60. アラジン2[1603] g0GDiYNXg5My 2022年1月13日 23:00:46 : s53RqaN5sg : S01pancvOW5ncTI=[1]
>>59
日本に落とした原爆もそうだが、
アメリカ人はアジア人を人間と思ってないんじゃないかと思う時が有る。
アメリカ以上に悪い国など、この世に存在しないです。
胸糞悪くなるからね。
■動くものはすべて殺せ――アメリカ兵はベトナムで何をしたか
ニック・タース・著
・アマゾンレビューより
●「北爆」と「枯葉剤」、そして「ソンミ村大虐殺」の記憶だけが強く残り、数々の本にも紹介されたベトナム戦争。
しかし、著者ニック・タースによれば「ソンミ村大虐殺」は他にも多数存在した米軍の(北ではなく)南ベトナムでの残虐行為を、一部の異常者の仕業として、糊塗する役目にもなったのだという。
20歳にも満たない若者に、不眠で泥濘を這い廻らせるような訓練と上官への徹底服従を課し、一方ではベトナム人蔑視を教え込む。
「グーク」「細目(ディンク)」「米食い虫(ライスイーター)」…これだけ相手をなめてかかっていながら勝てると信じていた、その驕りはどこから来たのだろう?
朦朧とした頭で、一刻も早く楽になりたい心のままに差別を受け入れるしかない兵士の中には、オリンピック半島の森の中、ひとり隠遁生活を送る人もいる。本書を読めば、理由も胸に染みてくる。
第一章から第六章までは全編、殺戮、放火、哄笑、迷走(強姦もあまりに多いため、繊細な心の方、体の弱っている方が読まれるのはお勧めできない)。
勝手に定めた※自由射撃ゾーンで丸腰の農民を面白半分に殺し、冷房の効いた執務室で攻撃指示を出す上層部は責任逃れに躍起になる。
良心の呵責に苦しむ人、人心離反を心配する人も勿論居るが、戦争は終結させることこそが難しいのだ。ベトナム戦争は、米兵も疲れ果てて心を病み、同士討ちが発生するまで続いた戦争でもあった。
ベトナム戦争の全期間で消費した砲弾の全重量は680万トンにも及ぶという。
にも関わらず、見下していたベトナムに敗れたアメリカの介入動機は、本当に共産主義の阻止だけだったのか?
※自由射撃ゾーン(Free Fire Zone)…立ち退かなかった人は問答無用で殺しても良いという拡大解釈がなされたエリア。
実際には農作業や漁、家族の世話や先祖供養などのため離れられない人も多く、犠牲者を一層増やす原因となった。
●「実際、彼らが告発を恐れているのは、相手かまわず火器を使用したことではない。
人口密集地帯における方針として、相手を故意に選んだ罪に問われることだ。
つまり、あの師団は来る日も来る日も、非戦闘員を選んで銃や火砲で殺害していた。
走った者はすべて敵という認識、言いかえれば、事実上、その地域の住人はすべて殺してよしとする認識にもとづいて火器が使用されたのだ。」(p302)
ベトナムでアメリカ軍が実施した非戦闘員への殺害行為は、組織的に実施されていた。
この事実を追証した若手ジャーナリストのルポルタージュです。
本書の書名「動くものはすべて殺せ」は、まさにベトナム戦争の本質を要約しています。
根幹には、当事のマクナマラを中心とするアメリカの対ベトナム軍事戦略が誤っていたことがありました。
つまり、「敵戦力を徐々に奪っていけば、いずれアメリカが勝つ」といった統計的な戦略立案には、
「ベトナム人の祖国防衛いう決意の固さ」、
「ゲリラ戦という戦い方の諸相」、
「戦場での兵士のモラル」、
「戦場の霧という偶発的な事象」といった要素が全く考慮されていなかったのです。
そのため、現地での具体的作戦では、
「ボディカウント最優先」(敵兵の死体数を日々ノルマとして設定する)
「サーチ・アンド・デストロイ」(ゲリラ対応として小部隊を索敵に出しくらいついてきた敵を殲滅する。実際は索敵に出た兵士が死傷する)
「日々の爆撃・砲撃数のノルマの設定」(敵がいようがいまいが、規定数を消化する)
ということに血道をあげることになってしまいました。
結果として、大隊・中隊・小隊といった現場レベルでは、「ノルマ達成だけを求め、現場の戦闘の実情には耳を貸さない上級司令部」への憎しみやあきらめ、人間的な情や道徳心を持っていたら殺されてしまうゲリラ戦の実態を経て、士気がどんどん低下し、非戦闘員を組織的に殺害する行為が常態化していったのです。
敵は「北ベトナム」であるはずなのに、「南ベトナムにいるベトコンゲリラ」を掃討することにどんどん意識が集中していき、そのうち南ベトナムの住民の誰が敵で誰が味方で誰が非戦闘員なのかわからなくなっていきました。
とうとうノルマ達成の圧力と現地住民への疑心暗鬼から
「逃げる農民はベトコン」
「黒いパジャマを着ているのはベトコン」
「男は皆ベトコン」
「女子供はベトコンをかくまっている」
「何か怪しいと思った村は全部ベトコン村」
「南ベトナムのジャングルは全部ベトコンの巣窟」となり、
「村をすべて焼け」
「逃げない農民は逃げるように仕向けて殺せ」
「村の動物・食料はすべて殺し焼け」・・・・
「動くものはすべて殺せ」にいたるのです。
いまだ良心を持つ多くの士官・下士官・兵士が、個々の事例を訴えましたが、
ことごとく軍上層部に握りつぶされていきました。
(略)
●(略)
「賞金目当てに殺され、ごみ捨て場で撃たれ、米兵によって売春を強いられ、あるいは輪姦され、気晴らしのために路上で車に轢かれ、裁判を受けることもできずに投獄され、拷問にさらされる……」(本書、p227)
これらの具体的な事実が第6章まで延々と繰り返し提示される様は圧巻であり、
その悲惨さと非人道的な行為は読者の心を激しくかき乱す。
そして第7章以後では、これらの戦争犯罪がどのようにして隠蔽され、
闇に葬り去られてきたかが詳細に描かれる。
ここで読者はかなり絶望的な気持ちにさせられるのだが、同時に、事件を告発して明るみに出そうとする多くの人々の存在に希望の光を見出すことも出来る。
日本人読者にとって本書は、第二次世界大戦で日本が被害者として味わった悲劇、
加害者として忘れ去っている悲劇に思いを馳せる1つのきっかけになるだけでなく、
日本政府も様々なことを隠蔽しているのではないかという疑いの目を持つことにもつながる。
また、戦争という現象は具体的にどのような事態であるのか、
戦争において普通の人々がまるで娯楽のように殺人を繰り返すことになる心理はいかなるものか、
虫けらのように殺される人間存在の意味は何なのか、
といったことを考えるきっかけにもなる作品である。
(略)