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[番外地11] 要するに、アメリカの思想家は外向的な性格だ、というだけの事ですね。 それに対してヨーロッパやインドの思想家は内向的性格で… 中川隆
1. 中川隆[-10533] koaQ7Jey 2024年5月23日 04:36:31 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[1]
<■50行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
要するに、アメリカの思想家は外向的な性格、ヨーロッパやインドの思想家は内向的性格、というだけの事ですね:
ユング性格学「二つの態度と四つの機能 心理学的タイプ」
我々には、自我があります。自我により、それぞれのわたしを、わたしと感じることができる。“わたし”や“わたしでないもの”を、区別できます。また、自分の外側にあるものや自分の内側にあるものを知覚し、反応する。
それぞれの人間には、受け取り方や反応の、パターンがあります。人間には、物事を知覚し受け取る機能や、それに対して反応する機能が、備わっている。人間の「タイプ」というのは、いわば、その機能の使い方。どれを好んで使うかという傾向です。

ユング性格学 [二つの態度 心理学的タイプ」

外向的な人は
「社交的で、率直で、協調的で、与えられた状況にたやすく順応し、すぐに愛着を示し、疑うことを知らず、時とすると、軽率な確信をもって未知の状況のなかへと飛び込んでゆく」。

内向的な人は
「引っ込み思案で、内省的で、恥ずかしがり屋で、外界の対象になかなか近づこうとせず、殻に閉じこもりがちで、つねにどこか防衛的で、何事につけまず疑ってかかり、あれこれ詮索する」。


アメリカの思想家は外向的思考型が殆ど、それに対してヨーロッパやインドの思想家は内向的思考型か内向的直観型が多い。
特に、釈迦、イエス、ソクラテスやニーチェは内向的直観型

ユング性格学「四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚”“思考”“感情”“直観”と呼びました。
人は生まれながらに、この四つの機能、すべてを備えている。

では、なぜ、性格に違いがあるのか?
前述の通り、人はこのうちのどれかを、好んで使うようになります。何を主に用いるかによって、性格は違ってくる。また、現実に対する態度が“外向的”か“内向的”かによって、同じ機能でも、違いが出てきます。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。

思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。

感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。

直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


感覚は、五感を通して受け取る機能。景色や色、肌触り、温度、音、におい、味、などを受け取る。また、イメージも受け取ります(五感を通して感じるような、イメージ)。

直観は、可能性を受け取る機能。これは何になるのか? 何に使えるか? どうなっていくのか? それを――理屈を越えて――受け取ります。いわゆる、第六感というものでしょうか。

思考は、分類したり、照らし合わせたりします。それは何に属するのか? それはどういうものか? そういうことを考えたり、組み合わせたりする。それを判断材料にします。

感情は、言葉の通り、感情によって分類したり、判断したりする。好きか嫌いか? 心地好いのか、不快なのか? 美しいと思うのか、醜いと思うのか? そうやって、判断する。
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1880.html  
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/761.html#c1

[番外地11] 要するに、アメリカの思想家は外向的な性格だ、というだけの事ですね。 それに対してヨーロッパやインドの思想家は内向的性格で… 中川隆
2. 中川隆[-10532] koaQ7Jey 2024年5月23日 05:02:36 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[2]
<■87行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
要するに、アメリカの思想家は外向的な性格、ヨーロッパやインドの思想家は内向的性格、というだけの事ですね:
ユング性格学 八つの心理学的タイプ
「外向的・内向的の二つの態度 、“感覚” “思考” “感情” “直観” の四つの機能 、 2×4 で八つの心理学的タイプが定義できます。」
アメリカの思想家は外向的思考型、ヨーロッパやインドの思想家は内向的思考型か内向的直観型。

釈迦、ゾロアスター、老子、イエス、ソクラテス、レオナルド・ダ・ヴィンチ、コペルニクス、親鸞、日蓮、モーツァルト、ベートーヴェン、ゴヤ、ゴーギャン、ゴッホ、ニーチェ、ムンク、キリコ、ユング 、アインシュタイン は内向的直観型

孔子、プラトン、アリストテレス、最澄、空海、道元、ルター、カント、ヘーゲル 、マルクス、セザンヌ 、フロイト、レーニン、プーチン は内向的思考型


我々には、自我があります。自我により、それぞれのわたしを、わたしと感じることができる。“わたし”や“わたしでないもの”を、区別できます。また、自分の外側にあるものや自分の内側にあるものを知覚し、反応する。
それぞれの人間には、受け取り方や反応の、パターンがあります。人間には、物事を知覚し受け取る機能や、それに対して反応する機能が、備わっている。人間の「タイプ」というのは、いわば、その機能の使い方。どれを好んで使うかという傾向です。

