47. 2019年5月12日 13:06:49 : qlRo1J9UPY : Ry9BOG9NMFhzSDY=[1]
>41さん
噂で盛りあがり、広めてしまうと常識になってしまう。 万世一系は記紀からと右派も認めるであろう!?
しかし、自民党右派議員の歴史伝統は、明治以降で、こういう議員は記紀さえ認めないといいそうかも。
イザナギ(男性神)が黄泉の国から戻り、(禊をして)左目からアマテラス、右目からツクヨミ、鼻からスサノオ。
アマテラスの子となるオシホミミは、スサノオがアマテラスの勾玉を噛んで噴出して生まれた(日本書紀本文)
(リテラの表題のようなことは、記紀にかかれていない。 解釈は自由だが、その根拠も示さないのが右派か)
で、古事記を巷の人間味ある「中刷り」表現にすると、『神々が大喜び大笑い。 アメノウズメの全裸踊り』
(アマテラス) 『見ちゃダメ。 お産を覗いて妻に逃げられた神武天皇のお爺ちゃん』(山幸彦 ホオリ)
『お母さんだけ知っている。 わが子の父親』(神功皇后) (ミトコンドリアやXY、骨も関係ないね)
いくつか基本知識で、天皇家の宗教は、江戸時代末まで仏教。 聖徳太子の『篤く三宝(仏法僧)を敬え』で、
『万国の極宗』としている。 即位や大嘗祭(新嘗祭)は、アマテラスの物語にでてくる。 アマテラスの孫
(オシホミミが父)ニニギを地上に降ろす(天孫降臨)、支配者としての天壌無窮。 地上に降ろす際に、三種の
神器(刀は盗まれたり、水中に没している)を持たせ、真床追衾で包んだ(即位に関係する)。 大嘗祭は
アマテラスの神田をスサノオが荒らしたことに始まり、即位に際して招魂(みたふり)が加わているようで、
天皇の秘儀・私儀。(秘儀であるから詳しくはわからない) 記紀の成立は700年初頭で文字(漢字)により
記録された。 中国・隋書(隋 581−618年)に使者(遣隋使)が記述されており、文字や歴史書の考えを
輸入したであろう。 聖徳太子の祖父の時代、朝鮮半島から仏教(漢字も?)がもたらされて、崇仏論争から
官吏向けの十七条憲法となる(日本書紀)。 おそらく、600年前後に漢字が利用されていたと考えられ、
記録が遺されたのであろう。それよりも前の歴史は、古事記に「稗田阿礼」が出てくる(現代風ではサヴァン症
候群か。 首相はソシオパス) 豪族の連合体であった権力が、大化の改新(645年)の中大兄皇子(天智
天皇)と中臣鎌足(藤原家の祖)のクーデターにより、中大兄皇子が権力奪取。 朝廷公家となる集団が
文字(漢字)を持つことにより記録が遺された。 この記録、記紀を創らせたのが、中大兄皇子(天智天皇)の
弟の天武天皇。 (記紀が遺っていることが歴史伝統の価値、これをどう読んでどう考えるか自由である)
神武天皇即位(建国記念の日 2月11日)から、西暦に660年を足すと皇紀となる。 神武天皇はアマテラス
の孫ニニギからの年月を179万2700余年と語っている(日本書紀) アマテラスは200万年近く前の皇祖神と
なる。 (江戸時代の学者が200万年の歴史を信じたとしても、現代の考古学から信じることはできない)
仲哀天皇(ヤマトタケルが父)の妻が神功皇后で、この皇后の子(応神天皇)を胎内天皇という。 生まれる前
から神により天皇とされたからで、(仲哀天皇の死後)三韓征伐の帰途、産気づき月延石で、お産を遅らせた。
古事記は仲哀天皇紀に神功皇后の業績があり、仲哀天皇よりも文字数が多い。 日本書紀は、神功皇后紀と
して、仲哀天皇紀と別にあり神功皇后紀の文字が多い。 仲哀天皇(先妻の)の二人の皇子も神功皇后により
殺されることになる。 (戦前には有名な皇后で、王朝交代や女系天皇と解釈もできる。 江戸時代は天皇と
されていたともいう) 神功皇后と子の応神天皇は宇佐八幡宮に祀られ、重祚(2回天皇)した女性称徳天皇が、
道教に皇位を譲ろうとした「宇佐八幡宮神託事件」の神社。 この八幡宮は、武家の守護神になる(鎌倉時代)。
まあ、長くなるので止めますが、外国の宗教論を引用するよりも、今はネットで記紀の現代訳も出ている。
日本神話・神社まとめ (アナテラス 天岩戸)
https://nihonsinwa.com/page/228.html
日本神話・神社まとめ (山幸彦 神武天皇の祖父)
https://nihonsinwa.com/page/395.html
日本神話・神社まとめ (神功皇后 応神天皇の母)
https://nihonsinwa.com/page/578.html
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/530.html#c47