1. 2022年5月02日 05:33:31 : pPnJTI3VXA : RjBab21TUXpYUE0=[1]
「Mother」 第10回 優しさがつき動かすもの
最初にお断りします。 「めっちゃ巨大」 …じゃなくって、長ーい記事になってしまいました。
先週はあまりの怒涛の展開に、とうとう自分も感想文を書くことを放棄してしまったほどの 「Mother」。 (笑)と何度もつけながら、自分が号泣したことを告白することへの恥ずかしさを隠してまいりましたが、今週はもう、堂々と宣言させていただきます。
「今週も、号泣いたしました」(笑…まだ恥ずかしい…)。
鈴原奈緒(松雪泰子サン)の逮捕から、裁判で執行猶予付きの判決が下され、鈴原家に戻ってくるまで、この物語を貫いていたのは、すべての登場人物の 「優しさ」 でした。
その 「優しさ」 に触れるたび、私は断続的に涙を流していたんですが、要するにつまり、見ているあいだじゅう、ずっと泣いてた、というか。
それがラストでは、一気に滂沱の涙。
見終わったあと強く感じたのは、私はこのドラマによって、代わりに泣かせてもらっている、ということでした。
現実には、泣きたいようなつらいことの連続なのに、泣くこともできない。
心のどこかでは悲鳴をあげながら、自分の人生を、生きている気がするのです。
その悲しみを、「Mother」 の中の人たちは、ありったけの優しさでもって、洗い流してくれている。
最初はあまりの話の暗さに、主人公の暗さに、ちょっと引いていたところもあるのですが、今はこうでなければならないと強く感じます。
冒頭、道木怜南(=継美、芦田愛菜チャン)誘拐で逮捕され護送中の奈緒の細い手には、ニュースでもモザイク付きでしか写さない、手錠が冷たく光っています。 ちょっとショッキング。
取材陣で騒然とする警察署入口を抜けて、取調室に入ろうとする奈緒は、継美チャンの 「お母さん!」 という声を聞いたような気がして、立ち止まって振り返る。
もうちょっと、この時点でグッと来てます(早すぎ…笑)。
いっぽう鈴原家では、取材陣が押しかけ母親の高畑淳子サンは社長を退任、果歩(倉科カナチャン)は就職内定を取り消され、嵐が吹き荒れているのですが、そこにカナチャンのボーイフレンドの川村陽介クンが 「何かあったんスか?」 と入ってきて、ちょっと笑わせます。 この人、失礼ながらこのドラマにそんなに必要な人物に見えなかったのですが、やっといた意味が分かった、というか(笑)。
川村クンのノーテンキぶりに緊張の糸が途切れて笑い出す、その鈴原家のテレビには、奈緒が護送される様子がミュート(音量ゼロ状態)のまま映し出されています。
継美チャンは仁美(尾野真千子サン)の元には、虐待の事実のために引き取られず、「白鳥園」 という児童養護施設に預けられます。
「白鳥」 と書いてあるのを見て、「鳥のお店ですか?」 と尋ねる継美チャン。 このあと、奈緒が鳥の羽根の図鑑に挟んであった継美チャンの 「お母さんの絵」 を取り出すシーンがあるのですが、継美チャンには、自由に空を飛びたい、本当に自分の生きたいところへ飛んで行きたい、という気持ちの象徴として、鳥が何度も出てきますよね。 名前も、「ツグミ」(英名ブラックバード…ビートルズにも同名の歌があるのですが、なんかこの歌のコンセプトと継美チャンに対する作者の思いは、リンクしているような気がしてなりません) ですしね。
奈緒と接見する藤吉(山本耕史サン)は、奈緒の継美チャンへの母性そのものが罪なのだ、と考えている。
そして鈴原家の内情を奈緒に話し、継美に固執せずそのことにもっと思いを致すべきだ、と奈緒に意見するのです。
それは至ってごもっともなことであります。 もっとも過ぎて、イライラします(冗談)。 やはり見ている側の感情として、奈緒と継美チャンをまた一緒にさせてあげたいとばかり思っているから、藤吉の正論にもイライラするのでしょう。
