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[近代史7] 最高の音を一番安く手に入れる方法 中川隆
3. 中川隆[-14740] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:19:06 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[1]
超お買い得
真空管アンプ「カトレア」 ささやき 45 シングルアンプ (高能率スピーカー向け)
価 格 185,000円


出力が2Wと少ないですが音質が素直でとても綺麗な音が聞けます少ないパワーで透明感と繊細な音を求めている人へお薦めです。但しスピーカーの能率が95db以上有るのが理想的です。
45はグリットチョークを使用し、ロングライフ設計で動作させています。良い球はシンプルに作るのが最高の音が聞けます。ごまかしの無い素直な音を是非聞いてみて下さい。


サイズ W335 x D235
回路構成 CR結合(グリットチョークによる)ドライブ
入力感度 1V  100kΩ
出 力 2W + 2W
使用真空管 6SL7  45  5Y3
シャーシー カリン
B電源回路 一回路
NFB回路 なし
納 期 1ヶ月

http://www.cattlea.jp/product/?no=3

▲△▽▼

ペンションすももの木 _ 「カトレア」の交流点火の真空管アンプ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/488.html

真空管アンプ「カトレア」 _ 交流点火の 300B ・ PP5-400 コンパチブル モノラルアンプ
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/113.html  

45 シングルアンプ
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/153.html

My Audio Life (趣味のオーディオ) 45 シングルアンプの製作
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/154.html


▲△▽▼

45シングルで鳴らされた Goodmans Axiom80 が理想の音

良く知られているように故瀬川冬樹氏は45シングルで鳴らされた Goodmans Axiom80を生涯理想の音とされておられたようです。このスピーカの設計者がその後作ったスピーカは多々ありますがそのどれもが一聴して柔らかな音を出しますから本来の方向はリアル派とは異なるのでしょう。低域共振点は20ヘルツ台で大変に低く、エッジ、ダンパのコンプライアンスが高い割には最大振幅に制限があるためにアナログ時代は極めて使いにくいユニットでした。ピックアップ系の共振が問題にならないデジタル時代の環境では大変使いやすくなっています。
https://www.audio-maestro.com/about.html

フルレンジ好きの人ならば、一度は憧れたであろう「GOODMANS AXIOM80」という英国製の特異なスピーカーが手元にございます。愛好者には古くは 故瀬川冬樹氏や是枝重治氏などが有名でしょう。私も数年前より80年代に発売された復刻版を数セット取り扱いました。旧タイプとは、コーン紙の形状や厚さが大きく異なっています。

旧タイプのコーン紙は、薄くて張りがあり、外周部分に折り返しを付けてコーン紙全体の強度を上げる構造でした。それに対して復刻版はポテッと厚めで、その外周部分は切りっ放しでありました。

カンチレバーも、旧タイプでは薄くしなやかなモノでしたが、厚めのものに変わっていました。旧タイプより耐入力が増している事から想像するとそれらと関係があるのかも知れません。復刻版は現在手元にはありませんが、オークションなどで手に入れることが出来る様です。価格は上がっていますが・・。

旧タイプも稀に目にしますが入手は絶望的かもしれません。


AXIOM80は、コーン紙が「フラフラ」して扱い難いと云う定説が昔からありました。アナログ時代には確かにレコードの反りなどの理由によりコーン紙が揺さぶられ、ボイスコイルが底打ちする可能性があり、狭帯域のシングルエンドの真空管アンプが有利でした。故瀬川冬樹氏は無帰還でトランス結合の「UX-45シングル」で鳴らしていたようです。能率が高く、2W程度の出力でも充分に楽しめました。

メーカー製の専用箱は私の知る限りは昔から存在せず、付属の図面を元に家具屋へ注文するか自作でした。通称「ヤマハ箱(ヤマハで製作されたもの)」も見たことが有ります。何れにしろ「専用 ARU」との組み合わせが一般的でした。

現在 AXIOM80 を駆動するアンプは「6BM8/ECL82 超3極菅接続」を私は使用しています。小型の出力トランスを持つエレキット製品の改造品です。見た目は非力なのですが、音の広がりや奥行き感などに優れ、安価で簡単に改造出来て、とても満足しています。
http://rmuk.exblog.jp/

瀬川冬樹は創刊まもない頃のSS誌で、ゴッホ美術館で手持ちの複製画の本物を見た時その本物は所蔵の複製画の複製に見えた、という小林秀雄の有名な一文を引いてオーディオ論を展開していました。今日眺めても極めて優れたオーディオ論で、瀬川畢生の名論文だとおもいます。

瀬川冬樹氏の名論文は1960年頃のラジオ技術誌の「私のリスニングルーム」、しばらくあとの「M夫人のクレオさん」(クレデンザのこと、M夫人は福岡で御健在)、1960年代半ばのラ技連載の一連の「これからのステレオ装置」などであり、個人的には1970年代の瀬川さんは抜け殻としか思えないのです。

それは瀬川さんも分かっていたようです。
お亡くなりになる直前のことですが倉敷在住のIさんに、

ぼくはもうだめなんだ、体もだめだしオーデイオも堕落してしまったんだ、

今一度昔に帰りたい、45とアキシオム80に戻りたい、

そのために80は8本用意しているんだが、、

と述懐されたそうです。

瀬川さんのピークは JBL の蜂の巣ホーンをお使いになられたマルチアンプ時代の頃まででしょう。

Iさんからその話を伺った時、なぜか太宰治を想いました。氏が癌に侵されていることはそのころは既に衆知のことでした。
しばらくしてお亡くなりになったのですが大村一郎としてはS字状結腸にできた腫瘍で亡くなったとしても瀬川冬樹としてはそうではないと思ったものです。
http://www.audio-maestro.com/luochi_sui_shii.html  


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45 シングルアンプは昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカー向けです。


1W(ワット)アンプで 38pウーハーは無理
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/968.html


http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/340.html#c3

[近代史7] 電力増幅用直熱3極管 45 中川隆
2. 中川隆[-14738] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:21:45 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[3]
45 シングルアンプは昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカー向けです。

1W(ワット)アンプで 38pウーハーは無理
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/968.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/547.html#c2

[近代史7] 超お買い得真空管アンプ「カトレア」 ささやき 45アンプ 185,000円 (高能率スピーカー向け) 中川隆
1. 中川隆[-14737] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:22:53 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[4]
45 シングルアンプは昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカー向けです。

1W(ワット)アンプで 38pウーハーは無理
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/968.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/638.html#c1

[リバイバル3] 超お買い得 真空管アンプ「カトレア」 ささやき 45アンプ (高能率スピーカー向け) 185,000円 中川隆
1. 中川隆[-14736] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:23:34 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[5]
45 シングルアンプは昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカー向けです。

1W(ワット)アンプで 38pウーハーは無理
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/968.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1204.html#c1

[リバイバル3] 超お買い得 真空管アンプ「カトレア」 ささやき 45アンプ (高能率スピーカー向け) 185,000円 中川隆
2. 中川隆[-14735] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:29:56 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[6]
昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカーはバッフル板か後面解放箱に取り付けるのが基本です:


1. 平面バッフル
平面バッフル 製作いたします 五加音響研究所のオーディオ修理と製作
https://otoyas.exblog.jp/22515940/


竹集成材のスピーカー平面バッフル板 
材木商店【無垢材・積層材・化粧貼り・白ポリの木材メーカー通販サイト】
https://zaimoku-shouten.jp/works/%E7%AB%B9%E9%9B%86%E6%88%90%E6%9D%90%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E5%B9%B3%E9%9D%A2%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%95%E3%83%AB%E6%9D%BF%E3%80%80201452/
http://www.mokuzaikako.com/


ヤフオク! -「平面バッフル」の落札相場・落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?auccat=&tab_ex=commerce&ei=utf-8&aq=-1&oq=&sc_i=&exflg=&p=%E5%B9%B3%E9%9D%A2%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%95%E3%83%AB&x=0&y=0


2. 後面解放箱

真空管アンプ「カトレア」
ヨーロッパ製の軽く反応の良いスピーカーユニット用に設計したフロントホーンスピーカーボックス
http://www.cattlea.jp/news/info.php?id=50


3. スピーカーのエンクロージャー製造メーカー

Hasehiro Audio (ハセヒロオーディオ) 奇跡の音質「バックロードホーンスピーカー」の製造・販売
http://www.hasehiro.co.jp/

スピーカーエンクロジュア(BOX) ユートピア製品一覧 
http://www.utopianet.co.jp/product/enclosure.html

Lowtherの正規エンクロジュア ユートピア輸入製品一覧 
http://www.utopianet.co.jp/product/import.html


▲△▽▼


スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/385.html

平面バッフル実験工房
平面バッフルとフルレンジスピーカーが大好き。いい音めざして試行錯誤。
https://ameblo.jp/iserim/

オーディオ空間 幸せ日記:SSブログ
https://801a-4242a.blog.ss-blog.jp/archive/c2304761631-1  
 
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1204.html#c2

[近代史7] 最高の音を一番安く手に入れる方法 中川隆
4. 中川隆[-14734] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:31:02 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[7]
昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカーはバッフル板か後面解放箱に取り付けるのが基本です:


1. 平面バッフル
平面バッフル 製作いたします 五加音響研究所のオーディオ修理と製作
https://otoyas.exblog.jp/22515940/


竹集成材のスピーカー平面バッフル板 
材木商店【無垢材・積層材・化粧貼り・白ポリの木材メーカー通販サイト】
https://zaimoku-shouten.jp/works/%E7%AB%B9%E9%9B%86%E6%88%90%E6%9D%90%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E5%B9%B3%E9%9D%A2%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%95%E3%83%AB%E6%9D%BF%E3%80%80201452/
http://www.mokuzaikako.com/


ヤフオク! -「平面バッフル」の落札相場・落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?auccat=&tab_ex=commerce&ei=utf-8&aq=-1&oq=&sc_i=&exflg=&p=%E5%B9%B3%E9%9D%A2%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%95%E3%83%AB&x=0&y=0


2. 後面解放箱

真空管アンプ「カトレア」
ヨーロッパ製の軽く反応の良いスピーカーユニット用に設計したフロントホーンスピーカーボックス
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3. スピーカーのエンクロージャー製造メーカー

Hasehiro Audio (ハセヒロオーディオ) 奇跡の音質「バックロードホーンスピーカー」の製造・販売
http://www.hasehiro.co.jp/

スピーカーエンクロジュア(BOX) ユートピア製品一覧 
http://www.utopianet.co.jp/product/enclosure.html

Lowtherの正規エンクロジュア ユートピア輸入製品一覧 
http://www.utopianet.co.jp/product/import.html


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スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い
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平面バッフル実験工房
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[近代史7] 電力増幅用直熱3極管 45 中川隆
3. 中川隆[-14733] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:32:09 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[8]
昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカーはバッフル板か後面解放箱に取り付けるのが基本です:


1. 平面バッフル
平面バッフル 製作いたします 五加音響研究所のオーディオ修理と製作
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竹集成材のスピーカー平面バッフル板 
材木商店【無垢材・積層材・化粧貼り・白ポリの木材メーカー通販サイト】
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http://www.mokuzaikako.com/


ヤフオク! -「平面バッフル」の落札相場・落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?auccat=&tab_ex=commerce&ei=utf-8&aq=-1&oq=&sc_i=&exflg=&p=%E5%B9%B3%E9%9D%A2%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%95%E3%83%AB&x=0&y=0


2. 後面解放箱

真空管アンプ「カトレア」
ヨーロッパ製の軽く反応の良いスピーカーユニット用に設計したフロントホーンスピーカーボックス
http://www.cattlea.jp/news/info.php?id=50


3. スピーカーのエンクロージャー製造メーカー

Hasehiro Audio (ハセヒロオーディオ) 奇跡の音質「バックロードホーンスピーカー」の製造・販売
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スピーカーエンクロジュア(BOX) ユートピア製品一覧 
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Lowtherの正規エンクロジュア ユートピア輸入製品一覧 
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スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/385.html

平面バッフル実験工房
平面バッフルとフルレンジスピーカーが大好き。いい音めざして試行錯誤。
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[近代史7] 電力増幅用直熱3極管 VT-52 中川隆
1. 中川隆[-14732] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:34:34 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[9]
VT-52 シングルアンプは昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカー向けです。

1W(ワット)アンプで 38pウーハーは無理
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/968.html

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昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカーはバッフル板か後面解放箱に取り付けるのが基本です:

1. 平面バッフル
平面バッフル 製作いたします 五加音響研究所のオーディオ修理と製作
https://otoyas.exblog.jp/22515940/


竹集成材のスピーカー平面バッフル板 
材木商店【無垢材・積層材・化粧貼り・白ポリの木材メーカー通販サイト】
https://zaimoku-shouten.jp/works/%E7%AB%B9%E9%9B%86%E6%88%90%E6%9D%90%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E5%B9%B3%E9%9D%A2%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%95%E3%83%AB%E6%9D%BF%E3%80%80201452/
http://www.mokuzaikako.com/


ヤフオク! -「平面バッフル」の落札相場・落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?auccat=&tab_ex=commerce&ei=utf-8&aq=-1&oq=&sc_i=&exflg=&p=%E5%B9%B3%E9%9D%A2%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%95%E3%83%AB&x=0&y=0


2. 後面解放箱

真空管アンプ「カトレア」
ヨーロッパ製の軽く反応の良いスピーカーユニット用に設計したフロントホーンスピーカーボックス
http://www.cattlea.jp/news/info.php?id=50


3. スピーカーのエンクロージャー製造メーカー

Hasehiro Audio (ハセヒロオーディオ) 奇跡の音質「バックロードホーンスピーカー」の製造・販売
http://www.hasehiro.co.jp/

スピーカーエンクロジュア(BOX) ユートピア製品一覧 
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Lowtherの正規エンクロジュア ユートピア輸入製品一覧 
http://www.utopianet.co.jp/product/import.html


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スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/385.html

平面バッフル実験工房
平面バッフルとフルレンジスピーカーが大好き。いい音めざして試行錯誤。
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[近代史7] 電圧増幅用直熱三極管 WE101D 中川隆
1. 中川隆[-14731] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:35:34 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[10]
WE101D アンプは昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカー向けです。

1W(ワット)アンプで 38pウーハーは無理
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/968.html

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昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカーはバッフル板か後面解放箱に取り付けるのが基本です:

1. 平面バッフル
平面バッフル 製作いたします 五加音響研究所のオーディオ修理と製作
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竹集成材のスピーカー平面バッフル板 
材木商店【無垢材・積層材・化粧貼り・白ポリの木材メーカー通販サイト】
https://zaimoku-shouten.jp/works/%E7%AB%B9%E9%9B%86%E6%88%90%E6%9D%90%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E5%B9%B3%E9%9D%A2%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%95%E3%83%AB%E6%9D%BF%E3%80%80201452/
http://www.mokuzaikako.com/


ヤフオク! -「平面バッフル」の落札相場・落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?auccat=&tab_ex=commerce&ei=utf-8&aq=-1&oq=&sc_i=&exflg=&p=%E5%B9%B3%E9%9D%A2%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%95%E3%83%AB&x=0&y=0


2. 後面解放箱

真空管アンプ「カトレア」
ヨーロッパ製の軽く反応の良いスピーカーユニット用に設計したフロントホーンスピーカーボックス
http://www.cattlea.jp/news/info.php?id=50


3. スピーカーのエンクロージャー製造メーカー

Hasehiro Audio (ハセヒロオーディオ) 奇跡の音質「バックロードホーンスピーカー」の製造・販売
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スピーカーエンクロジュア(BOX) ユートピア製品一覧 
http://www.utopianet.co.jp/product/enclosure.html

Lowtherの正規エンクロジュア ユートピア輸入製品一覧 
http://www.utopianet.co.jp/product/import.html


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スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/385.html

平面バッフル実験工房
平面バッフルとフルレンジスピーカーが大好き。いい音めざして試行錯誤。
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http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/549.html#c1

[近代史7] 電力増幅用直熱三極管 PX4 中川隆
1. 中川隆[-14730] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:36:41 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[11]
PX4 シングルアンプは昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカー向けです。

1W(ワット)アンプで 38pウーハーは無理
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/968.html

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昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカーはバッフル板か後面解放箱に取り付けるのが基本です:

1. 平面バッフル
平面バッフル 製作いたします 五加音響研究所のオーディオ修理と製作
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竹集成材のスピーカー平面バッフル板 
材木商店【無垢材・積層材・化粧貼り・白ポリの木材メーカー通販サイト】
https://zaimoku-shouten.jp/works/%E7%AB%B9%E9%9B%86%E6%88%90%E6%9D%90%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E5%B9%B3%E9%9D%A2%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%95%E3%83%AB%E6%9D%BF%E3%80%80201452/
http://www.mokuzaikako.com/


ヤフオク! -「平面バッフル」の落札相場・落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?auccat=&tab_ex=commerce&ei=utf-8&aq=-1&oq=&sc_i=&exflg=&p=%E5%B9%B3%E9%9D%A2%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%95%E3%83%AB&x=0&y=0


2. 後面解放箱

真空管アンプ「カトレア」
ヨーロッパ製の軽く反応の良いスピーカーユニット用に設計したフロントホーンスピーカーボックス
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3. スピーカーのエンクロージャー製造メーカー

Hasehiro Audio (ハセヒロオーディオ) 奇跡の音質「バックロードホーンスピーカー」の製造・販売
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スピーカーエンクロジュア(BOX) ユートピア製品一覧 
http://www.utopianet.co.jp/product/enclosure.html

Lowtherの正規エンクロジュア ユートピア輸入製品一覧 
http://www.utopianet.co.jp/product/import.html


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スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い
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平面バッフル実験工房
平面バッフルとフルレンジスピーカーが大好き。いい音めざして試行錯誤。
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https://801a-4242a.blog.ss-blog.jp/archive/c2304761631-1  
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/550.html#c1

[近代史7] 超お買い得真空管アンプ「カトレア」 ささやき 45アンプ 185,000円 (高能率スピーカー向け) 中川隆
2. 中川隆[-14729] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:40:04 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[12]
昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカーはバッフル板か後面解放箱に取り付けるのが基本です:

1. 平面バッフル
平面バッフル 製作いたします 五加音響研究所のオーディオ修理と製作
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2. 後面解放箱

真空管アンプ「カトレア」
ヨーロッパ製の軽く反応の良いスピーカーユニット用に設計したフロントホーンスピーカーボックス
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3. スピーカーのエンクロージャー製造メーカー

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Lowtherの正規エンクロジュア ユートピア輸入製品一覧 
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スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/385.html

平面バッフル実験工房
平面バッフルとフルレンジスピーカーが大好き。いい音めざして試行錯誤。
https://ameblo.jp/iserim/

オーディオ空間 幸せ日記:SSブログ
https://801a-4242a.blog.ss-blog.jp/archive/c2304761631-1  
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/638.html#c2

[近代史7] アシダボックス 中川隆
2. 中川隆[-14728] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:43:42 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[13]
アシダボックス 6P-HF1 や昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカーはバッフル板か後面解放箱に取り付けるのが基本です:

1. 平面バッフル
平面バッフル 製作いたします 五加音響研究所のオーディオ修理と製作
https://otoyas.exblog.jp/22515940/


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[リバイバル3] 超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1 中川隆
56. 中川隆[-14727] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:44:31 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[14]
アシダボックス 6P-HF1 や昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカーはバッフル板か後面解放箱に取り付けるのが基本です:

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[近代史5] 衝撃!日本のカルピスにとんでもない過去が発覚!カルピス誕生に隠されたヒミツとは 中川隆
3. 中川隆[-14726] koaQ7Jey 2021年12月08日 07:00:18 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[15]
2019年10月06日
カルピスは本当にからだにいいのか
http://sukusukusekai.blog.jp/archives/3732065.html


カルピスは乳酸菌が入っているから、
からだにいいと思っている人がほとんどでしょう
しかし乳酸菌だけで判断はできません。原材料によってからだによくないものが
含まれているのもあります。


まずは乳酸菌の説明から
乳酸菌は19世紀中頃に発見され、20世紀初めに乳酸菌と健康や老化との関係が
ロシアのメチニコフによって提唱された。更に研究が進み今日では、

整腸作用の他、免疫増強作用、中性脂肪・コレステロール抑制作用、虫歯菌や歯周病菌の
抑制作用があるとわかっている。整腸作用で栄養の吸収率がよくなり肌荒れ
しづらく、美肌効果も期待ができる大変素晴らしい菌である。


俗に言われるカルピス菌とは乳酸菌と酵母菌を合わさってできたもの
原材料にそのカルピス菌を混ぜたのがカルピスだ。


カルピスの原材料は

生乳と砂糖
そして添加物として香料、大豆多糖類

添加物はカルシウムの吸収を阻害する恐れがあるらしいですが
この2つの添加物は有害性はあまり報告されていません
これが原液のカルピスの成分です。


カルピスウォーター、カロリーオフ、フレーバーつきのカルピスは更に添加物が含まれます


カルピスウォーター
砂糖類(果糖ぶどう糖液糖、砂糖)
脱脂粉乳、乳酸菌飲料/酸味料、香料、安定剤(大豆多糖類)
カルピスカロリー60%オフ
乳、砂糖/酸味料、香料、安定剤(ペクチン)、甘味料(アスパルテーム・L‐フェニルアラニン化合物、アセスルファムK、スクラロース)
アサヒ飲料サイトより引用


多くなりましたね。特に問題なのが『果糖ぶどう糖液糖』と『甘味料』です。

果糖ぶどう糖液糖はカルピスウォーターやカルピスソーダなどペットボトルで販売されているものに多くあります。果糖ぶどう糖液糖はトウモロコシを原材料にしてつくられるのですが
そのほとんどが遺伝子組み換えでつくられた輸入品だと言われています。
この遺伝子組み換えがみそで遺伝子組み換えのものを人が食べると
アレルギーの原因になると言われています。更に砂糖よりも肥満になるリスクは
大きいとされています。

次に甘味料ですが甘味料自体が悪いのではなく人工的につくられた甘味料が問題です。
この()にかかれている甘味料はすべて人工的につくられたもので
カロリーがほとんどないのですが鬱や不眠などの精神疾患を引き起こす恐れが
大きく、腎機能が低下や脳卒中や心筋梗塞などの血管系疾患の発症リスクが
高まったりするという恐ろしいデータがあるそうです。

特に安全性が疑問視され、アメリカでも長らく認可されなかった
アスパルテーム・L-フェニルアラニン化合物は新生児が摂取すると
脳に障害が起こるに可能性があるという恐ろしいデータが…

これらのものはカルピスだけでなくほとんどの清涼飲料水に含まれています。
なぜこんな危険性のあるもの添加するのか?
それは砂糖よりも甘みが強く、コスト安いから。


儲けに走らなければ、どの企業としてもやっていけないからです。


結論からいうと、からだにいいと思うカルピスは原液のカルピス(白)です
あの健康志向謳ったカラダカルピスですらも人工甘味料が含まれています
他のカルピスは乳酸菌があれどもマイナス要因が多すぎる…

しかしこれらの果糖ぶどう糖液糖や人工甘味料はたくさん摂取すること
が問題なのであって、たまに500mlくらいのものを気分転換に
飲むのは全然問題ないかと思います。むしろ色んなものを飲んで勉強していく
ことが大事です。そうすることで誰かと会話するときに奥が深い話ができて
面白い人と思われるからです。結果的にそれが長生きに繋がるのかもしれません。

http://sukusukusekai.blog.jp/archives/3732065.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1262.html#c3

[近代史7] ドイツ・オーストリアの作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14724] koaQ7Jey 2021年12月08日 07:51:35 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[17]
ドイツ・オーストリア(1859年まで) - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%281859%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29


ドイツ・オーストリア。オランダもここに含む。


ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク(Jan Pieterszoon Sweelinck, 1562 - 1621)
ドイツというよりオランダの鍵盤楽器作曲家。古い時代の異世界音楽の良さがあり、しかも鍵盤楽器の音楽らしい楽しみ方もできる。

ミヒャエル・プレトリウス(Michael Praetorius、1571 - 1621)
ドイツ初の大作曲家らしい。何曲か聴いてみたが、ごく普通の曲という印象しかなく大作曲家のオーラは感じなかった。

ハインリヒ・シュッツ(Heinrich Schütz, 1585 - 1672)
ドイツ3Sの一人。バッハ以前の最大の作曲家。宗教音楽は、バッハに似た峻厳さを前期バロックらしいシンプルで平易な音楽で表現しており素晴らしい。バッハの音楽は複雑すぎるという同時代の評価を実感できる。

白鳥の歌 Schwanengesang
3.0点
ドイツ人敬虔さとバロック中期の音楽の美しさが見事な完成形になっており素晴らしい。

ヨハン・ヘルマン・シャイン(Johann Hermann Schein, 1586 - 1630)
ドイツ3Sの一人。

ザムエル・シャイト(Samuel Scheidt, 1587 - 1653)
ドイツ3Sの一人。

ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー(Johann Jakob Froberger, 1616 - 1667)
ドイツの鍵盤楽器作曲家。チェンバロ用の組曲を聴いてみたが、音楽が地味でシンプルだし、特に特徴的な味のよさがあるわけでもなく、心の琴線に触れなかった。

ヨハン・パッヘルベル(Johann Pachelbel, 1653 - 1706)
この時代の大作曲家の一人であるが、現代はもっぱら「カノン」の作曲家として有名。カノン以外の曲も聴いたことはあるが記憶に残ってない。

カノン
6.0点
「3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調」の第1曲なのだそうだ。クラシックの器楽曲の中でも最古にして最大の人気曲のひとつだろう。何百回聴いても魅力は尽きない。

ヨハン・カスパール・ケルル(Johann Caspar [von] Kerll, 1627 - 1693
チェンバロ曲やオルガン曲を聴いてみたが、現代に通用するような特別に優れている何かは特に感じなかった。

ディートリヒ・ブクステフーデ(Dieterich Buxtehude, 1637頃-1707)
バッハのオルガン音楽における師匠の一人。オルガン曲の柔軟で柔らかい音使いと発想は素晴らしい。自分はあまりに重くて堅すぎるバッハのオルガン曲より好きだ。

ゲオルク・フィリップ・テレマン(Georg Philipp Telemann, 1681 - 1767)
史上最高の多作家にして当時のナンバーワン人気作曲家。しかし、現代の耳にとっては彼の音楽は、耳に優しく快いけれども薄味であり、そよ風のようだ。聴いた後に何も残らない。そのような軽さを求める気分の時ならばよいが、普段は自分には物足りない音楽だ。

ターフェルムジーク
3.0点
沢山のジャンルを組み合わせた音楽の百科辞典のような構成。テレマンらしい魅力を感じるための入門には良いが、長いので全編を聴くのはかなり大変。

パリ四重奏
3.0点
テレマンにしては力を入れて書いた作品の感がある。

水上の音楽
3.0点
ヘンデルとは違う、序曲の形式の水上の音楽。なかなか楽しいオーケストラ音楽である。

ヴィオラ協奏曲

蛙の協奏曲
3.0点
本当に蛙の合唱みたいで笑ってしまう。

無伴奏ヴァイオリンファンタジー
3.0点
バッハ無伴奏のガチ本気の音楽とはだいぶ違い気楽に聴ける。テクニック的にもシンプルなように聞こえるが、それなりに雰囲気と味がある曲は多いので案外楽しい。

ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(Wilhelm Friedemann Bach, 1710 - 1784)
大バッハの長男。かなり才能ある音楽家であり、聴いてみる価値がある。評判通りバッハの息子たちの中では最高の才能を持っている人だと思った。他の息子たちに感じる才能不足をこの人にはあまり感じない。

シンフォニアニ単調F65
4.0点

シンフォニア二長調F64
3.0点

ハープシコードソナタ
3.0点

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ (Carl Philipp Emanuel Bach, 1714 - 1788)
バッハの息子の一人。私はとても苦手な作曲家。多感様式というらしいのだが、フレーズの音の飛び方が不自然で違和感を感じる瞬間が多々あり、不快に感じてしまう。

ヨハン・ヴェンツェル・シュターミッツ(Johann Wenzel Stamitz 1717 - 1757)
マンハイム楽派の創設者。まだ未聴。モーツァルトへの影響の観点で名前が出てくる。

クリスティアン・カンナビヒ(Christian Cannabich, 1731 - 1798)
カール・シュターミッツ(Carl Stamitz, 1745 - 1801)
ヨハンの息子。マンハイム楽派。まだ未聴。やはりモーツァルトへの影響の観点で名前が出てくる。

ヨハン・クリスティアン・バッハ(Johann Christian Bach, 1735 - 1782)
バッハの末子。流麗さなど、モーツァルトに大きな影響を与えた。古典派とバロックの過渡期を感じるシンプルさではあるが、それなりにいい曲もある。しかし、基本的にぎこちなさなど違和感を感じてしまう。モーツァルトには、まだ10代のうちに実力で追い抜かれたと感じる。

レオポルト・アントニーン・コジェルフ(Leopold Antonín Koželuh, 1747 - 1818)
ヨハン・ショーベルト(Johann Schobert、? - 1767)
ミヒャエル・ハイドン(Johann Michael Haydn, 1737 - 1806)
ハイドンの弟。レクイエムで有名。

レクイエム
3.5点
モーツァルトがレクイエム作曲で大いに参考にした作品なのは聴いてすぐに納得。力感に溢れていて悲痛の劇的な表現が優れており、スケールが大きく感動的。音楽的な内容の充実は大作曲家レベル。古典派の宗教音楽の傑作。

カール・ディッタース・フォン・ディッタースドルフ(Carl(Karl) Ditters Baron von Dittersdorf, 1739 - 1799)
アントニオ・サリエリ(Antonio Salieri、1750 - 1825)
映画「アマデウス」で有名になった作曲家。当時の大作曲家であり、弟子に有名人も多い。しかし彼の書いた音楽は物足りない。

交響曲ニ長調
2.0点
爽やかで明るく活発な雰囲気は楽しいので、一度聴いてみるのは悪くない。音楽に詳しくない当時の素人には受けただろうと想像できる。現代はみんな耳が肥えているので、モーツァルトと比較してあまりに単純素朴で裏表が無く、複雑な技術が使われていない音楽は物足りない。まさに映画アマデウスで馬鹿にされているままの音楽だった。

アントン・エーベルル(Anton Eberl, 1765 ‐ 1807)
アントニーン・レイハ(Antonín Rejcha, 1770 - 1836)(アントン・ライヒャ)
ヨハン・ネポムク・フンメル(Johan Nepomuk Hummel, 1778 - 1837)
鍵盤楽器に関しては、ベートーヴェンのライバルの作曲家。

協奏曲(ピアノとオーケストラ)
ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 Op.44(Op.36)*c1811

ピアノ協奏曲 第2番 イ短調 Op.85*c1821(1816)

ピアノ協奏曲 第3番 ロ短調 Op.89*c1821(1819)

ピアノ協奏曲 第4番 ホ長調『告別』Op.110*1826(c1814年)

ピアノ協奏曲 第5番 変イ長調Op.113*1830(1825)

室内楽
ピアノ三重奏曲 第1番 変ロ長調Op.3a*1792

ピアノ三重奏曲 第2番 変ホ長調Op.12*c1803

ピアノ三重奏曲 第3番 ヘ長調Op.22*c1807(1799)

ピアノ三重奏曲 第4番 ト長調Op.35*c1811(1808)

ピアノ三重奏曲 第5番 ト長調Op.65*c1814-15

ピアノ三重奏曲 第6番 ホ長調Op.83*1819

ピアノ三重奏曲 第7番 変ホ長調Op.93*c1822

ピアノ三重奏曲 第8番 変ホ長調Op.96*c1822

ルイ・シュポーア(Louis Spohr, 1784 - 1859)
フェルディナント・リース(Ferdinand Ries, 1784 - 1838)
ベートーヴェンの弟子。マイナー交響曲作曲家の中では有名。

カール・ツェルニー(Carl Czerny , 1791‐1857)
教則本の作曲家として有名なベートーヴェンの弟子。ピアノソナタには中々いい曲もある。

交響曲5番
2点
雰囲気はいいのだがメロディー不足。いかにもマイナーどまりの曲。

カール・マリア・フォン・ヴェーバー(Carl Maria Friedrich Ernst von Weber, 1786 - 1826)
「魔弾の射手」のオペラで有名だが、器楽曲もそれなりに優秀である。

交響曲1番
3.5点
モーツァルトの一部の交響曲ような、オペラの序曲風の元気のよい音楽。シンプルな音楽なのだが、モーツァルトやハイドン以上に快活で爽やかであり、今にも目の前で幕が開きそうなほどに舞台音楽的で聴いていて気持ちいい。しかし、飽きる感じは無く、コミカルな人間ドラマ的な愉悦を感じられる。個人的にはとても新鮮に感じられた。しかもそれが、4つの楽章全てで感じられるのがよい。

交響曲2番
3.0点
1番と同時期の作品であり、よく似た同じような作品なのだが、なぜか新鮮さを感じない。1番と違い作曲者にとって初物でないからなのかわからないが、不思議だ。3楽章は短すぎて、つまらなくはないのだが、バランスが悪い。ある意味で、音楽の感動は非常に微妙なよく分からない何かに大きく左右されるものという教訓を得られた。本当に、1番と同じくらい爽やかで舞台音楽的な楽しさはあるのだけれど。

ホルン小協奏曲
3.0点
聴いているだけで、独奏が技術的に恐ろしく難しそうに聴こえる。本当に大作曲家がホルン用に書いたのか疑いたくなるレベル。メロディーなどの点ではそれほど優れた曲という印象はない。とはいえ、歌劇のような自由度の高さと活動的で伸び伸びした音の躍動感や明朗さは、個性が生かされていて悪い印象はない。協奏曲としてなかなかユニークな作品と思う。


フランツ・パウル・ラハナー(Franz Paul Lachner, 1803 - 1890)
交響曲5番
1.5点
8番よりも若さを感じて聴きやすいが、いい作曲家とは思えない。1時間もあるので1楽章の途中で挫折。

交響曲8番
1.5点
1楽章は序奏長いwシューベルトっぽいけどいい曲じゃない。2楽章は工夫と美しさが若干みられる。3楽章またシューベルトっぽい?4楽章は少しロマン派的ないい瞬間はあるけど凡庸。全体に長大さに見合う内容が無い凡作。

イグナーツ・ラハナー(Ignaz Lachner, 1807-1895)
ピアノ三重曲1番
2.5点
チェロでなくビオラとヴァイオリンとピアノの編成。
低音は少ないが軽やかな響きでよいし、天才を感じるほどではないが割と楽しく聴ける。
1851年の曲だがベートーヴェンと同時代に聴こえる。


ヨハン・シュトラウス1世(Johann Strauß I(Vater)、1804 - 1849)
ラデツキー行進曲
5点
1世は息子より有名曲が少ないとはいえ、このような楽しい有名曲を1曲残しただけで十分凄い。


カール・ライネッケ(Carl Heinrich Carsten Reinecke, 1824 - 1910)
交響曲
交響曲第1番 イ長調 Op.79 (1858年)
3.5点
1楽章は平凡なよくあるロマン派ドイツ交響曲の域を出ていない。2楽章はしなやかな感傷的な叙情で感情のうねりを重ねて徐々に大波を作っていくような音楽でかなりよい。慈愛の音楽はベートーヴェンの傑作緩徐楽章の出来に迫っており、深く音楽の感動的世界に入り込める。3楽章はベートーヴェンを引き継いだ正統派であり悪くない。最後の終わり方は気に入った。4楽章は軽妙で控え目であり、もっと愉しませて欲しいという欲求不満が残った。全体に2楽章の素晴らしさ以外は、あともう一息の感があるものの、なかなかの作品である。

交響曲第2番 ハ短調 Op.134 (1874年)
3.5点
柔らかさと詩情に裏打ちされた骨組みのきちんとした音楽であり、シューマンやブラームスのように癖があってゴテゴテしておらず、スマートでベートーヴェンを受け継ぐ正統派のドイツのロマン派交響曲という点で存在価値が高いと思う。メンデルスゾーンのような標題音楽的に感じるところもない。成熟したよい曲であるが、旋律などやはり少し地味である。そして1番の2楽章のような強い魅力のある楽章がない。地味に感じるのは精神の健常なバランス感覚を保っている正常性からのような気がする。稠密に念入りに構築された音楽は何度も聴くと良さがよく見えてくる。どの場面もよく考えて効果をきちんと計算して書かれている。魂の破天荒さはない。

交響曲第3番 ト短調 Op.227 (1895年)
3.5点
どの楽章もなかなか立派で充実しており、感心して聴ける。しかし、どこかに才能の輝きが足らない地味さがある。その中で最終楽章の高揚感はなかなか心が躍る。ドイツ交響曲らしい音の作りによる盛り上がりは、畳み掛けて新しいパッセージを次々に産む音楽の奔流を作り出せている。正統派で成熟した交響曲として、骨格の立派さと丁寧に書かれた充実を楽しむ曲としてはよく出来ている。一つ一つの場面がしっかりと描かれている。ただ、隔絶した天才の輝きが足らないだけである。

協奏曲
ハープ協奏曲 ホ短調 Op.182 (1884年)

ピアノ協奏曲第1番 嬰ヘ短調 Op.72 (1860年)
3.3点
ショパンやシューマンといかにも同時代の協奏曲であり、まだ形式感がしっかりとある。かなりお上品な曲と思う。その柔らかくて上品なところと、形式的な安心感を楽しむ曲と思う。なかなか楽しめるのだが、やはりこの後の歴史により切り開かれた音楽の可能性の世界と比べると、いかにも世界が狭い。しかしベートーヴェンを少しロマン派にしたような安心感に包まれながら協奏曲を聴く楽しみは、これがかなりおつなものであり、思いの外幸せな時間を過ごせたのは発見であった。

ピアノ協奏曲第2番 ホ短調 Op.120 (1872年)
3.3点
しなやかで柔らかくて優美。刺々しいとか爆発的のようなものはない。悪魔的だったり激しい熱情もない。壮大さもない。しかし、とても瑞々しい感情の表現をするピアノとそれをサポートするオケの素敵さには、なかなか心に染み渡るものがある。メロディーなどに決定的な名作性はないものの、メジャーどころの押しの強さは無いながらもなかなかいい世界を味わえる。

ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 Op.144 (1877年)

ピアノ協奏曲第4番 ロ短調 Op.254 (1901年)
3.0点
きちんと丁寧に書かれた正統派の曲である。20世紀の作品としてはかなり古臭い。巨匠的な品格の高さは楽しい。教科書的なお行儀の良さがあり独自の価値には乏しいものの、ちゃんとした曲が好きな人には聴く価値が充分にあるとお勧めできる。

チェロ協奏曲 ニ短調 Op.82 (1864年)

ヴァイオリン協奏曲 ト短調 Op.141 (1876年)
3.3点
1楽章はいまいち志が感じられない、職人的に作られているだけで訴えかけるものが足りない曲である。2楽章はかなりの美旋律を切々と歌い続ける感動的な楽章。名曲と呼ぶに足る作品である。ブラームスの協奏曲の2楽章を上回るかもしれない。3楽章はおおいなるエンディングに向けて爆発しそうな力を貯めたまま延々とエネルギーを解放しないというテンションをキープし続ける曲。このようなキープの仕方は特殊だと思う。爆発しなすぎて欲求不満がたまってしまう。この曲は2楽章だけがずば抜けて素晴らしいといえよう。

フルート協奏曲 ニ長調 Op.283 (1908年)
3.8点
貴重なフルート協奏曲。1楽章はライネッケによくある形式の枠の制約が強すぎて心に訴えるものの少ない曲。この楽章は我慢が必要。一転して2楽章はロマンの限りを尽くしており、切々と訴える憂愁のメロディーは最高に美しい。モーツァルトが書いたうちの最高級の緩徐楽章に勝るとも劣らない。3楽章もなかなか優雅で移ろうニュアンスの変化も常に美しい。力を貯めて爆発させないライネッケ流がフルート協奏曲の場合は非常にマッチしている。1楽章はいまいちだが2楽章と3楽章はとても優れていると思う。

室内楽曲、器楽曲
フルートソナタ ホ短調 「ウンディーネ」 Op.167(1881年)

弦楽三重奏曲 ハ短調 Op.249

左手のためのピアノソナタ
3.0点
かなり本格志向のソナタである。美しい旋律はなくてそれほど面白くはないが、ピアニスティックで効果的なパッセージを積み重ねてソナタを作っている。感動するほどではないが、きちんと本格的に書かれている左手のためのソナタとしてロマン派ソナタらしさをしっかりと持っている本作は重要な価値がありそうだ。ただ、低音が薄すぎる気はする。もう少し重さもバランスとしてほしかった。

ヨーゼフ・ヨアヒム・ラフ(Joseph Joachim Raff, 1822 - 1882)
交響曲
大交響曲 イ短調 WoO.18 (1854)

第1番 ニ長調 Op.96, "祖国に寄せる An das Vaterland" (1859-61)
2.8点
前半の楽章群は音の作りがシンプルすぎて、何を想っているのか伝わらないし、全然面白くない。習作レベルだろう。全然ダメかとおもったが、後半はワーグナー的もしくはブルックナー的な広がり感とドラマ性を持った享楽的な音楽になる。後半だけならばそれなりに聴いて愉しむことが出来る曲になる。全部で1時間以上の5楽章は実力と比較して無駄に頑張りすぎだろう。他では聴けない独自の天才性も弱いため、努力して書いたように聴こえてしまう。

第2番 ハ長調 Op.140 (1869)
3.5点
1番とは全く違う巨匠的な響きに満たされたベートーヴェン交響曲に似た交響曲らしい愉しみに満たされた音楽である。有名作曲家ほどの強烈な確立された個性の輝きこそ弱いものの、一流の音楽であることは一聴すれば分かる。堂々とした力強さと4つの楽章のバランスと音に込められた力感と音を豊かになり響かせる感じは、中期のベートーヴェンを彷彿とさせる。生命感の漲る感じがとにかく素敵だ。
-第3番 ヘ長調 Op.153 "森にて Im Walde" (1869)
3.3点
1楽章は曖昧な雰囲気であり好みが分かれるところであり、個人的にはあまり良くないと思った。後半はチャイコフスキーやドヴォルザークを彷彿とさせる躍動感の強い音楽であり面白い。2番とはかなり違う音楽であり、芸の広さを感じさせる。個人的には2番の方が好みだが、3番の後半の特に巨大な最終楽章のスリリングさはまさかスイスの作曲家で聴けると思わなかったものであり、なかなかゾクゾクするものだ。
-第4番 ト短調 Op.167 (1871)
3.3点
この曲は再びベートーヴェンのようなシンプルでロマン派のネチっこさを抑えた曲である。約30分と短く、冗長さがないのはよい。最終楽章では対位法を取り入れて素敵な高揚感を演出している。過去の大作に似ないようにしつつ、巨匠的な品位を保ったオリジナルな作品を作ろうとする努力が見える。はっとするよい場面も多くあるのだが、マイナー曲らしいパッとしない地味さも残念ながら全体としては多い。個人的には好感度は高いのだが名作とまでは言えない。

第5番 ホ長調 Op.177 "レノーレ Lenore" (1872)
3.8点
この曲はラフの代表作とされていて、交響曲5番らしい力のある入った作品である。1時間近い巨大さであり、ワーグナーにも匹敵するようなロマン派の壮大なスケール感を持った世界の広がりの世界のとたっぷりと、夢のような豪華な時間をロマンに浸って過ごす楽しみを味わえる。しかし、肥大化してバランスを崩した感じではなく、あくまでドイツ系交響曲の正統派の範囲内で音楽世界を拡張しているのが素晴らしい。類例が少ない非常に存在感と希少価値のある作品である。劇的な展開を備えており、最後の場面はニーベルングの指環にも匹敵するほど圧倒的に作者の力の限りを尽くして世界を構築しきって限界にたどり着いた充実した作品という満足感を与えられる。あえて言えば、さすがに作者の底や限界も同時に見えてしまうのが逆に欠点かもしれない。
-第6番 ニ短調 Op.189 (1873)
3.5点
リズムや音の使い方が単調で素朴すぎる。あと短調の響かせ方が平凡と感じるのは欠点。素朴さについては、もしかしたらロマンの限りを尽くした5番のあとなので古典派の交響曲の世界で意図的に勝負してみた曲なのではと想像する。5番のあとに聴いた時はひどく劣るように聴こえてしまったが、聴き直すと独自の明朗な良さや快活さがありなかなか愉しめる曲であることが分かった。ただ勝負の結果はラフが音感やリズムのセンスのようなもので微妙にトップレベルの天才からは落ちるのが如実になるものになった気がする。どこかに滲む地味さにそれが現れている。

第7番 変ロ短調 Op.201 "アルプスにて In den Alpen" (1875)
3.3点
副題も似ているが、実際リヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲を連想した。なめらかな音の流れと、自然の巨大さを連想する開放感と、自然の持つ底知れないパワーを力強く表現している。描写的ではない。後期ロマン派のようち端的さを失った感じが個人的にはラフの良さをスポイルしている気がするのと、後期ロマン派と比較すると過渡期のような未熟さと中途半端さを感じてしまう。特色があって面白いが、全体に「いい!」といえる瞬間には乏しく物足りないのが正直なところである。快活な最終楽章はなかなかの魅力がある。

第8番 イ長調 Op.205 "春の響き Frühlingsklänge" (1876)
3.5点
自分の感性の問題かもしれないし、日本との気候の違いのためかもしれないが、それほど春らしい気分が強いとは思わなかった。曲としては相変わらずの卓越した交響曲作曲技法であり、何よりここまでの各曲の強い特色に比べてこの曲は非常に正統派でノーマルなのが特色になっている。最初は物足りなく思ったが、聴き直すと正統派の聴き応えがかなり心地よい。メンデルスゾーンやシューマンやブラームスよりも、古典派の交響曲を受け継いだ正統派を堪能できる。といいつつ2楽章は遊び心があり、3楽章は春の気分を愉しめる。残念ながら最終楽章はあまり面白くない。

第9番 ホ短調 Op.208 "夏に Im Sommer" (1878)
3.0点
8番に続く正統派。しかし、なぜか8番よりも地味に感じる。聴いていてテンションが上がらず輝くものがなく、全体的に地味な印象が強い。交響曲であるからには旋律もフレーズも、作曲者がいつでも繰り出せる以上のものがほしいのだが、それがない。ダメな曲とまでは言わないが、他の交響曲よりも価値が低いと思う。

第10番 ヘ短調 Op.213 "秋の時に Zur Herbstzeit" (1879)
3.5点
1楽章は地味。3楽章は珍しくスラブ的な憂愁を感じさせるのが心をとらえる。薄明のような雰囲気を醸しながら控えめながらも心に染み入る憂愁はかなり感動する。じわじわと気分を盛り上げていくところなど、別の作曲家のようだ。4楽章もかなりセンスの良い軽快さと運動性と味わいを兼ね備えた良い曲である。変化も面白く、珍しく天才的と呼べる楽章である。

第11番 イ短調 Op.214 "冬 Der Winter" (1876)
3.3点
どの楽章も10番に続いて、絶妙な柔らかさと芳醇さを持ち合わせている。ラフが新たな境地に到達したことを感じさせる。しかし、順番に聴いてそう感じただけであり、前提なしに単品で聴いたらどう聴こえるかは分からないが。密かに潜ませる陰影の味があって、さっぱりした正統派の交響曲との取り合わせは良い。まさに良質の佳作という感じ。この曲で終わりなのが残念で、さらに晩年風の交響曲をぜひ聴きたかった。

協奏的作品(独奏と管弦楽のための作品)
ヴァイオリン協奏曲 第1番 ロ短調 Op.161 (1870-71)

ヴァイオリン協奏曲 第2番 イ短調 Op.206 (1877)

ピアノ協奏曲 ハ短調 Op.185 (1873)
2.5点
交響曲作家が試しに書いてみた協奏曲という印象。ピアノはもちろん前面に立ってはいるが、音数の多い派手さ華やかさに欠けている。交響曲らしいわけでもなく、特に作曲者ならではの協奏曲らしい「ピアノ協奏曲でこれがやりたかった」という独自の表現の境地に達している感じがしない。自分の中で音世界を試行錯誤しながら練って十分に構築しきれたという確信のないうちに書いてしまった曲という印象である。

チェロ協奏曲 第1番 ニ短調 Op.193 (1874)

チェロ協奏曲 第2番 ト長調 WoO.45 (1876)

組曲(ヴァイオリンと管弦楽のための) Op.180 (1873)

ヨハン・シュトラウス2世(Johann Strauß II), 1825 - 1899)
カール・ゴルトマルク(Karl Goldmark, 1830 - 1915)
交響曲2番
2点
部分ごとは悪くなく、作曲家に実力があることは分かるが、全体の印象はかなり散漫

ピアノ三重奏曲1番
1点
内容が薄く響きも薄い

ピアノ三重奏曲2番
2点
1番よりあらゆる面でだいぶ進歩していている。

ユリウス・ロイプケ(Julius Reubke, 1834 - 1858)
ピアノ・ソナタ(1857年)

『詩篇94番によるオルガンソナタ』(1857年)


フェリクス・ドレーゼケ(Felix August Bernhard Draeseke, 1835 - 1913)
マックス・ブルッフ(Max Christian Friedrich Bruch, 1838 - 1920)
交響曲
交響曲第1番変ホ長調 作品28

交響曲第2番ヘ短調 作品36

交響曲第3番ホ長調 作品51

協奏的作品(独奏と管弦楽のための作品)
クラリネット、ヴィオラと管弦楽のための協奏曲ホ短調 作品88

2台のピアノと管弦楽のための協奏曲変イ長調 作品88a

ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調 作品26
3.5点
4大協奏曲に迫るロマン派協奏曲の優秀作の一つ。ドイツらしい重厚さと叙情性を兼ね備えた作品でヴァイオリンの甘さと美しさを存分に味わえるが、優等生すぎるもどかしさがある。

ヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調 作品44

スコットランド幻想曲 作品46(1880年)
3.8点
メロディーが良く、ヴァイオリンのソロによって張りがあり、楽しんで聞ける。ロマン派の三大ヴァイオリン協奏曲のような深みは無いのだが、聞く楽しさでは同じ位のレベルかもしれない。

ヴァイオリン協奏曲第3番ニ短調 作品58

『コル・ニドライ』 作品47
2.8点
チェロの協奏曲。甘い思い出を切なく歌うような曲だが、狙いが分かりやす過ぎていまいち。一歩引いて聞いてしまう。


ヨーゼフ・ラインベルガー(Josef Gabriel Rheinberger, 1839 - 1901)
フリードリヒ・ゲルンスハイム(Friedrich Gernsheim, 1839 - 1916)
ヘルマン・グスタフ・ゲッツ(Hermann Gustav Goetz, 1840 - 1876)
フリードリヒ・ニーチェ(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844 - 1900)
あの有名な哲学者ニーチェは、アマチュア作曲家としてもなかなかの腕前である。鋭い感受性、世紀末的な感覚は音楽でも発揮されている。世紀末的なドロドロした感性は聴いていてスクリャービンを連想することが多々あり、スクリャービンのファンなら一聴してみることを大いにお勧めする。ドイツの後期ロマン派はオーケストラ曲が中心なので、ニーチェのピアノ曲はユニークな存在感があると思う。

マンフレッド瞑想曲(1972)
3.0点
自信をもってハンス・フォン・ビューローに送付するも酷評を受けたそうだ。小品ではなく割と長い曲で、ダークな感性とピアノ書法の良さは一聴に値すると思う。

ローベルト・フックス(Robert Fuchs, 1847 - 1927)
オーストリア


ユリウス・レントゲンまたはレントヘン(Julius Röntgen, 1855 – 1932)
ドイツ

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%281859%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/630.html#c1

[近代史7] ドイツ・オーストリアの作曲家 中川隆
2. 中川隆[-14723] koaQ7Jey 2021年12月08日 07:54:25 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[18]
ドイツ・オーストリア(1860年以降)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%281860%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29


エミール・フォン・ザウアー(Emil von Sauer, 1862 - 1942)
フェリックス・ワインガルトナー(Edler Felix Paul Weingartner von Münzberg, 1863 - 1942)
オイゲン・ダルベール(Eugen Francis Charles d'Albert 1864 - 1932)
ハンス・エーリヒ・プフィッツナー(Hans Erich Pfitzner, 1869 – 1949)
パウル・ビュットナーもしくはビュトナー(Paul Büttner, 1870 – 1943)
アレクサンダー・ツェムリンスキー(Alexander (von) Zemlinsky, 1871 - 1942)
マックス・レーガー(Johann Baptist Joseph Maximilian Reger, 1873 - 1916)
非常に晦渋な作風であり、実力者とはされているものの聴きにくい。

フランツ・シュミット(Franz Schmidt, 1874 - 1939)
交響曲4番
3.3点
連続して演奏される4楽章は、蠢く動機の繋がりで構成された闇の中を徘徊するような音楽でかなりマニアックである。アラン・ペッタションに近いのだが、味わいは異なる。癖になりそうな不安定な難解さはしかしながら後期ロマン派の枠組みの音楽のようにも聴こえる。濃厚すぎる灰色の世界は雨の日に泥の中に潜り込んでいくような感覚を覚える。気分によってはかなり気にいるかもしれない曲。

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, 1886 - 1954)
いわずと知れた大指揮者。なぜか曲がどれも長い。一流とはいえない才能に加えて曲の長さが、無駄に敷居を上げているのだが、逆に挑戦心を駆り立てているところもある。

交響曲
交響曲第1番ロ短調 (1941年)

交響曲第2番ホ短調 (1945〜47年)
3.5点
感動的な巨編として一聴の価値がある。一流作曲家では聴かないようないまいちなフレーズも多いのだが。

交響曲第3番嬰ハ短調 (1947年〜54年)

その他の作品
ヴァイオリン・ソナタ1番

ヴァイオリン・ソナタ2番

ピアノ五重奏曲

ピアノと管弦楽のための交響的協奏曲


エルヴィン・シュルホフ( Erwin Schulhoff,1894 - 1942)(シュールホフ)
第二次大戦で強制収容所で命を落とした人。この人の交響曲、協奏曲、弦楽四重奏曲はかなりよいと思う。ぜひ大戦を生き延びてほしかった。

ピアノ協奏曲「ジャズ風に」Op.43
3.5点
20世紀の隠れ名作ピアノ協奏曲のひとつ。ジャズ風と悲劇性をおびたユダヤ的な感情が驚きの結合を見せている成功作。美しい場面が多く出てくる。

パウル・ヒンデミット (Paul Hindemith, 1895 - 1963)
20世紀ドイツを代表する作曲家ではあるが、現代美術をそのまま音にしたような即物主義のとてもキモい音楽である。感覚的に理解しがたいというか、私の許容範囲を超えている。しかし弦楽四重奏は素晴らしさが分かる。

管弦楽曲
おどけたシンフォニエッタ (Lustige sinfonietta )op.4 (1916年) 室内管弦楽のための作品

交響曲「画家マティス」 (Symphonie "Mathis der Maler" ) (1934年)

交響的舞曲(Symphonische Tänze ) (1937年)

交響曲変ホ調 (Symphonie in Es ) (1940年)

ウェーバーの主題による交響的変容(Symphonische Metamorphosen über Themen von C.M. von Weber ) (1943年)

交響曲「世界の調和」 (Die Harmonie der Welt ) (1950年 - 1951年)

ピッツバーグ交響曲 (Pittsburgh Symphony ) (1958年)


協奏曲
チェロ協奏曲 op.3 (1915年 - 1916)

室内音楽第2番 op.36-1 (ピアノ協奏曲) (1924年)

