6. 2020年5月03日 05:25:05 : ISw2X8iTps : RFI5OGR2ODdoVjI=[1]
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77名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 05:34:42.98ID:pG20RoCJ
ワルターは遅いテンポではもたないんだな:
walter は中身が無いからテンポが遅いととても聴けない
Wallter & ColumbiaSO (1958) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=orBUu5_LIxw
Walter は中身が無いからテンポがこの程度でないと聴けない
L.V.Beethoven Symphony#3 "Eroica" (B.Walter Symphony of The Air)(1957) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=B77H74A6GJQ
Knappertsbusch は中身が有るからテンポが遅くても聴ける
Beethoven Symphony No.3 in E-flat major"Eroica"(Knappertsbusch 1953) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=A0lgSk8AB74
Beethoven "Symphony No 3" Hans Knappertsbusch - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=zaPCRcrwTqM
78名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 05:39:47.86ID:pG20RoCJ
ワルターは遅いテンポではもたないんだな:
Walter は中身が無いからテンポがこの程度でないと聴けない
Brahms Symphony No.3 in F major Op.90(Walter VPO 1936) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AdBi28ivW0A
Knappertsbusch は中身が有るからテンポが遅くても聴ける
Brahms "Symhony No 3" Hans Knappertsbusch - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=B3T52RpnIkI
79名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 05:48:00.89ID:pG20RoCJ
ワルターは遅いテンポではもたないんだな:
Walter は中身が無いからテンポがこんなに遅いととても聴けない
Wagner: Siegfried Idyll, Walter & ColumbiaSO (1959) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=mZmOCh-7cKk
Walter は中身が無いからテンポがこの程度でないと聴けない
Bruno Walter "Siegfried Idyll" Richard Wagner - YouTube
Wiener Philharmoniker Bruno Walter, conductor Wien 1935
https://www.youtube.com/watch?v=Teu4luePVvs
Knappertsbusch は中身が有るからテンポが遅くても聴ける
Wagner: Siegfried Idyll, Knappertsbusch & MPhil (1962) - YouTube
ハンス・クナッパーツブッシュ ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団:1962年11月 ミュンヘン
https://www.youtube.com/watch?v=uJaVLmPNdCs
ジークフリート牧歌(ワーグナー) - YouTube
1963年05月21日 アン・デァ・ウィーン劇場
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
https://www.youtube.com/watch?v=1bekGONWuTA
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html#c68
安倍晋三を独裁者であるかのように言う人がいるが、強力な私的権力に操られているだけのこと。そうした権力の戦略に逆らうことは許されない。鳩山由紀夫は無様に総理大臣の座から引きずり下ろされたが、これは総理大臣の実態を示したものだと言えるだろう。選挙で勝つだけではシステムを変えることができないことを示している。
アメリカでは選挙で選ばれる大統領が国のトップだと考えられているようだが、その大統領の任期は2回までに限られ、その周辺にはさまざまな権力集団の代理人が配置されている。大統領の力は制限されているのだ。許された以上の力を行使しようとした場合、ジョン・F・ケネディのような運命が待つと考える人もいる。日本の総理大臣がアメリカの大統領より力があるとは考えられない。
日本の近代は明治維新から始まると言えるだろうが、その際、徳川体制を倒す上で重要な役割を果たしたのはジャーディン・マセソンのようなアヘン戦争で儲けたイギリスの会社。麻薬が主要商品のひとつだ。金融もイギリスに握られた。
歴史小説に登場するトーマス・グラバーはジャーディン・マセソンのエージェント。グラバーは長崎を拠点にしたが、この会社は横浜にも代理人を送り込んでいる。ウィリアム・ケズウィックだ。この人物の母方の祖母は同社を創設者のひとりであるウィリアム・ジャーディンの姉。つまりグラバーより大物だった。
明治政府は1871年7月に廃藩置県を実施するが、その翌年に琉球国を潰している。最初から琉球を日本領にしたかったなら琉球藩を設置してから廃藩置県だろうが、順番は逆。廃藩置県の後、琉球が日本領であるように見える体裁を整える必要に迫られたのだろう。
その理由として考えられるのは、台湾へ派兵する口実作り。1871年10月に宮古島の漁民が台湾に漂着、その一部が殺されたとして日本政府は清に抗議して被害者に対する賠償や謝罪を要求、74年に軍隊を台湾に送り込んでいる。
以前にも書いたことだが、琉球国が潰された1872年に厦門のアメリカ領事だったチャールズ・リ・ジェンダーが訪日、外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を勧めたという。
台湾へ派兵した翌年、今度は李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ明治政府は軍艦を派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功した。リ・ジェンダーは外務省の顧問を辞めた後も日本に滞在、大隈重信に助言するなどしていたようだ。離日したのは1890年。
1894年には日清戦争が勃発、1902年に日本はイギリスと同盟協約を締結、1904年に仁川沖と旅順港を奇襲攻撃して日露戦争が始まる。日本に戦費を用立てたのはロスチャイルド系のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフだ。日本に対して約2億ドルを融資、その際に日銀副総裁だった高橋是清はシッフと親しくなっている。
1923年に起こった関東大震災で多額の資金が必要になった日本はJPモルガンに調達を頼り、その大きな影響を受けることになった。歴史的にJPモルガンはロスチャイルドのアメリカにおける仕事の拠点として設立されているので、基本的な支配構造に変化はないと言える。
そのJPモルガンが1932年にアメリカ大使として日本へ送り込んできたジョセフ・グルーのいとこがJPモルガンの総帥、ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア。グルーは日本の皇室にも太いネットワークを持っていた。
1933年にアメリカではウォール街と対立していたニューディール派の政権が誕生、その直後から34年にかけてJPモルガンを中心にする勢力がクーデターの準備を進めたが、この計画はスメドリー・バトラー海兵隊少将によって阻止された。
その時にバトラーからの情報に基づいてジャーナリストのポール・コムリー・フレンチがクーデター派を取材、ニューディール派を排除してファシズム体制を樹立するという話を聞いたという。
グルーは第2次世界大戦後、日本の行方を定めたジャパンロビーで中心的な役割を果たすが、その背景にはウォール街の大物がいた。つまり日本の支配構造は大戦の前も後も基本的に変化していない。天皇制官僚システムだが、その上にはウォール街やシティが存在した。
アメリカでは1970年代からネオコンと呼ばれるようになるシオニストの一派、ネオコンが台頭してくる。彼らはアメリカの軍や情報機関の内部にネットワークを張り巡らせていた好戦的な人脈と手を組む。
そうした中、アメリカでは増殖炉の計画が始まる。ジミー・カーター政権では基礎的な研究計画を除いて中止になるが、ロナルド・レーガン政権が始まると計画は復活する。
1987年に議会は予算を打ち切るが、そこで登場してくるのが日本。ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、資金を提供する代償として技術を日本の電力会社へ提供することになり、その計画に国務省やエネルギー省は賛成したという。
核武装した日本はアジアにおけるアメリカの軍事負担は軽減されるという考えた国防総省もプルトニウムや核に関する技術の日本への移転に国防総省も強くは反対しなかったともしている。そうした流れの中、RETF(リサイクル機器試験施設)の建設は決まり、2011年の段階で日本は約70トンの核兵器級プルトニウムを蓄積していたとトレントは主張している。
日本はネオコンの影響を強く受けてきた。ネオコンとはシオニスト、つまり親イスラエル派。そのイスラエルの会社マグナBSPが東電福島第1原発の警備を担当していたのは偶然だろうか?