葉菜(田中裕子サン)は、理容室(結局、売らずに済んだ、ということですね)で、奈緒の記事が載った週刊誌を見ている。
「母と呼ばれたかった女が逃亡の果てに見た絶望」
「室蘭から伊豆までの逃亡生活 彼女を狂わせた動機とは!?」
「研究員の職を失ったエリート 独身女性が落ちたぬかるみ」
ありがちですなあ(笑)。
表面的な事実ばかりを追いかけて、読者の興味を惹起させるような見出しを考える。
それが、興味本位だ、って言うんです。
そこに訪ねてきた、藤吉。
「何か私にできることはないか」 と尋ねる葉菜ですが、「あなたは30年前に、いさかいの末自宅に火を放って夫を殺害している前科がある。 ヘタに動かないほうがいい」 と諭されます。 なるほど、うっかりさんの罪とは、そういうことだったのか。
取り調べや公判でも、塩見三省サン演じる検事に、「あの子の母親になりたかった」 と明言する奈緒。 藤吉の話を思い出しながら、判決の行方が気になっていきます。
いっぽう仁美と虐待男浦上には逮捕状が。 「私を死刑にしてください!」 と刑事に懇願する仁美ですが、冷たい言いかたをすれば、「何を今さら」 という気がしないでもない。
でも、やはり仁美は、自分が裁かれることを待っていた、と思うんですよ。
決して許されることをしたわけではありませんが、このドラマの作り手は、見ている側に 「仁美を責めろ」 という態度を示していない気がする。 これは見ている側の感受性の問題に帰着する話なんですが。
施設では友達とも打ち解けあって、今までのことなどすっかり忘れてしまっているように見える継美チャン。 自分の名前も、「怜南」 と名乗っています。
ここで気付かなければならないのは、継美チャンは仮面をかぶるのが上手な子供である、ということのように感じます。 自分を 「怜南」 だと名乗っているのも、自分を偽っているからなのだと。
ある夜、冷たい月を眺めている継美チャンと、牢獄の格子の隙間から、同じ月を眺めている、奈緒。
絢香サンの 「三日月」 状態ですが、またここで、泣けてきました。
奈緒はここでまた、牢屋にいるはずのない継美チャンの幻影に、「お母さん」 と話しかけられる。
奈緒が手を伸ばすと、消えてしまうまぼろし。
自らを抱きかかえて涙する奈緒。
懲役1年、執行猶予3年という判決が奈緒にくだり、ホッと胸をなでおろす葉菜。
髪の毛には、白いものが目立っています。
その直後葉菜は、病気が再発して、倒れてしまう。
葉菜の病室を見舞った高畑淳子サンは、葉菜の病状を知り、奈緒が出てきたらお見舞に来させるよう話をする、と言うのですが、葉菜はそれを拒絶するのです。
このときこのふたりは同い年であることを確認し合い、同じ時代を生きてきたことで、たがいに共感の度を増していくのですが、これは年配の人ほどよく分かる感情ではないでしょうか。
「ダメよ。 絶対ダメ。 娘に(自分の死ぬことを)知らせずに逝くなんて」
静かに微笑むだけのうっかりさん。
どちらの思いも静かに伝わってきて、またここでも涙です。
そして釈放され、鈴原家に戻ってきた奈緒。
芽衣(酒井若菜サン)や果歩との再会でも、セリフがほとんどなかったけれども、やはり泣けてきます。
なにしろ、みんな優しいんですよ。
自分たちがあんな目に遭っていながら。
自分の部屋に戻り、さっきも書きましたが図鑑に挟んであった継美チャンの絵を見て、継美チャンが自分を 「お母さん」 と呼んだ時の記憶が次々よみがえる奈緒。
またまた泣けます。
継美チャンが 「お母さん」 と言っただけで、泣けてきます。
ケータイの着信音が鳴り、経歴を見ると 「非通信設定」 がずらずら並んでいる。
事件を知った人からのいたずら電話なのか、取材の電話なのか。
それはのちに、明らかになるのですが。
再生をストップして細かく見たら、午後9時半前後に、それは集中していました。
ああっ、また泣けてくる(笑)。
葉菜のところに電話をする奈緒ですが、電話には誰も出ない。
