十分信頼できる電解整流器を完成させる。
この整流器の完成により、1926年、ファウンテンはその製造のための会社「タルスメア・マニュファクチャリング社」を設立する。26歳の時である。

2-2.タルスメア・マニュファクチャリング社
ファウンテンは、ロンドンのウェスト・ノーウッドにあるTulsemere・Road(タルスメア・ロード)に面したガレージの二階に工場を置き、この整流器の製造を開始した。と同時に、励磁型ダイナミックスピーカーの開発にも取り組み始める。
この事業は順調に拡大し、1930年にはスピーカとアンプの仕事が大いに発展したこともあり、工場をもっと大きな場所へと移動する。
といっても、ここもガレージの二階である。つまり、タルスメア・マニュファクチャイング社は、ガレージの2階から、それよりもちょっと大きいガレージの2階へ引っ越したというわけである。
自動車づくりから始まったファウンテン。彼はよほどガレージが好きだったに違いない。

2-3.ネーミング
1932年、ファウンテンは社名を自分の名前と同じ「ガイ・R・ファウンテン社」に変更し、「タンノイ」の商標を登録する。
タンノイの由来は、当時の主力製品であった電解整流器の金属電極材料「タンタル(Tantalum)」と「鉛合金(lead alloy)」を結びつけた造語である。
したがって、音とは全く関係がなく、創業者の名前とも無関係という珍しいブランド名といえる。
また、整流器を製造するために設立した「タルスメア・マニュファクチャリング社」も、その名前の由来はユニークだ。

タルスメア・マニュファクチャリング社は、ロンドンのウェスト・ノーウッドにあるTulsemere・Road(タルスメア・ロード)に面したガレージの二階に工場を置いていた。
そう。およそこの社名は、工場が面していた道路が由来なのである。

3.黄金時代
3-1.飛躍
1933年、タンノイ社は2ウェイスピーカーを作り出す。
このスピーカーにはウーファーとトゥイーターそれぞれにレベルコントロールがあり(この年に製造されたスピーカーのウーファーは、米国マグナボックス社製である。タンノイ独自のウーファーで生産に入ったのは1936年以降)、さらにトゥイーターには周波数補正用の回路を持たせるなど、その考え方は現在の製品に匹敵するものだった。

そして1934年には、タンノイ社は高性能・高品質のマイクロフォンやスピーカーを設計し、その製品ラインを整えていた。同時に、10Wから200Wのパワーアンプも揃えるに至る。
さらに、独自の工場を建設し、タンノイは創立10年もしないうちに、その高い技術で欧州のオーディオ業界のリーダー的存在となっていた。

3-2.ガレージとの別れ


1934年、自社工場建設により、ガレージに別れを告げたファウンテンとタンノイ社。
この年から第二次世界大戦が勃発する1939年の数年間は、タンノイ社の第一次黄金期といってもいいだろう。
この時期のタンノイ社による高出力・高品質の音響機器や中継機の完成は、当時の社会活動・経済活動に非常に大きな影響を与えた。音楽はより多くの人間を楽しませるようになり、政治家や社会的リーダーの声は、パブリックアドレス装置を通して、ごく一般の大衆も触れられるようになった。

一方、野外のスポーツゲームでも、観戦者はゲームを一層親密に楽しめるようになり、駅などの公共機関に設置された音響装置は、多くの人間に正確な指示を与えられるようになった。
また、経済界においても、急速に進展する産業界の情報が簡単かつ確実に伝わるようになっていった。
タンノイ社は、こうした情報革命の先端に活動範囲を置き、常に自社製品とその生産技術の開発に注力した。
この経験と知識の積み上げこそ、今日のタンノイの基盤を作り上げていることは間違いないだろう。

まとめ
若かりし頃のファウンテンを語る上で、まず特筆すべきは工場の場所だろう。
1926年、ファウンテン社を創立したのはレンガ造りの建物の、二階の貸部屋だった。
1930年、業務拡張に伴い移転したその先も、一階がガレージの二階建ての家だった。
車づくりから始まったファウンテン。彼はそういった環境がよほど好きだったに違いない。
次に特筆すべきは、ネーミングについてである。
ファウンテンほど、ユニークなネーミングセンスをもつオーディオメーカーはないだろう。
会社が面する道路の名前が社名の由来だったり、製品の材料がブランド名の由来になったり。

いずれにせよ、これだけは言い切れる。
ファウンテンには若い頃から鋭い経営感覚が備わっていた。

しばしば、JBLとタンノイは比較されるが、JBLの創設者ジェームス・B・ランシングと、タンノイの創設者ガイ・ルパート・ファウンテンを比較すると、経営才覚には明らかな違いが見えてくる。
米国と英国と、二人は場所こそ離れていたが、およそ同じ頃に自身初となる会社を設立している。

また、同じくらい音への探究心と技術力はあっただろうに、ランシングは経営不振が原因で1941年に会社を買収されてしまうが、ファウンテンは1940年代には、欧州でオーディオ業界のリーダー的存在となっていた。
人生の幕の下ろし方も二人は全く異なる……が、その話はまた別の機会にするとして、今日は、皆さんと一緒にタンノイが礎を築いた戦前の歴史が振り返れたことを幸運に思う。

https://audio.kaitori8.com/story/tannoy-1/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c47

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
48. 2021年3月21日 09:57:09 : 56w0TbOpRk : SWJDemhtTzJaUWc=[7]
TANNOY(タンノイ) 〜守り続ける美学、至高の響き〜(後編)
https://audio.kaitori8.com/story/tannoy-2/

1940年代後半から1950年代前半にかけて、ファウンテンは以下の領域におけるプロジェクト実行に心が駆り立てられる。

@大音量が放射できる音響装置
A特殊産業における通信装置
B非常に高品質なスピーカー

もちろん、ファウンテンはこれらの全てに成果を残す。
しかし、今日ここでは、わたしたちはBの項目を軸に、戦後のタンノイの歴史を一緒に紐解いていきたい。
思想を明確に表現し、数々のユニークな製品をこの世に生み出した「タンノイ」。
この記事により、伝統を守りつつ進化を遂げるタンノイのフィロソフィが、皆さんと再認識できれば幸せだ。

目次
1.戦争とタンノイ
2.第二次黄金時代
3.新生タンノイ
まとめ

1.戦争とタンノイ
1-1.第二次世界大戦とタンノイ


1939年、ドイツ軍のポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発すると、イギリスは自国の経済活動のすべてをこの戦争に集中させた。タンノイ社もその例に埋もれず、生産設備の全ては国防計画に振り向けられた。飛行場の警報装置、戦車や潜水艦内での緊急通報装置、砲兵隊の指揮伝達通信機、軍需工場内で使われる通報装置、等々の生産である。

しかし、1945年に終戦を迎えると、タンノイ社はすぐさま再生装置や通信機器の製造を再開し、新時代へ向けての研究開発を始める。

一方で、この頃からタンノイ社の製品品目の一つに、会議場内でのコミュニケーション機器や通訳装置が加えられる。実際、戦後の国際協力関係の進展に伴い、タンノイは世界の代表的な会議設備の多くを手がけている。国際連合の臨時本部となったパリの会議場、ジュネーブの国際連盟跡の会議場、ニューヨークの国連本部ビルなどはその納入先の一例だ。
そして、それ以後、タンノイは国際会議での通訳装置、音響装置の供給において世界でも有数のメーカーとして活躍し、重要な国際会議場にタンノイの装置を取り付けていない国はない、とまで言われるほどになる。

1-2.タンノイの代名詞「デュアル・コンセントリック」誕生
タンノイは第二次世界大戦を経て、軍のPAシステムや通信機器の優秀性によりその名をより高めたが、1947年、さらにその名は広く知れ渡る。ロナルド・H・ラッカムらと、今なお基本構造が変わらないあのユニット「デュアル・コンセントリック(通称「モニター・ブラック」)」の開発に成功するのである。
これは米国アルテック社が開発した同軸2ウェイ604にヒントを得て、自社製マイクロフォン開発の校正用音源として試作されたのが始まりと言われている。
高域はコンプレッションドライバーによるホーン型、低域はコーン型ダイレクトラジエーターとして、この二つを同軸上に一体構造とさせながら、シングル・マグネットに二つのギャップを刻み込んだユニークな設計だった。

こうしてタンノイの代名詞「デュアル・コンセントリック」は誕生し、その構造は今日まで脈々と受け継がれているのである。

1-3.デッカとの出会い
デュアル・コンセントリックが発表された1947年の9月、ロンドンにて第二次世界大戦後初となるオーディオショー「オリンピア・ロンドン展」が開催された。ここでデュアル・コンセントリックは非常に注目を浴びることになるのだが、偶然にも、タンノイのブースの前にはデッカのブースがあった。そして、これがタンノイの大きな転換期へとつながる。
デッカは、既にSPレコードで広域の限界再生周波数を従来の8kHzから14kHzにまで伸張することに成功していた。しかし、肝心の14kHzまでの再生能力を持つスピーカーを手にすることができていなかった。
そこでタンノイのデュアル・コンセントリックに白羽の矢が立っのだが、このデュアル・コンセントリックはデッカの一般市販用の製品「デコラ」への採用が決まると、次いでデッカの録音スタジオモニターとしても採用されていく。

こうして家庭用・モニター業務用という二つの異なった分野でデュアル・コンセントリックは活躍を始めるのだが、このデッカとの出会いは、ユニットの将来を方向付け、タンノイに幅広い活動を約束するものとなった。

2.第二次黄金時代
2-1.オートグラフ誕生の背景
LPレコード発売の1948年前後を契機に、世界中のオーディオメーカー各社から新しい豪華な家庭用スピーカーシステムの発表が相次ぐ。
また、FM放送が開始された1950年代に入ると、家庭でのハイクオリティな音楽再生熱に拍車がかかった。
そうした中、タンノイもモニター・ブラック発表後間もなく、「デュアル・コンセントリック・ラウドスピーカーシステム」と称するバスレフ式のコーナー型システムを作る。
が、これは評価が得られなかった。このため、すでに人気になりつつあったヴァイタボックスの「CN191」やエレクトロボイスの「ザ・パトリシアン」などに対抗するものとして企画されたのが、オーディオ史上屈指の名器「オートグラフ(Autograph)」である。
創業者ガイ・ルパート・ファウンテン自らがオートグラフ(自筆サイン)を刻み、その名をモデル名としたことがその名の由来だ。

