2. 2022年5月16日 16:41:13 : gs3aP8EzWY : RkFRUXhnR0piMGc=[1]
先日、佐藤栄作元総理を主軸にした沖縄復帰50年のドキュメンタリー番組を放送していたが、日米双方にとって不都合なことを端折った番組だと感じた。
そう感じた点は、主に以下の点です。
・佐藤元総理の兄で前任者だった、岸元総理による日米安保条約改定と日米地位協定について全く触れていない点。
https://ameblo.jp/et-eo/entry-12434169268.html
・後に佐藤元総理宅から見つかった"核密約"文書について一切触れていない点。
http://www.masrescue9.jp/press/ikeda/back_no/ikeda66.pdf
https://paradishouse-test.blogspot.com/2009/12/blog-post_29.html?m=1
https://blog.goo.ne.jp/gallap6880/e/00513deafc534ae5c95d84149e17bea5
https://www.asahi.com/sp/articles/ASL6Q61P0L6QUHBI027.html
・天皇が米軍沖縄基地を希望したことに一切触れていない点。
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/10427301/
敗戦直後の1947年、昭和天皇がアメリカに対して沖縄の軍事占領を希望するというメッセージを送っていたものですね。すでに今の日本国憲法が施行されていますから、本来ならば天皇は政治的な権能を持っていませんでした。
それにもかかわらず、昭和天皇は占領軍に対して、当時の吉田政権の頭越しに自らのメッセージを発しています。その内容は「日本国天皇は沖縄に対する米国の軍事占領が25年ないし50年あるいはそれ以上にわたって続くことを希望する。それが日本の防衛に役立ち、かつアメリカの利益になるだろう」というものです。
この極秘文書は1979年に筑波大学の進藤榮一さんが発見したのですが、いまだにその存在があまり広くは知られてないと思います。日本のメディアがこれを大々的に報道するのを自粛しているように感じます。
〜〜〜
http://okihon.com/2021/01/26/emperor-2/
1945(昭和20)年2月、首相経験者ら重臣が相次いで天皇に時局について意見を具申している。『木戸幸一関係文書』によれば、近衛文麿元首相は、勝利の見込みのない戦争をこれ以上続けることは共産革命を招きかねないとして、「国体護持ノ立場ヨリスレバ、一日モ速ニ戦争終結ノ方策を講ズベキ」と進言した。
これに対して天皇は、アメリカが国体の変革を考えているという観測が流れていることに触れるともに、早期の和平については「モウ一度戦果ヲ挙ゲテカラデナイト中々難シイト思フ」と述べた。そして、沖縄戦に突入した。
初代宮内庁長官・田島道治が1949年から5年間、昭和天皇とのやりとりを書き留めた記録である「拝謁記」によれば、昭和天皇は、石川県の内灘や長野・群馬県の浅間で米軍基地に反対する市民運動が活発化することに対して、1953年5月25日の拝謁で「小笠原でも奄美大島でも米国ハ返そうと思つても内灘でも浅間でも貸さぬといわれれば返されず、米国の権力下ニおいてそこでやるという事になる。米国の力で国防をやる今日どこか必要なれば我慢して提供」、
同年6月1日の拝謁では「平和をいふなら一葦帯水(いちいたいすい)の千島や樺太から侵略の脅威となるものを先づ去つて貰ふ運動からして貰ひたい 現実を忘れた理想論ハ困る」と発言したとされる。
さらに同年11月24日の拝謁について「基地の問題でもそれぞれの立場上より論ずれば一應(いちおう)尤(もっと)と思う理由もあらうが全体の為ニ之がいいと分かれば一部の犠牲ハ已む得ぬと考える事」と記録している。
「アメリカの対沖縄政策に影響を与えたのは、「天皇の沖縄メッセージ(※)」といわれる。