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202005020000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/743.html#c7
日本の近代は明治維新から始まると言えるだろうが、その際、徳川体制を倒す上で重要な役割を果たしたのはジャーディン・マセソンのようなアヘン戦争で儲けたイギリスの会社。麻薬が主要商品のひとつだ。金融もイギリスに握られた。
歴史小説に登場するトーマス・グラバーはジャーディン・マセソンのエージェント。グラバーは長崎を拠点にしたが、この会社は横浜にも代理人を送り込んでいる。ウィリアム・ケズウィックだ。この人物の母方の祖母は同社を創設者のひとりであるウィリアム・ジャーディンの姉。つまりグラバーより大物だった。
琉球国が潰された1872年に厦門のアメリカ領事だったチャールズ・リ・ジェンダーが訪日、外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を勧めたという。
台湾へ派兵した翌年、今度は李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ明治政府は軍艦を派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功した。リ・ジェンダーは外務省の顧問を辞めた後も日本に滞在、大隈重信に助言するなどしていたようだ。離日したのは1890年。
1894年には日清戦争が勃発、1902年に日本はイギリスと同盟協約を締結、1904年に仁川沖と旅順港を奇襲攻撃して日露戦争が始まる。日本に戦費を用立てたのはロスチャイルド系のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフだ。日本に対して約2億ドルを融資、その際に日銀副総裁だった高橋是清はシッフと親しくなっている。 1923年に起こった関東大震災で多額の資金が必要になった日本はJPモルガンに調達を頼り、その大きな影響を受けることになった。歴史的にJPモルガンはロスチャイルドのアメリカにおける仕事の拠点として設立されているので、基本的な支配構造に変化はないと言える。
そのJPモルガンが1932年にアメリカ大使として日本へ送り込んできたジョセフ・グルーのいとこがJPモルガンの総帥、ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア。グルーは日本の皇室にも太いネットワークを持っていた。
1933年にアメリカではウォール街と対立していたニューディール派の政権が誕生、その直後から34年にかけてJPモルガンを中心にする勢力がクーデターの準備を進めたが、この計画はスメドリー・バトラー海兵隊少将によって阻止された。
その時にバトラーからの情報に基づいてジャーナリストのポール・コムリー・フレンチがクーデター派を取材、ニューディール派を排除してファシズム体制を樹立するという話を聞いたという。
グルーは第2次世界大戦後、日本の行方を定めたジャパンロビーで中心的な役割を果たすが、その背景にはウォール街の大物がいた。つまり日本の支配構造は大戦の前も後も基本的に変化していない。天皇制官僚システムだが、その上にはウォール街やシティが存在した。
アメリカでは1970年代からネオコンと呼ばれるようになるシオニストの一派、ネオコンが台頭してくる。彼らはアメリカの軍や情報機関の内部にネットワークを張り巡らせていた好戦的な人脈と手を組む。
そうした中、アメリカでは増殖炉の計画が始まる。ジミー・カーター政権では基礎的な研究計画を除いて中止になるが、ロナルド・レーガン政権が始まると計画は復活する。
1987年に議会は予算を打ち切るが、そこで登場してくるのが日本。ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、資金を提供する代償として技術を日本の電力会社へ提供することになり、その計画に国務省やエネルギー省は賛成したという。
核武装した日本はアジアにおけるアメリカの軍事負担は軽減されるという考えた国防総省もプルトニウムや核に関する技術の日本への移転に国防総省も強くは反対しなかったともしている。そうした流れの中、RETF(リサイクル機器試験施設)の建設は決まり、2011年の段階で日本は約70トンの核兵器級プルトニウムを蓄積していたとトレントは主張している。
日本はネオコンの影響を強く受けてきた。ネオコンとはシオニスト、つまり親イスラエル派。そのイスラエルの会社マグナBSPが東電福島第1原発の警備を担当していたのは偶然だろうか?https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202005020000/
プーチンとトランプと安倍は反グローバリストだとか言ってるアホがいますが、
ジェイ・ロックフェラー、ソロス、CIA、キッシンジャー、オバマ、ヒラリー・クリントンは親中派グローバリスト
トランプは反中派グローバリスト
で、天皇、自民党、安部晋三、小沢一郎と日本の官僚は親中派グローバリストという事ですね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/606.html#c1
ワルターは遅いテンポではもたないんだな:
Walter は中身が無いからテンポがこの程度でないと聴けない
Lotte Lehmann - Lauritz Melchior - Emanuel List -Die Walkure acte 1 Walter 1935 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=McL9XgzhkPo
Knappertsbusch は中身が有るからテンポが遅くても聴ける
Wagner "Die Walkure (Act I)" Hans Knappertsbusch - YouTube
Wiener Philharmoniker 28.& 30.IX.1957
https://www.youtube.com/watch?v=Jq-4hl58oTE
Hans Knappertsbusch & Wiener Philharmoniker - Sonderkonzert of 1963 Wiener Festwochen (2nd Half) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dCVYbLzMER8
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html#c69
今のところ真空管アンプを複数持っているので取り立てて購入するつもりはないものの、それでも万一「掘り出し物」があればと日頃からネットオークションを怠りなくチェックしている。
とりわけ「300Bアンプ」については、それなりに敬意を払って注視しているが、今回はたまたま同時期に出品された3台のアンプを俎上に上げてみよう。
以下はあくまでも個人的な意見なので、差し障りがある方はどうか軽く受け流してくださいね(笑)。
✰ AIR TIGHT ATM−300 Anniversary//30周年記念限定モデル
「AIR TIGHT」というブランドは使ったことがないが、すぐに故障するとか音が悪いとかの評判はこれまで一度も聞いたことがないのでおそらく堅実なメーカーさんなのだろう。
このアンプは2016年モデルで当時の販売価格は88万円、使用時間は1時間程度とのことでほぼ新品同様。
そして、肝心の落札価格はといえば「78万円」だった。
出力管が純正の「WE300B」ではないこと、前段管にミニチュア管を使っていることなどを照らし合わせると、はっきり申し上げてこのお値段なら購入しない。
プリアンプならいざ知らず、パワーアンプにミニチュア管を使っているといかにも貧相な音が出てきそうでイメージ的に拒否反応が起きてしまう(笑)。
✰ カンノ製作所 メインアンプ 300B−MN 2台
真空管アンプ愛好家の間で定評のある「カンノ」製の300Bアンプで、しかもモノラル形式の2台だし、出力管は純正のWE300B(1988年製)とくればどこまでお値段が上がるのかと期待(?)していたら落札額「895,000円」というカンノ製にしては常識的な価格に落ち着いた。
カンノ製のトランスは有名だしこれまでにもたびたび他家で聴かせてもらっているが、どうも相性が良くないようで「飛びつきたくなるほど欲しい」という気になったことは一度もない。
ごめんなさい、自分の耳が悪いんです(笑)。
それに今回のアンプは前段管に「6SN7」というミニチュア管に毛の生えたような球を使っていることにも賛同できなかった。芸が無いというのか、とてもWE300Bに相応しい球とは思えそうにないのがその理由。
このお値段であれば自分なら、さらさら購入する気にならない(笑)。
最後は、
✰ 新藤ラボラトリー SHINDO LABORATORY/Western Electric 300B SINGLE 真空管モノラルパワーアンプペア
定評のある「新藤ラボ」のWE300Bシングルアンプ(モノ×2台)とくれば、おそらく100万円は軽いだろうと値踏みしていたところ、結果は「111万T千円」という線に落ち着いた。
市販の数あるWE300Bアンプの中では頂点に位置するアンプだと思っているのでそれ以上行ってもおかしくはない。
球の構成は前段管に「WE310Aを2本」「出力管はWE300B」「整流管はシルヴァニアの274B」と、いかにも王道スタイル。
ただし、有識者によるとこの「310A」という球をうまく使いこなせる達人ともなると国内でもごく少数に限られるという話である。
また、出力トランスは定かではないが名門「TRIAD」という噂で、これだけ素材がそろえばさぞかし「いい音」が出ることだろう。
お値段相応かどうか、一度は聴いてみたいですね(笑)。
以上3台の「300Bアンプ」だったが、気になったのはいずれも「インターステージトランス」についての(オークションでの)解説が無かったこと。
「300Bアンプはインターステージトランスに何を使っているかで決まる」とさえ言われているのにこの有り様。
最後に、各アンプの高いか安いかの価値判断はそれぞれのご自由にお任せするとして、もしそのくらいの金額が準備できるのであれば自分なら使用する球やトランス類を指定して信頼のおける方に特注し、作ってもらうのが一番賢いやり方ではないかと思っている。
例えて言えば「建売住宅」と「注文住宅」の違いといえばいいのだろうか(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/e67f3130a06f5d6e64838ca4d467a73a
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/134.html#c14