発表されたのは1953年、米国ニューヨークのオーディオ・フェアでのことだった。

2-2.第二次黄金時代
1953年、タンノイはオートグラフを発表すると、それからは後に名器と呼ばれる新作を次々と発表する。
1954年には「ヨーク」「ランズダウン」、1955年には創業者のイニシャルをとった「GRF」である。
この頃から、タンノイは本格的に北米大陸のマーケットに進出する。
1953年には、ハイファイスピーカーの販売とPAシステムのレンタル及び補修を業務活動とする「タンノイ・カナダ」を設立。
1954年には、ハイファイスピーカーの販売と米国市場にあったデザインシステム製造を狙い、「タンノイ・アメリカ」を設立。

特にタンノイ・アメリカでは、イギリス本国の少品種の製品構成とは大きく異なり、当時のアメリカニーズに沿った様々なバリエーションモデルが豊富にラインナップされていた。

3.新生タンノイ
3-1.運命の1974年
オートグラフを筆頭とした商業的成功に支えられ、名門タンノイは順調に経営を推移させていく。しかし、1974年、自体は突如急変する。
まずは、コーン・アッセンブリー工場の火災である。
これにより、自社にてユニットエンクロージャーの生産が不可能となる。
そして、ほぼ時を同じくして、ファウンテンが引退を決意する。

1926年に会社を創立して以来、48年間に渡りタンノイ社を牽引してきたファウンテンも、このときすでに74歳。さらに二回の心臓発作を起こしており、満身創痍の状態だった。
こうした経緯を経て、ファウンテンはタンノイ社の将来の発展を考慮に入れ、最終的な決断を下す。
それは、当時すでに世界的な規模で活躍していた音響多国籍企業「ハーマン・インターナショナル社」へのタンノイ社売却だった。

3-2.死別
1974年、タンノイ社は、ハーマン・カードン、オルトフォン、JBLなどを傘下に従えていたハーマン・インターナショナルの一員となり、いわゆるアルファベットシリーズの「アーデン」「バークレイ」「チェビオット」「デボン」「イートン」などを発売する。

一方、ハーマン・インターナショナル社の社長ハーマンは、タンノイとの協議の際、タンノイ全社員の受け入れと、製品コンセプトは変更しない旨を約束していた。その上で、今後の技術革新にタンノイ社が対応すべく、タンノイには新たな資本が投入されることとなった。これにより研究開発部と管理部門の二つの工場が建てられ、1977年発表「バッキンガム」や「ウィンザー」、1978年発表の「メイフェア」から「オックスフォード」までの新しいラインなど、次々にタンノイの血を受け継いだ新製品が発表された。
しかし、製品が量産合理化の傾向を強めたことは確かであり、旧タンノイのスタッフはそれに不満を募らせていた。
そんな中でのことだった。

1977年12月、タンノイの創始者ガイ・ルパート・ファウンテンは軽い病気にかかった後、永遠の眠りにつく。享年77歳だった。

3-3.新生タンノイ


ファウンテンの葬儀には、ともに50年近く働いた数人の従業員を始め、最近タンノイ社の社員となった若者までが参列した。
彼らは「ガイ・ルパート・ファウンテン」の意思をより継承した製品づくりを実現したく、1981年、N.Jクロッカー社長やT.B.リビングソトンらはハーマン・インターナショナルから株を買い戻し、新生タンノイとしてタンノイを再スタートさせる。

そして、同1981年にオートグラフの流れを受け継ぐ容姿を誇る「GRFメモリー」、翌1982年にはロンドン伝統の地名を冠した「ウェストミンスター」と「エジンバラ」、1983年には「スターリング」と、15、12、10インチ口径のデュアル・コンセントリックを巧みに使いこなした新生タンノイの面目躍如たる製品をたて続けに発表。さらに1996年には、タンノイ70年の技術と伝統を結集した4ウェイの弩級システム「キングダム」を発売する。

現在まで、必ずしも順調に経営が推移してきたわけではない英国名門のタンノイ。

それでも、こうして伝統を守りつつ進化を遂げ、タンノイは今も健在しているのである。

まとめ
人によっては、ハーマン・インターナショナルの傘下にあった1974年から1981年の間を、「タンノイ暗黒時代」と言う。
「もし、あのままアメリカ企業の傘下にあったら、今の高いブランドイメージはなかったかもしれない」。そんな風に言う人もいる。
しかし、もしハーマン・インターナショナルがあのタイミングでタンノイを傘下に収めていなかったら、現代にタンノイという企業はなくなっていたかもしれない。

1974年という年は、ファウンテンが引退を決意した年であり、コーン・アッセンブリー工場が火災に見舞われた年である。

わたしは、ファウンテンがタンノイの将来を見据えてハーマン・インターナショナルに会社を売却した判断は正しかったと思うし、N.Jクロッカーを中心とするタンノイのスタッフが、ハーマンから株を買い戻したことも正しかったと思う。
要するに、わたしはガイ・ルパート・ファウンテンがタンノイを誕生させたその瞬間から今に至るまで、(もちろん1974年から1981年の8年間も含め)どの1秒を切り取っても、タンノイのフィロソフィに敬意を払うし、これからもタンノイのサウンドを愛し続けていく。

いかなるときも、一貫した主張の歴史と伝統を堅持したタンノイ。

これからも、わたしたちの心を振るわす音を期待したい。

https://audio.kaitori8.com/story/tannoy-2/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c48

[番外地7] メモ帳 _ 音楽・オーディオ 中川隆
56. 2021年3月21日 10:23:22 : 56w0TbOpRk : SWJDemhtTzJaUWc=[8]
タンノイの同軸よりアルテックの同軸の方が性能が遥かに上だというのが定説だけどね

当時のスピーカーのランキングは

ロンドンウェスタン・ グッドマン・パルメコ >> ウェスタンエレクトリック・ワーフェデール・バイタボックス・ クラングフィルム・アルテック
>> テレフンケン・シーメンス・JBL >> タンノイ

なんだよ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/337.html#c56

[近代史3] 日本や中国のバブルは簡単に崩壊するけれど、アメリカのバブルだけは絶対に崩壊しない理由 中川隆
65. 2021年3月21日 10:59:30 : 56w0TbOpRk : SWJDemhtTzJaUWc=[9]

2021年03月21日
北京五輪ボイコットが現実になるかも知れない
http://www.thutmosev.com/archives/85380573.html


威信をなくした国家はトランプのピラミッドのように脆い

欧米がウイグルで中国制裁一致

国際社会では表面上争いを避けるのが恒例で、対立があったとしても上辺は笑いながら握手する。

だが最近欧米国家は中国に対して上面の微笑外交をやめ、中国を制裁するといっている。

数年前は考えられなかった事で、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツは中国にひれ伏していました。

ウイグルやチベット問題は当時から知られていたが、欧米諸国は「お金が貰えるならいくらでも弾圧して結構ですよ」という態度を取っていました。

金の為なら平気で人道を捨てたような連中が急に人権主義に目覚めるのは、何か裏があるに違いないと思います。

例えば欧米人はクジラを食べたり犬を食べるのに厳しいが、馬やカンガルーやビーバーについては何も言わない。


競馬は先進国お気に入りの競技だが、イギリスやフランスやドイツでも使い終わった馬をソーセージやドッグフードに混ぜています。

アメリカ人はビーバーを食べているしオーストラリアではカンガルーやワニを食べていてコアラだけ保護しています。

こんな風に欧米人が人道者ヅラをしたときは、裏で必ず何かをしているのです。


過去数回のサミットではアメリカが対中制裁を主張したが必ず欧州は反対し、特にドイツは中国側に立ってアメリカに抵抗した。

ドイツは輸出依存度が高く中国への輸出が多いので、中国の意を受けてアメリカに抵抗したのでした。

だが2021年3月17日、EUはウイグルでの人権侵害を理由に中国に制裁を科すことで一致したと発表した。

アメリカは中国版プラザ合意で攻める

EUが対中制裁を実施するのは1989年の天安門事件以来で、ドイツもついに折れて制裁に合意したようです。

EUで対中制裁を強硬に主張していたのはフランスで、フランスは貿易赤字で国際収支も赤字で中国の輸出で損失を受けている。

フランスとしては中国なんぞ潰れた方が良いわけで、ドイツ以外のEUは貿易赤字なのでフランスに近い立場です。


日本はというと安倍首相は「金のためならウイグル人など好きにして下さい」という態度を取り中国に自動車を買ってもらおうとゴマを擦っていた。

だが日本は安全保障をアメリカに依存しているので、対中制裁を呼びかけるアメリカに「仕方なく付き合っている」というポーズを取っていた。

こんな連中がある日人道に目覚めてウイグル人の為に中国と戦うなんて、金輪際ありえません。


アジアではアメリカが中心に日米豪印4か国のクアッドが招集され首脳会議を主催した。

これで思い起こすのは1985年のプラザ合意で、日本の輸出攻勢に頭を抱えたレーガン大統領は「そうだ日本を殴りつけよう」と思いついた。

1985年9月22日の日曜日に突然竹下蔵相がニューヨークに呼び出され、先進5か国 (G5)蔵相会議で超円高への為替誘導を命令された

北京五輪ボイコットなら中国のターニングポイント

1985年に1ドル260円だったドル円レートは1987年に1ドル120円と半分以下になり、ここから超円高とバブル景気、バブル崩壊、デフレ不況という流れが作られた。

