30. 2020年11月06日 14:07:22 : JUvFXM6fCE : RkQzRzVYZmYuQnM=[1]
日本語を解するに、読み手の忖度が必要であってはならない。
日本語を100%正確に伝えるのは、書き手の責任(責務)である。
主語と述語が関連していない文は迷文という。
「為政者が畏怖され、(こういう種の)支配者でありたいと願うなら、」
を添削するに、読点の位置を一つ動かすだけでいい。
そうすると、
「為政者が、畏怖されその内心を忖度することが臣民たちにとって
優先的な責務になる支配者でありたいと願うなら、」
これで、主語「為政者」は述部「支配者でありたいと願うなら、」につながる。
何故、「為政者が畏怖され」で、文を区切ってしまうと、訳が分からなくなるかというと、動詞「される」が二つの意味をもっているからである。
「する」の尊敬語と「する」の受け身の二つである。
忖度させるような文を書いてはいけない。
http://www.asyura2.com/20/senkyo277/msg/150.html#c30