今のところ真空管アンプを複数持っているので取り立てて購入するつもりはないものの、それでも万一「掘り出し物」があればと日頃からネットオークションを怠りなくチェックしている。
とりわけ「300Bアンプ」については、それなりに敬意を払って注視しているが、今回はたまたま同時期に出品された3台のアンプを俎上に上げてみよう。
以下はあくまでも個人的な意見なので、差し障りがある方はどうか軽く受け流してくださいね(笑)。
✰ AIR TIGHT ATM−300 Anniversary//30周年記念限定モデル
「AIR TIGHT」というブランドは使ったことがないが、すぐに故障するとか音が悪いとかの評判はこれまで一度も聞いたことがないのでおそらく堅実なメーカーさんなのだろう。
このアンプは2016年モデルで当時の販売価格は88万円、使用時間は1時間程度とのことでほぼ新品同様。
そして、肝心の落札価格はといえば「78万円」だった。
出力管が純正の「WE300B」ではないこと、前段管にミニチュア管を使っていることなどを照らし合わせると、はっきり申し上げてこのお値段なら購入しない。
プリアンプならいざ知らず、パワーアンプにミニチュア管を使っているといかにも貧相な音が出てきそうでイメージ的に拒否反応が起きてしまう(笑)。
✰ カンノ製作所 メインアンプ 300B−MN 2台
真空管アンプ愛好家の間で定評のある「カンノ」製の300Bアンプで、しかもモノラル形式の2台だし、出力管は純正のWE300B(1988年製)とくればどこまでお値段が上がるのかと期待(?)していたら落札額「895,000円」というカンノ製にしては常識的な価格に落ち着いた。
カンノ製のトランスは有名だしこれまでにもたびたび他家で聴かせてもらっているが、どうも相性が良くないようで「飛びつきたくなるほど欲しい」という気になったことは一度もない。
ごめんなさい、自分の耳が悪いんです(笑)。
それに今回のアンプは前段管に「6SN7」というミニチュア管に毛の生えたような球を使っていることにも賛同できなかった。芸が無いというのか、とてもWE300Bに相応しい球とは思えそうにないのがその理由。
このお値段であれば自分なら、さらさら購入する気にならない(笑)。
最後は、
✰ 新藤ラボラトリー SHINDO LABORATORY/Western Electric 300B SINGLE 真空管モノラルパワーアンプペア
定評のある「新藤ラボ」のWE300Bシングルアンプ(モノ×2台)とくれば、おそらく100万円は軽いだろうと値踏みしていたところ、結果は「111万T千円」という線に落ち着いた。
市販の数あるWE300Bアンプの中では頂点に位置するアンプだと思っているのでそれ以上行ってもおかしくはない。
球の構成は前段管に「WE310Aを2本」「出力管はWE300B」「整流管はシルヴァニアの274B」と、いかにも王道スタイル。
ただし、有識者によるとこの「310A」という球をうまく使いこなせる達人ともなると国内でもごく少数に限られるという話である。
また、出力トランスは定かではないが名門「TRIAD」という噂で、これだけ素材がそろえばさぞかし「いい音」が出ることだろう。
お値段相応かどうか、一度は聴いてみたいですね(笑)。
以上3台の「300Bアンプ」だったが、気になったのはいずれも「インターステージトランス」についての(オークションでの)解説が無かったこと。
「300Bアンプはインターステージトランスに何を使っているかで決まる」とさえ言われているのにこの有り様。
最後に、各アンプの高いか安いかの価値判断はそれぞれのご自由にお任せするとして、もしそのくらいの金額が準備できるのであれば自分なら使用する球やトランス類を指定して信頼のおける方に特注し、作ってもらうのが一番賢いやり方ではないかと思っている。
例えて言えば「建売住宅」と「注文住宅」の違いといえばいいのだろうか(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/e67f3130a06f5d6e64838ca4d467a73a
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/109.html#c6
今のところ真空管アンプを複数持っているので取り立てて購入するつもりはないものの、それでも万一「掘り出し物」があればと日頃からネットオークションを怠りなくチェックしている。
とりわけ「300Bアンプ」については、それなりに敬意を払って注視しているが、今回はたまたま同時期に出品された3台のアンプを俎上に上げてみよう。
以下はあくまでも個人的な意見なので、差し障りがある方はどうか軽く受け流してくださいね(笑)。
✰ AIR TIGHT ATM−300 Anniversary//30周年記念限定モデル
「AIR TIGHT」というブランドは使ったことがないが、すぐに故障するとか音が悪いとかの評判はこれまで一度も聞いたことがないのでおそらく堅実なメーカーさんなのだろう。
このアンプは2016年モデルで当時の販売価格は88万円、使用時間は1時間程度とのことでほぼ新品同様。
そして、肝心の落札価格はといえば「78万円」だった。
出力管が純正の「WE300B」ではないこと、前段管にミニチュア管を使っていることなどを照らし合わせると、はっきり申し上げてこのお値段なら購入しない。
プリアンプならいざ知らず、パワーアンプにミニチュア管を使っているといかにも貧相な音が出てきそうでイメージ的に拒否反応が起きてしまう(笑)。
✰ カンノ製作所 メインアンプ 300B−MN 2台
真空管アンプ愛好家の間で定評のある「カンノ」製の300Bアンプで、しかもモノラル形式の2台だし、出力管は純正のWE300B(1988年製)とくればどこまでお値段が上がるのかと期待(?)していたら落札額「895,000円」というカンノ製にしては常識的な価格に落ち着いた。
カンノ製のトランスは有名だしこれまでにもたびたび他家で聴かせてもらっているが、どうも相性が良くないようで「飛びつきたくなるほど欲しい」という気になったことは一度もない。
ごめんなさい、自分の耳が悪いんです(笑)。
それに今回のアンプは前段管に「6SN7」というミニチュア管に毛の生えたような球を使っていることにも賛同できなかった。芸が無いというのか、とてもWE300Bに相応しい球とは思えそうにないのがその理由。
このお値段であれば自分なら、さらさら購入する気にならない(笑)。
最後は、
✰ 新藤ラボラトリー SHINDO LABORATORY/Western Electric 300B SINGLE 真空管モノラルパワーアンプペア
定評のある「新藤ラボ」のWE300Bシングルアンプ(モノ×2台)とくれば、おそらく100万円は軽いだろうと値踏みしていたところ、結果は「111万T千円」という線に落ち着いた。
市販の数あるWE300Bアンプの中では頂点に位置するアンプだと思っているのでそれ以上行ってもおかしくはない。
球の構成は前段管に「WE310Aを2本」「出力管はWE300B」「整流管はシルヴァニアの274B」と、いかにも王道スタイル。
ただし、有識者によるとこの「310A」という球をうまく使いこなせる達人ともなると国内でもごく少数に限られるという話である。
また、出力トランスは定かではないが名門「TRIAD」という噂で、これだけ素材がそろえばさぞかし「いい音」が出ることだろう。
お値段相応かどうか、一度は聴いてみたいですね(笑)。
以上3台の「300Bアンプ」だったが、気になったのはいずれも「インターステージトランス」についての(オークションでの)解説が無かったこと。
「300Bアンプはインターステージトランスに何を使っているかで決まる」とさえ言われているのにこの有り様。
最後に、各アンプの高いか安いかの価値判断はそれぞれのご自由にお任せするとして、もしそのくらいの金額が準備できるのであれば自分なら使用する球やトランス類を指定して信頼のおける方に特注し、作ってもらうのが一番賢いやり方ではないかと思っている。
例えて言えば「建売住宅」と「注文住宅」の違いといえばいいのだろうか(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/e67f3130a06f5d6e64838ca4d467a73a
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/111.html#c3
ここでは地図やリンクを使って、バルトークの生活が「見える」ようにしてみました。写真は村上泰裕が2013年8月に撮影。
1940年 新天地への第一歩
フォレストヒルズのアパート
4月〜5月18日、2度めの訪米(演奏会、講義、亡命の下調べ。シゲティ、グッドマンとの《コントラスツ》の録音はこの時)。
===========
10月8日、ブダペスト音楽院大ホールでお別れ演奏会。
10月12日、ディッタとチャラーン通りの家を後にする。列車利用。ベーラJr.は家族と共にハンガリーに残る。ペーテルは全寮制の高校に卒業まで在学する予定。
10月19日、ポルトガルのリスボンに到着。4個のトランクのうち2個を紛失し、失望。
10月20日、エクスカリバー号でリスボンを出航。
10月30日、ニューヨーク着、エルネー・バローが出迎え。しばらくマンハッタン西57丁目のザ・バッキンガム・ホテル(現ザ・クイン)に滞在。
11月3日、ニューヨークのタウンホールで演奏会。衣装は紛失したトランクに入っていたので借り物でしのぐ。妻とピアノデュオで演奏旅行開始
11月25日、コロンビア大学から博士号を受ける。
12月8日、フォレストヒルズの新築アパート(現ニューハンプシャー・アパート)に落ち着く。夫妻の部屋はクイーンズ大通り(ブールヴァード)に面した6階。大通りからの車の騒音に加え、その下を走る「壁を揺らすような地下鉄の轟音が5分おきに聞こえた。」下の階の住人から料理の音がうるさいと抗議を受ける。
12月、リスボンでトランクが発見されるが、米国への発送が滞る。
《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》を《協奏曲》に改作。
Google:フォレストヒルズのアパート。110-31, 73rd Road, Forest Hills, Queens, NY
アパートの入口は建物の東側。すぐ東側に地下鉄75丁目&クイーンズ通り駅。マンハッタンまで30分ほどだが、コロンビア大学には乗り換えが必要。
1941年 新たな生活への適応
リヴァーデイルの家
[住居は引き続きフォレストヒルズのアパート]
1月12日、トランクがリスボンから未発送の件で、イギリスのレイフ・ホークスに電報で援助を求める。
2〜3月、ディッタとのピアノデュオ演奏旅行。