ユング性格学 [二つの態度 心理学的タイプ」

外向的な人は
「社交的で、率直で、協調的で、与えられた状況にたやすく順応し、すぐに愛着を示し、疑うことを知らず、時とすると、軽率な確信をもって未知の状況のなかへと飛び込んでゆく」。

内向的な人は
「引っ込み思案で、内省的で、恥ずかしがり屋で、外界の対象になかなか近づこうとせず、殻に閉じこもりがちで、つねにどこか防衛的で、何事につけまず疑ってかかり、あれこれ詮索する」。


ユング性格学「四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚” “思考” “感情” “直観” と呼びました。
人は生まれながらに、この四つの機能、すべてを備えている。

では、なぜ、性格に違いがあるのか?
前述の通り、人はこのうちのどれかを、好んで使うようになります。何を主に用いるかによって、性格は違ってくる。また、現実に対する態度が“外向的”か“内向的”かによって、同じ機能でも、違いが出てきます。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。

思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。

感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。

直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


感覚は、五感を通して受け取る機能。景色や色、肌触り、温度、音、におい、味、などを受け取る。また、イメージも受け取ります(五感を通して感じるような、イメージ)。

直観は、可能性を受け取る機能。これは何になるのか? 何に使えるか? どうなっていくのか? それを――理屈を越えて――受け取ります。いわゆる、第六感というものでしょうか。

思考は、分類したり、照らし合わせたりします。それは何に属するのか? それはどういうものか? そういうことを考えたり、組み合わせたりする。それを判断材料にします。

感情は、言葉の通り、感情によって分類したり、判断したりする。好きか嫌いか? 心地好いのか、不快なのか? 美しいと思うのか、醜いと思うのか? そうやって、判断する。

人は、受け取る機能である“非合理的機能”を一つと、判断する機能である“合理的機能”を一つの、計二つを、主に使います。

ただ、主に使う二つの中でも、どちらかが優位に立ちます。どちらかといえば判断が優先されるのか、どちらかといえば受け取ることが優先されるのか、そういった差が出る。


この内、一番よく使われる機能を、“主要機能”(主機能)、あるいは“優越機能”と呼び、二番目に使われる機能を、“補助機能”と呼びます。

そして、残りの二つの機能はあまり使われず、無意識に存在することになる。これを、“劣等機能”と呼びます。

劣等機能は無意識に留まり、あまり使われないので、影と関係していくことになります。

今まで書いてきた、生きてない半面などが、これに関わってくる。

非合理的機能である「感覚と直観」、合理的機能である「思考と感情」は、それぞれ、対立するペアになります。

受け取り方は一つ、判断の仕方は一つ、両方は使えません。(まったく使えないわけでもありませんが)


五感を通して知覚する感覚タイプは、脳の処理をそれに使うので、可能性はあまり知覚しない。直観に対し、脳を使いません。使うにしても、ごくわずかしか使わない。

逆に、可能性を知覚する直観タイプは、脳の処理をそれに使うので、感覚に対して疎かになる。まったく使わないわけではないですが、ごく限られたものになる。

処理領域が決まっているので、主に使う機能に大部分を使えば、それ以外に使える領域は、どうしても少なくなるんですね。(パソコンと同じです)


同じ原理で、思考と感情も、対立します。

思考で判断する人は、それに脳を使うので、感情を受け取ることには、淡白です。

逆に、感情で判断する人は、それに脳を使うので、考えることはあまりしない。

脳を何かに使えば使うほど、他に処理する領域が狭くなり、反対の機能に使える分が少なくなります。


人間が物事に対処するには、受け取る機能と判断する機能がいる。

その二つのために脳の処理機能を使えば、残りの機能に対して使える領域は、わずかになる。

したがって、残りの二つの機能は、未活性なままになります。
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1880.html
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/761.html#c2

[番外地11] 要するに、アメリカの思想家は外向的な性格だ、というだけの事ですね。 それに対してヨーロッパやインドの思想家は内向的性格で… 中川隆
3. 中川隆[-10531] koaQ7Jey 2024年5月23日 05:19:17 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[3]
<■90行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
要するに、アメリカの思想家は外向的な性格、ヨーロッパやインドの思想家は内向的性格、というだけの事ですね:
ユング性格学 八つの心理学的タイプ
「外向的・内向的の二つの態度 、“感覚” “思考” “感情” “直観” の四つの機能 、 2×4 で八つの心理学的タイプが定義できます。」
アメリカの思想家は外向的思考型、ヨーロッパやインドの思想家は内向的思考型か内向的直観型。