室内音楽第3番 op.36-2 (チェロ協奏曲) (1925年)

室内音楽第4番 op.36-3 (ヴァイオリン協奏曲) (1925年)

室内音楽第5番 op.36-4 (ヴィオラ協奏曲) (1927年)

室内音楽第6番 op.46-1 (ヴィオラ・ダモーレ協奏曲) (1927年)

室内音楽第7番 op.46-2 (オルガン協奏曲) (1927年)

ヴィオラと大室内管弦楽のための協奏音楽 op.48 (1930年)

ヴァイオリン協奏曲 (1939年)

チェロ協奏曲 (1940年)

ピアノ協奏曲 (1945年)

クラリネット協奏曲 (1947年 - 1949年)

ホルン協奏曲 (1949年)


室内楽曲
室内音楽 第1番 op24-1 (12の独奏楽器のための)

ピアノ五重奏曲 op.7

クラリネット五重奏曲変ロ調・変ホ調 op.30 (1923年)


弦楽四重奏曲第1番ハ長調 op.2 (1915年)

弦楽四重奏曲第2番ヘ短調 op.10 (1918年)


弦楽四重奏曲第3番 op.16 (1920年)

弦楽四重奏曲第4番 op.22 (1921年)

弦楽四重奏曲第5番 op.32 (1923年)

弦楽四重奏曲第6番変ホ調 (1943年)

弦楽四重奏曲第7番変ホ調 (1945年)


弦楽三重奏曲第1番 op.34 (1924年)

弦楽三重奏曲第2番 (1933年)

ピアノ曲
ピアノソナタ第1番 イ調「マイン川」(1936年)

ピアノソナタ第2番 (1936年)

ピアノソナタ第3番 変ロ調(1936年)

ピアノソナタ op.17(1917年)

ルードゥス・トナリス(対位法・調性およびピアノ奏法の練習)(1942年)

カール・オルフ(Carl Orff, 1895 - 1982)
カルミナ・ブラーナ
3.5点
やはり有名な1曲目のインパクトが絶大なものがある。しかし、その後もシンプルさと野蛮さが合わさった魅力的な音楽が続く。小難しく考えずに素直に楽しめる。リズムの複雑さを伴った野蛮さは20世紀のクラシックのテーマの一つのだが、これほど爽やかで気持ちよく愉しめる曲は少ないだろう。楽曲は多彩で、長くて多くの曲を聴いていても飽きない。初心者でも愉しめて専門知識が不要。でも時代のエッセンスは盛り込んでいる。その点では、大衆性を持ちうる貴重な20世紀のクラシック音楽の財産の一つといえる。


エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold, 1897 - 1957)
映画音楽の分野で大貢献した人。ヴァイオリン協奏曲が素晴らしい。

ヴァイオリン協奏曲
4.0点
自作の映画音楽の主題を引用して書いた曲。ドリーミーな雰囲気に浸れて楽しい。主題が美しく映画音楽が好きな人ならこの曲も好きになるに違いない。


クルト・ヴァイル(Kurt Julian Weill, 1900 - 1950)
カール・アマデウス・ハルトマン(Karl Amadeus Hartmann, 1905 - 1963)
交響曲
第1番「レクィエムの試み」(1935 - 36年)

第4番(弦楽合奏のために、1947年)

第2番「アダージョ」(単一楽章、1948年)

第3番(1948 - 49年)
3点
ショスタコーヴィチみたいに、不協和音や異常な響きで深刻さや現代の悲劇を表す曲。叙事が先にあってそれが叙情を生んでいる。硬くて成熟している作風は交響曲向きだと思う。

第5番「協奏交響曲 Symphonie Concertante 」

第6番(1952 - 53年)

第7番(1956 - 58年)

第8番(1960 - 62年)

ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ(Hans Werner Henze, 1926 - 2012)

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%281860%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/630.html#c2

[近代史7] 東ヨーロッパの作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14722] koaQ7Jey 2021年12月08日 07:56:56 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[19]
東欧 - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E6%9D%B1%E6%AC%A7


「アントニオ・ロセッティ」(Antonio Rosetti, 1750 - 1792)[#ld2b0b91]
ボヘミアの作曲家・コントラバス奏者。アントニーン・レスレル(Frantisek Antonin Rössler)とも。

レクイエム
3点
モーツァルトが亡くなった時にチェコで演奏されたそうだ。
技術的にはモーツァルトに及ばないのかもしれないが、個人を悼み、冥福を祈るすがすがしさを感じるいいレクイエムだった。
イグナーツ・モシェレス(Ignaz Moscheles, 1794 - 1870)
チェコ


ベドルジハ・スメタナ(Bedřich Smetana, 1824-1884)
連作交響詩『わが祖国』(Má Vlast)(6曲)(1874-79年)
第1曲:ヴィシェフラド
3.8点
ワーグナーをすぐに連想するような、古代的なおとぎ話のような雰囲気を持っている。ヴィシェフラド城という城を題材にしているのはよく伝わってくる。心地よいファンタジー感で楽しい。かなり良いのだが、ワーグナーほど情熱的で地が湧く感じでないところに彼との差を感じる。

第2曲:モルダウ
4.5点
主要なメロディーをはじめとして、どの場面も旋律、雰囲気、音による描写の的確さなどいずれも非常に優れている。甘く劇的で描写的なロマン派の美点を見事に代表する曲の一つと言えるだろう。大地を流れる大河の自然の壮大さ、川の水のエネルギーなどをこれ以上なく表現できている。

第3曲:シャールカ
3.3点
やや和声や旋律に凡庸さを感じる場面が多くあるが、次々と移り変わる場面に身を任せることができるため、いちおう問題の解決になっている。ボヘミア的な民族的な旋律が楽しい。劇的ではあるが、激しさはそれほどでなく、おとなしい激しさとも呼ぶべき程度である。

第4曲:ボヘミアの森と草原から
3.3点
前半の森林浴やハイキングをしているかのようや自然の気持ちよさを満喫できる音楽。実際にハイキングに出かけたくなる。後半はポルカで楽しい踊りの音楽。ドヴォルザークのような躍動感があるが、同時に軽さもある。

第5曲:ターボル
3.0点
鋭角的な音楽。戦いを表現しているようだ。他と同様に正統派な交響詩らしい交響詩だが、インスピレーションは他と比べて強くない気がする。さらっと聴けて印象にあまり残らなかった。

第6曲:ブラニーク
2.8点
密度がオペラの音楽並みに感じでしまい、あまり楽しくない。正統派の交響詩として悪い曲ではないのだが、なんだか感動できる要素がかなり少ない。ここが良い、という部分がない。あと、5曲目と同じ旋律が多用されているのもマイナス。フス教徒の賛美歌とのことだが。

室内楽曲
弦楽四重奏曲第1番ホ短調『わが生涯より』(1876年)

弦楽四重奏曲第2番ニ短調(1882-83年)

ヘンリク・ヴィエニャフスキ(Henryk Wieniawski, 1835 - 1880)
ヴァイオリン協奏曲第1番嬰ヘ短調 Violin concerto No.1 Op.14

ヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調  Violin concerto No.2 Op.22

ジグムント・ノスコフスキ(Zygmunt Noskowski, 1846 - 1909)
ポーランド


交響曲 第1番 イ長調 作品番号なし (1874年-1875年)

交響曲 第2番 "Elegiac"

交響曲 第3番 ヘ長調 《春から翌春まで》作品番号なし (1903年)


フランツ・クサヴァー・シャルヴェンカ(Franz Xaver Scharwenka, 1850 - 1924)(ポーランド系ドイツ人)
大作ピアノ協奏曲を書いた人。大作ぶりには驚くが、音楽の内容としては二流だと思う。

協奏曲
ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 Op.32 1876年

ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 Op.56 1881年
2点
安定してそこそこ雰囲気が続く。長い。

ピアノ協奏曲第3番 嬰ハ短調 Op.80 1889年
2点
壮大感があって最初の部分はなかなかよい。しかし全体としては他のピアノ協奏曲と同様に安定していてそこそこという印象。

ピアノ協奏曲第4番 ヘ短調 Op.82 1908年


ズデニェク・フィビフ(Zdeněk Fibich, 1850 - 1900)
管弦楽
交響曲1
2.5点
ドヴォルザークの影響を感じる。才能は感じるがまだ原石であり、若書きの感が強い。

交響曲2番

交響曲3番

レオシュ・ヤナーチェク(Leoš Janáček,1854-1928)
シンフォニエッタ
3.5点
最初は盛大ながらも異質な何かをもつファンファーレで始まる。独特のおとぎ話的なフワフワとした夢の中のような幻想性があり、現実的な質感とか重みに乏しい感じがある。場面転換の仕方も、現実から精神的な自然さではなく、急に別世界に移行するような突発的でふわっとしたものを感じる。ディズニーのような幻想的な仮想世界を空を飛びながら旅するような楽しさがある曲。とてもオリジナリティのある独自の世界がある。

弦楽四重奏曲第1番『クロイツェル・ソナタ』
3.5点
物語性の明確さが楽しい。主人公の苦悩の表現と思われるものや悲劇性を、原作を知らなくても追体験できる。曲が短いのも良い。こんな悲劇的で歪んだ精神の悲劇を長時間聴かされたら、いたたまれない気持ちが続いてたまったものではない。音の絡み方など弦楽四重奏として充実している。文豪による19世紀の小説らしい雰囲気の音楽による再現としては圧巻と言ってもよい。

弦楽四重奏曲第2番『ないしょの手紙』
3.5点
歪みひしゃげた音は、とても女性への思慕を表現していると知識なしには理解できない。しかし、もはや老人だったヤナーチェクの苦悩や罪の意識を表現していると考えれば、腑に落ちる感じはある。力強い表現力の音楽は胸に迫るものがあり、聴く者を強く音楽に入り込ませるものがある。最後の救いのある場面には、ほっとすると共に、作曲者の心情をどう解釈すればよいか悩んでしまう。1番と共に、20世紀の重要な弦楽四重奏曲だろう。

ヴァイオリンソナタ
2.5点
東欧的なエキゾチックさと、現代的な荒廃した精神の表現は悪くない。短い3楽章の印象が強い。全体に散漫であり、緊密さに欠ける印象である。特に前半はあまり良い曲だと思わなかった。後半はヤナーチェクらしい味があり狂気を楽しめるが、やや物足りない。

ピアノ曲
『草かげの小径にて』
3.0点
聴いたのは生前に出版された第1集。2集は死後の出版で補遺の2曲のみ。ピアノ小品集として、それなりのバラエティはある。

ピアノソナタ 変ホ短調『1905年10月1日 街頭にて』
3.3点
こなれたピアニスティックな書法ではないし、特別に高い完成度まで磨かれた感じでもないものの、強く印象に残るものがある曲。1楽章は変ホ短調の暗くドロドロした調性感そのままの曲調でもある。社会的な情勢の雰囲気を感じる1楽章と、浮遊感と孤独感が心の隙間を表現している気がする2楽章。2楽章の中間での音の歪んだ盛り上がりの作り方は弦楽四重奏の世界に似た心に強く迫るものを感じる。どちらも良い。

霧の中で
2.8点
全体に雰囲気重視であり、ピアノソナタのような有機的な音楽には感じられない。音楽的な濃さとか、心に迫る感じはない。雰囲気は悪くはないため最初は楽しめるが、内容が浅いため後半は飽きてくる。ドビュッシーに似たところは感じる。

イェネー・フバイ(Jenő Hubay, 1858 - 1937)
ハンガリー

ヴァイオリン協奏曲


イグナツィ・パデレフスキ(Ignacy Jan Paderewski, 1860 - 1941)
ピアノ協奏曲 イ短調 Op.17

ピアノソナタ 変ホ短調(3楽章)Op.21


ヨセフ・スク(Josef Suk, 1874 - 1935)(ヨゼフ・スーク)
あまり聴けていないが、バランスが良く内容の詰まった、しっかりとした曲が多いようだ。飛びぬけた個性がなくやや地味だからか知名度は低いが、地力が高い実力派の作曲家である。

交響曲
交響曲 第1番 ホ長調 作品14
アスラエル交響曲 作品27(1906年)
3.3点
深遠さのある巨大な交響曲。多くの想いが詰め込まれており、マーラーあたりと比較しても場面展開が複雑に聴こえる。私は聴き込みが足らない。おそらく聴きこまなければスクの想いを掴んだつもりになれないだろう。メジャー曲になりきれない地味な分かりにくさはあるものの、聞き応え十分な20世紀初頭の交響曲を聴きたいなら、お勧めできる。プライベートの相次ぐ不幸をプライベート感のある曲でなく壮大な芸術に昇華させたものとして、感無量に近い感情を抱いた。

交響詩
交響詩《エピローグ》作品37(1929年)
交響詩《プラハ》作品26
交響詩《夏物語》作品29(1909年)
2.8点
大作の交響詩。後期ロマン派の響きの範疇であり、ドヴォルザークのような運動性を持ちつつも、地味であり明快さの足りない音楽が続く。夏の熱気や汗の感じをそこはかと響きから感じさせる力量は良いと思う。しかし交響曲のような長さを充実感で埋めるだけのものがなく、いろいろやってはいるが薄い印章が否めない。

交響詩《人生の実り》作品34(1917年)

管弦楽曲
弦楽セレナード 作品6(1892年)
管弦楽組曲《おとぎ話》作品16(1900年)
管弦楽組曲《りんごの木の下で》作品20
ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲 ト短調 作品24

室内楽
ピアノ四重奏曲 イ短調 作品1
ピアノ三重奏曲 ハ短調 作品2
ピアノ三重奏のための《悲歌》 作品23
弦楽四重奏曲 第2番 作品31

ピアノ曲
ピアノ小曲集 作品7
ピアノ曲集《春》作品22a
ピアノ曲集《夏の印象》作品22a
ピアノ曲集「母について」作品28(1909年)
ピアノ曲集《命と夢》作品30(1909年)
ピアノ曲集《子守唄》作品33

ミェチスワフ・カルウォーヴィチ(Mieczysław Karłowicz, 1876 - 1909)
ドホナーニ・エルネー(Dohnányi Ernő, 1877 - 1960)
交響曲
交響曲1番
3点
作品番号1にしてはすでに非常に完成度が高い曲。なかなかよい。作曲者が「優秀」だと感じる。

交響曲2番
2.5点
50分の大作であり力作である。技量は高いのだが、これはと思わせるような印象がない。

協奏曲
ピアノ協奏曲
2点
ブラームスの2番のような重厚なオーケストラでありピアノ書法が重ための曲。交響曲と同様に、充実しているのに印象が薄い。

室内楽
弦楽四重奏曲1番

弦楽四重奏曲2番
3.5点
どの楽章もかなり素晴らしい充実した内容を持っていて驚いた。作曲技術の高さと充実感を楽しめる曲。20世紀の室内楽の中でも傑作の部類ではないだろうか。

ジョルジェ・エネスク(George Enescu [ˈd͡ʒe̯ord͡ʒe eˈnesku], 1881 - 1955)
交響曲
第1番 変ホ長調 作品13 (1905年)

第2番 イ長調 作品17 (1912-14年)

第3番 ハ長調 作品21 (1916-1918年、1921年改訂)


カロル・シマノフスキ(Karol Maciej Szymanowski, 1882 - 1937)
ポーランド

交響曲
交響曲第1番 ヘ短調 op.15 (1906年)
2.5点
ぐちゃぐちゃな和音や音の動きのうねりを延々と続ける曲。楽譜がどうなっているのか少し興味は湧く複雑さだが、鑑賞するには向いておらず楽しめない。はっきりしない不明確な音の動きばかりであり、いわば実験的な音楽だと思う。

交響曲第2番 変ロ長調 op.19 (1910年)
2.8点
1番をもっと成長させた音楽という印象である。明確な構築性に乏しくぐちゃぐちゃであり、過去の音楽と被らないように書かれており。マイナー音楽らしい華のなさと私は感じた。後期ロマン派をさらに腐る程に熟させたらこうなると言えるだろうか。リヒャルト・シュトラウスの方向性をさらに進めた音楽なのは分かる。豪華な管弦楽の使い方も含めて影響を感じるが、私の好きでない部分まで受け継いでいる。過渡期の音楽であり、この時代だけしかシマノフスキが音楽を残さなかったならば、現在はかなり知名度の低い作曲家だっただろう。

交響曲第3番『夜の歌』 op.27 (1914-16年)
3.0点
カンタータ的様式の神秘主義の音楽。社会派のようなスケール感や闇を抉り出す感じ、野蛮で野太い感じもある。管弦楽の使い方もそうだし、意欲的でありさまざまな要素が渾然となっていて、ポーランドというクラシック音楽の中では中立的であることによる色のなさが、目新しい価値を産んでいる。聴く価値はある曲である。

交響曲第4番 (協奏交響曲) op.60 (1932年)
3.0点
ピアノ協奏曲のような形式。独奏ピアノは大活躍するが、華やかな活躍そのものは目的化されておらずあくまで本格性を求める交響曲の音楽的な目的を果たすために使われているように聴こえる。音楽的な楽想の豊富さと適度なシリアスさは楽しい気分にさせられる。そのため軽い協奏曲よりも聞き応えのある曲になっている。とはいえ、一流作曲家の割り切りの良さが足らず器用貧乏のようになっている気もする。

管弦楽曲
演奏会用序曲 op.12 (1905年)

バレエ音楽「ハルナシェ」op.55 (1923-31年)

協奏曲
ヴァイオリン協奏曲第1番 op.35 (1916年)

ヴァイオリン協奏曲第2番 op.61 (1932-33年)

室内楽曲
ヴァイオリン・ソナタ ニ短調 op.9 (1904年)

神話−3つの詩 op.30 (1915年)

弦楽四重奏曲第1番 ハ長調 op.37 (1917年)

弦楽四重奏曲第2番 op.56 (1927年)

ピアノ曲
ピアノ・ソナタ第1番 ハ短調 op.8 (1903-04年)
3.0点
後期ロマン派らしい豪華さをもったピアノソナタである。4つの楽章は巨大な立派な規模をもっており、それがちゃんとピアノソナタ的発想で構築されており、この時代ならではのソナタとして一定の価値と存在感がある。和声は半音階的でやや複雑だが後期ロマン派的で明確であり後年の作品と比較して非常に聴きやすい。個性の確立した一流作曲家の作品と呼ぶにはまだ物足りない発展途上さはある。

ピアノ・ソナタ第2番 op.21 (1911年)
2.5点
非常に音数が多くて技巧的な作品。グロテスクで割り切れない音の動きが多くて、その音の生理的な感覚が個人的には全然に精神のツボを突いてくれない。気持ちよくないまま漫然と音の塊を聴き続けるような気分になる。スクリャービンのようなグロテスクさなのだが、こちらはどうにも理解困難である。場面が変わっても楽章が変わってもその分からなさが続く。技巧的な音数であることしか理解できない。

ピアノ・ソナタ第3番 op.36 (1917年)
3.5点
スクリャービンの影響が顕著である。浮遊感や神秘的な雰囲気とグロテスクさなどを継承しつつも、スクリャービンよりも構築的であり、バランスと構成をきちんと計算して作られたより本格的な作品という印象が強い。私としてはスクリャービンのクレイジーすぎて断片的で物足らないのを補う完成作品として、長年求めていたものを見つけた気分になった。20世紀のピアノソナタとして重要作品だと思われる。

4つの練習曲 op.4 (1900-02年)

コダーイ・ゾルターン(Kodály Zoltán,1882-1967)
ガランタ舞曲 Galántai táncok

交響曲ハ長調
3点
民族的な味付けが面白い。交響曲らしいシリアスさと総合性があり楽しめる。しかし、79歳の作品ということで少し枯れている感があるのと、時代にしては古臭い音楽なのは残念なところ。

無伴奏チェロソナタ 作品8(1915年)
4点


ボフスラフ・マルティヌー(マルチヌー)(Bohuslav Martinů Cs-Bohuslav Martinu、1890 - 1959)
あらゆる分野の曲を沢山書いた多作家。

交響曲
交響曲第1番 (1942年)

交響曲第2番 (1943年)

交響曲第3番 (1944年)

交響曲第4番 (1945年)

交響曲第5番 (1946年)

交響曲第6番「交響的幻想曲」 (1953年)

ピアノ協奏曲
ピアノ協奏曲第1番 (1925年)

ピアノ協奏曲第2番 (1934年、1944年に改訂)

ピアノ協奏曲第3番 (1937年、1942年に改訂)

ピアノ協奏曲第4番「呪文」 (1955〜1956年)

ピアノ協奏曲第5番「協奏的幻想曲」 (1957年)

弦楽器用協奏曲
ヴァイオリン協奏曲第1番 (1933年)

ヴァイオリン協奏曲第2番 (1943年)

協奏的組曲 ニ長調(ヴァイオリン独奏) (1939年)

ラプソディ・コンチェルト(ヴィオラ独奏) (1952年)

チェロ協奏曲第1番 (1930年)

チェロ協奏曲第2番 (1945年)

その他の協奏曲
ヴァイオリンとピアノ、打楽器を伴う弦楽オーケストラのためのコンチェルト・ダ・カメラ (1941年)

協奏的交響曲第2番 変ロ長調(ヴァイオリン、チェロ、オーボエ、ファゴット独奏) (1949年)

二つの弦楽オーケストラ、ピアノとティンパニのための複協奏曲 (ピアノ、ティンパニ独奏) (1938年)

オーボエと小オーケストラのための協奏曲 (1955年)


室内楽曲
九重奏曲第1番 (Fl, Ob, Cl, Hr, Fg, Vn, Va, Vc, Pf) (1924〜1925年)
九重奏曲第2番 (Fl, Ob, Cl, Hr, Fg, Vn, Va, Vc, Cb) (1959年)
弦楽六重奏曲 (1932年)
木管アンサンブルとピアノのための六重奏曲 (Fl, Ob, Cl, 2Fg, Pf) (1929年)
ピアノ五重奏曲第2番 (1944年)
弦楽四重奏曲第1番 (1918年)
弦楽四重奏曲第2番 (1925年)
弦楽四重奏曲第3番 (1929年)
弦楽四重奏曲第4番 (1937年)
弦楽四重奏曲第5番 (1938年)
弦楽四重奏曲第6番 (1946年)
弦楽四重奏曲第7番 (1947年)
ピアノ三重奏曲第1番「5つの小品」 (1930年)
ピアノ三重奏曲第2番 ニ短調 (1950年)
ピアノ三重奏曲第3番 ハ長調 (1951年)
ヴァイオリンソナタ第1番 (1929年)
ヴァイオリンソナタ第2番 (1931年)
ヴァイオリンソナタ第3番 (1944年)
ヴィオラソナタ (1955年)
チェロソナタ第1番 (1939年)
チェロソナタ第2番 (1941年)
チェロソナタ第3番 (1952年)
ヴァイオリンとチェロの二重奏曲第1番 (1927年)
ヴァイオリンとチェロの二重奏曲第2番 (1957年)
フルートソナタ (1945年)

アレクサンドル・タンスマン(Alexandre Tansman, 1897 – 1986)
ポーランド出身のフランス

交響曲
第1番 (1917年)

第2番 (1926年)

第3番「協奏交響曲 Symphonie concertante」 (1931年)

第4番 (1939年)
2点
悲痛さを表現する音世界の造形には成功しているが、ただそれだけ。それ以上の何かがない。

第5番 (1942年)

第6番「イン・メモリアム In memoriam」 (1944年)

第7番「抒情的 Lyrique」(1944年)

第8番「管弦楽のための音楽 Musique pour orchestre」 (1948年)

第9番 (1957〜58年)

協奏曲
ピアノ協奏曲 第2番 (1927年)

パヴェル・ハース(Pavel Haas, 1899 - 1944)
リゲティ・ジェルジュ(Ligeti György Sándor 1923 - 2006)
アトモスフェール(1961年)

ピアノ協奏曲 (1985-88年)

ヴァイオリン協奏曲 (1992年)

弦楽四重奏曲第1番(1953-54年)

弦楽四重奏曲第2番(1968年)

ピアノのための練習曲 第一巻(1985年)、第二巻(1988-94年)、第三巻(1995-2001年)
3.5点
第3集まである。現代のピアノ曲においてとても著名なもの。現代作曲家らしい感受性の強さ、音響やリズムや旋律における斬新な響きや音使いによる現代性など、古いピアノ曲にないものがたくさんあって愉しめる。曲が短くて各曲の個性の色付けが明確で調性感があるため、1985年以降の新しい音楽といっても誰でも即時に曲の良さを理解できて価値も分かると思う。作曲者にとっては気楽に書いた小品集のようにも聴こえるが、その肩肘張らない親しみやすさが魅力。練習曲らしいピアニスティックさと音数が産む複雑さももちろん良い。第3集は若々しさが無くなってしまい少し物足りない。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E6%9D%B1%E6%AC%A7
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/629.html#c1

[近代史4] スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い 中川隆
46. 中川隆[-14721] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:19:21 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[20]
昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカーはバッフル板か後面解放箱に取り付けるのが基本です:

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平面バッフル 製作いたします 五加音響研究所のオーディオ修理と製作
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2. 後面解放箱

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3. スピーカーのエンクロージャー製造メーカー

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スピーカーエンクロジュア(BOX) ユートピア製品一覧 
http://www.utopianet.co.jp/product/enclosure.html

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http://www.utopianet.co.jp/product/import.html


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平面バッフルとフルレンジスピーカーが大好き。いい音めざして試行錯誤。
https://ameblo.jp/iserim/

オーディオ空間 幸せ日記:SSブログ
https://801a-4242a.blog.ss-blog.jp/archive/c2304761631-1  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/511.html#c46

[近代史7] スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い 中川隆
5. 中川隆[-14720] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:21:00 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[21]
昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカーはバッフル板か後面解放箱に取り付けるのが基本です:

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[近代史4] スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い 中川隆
47. 中川隆[-14719] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:22:25 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[22]
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[近代史7] 最高の音を一番安く手に入れる方法 中川隆
5. 中川隆[-14718] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:23:06 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[23]
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[リバイバル3] 最高の音を一番安く手に入れる方法 _ パソコンの iTunes ファイル + プリ機能付き DAC + フルレンジスピーカー 中川隆
139. 中川隆[-14717] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:24:59 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[24]
昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカーはバッフル板か後面解放箱に取り付けるのが基本です:

1. 平面バッフル
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2. 後面解放箱

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[近代史7] 電力増幅用直熱3極管 45 中川隆
4. 中川隆[-14716] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:26:12 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[25]

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[近代史7] 電力増幅用直熱3極管 VT-52 中川隆
2. 中川隆[-14715] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:27:12 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[26]

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[近代史7] 電圧増幅用直熱三極管 WE101D 中川隆
2. 中川隆[-14714] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:27:36 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[27]

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http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/549.html#c2

[近代史7] 電力増幅用直熱三極管 PX4 中川隆
2. 中川隆[-14713] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:28:21 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[28]

オーディオ懐古録掲示板

フルレンジSPに戻った方(悟りを開いて)
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1267522956/l50

フルレンジSPに戻った方 Part2
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1345370313/l50

フルレンジSPに戻った方 Part3
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1417941619/l50
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/550.html#c2

[近代史7] イタリアの作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14712] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:31:03 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[29]
イタリア - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2


ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ(Giovanni Pierluigi da Palestrina, 1525?-1594)
ルネサンス後期を代表する宗教音楽の超大物。技術的に非常に高く、パレストリーナ様式を確立したらしい。しかし、楽曲があまりに超然としている。感情主体で音楽を聴く現代人にとって、彼の音楽に素直に感動することが難しいと思う。

スターバト・マーテル
3.3点
悲しみに溢れており神秘的な輝きもあり、超然としたパレストリーナの曲の中では分かりやすい。

ジョヴァンニ・ガブリエーリ(Giovanni Gabrieli, 1554または1557? - 1612)
この時代にしては聴きやすく分かりやすい。いくつか聴いた印象はどれも非常に素晴らしい。

カンツォーナとソナタ集(1615年出版。器楽曲)
3.5点
これはよい。古い音楽だが聴きやすく、暖色系のオーラに包まれるかのような包容力がある。


カルロ・ジェズアルド(Carlo Gesualdo 、1566? - 1613)
クラウディオ・モンテヴェルディ(Claudio Giovanni Antonio Monteverdi, 1567 - 1643)
ルネサンスからバロックへの、西洋音楽至上最大の変革の両方の時代に生きた、前期バロック最大の作曲家。彼の時代はまだ異世界音楽という感じであり聞きやすくないが、その中でも強く感情をほとばしらせる力は心に訴えかけるものがある。

聖母マリアの夕べの祈り(1610年)
3.5点
さまざまなバラエティ豊かで充実感がみなぎり滋味もある音楽が続く大作。まだバロック音楽というよりルネッサンス時代の音楽に近く、通常耳にするような音楽と仕組みが違うので、分かりやすくはない。

倫理的、宗教的な森
3.5点
長い曲なので、パロットの抜粋版で聴いた。「聖母マリアの夕べの祈り」同様に古い音楽ではあるが、通奏低音がより明確なラインとなっていて聞きやすいと思うし、敬虔な癒しの音楽という全体的な印象があるとともに、曲集としての総合性を感じる。自分はこちらの方が好みかもしれない。

ジローラモ・フレスコバルディ(Girolamo Frescobaldi, 1583 - 1643)
鍵盤音楽作家として有名。

Il primo libro di Capricci
3.5点
ルネサンス的な素朴な美しさを残しており、素朴な対位法も活用している大変美しく魅力的な曲集。シンプルな曲の中にチェンバロの楽器の魅力が大変よく生かされている。個人的には非常にツボにはまる音楽である。

アルカンジェロ・コレッリ(Arcangelo Corelli, 1653 - 1713)
ヴァイオリン・ソナタ 作品5

12番「ラ・フォリア」
3.8点
有名な主題であり、ラフマニノフにも変奏曲にされている。南欧的な情熱のほとばしりに圧倒される主題だけでなくさらに情熱をかきたてる変奏技術の見事さにより、一度聴いたら忘れられない曲に仕上がっている。

合奏協奏曲集 作品6
1番
3.0点
どの楽章もがっちりとした構築感があり、例えばヴィヴァルディのようにさらっと短時間で書いた趣はない。音の響きや音使いのバロックらしい美しさが基調なのだが、そのうえで楽章の連結の考慮や高度な計算されたバランスを構築している。ただ、正統派の曲であるが、その分固苦しくて面白くない気がした。あまり心が踊らない。

2番
3.3点
1番よりもダイナミックで楽しい。特に最後の楽章の手際の良い切れ味もある締めくくりの音楽はなかなかの出来栄えだと思う。音楽の密度が濃い。

3番
3.3点
短調であり、激情の表出がある。中間でエレジーのような悲しみの詠唱から、堰を切ったように激情の曲になる箇所がとくに極端である。とはいえ、情に流されすぎず場面を手際よく作っていく音楽という印象である。

4番
3.3点
ザクザクとした鋭い切れ味と豊穣さを両立した1楽章は見事。他の楽章もそれなりに良い。最後の楽章が見事に気持ちよく締めくくる感じが爽快で気持ち良い。

5番
3.0点
変ロ長調らしい柔らかさがある。伸びやかな解放へ向かう感じもある。一方で音楽の密度が濃すぎる堅苦しさもデメリットとしてより気になる気がする。

6番
3.3点
前半は性急さや詰め込みすぎがなくて、田園的な楽天的気分でゆったりした所があるのが心地よい。2楽章の旋律美も心の琴線に触れるものがあって良い。とはいえ緊密に書かれているのと、最後の楽章では短調で緊張感を高めていくため、最後まで続くわけではない。

7番
3.3点
軽快かつ機敏でありきたりでない音楽になっている。ソロの使い方の面白さが耳をつく。最後の終わり方も面白い。ふわっとした機知とでも呼びたい面白い仕掛けの工夫の楽しみが多くて楽しい曲。構成もひねりが効いている。

8番
3.5点
コレッリ合奏協奏曲の中で有名であるとともに規模が大きい。この時代からクリスマスの音楽の雰囲気が現代に似ているのに驚く。多くの楽章が様々な表情を見せながら、聖なる夜の音楽を演出してくれるのに浸れる。その曲調の分かりやすさと統一感が、他の曲よりもおすすめしやすい点といえるだろう。

9番
3.0点
手際の良いところが気持ちいいし、諧謔的な軽い面白さも良い。しかし、心を強く捉えるほどの曲ではないと思う。

10番
3.0点
様々な曲がある正統派の曲。しかし、旋律の魅力が全般に乏しい。悪く言えば、ただ音が鳴っているだけに聴こえる場面が多い。

11番
3.0点
小ぶりな曲。全体的に終焉の雰囲気が流れており曲想に統一がある。分かりやすい一方で一本調子にも聴こえる。聴き終わった後にあまり満足感を多く残してくれない。

12番
3.3点
平均的な楽章が続く曲に思える。コレッリらしい音使いの美しさと緊密さは楽しめるが、この曲ならではのものはないと思う。しかし、やはり改めて冷静に聴くとおとぎ話の世界のようでもあり、バロック音楽屈指の美しい音世界のようにも思える。

ジュゼッペ・トレッリ(またはトレルリ)(Giuseppe Torelli, 1658 - 1709)
合奏協奏曲作品8
2点
それなりのクオリティではあるが合奏協奏曲の一流作品と比較すると底が浅くて面白くない。


アレッサンドロ・スカルラッティ(Alessandro Scarlatti, 1660 - 1725)
聖セシリアのミサ曲 St Cecilia Mass(1721年)
4点
非常にすばらしい。合唱とオーケストラによる編成のミサ曲の最初期の作品だが、すでに驚くべき完成度と精神的・音楽的な高みに達している。

トマゾ・アルビノーニ(Tomaso Giovanni Albinoni, 1671 - 1751)
ドメニコ・スカルラッティ(Domenico Scarlatti, 1685 - 1757)
大量のソナタで有名。ソナタは南国らしいシンプルな快活さで、ハープシコードらしい魅力を楽しめる。ただしシンプルすぎて同じような曲が多いため、スコット・ロスの全曲録音を聴きとおすことは一生ないだろうとも思う。

アントニオ・ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi, 1678 - 1741)
大バッハも大いに研究したイタリア・バロックの大作曲家。他の同時代のイタリア作曲家と比較すると、輝かしくも複雑で陰影を秘めており、曲の放つ魅力は断然優れている。メロディーセンスもある。

ヴァイオリン協奏曲
作品3 12曲の合奏協奏曲集『調和の霊感』
第1曲
3.0点
素朴でオーソドックスな中に瑞々しい感受性が感じられて素敵。特に2楽章はロマン派の音楽のように感情的である。

第2曲
2.5点
短調で劇的な雰囲気を一応楽しめるが、あまり面白い曲と思わなかった。

第3曲
2.8点
長調と短調を混ぜた構成で工夫は感じるが、曲の良さにはいまいち繋がっていないと思う。

第4曲
3.5点
短調の曲。バロック的な感情的でなくシンプルな短調の響きの美しさをおおいに発揮している。活気があり、バランスが良いため楽しめる。

第5曲
3.5点
1楽章の単純明解な楽しさと、2楽章の大変美しい叙情性の対比が聞き物。3楽章も悪くない。

第6曲
3.3点
短調の魅力を発揮しているが、単純さの中に神がかり的なものを見せるヴィヴァルディの天才が今ひとつきれいに発揮されていない気がする。中間楽章の叙情性は美しい。

第7曲
3.5点
5つの楽章からなり、それぞれ大きく異なる雰囲気のため、バラエティと起伏に富む感じが楽しい。それぞれは素朴ながらも全体として豊かな音楽という印象が強い。

第8曲
3.5点
2楽章が魅力的。同じフレーズの繰り返しが産む美と憂愁の世界が素晴らしい。1楽章や3楽章も短調の美と躍動感を両立して素晴らしい。

第9曲
2.8点
全部の楽章において、雰囲気は悪くないのだが単純すぎて情報量が少なく、物足りなさが残る。

第10曲
3.3点
2楽章は単調だがなぜか楽しめる。3楽章は分厚い音の積み重ねが聴いていて楽しいし、変化もあって楽しめる。

第11曲
3.0点
3楽章のフーガはもの珍しい気分で聴ける。フーガでもヴィヴァルディは華やかなである。4楽章は訴えかけるようなソロが楽しい。

第12曲
3.3点
伸びやかな雰囲気が印象的。後年の協奏曲に通じるものをそれとなく感じる。密度は平均より高いが、もう一つ突き抜けないものがある。

作品8 12曲の協奏曲集『和声と創意への試み』(『四季』を含む)
1曲目「春」
5.0点
一楽章は大変有名な曲だが、やはり主題が大変に魅力的で素晴らしい。中間の嵐を描写した部分もよい対比になっている。3楽章の伸びやかな主題も魅力的。

2曲目「夏」
3.5点
3楽章の嵐の描写が楽しい。1、2楽章は描写的で楽しいものの、ノリが良くない。

3曲目「秋」
3.5点
3楽章のウキウキする感じが楽しい。1楽章も夏の後に続けて聴くとノリと普通のメロディーの曲に戻って楽しい気分になる。

4曲目「冬」
4.0点
2楽章の有名な雪景色のような甘く美しい旋律が素敵。1楽章はノリノリで楽しい。3楽章のレティタティーボのようなフレーズから始まる美しい短調のソロも楽しい。

その他
ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 『ピゼンデル氏のために』 RV.242

フルート協奏曲
作品10の6曲のフルート協奏曲集は史上初のフルートのための協奏曲とのことである。6作中5作は旧作の転用である。

第1番 ヘ長調『海の嵐』 RV.433
2.5点
音階を多用し活発な印象。これが海の嵐を表しているのだろうか。かなりのスピードで演奏が大変そう。

第2番 ト短調『夜』 RV.439
3.3点
6つの楽章がある特殊な楽章構成。3つのラルゴ楽章の夜の雰囲気が素敵。それに挟まっている快速の楽章も効果的。短調が美しい。

第3番 ニ長調『ごしきひわ』 RV.428
3.5点
1楽章や3楽章の活発で伸びやかな中に懐の深さを感じさせる曲や、2楽章の清新で美しく柔らかい曲など、ヴィヴァルディの協奏曲の魅力に溢れている曲。1楽章の鳥の鳴き声の模倣も楽しい。

第4番 ト長調 RV.435
2.8点
活発なヴィヴァルディらしいコンパクトな曲。しかし、ありきたりすぎる。

第5番 ヘ長調 RV.434
3.0点
優美で柔らかく穏やかな曲調。特に2楽章は珍しくドイツ系のよう堅いが哀愁漂う美しさ。どの楽章もフルートのもつ美しさを堪能出来る。

第6番 ト長調 RV.437
3.0点
1楽章のオクターブをトビハネルユニゾンのダイナミックな主題の魅力はなかなか。3楽章の大活躍するフルートがまたダイナミックで楽しい。

フランチェスコ・ジェミニアーニ(Francesco Geminiani, 1687 - 1762)
ジュゼッペ・タルティーニ(Giuseppe Tartini, 1692 - 1770)
ヴァイオリンソナタ 悪魔のトリル
3.5点
バロックらしい弦楽器がずっと出ずっぱりで弾きまくる楽しさ、技術的な難易度の高さゆえの複雑さ、デモーニッシュな音楽的刺激で楽しめる曲。バロック音楽におけるヴァイオリン曲の魅力があるが、もっと後の時代の音楽のような内容の豊富さと強烈さがある。

ピエトロ・ロカテッリ(Pietro Antonio Locatelli, 1695 - 1764)
典型的イタリアバロックの作曲家。音楽性はヴィヴァルディとコレッリを足して3で割った感じ。書いたのは快活で爽やかあり耳障りがよいが単純な曲である。ヴァイオリンはテクニカルなようだ。

ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(Giovanni Battista Pergolesi, 1710 - 1736)
古典派様式の初期の様式を示した天才作曲家。夭折が惜しまれる。

スターバト・マーテル

ルイジ・ボッケリーニ(Luigi Rodolfo Boccherini、1743 - 1805)
ハイドンのライバルの一人。有名なメヌエットに限らずなかなか高いクオリティの曲を書く良い作曲家であり、古典派の魅力を楽しめる。

交響曲ニ短調Op.12-4 G.506『悪魔の家』

交響曲ハ短調Op.41 G.519(1788/1797出版)
3.0点
古典派の短調の交響曲として、どの楽章もなかなか完成度が高く内容的にも充実している。ハイドンやモーツァルトを聴いた後に次に手を出すにはよいと思う。

チェロ協奏曲第9番変ロ長調G.482
2.5点
チェロの技巧的な難易度が高そうでチェリストの意欲をそそるのかもしれない。しかしながら観賞用の曲としてはいい曲とまではいかない。

弦楽五重奏曲ホ長調Op.11-5 G.275[4楽章](第3楽章は『ボッケリーニのメヌエット』として有名)

3つの弦楽五重奏曲Op.39 G.337〜339(1787)[2vn,va,vc,cb]
3.5点
コントラバスが入っているとオーケストラのような重厚感が出る。音楽的にもなかなかの充実感で楽しく聴き終えて満足できる。

弦楽五重奏曲集 作品27
3.0点
すごい特徴や素晴らしさがあるというわけではないが、安心のハイクオリティである。

フルートとハープのためのソナタ集 作品5
3.0点
編成のせいでホテルのロビーにかかっているような音楽になっているが、割とちゃんと書かれているように聞こえるので楽しい。決してただの機会音楽ではないように感じる。


マウロ・ジュリアーニ(Mauro Giuseppe Sergio Pantaleo Giuliani, 1781 – 1829)
ギター協奏曲1番
3.0点
ジュリアーニの協奏曲は1番が有名だそうだが、1聴した限りでは3番が好み。1番はギター協奏曲としての良さは十分だが、割とノーマルな音楽に感じた。

ギター協奏曲2番
2.5点
いい曲認定は出来ないが、古典派音楽のギター協奏曲というだけでも素敵で、ギターが好きな人は聴く価値がある。

ギター協奏曲3番
4.0点
この曲は好み。かなり良い。ギターの美しさに満ちており、古典派音楽の良い部分とうまく結合している。3つの楽章すべてがよい。穏やかで愛らしく気品がある。


ジョアキーノ・ロッシーニ(Gioachino Antonio Rossini, 1792 - 1868)
ジュゼッペ・ヴェルディ(Giuseppe Fortunino Francesco Verdi、1813 - 1901)
19世紀イタリアオペラを代表する大作曲家。重厚な中にドラマを音で見事に形作り、観る者を引き込む力は天下一品。

ジャコモ・プッチーニ(Giacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria Puccini, 1858 - 1924)
甘く流麗なメロディーが魅力の20世紀を代表するオペラ作曲家。
蝶々婦人以外は断片しか知らないのだが、蝶々婦人の1幕最後の二重唱に関しては甘く切なくとろけそうな時間が延々と続いて最高に楽しくて大好きである。

ジュゼッペ・マルトゥッチ(Giuseppe Martucci 1856 – 1909)
イタリアといえばオペラであるが、この人は珍しい器楽曲中心の人。イタリアらしい魅力はちゃんとある。交響曲はかなりの魅力作である。

交響曲 第1番 ニ短調 作品75

交響曲 第2番 ヘ長調 作品81

ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 作品番号なし

ピアノ協奏曲 第2番 変ロ短調 作品66

ピアノ五重奏曲 ハ長調 作品45

ピアノ三重奏曲 第1番 ハ長調 作品59

ピアノ三重奏曲 第2番 変ホ長調 作品62

ヴァイオリン・ソナタ 作品22

チェロ・ソナタ 嬰ヘ短調 作品52


ピエトロ・マスカーニ(Pietro Mascagni, 1863 - 1945)
カヴァレリア・ルスティカーナ 間奏曲
5.0点
イタリア美しい自然と、その中に息づく人間達の悲喜を見事に描く、珠玉のように美しい名曲である。

フェルッチョ・ブゾーニ(Ferruccio Busoni, 1866 - 1924)
ピアノ協奏曲(1904年)
1.5点
一番長く合唱付きのピアノ協奏曲ということでマニアの中では存在は有名な曲。しかし、内容的はあまりみるべきものはない。合唱も効果的とはいえない。

対位法的幻想曲(1910年)
3.0点
長い曲。フーガの技法を活用した部分はなかなかよかった。

バッハの無伴奏ヴァイルリンのためのパルティータ第2番ニ短調からシャコンヌのピアノ編曲
2.5点
大仰であり、あまり好きな編曲ではない。

オットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi, 1879 – 1936)
ローマの噴水 Fontane di Roma (1915 – 16年)

ローマの松 Pini di Roma (1923 – 24年)

ローマの祭り Feste Romane (1928年)

ピアノ協奏曲
2.5点
まるでグリーグの協奏曲のように、やたらとロマンティックな曲である。オケが薄い気がするし、音楽のつくりの線が細くて断片の集合のように聞こえる。おおっと思う部分もあるが、全体的にはいまいち。

ヴァイオリンソナタ
3.3点
ブラームスの重厚で濃厚な雰囲気と、リヒャルト・シュトラウスの爛熟感をベースに、もう少し近代的な音感覚で書いた作品というイメージ。巨匠的な名作感とか、完成度に驚くようなものはないのだが、曲の存在感があるため記憶には残る作品になっている。曲の幻想的で儚い憧れを秘めた濃密な感情に強く揺さぶられる楽しみがある。

イルデブランド・ピツェッティ(Ildebrando Pizzetti, 1880 - 1968)
夏の協奏曲
2.0点
イタリアらしい活気あふれた音楽。夏らしいとは言えるが、日本のような猛暑という感じではない。ロマン派的で聴きやすいが、映画音楽のように軽く、部分は悪くないのだが、聴き終えてみると魅力が残らない。

ジャン・フランチェスコ・マリピエロ(Gian Francesco Malipiero, 1882 - 1973)
交響曲は近代らしく様々な曲があり、かなり面白い。マイナー交響曲の作曲家の中では屈指の大作曲家である。

交響曲
第1番「四季のような四つのテンポで」(1933年)
2.8点
強烈な色彩のコントラストがとにかく面白い曲。しかし、1枚もしくは4枚の抽象画のようであり、時間という音楽の強力な要素を使ったストーリーがない。軽く聴くだけだと楽章ごとの色合いも単調であり差異が分かりにくい。音の面白さだけで終わった曲と感じた。

第2番「悲歌」(1936年)
3.0点
1番と同様に色彩的な多彩さの面白さがメインの曲であるが、ダイナミックなロマン性も持っておりだいぶ聴き応えが増えている。抽象的な世界ではあるが、音が踊って跳ねたり、心に訴えかけたりもするようになった。ドビュッシーやラヴェルを近代化したような印象はやはり受けるが、作曲者の個性が発露して、交響曲と呼べるだけの充実感を一応備えている。

第3番「鐘」(1944年)
3.0点
より夢幻的な世界になった。また、バレエ音楽のように音の活気のある音楽になった。場面展開にメリハリがあり、ダイナミックに聴き手を翻弄するようになった。交響曲という感じはあまりしないかもしれない。

第4番「イン・メモリアム」(1946年)
3.0点
様々な身体を動かさせる音の動きのバレエっぽさと、音の鳴り方が簡素になって簡単に割り切れるようになったことから、ストラヴィンスキーに似てきており新古典主義に近付いているように聴こえる。難しいことを考えなくても耳を楽しませてくれる音楽ではあるが、後に残るものはあまりない。とりとめのないような場面展開もバレエ音楽か組曲のようで、精神性に乏しく構築感も少なくて交響曲という感じはしない。最後は精神性な盛り上がりを少し作るが。

第5番「エコーによるコンチェルタント」(1947年)
3.0点
ピアノ協奏曲の要素のある曲。バレエ音楽風なのは変わらず。野性的な趣もある新鮮味のある強烈さが面白い。ピアノの使い方が効果音的であり、そこそこ活躍するもののあまり前面には出ていない。しかし、ピアノの刺激がマリピエロの音楽の面白さをより明確にしてくれている。

第6番「弦楽のための」(1948年)
2.8点
弦楽合奏のための交響曲。しかし、単に色彩感がない残念さが際立ってしまったように思う。それを代替する良いところが自分には見つからなかった。やや単調なようにも思う。

第7番「カンツォーネ風」(1948年)
3.3点
他と同様の多彩な面白さと色彩感の強いバレエ音楽のような曲。変化し続ける雰囲気の面白さに熟練の磨きがかかっている気がする。中世的な神秘性が時折顔を覗かせる効果もはっとさせられる度合いが強くなっているかも。

第8番「小交響曲」(1964年)
3.0
月日が経過し調性感が薄くて浮遊感があり、不安やモヤモヤをそのまま音楽にしたような曲になった。7番までの交響曲が基本線は同じであることを思うと、ここで急に全くの別世界の音楽になって驚く。ショスタコーヴィチの交響曲に登場する不安を表現する音楽にかなり違いが、あれほど根暗ではなく、もう少し色彩感は付与されている。独特だが、これはこれで楽しめる。しかし、心を強くえぐるような感じではない。

第9番「ため息」(1966年)

第10番「アトロポ」(1966-1967年)

第11番「バグパイプ」(1969年)

協奏曲・協奏的作品
ヴァイオリン協奏曲 第1番(1932年)

ヴァイオリン協奏曲 第2番

フルート協奏曲

チェロ協奏曲

ピアノ協奏曲 6曲

室内楽
弦楽四重奏曲


アルフレード・カゼッラ(Alfredo Casella, 1883 - 1947)
ピアノ、ティンパニ、パーカッションと弦楽のための協奏曲
2.5点
面白い編成を生かして、バランスが良くて効果的なパンチの聴いた音楽になっている。


マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ(Mario Castelnuovo-Tedesco, 1895 - 1968)
ギター協奏曲1番
1.5点
ギター協奏曲の中では有名な部類だそうだが、全体を通していい曲とは思えなかった。

ニーノ・ロータ(Nino Rota、1911 - 1979)
映画音楽の作曲家として著名の人だが、本人はクラシック音楽が本業と思っていたようだ。しかしながら、残念ながら映画音楽ほどの魅力はクラシック音楽からは感じられないと思う。

交響曲第1番ト長調(1935年 - 1939年)
2.5点
最後の楽章が本格的。クラシック専門の大物作曲家と比較すると、交響曲としてはアマチュア感があり平凡。とはいえ所々楽しめるところはある。

交響曲2番
3.0点
ニーノロータの交響曲の中で一番気に入った。描写力がすごいので楽しめる。一番映画音楽っぽく感じる。結局、それが音楽性を生き生きとさせていると感じられた点なのだろう。

交響曲3番
2.5点
映画音楽の描写力と絶対的な音楽の形式や精神の融合がうまくいっている。初期と比べると実力が上がっているのが分かる。

弦楽のための協奏曲(1964年 - 1965年)
2.5点
遅い曲がしなやかが柔らかい。緩急のつけ方、早い曲の心情的な切迫感もニーノ・ロータらしさが出ている。最後の楽章が頑張っている。

フルート、ヴァイオリンとピアノのためのトリオ
1.5点
あまりたいした曲ではなかった。

イルデブランド・ピツェッティ(Ildebrando Pizzetti, 1880 - 1968)


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/628.html#c1

[近代史7] フランスの作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14711] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:33:20 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[30]
フランス(1889年まで) - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%281889%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29

フランス。ベルギー、スイスもここに含む。

ギヨーム・ド・マショー(Guillaume de Machaut, 1300年頃 - 1377)
ノートルダム・ミサの作曲者として有名。

ノートルダム・ミサ曲
3.0点
史上初めての通作ミサ。この時代の音楽の初心者である自分が聞いても、14世紀という大変古い音楽にしては素直にいい曲と思えた。

ギヨーム・デュファイ(Guillaume Dufay 1400年頃 - 1474)
中世からルネサンスへの転換を図った音楽史上における非常に偉大な作曲家。曲はシンプルで聞きやすく分かりやすく、初めて聴いてすぐに気に入ったほどである。

ヨハネス・オケゲム(Johannes Ockeghem, 1410年頃 - 1497)
デュファイの次世代の超大物。デュファイの音楽を発展させたかのような新しさを響きから感じる。デュファイ同様に分かりやすくてすぐに気に入った。

ジョスカン・デ・プレ(Josquin Des Prez 1440年? - 1521)
当時のあらゆる音楽の技法を総合した音楽を創作した当時の音楽の父の存在であり、西洋音楽史上の最大の天才の一人。曲はオケゲムと比較して随分と複雑である。もっと後の時代の作品のように感じる。

「ミゼレレ・メイ・デウス」 "Miserere mei Deus"
4.0点
あまりに悲しくも美しい音楽に心を奪われて、最後まで聞きほれてしまった。ジョスカンの天才ぶりを痛感。

ミサ「フェラーラ公エルコレ」Missa Hercules dux Ferrariae
3.5点
パンジェリンガのような晩年の曲と比較するとシンプルで人間的な響きと感じられて分かりやすい。

ミサ「パンジェリンガ」Missa Pange lingua
3.5点
最晩年の高い完成度で代表作とされているミサ曲。超然としていて複雑で感情的な共感は難しいものの、理屈抜きで究極的にバランスが取れていて美しいと感じる。

オルランド・ディ・ラッソ(Orlando di Lasso:イタリア語形)、1532 - 1594)(オルランドゥス・ラッススとも)
宗教曲や通俗曲を何曲か聴いてみた。曲によってはビクトリアのような輝かしさを秘めた美しさがあったが、ノーマルで典型的なルネサンス的な曲も多かった。

ジャン=バティスト・リュリ(Jean-Baptiste [de] Lully, 1632 - 1687)
リュリの音楽を知った時は驚いた。華やかさと発想力の強さ、もう一度聴きたいと思わせる魅力。ルイ14世の治世で権勢を振るっただけのことはあると思った。

美術 (Les Arts) (1663年)
特に代表作というわけではなさそうだが聴いてみたバレ。オーケストラ:歌唱が2:1くらいだろうか。オケは躍動感を感じる付点リズムが非常に目立つが、歌唱のときでは必ずしもそうではなく、非常に繊細な音楽になる。ストーリーが分からなくても音楽だけで楽しめるのはシンプルなようで内容が充実しているのだろう。とはいえ長いので一気に聴いたら後半になるとさすがに飽きてきた。

マルク=アントワーヌ・シャルパンティエ(Marc-Antoine Charpentier, 1643 - 1704)
すごく好き。発想力とセンスと音感の良さがすごい。現代になって重要性が再認識されたそうだ。自分は17世紀を代表する大作曲家の一人と思っている。

降誕祭前夜のミサ曲(真夜中のミサ曲)Messe de Minuit pour Noël (H. 9, c. 1690)
4点
とてもいい曲。どの曲も美しくて華があり辛気臭さが少ない。

テ・デウム ニ長調Te Deum (H. 146, c. 1690)
4点
なんという華やかさだろう。本当に明るく楽しくウキウキした気分になる。

マラン・マレー(マレ、Marin Marais、1656 - 1728)
アンドレ・カンプラ(André Campra, 1660 - 1744)
ジャン・ジル(Jean Gilles, 1668 - 1705)
レクイエムが有名。バロック時代のレクイエムとして文句なしに素晴らしい。

レクイエム
4.5点
この曲は素晴らしい。非常に秀逸なレクイエムである。葬祭的な感情、個人を悼み、安らかな眠りを願い、過去を思い返し、全てが終わった事の清算をし、人の世の儚さを思い巡らせる音楽。激烈な悲しみは表に出てこないが、死者を弔う音楽としての現実を見事に音楽化していて、非常に感動的である。バロックのさっぱりした音楽の良さが生きている。