3月、コロンビア大学での勤務開始。ミルマン・パリーが残した民謡録音の整理。3〜8月で1,500ドルの報酬。地下鉄の乗り換えが苦痛。
4月、リヴァーデイルの物件情報を知る。
5月1日、リヴァーデイルの家の2階に転居。1階はイタリア人家主、3階は空き室。月75ドル。地下鉄の乗り換えなしにコロンビア大学に通勤可能。ブダペストの家に似た雰囲気で、フォレストヒルズよりずっと満足。ガスレンジ、冷蔵庫、ボールドウィンのピアノあり。家財はフリーマーケットで購入。通りでは子どもたちが元気に遊んでいる。
7月26日〜9月4日、ディッタと共にヴァーモント州リヴァートンのアガサ・ファセットの別荘で過ごす(関連映像)。この別荘の建物は現存しない。この別荘でディッタは何度か過ごしたが、バルトークはこの1回限りだった。リヴァートンでアガサから2匹のネコをもらい、連れて帰る。
9月、コロンビア大学の契約が半年延長。9月〜2月で1,500ドルの報酬。
冬、発熱が始まる。
12月、《組曲第2番》を2台ピアノ用に編曲する。
12月26日、ペーテルがブダペストを出発する。
Google:リヴァーデイルの家。3242 Cambridge Avenue, Bronx, NY
ブロンクス区リヴァーデイル地区。家はケンブリッジ通りに面している。ストリートビューでは街路樹に隠れがち。家から南側のユーウェン公園(『父・バルトーク』にイーウェン公園と書きましたが、その後現地で正しい発音を教えてもらいました)内の坂道を下り、231丁目を東に進むと、徒歩10分ほどで地下鉄231丁目駅に着く(ストリートビューで辿るとおもしろい。公園内は通れないので外周を迂回します)。
同じケンブリッジ通りで少年時代を過ごした指揮者デイヴィド・ジンマンは、近所の変な音がする家に石を投げ、後日それがバルトークの家だったと知って後悔しているとインタビューで振り返る。
Google:コロンビア大学の職場。420 West 118th Strreet, NY
1941〜43年にバルトークが勤務したレンガ作りの建物は、1960年代に新校舎建設のために取り壊された。現在、その場所(マーカー右)は国際関係・行政大学院(School of International and Public Affairs)になっている。
バルトークが1940年11月に名誉博士号を受けたのは、大学のシンボルマークとなっているローマ風のドーム型建築物ロウ・ライブラリー。大学西門をブロードウェイに出ると、通勤に利用した地下鉄の116丁目コロンビア大学駅がある。
1942年 体調不良の始まり
ペーテルと再会した231丁目駅
[引き続きリヴァーデイルの家]
新年早々のインフルエンザ(?)以降、微熱が続く。
3月、シカゴでデュオ演奏会。不評。コロンビア大学の契約が半年延長、3月〜8月で1,500ドル。教え子に「経験のしたことがない惨めな状況がまもなく」と書く。
4月1日以降、毎朝発熱(37度8分ほど)がある。
4月、ペーテルがブダペストから4ヶ月かけてニューヨークに到着し、231丁目駅を出た時に父と再会する。
6月、ボールドウィン社が貸与ピアノを引き上げる。
7月、ペーテルがマサチューセッツ州コンコードの養鶏場で体験労働を開始。
9月、飼っていた2匹のネコとの別れ。コロンビア大学の契約が12月末まで延長される。
10月、研究書『ルーマニア民謡全集』が完成。
冬、発熱が深刻になり、ペーテルが電気ヒーターを自作して部屋を暖める。
1943年 闘病と作曲家しての再起
セイジマン・コテージ
[引き続きリヴァーデイルの家]
1月1日、コロンビア大学から解雇通告
1月21、22日、ニューヨークフィルと共演。ライナー指揮、カーネギーホール。ディッタと共に《2台ピアノと打楽器のための協奏曲》の米国初演。初日、途中で即興を始め、演奏を混乱させる。翌日は楽譜通りに演奏。これらが最後の演奏会となった。
2月、ハーヴァード大学で連続講義を開始。大学があるケンブリッジ市まで片道5時間の列車通勤で疲労困憊。半年間の予定を3回で断念。
5月、ASCAPが医療を提供し始め、ドクターズ病院に再入院。結核の仮診断で退院(白血病と判明?)、ASCAPは転地療養を勧める
6月、研究書『トルコ民謡集』の原稿を完成する。
7月、レコーディングを制限していた音楽家ユニオンを退会するが、体調が悪くレコーディングはすでに困難。リヴァーデイルの家を契約解除、荷物は貸倉庫に預ける。
ASCAPの費用で保養地サラナクレイクのセイジマン・コテージに滞在。結核患者と共に検査や看護を受けながら生活。
7月31日、ペーテル19歳の誕生日。メッセージ「神はもう世界から手を引いた」。
8月15日、《管弦楽のための協奏曲》の作曲を開始。意欲的に創作を進める。
Google:セイジマン・コテージ。32(現60) Park Avenue, Saranac Lake, NY
サラナクレイクはニューヨーク市の北部、アディロンダック山脈にある村。大小の湖沼に囲まれ、フラワー湖畔に町がある。家並みはヨーローパ風。20世紀の初め頃から結核の療養施設が多く建てられた。
セイジマン・コテージは村の中心街から北に歩いて10分ほどの高台。バルトークの部屋は玄関の右側の部屋で過ごした。現在はアパート。
10月11日、ニューヨークでの滞在先が二転三転して決まり、サラナクレイクを後にする。
10月12日、ASCAPの費用でニューヨークのホテル・ウッドロウ(現レストラン・ピッチョリーネ)にしばらく滞在する。
10月13日、スピヴァコフスキーとニューヨークフィルによる《ヴァイオリン協奏曲(第2番)》を聴く。15, 17日も。
10月18日、サラナクレイクでやり残した《管弦楽のための協奏曲》完成する。
11月26日、メニューヒンがカーネギーホールで《ヴァイオリンソナタ第1番》で演奏し、《無伴奏ヴァイオリンソナタ》の作曲を委嘱。
冬、ASCAPの費用でアッシュヴィルのリゾートホテル、アルベマール・インで過ごす。
ペーテルに米国政府から徴兵通知があり、家族で相談のうえ拒否する。
1944年 ヨーロッパの動向を憂慮
セイジマン夫妻宅(現ベーラ・バルトーク・コテージ)
[アルベマール・インで年を越す]
1月、ペーテルが徴兵に応じる方向に転じる。《管弦楽のための協奏曲》のボストン初演が延期。体温計が不良品と分かる。熱が下がっていなかったことが判明。
2〜3月、《無伴奏ヴァイオリンソナタ》を作曲。ペーテルが米国海軍に入隊、基礎教育始まる。
4月末、アルベマール・インを去る。ニューヨークで再びホテル・ウッドロウに滞在。
7月、ASCAPの費用で再びサラナクレイクのセイジマン・コテージに滞在。といっても、実際の部屋は、裏にあるセイジマン夫妻の住居の一室。「結核でない」ことが内々に伝わっていたのだろうか(現ベーラ・バルトーク・コテージ)。
Google: セイジマン夫妻の自宅。61 Park Avenue, Saranac Lake, NY
ベーラ・バルトーク・コテージと呼ばれながら、現在は民家。
バルトークが表のセイジマン・コテージ(療養施設)と裏のセイジマン夫妻宅のどちらに住んだか、長年混乱していた。2012年に私が問題提起し、ヒストリック・サラナクレイクとペーテルの間で記録を整理し、2年めの住まいは裏のセイジマン夫妻宅だったとほぼ推定されている。
マンハッタン西57丁目のアパート
10月4日、サラナクレイクを後にする。
10月5日、ニューヨークに到着。アパート探しが不調に終わり、ディッタのマンハッタン西57丁目のアパートに同居する。503号室(右の写真は6階まで写っている。5階左端の窓に室外機がある部屋)。
11月28日、ディッタと共にボストンに出発。
12月1日、クーセヴィツキー指揮とボストン交響楽団による《管弦楽のための協奏曲》の世界初演を聞く。好評。
12月3日、ニューヨークに戻る。
12月、ミルマン・パリーを引き継いだ『セルボ・クロアチア民謡集』が完成(IMSLPでも閲覧可)。
12月30日、 《管弦楽のための協奏曲》がボストンからラジオ放送。同じアパート内のケチケメーティの部屋で聞く。
Google:マンハッタン西57丁目のアパート。309 West 57th Street, NY
地下鉄59丁目駅があるコロンバスサークルやセントラルパークのすぐ近く。1928年建築、16階建て、100室。57丁目を東に5分も歩けば7番街のカーネギーホール。
1945年 創作の再開と急逝
ハール氏の山小屋(現バルトーク・キャビン)
[マンハッタン西57丁目のアパートで年を越す]
1月10日、ニューヨークで《管弦楽のための協奏曲》再演。13日にも。
1月16日、夕方、雪で交通機関が麻痺し、歩いて帰宅する。
1月17日、ラジオ局でドラティ指揮《組曲第2番》に立ち会う。放送時間を優先したテンポ設定に失望。
1月19日、マークス出版社と『初期のピアノ曲集』出版で契約(当時は実現せず。BR708)。
友人の支援を得られず、官庁街を一人で巡る。外国税控除が受けられないと知って落胆。
この頃、3人から作曲委嘱。
2月、『ライフ』誌で戦後のハンガリーの状況を知る。
4月28日、『ニューヨーク・タイムズ』紙で、自分がハンガリーの新議会議員に選出されたことを知る。
5月、『ルーマニア民謡全集』の改訂を終える。
メニューヒンからカリフォルニアの別荘を提供されるが、費用と距離を考えて断念する。
6月、1946年のハーヴァード大学での講義を引き受ける。食糧配給券の理解を誤り、無駄にする。
6月25日、3度めのサラナクレイクにディッタと出発。自費でマックス・ハール氏の山小屋に滞在し、《ピアノ協奏曲第3番》と《ヴィオラ協奏曲》に取り組む。
7月3日、プラッツバーグ経由でカナダのモントリオールに行き、米国の移民ビザを手にする。
7月中旬、ハンガリーに残した親戚、仲間の生存情報を得る。
8月上旬、ペーテルのアレルギー症状が悪化し、疾病除隊が決まる。
8月10日、ペーテルが除隊する。
8月11日、サラナクからペーテルへ最後の手紙。山小屋への道順を知らせる。
8月15日、ペーテル、ニューヨークに到着。その後、サラナクレイクに向かい、両親と過ごす。
Google:ハール氏の山小屋。89(現58) Riverside Drive, Saranac Lake, NY
母屋も同じ住所だが、地図上のマーカーは山小屋を示してある。建物はヒストリック・サラナクレイクが1999年にペーテルの寄付で修復し、バルトーク・キャビンとして管理・公開している。
最後の住居に掲げられた像とプレート
最後の住居に掲げられた像とプレート
9月初旬、高熱が続き、サラナクレイクからニューヨーク市の西57丁目のアパートに戻る。
9月中旬、アパートの家主からの立ち退き要求に憤慨。
9月22日、救急車でドクターズ病院に入院する。アパートを出る前に《ピアノ協奏曲第3番》の最後17小節の小節線をペーテルに引かせる。
9月26日、死去。ニューヨーク到着から1,793日め。
9月28日、ブロンクス北部のファーンクリフ墓地に埋葬される(1988年にブダペストのファルカシュレーティ墓地に再埋葬)。
【参考文献】