今度の生贄は中国でアメリカは中国を潰す事に決め、アジア太平洋4か国とNATO同盟国の合意を形成した。

アメリカが戦争であれ経済であれ敵と戦う時は、必ず同盟国を集結させ連合軍として戦います。


相手がベトナムや北朝鮮のように小さく「ゾウとアリ」の戦いであっても、必ずアメリカは連合軍を集めて集団で戦う。

これがアメリカが建国以来連戦連勝を続けた秘訣で、アリを踏みつける時も仲間を集めます。

今度の相手は中国でGDPはアメリカの7割、実態としてはアメリカの半分程度だがかなり強力です。


旧ソ連の全盛期も同じくらいでソ連には同盟国が多いが、中国に同盟国はひとつも存在しない。

中国人は他人を信用しないからで、北朝鮮やロシアやパキスタン(最初に中国を承認)も同盟国ではない。

アメリカと中国の国力差が2対1として、アメリカの同盟国を含めるとおそらく10対1程度になる。


アメリカがソ連を倒す決定打になったのは1980年のモスクワ五輪ボイコットで、ソ連のアフガン侵攻に抗議して米国の同盟国すべてがボイコットした。

これでソ連の威信は崩壊し、雪崩を打つように1991年にソ連邦は解体します。

北京冬季五輪は2022年冬に開催予定ですが、これをボイコットで叩き潰せばソ連の2の舞とアメリカは考えます。


威信をなくした国家は魂を抜いた仏みたいなもので、求心力がなくなり衰退の坂道を転がり始めます
http://www.thutmosev.com/archives/85380573.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/121.html#c65

[近代史3] アメリカが No.2 になった国を潰した方法 中川隆
17. 中川隆[-6457] koaQ7Jey 2021年3月21日 10:59:47 : 56w0TbOpRk : SWJDemhtTzJaUWc=[10]

2021年03月21日
北京五輪ボイコットが現実になるかも知れない
http://www.thutmosev.com/archives/85380573.html


威信をなくした国家はトランプのピラミッドのように脆い

欧米がウイグルで中国制裁一致

国際社会では表面上争いを避けるのが恒例で、対立があったとしても上辺は笑いながら握手する。

だが最近欧米国家は中国に対して上面の微笑外交をやめ、中国を制裁するといっている。

数年前は考えられなかった事で、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツは中国にひれ伏していました。

ウイグルやチベット問題は当時から知られていたが、欧米諸国は「お金が貰えるならいくらでも弾圧して結構ですよ」という態度を取っていました。

金の為なら平気で人道を捨てたような連中が急に人権主義に目覚めるのは、何か裏があるに違いないと思います。

例えば欧米人はクジラを食べたり犬を食べるのに厳しいが、馬やカンガルーやビーバーについては何も言わない。


競馬は先進国お気に入りの競技だが、イギリスやフランスやドイツでも使い終わった馬をソーセージやドッグフードに混ぜています。

アメリカ人はビーバーを食べているしオーストラリアではカンガルーやワニを食べていてコアラだけ保護しています。

こんな風に欧米人が人道者ヅラをしたときは、裏で必ず何かをしているのです。


過去数回のサミットではアメリカが対中制裁を主張したが必ず欧州は反対し、特にドイツは中国側に立ってアメリカに抵抗した。

ドイツは輸出依存度が高く中国への輸出が多いので、中国の意を受けてアメリカに抵抗したのでした。

だが2021年3月17日、EUはウイグルでの人権侵害を理由に中国に制裁を科すことで一致したと発表した。

アメリカは中国版プラザ合意で攻める

EUが対中制裁を実施するのは1989年の天安門事件以来で、ドイツもついに折れて制裁に合意したようです。

EUで対中制裁を強硬に主張していたのはフランスで、フランスは貿易赤字で国際収支も赤字で中国の輸出で損失を受けている。

フランスとしては中国なんぞ潰れた方が良いわけで、ドイツ以外のEUは貿易赤字なのでフランスに近い立場です。


日本はというと安倍首相は「金のためならウイグル人など好きにして下さい」という態度を取り中国に自動車を買ってもらおうとゴマを擦っていた。

だが日本は安全保障をアメリカに依存しているので、対中制裁を呼びかけるアメリカに「仕方なく付き合っている」というポーズを取っていた。

こんな連中がある日人道に目覚めてウイグル人の為に中国と戦うなんて、金輪際ありえません。


アジアではアメリカが中心に日米豪印4か国のクアッドが招集され首脳会議を主催した。

これで思い起こすのは1985年のプラザ合意で、日本の輸出攻勢に頭を抱えたレーガン大統領は「そうだ日本を殴りつけよう」と思いついた。

1985年9月22日の日曜日に突然竹下蔵相がニューヨークに呼び出され、先進5か国 (G5)蔵相会議で超円高への為替誘導を命令された

北京五輪ボイコットなら中国のターニングポイント

1985年に1ドル260円だったドル円レートは1987年に1ドル120円と半分以下になり、ここから超円高とバブル景気、バブル崩壊、デフレ不況という流れが作られた。

今度の生贄は中国でアメリカは中国を潰す事に決め、アジア太平洋4か国とNATO同盟国の合意を形成した。

アメリカが戦争であれ経済であれ敵と戦う時は、必ず同盟国を集結させ連合軍として戦います。


相手がベトナムや北朝鮮のように小さく「ゾウとアリ」の戦いであっても、必ずアメリカは連合軍を集めて集団で戦う。

これがアメリカが建国以来連戦連勝を続けた秘訣で、アリを踏みつける時も仲間を集めます。

今度の相手は中国でGDPはアメリカの7割、実態としてはアメリカの半分程度だがかなり強力です。


旧ソ連の全盛期も同じくらいでソ連には同盟国が多いが、中国に同盟国はひとつも存在しない。

中国人は他人を信用しないからで、北朝鮮やロシアやパキスタン(最初に中国を承認)も同盟国ではない。

アメリカと中国の国力差が2対1として、アメリカの同盟国を含めるとおそらく10対1程度になる。


アメリカがソ連を倒す決定打になったのは1980年のモスクワ五輪ボイコットで、ソ連のアフガン侵攻に抗議して米国の同盟国すべてがボイコットした。

これでソ連の威信は崩壊し、雪崩を打つように1991年にソ連邦は解体します。

北京冬季五輪は2022年冬に開催予定ですが、これをボイコットで叩き潰せばソ連の2の舞とアメリカは考えます。


威信をなくした国家は魂を抜いた仏みたいなもので、求心力がなくなり衰退の坂道を転がり始めます
http://www.thutmosev.com/archives/85380573.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/745.html#c17

[近代史3] 欧米諸国はイルカの人道などには厳しいが、チベットやウイグルの人道には関心を持たない 中川隆
5. 中川隆[-6456] koaQ7Jey 2021年3月21日 11:01:01 : 56w0TbOpRk : SWJDemhtTzJaUWc=[11]

2021年03月21日
北京五輪ボイコットが現実になるかも知れない
http://www.thutmosev.com/archives/85380573.html


威信をなくした国家はトランプのピラミッドのように脆い

欧米がウイグルで中国制裁一致

国際社会では表面上争いを避けるのが恒例で、対立があったとしても上辺は笑いながら握手する。

だが最近欧米国家は中国に対して上面の微笑外交をやめ、中国を制裁するといっている。

数年前は考えられなかった事で、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツは中国にひれ伏していました。

ウイグルやチベット問題は当時から知られていたが、欧米諸国は「お金が貰えるならいくらでも弾圧して結構ですよ」という態度を取っていました。

金の為なら平気で人道を捨てたような連中が急に人権主義に目覚めるのは、何か裏があるに違いないと思います。

例えば欧米人はクジラを食べたり犬を食べるのに厳しいが、馬やカンガルーやビーバーについては何も言わない。


競馬は先進国お気に入りの競技だが、イギリスやフランスやドイツでも使い終わった馬をソーセージやドッグフードに混ぜています。

アメリカ人はビーバーを食べているしオーストラリアではカンガルーやワニを食べていてコアラだけ保護しています。

こんな風に欧米人が人道者ヅラをしたときは、裏で必ず何かをしているのです。


過去数回のサミットではアメリカが対中制裁を主張したが必ず欧州は反対し、特にドイツは中国側に立ってアメリカに抵抗した。

ドイツは輸出依存度が高く中国への輸出が多いので、中国の意を受けてアメリカに抵抗したのでした。

だが2021年3月17日、EUはウイグルでの人権侵害を理由に中国に制裁を科すことで一致したと発表した。

アメリカは中国版プラザ合意で攻める

EUが対中制裁を実施するのは1989年の天安門事件以来で、ドイツもついに折れて制裁に合意したようです。

EUで対中制裁を強硬に主張していたのはフランスで、フランスは貿易赤字で国際収支も赤字で中国の輸出で損失を受けている。

フランスとしては中国なんぞ潰れた方が良いわけで、ドイツ以外のEUは貿易赤字なのでフランスに近い立場です。


日本はというと安倍首相は「金のためならウイグル人など好きにして下さい」という態度を取り中国に自動車を買ってもらおうとゴマを擦っていた。

だが日本は安全保障をアメリカに依存しているので、対中制裁を呼びかけるアメリカに「仕方なく付き合っている」というポーズを取っていた。

こんな連中がある日人道に目覚めてウイグル人の為に中国と戦うなんて、金輪際ありえません。


アジアではアメリカが中心に日米豪印4か国のクアッドが招集され首脳会議を主催した。

これで思い起こすのは1985年のプラザ合意で、日本の輸出攻勢に頭を抱えたレーガン大統領は「そうだ日本を殴りつけよう」と思いついた。

1985年9月22日の日曜日に突然竹下蔵相がニューヨークに呼び出され、先進5か国 (G5)蔵相会議で超円高への為替誘導を命令された

北京五輪ボイコットなら中国のターニングポイント

1985年に1ドル260円だったドル円レートは1987年に1ドル120円と半分以下になり、ここから超円高とバブル景気、バブル崩壊、デフレ不況という流れが作られた。