内向的直観型
釈迦、ゾロアスター、老子、イエス、ソクラテス、レオナルド・ダ・ヴィンチ、コペルニクス、空也、親鸞、日蓮、モーツァルト、ベートーヴェン、ゴヤ、ゴーギャン、ゴッホ、ニーチェ、ドビュッシー、バルトーク、アンリ・ルソー、ピカソ、ムンク、キリコ、クレー、ユング 、アインシュタイン 、ディラック、ホーキング

内向的思考型
ナーガールジュナ(竜樹)、 ヴァスバンドゥ(世親)、孔子、プラトン、アリストテレス、マホメット、最澄、空海、道元、法然、ルター、カルヴァン、カント、ヘーゲル 、マルクス、セザンヌ 、フロイト、レーニン、プーチン


我々には、自我があります。自我により、それぞれのわたしを、わたしと感じることができる。“わたし”や“わたしでないもの”を、区別できます。また、自分の外側にあるものや自分の内側にあるものを知覚し、反応する。
それぞれの人間には、受け取り方や反応の、パターンがあります。人間には、物事を知覚し受け取る機能や、それに対して反応する機能が、備わっている。人間の「タイプ」というのは、いわば、その機能の使い方。どれを好んで使うかという傾向です。

ユング性格学 [二つの態度 心理学的タイプ」

外向的な人は
「社交的で、率直で、協調的で、与えられた状況にたやすく順応し、すぐに愛着を示し、疑うことを知らず、時とすると、軽率な確信をもって未知の状況のなかへと飛び込んでゆく」。

内向的な人は
「引っ込み思案で、内省的で、恥ずかしがり屋で、外界の対象になかなか近づこうとせず、殻に閉じこもりがちで、つねにどこか防衛的で、何事につけまず疑ってかかり、あれこれ詮索する」。


ユング性格学「四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚” “思考” “感情” “直観” と呼びました。
人は生まれながらに、この四つの機能、すべてを備えている。

では、なぜ、性格に違いがあるのか?
前述の通り、人はこのうちのどれかを、好んで使うようになります。何を主に用いるかによって、性格は違ってくる。また、現実に対する態度が“外向的”か“内向的”かによって、同じ機能でも、違いが出てきます。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。

思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。

感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。

直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


感覚は、五感を通して受け取る機能。景色や色、肌触り、温度、音、におい、味、などを受け取る。また、イメージも受け取ります(五感を通して感じるような、イメージ)。

直観は、可能性を受け取る機能。これは何になるのか? 何に使えるか? どうなっていくのか? それを――理屈を越えて――受け取ります。いわゆる、第六感というものでしょうか。

思考は、分類したり、照らし合わせたりします。それは何に属するのか? それはどういうものか? そういうことを考えたり、組み合わせたりする。それを判断材料にします。

感情は、言葉の通り、感情によって分類したり、判断したりする。好きか嫌いか? 心地好いのか、不快なのか? 美しいと思うのか、醜いと思うのか? そうやって、判断する。

人は、受け取る機能である“非合理的機能”を一つと、判断する機能である“合理的機能”を一つの、計二つを、主に使います。

ただ、主に使う二つの中でも、どちらかが優位に立ちます。どちらかといえば判断が優先されるのか、どちらかといえば受け取ることが優先されるのか、そういった差が出る。


この内、一番よく使われる機能を、“主要機能”(主機能)、あるいは“優越機能”と呼び、二番目に使われる機能を、“補助機能”と呼びます。

そして、残りの二つの機能はあまり使われず、無意識に存在することになる。これを、“劣等機能”と呼びます。

劣等機能は無意識に留まり、あまり使われないので、影と関係していくことになります。

今まで書いてきた、生きてない半面などが、これに関わってくる。

非合理的機能である「感覚と直観」、合理的機能である「思考と感情」は、それぞれ、対立するペアになります。

受け取り方は一つ、判断の仕方は一つ、両方は使えません。(まったく使えないわけでもありませんが)


五感を通して知覚する感覚タイプは、脳の処理をそれに使うので、可能性はあまり知覚しない。直観に対し、脳を使いません。使うにしても、ごくわずかしか使わない。

逆に、可能性を知覚する直観タイプは、脳の処理をそれに使うので、感覚に対して疎かになる。まったく使わないわけではないですが、ごく限られたものになる。

処理領域が決まっているので、主に使う機能に大部分を使えば、それ以外に使える領域は、どうしても少なくなるんですね。(パソコンと同じです)