Bartók, Bela (Ifj.): Apám Életének Krónikája, 1981, Zeneműkiadó Budapest.(長男ベーラJr.著、父の記録日誌、ハンガリー語)
Bartók, Peter: My Father, 2002, Bartók Records.(ペーテル・バルトーク著/村上泰裕訳『父・バルトーク』2013、スタイルノート)
Fassett, Agatha: The Naked Face of Genius, 1958; Béla Bartók, American Years, 1960, Dover Publications.(アガサ・ファセット著/野水瑞穂訳『バルトーク晩年の悲劇』1973、みすず書房)
https://brj広告文字列により全部置換/資料室/バルトーク-in-アメリカ/バルトークのアメリカ生活/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c28
アメリカが関係するとみんなこうなるんだよ:
米国農家「これは日本人が食べるから毒入りでもいいのだ」
米国産の輸入牛肉からはエストロゲンが600倍も検出されたこともある。
エストロゲンは乳がんを増殖する因子として知られる。米国でもホルモン・フリー牛肉が国内需要の主流となり、
オーストラリアは日本にはホルモン牛肉、禁止されているEUにはホルモン・フリー牛肉を輸出している。
つまり、米国やオーストラリアから危ないホルモン牛肉が輸入規制の緩い日本に選択的に仕向けられている。
農民連の分析センターが調べたら、ほぼすべての食パンから発がん性のある除草剤が検出された。
国産、十勝産、有機小麦のパンからは検出されていない。
輸入小麦には、日本で禁止されている収穫後農薬の防カビ剤(米国がかけるのは「食品添加物」と日本が分類してあげている)
も輸送時に振りかけられている。米国農家は「これは日本人が食べるからいいのだ」と言っていたという。
トウモロコシ、大豆の遺伝子組み換えの不安だけではない。
日本人は、世界で一番、遺伝子組み換え、除草剤の残留、防カビ剤の残留の不安にさらされている。
米国では乳牛にも成長ホルモンを注射する。米国内では消費者運動が起きて、大手乳業などがホルモン・フリー宣言をした。
やはり、危ない乳製品は日本向けになっている。国産シフトを早急に進めないと、自分の命が守れない。
さらに、輸入依存を強めて、こんな危機になったら、お金を出しても、その危ない食料さえ、手に入らないかもしれない。
もう一度、確認しよう。成長ホルモン、除草剤、防カビ剤など発がんリスクがある食料が、基準の緩い日本人を標的に入ってきている。
国産には、成長ホルモンも、除草剤も、防カビ剤も入っていない。
早く国産シフトを進めないと、量的にも、かつ質的にも、食の安全保障が保てない。
つまり、「国産は高くて」という人には、安全保障のコストを考えたら「国産こそ安いんだ」ということを認識してもらいたい。
87名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 08:15:51.09ID:pG20RoCJ
バルトークはアメリカで家畜が酷い環境で飼われていたのを見てショックを受けて作曲する気力が無くなったんだよ
アメリカに行ったヨーロッパの芸術家はみんなアメリカ文化の非人間性にショックを受けて
芸術の意味を見失うんだ
90名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 08:43:57.89ID:pG20RoCJ
バルトークはヴァーモントで家畜が酷使されているのを見てから体を壊したんだよ:
1941年 7月26日〜9月4日、ディッタと共にヴァーモント州リヴァートンのアガサ・ファセットの別荘で過ごす(関連映像)。
WCAX Bela Bartok visits Vermont Air Date 8-9-2011 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=rby8xj3sDds&feature=emb_title
この別荘の建物は現存しない。この別荘でディッタは何度か過ごしたが、バルトークはこの1回限りだった。リヴァートンでアガサから2匹のネコをもらい、連れて帰る。
9月、コロンビア大学の契約が半年延長。9月〜2月で1,500ドルの報酬。
冬、発熱が始まる。
https://brj広告文字列により全部置換/資料室/バルトーク-in-アメリカ/バルトークのアメリカ生活/
92名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 09:00:31.06ID:pG20RoCJ
アメリカ人はキリスト教原理主義だから 民度が高いまともな人間とは合わないんだよ
アメリカ人は北米インディアンの土地を奪ったことについては、「アメリカは約束の地である」と説明する。
鉄砲隊に向かって「特攻」を続けた北米インディアンを、虐殺し続けるのに当たって、
「北米インディアンは聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と説明する。
奴隷貿易の中心は実は英国だったが、「黒人は聖書に書かれていない。
だから、あれらは人間ではない」と同様に説明している。
聖書の無謬性という信仰を利用することによって、自分達のエゴイズムや貪欲な物欲、選民思想を合理化できるのだ。
どんな人間だとて、異民族でも多数の人間を無差別虐殺すれば、潜在的に罪悪感を感じるものである。
もちろん、本物の「見せかけだけの善人」ならば、潜在的にも罪悪感を感じないだろうが。
米国人の心に在った潜在的罪悪感や不安感を薄れさせ、自らの虐殺・軍事的及び経済的侵略を正当化するために、聖書無謬性は、実に利用価値の高い説なのである。
聖書無謬性は、選民思想を強化し、エゴイズムの発現と経済侵略を正当化する。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html#c70
回心者ブッシュの演説に聞き入る「十字軍」兵士達
アメリカには「ポーン・アゲン」を なのり、そう呼ばれる人びとがいる。 人生の道半ばで、神に、キリスト に、聖書に出会い、キリスト教徒とし て新しく生まれ変わった人びとであ る。改宗ではなくて、回心と再生を誓う、プロテスタント教会のなかの行動的な一派である。
◆40歳にして「回心再生」
ブッシュニ世はボーン・アゲンのひ とりになった。飲酒にふけって、安易 な生活を送っていたのが、名高い伝道師の説教を聞いてからは、四十歳にし て酒を断ち、回心再生の人となった。
朝は祈りと聖書の読誦にはじまり、閣議も祈りではじまる。
演説には聖書 のことばがちりばめられている。
「アメリカに昧方しないやつは敵だ」というブッシュニ世の人物を特色づける発 言も聖書からでている。
「わたしの側 に立たない者はわたしに逆らう者、わたしと共に集めない者は散らす者である」
神仏の信仰を問わず、ボーン・アゲンの宗教体験をもつ人びとのおおく は、個人の内面の間題として回心をうけとめている。
ところが、アメリカの 「生まれ変わり」は異様に猛烈である。かれらは公の場で回心の体験を声高 に語って、人間は罪を負って生まれた存在であるから回心しなさい、改俊しなさいと、説得と折伏の活動に訴えることを神に奉仕する使命と信じている。
その特徴は徹底した二元論である。人間は神に選ばれて救われる者と、救 われない者に分かれている。回心者に は永遠の平和、福音に耳ふさぐ者は悪魔の子で永遠の地獄が待っている。
善と悪、神と悪魔、味方と敵、白と黒、光と闇が現世を二分して戦ってい るという論理を用いて、迷える小羊に選択をせまるのである。
原理主義(ファンダメンタリズム) はイスラムの 「専売」のように思われて いるが、この 言葉と運動は はじめて一九 二〇年代アメ リカの白人プロテスタントの環境からうまれた。
ボーン・アゲンは原理主義の三つの 教条を継承している。
聖書に書かれてあることはすべて神の言葉であって、解釈や考証はゆるされない。
人間は神によってつくられた被造物で、サルから進化したなどという「妄説」はゆるされない。
やがてキリストがこの世に再臨して至福の千年 が始まるから、神への奉仕にいそしまなければならない。
◆悪魔うけいれる土壌
最近のギャラップ世論調査による と、アメリカ人の48%は神が人間をつ くったと信じ、28%が進化論に傾いている。そして、悪魔の存在を68%が信 じている。
テロリズムも「九・一一」の悲劇も、バグダッドに巣食う悪魔の仕業だ という圧倒的な政治宣伝がたやすくう けいれられる精神的土壌がそろっている。 プロテスタント教会の少数派であっ たボーン・アゲン原理主義と、帝国を夢みる新保守覇権主義の二つの特殊な 潮流と人脈が、アメリカ政治の中枢を乗とってしまった。
神の下なる道義の国アメリカの指揮 官ブッシュニ世は、「万軍の王の王、主の主」(ヨハネ黙示録)として、神の御業を実践する十字軍に立つのである。
しかし、利得の追求を宗教的熱狂で紛飾した十字軍は、中東のみならず、 世界の現状にひそむ限りない複雑さと、そして、人間の惨害を無視して強行されるのだから、前途には、とほうもない魔の陥弊が待っている。
現在の狂ったアメリカ人の精神構造を探るには、アメリカを覆っているキリスト教原理主義的教義が分からないと理解できない。
回心再生と言ったって何のことか分からない。
回心再生して神に仕え、そうでない福音に耳を塞ぐ者たちを、悪魔の子として永遠の地獄に突き落とすことが、彼らの使命なのだ。
このようなキリスト教原理主義の教義が分かっていれば、ラムズフェルドの冷酷さも理解できる。
彼はアフガニスタンの戦場における、タリバン兵の捕虜達をクンドゥスに集め、爆撃して皆殺しにした。悪魔の子として地獄に突き落としたわけだ。
彼らにとっては異教徒は人間とはみなさないのだ。
バルトークもシェーンベルクもストラヴィンスキーも
アドルフ・ブッシュもワルターもハイフェッツもホロヴィッツも
アメリカに行ったヨーロッパの音楽家は全員ダメになってる
アメリカはカルト文化の国だから芸術は理解されないんだ
100名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 09:31:37.78ID:pG20RoCJ
Vnの指導を受けるのはジュリアードに限る、それもガラミアンや ドロシー・ディレイの指導を受けることが、ヴァイオリニストとしてのステイタスにもなっている ばかりでなく、実際に世界を席巻するソリストが、続々と送り出されている。
ガラミアンの教育法は古い権威主義と呼ばれていた様に独自の指導法で、
誰に対しても同じ方法で 徹底して指導したが、生徒は細部まで、正確に徹底した練習を求められ、テクニックの習得に重点が 置かれていたと言う。
先生の指示する弓使い、指使いに従わない生徒には容赦をすることがなかった。
