5. 2020年3月21日 22:05:59 : 5yLdjCcqJw : RlQvclBGeGNvVEE=[1]
メディアから流れるそれらはすべてパフォーマンス。誰を庇うでもない、自分の責任そしりを逃れる為の言い訳を見てるに過ぎない。
病床の件は、事故物件になりそうだからとリスクを感じるものは徹底的に回避で断られる。不動産連合がそれをウンと首を縦に振るとは考えられない。
日本は平成までに無責任社会が徹底されたのでいまある権威的な組織は皆腰砕けでなにもやらん。
原発もなにもかも「すべて想定外」と言ってれば済むと云う話なら、予測立てて研究費など概算請求するだけの研究なんか止めてまえということだが。
つまり日本はこういう事態に危機管理など形ばかり口ばかりで実質的に役に立つものなど何も備えてこなかったと云う事が丸分かりで、それはそれでバカなのを承知でほったらかしにしてきた国民も国民なので仕方ないが、大事なのはじゃあここからどうするかということだ。
一番は韓国やアメリカのドライブスルー方式の様なものをやって、まずは不安を少しでも払拭して、安堵して前向きに行ける環境を作ろうという方法。路上や公園で医療バスをくっつけてそこを繋ぐ密閉した空間を造ってそこを通路とする。よく食料関係の会社で消毒除菌するアレ(下足を消毒後、赤外線による熱風送風機で瞬間的に全方向から一気に菌を吹き飛ばす湿気ゼロの乾燥室)を設ける、そこを一定時間潜って診療所へ向かうコースとする。それか巨大冷凍庫(-20度ほど)に数秒入り、出るを繰り返す(身体を極限状況に晒す)と免疫力アップに効果がでると聞く。そうした通路内を待機場所として、ウイルスを死滅または不活化させ、菌が死滅または繁殖できない環境を簡易的に作る。
個人診療所が個人で対応できないと泣き言を言うならくっつけてやればいいと思うのだが?したくないというならそりゃ仕方ないが。
要は、こうしてプロが診療を出来ないとするのがこの国の医療体制の本質。
横の繋がりができる、意識の高い人々がするほかない。
ボランティアでそれをやる事は出来ないなら国が対応すべき。全体でやるほかない。イタリアは学徒動員でやり始めている。
個人診療所同士が繋がって何かするということ。
武漢方式とは簡易診療所は表向きは立派だが、内実は「単なる死を待つだけの隔離病棟」=死ぬまで放置されるだけのものだった。
武漢での死者数の発表はなされているとしても、実際の所はその数字に一桁多くて二桁追加されるという話もある。実際の所現地の人間がその暴露を懸命にしているのだが、政治的な都合で隠蔽されているというとんでもない現状が真実ということらしい。
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