今度の生贄は中国でアメリカは中国を潰す事に決め、アジア太平洋4か国とNATO同盟国の合意を形成した。

アメリカが戦争であれ経済であれ敵と戦う時は、必ず同盟国を集結させ連合軍として戦います。


相手がベトナムや北朝鮮のように小さく「ゾウとアリ」の戦いであっても、必ずアメリカは連合軍を集めて集団で戦う。

これがアメリカが建国以来連戦連勝を続けた秘訣で、アリを踏みつける時も仲間を集めます。

今度の相手は中国でGDPはアメリカの7割、実態としてはアメリカの半分程度だがかなり強力です。


旧ソ連の全盛期も同じくらいでソ連には同盟国が多いが、中国に同盟国はひとつも存在しない。

中国人は他人を信用しないからで、北朝鮮やロシアやパキスタン(最初に中国を承認)も同盟国ではない。

アメリカと中国の国力差が2対1として、アメリカの同盟国を含めるとおそらく10対1程度になる。


アメリカがソ連を倒す決定打になったのは1980年のモスクワ五輪ボイコットで、ソ連のアフガン侵攻に抗議して米国の同盟国すべてがボイコットした。

これでソ連の威信は崩壊し、雪崩を打つように1991年にソ連邦は解体します。

北京冬季五輪は2022年冬に開催予定ですが、これをボイコットで叩き潰せばソ連の2の舞とアメリカは考えます。


威信をなくした国家は魂を抜いた仏みたいなもので、求心力がなくなり衰退の坂道を転がり始めます
http://www.thutmosev.com/archives/85380573.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/608.html#c5

[近代史3] ウイグル弾圧で54か国が中国支持の衝撃 国連総会で日米欧と対決 中川隆
4. 中川隆[-6455] koaQ7Jey 2021年3月21日 11:01:21 : 56w0TbOpRk : SWJDemhtTzJaUWc=[12]

2021年03月21日
北京五輪ボイコットが現実になるかも知れない
http://www.thutmosev.com/archives/85380573.html


威信をなくした国家はトランプのピラミッドのように脆い

欧米がウイグルで中国制裁一致

国際社会では表面上争いを避けるのが恒例で、対立があったとしても上辺は笑いながら握手する。

だが最近欧米国家は中国に対して上面の微笑外交をやめ、中国を制裁するといっている。

数年前は考えられなかった事で、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツは中国にひれ伏していました。

ウイグルやチベット問題は当時から知られていたが、欧米諸国は「お金が貰えるならいくらでも弾圧して結構ですよ」という態度を取っていました。

金の為なら平気で人道を捨てたような連中が急に人権主義に目覚めるのは、何か裏があるに違いないと思います。

例えば欧米人はクジラを食べたり犬を食べるのに厳しいが、馬やカンガルーやビーバーについては何も言わない。


競馬は先進国お気に入りの競技だが、イギリスやフランスやドイツでも使い終わった馬をソーセージやドッグフードに混ぜています。

アメリカ人はビーバーを食べているしオーストラリアではカンガルーやワニを食べていてコアラだけ保護しています。

こんな風に欧米人が人道者ヅラをしたときは、裏で必ず何かをしているのです。


過去数回のサミットではアメリカが対中制裁を主張したが必ず欧州は反対し、特にドイツは中国側に立ってアメリカに抵抗した。

ドイツは輸出依存度が高く中国への輸出が多いので、中国の意を受けてアメリカに抵抗したのでした。

だが2021年3月17日、EUはウイグルでの人権侵害を理由に中国に制裁を科すことで一致したと発表した。

アメリカは中国版プラザ合意で攻める

EUが対中制裁を実施するのは1989年の天安門事件以来で、ドイツもついに折れて制裁に合意したようです。

EUで対中制裁を強硬に主張していたのはフランスで、フランスは貿易赤字で国際収支も赤字で中国の輸出で損失を受けている。

フランスとしては中国なんぞ潰れた方が良いわけで、ドイツ以外のEUは貿易赤字なのでフランスに近い立場です。


日本はというと安倍首相は「金のためならウイグル人など好きにして下さい」という態度を取り中国に自動車を買ってもらおうとゴマを擦っていた。

だが日本は安全保障をアメリカに依存しているので、対中制裁を呼びかけるアメリカに「仕方なく付き合っている」というポーズを取っていた。

こんな連中がある日人道に目覚めてウイグル人の為に中国と戦うなんて、金輪際ありえません。


アジアではアメリカが中心に日米豪印4か国のクアッドが招集され首脳会議を主催した。

これで思い起こすのは1985年のプラザ合意で、日本の輸出攻勢に頭を抱えたレーガン大統領は「そうだ日本を殴りつけよう」と思いついた。

1985年9月22日の日曜日に突然竹下蔵相がニューヨークに呼び出され、先進5か国 (G5)蔵相会議で超円高への為替誘導を命令された

北京五輪ボイコットなら中国のターニングポイント

1985年に1ドル260円だったドル円レートは1987年に1ドル120円と半分以下になり、ここから超円高とバブル景気、バブル崩壊、デフレ不況という流れが作られた。

今度の生贄は中国でアメリカは中国を潰す事に決め、アジア太平洋4か国とNATO同盟国の合意を形成した。

アメリカが戦争であれ経済であれ敵と戦う時は、必ず同盟国を集結させ連合軍として戦います。


相手がベトナムや北朝鮮のように小さく「ゾウとアリ」の戦いであっても、必ずアメリカは連合軍を集めて集団で戦う。

これがアメリカが建国以来連戦連勝を続けた秘訣で、アリを踏みつける時も仲間を集めます。

今度の相手は中国でGDPはアメリカの7割、実態としてはアメリカの半分程度だがかなり強力です。


旧ソ連の全盛期も同じくらいでソ連には同盟国が多いが、中国に同盟国はひとつも存在しない。

中国人は他人を信用しないからで、北朝鮮やロシアやパキスタン(最初に中国を承認)も同盟国ではない。

アメリカと中国の国力差が2対1として、アメリカの同盟国を含めるとおそらく10対1程度になる。


アメリカがソ連を倒す決定打になったのは1980年のモスクワ五輪ボイコットで、ソ連のアフガン侵攻に抗議して米国の同盟国すべてがボイコットした。

これでソ連の威信は崩壊し、雪崩を打つように1991年にソ連邦は解体します。

北京冬季五輪は2022年冬に開催予定ですが、これをボイコットで叩き潰せばソ連の2の舞とアメリカは考えます。


威信をなくした国家は魂を抜いた仏みたいなもので、求心力がなくなり衰退の坂道を転がり始めます
http://www.thutmosev.com/archives/85380573.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/708.html#c4

[近代史5] ハプログループ C2 (Y染色体) 中川隆
3. 2021年3月21日 11:07:29 : 56w0TbOpRk : SWJDemhtTzJaUWc=[13]
雑記帳 2021年03月21日
後期更新世アジア北部におけるY染色体ハプログループC2aの拡大とアメリカ大陸先https://sicambre.at.webry.info/202103/article_22.html


 後期更新世アジア北部における特定のY染色体ハプログループ(YHg)C2aの拡大とアメリカ大陸先住民の起源に関する研究(Sun et al., 2021)が公表されました。以前の考古学的および遺伝学的研究では、アジア北部における現生人類(Homo sapiens)の出現と最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)後の再拡大に関わる過程が明らかにされてきました。アルタイ山脈からチュクチ半島にいたるアジア北部では、一連の旧石器時代遺跡が発見されており、古代DNA研究では、24000年前頃のシベリア南部中央のマリタ(Mal’ta)遺跡の少年1個体のゲノムに代表される「古代北ユーラシア」人口集団が、現代ユーラシア人およびアメリカ大陸先住民の遺伝子プールに大きく寄与した、と示されています(関連記事)。24000〜18000年前頃のLGMは、アジア北部の人口集団の遺伝的構造を強く再形成しました(関連記事)。LGM後、さまざまな地域の古代人口集団は、アジア北部全域に再拡散しました。これら古代人口集団間の長期の混合はついに、アジア北部の現代人集団の出現につながりました。

 以前の調査では、アジア北部の人口集団は4系統のYHgと多くの稀な系統で構成されます。たとえば、YHg-Nは、ウラル語族の唯一の創始者父系で、ツングース語族やモンゴル語族やテュルク語族人口集団において高頻度ですが、YHg-C2a1a3(M504)はモンゴル語族人口集団の創始者父系の一つです。古代および現代の人口集団両方の研究により、YHg-C2a1a1b1(F1756)が東胡(Donghu)や鮮卑(Xianbei)や室韋(Shiwei)や楼蘭(Rouran)といった人口集団で優勢な系統だった、と示されました。YHg-C2a1a2a(M86)はツングース語族の人々の唯一の創始者父系です。これら4系統のYHgの下位系統は過去5000年に出現しました。

 YHg-C2a(L1373)には多くの少数派の下位系統があり、ユーラシア大陸とアメリカ大陸の人口集団から無作為に検出されてきました。たとえば、コリャーク人(Koryak)のYHg-C2a1a1b2(B77)・C2a1a4c(B79)・C2a1a2b1(B91)、朝鮮人のYHg-C2a1b(BY145927)、日本人のC2a1a4(M8574)です。一般的に、これら稀な系統のほとんどの起源と拡散過程は曖昧なままです。以前の研究では、YHg-C(M130)もしくはC2(M217)もしくはC2a1a1a(P39)の広範な分布が明らかにされてきました。重要なことに最近の研究では、エクアドルのワランカ人(Waranka)集団で新たなYHg-C2a2b(MPB373)が識別されており、アメリカ大陸先住民の祖先集団の形成における「短いベーリンジア停止」期間を裏づける、と示唆されています(関連記事)。古代DNA分析では、1万年前頃となるブラジルのCP19個体(関連記事)と、ロシア沿海地域のNEO239個体(関連記事)も、YHg-C2a2bに分類されます。これら現代および古代のデータからは、YHg-Cの下位系統がアメリカ大陸先住民の創始者父方系統の一つだった、と示唆されます。