フランソワ・クープラン(François Couperin, 1668 - 1733)
鍵盤楽器の作曲家として有名。

ジャン=フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau, 1683 - 1764)
エティエンヌ・メユール(Etienne Henri Méhul / Etienne Nicolas Méhul, 1763 - 1817)
フランソワ=ジョセフ・ゴセック(François-Joseph Gossec,1734 - 1829)
ガボット
4.0点
CMなどでよく使われており誰でも聞いたことがある曲。軽快で楽しい。

アンドレ・ジョルジュ・オンスロウ (Andre George Louis Onslow 1784 - 1853)
ルイーズ・ファランク(Louise Farrenc, 1804 - 1875)
シャルル・グノー(Charles François Gounod,1818 - 1893)
交響曲
交響曲第1番 ニ長調(1854)
2点
オペラ作曲家らしいはつらつとした快活さが印象的。しかし、あまりに古典的すぎるし、かといってハイドンのような霊感に満ちている感はなく、聴いていて心地よいのだが物足りない。

交響曲第2番 変ホ長調(1856)
3.5点
1番の2年後の作品で、音楽的には似ているのだが、モーツァルトのようなシンプルな中にロマン的な情緒を篭める技術を体得したのか、はるかに深みがありいい音楽になっている。

小交響曲 変ホ長調(1888)

シャルル・ヴァランタン・アルカン (Charles Valentin Alkan ,1813 - 1888)
ショパンやリストやシューマンといったピアノ音楽の大天才と同時代のフランス代表のピアノ音楽作曲家。肥大化した超難曲を沢山書いていて、技工派ピアニストに好かれている。総合的にはショパン達には一歩劣るものの、スケールの大きさや雰囲気の構築力や独特のピアノの器を限界まで引き出すような作品を作った、十分大きな価値のある作曲家。

Op.27b エチュード「鉄道」
3.5点
ガンガン突き進む高速の金属的な無機的なフレーズのたたみかけは、よく表題を表している。超絶技巧の圧倒は聴き映えがする。手が疲れそう。後半には大きなうねりもみせるのも楽しい。アイデアが楽しい曲。

Op.33 グランドソナタ
3.5点
かなり大規模なピアノソナタ。まずは大規模さそれ自体を楽しめる曲としては、ばっちりだと思う。技工的な部分だけでなく、広大さを基調とした幅広い曲調で音楽を構成されている。多くを詰め込んだ、芸術性の高い本格的な曲を書こうとしたであろう本人の高い志を感じる。それはある程度成功していて、例えばシューマンのソナタならライバルとも言えそうなほどである。トップレベルとは言わないまでも、ロマン派の大規模ピアノ曲の重要作品の一つとは言えそうだ。巨匠的な響きに到達している。後の短調のための練習曲と比較すると、作曲技術にまだ若さやこなれていない印象はすこしあるが、芸術的な真摯さでは上回っている気がする。ちなみに、いきなりスケルツォで始まるのが驚く。

Op.35 全ての長調による12の練習曲

Op.39 全ての短調による12の練習曲
第1番 イ短調 あたかも風のように(Comme le vent)プレスティッシマメンテ
3.3点
超絶技巧のたたみかける感じ。ショパンの作品10−4のような焦燥感も演出する。かなり密度が濃く、多くのアイデアが詰め込まれた密度の濃い曲。敷き詰められたものすごい音の多さにびっくりする。

第2番 ニ短調 モロッソのリズムで(En rythme molossique)リゾルート

第3番 ト短調 悪魔のスケルツォ(Scherzo-diabolico)プレスティッシモ
3.8点
この曲は巨匠的な発想の良さを感じる。部分同士の対比が非常に効果的で、陳腐さが無い。リストのスケルツォとマーチを思い起こすゴリゴリとして少し悪魔的で情熱的なスケルツォも、分厚い重音の長調の部分も良い曲。

第4番 ハ短調 ピアノ独奏による交響曲(Symphonie pour piano seul)第1楽章 アレグロ・モデラート
第5番 ヘ短調 ピアノ独奏による交響曲 第2楽章 アンダンティーノ
第6番 変ロ短調 ピアノ独奏による交響曲 第3楽章 メヌエットのテンポで
第7番 変ホ短調 ピアノ独奏による交響曲 第4楽章 プレスト
3.3点
ピアノ独奏による交響曲4楽章をまとめて感想を書く。オケ曲の編曲にありがちな非ピア二スティックな音楽ではなく、ばっちりピアノ曲である。しかし、メロディーやパッセージには管弦楽曲のような印象を多くの場面で持つ。だから、交響曲という命名にはあまり違和感はない。シューマンの交響曲のような、19世紀半ばらしい音楽である。なかなかの力作であり、交響曲という発想ならではの強弱や陰陽の幅が大きくて、展開の豊富な音楽を楽しめるし、感心する。しかし、メロディーなどの純粋な楽曲としての魅力の点では、印象に強く残るほどではないとも思う。

第8番 嬰ト短調 ピアノ独奏による協奏曲(Concerto pour piano seul)第1楽章 アレグロ・アッサイ
3.5点
リストのソナタ同様の30分ぶっ通し1本勝負の曲。これがなかなか素晴らしい。テーマは分かりやすくて良く、テーマを活用した技巧的な様々な雰囲気の移り変わりや興奮と鎮静の展開が楽しいので、長い曲を全然飽きずに聴き通す事ができる。むしろあっという間の30分という感じ。
リストのソナタの全てを注ぎ込んだような迫力には及ばないにしても、エンターテイメント作品として出来が良くて素晴らしいし、芸術性も決して低く無い。ピアノ曲マニアは要チェック。

第9番 嬰ハ短調 ピアノ独奏による協奏曲 第2楽章 アダージョ
3.0点
瞑想的で夜想曲に近い部分や、暗い行進曲的雰囲気などを組み合わせている。わりと良いメロディーを使って、大人っぽい雰囲気を出している。また、曲の規模の大きさを有効活用して構成的に書かれており、聞き応えのある音楽を作り上げており、なかなか良い。

第10番 嬰ヘ短調 ピアノ独奏による協奏曲 第3楽章 蛮族風のアレグレット
3.0点
典型的な19世紀の協奏曲の終楽章という感じの、技巧を派手に見せつけるが内容が軽い音楽。華麗ではあり、3つの楽章の中でもっとも協奏曲らしい曲だ。テクニックを楽しむ曲であり、面白い曲という感じではない。

第11番 ロ短調 序曲(Ouverture)マエストーゾ―レンテメンテ―アレグロ

第12番 ホ短調 イソップの饗宴(Le festin d'Ésope)アレグレット
3.8点
変奏曲としてかなり優れている部類だろう。短いが優れたテーマを使って非常に豊かな展開を見せており、その展開の幅広さや高低差は屈指のものがある。超絶技巧も効果的に必要な場面で使われて聴き手の期待を満たしている。変奏の繋げ方も良い。芸術性は十分に高い。

アンリ・ヴュータン(Henri François Joseph Vieuxtemps, 1820 - 1881)
ヴァイオリン協奏曲第4番ニ短調 op.31 (1850年頃)

ヴァイオリン協奏曲第5番イ短調「ル・グレトリ」 op.37 (1858年)

エドゥアール・ラロ(Victor Antoine Édouard Lalo, 1823 - 1892)
管弦楽作品
交響曲 ト短調

協奏的作品(独奏と管弦楽のための作品)
ヴァイオリン協奏曲第1番 ヘ長調 作品20

『スペイン交響曲』 ニ短調 作品21(ヴァイオリン協奏曲第2番)
3.5点
独奏ヴァイオリンがずっと大活躍であり、協奏曲の一種であまり交響曲に近くないと思うが、技巧的要素を強調していないしカデンツァも無い所が普通の協奏曲と違う。しなやかで情感豊かなヴァイオリンの歌わせ方と随所に現れるスペインの民族的な旋律が魅力的。長い曲でないが5楽章もあり、1つの楽章が短くて聴きやすい。最終楽章が楽しい。

『ロシア協奏曲』 ト短調 作品29(ヴァイオリン協奏曲)

『ノルウェー幻想曲』 イ長調(ヴァイオリン協奏曲)

チェロ協奏曲 ニ短調

ピアノ協奏曲 ヘ短調

ジョルジュ・ビゼー(Georges Bizet, 1838 - 1875)
管弦楽曲
交響曲ハ長調(1855年)


ヴァンサン・ダンディ(Paul Marie Théodore Vincent d'Indy, 1851 – 1931)
フランスの山人の歌による交響曲(1886)
4.5点
この曲は個人的にかなり好きだ。親しみやすく、優雅では華やかで、フランスらしい詩情や洗練された上品さを高度に備えている。ピアノは協奏曲に近い程に大活躍するが、オーケストラと対地されておらず、一緒に盛り上げるパーツとして活用されている。至福の時を過ごせる曲であり、フランスの19世紀の管弦楽としてかなりの傑作であると思う。

ハンス・フーバー(Hans Huber、1852 - 1921)
エルネスト・ショーソン(ショソン、Ernest Chausson, 1855 - 1899)
交響曲 変ロ長調 (作品20)

詩曲 (作品25) ヴァイオリンと管弦楽

ピアノ三重奏曲
3.5点
初期の作品。情緒的な濃厚さがなんとも言えない精妙な奥ゆかしい味付けで響いている。奥ゆかしさは、裏を返せばはっきりしないもどかしさも感じるものだ。20世紀の洒脱なフランス音楽や、19世紀ドイツの構築的な世界も違う、19世紀フランスの濃厚さを室内楽で体現した名作。

ジョゼフ=ギィ・ロパルツ(Joseph-Guy Ropartz, 1864 - 1955)
交響曲
交響曲第1番イ短調(1894)

交響曲第2番ヘ短調(1900)

交響曲第3番(1905)

交響曲第4番(1910)

交響曲第5番(1944-45)

アルベリク・マニャール(Lucien Denis Gabriel Albéric Magnard, 1865 - 1914)
精妙な和声を駆使したよい雰囲気がありながら、古典的な規模の作品を書いている。

交響曲第1番 Op.4

交響曲第2番  Op.6

交響曲第3番 Op.11

交響曲第4番 Op.21

ヴァイオリン・ソナタ  Op.13

弦楽四重奏曲 Op.16

ピアノと弦楽のための三重奏曲 Op.18

チェロ・ソナタ Op.20

エリック・サティ(Erik Alfred Leslie Satie、1866 - 1925)
いま聴いても新鮮な独自世界を築いた人。浮遊感とか浮世離れした神秘性など、21世紀っぽい感性を持っていると思う。

3つのジムノペディ - 1888年

グノシエンヌ(6曲) - 1890年

ヴェクサシオン(嫌がらせ) - 1893-1895年

ジュ・トゥ・ヴー

シャルル・ケクラン (Charles-Louis-Eugène Koechlin、1867 - 1950)
アルベール・ルーセル(Albert Charles Paul Marie Roussel, 1869 - 1937)
音の密度が高くて評価されている作曲家だが、個人的には刺々しくて理屈っぽいような音楽が肌に合わない。聴きたくないと生理的に思ってしまう作曲家。

管弦楽曲
交響曲第1番ニ短調 Op.7「森の詩」(Le poème de la foret)(1904年 - 1906年)

交響曲第2番変ロ長調 Op.23(1919年 - 1921年)

交響曲第3番ト短調 Op.42(1929年 - 1930年)

交響曲第4番イ長調 Op.53(1934年)

管弦楽組曲ヘ長調(Suite en fa) Op.33(1926年)

シンフォニエッタ(Sinfonietta pour orchestre à cordes) Op.52(1934年)

ピアノ協奏曲ト長調 Op.36(1927年)

チェロと管弦楽のためのコンチェルティーノ(Concertino) Op.57(1936年)


室内楽曲
フルート、弦楽三重奏、ハープのためのセレナード(Sérénade) Op.30(1925年)

弦楽四重奏曲 ニ長調 Op.45(1931 - 1932年)

弦楽三重奏曲(Trio à cordes) Op.58(1937年)

フルート、ヴィオラとチェロのための三重奏曲(Trio) Op.40(1929年)

ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 Op.28(1924年)


フローラン・シュミット(Florent Schmitt, 1870 - 1958)
管弦楽曲
管弦楽曲《夜曲集 Soirs》

管弦楽曲《オリアーヌと愛の王子 Oriane et le Prince d'Amour》

管弦楽曲《イン・メモリアム In Memoriam》

ヴァイオリンと管弦楽のための《アベッセ Habeyssée》

ピアノと管弦楽のための《協奏交響曲 Symphonie concertante》

ジャニアナ交響曲 Symphonie 'Janiana'

交響曲 第2番 Symphonie No.2

交響詩《夢 Rêves》


吹奏楽曲
《酒神祭(ディオニソスの祭り) Les Dionysiaques》

器楽曲
ピアノ五重奏曲 ロ短調 Quintette pour piano et quatuor à cordes


シャルル・トゥルヌミール(Charles Tournemire, 1870 - 1939)
交響曲
交響曲第1番「ロマンティック」

交響曲第2番

交響曲第3番

交響曲第4番

交響曲第5番

交響曲第6番

交響曲第7番「命の踊り」

交響曲第8番


ルイ・ヴィクトル・ジュール・ヴィエルヌ(Louis Victor Jules Vierne, 1870 – 1937)
6つのオルガン交響曲

(名高い「ウェストミンスターの鐘」を含む)《24の幻想的小品集(24 Pièces de fantaisie)》(作品51〜55)

交響曲イ短調

ヴァイオリン・ソナタ

チェロ・ソナタ

ピアノ五重奏曲

弦楽四重奏曲


ギヨーム・ルクー(Guillaume Lekeu, 1870 - 1894)
非常に早世してしまった作曲家。室内楽はかなり評価が高い。もったいなかった。

ヴァイオリンソナタ

弦楽四重奏曲

ピアノ三重奏曲

チェロソナタ


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%281889%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/627.html#c1

[近代史7] フランスの作曲家 中川隆
2. 中川隆[-14710] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:35:00 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[31]
フランス(1890年以降) - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%281890%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29


リリ・ブーランジェ(Marie-Juliette Olga Lili Boulanger, 1893 - 1918)
20世紀の作曲家で、ここまで心に強く訴えるもののある作曲家を私は知らない。私の知る限り女性作曲家の中でももっとも優れているし、それどころか20世紀になってから活躍した作曲家の中でももっとも優れた作曲家の一人だと思う。

カンタータ<ファウストとエレーヌ>Faust et Hélène(1913年)
3.5点
前半はオーケストレーションが簡素すぎるきらいはあるものの、ゆったりとした美しい叙情に身をひたす楽しみがある。ワーグナーのようであり広大で空気感のある甘美な音楽である。後半はプッチーニのように情熱的でロマンティックを突き詰めた甘美さの音楽になる。このようにオペラ的な劇的さを30分に詰め込んだ作品であり、どちらもエンターテイメント的な楽しみを感じさせる。長く生きればフランスを代表するオペラ作曲家になれただろうと思わせる。

交響詩<哀しみの夜にD'un soir triste>(1917年〜18年)
2.8点
間奏的な曲。大きく盛り上がらず、重厚で重たい夜の雰囲気だけをずっと奏でて終わる。先を期待させるも、大きな変化や天才的な閃きを見せずに終わる。雰囲気は好きだがこれだけで10分は長い。

ヴァイオリン(またはフルート)とピアノのための<春の朝にD'un matin de printemps>(1917年〜18年)
3.0点
ドビュッシーの作品のようだ。印象派的な音の使い方の美しさが魅力の小品。4分とは思えないほど、みっちりと展開が詰まっている。巨匠的とまでは若書き感の残る作品だが、その新鮮で溌剌としたところが魅力である。

(ヴァイオリンと)ピアノのための<夜想曲 ヘ長調><行列 ホ長調>
3.5点
伴奏のピアノもヴァイオリンの旋律も非常に美しい。特別なことをしていないようであるが、小品として強く引き込まれる。色彩感と夜の雰囲気と楽器を豊かに歌わせる展開力が優れているからだろう。何度も聴きたくなってしまう。

ピアノ曲<暗い庭から>

詩篇 第24番(1916年)

詩篇 第130番(1910年〜17年)
4.0点
ブルックナーのように重厚で力強く、熱い信心の心を圧倒的な質量の音の重さでもって表現している。展開力、世界観の 圧倒性には感服するしかない。女性か男性かという次元でなく、20代前半とは到底信じられない恐るべき深さをもった楽曲である。不安げな冒頭、後半の感情の盛り上がり、はるか深い闇の中からうごめくように這い出てくる魂たち。人類の悲しみの歴史と業をも背負ったかのようだ。この次元に若くして到達したのは病弱な身体に宿った精神ゆえとしか説明がつかない。

古い仏陀の祈り
3.3点
同じ動機を繰り返すため、途中からしつこく感じてしまった。とはいえ古い仏陀の祈りという題名の表象する音世界を非常に絶妙に表現できていて、驚くべき表現力と思う。神秘的だが、東洋的な柔らかさと世界をオーラのように包み込むような感じと、何千年も昔の世界から時空を超えて伝わってくる感じがよい。

ピエ・イエズ(1918年)
3.8点
天才作曲家の24歳にして病床で口述筆記された絶筆という前提知識を持って聴くと、あまりにも天国的に美しくて、心臓が止まりそうになる。冒頭の歌が始まった瞬間に時が止まったかのようになり、この音楽の世界に入り込む。なんという美しい音楽だろうか。半音階的な伴奏の進行や絶妙な転調を繰り返して、祈りながら天の彼方へと飛び去って行く魂のような音楽を聴かせてくれる。

ジェルメーヌ・タイユフェール(Germaine Tailleferre、1892 - 1983)
ピアノ協奏曲
3.3点
ミヨー的な推進力として活力と風向明媚という表現を連想させる明るさが楽しめる佳作。内容豊富なのかよく分からないが、とにかく音が生み出すパワーで押し切るから、何も考えずに楽しいのは間違いない。そしてミヨーとかとは少し音の感覚が違うが故の新鮮さがある。何度も楽しめる深さはなさそうだが、聴いてみる価値はある曲。

弦楽四重奏曲(1917-19)

ハープ・ソナタ(1953)
3.3点
フランス的で深刻さのない軽さがあり、オシャレさと浮遊感がある音楽がハープとマッチして、一つの楽しめる音楽を作っている。凄みはないが、神秘的なハープの音の世界が一つの小宇宙となっている。個性と音楽形態がマッチして成功している曲。コンパクトで聴きやすい。

クラリネットのためのソナタ(1957)

ヴァイオリンソナタ1番
3.0点
わたしには、全体を覆っている陰鬱さとねちっこい感傷性が鼻について楽しめなかった。まだ作曲家として音が十分にこなれておらず、ドビュッシーを悪くしたような感じであるのも物足りない。とはいえ、それなりの音世界の規模と広がり深みをもった力作としての楽しみはあるかもしれない。こじんまりと小さく収まり良くまとめられた作品ではなく、野心的な作品である。

ヴァイオリンソナタ2番
3.0点
時に平凡な場面を混ぜながら即興的に進む。深刻さはないが感傷も混ざったりするし、様々な変化を気楽に聴ける。フランス6人組の中でも自分の音楽が凝り固まっておらず新鮮さを失っていない音を聴ける良さがある。


ジョルジュ・オーリック(Georges Auric, 1899 - 1983)
ルイ・デュレ(Louis Durey、1888 - 1979)
アンドレ・ジョリヴェ(André Jolivet, 1905 - 1974)
交響曲
交響曲第1番 (1953年)
3.0点
冒頭はおおっと楽しみを楽しみを感じさせる。しかし、休む間のない刺激の連続に疲れて集中力が途切れて来る。交響曲らしい構成の魅力がなくて、単に長くて多楽章の管弦楽曲というだけになっている。ジョリヴェの個性的な音楽の魅力はここでも楽しめるが、作品としてベストな次元に到達しているとは思えない。個々の場面には、なかなかのゾクゾク感を感じるため、勿体無いと思う。

交響曲第2番 (1959年)

交響曲第3番 (1964年)
2.5点
単なる無茶苦茶で無調的なカオスの音楽であるようにしか聴こえない。ジョリヴェらしい音楽ではあるとは思ったが、あまり魅力を感じず楽しめなかった。

協奏曲
ピアノ協奏曲 (1950年)
3.5点
野性味あふれるはちゃめちゃな作風が、ピアノ協奏曲によくマッチしている。自由奔放な音楽の変遷は、あまり組織的な構成感がないのだが、かといって無茶苦茶でもないような妙な納得感がある。そして予想もつかない展開に次は何が起こる?という予想の出来なさにワクワクしながら曲の最後まで聞き通せるのがよい。

ハープと室内オーケストラのための協奏曲 (1952年)

チェロ協奏曲第1番 (1962年)

チェロ協奏曲第2番 (1966年)

フルートと弦楽合奏のための協奏曲(フルート協奏曲第1番) (1949年)

フルートと打楽器のための協奏組曲(フルート協奏曲第2番) (1965年)

オンド・マルトノ協奏曲 (1947年)
3.8点
自分はものすごく面白い曲だと思う。とにかく奇想天外なソロの動きが繰り出す今まで聞いたことのない音の世界が楽しくてたまらない。野蛮さを孕む破茶滅茶なジョリヴェの音楽との相性はバッチリ。ここまで意外性に満ち溢れた曲は少ないだろう。ソロの圧倒的な表情の豊かさと魅力は、単音にもかかわらず、ほぼすべてのピアノ協奏曲のソロが負けているかもしれない。とにかく面白い曲。中間部分のフリージャズのように音を隙間なく埋めてカオスにゴリゴリと勢いで繰り出されるスリリングな音の洪水の圧倒感が最高である。その場面の印象が強いが他は静かな場面が多い。静かな場面もオンデ・マルトノの独特の表現を印象的に活用して斬新な雰囲気を演出して聞き手を没入させる。難しいことを考えなくとも、とにかく耳が離せない面白さのまま最後まで新しい音楽を聴かせてくれる。作曲者のセンスとよくマッチしている楽器だからこそ、ここまで成功したし、現れる楽想がピッタリとオーケストラと独奏の協奏ならではの創造世界としてはまっているのだろう。一聴を強くお勧めしたい。

ファゴット協奏曲
2.5点
のだめに登場した曲とのこと。コンパクトで聴きやすいが、巨匠らしさがほぼ感じられない。ありがちなフランスの管楽器協奏曲であり、いくつかのパーツをなんとなく並べて1曲を構成した以上の表現者としての意思を感じなかった。ファゴットの音と音色と表現力を楽しむには悪くはない曲であり、深刻さのない聴きやすさがある。

トランペット協奏曲第2番
3.5点
純粋なクラシック音楽にカテゴライズしてよいか微妙な音楽だと思う。ジャズや映画音楽や民族音楽やバンドミュージックなど、様々なものが混合されている斬新な音楽である。そして非常にセンスが良くておしゃれで面白い。パーカッションやサクソフォーンが独奏パートのように大活躍して、それらの絡み合いが盛り上がりを作っていく。ピアノの使い方も面白い。トランペットはその分、普通の協奏曲ほど圧倒的な主役ではなくなっているが、そのこと自体も新鮮である。

打楽器のための協奏曲
3.0点
昔から気になっていた、のだめの真澄ちゃんが演奏していた曲。 思ったほど技巧的に凄みを感じるものではなかった。しかし、管弦楽と打楽器が対等になり、場面によっては管弦楽を伴奏にする感じは、快感のようなスリリングさを味わえる。なかなかカッコ良い。各楽章ごとに独奏楽器が違うのも楽しめる点。3楽章がドラムの独奏で1番好きだが、これをポピュラーのスーパードラマーに数倍難しくして演奏してほしいと思ったりした。

アンリ・コンスタン・ガブリエル・ピエルネ(Henri Constant Gabriel Pierné, 1863 - 1937)
ウジェーヌ・ジョゼフ・ボザ(Eugène Joseph Bozza, 1905 - 1991)
ポール・ル・フレムまたはポール・ルフレム(仏: Paul Le Flem、1881 - 1984)
ジャック・イベール(Jacques François Antoine Ibert,1890 - 1962)
交響組曲『寄港地』(Escales)(1922)
3.5点
南国的な開放感や活気が楽しい。旅行気分になって聴ける楽しい娯楽作品。

海の交響曲(Symphonie marine)(1931)

交響組曲『パリ』(Paris, Suite symphonique)(1931)

フルート協奏曲(1934)

アルト・サクソフォーンと11の楽器のための室内小協奏曲(1935)

木管五重奏のための3つの小品(1930)

弦楽四重奏曲(1942)

ヴァイオリン、チェロとハープのための三重奏曲(1944)


ピエール=オクターヴ・フェルー(Pierre-Octave Ferroud, 1900 - 1936)
イ調の交響曲 Symphonie en la (1930)

アンリ・トマジ(Henri Tomasi、1901 - 1971)
アンリ・ソーゲ(Henri Sauguet, 1901 - 1989)
交響曲
山の交響曲

交響曲第1番

寓話交響曲「四季」(交響曲第2番)

交響曲第3番「I.N.R」

交響曲第4番「第3世代」


ジャン・フランセ(Jean René Désiré Françaix , 1912 - 1997)
プーランクと被るのだが、愉しい曲専門という感じである。19世紀ロマン派にはあまり居ない、むしろモーツァルトのディベルティメントに近い世界。

弦楽三重奏曲 (1933年)

木管四重奏曲 (1933年)

フルート、ハープ、弦楽器のための四重奏曲 (1934年)

サクソフォン四重奏のための「小四重奏曲」 "Petit quatour" (1935年)

ピアノ協奏曲 (1936年)

木管五重奏曲 (1948年)

無伴奏フルートのための組曲 (1962年)

弦楽合奏のための「6つの前奏曲 Six preludes 」(1963年)

2台ピアノのための協奏曲 (1965年)

フルート協奏曲 (1967年)

クラリネット協奏曲 (1968年)

3群のオーケストラのための「カッサシオン Cassazione 」(1975年)

クラリネット五重奏曲 (1977年)

ギターのためのセレナータ (1978)

フルートとクラリネット、管弦楽のための二重協奏曲 (1991年)

アコーディオン協奏曲 (1993年)

オーボエ、ファゴット、ピアノのための三重奏曲 (1994年)

モーリス・オアナ(Maurice Ohana、1913 - 1992)
オリヴィエ・メシアン(Olivier-Eugène-Prosper-Charles Messiaen、1908 - 1992)
現代の最重要作曲家の一人。独自の音世界を築いて、大きな実績を残した。でも自分は生理的すぎる彼の音感覚を身体がなかなか受け付けない。

管弦楽曲
トゥーランガリラ交響曲(1949)
2.0点
おそろしくキモい曲。生理的な感覚が生々しく露にされすぎている。ちっともいい曲とは思えなかった。

室内楽曲
世の終わりのための四重奏曲(1941)
3.5点

ピアノ曲
幼子イエスに注ぐ20の眼差し(1944)
3点

鳥のカタログ(1956-58)(全13曲)
2.5点

アンリ・デュティユー(Henri Dutilleux, 1916 - 2013)
夢の樹
3.3点
かなり現代音楽的でありながらも、流麗で華麗で聴きやすい協奏曲。夢の樹というタイトルが恐ろしく適切であり、まさに夢の世界にある世界一巨大な樹木を連想させる。ヴァイオリンはギコギコと現代音楽らしいキツい音を出しつつも聴いていて不快感がなく楽しんで派手な活躍を聴ける。これはお勧めできる。

メタボール
2.8点
現代的な音の作りで音の変容を楽しむ音楽と思われる。聴きやすく流麗な雰囲気は悪くないが、長さのわりに内容の多さを感じられず、代表作らしい凄みを感じなかった。これならば夢の樹の方がはるかにお勧めできる。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%281890%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/627.html#c2

[近代史7] ロシアの作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14709] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:37:12 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[32]
ロシア(1889年まで) - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%281889%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29

ミハイル・グリンカ(Mikhail Ivanovich Glinka、1804 - 1857)
歌劇 ルスランとリュドミラ(1842年)序曲

ツェーザリ・キュイ(César Cui, 1835 - 1918)

アレクサンドル・ボロディン(Alexander Porfir'evich Borodin, 1833 - 1887)
管弦楽曲
交響曲第1番 変ホ長調
2.5点
作曲技術は十分に成熟している感じがあり、未熟な習作という感じではない。しかしながら、どの楽章もインスピレーションに乏しくて地味。印象に残る場面がないまま型にはまった音楽が流れて、時間が過ぎていく。ボロディンの個性も感じられなかった。

交響曲第2番 ロ短調
3.8点
1楽章はとにかくイントロのエキゾチックな強烈な主題のインパクトが大。一度聴いたら忘れられない。その主題を有効活用しながらチャイコフスキーに匹敵するほどダイナミックに展開する楽しめる楽章。2楽章は佳曲だが、1楽章のようなインパクトは無い。3楽章は漆黒を感じさせる雰囲気のなかで、うねるように表情を変える情景描写が素敵。4楽章は軽く感じられて、この曲の弱点に思われた。

交響曲第3番 イ短調(未完)
3.3点
1楽章の孤独感のようにも感じられる陰りが印象的。しかし、2楽章はそのようなものはなく、活発で密度の高い曲である。2つの楽章はともにロマン派の交響曲として十分な完成度と魅力がある。したがって、未完成のまま亡くなってしまったのが残念だ。まとまりがある状態で終わっておらず、完全に中途半端であり、非常にもの足りない。

交響詩 中央アジアの草原にて
3.5点
ボロディンらしいエキゾチックな旋律を活用した佳曲。広々とした草原、草や生き物の匂い、風の吹く草原と人々をよく表現しており、本当にコーカサスに旅行したような気分になれる。

小組曲
3.5点
オリジナルはピアノ曲。クラズノフ編曲の管弦楽版で聴いた。チャイコフスキーのような愛らしさと躍動感にあふれた良作。強い印象にこそのこらないが、かなり楽しめる作品。小曲7曲。これは掘り出し物だと思った。

イゴーリ公からの組曲
3.8点
有名な韃靼人の踊りを含む3曲を組曲風にした作品。オリジナリティと強い創意を感じる説得力の強い音楽である。舞台音楽らしい華やかさを基本に据えながら、メロディーの面白さ、アジア風味の楽しさ、ダイナミックさのあるオーケストラの使い方などの要素も入れており、ボロディンの才能の豊さに感心する作品となっている。

室内楽曲
スペイン風セレナード

弦楽四重奏曲第1番 イ長調

弦楽四重奏曲第2番 ニ長調

モデスト・ムソルグスキー( Modest Petrovich Mussorgsky, 1839 - 1881)
管弦楽曲
交響詩「禿山の一夜」

ピアノ曲
組曲「展覧会の絵」
5.5点
どの曲も強靭な発想力と独特の土臭さと色彩感が両立していて大変面白い。組曲としてのまとまりやプロムナードの変奏など曲集としての全体の構成感も大変素晴らしい。捨て曲なしであり、間奏的な作品はあるものの、名作揃いである。最後のキエフの大門の圧倒的なフィナーレには感動してしまう。ロマン派のピアノ用組曲としては圧倒的な出来だと思う。ラヴェルの華麗な編曲も素晴らしいが、より土着的でグロテスクさもあるピアノ版が自分は好みである。

ニコライ・リムスキー=コルサコフ(Nikolai Andreyevich Rimsky-Korsakov, 1844 - 1908)
交響曲
交響曲第1番 Op.1(1861年-1865年/1884年) ― 第1版は変ホ短調、改訂版はホ短調
3.3点
シューマンの音楽の進め方の手際の良さや硬めの響きにロマン的香りを封じ込める点が似ていて、手本にしたのがよく分かる。しかし、ロシア的な開放感と大地の広さとスラブ的な音像はあり、オリジナリティを感じる。作曲年代をみると元は若書きだが、円熟してから改作されておりオーケストラの充実感などは壮年らしいものになっている。まだロシア音楽が完全に確立していない折衷の感じがなんとも微笑ましい。形式的すぎて深みに乏しいが、なかなか良い曲である。

交響曲第2番「アンタール」Op.9(1868年/1875年/1897年) ― 1897年版で交響組曲に改められる。
3.3点
中東的な旋律、華やかで開放感がある雰囲気など、シェヘラザードと強く類似する曲。交響曲的でなく、交響詩の連作に近い。物語性が少ないのと、旋律に強く心をとらえて離さないほどのものはないため、シェヘラザードより1.5ランク落ちるとは思う。しかし、それでも娯楽性が高くて充分に楽しめる曲になっている。

交響曲第3番 ハ長調 Op.32(1866年/1873年/1886年)
3.3点
シリアスで構築的な交響曲。がっちりとした骨格の太さが印象的だが、一方で伸びやかさには欠ける。それでもリムスキー=コルサコフらしい華があるのが良いところだが、あまり焦点が当たらない。かなりドイツ的であり、ドイツ音楽が好きな人だと感激するかもしれない。正統派ともいえる。ただし、メロディーは印象に残らない。

協奏曲
ピアノ協奏曲 嬰ハ短調 Op.30(1882年-1883年)
4点
期待せずに聞いたらかなりいい曲で驚いた。ピアノも効果的に使われている。

管弦楽曲
スペイン奇想曲 Op.34 (1887年)

交響組曲「シェヘラザード」 Op.35 (1888年)
5.0点
千夜一夜物語に基づく作品であり代表作である。華麗な管弦楽法を駆使した、まさに壮大な物語絵巻を見るような色彩感の豊かさと幻想的な華かさと物語性をもった作品であり、楽しい時間を過ごせる。何度聴いても心が躍り、少年のような気分になって冒険気分を味わえる。エキゾチック感も満載で、まだ見ぬ新世界を旅する物語を見ているかのようだ。

アントン・ルビンシテイン(Anton Grigoryevich Rubinstein, 1829 - 1894)
交響曲
第1番 ヘ長調 Op.40

第2番 ハ長調 Op.42「大洋」(1855)

第3番イ長調 Op.56

第4番 ニ短調 Op.95「劇的」

第5番ト短調 Op.107「ロシア的」(1880)

第6番 イ短調 Op.111(1886)

協奏曲
ピアノ協奏曲第1番ホ短調 Op.25(1850)

ピアノ協奏曲第2番ヘ長調 Op.35 (1851)

ピアノ協奏曲第3番ト長調 Op.45(1853 - 54)

ヴァイオリン協奏曲 ト長調 op.46(1857)

ピアノ協奏曲第4番ニ短調 Op.70 (1864)
2点
2楽章にやや美しいと思う箇所はあるが、全体的にはかなり凡庸な音楽。

ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 Op.94 (1874)

ロシア奇想曲 op.102

コンツェルトシュテュック 変イ長調 op.113(1889)

ミリイ・バラキレフ(Mily Alekseyevich Balakirev, 1837 - 1910)
管弦楽曲・協奏曲
交響曲第1番 ハ長調 (1864-66年、再開1893-97年)

交響曲第2番 ニ短調 (1900-08年)

ピアノ協奏曲第1番嬰ヘ短調 作品1 (1855/56年)

ピアノ協奏曲第2番 変ホ長調 (1861/62年, 再開1909/10年、セルゲイ・リャプノフにより完成)

ピアノ曲
ピアノソナタ第2番変ロ短調 (1900-05年)

イスラメイ(東洋風幻想曲)(1869年、改訂1902年)
4.0点
19世紀で最も難しいピアノ曲として有名。音楽的にはいまいちと言う人も多いが同意できない。楽想としても、各フレーズやパッセージの面白さはかなりのレベルであり、中間部の民族的なメロディーは素敵。ロシアのピアノ曲の中では、音楽的にもかなりの傑作だと思う。

アナトーリィ・リャードフ (Anatoly Konstantinovich Lyadov 1855 - 1914)
ピアノ曲「舟歌 嬰ヘ長調」Op. 44 (1898年)

交響詩「バーバ・ヤガー – ロシア民話に寄せる音画」Op. 56 (1905年)

交響詩「魔法にかけられた湖」Op. 62 (1909年)

交響詩「キキーモラ – 民話」Op. 63 (1909年)

管弦楽曲「アマゾン女族の踊り」Op. 65 (1910年)

交響詩「ヨハネの黙示録より」Op. 66 (1912年)

管弦楽曲「挽歌 Nénie」Op. 67 (1914年刊行)

セルゲイ・タネーエフ( Sergei Ivanovich Taneyev、1856 - 1915)
交響曲
交響曲第1番ホ短調

交響曲第2番変ロ長調:3楽章までの未完成。

交響曲第3番ニ短調
3.3点
かなり本格志向で硬い感じがする。ロシア風の場面は他の作曲家と比較してかなり少ないと思うが、少ないなかに時々顔をみせるのがむしろ愛嬌のようなものを感じさせる。響きや音使いの本格性や絶対音楽の志向は、人によってはなかなか好ましいと感じるだろう。ドイツ的だが、ドイツ臭はなく硬い絶対音楽志向だけを抜き出している。秀逸なはっとさせる霊感を楽しめる場面も時々あって、一流作曲家ほどに「音を楽しませる」「自分だけの音世界を持っている」感じの天才性やセンスはなくて、マイナー交響曲なのは当然ではあるが、案外曲に没入できて「いいなあ」と感動できる場面も多いから、聴いて損のない音楽と思う。

交響曲第4番ハ短調
4.0点
1楽章は旋律がやや陳腐なのが気になるが、ドイツ的なゴツい劇的な作りにブラームス的な渋みのあるロマンを盛り込んだ正統派。ロマン派では他にないほどの正統派感とアツい感じはかなり良い。2楽章は非常に叙情的であり、永遠の時間を音楽に浸していたくなるような美しさがある。しかし、正統派はここでも後期ロマン派ほどに構築感を崩していないため、さらに作り物としての完成度を感じさせる。とはいえ中間はもっともっと浸っていたいという気持ちをあっさり壊される感もあり、場面展開は一長一短である。最終的にはかなり長い時間をじっくりと余韻をもたせて満足とともに終わってくれる。3楽章も前の楽章からうまく気分を適切な塩梅で切り替えさせてくれている。素材の展開が素晴らしくて、この楽章もかなり良い。4楽章は力のこもった迫力のある力作であり、エルガーの1番を思い出させる1楽章の旋律の堂々たる再現も文句なしに感動的で素晴らしい。全体に素晴らしい力作であり、一流作曲家ほどのオリジナルな音世界は無いにしても、ロマン派交響曲を代表する作品の一つと言えるだろう。

アントーン・アレーンスキー(Anton Stepanovich Arensky, 1861 - 1906)
交響曲
交響曲第1番ロ短調 op.4

交響曲第2番イ長調 op.22

室内楽曲
ピアノ三重奏曲第1番ニ短調 op.32

ピアノ三重奏曲第2番ヘ短調 op.73
3.0点
音が薄いし素人くさいベタな内容ではあるが、悲しげで感傷的なメロディーはそこそこよい。

ジョルジュ・カトワール(Georges Catoire, 1861 - 1926)
管絃楽曲
交響曲 作品7

ピアノ協奏曲 作品21

室内楽曲
ピアノ三重奏曲ヘ短調 作品14

ヴァイオリン・ソナタ第1番 作品15

ピアノ五重奏曲 ハ短調 作品16

ヴァイオリン・ソナタ第2番「詩曲」 作品20

弦楽四重奏曲 作品23

ヴァイオリンとピアノのための「エレジー」 作品26

ピアノ四重奏曲 イ短調 作品31

フェリックス・ブルメンフェリト(Felix Mikhailovich Blumenfel[']d , 1863 - 1931)
アレクサンドル・グレチャニノフ (Alexander Grechaninov 1864 - 1956)
ヴァシーリー・カリンニコフ(Vasily Sergeyevich Kalinnikov, 1866 - 1901)
交響曲第1番ト短調 (1894-95)
3.5点
1楽章は素朴で田舎臭く、メロディーは印象的で秀逸なのだが、むしろこの芋っぽさに惹かれてしまう。やたらと快活で歯切れがいいのも良い。2楽章も続けて芋臭いのだが、家庭的な暖かさが素敵。3楽章は急に中東風?の異国情緒で楽しい。4楽章はカーニバル的な楽しさ。歯切れが良すぎて性急な印象。この交響曲は、とにかく全編が歌謡曲のような田舎臭さで素人臭いが、メロディーが良く発想豊かな力作であり、聴いて損はない独特の魅力がある。この魅力はメジャー作曲家には無い。

交響曲第2番イ長調 (1895-97)
1.5点
1番でみせた魅力のほとんどが悲しいほどスポイルされてしまい、実力不足が目立ち耳に残らないB級作品になってしまっている。4楽章が少し魅力があるかと思うが、耳に入ってきやすい音楽というだけだ。田舎臭さ、素人臭さ、歯切れのよさ、メロディーの魅力が無くなってつまらない。こうしてみると、1番はやはり奇跡のホームランなのだろうか。

セルゲイ・ボルトキエヴィチ(Sergei Bortkiewicz ) (1877 - 1952)
管弦楽曲
交響曲 第1番《わが故郷より》 Op.52 /1935

交響曲 第2番 Op.55 /1937

ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 Op.16 /1912

ピアノ協奏曲 第2番(左手のための協奏曲) Op.28 /1924

ピアノ協奏曲 第3番《苦難を通って栄光へ》 per aspera ad astra Op.32 /1927

レインゴリト・グリエール(Reinhold Glière、1875 - 1956)
交響曲
交響曲第1番変ホ長調 op.8(1899-1900年)

交響曲第2番ハ短調 op.25(1907年)

交響曲第3番ロ短調「イリヤー・ムーロメツ」 op.42(1911年〜12年)

ニコライ・メトネル(Nikolai Karlovich Medtner、1880 - 1951)
ラフマニノフと同時代のピアノ音楽作曲家。大衆性に傾いておらず、テクニカルを極めている点では、ラフマニノフ以上だろう。

ピアノソナタ
ピアノ・ソナタ第1番 ヘ短調作品5
3.3点
全4楽章31分。1楽章は雄大で格好いい曲であり、いきなり本格的。全体に若書きらしいまとまりの悪さや粗さ、密度の低さはある。しかし、ピアノを雄大に使ってスケール大きく響かせて巨大な音楽を作る能力、ピアノに適合した書法の良さや音楽の作り方にかけては既に相当な高レベルに達している。4つの楽章は全てそれなりに良くて、聞き応えがある。

第2番、第3番、第4番はそれぞれ単一楽章の作品で別々に演奏可。3曲でソナタ三部作を形成。 作品11
3.0点
独立した単一楽章ソナタ3作品全24分。2曲目がやや穏やかなので全部をまとめて1作品のように聴いてもよいと思う。若気の至りのような作品5よりも大人っぽくて艶がある音楽になった。所々に光る場面があるし、聞き応えはあるのだが、やはり10分以内というキャンバスの小ささのせいか、広がりが足らず印象はまあまあという感じである。

ピアノ・ソナタ第5番 ト短調作品22(1909年 - 10年作曲)《お伽話ソナタSonata-Skazka》
3.3点
単一楽章15分。メトネルの一番有名なソナタ。複数主題を絡ませるて演出す複雑さと、洗練されたピアニズムが存分に発揮されている。激しさよりもリリシズムの比重が高いと感じる。15分の長さはスケール感と精神世界を冒険するようなドラマの構築と考え抜かれた構成を満たすのに良い長さであり、それを見事に活かしている。

おとぎ話ソナタ 作品25-1
全3楽章11分。5分以上の楽章が無いのはこの曲のみ。夢のような幻想的雰囲気が支配していて割と詩的。短い曲の割にはスケール感があり、聞き応えがある。ソナチネのような長さに聞こえない。

ピアノ・ソナタ第7番 ホ短調《夜の風」作品25-2
4.0点
全2楽章33分。メトネル最大のソナタであり長大で複雑な曲。1楽章は8分の15拍子。奔流のようなロマンティシズムの横溢が凄い。自由な幻想曲のように聞こえる場面も多い。艶のある美しい楽章。2楽章は前の楽章の素材を使いながらエネルギーを増して、巨大な流れを作る。これほど大規模で技巧的かつ作品としてのまとまりと巨匠性があり、20世紀に到達したピアノの器としての限界を引き出したピアノ独奏作品を自分は知らない。

バラード風ソナタ嬰ヘ長調 作品27
3.5点
全3楽章22分。古い物語を語るような1楽章はバラード風という副題がしっくりくる。割と明るいし、雰囲気と話の展開はなかなか楽しい。2楽章のゴツゴツとした和音の作る雰囲気もいいし、3楽章は詩情があり、雄弁に物語を構築していく。全体に成熟しており統一感があるし、内容が濃くて分かりやすい。

ピアノ・ソナタ第9番 イ短調作品30
2.5点
単一楽章12分。友人に戦争ソナタと呼ばれていたという攻撃的な内容である。しかし、面白い場面やはっとするようなメロディーが少なくて、霊感がやや足りない気がする。あまり印象に残らない。

ピアノ・ソナタ第10番 イ短調《回想のソナタ Sonata-Reminiscenza》作品38-1
3.0点
16分。メトネルのソナタにしては例外的に音数が少なく、しっとりとしていて、しんみりとする音楽がずっと続く。多少の盛り上がりはあるものの、激しくならない。メロディーは秀逸という程ではない。だが、切ない歌は心にそれなりに迫るものがあり、通俗的な分かりやすいメロディーに頼らないで、ピアノを繊細にたっぷり歌わせる事で情感を表現出来ている。長いが飽きる事はなかった。

ピアノ・ソナタ第11番 ハ短調 《悲劇的Sonata-Tragica》 op. 39 no. 5 作品 39-5
2.8点
発想が若干陳腐に感じられる。だが、ピアノの激しい音使いや高速やパッセージが格好よくて楽しめる。

ピアノ・ソナタ第12番 変ロ短調《ロマンティック》Romantica作品 53-1
2.3点
全4楽章。1楽章は確かに多少ロマンチックかもしれない。全体にかなり物足りないというのが正直なところ。特に最後の楽章はメロディーが面白くなくてセンスの無さやまとまりの悪さが目立つので、割と長い曲なだけに嫌になってきてしまう。2楽章の高速パッセージは楽しいが。

ピアノ・ソナタ第13番 ヘ短調《嵐 Minacciosa》作品 53-2
2.5点
単一楽章16分。全体としては取り留めのない茫洋とした雰囲気。その中で印象に残ったのは中間の高速の対位法的部分。非常にテクニカルで格好よくて痺れた。

ピアノ・ソナタ《牧歌ソナタ Sonate-Idylle》ト長調 作品56 1937年
3.0点
全2楽章。最後を締めくくるに相応しい感動的なソナタ。1楽章はほのぼのとした牧歌風の曲であり、2楽章は感動的に盛り上がっていく。メロディーは地味だがテクニカルでバランスのよいピアノの書法はここでも素晴らしい。

その他ピアノ曲
2つのおとぎ話 作品8 (1904-5年)
3.8点
2曲とも非常にキレがよい。不協和音や妥協のない先鋭的な音の使い方、不安定でせき立てるような雰囲気と前衛的な和音の進行、20世紀的への道を切り開いたかのような驚異的な作品である。若き日のプロコフィエフが絶賛した作品というのも納得。

組曲『忘れられた調べ I』 作品38 1918-20
3.3点
超テクニカルな曲から、メロディーをおおらかに聴かせる曲まで色々な曲が集まっている。名曲というほどではないが、ピアノの扱いの自由さと巧みさをいかしたバラエティーの豊さとスケールの大きさのため、楽しんで聴くことが出来る。この自由さは素晴らしい。多くのソナタと同様かそれ以上に楽しめる。

組曲『忘れられた調べ II』作品39 1919-20
3.3点
最初の二曲は内向的で瞑想的な曲。3曲目はテクニカルだが、夜想曲のような雰囲気がある。4曲目も夜想曲のようで、エピローグのような雰囲気であり、メロディーが珍しくとても良い曲。全体に1集ほどの自由さがないため、曲の良さとしては同じくらいか上かもしれないのだが、面白さの点では劣る。

ピアノ協奏曲
ピアノ協奏曲第1番ハ短調 作品33 (1914年 - 18年>

ピアノ協奏曲第2番ハ短調 作品50(1920年 - 27年

ピアノ協奏曲第3番 ホ短調作品60(1940年 - 43年)

ニコライ・ミャスコフスキー( Nikolai Yakovlevich Myaskovsky,1881 - 1950)
交響曲を27曲残したことで有名な作曲家。超一流と比較すると発想の弱さが二流感を漂わせる。しかし、交響曲は結構楽しめる。特に27番は大作曲家らしい作品と言ってよい。

交響曲
交響曲第1番ハ短調作品3 (1908年 3楽章)

交響曲第2番嬰ハ短調作品11(1911年 3楽章)

交響曲第3番イ短調作品15(1914年 2楽章)

交響曲第4番ホ短調作品17(1918年 3楽章)

交響曲第5番ニ長調作品18(1918年 4楽章)
2.5点
後年の作品に比べると、音に重みがなくて、音楽的な密度も薄い。それゆえに軽い気分で楽しめる部分はあるものの、やはり根暗で変化が大きすぎないことによる重みと民謡的な軽い楽しさの取り合わせと旋律の楽しみは足らない。音に対するセンスそのものが物足らず、大作曲家の交響曲に相応しいレベルには到達していないように聞こえてしまう。

交響曲第6番変ホ短調作品23(「革命」)(1923年 4楽章)-声楽つき

交響曲第7番ロ短調作品24(1922年 2楽章)

交響曲第8番イ長調作品26(1925年 4楽章)

交響曲第9番ホ短調作品28(1927年 4楽章)

交響曲第10番ヘ短調作品30(1927年 単一楽章)

交響曲第11番変ロ短調作品34(1932年 3楽章)

交響曲第12番ト短調作品35「十月」(1932年 3楽章)

交響曲第13番変ロ短調作品36(1933年 単一楽章)
2.8点
盛り上がりのないひたすらダークな1楽章制の曲。この音楽はだれでもアラン・ペッテションとの類似と比較を考えるだろう。しかし、ペッテションほどの深さに到達して徹底的に重みに精神を浸すような満足を得られず、なんとなく物足りないまま終わってしまう。比較対象が無ければ感動できたのかもしれないが、私としてはあまり聴く価値を感じなかった。

交響曲第14番ハ長調作品37(1933年 5楽章)

交響曲第15番ニ短調作品38(1935年 4楽章)

交響曲第16番ヘ長調作品39 (1936年 4楽章)

交響曲第17番嬰ト短調作品41(1937年 4楽章)

交響曲第18番ハ長調作品42(1937年 3楽章)
3.0点
1楽章と3楽章は短くて少し祝典的な雰囲気がある音楽で特にどうということはない曲だと思う。2楽章がこの曲この価値の大半を占めている。1回聴いた時は素朴な民謡的な味の中に歴史的な悲しみとか孤独を忍ばせて非常によい曲に聴こえたが、すぐにもう一度聴いたらその良さの多くが消えてしまい、あまり感動できなかった。

交響曲第19番変ホ長調作品46(1939年 4楽章)

交響曲第20番ホ長調作品50(1940年 3楽章)

交響曲第21番嬰ヘ短調作品51(「交響幻想曲」)(1940年 単一楽章)
2.5点
幻想曲と銘打たれているのだが、本当にとりとめもなく音楽が進み、何をしたいのか理解が出来ない。暗かったりするだけでストーリーが構成されないと、クラシック音楽がは面白くないという例だと思った。特にステキな場面もないし。

交響曲第22番ロ短調作品54「大祖国戦争についての交響バラード」(1941年 3楽章)
2.8点
バラードというだけあってある程度の物語的な説得のある音楽なのは良いところ。しかし長すぎる。特に中間は緩徐楽章の場面のつなぎの経過みたいな音を延々と続けていて、これが本気の作曲的思考の結果なのだとしたら酷すぎる笑。キワモノの類の音楽といえよう。

交響曲第23番イ短調作品56「北コーカサスの歌と踊りの主題による交響組曲」(1941年 3楽章)
3.5点
1楽章はミャスコフスキーらしい暗すぎない陰鬱さの場面が土臭い民族音楽ふうのウキウキするようや楽しい場面を挟んでいる構成。やや長い楽章だが、中間がとにかく楽しいのと強烈なコントラストが楽しくて飽きない。2楽章の丁度よい暗さとモヤモヤした気分の表現は、長さの適切さもあって個人的にはツボである。ただひたすら気分に浸って満足したところで終わってくれる音楽。3楽章は再び土臭くて能天気で、前の楽章と気分的にイマイチ繋がらないのだが、そのまま高揚感を演出してフィニッシュまでもっていかれる。これは間奏にして後ろに4楽章がほしかった。

交響曲第24番ヘ短調作品63(1943年 3楽章)

交響曲第25番変ニ長調作品69(1946年 3楽章)

交響曲第26番ハ長調作品79「ロシアの主題による」(1948年 3楽章)
3.3点
1楽章は軽快さがあり聴きやすいが、展開が弱くて変化が少なく長すぎるため飽きてくる。2楽章は変奏曲でなかなか秀逸で、途中に挟まれるロマンティックなパートも楽しめて、いい曲だったと聴き終わって満足できる楽章である。3楽章は最終楽章らしい高揚感とゆったりした感じを両立している点では好きだが、明らかに冗長で間延びする。各楽章を2割カットするとよい曲になると思う。

交響曲第27番ハ短調作品85(1949年 3楽章)
4.0点
何曲か聴いた中ではこの曲が圧倒的に素晴らしいと思った。重々しい響きは雄渾なロシアの大地を感じさせる。厳しい中に温かみがあり、そして感動的な名曲。旋律の良さも素晴らしく、一つ一つの部分が真実味を伴っていて聴き応えがある。ロシアの広大な大地とそこに脈々と息づく人間達の営みを連想させる。1楽章と2楽章はチャイコフスキーの3大交響曲にも匹敵するほどの名作に聞こえる。この作曲家は最後まで完全に後期ロマン派の枠の中の作品であったというのがまた感慨深い。

協奏曲
チェロ協奏曲ハ短調 作品66 (1944年)

室内楽曲
弦楽四重奏曲
弦楽四重奏曲 ヘ長調(1907年)

弦楽四重奏曲 第1番 イ短調 作品33-1(1930年)

弦楽四重奏曲 第2番 ハ短調 作品33-2(1930年)

弦楽四重奏曲 第3番 ニ短調 作品33-3(1930年)

弦楽四重奏曲 第4番 ヘ短調 作品33-4(1937年)

弦楽四重奏曲 第5番 ホ短調 作品47(1938〜39年)

弦楽四重奏曲 第6番 ト短調 作品49(1939〜40年)

弦楽四重奏曲 第7番 ヘ長調 作品55(1941年)

弦楽四重奏曲 第8番 嬰ヘ短調 作品59(1942年)

弦楽四重奏曲 第9番 ニ短調 作品62(1943年)

弦楽四重奏曲 第10番 ヘ長調「古いノートから」作品67-1(1945年)

弦楽四重奏曲 第11番 変ホ長調「思い出」作品67-2(1945年)

弦楽四重奏曲 第12番 ト長調 作品77(1947年)

弦楽四重奏曲 第13番 イ短調 作品86(1949年)

チェロ・ソナタ
第1番 (1911年)

第2番 (1948年)

ピアノ・ソナタ
第1番ニ短調作品6(1909年)

第2番 嬰ヘ短調作 品13(1912年)

第3番 ハ短調 作品19(1920年)

第4番 ハ短調 作品27(1925年)

第5番 ロ長調「古いノートから」作品64-1(1944年)

第6番 変イ長調「古いノートから」作品64-2(1944年)

第7番 ハ長調 作品82(1949年)

第8番 ハ長調 作品83(1949年)

第9番 ハ長調 作品84(1949年)


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%281889%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/625.html#c1

[近代史7] ロシアの作曲家 中川隆
2. 中川隆[-14708] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:38:26 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[33]
ロシア(1890年以降) - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%281890%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29


