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[番外地10] ブチャの虐殺を討議する国連安保理を開催するよう露国が求めたが、英国は拒否 中川隆
4. 中川隆[-13351] koaQ7Jey 2022年4月07日 06:06:29 : UZ1ShPGIms : RXBHS2VjSFJuMUk=[1]
ウクライナのブチャにおいて住民が虐殺されたとされる情報が流れている。ウクライナだけでなく欧米の政府がロシア軍の仕業だと非難しているが、それに対してロシア政府は国連安全保障理事会で討議するように要求した。その要求をイギリス政府は拒否したとロシア外務省のマリア・ザハロワは自身のテレグラムで明らかにした。
 ブチャからロシア軍は数日かけ、3月30日に撤退を完了させ、​31日には市の職員がフェイスブックで喜びを伝えている​が、虐殺の話は出ていない。テレグラムのチャンネル、ブチャ・ライブでも31日まで虐殺の話は出てこない。

 しかし、4月1日夜にツイッターへアップされた自動車から撮影されたビデオには、ヤブロンスカヤ通りに死体がある様子が映されている。現地を取材したAFPの記者はその通りで24体を、またAPの記者は20体を確認したという。

 ロシア軍が撤退した後、ブチャへの砲撃があり、戦乱の廃墟を作り上げた。​BBCが4月3日に公開した映像にはアスファルトに食い込んだ迫撃弾が映っていて​、その状態から発射地点は南側だと推定されている。つまりウクライナ軍がいる場所だ。

 4月2日にはネオ・ナチを主体に編成された親衛隊の大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)がブチャに入っているとニューヨーク・タイムズ紙には報じたが、アゾフと同じネオ・ナチでライバル関係にあるというボッツマンのチームも4月2日には現場へウクライナ警察の特殊部隊と入っているという。ボッツマンのチームはウクライナ軍を示す青い腕章をつけいない人物の射殺を許可されていた。ロシア軍に処刑された人びとだとして公開された写真の複数の遺体には白い腕章が巻かれている。

 その2日、​ウクライナ国家警察は自分たちが行った掃討作戦の様子をインターネット上に公開した​。そこには大破した自動車の中に死体が映っていたものの、そのほかに死体は見当たらない。そこで、国家警察は死体を隠したのではないかと疑う人もいる。国家警察はブチャで親衛隊と行動をともにしていたので何が起こったかを知っていたが、その死体を親衛隊が何に使うつもりかを知らなかった可能性がある。

 アゾフの母体になった右派セクターは2013年11月に創設したのはドミトロ・ヤロシュとアンドリー・ビレツキー。昨年11月2日、ゼレンスキー大統領はヤロシュをウクライナ軍のバレリー・ザルジニー最高司令官の顧問に据えた。この段階でウクライナ軍はヤロシュの指揮下に入ったと言えるだろう。そのヤロシュはネオ・ナチというだけでなく、NATOの秘密部隊ネットワークに属している。つまり米英情報機関がウクライナ軍を動かす態勢ができたわけだ。

 2010年のウクライナ大統領選挙でビクトル・ヤヌコビッチと争い、敗れたユリア・ティモシェンコは「オレンジ革命」で大統領の座を奪ったビクトル・ユシチェンコの下で首相を務めた人物。

 クリミアで2014年3月16日にロシアとの統合を求める住民投票が実施され、80%以上の住民が参加、95%以上が加盟に賛成している。その2日後に電話で​ティモシェンコはネストロ・ショフリッチと会話、ロシア人を殺したいと口にし、核兵器を発射したいとも語っている​。それがアメリカの手先として活動、富豪になった人物の本音だろう。

 今回の虐殺事件が伝えられる前、バイデン親子は厳しい状況に陥っていた。特に息子のハンター・バイデンはピンチで、大統領は恩赦を考えているとも言われている。

 ​ニューヨーク・ポスト紙は2020年10月14日、バイデン家がウクライナの天然ガス会社ブリスマ・ホールディングス(本社はキプロス)や中国のエネルギー会社CEFCとの取り引きでいかに稼いでいるかを示す電子メールが存在すると報じた​。ブリスマの件はウクライナの検察当局が捜査、それを父親が圧力をかけて揉み消したとも伝えられている。