同じ原理で、思考と感情も、対立します。

思考で判断する人は、それに脳を使うので、感情を受け取ることには、淡白です。

逆に、感情で判断する人は、それに脳を使うので、考えることはあまりしない。

脳を何かに使えば使うほど、他に処理する領域が狭くなり、反対の機能に使える分が少なくなります。


人間が物事に対処するには、受け取る機能と判断する機能がいる。

その二つのために脳の処理機能を使えば、残りの機能に対して使える領域は、わずかになる。

したがって、残りの二つの機能は、未活性なままになります。
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1880.html
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/761.html#c3

[番外地11] 要するに、アメリカの思想家は外向的な性格だ、というだけの事ですね。 それに対してヨーロッパやインドの思想家は内向的性格で… 中川隆
4. 中川隆[-10530] koaQ7Jey 2024年5月23日 05:33:29 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[4]
<■93行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
要するに、アメリカの思想家は外向的な性格、ヨーロッパやインドの思想家は内向的性格、というだけの事ですね:
ユング性格学 八つの心理学的タイプ
「外向的・内向的の二つの態度 、“感覚” “思考” “感情” “直観” の四つの機能 、 2×4 で八つの心理学的タイプが定義できます。」
アメリカの思想家は外向的思考型、ヨーロッパやインドの思想家は内向的思考型か内向的直観型。

内向的直観型
釈迦、ゾロアスター、老子、イエス、ソクラテス、レオナルド・ダ・ヴィンチ、コペルニクス、空也、親鸞、日蓮、シェークスピア、モーツァルト、ベートーヴェン、エドガー・アラン・ポー、マーク・トウェイン、プーシキン、ボードレール 、ゴヤ、ゴーギャン、ゴッホ、ニーチェ、チェーホフ、カフカ、ドビュッシー、バルトーク、アンリ・ルソー、ピカソ、ムンク、キリコ、クレー、ユング 、アインシュタイン 、ディラック、ホーキング

内向的思考型
ナーガールジュナ(竜樹)、 ヴァスバンドゥ(世親)、孔子、プラトン、アリストテレス、マホメット、最澄、空海、道元、法然、ルター、カルヴァン、カント、ゲーテ、ヘーゲル 、マルクス、トルストイ、ドストエフスキー、セザンヌ 、フロイト、レーニン、ソルジェニーツィン、プーチン


我々には、自我があります。自我により、それぞれのわたしを、わたしと感じることができる。“わたし”や“わたしでないもの”を、区別できます。また、自分の外側にあるものや自分の内側にあるものを知覚し、反応する。
それぞれの人間には、受け取り方や反応の、パターンがあります。人間には、物事を知覚し受け取る機能や、それに対して反応する機能が、備わっている。人間の「タイプ」というのは、いわば、その機能の使い方。どれを好んで使うかという傾向です。

ユング性格学 [二つの態度 心理学的タイプ」

外向的な人は
「社交的で、率直で、協調的で、与えられた状況にたやすく順応し、すぐに愛着を示し、疑うことを知らず、時とすると、軽率な確信をもって未知の状況のなかへと飛び込んでゆく」。

内向的な人は
「引っ込み思案で、内省的で、恥ずかしがり屋で、外界の対象になかなか近づこうとせず、殻に閉じこもりがちで、つねにどこか防衛的で、何事につけまず疑ってかかり、あれこれ詮索する」。


ユング性格学「四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚” “思考” “感情” “直観” と呼びました。
人は生まれながらに、この四つの機能、すべてを備えている。

では、なぜ、性格に違いがあるのか?
前述の通り、人はこのうちのどれかを、好んで使うようになります。何を主に用いるかによって、性格は違ってくる。また、現実に対する態度が“外向的”か“内向的”かによって、同じ機能でも、違いが出てきます。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。

思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。

感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。

直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


感覚は、五感を通して受け取る機能。景色や色、肌触り、温度、音、におい、味、などを受け取る。また、イメージも受け取ります(五感を通して感じるような、イメージ)。

直観は、可能性を受け取る機能。これは何になるのか? 何に使えるか? どうなっていくのか? それを――理屈を越えて――受け取ります。いわゆる、第六感というものでしょうか。

思考は、分類したり、照らし合わせたりします。それは何に属するのか? それはどういうものか? そういうことを考えたり、組み合わせたりする。それを判断材料にします。

感情は、言葉の通り、感情によって分類したり、判断したりする。好きか嫌いか? 心地好いのか、不快なのか? 美しいと思うのか、醜いと思うのか? そうやって、判断する。