サムイル・フェインベルク(Samuil Evgenyevich Feinberg, 1890 - 1962)
彼のピアノソナタはスクリャービンのようなドロドロ感を持ちつつも、洗練感も失っていない気がする。ラフマノニフやスクリャービンにおいて技術的に限界に達したピアノ書法を駆使して、ピアノ音楽の限界点で書かれた作品群という点で、ピアノ音楽ファンなら必聴だと思う。

ピアノソナタ1番
3.5点
20世紀の名作ピアノ曲のひとつ。後年の作品と違い、この曲は非常に純度が高い感動的な美しさを持っている。高音でゆらめく宝石のようにキラキラと輝くような美しいフレーズの連続に聞きほれているうちに、最後まであっという間に聞き終わるような曲。ドビュッシーのような音の使い方でイメージ重視の曲であり、スクリャービン初期の端正さも兼ね備えている。メロディーは明確でなく構成も頭について入らないにも関わらず、忘れがたい強い印象を与えられる。また大ピアニストの作品らしい洗練されたピアニズムも見事。

ピアノソナタ2番
3.0点
1番の路線であるが、キラキラした美しさが減少して魅力が落ちた。そして、そこはかとないグロテスクさが追加されてしまった。メロディーがはっきりしない、ピアニスティックさ、8分の単一楽章など1番に似ていて、1番という短い曲のボリューム的な物足りなさを補完してくれるが、それ以上の価値はない。

ピアノソナタ3番
2.8点
3楽章制。しかし、音の詰め込みぶりがどの楽章もあまりかわらないため、あまり変化がない。ただ、3楽章のスケール感ではかなり恩恵を受けているかも。2番と雰囲気は近い。長い分だけ、テクニカルな音数重視ピアノ曲マニアの心を強く捉えてくれていると感じる。一方で作曲家としては完全にマイナーな幅の狭い人になってしまった。

ピアノソナタ4番
3.3点
単一楽章。連発さらる低音の和音が禍々しさを演出し、さらにドロドロしてきて後期スクリャービンに近付いてきた。むしろ影響を強く感じて近付きすぎの感もある。所々、まだまだ過去のキラキラ世界の残り香も感じられる。後半が演出的に盛り上がるし、短い曲なのに非常に長く感じられる。スクリャービン後期以上に聴き映えがする。

ピアノソナタ5番
3.3点
単一楽章。スクリャービン後期を彷彿とさせるドロドロとした音楽世界が、それまでと似たような音使いながらも独自の新境地到達を感じさせてなかなか良い。極端に煮詰めたスープのような粘着とドロドロ感と神秘性や超越性は、好きな人には強くツボにはまるだろう。演出が少ないせいか、2番からの方向性が一つの壁を越えた世界に到達した感じ。

ピアノソナタ6番
3.0点
単一楽章だが14分とやや長い。そして後半は静寂の世界が長く続くというのが、それまでにはない。新しい雰囲気であり、その後も神秘的な人類滅亡後のような世界観。このような世界が非常にツボる人もいるだろう。音の鳴らし方のセンスはなかなか良いと思う。自分の好みとしては、わりと好き、という程度だが。

ピアノソナタ7番
2.5点
もともとフェチ系音楽ではあるが、もはや完全に別世界に行ってしまった。暗黒世界。世界の終わりのような終末の音楽。楽章が3つに分かれていて、副題もあるので構成のガイドがあるのは分かりやすい。

ピアノソナタ8番
3.0点
それまでのドロドロした作風から変わり、明るさが支配する部分が増える。1楽章は曖昧な雰囲気のままだが、2楽章はかなり調性が明確であり、静寂感がある。とはいえ、古臭い感じは全くないので良い。後半は地鳴りのような暗黒世界に降りていくが、それでも短い時間のため、染まりきらない領域で終わる。楽章構成が価値のあるものになっている。作風の転換を感じる。

ピアノソナタ9番
2.5点
前半は驚くほど平明になってしまった。これではあまり価値がない。彼らしさは残っているとはいえ。中間で激しい音数になり、収まってからは曖昧模糊としたいつもの雰囲気になる。前半はカモフラージュか?とも思ってしまったが、いずれにせよ大半の場面では調性が明確になってしまい、最後は堂々と和音で終わるという古典回帰。残念感がある。

ピアノソナタ10番
2.8点
轟音が響き渡る、重戦車系の曲。今までと雰囲気が違う。調性の観点ではわりと平明なのだが、音楽の方向性が違うので気にならない。これはこれで、メジャー作曲者がやらない極端を突き詰めた曲としての価値があると思う。楽想の変化のさせ方など、作曲技術の高さを感じた。

ピアノソナタ11番
2.5点
前半はかなりロマン派に近い調性の非常に明確な音楽。意志的でなく、構築的な方向感がないので、かろうじて現代的なだけ。途中に高速なパッセージで爆発してから、一度収まりまた締めに入る構成は分かりやすいし、よく出来ている。9番からの社会主義リアリズム的平明さをさらに進めた曲。9番からそうなのだがこの曲は特に、穏やかな平明さの中に新奇さを混ぜ込む手法にプロコフィエフを連想する。

ピアノソナタ12番
3.3点
驚くべき平明な透明感と叙情的の世界。このようなセンスのある人はその気になれば美しい曲が書けるという例である。他では必ずあった爆発はごく控えめになっている。一番ロマン派に近く、ショパンあたりを連想する瞬間すらある。公平にみてフェインベルクのソナタの中で高く評価してよいかは分からないが、12曲順番に聴いていった場合に最後のこの曲想で格別の感慨を抱かせられたのは確かだ。

ボリス・リャトシンスキー( Boris Lyatoshynsky, 1895 - 1968)
交響曲
交響曲1番

交響曲2番

交響曲3番

交響曲4番

交響曲5番

ヴィッサリオーン・シェバリーン(Vissarion Yakovlevich Shebalin, 1902 - 1963)
アラム・ハチャトゥリアン((Aram Il'ich Khachaturian), 1903 - 1978)
はっちゃけた野蛮性が魅力の作曲家だと思う。ショスタコーヴィチとプロコフィエフと並び称されるほどの大物扱いだったようだが、現代からみるとやはりワンランク以上落ちると思う。

交響曲第1番 ホ短調

ピアノ協奏曲 変ニ長調
3.5点
はっちゃけた野蛮性の持ち味が十分発揮されたよい曲。個性とピアノ協奏曲というジャンルの相性は抜群。内容が濃いし多くの素材を使っていて、巨匠的な充実感と天才性の発揮がみられる。ピアノは前面に出て大活躍する。ピアノ独奏のエグくて激しい野蛮さは、向いているピアニストの演奏で聴くと予想と期待を超えたものを見せてくれて、満足させてくれる。快感だけでなく違和感が常につきまとう所がやや個人的に苦手であり、それがメジャーになりきれない要因だろうかと思う。

ヴァイオリン協奏曲 ニ短調

『仮面舞踏会』(ミハイル・レールモントフの劇のための音楽)

組曲『ガヤネー(ガイーヌ)』第1番・第2番・第3番(管弦楽曲)

交響曲第2番 ホ短調「鐘」

チェロ協奏曲 ホ短調

交響曲第3番 ハ長調「交響詩曲」

ピアノソナタ
3点
力強くて熱い。なかなかの曲。


ディミートリイ・カバレーフスキイ(Dmitri Borisovich Kabalevsky)(1904 - 1987)
交響曲
第1番 嬰ハ短調(1932年)

第2番ハ短調(1934年)

第3番 変ロ短調「レクイエム」(1933年)

第4番 嬰ハ短調(1956年)


ピアノ協奏曲
第1番 イ短調 Op.9(1929年)

第2番 ト短調 Op.23(1936年)

第3番 ニ長調 Op.50 (1952年)

第4番「プラハ」 Op.99(1975年)

組曲「道化師」 Op.26(1939年)

第2曲「ギャロップ(道化師のギャロップ)」は、日本の運動会でよく使われる

ガヴリイル・ポポーフ(Gavriil Nikolayevich Popov, 1904 – 1972)
交響曲
交響曲第1番 作品7 (1935)

交響曲第2番「祖国」 作品39 (1943)

交響曲第3番「英雄」(または「スペイン」) 作品45

交響曲第4番「わが祖国の栄光」 作品47 (1949)

交響曲第5番「田園」 作品77 (1956)
3.0点
音の響きは20世紀の前衛的な音のぶつかりは非常に少ないが、一方で古典趣味的な陳腐さもない。近代的な機能的な管弦楽の達者な使い方であり、チャイコフスキーのように音が躍動して素材の詰め込んで豪華に聴かせる。オーケストレーションの実力の確かさを感じさせる。スケールの大きい叙景的な場面展開の面白さがあり、充実感と内容的なボリューム感はかなりのもので驚いた。ただし、交響曲というよりバレエ音楽のようだ。また、素人に印象を残すような個性の濃厚さがないかもしれない。構成も複雑で聴きながら場面の解釈がうまく出来ない。後半の茫洋とした雰囲気を延々と引っ張る感じは好きだ。

交響曲第6番「祝祭」 作品99 (1969)
3.3点
5番より鋭角的であり、さまざまな音楽のるつぼが続いていく。交響曲というよりバレエ音楽のような場面展開と音の躍動感なのは同じであるが、より音の変化が激しいために、飽きずに展開を楽しめる。なんとも言えない不思議な音の動きが大半を占めており、前衛に近い音の世界になっている。グロテスクになりそうでならない、バランスが破壊されそうでされない、独特の音感覚である。5番と6番は好みだろうが、私はより隙間のない6番が気に入った。前衛的とされる1番にかなり近い曲。

交響曲第7番(未完)

ヤニス・イヴァノフス(Jānis Ivanovs、1906 - 1983)
ラトビアを代表する作曲家のようだが、感想に書いたとおりマイナーレベルの粋を全然出られていないと思う。

交響曲5
1点
なんかいろいろな思わせぶりな旋律や和声が聴こえるけれどちっとも心に響いてこない。わけわからん。

交響曲6
2.5点
これは分かりやすい。迷走していない。典型的な弦の嘆き節とか、大河ドラマのテーマ曲みたいな部分とかもあるけれど、なかなか聴かせる部分が多い。

交響曲20
1.5点
所々美しい部分もあるけど…

ティホン・フレンニコフ(Tikhon Nikolayevich Khrennikov, 1913 - 2007)
ガリーナ・ウストヴォ(ー)リスカヤ(Galina Ivanovna Ustvolskaya、1919 - 2006)
モイセイ・ヴァインベルク(Moisey Samuilovich Vainberg、苗字はWeinbergとも表記 1919 - 1996)
ショスタコーヴィチから高く評価されていた作曲家。何曲か聴いた限りでは、職人的な音作りの総合的な出来の良さや繰り返し鑑賞することに耐えるようなバランスではショスタコーヴィチに一歩譲るものの、鬼気迫る心を強くえぐり取る感じは、同等以上といってもよいくらいだった。

交響曲
交響曲第1番 作品10 (1942)

交響曲第2番 弦楽合奏のための 作品30 (1946)

シンフォニエッタ第1番 作品41 (1948)

交響曲第3番 作品45 (1949、1959改訂)

交響曲第4番イ短調 作品61 (1957、1961改訂)

シンフォニエッタ第2番 作品70 (1960)

シンフォニエッタ第2番 イ短調 弦楽とティンパニのための 作品74 (1960)

交響曲第5番 ヘ短調 作品76 (1962)
3.5点
デモーニッシュに音を鋭角的にカオスのように盛り上がって行く1楽章の迫力はなかなかである。ダンス的になったり、様々に変化する展開の面白さがよい。ショスタコーヴィッチによく似ているのは多くの人が感じるだろうが、意外性が高くて予想できず、世界の外から突発的に新しい要素が現れる感じがよい。2楽章のアダージョは2声部を基本とする不安さの表現で、最初は雰囲気に既視感を感じるが、行き場のない音の徘徊により精神の深奥に潜っていく感じになって、かなり没入できた。3楽章はショスタコーヴィッチの交響曲5番の4楽章にかなり近い。スピードと切迫感のある楽章。その後に、4楽章で力を溜めたまま推移する楽章を入れるのがヴァインベルクらしさだろう。不思議な均衡を崩さずにじわじわと時間をかけていつのまにか盛り上げて、圧倒的なテンションに持って行っている。分かりやすくない玄人的な音楽で個人的にはセンスの良さに感心した。

交響曲第6番 少年合唱と管弦楽のための 作品79 (1963)
3.5点
1楽章は、ショスタコーヴィッチ風の深く不安な深夜を遠くの光を頼りに徘徊するかのような音楽。昔の数10万人の街の中心部という感じの世界の大きさを感じる。刺激を定期的に感じられるため12分を長く感じない。2楽章は少年合唱入りで、独特の節回しで不思議感や浮遊感を見せてとてもよい。3楽章はファンファーレとともに力強く始まる。じわじわと汗が出そうな焦燥感と常に前へ前へと加速度が付いている感じが楽しい。4楽章はラルゴの少年合唱による楽章。息を潜めて不安を語り、現実を告白するかのようだ。5楽章はやや速度を速めるが遅いままの少年合唱で、達観したかのようにしめくくる。現実主義的な嬉しくない終わり方だが、感慨をうける。1回目でストーリーをとても分かりやすく把握できる。

交響曲第7番 ハ長調 弦楽合奏とチェンバロのための 作品81 (1964)

交響曲第8番「ポーランドの花々」 テノールと混声合唱と管弦楽のための 作品83 (1964)

交響曲第9番「永遠の時」 ナレーターと合唱と管弦楽のための 作品93 (1967)

交響曲第10番イ短調 作品98 (1968)

交響曲第11番「祝典交響曲」 合唱と管弦楽のための 作品101 (1969)

交響曲第12番 ショスタコーヴィチの思い出に 作品114 (1976)
2.8点
シリアスで大河的な大きさをもつ曲。声部は多くなく、薄めの音で静寂を常に裏に持ちながらも緊張感を作り上げている。室内楽のような音の重ね方だが、とはいえ交響曲の音の迫力あっての音楽ではある。5番6番の意外性の面白さは消えてしまっているが、鋭角さもあるシリアスさゆえにそれなりに聴かせるものがある。しかし内容のボリュームと比較して少し長すぎるし、明確に割り切れないまま次の場面に進行していくため、ストーリーもいまいち追えない。

交響曲第13番 作品115(1976)

交響曲第14番 作品117 (1977)
2.5点
十分に深く練って思考して書いた曲という感じがしない。重みがなく即興的で、雰囲気だけの音楽と思ってしまう。ショスタコーヴィッチの類似性からはだいぶ脱しているが、単に簡素になって面白みが減ってしまっている。意外性や場面転換の複雑さが足らない。個別の部分は悪くないが通して聴いたあとの何も残らない残念さにがっかりである。

交響曲第15番「私はこの地球を信じる」 ソプラノ、バリトン、女性合唱と管弦楽のための 作品119 (1977)

交響曲第16番 作品131 (1981)

交響曲第17番「記憶」 作品137 (1984)

交響曲第18番「戦争、これより惨い言葉はない」 合唱と管弦楽のための 作品138(1986)
2.5点
1楽章は前奏であり、不安げな気分を盛り上げていく。その後からは合唱である。私はまだヴァインベルクの作風の変遷を終えていないでのだが、作品として簡素になっているうえに、合唱曲の不自由さがマイナスになって、単なるよくある平凡な20世紀の合唱曲に聴こえてしまう。それなりの長さだが、光る部分は少ないと思ったし、若い頃の意外性や展開の突発的な感じがなくて面白くない。戦争の悲しみを交響曲ならではの強靭で圧倒的な創作性で表現していないと思う。

交響曲第19番「輝かしき五月」 作品142 (1986)

室内交響曲第1番 作品145 (1987)

室内交響曲第2番 作品147 (1987)

室内交響曲第3番 作品151 (1991)

室内交響曲第4番 作品153 (1992)

交響曲「カディッシュ」 作品154 (1992)


管弦楽曲
小管弦楽のための組曲 作品26 (1939-1945)

2つのバレエ組曲 作品40 (1947)

協奏曲
チェロ協奏曲ハ短調 作品43 (1948)

ヴァイオリン協奏曲ト短調 作品67 (1959)

フルートと弦楽のための協奏曲 (フルート協奏曲第1番) 作品75 (1961)

トランペット協奏曲変ロ長調 作品94 (1967)

フルート協奏曲第2番 作品148 (1987)

室内楽曲
弦楽四重奏曲
弦楽四重奏曲第1番 作品2 (1937)

弦楽四重奏曲第2番 作品3 (1940)

弦楽四重奏曲第3番 作品14 (1944)

弦楽四重奏曲第4番 作品20 (1945)

弦楽四重奏曲第5番 作品27 (1945)

弦楽四重奏曲第6番 作品35 (1946)

弦楽四重奏曲第7番 作品59 (1957)

弦楽四重奏曲第8番 作品66 (1959)

弦楽四重奏曲第9番 作品80 (1963)

弦楽四重奏曲第10番 作品85 (1964)

弦楽四重奏曲第11番 作品89 (1966)

弦楽四重奏曲第12番 作品103 (1970)

弦楽四重奏曲第13番 作品118 (1977)

弦楽四重奏曲第14番 作品122 (1978)

弦楽四重奏曲第15番 作品124 (1979)

弦楽四重奏曲第16番 作品130 (1981)

弦楽四重奏曲第17番 作品146 (1987)

ヴァイオリンソナタ
ヴァイオリンソナタ第1番 作品12 (1943)

ヴァイオリンソナタ第2番 作品15 (1944)

ヴァイオリンソナタ第3番 作品37 (1947)

ヴァイオリンソナタ第4番 作品39 (1947)

ヴァイオリンソナタ第5番 作品53 (1953)

2つのヴァイオリンのためのソナタ 作品69 (1959)

その他の室内楽曲
ピアノ五重奏曲 作品18 (1944)

チェロソナタ第1番 ハ長調 作品21 (1945)

クラリネットソナタ 作品28 (1945)

チェロソナタ第2番 ハ長調 作品63 (1959)

ピアノ三重奏曲 作品24 (1945)

弦楽三重奏曲 作品48 (1950)

ピアノ・ソナタ
ピアノソナタ第1番 作品5 (1953)

ピアノソナタ第2番 作品8 (1942)

ピアノソナタ第3番 作品31 (1946)

ピアノソナタ第4番ロ短調 作品56 (1955)

ピアノソナタ第5番 作品58 (1956)

ピアノソナタ第6番 作品73 (1960)

ボリス・チャイコフスキー(Boris Tchaikovsky、1925 - 1996)
交響曲第1番(オランダ語版)(1947年)

交響詩「シベリアの風」(1984年)

交響詩「未成年」(Juvenile)(1984年)

チェロ協奏曲(1964年)

アンドレイ・ヤコブレヴィチ・エシュパイ(Andrei Yakovlevich Eshpai, 1925 - )
交響曲
交響曲1番

交響曲2番

交響曲3番

交響曲4番

交響曲5番

交響曲6番

交響曲7番

交響曲8番

交響曲9番

協奏曲
ヴィオラ協奏曲 (1987)

チェロ協奏曲

フルート協奏曲 (1992)

オーボエ協奏曲

ピアノ協奏曲1番

ピアノ協奏曲2番

合奏協奏曲 (1966-67)


ソフィア・グバイドゥーリナ(Sofia Gubaidulina, 1931 - )
アルフレット・シュニトケ(Alfred Garyevich Schnittke、1934 - 1998)
現代音楽的な重くダークな音空間と後期ロマン派のような聴きやすさを両立させたことで、普通のクラシック音楽ファンでも楽しめる音楽を書いた作曲家だと思っている。

交響曲
交響曲第0番 

交響曲第1番  
3.3点
支離滅裂な場面展開が1時間以上も続いていく珍曲。突拍子もなく有名曲の引用が多発されるのが面白い。個人的にはこのごった煮のようなカオスに身を任せるのは嫌いじゃない。どこに向かっているのか分からないまま、作曲者に連れられて面白い幻想世界をランダムにワープしながら巡っているような感覚になる。個別の場面は面白いものが多いと思うし、調性感は明確で難解さは少なくて分かりやすい時が多い。調性感がないときも、心地よいカオスであり難解感は少なくて、無茶苦茶な曲だけれど自分は楽しんじゃいました、すいません、という感想。

交響曲第2番 《聖フローリアン》 
3.5点
声楽入りの大作。聖なる神秘性に包まれている。1番とはうってかわってやりたい事が明確でシリアスな曲。心の旅に連れて行ってくれるような、引き込まれる場面は多い。現代らしいが同時に中世に精神だけタイムスリップしたようにも感じる精神世界の表現だと思う。クラシック音楽が現代に獲得した表現力を駆使していて、映画音楽のような通俗性にもほぼ堕ちていない。物質的な巨大さと精神的なトリップの重複した感覚が独特だと思う。

交響曲第3番  
3.0点
後期ロマン派の時間と内容が肥大されつつもロマン派の形式を辛うじて保っているのを、さらに極端に推し進めたように感じる場面が多い。夜の自然を徘徊するような雰囲気もあるが、どちらかというと自然界の物質や動物がエネルギーをえて蠢めくような感じのほうが近いかも。リヒャルト・シュトラウスを連想することが多い。精神面の深堀りを感じないため、「この曲はキテる」という感覚がない。折衷的な様式とあいまって、自分はいろいろ少し物足りなく感じた。特に後半はショスタコーヴィチみたいな沈んでゆっくり蠢めく曲だが、かなり冗長に感じた。

交響曲第4番  
2.8点
ピアノの独奏が多く、薄い音の場面がとても多い。意味深な面白い響きのフレーズは散りばめられている。しかし、それだけになってしまっており、抑揚がないし大きな仕掛けもない。つまり交響曲としての作りが不足している。そうなると冗長であり、前半のうちは響きを楽しめるが後半になると飽きてしまう。高級ムード音楽もしくはドキュメンタリー番組のバックミュージックになってしまっている。合唱は活躍が少なすぎるが、特に最後の場面の音の使い方に鋭さを感じる。

交響曲第5番 (合奏協奏曲第4番)  
3.5点
合奏協奏曲とも呼ばれるだけあって、線を絡ませて作られている曲である。音響の面で作っている音楽ではない。しかし、あまりソロが活躍するようには聞こえない。起伏がとにかく激しくて、刺々しい不穏な波を作っては、違うところからまた波が起こりを積み重ねていく。それが延々と積み重なって巨大な交響曲を形成するさまは圧巻である。不安定なマグマを常に地下に感じながら、空中に異世界の渦が形を変えていくようなイメージである。最初はマーラーに通じる下品さが嫌だと思ったが、聴き続けるうちに作られた世界観の凄さの感動が上回った。

交響曲第6番  
2.3点
新古典主義を連想する素朴な音の使い方。同時に1音から3音しか鳴っておらず室内楽よりも音が薄い程のスカスカな音の重なり。5番までと比べると別の作曲家になったかのようだ。そして、音楽がごく一部の箇所以外はちっとも心に迫らないところから、この変化は成功したとは思えない。単なる健康の衰えに伴う気力不足に思える。しかも全曲がアダージョのような雰囲気のまま変化もなく、これでは聴く価値が低い。

交響曲第7番 
2.5点
6番と1年しか変わらず同じような作品である。しかし、多少の進歩が感じられて、聞いたあとの後悔は少なかった。少しは音も厚くなった気はする。6番と続けて聴いたことで慣れてくると、変に時間の進み方と音の薄さが心地よく感じられるようにはなった。しかし他の人にオススメはしにくい。短いのはよいが。

交響曲第8番
2.5点
7番と同じような雰囲気。そして長い。ショスタコーヴィチを彷彿とさせる場面が多い。似た雰囲気でも彼ほど狙いか分かりやすすぎるために浅くて飽きやすくはなりがちにはなっていないが、代わりに何処に向かって何をしようとしているのか理解に苦しむ。あえて言えば、内容がないために単に何も考えずに音に浸って心を空っぽに出来る良さがあるかもしれない。そこが気に入ってまた聴きたいと個人的には思っているが、他の人にはオススメはしにくい。

交響曲第9番


管弦楽曲
合奏協奏曲第1番 (1977)

合奏協奏曲第2番 (1982)

合奏協奏曲第3番 (1985)

合奏協奏曲第4番 (1988)

合奏協奏曲第5番 (1991)

合奏協奏曲第6番 (1993)


協奏曲
ヴァイオリン協奏曲第1番 (1993)

ヴァイオリン協奏曲第2番 (1966)

ヴァイオリン協奏曲第3番 (1978)

ヴァイオリン協奏曲第4番 (1984)

チェロ協奏曲第1番 (1986)

チェロ協奏曲第2番 (1990)

ヴィオラ協奏曲 (1985)

ヴィオラと弦楽のためのモノローグ (1989)


室内楽曲
ヴァイオリンソナタ第1番 (1979)

弦楽四重奏曲第1番 (1966)

弦楽四重奏曲第2番

弦楽四重奏曲第3番

弦楽四重奏曲第4番


ニコライ・カプースチン(Nikolai Girshevich Kapustin、1937 - )
ピアノソナタ第1番 Op.39 1984

8つの演奏会用練習曲 Op.40 1984
4点
ジャズ風の和音やフレーズを使用しているが、テクニカルで音楽的にもコンパクトで聴きやすく楽しい。

ピアノソナタ第2番 Op.54 1989

ピアノソナタ第3番 Op.55 1990

ピアノソナタ第4番 Op.60 1991

ピアノソナタ第5番 Op.61 1991

ピアノソナタ第6番 Op.62 1991

ピアノソナタ第7番 Op.64 1991

ピアノソナタ第8番 Op.77 1995

ピアノソナタ第9番 Op.78 1995

ピアノソナタ第10番 Op.81 1996

ピアノソナタ第11番 Op.101 2000

ピアノソナタ第12番 Op.102 2001

ピアノソナタ第13番 Op.110 2003


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[近代史7] イギリスの作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14707] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:41:22 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[34]
イギリス - クラシック音楽 一口感想メモ
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イギリスおよびアイルランド。


ジョン・ダンスタブル(John Dunstable またはDunstaple, 1390年ごろ - 1453)

トマス・タリス(Thomas Tallis 、1505年頃 - 1585)
主要作品
「エレミアの哀歌」 The Lamentations of Jeremiah
「4声のためのミサ曲」 Mass for Four Voices
「40声のモテット『我、汝の他に望みなし』」Spem in alium

ウィリアム・バード(William Byrd, 1543? – 1623)
ジョン・ダウランド(John Dowland, 1563 - 1626)
オーランド・ギボンズ(Orlando Gibbons, 1583 - 1625)
ヘンリー・ローズ(Henry Lawes, 1595 - 1662)
ヘンリー・パーセル(Henry Purcell、1659 - 1695)
イギリス最高の天才クラシック作曲家は、エルガーやブリテンではなく、パーセルなのだそうだ(ヘンデルは帰化人だから除く)。劇音楽作曲家として非常に評価が高い。自分も確かに天才性は感じられる。

ディド(ダイドー)とアエネアス(エネアス)
4.0点
オペラではなく音楽として聴いただけだが、後半は素晴らしい効果をあげていた。

4声のソナタ集
3.5点
バラエティ豊かで、華やかだったりうら悲しかったり、いろいろな表情を見せてくれる。形式も各国のものを取り入れて豊かなように聞こえた。


ウィリアム・ベネット(Sir William Sterndale Bennett, 1816 - 1875)
ピアノ協奏曲1番(1832)
3点
シューマンにかなり近い前期ロマン派らしい曲だがベートーヴェンらしさも残っている。シューマンより先に書かれているのだから二番煎じではないのが驚き。シューマンと比較すると単純ではある、なかなか良い曲。

ピアノ協奏曲2番(1833)
2.5点
1番に近いのだが、比較すると少し霊感が劣っている気がする。

ピアノ協奏曲3番(1834)
2点
1番2番よりピアノが技巧的なのは驚くが、曲としてはランクが落ちる。あまり面白くない。

チャールズ・スタンフォード(Sir Charles Villiers Stanford, 1852 - 1924)
マイナー交響曲の有名作曲家の一人。

交響曲
交響曲第1番変ロ長調

交響曲第2番ニ短調

交響曲第3番ヘ短調 op.28『アイリッシュ』

交響曲第4番ヘ長調 op.31

交響曲第5番ニ長調 op.56

交響曲第6番変ホ長調 op.94

交響曲第7番ニ短調 op.124


協奏曲・協奏的作品
ヴァイオリンと管弦楽のための組曲 ニ長調 op.32

ピアノ協奏曲第1番ト長調 op.59

ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調 op.74

クラリネット協奏曲イ短調 op.80

ピアノ協奏曲第2番ハ短調 op.126


チャールズ・ヒューバート・パリー(Sir Charles Hubert Hastings Parry, 1848 - 1918)
マイナー交響曲の世界では有名作曲家の一人。

交響曲
交響曲第1番ト長調

交響曲第2番ヘ長調『ケンブリッジ』

交響曲第3番ハ長調『イングリッシュ』

交響曲第4番ホ短調

交響曲第5番ロ短調『交響的幻想曲1912年』

エドワード・エルガー(Sir Edward William Elgar、1857 - 1934)
交響曲
交響曲第1番 変イ長調 作品55
4.0点
イギリスを代表する交響曲。最後に第一主題が戻ってくるところは感動してしまう。

交響曲第2番 変ホ長調 作品63

交響曲第3番 ハ短調 作品88(未完成。A.ペインによる完成稿あり。)

管弦楽曲
独創主題による変奏曲(「エニグマ(謎)」変奏曲)(Variations on an Original Theme("Enigma")) 作品36

行進曲「威風堂々」第1 - 6番(Military Marches "Pomp and Circumstance") 作品39-1 - 6(第6番は未完成。A.ペインによる完成稿あり。)

協奏曲
ヴァイオリン協奏曲 ロ短調 作品61
2点
雰囲気はいいのだが、メロディーがぜんぜん印象に残らず、大曲なのになんとなく聴き流していたら終わってしまった。

チェロ協奏曲 ホ短調 作品85

室内楽曲
「愛の挨拶」("Salut d'Amour" ("Liebesgruss")) 作品12
5点
愛らしくていい小品。個人的な思い入れもあり5点。

ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 作品82

弦楽四重奏曲 ホ短調 作品83

ピアノ五重奏曲 イ短調 作品84

声楽曲
オラトリオ「ゲロンティアスの夢」("The Dream of Gerontius") 作品38

フレデリック・ディーリアス(Frederick Theodore Albert Delius CH 1862 - 1934)
交響曲・協奏的作品
チェロ協奏曲(1921年)


管弦楽曲
管弦楽組曲『フロリダ』(Suite "Florida", 1886年 - 1887年)

夜想曲『パリ』(管弦楽曲)(Paris: The Song of a Great City, 1898年)

古い黒人奴隷の歌による変奏曲『アパラチア』(合唱つき)(Appalachia: Variations on an old slave song, 1902年)

イギリス狂詩曲『ブリッグの定期市』(Brigg Fair, 1907年)
3.3点
凡庸でない独特の美しさのある田園的な序奏と主題の変奏。息の長い変容と、少しの違和感をうまく使いこなす音使いと、しなやかで流麗なオーケストレーションのディーリアスの特長が端的に楽しめる。民謡的でありながら浮遊感と密かな陰影を持つ主題がよく作風とマッチしているし、変奏曲の聴きやすさもあって楽しめる。

幻想曲『夏の庭で』(In a summer garden, 1908年)

高い丘の歌(ヴォカリーズの合唱つき)(The Song of the High Hills, 1911年)
3.0点
大作であるがゆえに密度がうすくなり、スケールの大きさがプラスに働いていないと感じた。時間の流れの悠然としたのが物足りなく感じる。時間の流れは違うものの、小品を引き伸ばしたようなイメージである。ただし聴き込めばもっとよい曲と感じられる予感はある。

小オーケストラのための2つの小品 (2 Pieces for small orchestra)

春初めてのカッコウの声を聴いて (On hearing the first cuckoo in spring, 1911年 - 1912年)
3.5点
カッコーの鳴き声が何度も出てくるところが聴きやすい。4分の小品で独特の息の長い音楽を紡ぎ出す明るい光に包まれたような流麗さと自然の美しさの表現や音の使い方を堪能できる。ディーリアス入門にちょうど良い。なかなかの名品だと思う。

楽園への道 (The walk to the paradise garden, 1911年 - 1912年)(歌劇『村のロメオとジュリエット』 の中の間奏曲)
3.0点
美しいが、重さがなくて軽いバックミュージックの映画音楽のようである。クラシック音楽としてはあまり楽しめなかった。

(管弦楽組曲)『北国のスケッチ』(North Country Sketches, 1913年 - 1914年)

夏の歌(A Song of Summer, 1931年)
3.5点
かなり美しい交響詩。独特の幻想的な風景が、空気感と光彩と匂いを伴って、ヒースの生い茂る崖に腰掛けて海を見渡している場に本当にいるかのように感じさせるほど見事に表現している。没入感を感じさせる管弦楽の音色と使い方のうまさに感心する。音の流れを重ねていきながら積み重ねて息の長い大きな時間の流れを作るのに身を委ねるのが楽しい。

グスターヴ・ホルスト(Gustav Holst, 1874 - 1934)
組曲『惑星』 (1914-17)
火星、戦争をもたらす者
4.5点
5拍子の叩きつけるようなワイルドなリズムや、メロディーも和声もすごくかっこいい。軍神マーズをまさに想起する。

金星、平和をもたらす者
3.5点
優しく美しい。いい曲だが、他の曲と比較しても金星というタイトルのかもし出すイメージがプラスに働いていると思う。

水星、翼のある使者
4.0点
複調の生み出す絶妙の響きと小気味よいリズムとフレーズはかなりセンスが良くて楽しい。

木星、快楽をもたらす者
5点
第一主題も叙情的で有名な中間部のメロディーも、まさに宇宙のように壮大であり、その異次元の巨大さに想いを馳せてしまう。

土星、老いをもたらす者
3.0点
ホルスト本人は一番気に入っていたらしいが、「惑星」に豪快で華やかなものを求める自分としては、長いわりに地味とどうしても思ってしまう。

天王星、魔術師
3.0点
魔術師が魔法を見せるような雰囲気が動機の繰り返しでうまく表現されていて、面白い。

海王星、神秘主義者
3.5点
静かで神秘的な、異世界で白くて冷たい霧に包まれたよう感覚になるような曲。

宗教曲
讃歌『イエス讃歌』
3.3点
惑星と音楽はそっくり。キラキラした宇宙的スケールと神秘的な叙情の融合を見せており、それが宗教曲として活用されて独特の雰囲気を作っている。惑星が好きな人が次に聞いても全く違和感なく、期待通りのものを得られるだろう。

ハヴァーガル・ブライアン(William (Havergal) Brian, 1876 - 1972)
大作の交響曲を32曲も書いた人。ネットで評判を見る限り、作品はあまり面白く無いようだ。しかし私の聴いた1番に関しては、それなりに楽しめるものだった。

交響曲1番「ゴシック」
3.0点
大変長く大編成であることで有名な曲。深く考えずとも派手な管弦楽を楽しむことが出来るので、駄作ではないと思う。

シリル・メイヤー・スコット(Cyril Meir Scott, 1879 – 1970)
交響曲第1番 ダルムシュタット初演(1900年)
3点
独特のフワフワした不思議世界。

交響曲第2番 ロンドン初演(1903年)

交響曲第3番「ムーサ The Muses 」マンチェスター初演(2003年)
2.5点
ハリーポッターのようなファンタジー映画のサントラみたいな音楽として楽しめた。最後の楽章に謎の合唱が入っていたが意味不明。

交響曲第4番 マンチェスター初演(2005年)
2点
3番と同じくファンタジー映画風だが、茫洋としていて不明瞭な雰囲気が強くいまいちだった。

Early One Morning
1.5点
早朝の黎明を連想させるような音楽。印象派的な音の使い方である。しかしムードミュージックのようなレベルの音楽であり、芸術作品としてはレベルが低い。

交響詩「ネプチューン」
1.5点
海の恐ろしさを表現する音楽にはなっているが、うねうねしているだけと悪口を言いたくなる。7分くらいなら楽しめるだろうが25分はあまりに長すぎ。

ピアノ協奏曲1番
1.5点
部分を抜粋して聴いたが、変わったサウンドだなという感想しかない。何がしたいのか理解できなかった。

Lotus Land
2.5点
サティにかなり似た虚無の不思議空間を漂うような雰囲気の小品。面白い。
ハミルトン・ハーティ(Sir Hamilton Harty, 1879 - 1941)
アイルランドの作曲家

ピアノ協奏曲
1.5点
ラフマニノフ風のピアノの活躍と響きであるが、作曲の才能を感じない。完全に二流と思ってしまった。

フランク・ブリッジ(Frank Bridge, 1879 - 1941)
ピアノ五重奏曲
2点
最初の10分くらいはひどく退屈たったが、その後は「おっ」と思わせる美しい場面が何度もあった。19世紀ロマン派の強い残照と20世紀の新しい音楽が混在し、かき混ぜていない液体のようにまだらになっている。いい場面を渋くて惜しい方向にもっていってしまう。

エドガー・ベイントン(Edgar Bainton、1880 - 1956)
交響曲2番
2.5点
観念的で、はっきりとしないまとまりの無さがいかにもマイナー交響曲。しかし暗い気分で聴くと、人間の不条理に悩む情念や、一条の光に希望を感じる様などに共感できる。精神的な表に出ない闇の部分の音楽化に取り組んでいるところに好感が持てる。

交響曲3番
2点
2番に似ているが、あれほど観念的で内面的ではなく、少し外面的な空間性も現れている。バレエ音楽のように場面がはっきりと移り変わる。だから変化を楽しむことは出来るのだが、2番のような深さを目指しておらず中途半端になっている。

アーノルド・バックス(Sir Arnold Edward Trevor Bax, KCVO, 1883 - 1953)
一次大戦と二次大戦の間に沢山の交響曲を書いた人。渋めの作風が個人的には好みである。

交響曲
交響曲第1番 (1922)
3.3点
マイナー曲らしい地味な渋さを持ちつつも、SFの映画音楽のようなキラキラした壮大さと展開の大仰さを持っていてなかなか愉しい宇宙的な冒険心をそそる音楽になっている。このため次の展開を楽しみにしながら聴いていける。イギリスらしい端正さと田舎くささももちろんあり、一方でブリテンに似たイギリスらしい独特の音の感覚をバックスも強く感じさせる。とはいえ派手さや旋律に頼らないで地道に音楽を作っていくような感じもあるのが個人的にツボである。

交響曲第2番 (1926)
3.3点
SF映画のようなスペーシーな壮大な派手さが愉しい。基本的に叙景的で想像世界を描く楽しみの音楽であり、精神的な深堀りは感じない。精神的な場面展開に心を委ねて想像世界を彷徨する楽しみが好きな人ならば、一定の満足感を得られると思う。耳を強く捉えるメロディーがないためメジャーになる日が来るとは思えないのだが、マイナー交響曲の愉しみを満喫できる作曲家の1人だと感じる。

交響曲第3番 (1929)
3.3点
空間的な描写的な要素が非常に大きい2番までと違い、もっと心理的な内面的部分の描写が多くなっている。そして、響きに浮かない気分や渋さが増加している。2番までと好みは分かれるかもしれない。とはいえ、エンターテイメント音楽の方向性ではあり、楽しみながら聴くもので思想的な何かは感じない。最後の楽章はかなり華やかでSF音楽的である。あと一押しの何かがあったらなかなかの名作になり得た曲。

交響曲第4番 (1931)
2.8点
なんだか地味でうだつの上がらない感じの曲である。イマイチ冴えない印象が強く、ある程度感じられた才能の輝きがなくなってしまっている。特に前半は面白くなくてがっかりしながら聴いた。最後の盛り上げ方も、まるで素人が書いたような曲と思ってしまった。

交響曲第5番 (1932)
3.3点
しなやかな夜の幻想性の世界の音楽。壮大さを取り戻しており、描写的なだけでない雰囲気の幻想性と変容を楽しめる。内面的な深堀りは相変わらずないが、輝かしさと渋さを併せ持つために一定の奥深さはある。とはいえ、音を楽しむ音楽であり、音の変容の流れに身を委ねるのが愉しい。まるでラフマニノフのように心の欲求に音楽の緩急を合わせるのが上手くなっている気がする。最終楽章はバックスらしい豪華な盛り上がりを魅せるが、旋律が渋目で表面的な盛り上がりにならないように抑制しているように聴こえる。

交響曲第6番 (1935)
3.0点
随分と幻想的な世界観の曲である。現実的な感触に乏しく、ずっと夢の中の自由に変容していく世界にいるように感じる。とりとめのない雰囲気自体は悪くないが、前半は発想の天才性が足りず地味で光るもののない音楽という気もしてしまう。しかし、2楽章の後半になると音楽が心を捉えて沁みてきて感動する場面が増えていく。そこから切れ目なしに続く次の楽章も良い。ダイナミックな動きと揺れ動く幻想性のバランスがツボにはまる。

交響曲第7番 (1939)
2.5点
1楽章は派手に音を鳴らしながら場面を次々と移していく音楽。しかし盛り上げるような音にはなったりするが全体的な方向性が定まらないため気分的にもやもやしてしまい、あまり面白くない。2楽章も似たような印象がある。雰囲気は悪くないが冗長すぎて繰り返しが多く、その中での方向性が把握しにくくてあまり楽しめない。その印象は引き続き最後の楽章まで続いてしまう。

管弦楽曲
交響詩「ティンタジェル」(1919)
3.3点
バックスの良さが典型的に現れた華やかで空間的な描写を楽しめる曲。交響曲の広大さはない物足りなさはあるのだが、コンパクトに作られており聴きやすくて良い。ブルックナーの8番最終楽章の壮大さを連想させるとともにエネルギーを持った高揚感もあるのだが、もっとぶっとんだような突き抜けた地点に到達してほしかった感じがする。そうすればもっと有名になれたと思うのだが。

カイホスルー・シャプルジ・ソラブジ(Kaikhosru Shapurji Sorabji, 1892 - 1988)
どう考えても頭がおかしかったとしか思えない、無茶苦茶が延々と続くような肥大化したピアノ曲を書いた人。

オプス・クラビチェンバリスティクム
2.0
誇大妄想が膨らみに膨らんだ無茶苦茶なカオスのピアノ音楽。わけわからない、狂気のまま即興で鍵盤を叩きまくったような音の塊が4時間45分も続く音楽。よくこんな音楽を練習して生演奏できるものだ。聴くというより体験する音楽。

ハーバート・ノーマン・ハウエルズ(Herbert Norman Howells、1892 - 1983)
アーネスト・モーラン(Ernest John Moeran, 1894 - 1950)
管弦楽曲
交響的印象『山の国にて』(1921年)

狂詩曲 第1番 ヘ長調(1922年)

狂詩曲 第2番 ホ長調(1924年、1941年改訂)

小管弦楽のための二つの小品(1931年)

『ファッラーゴ』組曲(1932年)

交響曲 ト短調(1934年-1937年)ハミルトン・ハーティに献呈。

ある祝典のための序曲(1930年-1935年、未完成)2011年にマーティン・イェーツにより補筆完成・初演。

シンフォニエッタ(1944年)アーサー・ブリスに献呈。

仮面劇のための序曲(1944年)ウォルター・レッグに献呈。

セレナーデ ト長調(1948年)

交響曲第2番 変ホ長調(1939年-1950年、未完成)2011年にマーティン・イェーツにより補筆完成・初演。


協奏曲
ヴァイオリン協奏曲(1938年)

狂詩曲 第3番 嬰ヘ短調 -ピアノと管弦楽のための-(1943年)

チェロ協奏曲(1945年)

室内楽
弦楽三重奏曲(1931年)
2点
よく分からなかった。書かれた年代にしては古い響きが大半。

ジョージ・バターワース(George Sainton Kaye Butterworth, 1885 - 1916)
ジェラルド・フィンジ(Gerald Raphael Finzi, 1901 - 1956)
クラリネットと弦楽のための協奏曲
3点
ドイツ系とはまったく違う独特の美しさに彩られたクラリネット協奏曲であり、面白い。

ピアノと弦楽のためのエクローグ
3点
フィンジ独特の美学が発揮されていて、ピアノの響きも弦楽との絡みも美しい。なかなかよい。

レノックス・バークリー(Lennox Berkeley、1903 - 1989)
交響曲 1 (1936–40)

交響曲. 2 (1958, revised 1976)

交響曲 3, in one movement (1968–9)

交響曲 4 (1977–8)

エドマンド・ラッブラ(Edmund Rubbra、1901 - 1986)
交響曲
第1番 作品44

第2番 ニ長調 作品45

第3番 作品49

第4番 作品53

第5番 変ホ長調 作品63

第6番 作品80

第7番 ハ長調 作品88

第8番「テイヤール・ド・シャルダンを称えて」作品132

第9番「復活」作品140

第10番「室内交響曲 Sinfonia da Camera」作品145

第11番「コレットに捧ぐ à Colette」作品153

協奏的作品
ピアノ協奏曲 作品30(撤回)

ピアノと管弦楽のための協奏交響曲 ハ長調 作品38

ヴィオラ協奏曲 イ長調 作品75

ピアノ協奏曲 ト長調 作品85

ヴァイオリンと管弦楽のための即興曲 作品89

ヴァイオリン協奏曲 イ長調 作品103

チェロと管弦楽のための「独白 Soliloquy」


ウィリアム・ウォルトン(Sir William Turner Walton OM, 1902 - 1983)
20世紀のイギリスを代表する作曲家の一人のようだが、個人的にはこのひとの響きの感覚が苦手であり、ぜんぜん楽しめない。

管弦楽作品
交響曲 第1番 変ロ短調 (1935年)

交響曲 第2番 (1960年)

交響曲 第3番(未完成)

戴冠式行進曲『王冠』 (ジョージ6世の戴冠式のために作曲)(1937年)

協奏曲
協奏交響曲 "Sinfonia concertante" (1927年/1943年改訂)

ヴァイオリン協奏曲 (1939年/1943年改訂)

ヴィオラ協奏曲 (1929年/1961年改訂)

チェロ協奏曲 (1956年/1975改訂)

ファンタジア・コンチェルタンテ "Fantasia concertante, for two pianos, jazz band, and orchestra" (1924年)

合唱作品
オラトリオ『ベルシャザールの饗宴』

ウィリアム・オルウィン CBE(William Alwyn CBE、1905 - 1985)
交響曲第1番

交響曲第2番

交響曲第3番

交響曲第4番

交響曲第5番「壷葬論」

ハープ協奏曲「リラ・アンジェリカ」

ピアノ協奏曲第1番

ピアノ協奏曲第2番

ヴァイオリン協奏曲

オーボエ協奏曲

マイケル・ティペット(Michael Tippett,1905年 - 1998)
声楽曲
オラトリオ「われらの時代の子」(A Child of Our Time) 1939年-1941年


管弦楽曲
交響曲第1番(英語版)(全四楽章)

交響曲第2番 1956年 - 1957年(全四楽章。)

交響曲第3番(英語版) 1970年 - 1972年(二部四楽章)

交響曲第4番 1977年(単一楽章)

2つの弦楽合奏のための協奏曲(英語版)

ピアノ協奏曲

マルコム・アーノルド(Sir Malcolm (Henry) Arnold、1921 - 2006)
交響曲
交響曲第1番

交響曲第2番

交響曲第3番

交響曲第4番

交響曲第5番
3点
オーケストラのキレがよく表情豊か。おどけたり、叙情にあふれたり。なんかいいな、と思わせる部分が多い。

交響曲第6番

交響曲第7番

交響曲第8番

交響曲第9番

管弦楽曲
「タム・オ・シャンター」序曲(Tam O'Shanter Overture)

協奏曲
2台三手のためのピアノ協奏曲(Concerto for Piano 3hands)

ホルン協奏曲第1番、第2番

トランペット協奏曲

クラリネット協奏曲第1番、第2番

フルート協奏曲第1番、第2番

オルガン協奏曲

リコーダー協奏曲

オーボエ協奏曲

ヴィオラ協奏曲

ギター協奏曲

28奏者のための協奏曲(Concerto for 28 Players)

ハーモニカ協奏曲

ギターと弦楽のためのセレナーデ
2点
印象に残るものは特になかった。


ピーター・マクスウェル・デイビス(Sir Peter Maxwell Davie, 1934 - )
現代音楽を使って交響曲を書いている人。存命者の中では最大の作曲家の一人である。残念ながら私には現代音楽すぎて楽しめるものではなかった。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/624.html#c1

[近代史7] 北欧の作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14706] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:43:18 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[35]
北欧 - クラシック音楽 一口感想メモ
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ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマーク

ヨーゼフ・マルティン・クラウス(Joseph Martin Kraus, 1756 - 1792)
モーツァルトと同年生まれで1年後に亡くなった人。才能に関しても、あの天才に少し落ちる程度であり、かなりのレベルにあると感じる。古典派でモーツァルトとハイドン以外を聴くなら、真っ先に手を出すべき作曲家の一人。

交響曲ハ短調VB142
4.0点
1楽章のロマンチックな激情と知性はモーツァルトに匹敵と言えるほどの素晴らしさ。2楽章も時代を考えるとロマンチックであるとともに、モーツァルトに近い。最後の3楽章はもっと激しくやってほしいし、霊感があと少し足りないと感じるが、十分に頑張っている。モーツァルトの2曲の短調の交響曲の天才性にはかなわないが、ハイドンの大半の短調の交響曲よりも優れていると思う。

フランツ・アドルフ・ベルワルド(Franz Adolf Berwald, 1796 - 1868)
交響曲第1番ト短調「まじめな交響曲」(Sinfonie sérieuse)
2点
僕にはただの凡庸なマイナー交響曲にしか聴こえなかった。

交響曲第2番ニ長調「気まぐれな交響曲」(Sinfonie capricieuse)

交響曲第3ハ長調「風変わりな交響曲」(Sinfonie singulière)

交響曲第4番変ホ長調「素朴な交響曲」(Sinfonie naïve、スコアには標題の表示は無い)


ニルス・ゲーゼ(Niels Wilhelm Gade, 1817 - 1890)
デンマークの作曲家。マイナー交響曲作曲家の中の大物の一人。

交響曲
交響曲第1番ハ短調Op.5

交響曲第2番ホ長調Op.10

交響曲第3番イ短調Op.15

交響曲第4番変ロ長調Op.20

交響曲第5番ニ短調Op.25

交響曲第6番ト短調Op.32

交響曲第7番ヘ長調Op.45

交響曲第8番ロ短調Op.47


トマス・テレフセン(Thomas Dyke Acland Tellefsen, 1823 - 1874)
ノルウェー


アスガー・ハメリク(Asger Hamerik, 1843 – 1923)(またはハンメリク)
デンマーク


ペーター・アルノール・ハイセ (Peter Arnold Heise, 1830 - 1879)
ヨハン・(セヴェリン・)スヴェンセン(Johan [Severin] Svendsen, 1840 - 1911)
ヴィルヘルム・ステーンハンマル(Carl Wilhelm Eugen Stenhammar, 1871 - 1927)
北欧の作曲家として、グリーグとシベリウスに次ぐ存在だそうだ。自分はまだほとんど聞けていないが、イメージはバランスの良い実力派という感じである。

管弦楽曲
交響曲 第1番 ヘ長調 (1902年 - 1903年)
4.0点
馥郁とした豊かで柔らかい響きの巨匠的な品格ただよう1楽章はなかなかの名品。3楽章もロマン派交響曲の屈指の中間楽章と呼びたいほどの美旋律と自然を感じさせる豊穣な音楽世界が大変に秀逸である。オーケストレーションがかなり良いように聴こえる。ロマン派の発見した良さを交響曲の楽章として最高度に結晶させている。他の楽章もなかなかの力作で十分に曲の価値をキープして楽しませてくれる。感動的なフィナーレは見事な盛り上げ方であり、いいものを聴いたと胸が一杯になる。作曲家の独自性は2番の方があるが、1番も大変な傑作である。

交響曲 第2番 ト短調 作品34(1911年 - 1915年)
4.0点
北欧の厳しさを伴った大自然を感じさせるところはシベリウスに似ていて、ゾクゾクする素晴らしさがある。音使いが室内楽のように簡素でポリフォニックな印象が強いが、それでもオケとしての十分な演奏効果を上げている。壮大な世界の広がりと凍てつく空気と氷の大地を感じさせる1楽章はかなり良い。他の楽章も素晴らしい。没入感があり良い音楽を堪能させてもらえて幸せな時間を過ごせる名作である。時々音の密度感の不足に物足りなさを感じるときがあるものの、全体としてはこれは難解で晦渋なシベリウスの交響曲よりも優れているかもしれない。マイナーなのが驚きの名曲。

交響曲 第3番 ハ長調(1918年か1919年、断片的なスケッチ)

セレナード ヘ長調 作品31(1908年 - 1913年、1919年 改訂)
4.0点
見事な管弦楽法でセレナーデらしい愉しませつつ、高度で密度が高く品位も高い音楽を実現している。この曲にはマイナー曲に何かしらある物足りなさがほとんど感じられない。まさに大作曲家の作品らしい隙のなさと磨き上げられた完成度である。完成度で比較するなら交響曲よりも上であろう。もし人口に膾炙するようなメロディーを一つでも産み出して取り込めていたら、有名曲になれた作品である。北欧らしさがありつつも交響曲より色は薄めであり、かなりドイツ的である。ドイツならではの重厚などっしりとした手ごたえ感があるが、しかし北欧らしい情景の要素や、品のよい遊び心のあるセンスとふわっとした軽やかさがあるのが楽しい。

演奏会序曲「高みを目ざして(Excelsior!)」作品13(1896年)

ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 作品1(1893年)
2.8点
1楽章はたいした特徴もなく地味で面白くない。2楽章は軽やかな詩情が楽しめる。楽しい気分で最後まで聴ける。3楽章は天才的な場面がごく短い間だけ存在するが他は凡庸である。4楽章も凡庸である。全体として2楽章だけがオススメできるが他はあまり面白くないのと、4楽章通すと長すぎるため我慢の時間が長すぎてあまり評価できない。作曲者がピアノ協奏曲に向いていない印象である。

ピアノ協奏曲 第2番 ニ短調 作品23(1904年 - 1907年)
3.0点
それなりに立派に書かれた曲である。しかし、ピアノ協奏曲というフォーマットを使って独自の表現世界を作ろうとするアイデアが足りないように思えてしまう。なんともしっくりこない。独奏の場面が多いのは特徴と思う。オケにピアノの伴奏をさせて、ピアノを活躍させて、逆にピアノにオケの伴奏をさせることによって産まれる美や情感や情景に入り込めない。しかしこの不満が2楽章の後半から改善して良くなる。3楽章と華やかで高揚感があり愉しませるものがある。

(ヴァイオリンと管弦楽のための)2つの感傷的なロマンス 作品28(1910年)


室内楽曲
弦楽四重奏曲 第1番 ハ長調 作品2(1894年)
3.5点
音が薄めの管弦楽曲で個人的に想像していたとおり、とても弦楽四重奏はマッチしているようだ。この曲は多くの素材により複雑に作り込まれた充実感が素晴らしい。巨匠的な響きや音使いの品格と隙のない充実感がある。これで、パッと分かるよいメロディーや雰囲気作りがあれば完璧なのだが、4楽章はそれに近いものがある耳に残る憂いのあるメロディーを持っている。達人ドヴォルザークのセンスには負けるかもしれないが、かなりのレベルで弦楽四重奏をマスターしている。

弦楽四重奏曲 第2番 ハ短調 作品14(1896年)