特にガラミアンは運弓の名手と言われたカペーの弟子であっただけに運弓にはうるさく、後に ガラミアンのトレードマークになるが、
大きく弓を使いいい音を出すことを徹底して訓練した。
後にガラミアンは石ころでも立派に磨き上げて、ヴァイオリニストを創ることが出来たと評されている。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html#c72
お伺いしたい。
ワルターの録音で、貴兄がこれだけは聴いておけ、
これは素晴らしいと思うものを3つ挙げて下さい。
SPで聴けと言われても無理ですのでCDでお願いします。
出来たらその理由もお願いします。
104名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 10:13:57.13ID:pG20RoCJ
Haydn Symphony No.100 in G major "Military" (Walter , Wiener Philharmoniker 1938) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=inbLPp-5HHQ
https://www.youtube.com/watch?v=gO1TkD7opIU
https://www.youtube.com/watch?v=bLLTbe2LsJM
Mahler Symphony No.5 - Agagietto - Bruno Walter with Vienna Philharmonic Orchestra in 1938 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=6ArsxRYUI78
Mahler: Symphony No. 9 (Walter 1938) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=uAw5b9anOhQ
指揮というより戦前のウィーン・フィルが素晴らしいですね。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html#c73
オーパス蔵 復刻CD
http://www.opuskura.com/index_j.htm
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html#c74
■ 米CDC(アメリカ感染対策局)は細菌兵器の開発を武漢ウイルス研究所に外注していた ■
tokiさんから、アメリカのテキサス大学が武漢ウイルス研究所とコロナウイルスの共同研究をしていたという記事を紹介頂きました。
武漢ウイルス研究所のシー・ジェンリン(石正麗)女氏はキクガシラコウモリのコロナウイルスと、ネズミにSARSの様な症状を発症させるウイルスを掛け合わせる実験を、アメリカのテキサス大学と共同で行っていたと報じられています。
この様な共同研究はアメリカの複数の大学が行っており、アメリカ教育相はこれらの研究内容を保存し、政府に提出する様に求めています。
このウォールストリート・ジャーナルの記事では、中国がアメリカの大学に出資する形でアメリカの複数の大学が危険な研究に手を染め、中国の細菌兵器開発を後押ししていた様な論調で書かれています。
しかし、実はオバマ政権時代に、アメリカの感染対策局(DCD)はSARSやMARSや炭そ菌の兵器化の実験をアメリカ国内で行っていましたが、国内で重大な漏洩が起り得る事故が何件か起き、DCDは国内でもこれらの危険なウイルスの研究を中止します。
その再、ファウチ教授が主導して、中国の武漢ウイルス研究所にこれらの危険なウイルス兵器開発を外注したのです。
だから、アメリカ国内の複数の大学が武漢ウイルス研究所と共同研究を続けていた事は、何ら不思議でも何でも無いのです。
Rr.ファウチは現在は国立アレルギー感染研究所の所長として、アメリカコロナ対策の陣頭指揮を取っている人物で国民の信頼も篤い。
■ シー・ジェンリン(石正麗)が家族と研究資料を持ってアメリカ大使館に亡命 ■
武漢ウイルス研究所の所長をしていたシー・ジェンリン(石正麗)は、家族と研究資料を持ってフランスのアメリカ大使館に亡命したとのニュースは本日伝わっています。
トランプ大統領は「中国がウイルスを流出させたという証拠を見た」と発表していますが、その鍵を握ると言われるシー・ジェンリン(石正麗)は、何とアメリカ大使館に研究資料と共に亡命しています・・・。もう、トランプも開いた口が塞がらないでしょう。(とバノンが言っている)
武漢ウイルス研究所を建設したのはフランスの企業です。要は武漢でのウイルス研究は、アメリカの外注研究で、さらにフランスが研究設備を設計して建設した・・・。もうズブズブの関係なのです。
多分、武漢ウイルス研究所は江沢民派の運営する研究所で、中国は否定していますが、そこから故意にウイルスが漏洩した可能性が有るので、習近平主席は、石正麗と研究資料を取り押さえようとしたのでしょうが、亡命されてしまった・・・こんな筋書きでは無いか。
■ ウイルスはアメリカ国内にも運び込まれていた可能性が高い ■
冒頭のウォールストリート・ジャーナルの記事では、テキサス大学が中国の研究員と、研究資料(ウイルス)をどうやってアメリカ国内にロジスティック(運ぶ)かが課題であると論文に書いていたと報じています。
要は、研究成果であるウイルスをどうやってアメリカに密かに運ぶか検討していた事になります。普通なら完全密閉のステンレス容器などで運ぶのでしょうが、検疫に引っ掛かるでしょうから、軍の飛行機で運ぶ可能性も考えられます。・・・まさか、人に感染させて持ち込むとか、フィルムケースに偽装して持ち込む様な危険は犯さないと信じたしいですが・・・。
■ 仮に武漢で漏洩したとしても、アメリカが開発させたウイルスだよね・・・ ■
嫌中の方々は「中国はウイルスを流出させた責任を取れ」と叫びますが・・・仮に漏れたとして、このウイルス、アメリカが開発したウイルスだよね。ウイルスの遺伝子コードを良く読むと「Patent by USA]って書いてあるんじゃない?
さらに、武漢ウイルス研究所が江沢民派だった場合、ウイルスを漏洩させる動機も充分に有る訳ですが・・・・。
■ Dr.ファウチはビル・ゲイツとワクチン繋がり?■
陰謀論の世界では「ワクチン=ビル・ゲイツ」と言う位に、ゲイツ財団は様々なワクチンプロジェクトに出資しています。Dr.ファウチとビル・ゲイツが一緒に写っている写真などもアップされていますが、彼らに面識があったとしても何の不思議も有りません。
問題は今回のコロナ騒動が単なるワクチンビジネスの仕込みなのか、それとも陰謀論者が大好き
な「殺人ワクチン」や「断種ワクチン」接種の為の仕込みなのか・・・・
それとも、維持不可能となっている現在の通貨システムを再構築する為の仕込みなのか、その判断は各人各様。
・・・・コロナ騒動、なんだか、陰謀論的には面白い事になって来ました。
https://green.ap.teacup.com/pekepon/2564.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/768.html#c46
■ 米CDC(アメリカ感染対策局)は細菌兵器の開発を武漢ウイルス研究所に外注していた ■
tokiさんから、アメリカのテキサス大学が武漢ウイルス研究所とコロナウイルスの共同研究をしていたという記事を紹介頂きました。
武漢ウイルス研究所のシー・ジェンリン(石正麗)女氏はキクガシラコウモリのコロナウイルスと、ネズミにSARSの様な症状を発症させるウイルスを掛け合わせる実験を、アメリカのテキサス大学と共同で行っていたと報じられています。
この様な共同研究はアメリカの複数の大学が行っており、アメリカ教育相はこれらの研究内容を保存し、政府に提出する様に求めています。
このウォールストリート・ジャーナルの記事では、中国がアメリカの大学に出資する形でアメリカの複数の大学が危険な研究に手を染め、中国の細菌兵器開発を後押ししていた様な論調で書かれています。
しかし、実はオバマ政権時代に、アメリカの感染対策局(DCD)はSARSやMARSや炭そ菌の兵器化の実験をアメリカ国内で行っていましたが、国内で重大な漏洩が起り得る事故が何件か起き、DCDは国内でもこれらの危険なウイルスの研究を中止します。
その再、ファウチ教授が主導して、中国の武漢ウイルス研究所にこれらの危険なウイルス兵器開発を外注したのです。
だから、アメリカ国内の複数の大学が武漢ウイルス研究所と共同研究を続けていた事は、何ら不思議でも何でも無いのです。
Rr.ファウチは現在は国立アレルギー感染研究所の所長として、アメリカコロナ対策の陣頭指揮を取っている人物で国民の信頼も篤い。
■ シー・ジェンリン(石正麗)が家族と研究資料を持ってアメリカ大使館に亡命 ■
武漢ウイルス研究所の所長をしていたシー・ジェンリン(石正麗)は、家族と研究資料を持ってフランスのアメリカ大使館に亡命したとのニュースは本日伝わっています。
トランプ大統領は「中国がウイルスを流出させたという証拠を見た」と発表していますが、その鍵を握ると言われるシー・ジェンリン(石正麗)は、何とアメリカ大使館に研究資料と共に亡命しています・・・。もう、トランプも開いた口が塞がらないでしょう。(とバノンが言っている)
武漢ウイルス研究所を建設したのはフランスの企業です。要は武漢でのウイルス研究は、アメリカの外注研究で、さらにフランスが研究設備を設計して建設した・・・。もうズブズブの関係なのです。
多分、武漢ウイルス研究所は江沢民派の運営する研究所で、中国は否定していますが、そこから故意にウイルスが漏洩した可能性が有るので、習近平主席は、石正麗と研究資料を取り押さえようとしたのでしょうが、亡命されてしまった・・・こんな筋書きでは無いか。
■ ウイルスはアメリカ国内にも運び込まれていた可能性が高い ■
冒頭のウォールストリート・ジャーナルの記事では、テキサス大学が中国の研究員と、研究資料(ウイルス)をどうやってアメリカ国内にロジスティック(運ぶ)かが課題であると論文に書いていたと報じています。
要は、研究成果であるウイルスをどうやってアメリカに密かに運ぶか検討していた事になります。普通なら完全密閉のステンレス容器などで運ぶのでしょうが、検疫に引っ掛かるでしょうから、軍の飛行機で運ぶ可能性も考えられます。・・・まさか、人に感染させて持ち込むとか、フィルムケースに偽装して持ち込む様な危険は犯さないと信じたしいですが・・・。
■ 仮に武漢で漏洩したとしても、アメリカが開発させたウイルスだよね・・・ ■
嫌中の方々は「中国はウイルスを流出させた責任を取れ」と叫びますが・・・仮に漏れたとして、このウイルス、アメリカが開発したウイルスだよね。ウイルスの遺伝子コードを良く読むと「Patent by USA]って書いてあるんじゃない?