 ここにきて注目されているのはロズモント・セネカ・パートナーズという投資ファンド。ハンターのほかクリストファー・ハインツとデボン・アーチャーが2009年に創設した。ハインツはジョン・ケリー元国務長官の義理の息子で、アーチャーはエール大学でハインツのクラスメート。バイデンとアーチャーは2014年にブリスマの重役に就任するが、その時、このふたりとビジネス上の関係をハインツは絶ったとされている。

 ウクライナでロシア軍が回収した文書の中に、ロズモント・セネカとジョージ・ソロスのオープン・ソサエティがウクライナにある生物化学兵器の研究開発施設へ資金を提供していることを示すものが含まれていたという。

 こうした施設にアメリカの国防総省や同省の国防総省のDTRA(国防脅威削減局)が協力していたことは明らかにされているが、そのほか国務省、USAID(米国国際開発庁)、USAMRIID(米国陸軍伝染病医学研究所)、WRAIR(ウォルター・リード陸軍研究所)、そしてアメリカの民主党が仕事を請け負い、さらに国防総省はメタバイオタ、ブラック・アンド・ビーチ、そしてCH2Mヒルが仕事をしている。

 メタバイオタは生物学的な脅威の評価したり管理する仕事をしている会社で、ウイルス学者のネイサン・ウルフによって創設された。2014年から​エコヘルス同盟​のパートナーになっているが、その背後にはUSAIDの「PREDICTプロジェクト」がある。

 エコヘルス同盟はアンソニー・ファウチが所長を務めるNIAID(国立アレルギー感染症研究所)から武漢病毒研究所へ資金を提供する仲介役を演じてきたことでも知られている組織。このため、ウクライナの研究所はCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)にも関係しているという疑いが生じた。

 また、ロシア軍はウクライナ側の軍事作戦に関する文書も回収している。​ロシア国防省によると、そうした文書の中にドンバスを攻撃する作戦に関するものがあった​。ニコライ・バラン上級大将が1月22日に指令書へ署名、攻撃する準備が始まり、2月中に準備を終えたとされている。攻撃は3月に始めることになっていたという。この作戦はゼレンスキーが1月18日に出した指示に基づいて立てられたという。

 マリウポリから脱出した市民の証言も西側の政府や有力メディアの宣伝にとって大きなダメージになりかかっていた。「市長」の発言を垂れ流し、市民を取材しないメディアが少なくないが、その理由はその辺にあるだろう。

 市民の証言は西側の政府や有力メディアが描いてきた「勇敢な市民が邪悪な侵略軍に立ち向かい、勝利する」という「ダビデとゴリアテ」的なストーリーが事実でないことを明らかにしている。(例えば、​ココ​や​ココ​)

 ​脱出して間もない市民の声が外へ伝えらているのは現地で取材していいる記者がいるから​である。例えば、ドンバス・インサイダーの記者によると、彼女はフランスの有力メディアTF1やRFIのほか、ロシアやイタリア人の記者とマウリポリへ入ったとしている。

 ​早い段階で記事も出ている​が、脱出した人の証言映像をツイッターに載せていた人もいたが、その人のアカウントをツイッターは削除した。知られたくない事実だからだろうが、​一部の映像はインターネット上にまだ残っている​。

 アメリカが始めたロシアに対する「経済制裁」は世界、特にEUへ大きなダメージを与え始めている。ロシアのウラジミル・プーチン大統領は同国の天然ガスを購入する場合、非友好国はロシアの通貨ルーブルで支払うように求めていたが、ドイツをはじめEUはその要求を拒否。​4月1日にヤマル-ヨーロッパ・パイプラインでドイツへ流していた天然ガスを止め、東側へ流れを変えた​。これは大陸国だけでなく、イギリスにも大きなダメージになる。人びとの不満が爆発するのは時間の問題。その爆発を抑えるためには人びとにショックを与える新たな話が必要だった。

_______

【伊藤貫の真剣な雑談】第5回「米露関係破綻の原因は何か?」[桜R4/3/31]
https://www.youtube.com/watch?v=mARfK3-Crkg
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/417.html#c4

[近代史4] 仏教 中川隆
7. 中川隆[-13349] koaQ7Jey 2022年4月07日 09:25:00 : UZ1ShPGIms : RXBHS2VjSFJuMUk=[3]
これが仏教学の定説:
 世に広まっている誤解に、釈尊は「六道輪廻」から解脱することを説いた、つまり生まれ変わりからの解放を説いたというものがあります。