そこに藤吉が訪ねてきて、施設での継美チャンの様子を撮影したビデオを見せる。
そこには、自分を 「怜南」 と名乗る、元気いっぱいの継美チャンが映っています。
もう過去のことなんだと、自分を納得させるしかない、奈緒。
ここらへんの奈緒の悲痛さも、涙がちょちょ切れます。
「奈緒ねえを忘れたわけじゃなくて、がんばってるんだよ」
と慰める妹たちも、限りなく優しい。
「継美、楽しそうだった…あんなに、笑ってた…大丈夫よ、お母さん…私…ちゃんとうれしいから…ちゃんと喜んでるから…」
奈緒を抱きしめる高畑サン。
奈緒に葉菜の病状を告げ、彼女のところへ見舞に行くように言うのです。
その時の高畑サンの回想も、泣ける話で。
葉菜は奈緒の見舞いを断ったことを高畑サンに 「ダメよ」 と言われ、こう話したのです。
「奈緒と継美チャンと、観覧車に乗りました…私が 『好きだ』 と言ったら、ふたりが連れてってくれました…もう悔いはないと思った…。
一日あればいいの。
人生には、
一日あれば…。
大事な大事な一日があれば、
…もう、それでじゅうぶん」
この考え方って、結構大事なような気がしました。
長い人生で、本当によかったのがたった一日なんて、あまりにもつらい話ですが、そう思えることが、人生に対する大きな慰めとなり、ときにはこれからを生き抜く力になる。
病室を訪れた奈緒に対して、葉菜は 「もう帰りなさい」 と言うのですが、奈緒は拒絶します。
「夜までいる。 明日も、あさっても、来る。
…もう、やめて。 もう、分かってるの。 今までずっと、母でいてくれたこと。 離れてても、母でいてくれたこと。 もう、分かってるの。
…だから今度は、あなたの娘にさせて。
…あなたの娘でいさせて…」
涙があふれ、手を差し伸べる、葉菜。
「こっちへおいで…」
確かめるように自分の娘の顔をなで、髪を撫ぜる葉菜。
「奈緒…」
「お母さん…」
抱きしめ合い、母親の腕に抱かれて号泣する奈緒。
「ずっと…ずっとこうしたかった…」
あー、また号泣モードに入ってきたあ〜(笑)。
いっぽうその夜、自分の靴をリュックに詰める継美チャンの姿。
なんだ、施設を脱走か?
奈緒のもとに、またもや非通知設定の電話。
たぶん出てみて嫌な電話だったら切るつもりで、奈緒も電話に出てみたのでしょう。 それ以上に、何か予感があったのかも。
そしてその電話は、なんと、というかやっぱり、というか、継美チャン。
「…お母さん?」
うっ…(笑)。 ちょっともう、この段階で…(笑…って書いてますけど、照れですので…)。
「お母さん、あのさ、お化けって、ホントにいるのかな?…怖くて寝れないの」
「継美…どうしてこの電話が分かったの?」
そう話す奈緒の部屋の窓には、継美チャンが映っています。 まるですぐそばにいるように。
継美チャンと話すうちに、奈緒は継美チャンが 「(園の冷蔵庫が)めっちゃ巨大」 などと話すのを聞いて、自分の知らない間に成長していく継美チャンを実感します。
無邪気に園の様子や友達の様子などを話し続ける継美チャンでしたが、それがかえって健気さを増幅している気がする。
あのあと起こったいろんなことを話したくてたまらない、という感じの継美チャン。
でも、やはりこみあげてくる感情を、抑えることはできないのです。
「あとね、あとね…。
…お母さん、いつ迎えに来るの?
もう、ロウヤ、出してもらったんでしょ?
継美ね、待ってるよ…」
継美チャンの目から、あふれだす涙。
「何回も電話したよ。
出ないから、間違って覚えてたのかなって思ったけど、合ってたね!
いつ迎えに来る?
ちゃんと寝る前に、お荷物、用意してるの。
…お母さん」
靴を見ながら、見る見る表情が崩れていく、継美チャン。
あーダメだー(笑)。 また来たー(笑)。
「お母さん…
お母さん…
早く迎えに来て…。
継美、待ってるのに…。
ずっと待ってるのに…。
どうして来てくれないの…?