弦楽四重奏曲 第3番 ヘ長調 作品18(1900年)

弦楽四重奏曲 第4番 イ短調 作品25(1909年)
3.3点
短調の曲である。特に陰鬱さが強調されているわけでもないのに、全体にやたらと浮かない気分にさせられるのは何故だろう。密度感や構成や素材の充実感はあるのだが、聴いていて暗い気分になるせいでなんだか楽しめない。おそらくは非力になり重力に負けて身体を横たえながら魂が抜けながら脱力していく感じが気力の喪失を感じさせて、それが精神にダメージを与えるのだろう。あまり記憶のない不思議な感覚だと思った。また、充実感があるにも関わらず「これは良い」とすぐ分かる明快なメロディーやフレーズの良さに欠けるのも欠点である。

弦楽四重奏曲 第5番 ハ長調 作品29(1910年)
3.5点
わりと短い曲なのだが、非常に多くのものを内包した作品である。深淵にして自由闊達なところは、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲をかなり連想させる。あれほどの高みと深淵は全然ないにしても、通常では到底到達しないかなりの独自の境地に居る音楽と感じる。達観したような感じだろうか。音が薄いのだが、不思議なバランスと自由さで駆け回っていき、それが妙に多くのものを限界も自由さの臨界点も裏も表も全て見切ったか心境に感じるのだ。不思議な作品である。

弦楽四重奏曲 第6番 ニ短調 作品35(1916年)
3.5点
人生の終焉に向かって総決算をしていくような心境がやりすぎな位に赤裸々に描かれている。晩年らしい作品に作品である。祈りの気持ちが前面に出たり感傷的になる場面もある。かなり感動的な曲なのだが、それまでの作品と比較して、あまりに曲のトーンが一面的に偏っている気はする。感動的な場面が多数の赤裸々なこの曲は、ベートーヴェンやブラームス後期に匹敵すると感激する人も居るだろう。

ヴァイオリン・ソナタ イ短調 作品19(1899年または1900年)

ピアノ曲
ピアノ・ソナタ ハ長調(第1番)(1880年)

ピアノ・ソナタ ハ短調(第2番)(1881年)

ピアノ・ソナタ 変イ長調(第3番)(1885年)

ピアノ・ソナタ ト短調(第4番)(1890年)

ピアノ・ソナタ 変イ長調 作品12 (1895年)


オット・マリング(Otto Valdemar Malling, 1848 – 1915)
デンマーク

ピーター・エラスムス・ランゲ=ミュラー(Peter Erasmus Lange-Müller, 1850-1926)
デンマーク


クリスティアン・シンディング(Christian August Sinding, 1856 - 1941)
交響曲
交響曲第1番ニ短調op.21

交響曲第2番ニ長調op.83

交響曲第3番ヘ長調op.121

交響曲第4番『冬と春』op.129

ヨハン・ハルヴォシェン(Johan Halvorsen, 1864 - 1935)
ノルウェー

交響曲1番
3.5点
ドヴォルザークやチャイコフスキーあたりに近いロマン派音楽。かなり聴きやすくていい曲で驚いた。

クット・アッテルベリ(Kurt Magnus Atterberg, 1887 - 1974)
マイナー交響曲作曲家の有名人の一人。個人的には、もうツボにドンピシャであり、メジャー曲にはない独特な個性と世界観を楽しむマイナー交響曲の楽しさを最大限に享受できる作曲家である。。ブルックナーを近代化して映画音楽的なエンタメの要素も取り入れた趣味的な交響曲と言えるだろうか。趣味で書いた作品とのことで、どこかアマチュアらしい凝りすぎない書きたいものを書いた感じがある。

交響曲
交響曲第1番 ロ短調 (op.3)
3.5点
近代的な華やかな管弦楽法と響きの華麗さが良い。2楽章はブルックナー的な広大さの中で漂うような旋律で素晴らしい。陽光の中で音楽に身を浸すように聴ける。現代の映画音楽の大自然の場面のようでもある。人によっては好みにズバッとはまるだろう。3楽章はブルックナーのような骨太さに現代の映画音楽のような運動神経と近代的な管弦楽法のキレの良い輝かしさを合わせたもの。しかし音の密度感はアマチュアらしい物足りなさもある。最後の楽章は高揚感が大作でありながら全体に横溢していて、やはり密度感の問題はあるものの、かなりアドレナリンを放出させる愉しい音楽になっている。全体にブルックナーを分かりやすくエンターテイメント的にした印象。演奏が良いためかなり楽しめる。

交響曲第2番 ヘ長調 (op.6, 1911-13)
3.8点
1楽章は明るく叙情性すら感じる優美さと陽気さを持ちつつも大自然のようなスケールの大きさを持つ、とても素敵な曲。かなり気に入った。2楽章以降も、密度が上がり雰囲気だけでない充実感とともに、全体的な明るさとスケールと楽しませる工夫と没入感のバランスが自分にとってはとても好みで絶妙さを感じる音楽になっていて、聴き終わった後の満足感はかなりのものだ。楽しくてまた聴きたい気持ちになる。最終楽章はやや安っぽく感じるきらいもあるが、見事な締めくくりであっぱれと言いたくなる。

交響曲第3番 ニ長調『西海岸の光景』 (op.10)
3.5点
1番と2番はいわば同工異曲と言っても良い類似した曲だが、3番は趣向を変えている。薄明のような光の弱さの中で動く音楽の1楽章は短調も使われて新しい境地になっている。なかなか面白い。ロマン的な情緒に浸りきる場面もあったり、かなり自分のツボをついている。最後まで激しくならずに終わるが満足度は高い。

交響曲第4番 ト短調 (op.14, 1918)

交響曲第5番 ニ短調 (op.20, 1922)
3.5点
かなり分かりやすいチャイコフスキーのような派手な冒頭である。なかなかカッコよくてしびれる。エンターテイメント的で分かりやすいのだがそれだけでなく、音の作り方のセンスがなかなかだし、宇宙のようになったり様々に変遷していきダイナミックに展開していく各場面がいちいちツボを突いてくる。長さに身を任せて心を揺らされる楽しさはなかなかである。前半は最高なのだが、最後の10分は少し派手すぎて単純さが生まれてしまい、やや物足らなくなった。

交響曲第6番 ハ長調 (op.31, 1928)
3.3点
まとまりがよい代わりに、独特の壮大で自由なところが失われている。ブルックナー的な際限のないようなスケールの大きさがなく、曲の世界に没入する感覚を得られないため、かなり物足りなく感じる。十分に満足感を得られるのは2楽章だけである。3楽章は通俗的で軽薄でありかなり不満である。1楽章も分かりす過ぎる不満はあるが悪くない。コンクールの優勝作品とのことだが、その事実がネガティヴに感じる作品である。

交響曲第7番 (op.45, 1942)
3.0点
アッテルベリのマジックが消えてしまい、ただの映画音楽的な交響曲になってしまっている。ラディカルさとか独特の世界に没入できる感覚がない。かなりがっかりである。とはいえ、じゃあ完全に二流の音楽かというと、よく聞くとそうではないと思う。ロマン派に退化してしまった完全に時代遅れな作曲家という感じではあるが、1楽章や最後の楽章はエンターテイメント性のある派手な音楽としてそれなりに楽しめる。2楽章も純ロマン的な楽しさがあったりする。

交響曲第8番 (op.48, 1944)
3.3点
非常に土臭くて、ロシアの作曲家かと思うような曲である。7番と似たような通俗的でロマン派の雰囲気の曲だが、3楽章制でなく4楽章あることで、楽章の間が極端すぎずにがっちりした構成感が出ている。始めからこのような音楽の作曲家なのだと思って聴くと、やや通俗的ながらもなかなか楽しんで聴ける。曲が長くないのも良い。最初は地味かと思ったが、通して聞くと後悔せずに楽しい音楽を愉しい気分で聴けるものだった。旋律がなかなか秀逸で耳に残るものばかりである。

交響曲第9番 (op.54, 1957)
3.5点
カンタータ風である。壮大さ純美や独唱の孤独感などカンタータらしい魅力が詰まっている。アッテルベリならでは独自の魅力を交響曲ほどは感じられないとは思うが、分かりやすく聴き手に寄り添ったロマン的な音楽はやはり素直に楽しめるものである。つまり、カンタータのある種のフォーマットとしての幅の狭さは気になるし、冗長で次の場面を待っているだけの時もあるが、各場面はなかなか聴いていて世界に没入できる旋律の美しさと華麗でエモーショナルな雰囲気を持っている。

協奏曲
ピアノ協奏曲 (op.37)
3.0点
1楽章は平凡な曲と思う。2楽章は近代的なロマンティシズムと硬くて透徹した音の作り方とピアノの歌わせ方がラヴェルを連想させるものであり、なかなか楽しめた。3楽章は民族的な旋律を混ぜていく進んでいく曲で、ピアノは派手なパッセージを織り交ぜながら活躍するものの協奏曲らしい圧倒的な高揚感がないため少し物足りなさを感じてしまう。

カール・ニールセン( Carl August Nielsen, 1865 - 1931)
交響曲作曲家としてはかなりメジャーな存在。一般的には知らない人のほうが遥かに多いにも関わらず、あまり大きくないお店にもたいていCDが置いてあるという微妙な知名度の交響曲作曲家は彼しかいない。彼の音楽が独特の論理に基づいており、聞きやすそうでいて決して分かりやすくはないと思う。自分はまだコツを掴めておらず、楽しめていない。

交響曲
交響曲第1番 ト短調 (1891-92,op.7,FS.16)

交響曲第2番 ロ短調 『四つの気質』 (1901-02,op.16,FS.29)

交響曲第3番 ニ短調 『広がりの交響曲』 (1910-11,op.27,FS.60)

交響曲第4番 『滅ぼし得ざるもの(不滅)』 (1914-16,op.29,FS.76)

交響曲第5番 (1921-22,op.50,FS.97)

交響曲第6番 『素朴な交響曲(シンフォニア・センプリーチェ)』 (1924-25,FS.116)

協奏曲
ヴァイオリン協奏曲 (1911,op.33,FS.61)

フルート協奏曲 (1926/27改訂,FS.119)

クラリネット協奏曲 (1928,op.57,FS.129)


ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル(Wilhelm Olof Peterson-Berger, 1867 - 1942)
スウェーデン

ヒューゴ・アルヴェーン( Hugo Emil Alfvén, 1872 - 1960)
交響曲1
2.5点
後期ロマン派らしい音楽だが、精神的にも技術的にもまだ熟している感がない。


ボアセン(Borresen , Hakon,1876-1954)
チャイコフスキーとシベリウスを足して2で割ったような曲。なかなかよい。

ルーズ・ランゴー(Rued Langgaard, 1893 - 1952)
デンマーク

交響曲
交響曲 No. 1 "Kippepastoraler" (Mountain Pastorals)’’ (1908-09/1910-11), BVN. 32
3.0点
ゴージャスで壮大。広大で雄大な舞台を1時間以上かけてたっぷりと描写している。後期ロマン派のような世界だが、近代的な垢抜けた部分もある。好きな人にはわりとツボにハマると思われる。人間的な温かみのようなものは乏しく、現実世界か精神的仮想世界か謎だが、とにかく世界の風雨の中に居て大きく息を吸い込んで世界を見回しているような雰囲気が続く。コンセプトを楽しむ曲として、お腹いっぱいになるまで楽しませてくれる。しかし、音のセンスが天才的とは思わなかった。

交響曲 No. 2 "Vårbrud" (Awakening of Spring)’’ (1st version 1912-14)
3.0点
1番ほどゴージャスではなく、すっきりとして見通しが良い。初夏のような眩しさと無意識の心の壁がなくなり前向きになり積極的になるような解放感が心地よくて楽しい気分になる。音使いのセンスは言えば1番と似たようなものであり、一流作曲家の域には到達できていないと思うが、聴いていて清々しい気分になるため聴後感は悪くない。3楽章はマーラーのような女声の独唱であり、滑らかな雰囲気の移り変わりにおける場面の繋ぎ方やふわふわとオーケストラの上に漂うようなメロディーがよく似ていて、聴きやすい。聴いていて疲れない曲なのが良いところで、聞く行為の心理的な楽さがもう一度聴きたいと思わせてくれる。

交響曲 No. 3 "Ungdomsbrus (La Melodia)" (The flush of youth (La Melodia)’’ (effectively a piano concerto in one movement of about 30 minutes, 1915-16/1925-33), BVN. 96

交響曲 No. 4 "Løvfald" (Leaf-fall) (1916/1920), BVN. 124

交響曲 No. 5 (1st version, 1917-18/1926), BVN. 191*

交響曲 No. 5 "Steppenatur" (Nature of the Steppe) (2nd version, 1917-18/1920/1931), BVN. 216*

交響曲 No. 6 "Det Himmelrivende" (The Stormy Sky) (1919-20/1928-30), BVN. 165

交響曲 No. 7 (1st version, 1925-26), BVN. 188

交響曲 No. 7 "Ved Tordenskjold i Holmens Kirke" (By Tordenskjold in Holmen's Church (2nd version, 1925-26/1930-32), BVN. 212

交響曲 No. 8 "Minder ved Amalienborg" (Memories at Amalienborg) (with mixed chorus, 1926--28/1929-1934), BVN. 193

交響曲 No. 9 "Fra Dronning Dagmars By" (From Queen Dagmar's City) (1942), BVN. 282

交響曲 No. 10 "Hin Tordenbolig" (Yon Hall of Thunder) (1944-45), BVN. 298

交響曲 No. 11 "Ixion" (1944-45), BVN. 303

交響曲 No. 12 "Helsingeborg" (1946), BVN. 318

交響曲 No. 13 "Undertro" (Belief in Wonders) (1946-47), BVN. 319

交響曲 No. 14 (Suite) "Morgenen" (Morning) (with mixed chorus, 1947-48/1951), BVN. 336

交響曲 No. 15 "Sørstormen" (Storm at Sea) (with bass-baritone solo and male chorus,
1937/1949), BVN. 375

交響曲 No. 16 "Synflod af Sol" (Deluge of the Sun) (1951), BVN. 417


レーヴィ・マデトヤ(Leevi Antti Madetoja, 1887 - 1947)
フィンランド

ルドルフ・ニールセン (Ludolf Nielsen、1876 – 1939)
デンマーク

テューレ・ラングストレム(Ture Rangström、1884 - 1947)
スウェーデン


ウーノ・クラミ(Uuno Klami、1900 - 1961)
フィンランド

フランスの影響を受けているらしく、北欧的な硬さ厳しさの中に、色彩感とやわらかさがあるのが特徴。

交響曲2番
3点


ラーシュ=エリク・ラーション(Lars-Erik Larsson、1908 - 1986)
スウェーデン


ヴァン・ホルンボー(Vagn Holmboe, 1909 - 1996)
デンマーク


アラン・ペッタション(またはペッテション)(Gustav Allan Pettersson, 1911 - 1980)
ワンアンドオンリーの独自に深められた精神世界を彷徨するような長大で重厚な交響曲を沢山書いた作曲家。その点では20世紀のブルックナーと呼びたいような存在。

交響曲
第1番 (1951年)※破棄され、断片のみが現存。

第2番 (1953年)

第3番 (1955年)

第4番 (1959年)
3.0点
純粋な精神世界の音楽である。叙景をほぼ感じさせない。ドロドロとした暗黒世界の中で現実的精神とも妄想か生み出した虚構ともつかないような純美の世界が展開される。調性はかなり明確な場面が多いが、場面展開は旋律的でなく動機を重ねたり音響的だったりする。もやもやとした黒い霧と渦巻く暗黒オーラが常に世界を覆っている。少しずつ押したり引いたりしながら場面は展開していくから十分に堪能出来る。しかし、まだまだこれからの深化の序章としての楽しみという感じで浅さと未成熟さが残っている。やりたい方向性は既に明確だが、明確に世界を確立しきっていない。

第5番 (1962年)
3.3点
4番よりもはるかに暗黒度合いが高く、曲への没入度合いも高い。音像の完成度が段違いであり、一段階の深みに達している。魂の底にへばりついて動かしていくような力がある。単なる精神世界ではなく、もっと異次元の何かの亜空間の世界の音楽である。現代音楽風ではあるものの、調性はだいたいあるにもかかわらず、ここまでの世界に到達しているのはすごい。ここからがペッテションの本領発揮であろう。

第6番 (1967年)
3.0点
エモーショナルなパワーが増強して、それとともに暗黒的な魔界の世界観もさらに濃密度を上げている。うんざりするような暗黒度合いである。劇的なパワーは楽しめる部分もあるのだが、後半の同じ和声の上で延々と音楽を続けるのはさすがにやりすぎではないだろうか。息抜きがないためいい加減ウンザリしてしまった。

第7番 (1967年)
3.0点
ネオクラシック的な明快すぎる線が気になる。亜空間のような異世界の中を目に見えないオーラが覆うようなオリジナリティーが薄れたことにより、独自の魅力が薄れたように感じてしまった。音楽が明快になったことで、楽章がないものの構成自体はかなりシンプルなことも分かりやすくなり過ぎたように思う。とはいえ、個別の場面がそれなりに魅力ある音楽だとは思うが。

第8番 (1969年)
3.0点
7番の単純さとは全然違う、割り切りができない音の様相が続く。そして暗黒的なオーラがかなり弱い。光が常に差し込んでおり、拡散して曖昧になりながらも光の力が強いため、そこに暗黒は登場しない。どうしたのか?と突っ込みたいくらいだ。その目新しさを楽しみ、雰囲気の複雑で少しずつ移り変わる様を楽しめる。そしてスクリャービン後期を連想するような神聖なる神秘的な秘蹟の音楽という感じは強くあるのが面白い。得意の執拗なコーダも不思議な浮遊感があり、重力に引っ張られるような重さが少ない。

第9番 (1970年)
3.3点
長尺の曲らしいゆったりした時間の流れの中で不思議な音楽が続く。執拗な繰り返しの中で、マーラーの6番のような過剰に劇的で起伏の激しい内面エネルギーのドラマが演出される。しかし、これはとても抽象的で独自の超越的な亜空間の中でエネルギーの粒子を主人公として産まれるドラマである。なかなか面白い音楽であり、8番を拡張して独自のものに仕立て上げている。しかし現代音楽のようなものではなく、効果音により書かれているものの調性的で聴きやすい。長いコーダが最後に平安と安息で美しく終わるのにドキッとする。

第10番 (1972年)
3.0点
順番に聴いていくと突如としてカオスの音響のるつぼの別の作曲家になったかのような音楽になって面喰らう。この曲まではシンプルで統制が取れていたが、急に各楽器がバラバラに自分の出したい音を自由に奏でているかのような不統一な世界になっている。ひたすら圧倒されるだけで終わるのだが、飽きる前に短く終わるので、まあいいかと思える。凄い曲という感想はないが。

第11番 (1973年)
3.3点
前半はペッタションにしてはあまりにも生ぬるい。えぐりがなく、ゆったりとした時間をフリージャズのように自由に声部が登場してやりたい事をやっては去っていく感じだ。しかし後半はボルテージか上がっていく。ユニゾンの強奏から浮遊感の中に浮かび上がる姿の見えない強大なラスボスのようなものが存在している感は、独特の楽しさである。斬新なとても新しくて楽しい音楽を聴いた満足感はなかなかだ。

第12番「広場の死者」 (1974年) 合唱付き
3.0点
カンタータ風の声楽中心の曲。独特の浮遊感の中での雲を掴むような感じの合唱が延々と続いていく。しかし、あまり面白くないというか、強く感じるものがない。曖昧さが合唱によりパンチが効かなくなりさらに曖昧になってしまっている。謎の音楽という感想は最後まで消えなかった。また、あまりに長すぎる。全く芯のようなものがつかめず歌唱の不思議な音の繋がりと異様なテンションに圧倒されっぱなしなのはよいのだが、それだけが永遠に続く感じだ。しかし最後の最後に綺麗に伸ばした音で終わった時は、一気に気分がスッキリして達成感も感じて急に良いものを聴いたような気持ちになって点を上げてしまった。

第13番 (1976年)
3.5点
これは最初の数10秒を聴けばすぐ分かることだが、総合性を備えた素晴らしい力作である。重厚感のある重さと異次元のような浮遊感を備えており、カオス性とフリージャズのような自由さとコントロールされた統一性を全て兼ね備えている。聴きごたえが非常にあり、濃密な時間が流れていく。深くえぐるようなダークな精神性を持ちながら、発想豊かで変化に富んだ面白さもある。エモーショナルな場面もある。大変な覚悟で臨んだ代表作なのが音だけでもよくわかるし、その挑戦は成功したように思われる。

第14番 (1978年)
3.5点
ペッタション流の交響曲による晩年らしい枯れた味わいのある曲。妙に人生の終焉の予感で感傷的になったり薄い音の枯れた雰囲気の場面が見え隠れするのだが、それほど単純化されているわけではなく、カオス性は存続していて面白い。晩年の音楽が好きという人は多いと思うのだが、そういう人にはぜひ試しに聴いてみてもらいたい。音の濃密さや変化の多彩さや壮大なスケール感などは13番を継承しており、聴きごたえも13番ほどではないがかなりある。泣けるほどに心を震わせてくれる場面もある。割り切れない無限の変容の繋がりは相変わらずだが、場面を切り出すと普通の交響曲のような時が増えているようにも思える。

第15番 (1978年)
3.3点
14番と同系統の音ではあるが、この曲はなんとも言えないバランスの良さである。14番の終焉感のような特徴の明確さはなく薄められていて、平衡感覚を保った作品になっている。時間が短くてコンパクトであるが、これにはどちらかというと深い深い底の部分までは到達されない物足りなさを感じる。音楽に翻弄されきった完了感がない。出来は良い気がするが、いろいろとインパクトが弱い曲と思った。

第16番 (1979年) アルト・サクソフォン独奏付き
3.5点
サクロフォーン協奏曲のような作品であり、ひたすら独奏を吹きまくる。これがペッタションの晩年の作品に奇跡的な相性の良さを見せており、何度も聴きたくなるような素晴らしさである。無限の変容と感傷的な雰囲気のなかで、サックスはまさに魂とは単一のものであることを表象しているかのように吹かれる。そして吹きすさぶ嵐の中を人生を回想しながらも強く自分を保持し、それでもナイーブな気分にもなったり、揺れ動く。独自の作風と晩年であることとサックスの奇跡の結合で、少なくともクラシック音楽の中で他では見つけられそうもないオンリーワンの魅力を放っている。

第17番 (1980年)※破棄され、断片のみが現存。


エイナル・エングルンド(Einar Englund、1916 - 1999)
エイノユハニ・ラウタヴァーラ(Einojuhani Rautavaara 1928 - )
交響曲
交響曲第1番

交響曲第2番「シンフォニア・インティマ」

交響曲第3番

交響曲第4番「アラベスカータ」

交響曲第5番

交響曲第6番「ヴィンセンティアーナ」

交響曲第7番「光の天使」

交響曲第8番「旅」

カレヴィ・アホ(Kalevi Aho, 1949 - )
フィンランド


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E5%8C%97%E6%AC%A7
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/623.html#c1

[近代史7] スペイン・ポルトガルの作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14705] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:45:09 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[36]
スペイン - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3


トマス・ルイス・デ・ビクトリア(Tomás Luis de Victoria, 1548 - 1611)
1600年頃の大改革以前のヨーロッパ音楽は、無伴奏の合唱が主体で正直言って初心者には違いがよく分からない。
しかし、ビクトリアははっきり違うことがすぐに分かる。神秘的で輝かしく、強い祈りの気持ちが現代人の耳にもよく伝わる。

死者のためのミサ曲
4.5点
ビクトリアの代表作。作曲家のところの説明で書いたとおり、神秘的で輝かしく、強烈な祈りの感情に圧倒される。

フアン・クリソストモ・アリアーガ(Juan Crisóstomo Jacobo Antonio de Arriaga y Balzola, 1806 - 1826)
交響曲
2.5点
1楽章はモーツァルトの影響が濃く、2楽章以降はベートーヴェン以降のロマン派黎明期という感じの音楽。国が違うことによる新鮮さがある。しかしキャリアとしてまだまだこれからだっただろうと思う内容。

弦楽四重奏曲
2点
民族的なフレーズなど楽しめる要素は多少あるものの、全体的にカルテットを扱う作曲技術の不足を感じてしまう。最終楽章のアレグロは頑張っていると感じたが。

パブロ・サラサーテ(Pablo Martín Melitón de Sarasate y Navascuéz, 1844 - 1908)
大ヴァイオリニストとして有名であり、作曲家としてもあのツィゴイネルワイゼンの作者として有名。

ツィゴイネルワイゼン Op.20(1878年)
4.5点
技巧系ヴァイオリン音楽の代表作の一つ。粘っこくてタメがたっぷりの民族的なフレーズも早弾きも、めちゃくちゃカッコ良い。

イサーク・アルベニス(Isaac Manuel Francisco Albéniz y Pascual, 1860 - 1909)
ピアノ音楽の大家。ピアノに適合したピアノ曲を書いたという点では、かなり上位の作曲家だと思う。
最初は親しみやすく難易度の低い作品を書いており、晩年になって難易度の高い傑作を書いた。

スペイン狂詩曲
3.3点
ピアノ協奏曲形式。かなり通俗的。わかりやすいメロディーはよいが18分もあるとさすがに気になる。ありきたりのメロディーの連続にも聞こえる。とはいえ、スペインらしさとピアノ協奏曲の華やかさを楽しめる。

ピアノ曲
古風な組曲

マズルカ

スペイン舞曲

舟歌

組曲「スペイン」
全6曲。第2曲「タンゴ」が有名。「タンゴ」は熱気を含んだいかにもスペインらしい気だるさが心地よい曲。非常にいい曲である。

組曲「イベリア」全12曲
4.0点
晩年の名作。派手なパッセージはないのだが、演奏が難しいそうだ。たしかに楽譜をみると音だらけである。音楽はイメージの奔流であり内容が豊富で霊感にあふれている名作揃いである。ただし、曲の個性はあまり強くない。そのため統一感はあるが。ピアノ的な書法が素晴らしい。分かりやすい曲が多いアルベニスだが、この曲は成熟した大人っぽい雰囲気で不協和音も多くて渋い。明快な多くの作品と違い、複雑であり、何度も聞いても主なメロディーと構成が頭に入らず、すっきりと理解出来ない。20世紀のピアノ曲の名作のひとつ。霞の中のような感じで、幻想的で抽象的な場面が主である中に、スペインらしい現実感がたまに顔を覗かせる。そのさじ加減がよい。

ピアノソナタ5番
3.8
隠れた名曲。1楽章や3楽章のしなやかな叙情性の美しさが大変素晴らしい。ショパンと同様にピアノの機能と完全に結びつき同化した音楽であり、書法が見事である。ドイツ的なソナタらしい構築性や対比はそれほど見られないが、それを補ってあまりある詩情である。スペインとはどれだけ美しい国なのだろうか、と想像が膨らむほどである。早い2楽章と4楽章は短いので、主要ではない。落ち着きと旋律のよさが耳につく素晴らしいソナタである。後期ロマン派時代の屈指のピアノソナタであり、なぜマイナーなのか分からないほどだ。

ラ・ベーガ
3.0点
15分の大曲。変奏曲のように同じ動機を細かく変容させながら繰り返す部分を、いくつか組み合わせて作っている曲。伝説のような幻想的な雰囲気を漂わせる。ピアニスティックな場面も多い。内面的に情熱を持ちつつも、あまり全面に押し出さず奥ゆかしい。幻想曲のようであり、構成は弱いと思う。


スペインの歌

アストゥリアス(伝説)
4.0点
ずっとギター曲だと思ってた。ピアノ版もギターを模して書かれている。渋くてカッコいい。髭の濃いイケメンのスペイン人をイメージしてしまう。

エンリケ・グラナドス(スペイン語Enrique Granados y Campiña, 1867 - 1916)
アルベニスと並ぶピアノ音楽の大家。

ゴイェスカス(1911)(全7曲)
2.3点
アルベニスの名作群と並び、スペインのピアノ音楽の名作として評価の高いゴイェスカスだが、自分はラローチャ大先生で何度も聴いても良さがほとんど理解出来なかった。心に引っかかるモノがほとんど無いまま曲が終わってしまった。将来いつかまた再挑戦しようと思うが、現時点の評価はとても低い。

マヌエル・デ・ファリャ(Manuel de Falla y Matheu, 1876 - 1946)
管弦楽曲が有名。しかし秀逸なピアノ曲もあり、バランスと総合性があるという点でスペイン近代の最高峰の作曲家である。

管弦楽曲
『三角帽子』 第1組曲 G.58、第2組曲 G.59

『恋は魔術師』組曲 G.69(7曲?)

4つの讃歌 G.86

協奏曲
交響的印象『スペインの庭の夜』 G.49
3.3点
ほぼピアノ協奏曲である。スペインらしい熱気をはらんだ空気が感じられる名作。

ピアノ曲
夜想曲/Nocturno [1899-1900年]

マズルカ/Mazurka [1900年]

アンダルシアのセレナータ/Serenata andaluza [1899-1900年]

歌/Canción [1900年]

ヴァルス・カプリッチョ/Vals-capricho [1899-1900年]

バレエ音楽《三角帽子》より 3つの踊り

小人の行列/Cortejo de gnomos [1901年]

セレナータ/Serenata

演奏会用アレグロ/Allegro de concierto [1903年]

4つのスペイン小品/4 Piezas espanolas [1907-08年]

ベティカ幻想曲(アンダルシア幻想曲)/Fantasia bética [1919年]
4.0点
スペイン音楽史上で最高峰のピアノ曲。他のファリャの作品はそうでもないのだが、この曲は非常にピアニスティックであり、ショパンのスケルツォやリストの大作などと同格の出来である。近代的なピアノな華やかさ、スペインの風情に彩られた表情の豊かさ、緊密でスケールの大きさを併せ持ち、大変レベルの高いピアノ曲である。

クロード・ドビュッシーの墓碑銘のための讃歌/Homenaje, pour le tonbeau de Claude Debussy [1920年]

ヴォルガの舟歌/Canto de los Remeros del Volga

ポール・デュカースの墓碑銘のための賛歌/Homenaje, pour le tombeau de Paul Dukas [1935年]

火祭りの踊り/Danza ritual del fuego [1914-1916年]

ホアキン・トゥリーナ(Joaquín Turina, 1882 - 1949)
ファリャに次ぐスペインの大作曲家。音楽は魅力的で、とても楽しませてくれる。

交響的狂詩曲
4.0点
弦楽が入っていないのに驚くほど色彩感が豊か。印象派のような音使いやスペインらしい情緒の豊かさ華麗さ濃さが、素晴らしいピアノにオーケストラにより描かれている。短いのに内容豊かな佳曲。


フェデリコ・モンポウ(カタルーニャ語:Frederic Mompou i Dencausse, 1893 - 1987)
大作曲家という感じではないが、イージーリスニング寸前のまったりピアノ曲は、そういう気分の時には使える。

内なる印象(Impresiones intimas - Planys)1911年〜1914年

ひそやかな音楽(Musica callada)

歌と踊り(Cançons i danses)全15巻 1921年〜1979年

ホアキン・ロドリーゴ(Joaquín Rodrigo Vidre, 1901 - 1999)
ギターと管弦楽のための《アランフェス協奏曲》
5点
この人の他の曲は知らないが、この曲は素晴らしすぎる。有名な2楽章だけでなく、他の楽章も十分に素晴らしい。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/622.html#c1

[近代史7] アメリカの作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14704] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:46:46 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[37]
アメリカ - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB


エイミー・ビーチ(Amy Marcy Beach, 1867 - 1944)
19世紀の女性作曲家。

交響曲
2.0点
立派で聴き応えがあって驚く。フランス風で構築感があるという点ではフランクに近いし、きびきびと次の場面に移行する音自体の充実感はブラームス的か。しかし、音楽として立派なのに聴後の印象が残らない。印象的なメロディーが欠けているせいだろうか。

ピアノ協奏曲
2.0点
ピアノが華やかで効果的であり、優れたピアニストだったのがよく分かる。しかし曲としては交響曲同様に立派なのに印象に残らない。
チャールズ・アイヴズ Charles Edward Ives (1874 - 1954)
交響曲第1番 ニ短調(1896年〜98年)

交響曲第2番(1897年〜01年)

交響曲第3番「キャンプ・ミーティングThe Camp Meeting」(1901年〜04年)(マーラーが注目したことでも有名)

交響曲第4番(1910年〜16年)

ピアノソナタ第2番「マサチューセッツ州コンコード、1840年〜60年」(コンコード・ソナタ) (1909年〜15年)

アグスティン・ピオ・バリオス( Agustín Pío Barrios, 1885 - 1944)
ウォルター・ピストン(Walter (Hamor) Piston (Jr.) 、1894 - 1976)
交響曲
第1番(1938年)

第2番(1943年)

第3番(1948年)

第4番(1950年)

第5番(1954年)

第6番(1955年)

第7番(1960年)

第8番(1965年)

ハワード・ハンソン (Howard Harold Hanson, 1896 - 1981)
交響曲
第1番 ホ短調《北欧風》(1922年)

第2番(1930年)

第3番(1936〜38年)

第4番 《レクィエム》作品34(1943年)

第5番 《神聖なる交響曲 Sinfonia Sacra》作品43(1954年)

第6番(1967〜68年)

第7番 《海の交響曲 A Sea Symphony》(1977年)

ロイ・ハリス(Roy Harris, 1898 – 1979)
交響曲、管弦楽曲
交響曲「1933年」(交響曲第1番)

交響曲第2番

交響曲第3番

交響曲第4番「民謡交響曲」

交響曲第5番

交響曲第6番「ゲティスバーグの演説」

交響曲第7番

交響曲第8番「サンフランシスコ」

交響曲第9番

交響曲第10番「アブラハム・リンカーン」

交響曲第11番

交響曲第12番

シルベストレ・レブエルタス(Silvestre Revueltas, 1899 - 1940)
マヤ族の夜


カルロス・アントニオ・チャペス(Carlos Antonio de Padua Chávez y Ramírez, 1899 - 1978)
ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin、1898 - 1937)
管弦楽曲・協奏曲
ラプソディ・イン・ブルー

アイ・ガット・リズム変奏曲

パリのアメリカ人

ラプソディ第2番

キューバ序曲

交響組曲「キャットフィッシュ・ロウ」(『ポーギーとべス』の音楽を演奏会用組曲に編曲した作品)

ピアノ協奏曲ヘ調

ピアノ曲
3つの前奏曲

ソング・ブック

アーロン・コープランド(Aaron Copland, 1900 - 1990)
交響曲・管弦楽作品
交響曲第1番(1928年)

交響曲第2番『短い交響曲』(1934年)

交響曲第3番(1946年)
3点
グローフェと似たアメリカらしいおおらかな開放感、圧倒的な壮大な国土と大自然を感じさせる曲想が交響曲の形でそれなりに構築的に造形されている力作。

エル・サロン・メヒコ(1936年)
3.5点

静かな都会(クワイエット・シティ)(1941年、劇音楽1939年)
4点

アパラチアの春
3.5点
叙景音楽。コープランドでこの表題となれば期待するとおりの音楽であり、出来の良さである。

市民のためのファンファーレ(庶民のためのファンファーレ)(1942年)


協奏曲
ピアノ協奏曲(1926年)

クラリネット協奏曲(1950年) ベニー・グッドマンの依頼による。

ポール・クレストン(Paul Creston、1906 - 1985)
交響曲1番

交響曲2番
2.5点
いい曲とまではいかないが、所々魅力的な部分はある。しかし、様式がなんだか中途半端。都会的なところはさすがアメリカと感じる。

交響曲3番

交響曲4番

交響曲5番

交響曲6番

ウィリアム・シューマン(William Howard Schuman, 1910 – 1992)
交響曲
交響曲第3番 (1941年)
3.3点
温かみよりも鋭角的な切れ味を楽しむ曲。とはいえ、現代音楽的な音の不協和音のきつさとか、即物主義の気持ち悪さは少なく、あくまで包み込むような温もりを徹底的に排除して作った感じなのが良い。難解な音楽であると感じるが理解不能ではない落とし所も好きだ。なかなか洗練されていて都会的でカッコいい曲であり、新しい音楽を聴いた衝撃を得られる。しかし、衝撃だけで終わってしまい良い音楽を聴いたというような感想も残らないとも思った。30分とコンパクトで良いが、刺激ばかりで深い追求が足りない感じである。作者の中では他の交響曲と比較して本格的な構成でバランスが良く濃密であり、おそらく代表作だろう。

交響曲第4番(1942年)

弦楽のための交響曲 (交響曲第5番)(1943年)
3.3点
弦楽のための交響曲。ナイフで石を切り刻んで形を作っていくかのような鋭利な音使いが印象的な1楽章。2楽章はしなやかそうでありながらも、切れ味を感じさせる電子楽器的ともいえるデジタルな音の動きを重ねていく。中間のカオス感を作っていく感じと、そのあとの不思議な異次元空間に存在するかのような感じは面白い。3楽章のピチカートを活用した動きの感じは、かなり斬新な音の世界と感じて楽しめた。都会的な斬新さを弦楽の曲だけに純粋に楽しみやすい。

交響曲第6番(1948年)

交響曲第7番(1960年)
3.3点
3楽章までは暗いエレジーのような曲調で驚く。4楽章が面白い。プロコフィエフのピアノソナタ7番3楽章を思い起こすような変則リズムの組み合わせ。あれよりはマッタリであるが。2つのモールス信号の打鍵が組み合わされたようにも聞こえる。ある意味でポップな雰囲気に浸って楽しい気分のまま最後まで聞ける。

交響曲第8番(1962年)

交響曲第9番『アルデアティーネの洞窟』(1968年)
3.0点
戦争をテーマにした副題がついているだけに、抽象的で空気感や映像性に乏しい作曲者の曲の中では、ある程度テーマの明確さを感じて聴きやすい。とはいえ音の動きはらしいものがあり、基本的に抽象性は高い。銃撃を模しているような場面から、犠牲者を鎮魂する音楽への大きなストーリーは分かりやすい。細かいストーリーが分かりにくくて淡々と場面が進んでいるように感じるのが難点。しかし、作者の強い思いと衝動がわかる曲。

交響曲第10番『アメリカのミューズ』(1976年)

管弦楽曲・吹奏楽曲
アメリカ祝典序曲(American Festival Overture, 1939年)

協奏曲
ピアノ協奏曲(1943年)

ヴァイオリン協奏曲(1947年/1959年改訂)


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/619.html#c1

[近代史7] 日本の作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14703] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:48:34 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[38]
日本 - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC


山田 耕筰(やまだ こうさく、1886 - 1965)
日本クラシック音楽のパイオニア。後の作曲家達の音空間に共通するある種の日本人作曲家の共通点を既に見せている。

交響曲ヘ長調『かちどきと平和』
2.0点
日本最初の交響曲として名前は有名。ドイツロマン派のようであり、20世紀に書かれた交響曲としては非常に保守的な内容である。管弦楽の扱いはぎこちなくて、平板。曲として面白い場面はない。ドイツロマン派のよくある場面を真似しながらつなぎ合わせたかのような、学生の練習作品のような習作レベルであり、個人的にはガッカリした。しかし、パイオニアというのはこのような所から出発して、高みを目指して研鑽していくもの。日本人クラシック作曲者の原点の記録としてはやはり感慨深い。

長唄交響曲「鶴亀」
1点
長唄が好きな人なら面白いかもしれないが、そうではない自分にはオケと競演して何かが産み出されたように聞こえなかったし、何も楽しくなかった。

橋本 國彦(はしもと くにひこ、1904 - 1949)
交響曲第1番ニ調(1940年)
2.5点
2楽章が面白い。うーんと引き込まれる。他の楽章もわかりやすさの中に凡庸を拒否しており、はしばしにセンスの良さを感じる。

交響曲第2番ヘ調(1947年)
3.3点
2楽章制。1楽章はかなり気に入った。淀みなく進行する音楽がなんとも気持ちいい。品格があり、シベリウスのような豊かな自然と戦争が終わった人類の過去の歴史と未来を思料するような大いなる気分が混ざっていて、胸がいっぱいになるものがある。旋律の一つ一つは平凡だが、交響曲として複雑に組み上げられた結果として意味のあるパーツになっている。20分の大曲だが、もっと聴いていたいくらいだ。2楽章は残念ながらあまりいい曲とは思えない。ピンとこないまま曲が終わってしまう。1楽章がリバイバルするような最後の場面だけ気に入った。

3つの和讃
2.8点
和の心と祈りを多分に含みつつ、マーラー的なしなやかな情感を持った曲。切れ味がよくないのは気になるものの、真摯さと明確な作曲意図があり好意的に聴ける。しかし、一流の音楽というには平凡であることも否めない。

諸井 三郎(もろい さぶろう、1903 - 1977)
交響曲
交響曲第1番ハ短調Op.8(1934年)

交響曲第2番Op.16(1938年)

交響曲第3番Op.25(1944年)
3.0点
1楽章は骨太でドイツ的な堅い音楽。突き抜ける感じはないが、音の感じややろうとしていることはとても好みだ。2楽章は息抜き。3楽章が一番良い。何箇所か非常に感動する場面がある。ブルックナーのようにこころが膨らむ壮大さと心がどっぷりと音楽に包まれて魂を音楽に委ねる感じは、あまり日本人の曲では経験がない。全体的によいのだがしかし、常に最高に素晴らしいわけではなく、著名作品のような隙のない天才性の横溢という感じが残念ながら無い。感動を思い出しつつ、物足りなさが消えないもどかしさも感じながら聞き終わった。

交響曲第4番Op.27(1951年)
2.5点
ドイツ的な構築性とロシア的な大河性を具有している本格派の作曲家ならではの大作。ピアノが活躍する。しかし、何かショスタコはじめ何人かの作曲家が突破できた壁の手前にいるようなもどかしさを感じてしまうのである。

交響曲第5番「大学祝典交響曲」Op.29(1970年)

シンフォニエッタ
2.5点
頑張っているのは感じるが発想にそれほど輝きを感じなかった。

大澤 壽人(おおさわ ひさと、1906 - 1953)
交響曲
交響曲第1番 イ調

交響曲第2番 変ロ調
2.8点
日本人らしい芋くささがない。ロマン派の残骸の響きがなく、完全に現代的な音の世界を作っている。その点では天才的である。しかし、音の感覚の鋭さを活かして、もう一つ高い次元の構築物として昇華できている感じではない。その意味では平板でありドラマがなさ過ぎる。部分を聴くと内容に不足感はあまりないのだが、やはり物足りない。最後にちゃんと終わらない不満もある。

交響曲第3番
3.0点
2番よりもオーケストラの扱いがこなれている印象である。ここまで見事に管弦楽法で非凡なプロフェッショナルさを感じる日本人作曲家はあまりない気がする。完全に近代的な作品だ。欧米のどこかの国に似ている印象はなく、かなり中立的で無国籍である。それらは良いのだが、交響曲として盛り上がりが欠けており、熱くなれない物足りなさは大きい。規模は大きいが、あまり交響曲らしくない。とはいえ4楽章は最終楽章らしいダイナミックさがあり、全体としては満足感をもって締めくくられる。

交響曲第4番

交響曲第5番

交響曲第6番「HIROSHIMA」(エドマンド・チャールズ・ブランデン)

交響曲第7番「邪宗門」(未完)

協奏曲
ピアノ協奏曲2番
3.0点
ピアノの使い方のセンスの良さには驚愕する。これが戦前の作品とは。同年の作品として、音楽の芯がどこか分かりにくい交響曲2番より、こちらの方が良いと思う。近代的で知性を感じさせながらも、新鮮な感性の輝きもみせる音楽である。ピアノの使い方は垢抜けていて音に対するセンスの高さが素晴らしい。ピアニステイツクさも、この時代の日本としては十分な高レベルに感じる。とはいえ、捉えどころが分かりにくい欠点はやはりある。予兆なしに突然終わるのもダメ。

ピアノ協奏曲3番
3.0点
1楽章は明確な躍動感があるが、分かりやすすぎるゆえに映画音楽のようになってじったきらいもある。2楽章のサックスの登場は驚いた。そして2番も3番も2楽章はラヴェルのピアノ協奏曲を連想する。お洒落さと叙情性が合わさった不思議な楽章。3楽章も近代的だが、ラヴェル的なお洒落さ強い気がする。前進する推進力や飛行機の登場する宮崎駿アニメのような躍動感はなかなか楽しい。日本人らしからぬ海外のどこに出しても恥ずかしくないセンスの塊の音楽はすごい。

伊福部 昭(いふくべ あきら、1914 - 2006)
リズムや節回しが独特で分かりやすい音楽を書いた作曲家。エンターテイント作品として楽しめる。

シンフォニア・タプカーラ (1954年 / 1979年)
3.0点
わかりやすい個性とフレーズで楽しく聞ける曲。交響曲らしい総合性はあるし、聴いて損はない。

ピアノと管絃楽のためのリトミカ・オスティナータ (1961年、2台ピアノ版あり)

別宮 貞雄(べっく さだお、1922 - 2012)
交響曲
交響曲第1番(1961年)

交響曲第2番(1975年 - 1977年、1978年・2004年改訂)

交響曲第3番「春」(1981年 - 1984年)
2.5点
作曲者の感性を個性として楽しめる曲。しかし、ブルックナーとマーラーの間くらいのような時代を感じてしまう和声やフレーズは古臭すぎると感じてしまう。ただしゲルマン的な暑苦しさはあまりなく、フランス的な優雅で軽い印象を受けた。

交響曲第4番「夏1945年」(1986年 - 1989年)

交響曲第5番「人間」(1997年 - 1999年、2001年改訂)

團 伊玖磨(だん いくま、1924 - 2001)
交響曲1番
2.5点
23分の単一楽章。聴きやすくて、様々な音の印象の移り変わりをそれなりに楽しめる。しかし、多くの作曲家の影響が見え隠れするし、大胆に自分ならではのオリジナリティの世界に踏み込みきれていない感じを受けるので、聴後感が物足りない。

交響曲2番
2.5点
3楽章構成の力作であり、交響曲らしさを目指して努力していることが伝わってくる。様々な所に作意や意志を感じる。音楽としてはスケール感もあり聴きやすい。しかし、いかにも20世紀のマイナー交響曲といいたくなってしまう、オケの表現能力に頼っただけの精神的な密度の薄さが気になる。自然界を表現したとすれば、いささか矮小だ。1番より進歩しているが、努力された跡が分かるという程度と思う。

交響曲3番
2.8点
前衛を取り入れた音作りにより、作曲者が自分の芸術に確信を持っているのがわかる。聴き映えの良さが上がっている。二楽章形式のためもあり、鋭くある断片を切り取ったような印象がある。芸術的な深みを指向している点では交響曲として受け止められる。しかし、素材の数が少なすぎて繰り返しばかりであり、聴いているうちに飽きてきてしまう。突いている所は良いのだが、広がりが足りない。

交響曲4番
2.8点
3番と作曲時期が近いため音楽は似ている。4楽章あるため、3番よりも総合性を持っている。音の聴き映えはよい。しかしながら、作り上げた音の世界が主張や精神性を持つに至らず、音のまま終わってしまう。終わった後にもう一度聴きたい何かを生み出せていないと思う。楽章の長さが短いためなおさらそう感じる。

交響曲5番
3.3点
非常に進歩しており、巨匠らしい音楽的な説得力と精神性を持った充実した交響曲となっている。聴いていて魅力に引き込まれる場面がかなりある。前衛的ではあるが、無理なく聴ける分かりやすさとバランスがあることが良い。日本を代表する作曲家のひとりと呼ぶに相応しい作品。

交響曲6番
3.0点
長尺を生かした時間の使い方で書かれている。前衛性が後退し、密度がやや薄いためもあり、歳をとったことを感じてしまう。内容的には「達筆」という言葉を連想する。音のぶつかり合いや雅楽的な要素を柔軟に活用しつつ、機能和声の音楽の範囲で書かれている。刹那的な流れは縦横無尽で優れているが、全体的な構築感が薄くて物足りない。歌は短い時間であり、あくまで一時的な効果に留まっている。

芥川 也寸志(あくたがわ やすし、1925 - 1989)
エローラ交響曲
2.0点
作曲の経緯を知ってから聴いたのでその部分は楽しめたが、音楽の内容は、ある一つの雰囲気を音楽で作ったという以上のものを感じなかった。


松村 禎三(まつむら ていぞう、1929 - 2007)
交響曲
交響曲1番
2点
なかなか内容がある現代音楽の交響曲。厳しく鋭く意味を持った音楽性がありいい演奏に出会ったら感動する可能性があると感じた。

黛 敏郎(まゆずみ としろう、1929 - 1997)
2曲の交響曲は、現代音楽を利用した強靭な創造性が心を打つ傑作。聴いている間、天才的な作品という賛辞が頭を離れなかった。

涅槃交響曲(1958)
3.3点
仏教をテーマにし、読経のような男性ボーカルを使った見事な音空間を造詣している。鐘の音を分析したそうで、どのように生かされているのか興味深く聴いた。この造形力はかなりのもので、天才的と言っていいと思う。

曼荼羅交響曲(1960)
3.5点
涅槃交響曲の半分の長さの姉妹編であるが、自分にはずっと深化した強烈な世界を造形することに成功した驚くべき傑作に聞こえた。超常的なエネルギーが渦巻く彼方の世界を圧倒的な量感で描いている。現代音楽でありメロディーは無いが、これなら問題なし。なお余談だが、スクリャービンがあと20年生きたらこんな音楽を書いていたかもしれないと感じた。法悦の詩に似ている。

矢代 秋雄(やしろ あきお、1929 - 1976)
寡作の天才であり、日本を代表する作品を多く作った作曲家とされている。確かに切れ味が鋭く、精神性が高く、時間をかけて磨き上げられた感じがする。そして、日本人にありがちな、音楽的なある種の平板さや予想の範囲内という感じがこの人にはあまりない。自分は以前は寡作の作曲家の悪い面を持っていると思っていたが、今は日本を代表する素晴らしい作曲家と考えている。

弦楽四重奏曲(1955年)

交響曲(1958年)
3.3点
4楽章作品であるだけでなく、主張の感じられる音の使い方であることが、交響曲らしさをみせている。しかしながら、基本的に音が薄く、楽器を分厚く重ねていなくてオーケストラの能力をフル活用していない点ではあまり一般的な交響曲のイメージと合わない。場面は刻々と移っていき、その推移を愉しめるが、構築的とかストーリー展開の印象ではない。3楽章の和風な打楽器の使い方の醸し出す虚無感とか空白の利用による日本的な美の表現にはしびれた。安易に勢いに頼らないで、調性音楽でありながら武満徹のような音空間を構築し、音感センスで表現する彼ならではの作品。だが、交響曲としては少しパワーが無さすぎで期待値に届いておらず、物足りない。一応最終楽章ではショスタコーヴィチのようなテンションを見せるけれども。

チェロ協奏曲(1960年)

ピアノ・ソナタ(1961年)

ピアノ協奏曲(1967年)
3.5点
日本人の作曲した曲においていつも気になる、ある種の平板さがこの曲にはない。ピアノパートは超絶技巧が要求されているとともに非常に音感が優れており、あるべき場所に音がある納得感がある。アイデア豊富で、立体的である。音の厚みではなく、センスで音の世界を作っている。通俗的ではないし、音の主義主張がはっきりしているわけではないが、聞きやすさはある。これは世界にも通用するレベルの協奏曲だと思う。
武満 徹(たけみつ とおる、1930 - 1996)
日本人作曲家の中ではダントツに有名。現代音楽だが、聴きやすいため普通のクラシックファンでも良さはすぐに分かると思う。海外の現代音楽よりも日本人の感性によく合っていて、音からイメージされるものが明確というのもあり、すぐに入り込めると思う。

管弦楽曲
弦楽のためのレクイエム 1957 弦楽

黒い絵画 レオノーレ・フィニによせて 1958 Orch

樹の曲 1961 Orch

環礁 1962 S,Orch

弦楽器のためのコロナII 1962 弦楽

地平線のドーリア 1964 Orch

グリーン 1967 Orch

冬 1971 Orch

マージナリア 1976 Orch

鳥は星形の庭に降りる 1977 Orch

ア・ウェイ・ア・ローンII 1981 弦楽

夢の時 1981 Orch

雨ぞふる 1982 Orch

星・島(スター・アイル) 1982 Orch

夢窓 1985 Orch

トゥイル・バイ・トワイライト ―モートン・フェルドマンの追憶に― 1988 Orch

トゥリー・ライン 1988 Orch

ヴィジョンズ(I神秘 II閉じた眼) 1990 Orch

マイ・ウェイ・オブ・ライフ ―マイケル・ヴァイナーの追憶に― 1990 Br,cho,Orch

ハウ・スロー・ザ・ウィンド 1991 Orch

系図 ―若い人たちのための音楽詩― 1992 ナレーター,Orch

群島S. 1993 Orch

精霊の庭 1994 Orch


協奏的作品
シーン 1959 vc,弦楽

弧(アーク) 1963-76 pf,Orch

テクスチュアズ 1964 pf,Orch

ノヴェンバー・ステップス 1967 琵琶,尺八,Orch

アステリズム 1968 pf,Orch

クロッシング 1969 cho,gt,hp,vib,pf,Orch

ユーカリプスI 1970 fl,ob,hp,弦楽

カシオペア 1971 perc,Orch

ジェモー 1971-86 ob,tbe,Orch

秋 1973 琵琶,尺八,Orch

ジティマルヤ 1974 mar,Orch

カトレーン 1975 cl,vn,vc,pf,Orch

遠い呼び声の彼方へ! 1980 vn,Orch

海へII 1981 fl,hp,弦楽

夢の縁へ 1983 gt,Orch

虹へ向かって、パルマ 1984 ob-d'amore,gt,Orch

オリオンとプレアデス(犂と昴) 1984 vc,Orch

リヴァラン 1984 pf,Orch

ウォーター・ドリーミング 1987 fl,Orch

ノスタルジア ―アンドレイ・タルコフスキーの追憶に― 1987 vn,弦楽

ア・ストリング・アラウンド・オータム 1989 va,Orch

フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム 1990 perc,Orch

ファンタズマ/カントス 1991 cl,Orch

夢の引用 ―Say sea,take me!― 1991 2pf,Orch

セレモニアル ―An Autumn Ode― 1992 笙,Orch

ファンタズマ/カントスII 1994 tbe,Orch

スペクトラル・カンティクル 1995 vn,gt,Orch


邦楽曲
蝕(エクリプス) 琵琶,尺八 1966


室内楽曲
弦楽四重奏のための作品
ランドスケープ 1960 SQ

ア・ウェイ・ア・ローン 1980 SQ

その他
オリオン(犂) 1984 vc,pf

そして、それが風であることを知った 1992 fl,hp,va


一柳 慧(いちやなぎ とし、1933- )
どうも日本人作曲家の第一集団から半歩後ろの扱いのようだが、ベルリン連詩を聴く限りではなかなか優れた作曲家だと思う。オノ・ヨーコの元夫というのはそれだけでポイント高い。ジョン・レノンに間接的に大きな影響を与えたことになる。

交響曲 ベルリン連詩
3.0
調性感は薄いがかなり聴きやすい。マーラー的な悠久的時間をキャンバスに、水彩画のような淡さを基調に音楽が展開。曲想の展開が面白い。内容が充実していて満足できる。


原 博(はら ひろし、1933 - 2002)
交響曲
3点
シリアスな調性音楽である。20世紀後半らしさをきちんと持ちつつ、19世紀的ながっちりとした総合性を交響曲として作り上げている点がかなり好感が持てる。精神力の強さに感服させられ、素晴らしい音楽だと思える場面は多い。