 「ベーリンジア停止仮説(ベーリンジア潜伏モデル)」は、過去10年のアメリカ大陸先住民の起源に関する最も評判のよい理論です(関連記事)。この仮説では、以下のことが提案されています。まず、アメリカ大陸先住民の直接的祖先はベーリンジアに32000年前頃もしくは22000年前頃に移動してきました。次に、アメリカ大陸先住民関連の遺伝的構成の分化はLGMにおいて大ベーリンジア地域で起き、LGM後のベーリンジアから東方への拡大は、アメリカ大陸先住民の出現とベーリンジアからの西進につながりました。このいわゆる「逆移動」は、シベリアにおけるアメリカ大陸先住民の最も密接に関連する系統とほとんどのユーラシア北部人の起源です(関連記事)。31600年前頃となるシベリア北東部のヤナ犀角遺跡(Yana Rhinoceros Horn Site、以下ヤナRHS)は、かつてベーリンジア停止仮説を裏づける最も強力な証拠とみなされました。現在利用可能な証拠は、LGMにおいて最寒冷地域の一つであるシベリアの古代人集団はベーリンジアに集中し、LGM後にそこからシベリア北東部の大半とアメリカ大陸に拡散した、と提案する以前の仮説と矛盾している、と本論文は主張します。

 ヤナ遺跡集団の古代DNAの最も進んだ分析では、以下のように提案されています(関連記事)。マリタ遺跡の少年個体に代表される古代北ユーラシア人(ANE)の祖先集団、古代旧シベリア人(APS)、古代ベーリンジア人は、LGM前に分岐した古代北シベリア人(ANS)およびこれらの祖先集団と遺伝的構成を共有しています。アジア東部人とANS関連祖先系統の混合によりAPSと古代ベーリンジア人とアメリカ大陸先住民の直接的祖先集団が生まれ、この混合は2万年前頃に起きました。混合人口集団の北方への拡散はLGM後に起きた可能性が高く、LGM後の細石刃技術の拡大に反映されているようです。アジア東部人の遺伝的構成の欠如のため、31600年前頃のヤナRHS個体はアメリカ大陸先住民の直接的祖先集団ではありません。最近の古代DNA研究では、後期更新世以来のアジア北東部とシベリア北東端のチュクチ半島と北アメリカ大陸のより詳細な人口史が提供されています(関連記事)。一般的に、最近の技術による古代DNA研究は、「長期ベーリンジア停止仮説」と一致しません。本論文では、アメリカ大陸先住民の創始者系統に最も密接に関連するYHgが特定され、アメリカ大陸先住民の祖先集団の出現は、LGM後のユーラシア全域での大きなYHg-Q1b1(L53)の拡散の一部だった、と提案されます。

 本論文は、アメリカ大陸先住民の創始者父系であるYHg-C2a1a1a(P39)とC2a2b(MPB373)のより詳細な起源過程に焦点を当てます。YHg-C2a(L1373)の稀な下位系統であるC2a1a3(M504)・C2a1a1b1(F1756)・C2a1a2a(M86)に分類される、43人の男性のY染色体DNA配列が分析されました。年代推定を有する改訂された系統樹が、YHg-C2aの利用可能な全下位系統で再構築されました。旧石器時代のこれら下位系統の起源および分化過程が調べられました。とくに、稀な下位系統の分岐パターンに焦点が当てられ、アメリカ大陸先住民におけるYHg-C2a1a1aとC2a2bの起源を調べる証拠が用いられました。全体として、本論文は正確な年代の洗練されたY染色体系統樹を生成し、YHg-C2a下位系統の起源と拡散およびアメリカ大陸先住民の祖先集団の形成における寄与を調べます。


●分析結果

 調査対象の標本の地理的位置は図1に示されます。緑色の台形は大きい方が現代、小さい方が古代のYHg-C2a(L1373)の稀な下位系統を表します。灰色の円形は、大きい方が現代、小さい方が古代のYHg-C2aの主要な下位3系統であるC2a1a3(M504)・C2a1a1b1(F1756)・C2a1a2a(M86)を表します。赤色の四角はアメリカ大陸の標本を表します。以下、本論文の図1です。
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 YHg-C2a の改訂された系統樹には、1816ヶ所の非固有多様体と2257ヶ所の固有多様体が含まれていました。上述のYHg-C2a の主要な下位3系統に加えて、他の稀な27の下位系統が識別されました(図2)。中国では、YHg-C2a の稀な下位系統は北方の国境付近の人々に由来し、YHg-C2a の主要な下位3系統と同じパターンを示します。YHg-C2a の稀な下位系統は、カムチャッカ半島やアムール川地域や韓国や日本やヨーロッパ中央部やパキスタン北部で見つかりました。アメリカ大陸先住民の2個体ではYHg-C2a1a1aとC2a2bが確認され、暫定的に北アメリカ大陸北部と分類されました。データ不足のため、一部の例外を除いてモンゴルにおけるYHg-C2a下位系統の分布は不明確です。一般的に、YHg-C2a の稀な下位系統の分布は、アムール川地域からモンゴル高原および隣接地域までのアジア北部の低緯度地域に集中している、と本論文は結論づけます。ヨーロッパ中央部とパキスタン北部の標本は、最近のユーラシア東部からの移住の結果の可能性が高そうです。

 年代推定を伴うYHg-C2aの再構築系統樹からは、YHg-C2aが17700〜14300年前頃に急拡大した、と示唆されます(図2)。主要な下位系統であるYHg-C2a1a3・C2a1a1b1・C2a1a2aの他に、YHg-C2aの多くの少数派の下位系統があります。アメリカ大陸先住民で見つかったYHg-C2a1a1a(P39)とC2a2b(MPB373)は、14000年以上前に出現した下位12系統のうちの2系統です。YHg-C2a1a1aはその最も密接に関連する系統C2a1a1b(F11350)と14300年前頃(95%信頼区間で15100〜13500年前)に分岐しました。YHg-C2a2bはエクアドルの1個体(Waranka9586)で見つかり、YHg-C2aの最初の分岐です。Waranka9586個体のデータは低網羅率なので、192ヶ所の多様体のうち84ヶ所で結果が得られませんでした。YHg-C2a2bはYHg-C2aから22400もしくは17700年前頃に分岐したと推定され、より信頼できる分岐年代の決定には、より高品質のデータが必要です。以下、本論文の図2です。
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 また、利用可能なYHg-C2aの古代人37個体が再分析されました(図1)。朝鮮半島に近いロシアの沿岸地域に位置する悪魔の門(Devil’s Gate)遺跡の7400年前頃の個体(NEO239)はYHg-C2a2bです。ブラジルの1万年前頃の個体(CP19)もYHg-C2a2bです。NEO239個体はアムール川地域に分類され、アジア北部および最古のYHg-C2a2bを表す、ブラジルのCP19個体におけるYHg-C2a2bの初期の起源の手がかりを提供します。ロシアのブリヤートの14000年前頃の個体(UKY001)はYHg-C2a1a1a(P39)で、ユーラシアにおける最初のYHg-C2a1a1aの事例を表します。以前の研究ではYHg-C2a1a1aがアメリカ大陸先住民に特有とされていたことを考えると、これは驚くべき重要な発見です。UKY001個体とアメリカ大陸先住民との間の常染色体およびY染色体の大きな類似性(関連記事)から、アジア北部低緯度地域は混合が起きたかもしれない地域で、アメリカ大陸先住民の直接的な起源だったかもしれない、と示唆されます。

●YHg-C2aのLGM後の分化

 現代人集団ではYHg-C2a1a1b1(F1756)・C2a1a3(M504)・C2a1a2a(M86)の頻度が高いため、ほとんどの研究はこれらYHg-C2aの主要な下位3系統の拡大過程と、祖型モンゴル人、現代モンゴル語話者人口集団、ツングース語族人口集団の形成におけるその役割に注目してきました。本論文は、YHg-C2aの稀な下位系統の初期の分化史に注目します。YHg-C2b(F1067)との35000年前頃の分離後、YHg-C2aは約17000年間のきょくたんに長期のボトルネック(瓶首効果)を経ました。LGM後、YHg-C2aの急速な文化により、14300年以上前に12の下位系統が生じました(図2)。

 上述のように、YHg-C2aの稀な下位系統の標本のほとんどは、アムール川地域やモンゴル高原や中国北方の国境やその隣接地域のような、アジア北部低緯度地域の人口集団で見つかりました。以前の研究でも、アムール川地域はYHg-C2aの主要な下位3系統(C2a1a1b1・C2a1a3・C2a1a2a)の原郷で、過去数千年の拡大の前だった、と示されてきました。これらの知見と、たとえばYHg-C2a2bのNEO239個体やYHg-C2a1a1(B473)のようなUKY001個体といった利用可能な古代DNAに基づくと、YHg-C2aの最初の分化はアジア北部の低緯度地域(アムール川地域の可能性が高そうです)で、18000〜14000年前頃のYHg-C2aの連続的な分化パターンは、LGM後の南方から北方や西方へのアジア北部の移住に対応しているかもしれない、提案されます。


●「ベーリンジア停止」期間の減少とその重要性の低下

 「ベーリンジア停止」期間は、過去数十年の遺伝学的研究の発展により大きく短縮しました。ヤナRHSとミトコンドリアDNA(mtDNA)の観点での最初の提案では、15000年ほどの停止が主張されました(関連記事)。しかし、その後の研究では、アメリカ大陸先住民の祖先はアジア北東部の近縁集団と23000年前頃に分離した、と提案されました(関連記事)。したがって、アメリカ大陸先住民の祖先は23000年前頃以前にはアメリカ大陸に拡散しておらず、ベーリンジアでの孤立期間は8000年以下となります。

 アラスカで発見された末期更新世の個体(USR1)のゲノム分析では、アメリカ大陸先住民の共通祖先は20900年前頃に分岐し、その場所はアジア北東部もしくはベーリンジア東部だったかもしれない、と示されました(関連記事)。したがって、「ベーリンジア停止」があったならば、6000〜5000年ほど(21000〜16000年前頃)続いたかもしれません。最重要なのはヤナRHSの2個体の古代DNA分析で、古代ヤナRHS人口集団はアメリカ大陸先住民集団に直接的には寄与しなかった、と明らかになりました(関連記事)。最近のY染色体の研究では、ベーリンジア停止期間は2700年もしくは4600年と提案されています(関連記事)。