さらに、武漢ウイルス研究所が江沢民派だった場合、ウイルスを漏洩させる動機も充分に有る訳ですが・・・・。
■ Dr.ファウチはビル・ゲイツとワクチン繋がり?■
陰謀論の世界では「ワクチン=ビル・ゲイツ」と言う位に、ゲイツ財団は様々なワクチンプロジェクトに出資しています。Dr.ファウチとビル・ゲイツが一緒に写っている写真などもアップされていますが、彼らに面識があったとしても何の不思議も有りません。
問題は今回のコロナ騒動が単なるワクチンビジネスの仕込みなのか、それとも陰謀論者が大好き
な「殺人ワクチン」や「断種ワクチン」接種の為の仕込みなのか・・・・
それとも、維持不可能となっている現在の通貨システムを再構築する為の仕込みなのか、その判断は各人各様。
・・・・コロナ騒動、なんだか、陰謀論的には面白い事になって来ました。
https://green.ap.teacup.com/pekepon/2564.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/602.html#c24
中国ではCOVID-19(新型コロナウイルス)に対してインターフェロン・アルファ2bが有効だったと言われている。これはキューバで研究が進んでいる薬だが、その製造工場が吉林省長春にもある。今回の件で中国の習近平国家主席はキューバのミゲル・ディアス-カネル大統領に謝意を述べたという。
キューバの成果を語ることをアメリカが許さないため、この薬の話は西側で話題になっていない。話題にされているのはアメリカの製薬会社ギリアド・サイエンスが中国の医療機関と協力して開発しているというレムデシビルだが、初期臨床試験は失敗に終わったとも言われている。
中国の医療機関にはアメリカの細菌兵器開発と関係している人が存在する。例えば、アメリカ国防総省のDARPA(国防高等研究計画局)やDTRA(国防脅威削減局)は2018年からコロナウィルスのコウモリからヒトへの感染に関する研究を進め、DARPAと関係の深いアメリカのデューク大学が中国の武漢大学と提携、2018年にデューク崑山大学を開設している。
ところで、ギリアド・サイエンスは2009年1月から10年8月にかけて「新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)」が流行した時にも登場した。インフルエンザの特効薬としてタミフルが宣伝されたが、その薬を開発したのがこの会社なのだ。1997年から2001年までドナルド・ラムズフェルドが会長を務めていた。
タミフルは早い段階に服用すれば、少し早く直ると言われているが、2005年12月4日のサンデー・タイムズ紙によると、数十名のインフルエンザ患者を治療したベトナムの医師はタミフルが効かなかったと話している。
本ブログでは何度か書いたことだが、ラムズフェルドが国防長官を務めていた2005年に国防総省はタミフルを備蓄するために10億ドル以上の予算を計上、日本も大量に買っている。
豚インフルエンザの時もWHOはパンデミックを宣言したが、実際は大騒ぎするような状態でなかった。これについては西側の有名メディアもインチキだと報じている。
ラムズフェルドは1977年から85年にかけてGDシアーレという医薬品会社の経営に携わっている。当時、この会社は経営状況が悪化していて新薬で苦境を脱しようと目論んでいた。
ところが、その薬をFDA(食品医薬品局)は認可しない。薬品の検査報告が偽造されていた疑いがあったのだ。悪性腫瘍を良性と偽り、死んだラットを生きていることにしていたという。そんなときにラムズフェルドは経営者として迎え入れられたのである。
FDAは検察に対してGDシアーレの違法行為を伝えたが、FDAの規定が曖昧だという理由で不起訴になった。この件を担当した検事はジョージ・H・W・ブッシュ政権(1989年1月から93年1月)で運輸長官に就任したサム・スキナーである。
この会社は人工甘味料でもFDAと対立していた。この物質は脳に病変を起こすとワシントン大学医学部のジョン・オルニー博士が証明、安全だと主張する会社側と対立する。
1980年9月に問題の甘味料を許可しない評決が出たが、この年の大統領選挙でロナルド・レーガンがジミー・カーターの再選を阻止した直後にFDAの局長は解任され、政権発足後の4月には新しい局長としてアーサー・ハル・ヘイズが就任。ヘイズは1981年7月、問題の人工甘味料を認可した。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202005030001/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/827.html#c7
コーヒーは長らく「健康に悪い」と言われていましたが、近年の研究ではこの評価が見直されてきています。新たな研究では、「コーヒーの抽出方法」と「心臓疾患および死亡リスク」の関係が調査され、約20年にわたって50万人以上を追跡した結果、「もっとも健康によいコーヒーの入れ方」が結論づけられています。
Coffee consumption and mortality from cardiovascular diseases and total mortality: Does the brewing method matter? - Aage Tverdal, Randi Selmer, Jacqueline M Cohen, Dag S Thelle,
https://journals.sagepub.com/doi/10.1177/2047487320914443
How to make the healthiest coffee during COVID-19 lockdown | EurekAlert! Science News
https://www.eurekalert.org/pub_releases/2020-04/esoc-htm042120.php
スウェーデンにあるイェーテボリ大学の疫学者であるDag S. Thelle教授は30年ほど前に、コーヒーを飲むことと、総コレステロール値おとび悪玉(LDL)コレステロール値を上昇させることの間に関連性を見いだしました。一般的に、悪玉コレステロールは心疾患のリスクを上げるものといわれています。
調査の結果、Thelle教授はコーヒーに含まれる「コレステロール値を上げる物質」が、血中脂質を高めるカーウェオールとカフェストールであると特定。そして、コーヒーフィルターによってこれら物質を除去できることを突き止めました。フィルターを通さずにいれたコーヒーは、これらの物質の濃度が30倍も高いとのこと。
コーヒーを飲むことが心臓発作や心臓病につながるかを疑問に思ったThelle教授ですが、これをランダム化比較実験で調べるのは非倫理的だとして、「大規模な人数」を「長期間追跡調査」することで結果を得ようと考えました。
研究者らは1985年から2003年までの期間において、20歳から79歳の健康な男女50万8747人を対象に調査を実施。被験者は自分が飲んでいるコーヒーの種類と量についてアンケート調査に答えました。なお、分析において喫煙の有無、学歴、運動量、身長、体重、血圧、コレステロール値などは考慮されているとのこと。
20年にわたる調査の間に、4万6341人が死亡し、うち1万2621人の死因は心血管系の疾患でした。心血管系の疾患で死亡した人の約半数にあたる6202人は、心臓発作によって死亡しています。
分析の結果、フィルターを使っていれたコーヒーを飲んでいた人は、コーヒーを飲んでいなかった人に比べて全体的な死亡リスクが15%低いことが示されました。また、心血管系の疾患による死亡率に限定すると、フィルターを使って入れたコーヒーを飲んでいた人は、男性で12%、女性で20%死亡リスクが低かったとのこと。最も死亡率が低くなるコーヒーの量は「1〜4杯」であることも示されています。
「この分析結果は年齢、性別、生活習慣といった変数で説明できません」とThelle教授は述べています。
Thelle教授によると、「フィルターを使わずにいれたコーヒーを飲む」からといって、「コーヒーを飲まない」人よりも死亡率が高くなることは基本的にはないそうですが、例外として、60歳以上の男性は、「フィルターを使わずにいれたコーヒーを飲むこと」と「心疾患を原因とする死亡率の上昇」の関連性がみられたとのこと。
この研究結果が観察研究によるものであることは考慮すべきですが、Thelle教授は「コレステロール値が高いことを認識していて、それを何とかしたい人は、フレンチプレス式など、フィルターを使わないコーヒーを飲まないようにした方がいいといえます」と述べました。
https://gigazine.net/news/20200503-healthy-coffee-consumption/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/736.html#c12
女性が輝いて国は滅ぶ
引用:http://img.chess443.net/S2010/upload/2014121000001_2.jpg
改革する首相にはうんざり
日本はもう30年も緊縮財政でお金を節約してきたのに、やればやるほど財政悪化しました。
安倍首相はさらに財政緊縮していますが、より一層日本経済は悪化し財政赤字も増えました。
安倍首相はかっこいい言葉やキャッチフレーズが大好きで、一番好きなのが「○○改革」です。
不思議な事に日本の景気が悪化し始めたのと、日本が改革路線に転換したタイミングは一致しています。
海部俊樹首相あたりから20年以上「○○改革」をやっていますが、やればやるほど日本経済は悪化しています。
1990年頃の日本では「公共事業や土木工事のせいで日本は莫大な借金を抱えている」という言い方がブームでした。
このままでは日本は破産するというので緊縮財政を始め、あらゆる支出を切り詰めたのが「構造改革」でした。
構造改革とは社会を効支出を切り詰めることと言い換えても良く、お金をばら撒く改革はありません。
ところが1990年ごろの日本政府の借金は、今考えると微々たる物で、放置しても良いレベルでしかなかった。