池辺 晋一郎(いけべ しんいちろう 1943 - )
池辺さんの語りは面白いし、本も面白い。独眼流正宗のテーマ曲も良かった。しかし、彼が本気で書いた現代音楽は自分には今のところまったく理解できない。

交響曲第1番

交響曲第2番「トライアス」(日本フィルハーモニー交響楽団委嘱作品)

交響曲第3番「エゴ・パノ」
1点
ところどころの運動性の高まる雰囲気に「おっいいかも」となることはあったが、現代音楽だし全体的に何がしたかったのかさっぱり理解できなかった。

交響曲第4番

交響曲第5番「シンプレックス」
1点
分かりやすさを重視したらしく、現代音楽的でないフレーズは多いものの、やはり何をしたいのか、何を感じればいいのか分からないところばかり。

交響曲第6番「個の座標の上で」

交響曲第7番「一滴の共感へ」

交響曲第8番「大地/祈り」

吉松 隆(よしまつ たかし、1953 - )
交響曲
どの曲も壮大、変幻自在、幻想的、叙情的、奇想天外な吉松ワールド全開の力作。
前提知識無しで一回聴いて、「そんな気がした」程度の感想を書いておく。

カムイチカプ交響曲(交響曲第1番) Op.40(1990年)
3点
長いしちょっと支離滅裂過ぎるなような

交響曲第2番「地球にて」 Op.43(1991年)
3点
暗いが感動的

交響曲第3番 Op.75(1998年)
3点
形式的になっていて少し冒険が足らないというか完成されてしまった残念さを感じた

交響曲第4番 Op.82(オランダ語版) Op.82(2000年)
3点
印象が薄い。5番と大きくは変わらないのだが。

交響曲第5番 Op.87(2001年)
3点
良く出来ている力作と感じた

その他作品
朱鷺に寄せる哀歌
3点
吉松流の弦楽主体のエレジーはなかなか感動的だった。

佐村河内守(さむらごうち まもる、1963 - )
私は彼の曲はゴーストの新垣氏による作曲であることが発覚してから聴いた。このため、全て新垣氏が実際の作曲者である前提で感想を書いている。曲はやはり全体的に二流であり、音が聴こえない作曲家という前提でなければ魅力が半減であると言わざるをえない。

交響曲1番 HIROSHIMA
2.3点
1楽章は起伏があり使い古された語法とはいえ聴きやすく楽しめる。2楽章は長くて平板でありかなり苦行である。どちらも長い曲にも関わらず構成感が希薄で、語法は古くて過去の遺産を繋げた感じ。深刻さと、時々見せる美しさがいいセンをいっている瞬間は多くあるのだが、それが積み重ならない。3楽章は派手で聞きやすいが、そのぶん二流さが表面に出てしまう。ただ、最後の締め括りの場面は素直に聴けばそれなりに感動出来るものがある。この巨大で壮大なコンセプトの曲を発表出来たこと自体は素晴らしい。しかし全聾の作曲家の世界苦を頭の中で鳴り響く音を書き留めることで表現したという設定があるからこそ、所々の瞬間的な魅力が意味を持って胸を打つものに聞こえるのは否めない。それなしに新垣氏の作品として客観的に聴くと、現代日本人の作曲家の作品の中においても、一流とまでは言えないだろう。50分に纏まっていたらもう少し評価出来るかもしれない。80分は長すぎる。

ピアノソナタ1番
2.5点
スクリャービン的な洗練されたピアニズムと、プロコフィエフ的な即物的なモダニズムとピアノの表現の幅が基本線。
長い曲だが、結構聴かせる場面は多い。とはいえ、全体としてはやはりまとまりが悪い点で天才性に欠けており、長さを十分に使えておらず二流の感がある。とはいえ、交響曲のような長さであり、秀逸な現代的なピアノ書法でたっぷり楽しめるし、前衛的な刺激はあるため、わりと楽しめる曲である。新垣氏もけっこうなやりがいを感じて楽しんで書いたに違いない。

ピアノソナタ2番
2.5点
1楽章は、シューマンやショパンのような19世紀前半のロマン派の世界であり、これでもかという程に甘いロマンチックなメロディーを17分にわたり積み重ねる曲である。
わざと素人くさく書いたのかもしれないが、非常にわかりやすくて雰囲気にゆっくりと浸ることが出来る。名作とは言うつもりは無いが、一定の需要があり、鑑賞の楽しみを感じられる曲だろう。
2楽章と3楽章はムソルグスキーのような間を活用した渋い曲であり、あまり印象に残らない。

ドレンテ
2.8点
アニメ映画の挿入曲のような雰囲気である。芸術音楽としてのクラシック音楽の範囲には入らないと思う。しかし、映画音楽やヒーリング音楽としては、ピアノ書法の良さもあって、透明感や回想的な雰囲気はなかなか素敵な、秀逸な曲である。何度も聴いてしまった。

シャコンヌ
2.8点
無伴奏ヴァイオリンのための悲劇的な短調の大作シャコンヌ。バッハの作品の現代風パロディーといってもよかろう。前半は、変奏が面白くないし、サスペンスドラマの音楽のような野暮さがところどころに現れるなど、発想が貧弱な三流の音楽である。しかしながら、後半は無伴奏ヴァイオリン曲らしい自由な思索の冒険となり、迫力のある音楽となっていく。後半だけならばなかなかの聴き応えであり、満足感があった。

ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ
2.3点
モダンさはほとんどなく、明確な調性に基づいている。小さくまとまった中に、若干のスケール感と展開と、そこそこ分かり易いメロディーがある点で、大河ドラマの主題曲を連想してしまった。完全な駄作とはいえないまでも、この人は「曲が長い」という特徴がないとつまらないな、と思った。

弦楽四重奏曲1番
2.3点
バルトークやショスタコーヴィチ程度に調性感が薄く、不協和音満載の音楽。雰囲気はもう少し現代音楽に近いだろうか。響きは刺激的であるが、あまりストーリーを感じず、内容豊富な感じがしない。悪い意味でも現代音楽風になってしまっている。

弦楽四重奏曲2番
2.5点
1番よりも調性的な曲。2楽章や3楽章のお涙頂戴的な悲歌の部分が印象に残った。根暗さにショスタコーヴィチを感じる。とはいえ、全体のインパクトが足らず、後に残る感激がない。1流の真似をしている2.5流の曲という感じが否めない。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC



http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/620.html#c1

[近代史7] スペイン・ポルトガルの作曲家 中川隆
2. 中川隆[-14702] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:50:38 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[39]
ジョリ・ブラガ・サントス(Joly Braga Santos、1924 - 1988)
ポルトガルの作曲家。

交響曲1番
2.5点
骨太さやポルトガルということで他の欧州の音楽ではあまり聞けない情熱やエキゾチックな音の使い方を後期ロマン派の範疇で聴けるのが面白い。欧州より南米の音楽にやはり似ている。しかし、密度の薄さや構成の弱さやオーケストレーションの貧弱さは、一流作曲家とは呼べないレベルと言わざるを得ない。

交響曲2番
3.0点
1番よりも濃厚で壮大で充実しており、作曲家として成長して内容は良くなっている。まだマイナー交響曲らしい密度ではあるものの、それなりに聴きごたえを感じる。特に最後の楽章は結構なスケール感であり、楽しんで聴くことが出来た。骨太さは楽しいのだが、刺激が足らず細かいところが地味というのは否めない。

交響曲3番
2.8点
1楽章は面白くない。2楽章以降はブルックナー的な広大さを基調にして、それぞれ個性のある楽章であり、それなりに聴かせるものがある。しかし、全体にシンプルすぎて、工夫はあっても細部の密度が物足りない欠点は変わっていない。

交響曲4番
交響曲5番
交響曲6番


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/622.html#c2

[近代史7] ギリシャの作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14701] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:51:45 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[40]
ミキス・テオドラキス (Mikis Theodorakis、 1925 -)
ギリシャの作曲家。

交響曲
交響曲第1番(1953)

交響曲第2番「大地の歌」(1981)

交響曲第3番(1981)

交響曲第4番「合唱」(1987)

交響曲第7番「春の交響曲」(1983)

ニコス・スカルコッタス(Nikos Skalkottas、1904 - 1949)
ギリシャの作曲家。

ラルゴ・シンフォニコ

妖精劇「五月祭りの呪文」組曲

交響曲「オデュッセウスの帰還」

ヴァイオリン協奏曲

コントラバス協奏曲

ピアノ協奏曲(1〜3番)


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/621.html#c1

[近代史7] 北欧の作曲家 中川隆
2. 中川隆[-14700] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:52:51 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[41]
エドゥアルド・トゥビン (Eduard Tubin, 1905-1982)
エストニアの作曲家。マイナー交響曲の世界では有名でファンも多いようだ。


交響曲
交響曲1番(1931–1934)

交響曲2番"Legendary" (1937)
3.3点
全部の楽章が1つに繋がっている。1楽章の茫洋とし世界が曖昧に見えたり消えたりしながら、野蛮さとなんとも言えない広大さを持って姿を表して行くのが心地いい。3楽章では、力強い軍隊的な闘争的な楽章になって、これは文句なしに気持ちいい。後半のピアノソロからのヴァイオリンの不思議な力強い嘆きとも叫びとも付かないソロはなかなか痺れた。独自の我が道を行く、適度に変態でありながらとてもカッコ良い音楽は、ツボに入る人ならかなり気にいるだろう。

交響曲3番"Heroic" (1940–1942, revised 1968)
3.3点
闘争的な1楽章はかなりカッコいい。2楽章はかなりいい塩梅を突いた浮遊感と不思議さのある楽章で、夢幻的で楽しい。3楽章はかなり軽快で明るくて聴きやすい楽章。もちろんトゥビンらしさはキープされており新鮮さはある。2楽章と3楽章が続けて明るい楽しい楽章なため、全体としてそういう印象が強い曲になっている。

交響曲4番"Lyrical" (1943, revised 1978)
3.3点
1楽章も2楽章も、力を溜めながら進展する音楽である。もったいぶりながら進む、現代的な音感覚を持ちながらも聴きやすい音楽はなかなか楽しい。しなやかな叙情性もあり、スケールは大きいし、大いなるモノの周りを巡っているワクワク感がある。3楽章はその延長で盛り上げて行く。統一感がかなりあり、後で改定されているからか成熟した曲である。

交響曲5番(1946)
3.3点
ひねりのある音使いで浮遊感のある雰囲気が支配している。かっこよさをやや強調している。魂よりもやや技巧的な作曲技法の披露に偏っている気もして物足りなく聞いていたが、3楽章中間で突然止まった場面の衝撃にやられた。その後の勢いの復活の仕方も非常に痺れさせられるもの。

交響曲6番1953–1954, revised 1956)
3.3点
1楽章はファイナルファンタジーのラスボスの音楽のような異世界の巨大な異生物を表現しているかのような不思議な音楽。同じリズムを執拗に繰り返して、野生的な音楽を鳴らす2楽章。20世紀にはよくある音楽かもしれないが、打楽器の活躍などかっこよさで満足させてくれる。

交響曲7番(1955–1958)

交響曲8番(1965–1966)

交響曲9番"Sinfonia semplice" (1969)

交響曲10番(1973)

交響曲11番(incomplete)

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/623.html#c2

[近代史7] 南米の作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14699] koaQ7Jey 2021年12月08日 09:17:42 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[42]
ヒナステラ - クラシック音楽 一口感想メモ

アルベルト・ヒナステラ(Alberto Evaristo Ginastera,1916 - 1983)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%92%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A9


アルゼンチンの大作曲家。どの分野にも、独自のエキゾチックな魅力をクラシックに融合させつつ、一つの作品としての存在感を備えた名作を書いている。南米にとどまらない世界における20世紀の大作曲家の一人だと思っている。

バレエ
バレエ『パナンビ(Panambi)』 作品1 (1934年及び1936年、組曲版あり)
3.8点
18歳や20歳の作品としては非常に完成度が高いと思う。後年のエスタンシアに通じる、ダイナミックで精神を下から突き動かすような衝動に満ちており、血が湧くような感覚になる。年齢を考えると天才的な作品だと思う。シンプルさはあるが、決して古臭いクラシック音楽の真似事はない。アルゼンチンらしさも含めて、オリジナリティを十分に感じる。もっとバレエ音楽を描いて欲しかった。なんというエンターテイメント性だろう。エスタンシアには完成度が若干及ばないが。

バレエ『エスタンシア(Estancia)』 作品8 (1941年、組曲版あり)
4.0点
ヒナステラの代表作。聴き始めると、冒頭のノリのよさに一瞬にして魅了されてしまう。その後も農村の生活の活力にあふれた豊富なニュアンスに彩られた描写は大変に楽しめる。息もつかせぬ展開をみせて最後は大円団で終わり、聞き終わってお腹一杯になり、本当に愉しい時間を過ごせたという満足感に浸れる。ミュージカル音楽のようでもあり、明るくてエンターテインメント性が高い。

管弦楽曲
クリオールのファウスト序曲 Obertura para el "Fausto" Criollo 作品9 (1943年)
2.3点
とても普通で切れ味が鈍く、全然面白くない。こんな曲も書いたのかと思った。ヒナステラである価値を感じられない。

交響的三部作「オジャンタイ(またはオランタイ)」 Ollantay 作品17(1947年)
3.3点
映画音楽のようだ。イギリス音楽のような端正さとかドリーミーさがあるのが魅力。その中にも打楽器の活躍などダイナミックさがある。前衛性はほぼない。軽い娯楽曲として気軽に楽しめる。

交響的変奏曲 Variaciones Concertantes 作品23(1953年)
2.8点
おおらかな交響詩のような音楽であり、壮大さが売りのようである。そして、ソロが活躍して長時間旋律を演奏する場面が多いのが特徴。ソロが何かの動物の個別の生と生涯を表象しているように聴こえたのが面白い。しかし、音楽の密度が薄くて芸術性があまり高い感じもしないため、あまりお勧めはできない。

パンペアーナ(Pampeana) 第3番「交響的パストラール」 作品24 (1954年)
3.3点
交響詩のような曲。大自然の森の匂いや太陽を浴びて水蒸気を含んだ大気を感じさせるゆったりとした場面が多くて、その場面もそれはそれで南米的要素が目新しくて魅力はある。しかし、やはり間に何回か登場するダイナミックなアップテンポの部分の心躍る躍動の素晴らしさがあってこそ価値が高まっているとも思う。20世紀にしては画期的なものがないが、個性の力で陳腐さを回避することには成功していると思うため、スケールの大きさに心を委ねて愉しめる曲だと思う。

協奏曲
ハープ協奏曲 作品25 (1956年)
3.8点
曲の全体とはいわないが、部分的にはかなりいい曲と感じた。エキゾチックさをうまく活用している。

アルゼンチン風協奏曲 Concierto argentinos(ピアノと管弦楽のための) 作品番号なし (1937年)

ピアノ協奏曲 第1番 作品28 (1961年)
3.0点
2番と同様に、自由な交響詩のような曲想でピアノを含む音楽が展開されている。ピアノの書法は洗練されているように聴こえる。芸術的な創発性を重視して、衝動的なものを音にしている感がある。クラスター的な音の塊や不思議な謎のモヤモヤした和音は出てこない。そのため、緊密で鋭角な印象がある。高みに昇った感はないが、一つの20世紀的な協奏曲のあり方として、アルゼンチン風味の面白さも含めて、自由さを楽しめる。3楽章はイマイチで4楽章の野蛮さが楽しい。

ピアノ協奏曲 第2番 作品39 (1972年)
3.3点
現代音楽的な音の塊をぶつけるピアノや、モヤモヤとした伴奏などが使われているものの、調性は多くの場面で明確であり、作曲者のやりたい音楽の雰囲気も明確であるため分かりやすく聴きやすい。一流らしい高みに昇ったものは感じないのだが聞いていて楽しい。急にラヴェルのようになったり、アジア的な土俗の神秘的音楽になったり、雰囲気が自由にコロコロと変わる。その中でピアノは明確に効果的に活躍している。暗さがなく、斬新で面白い協奏曲。ありきたりさが全然ない別世界であり、一聴の価値がある。

ヴァイオリン協奏曲 作品30 (1963年)
3.0点
冒頭が激烈で長いカデンツァで始まり驚く。そのまま刺激が強めの音楽が続いていく。ヴァイオリンを厳しい音として使っている。音感の良さを活かしており悪くない。2楽章は雰囲気が1楽章に似たところがあるせいで、よい音世界を作れているのに心にグッとくるものが少ないのが、他の曲でも感じるの弱点だと個人的には思う。3楽章はパガニーニの引用で耳を惹きつつ、打楽器の多用でバレエ音楽のようなダイナミックさを作り上げつつ、そのなかでヴァイオリンが盛り上げていくように弾かれる。ここはヒナステラならではの魅力的な場面である。

チェロ協奏曲 第1番 作品36 (1968年)
2.8点
チェロ協奏曲らしい面白さがない。まず、ソロの活躍度合いが地味。チェロらしい渋いかっこよさが足りない。自由な音楽の展開がヒナステラの持ち味だが、チェロの運動能力の低さが足を引っ張っているのか、雰囲気の変化が足りない。似た感じの場面ばかりである。旋律のバラエティにも限界を感じてしまう。ヒナステラらしい音世界の楽しさはこの曲にもあって楽しむことはできる。

チェロ協奏曲 第2番 作品50 (1980年)
2.8点
1番と同じ運動能力の弱点は感じるが、低くて渋い音色の産みだす独自の詠唱や唸りの魅力が活用されている。バレエ的な楽しみにオブリガード的に味付けしながら協奏するのも楽しい。しかし、やはりチェロ協奏曲としての楽しみや、ヒナステラの他の曲との比較の観点で、あまり上位にくる感じではない。物足りなさやもどかしさ、弾けない寂しさを常に感じながら聴いてしまった。

ピアノ独奏曲
アルゼンチン舞曲集 Danzas argentinas 作品2 (1937年)
4.0点
1曲目はアルゼンチン風ラヴェルとも呼びたいキレのよい格好いい曲。2曲目は憂愁のメロディーが素敵な曲。そして3曲目が白眉である。複雑なリズムと音使いが生み出すパッションと格好良さは相当な高レベルである。ピアノ書法が素晴らしい。見事な小品であり、生で聴いた事はないが非常に演奏効果が高いだろうと思うのでいつか聴いてみたい。

ミロンガ Milonga (『2つの歌曲』 作品3の第1曲目を作者自身が編曲。1938年)
3.8点
短い小品である。南米的な旋律もピアノ編曲も完璧で、磨かれた玉のように美しい名曲であり、曲が始まった最初から息を止めて聴きたくなるような音楽である。

3つの小品 Tres piezas 作品6 (1940年)
3.3点
ヒナステラの後の作品と比べると、かなりシンプルで個性が十分に現れていない。ドビュッシーのような3曲で、彼のルーツを垣間見える。よいピアノ曲である。特に3曲目が場面展開もあって楽しいなかなかの佳作。

マランボ Malambo 作品7 (1940年)
3.3点
最初は同じフレーズを繰り返してつまらないが、それが驚くような野生的な変容をみせていくのがとても面白い。

12のアメリカ大陸風前奏曲集 Doce Preludios americanos 作品12 (1944年)
3.5点
ヒナステラ一流のピアノ作曲センスがいかんなく発揮された作品だろう。短時間でコロコロと変わっていく曲は、曲に浸ることを許さない代わりに、センスの塊のような音世界が次々と登場することの驚異に打ちのめされる。

組曲『クレオール舞曲集』 Suite de danzas criollas 作品15 (1946年)
3.5点
短い作品が集まっている。シンプルな書法で技巧的にも難易度が低そうだ。それでも、心をとらえるものがある佳作が集まっていて、なかなか魅力がある。とても素敵だなあと何度も関心した。郷愁をさそうような雰囲気など。よいピアノ曲作者は音が少なくてもいい曲を書くものだと関心した。

アルゼンチン童謡の主題による『ロンド』 Rondo sobre temas infantiles argentinos 作品19 (1947年)

ピアノ・ソナタ 第1番 作品22 (1952年)
4.3点
20世紀のピアノソナタの中でも発想の豊かさと強烈さで屈指の曲。民族性あふれる強烈で野蛮なリズムと和声で一度聴いたら忘れられない強い印象を残す1楽章。高音と低音を対比させて、身体の内側からゾクゾクするような艶めかしい情熱を出す2楽章。プロコフィエフのような即物的な少しニヒルな響きの音が少ない緩徐楽章の3楽章。音を敷き詰めて、アクセントで民族的な強烈さと野蛮さを演出する格好いい4楽章。どの楽章も本当に素晴らしい。

ピアノ・ソナタ 第2番 作品53 (1981年)
3.3点
1番の古典性を備えているほどの名作感はない。1楽章も3楽章も非常にごつごつした音の塊が野蛮に鳴らされる曲で、激しさは楽しめるが、うるさいほどである。この2つの楽章が似ているのも欠点である。1楽章の方がソナタの総合性はあるが、激しい場面のゴツゴツ感が似てる。2楽章はかなりセンスが良い緩徐楽章で、音のつくる空気感の良さを楽しめる。印象派のような繊細さが素敵だ。

ピアノ・ソナタ 第3番 作品54 (1982年)
3.3点
激しい音が、岩がぶつかり合うかのように鳴り響く曲。休憩のない単一楽章。ガツンとぶつかり砕けるような音の轟音がこれでもかというくらいに響き渡る。やりすぎと思うほど。短い曲だが、これに「ピアノソナタ」を名付けたのはやはり作曲者の自身の現れだろう。違和感はない。

器楽曲、室内楽作品
パンペアーナ 第1番(ヴァイオリンとピアノ) 作品16 (1947年)
2.8点
即興的でワイルドさのある曲。それなりにカッコいいのだが、あまりに即興的すぎて曲としての統一感や構成感を感じられないため感動できない。曲想も散漫で巨匠らしい集中がない。

パンペアーナ 第2番(チェロとピアノ) 作品21 (1950年)
3.5点
約9分。全体に渋くて格好いい。いくつかの部分を繋げて書かれており、どの場面も聴き映えがする。民族的な和声やメロディーやリズムの効果が、チェロやピアノの低音の渋さに見事にフィットしており、聴いていてゾクゾクする仕上がりになっている。

二重奏曲 (フルートとオーボエ) (1945年)
2.8点
編成の限界があるにしても、あまり面白いとは思えなかった。2楽章の記憶の彼方を呼ぶような郷愁は少し心を捉えた。

ピアノ五重奏曲 作品29 (1963年)
2.5点
前衛的でリズム感に乏しくて音が薄い。中間に曲の半分くらいの長さの全くピアノが登場しないで弦がシニカルな音を奏で続ける場面がある。全くの個人的思いとして、ヒナステラのピアノ五重奏曲に求めたいのはコレジャナイという感が半端なかった。あまりいい曲とは思えない。

ギター・ソナタ 作品47 (1976年)
2.8点
あまりギター曲として偉大な感じがしなかった。大作曲家が書いた貴重なギターソナタのはずではあり、音感の鋭さは随所に見せているが、ギターらしい良さが少し足りないのと、音楽的にもいまいち共感を得られずに終わった。最後の楽章の野蛮さは素敵だが、その他の3つの楽章のバランスが悪い。

チェロ・ソナタ(チェロとピアノ) 作品49 (1979年)
2.8点
チェロ協奏曲と同様の物足りなさを感じる。ピアノのキレは良い。チェロもカッコいい瞬間はよくあるのだが、ダイナミックさがヒナステラの一番の売りだとよく分かる。渋くて独特のエキゾチックな味がある現代的な音の動きの魅力は良いのだが、片手落ちである。

弦楽四重奏曲 第1番 作品20(1948年)
3.3点
ヒナステラの音楽性の良さがよく出ている曲。緊密で無駄が少なく、各楽章が対等の完成度。弦楽四重奏の一丸となった活発さとか自由さを活用しており、アルゼンチンらしい南米の郷土的な音世界も現代性や芸術性と融合させながら見事に表現されている。南米の弦楽四重奏の名手のヴィラ=ロボスに一歩も引けを取らない。

弦楽四重奏曲 第2番 作品26(1958年)
3.5点
1番に続きよい作品。ほんのわずかだけ切れ味が鈍くなった気もしたが、規模が大きくてスケールが大きく、鬼気迫るものもある。活発で自由な弦楽四重奏のメリットを活かしている。リズミカルになったり、不安を煽ったり、いろいろな表現の可能性を掘り出していて、ヒナステラの個性がよい方向に発露している。芸術性もなかなか高い。すごい力作。

弦楽四重奏曲 第3番 作品40(1973年)
2.5点
女声ボーカル入り。歌詞が分からないから、正直にいって音楽の幅を著しく狭めており、変化も乏しく他の弦楽四重奏の力作ぶりと比べて面白くない。雰囲気は悪くなくて、シェーンベルクの月に憑かれたピエロを連想した。でも、それだけという印象。内容の充実感もない。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%92%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A9


http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/618.html#c1

[近代史5] 民主社会党(民社党)は CIA が野党分断の為に作った 中川隆
6. 中川隆[-14698] koaQ7Jey 2021年12月08日 09:30:28 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[43]
民主党凋落の足跡を振り返る
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2021/12/post-a7d5dd.html
2021年12月 7日 植草一秀の『知られざる真実』


日本政治の今後を考えるためには、これまでの経過を正確に振り返ることが必要。

現在は過去の延長線上に位置し、未来もその延長線上に位置するからだ。

小選挙区制度の下で政権交代は生じないと述べる者がいるが、これは事実に反する。

2009年、日本の主権者は自らの意思で政権の刷新を選択した。

鳩山民主党は2009年8月総選挙に大勝した。

この選挙では投票率が約7割にまで上昇した。

政権交代が生じないのは政権交代を生じさせる状況が生まれていないことが原因であって、政権交代は起こり得ないと考えるのは事実誤認。

2009年の政権交代は画期的な意味を有していた。

敗戦後日本の政治構造を根底から刷新する壮大な構想が描かれていた。

鳩山内閣は三つの重要な公約を提示した。

第一は辺野古での米軍基地建設を中止すること。

第二は官僚の天下りを根絶すること。

第三は企業団体献金を全面禁止すること。

米国による日本支配、官僚による日本支配、大資本による日本支配の基本構造を打破しようとした。

それだけに、日本の既得権勢力の反発はすさまじかった。

日本既得権勢力の本尊は言うまでもない。

米国の支配者である。

米国の支配者が基軸になって鳩山内閣に対する総攻撃が展開された。

鳩山由紀夫氏、小沢一郎氏に対する人物破壊工作が遂行された。

目的のためには手段を選ばぬ卑劣で不正な攻撃だった。

そして、重要なことは鳩山内閣を破壊するために、民主党内に潜む既得権勢力が工作者として活用されたこと。

辺野古移設見直しを阻止したのは民主党内の閣僚だった。

菅直人、岡田克也、北澤俊美、前原誠司、平野博文の各氏は面従腹背だった。

彼らが忠誠を尽くしたのは内閣総理大臣ではなく日米合同委員会、米国の支配者=ディープ・ステートだったと考えられる。

最重要課題の辺野古移設見直しを妨害された鳩山首相は、そのことで退陣に追い込まれた。

鳩山内閣は米国、官僚機構、大資本という日本の既得権勢力の中核をなす米官業トライアングル支配の構造を打破しようとした。

そのために、これらの勢力から総攻撃を受けた。

既得権勢力が刑事司法とマスメディアを支配していることが大きい。

鳩山首相が総攻撃を受ける様子を間近に観察した菅直人氏は既得権勢力の側に寝返った。

寝返ることにより権力を奪取したのである。

この意味で2010年7月に重要な断絶がある。

日本政治刷新を目指す革新政権は2009年9月から2010年7月までの9ヵ月で終焉した。

2010年7月に発足した菅直人内閣は既得権勢力による傀儡政権に転落していた。

菅内閣は発足すると直ちに辺野古米軍基地建設を容認するとともに、党の公約を破棄するかたちで消費税率を10%に引き上げることを2010年7月参院選公約として提示した。

この菅直人内閣が参院選で惨敗したのは当然の帰結だった。

菅直人氏は参院選を菅内閣に対する信任選挙だと位置づけた。

毎日新聞インタビューで、このことを明言したのは枝野幸男幹事長。

選挙に惨敗した菅直人氏は、この瞬間に辞職するべきだったが、そこから1年も首相の座に居座った。

後継首相に就任するべきは当然、小沢一郎氏だったが、9月14日に実施された民主党代表選は歴史的な不正選挙だったと考えられる。

茨城県の筑波学園郵便局に郵送された党員・サポーター投票の集計を委託されたのが株式会社ムサシ。

投票用はがきにはプライバシー・シールが貼られていなかった。

大量の小沢一郎氏票が廃棄された疑いが濃厚である。

菅直人氏は続投し、翌年には野田佳彦氏が後継首相に就任した。

野田佳彦氏こそ、「シロアリを退治しないで消費税を上げるのはおかしい」と絶叫した中心人物だった。

https://bit.ly/3xT4mP7

菅直人氏と野田佳彦氏が傀儡政権トップに立ったため、民主党に対する評価は地に堕ちた。

私たちは歴史事実を詳細に検証し、事実誤認を正すことが必要だ。

鳩山友紀夫元首相との対談(アジア共同体研究所主宰YouTube動画「UIチャンネル」)
https://bit.ly/39BTgmd

10月5日発売の鳩山友紀夫元首相、孫崎享氏、前川喜平氏との共著『出る杭の世直し白書(ビジネス社)
https://amzn.to/3hSer8a

のご高覧も賜りたい。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1169.html#c6

[近代史5] 明治維新と太平洋戦争の真相 中川隆
32. 2021年12月08日 10:03:51 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[44]

2021.12.08
琉球併合から真珠湾攻撃への道を先導した米英の金融資本は今も日本を操る
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202112080000/


 日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃したのは今から80年前、1941年の12月7日(現地時間)のことだった。真珠湾に対する攻撃によって日本はアメリカと戦争を始めることになるが、その直前に日本軍はマレーシア北端の港町コタバルを奇襲攻撃している。UTC(協定世界時)に直すとハワイを攻撃したのは7日の18時、コタバルは7日の17時だ。

 当時の日本にとってもエネルギー資源、つまり石油の確保は重要な問題だった。戦争を始めるとなればなおさら。アメリカと戦争を始めると3年目から石油が不足すると見通されていた。

 対日石油禁輸は「日本をインドシナに駆り立てる」とアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領も考え、1941年8月の段階では石油禁輸に賛成していなかったという。1937年より前の日本に対する石油輸出量は維持するとしていたようだ。そうした中、アメリカの財務省は石油代金の支払い方法で日本に圧力を加えた。(岩間敏、戦争と石油(1)、石油・天然ガスレビュー、2006年3月)

 言うまでもなく、アメリカとの戦争を始める背景には中国における戦争が泥沼化していたことにある。

 日本の大陸侵略は1894年に勃発した日清戦争から始まったと言えるだろうが、そこへ到達する道を作ったのはイギリスとアメリカだった。イギリスの外交官として日本にいたアーネスト・サトウ、あるいはアメリカの駐日公使だったチャールズ・デロングや厦門の領事だったチャールズ・ルジャンドルたちは日本政府に対して大陸を侵略するようにけしかけている。

 ルジャンドルは1872年12月にアメリカ領事を辞任して帰国する途中、日本に立ち寄ったが、そのルジャンドルをデロングは日本の外務省に対し、顧問として雇うように推薦する。そして外務卿だった副島種臣の顧問になり、台湾への派兵を勧めた。その口実を作るため、日本政府は琉球を急遽、併合したわけである。

 1874年に日本は台湾へ派兵、続いて75年には李氏朝鮮の首都を守る要衝の江華島へ軍艦を派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功した。さらに無関税特権を認めさせ、釜山、仁川、元山を開港させている。

 1894年に甲午農民戦争(東学党の乱)が起こり、体制が揺らぐ。それを見た日本政府は「邦人保護」を名目にして軍隊を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵して日清戦争につながった。この戦争で日本は勝利し、大陸侵略を始めたわけである。

 朝鮮では高宗の父にあたる興宣大院君と高宗の妻だった閔妃と対立、主導権は閔妃の一族が握っていた。閔妃がロシアとつながることを恐れた日本政府は1895年に日本の官憲と「大陸浪人」を使って宮廷を襲撃し、閔妃を含む女性3名を殺害した。その際、性的な陵辱を加えたとされている。その中心にいた三浦梧楼公使はその後、枢密院顧問や宮中顧問官という要職についた。

 閔妃惨殺の4年後、中国では義和団を中心とする反帝国主義運動が広がり、この運動を口実にして帝政ロシアは1900年に中国東北部へ15万の兵を派遣する。その翌年には事件を処理するために北京議定書が結ばれ、列強は北京郊外に軍隊を駐留させることができるようになった。

 イギリスはロシアに対抗するため、1902年に日本と同盟協約を締結し、その日本は04年2月に仁川沖と旅順港を奇襲攻撃、日露戦争が始まる。日本に戦費を用立てたのはロスチャイルド系のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフだ。詳細は割愛するが、1905年5月にロシアのバルチック艦隊は「日本海海戦」で日本海軍に敗北する。

 そこで登場してくるのが「棍棒外交」のセオドア・ルーズベルト米大統領。講和勧告を出したのだ。9月に講和条約が調印され、日本の大陸における基盤ができた。講和条約が結ばれた2カ月後、桂太郎首相はアメリカで「鉄道王」と呼ばれていたエドワード・ハリマンと満鉄の共同経営に合意したのだが、ポーツマス会議で日本全権を務めた小村寿太郎はこの合意に反対し、覚書は破棄されている。

 一連の動きの中で金子堅太郎の果たした役割は大きい。金子は小村と同じようにハーバード大学で法律を学んでいるが、彼らの2年後輩がセオドア・ルーズベルトだ。1890年に金子とルーズベルトはルーズベルトの自宅で合い、親しくなった。なお、金子の親友だった団琢磨は同じ時期にマサチューセッツ工科大学で学び、三井財閥の大番頭と呼ばれるようになる。

 日本政府の使節としてアメリカにいた金子は1904年にハーバード大学でアングロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦っていると演説し、同じことをシカゴやニューヨークでも語っていた。日露戦争の後、ルーズベルトは日本が自分たちのために戦ったと書いている。こうした関係が韓国併合に結びつくわけだ。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)

 当然のことながら、朝鮮側では独立運動が起こる。その拠点になったのが中国吉林省の間島地方だった。そうした事情もあり、日本では中国東北部への支配願望が強まり、1932年の「満州国」樹立につながる。この傀儡国家の矛先はソ連にも向けられていただろうが、それはイギリスやアメリカの金融資本の思惑とも合致していた。

 ところが、その金融資本を震撼させる出来事が1932年にアメリカであった。彼らが担いでいた現職のハーバート・フーバーがニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗れたのだ。

 フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物で、利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれたと言われている。大統領として大企業/富裕層を優遇する政策を続け、庶民の怒りを買っていた。その怒りが選挙結果に表れたわけだ。そのフーバーが大統領の任期を終える直前に駐日大使として日本へ送り込んだのがジョセフ・グルー。

 この人物は皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持っていたが、特に親しかったとされている人物が松岡洋右。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたり、岸もグルーと親しい関係にあった。秩父宮雍仁もグルーの友人として知られている。

 グルーのいとこであるジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻。しかもグルーが結婚していたアリスの曾祖父オリバー・ペリーはアメリカ海軍の伝説的な軍人で、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。

 大統領就任式は1933年3月に予定されていたが、その直前、2月15日にフロリダ州マイアミで開かれた集会でルーズベルトは銃撃事件に巻き込まれる。イタリア系のレンガ職人、ジュゼッペ・ザンガラが32口径のリボルバーから5発の弾丸を発射したのだ。誰を狙ったか不明だが、当時の状況から次期大統領を狙っていた可能性が高い。

 フランクリン・ルーズベルトを中心とするニューディール派の政権が誕生した後、ウォール街の巨大金融資本はニューディール派を排除し、ファシズム体制を樹立する目的でクーデターを計画した。この事実を明らかにしたのは名誉勲章を2度授与されたアメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将だ。

 バトラー少将によると、1933年7月に在郷軍人会の幹部ふたりが少将の自宅を訪問したところから話は始まる。在郷軍人会の改革に協力して欲しいということだったが、訪問の目的を図りかねたバトラーは明確に答えず、口を濁している。

 そのふたりは1カ月後に再びバトラーの家を訪れ、シカゴで開かれる在郷軍人会の大会へ数百人の退役兵士を引き連れて参加し、演説して欲しいと要請する。必要な経費を負担するということだった。ふたりは演説の原稿を置いて帰ったが、その原稿に金本位制への復帰を求める文言が含まれていたという。

 後にふたりはバトラーから急かされる形でスポンサーのひとりがグレイソン・マレット-プレボスト・マーフィだということを明かす。マーフィは在郷軍人会を創設したメンバーのひとりで、ウォール街で証券会社を経営するほか、モルガン系のギャランティー・トラストの重役でもあった。(Jules Archer, “The Plot to Seize the White House,” Skyhorse Publishing, 2007)

 ウォール街からの訪問者は、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」の戦術を参考にしていた。50万名規模の組織を編成して政府を威圧し、「スーパー長官」のようなポストを新たに設置して大統領の重責を引き継ぐとしていた。

 クーデターの計画を聞き出した上でバトラーはカウンター・クーデターを宣言、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分は50万人以上を動かして対抗すると宣言する。内戦を覚悟するようにバトラーは警告したのだ。(Public Hearings before the Speecial Committee on Un-American Activities, House of Representatives, 73rd Congress, 2nd Session, Testimony of Major General Smedley D. Butler, December 29, 1934)

 計画が発覚すると、名指しされた人びとは誤解だと弁解したが、非米活動特別委員会はクーデター計画の存在を否定することはできなかった。それにもかかわらず、何ら法的な処分は勿論、これ以上の調査は行われず、メディアもこの事件を追及していない。

 この問題でウォール街を追い詰めても内戦になる可能性があったからだろうが、第2次世界大戦が終わった後ならウォール街とファシストとの関係が追及される可能性があった。そうならなかったのはルーズベルトが1945年4月に急死、ホワイトハウスでニューディール派が主導権を奪われ、大戦後にレッド・パージで反ファシスト勢力が弾圧されたからだろう。

 この問題でバトラーは信頼していたフィラデルフィア・レコードの編集者トム・オニールに相談、オニールはポール・コムリー・フレンチを確認のために派遣している。フレンチは1934年9月にウォール街のメンバーを取材、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があるという話を引き出した。この話をフレンチは議会で証言している。

 大戦後、アメリカ政府はナチスの幹部や協力者を保護、南アメリカなどへ逃亡させ、雇い入れた人物も少なくない。アメリカの情報機関が戦後に行った秘密工作にファシストの幹部だった人物が参加している。

 日本でもアメリカのハリー・トルーマン政権は民主主義勢力を弾圧している。そうした政策の最前線に立っていたのが「ジャパン・ロビー」と呼ばれるグループ。その中心だったACJ(アメリカ対日協議会)が創設されたのは1948年6月のことだった。その中心にいたのはジョセフ・グルーで、背後にはウォール街の大物がいた。

 アメリカ政府が慌てて作った憲法では天皇制の維持が宣言され、思想や言論を統制するシステムの中核だった思想検察や特別高等警察の人脈は戦後も生き残った。軍の一部幹部はアメリカの手先として活動することになる。中でも「KATO(H)機関」は有名だ。その後、警察や自衛隊をアメリカの軍や情報機関が教育するシステムが作られた。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202112080000/
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[近代史4] 昭和天皇はウォール街のエージェントだったので、共産主義者のルーズベルト大統領と対立して対米戦争を起こした 中川隆
18. 中川隆[-14697] koaQ7Jey 2021年12月08日 10:05:09 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[45]

2021.12.08
琉球併合から真珠湾攻撃への道を先導した米英の金融資本は今も日本を操る
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202112080000/


 日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃したのは今から80年前、1941年の12月7日(現地時間)のことだった。真珠湾に対する攻撃によって日本はアメリカと戦争を始めることになるが、その直前に日本軍はマレーシア北端の港町コタバルを奇襲攻撃している。UTC(協定世界時)に直すとハワイを攻撃したのは7日の18時、コタバルは7日の17時だ。

 当時の日本にとってもエネルギー資源、つまり石油の確保は重要な問題だった。戦争を始めるとなればなおさら。アメリカと戦争を始めると3年目から石油が不足すると見通されていた。

 対日石油禁輸は「日本をインドシナに駆り立てる」とアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領も考え、1941年8月の段階では石油禁輸に賛成していなかったという。1937年より前の日本に対する石油輸出量は維持するとしていたようだ。そうした中、アメリカの財務省は石油代金の支払い方法で日本に圧力を加えた。(岩間敏、戦争と石油(1)、石油・天然ガスレビュー、2006年3月)

 言うまでもなく、アメリカとの戦争を始める背景には中国における戦争が泥沼化していたことにある。

 日本の大陸侵略は1894年に勃発した日清戦争から始まったと言えるだろうが、そこへ到達する道を作ったのはイギリスとアメリカだった。イギリスの外交官として日本にいたアーネスト・サトウ、あるいはアメリカの駐日公使だったチャールズ・デロングや厦門の領事だったチャールズ・ルジャンドルたちは日本政府に対して大陸を侵略するようにけしかけている。

 ルジャンドルは1872年12月にアメリカ領事を辞任して帰国する途中、日本に立ち寄ったが、そのルジャンドルをデロングは日本の外務省に対し、顧問として雇うように推薦する。そして外務卿だった副島種臣の顧問になり、台湾への派兵を勧めた。その口実を作るため、日本政府は琉球を急遽、併合したわけである。

 1874年に日本は台湾へ派兵、続いて75年には李氏朝鮮の首都を守る要衝の江華島へ軍艦を派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功した。さらに無関税特権を認めさせ、釜山、仁川、元山を開港させている。

 1894年に甲午農民戦争(東学党の乱)が起こり、体制が揺らぐ。それを見た日本政府は「邦人保護」を名目にして軍隊を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵して日清戦争につながった。この戦争で日本は勝利し、大陸侵略を始めたわけである。

 朝鮮では高宗の父にあたる興宣大院君と高宗の妻だった閔妃と対立、主導権は閔妃の一族が握っていた。閔妃がロシアとつながることを恐れた日本政府は1895年に日本の官憲と「大陸浪人」を使って宮廷を襲撃し、閔妃を含む女性3名を殺害した。その際、性的な陵辱を加えたとされている。その中心にいた三浦梧楼公使はその後、枢密院顧問や宮中顧問官という要職についた。

 閔妃惨殺の4年後、中国では義和団を中心とする反帝国主義運動が広がり、この運動を口実にして帝政ロシアは1900年に中国東北部へ15万の兵を派遣する。その翌年には事件を処理するために北京議定書が結ばれ、列強は北京郊外に軍隊を駐留させることができるようになった。

 イギリスはロシアに対抗するため、1902年に日本と同盟協約を締結し、その日本は04年2月に仁川沖と旅順港を奇襲攻撃、日露戦争が始まる。日本に戦費を用立てたのはロスチャイルド系のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフだ。詳細は割愛するが、1905年5月にロシアのバルチック艦隊は「日本海海戦」で日本海軍に敗北する。

 そこで登場してくるのが「棍棒外交」のセオドア・ルーズベルト米大統領。講和勧告を出したのだ。9月に講和条約が調印され、日本の大陸における基盤ができた。講和条約が結ばれた2カ月後、桂太郎首相はアメリカで「鉄道王」と呼ばれていたエドワード・ハリマンと満鉄の共同経営に合意したのだが、ポーツマス会議で日本全権を務めた小村寿太郎はこの合意に反対し、覚書は破棄されている。

 一連の動きの中で金子堅太郎の果たした役割は大きい。金子は小村と同じようにハーバード大学で法律を学んでいるが、彼らの2年後輩がセオドア・ルーズベルトだ。1890年に金子とルーズベルトはルーズベルトの自宅で合い、親しくなった。なお、金子の親友だった団琢磨は同じ時期にマサチューセッツ工科大学で学び、三井財閥の大番頭と呼ばれるようになる。

 日本政府の使節としてアメリカにいた金子は1904年にハーバード大学でアングロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦っていると演説し、同じことをシカゴやニューヨークでも語っていた。日露戦争の後、ルーズベルトは日本が自分たちのために戦ったと書いている。こうした関係が韓国併合に結びつくわけだ。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)

 当然のことながら、朝鮮側では独立運動が起こる。その拠点になったのが中国吉林省の間島地方だった。そうした事情もあり、日本では中国東北部への支配願望が強まり、1932年の「満州国」樹立につながる。この傀儡国家の矛先はソ連にも向けられていただろうが、それはイギリスやアメリカの金融資本の思惑とも合致していた。

 ところが、その金融資本を震撼させる出来事が1932年にアメリカであった。彼らが担いでいた現職のハーバート・フーバーがニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗れたのだ。

 フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物で、利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれたと言われている。大統領として大企業/富裕層を優遇する政策を続け、庶民の怒りを買っていた。その怒りが選挙結果に表れたわけだ。そのフーバーが大統領の任期を終える直前に駐日大使として日本へ送り込んだのがジョセフ・グルー。

 この人物は皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持っていたが、特に親しかったとされている人物が松岡洋右。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたり、岸もグルーと親しい関係にあった。秩父宮雍仁もグルーの友人として知られている。

 グルーのいとこであるジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻。しかもグルーが結婚していたアリスの曾祖父オリバー・ペリーはアメリカ海軍の伝説的な軍人で、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。

 大統領就任式は1933年3月に予定されていたが、その直前、2月15日にフロリダ州マイアミで開かれた集会でルーズベルトは銃撃事件に巻き込まれる。イタリア系のレンガ職人、ジュゼッペ・ザンガラが32口径のリボルバーから5発の弾丸を発射したのだ。誰を狙ったか不明だが、当時の状況から次期大統領を狙っていた可能性が高い。

 フランクリン・ルーズベルトを中心とするニューディール派の政権が誕生した後、ウォール街の巨大金融資本はニューディール派を排除し、ファシズム体制を樹立する目的でクーデターを計画した。この事実を明らかにしたのは名誉勲章を2度授与されたアメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将だ。

 バトラー少将によると、1933年7月に在郷軍人会の幹部ふたりが少将の自宅を訪問したところから話は始まる。在郷軍人会の改革に協力して欲しいということだったが、訪問の目的を図りかねたバトラーは明確に答えず、口を濁している。

 そのふたりは1カ月後に再びバトラーの家を訪れ、シカゴで開かれる在郷軍人会の大会へ数百人の退役兵士を引き連れて参加し、演説して欲しいと要請する。必要な経費を負担するということだった。ふたりは演説の原稿を置いて帰ったが、その原稿に金本位制への復帰を求める文言が含まれていたという。

 後にふたりはバトラーから急かされる形でスポンサーのひとりがグレイソン・マレット-プレボスト・マーフィだということを明かす。マーフィは在郷軍人会を創設したメンバーのひとりで、ウォール街で証券会社を経営するほか、モルガン系のギャランティー・トラストの重役でもあった。(Jules Archer, “The Plot to Seize the White House,” Skyhorse Publishing, 2007)

 ウォール街からの訪問者は、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」の戦術を参考にしていた。50万名規模の組織を編成して政府を威圧し、「スーパー長官」のようなポストを新たに設置して大統領の重責を引き継ぐとしていた。

 クーデターの計画を聞き出した上でバトラーはカウンター・クーデターを宣言、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分は50万人以上を動かして対抗すると宣言する。内戦を覚悟するようにバトラーは警告したのだ。(Public Hearings before the Speecial Committee on Un-American Activities, House of Representatives, 73rd Congress, 2nd Session, Testimony of Major General Smedley D. Butler, December 29, 1934)

 計画が発覚すると、名指しされた人びとは誤解だと弁解したが、非米活動特別委員会はクーデター計画の存在を否定することはできなかった。それにもかかわらず、何ら法的な処分は勿論、これ以上の調査は行われず、メディアもこの事件を追及していない。

 この問題でウォール街を追い詰めても内戦になる可能性があったからだろうが、第2次世界大戦が終わった後ならウォール街とファシストとの関係が追及される可能性があった。そうならなかったのはルーズベルトが1945年4月に急死、ホワイトハウスでニューディール派が主導権を奪われ、大戦後にレッド・パージで反ファシスト勢力が弾圧されたからだろう。

 この問題でバトラーは信頼していたフィラデルフィア・レコードの編集者トム・オニールに相談、オニールはポール・コムリー・フレンチを確認のために派遣している。フレンチは1934年9月にウォール街のメンバーを取材、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があるという話を引き出した。この話をフレンチは議会で証言している。

 大戦後、アメリカ政府はナチスの幹部や協力者を保護、南アメリカなどへ逃亡させ、雇い入れた人物も少なくない。アメリカの情報機関が戦後に行った秘密工作にファシストの幹部だった人物が参加している。

 日本でもアメリカのハリー・トルーマン政権は民主主義勢力を弾圧している。そうした政策の最前線に立っていたのが「ジャパン・ロビー」と呼ばれるグループ。その中心だったACJ(アメリカ対日協議会)が創設されたのは1948年6月のことだった。その中心にいたのはジョセフ・グルーで、背後にはウォール街の大物がいた。

 アメリカ政府が慌てて作った憲法では天皇制の維持が宣言され、思想や言論を統制するシステムの中核だった思想検察や特別高等警察の人脈は戦後も生き残った。軍の一部幹部はアメリカの手先として活動することになる。中でも「KATO(H)機関」は有名だ。その後、警察や自衛隊をアメリカの軍や情報機関が教育するシステムが作られた。

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[近代史5] 天皇一族は反日売国奴でアメリカ金融資本のエージェントだった 中川隆
7. 中川隆[-14696] koaQ7Jey 2021年12月08日 10:05:41 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[46]

2021.12.08
琉球併合から真珠湾攻撃への道を先導した米英の金融資本は今も日本を操る
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 日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃したのは今から80年前、1941年の12月7日(現地時間)のことだった。真珠湾に対する攻撃によって日本はアメリカと戦争を始めることになるが、その直前に日本軍はマレーシア北端の港町コタバルを奇襲攻撃している。UTC(協定世界時)に直すとハワイを攻撃したのは7日の18時、コタバルは7日の17時だ。

 当時の日本にとってもエネルギー資源、つまり石油の確保は重要な問題だった。戦争を始めるとなればなおさら。アメリカと戦争を始めると3年目から石油が不足すると見通されていた。

 対日石油禁輸は「日本をインドシナに駆り立てる」とアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領も考え、1941年8月の段階では石油禁輸に賛成していなかったという。1937年より前の日本に対する石油輸出量は維持するとしていたようだ。そうした中、アメリカの財務省は石油代金の支払い方法で日本に圧力を加えた。(岩間敏、戦争と石油(1)、石油・天然ガスレビュー、2006年3月)

 言うまでもなく、アメリカとの戦争を始める背景には中国における戦争が泥沼化していたことにある。

 日本の大陸侵略は1894年に勃発した日清戦争から始まったと言えるだろうが、そこへ到達する道を作ったのはイギリスとアメリカだった。イギリスの外交官として日本にいたアーネスト・サトウ、あるいはアメリカの駐日公使だったチャールズ・デロングや厦門の領事だったチャールズ・ルジャンドルたちは日本政府に対して大陸を侵略するようにけしかけている。

 ルジャンドルは1872年12月にアメリカ領事を辞任して帰国する途中、日本に立ち寄ったが、そのルジャンドルをデロングは日本の外務省に対し、顧問として雇うように推薦する。そして外務卿だった副島種臣の顧問になり、台湾への派兵を勧めた。その口実を作るため、日本政府は琉球を急遽、併合したわけである。

 1874年に日本は台湾へ派兵、続いて75年には李氏朝鮮の首都を守る要衝の江華島へ軍艦を派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功した。さらに無関税特権を認めさせ、釜山、仁川、元山を開港させている。

 1894年に甲午農民戦争(東学党の乱)が起こり、体制が揺らぐ。それを見た日本政府は「邦人保護」を名目にして軍隊を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵して日清戦争につながった。この戦争で日本は勝利し、大陸侵略を始めたわけである。

 朝鮮では高宗の父にあたる興宣大院君と高宗の妻だった閔妃と対立、主導権は閔妃の一族が握っていた。閔妃がロシアとつながることを恐れた日本政府は1895年に日本の官憲と「大陸浪人」を使って宮廷を襲撃し、閔妃を含む女性3名を殺害した。その際、性的な陵辱を加えたとされている。その中心にいた三浦梧楼公使はその後、枢密院顧問や宮中顧問官という要職についた。

 閔妃惨殺の4年後、中国では義和団を中心とする反帝国主義運動が広がり、この運動を口実にして帝政ロシアは1900年に中国東北部へ15万の兵を派遣する。その翌年には事件を処理するために北京議定書が結ばれ、列強は北京郊外に軍隊を駐留させることができるようになった。

 イギリスはロシアに対抗するため、1902年に日本と同盟協約を締結し、その日本は04年2月に仁川沖と旅順港を奇襲攻撃、日露戦争が始まる。日本に戦費を用立てたのはロスチャイルド系のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフだ。詳細は割愛するが、1905年5月にロシアのバルチック艦隊は「日本海海戦」で日本海軍に敗北する。

 そこで登場してくるのが「棍棒外交」のセオドア・ルーズベルト米大統領。講和勧告を出したのだ。9月に講和条約が調印され、日本の大陸における基盤ができた。講和条約が結ばれた2カ月後、桂太郎首相はアメリカで「鉄道王」と呼ばれていたエドワード・ハリマンと満鉄の共同経営に合意したのだが、ポーツマス会議で日本全権を務めた小村寿太郎はこの合意に反対し、覚書は破棄されている。

 一連の動きの中で金子堅太郎の果たした役割は大きい。金子は小村と同じようにハーバード大学で法律を学んでいるが、彼らの2年後輩がセオドア・ルーズベルトだ。1890年に金子とルーズベルトはルーズベルトの自宅で合い、親しくなった。なお、金子の親友だった団琢磨は同じ時期にマサチューセッツ工科大学で学び、三井財閥の大番頭と呼ばれるようになる。

 日本政府の使節としてアメリカにいた金子は1904年にハーバード大学でアングロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦っていると演説し、同じことをシカゴやニューヨークでも語っていた。日露戦争の後、ルーズベルトは日本が自分たちのために戦ったと書いている。こうした関係が韓国併合に結びつくわけだ。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)

 当然のことながら、朝鮮側では独立運動が起こる。その拠点になったのが中国吉林省の間島地方だった。そうした事情もあり、日本では中国東北部への支配願望が強まり、1932年の「満州国」樹立につながる。この傀儡国家の矛先はソ連にも向けられていただろうが、それはイギリスやアメリカの金融資本の思惑とも合致していた。

 ところが、その金融資本を震撼させる出来事が1932年にアメリカであった。彼らが担いでいた現職のハーバート・フーバーがニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗れたのだ。

 フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物で、利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれたと言われている。大統領として大企業/富裕層を優遇する政策を続け、庶民の怒りを買っていた。その怒りが選挙結果に表れたわけだ。そのフーバーが大統領の任期を終える直前に駐日大使として日本へ送り込んだのがジョセフ・グルー。

 この人物は皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持っていたが、特に親しかったとされている人物が松岡洋右。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたり、岸もグルーと親しい関係にあった。秩父宮雍仁もグルーの友人として知られている。

 グルーのいとこであるジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻。しかもグルーが結婚していたアリスの曾祖父オリバー・ペリーはアメリカ海軍の伝説的な軍人で、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。

