10. 2021年8月05日 17:57:50 : s6oeVYNqH2 : Sm5GWGM3NXdzMUU=[1]
@ 東条英機は、1937年には、仁科博士の提案を通して、原爆について知っていた。
> In 1937, when introduced to Premier Hideki Tojo,Nishina “had proposed the manufacture of a bomb employing the principle
of nuclear fission.(以下、Japan's Secret Warからの引用。)
A そして、仁科博士のもとを、新物理学に、興味を抱いた、皇族関係者が訪問していた。
1980年になっても、仁科博士の部屋には、軍服姿の裕仁の兄弟と一緒の写真が飾られていた。
> The emperor’s family was interested in the new physics and made occasional visits to the RIKEN.
マニアックな戦争○鹿(war like ideot)であった裕仁も、当然、かなり前から、原爆には、興味を持っていたと思われる。
C 川島虎之輔は、三笠宮と高松宮から開発をアップグレードするように督励を受けたようだ。一説には、彼らこそ、原爆計画の後援者だと言われている。
> Kawashima may also have been urged to upgrade by the emperor’s younger brothers, Princes Mikasa and Takamatsu,both military officers, who some sources indicate were backers of the project.
D 戦後に公開された米国の公文書のラモナ報告書(Ramona document)によれば、広島は、満州に移されるまで、日本の原爆計画の中心地の一つであった。
何故、この情報が隠蔽されたのか?
> The scientists, the report continues, had begun their work in Hiroshima,
Japan, which it says was “the chief [atomic bomb] research center…until
danger from [Allied] bombing made it advisable to transfer work to Mukden,
which was already the center of supply for uranium.”
おまけ
B29シルバープレートは、テニアンから、広島まで、4トンの原爆を運搬できないだけの話。
http://www.asyura2.com/21/kokusai30/msg/754.html#c10