しかし実は「輪廻」も「解脱」も元来、古代インドの支配階級だったバラモンの考えで、それらを含む思想が釈尊と同じころに『ウパニシャッド』という文献にまとめられてきますが、それは釈尊のとられる考え方ではありません。 それどころか、それらを批判していったのが釈尊でした。


 そもそも釈尊の当時は、正統的なバラモン思想に対抗する一連の革新的思想家が出てきた時代です。

かれらは沙門(しゃもん=努力する人)と呼ばれ、釈尊もその中の一人でした。

釈尊の師であったといわれるアーラーラ・カーラーマやウッダカ・ラーマプッタもそうですし、ジャイナ教の始祖ヴァルダマーナなど、「六十二見九十五種」という言葉もあるように、何十何百もの方々がさまざまな教えを説いていたといわれています。

 その中にも生まれ変わりを否定する人はたくさんいたのですが、釈尊がそれを否定した仕方はきわめて簡単です。 生まれ変わりという考えは、われわれが常住不変・永遠不滅の「我」(霊魂のようなもの)を持つということを前提としますが、釈尊はそのような「我」はないと言われたのです。

 趙樸初『仏教入門』(法蔵館)の記述にしたがえば、釈尊はわれわれも含め生き物はすべて、さまざまな物質的要素(地・水・火・風・空)と心理的要素(感覚器官・感覚・印象・思惟・判断力など)の集合体であり、しかもそれらすべての要素が一瞬ごとに生滅・変動していると考えました。

そうであれば、そこには輪廻の主体となる不変の「我」はどこにも見いだすことができないということです。これが「無我」といわれる考え方です。

 ただし、釈尊が冷静に学問的に研究した結果、そういう結論に達したのかどうかは微妙です。むしろ、輪廻という考えを否定するという動機にしたがってそう考えたと見ることもできます。

 というのも、ここは非常に大事な点ですが、釈尊を含む革新的思想家たちがバラモンの教えを批判するのは、それがバラモン支配の社会を支えるための教え(今ふうに言えばイデオロギー)だったからです。

たとえば、輪廻という考えは厳然としてカースト制を支える教えとしてあります。

つまり、現在バラモンであるものは前世によい行いをしたからであり、反対にシュードラにあるものは、前世でわるい行いをしたからであり、来世でよい境遇に生まれたければ善いことをせよというわけですが、その善悪の基準とは、つねにカースト制を含む社会が存続するのに都合のいいものです。

善を行ない悪を行うまいとして道徳を守れば守るほど、一方では安逸を貪り、他方ではいかに努力しようとも悲惨な状況から抜け出すことの出来ない階層が存在するという状況が続くわけです。

 これだけでも皮肉ですが、しかも、悲惨な状況にある者は、その状況を自分の前世の行いからくる運命のように受け入れて生きていくしかないと思いこんでしまうという点で、二重に悲惨なのです。

要するに、輪廻は身分差別には当然の理由があるんだという「こじつけ」として機能していたと考えることができます。

 ですから、釈尊が輪廻を否定し「四姓平等」(四姓とは、バラモン:司祭者・クシャトリヤ:王族・ヴァイシヤ:庶民・シュードラ:隷民)を表明したということは、「カースト制度を正当化しようとするいかなる考えかたも許さない」ということを意味したわけですから、カースト制と闘う態度を明確にしたということができます。

 しかし、残念ながら世間には、釈尊が輪廻を説いたというたぐいの仏教入門書が少なくありません。

しかし逆に言えば、その本が輪廻を釈尊が説いたもののように言っているかどうかは、その本が信用できるかどうかの一つの指標になるのではないでしょうか。
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/98_10_21.html


スッタ・ニパータは釈迦の本当の教えなのか?

仏教学を学ぶ者にとって、釈迦が、神の存在や霊魂の不滅性の是非を説かなかったことは、初歩中の初歩であるのだろう。そして、多くの仏教本には、釈迦は、人間にとって知ることのできない形而上学的諸問題については、それを問うても解答の出ないものであり、釈迦は、それらをことごとく捨て去ったと書かれている。(無記説)

ところで、最古の経典『スッタ・ニパータ』に登場する釈迦は、「無執着説」を説きながら、一方では、「輪廻からの解脱」ということを言う。最初から、霊魂の不死性を肯定も否定もしなかった仏陀が、一体、何故に、再び「輪廻」という言葉を持ち出してくるのだろうか?

