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[日政U2] 天皇皇后両陛下 「高麗神社」参拝で伝えた平和への願い/ニュースポスト 仁王像
2. 仁王像[3040] kG2JpJGc 2023年4月26日 13:02:30 : ubkFNvD55I : SUw3UHFvYzFlZms=[1]
天皇家のルーツとは。日本人と天皇の歴史を探る
https://ka-ju.co.jp/column/roots-of-japanese-emperor/

日本は天皇の子孫が統治してきた国?
学校で習った奈良時代の橘諸兄、平安時代の平清盛、鎌倉幕府の源頼朝、室町幕府を開いた足利尊氏などはいずれも確かな天皇の子孫でした。藤原氏は天皇家の子孫ではないものの、1000年以上にわたって天皇家と親戚であり続けました。そして後世の徳川将軍家をはじめ、全国の大名家も、皆先祖がはっきりとわからない家々も、ほとんどが天皇家につながる源氏や平氏の末裔を称しています。

天皇家は日本の「家」の「本家」?
ある意味で天皇家は、日本の「家」の「本家」のような存在なのです。それではこの天皇家は、一体いつから天皇家なのでしょうか。天皇家のルーツはどこまで遡れるものなのか、気になっている方も多いのではないでしょうか。

本記事では、天皇家のルーツに関する各説を簡単に紹介し、なぜこれほど長く続いてきたのかについて解説します。なおここで紹介する説は、あくまでも諸説あるうちの一つにすぎないことをはじめにお断りしておきます。

天皇家のルーツはどこまで遡れるか
天皇家のルーツに関しては、いくつかの説・論点があり、今でも議論が続いています。それぞれの説を簡単に紹介します。

初代神武天皇(紀元前711-585年)から実在するとする説
(一部省略)

神武天皇は実在したのか?
果たして初代天皇とされる神武天皇は実在したのでしょうか。古事記・日本書紀(記紀)によれば神武天皇は日向国(今の宮崎県)から出発。宇佐などを経て吉備に3年滞在し、大阪、和歌山熊野とまわって上陸。ナガスネヒコとの華々しい戦闘の末大和に入って紀元前660年元旦に今の橿原市の橿原宮で即位されました。

紀元前585年、127歳で亡くなったなどは現実的ではないため、“記紀通りの神武天皇”という意味ではその実在は否定されるでしょう。仮に実在したとしても、もはや現天皇家の男系の先祖か、途中で女系となっているのか、全く別系統となっているのかもわかりません。このように、神武天皇が実在するのかどうかは、本当のところは誰にも分かっていません。

欠史八代の論点
初代神武天皇と10代目崇神天皇の間の、2〜9代目の天皇は「欠史八代(けっしはちだい)」と呼ばれ、妻や宮の名前、没年齢など以外の事跡の記録がなく、一般的には実在していなかったとするのが通説です。その一方で、少数ながら実在していたと考える説も根強く存在します。

継体天皇と雄略天皇とは血縁関係はあるのか?
第26代継体天皇と第21代雄略天皇の間に系図上のつながりはあるのでしょうか。この点、古事記や日本書紀その他の記録類以外に血縁関係の有無を証明するものはありません。したがって、継体天皇の当時の大王家との血縁の遠さや、大和に入るまでの期間の異常な長さ(即位から20年経って大和に入った)から、別系統の豪族が大和に入って王権を簒奪した、といった学説は強く存在しています。

天皇家のルーツ:現時点での結論

現在の皇室へのつながりが確実視されているのは第26代継体天皇(450-531年?)から
継体天皇以前も大王がいたことは確実だが、現在の皇室と血の繋がりがあるか“確証”がない
天皇家は元々「大王」と呼ばれ、「天皇」という称号が正式に使われるようになったのは600年代
継体天皇より前の歴史は700年代に編纂された「古事記」「日本書紀」などの記紀が元になっている
今後の考古学、文献史学の進展によっては真実が解明されるときがくるかも?
結局のところ、継体天皇以前のルーツ(男系男子という意味での先祖)を正確に辿ることはほぼ不可能といってよいのが現状です。記録がない以上想像の幅は広がりますが、それでも埼玉県稲荷山古墳鉄剣銘の発見など驚異的な発見が現実にあるわけですから、今後の考古学、文献史学の着実な進展を期待したいところです。

天皇家のルーツについて様々な説があることがご理解いただけたと思いますが、いずれにしても日本の天皇家は少なくとも1500年以上の歴史があり、神話も含めて日本の人々に信じられてきた存在である事実は変わりません。次に、天皇家がなぜそれほど長く続いてきたのか考えてみましょう。

天皇家はなぜ続いてきたのか

(天皇家はなぜ続いてきたのか)、、、天皇家を超える実力者は多くあらわれている、、、なろうと欲すればいつでも天皇になれた。なのにそれをしなかった(中略)。どうして実力者は天皇にならなかったのか(中略)。歴史家はこれを十分に説明してくれない。学問的に証明できないのだという。−「神格天皇の孤独」松本清張−

少なくとも継体天皇以降の1500年はほぼ確実に今の天皇家が続いてきたといえますが、なぜ続いてきたのでしょうか。上の言葉にもある通り、説明するのはなかなか難しい問題ですが、理由は一つではないようです。世界中の王家が滅んできたのは、ひとつには陸続きなどの関係で外国勢力が侵入しやすく、外国勢力によって滅ぼされたことが背景にあります。

この点日本は、天智天皇が唐・新羅の連合軍と戦った白村江の戦い(663年)の敗北がほぼ唯一、対外的な危機でしたが、“外国勢力”によって天皇家一族が滅ぼされたり、天皇が廃されたりということはありませんでした。

では“国内”で勃興する諸勢力(権力者)に滅ぼされなかったのはなぜでしょうか。考えるほどに難しい問題です。ここではいくつかの考察をしてみたいと思います。(以下 略)
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