5. 新共産主義クラブ[-14370] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2020年7月23日 19:34:57 : Gxe1b24RHE :TOR SDBYeEhhVXdHc1E=[1]
夏目漱石さんも、三宅雪嶺さんら「日本及び日本人」の国粋主義者の連中と闘っていた。
当時から、国粋主義者たちは、党派主義で活動している、封建時代の人間の団隊のようなもの。
しかし、槙雑木でも束になっていれば心丈夫。
一方、国粋主義に反発を感じる個人主義者たちは、それに同感することを他者に強制しないために、時に孤独である。
◆ 夏目漱石『私の個人主義』――大正三年十一月二十五日学習院輔仁会において述――
私がかつて朝日新聞の文芸欄を担任していた頃、だれであったか、三宅雪嶺さんの悪口を書いた事がありました。もちろん人身攻撃ではないので、ただ批評に過ぎないのです。しかもそれがたった二三行あったのです。出たのはいつごろでしたか、私は担任者であったけれども病気をしたからあるいはその病気中かも知れず、または病気中でなくって、私が出して好いと認定したのかも知れません。とにかくその批評が朝日の文芸欄に載ったのです。
すると「日本及び日本人」の連中が怒りました。私の所へ直接にはかけ合わなかったけれども、当時私の下働きをしていた男に取消を申し込んで来ました。それが本人からではないのです。雪嶺さんの子分――子分というと何だか博奕打のようでおかしいが、――まあ同人といったようなものでしょう、どうしても取り消せというのです。それが事実の問題ならもっともですけれども、批評なんだから仕方がないじゃありませんか。私の方ではこちらの自由だというよりほかに途はないのです。しかもそうした取消を申し込んだ「日本及び日本人」の一部では毎号私の悪口を書いている人があるのだからなおのこと人を驚ろかせるのです。
私は直接談判はしませんでしたけれども、その話を間接に聞いた時、変な心持がしました。というのは、私の方は個人主義でやっているのに反して、向うは党派主義で活動しているらしく思われたからです。当時私は私の作物をわるく評したものさえ、自分の担任している文芸欄へ載せたくらいですから、彼らのいわゆる同人なるものが、一度に雪嶺さんに対する評語が気に入らないと云って怒ったのを、驚ろきもしたし、また変にも感じました。失礼ながら時代後れだとも思いました。封建時代の人間の団隊のようにも考えました。
しかしそう考えた私はついに一種の淋しさを脱却する訳に行かなかったのです。私は意見の相違はいかに親しい間柄でもどうする事もできないと思っていましたから、私の家に出入りをする若い人達に助言はしても、その人々の意見の発表に抑圧を加えるような事は、他に重大な理由のない限り、けっしてやった事がないのです。私は他の存在をそれほどに認めている、すなわち他にそれだけの自由を与えているのです。だから向うの気が進まないのに、いくら私が汚辱を感ずるような事があっても、けっして助力は頼めないのです。そこが個人主義の淋しさです。個人主義は人を目標として向背を決する前に、まず理非を明らめて、去就を定めるのだから、ある場合にはたった一人ぼっちになって、淋しい心持がするのです。それはそのはずです。槙雑木でも束になっていれば心丈夫ですから。
青空文庫
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◆ 三宅雪嶺
三宅 雪嶺(みやけ せつれい、1860年7月7日(万延元年5月19日) - 1945年(昭和20年)11月26日)は、日本の哲学者、国粋主義者、評論家。
1888年(明治21年)、志賀重昂・杉浦重剛らと政教社を設立し、国粋主義の立場を主張する為、『日本人』を創刊する(後に『日本及日本人』に改題)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%AE%85%E9%9B%AA%E5%B6%BA
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/427.html#c5