これらのことは、『スッタ・ニパータ』を読んだときから、どうしても、私の頭から離れなかった疑問点であった。そして、もともと、本経典は、別々の時代に書かれた別の経典から編集されたものであり、全く別のものとして仏教を誤解釈した釈迦弟子が、仏陀の言葉として書き記したものであるのだろうか?

あるいは、釈迦は最初から輪廻を信じていて、これらは、何かの点によって繋がっているものであるのだろうか? それとも、それらはナーガールジュナ(龍樹)が言うような「勝義諦」と「世俗諦」なのだろうか?

実を言うと、先日、由緒ある曹洞宗のお寺に、日本を代表する仏教学者である奈良康明先生の講演会があり、話が終わった後に、個人的に、これらの質問をもって行ったところ、お寺の奥にあった小部屋に、先生から直々に案内され、一対一で、先生からの、これらに関する解答を頂いたのでした。


『釈迦は無我説を説き、霊魂の不滅性は説かなかった。

しかし、当時の一般民衆のほとんどが輪廻思想を信じていて、釈迦は霊魂の不滅性を否定はしなかった。霊魂の不滅性を否定したなら、托鉢で飯も食えなくなっただろうし、それを信じる者には、その道で行きなさい、といった感じだった。

だから、スッタ・ニパータのは矛盾はない。』


その日の夜に、仕事が終わった後に、スリランカ出身の友人B氏と、これらについて、さらに深い部分にまで及んで話し合ったところ、まったく別の説が浮かび上がってきた。

その彼の説はこうである。

『当時のインドでは、ほとんどの人が輪廻を信じていて、釈迦は輪廻からの解脱に挑んだ。その到達点は梵我一如のそれと同じであり、ニルヴァーナに至った釈迦には輪廻それ自体が無くなってしまった。

それゆえに、神(ブラフマン)の領域にまで達した釈迦にとってはアートマンは輪廻することが無くなったために、霊魂は不滅ではなくなった。』


しかし、B氏の説はバラモン教や梵我一如とその到達点ばかりではなく、それに至る道までもが同じではないのか?

一体、釈迦の仏教は梵我一如であったのだろうか?

いや、そんなはずはないだろう。釈迦の仏教が梵我一如の達人であったのなら、仏教は仏教である意味は喪失してしまうことになるのだろう。

私は、仏教のニルヴァーナの境地とバラモン教の境地とは、同一のものであることはB氏の意見と一致するが、釈迦の山頂に登る手法は、梵我一如のそれとは異なっていたのではないのかと思っている。

そして、「釈迦は霊魂の不滅説を説かなかった(否定も肯定もしなかったという意味)。

しかし、当時、霊魂の不滅性を信じる多くの一般民衆に対しては、霊魂の不滅性を否定はしなかった。」

という奈良先生の説に、私は賛同している。

もしかしたら、修行のレベルに合わせて釈迦は説法をされたのであろう。(対機説法)
http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/47870614.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/219.html#c7

[番外地10] ウクライナのブチャで 3月19日には死体が路上に存在していたというのはデマだった 中川隆
2. 中川隆[-13348] koaQ7Jey 2022年4月07日 11:41:06 : UZ1ShPGIms : RXBHS2VjSFJuMUk=[4]
ウクライナのブチャで 3月19日には死体が路上に存在していたというのはデマだった
ウクライナのブチャでロシア軍が住民が虐殺したとする話に不自然な点があることは少なからぬ人が指摘しているが、そうした中、​ニューヨーク・タイムズ紙は4月4日、マクサー・テクノロジーズという会社から提供された写真を掲載​、3月19日には死体が路上に存在していたと主張している。

 ところが、この記事にも疑問がすぐに出てきた。「3月19日の写真」は土砂降りの雨の後だとわかるが、現地で土砂降りの雨があったのは3月31日から4月1日。影の分析から撮影された日付けは4月1日がマッチ、SunCalcプログラムで太陽の角度を分析した結果もやはり4月1日がマッチしているという。これは住民の証言ともマッチしている。ニューヨーク・タイムズ紙の記事は偽情報の可能性が高い。

 巨大資本による有力メディアの支配が進んだ1980年代から信頼度は高くなかったが、21世紀に入ってその程度は大きく低下、リビアやシリアに対する侵略戦争が始まった2011年からは見る影もない。