…会いたいよ…。
お母さんに会いたいよ…!」
涙があふれ出す、奈緒。
「継美…! …ごめんね…ごめんね…」
そんな奈緒に、継美チャンはこんなことを言うのです。
「お母さん、…もう一回ゆうかいして…」
誘拐という言葉の罪深さを、継美チャンが知っているとは考えにくい。
継美チャンにとっては、少なくとも誘拐、というのは、いい言葉なのです。
世間やマスコミによって、継美チャンも誘拐という言葉を何回も聞いたことでしょう。
でも継美チャンにとってそもそもの始まりは、奈緒の 「あなたを誘拐する」 という言葉だったのです。
しっかし、またこの回、ラストに 「めっちゃ巨大」 な催涙弾が隠されていました(笑)。
もう、目が腫れぼったいです、正直言って。
番組は次回で最終回らしいですが、予告編は一切なし。
その代わり、「Mother」 DVDボックスのプレゼントの告知。
ゲッ、「めっちゃ」 欲しい(笑)。
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-10-db64.html
「Mother」 第11回(最終回) 現実的な幕引きへの是非
予告させていただいたとおり、ちょっと一部書き足しいたしました。 その結果、またまた長ーい記事に…。 コンパクトにまとめられず、申し訳ありません。
ここ数年体験したことのないような、号泣の衝動にさらされっぱなしだったドラマ、「Mother」。 「おしん」 以来かなぁ(古すぎ…)。
その最終回は、理性的に考えれば、これこそがベスト、と思えるような幕引きでした。
ただ、奈緒(松雪泰子サン)と継美(=道木怜南、芦田愛菜チャン)の、互いを強く求めあう気持ちにやられて大量の涙を絞られてきた立場から、現実的過ぎてもうちょっとお互いが望む方向にしてあげられなかったのか、という意見もあるようです。
エモーショナルな部分でこのドラマを見ると、「優しい気持ち」 を解決できるのは、ふたりが12年後に邂逅することではなく、今すぐにでも一緒に暮らせる、という、法律を含めた社会的なコンセンサスが必要なのではないか、という、まあ言わば 「感情論」 です。
そんな意見の人たちは、なにもドラマにいちゃもんをつけているわけではなく、心が優しいからこそ、ふたりを超法規的に一緒にさせてあげたいと考えるのだろう、と私は思うわけでして。
私にも、そんな気持ちは確かにあります。
継美チャンの二十歳までの12年間というのは、いちばん母親が必要な時期なのではないか、と思うし、母娘にとっては、いちばん大事な時間なのではないか、と考えるからです。
けれどもこのドラマの作り手は、奈緒と葉菜(田中裕子サン)が別れ別れだった 「失われた30年」 を取り戻すことができたことを提示し、未来への希望を表現したのだと思います。
でもやはり、こういう結末を 「ベスト」 だなどと自分に言い聞かせて、無理に納得するしかない、というのにも、何となく自分が冷たくなってしまったのではないか、という後ろめたさがあることも、確かなのです。
そのうえであえて言いますが。
この、紅涙を絞り続けたドラマのエンディングとしては、悲しくて切ないけれども、見終わった後に、前向きに生きていこう、という気持ちになった最高のエンディングだった、と言えるのではないでしょうか。
今回最終回、毎回流れていたドラマタイトルクレジットが、しょっぱなから出てきます。
「Mother」 の真ん中、「t」 の字が抜けた状態から、まるで十字架のように、 「t」 の字が浮き上がってくる、という、アレです。
結果的には、これは奈緒がこのドラマが終わったあとも背負わなければならなくなった十字架、という、重たい意味をもつものになってしまいました。
でも、その十字架を、奈緒は覚悟のうえで、甘んじて背負おうとしている。
奈緒は、その呪縛が解かれる日を、宝箱を開ける楽しみな日として、これからの人生を生きていこうと決心したのです。
最終回冒頭。
