64. 2020年9月08日 17:03:24 : AVIYBr6Ffc : S29LY0FFRWNEVFU=[1]
共産主義から暴力を取ったら何も残らん。
これは普遍な定義だ。
共産主義の定義を変造して組織を守ろうという姿勢からは、過ちを認めて改めるという姿勢が一切見られない。
共産主義/共産主義者が本当に恐ろしい理由とは、この、エリートのメンツが第一で、過った道でも立ちどまれず玉砕するまで突き進んでしまう人間性の形成にある。
アラジン2を見れば、一目瞭然「共産主義・共産党と銘打たれて行われた過ち」について「それは共産主義ではない」との強弁で「共産主義という名を守ろう」との姿勢だ。
これこそが共産主義の本当の恐ろしさ、東電経営者が再び原発を動かそうとか、財務省官僚が公文書を遺棄するなど、そういった姿勢と同じだ。
かつてソ連の放射能は身体に良いとか、今、憲法9条は自衛権を放棄していないとか、
A級戦犯はアジアの解放のため戦ったから戦犯ではないとか、
山本太郎の日本の原発は危険だからアウトだが、電気は韓国から買えば良い(韓国は原子力発電)など。
これら全部、ご飯論法・東大話法と呼ばれる詭弁にこそ、共産主義者の恐ろしさがある。
況や、アラジン2は「共産主義が何かは今考えている」とまで言っている。
なら「共産党の名前」を捨てれば良いではないか?
定義が何か定まっていないものに、かつて、暴力革命の象徴であった名前を付ける理由は何か?
(今考えている)という言い訳が嘘なのだ。
そういう息でも吐くように嘘が言えるというのが、共産主義者が本当に悪質な人間性をしているという証なのである。