 本論文のY染色体の証拠は、アメリカ大陸先住民の祖先直接的な祖先集団が、「古代北シベリア人(ANS)」とアムール川地域の旧石器時代共同体の混合で、LGMの間およびその後に出現した、との古代DNA分析(関連記事)の議論を裏づけます。混合人口集団の大ベーリンジア地域への移動に長い期間かかったかもしれないことも、注目に値します。したがって、大ベーリンジア地域における停止の実際の間隔は、2000年もしくは1000年未満だったかもしれません。一般的に、この短いベーリンジア停止期間は、停止として解釈されるパターンがおそらくはシベリア南部からの移住過程の一部にすぎず、もし停止があったならば、その期間は最初に考えられたよりも進化的圧力としての重要性はずっと低くかった、という可能性がひじょうに高そうです。


●アメリカ大陸への移住の複数の可能性

 まず、主要な祖先系統と最初の混合についてです。シベリア南部は、アメリカ大陸先住民の創始者父系YHg-Q(M242)の起源地と一般的に認められています。現代のエニセイ語話者人口集団は、ユーラシア人の中でアメリカ大陸先住民に最も近いとみなされています。LGMにおけるYHg-Qを有する古代人口集団の退避地は、シベリア南部にあったかもしれません。本論文では、アムール川地域はLGM 後のYHg-C2a(L1373)の拡大中心地だった可能性が高く、シベリア南部地域から遠く離れている、と提案されます。したがって、LGMにおけるシベリア南部とアムール川地域の古代人口集団は、アメリカ大陸先住民の主要な2祖先系統だったかもしれません。シベリア南部の人口集団がアムール川地域からの移民と混合し、ベーリンジア地域においてアメリカ大陸先住民の直接的な祖先集団が形成されるには、長期間を要した可能性があります。

 第二に、多様な遺伝的系統の起源についてです。アメリカ大陸先住民のmtDNA創始者系統と、そのユーラシア人で最も密接に関連する系統の分岐年代は、研究により大きく異なります。以前の研究では、アメリカ大陸先住民の主要な3創始者父系、つまりYHg-Q1b1a1a(M3)・Q1b1a2(Z780)・C2a1a1a(P39)は、相互にひじょうに古い時代に分岐した、と明らかされてきました。以前の研究では、アメリカ大陸先住民の祖先集団の多様な遺伝的系統は、ベーリンジア地域における単一で孤立した人口集団としての長期の分化の結果と考えられていました。しかし、古代ゲノムの分析により明らかになったように(関連記事)、アメリカ大陸先住民祖先系統の起源集団は、上部旧石器時代にシベリア全域により広範に拡大しており、この基底部アメリカ大陸先住民集団は、アジア北東部人口集団と複数回の遺伝的接触を経て、明確に古代シベリア人口集団が形成されました。したがって、アメリカ大陸先住民の祖先集団の遺伝子プールで観察された多様性には2つの起源集団があったかもしれない、と本論文は提案します。一方は、シベリア南部とアムール川地域における祖先集団の多様な系統です。もう一方は、ベーリンジアにおける長期の孤立期間というよりもむしろ、シベリア南部からベーリンジアへの移動中に新たに出現した構成要素かもしれません。

 第三に、単一の祖先集団だったか否か、という問題です。古代ゲノムの以前の研究では、アメリカ大陸先住民の単一の小さな祖先集団を想定し、複雑な分化と混合過程を解釈する傾向があります。本論文では、現在利用可能な遺伝的証拠は、30年以上前に最初に提案された「移住の複数の波モデル」を裏づける傾向にある、と提案されます。アメリカ大陸先住民の一部の遺伝的系統は、比較的古い時代にアメリカ大陸へと拡散し、たとえば、mtDNAハプログループ(mtHg)D4h3aやX2aです。対照的に、一部の他の系統は、アジア北東部の近縁系統と比較的最近分離しました。たとえば、YHg-C2a1a1a(P39)と、YHg-C2a1a1b1(F1756)のようなその最も密接に関連した系統は、14300年前頃に分離しました。これらの想定では、アメリカ大陸先住民の一部の祖先集団は、アジア北部の低緯度地域に居住していた可能性がある一方で、他の祖先集団は北アメリカ大陸における拡大を始めていたかもしれません。一般的に、多数の創始者の母系および父系と、これらの系統のさまざまな出現・拡大年代は、全アメリカ大陸先住民の単一の共通祖先を裏づけず、それは古代DNA研究の議論と一致します(関連記事)。

 第四に、石器技術の観点における人類の拡散です。細石刃技術の痕跡は、アジア北東部において考古学で特定された最初の文化である35000〜13000年前頃のデュクタイ(Dyuktai)文化の遺跡では稀です。デュクタイ文化は10500〜6000年前頃のサムナギン(Sumnagin)文化に置換されました。サムナギン文化では細石刃技術の繁栄を示唆する痕跡が残っており、アジア北部の低緯度地域から拡散しました。考古学では、デュクタイ文化の古代人口集団が早期に北アメリカ大陸へと移動していった一方、細石刃技術の古代人口集団がその後で北アメリカ大陸へと拡散した、と提案されてきました。移住のこれら2回の波が、北アメリカ大陸北部における細石刃技術の普及につながりましたが、細石刃技術の痕跡は北アメリカ大陸南部と南アメリカ大陸では稀です。デュクタイ文化の古代人遺骸のより多くの分析が、シベリアにおけるアメリカ大陸先住民の祖先集団の進化史の解明に重要です。

 第五に、拡散の可能性がある3回の主要な波についてです。全体として本論文は、石器技術の移行、YHg-C2a2b(MPB373)とC2a1a1a(P39)の分岐パターン、アメリカ大陸先住民の3集団の出現過程が、アメリカ大陸先住民の起源に関する移住の複数の波モデルを裏づける、と提案します。移住の第二の波がナ・デネ(Na-Dene)語族話者人口集団の祖先を形成した一方で、他のアメリカ大陸先住民は移住の最初の波の古代人の子孫かもしれません。移住の別の後の波は、エスキモー・アレウト(Eskimo-Aleut)語族話者人口集団を形成したかもしれません。アメリカ大陸先住民の異なる父方および母方の創始者系統の分岐年代の間隙は、アジア北部からベーリンジアの低緯度地域への長距離移住に対応しているかもしれません。混合人口集団は、アメリカ大陸へと拡散する前に長くベーリンジア地域に留まらなかったかもしれません。要するに本論文の提案は、本論文で提示された父方の創始者系統に関する証拠が最近の古代DNA分析の知見を裏づける、というものです。最近の古代DNA分析では、アメリカ大陸先住民の直接的な祖先集団は、LGM前の大ベーリンジアもしくは隣接地域の古代人口集団というよりもむしろ、「古代北シベリア人(ANS)」と、LGM後にアジア北東部へと拡散したアムール川地域の旧石器時代後期共同体の混合だった、と提案されました。

 結論として、本論文はユーラシア東部人口集団からの稀なYHg-C2a(L1373)の下位系統の大規模な標本セットを収集し、18000〜14000年前頃のこれら下位系統の明確な分化パターンの証拠を提供しました。これらの標本の分布と、YHg-C2aの下位系統全ての拡大史に基づき、LGM 前のYHg-C2aの分化はアムール川地域からアジア北部の他地域へと北方への拡散の波と対応しているかもしれない、と本論文は提案します。現在利用可能な古代人および現代人のDNAデータは、「長期ベーリンジア停止モデル」よりもむしろ、「移住の複数の波モデル」と一致します(図3a・c)。「短期ベーリンジア停止」モデルはまだ可能性がありますが、その重要性は当初に考えられていたよりも大きく減少しました(図3b)。シベリア東部における24000〜10000年前頃の人類遺骸からのより多くの古代DNAデータは、ユーラシアにおけるアメリカ大陸先住民の直接的な祖先集団の形成過程に関する追加の詳細の提供に役立つかもしれません。以下、本論文の図3です。
画像

 以上、本論文についてざっと見てきました。アメリカ大陸への人類最初の移住年代については議論が続いており、まだ確定していません。アメリカ大陸におけるLGM直後やLGM期さらにはその前までさかのぼるかもしれない人類の痕跡としては、16000年前頃までさかのぼるアメリカ合衆国アイダホ州西部のクーパーズフェリー(Cooper’s Ferry)遺跡(関連記事)や、3万年前頃までさかのぼるかもしれないメキシコのチキウイテ洞窟(Chiquihuite Cave)遺跡(関連記事)の事例が報告されています。

 これらの遺跡の年代と本論文の見解がともに妥当だとしたら、LGM期さらにはその前までさかのぼるかもしれないアメリカ大陸の人類は、完新世のアメリカ大陸先住民にほとんど遺伝的影響を残していないかもしれません。あるいは、最近mtDNAの変異率の見直しが提案されているように(関連記事)、Y染色体DNAの変異率の見直しにより、アメリカ大陸への人類拡散の推定年代が本論文の想定よりもさかのぼる可能性があるとは思います。これらの問題の解決には、アメリカ大陸の更新世の人類遺骸のDNA解析が望ましいものの、アメリカ大陸の更新世の人類遺骸は少ないので、堆積物のDNA解析による研究の大きな進展が期待されます。


参考文献:
Sun J. et al.(2019): Post‐last glacial maximum expansion of Y‐chromosome haplogroup C2a‐L1373 in northern Asia and its implications for the origin of Native Americans. American Journal of Physical Anthropology, 174, 2, 363–374.
https://doi.org/10.1002/ajpa.24173

https://sicambre.at.webry.info/202103/article_22.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/175.html#c3