人は、受け取る機能である“非合理的機能”を一つと、判断する機能である“合理的機能”を一つの、計二つを、主に使います。

ただ、主に使う二つの中でも、どちらかが優位に立ちます。どちらかといえば判断が優先されるのか、どちらかといえば受け取ることが優先されるのか、そういった差が出る。


この内、一番よく使われる機能を、“主要機能”(主機能)、あるいは“優越機能”と呼び、二番目に使われる機能を、“補助機能”と呼びます。

そして、残りの二つの機能はあまり使われず、無意識に存在することになる。これを、“劣等機能”と呼びます。

劣等機能は無意識に留まり、あまり使われないので、影と関係していくことになります。

今まで書いてきた、生きてない半面などが、これに関わってくる。

非合理的機能である「感覚と直観」、合理的機能である「思考と感情」は、それぞれ、対立するペアになります。

受け取り方は一つ、判断の仕方は一つ、両方は使えません。(まったく使えないわけでもありませんが)


五感を通して知覚する感覚タイプは、脳の処理をそれに使うので、可能性はあまり知覚しない。直観に対し、脳を使いません。使うにしても、ごくわずかしか使わない。

逆に、可能性を知覚する直観タイプは、脳の処理をそれに使うので、感覚に対して疎かになる。まったく使わないわけではないですが、ごく限られたものになる。

処理領域が決まっているので、主に使う機能に大部分を使えば、それ以外に使える領域は、どうしても少なくなるんですね。(パソコンと同じです)


同じ原理で、思考と感情も、対立します。

思考で判断する人は、それに脳を使うので、感情を受け取ることには、淡白です。

逆に、感情で判断する人は、それに脳を使うので、考えることはあまりしない。

脳を何かに使えば使うほど、他に処理する領域が狭くなり、反対の機能に使える分が少なくなります。


人間が物事に対処するには、受け取る機能と判断する機能がいる。

その二つのために脳の処理機能を使えば、残りの機能に対して使える領域は、わずかになる。

したがって、残りの二つの機能は、未活性なままになります。
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1880.html
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/761.html#c4

[番外地11] 要するに、アメリカの思想家は外向的な性格だ、というだけの事ですね。 それに対してヨーロッパやインドの思想家は内向的性格で… 中川隆
5. 中川隆[-10529] koaQ7Jey 2024年5月23日 05:44:46 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[5]
<■93行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
要するに、アメリカの思想家は外向的な性格、ヨーロッパやインドの思想家は内向的性格、というだけの事ですね:
ユング性格学 八つの心理学的タイプ
「外向的・内向的の二つの態度 、“感覚” “思考” “感情” “直観” の四つの機能 、 2×4 で八つの心理学的タイプが定義できます。」
アメリカの思想家は外向的思考型、ヨーロッパやインドの思想家は内向的思考型か内向的直観型。

内向的直観型
釈迦、ゾロアスター、老子、イエス、ソクラテス、レオナルド・ダ・ヴィンチ、コペルニクス、空也、親鸞、日蓮、シェークスピア、モーツァルト、エドガー・アラン・ポー、マーク・トウェイン、プーシキン、ボードレール 、ゴーギャン、ゴッホ、ニーチェ、チェーホフ、カフカ、ドビュッシー、アンリ・ルソー、ピカソ、ムンク、ユング 、アインシュタイン 、ディラック、ファインマン、ホーキング

内向的思考型
ナーガールジュナ(竜樹)、 ヴァスバンドゥ(世親)、孔子、プラトン、アリストテレス、マホメット、最澄、空海、道元、法然、ルター、カルヴァン、カント、ヘーゲル 、ゲーテ、ベートーヴェン、マルクス、トルストイ、ドストエフスキー、セザンヌ 、フロイト、レーニン、バルトーク、ハイゼンベルク、ジョン・フォン・ノイマン、ソルジェニーツィン、プーチン


我々には、自我があります。自我により、それぞれのわたしを、わたしと感じることができる。“わたし”や“わたしでないもの”を、区別できます。また、自分の外側にあるものや自分の内側にあるものを知覚し、反応する。
それぞれの人間には、受け取り方や反応の、パターンがあります。人間には、物事を知覚し受け取る機能や、それに対して反応する機能が、備わっている。人間の「タイプ」というのは、いわば、その機能の使い方。どれを好んで使うかという傾向です。

ユング性格学 [二つの態度 心理学的タイプ」

外向的な人は
「社交的で、率直で、協調的で、与えられた状況にたやすく順応し、すぐに愛着を示し、疑うことを知らず、時とすると、軽率な確信をもって未知の状況のなかへと飛び込んでゆく」。

