20. 2019年7月19日 09:04:20 : bZDfMY9hkg : STlOVzBabnBJLjY=[1]
半歩氏>「この群衆、一体どこから集まったんだろう。杜の都、仙台が地響きを立
てているかのような光景。圧巻という言葉がぴったりだ」
参加者「半端ないな。何かが決壊したみたいだ。動員なしで、こんな風景見たこと
ない」
堪忍袋の緒が・・・
全国比例集計や主要選挙区集計に、バック・ドアや変なもん仕掛けおったら、遠隔操作しおったら、小林・羽鳥・辻よ、ムサシ幹部よ、直ぐ分るかんな。国民を、民衆を舐めたらアカンぞ。ここは、アメリカじゃあねえんだ、日本なんだ。直ちに国民は行動おこすぞ、覚悟しおるな、大集会が起こされるぞ。小林・羽鳥・辻よ、やってきて弁明するんか、今度ばかりは証拠が出てくるぞ、そんときどうするんだ。。絶対バレねえスキルと、陰でコソコソとヤッチョルかも知んねえが、お天道さんはチャーント見てるぞ。どうするんだ。
1905年9月の日比谷事件は酷かったよ。民衆の不満は、切れたよ。以下、ウイキペより《9月5日、東京・日比谷公園でも野党議員が講和条約反対を唱える民衆による決起集会を開こうとした。警視庁は不穏な空気を感じ禁止命令を出し、丸太と警察官350人で公園入り口を封鎖した。 しかし怒った民衆たちが日比谷公園に侵入。一部は皇居前から銀座方面へ向かい、国民新聞社を襲撃した。すぐあとには内務大臣官邸を抜刀した5人組が襲撃し、棍棒丸太で裏門からも襲われた。銀座からの群衆も襲撃に加わった。そうして、東京市各所の交番、警察署などが破壊され、市内13か所以上から火の手が上がった[2]。 ・・・。群衆の怒りは、講和を斡旋したアメリカにも向けられ、東京の駐日アメリカ公使館のほか、アメリカ人牧師の働くキリスト教会までも襲撃の対象となった。・・・。東京は無政府状態となり、翌9月6日、日本政府は戒厳令(緊急勅令による行政戒厳)を布き[5]、近衛師団が鎮圧にあたることでようやくこの騒動を収めたのである。・・・。なお各地で講和反対の大会が開かれ、神戸(9月7日)、横浜(9月12日)でも暴動が起こった》
小林・羽鳥・辻よ、繰り返すがここは日本なんだ、アメリカじゃあねえんだ。アメリカじゃこんたな不正は、日常茶飯事のつもりかも知んねえが、間違えるなよ。19850812の真相もバラされるぞ。アメリカ国民はミーンナ知っちょるし、テキサスの知人訪ねたとき、あんとき日本を力で抑え込んだと、貿易戦争・自動車戦争等を軍の出動でケリつけたと、ミーンナ知っちょるんにビックラこいたよ。小林・羽鳥・辻よ、会社が大事か、だったらヤルナ ムサシ。CIA,モサド、Jハンドの要請を断われねえんか、だったら会社をたため。
http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/382.html#c20