51. TondaMonta[2251] gnOCj4KOgoSCgYJsgo@CjoKUgoE 2020年7月25日 11:31:06 : AEnC5h0U8M : RVZuRkdTZE14aXM=[1]
何度も繰り返しているが、ゆとり教育を受けた方々の話はピンと来ない。お釈迦様の誕生日も知らないゆとり派がれいわが誕生したのは4月1日の「魚の涙」といわれる日だなんて威風堂々と述べている。ワタチもよく間違えるが、いつできたかは重要だ。なぜなら、れいわ誕生と同時に党是ができていたのかという問題が一番重要だからだ。後は枝葉末節。
上のある方が述べているように,党是が後からできたとすれば,れいわ元祖候補者9人には周知徹底されて然るべきである。周知があったのかどうか。なぜなら大西氏は「れいわ新選組」の『8つの緊急政策』に賛同して公募に応募したと証言しているからだ。あとからできた党是ではない。裏を返せば山本太郎氏は大西氏を入党させたわけだからその責任がある。入党許可の責任。それから除籍した責任。
党規約は山本代表の決定権が支配している。ロ米の大統領がOKと署名しなければ議会で可決されても拒否できる。拒否して再投票(3分の2以上の賛成)すれば成立という国もある。いずれにしても議会にも大統領にも再考の余地が残されている。したがって拒否しなかった責任は山本代表にある。
党規約からすればほとんどのことを山本代表が決めることが出来る。これは独裁である。ヒトラーのような独裁者が山本太郎氏である。山本代表が将来独裁者にならないという保証はない。もし総理大臣になれば独裁者になるだろう。
しかし問題は大西「命の選別発言」が除籍に値するかどうかということである。大西氏やホタテ氏は拡大解釈されたと主張している。一方山本側は「高齢者という対象がが障碍者などに拡大されないという保証はない」と主張している。これは二重否定の文章であり、記号論理学の問題である。山本側の二重否定文は「正しくもあり、正しくもない」である。否定命題は証明することが難しいというのがスコラ哲学の教えであるから。中世の教会、スコラ派がそこまで議論していたことに驚く。ちなみに論理学者や記号論の学者に訊いてみてください。この二重否定の文章が正しいかどうか判断していただきたい。
しかし我々には別の証明の仕方がある。それは高齢者の問題が障碍者の問題に絶対になるという保証があるのかどうか、である。もしそういう保証があるのであれば山本側はそれを提出すべきである。ゆとり教育派は別にして、多くの人が納得する「保証」を示す必要がある。
ー続くー