58. 2021年12月07日 15:54:51 : UTrcZtFoVE : REJwV1RCM0hSNXM=[1]
>>41さまへ
>>牽強付会の>>31です。
>「抗議をする」と「妨害される」ではその主体が異なります。
とのご指摘ですが、私の文章の一部を勝手に受け身の形で「妨害される」に改変して解釈するのは、ずるいです。というのも、>>30において、あなたは
>法的に瑕疵のない石原氏の内閣参与登用に抗議するとは石原氏の職業選択の自由を妨害することになり、憲法に反するのです。
と述べておられます。ここでは明確に「抗議することが自由を妨害することになる」と書いてあるので、この一文において、あなたのいう「主体」はあくまで「抗議する側」にあります。
なので私も>>31において、その流れを受けて「抗議する=妨害する、とはならないと思う」という意味の発言をしたわけです。これもやはり「主体」はあくまで「抗議する側」にしかない文章でした。つまり、ここまでは互いに「妨害される側」の事には触れていないわけです。しかしあなたは>>41において
>「抗議」をされた側が「妨害」されたと受け取った場合、この両者間には法的利害の関係が生じるのです。
というように「抗議される側=妨害される側」という受け身の視点を持ち出してきて、その視点で私の>>31の文章を
>「抗議をする」と「妨害される」ではその主体が異なります。
と指摘した上で「こう言うのを牽強付会という」と私を批判されています。これはちょっとずるいのではないでしょうか。
何かの「抗議」が「妨害」になるとすれば、例えばその抗議が暴力を伴うような場合などが端的な例として考えられます。その場合は「この抗議は暴力や脅迫を伴った妨害である」と主張することができます。警察に被害届を出すなどの対応をすれば良いことだと思います。
「抗議することが自由を妨害することになる」という一文が成立するとすれば、それはあくまでその抗議を「妨害された!」と受け取った側の主観の話であって、抗議を受け取る側が被害届を出すとか司法に訴えるとか、そういう行動に出ない限り、あなたのいう「法的利害の関係」は生じないと思います。
だって、この社会が、ただ単に誰かが言論で抗議するだけの行為が直ちに違法と判断されて「とがめを受け」てしまうような社会なのだとしたら、それはもう暗黒社会だと思いますよ。言論による抗議に対して「これは憲法違反だ!自由を妨害されたのだ!」と主張するとすれば、そう主張する側が「抗議された=妨害された」を立証する手間をかけなければいけないと思いますが、どう思われますか?
http://www.asyura2.com/21/senkyo284/msg/489.html#c58