★阿修羅♪ > REJwV1RCM0hSNXM= > 100000
 
g検索 REJwV1RCM0hSNXM=  
 
REJwV1RCM0hSNXM= コメント履歴 No: 100000
http://www.asyura2.com/acat/r/re/rej/REJwV1RCM0hSNXM=/100000.html
[政治・選挙・NHK284] せっかく選挙で落としたのに、石原伸晃の内閣参与復活は抗議されて当然(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
58. 2021年12月07日 15:54:51 : UTrcZtFoVE : REJwV1RCM0hSNXM=[1]
>>41さまへ

>>牽強付会の>>31です。

 >「抗議をする」と「妨害される」ではその主体が異なります。

とのご指摘ですが、私の文章の一部を勝手に受け身の形で「妨害される」に改変して解釈するのは、ずるいです。というのも、>>30において、あなたは

 >法的に瑕疵のない石原氏の内閣参与登用に抗議するとは石原氏の職業選択の自由を妨害することになり、憲法に反するのです。

と述べておられます。ここでは明確に「抗議することが自由を妨害することになる」と書いてあるので、この一文において、あなたのいう「主体」はあくまで「抗議する側」にあります。

なので私も>>31において、その流れを受けて「抗議する=妨害する、とはならないと思う」という意味の発言をしたわけです。これもやはり「主体」はあくまで「抗議する側」にしかない文章でした。つまり、ここまでは互いに「妨害される側」の事には触れていないわけです。しかしあなたは>>41において

 >「抗議」をされた側が「妨害」されたと受け取った場合、この両者間には法的利害の関係が生じるのです。

というように「抗議される側=妨害される側」という受け身の視点を持ち出してきて、その視点で私の>>31の文章を

 >「抗議をする」と「妨害される」ではその主体が異なります。

と指摘した上で「こう言うのを牽強付会という」と私を批判されています。これはちょっとずるいのではないでしょうか。


何かの「抗議」が「妨害」になるとすれば、例えばその抗議が暴力を伴うような場合などが端的な例として考えられます。その場合は「この抗議は暴力や脅迫を伴った妨害である」と主張することができます。警察に被害届を出すなどの対応をすれば良いことだと思います。

「抗議することが自由を妨害することになる」という一文が成立するとすれば、それはあくまでその抗議を「妨害された!」と受け取った側の主観の話であって、抗議を受け取る側が被害届を出すとか司法に訴えるとか、そういう行動に出ない限り、あなたのいう「法的利害の関係」は生じないと思います。

だって、この社会が、ただ単に誰かが言論で抗議するだけの行為が直ちに違法と判断されて「とがめを受け」てしまうような社会なのだとしたら、それはもう暗黒社会だと思いますよ。言論による抗議に対して「これは憲法違反だ!自由を妨害されたのだ!」と主張するとすれば、そう主張する側が「抗議された=妨害された」を立証する手間をかけなければいけないと思いますが、どう思われますか?
http://www.asyura2.com/21/senkyo284/msg/489.html#c58

[政治・選挙・NHK284] せっかく選挙で落としたのに、石原伸晃の内閣参与復活は抗議されて当然(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
61. 2021年12月07日 17:50:52 : UTrcZtFoVE : REJwV1RCM0hSNXM=[2]
>>59 多摩散人さま

勝手な横レスで失礼します。

 >選挙で国会議員に選ばれなかったからと言って、その人の社会的権利に何らかの制限が加えられるのは、おかしい。

その通りだと思います。今回の石原氏の人事への批判についても「石原氏は落選したのだから彼の社会的権利を制限せよ」という方向からの批判は無いものと思われます。

例えば、女性蔑視にもなり得るような失言めいた冗談を非公式の場で繰り返す人がいたとして、その失言(?)は、それだけを抜き出した場合には「法的にアウト」という程のものでもないけれど(非公式の場の冗談ですしね)、でも、その発言主の人格や見識を疑う意見が出るのもまぁ止むを得ない、あの人にも困ったもんだネ…などという状況があったとして、その人を内閣官房参与に任命する、という報道が出た場合「あんな人を任命するなんて」という批判が出る事は充分に考えられますよね。