内向的な人は
「引っ込み思案で、内省的で、恥ずかしがり屋で、外界の対象になかなか近づこうとせず、殻に閉じこもりがちで、つねにどこか防衛的で、何事につけまず疑ってかかり、あれこれ詮索する」。


ユング性格学「四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚” “思考” “感情” “直観” と呼びました。
人は生まれながらに、この四つの機能、すべてを備えている。

では、なぜ、性格に違いがあるのか?
前述の通り、人はこのうちのどれかを、好んで使うようになります。何を主に用いるかによって、性格は違ってくる。また、現実に対する態度が“外向的”か“内向的”かによって、同じ機能でも、違いが出てきます。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。

思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。

感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。

直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


感覚は、五感を通して受け取る機能。景色や色、肌触り、温度、音、におい、味、などを受け取る。また、イメージも受け取ります(五感を通して感じるような、イメージ)。

直観は、可能性を受け取る機能。これは何になるのか? 何に使えるか? どうなっていくのか? それを――理屈を越えて――受け取ります。いわゆる、第六感というものでしょうか。

思考は、分類したり、照らし合わせたりします。それは何に属するのか? それはどういうものか? そういうことを考えたり、組み合わせたりする。それを判断材料にします。

感情は、言葉の通り、感情によって分類したり、判断したりする。好きか嫌いか? 心地好いのか、不快なのか? 美しいと思うのか、醜いと思うのか? そうやって、判断する。

人は、受け取る機能である“非合理的機能”を一つと、判断する機能である“合理的機能”を一つの、計二つを、主に使います。

ただ、主に使う二つの中でも、どちらかが優位に立ちます。どちらかといえば判断が優先されるのか、どちらかといえば受け取ることが優先されるのか、そういった差が出る。


この内、一番よく使われる機能を、“主要機能”(主機能)、あるいは“優越機能”と呼び、二番目に使われる機能を、“補助機能”と呼びます。

そして、残りの二つの機能はあまり使われず、無意識に存在することになる。これを、“劣等機能”と呼びます。

劣等機能は無意識に留まり、あまり使われないので、影と関係していくことになります。

今まで書いてきた、生きてない半面などが、これに関わってくる。

非合理的機能である「感覚と直観」、合理的機能である「思考と感情」は、それぞれ、対立するペアになります。

受け取り方は一つ、判断の仕方は一つ、両方は使えません。(まったく使えないわけでもありませんが)


五感を通して知覚する感覚タイプは、脳の処理をそれに使うので、可能性はあまり知覚しない。直観に対し、脳を使いません。使うにしても、ごくわずかしか使わない。

逆に、可能性を知覚する直観タイプは、脳の処理をそれに使うので、感覚に対して疎かになる。まったく使わないわけではないですが、ごく限られたものになる。

処理領域が決まっているので、主に使う機能に大部分を使えば、それ以外に使える領域は、どうしても少なくなるんですね。(パソコンと同じです)


同じ原理で、思考と感情も、対立します。

思考で判断する人は、それに脳を使うので、感情を受け取ることには、淡白です。

逆に、感情で判断する人は、それに脳を使うので、考えることはあまりしない。

脳を何かに使えば使うほど、他に処理する領域が狭くなり、反対の機能に使える分が少なくなります。


人間が物事に対処するには、受け取る機能と判断する機能がいる。

その二つのために脳の処理機能を使えば、残りの機能に対して使える領域は、わずかになる。

したがって、残りの二つの機能は、未活性なままになります。
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1880.html
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/761.html#c5

[番外地11] 要するに、アメリカの思想家は外向的な性格だ、というだけの事ですね。 それに対してヨーロッパやインドの思想家は内向的性格で… 中川隆
6. 中川隆[-10528] koaQ7Jey 2024年5月23日 05:53:03 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[6]
<■95行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
要するに、アメリカの思想家は外向的な性格、ヨーロッパやインドの思想家は内向的性格、というだけの事ですね:
ユング性格学 八つの心理学的タイプ
「外向的・内向的の二つの態度 、“感覚” “思考” “感情” “直観” の四つの機能 、 2×4 で八つの心理学的タイプが定義できます。」
アメリカの思想家は外向的思考型、ヨーロッパやインドの思想家は内向的思考型か内向的直観型。

内向的直観型
釈迦、ゾロアスター、老子、イエス、ソクラテス、レオナルド・ダ・ヴィンチ、コペルニクス、空也、親鸞、日蓮、シェークスピア、モンテヴェルディ、ヘンデル、モーツァルト、ショパン、エドガー・アラン・ポー、マーク・トウェイン、プーシキン、ボードレール 、ゴーギャン、ゴッホ、ニーチェ、チェーホフ、カフカ、ドビュッシー、アンリ・ルソー、ピカソ、ムンク、ユング 、アインシュタイン 、ディラック、ファインマン、ホーキング