先週のラスト、継美チャンの 「ゆうかいして…」 のシーンが流され、いきなりウルウルです(笑)。 「会いたいよ…」 という継美チャンに、奈緒も 「お母さん…会いたいけど…」 と言うと、不意にぶつっと切れてしまう電話。 継美チャン、施設の人に、見つかってしまったのです。
いっぽううっかりさんこと葉菜は、主治医の市川実和子サンから、もってせいぜい2日、3日目は分からない、と言われるほどの末期状態。 水色のなにか、を編んでいます。 「途中で死んだら、あとはあなたが編んで」 などと言う、葉菜の心が哀しい。
この水色。
以前にドラマで言っていたかどうか忘れたのですが、これは継美チャンの、好きな色なんですね。 奈緒が葉菜のために買ってきた、セキセイインコも、水色でした。 継美チャンが以前葉菜にプレゼントしたネックレスも、水色でした。 継美チャンが着ているカーディガンも、水色でしたね。
葉菜は、「人生の最後に見る走馬灯が、今から楽しみなの」 などと不吉なことを言って、奈緒を困惑させる。 その走馬灯に葉菜が見たものは、先週藤吉(山本耕史サン)がつきとめたはずだった、放火事件の真相でした。 「実はこうだった」 という話の先に、「ホントのホントはこうだった」、という話のたたみかけは、まるで同じ坂元サン脚本の 「チェイス」 を見ているようでした。
木更津のおばあちゃんから慰問のお菓子を受け取った継美チャン、そこに2万円が入っているのを見て、なにかうれしそう。 考えることは、だいたい分かりますが(笑)。
いっぽう藤吉は、多田という老人に取材をしています。
あの、葉菜の理髪店の常連だった白髪、白髭の老人です。
どうも、高橋昌也サンだったようですね。 エンドロールを見ながら気づきました。
高橋サンと言えば、私の世代では 「赤いシリーズ」 で、百恵チャンの敵役(だったかな?)。 百恵ファンとしては、あまりいい印象のない役者サンでしたが。
御年80歳、いやー、カクシャクとしていらっしゃる。
その多田という老人、亡き妻の理髪店を葉菜に譲ったなどという話を以前していましたが、もともと葉菜の取り調べをした人だったらしい。
それで。
その理髪店に戻ってきた葉菜の面倒を見ていた奈緒のもとに、まるで幻覚のようなスローモーションで、継美が帰ってくるのです。
うっ…。 また来ましたよ(何がって、アレです、涙です…笑)。
どうやって自分がここまで来たのか、もう話したくて仕方がないという感じで、しゃべり続ける継美チャン。
あまりに急いだせいか、あっちこっちに擦り傷ができています。
「もっと大きなけがをしたら、どうするつもりだったの! もしものことがあったら…」
母親の自覚ゆえに、奈緒は継美チャンをきつく叱ってしまうのですが、継美チャンは叱られて泣き顔になり、「お母さん、継美に会えたの、うれしくないの?」 と問いかけるのです。
「お母さんに、会いたかったのに…」 と泣いてしまう、継美チャン。
奈緒もたまらず、継美チャンを抱きしめます。
いけませんな。 こっちも大泣きです。
昼間から寝ているうっかりさんを見つけ、継美チャンは何かを敏感に感じ取った様子。 「ダジャレ合戦」 を繰り広げながら、不意に黙り込んでしまう、継美チャン(奈緒のひとり負け状態は笑えましたけど)。 「うっかりさんの病気、ホントに治るの?」 と何度も尋ねるのです。
それにしても、藤吉に継美チャンが帰ってきてしまったことを相談し、「あした室蘭に連れて戻るつもりです」 と、ハナから一緒に住むことを諦めているような、奈緒。
見ている側としては、これまで誘拐だの戸籍売買だの、大胆なことをやってきたのに、どうして一緒に住むことに消極的なのだ?と思いがちですが、これは今の法律が悪い、と諦めるしかない、そう感じます。 そう割り切らないと、この先エンディングまで、重苦しい気持ちを抱えながら、このドラマを見終わってしまう気がするのです。
そこにやってきた、鈴原家の人々。