1980年の債務残高は124兆円、1990年の債務残高は300兆円でしたが、2000年には730兆円になり、2010年に1000兆円を超えました。
これが1972年に総理だった田中角栄のせいだとか、1987年まで総理だった中曽根康弘のせいだとか嘘も大概にして欲しい。
日本が公共事業にお金を使っていた1990年頃まで日本財政は健全で、構造改革をやり始めて悪化しました。
構造改革で支出を切り詰めた途端、雪だるま式に借金が膨れ上がって、今では1000兆円を超えたと財務省は言っています。
財務省は「財政赤字が増えたから構造改革している」と言うが、事実は構造改革すればするほど財政赤字が悪化しています。
構造改革が日本をダメにした
政府が支出を減らせば減らすほど税収が減って財政赤字が増えたのですが、経済的には不思議な現象ではありません。
GDPは個人消費が最大で、次に民間投資が占め、ついで公共投資が占めていて、公共投資とは政府が使うお金の事です。
民間投資は政府投資に連動するので、政府が支出を増やせば増え、減らせば連動して減ります。
民間消費も民間投資に連動して上下するので、結局政府が支出を減らすと民間消費も減少します。
何故そうなるかと言うと、政府が仕事を発注して初めて企業は、生産設備や人材確保に投資します。
企業の投資は労働者の給料になるので、政府が支出を増やせば給料が増え、減らせば給料も減るのです。
こうして日本政府が緊縮財政に転換したのが原因で、1990年ごろから日本はマイナス成長を続けてきました。
政府が支出を減らすとGDPがマイナスになるので税収も減るが、財政赤字の分は赤字国債などで補填しています。
赤字国債を発行したり景気悪化で補正予算を組むので、支出を減らしたのに支出が増えたという、喜劇のような政策を30年やっているのです。
もっともこの政策を安倍首相が始めた訳ではなく、小泉首相もやっていたし、中曽根首相の頃からやっていました。
問題は歴代の首相が何も検証せずに同じ政策を続けている事で、緊縮財政の結果財政赤字が増えている現実を見ようとしません。
安倍首相は財政支出を減らすために、医療費や福祉予算、公共事業費を減らしましたが、その結果GDPは低成長を続けています。
実質賃金低下は安倍首相が原因
「政府が支出を減らせばGDPはマイナスになる」のだから、緊縮政策が上手くいかないのは当然です。
安倍首相は緊縮財政以外にも、多くの間違った経済政策を続けていて、マイナス成長の原因を作っています。
例えば女性の社会参加と外国人労働者の導入ですが、これで日本が経済成長する事はありません。
日本は未だにデフレが続いていて、その大きな原因の一つが実質賃金が低下し続けている事です。
賃金が低下する原因は政府が支出を減らしたからですが、労働者の増加も影響しています。
日本は人口が減っているのに、女性の社会参加と外国人労働者のせいで、労働人口は戦後ずっと増え続けています。
消費者の人口が減ったのに労働者だけ増やし続けている訳で、実質賃金が減るのは当たり前の現象です。
安倍首相は女性の社会参加が本当に大好きで、公務員に女性登用ノルマを設けたりしています。
だが単純な話、今まで100人で働いていた職場に毎年一人の女性労働者が増えれば、一人当たりの賃金は減るのです。
欧米諸国はサミットやG7などで、事あるごとに日本に構造改革を要求してきました。
政府の支出を減らせとか、女性を働かせろとか、公務員を民営化しろとか、自由化で価格競争しろとかです。
ところがそう言っている欧米諸国自身は、これらを何一つ実行しては居ません。
「構造改革」を辞めれば経済は良くなる
例えば不祥事を起こしたドイツのVWは、政府が経営に参加している公的企業で、フランスのルノーも同じです。
労働者の解雇は事実上禁止されていて、労働時間や労働条件も国が規制して悪化しないようにしています。
それで居ながらドイツやフランスは日本に「労働市場を自由化して解雇しやすくしなさい」と要求しています。
アメリカも同様で、世界最大の役所である米軍を絶対に「構造改革」しようとはしません。
アメリカ軍自体が膨大な雇用と経済効果を生み出しているので、下手に縮小したらアメリカ経済が自滅するでしょう。
そしてアメリカも欧州も、農家の所得の50%から90%が政府補助金ですが、日本にだけ「自由競争しろ」と要求しています。
こうして見ると欧米諸国が日本に構造改革を要求してくる理由は単純明快で「日本経済を破壊するため」です。
国際社会は競争なので、日本経済などこのまま落ちぶれたほうが都合が良く、だからIMFや世界銀行の欧米人は「構造改革」を要求します。
そんなに改革したいならアメリカ軍を解体して「自衛隊」にしたり、農家補助金を廃止すれば良いのだが、自国では絶対にやりません。
欧州も日本にだけ構造改革を要求し、VWのような公営企業や農業補助金を改革しようとはしません。
構造改革とは支出を減らす事なので、GDPを下げる作用を及ぼします。
成長している時にやればバブルを冷やしますが、デフレの時にやったら経済が自滅して日本のようになります。
構造改革で合理化をすると、長期的には社会が効率化して新たな成長が起きますが、そんなのは数十年後の話です。
日本はデフレなのに経済を悪化させる政策ばかりしたから30年不況なので、改革を辞めれば自然に回復します。
日本がやるべき事は「改革をしない」と宣言して、社会にお金をばら撒く事だけです。
http://www.thutmosev.com/archives/48092832.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/789.html#c7
忙しいときなどに重宝するのがさっといれられるインスタントコーヒー。在宅勤務が広がるなか、手軽な気分転換になる。アレンジすれば飲み方も広がりそうだ。
インスタントコーヒーの原材料は、焙煎してひいた状態のコーヒー豆100%。カフェ経営をサポートする日本カフェプランナー協会(東京・目黒)代表の富田佐奈栄さんは、「レギュラーでおいしくいれるのは難しい。インスタントなら誰でも簡単においしく作れ、管理も楽」と話す。
湯を注ぐだけの手軽さだが、「まずは目分量ではなくラベルに表示してある通りにいれてほしい」。日本インスタントコーヒー協会(東京・渋谷)の熊谷和広さんはこう話す。基本は小さじ1杯(約2g)に湯140〜170ml。沸騰して1分ほどおいてから注ぐといい。
■90℃前後が適温 軟水や水道水を
「90℃前後がバランスよく抽出できる適温。カルシウムやマグネシウムの濃度が低い軟水のミネラルウオーターや水道水が適している」(熊谷さん)。最後にムラが出ないようよくかき混ぜれば、口当たりよく仕上がる。
コーヒーに含まれるカフェインには朝の目覚めを助けたり、勉強や仕事の能率を上げたりする効果がある。コーヒーの豆知識を紹介するブログを立ち上げ、著書もある岩田リョウコさんは自宅にエスプレッソマシンもあるが、毎朝愛用しているのはインスタント。「温度が高いほど苦味成分であるカフェインが抽出される。苦味を抑えたい日は、80℃程度でいれている」と話す。
裏技もある。富田さんがインスタントを飲むときは、「スプーン1杯の水で、軽く粉を練ってから湯を注ぐ」。水と混ぜることで熱湯で溶けにくい成分がほどけ、香りが立ち、味がまろやかになる。
より簡単に、おいしく仕上げる方法は「電子レンジで、2分温める作り方」(富田さん)。インスタントに適量の水を加え、かき混ぜずに500wの電子レンジで2分ほど加熱する。取り出したときには、熱々のコーヒーが出来上がっている。湯を注ぐよりも風味を強く感じられるという。「表面に浮いた粉が熱でゆっくり溶かされることでダマにならず、香ばしさやコクが増すからでは」
■カップを変えて 楽しみ方増やす
富田さんは、コーヒーカップにも気を配る。形状や素材を変えるだけで、楽しみ方が増えるからだ。
ふちが広がった薄いカップは、香りが広がりキレを感じやすい。口当たりが軽やかになるため、焙煎が浅いすっきりしたコーヒーに合う。厚みがあるカップは、ゆっくりと舌を流れ、苦味を感じやすい。苦さに特徴があるタイプやコクを楽しみたい場合に向く。耐熱性ガラスのカップは、さわやかな気分を高める。透明性を生かし、アレンジコーヒーに使うのもおすすめだ。
コーヒーに牛乳や砂糖を加えて飲む人もいるだろう。「牛乳を入れるなら、深煎りタイプで濃く作るとバランスよく仕上がる。チョコレートを入れても合う」(富田さん)
SNS(交流サイト)を中心に近ごろ話題を呼んでいる韓国発のダルゴナコーヒーも、自宅で作れる。冷たい牛乳の上に、泡立てたコーヒーを合わせた飲み物だ。難しそうにも見えるが、特別な道具は必要ない。富田さんは「蓋付きで筒状の食品保存容器などに入れて振れば、10分ほどで仕上がる」。暑くなる時期は、オレンジジュースに混ぜて飲むのが富田さんのお気に入り。「コーヒーとかんきつ系は相性がいい」
保管方法にもポイントがある。インスタントを最後までおいしく飲むには、直射日光の当たらない場所におき、「1カ月程度で飲み切るのがベスト」(熊谷さん)。虫がついたり腐ったりすることは少ないが、風味が落ちる。冷蔵庫に入れている人もいるだろう。熊谷さんは、「温度差で容器に水滴がつくリスクがある。常温で十分」。
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コーヒーも空気に触れたり湿気を含んだりすると酸化が進む。瓶で保管するなら「内蓋シールはふちを残して、切り取る」といい。ふちを残すことで瓶とキャップに隙間ができず、蓋がぴったり閉まる。シールははがした方が使いやすい。袋タイプは使った分を丸めて空気を抜けば、空気と触れる面をできるだけ少なくできる。ぬれたスプーンですくうと粉が固まり、鮮度が落ちてしまうので注意したい。
(ライター 児玉 奈保美)
[NIKKEIプラス1 2020年4月25日付]
https://www.msn.com/ja-jp/lifestyle/food/練るとおいしい-インスタントコーヒーひと手間の裏技/ar-BB13wmJy?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/736.html#c13
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