[リバイバル3] 孫正義の詐欺の手口 中川隆
27. 2021年3月21日 13:44:17 : 56w0TbOpRk : SWJDemhtTzJaUWc=[14]
39【渡邉哲也show】ソフトバンクの闇
2020/01/31





http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/965.html#c27
[近代史3] ソフトバンク 孫正義は日本人の敵 中川隆
27. 中川隆[-6454] koaQ7Jey 2021年3月21日 13:44:38 : 56w0TbOpRk : SWJDemhtTzJaUWc=[15]
39【渡邉哲也show】ソフトバンクの闇
2020/01/31



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/549.html#c27
[近代史4] 大塚家具 大塚久美子社長はどうやって老舗企業を潰したのか? 中川隆
5. 中川隆[-6453] koaQ7Jey 2021年3月21日 16:54:33 : 56w0TbOpRk : SWJDemhtTzJaUWc=[17]

2021年03月21日
大塚家具、久美子社長退陣ですぐに増収し黒字化見込む
http://www.thutmosev.com/archives/85381034.html


久美子氏は「雇われ社長」としては有能だったが・・・。
勝久氏は人望があったが社長としての実務能力がもう一つだった

画像引用:https://www.dailyshincho.jp/article/2018/09240558/?all=1 私は娘の育て方を間違えた! 「大塚家具」創業者が吐露した“親ばか” 悔恨記 _ デイリー新潮

日本も社長の経営手腕が問われる時代

日本では今まで経営者の能力や資質が軽視される傾向があり、社員や重役が順送りに社長をしている場合も多い。

社員や重役として有能で会社に長年貢献していても、社長になったとたん会社を潰した経営者は多い。

東芝やシャープ、日航にオリンパス、山一證券に三菱自動車など経営能力の問題で会社を潰した例は多い。

またそんなリストに加わったのが大塚家具の久美子元社長で、2020年12月末で社長職を辞任した。

大塚家具は数年間の経営不振で経営権は中国企業からヤマダ電機に移り、ヤマダから自主的な退陣を要求されたと見られている。

久美子氏は2014年に社長職に復帰したが経営は悪化するばかりで株主からは何度も辞任要求が出たようだが、ことごとくはねつけて社長の座にこだわり続けた。


久美子氏は大塚家具の2代目社長である勝久氏の長女で、他にも弟や妹が居る中で後継ぎに指名された。

久美子氏は一橋大学経済学部から富士銀行(現・みずほ銀行)総合職を務めた後、父から懇願されて大塚家具に入社した。

この時は10年で退職しコンサルティング会社を設立し、経営も順調だったとされている。


2009年に再び父から懇願されて大塚家具に復帰、代表取締役社長を務めながら一橋大学経営協議会学外委員もしていた。

大塚家具で父娘対決が起きたのは2014年で、一時社長は勝久氏になったが大株主の委任状を取り付けた久美子氏が会社乗っ取りに成功した。

勝久氏は大塚家具から追放されて匠大塚を創設し、久美子氏の弟や旧社員と共に事業を続けている。

超エリート女性は経営者としては無能だった

久美子氏は当時流行だったジョブズ風の巧みなプレゼンテーションで現代風の経営をアピールし株主の支持を取り付けた。

勝久氏は精神論や伝統、義理人情で株主に訴えたがいかにも古臭く、圧倒的に支持された久美子氏が社長に就任した。

だが久美子社長が就任してから大塚家具の売り上げはずっと下がり続け、中国企業に身売り(ハイラインズと業務・資本提携)した後ヤマダ電機傘下になった。


2度の身売りで久美子氏が最もこだわったのは自身が社長で居続ける事で、先進的な経営とは真逆だった。

一度目の社長就任はあくまで勝久氏の監督下だったが、勝久氏を追放した後久美子社長は「反逆者狩り」をしたと言われている。

社内に残る勝久派の社員を1人ずつ虐めては追い出し、有能な社員は全員退職している。


残ったのは経験や能力で劣る社員だけになったが、久美子社長は接待で売る手法をやめニトリやイケアのようにするつもりだった。

ニトリやイケアは低価格大量生産で接客はせず、客は安さに引かれて来店し次々に商品を購入していきます。

従来の大塚家具は入店にすら会員登録が必要で一見さんお断り、入店した常連には店員がつきっきりで接待するという富裕層向けビジネスでした。


家具のロールスロイスみたいな手法で、これ自体は悪くないし高級ヨットや高級マンションを売るのに似ていました。

顧客は少数の富裕層だったので大塚家具は市街地の小さな店舗が多く、イケアやニトリのようにはできませんでした。

結局久美子路線は一等地の地価が高い狭い店に、ニトリ風の安物家具を並べるというやってはいけない典型になった。


銀座の一等地に店を構えて宝石やブランド品を売るのは良いが、そこで安物を大量販売したら失敗します。

こうして久美子路線は1年目に早くも躓いたが、プライドが高すぎる久美子氏は失敗を認めず、退陣するまで改めませんでした

久美子社長が退陣したのと同時に売り上げは回復し始め、2022年は勝久氏以来の黒字を見込んでいるそうです
http://www.thutmosev.com/archives/85381034.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/585.html#c5

[昼休み53] 足立区にだけは住んではいけない 中川隆
30. 2021年3月21日 18:07:33 : 56w0TbOpRk : SWJDemhtTzJaUWc=[18]
足立区や北区、生理用品を無料で配布へ。「生理の貧困」問題に自治体の支援広がる
ハフポスト日本版 2021/03/21


東京都・足立区が3月18日、経済的負担などさまざまな理由で生理用品を購入できない人を支援するため、防災備蓄用の生理用品を配布することを発表した。

配布日時は3月22日(月)から26日(金)まで。

オンライン調査では「生理の貧困」に直面する女性たちの存在が明らかになっており、自治体で生理用品を無料配布する動きが広がりはじめている。

北区や多摩市でも配布へ 生理の貧困問題に支援広がる
東京都内でいち早く「生理の貧困」問題に取り組んだ自治体の一つが、豊島区だ。1月に立ち上げた若い女性に対する支援策を検討するプロジェクトで生理用品を求める声が上がったことを受け、3月15日から19日まで、必要とするすべての人を対象に生理用品を無料で配布した。

足立区でも22日から26日まで、1家庭につき原則1パックまで、生理用品を無料で配布するという。公式サイトによると、区役所などで計500パックの生理用品を配布する。

本人証明などの提示は必要なく、個人情報も聞かれない。スマートフォンなどで公式サイトの画面を提示するか、窓口に設置してあるカードを指差すことで受け取りが可能なため、声に出して頼まなくても受け取ることができる。

また、北区でも生理用品の支給が決まったという。北区議会議員の山崎たい子氏やうすい愛子氏によると、防災備蓄の生理用品2500セットを無料配布するという。配布場所は「北とぴあ」内の「スペースゆう」や相談窓口などを予定しており、詳細は北区公式サイトなどで案内されるという。

朝日新聞デジタルによると、多摩市も支援をはじめた。市立の全小中学校で、希望する女子児童や生徒に生理用品を配布するという。

東京都以外では、兵庫県明石市が4月から生理用品の無料配布を開始する。

調査では5人に1人が生理用品の入手に苦労
「生理の貧困」については、若者グループ「#みんなの生理」が3月上旬、SNSで呼びかけて行ったオンライン調査で、金銭的理由で生理用品の入手に苦労したことがある若者の割合が20.1%だったと発表。

大きな話題となり、対策を求める声が広がっている。

世界では、生理の貧困への対策を進める国も相次ぐ。

スコットランドは2020年11月、世界で初めて生理用品の無料提供を定める法律が成立。ニュージーランドは、2021年6月から学校で生理用品を無料で提供することを決定した。フランスもこの2月、全ての大学生に対して生理用品を無料で配布すると発表している。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e8%b6%b3%e7%ab%8b%e5%8c%ba%e3%82%84%e5%8c%97%e5%8c%ba%e3%80%81%e7%94%9f%e7%90%86%e7%94%a8%e5%93%81%e3%82%92%e7%84%a1%e6%96%99%e3%81%a7%e9%85%8d%e5%b8%83%e3%81%b8%e3%80%82%e3%80%8c%e7%94%9f%e7%90%86%e3%81%ae%e8%b2%a7%e5%9b%b0%e3%80%8d%e5%95%8f%e9%a1%8c%e3%81%ab%e8%87%aa%e6%b2%bb%e4%bd%93%e3%81%ae%e6%94%af%e6%8f%b4%e5%ba%83%e3%81%8c%e3%82%8b/ar-BB1eNC5J
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/915.html#c30

[近代史4] コロナの後遺症 中川隆
7. 2021年3月21日 21:21:07 : 56w0TbOpRk : SWJDemhtTzJaUWc=[19]

2021年01月19日
英米でコロナ後遺症が深刻、日本でも「なまけ病」と思われ疎外
http://www.thutmosev.com/archives/84908390.html


見た目は普通だが他人と同じことが出来ず、怠けていると言われ追い込まれる

画像引用:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201228/k10012788941000.html 新型コロナ“後遺症” けん怠感や脱毛などに悩む人 受診相次ぐ _ 新型コロナウイルス _ NHKニュース