「お正月が来たみたい」 と喜ぶ葉菜、好きな人のことを聞かれてあわてる奈緒、まるでみんな、ずっと前から仲がよかったかのような、幸せな葉菜の最期のひとときが流れて行きます。
鈴原家の人々が帰ったあと、葉菜は継美チャンの髪の毛を切ってあげる、と言い出します。
継美チャンに、私もお母さんに髪を切ってもらった、と話す葉菜。
引き続いて、奈緒の髪の毛も、切ることになるのですが。
もうすぐ亡くなる人が、自分の娘と孫(こっちはほんとうの、ではないですけどね)の髪を切って、旅立っていく。
髪の毛は伸びてしまえばまた切るわけで、葉菜の手入れした髪の毛は、いつか切らなければならないことになる、言わば 「期間限定」 の 「形見」 なわけです。
この切なさ、と言ったら。
奈緒にとって、この次髪を切るときは、まさに胸を締め付けられるほどのつらさがあるのかも知れません。
そのことを考えると、涙を禁じ得ません。
私も母親に、髪を切ってもらったことがある。
そのこと自体が思い出となる日が来るのかと思うと、それだけで泣けてくるのです。
奈緒は葉菜に髪の毛を束ねられながら、「私、継美と離れられるのかな?」 と不安をこぼすのですが、葉菜の答えは、いたってシンプルでした。
「会えたわ。
奈緒と、お母さんだって。
30年かかって、また会えた。
こうして、あの頃のように、あなたの髪を、切ってあげることもできた。
昨日のことのように思い出す。
まるで、あの日も今日も、同じ幸せな一日のように」
「私と継美にも、そんな日が来るのかな?」
「あなたと継美ちゃんは、まだ始まったばかりよ。 これからなのよ。
あなたがあの子に何ができたかは、今じゃ、ないの。
あの子が大人になったときに分かるのよ」
「お母さんと私は…?」
「ずっと一緒にいるわ」
この部分は、このあとの、奈緒から20歳の継美に送った手紙の内容に直接影響を与える、重要な部分な気がします。
髪を束ねる奈緒の仕草に、遠い過去の記憶が揺り起こされていく、奈緒。
「お母さん…あのね…」
「なぁに?」
「お母さんの顔…思い出した…」
ここでもまた、ブァッと涙、です。 これまで、5歳の時に別れた母親の顔を思い出せず、ただしっかりと握られた手の感触だけを覚えていた奈緒。 それが、母親に散髪してもらった遠い日の思い出で、母親の顔を思い出すなんて…。
朝市があるから行ってみない?と提案する葉菜に、継美チャンはラムネも売っているかどうかを気にかけ、ラムネの中のビー玉はどうやって中に入れるのか?という素朴な疑問を葉菜と奈緒に投げかけます。
その夜、眠る際に、「どうやってるのかしら?…ラムネのビー玉。 …どうやって入れてるのかしらね?…」 と、消え入りそうな声で呟きながら、眠りに入っていく、葉菜。
もうすぐ出来上がりそうな水色のバッグを見ながら、奈緒が 「今度はセーター編んであげて」 と言うと、それには答えず、「お休み」 とただ笑ってやり過ごそうとする。 なんかいやーな予感がひしひしと迫ってくるような、ちぐはぐな会話です。
ここでさっき述べた、走馬灯が…。
消防車が通るのを後ろに見ながら、幼い奈緒の手を引く葉菜が、「お母さんのためにしてくれたのね。 でも、忘れなさい。 あなたは何もしてないの。 全部、お母さんがしたの。 分かった? もう、思い出しちゃダメ」 と話しているのです。
つまり、自宅に放火して父親を殺したのは、奈緒だったということになるのでしょうか。
そしてそれが、葉菜のこの世における、最後の記憶…。
翌朝、起きてこない葉菜を、継美チャンがほっぺたツンツンして起こそうとするのですが。
あるじを失った、葉菜のかけていた老眼鏡が、ぽつんと置かれたままになっているところは、さりげなく見事な演出でした。
動かないうっかりさんをじっと見つめる継美チャンに、奈緒は 「室蘭の施設にあなたを送り届ける」 と話をします。
「鳥さんにお水あげよ」 と立ち上がって水を汲んだ継美チャンは、それをわざとみたいにこぼしてしまう。 それをぞうきんでふきながら、あくまで顔を見せずに、継美チャンは悲しそうに、奈緒に訊くのです。