でも当然、その批判は、彼の内閣官房参与就任を規制することはできません。外野が騒ぐだけの話です。あとは任命権者がその「外野の騒ぎ」をどう判断するかだけで、当然そんな外野は無視したって一向に構わない話ではあるわけです。

おそらく今回の石原氏もそれと同じ話なんだと思います。選挙に落ちたことは、国会議員を失職する理由にはなっても、その他の制約を受ける理由にはなりません。内閣官房参与に任命されても何の不思議もない。けれど、それでも「だって選挙民にNoを突き付けられた人を、それも落選直後にわざわざ…ねぇ?」という風に感じる人がいてもそれはそれで自然なことだと思うし、その気持ちを「その人事はいかがなものか」と「内閣への批判」として発言する「外野」がいても別におかしくはない、と私には思えます。

 >学校で、学級委員選挙に選ばれなかったら、テニス部の部長になれないのか。

「彼は確かにテニスは上手いけど、学級委員にも選ばれないほど人望がないヤツだからなぁ。テニス部の部長としてはいかがなものか」と陰口を言われることはあるでしょうね。

でももちろん「学級委員選挙に立候補して落ちたからテニス部の部長にはなれない」という規則はあり得ません。学級委員とテニス部は関係ないですもんね。テニス部の部員が賛成すればいいんだと思います。内閣官房参与なら、国会の承認も不要だし、せいぜい岸田内閣の閣僚が賛成すればいいんじゃないでしょうか(無論、手続き的には閣僚の承認も不要でしょうけどね)。

ただ、外野から文句が付くことはあり得ます。で、現にいま石原氏の人事について外野が文句をつけているわけで、岸田内閣がその外野の文句を馬耳東風と受け流し粛々と石原氏に辞令が交付されたのも報道のとおりです。石原氏の社会的権利が落選によって制限されたわけでもありません。テニス部の部長選びも、内閣官房参与の人事も、いつも外野はあれこれ口さがなく批判するものですが、そこに法的な裏付けはありません。しかし法的な裏付けはなくとも批判は自由だと思います。「批判」と「誹謗中傷」は別ですから、批判することだけなら、とくに制約も受けない行為だと思います。


ちなみに、
「内閣官房参与」は、縮めて言うと
「一般職の非常勤の国家公務員」
ということになるのだそうです。出典は「衆議院」のサイト内を「内閣官房専門調査員及び顧問、参与等に関する質問主意書」で検索すると、該当の資料が出てきます。

公務員の「一般職」に対しては「特別職」という存在も別にあって、詳しくは
Wikipediaの「特別職」を参照するといいかと思います。内閣官房参与は「特別職の非常勤国家公務員」じゃないんですね。私はてっきり閣僚などと同じ「特別職」なのかと思っていました。

で、内閣官房参与に関する法律としては「内閣官房に参与を置く規則」というのがあるそうです。
しかしこの規則の本文をネットで探しましたが、出てきませんでした。
代わりに、この「規則」について

 【同規則では次の3項目のみを定めており、員数、任期等については書かれていません。
  1.内閣官に当分の間、参与を置くことができる
  2.参与は首相の諮問に答え、意見を述べる
3.非常勤とする】

と紹介されているサイトを見つけました。つまり、規則上は、内閣官房参与に任命される人の資格などについても、特に規定はないと思われます。例えば「前科者はどうなの?」とか「選挙に落ちた人はどうなの?」とかは、特に法律上の決まりはないようです。やはり「外野が文句を言う分には勝手」というだけの話ではないかと思います。

長々失礼いたしました。何かのご参考でもになれば…。
http://www.asyura2.com/21/senkyo284/msg/489.html#c61

[政治・選挙・NHK284] せっかく選挙で落としたのに、石原伸晃の内閣参与復活は抗議されて当然(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
66. 2021年12月08日 00:17:52 : UTrcZtFoVE : REJwV1RCM0hSNXM=[3]
>>65さまへ

>>58です。

 >「抗議するだけの行為」とは何ですか?相手に何らかの対応を求めるのが「抗議」なんでしょう?
 