コロナ後遺症が社会問題になる

日本ではコロナ感染者が激増しているが、先に流行したアメリカや欧州では後遺症に悩む人が増えている。

イギリスの累計感染者は332万人で死者は9万人未満なので、323万人がコロナから生還した事になる。

同様にアメリカの累計感染者は2360万人で死者は40万人未満なので、2320万人が感染しても生存している。

普通の病気は治癒したらそれで終わりなのだが、コロナには様々な後遺症があると言われている。

イギリス議会では英国で30万人、世界で700万人が後遺症に苦しんでいるというデータが示された。

モラン下院議員や医学雑誌ランセット、英国家統計局の資料によると、入院患者の半分は半年後も症状が続いている。


また入院していない全患者を含む1割以上は、3か月後もコロナの症状が続いている。

英国民保健サービスによると初期の症状は数週間で症状が改善し、大半は3か月以内に全快しているが、長く後遺症が続くケースがある。

同機関によると初期症状と後遺症に相関関係は見られず、最初の症状が軽かったのに後遺症が続く場合もあるという。


コロナの後遺症に決まったパターンは無く、人によって現れる症状はかなり異なるという。

疲労、息切れ、胸の痛みや圧迫、記憶力や集中力低下、睡眠障害、動悸、めまい、関節痛、精神症(うつ等)、吐き気や胃腸虚弱・食欲減退など多岐にわたっている。

イギリスをはじめ各国はこれまでコロナ感染者を「生かす」のを目的とし、後遺症の調査は後回しになっていた。


イギリスの統計では陽性患者の5人に1人が5週間以上、10人に1人が12週間以上の期間症状が持続する。

日本でも後遺症が表面化

日本でもコロナ感染後に後遺症を訴えて受診する人が増え、データが集まってきている。

後遺症で一般の診療所を受診するのは軽症患者で既にコロナが陰性になった人たちで、症状だけが続いている。

渋谷区「ヒラハタクリニック」の集計ではけん怠感97%、うつ等が86%、息苦しさ73%、脱毛52%、味覚障害が27%だった。


同院を受診した約500人のうち、114人は週の半分を自宅療養するほど後遺症が重かった。

治療中や療養中は後遺症に気づきにくいが、出社したり普段の生活に戻ると以前やっていた事が出来ないのに気付くという。

見た目はいつもと変わらないのに動作が遅い、人と同じ事ができないので、怠けていると思われ疎外感を感じる人も多い。


この症状は若い人にもあり高校生の軽症患者でも、治療後に登校を再開してから後遺症に気づくことが多い。

やはり授業や登下校時に倦怠感を感じ、他の生徒についていけず周囲からは怠けていると思われるようです。

日本ではコロナに感染して治療しても、病院では後遺症に関する説明やフォローはなにも行われていない。


世界でコロナ感染者はもうすぐ1億人に達し、日本でも今後も感染者は増え続けると予想される。

日本でもおそらく100万人以上が感染し、今後数万人単位で後遺症が出る可能性が高い。

http://www.thutmosev.com/archives/84908390.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1225.html#c7

[番外地9] 櫻井よしこ、西岡力、文春…朝日・慰安婦報道叩きのデタラメが次々露呈 中川隆
1. 中川隆[-6452] koaQ7Jey 2021年3月21日 21:51:29 : 56w0TbOpRk : SWJDemhtTzJaUWc=[20]
2018.10.20 櫻井よしこ、西岡力、文春…朝日・慰安婦報道叩きのデタラメが次々露呈 リテラ
https://lite-ra.com/2018/10/post-4323_2.html
「慰安婦問題は朝日新聞が捏造した」という右派のおきまりのフレーズが、まさに自らに突き刺さる事態となっている。元朝日新聞記者の植村隆氏が提訴した裁判で、植村氏を「捏造記者」などと攻撃した極右言論人たちの嘘とでっち上げが、次々と白日のもとに晒されているのだ。

 しかし、植村氏はその後、自分への攻撃の多くが根拠のないことをひとつひとつ実証的に反論し、極右言論人と出版社を相手取って複数の裁判を起こした。そのひとつが、櫻井よしこ氏と櫻井氏の原稿を掲載したワック、新潮社、ダイヤモンド社を相手取った札幌地裁の名誉毀損裁判である。当時、本サイトでも詳しく伝えたように、今年3月の口頭弁論では、櫻井氏が本人尋問にて、植村氏を「捏造記者」と書いた根拠に関する重要な事実関係の間違いを認めている。

 そして今秋、慰安婦否定論の急先鋒で“安倍晋三のブレーン”のひとりといわれる西岡力氏と、「週刊文春」の版元・文藝春秋を訴えた東京地裁の法廷でも、たて続けに連中の悪質なウソと捏造が暴かれた。いい機会なので丁寧に解説しておこう。

 そもそも、一連の“植村バッシング”に火をつけたのは、「週刊文春」2014年2月6月号の記事「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大学教授に」だ。

 実は、この問題の文春記事のタイトルの元になったのが、掲載された西岡氏(当時・東京基督教大学教授)のコメントだった。

「植村記者の記事には、『挺身隊の名で戦場に連行され』とありますが、挺身隊とは軍需工場などに勤労動員する組織で慰安婦とは全く関係がありません。しかも、このとき名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。植村氏はそうした事実に触れずに強制連行があったかのように記事を書いており、捏造記事といっても過言ではありません」(「週刊文春」2014年2月6日号)

 この西岡氏のコメントは、札幌地裁、東京地裁両裁判の重要な争点と重なっている。西岡氏はほかにも「植村記者が記事で言及した女性は日本軍に強制連行されたのではなく、親に身売りされて慰安婦になっていたのです」(「週刊文春」2014年3月13日号)などと、繰り返し断じてきた。

■朝日・慰安婦報道を「捏造」と攻撃し続けた西岡力のほうが捏造していた!

 西岡氏が「捏造記事」と言いふらしているのは、朝日新聞1991年8月11日大阪朝刊に掲載された植村氏の署名記事「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」だ。挺身隊問題対策協議委員会(挺対協)が、元慰安婦の金学順さんに聞き取りをしたテープ等を元に、〈「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」〉の生存などを報じたもので、その後、金学順さんは日本国を相手に集団提訴に踏み切った。

 西岡氏の言う「このとき名乗り出た女性」は金学順さんを指し、「親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き」がこの提訴時の訴状のこと。「韓国紙の取材にもそう答えているというのはハンギョレ新聞の記事のことだ。

 その後も西岡氏は著書などで、ハンギョレ新聞を根拠として「金学順は40円でキーセンとして売られた」という趣旨の主張を続けてきた。いわゆる“慰安婦たちは日本軍に強制連行されたのではなく、キーセンとして合法的に売られた”という「人身売買説」である。

 ところが、だ。実際には、訴状のなかに「親に身売りされて慰安婦になった」などという記述はまったく存在しなかった。さらに「韓国紙で金氏が40円で売られたと話している」という根拠も、なんと西岡氏が“捏造”したものだったことが裁判のなかで判明したのだ。

「週刊金曜日」2018年9月29日号に掲載された、水野孝昭・神田外語大学教授によるレポートによれば、原告弁護団から訴状に「親に身売りされた」との記載がなかったことを追及された西岡氏は、「記憶違いだった」と虚偽を認めた。

 また、ハンギョレ新聞の記事は西岡氏自身も翻訳しているのだが、原告側弁護士が記事原文とそれを引用した西岡氏の著書の初版を比較。「私は四〇円で売られてキーセンの修行を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところの行きました」という西岡氏の翻訳について、この記述は原文にはないと追及すると、西岡氏は「ありません。間違いですね」を認めたというのだ。「週刊金曜日」は、その9月5日東京地裁での本人尋問の一部をこう伝えている。

 弁護士「いかにも本人の発言であるかのような、この文章はどこから持ってきたのですか」

 西岡氏「覚えていないですね。まずいですね」

 弁護士「まずいですよね。これは記事の引用ですか? 元の文書がどこかにないとおかしいですね?」

 西岡氏「おかしいですね」

 弁護士「それとも月刊『宝石』の記事をもとにして、あなたが勝手に作って書き足した言葉ですか?」

 西岡氏「うーん、覚えてないですね。これ間違いですね」

■西岡力・櫻井よしこが根拠として提出した記事に、強制連行を裏付ける記述が

「まずいですね」で済む問題ではない。もはや“捏造”どころか、西岡氏による「創作」というべきだろう。なお、西岡氏と原告側弁護士とのやりとりに出てくる「月刊『宝石』の記事」というのは、ジャーナリスト・臼杵敬子氏が同誌1992年2月号に寄せたもので、そのなかには金学順さんの証言が掲載されている。西岡氏はこの記事を証拠のひとつとして裁判に提出しているのだが、むしろ「宝石」記事には、金学順さんが強制連行されたことを裏付ける証言が掲載されていた。

〈着いたところは満州のどこかの駅でした。サーベルを下げた日本人将校二人と三人の部下が待っていて、やがて将校と養父との間で喧嘩が始まり「おかしいな」と思っていると養父は将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかに連れ去られてしまったのです。
 私とエミ子は、北京に連れて行かれ、そこからは軍用トラックで、着いたところが「北支のカッカ県テッペキチン」(鉄壁鎭)だったと記憶しています。中国人の赤煉瓦の家を改造した家です。一九四〇年春ごろでした。〉(「宝石」での学順さんの証言)

「養父」というのはキーセン学校の経営者のことだが、日本人将校がその養父を暴力で脅して排除。金学順さんは日本軍のトラックで連れて行かれたという証言だ。前述のハンギョレ新聞も“養父は日本軍による武力で私を奪われた”と同じ趣旨を学順さんの発言として報じている。つまり、西岡氏はどこにも書かれていない「親に身売りされて慰安婦になった」というくだりをでっち上げただけでなく、こうした日本軍による強制性を裏付ける証言を意図的に無視してきたのだ。

 それだけではない。西岡氏はいたるところで“挺身隊は慰安婦とは関係なく植村氏の虚偽である”と主張しているが、そもそも事実として、金学順さん本人が1991年8月14日の会見で「挺身隊」という言葉を用いている。また、当時の社会認識として、韓国メディアも日本メディアも「女子挺身隊」と「慰安婦」は同じものだという前提で記事を書いており、これは1991年9月3日付産経新聞大阪本社版にも〈「挺身隊」の名のもとに、従軍慰安婦として狩りだされた〉と表現しているとおり。端的に言って西岡氏の誤りだ。

 西岡氏は〈自分で、キーセンに売られたと話している老女を「挺身隊として強制連行された慰安婦」として、平気でウソを書く新聞記者〉(『増補新版 よくわかる慰安婦問題』草思社)と植村氏を攻撃するが、「平気でウソ」をつくとは、まさに西岡氏のことではないのか。

 ようは、植村氏を「捏造記者」呼ばわりして攻撃し、殺害予告まで起きたバッシングを扇動した西岡氏のほうが、実は、証言や資料を捻じ曲げ、あろうことか「慰安婦の強制連行はなかった」という右派の“願望”にそうよう捏造までしていたのである。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/232.html#c1

   

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