「お母さん…継美のこと、嫌いになった?」
「嫌いになんか、ならないよ」
「面倒くさくなった?」
「違うの」
「じゃあ、…なんでお母さん、やめるの?」
奈緒は継美を後ろから抱き寄せ、「私はあなたのお母さん。 お母さんをやめたりしない」 と語りかけます。
「離れてても、継美のお母さん。 ずっと、継美のお母さん。 そしたら、また会える日が来る。 お母さんが、お母さん(葉菜)に会えたみたいに、いつか会える」
大粒の涙を流しながら、「いつ?」 と訊く、継美チャン。 「大人になったら」 と答える奈緒に、分かんないかもしれないよ?顔も声も変わるよ、気付かないかもしれないよ?とたたみかける継美チャンに、奈緒は毅然として、こう答えるのです。
「お母さんは、かならず継美を見つける」
たまらず振り向いて奈緒に抱きついてしまう、継美チャン。
ああ〜ここで、コマーシャルコールだ!(笑) いいとこぶち壊すな!(失礼、取り乱しました…笑)
思えば、継美チャンが奈緒への強い思慕の思いを克服したのが、この 「必ず見つける」 という、奈緒の力強い言葉だった気がしてなりません。
室蘭に着き、施設近くのバス停で降りた奈緒と継美チャン、手にはうっかりさんが編んでくれた水色のバッグを持っています。 葉菜の遺言通り、奈緒がしっかり仕上げたのでしょう。
友達に見つかり、いったんは中途半端なまま別れてしまう奈緒と継美チャンでしたが、葉菜の亡くなった夜に徹夜して書いた手紙を渡そうと、駆け出す奈緒。
悲しいままじゃ嫌だから、笑ってお別れできるように、もう少し話そうか?と言う奈緒に、継美チャンはかぶりを振ります。
「お母さん、見てて…継美、自分で帰れるから」
半泣きです。
奈緒も半泣きで、「そうだね…でも…お母さん、見えるかな? ちゃんと見えるかな?」
「悲しいの?」
「ううん…うれしいの。 …うれしくても泣くことがある…」
「じゃあさじゃあさお母さん、好きなものの話をするんだよ。 好きなものの話をすると、楽しくなるの」
そしてふたりは、互いに好きなものの話をしながら、近づいていきます。
「夜のプール」
「傘お化け」
「8月31日」
「電車の中で眠っている人」
「キリンの…キリンは、牛の種類ってとこ」
「そうなの?」
「うん」
「ふたりで一個の傘さすこと」
「靴箱からはみ出している長靴」
「台風の、ゴォーッ!って音」
「朝の光」
「お母さんのまゆ毛」
「継美の歩きかた」
「お母さんが洗濯物干してるところ」
「継美がそわそわしているところ」
「お母さんの声」
「継美の字…継美…」
「…お母さん…」
内容がだんだんお互いのことになっていくのが、また泣けます。
そして 「継美が20歳になったら読んで」 と、奈緒は継美チャンに、鳥の羽根のシールが貼ってある、一通の手紙を渡すのです。
最後に奈緒に向かって満面の笑みを見せ、振り返って施設に向かって歩き出す、継美チャン。
大きな鳥かごを抱え、ぴょこたんぴょこたんと、奈緒がさっき好きなものにあげていた、独特の歩きかたで、一度も振り返らず、だんだん小さくなっていき、奈緒の視界から消えていきます。
胸が締め付けられるような、別れのシーンでした。
最後に、奈緒の手紙の内容が読み上げられます。
「継美へ。
あなたは今、『怜南』 と名乗っていることと思います。
だけど今は、あえて 『継美』 と呼ばせてください。
この手紙は、12年後のあなたに書く手紙です。
二十歳になったあなたに宛て、書いている手紙です。
いつか大人へと成長したあなたが読んでくれることを願って。
継美。
うっかりさんを覚えていますか?
私の母であり、
あなたとの旅の途中で再会した、望月葉菜さんのこと。
あのときあなたの母になろうとしなければ、きっと私も、母に出会うことはなかったと思います。
あなたの母になったから、私も、最後の最後に、母を愛することができた。
不思議な運命を感じています。
あなたは知っていますか?