「言論で抗議するだけの行為」の「だけ」とは、暴力や脅迫を伴って相手に何らかの対応を強制するような行為をしない、あくまで言論を用いた抗議だけを行う、という「だけ」で「言論活動以外の行為は伴わない」という程度の意味でした。


 >それなら相手からもそれなりの反応が当然ありますよね。

抗議する以上、抗議する側は当然、相手に何らかの対応を要求しますよね。けれどもその要求は、抗議をする側が発した一方的なもので、相手はそれを無視することも出来ます。
こちらが抗議をしたからといって、相手に何らかの反応をする義務を課せるわけでもないし、相手に何らかの対応を強制することも出来ません。こちらの抗議に対して、相手は反論してもいいし、無視をしてもいいし、受け入れて自らの行動を修正してもいい。当然「その抗議は違法行為だ!」と裁判に訴えるのも自由です。そしてその先は、>>65さんがおっしゃるように

 >主観と主観のぶつかり合いがあるから第三者の裁定者、つまりは司法があるのでしょう?

ということになります。石原氏の人事に関して誰かが言論で抗議をしたからといって、その抗議が直ちに憲法違反になったり自由への妨害行為になるわけではなく、そう認められるためには第三者の裁定を待たねばならない、という点で、私と>>65さんは同意見だと思います。良かったことです。
http://www.asyura2.com/21/senkyo284/msg/489.html#c66

[政治・選挙・NHK284] せっかく選挙で落としたのに、石原伸晃の内閣参与復活は抗議されて当然(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
67. 2021年12月08日 00:21:35 : UTrcZtFoVE : REJwV1RCM0hSNXM=[4]
>>64 多摩散人さまへ

>>61です。私も感想になってしまいますが…。

おっしゃること、なるほどと感じました。

選挙に立候補して落選することは、別に「有罪判決」ではありませんよね。
石原伸晃さんが落選したからといって、その落選を理由に、彼に関する他の事に対してまで彼が非難される謂れは何もありません。

ただ今回の件で難しいのは「内閣官房参与」という立場が、国政に関与して政権の政策に影響を与え得る立場である、という点ですよね。彼の「落選」は確かに「東京8区から選出される衆議院議員としての立場を獲得できなかった」という「限定的な失格」でしかないので、彼がこの先も代議士以外の立場で国政に関わることを誰も妨げることは出来ない、という理屈は当然成り立ちますし、私も個人的にはそう考えています。しかし、やはり感情論として「選挙に落ちた=国政に関わる資格を喪失した=落選直後に内閣官房参与就任?とんでもない!」という風に感じる人が一定数いるということもまた自然な気がします。それは素朴な感情論が根底にある話なので、法的な裏付けのない「外野の文句」という性質の「抗議」になってしまうのでしょう。でもその抗議を誰かが押さえつけることは不当な気もします。ましてやその抗議を違法と決めつけるのは間違いだと思います。

そのうえで、ですが。

「落選した」という事実だけで誰かの人格を否定するようなものの言い方はよくないですね。当落に関係なくその人の言動は批判の対象になりますが、その人が落選したことは、単にその選挙区の事情でしかなくて、その候補者の人格を否定する根拠にもならないし、今後の彼の行動に対する何かの制約の根拠にもなりません。

もっと言えば、彼の「政見」が落選によって否定されたことにもならない筈ですよね。落選によって彼は自分の政見を修正してもいいし変えなくてもいい。落選した時の政見を変えずに次の選挙に立候補することも禁止されないし、選挙結果如何では当選することも出来ます。それは当然の話でもありますが、つい自分の考えとは相いれない政党の大物議員が落選したりすると、そこら辺をごっちゃにした物言いをすることがある気がして、自戒しなければ、と考えさせられた次第です。
http://www.asyura2.com/21/senkyo284/msg/489.html#c67