 大統領就任式は1933年3月に予定されていたが、その直前、2月15日にフロリダ州マイアミで開かれた集会でルーズベルトは銃撃事件に巻き込まれる。イタリア系のレンガ職人、ジュゼッペ・ザンガラが32口径のリボルバーから5発の弾丸を発射したのだ。誰を狙ったか不明だが、当時の状況から次期大統領を狙っていた可能性が高い。

 フランクリン・ルーズベルトを中心とするニューディール派の政権が誕生した後、ウォール街の巨大金融資本はニューディール派を排除し、ファシズム体制を樹立する目的でクーデターを計画した。この事実を明らかにしたのは名誉勲章を2度授与されたアメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将だ。

 バトラー少将によると、1933年7月に在郷軍人会の幹部ふたりが少将の自宅を訪問したところから話は始まる。在郷軍人会の改革に協力して欲しいということだったが、訪問の目的を図りかねたバトラーは明確に答えず、口を濁している。

 そのふたりは1カ月後に再びバトラーの家を訪れ、シカゴで開かれる在郷軍人会の大会へ数百人の退役兵士を引き連れて参加し、演説して欲しいと要請する。必要な経費を負担するということだった。ふたりは演説の原稿を置いて帰ったが、その原稿に金本位制への復帰を求める文言が含まれていたという。

 後にふたりはバトラーから急かされる形でスポンサーのひとりがグレイソン・マレット-プレボスト・マーフィだということを明かす。マーフィは在郷軍人会を創設したメンバーのひとりで、ウォール街で証券会社を経営するほか、モルガン系のギャランティー・トラストの重役でもあった。(Jules Archer, “The Plot to Seize the White House,” Skyhorse Publishing, 2007)

 ウォール街からの訪問者は、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」の戦術を参考にしていた。50万名規模の組織を編成して政府を威圧し、「スーパー長官」のようなポストを新たに設置して大統領の重責を引き継ぐとしていた。

 クーデターの計画を聞き出した上でバトラーはカウンター・クーデターを宣言、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分は50万人以上を動かして対抗すると宣言する。内戦を覚悟するようにバトラーは警告したのだ。(Public Hearings before the Speecial Committee on Un-American Activities, House of Representatives, 73rd Congress, 2nd Session, Testimony of Major General Smedley D. Butler, December 29, 1934)

 計画が発覚すると、名指しされた人びとは誤解だと弁解したが、非米活動特別委員会はクーデター計画の存在を否定することはできなかった。それにもかかわらず、何ら法的な処分は勿論、これ以上の調査は行われず、メディアもこの事件を追及していない。

 この問題でウォール街を追い詰めても内戦になる可能性があったからだろうが、第2次世界大戦が終わった後ならウォール街とファシストとの関係が追及される可能性があった。そうならなかったのはルーズベルトが1945年4月に急死、ホワイトハウスでニューディール派が主導権を奪われ、大戦後にレッド・パージで反ファシスト勢力が弾圧されたからだろう。

 この問題でバトラーは信頼していたフィラデルフィア・レコードの編集者トム・オニールに相談、オニールはポール・コムリー・フレンチを確認のために派遣している。フレンチは1934年9月にウォール街のメンバーを取材、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があるという話を引き出した。この話をフレンチは議会で証言している。

 大戦後、アメリカ政府はナチスの幹部や協力者を保護、南アメリカなどへ逃亡させ、雇い入れた人物も少なくない。アメリカの情報機関が戦後に行った秘密工作にファシストの幹部だった人物が参加している。

 日本でもアメリカのハリー・トルーマン政権は民主主義勢力を弾圧している。そうした政策の最前線に立っていたのが「ジャパン・ロビー」と呼ばれるグループ。その中心だったACJ(アメリカ対日協議会)が創設されたのは1948年6月のことだった。その中心にいたのはジョセフ・グルーで、背後にはウォール街の大物がいた。

 アメリカ政府が慌てて作った憲法では天皇制の維持が宣言され、思想や言論を統制するシステムの中核だった思想検察や特別高等警察の人脈は戦後も生き残った。軍の一部幹部はアメリカの手先として活動することになる。中でも「KATO(H)機関」は有名だ。その後、警察や自衛隊をアメリカの軍や情報機関が教育するシステムが作られた。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202112080000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/105.html#c7

[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
244. 中川隆[-14695] koaQ7Jey 2021年12月08日 10:06:20 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[47]

2021.12.08
琉球併合から真珠湾攻撃への道を先導した米英の金融資本は今も日本を操る
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202112080000/


 日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃したのは今から80年前、1941年の12月7日(現地時間)のことだった。真珠湾に対する攻撃によって日本はアメリカと戦争を始めることになるが、その直前に日本軍はマレーシア北端の港町コタバルを奇襲攻撃している。UTC(協定世界時)に直すとハワイを攻撃したのは7日の18時、コタバルは7日の17時だ。

 当時の日本にとってもエネルギー資源、つまり石油の確保は重要な問題だった。戦争を始めるとなればなおさら。アメリカと戦争を始めると3年目から石油が不足すると見通されていた。

 対日石油禁輸は「日本をインドシナに駆り立てる」とアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領も考え、1941年8月の段階では石油禁輸に賛成していなかったという。1937年より前の日本に対する石油輸出量は維持するとしていたようだ。そうした中、アメリカの財務省は石油代金の支払い方法で日本に圧力を加えた。(岩間敏、戦争と石油(1)、石油・天然ガスレビュー、2006年3月)

 言うまでもなく、アメリカとの戦争を始める背景には中国における戦争が泥沼化していたことにある。

 日本の大陸侵略は1894年に勃発した日清戦争から始まったと言えるだろうが、そこへ到達する道を作ったのはイギリスとアメリカだった。イギリスの外交官として日本にいたアーネスト・サトウ、あるいはアメリカの駐日公使だったチャールズ・デロングや厦門の領事だったチャールズ・ルジャンドルたちは日本政府に対して大陸を侵略するようにけしかけている。

 ルジャンドルは1872年12月にアメリカ領事を辞任して帰国する途中、日本に立ち寄ったが、そのルジャンドルをデロングは日本の外務省に対し、顧問として雇うように推薦する。そして外務卿だった副島種臣の顧問になり、台湾への派兵を勧めた。その口実を作るため、日本政府は琉球を急遽、併合したわけである。

 1874年に日本は台湾へ派兵、続いて75年には李氏朝鮮の首都を守る要衝の江華島へ軍艦を派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功した。さらに無関税特権を認めさせ、釜山、仁川、元山を開港させている。

 1894年に甲午農民戦争(東学党の乱)が起こり、体制が揺らぐ。それを見た日本政府は「邦人保護」を名目にして軍隊を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵して日清戦争につながった。この戦争で日本は勝利し、大陸侵略を始めたわけである。

 朝鮮では高宗の父にあたる興宣大院君と高宗の妻だった閔妃と対立、主導権は閔妃の一族が握っていた。閔妃がロシアとつながることを恐れた日本政府は1895年に日本の官憲と「大陸浪人」を使って宮廷を襲撃し、閔妃を含む女性3名を殺害した。その際、性的な陵辱を加えたとされている。その中心にいた三浦梧楼公使はその後、枢密院顧問や宮中顧問官という要職についた。

 閔妃惨殺の4年後、中国では義和団を中心とする反帝国主義運動が広がり、この運動を口実にして帝政ロシアは1900年に中国東北部へ15万の兵を派遣する。その翌年には事件を処理するために北京議定書が結ばれ、列強は北京郊外に軍隊を駐留させることができるようになった。

 イギリスはロシアに対抗するため、1902年に日本と同盟協約を締結し、その日本は04年2月に仁川沖と旅順港を奇襲攻撃、日露戦争が始まる。日本に戦費を用立てたのはロスチャイルド系のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフだ。詳細は割愛するが、1905年5月にロシアのバルチック艦隊は「日本海海戦」で日本海軍に敗北する。

 そこで登場してくるのが「棍棒外交」のセオドア・ルーズベルト米大統領。講和勧告を出したのだ。9月に講和条約が調印され、日本の大陸における基盤ができた。講和条約が結ばれた2カ月後、桂太郎首相はアメリカで「鉄道王」と呼ばれていたエドワード・ハリマンと満鉄の共同経営に合意したのだが、ポーツマス会議で日本全権を務めた小村寿太郎はこの合意に反対し、覚書は破棄されている。

 一連の動きの中で金子堅太郎の果たした役割は大きい。金子は小村と同じようにハーバード大学で法律を学んでいるが、彼らの2年後輩がセオドア・ルーズベルトだ。1890年に金子とルーズベルトはルーズベルトの自宅で合い、親しくなった。なお、金子の親友だった団琢磨は同じ時期にマサチューセッツ工科大学で学び、三井財閥の大番頭と呼ばれるようになる。

 日本政府の使節としてアメリカにいた金子は1904年にハーバード大学でアングロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦っていると演説し、同じことをシカゴやニューヨークでも語っていた。日露戦争の後、ルーズベルトは日本が自分たちのために戦ったと書いている。こうした関係が韓国併合に結びつくわけだ。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)

 当然のことながら、朝鮮側では独立運動が起こる。その拠点になったのが中国吉林省の間島地方だった。そうした事情もあり、日本では中国東北部への支配願望が強まり、1932年の「満州国」樹立につながる。この傀儡国家の矛先はソ連にも向けられていただろうが、それはイギリスやアメリカの金融資本の思惑とも合致していた。

 ところが、その金融資本を震撼させる出来事が1932年にアメリカであった。彼らが担いでいた現職のハーバート・フーバーがニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗れたのだ。

 フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物で、利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれたと言われている。大統領として大企業/富裕層を優遇する政策を続け、庶民の怒りを買っていた。その怒りが選挙結果に表れたわけだ。そのフーバーが大統領の任期を終える直前に駐日大使として日本へ送り込んだのがジョセフ・グルー。

 この人物は皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持っていたが、特に親しかったとされている人物が松岡洋右。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたり、岸もグルーと親しい関係にあった。秩父宮雍仁もグルーの友人として知られている。

 グルーのいとこであるジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻。しかもグルーが結婚していたアリスの曾祖父オリバー・ペリーはアメリカ海軍の伝説的な軍人で、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。

 大統領就任式は1933年3月に予定されていたが、その直前、2月15日にフロリダ州マイアミで開かれた集会でルーズベルトは銃撃事件に巻き込まれる。イタリア系のレンガ職人、ジュゼッペ・ザンガラが32口径のリボルバーから5発の弾丸を発射したのだ。誰を狙ったか不明だが、当時の状況から次期大統領を狙っていた可能性が高い。

 フランクリン・ルーズベルトを中心とするニューディール派の政権が誕生した後、ウォール街の巨大金融資本はニューディール派を排除し、ファシズム体制を樹立する目的でクーデターを計画した。この事実を明らかにしたのは名誉勲章を2度授与されたアメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将だ。

 バトラー少将によると、1933年7月に在郷軍人会の幹部ふたりが少将の自宅を訪問したところから話は始まる。在郷軍人会の改革に協力して欲しいということだったが、訪問の目的を図りかねたバトラーは明確に答えず、口を濁している。

 そのふたりは1カ月後に再びバトラーの家を訪れ、シカゴで開かれる在郷軍人会の大会へ数百人の退役兵士を引き連れて参加し、演説して欲しいと要請する。必要な経費を負担するということだった。ふたりは演説の原稿を置いて帰ったが、その原稿に金本位制への復帰を求める文言が含まれていたという。

 後にふたりはバトラーから急かされる形でスポンサーのひとりがグレイソン・マレット-プレボスト・マーフィだということを明かす。マーフィは在郷軍人会を創設したメンバーのひとりで、ウォール街で証券会社を経営するほか、モルガン系のギャランティー・トラストの重役でもあった。(Jules Archer, “The Plot to Seize the White House,” Skyhorse Publishing, 2007)

 ウォール街からの訪問者は、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」の戦術を参考にしていた。50万名規模の組織を編成して政府を威圧し、「スーパー長官」のようなポストを新たに設置して大統領の重責を引き継ぐとしていた。

 クーデターの計画を聞き出した上でバトラーはカウンター・クーデターを宣言、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分は50万人以上を動かして対抗すると宣言する。内戦を覚悟するようにバトラーは警告したのだ。(Public Hearings before the Speecial Committee on Un-American Activities, House of Representatives, 73rd Congress, 2nd Session, Testimony of Major General Smedley D. Butler, December 29, 1934)

 計画が発覚すると、名指しされた人びとは誤解だと弁解したが、非米活動特別委員会はクーデター計画の存在を否定することはできなかった。それにもかかわらず、何ら法的な処分は勿論、これ以上の調査は行われず、メディアもこの事件を追及していない。

 この問題でウォール街を追い詰めても内戦になる可能性があったからだろうが、第2次世界大戦が終わった後ならウォール街とファシストとの関係が追及される可能性があった。そうならなかったのはルーズベルトが1945年4月に急死、ホワイトハウスでニューディール派が主導権を奪われ、大戦後にレッド・パージで反ファシスト勢力が弾圧されたからだろう。

 この問題でバトラーは信頼していたフィラデルフィア・レコードの編集者トム・オニールに相談、オニールはポール・コムリー・フレンチを確認のために派遣している。フレンチは1934年9月にウォール街のメンバーを取材、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があるという話を引き出した。この話をフレンチは議会で証言している。

 大戦後、アメリカ政府はナチスの幹部や協力者を保護、南アメリカなどへ逃亡させ、雇い入れた人物も少なくない。アメリカの情報機関が戦後に行った秘密工作にファシストの幹部だった人物が参加している。

 日本でもアメリカのハリー・トルーマン政権は民主主義勢力を弾圧している。そうした政策の最前線に立っていたのが「ジャパン・ロビー」と呼ばれるグループ。その中心だったACJ(アメリカ対日協議会)が創設されたのは1948年6月のことだった。その中心にいたのはジョセフ・グルーで、背後にはウォール街の大物がいた。

 アメリカ政府が慌てて作った憲法では天皇制の維持が宣言され、思想や言論を統制するシステムの中核だった思想検察や特別高等警察の人脈は戦後も生き残った。軍の一部幹部はアメリカの手先として活動することになる。中でも「KATO(H)機関」は有名だ。その後、警察や自衛隊をアメリカの軍や情報機関が教育するシステムが作られた。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202112080000/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c244

[近代史5] アンダーグラウンド社会とは 中川隆
9. 2021年12月08日 10:17:04 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[48]
来年死ぬわけではないので長期戦略に相応しい生き方を選択しないと長持ちしない
2021.12.07
https://blackasia.net/?p=28885


裏切る相手と一緒にいられるのは短い間である。その短い間でも危険なのだ。そのため、仲間を決して裏切らないことを証明した人間が、リーダーにふさわしい人間として成り上がっていく。「仁義を貫く」という言葉もあるが、その意味するところは「騙さないで筋を通す」ということである。(鈴木傾城)

仲間内では裏切りは絶対に許さないという掟が存在する
『仁義なき戦い』シリーズをはじめとしたヤクザ映画で不動の地位を築いた俳優・菅原文太は「ヤクザには良いヤクザと悪いヤクザがいて、良いヤクザというのは任侠をしっかりと守るヤクザ」という持論を持っていた。

任侠というのは「弱きを助け強きを挫く」という姿勢を指す。こうした任侠道を極めたヤクザはカタギに迷惑をかけず関わらず、自分たちの世界で生きていく。

裏社会の人間たちは、法を守らないアウトサイダーの集団なので、普通の人たちから見ると、裏切りと策略と暴力と騙しが最もうまい人間がのし上がるようなイメージがある。

しかし実際には、裏社会でも頭角を現して「長く」生き残るのは、裏切らない、誠実、騙さないを信条にした人物である。そうした人物は仲間を守り、約束を守り、決して裏切らず、表社会の人間よりも情に厚い。

裏社会では、表社会よりも厳しい環境に置かれているので、むしろ表社会よりも強い結束があり、その結束のために仲間内では裏切りは絶対に許さないという掟が存在する。裏切りを放置していると組織も個人も長期で維持できないからだ。

裏切る相手と一緒にいられるのは短い間である。その短い間でも危険なのだ。

そのため、仲間を決して裏切らないことを証明した人間が、リーダーにふさわしい人間として成り上がっていく。「仁義を貫く」という言葉もあるが、その意味するところは「約束を守る」「騙さないで筋を通す」ということである。

もちろん現実はドロドロしており、人間は私利私欲でまみれているので、筋を通した人間が逆に馬鹿を見ることも多い。そうした人間関係の対立はどうしても避けられないものがある。しかし、基本は変わらない。

信頼できる人間で脇を固めるというのは最優先事項
約束を守っても、信頼を裏切らなくても、相手が約束を破り、相手が裏切ってくる。だからそこで人間関係が悪化し、壊れ、対立したり衝突したりすることになる。しかし、まわりの人は裏切らない人に付くので、「長い目」で見ると約束や信頼を守る側が最後に生き残る。

表社会でも「約束を守る、時間を守る、騙さない」というのは長期で成功する上でとても大切な要素だが、裏社会でもそうだったのである。

むしろ裏社会であればあるほど、自分たちの所属する社会に対しては、絶対に「約束を守る、騙さない」ことが求められている。もともと彼らは法の埒外にあるので、仲間の裏切りで自分が刑務所に長期拘束されたり、殺されたりする危険が高い。

仲間の裏切りは一瞬に組織を瓦解させる。「長く」持たない。だから仲間内では絶対的に信頼できる人間で脇を固めるというのは最優先事項である。

サウザンプトン大学のエリザベス・シェル教授は、起業家の育成や研究に関わっている人だが、成功する企業家の資質として、必死に働くの次に、このような項目を起業家本人が挙げていることを報告している。

「正直で信頼される人でいること」

事業は長期で取り組むべきものだ。事業を成功させ、資金の提供を受け、「長く」ビジネスを続けていくためには、起業家は自分自身が正直で信頼される人でいることが大切だと考えている。仕事を楽しむことが成功の第3の資質として挙げられており、第4の資質にまた似たような項目が上がっている。

「人々と良好な関係を持つこと」

起業家と言えば猛烈な拝金主義者で、金を稼ぐためには裏切りでも詐欺でも辞さないのかと言えばまったくそうではない。そういう起業家もいるが、裏切りでも詐欺でも辞さない起業家は長期で活躍できない。それは短期では通用するが長期では通用しない生き方だからである。

どこの世界に入っても、そこで生き残るための方法論
メディア的には「金こそすべて」で他人を踏みにじりながらのし上がっていく人間、他人を踏みにじりながらのし上がる人間はとても鮮烈に映り、こういった人間たちが大きくクローズアップされる。

あるいは狡猾で、信用ならない人間が、まわりの人間を次々と破滅させながら巨大な成功をつかみ取るというのが、あたかもアンダーグラウンドの成功方式のように示されていることもある。

そのため、まるで悪人にならなければ、成功しないような感覚になることもある。しかし実態はそうではないことを、すべての集団のあり方から見て取れる。どこの世界でも「信頼」や「筋」をきちんと通せる人間でないと「長期」でやっていけないのである。

そんな話は常識を持っていれば当たり前の話でもあるが、現代社会ではあまりにも悪人礼賛が強いので、当たり前が当たり前に見えないのだ。それで、道を誤ってしまうのである。

どこの世界でも、「裏切らない、誠実、信頼重視」ができている人間が、最終的には評価される。そして、その世界で「長く」生きていけるようになる。

いかに他人をスマートに裏切るのかが重要ではなく、いかに他人と深い信頼関係が結べるのかが大切なのだ。これは、道徳の話をしているのではない。どこの世界に入っても、そこで長く生き残るための方法論の話をしている。

すべての世界でこの方法論が通用し、しかもいつの時代でもそれが重要視されているということは、これが生きる上での不変の原理原則であることが分かるはずだ。

法則というのは、時代が変わろうが、場所が変わろうが、決して廃れることはない。言葉を変え、伝え方が変わっても、時代を通して継承されていく。

最後に生き残るのは昔から言われている原理原則
私たちは来年や再来年に死ぬわけではない。とすれば、生き方も長期戦略に相応しいものを選択しないと長持ちしない。

私たちがどこの世界で生きているにせよ、その長期戦略の生き様は「裏切らない、誠実、信頼重視」を追求することしかないのは自明の理だ。こうした生き方の効果は長期になればなるほど効果を発揮する。

つまり、この生き方は長期戦略として取り組むべき生き方である。

信頼は短期では推し量れない。だから、この生き方は短期では効力を発揮しない。しかし誠実であることを継続していけば、長期ではちょっとやそっとでは壊れない人間関係となって結実するのである。

逆に自分が評価する相手も「信頼できる、誠実である」という点を重視して長期で評価していけば、トラブルに巻き込まれる確率も減るばかりか、困難な局面では助けられることすらもあるはずだ。

今の世の中は、目立つためにわざと常識に反する奇抜な人生訓や、小賢しい策略や、表面だけ取り繕うような指南書が大きく喧伝されて、その新規性や珍妙さによって話題になったり流行になったりする。

しかし、珍妙な説はその場限りの短期戦略なので長期では泡のように消えていく。

そして、結局は「信頼」や「誠実」のような、誰もが知っている原理原則に戻っていくのである。個人でも企業でもそこから外れていくと、それが原因になってうまくいかなくなってしまう。

裏切る人間、騙す人間、不誠実な人間の生き方がうまくいくのは短期だ。その時点ではうまくやっているように見えても、長い目で見るとそれなりの報復が後で待っている。長期になると、その生き方に復讐される。

人間は数年以内に死ぬよりもっと長く生きる確率が高いので、表社会でも「信頼」を重視し、裏社会でも「仁義」を通すという当たり前を実践する人間が、長期で見ると生き残るということが分かってくる。

当たり前のことを間違っていると断言し、世間の感覚とは反するものがちやほやされる現代の風潮は短期戦略でしかない。

それは危うく見える。炎上して売れれば何でもいいという「マスコミや企業の都合」でしかない。昔から言われている原理原則を追求することが結局は最後に生き残る。長く生き残って最後まで立っている確率が高い。


https://blackasia.net/?p=28885
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/381.html#c9

[近代史7] 森田童子 中川隆
1. 中川隆[-14694] koaQ7Jey 2021年12月08日 11:14:20 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[49]
森田童子の世界(全曲のコメント)
https://11146484morita.blog.fc2.com/

森田童子の曲についてコメントしていきます。

2020/08/10
森田童子のアルバム
オリジナルアルバム
1.グッドバイ
2.マザースカイ
3.ア・ボーイ
4.ラスト・ワルツ
5.夜想曲
6.狼少年

ライブアルバム
1.東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤

ベスト
1.森田童子自選集「友への手紙」
2.ぼくたちの失敗 森田童子ベストコレクション

オリジナルアルバム6枚、ライブアルバム1枚、ベストアルバム2枚 計9枚のアルバムを発表している。
活動期間は22歳から30歳までの約8年。
作詞・作曲能力はもちろん、稀有な歌声はファンを魅了した。
そういう森田童子に魅かれる人へ、「聴くべき順番」を参考に書く。

1.東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤
  まずは、何といってもこれ。最初に聞くべきアルバムだ。
  ライブなので、森田の魅力がすぐそこにある。
  森田の歌声が素晴らしい。語りもいい。
  もちろん選曲も良い。
  加えて、弦楽四重奏とコーラスが見事。
  教会の録音のせいか、音も素晴らしい。

2.グッドバイ
  森田のデビューアルバム。2番目はこれ。
  この1枚だけでも森田の魅力が十分溢れている。
  どの曲もいい。名曲がそろっている。
  森田童子ってどんな人?と思ったら、この1枚。

3.マザースカイ
  森田を有名にした「ぼくたちの失敗」が入っている。
  この頃の森田は湧き出る泉のように名曲を作っていた感がある。
  3番目はこれ。

4.狼少年
  森田最後のアルバム。
  そのせいか、森田も力を入れて作ったような感がある。
  最後に森田はどんなアルバムを作ったか、4番目はこれ。

5.ラストワルツ
  森田の様々の才能がわかる。「みんな夢でありました」「ラストワルツ」
  といった曲は、森田でないと書けないと思う。

6.夜想曲、ア・ボーイ
  この2枚は森田の様々な面を知りたい状況になってからでも遅くない。
  多くの才能があったことを知ることができる。

7.自選集、ベストコレクション
  この2枚は一番最後で良いと思う。

2020/08/10
ひとり遊び
アルバムは森田のベスト盤。
ただ、おそらくは森田の意向はあまり入っていないと推測される。
ファンが望む曲を並べ、既に発表済の「自選集」とは曲が重ならぬように配慮した感がある。

このベスト盤の最後の1曲が「ひとり遊び」だ。
森田が活動停止してから20年後の、森田50歳の歌声だ。
ピアノ、ギター、ハーモニカも森田である。

「海が死んでもいいヨって鳴いている」の歌詞を一部変え、題名も「ひとり遊び」に変えている。

ただ、歌詞の変更はごく一部である。

・2番と3番を逆にしている。
・4番は「海が死んでもいいヨって鳴いてます」を
    「海が僕と死んでもいいヨって鳴いてます」にしている。

どうだろうか?まず歌詞だが、
2番と3番の交換は、意図してやったことだろうか?
4番の歌詞に「僕と」を入れる意味はあったのだろうか?
おそらくは、
「できるかわからないけど、とりあえず遊びのようにやってみる」
として録音したのではないか?
(ここで題名を「ひとり遊び」と思いついたのではないか?)

あまり書きたくないことを書く。

森田も残念ながら年をとってしまったのだ。
ずっと音楽活動をしなかったであろうから、
声も50歳の声になってしまったのだ。
自分の曲とはいえ、20年以上前に作った曲だ。
同じに歌えというのは無理がある。
20年間、おそらく曲づくりも停止していたであろうから、
おそらくこの曲1曲、不完全なままでしか録音できなかったのだ。
録りなおす気にもなれなかったと推測される。

森田に音楽活動再開を期待していた音楽関係者も
「これ以上は勧めてはいけない」と、この1曲で判断できたであろう。

人は年老いて、そしていつか死ぬ。
キラキラ輝いている期間はほんのわずかだ。
悲しいがそれが現実だ。

それでも言いたい。

「ひとり遊び」は50歳の森田童子がピアノを弾き、ギターを弾き、ハーモニカまで吹いて
そして50歳の等身大の自分で歌ったのだ。
森田はファンに最後、ひとつだけプレゼントしてくれたのだ。
これ以上、欲張ってはいけない。
むしろ、歌うこともなかなかできない状況で、録音に挑戦してくれたことに
感謝したい。

森田童子さん、ありがとう。
私がいつか、あちらの世界に行ったら、
また歌ってくださいね。


2020/08/10
ぼくたちの失敗 森田童子ベストセレクション(2003年3月5日発売)森田50歳
森田童子が音楽活動を停止後、1993年1月(森田40歳)に、テレビドラマ「高校教師」の主題歌として、
森田の「ぼくたちの失敗」が使われ、シングルCDは100万枚を超える大ヒットとなった。

最初は大物若手のデビューと勘違いする人もいたが、既に活動停止して10年になる森田の曲だった。
当然、マスコミは黙っていなかったが、森田はあくまでも沈黙を守った。

ところが、それから更に10年後の2003年1月(森田50歳)に、ドラマ「高校教師」の新作が放送され、
主題歌は再び「ぼくたちの失敗」が使用された。

森田が活動停止してから20年が経過していた。

ここからは想像だ。

音楽関係者の中には、森田に再度「歌うこと」を熱心に勧める人も当然いた。
森田はずっと拒み続けていたが、中には仕事だからではなく、
どうしても世の中に再度、50歳になった森田の音楽を聴かせたいと願う音楽関係者もいた。
その人の熱意に折れ、森田は1曲だけ歌ってみようという気持ちになった。
音楽関係者も、新曲ではなくとも、1曲だけでも森田に新たに歌ってもらえれば、
それが呼び水となって音楽活動再開も期待できると考えた。

歌う1曲を何にするのか?録音はどこで、どのように?いずれも森田に任せた。
森田は自分の曲「海が死んでもいいヨって鳴いている」の歌詞を一部変更して、
「ひとり遊び」というタイトルで、自宅にてピアノ、ギターを自ら弾き、ハーモニカも吹いて
歌った。20年ぶりの森田童子の演奏・歌声は、2003年に発売された森田のベスト盤
「ぼくたちの失敗 森田童子ベストセレクション」の最後に収録された。

私は「ひとり遊び」1曲のためにアルバムCD1枚購入する気にはなれなかった。
しかし、森田のオリジナルアルバムを全部入手して聴いていくと、「ひとり遊び」が
聴きたくて結局購入した。


2020/08/10
狼少年・ウルフボーイ
ラストの8曲目は「狼少年・ウルフボーイ」である。

聴いた瞬間、あれ?「地平線」じゃないか?と思った。
ただ、4番の歌詞が入れ替えされて
「狼に育てられたぼくは涙も 笑うことも知りません」として歌っている。

森田はどんな意図で8曲目にこの曲を入れたのか?

まずはこれで音楽活動を辞めようと決心していた。
最後の曲は、これまでの曲の中から1曲、「地平線」を選んで
歌うことにしたのではないか?
「地平線」は、ライブ「東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤」でも
オープニングを飾る素晴らしい出来栄えだったこともあり、
「地平線」で決まった。

しかし、ここでひとつ問題があった。
前アルバム「夜想曲」も、
最後にその前のアルバムでも収録した「ラストワルツ」を再度入れて、
おそらくあまり評判が良くなかったのではないか?

今回もそういうことが起きないようにひと工夫が必要だった。
そこで、歌詞の一部を入れ替え、タイトルも「地平線」でなく、
「狼少年・ウルフボーイ」にしたのではないか?


2020/08/10
憂鬱デス
7曲目は「憂鬱デス」だ。

気のせいか、6曲目にメドレーで続く歌のような感じがする。

間奏の森田の語りがいい。
「ひとりさくさくと柿を食らう」がいい。

6枚目のアルバムは、ここまで、ほぼ森田の思惑どおりに進み、
また、石川鷹彦との息も合い、上々の出来だったと思う。

2020/08/10
ぼくのせいですか
6曲目は「ぼくのせいですか」だ。

なんだかせつない歌だ。
短い歌だが、「去年の夏にあなたが海で死んだ」ときて、
それが「ぼくのせいですか?」「海のせいですか?」と問うている。

森田の実体験だとすると、これは森田が歌い始めたきっかけかもしれない。


2020/08/10
球根栽培の唄(ときわ荘にて録音)
5曲目は「球根栽培の唄」だ。

曲は森田得意のパターンに思う。もちろん悪くない。
「ガリ版刷り」「アジビラ」「赤ヘルメット」などという言葉は、
今の若い人には何のことかわからないだろう。

「ときわ荘」というのは、当時、森田が住んでいた阿佐ヶ谷のアパートの名前のようだ。
マンガ家が住んでいたアパートとは異なる。(笑)

なぜ、わざわざ「ときわ荘にて録音」と入れたのか?
音が悪いから?そんなことはない。スタジオ録音と思うような音だ。
あ、いや、まてよ?
エンディングで変な笛の音がするぞ?
体育の先生が吹く、首から下げた笛。あの笛の音が何度か聞こえてくる。
「ときわ荘」の外で誰かが吹いていた笛の音が入ってしまったのだ。
だからもう一度録音しなおしも考えたが、
聴いてみると不自然ではないので、そのままにした。
でも、一応(ときわ荘にて録音)と入れたのではないか?

この曲も間奏で森田が語る内容が今ひとつわからない。
「ぼくはどこまでも ぼくであろうとし ぼくがぼくで ぼくであろうとし」

2020/08/10
151680時間の夢
4曲目は「151680時間の夢」だ。

まず、「151680時間」って、どこから来ているのだ?と思った。
もしかして?と思ったのは、
森田が思春期を迎え、創作を初めてからの期間を言っているのではないか?ということ。
森田の思春期が12歳として、今回のアルバム発売が30歳。
それまで18年間となる。
1日24時間として、
24時間×365日×18年=157,680時間だ。近い。
森田は理系が得意だったのではないか?

前置きが長くなったが、ちょっと不思議な歌だ。
エンディングで語る森田の話もちょっとよくわからない。

ただ、この曲で、自分の思春期以降の期間を「ぼくの夢」として
「もうやりなおせないほど いつの間にか ぼくは
夢の中で 生きてしまったのです」と振り返っているような気がする。

2020/08/10
ぼくは流星になる
3曲目が「ぼくは流星になる」だ。

これはいい。
何しろ「キーラキーラキーラララ」で始まる。
森田、一生懸命歌っている姿が見えるようだ。
曲もいいが、歌詞もいい。

満員電車の中で ぼくは左耳をおさえて
去年の夏の海鳴りを聞いてる

これが詩人森田だ。

2020/08/10
ぼくを見つけてくれないかなァ
2曲目は「ぼくを見つけてくれないかなァ」だ。

素敵なタイトルだ。
しかも3番の最後は「君がぼくを見つけてくれないかなァ」と言う。
とてもシンプルでいい曲だ。
素直に今の気持ちを歌う森田の心が感じられる。
いい。


愛情練習(ロシアン・ルーレット)
1曲目は「愛情練習(ロシアン・ルーレット)」である。
石川鷹彦の編曲が見事で、おしゃれな曲調に仕上がっている。

森田の「ステップ」の歌声が舌足らずな感じでかわいらしい。
森田の素顔を知る人は身内のごくわずかな人たちだったようだが、
このような歌声を聴く限りでは、美人だったと思う。

森田は作詞の才能はもちろんだが、作曲のセンスも優れていたことが
この曲を聴いただけでもわかる。
どんな曲でも書けた。

それにしてもだ。「愛情練習」ってすごいタイトルだ。

2020/08/10
「狼少年wolf boy」6枚目のアルバム(1983年11月30日発売)森田30歳
森田のオリジナルアルバム6枚目「狼少年wolf boy」は、森田の最後のオリジナルアルバムとなる。
この後、森田は音楽活動を辞め、表舞台から姿を消す。

編曲は全曲石川鷹彦である。
森田はおそらくこのアルバムを最後に音楽活動を辞める決心をしていたのだろう。
最後は一番相性の良かった石川鷹彦に全曲の編曲をお願いしようと思ったのではないか?
最後は気持ちよく終わりたかったのではないか?

22歳でデビューした森田も30歳になっていた。
区切りとしても良いと考えたのではないか?

私生活はほとんどわからないままだが、
イラストレーターでもあり、マネージャーだった人と結婚したようである。
しかしその夫も2010年に没しているとWikipediaには書かれている。
それから8年後の2018年4月24日に森田も亡くなる。

2020/08/10
ラストワルツ
9曲目は「ラストワルツ」である。

よくわからない。森田はどういう意向でこの曲を最後に入れたのか?
前作アルバム「ラストワルツ」の最後の曲も「ラストワルツ」だったではないか?
どこが違う?
前作では、最後に古いラジオから流れるような雑音の入ったラストワルツが続く。
今回はそれをカットした少し短いバージョンである。

うーん。わからない。
そこまでして再度、最後に入れないといけなかったのか?
曲の出来が良いのはわかるが、何故なんだ?

森田が8曲目の「哀悼夜曲」でアルバムを終わらせたくなかったのか?
8曲だと曲が少ないということになり、もう1曲となったが、
森田の手持ちにその1曲が無かった?いや、そんなことはないだろう。
未発表の作品はたくさんあったはずだ。
前作に入れていた曲を再度入れなくても良かったではないか?
ファンとしては、森田の別の曲を聴きたかった。
少し残念に思う。
森田に何かあったのか?と心配になる。

2020/08/09
哀悼夜曲
8曲目は「哀悼夜曲」だ。

これも宗教音楽だろう。
森田でないと書けない曲だ。

ちょっとついていけない感じになってきた。


2020/08/09
孤立無援の唄
7曲目は「孤立無援の唄」だ。

このけだるさは何だ。
高橋和巳って誰だ?
小説家で、「孤立無援の思想」という著書がある。
この本をヒントにして書いたのか?

それにしても「プロレス」とか「でんぐり返って地獄固めだね」などと
森田が使う言葉とは縁遠い歌詞が出てくる。


2020/08/09
船がくるぞ
6曲目は「船がくるぞ」だ。

個人的にこの曲が好きだ。
最後の「クロール クロール」がとても良い。

間奏で森田が語る。
「まるで夏休みの臨海学校の新しいシーツをかぶった時みたいだ」
うーん。わからないなあ。

2020/08/09
サナトリウム
5曲目は「サナトリウム」だ。

いきなり「漱石の本」と来る。本来の森田の世界だ。
曲の最後に森田の語りが入る。

「もうすぐ ぼくの左の肺の中に 真赤な花が咲くはずです」

森田だ。


2020/08/09
麗子像
4曲目は「麗子像」だ。

何だかようやく本来の森田の歌を聴くようで少しホッとする。
歌詞に「ショパンのワルツを踊ります」とある。
この歌詞とこの曲からヒントを得て「夜想曲」というアルバムタイトルを
つけたのではないか?

この曲は日本ではない国の歌のようだ。
「四頭引きの馬車が走ります」なんて日本じゃない。
森田の頭の中にある風景なのだろう。

2020/08/09
ぼくは16角形
3曲目は「ぼくは16角形」

さっぱりわからない題名だ。
しかも歌詞も何だかわからない。

2020/08/09
淋しい猫
2曲目が「淋しい猫」

力を抜いて、サラっと歌っている。
そういう曲なのだろうが、どうすればこのような曲を書けるのか?

森田が手の届かない所へ行ってしまいそうな感じだ。


2020/08/09
蒸留反応
1曲目が「蒸留反応」だ。

そもそもどうやったらこのような題名を思いつくのか?
普通は絶対に思いつかないのではないか?

サビの「雪よ降れ んーん」のメロディーが良い。

2020/08/09
夜想曲 5枚目のアルバム(1982年11月20日発売)森田29歳
5枚目のアルバムが「夜想曲」である。

ノクターンを訳したのが「夜想曲(やそうきょく)」。夜の情緒を表す、抒情的な楽曲・・・ということか?
4枚目のアルバム「ラスト・ワルツ」の流れはあるが、少し違う方向も感じる。
森田も間もなく30歳。いろいろな変化もあったことだろう。

2020/08/09
友への手紙 森田童子自選集(1981年9月発売)28歳
森田自身が自分の曲から選んだアルバムだ。
よって、ベスト盤というわけでもない。

しかし、最初から通して聴くと、何となくわかってくる。
このアルバムは、森田のリアルな実体験を曲にしたものを選んだのではないか?

「さよならぼくのともだち」「赤いダウンパーカーぼくのともだち」「ぼくたちの失敗」「早春にて」
は、強い影響を受けた友人のことを歌っている。

「菜の花あかり」「まぶしい夏」「逆光線」「蒼き夜は」
は、死の影が漂う。

ラストの4曲はライブアルバムからの選曲だ。
私がライブアルバムから選曲するとすれば、
「風さわぐ原地の中に」ではなく、「センチメンタル通り」とか
「地平線」だと思うのだが、おそらくこの2曲は森田のリアルな実体験とは
少し違うのではなかったか?

2020/08/09
ラストワルツ
8曲目が「ラストワルツ」このアルバム最後の曲である。

名曲である。森田のアルバムの最後に入れる曲は傑作だ。
1枚目のアルバムのラストは「さよならぼくのともだち」
2枚目が「今日は奇蹟の朝です」
3枚目が「G線上にひとり」
(3枚目のラストは「組曲のために第3番「友への手紙」だが、これは詞の朗読なので外す)
そして
4枚目が「ラストワルツ」
いずれも名曲である。

一体、どうすればこのような詞を書けるのか?
森田はもっと曲を書くべきだった。
自分で歌わないまでも他人に提供することはできなかったのか?
森田は拒んだのだろう。そんなことはできないと。
きっとそうだ。


2020/08/09
たとえばぼくが死んだら
7曲目は「たとえばぼくが死んだら」である。

ちょっと怖い題名だが、佳作である。
前奏もギターで短く、すぐに歌に入るところが良い。

短い歌詞で4番まである。
とにかく森田はあまり長い歌詞を書かない。
ところが曲を聴くと短いと感じない。
不思議な感覚である。

2020/08/09
きれいに咲いた
6曲目が「きれいに咲いた」である。

歌詞が私にはよくわからない。
森田の曲にはそういう詞が時々ある。

しかも間奏の森田の語りがまた難しい。

「幻燈会」などという言葉を使う。
チャップリンのかなり古い映画にこの題名の作品があるという。

この曲だけ、このアルバムではちょっと異質である。

2020/08/09
みんな夢でありました
5曲目は「みんな夢でありました」である。

学生運動を曲にする試みは、何人かのアーティストが挑戦している。
しかし、森田のこの曲こそ本当の学生運動の姿を歌っているように思う。

あんなに燃え上がっていた学生運動を振り返り、
「みんな夢でありました」と言ってしまう。
かなり勇気のいる表現だったのではないか?

歌詞も曲もいいが、森田の歌声が抜群に良い。
これが男性ボーカルとか、普通に歌が上手い人の声だと
こうはいかなかっただろう。
何回聴いても「いい」と思う。

2020/08/09
グリーン大佐答えて下さい
4曲目は「グリーン大佐答えて下さい」だ。

そもそもグリーン大佐って誰なんだ?
調べてみると、どうやらスタートレックに登場し、
21世紀に地球全滅を計画した人物のようだ。

しかし、森田に直接聞いたわけではないので
正確にはわからない。
しかし、そういうような(地球全滅を考えるような)人を
森田は「グリーン大佐」としたのではないか?

この曲も宗教めいたものを感じる。

エンディングで原子爆弾でも爆発したかのような
音が聞こえる。

2020/08/09
海が死んでもいいヨって鳴いている
3曲目は「海が死んでもいいヨって鳴いている」だ。

やっぱり4枚目のアルバムは本来の森田に戻っている。
この曲なんかも本来の森田だ。

孤独を感じながらも必死に前を向いて
どうにかなりそうだけれども懸命に生きていこうとしている
そんな歌のように思う。

暗い歌ではないと私は思う。


2020/08/09
菜の花あかり
2曲目は「菜の花あかり」である。

こういう曲を森田はおそらくササっと書くような気がする。
ウーンなどと唸ったりはしない。
サラサラと書いていくように思う。

そして美しい光景が目に見えるように歌い上げる。
こういうのを才能と言うんだろう。


2020/08/09
赤いダウンパーカーぼくのともだち
1曲目は「赤いダウンパーカーぼくのともだち」だ。

ここで言う「赤いダウンパーカー」は、おそらくジェームズディーンが
映画「理由なき反抗」で着ていたものを言っているのではないか?

ジェームズディーンといえば、「エデンの東」が有名だが、
私は「理由なき反抗」のジェームズディーンが好きだ。
彼の本来の性格がそのまま出ているように感じるからだ。

映画「理由なき反抗」で印象的だったのは
ジェームズディーンが着ていた赤いダウンパーカーで、
森田はおそらくそこからこの題名を考えたのではないか?

この曲は「さよならぼくのともだち」の兄弟のような曲だ。
間奏で「さよならぼくのともだち」の歌詞を一部語っていることからも、
間違いないと思う。出来もなかなかのものだ。

最後の歌詞に「何もなかった ぼくたちの終わりに」という表現に唸ったし、
続く「君と冷たい牛乳飲んで 声を出さずに笑った」にもまいった。
君との最後に飲んだのは「酒」ではなく「冷たい牛乳」だったのだ。
そして「声を出さずに笑った」のだ。
何ともすごい表現だと私は思う。


2020/08/09
ラストワルツ 4枚目のアルバム(1980年11月20日発売)森田27歳
オリジナル4枚目のアルバム(ライブ盤を除いて4枚目)

このアルバムからそれまでのポリドール・レコードではなく、
ワーナー・パイオニアとなる。

3枚目のアルバムが、どこか違う感があったが、
この4枚目のアルバムで軌道修正されたみたいで、
元の森田に戻った感があると思うのは私だけだろうか?

22歳でデビューした森田も27歳となった。

2020/08/09
風さわぐ原地の中に
10曲目はアンコールで「風さわぐ原地の中に」だ。

まず、この曲も「友よ泣かないのか」と同じで、他のアルバムに入っていない。
森田には珍しく、激しい曲だ。アンコールにふさわしいと考えたのではないか?

歌い出しの「風」が聞こえない。「・・・さわぐ!」と聞こえる。
でもかまわないのだ。

「原地(はらち)」って、あまり使わない言葉だけど、そういう言葉を森田は使う。

前奏で森田ではないギタリストのリードギターの間に、おそらくそのギタリストが
「イェー」と言うところがあるが、
どうも気になる。「イェー」と言ってほしくなかった。
森田のコンサートに「イェー」はふさわしくないように感じる。
私だけだろうか?小さなことだけど。

2020/08/09
さよならぼくのともだち
9曲目が「さよならぼくのともだち」だ。

当時の森田は、コンサートのラストでこの曲を歌うことが多かったようだ。
それにしても歌う前の森田の語りはどうだ!

「君と僕は同じ一線で結ばれた、友達というやさしい放浪者だった。
君と二人して、夜明けの町の荒々しい空気に酔いしれて二人は彷徨った。」

ここまでも良いが続きも良い。

「いつか、君と僕は同じ一線で結ばれた、友達というやさしい放浪者だった。
さよなら、ぼくの友達」

2020/08/09
センチメンタル通り
8曲目は「センチメンタル通り」である。

歌う前に森田は3年前にライブハウスで歌い始めたことを語る。
3年前といえば森田が22歳の時だ。
ライブハウスで歌い始めてから、わずか3年でこのようなライブができた。
やはり森田は只者ではないと思う。

「センチメンタル通り」も私のお気に入りだ。
というか、この曲も初めて聴いてからしばらくの間、
私の頭の中で鳴りやまなかった。

2020/08/09
海を見たいと思った
7曲目は「海を見たいと思った」である。

森田は夜汽車が好きだったようだ。
それにしてもどうだ。
このライブを聴いていると会場は「森田童子ワールド」になっている。

あまりの森田ワールドの素晴らしさのせいか、
強い拍手が邪魔に聞こえるのは私だけだろうか?

2020/08/09
友よ泣かないのか
6曲目は「友よ泣かないのか」である。

この曲は、他のアルバムに収録されておらず、このライブ盤にだけ収録されている。
曲を始める前に、森田は「友人の土門とその彼女モンちゃん」の話をする。
二人は阿佐ヶ谷のアパートに住んでいるということで、
当時、高円寺に住んでいた私は、森田に親近感を覚えた。

私も数年前に「友よ」という曲を作ったが、
森田の詞を読んでいると、その差に愕然とする。

2020/08/09
ぼくと観光バスに乗ってみませんか
5曲目は「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」だ。

森田がラジオで「東京のはとバスに乗ったことがあって・・・」といった話をしていたと
記憶しているが、「はとバス」をヒントにして作った曲なのだろうか?

ところで、
「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」という題名で曲を書け、と言われたら、
このような曲を書けるだろうか?
とても無理である。
森田の才能を感じる1曲である。

2020/08/09
雨のクロール
4曲目は「雨のクロール」だ。

私が完全に森田童子のファンになったのは、おそらくこの「雨のクロール」を聴いてからだろう。
何て美しくもはかない名曲なんだろうと思った。
このライブでは、女性コーラスがこの名曲を更に盛り上げている。
初めて聴いた時から、毎日のように頭の中で「雨のクロール」が鳴り響いていた。

2020/08/09
君は変わっちゃったネ
3曲目は「君は変わっちゃったネ」だ。

曲の前に、親しかった「松本さん」という先輩の話をする。
3曲目の「君は変わっちゃったネ」にスムーズに続くような話で味わい深い。

よくあるテーマだが、森田の手にかかると傑作に仕上げられる。
そんな見事な出来栄えである。

間奏に森田が言う。
「あの頃、井の頭線の線路沿いのアパートに、君と暮らし始めた。
何もない無力なぼくは、ただ君を愛すことしか知らなかった」

クー!いいね。
井の頭線には通学で毎日乗っていたので、リアルだった。
彼女がいない私にはうらやましくもあり、別世界のこととしか思えなかった。
私より5歳しか年上ではない森田が、10歳以上年上に感じた。


2020/08/09
逆光線
2曲目は「逆光線」である。

1曲目が終わると、森田は「今日のコンサートの弦楽四重奏は武蔵野音大の友達です。」
と紹介する。それに呼応するように弦楽四重奏が奏でられ、2曲目の「逆光線」を
森田が歌い始める。

勝手な想像だが、1曲目を「地平線」にすることはすんなり決まったのではないか?
続いての2曲目を何にするか?
「地平線」に続く曲・・・と繰り返しているうちに、同じ「線」つながりの「逆光線」はどうだろう?
と、遊び心から、「それじゃあやってみましょうか?」となって、
武蔵野音大の友達の紹介から、弦楽四重奏の呼応、「逆光線」を歌い出すアイディアが
生まれたのではないか?
(もちろん、すべて想像である。)
とにかく1曲目〜2曲目までは最高のすべり出しである。

私はこのアルバムから森田を聴き始めたので、「逆光線」の歌詞は少々ショッキングだった。
森田が「只者ではない」ことを実感していた。

2020/08/09
地平線
1曲目は「地平線」である。

いきなり教会の鐘の音が聞こえ、続いて雷鳴がして海猫が鳴いている。
再度雷鳴がして、静かに森田が歌い始める。素晴らしい。

重なり合って女性コーラスがずっと続き、弦楽四重奏と共に
曲を美しく盛り上げる。

間奏で森田が言う。
「ぬけるように青い六月の空は、限りないぼくたちの失敗の空です。」
なんて素敵なんだろうと、聴き入ってしまう。
もし、その会場にいたら、泣いていたかもしれない。

2020/08/09
東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤(1978年11月1日発売)森田25歳
森田童子唯一のライブ盤「東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤」である。

1枚目と2枚目のアルバムからの選曲に、
「友よ泣かないのか」「風さわぐ原地の中に」の2曲を加えた10曲の構成である。

まずは、「東京カテドラル聖マリア大聖堂」で歌ったことが特筆される。
こういう会場は、フォークソングのコンサートには貸出しない傾向にあるのだが、
森田の場合、バックの演奏に弦楽四重奏が入ったり、美しいコーラスが入る。
そういう面を前面に出して使用許可をもらったらしい。

次に選曲だが、当時の森田の曲で評判の良かった選曲と言っていい。
バックの演奏・コーラスもしっかりしているだけでなく、
森田の歌声が実に素晴らしい。魅力あふれるライブが楽しめる。
大聖堂のせいか、音も良く、ライブであるが、ベスト盤といってもいい。
また、曲間の森田のモノローグも味わい深いものがあり、聴き飽きることなく、
あっという間にコンサートが終了する。

私が森田のレコードを最初に買ったのが、シングル「さよならぼくのともだち」。
次にアルバムが欲しくなって、迷った末、このライブ盤を購入した。
森田入門編にはピッタリのアルバムだった。うれしかった。
(当時はインターネットも無く、よって、You tubeも無い時代だった。)


2020/08/08
終曲のために第3楽章「友への手紙」
9曲目は「終曲のために第3楽章「友への手紙」」だ。

とはいえ、これは演奏だけで森田は歌わない。
だから物足りない・・・が、森田が作った詞の朗読がある。

うーん。この詞の良さが、私には今ひとつよくわからない。
「さよなら ぼくを愛さなかった友達よ」とは?

「さよなら ぼくのともだち」との関係は?

やっぱりこの3枚目のアルバムは「何か違う」感が漂っている。

2020/08/08
G線上にひとり
8曲目は「G線上にひとり」である。

まずは「G線上」って何なのだ?
バッハの「G線上のアリア」からきているらしい。
バイオリンの一番低い音がソ(G)で、このG線だけで
演奏できることから「G線上の・・・」と呼ばれているらしい。

その「G線上にひとり」ということは何を意味しているんだろう?
・・・・わからない・・・・しかしそれがどうした。

名曲である。

心地よいメロディー、森田の魅力的な歌声。
素晴らしいのは「あくびして涙ふいた」の「あくびして」を
本当にあくびしながら歌っているように聞こえることだ。
しかも、本当にあくびして歌ったら、きっと「ダメ、もう一度」と
なっていただろうが、そのギリギリの線で歌っている。
森田の歌声は天才的なものを感じる。

2020/08/08
ぼくが君の思い出になってあげよう
7曲目は「ぼくが君の思い出になってあげよう」だ。

これは思いっきりプライベートソングのように思う。
出来は悪くない。(悪いわけがない)
ただ、あまりに素直すぎて何となく通り過ぎていく感じがする。

アルバムの中では、最後の少し前あたりに置くべき曲だ。

2020/08/08
淋しい素描
6曲目は「淋しい素描」だ。

「素描(そびょう)」は、いわゆる「デッサン」だ。
いきなり「浅き夢みし 人の世は」ときた。
まるで百人一首のようだ。

森田はどんな詞でも書けるような、そんな才能を感じる。

2020/08/08
セルロイドの少女
5曲目が「セルロイドの少女」だ。

この曲は森田の新たな挑戦と感じた。
何と!テーマは「サーカス」だ。

サーカスといえば、ビートルズの「ミスターカイトのために」を思い出すが、
こっちは17歳のミドリちゃんだ。

曲調、歌詞、歌い方も全部、これまでの森田ではない。
しかも題名が「セルロイドの少女」ときた。

歌の最後に「家族合わせ」という歌詞が来るが、
カルタの一種の遊びらしい。
森田は「家族合わせ」という言葉の響きからこの詞を書いたのだろうか?

サーカスの雰囲気が見事に出ている。
なかなかの曲だし、森田も気に入っていたのではないか?

森田のシングルは「さよならぼくのともだち」「ぼくたちの失敗」ときて、
3枚目がこの「セルロイドの少女」なのだ。

おそらく、森田の意向でこの曲を3枚目のシングルにしたのではないか?
面白い曲で魅力はあるが、シングルで発売する曲ではないように思う。
でも、そういう挑戦をした(推測だが)森田がいいと思う。

ラジオか何かで、「この曲は1枚目のアルバムの時に一度録音してボツになり、
2枚目のアルバムでも候補だったがボツになって、三度目の正直で収録された」
と話していた。

1枚目と2枚目のアルバムでボツになった理由は明白だ。
アルバムのトーンに合わなかったのだ。

1〜2枚目のアルバム成功により、
3枚目は(おそらく)かなり自由に作れたのではないか?
だからある程度の実験も可能だった。挑戦も可能だった。
「セルロイドの少女」はこうして世に出せた(と思う)。

2020/08/08
ぼくを見かけませんでしたか
4曲目は「ぼくを見かけませんでしたか」である。

間奏で森田が言う。
「ぼくは いまひとり 北上川にほとり 旅の途上にいる」
森田はコンサートで全国を回っていたのだろうか?

その旅の途中で書いた曲なのだろう。
割と素直な詞なので、わかりやすい。

しかし、最後の詞が森田らしい。

ゆきかう電車の窓越しに 真新しいセビロの ぼくを見かけませんでしたか

うーん。森田の世界に引きずり込まれた。

2020/08/08
ふるえているネ
3曲目は「ふるえているネ」である。

何と短い詞なのだろう。
これで1曲にするという発想が森田にはあった。
私には無い。(そりゃそうだ)

たぶん私小説的な内容なのだろう。
よって、なかなか入り込めない世界である。

やっぱりエンディングの演奏は長い。


2020/08/08
君と淋しい風になる
2曲目は「君と淋しい風になる」である。

編曲がいいなと思ったら石川鷹彦だった。

それにしてもやはり森田の歌声は素晴らしい。
「形のない愛は・・・」からグッときて、
「いつかふたりは」の「ふたりは」が森田でないと歌えない魅力的な歌い方だ。


2020/08/08
蒼き夜は
1曲目は「蒼き夜は」である。

「蒼」は、「青」と違い、「草の青さ」「草が青く茂る様子」を言うのだそうだ。
アルバムジャケットの森田は夜の芝生の上にうつぶせ寝している。
1曲目のイメージからだったのだろうか?

