1. 中川隆[-12368] koaQ7Jey 2023年8月19日 08:19:21 : 6UE9iY6gxI : SFpmZWIueGxOUnM=[1]
福沢諭吉はchousenや台湾の人びとのことをどう述べているか:
「chousen……野蛮国にして、……我属国と為るも……」、
「台湾蛮人……は禽獣……人の二人や三人を喰い殺すは通常……
chousen人は唯頑固の固まり」(本書121頁)
chousenは、野蛮な国であり、chousen人はただ頑固なだけであり、台湾人も野蛮で獣と同じなのだから、日本人が支配してあげるのが正しいことなのだ、という理屈であろうか。
「チャンチャン……皆殺しにするは造作もなきこと」……
「chousen……人民は牛馬豚犬に異ならず。」……
「土人を銃殺……狐と思ふて打殺したり」
「島民が反抗……一人も余さず誅戮(ちゅうりく)して醜類を殲(つく)す可し。」……
「shina兵……恰も半死の病人……之と戦う……豚狩の積りにて」
(本書160−161頁)
なんという人種差別か。 このような読むに耐えないようなアジア蔑視を披露している。……甲申政変の際にさえ
「京城のshina兵を鏖(みなごろし)に」
と発言した諭吉は、……日清戦争では中国兵や台湾住民の「皆殺し」「殲滅」「誅戮」をくり返し呼号するようになる。したがって、日本の兵士が平然と「殲滅」作戦を担えるようにするためには、中国人・兵は「チャンチャン」「孑孑(ぼうふら)」「豚犬」「乞食」「烏合の草賊」の類であると教え、殲滅への抵抗感・抵抗意識を解除するマインド・コントロールを用意することも必要であった。(159頁)
中国人は人間以下の動物だから、皆殺しにしてしまえ、というのだ。
なんという怖ろしい「啓蒙思想家」だろう。戦争にあたって、相手国の人間を、人間以下に描き出すことは、侵略する側のひとびとが決まって行なってきたことである。かつてアメリカも、日本と戦争をするにあたって、日本人がいかに「人間以下」であるかをさまざまな方法でアメリカ国民に対して啓蒙した。
それにしても、これらの発言は、福沢に対するイメージを一変させるのではないか。
「目に付くものは分捕品の外なし。
何卒今度は北京中の金銀財宝を掻き浚へて、彼の官民の別なく、余さず漏らさず嵩張らぬものなればチャンチャンの着替までも引つ剥で持帰ることこそ願はしけれ。
其中には有名なる古書画、骨董、珠玉、珍器等も多からんなれば、凱陣の上は参謀本部に御払下を出願して一儲け……」
という私有物の強奪の勧めを書いた。さらに
「生擒(いけどり)」にした捕虜の「老将」軍を「浅草公園に持出して木戸を張り……木戸銭」をとり、
老将軍に「阿片煙を一服させると忽ち元気を吹返しましてにこにこ笑ひ出します」
という慰み物にして金儲けをする提案までした。」(163頁)
目についたものは、すべて分捕ってくるといい、などと言っている。 しかも、捕虜にした中国の老将軍を、浅草公園に連れてきて、見世物にしてしまおう、と言っている。 ここに見られるのは、「啓蒙思想家」としての姿ではなく、強盗・殺人を奨励する単なる「極悪人」の姿である。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
こんな言葉で知られる福沢の思想は、決して日本の民主主義の立役者でも何でもなかった。
「天」に代わって日本「人の上に」天皇制と「帝室の藩屏(はんぺい)」としての華族制度をつくりだした福沢諭吉は、
その日本「人の下に」被差別部落民の存在する事実になんらこだわることなく、
『東洋政略論』で日本「人の下に」アジア諸国民を置き、
百篇をこす論稿で男性「の下に」女性をおく家父長制的女性論を体系化し、
金持ち「の下に」貧乏人を位置づけた教育論を構築した。
たとえば、「今の世」で「最も恐るべきは貧にして智ある者なり」という考えに基づき、
“貧智者”の出現阻止のために官立大学を廃止して私学に改変することを主張したり、
学問・教育も一種の商品だから
金持ちが「子の為に上等の教育を買ひ」中等は中等の教育、貧民は下等の教育を購入する
という貧富に応じた複線型学校論を主張し、それを合理化するために、
豪農・豪商・旧藩士族の「良家の子弟(男子)は「先天遺伝の能力」をもつ
という遺伝絶対論も主張した。こうした貧民無視の罪滅ぼしに、
「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取合せならん」
と言って、貧民を宥(なだ)め眠らせるために、自らは信じない宗教の振興論を百篇以上書いた。(235頁)
筆者は、福沢諭吉を、「近代日本のアジア侵略思想とアジア蔑視観形成の最大の立役者の一人」と結論づけている。福沢諭吉を1万円札の肖像に使うことは、どのような意味を持つのか。日本人が、いまだに、侵略戦争・植民地支配を真に反省していない証拠である。 福沢諭吉は、いまも、アジア蔑視の差別意識を、金銭の欲望とともに、日本全国に流通させている。
「日本の近代化=アジア侵略」の「お師匠様」
福沢は有名な『自伝』の中で、「明治政府のお師匠様」を自負していましたが、彼は「明治政府」に止まらず、アジア太平洋戦に至る日本の近代化の道の総体にわたる「お師匠様」と位置づけるのが正しいと思います。アジア太平洋戦争の有名なキャッチフレーズ「満蒙は我生命線」は後の外相松岡洋右の演説ですが、その先駈けになったのは福沢の「今、日本島を守るに当たりて最近の防御線はchousen地方たるや疑いを入れず」です。これは山縣有朋が同じことを主張するよりも3年早くなされたものでした。日本が大東亜共栄圏の盟主だということも福沢は明確に主張しています。
家永三郎は名著『太平洋戦争』の中で、「日本の民衆が15年戦争を何故阻止できなかったのか」の重要な要素として「隣接アジア諸民族への謂われのない区別意識」を挙げていますが、この蔑視感の形成の先頭に立ってきたのが福沢だったわけです。そしてこの蔑視感は今の日本の有り様にも繋がっております。自分では「偽りにあらずして何ぞや」と冷静に認識しながら、天皇制を「愚民を籠絡するの詐術」と見抜くと、
天皇崇拝は「日本人固有の性」、
「一般の臣民…雖も帝室の為とあらば生命を惜しむ者なし」
とうそぶくしたたかさを持っていました。その福沢諭吉の力もあって「愚民を籠絡する」天皇制は日の丸・君が代とともに今なお健在です。このしたたかな福沢諭吉にどう対抗し乗り越えるのか、それが私たちの課題として問われています。
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/180.html#c1