[政治・選挙・NHK284] せっかく選挙で落としたのに、石原伸晃の内閣参与復活は抗議されて当然(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
70. 2021年12月08日 12:47:41 : UTrcZtFoVE : REJwV1RCM0hSNXM=[5]
「当然」は「自然」の優位に立つか。
「論理は感情に優先するか」とも言い換えられるのかもしれません。

そうあって欲しいと願う気持ちはあります。政治を考える時、どんな政策も全ての国民の自然な感情を満たす事はできない以上、財政状況や国際情勢など諸条件を冷静に分析して一番効果的と思われる政策を政府が選択するのは当然で、時にその当然の政治的選択が、私個人の自然な感情に反する場合があるかも知れないけれど、そういう時でも「当然」を考えられる自分でいたい、とも思います。出来れば、世間の人々が皆そうであるなら、政治はずいぶんと世の中を良くするという成果を挙げられるのではないか、と夢想したりもします。

しかしその反面「自然」を「当然」の論理で抑圧する事は厳しく禁じなければならない、とも考えます。また現実的な政治を考えてみても「無理が通れば道理が引っ込む」的な現象は数多く見られるところです。そして、そうであっても「無理」を通す自然な感情を「道理」で抑圧することはあってはならないと思います。

今回の石原氏の人事にしても、規則上は彼の内閣官房参与就任を妨げることが出来ないのは「当然」としても、石原氏や自公政権に批判的な人々の「自然」な感情として、この人事に不満をもつ人々が抗議の声を挙げる事もまた、誰にも妨げることは出来ません。仮にその自然な感情としての不満がもっと大勢の人々に共有されて巨大な国民感情となった場合(岸田内閣がそう認識した場合)は、岸田さんはこの人事を撤回したでしょう。この場合、その人事にいくら理があっても関係ありません。無理が通れば道理が引っ込む現象ですよね。

 >「自然な気がします」の「自然」が「当然」かどうかということです。

 >不満を持つのは「自然」だが、ケチを付けるのは「当然」だと言えるか、そういう問題だと思うんです。

理想は「自然」と「当然」が一致する状態ですよね。でもなかなかそうはいきません。両者が一致しない場合、自然よりも当然を優先するのが理性的な社会だと言えそうですが、いっぽうで当然が自然を抑圧する社会は良くない社会でもあると思います。当然を優先する社会を実現するには個人のモラルに期待するしかなく、個人のモラル次第だとするなら、時には自然が当然を打ちのめす現象も起き得ます。その最たるものは革命かも知れません。

そう考えると、「自然」の側が頼るべきものは「数の力」かもしれませんね。数の力を獲得できれば自然は当然に優先することが出来るようになる、とも言えそうです。逆に言えば、数の力を獲得する努力もしない「自然」は、ただのワガママ、便所の落書きに堕してしまう、とも言えるかもしれません(これは少数意見を貶めているのではありません。念の為)。

なので多摩散人さまの疑問には
「当然」と言えなくてもそれがどうした!
という啖呵が、いちばんぴったり来るのかもしれません。石原氏の人事に対する抗議は、そんな風に大勢の前で啖呵をきるような激しい感情の問題がその起源だと思うからです。しかし、その「自然」は、残念ながら圧倒的な数の力を獲得できずに「当然」をせき止められなかった…とも言えそうです。

とりとめなくてスミマセン☆
http://www.asyura2.com/21/senkyo284/msg/489.html#c70

[政治・選挙・NHK284] せっかく選挙で落としたのに、石原伸晃の内閣参与復活は抗議されて当然(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
71. 2021年12月08日 12:50:10 : UTrcZtFoVE : REJwV1RCM0hSNXM=[6]
>>70は、>>68多摩散人さまへのレス(のようなもの)になります。冒頭にそれを明示するのを失念してしまいました。付け加えます。判りづらくてすみません。
http://www.asyura2.com/21/senkyo284/msg/489.html#c71

   

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > REJwV1RCM0hSNXM= > 100000  g検索 REJwV1RCM0hSNXM=

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。