内向的思考型
ナーガールジュナ(竜樹)、 ヴァスバンドゥ(世親)、孔子、プラトン、アリストテレス、マホメット、最澄、空海、道元、法然、ルター、カルヴァン、カント、ヘーゲル 、バッハ、ハイドン、ゲーテ、ベートーヴェン、ブルックナー、ワーグナー、ブラームス、マルクス、トルストイ、ドストエフスキー、セザンヌ 、フロイト、レーニン、バルトーク、パウリ、ハイゼンベルク、ジョン・フォン・ノイマン、ソルジェニーツィン、プーチン


我々には、自我があります。自我により、それぞれのわたしを、わたしと感じることができる。“わたし”や“わたしでないもの”を、区別できます。また、自分の外側にあるものや自分の内側にあるものを知覚し、反応する。
それぞれの人間には、受け取り方や反応の、パターンがあります。人間には、物事を知覚し受け取る機能や、それに対して反応する機能が、備わっている。人間の「タイプ」というのは、いわば、その機能の使い方。どれを好んで使うかという傾向です。

ユング性格学 [二つの態度 心理学的タイプ」

外向的な人は
「社交的で、率直で、協調的で、与えられた状況にたやすく順応し、すぐに愛着を示し、疑うことを知らず、時とすると、軽率な確信をもって未知の状況のなかへと飛び込んでゆく」。

内向的な人は
「引っ込み思案で、内省的で、恥ずかしがり屋で、外界の対象になかなか近づこうとせず、殻に閉じこもりがちで、つねにどこか防衛的で、何事につけまず疑ってかかり、あれこれ詮索する」。


ユング性格学「四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚” “思考” “感情” “直観” と呼びました。
人は生まれながらに、この四つの機能、すべてを備えている。

では、なぜ、性格に違いがあるのか?
前述の通り、人はこのうちのどれかを、好んで使うようになります。何を主に用いるかによって、性格は違ってくる。また、現実に対する態度が“外向的”か“内向的”かによって、同じ機能でも、違いが出てきます。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。

思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。

感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。

直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


感覚は、五感を通して受け取る機能。景色や色、肌触り、温度、音、におい、味、などを受け取る。また、イメージも受け取ります(五感を通して感じるような、イメージ)。

直観は、可能性を受け取る機能。これは何になるのか? 何に使えるか? どうなっていくのか? それを――理屈を越えて――受け取ります。いわゆる、第六感というものでしょうか。

思考は、分類したり、照らし合わせたりします。それは何に属するのか? それはどういうものか? そういうことを考えたり、組み合わせたりする。それを判断材料にします。

感情は、言葉の通り、感情によって分類したり、判断したりする。好きか嫌いか? 心地好いのか、不快なのか? 美しいと思うのか、醜いと思うのか? そうやって、判断する。

人は、受け取る機能である“非合理的機能”を一つと、判断する機能である“合理的機能”を一つの、計二つを、主に使います。

ただ、主に使う二つの中でも、どちらかが優位に立ちます。どちらかといえば判断が優先されるのか、どちらかといえば受け取ることが優先されるのか、そういった差が出る。


この内、一番よく使われる機能を、“主要機能”(主機能)、あるいは“優越機能”と呼び、二番目に使われる機能を、“補助機能”と呼びます。

そして、残りの二つの機能はあまり使われず、無意識に存在することになる。これを、“劣等機能”と呼びます。

劣等機能は無意識に留まり、あまり使われないので、影と関係していくことになります。

今まで書いてきた、生きてない半面などが、これに関わってくる。

非合理的機能である「感覚と直観」、合理的機能である「思考と感情」は、それぞれ、対立するペアになります。

受け取り方は一つ、判断の仕方は一つ、両方は使えません。(まったく使えないわけでもありませんが)


五感を通して知覚する感覚タイプは、脳の処理をそれに使うので、可能性はあまり知覚しない。直観に対し、脳を使いません。使うにしても、ごくわずかしか使わない。

逆に、可能性を知覚する直観タイプは、脳の処理をそれに使うので、感覚に対して疎かになる。まったく使わないわけではないですが、ごく限られたものになる。

処理領域が決まっているので、主に使う機能に大部分を使えば、それ以外に使える領域は、どうしても少なくなるんですね。(パソコンと同じです)