渡り鳥が、どうして迷わずに目的地にたどり着けるのか。
例えば鳥たちは、星座を道しるべにするのです。
北極星を中心とした、大熊座、小熊座、カシオペア座。
星々を頼りにして、鳥たちは北を目指すのです。
鳥たちはそれを、ヒナの頃に覚えるのです。
ヒナの頃に見た星の位置が、鳥たちの生きる上での、道しるべとなるのです。
私は明日、あなたに別れを告げます。
あなたを連れて、室蘭に向かいます。
会うことを許されない私たち。
母と娘を名乗ることのできない私たち。
それでも私は信じています。
いつかまた、私たちが再び出会えることを。
いつかまた、手を取り合う日が来ることを。
私と母が、30年の時を経て出会ったように、幼いころに手をとり合って歩いた思い出があれば、それはいつか道しるべとなって、私たちを導き、巡り合う。
二十歳になった継美。
あなたは今、どんな女性になっているでしょう。
どんな大人になっているでしょう。
出会ったころの104センチのあなたは今、流行りの服を着て、小さな16.5センチの靴を履いていたあなたは今、少しかかとの高い靴を履いて、私の前に歩み寄ってくる。
すれ違うそのとき、私は、なんて声をかけよう。
向かい合って、あなたと何を話そう。
何から聞こう。
私が分かりますか?
身長はいくつですか?
恋をしましたか?
親友はいますか?
今でも、水色は好き?
シイタケは苦手?
逆上がりは、まだできますか?
クリームソーダは好きですか?
もしよかったら、また一緒に飲みませんか?
継美、元気ですか?
二十歳のあなたに出会うことを思うと、今から胸が高鳴り、ひとり、笑みがこぼれてしまいます。
あなたとの明日を、笑顔で待っています。
あなたに出会えてよかった。
あなたの母になれてよかった。
あなたと過ごした季節。
あなたの母であった季節。
それが私にとって今のすべてであり、そしてあなたと再びいつか出会う季節。
それは私にとって、これから開ける、宝箱なのです。
愛しています。 母より
追伸 クリームソーダは、飲み物ですよ――」
このバックに、藤吉がこの事件の取材した原稿をゴミ箱に投げ入れるところ、鈴原芽衣(酒井若菜サン)が元婚約者(音尾琢真サン…「龍馬伝」 で、亀弥太やってましたね)と復縁するところなどを流し、見ている側はなんとなく、心が満たされていくのを感じます。
ラストに、12年後に再び出会うふたりの様子が、サービスカットのように入るのですが、このラストを、よかったねと感じるのか、その子が成人しなければ判断することができない法律とは何なのだと考えるのか、なかなか難しいところではあります。
私の場合は見終わってからずっと、切なさみたいなものが心を支配しています。
このドラマが終わってしまった寂しさ、とも考えられるのですが、どうも違うみたいです。
継美チャンがこれから母親のいないことに、どういう形であれ、耐えていかなければならないことに、心が痛むのです。
継美チャンはこの先、「怜南」 という、自分にとっては 「天国に行ってしまった」 女の子の名前を名乗らなければいけないんですよね。
「八日目の蝉」 の薫チャン(小林星蘭チャン)にしてもそうだったのですが、「恵理菜」 という本来の名前は、自分を表すための最適な名前ではありませんでした。 恵理菜を演じた北乃きいチャンは、その満たされなさを抱えながら、その後の人生を送っていくわけですが、継美チャンにも同じ心の飢えが襲われないとも限らない。
継美チャンは幼いながらも、自分の名前を失われ、母親も失われた形で、これから生き続けなければならないのです。 未来への希望を持ちながらも。
松雪サンや田中サン、これ以上ないという最高の演技を見せてくれたのですが、それ以上に継美チャンを演じた芦田愛菜チャン、「こんな娘がいたらなあ」 と思うくらい、つくづく健気な女の子でした。
いずれにせよ、最高級のドラマを楽しめた、という満足感だけは、如実に存在しています。 上質な余韻が、今も残り続けている。 今年前半期では、間違いなくナンバーワンですね!
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-11-b8b8.html
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