 ウクライナを攻撃したロシア軍は生物兵器の研究施設や軍事施設から文書を回収している。ロシア国防省によると、​そうした文書の中にドンバスを攻撃する作戦に関するものがあった​。

 親衛隊のニコライ・バラン上級大将が1月22日に指令書へ署名して攻撃の準備が始まり、2月中には準備を終えたとされている。攻撃は3月に始めることになっていたという。この作戦はウォロディミル・ゼレンスキー大統領が1月18日に出した指示に基づいて立てられたという。

 これも重大な情報だが、アメリカのジョー・バイデン政権にとってはロズモント・セネカとジョージ・ソロスのオープン・ソサエティがウクライナにある生物化学兵器の研究開発施設へ資金を提供していることを示す文書の回収が深刻かもしれない。

 オープン・ソサエティはアメリカにとって都合の悪い政権や体制を転覆させる道具として有名だが、ロズモント・セネカはハンター・バイデンのほかクリストファー・ハインツとデボン・アーチャーが2009年に創設した投資ファンド。

 ハインツはジョン・ケリー元国務長官の義理の息子で、アーチャーはエール大学でハインツのクラスメート。バイデンとアーチャーは2014年にブリスマの重役に就任するが、その時、このふたりとビジネス上の関係をハインツは絶ったとされている。

 ウクライナに建設した生物化学兵器の研究開発施設にアメリカの国防総省や同省のDTRA(国防脅威削減局)が協力していたことは明らかにされているが、国務省、USAID(米国国際開発庁)、USAMRIID(米国陸軍伝染病医学研究所)、WRAIR(ウォルター・リード陸軍研究所)、そしてアメリカの民主党が仕事を請け負い、さらに国防総省はメタバイオタ、ブラック・アンド・ビーチ、そしてCH2Mヒルが仕事をしている。

 メタバイオタは生物学的な脅威の評価したり管理する仕事をしている会社で、ウイルス学者のネイサン・ウルフによって創設された。2014年から​エコヘルス同盟​のパートナーになっているが、その背後にはUSAIDの「PREDICTプロジェクト」がある。

 エコヘルス同盟はアンソニー・ファウチが所長を務めるNIAID(国立アレルギー感染症研究所)から武漢病毒研究所へ資金を提供する仲介役を演じてきたことでも知られている組織。このため、ウクライナの研究所はCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)にも関係しているという疑いが生じた。

 こうした研究施設の問題をアメリカやEUはもみ消そうと躍起だが、中国をはじめ、徹底した調査を求める声も小さくはない。ブチャの虐殺話もそうしたもみ消し工作の一環だと考える人もいる。この実態が明るみん出たなら、アメリカの生物兵器を使った攻撃計画が浮上するだけでなく、COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)との関係も浮かび上がる可能性もある。そうなると、ハンター・バイデンだけでなく、国防総省、国務省、CIA、そして民主党を揺るがす事態に発展するかもしれない。民主党は今回の中間選挙で負けるわけにはいかないだろう。

___________

YouTubeでアップロードされたいた「動く死体」の手の映像が雨粒に変えられてしまった

ウクライナの放送局 ESPRESO のニュース:
https://www.youtube.com/watch?v=mj6cQgKZkzY
https://www.youtube.com/watch?v=Mx9JlNu_H1Y&t=30s

このビデオ動画は特筆に値する。一部の西側メディアはこの衝撃動画をしたから、歐米の一般国民はビックリ仰天。SNS上で拡散する人も出てきた。しかし、この映像をよぉぉ〜く見てみると、「あれっ!!」と驚く瞬間がある。歐米には注意深く検証した人がいたようで、道路に転がっている幾つかの"死体"に目を附け、特殊な"死体"の動きに気がついた。ウクライナ兵の軍用車両は、道路に散乱する死体を避けながら走行していたのだが、何と、ある"死体"だけは"そっと"手を動かしていたのだ !!