それにしてもいきなり「春はまぼろし」という歌詞から始まって
森田の世界に引きずり込まれる。
森田の歌声がとてもいい。


2020/08/08
A BOY 3枚目のアルバム(1977年12月10日発売)森田24歳
森田童子3枚目のアルバムは「A BOY」である。

このアルバムだけ、私はいまだに「よくわからない」のである。
曲は悪くはない。森田の曲なのだから、悪いはずもない。
しかし、ほかのアルバムと比べてしまうと、どこか「何か違う」感がある。

森田唯一のライブ盤「東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤」は、
1978年7月29日のライブである。
「A BOY」の発売は、1977年12月10日なのであるが、
この「A BOY」からは1曲もライブ盤に入っていない。
基本的に1枚目と2枚目のアルバムからの選曲である。
これは何を意味するのか?たまたまか?そんなことはないだろう。

森田は2枚のアルバムを出し、評判も良かったわけで、
3枚目のアルバムは何か新しい挑戦をしたかったのではないか?
前の2枚のアルバムとは少し違うものを創りたかったのではないか?

それが「どこか、何か違う」感を出しているような気がする。
「G線上にひとり」は間違いなく森田の傑作のひとつである。
「セルロイドの少女」は、これまで見せたことのなかった森田の新たな一面である。

個人的にどうしても気になるのが、曲のエンディングの演奏の長い曲があること。
「ふるえているネ」「淋しい素描」
「終曲のために 第3番「友への手紙」」は、演奏だけで、後半は手紙を読む。
これは編曲者のアイディアだったのか?森田の意向だったのか?
「ふるえているネ」「淋しい素描」は、エンディングの演奏が長すぎるように思う。

正直に言うなら、これらの曲のエンディングの演奏をもう少し短くして、
もう1曲、短くても「歌う森田」の曲を入れてほしかった。

ただ、全体を通して「孤独」を感じること。
アルバムタイトルが「A BOY」である。
少年の孤独な心をアルバム全体のトーンにしたかったのではないか?

森田は女性(だと思う)ので、少年の孤独な心を表現するという
新たな挑戦をしたのではなかったか?

謎である。

2020/08/02
今日は奇蹟の朝です
10曲目、ラストは「今日は奇蹟の朝です」だ。

これは素晴らしい。森田童子でないと書けない曲だ。
森田童子ワールド全開といった感じ。

これこそ森田がキリスト教信者と思われる理由のひとつだ。
そういう人でなければ書けないだろう。

まるで砂浜にいる森田が海に向かってひざまづいて祈っているようだ。

最後のフレーズが「いま聖母マリアが浮上する」で見事に歌い終わる。

アルバムのタイトル「マザー・スカイ」は、この曲から出て来たように思う。

2020/08/02
春爛漫
9曲目は「春爛漫」である。

ファーストアルバムも最後から2番目に「たんごの節句」が入っているが、
セカンドアルバムも最後から2番目に似たような曲調の「春爛漫」が入っている。
偶然か?いや、そんなことはないだろう。
おそらく、実験的な試みをしてみたかったのではないか?
自分はこういう曲も歌いたいんです・・・みたいな。

ただ、やっぱりちょっとどうかと思ってしまう。
もちろん一定のレベルは越えているが・・・。


2020/08/02
ニューヨークからの手紙
8曲目は「ニューヨークからの手紙」である。

森田はニューヨークへ行ったのだろう。
何となく違和感もあるが、そう理解しないと進まない気がする。
何もかも嫌になって、ニューヨークへ行き、「私を忘れてほしい」と、
そうして旅立ったのだろうか?

メロディーはとても良い。
ただ、森田の気持ちがなぜこのような詞を書かせたのか、わからない。


2020/08/02
男のくせに泣いてくれた
7曲目は「男のくせに泣いてくれた」である。

これは森田の実体験だそうで、高校生だった頃、自分の苦しみを先生に打ち明けたところ、
男の先生だったのに泣いてくれたそうで、感激したようだ。

ただ、そういう体験をこんなふうに曲にできるだろうか?
なかなかできるものではない。
しかもドラマ「高校教師」でも挿入歌として使われたほどの曲に仕上げている。
ドラマヒット時、森田は活動停止していたが、ドラマのヒットにより、シングルCDが発売された。
「ぼくたちの失敗」「男のくせに泣いてくれた」である。オリコン5位までになったそうだ。

2020/08/02
海を見たいと思った
6曲目は「海を見たいと思った」だ。

森田は「夜汽車」が好きだと何かで話していた。
そうだ。夜汽車が好きでない人に「暗い電燈」だとか、
「窓ガラスに もう若くはない ぼくの顔を見た」なんて書けない。

間奏で語る。
「飲めない酒を飲んだ 泣いてみようとしたが 泣けなかった」
クー!詩人だなあ。

2020/08/02
ピラビタール
5曲目は「ピラビタール」だ。

ピラビタールとは、鎮痛剤・鎮静剤の中に入っている
少しだけ気持ちよく眠くなる作用のある薬だそうだ。

こういうのを題名にするって、なかなかできない。
「悲しいときは頬をよせて 淋しい時は 胸を合わせて」
と言ってるけど、そうだったかな?と、考え込んでしまう。

2020/08/02
逆光線
4曲目は「逆光線」だ。
これは昔で言うところの「問題作」だろう。
今、発表していたら「放送禁止」扱いされていたかもしれない。

「安全カミソリがやさしく ぼくの手首を走る」
「静かに ぼくの命は ふきだして」

「手首を切る」ではなく、「手首を走る」として、
「ぼくの血液は ふきだして」ではなく、
「ぼくの命は ふきだして」としている。

しかも切るのは「安全カミソリ」である。「カッター」ではない。
こういうちょっとした表現の違いが、ギリギリ芸術作品にとどめている。

それでも「やさしく発狂する」のは怖い。


2020/08/02
伝書鳩
3曲目は「伝書鳩」だ。

子供が複数で「青い空」「白い雲」と歌っているようだ。
結構ピッタリはまっている。
アレンジャーを調べたら石川鷹彦だった。

「朝の街にぼくの カイキンシャツが飛ぶ」なんて書けない。
「母よぼくの 鳩を撃て」ってどういう意味なんだろう。

でもそんなことはどうでもいい。
気づいたらセカンドアルバムでも、完全に森田童子の世界に引き込まれていた。

2020/08/02
ぼくと観光バスに乗ってみませんか
2曲目は「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」だ。

この曲も森田自身、よくライブで歌っていたようだ。
しかし、「観光バス」に乗ってみませんか?というのが森田らしい。
「ぼくとドライブしてみませんか」ではないのだ。
しかも「トランジスターラジオ」まで出てくる。
あの「ドゥーユーワナダンス」を持ってくるのもいい。

そして、森田お得意の間奏のモノローグ。
「君も一度 気が向いたら たずねて下さい 雅兄」
「雅兄」って何だかわからなかった。
男か男の友人に出す手紙で、敬愛しているというような意味だそうだ。
森田はかなりの文学少女だったと推測される。
それと、「遊びにきて下さい」ではなく「たずねて下さい」なのだ。
ちょっとした違いだが、曲を格調高くしていると思う。

2020/08/02
ぼくたちの失敗
1曲目が「ぼくたちの失敗」だ。
森田の活動停止後の1993年、テレビドラマ「高校教師」の主題歌に使われ、大ヒットした。
テレビで「高校教師」の予告編を何気なく見ていたら、森田童子の曲だったので驚いた記憶がある。
このテレビドラマは大ヒットし、この主題歌を聞いて森田童子を知った若い人がたくさんいたと聞く。

何ともすごい題名だ。「ぼくたちの失敗」なのだ。普通、こんな題名をつけない。
マイナスのイメージが強すぎるからだ。でも、いいのだ。

1曲目に森田が持ってきただけあって、おそらく自信作だったと思う。ピアノもとてもいい。
ファーストシングルは「さよならぼくのともだち」だったが、
セカンドシングルには「ぼくたちの失敗」を持ってきている。

「君のやさしさに 埋もれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ」ときた。
こういうフレーズに人は弱い。「弱虫だったんだヨネ」と認めているのだ。
「だめになったぼくを見て 君もびっくりしただろう」にもやられた。
こんな詞は胸に迫ってくる。

チャーリーパーカーは、アメリカのジャズ アルトサックスの名プレーヤーだそうだが、
残念ながらジャズをあまり聴かない私にはよくわからない。失礼。
森田の彼氏はジャズが好きで、森田も影響を受けたのだろうか?

それにしても「電熱器」って何だかわからない若い人は多いのではないか?
しかもそれをストーブ代わりに使っていたなんて、イメージがつかないかもしれない。

しかし、それがどうした。そんなことはおかまいなしに、ドラマ「高校教師」の主題歌として、
大ヒットしたのだ。
このドラマの脚本家の推薦に、プロデューサーが応じて主題歌として採用されたらしい。

何かふわふわしてどこかに飛んでいきそうな歌い方がこの曲にマッチして絶妙である。
こういう歌い方は森田でないとなかなかできないだろう。

2020/08/02
マザー・スカイ=きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか=2枚目 1976年11月21日 森田23歳
森田童子 セカンドアルバムは、ファーストアルバム発売のぴったり1年後に発売された。

レコードジャケットがドキッとする。十字架が砕け散る写真なのだ。
森田の音楽には宗教(キリスト教)を感じさせるところがある。
しかし、宗教ドップリではないことは、このジャケット写真でわかると思う。

ファーストアルバムは素晴らしかったが、セカンドアルバムもなかなかのものだ。
この頃(森田23歳)は湧き出る泉のように名曲が出来上がっていたのではないか?

それにしてもジャケット写真は衝撃だった。

2020/07/31
さよならぼくのともだち
ラスト10曲目が「さよならぼくのともだち」だ。

森田童子の代表曲。
まだ22歳というのになんて大人びた詞を書くのだろうと驚く。
「行ったこともないメキシコの話を 君はクスリが回ってくると」
などという詞を書けるだろうか?

「仲間がパクられた日曜の朝 雨の中をゆがんで走る」
などという詞を若い女性が書けるだろうか?
男でも無理だ。

私はこの曲がずっと頭から離れなかった。


2020/07/31
にわか雨
9曲目は「にわか雨」。
(タイトルの「にわか」は難しい字を使っている。)

さりげない、目立たない曲である。
静かにひとりでいる時に聞くと良さそうなおとなしい曲だ。

しかし、メロディーはなかなかだ。

2020/07/31
たんごの節句
8曲目は「たんごの節句」。

正直に言えば、この曲はこのアルバムのトーンに少し合わないような気がする。
曲は悪くないし、歌声ももちろん良い。(特に最後の「たんごの節句!」がすごい。)
ただ、幼い姉と弟がいっしょにお風呂や川に入るというのが、
ちょっとだけこのアルバムのトーンに合わないと感じてしまう。
(ぜいたくだろうか?そうだ。きっとレベルの高いアルバムを聴いていると更に上を望んでしまうのだろう。)

2020/07/31
淋しい雲
7曲目は「淋しい雲」。

タイトルと曲がなかなか結びつかない。
それよりも驚くのは、アグネスチャンが歌っているように聞こえることだ。
この曲に限って言えば、歌い方が森田らしくない。
・・・といえば批判的に聞こえるかもしれないが、批判しているのではない。
もしろ、森田はこういう歌い方もできたのかと驚かされる。
ひと言で言えば「とてもかわいらしい声」なのだ。
森田はこの歌い方をこの1曲でやめたようだ。
自分の曲のイメージに合わないと判断したのだろうか?
少し残念だ。

ところで、「ミセス・カーマイケル」って誰なのかと思ったら、
昔の海外ドラマの「ルーシーショー」の「ルーシー」のことだそうだ。
そういう名前をさりげなく歌詞に入れるのが森田だ。


2020/07/31
センチメンタル通り
6曲目はセンチメンタル通り。

映画「ジャイアンツ」と言えば「ジェームズディーン」だと思っていたら「ロックハドソン」ときた。
やっぱり森田はただものではない。
そもそも題名が「センチメンタル通り」である。
この時代を見事に描いている。

「みんな夕方になると集まった」の次にまさか「映画館」が来るとは思わなかった。

森田は22歳だが、本物の大人だった。そう思う。そうでなければこんな詞書けない。

個人的に、ひとつ残念に思うのは、冒頭のオートバイの音だ。
この時代のこの曲に合うと思って入れた効果音と思うが、私は不要だったと思う。
5曲目までの雰囲気がちょっと壊されるような気がするからだ。
あくまでも個人的な感想だ。曲そのものの素晴らしさは変わることがない。

2020/07/31
地平線
5曲目は「地平線」。

一体、どうすればこのような歌詞が書けるのだろうか?
素晴らしいのひと言に尽きる。

この曲もライブアルバム(東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤)に入っており、
オープニングを飾っている。このライブアルバムでの「地平線」でもコーラスが良い。
コーラスを聴いているだけでも満足しそうな曲である。
しかもモノローグも良い。森田は詩人だ。


2020/07/31
雨のクロール
4曲目は「雨のクロール」。

美しい名曲である。
このアルバムの「雨のクロール」もいいが、
私は森田のライブアルバム(東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤)の「雨のクロール」が一番好きである。
前奏・間奏でのコーラスが美しく、耳から離れない。

この歌詞は素直に「僕」が男性で、「君」は女性で良いようだ。
「君は花柄のワンピース置いて」と来るものだから、少しドキッとした。
森田は「ワンピース脱いで」とせず、「置いて」としたところが見事だ。
曲の品を落とさず、名曲に仕上げた。

森田は「泳ぐ」=「クロール」と決まっているようだ。
アルバム夜想曲の「船が来るぞ」でも「クロール クロール」と歌っている。

短い曲だが、本当に素晴らしい。森田の代表曲のひとつである。

2020/07/31
まぶしい夏
3曲目は「まぶしい夏」。

タイトルだけではわからないが、曲を聴くと森田は「太宰治」が好きだったと推測される。
いきなり「玉川上水」が出てきて、「太宰の好きな君」が出てくる。
「君から借りた太宰の本は、寂しい形見になりました」とダメ押しが来る。
(アルバムのタイトルが「GOOD BYE」である!)

森田20歳のときの友人の死がきっかけで歌を歌い始めたようだが、これはその友人のことかと想像する。
仮にそうだとすれば、そんな衝撃的な出来事をこんな美しくもはかない曲に仕上げる森田。
唸るしかない。

森田は「汗をかく」「汗ばんだ」といった「汗」を歌詞にすることが好きなようである。
(「さよならぼくのともだち」にも汗が出てくる)

2020/07/31
君は変わっちゃったネ
2曲目は「君は変わっちゃったネ」。

森田はこの曲を気に入っていた模様で、ライブでよく歌っていたようだ。
もちろん私もお気に入りの曲だ。

歌詞は素直に自分が子供っぽいのに、君は大人になったと書いている。
後に森田唯一のライブアルバムでは、間奏のモノローグが効果的である。

素直な詞であるが、メロディーが良いものだから、忘れられない曲になる。
そう。森田は言うまでもないが才能豊かなシンガーソングライターだった。

2020/07/31
早春にて
1曲目の「早春にて」は、森田童子の魅力満載である。
歌声、メロディー、歌詞、なかなかのものである。

森田は女性(だろう)と思っていたが、歌詞を聴いていると、
「君」が女性のようで違うようで、「僕」は男性のようでそうでない。
後日、わかったことだが、森田は自分を「僕」と表現しているようなのだ。
女性が「僕」と言うと不思議な魅力を感じる。

間奏でモノローグが入るが、これが何とも言えずいい。
「もうすぐそこに夏が来ています」なんて、いい。

森田の歌詞は比較的短いのだが、不思議なことに短く感じない。

エンディングの効果音は飛行機の離陸する音のようだが、
最初、何で飛行機の離陸音なのかわからなかった。
しばらくして、彼は飛行機で故郷へ帰ったのだろうと推測できた。
あの頃、飛行機は高額であまり利用できなかったから、ピンとこなかった。
「飛行機の離陸する音を入れてください」と森田は言ったのだろうか?
いや、私にはそんなことを言うとは思えない。任せたのではないかと思う。

2020/07/31
GOOD BYE 1枚目のオリジナルアルバム1975年11月21日発売(森田22歳)
森田童子のファーストアルバム「GOOD BYE」は、森田22歳の時に発売された。
私は森田よりも5歳年下だから、私が17歳の時にラジオの深夜放送で「さよならぼくのともだち」を聴いたと思う。
このファーストアルバムが素晴らしい。名曲ぞろいである。
わずか22歳でこれだけの曲を書けるのだから、相当な才能である。

私は東京で4年間、大学生をやっていた。「いつか森田童子のコンサートに行こう」と思っていたが、
結局、行かないまま卒業し、故郷に戻ってしまった。後悔している。
あの4年間で、何としてでも行くべきだった。おそらく一生後悔して生きていくと思う。

2020/07/29
森田童子の世界

もう40年以上前のことです。東京の大学進学に向けての受験勉強中、ラジオの深夜放送を聴いておりました。
そこで流れてきたのが「さよならぼくのともだち」でした。とにかく引き込まれたことを覚えています。
魅力的な歌声でしたし、繰り返す「さよならぼくのともだち」が良かったし、まだ見ぬ大学生の生活が
ぼんやり浮かんだような気がしました。

「弱虫でやさしい静かな君」というのは「つまらないダメな人間」と思っていましたが、「ぼくはとっても好きだった」
と歌われ、「この人、誰なんだ?いいな!」と思いました。

これが私の森田童子との出会いです。当時は、どんな人が歌っているのか、情報もありませんでした。
https://11146484morita.blog.fc2.com/
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/644.html#c1

[近代史5] 中国の人権弾圧と米国の人権弾圧とどちらが酷いか? 中川隆
1. 中川隆[-14693] koaQ7Jey 2021年12月08日 12:00:09 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[50]
世界最大のヘッジファンド: 中国さえもリベラルほど左翼ではない
2021年12月2日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/17811


世界最大のヘッジファンドBridgewaterを運用するレイ・ダリオ氏がCNBCのインタビューに答えているので紹介したい。

親中ダリオ氏

ダリオ氏の親中ぶりは有名であり、ここで報じている通り中国に大きく投資もしている。恒大集団のデフォルト危機に端を発する中国の不動産バブル崩壊懸念についても「対処可能」だと主張し、しかもその後実際に中国株を買い増している様子が確認されている。

世界最大のヘッジファンド: 中国恒大集団の2兆元債務は対処可能
世界最大のヘッジファンド、恒大集団危機でも中国株を大幅買い増し

今回のインタビューでもダリオ氏は中国を擁護しており、北京五輪などを通じて米中の対立が高まる(理由はよく分からないが)なか、中国を擁護した。

中国は非常に成功している場所だ。1984年にわたしが最初に中国を訪れて以来、中国の1人当たりGDPは26倍になった。だから中国を理解しないこと、中国に偏見を持ったまま中国と接することには大きな害がある。

また、不動産業界やゲーム業界などへの規制強化に見られるように、中国共産党が自国の経済界を標的にしたような政策を行なっていることについては次のように述べた。

富の移転や共存共栄と呼ばれる政策について言えば、共存共栄的政策への動きは世界中で見られる。

そしてダリオ氏は同じような動きは西洋においても見られると主張した。ダリオ氏が以前述べていたように、増税と財政支出によって経済における政府の介入を増加させることはほとんど共産主義の定義そのものであり、世界中の先進国がその方向に向かっている。

世界最大のヘッジファンド: 共産主義の悪夢が資本主義にのしかかる


それに耐えられなくなったのだろうか、面白いことにいつも客観的に経済の動きを分析し、政治的には公平であろうとするダリオ氏には珍しく、リベラル派へのあてこすりが見られた。彼は次のように述べている。

アメリカでリベラル(原文:progressives)と呼ばれている人々は中国の政策よりもよほど左翼的だ。

これはダリオ氏にはとても珍しいことである。アメリカ民主党が資産税にまで言及したことでリベラル派に対してダリオ氏も堪忍袋の緒が切れかけているのではないか。

リベラル派とは他人から税金を巻き上げて政治家に献上する奴隷のようなもので、政治家が脱炭素に莫大な予算を投じて世界に類を見ない巨大な利権を作り上げても何も言わないが、自分自身の努力と事業によって利益を上げた人が金を持っているのは我慢ならないのである。

中国になびくアメリカの成功者たち

ダリオ氏のように自国の政治を嫌うようになり、相対的に中国に甘くなるアメリカの成功者は多い。典型的なのはジム・ロジャーズ氏である。

ジム・ロジャーズ氏: アメリカの市民権を得るべきでない理由

しかしダリオ氏まで米国の政治を嫌ってシンガポールに移住したロジャーズ氏に似てきたというのは面白いことである。

アメリカ民主党が資産税を行なって得た資金で何を行おうとしているかと言えば、例えば脱炭素政策である。この脱炭素政策は化石燃料を無理矢理減らし、いわゆる再生可能エネルギーに強制的に移行させるもので、結果としてどうなったかと言えば、原油と天然ガスの価格が高騰して貧困層が冬を越せなくなっている。

サマーズ氏: エネルギー価格を高騰させる脱炭素政策は健全ではない
フランス、インフレ対策で現金給付へ

馬鹿ではないのかと思う。脱炭素のような政策は共存共栄どころか集団自殺である。

結論

ダリオ氏やロジャーズ氏の中国好きに同調するわけではないが、中国を批判する西洋人が完全に見落としているのは、自分も同じことをやっているということである。

ジム・ロジャーズ氏: 米国のロシア嫌いはオバマ政権によるウクライナ政権転覆が露呈して決まりが悪くなったから
チベットや香港について批判されている中国人にしても、植民地政策で世界中で侵略行為を行なった西洋人に他国への態度や倫理について何も言われたくはないだろう。

一般の西洋人であればこのような詭弁で自分を騙せるかもしれないが、彼らのように馬鹿になることの出来ないダリオ氏やロジャーズ氏は、こうした西洋人の偽善が当然に嫌になるのである。だからダリオ氏は繰り返し、「偏見なく中国を見る」ことを推奨している。

こうした態度の一部はトランプ元大統領にも受け継がれた。元々一部の層にしか受けないと言われていたトランプ氏が2016年の大統領選で勝利したのにはそういう事情もある。

トランプ次期大統領: アメリカは他国の政権転覆をやめる


多くの西洋人が中国を批判する中、西洋の政治もなかなかに空中分解している。まともな国は世界に存在しないのだろうか。


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/17811
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1363.html#c1

[近代史7] ゴダイゴ タケカワユキヒデ 中川隆
1. 中川隆[-14692] koaQ7Jey 2021年12月08日 12:38:24 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[51]
西遊記 -1978年- ドラマ無料動画
http://rain2008.blog36.fc2.com/blog-entry-231.html


1978年10月~1979年4月、日本テレビ系で放映され、一世を風靡した堺正章主演の伝奇ドラマ。

堺が中国のスーパーヒーロー・孫悟空に扮し、猪八戒に西田敏行、沙悟浄に岸部シロー、そして今は亡き美貌の女優・夏目雅子が三蔵法師役を務めるなど斬新なキャスティングが話題を呼び、お茶の間を大いに沸かせた。

当時としては稀有だった中国ロケや雄大な富士の裾野でのロケも敢行し、常識を打ち破ったスケール感に視聴者は度肝を抜かれた。  1978年10月1日〜1979年4月1日 全26話


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ゴダイゴ

活動期間
1975年 - 1985年
1999年 - 2000年
2006年 -


メンバー

ミッキー吉野(キーボード)
タケカワユキヒデ(リードボーカル)
浅野孝已(ギター)
スティーヴ・フォックス(ベース)
トミー・スナイダー(ドラムス)
吉沢洋治(ベース、ギター)
 
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/649.html#c1

[近代史7] 南こうせつ・伊勢正三 中川隆
1. 中川隆[-14690] koaQ7Jey 2021年12月08日 12:47:37 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[53]
「22才の別れ」 作詞・作曲:伊勢正三 リリース 1975年2月5日
https://www.youtube.com/results?search_query=22%E6%89%8D%E3%81%AE%E5%88%A5%E3%82%8C
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/650.html#c1
[近代史7] 中山晋平(1887年 3月22日 - 1952年12月30日) 中川隆
1. 中川隆[-14689] koaQ7Jey 2021年12月08日 14:23:07 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[54]
『船頭小唄』 野口雨情 作詞 中山晋平 作曲 1922年(大正11年)
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%88%B9%E9%A0%AD%E5%B0%8F%E5%94%84
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/660.html#c1
[近代史7] 服部良一(1907年10月1日 - 1993年1月30日) 中川隆
1. 中川隆[-14688] koaQ7Jey 2021年12月08日 16:40:08 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[55]
池部良・原節子主演 映画『青い山脈』(昭和24年) - YouTube



http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/693.html#c1
[近代史7] 万城目 正(1905年1月31日 - 1968年4月25日) 中川隆
1. 中川隆[-14687] koaQ7Jey 2021年12月08日 16:41:33 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[56]
「リンゴの唄」 サトウハチロー(作詞)万城目正(作曲)リリース 1946年1月
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%A6%E6%9C%A8%E8%B7%AF%E5%AD%90++%E9%9C%A7%E5%B3%B6%E6%98%87++%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%81%AE%E5%94%84++1946%E5%B9%B4
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/680.html#c1
[近代史7] 「雪山讃歌」 作詞 西堀栄三郎 アメリカ民謡 Oh My Darling, Clementine 中川隆
1. 中川隆[-14685] koaQ7Jey 2021年12月08日 17:34:55 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[58]
My Darling Clementine '46-selection- 荒野の決闘 /HD_日本語字幕






My Darling Clementine - いとしのクレメインタイン (ジョン・フォード 荒野の決闘 1946)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/929.html



http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/701.html#c1
[近代史7] 人生一路 かとう 哲也(1941年1月15日 - 1983年10月24日) 中川隆
1. 中川隆[-14684] koaQ7Jey 2021年12月08日 18:00:57 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[59]
美空ひばり あの丘越えて - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%BE%8E%E7%A9%BA%E3%81%B2%E3%81%B0%E3%82%8A++%E3%81%82%E3%81%AE%E4%B8%98%E8%B6%8A%E3%81%88%E3%81%A6

美空ひばり  人生一路 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cl6HNmFTOkI

美空ひばり・悲しい酒 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZHDRClbBqKc

日本の女性歌手で、だれが記憶の底に残っているかといえば、それはやはり「美空ひばり」なのであります。うまいとか、声がいいとか、そんなことは、あたしには関係ない。

人に歴史あり、我々の世代が思春期のころよりヒバリを聴いていたかといえばとんでもない。

ヤクザと仲がいいと、朝日新聞にさんざん叩かれていたころ、アタシは美空ひばりは極道の情婦だと思っていた。つまらないオンナだと思っていたわけだ。
21歳で自宅に戻り、アタシは黒衣を着て生きていくことにした。
詩をやめて大学にいき、就職をし、両親を安堵させようと決めたのだ。
観音様のもとに還るのは50過ぎてだから、それまでは、異星の地球で生きていくと。

人生を巡航するには楽しみごとが必要だから、それは、思索・車・囲碁・音楽・絵画・セックスとした。

アタシは凝り性だから、その道をいくと決めたら、けっこうコダワル。
そして、ひとの話を聞くのは大嫌いだから、ほとんど、ひとりで始める。
時間もかかるし、遠回りもする。
こーゆう人間は社会から受け入れられないから大成しない、せいぜい、大家業で「お山の大将」となるだけだ。

音楽も、全部聴かないといけないと、思った。
16歳で高校入学のお祝いに買ってもらったステレオ、うれしくてレコードを買ってきた。
最初に聴いたのはペレス・プラードのラテン音楽。
そしてジャズ・クラシック・邦楽・歌謡曲・カンツオーネ・シャンソン・南米やアフリカの音楽。

で、ひばりが体調を崩しはじめたころ、死ぬ前にいちどきちんと聴かないといかんと思って、全集を買ってきた。

いや、あなた、ヒバリの裏声を聴いたときには驚いた。
当時はALTECの416ってスピーカーにホーンをのせて聴いていたんですが、地声から裏声にのせていくところで、声の太さ、肉感が衰えないどころか、自在に強弱、響きを変化させていく。
天童よしみのような、太いだけの腑抜けな声質じゃなく、魂のコアが粒子となって詰まっている。

じっと耳を澄ませて聴いていると、たとえようもない寂しさをたたえて歌っている曲が多い。

あの丘越えて、っていう唄があります。
この歌詞は、ひばりが天才であるが故に生涯背負うであろう孤独を、万城目正+菊池一夫が見抜いて創り上げた名作なのですが、多くの国民は単なる恋愛歌だと思っている。

この歌を、ひばりは生涯に何百回も歌っているのでしょうが、40過ぎに歌っているのを聴くと、寂しさの通低感に驚く。

30代のころの熱い歌い方とまったくちがう。
後楽園コンサートの放映をみて、おそらくヒバリは私のなかで確固としたものになった。

美空ひばり  人生一路 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cl6HNmFTOkI

激痛の中で歌うヒバリをみて、ファン層が根本的に入れ替わったといわれた時です。
ピカソと同じで芸が進化かつ深化していく、天才。
悲しい酒は、なんど、装置の調整に使ったかわからない。


美空ひばり・悲しい酒 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZHDRClbBqKc


ベースが低くテンポを刻むなかで、彼女の細からず・太からず・消え入りそうで消えない声を再現しようと。。
https://sniperfon.exblog.jp/25835674/
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/703.html#c1

[近代史7] 悲しい酒 古賀政男(1904年11月18日 - 1978年 7月25日) 中川隆
1. 中川隆[-14683] koaQ7Jey 2021年12月08日 18:01:45 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[60]
美空ひばり あの丘越えて - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%BE%8E%E7%A9%BA%E3%81%B2%E3%81%B0%E3%82%8A++%E3%81%82%E3%81%AE%E4%B8%98%E8%B6%8A%E3%81%88%E3%81%A6

美空ひばり  人生一路 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cl6HNmFTOkI

美空ひばり・悲しい酒 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZHDRClbBqKc

日本の女性歌手で、だれが記憶の底に残っているかといえば、それはやはり「美空ひばり」なのであります。うまいとか、声がいいとか、そんなことは、あたしには関係ない。

人に歴史あり、我々の世代が思春期のころよりヒバリを聴いていたかといえばとんでもない。

ヤクザと仲がいいと、朝日新聞にさんざん叩かれていたころ、アタシは美空ひばりは極道の情婦だと思っていた。つまらないオンナだと思っていたわけだ。
21歳で自宅に戻り、アタシは黒衣を着て生きていくことにした。
詩をやめて大学にいき、就職をし、両親を安堵させようと決めたのだ。
観音様のもとに還るのは50過ぎてだから、それまでは、異星の地球で生きていくと。

人生を巡航するには楽しみごとが必要だから、それは、思索・車・囲碁・音楽・絵画・セックスとした。

アタシは凝り性だから、その道をいくと決めたら、けっこうコダワル。
そして、ひとの話を聞くのは大嫌いだから、ほとんど、ひとりで始める。
時間もかかるし、遠回りもする。
こーゆう人間は社会から受け入れられないから大成しない、せいぜい、大家業で「お山の大将」となるだけだ。

音楽も、全部聴かないといけないと、思った。
16歳で高校入学のお祝いに買ってもらったステレオ、うれしくてレコードを買ってきた。
最初に聴いたのはペレス・プラードのラテン音楽。
そしてジャズ・クラシック・邦楽・歌謡曲・カンツオーネ・シャンソン・南米やアフリカの音楽。

で、ひばりが体調を崩しはじめたころ、死ぬ前にいちどきちんと聴かないといかんと思って、全集を買ってきた。

いや、あなた、ヒバリの裏声を聴いたときには驚いた。
当時はALTECの416ってスピーカーにホーンをのせて聴いていたんですが、地声から裏声にのせていくところで、声の太さ、肉感が衰えないどころか、自在に強弱、響きを変化させていく。
天童よしみのような、太いだけの腑抜けな声質じゃなく、魂のコアが粒子となって詰まっている。

じっと耳を澄ませて聴いていると、たとえようもない寂しさをたたえて歌っている曲が多い。

あの丘越えて、っていう唄があります。
この歌詞は、ひばりが天才であるが故に生涯背負うであろう孤独を、万城目正+菊池一夫が見抜いて創り上げた名作なのですが、多くの国民は単なる恋愛歌だと思っている。

この歌を、ひばりは生涯に何百回も歌っているのでしょうが、40過ぎに歌っているのを聴くと、寂しさの通低感に驚く。

30代のころの熱い歌い方とまったくちがう。
後楽園コンサートの放映をみて、おそらくヒバリは私のなかで確固としたものになった。

美空ひばり  人生一路 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cl6HNmFTOkI

激痛の中で歌うヒバリをみて、ファン層が根本的に入れ替わったといわれた時です。
ピカソと同じで芸が進化かつ深化していく、天才。
悲しい酒は、なんど、装置の調整に使ったかわからない。


美空ひばり・悲しい酒 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZHDRClbBqKc


ベースが低くテンポを刻むなかで、彼女の細からず・太からず・消え入りそうで消えない声を再現しようと。。
https://sniperfon.exblog.jp/25835674/
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/702.html#c1

[近代史7] 「圭子の夢は夜ひらく」 曽根幸明(1933年12月28日 - 2017年4月20日) 中川隆
1. 中川隆[-14682] koaQ7Jey 2021年12月08日 18:43:17 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[61]
夢は夜ひらく 園まり 1966
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%A4%A2%E3%81%AF%E5%A4%9C%E3%81%B2%E3%82%89%E3%81%8F+%E5%9C%92%E3%81%BE%E3%82%8A&sp=mAEB

1966.09.05 共作詞:中村泰士・富田清吾 補曲(採譜):中村泰士
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/687.html#c1

[近代史7] 日本のミュージシャン 中川隆
1. 中川隆[-14681] koaQ7Jey 2021年12月08日 18:58:24 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[62]
昭和の流行歌の世界


倍賞千恵子 名唱集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/271.html

フォレスタ 名唱集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/274.html

鮫島有美子 名唱集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/273.html

島田祐子名唱集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/330.html


▲△▽▼

なかにし礼の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1234.html

安井かずみの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1235.html

いい日旅立ち _ 山の向こう側にいるのは… _ 能の幽玄について
http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/191.html

かぐや姫 神田川 _ 1970年代 四畳半フォークの時代
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/284.html

中島みゆき「世情」(1978年) _ 中島みゆき は何故 30歳以降 才能が完全に枯渇してしまったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/286.html

ジャニー喜多川は、CIA工作員だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/521.html

表では知られていないアイドル業の闇
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/142.html

牧野田 彩(AYA)が AV に出演させられた理由とは
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/190.html

中森明菜“自殺未遂事件”から30年、封印されていた真相に迫る
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1169.html

中森明菜の実家は肉屋(部落民)、だから、自殺未遂までした。
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/143.html

柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html

皇太子妃候補 No.1 だった部落出身の柏原芳恵はバイブレーター騒動で芸能界から消えた
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/145.html

懐かしの 70年代アイドル あべ静江 「コーヒーショップで」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/285.html

部落出身の あべ静江 _ 絶世の美女で性格も良く料理上手なのに何故か独身
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/144.html

鬼束ちひろをキレさせた通行人の“強烈な嫌味”
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1733.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/635.html#c1

[近代史7] 日本のミュージシャン 中川隆
2. 中川隆[-14680] koaQ7Jey 2021年12月08日 19:12:40 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[63]
木村好夫(きむら よしお、1934年 - 1996年7月5日)ギター名演集


木村好夫 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%9C%A8%E6%9D%91%E5%A5%BD%E5%A4%AB

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/635.html#c2

[近代史7] ロシア軍歌「カチューシャ」_ マトヴェイ・ブランテル (1903-1990) 作曲 中川隆
1. 中川隆[-14677] koaQ7Jey 2021年12月08日 21:43:49 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[66]
「カチューシャ」(ロシア語: Катюша)はソビエト連邦の時代に流行したロシアの歌曲である。作詞はミハイル・イサコフスキー、作曲はマトヴェイ・ブランテル(ロシア語版)(Матвей Блантер)である。日本でもいわゆるロシア民謡を代表する一曲として[1]広く親しまれている。

カチューシャという娘が川の岸辺で出征し国境警備につく恋人を思って歌う姿を描いた歌曲である。カチューシャとはエカテリーナ(Екатерина)の愛称形である。

この歌の制作は、イサコフスキーとブランテルが1938年に出版社の仲介で引き合わされたことに端を発する。2人は依頼された新刊雑誌のための歌曲を完成させると、帰りの車中で早くも次の作品への構想を立てた。ブランテルが自らの率いる国立ジャズ・オーケストラのための曲作りを持ちかけると、イサコフスキーはその場で自作の詩を暗誦した。ブランテルは歌詞を書きとめながら、その時すでにリズムと旋律が頭の中に浮かんでいたという。

当初の歌詞は2番までしかなく、カチューシャの恋人が兵士として徴用されていることを示唆する内容はなかった。しかし当時の不穏な世界情勢を反映して、国境警備に当たる若い兵士を故郷の恋人が思って歌うという設定で3番と4番の歌詞が書き足された。こうして完成した「カチューシャ」は、1938年11月27日にワレンチナ・バチシェワ(Валентина Батищева)によってヴィクトル・クヌシェヴィツキー(Виктор Кнушевицкий)の率いるジャズ・オーケストラとの共演で初演された。この初演は好評を博し、アンコールに応じて3度も演奏された。

やがて1941年6月に独ソ戦(ロシアでは大祖国戦争と呼ばれる)が始まると戦場の兵士に広く愛されて歌われるようになり、代表的な戦時流行歌として定着した。替え歌も多く生まれ、「女性兵士カチューシャ」や「看護兵カチューシャ」など、亜種が多様に歌われるようになった。当時赤軍によって使用されたロケット砲がカチューシャの愛称で呼ばれるようになったのも、この歌の流行による影響だといわれる。

ソ連以外での受容
戦後の東西対立期には同じ東側諸国にも広まり、現地語に翻訳されたドイツ語版、中国語版、ベトナム語版などが現在でも親しまれている。

当初、枢軸国であったイタリアでは、1943年9月の連合国への無条件降伏後、「カチューシャ」のメロディに独自の歌詞をつけ、パルチザン蜂起を呼び掛ける歌として歌われている。イタリア語の歌詞は、共産主義者の医師で自身もパルチザンであったフェリーチェ・カッショーネによって書かれ、冒頭の句から「風は鳴る Fischia il vento」と呼ばれた。この曲は「さらば恋人よ Bella ciao」とともに最も有名なパルチザン愛唱歌となり、その後、ミルバ、バンダ・バソッティなどが自身のアルバムに収録している。

日本では、戦後になっていわゆるロシア民謡を代表する一曲として「ともしび」などとともにうたごえ運動の中で広く歌われた。1956年7月にはダークダックスがシングル「ともしび」のB面として発売した。1959年の第10回NHK紅白歌合戦では初出場の森繁久彌がこの歌を歌った。現在日本で一般に知られている日本語詞は関鑑子による訳詞であるが原詩の軍事色は一切省かれている。

1988年発売のファミリーコンピュータ版『テトリス』では、各ラウンドのフィナーレでBGMに使用されている。また同年発売のファミリーコンピュータソフト『熱血高校ドッジボール部』でも、対ソ連戦のBGMとして使用されている。

近年では千葉ロッテマリーンズの松本尚樹や西岡剛の応援歌としても使用されていた。また、サッカー日本代表の応援歌としても使用されている。

なお、『復活』の劇中歌として歌われ、戦前に流行した「カチューシャの唄」はこの歌よりも昔に作られたもので、全く関係ない。

1986年にユンケル黄帝液のCMでタレントのタモリが60年代風のセットでツイストを踊ってた曲として替え歌で「疲れがタモレば、タモリのユンケルだ」とイタリアン・ポップス調(太陽はひとりぼっち風)のアレンジ風で使用された。

TVアニメ『ガールズ&パンツァー』の8話では「カチューシャ Sung by カチューシャ&ノンナ」という形でカチューシャ役の金元寿子とノンナ役の上坂すみれが歌っている。ただし海外吹き替え版では著作権の問題から当該部分は削除されている。

日本エレキテル連合の感電パラレルの三好ナイトにおいて、興行師・天然トウジロウが拡声器で歌う三好のテーマ曲に使用されている。

また、近鉄特急の近鉄奈良駅到着前放送の予告チャイムとしても使われていた。

さらにユーロビートアーティストのMad Cowは「Rasputin, Pasternak and Molotov」というリミックス曲を出している。なお、この曲はSUPER EUROBEAT VOL.147に収録されている。

恋のカザチョック
1968年、フランスでイスラエル人のリカ・ザライ(Rika Zaraï)が、イタリアでドリ・ゲッツィ(Dori Ghezzi)がカチューシャをアレンジした「Casatschok」として歌を出し、日本では「恋のカザチョック」と言う邦題で1969年に日本ビクターから発売された[2]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3_(%E6%9B%B2)
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/705.html#c1

[近代史4] ロシア民謡 『カチューシャ』 中川隆
1. 中川隆[-14676] koaQ7Jey 2021年12月08日 21:44:24 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[67]
1. 中川隆[-14677] koaQ7Jey 2021年12月08日 21:43:49 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[66] 報告
▲△▽▼
「カチューシャ」(ロシア語: Катюша)はソビエト連邦の時代に流行したロシアの歌曲である。作詞はミハイル・イサコフスキー、作曲はマトヴェイ・ブランテル(ロシア語版)(Матвей Блантер)である。日本でもいわゆるロシア民謡を代表する一曲として[1]広く親しまれている。
カチューシャという娘が川の岸辺で出征し国境警備につく恋人を思って歌う姿を描いた歌曲である。カチューシャとはエカテリーナ(Екатерина)の愛称形である。

この歌の制作は、イサコフスキーとブランテルが1938年に出版社の仲介で引き合わされたことに端を発する。2人は依頼された新刊雑誌のための歌曲を完成させると、帰りの車中で早くも次の作品への構想を立てた。ブランテルが自らの率いる国立ジャズ・オーケストラのための曲作りを持ちかけると、イサコフスキーはその場で自作の詩を暗誦した。ブランテルは歌詞を書きとめながら、その時すでにリズムと旋律が頭の中に浮かんでいたという。

当初の歌詞は2番までしかなく、カチューシャの恋人が兵士として徴用されていることを示唆する内容はなかった。しかし当時の不穏な世界情勢を反映して、国境警備に当たる若い兵士を故郷の恋人が思って歌うという設定で3番と4番の歌詞が書き足された。こうして完成した「カチューシャ」は、1938年11月27日にワレンチナ・バチシェワ(Валентина Батищева)によってヴィクトル・クヌシェヴィツキー(Виктор Кнушевицкий)の率いるジャズ・オーケストラとの共演で初演された。この初演は好評を博し、アンコールに応じて3度も演奏された。

やがて1941年6月に独ソ戦(ロシアでは大祖国戦争と呼ばれる)が始まると戦場の兵士に広く愛されて歌われるようになり、代表的な戦時流行歌として定着した。替え歌も多く生まれ、「女性兵士カチューシャ」や「看護兵カチューシャ」など、亜種が多様に歌われるようになった。当時赤軍によって使用されたロケット砲がカチューシャの愛称で呼ばれるようになったのも、この歌の流行による影響だといわれる。

ソ連以外での受容
戦後の東西対立期には同じ東側諸国にも広まり、現地語に翻訳されたドイツ語版、中国語版、ベトナム語版などが現在でも親しまれている。

当初、枢軸国であったイタリアでは、1943年9月の連合国への無条件降伏後、「カチューシャ」のメロディに独自の歌詞をつけ、パルチザン蜂起を呼び掛ける歌として歌われている。イタリア語の歌詞は、共産主義者の医師で自身もパルチザンであったフェリーチェ・カッショーネによって書かれ、冒頭の句から「風は鳴る Fischia il vento」と呼ばれた。この曲は「さらば恋人よ Bella ciao」とともに最も有名なパルチザン愛唱歌となり、その後、ミルバ、バンダ・バソッティなどが自身のアルバムに収録している。

日本では、戦後になっていわゆるロシア民謡を代表する一曲として「ともしび」などとともにうたごえ運動の中で広く歌われた。1956年7月にはダークダックスがシングル「ともしび」のB面として発売した。1959年の第10回NHK紅白歌合戦では初出場の森繁久彌がこの歌を歌った。現在日本で一般に知られている日本語詞は関鑑子による訳詞であるが原詩の軍事色は一切省かれている。

1988年発売のファミリーコンピュータ版『テトリス』では、各ラウンドのフィナーレでBGMに使用されている。また同年発売のファミリーコンピュータソフト『熱血高校ドッジボール部』でも、対ソ連戦のBGMとして使用されている。

近年では千葉ロッテマリーンズの松本尚樹や西岡剛の応援歌としても使用されていた。また、サッカー日本代表の応援歌としても使用されている。

なお、『復活』の劇中歌として歌われ、戦前に流行した「カチューシャの唄」はこの歌よりも昔に作られたもので、全く関係ない。

1986年にユンケル黄帝液のCMでタレントのタモリが60年代風のセットでツイストを踊ってた曲として替え歌で「疲れがタモレば、タモリのユンケルだ」とイタリアン・ポップス調(太陽はひとりぼっち風)のアレンジ風で使用された。

TVアニメ『ガールズ&パンツァー』の8話では「カチューシャ Sung by カチューシャ&ノンナ」という形でカチューシャ役の金元寿子とノンナ役の上坂すみれが歌っている。ただし海外吹き替え版では著作権の問題から当該部分は削除されている。

日本エレキテル連合の感電パラレルの三好ナイトにおいて、興行師・天然トウジロウが拡声器で歌う三好のテーマ曲に使用されている。

また、近鉄特急の近鉄奈良駅到着前放送の予告チャイムとしても使われていた。

さらにユーロビートアーティストのMad Cowは「Rasputin, Pasternak and Molotov」というリミックス曲を出している。なお、この曲はSUPER EUROBEAT VOL.147に収録されている。

恋のカザチョック
1968年、フランスでイスラエル人のリカ・ザライ(Rika Zaraï)が、イタリアでドリ・ゲッツィ(Dori Ghezzi)がカチューシャをアレンジした「Casatschok」として歌を出し、日本では「恋のカザチョック」と言う邦題で1969年に日本ビクターから発売された[2]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3_(%E6%9B%B2)
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[近代史7] Foster Beautiful Dreamer _ スティーブン・コリンズ・フォスター(Stephen Collins Foster、1826年7月4日 - 1864年1月13日) 中川隆
1. 中川隆[-14675] koaQ7Jey 2021年12月08日 21:54:03 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[68]
スティーブン・コリンズ・フォスター(Stephen Collins Foster、1826年7月4日 - 1864年1月13日)は、ヘンリ・クレイ・ワークと並んで、19世紀半ばのアメリカ合衆国を代表する歌曲作曲家。

20年間に約200曲を作曲し、その内訳は135曲のパーラーソングと28曲のミンストレルソングである。多くはメロディの親しみやすい黒人歌、農園歌、ラブソングや郷愁歌である。「アメリカ音楽の父」とも称される。

生涯

青年期まで
ペンシルベニア州ピッツバーグの隣町ローレンスビルで、アイルランド移民の曽祖父の家系を引く比較的裕福な家庭に10人兄弟の末っ子として育つ。彼の生まれた家は「白壁の家」(White Cottage)と呼ばれていた。父のウィリアムは、ヴァイオリンを演奏するほどの音楽趣味を持ち、母のエリーザ・トムリンスンも詩情豊かな教養に富む女性であった。フォスター自身も幼児期より並ならぬ音楽的才能を見せ、7歳からは横笛を、9歳からはギターを独学で習得し、後にはクラリネットも修め、1841年、15歳の時にはアゼンス・アカデミー卒業式の際に自作の「ティオガ円舞曲」をアテネ・アカデミーの教会でフルートで奏した(この作品はピアノ独奏曲として現存する)。作曲に興味を持ったフォスターはモーツァルト、ベートーヴェン、ウェーバーらの作品を寝る間も惜しみ研究していたという。このようにアカデミックな音楽教育はほとんど受けなかったにもかかわらず、二十歳になるまでにすでにいくつか歌曲を出版していた。姉2人もピアノをよく演奏したという。

作曲家
最初の歌曲は1844年に出版された「窓を開け、恋人よ」(Open Thy Lattice, Love)で16歳のときの作品である。翌1845年には弟と友人からなるセーヴル・ハーモニスツ重唱団のために「ルイジアナの美人」、「ネッド叔父さん」などを作曲する。1845年4月にピッツバーグは大火に見舞われ、町の3分の1にもあたる約1000棟の建物を焼失する。

1846年にオハイオ州シンシナティに転居し、兄の蒸気船海運会社・アーウィン・フォスター商会(Irwin & Foster)で簿記係を務める。当時のシンシナティは、ピッツバーグをしのぐ勢いの多文化社会であり、彼の働く会社の窓の外にはオハイオ川に蒸気船がひっきりなしに行き交い、南部の黒人音楽や荷揚げ作業人夫の労働歌に満ち溢れていた。このシンシナティ在住中に、当時独立戦争後の新大陸で流行した黒人霊歌風である最初のヒット曲「おおスザンナ」を発表。これは1848年〜1849年のカリフォルニアのゴールド・ラッシュの賛歌となった。当時、白人が顔を黒く塗り大げさに歌うミンストレル・ショーやエチオピア風の喜劇役者の魅力に強く引きつけられていたが、その結果が1849年に出版された曲集『フォスターのミンストレル・ソング集』(Foster's Ethiopian Melodies)に結実し、クリスティ・ミンストレルズによってヒットした「やさしいネリー」(Nelly Was A Lady)が収録されている。

貧困
同年フォスターはペンシルベニアに戻ってコンサートを開き、クリスティ・ミンストレルズと共演、最も有名な歌曲が書かれる時代の始まりとなった。1850年に、ピッツバーグの名医の長女であるジェーン・マクダウェルと結婚、翌年には娘マリオンをもうけるが、この後に音楽的円熟を見せ「ケンタッキーの我が家」、「主人は冷たい土の中に」、「故郷の人々」(「スワニー河」)の傑作を次々に生む。1853年にフォスターはニューヨークに出てファース・ポンド社と契約を結び、自作・他者の歌曲などをアンサンブル用に編曲した「ソーシャル・オーケストラ」(The Social Orchestra)を発表。翌1854年には「金髪のジェニー」を発表。この年に妻子もニューヨークに移り住む。が、翌年にはフォスターは単身ピッツバーグに戻り、続いて妻子も追うが、1855年の両親の死と翌1856年の兄ダニングの死はフォスター一家に打撃を与え、借金暮らしに陥る。1857年、ファース・ポンド社との先払い契約によって辛うじて金銭を得るが困窮生活は続く。1860年にニューヨーク市に再び転出し「オールド・ブラック・ジョー」を発表。

死去
1864年1月10日、マンハッタンのノース・アメリカン・ホテルに滞在中であったフォスターは、粉々に割れた洗面台のそばで頭部および頚部から大量に出血した状態で倒れているところを作詞家ジョージ・クーパーによって発見され、ベレビュー病院に搬送されたものの3日後の13日に発熱と出血多量で死亡した。数日前から発熱しており、意識朦朧の状態でベッドから起き出し、洗面所に入ったところで平衡感覚を失って転倒、その際に頭部を洗面台にぶつけて割ってしまい、その破片で頚動脈を切断されたことが致命傷になったものと推測されている。37歳没。この時のフォスターの所持品はわずか38セントの小銭と、「親愛なる友だちとやさしき心よ」(dear friends and gentle hearts)と走り書きされた紙片だけであった。フォスターの死を知らされた妻ジェニーは遺体と対面するやその場で泣き崩れたと伝えられている。1862年の作品「夢見る人」(「夢路より」)が発表されたのは死後2か月後のことである。亡骸はペンシルベニア州ピッツバーグのアレゲーニー墓地に埋葬されている。

特徴

スティーブン・フォスターの彫像(Carnegie Museum of Natural History)
フォスター歌曲の多くは、ミンストレル・ショーの伝統に則り、時流に乗ったが、アフロ・アメリカンの音楽を単にカリカチュアしてみせたというよりも、白人向けに書かれた当時の楽曲には珍しく、黒人奴隷の苦しみに共感を示している。白人作曲家として最初に、睦み合う黒人夫婦を描き出したのがフォスターである。これにより、活動家・フレデリック・ダグラスの称賛を得ることとなる。フォスターの歌曲の多くが南部における日常を扱っているにもかかわらず、フォスター自身は1852年に新婚旅行でニューオーリンズを訪れたのを別とすれば、南部で直接的な経験をしていない。

フォスターはプロの歌曲作家として生計を立てようとしており、実際にプロの作曲家と見なしてよいのだが、当時のアメリカでは現代的な意味で「作曲家」という職業分野は確立されてはいなかった。その結果、音楽著作権や作曲家の印税に対する配給の乏しさのため、フォスターは自分の出版譜がもたらした利潤をほとんど受け取ることができなかった。複数の出版社がしばしば競合してフォスター作品の独自の版を出しながら、フォスターにはろくに報酬を与えなかったのである。例えば「おおスザンナ」は、1848年〜1851年の3年間で16もの出版社が30種以上の楽譜を出版し、当時、最高販売部数がせいぜい5000部という時代に10万部の大ヒットとなったにもかかわらず、フォスターの収入はわずか100ドルに過ぎなかったといわれる。1862年初頭にフォスターの活動は下降線をたどり始め、新作曲の質も落ち始めた。作詞家クーパーとのチームワークもうまくいかず、折からの南北戦争による戦時経済も災いした。

後世への影響
フォスター自身はクラシックの器楽曲をほとんど作曲していないが、後にフォスターの歌曲は、ドヴォルザークによって編曲されたり、チャドウィックやアイヴズ、NHK室内管弦楽団らの管弦楽曲に引用されるなど、クラシック音楽の作曲家にも影響を及ぼした。

生家「白壁の家」は今でも解体されずに残っている。

1966年11月2日に合衆国法典第36編(英語版)§ 140としてスティーブンフォスターメモリアルデー(英: Stephen Foster Memorial Day)が制定され、翌1967年1月13日より毎年1月13日が記念日となっている。

主な作品

「老犬トレイ」(Old Dog Tray)
「おおスザンナ」(Oh, Susanna、1848年)
「草競馬」(Camptown Races、1850年)[1]
「ネリー・ブライ」(Nelly Bly、1850年)
「故郷の人々」(「スワニー河」、Old Folks at Home(Swanee River)、1851年)[2]
「主人は冷たい土の中に」(Massa's in De Cold Ground、1852年)
「ケンタッキーの我が家」(My Old Kentucky Home、1853年)[3]
「金髪のジェニー」(Jeannie With the Light Brown Hair、1854年)
「すべては終わりぬ」(「厳しい時代はもうやって来ない」、Hard Times Come Again No More、1854年)
「オールド・ブラック・ジョー」(Old Black Joe、1860年)[4]
「夢見る人」(「夢路より」、Beautiful Dreamer、1862年)[5]
「恋人よ窓を開け」(「君の窓を開けて 恋人よ」、Open Thy Lattice,Love)
「お眠りなさい いとしい子」(Slumber My Darling)

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