天皇の側近を務めていた寺崎俊英が、駐日政治顧問のシーボルトに、共産主義勢力を抑止するためにアメリカが沖縄を長期保有し軍事基地を設けることを天皇が希望していると伝え、シーボルトはGHQ司令官のマッカーサーやアメリカ本国のマーシャル国務長官に、このメッセージを文書にして送ったという。
アメリカ側の資料などによれば、1947年9月、寺崎はシーボルトを訪ね、次のように語ったという。
「寺崎が述べるに天皇は、アメリカが沖縄を始め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している。天皇の意見によるとその占領は、アメリカの利益になるし、日本を守ることにもなる。天皇が思うにそうした政策は、日本国民が、ロシアの脅威を恐れているばかりでなく、左右両翼の集団が台頭しロシアが『事件』を惹起し、それを口実に日本内政に干渉してくる事態をも恐れているが故に、国民の広範な承認をかち得ることができよう。
天皇がさらに思うに、アメリカによる沖縄の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の―25年から50年ないしそれ以上―貸与をするという擬制の上になされるべきである。天皇によれば、この占領方式は、アメリカが琉球列島に恒久的意図を持たないことを日本国民に納得させることになるだろうし、それによって他の諸国、特にソヴィエト・ロシアと中国が同様の権利を要求するのを差し止めることになるだろう」
〜〜〜
一般に流布されているのは、天皇が命を賭してマッカーサーと交渉したという話だが一方で真逆な話もある。
戦後も菊のカーテンが引かれ続け、極最近まで、天皇や一族の不都合なことは報じられることは無かった。
(寧ろ、プロパガンダ番組である皇室アルバム等を放送することで、国民と共にや慈愛を強調してきた。)
戦後も社会主義や共産主義を感じさせる思想言動は、"赤"とレッテル貼りされ続けたし、政治学専攻などの政治に興味を持つ学生は、"赤"に違いない要注意人物として企業から忌避された。
戦後の正しい日本人像は、経済に関心を持っても国内外の政治に無関心であるべきとされた。戦後、男女ともに普通選挙権が持てるようになったにもかかわらず、摩訶不思議な話である。
古来より政治と経済は、車の両輪であり、政治学は古の時代から存在する学問である。18世紀に経済学が分離するまで、経済は政治の中に含まれていた。
https://ameblo.jp/goodwillparadise/entry-12562952981.html
自分の命を乞う為に、「好きなだけ、好きな所に、米軍が日本に駐留していい」とマッカーサに何度も命乞いしたと、日本では発刊されていない米国のベストセラー「天皇の陰謀」で1972年に既に、曝露されています。
戦後の昭和天皇は、自分の命、中国とかソ連とか等々、極東委員会のメンバーとして日本に進駐してきたら自分が再度、戦争犯罪人として死刑要求されるので、11回もマッカーサーに命乞いをした。極東委員会の影響を排除してくれと、共産主義の防波堤になってくれという事をマッカーサーに頼んだ。
マッカーサーはそれに対して曖昧な回答しかしなかった。マッカーサーが考えていたのは、GHQが撤退した後、国連の信託統治形式にするという考えだった。
昭和天皇は「これはダメだと、マッカーサーは自分達を守ってくれない」という風に、マッカーサーを見切って、マッカーサーの頭ごなしに国務長官の顧問だったダレスに直接交渉し、ダレスに、反共、共産党政権、中国、ソ連の等々の極東委員会の影響を排除して欲しいと、自分の命を守って欲しいと、天皇制を護持して欲しいと、いう風に、直接談判して、その為ならなんでもする、どれ程長期間どれ程多くの米軍が日本に、どこでも駐留してもいいですよ、という事を提案した。
それをきっかけに、沖縄に米軍が駐留するという事になった。
昭和天皇が何より恐れていたのは、敗戦によって、戦後処理が旧ソ連主導になること。そして、日本で共産主義革命が起きて、天皇と一族がその地位から排除されることだった。
http://www.asyura2.com/15/gaikokujin2/msg/409.html#c2