イギリスのベリンキャットが詳細な画像解析をした結果を公表しております。

手を動かしていたり起き上がって見えるのは、
@撮影機側の水滴
A撮影者の乗る車輌からの水滴
B撮影機への反射
C遺体そのものが反射している

等、画像解析すると「手」では無いとの結果だそうです。
所謂、オープンソースとしてロシアへの反論として正式に採用されているそうです。
現在多くの報道機関がこの件についてはこちらを報道しております。


教えてもらったウェツブサイトに掲載されている動画を私も拝見しました。確かに、私が紹介したのと同じ動画でしたが、微妙に「加工」されているんじゃないかと思いました。なるほど、ご指摘の通り、雨粒が映っていましたが、それと遺体とは関係なく、単に路上に横たわっている死体でした。
 この動画を観た後、YouTubes動画を再度確認したところ、やはり遺体の手が動いていました。どちらが正しいのか、実際のところ判りませんが、もしかすると、4月3日に話題となったから、誰かが映像に「細工」した可能性も否めません。もちろん、最初にロシア側がフェイク映像を創ったとも考えられますが、誰かが「動く手」を「消去」し、単なる死体に変換した可能性だってある。
 今、デジタル技術を使えば、色々な加工ができるので、私が紹介した動画も「本物」とは断言できません。しかし、誰かがスキャンダル隠しのために、わざと攪乱用の動画を流して「あれは偽情報だ」と言いふらすことも有り得る。宣伝戦の時代だと、大手メディアが流す情報でも「真実」とは限らないので、「本物」と称された動画も「加工映像」かも知れませんよ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68893422.html
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/418.html#c2

[近代史3] 731部隊と医療被曝 _ 無事に内地に帰還した731部隊員は何をやったのか? 中川隆
26. 2022年4月07日 13:30:16 : UZ1ShPGIms : RXBHS2VjSFJuMUk=[5]

『731部隊全史――石井機関と軍学官産共同体』 著・常石敬一
書評・テレビ評2022年4月2日
https://www.chosyu-journal.jp/review/23156

https://www.amazon.co.jp/731%E9%83%A8%E9%9A%8A%E5%85%A8%E5%8F%B2-%E5%B8%B8%E7%9F%B3-%E6%95%AC%E4%B8%80/dp/4874987834/ref=sr_1_1?adgrpid=115432642546&hvadid=492581348383&hvdev=c&hvqmt=b&hvtargid=kwd-335178018861&hydadcr=16034_11399741&jp-ad-ap=0&keywords=%E5%B8%B8%E7%9F%B3%E6%95%AC%E4%B8%80&qid=1649305794&sr=8-1


 ウクライナ危機をめぐって、ロシアが「米国がウクライナでの生物兵器開発計画に関与している」と批判すれば、アメリカは「ロシアこそ生物兵器を使おうとしている」と応酬している。これをめぐっては3月8日、米上院公聴会でヌーランド国務次官(政治担当)が「米国はウクライナ政府と協力して生物学研究施設の材料がロシアの手に渡るのを防いでいる」と発言している。

 生物兵器は、日本にとって縁遠い話ではない。日本軍は戦時中に旧満州(中国東北部)に石井機関(731部隊)を置き、PXというペスト菌兵器の人体実験を中国人捕虜を使っておこない、実戦にも使用していたこと、敗戦後は米軍が石井機関のメンバーを戦犯から外すことと引き替えに、その研究成果をすべて奪いとり、歴史から抹殺した――という歴史があるからだ。

 著者は神奈川大学名誉教授(科学史)で、40年以上にわたって731部隊について研究してきた。今回、改めて本書をまとめるきっかけになったのは、2015年に防衛省が大学などの研究機関を補助する制度(安全保障技術研究推進制度)を始めたことだ。軍学共同が進み、再びかつてと同じ過ちをくり返さないため、学術界に警鐘を鳴らそうと本書の執筆に至ったという。軍の公文書などの資料や関係者のインタビューをもとに、731部隊の全体像を明らかにしている。

 731部隊の本部は、1931年から1945年まで旧満州のハルビンに置かれた。部隊の創設者で部隊長を務めた石井四郎は、京都帝大医学部卒業の軍医中将だった。

 1931年の満州事変勃発とほぼ同時に、陸軍は東京の軍医学校に防疫研究室を設けた。責任者となった石井はハルビンに731部隊(約3000人)を、また姉妹部隊である防疫給水部を北京、南京、広州、そしてシンガポールに置いた。総勢1万人をこえるこの組織が石井機関と呼ばれた。

 石井機関の任務は細菌兵器の開発と戦場での使用(散布)だ。細菌の感染力は長期保存すると低下する。感染力の回復と増強のために、モルモットに接種する方法が海外でもやられていた。石井機関でやっていたのは、病原菌をモルモットでなく人間の身体に通すことで、兵器としてのより強力な病原菌を得るという作業だ。そのために1000人とも2000人ともいわれる中国人捕虜の人体実験をおこなった。

 初めて使用したのが1940年から41年にかけて、中国の三つの町での実戦で、600人の犠牲を出したと731部隊の記録にある。1942年の作戦では、ペスト菌は主としてPX(ペストノミ)の形で航空機から投下するなどし、コレラなど消化器系の病原体は水源や井戸、貯水池に大規模に散布した。

 この1942年の淅作戦では、第一線にいる現地の司令官や参謀は「(細菌兵器を使えば)日支関係に100年の傷痕を残す。そのうえ利益はなく、我が方の防疫の手続きだけ厄介である。山中や田舎の百姓を犠牲にしてなんの利益があるのか」と「陣中記録」に記すほど強く反対していた。だが作戦は、東京の参謀本部中枢の命令で強行された。

 ところが、石井機関が細菌攻撃した地域を日本軍の部隊がそうと知らずに占領したとき、短時間で一万人以上が罹患し、1700人以上がコレラで死に、赤痢やペストで死んだ兵士も多く出た。参謀本部は日本兵には細菌兵器を使っていることを知られないようにしていたこと、「コレラや赤痢の流行は敵の謀略によるもの」といって情報操作していたことが、後に明らかになっている。全国各地から徴兵された多くの兵士たちは、天皇はじめ権力中枢にとってはたんなるコマでしかなかったことを暴露している。

 そして1945年8月9日、日本の敗戦直前にソ連が旧満州に攻め込んできたため、日本陸軍は731部隊だけを特別扱いして即時日本への全面撤退を決めた。証拠隠滅のため、4日間かけて建物を爆破し、人体実験の被験者として捕えていた数百人を殺害した。国際条約であるジュネーブ議定書で細菌兵器の研究開発や使用が禁止されており、日本軍の犯罪を隠すためだった。

 だがこの瞬間、満州には日本軍兵士70万人と民間人150万人がいた。民間人で日本への帰還が果たせず現地で死亡した人が25万人ともいわれ、一家離散して「残留孤児」となり中国に残された人も多数出た。国民の命はまったく顧みられなかった。

 だが、731部隊をめぐる問題は戦後も続く。1947年1月、ソ連が731部隊による細菌戦と人体実験を告発した。するとアメリカは731部隊の科学情報がソ連に渡るのを阻止するため国際裁判を認めず、みずからが独占して隠蔽をはかったのだ。

 著者は本書のなかで、米占領軍が731部隊の元部隊員に対し、戦犯を外すというアメを与えて、細菌戦や人体実験の極秘情報を米軍に提供せよと迫った事実を示している。それに応えて元部隊員らは、1939年から43年の期間に人体実験により作成された8000枚の顕微鏡用スライドなどの研究成果を米軍に提供した。G2のウィロビーは、このとき25万円(今の912万円に相当)の「現金、食べ物、土産物、宿泊代」などを与えたとのべている。

 こうして極秘情報は米軍が独占し、石井機関を裁く法廷は開かれず、事実は世間から抹殺された。機関に関わっていた大学教授らはその犯罪が明らかにならないまま、戦後もそのまま生き延び、学界の権威であり続けた。具体的には本書を見てほしい。

 731部隊の活動の核は医学研究だ。そして防疫研究室がスタートした1932年、天皇制政府は大規模な科学研究支援制度を開始した。日本学術振興会の発足がそれで、専門の垣根をこえた先端技術研究に潤沢な予算を与える仕組みをつくったわけだ。そして石井の防疫研究所が窓口になり、日本医学界の人材を吸収したり、潤沢な研究費を供給したりするネットワークができていったという。目的は軍事研究の活発化であり、そのために大学の医学部長クラスを防疫研究所の嘱託に据えたり、その弟子を731部隊に派遣したりした。

 つまり、医学界のなかの一定の人々は、軍部の命令にものがいえなくなってそうしたのではなく、カネと地位がほしいために、研究者の名に値する学問の自由をみずから投げ捨てて権力者の要求に迎合していったのだ。著者はそれを「ウインウインの軍学官産共同体」と表現している。だが、その結果国民はどうなったのか。同じ過ちをくり返すなという著者の訴えは、そうした意味を含んでいると思う。

 (高文研発行、四六判・415n、定価3500円+税)

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