同じ原理で、思考と感情も、対立します。

思考で判断する人は、それに脳を使うので、感情を受け取ることには、淡白です。

逆に、感情で判断する人は、それに脳を使うので、考えることはあまりしない。

脳を何かに使えば使うほど、他に処理する領域が狭くなり、反対の機能に使える分が少なくなります。


人間が物事に対処するには、受け取る機能と判断する機能がいる。

その二つのために脳の処理機能を使えば、残りの機能に対して使える領域は、わずかになる。

したがって、残りの二つの機能は、未活性なままになります。
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1880.html
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/761.html#c6

[番外地11] 要するに、アメリカの思想家は外向的な性格だ、というだけの事ですね。 それに対してヨーロッパやインドの思想家は内向的性格で… 中川隆
7. 中川隆[-10527] koaQ7Jey 2024年5月23日 06:27:30 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[7]
<■112行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
要するに、アメリカの思想家は外向的な性格、ヨーロッパやインドの思想家は内向的性格、というだけの事ですね:
ユング性格学 八つの心理学的タイプ
「外向的・内向的の二つの態度 、“感覚” “思考” “感情” “直観” の四つの機能 、 2×4 で八つの心理学的タイプが定義できます。」
アメリカの思想家は外向的思考型か外向的直観型、ヨーロッパやインドの思想家は内向的思考型か内向的直観型。

内向的直観型
釈迦、ゾロアスター、老子、イエス、ソクラテス、レオナルド・ダ・ヴィンチ、コペルニクス、空也、親鸞、日蓮、シェークスピア、モンテヴェルディ、ヘンデル、モーツァルト、ショパン、エドガー・アラン・ポー、マーク・トウェイン、プーシキン、ボードレール 、ゴーギャン、ゴッホ、ニーチェ、チェーホフ、カフカ、ドビュッシー、アンリ・ルソー、ピカソ、ムンク、ユング 、アインシュタイン 、ディラック、ファインマン、ホーキング

内向的思考型
ナーガールジュナ(竜樹)、 ヴァスバンドゥ(世親)、孔子、プラトン、アリストテレス、マホメット、最澄、空海、道元、法然、ルター、カルヴァン、カント、ヘーゲル 、バッハ、ハイドン、ゲーテ、ベートーヴェン、ブルックナー、ワーグナー、ブラームス、マルクス、トルストイ、ドストエフスキー、セザンヌ 、フロイト、レーニン、バルトーク、パウリ、ハイゼンベルク、ジョン・フォン・ノイマン、ソルジェニーツィン、プーチン


我々には、自我があります。自我により、それぞれのわたしを、わたしと感じることができる。“わたし”や“わたしでないもの”を、区別できます。また、自分の外側にあるものや自分の内側にあるものを知覚し、反応する。
それぞれの人間には、受け取り方や反応の、パターンがあります。人間には、物事を知覚し受け取る機能や、それに対して反応する機能が、備わっている。人間の「タイプ」というのは、いわば、その機能の使い方。どれを好んで使うかという傾向です。

タイプ論における2つの態度(内向・外向)

外向型の特徴
興味関心が外の世界へと向かい、外界の刺激に影響を受けやすい態度のこと。

何か物事をした後で考える。経験してみないと理解できない。
新しい未知の世界に気安く飛び込んでいく。
関心と注意は、身近な環境、人間と物の現実世界に注がれる。
行動から思考へ行き、行動へと戻る。
大事な事を行う時、常に客観的な条件を重んじる。
理解されやすく、受容的で、しばしば社交的。
観念の世界よりも人と物の世界にいるほうが心地よい。
情熱を内に秘めず、随時気持ちを発散させる。
よく見られる欠点は、知的浅薄さの傾向で、極端な外向タイプに顕著。
健康で円満であるためには、つりあいを取る内向性を適度に発達させる事が必要。
など

内向型の特徴
興味関心が自分の内なる世界へと向かい、自己に関心が集まりやすい態度。
※単に他者とのコミュニケーションが上手とかおしゃべりとかそういう話ではない。

何か物事をする前に考える。理解しないと動けない。
未知の世界へと飛び込む事には慎重である。
関心と注意は心的現実、観念と悟性の内的世界に注がれる。
思索から行動へ行き、思索へと戻る。
大事な事を行う時、常に主観的価値を重んじる。
ミステリアスな部分が多く、深みがある。しばしば寡黙で内気。
人と物の世界よりも観念の世界にいるほうが心地よい。
激しい情熱をうちに姫、これを大切なものとして大事にする。
よく見られる欠点は、非現実的な傾向で、これは極端な内的タイプに顕著である。
健康で円満であるためには、つりあいを取る外交性を適度に発達させる事が必要。


ユング性格学「四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚” “思考” “感情” “直観” と呼びました。
人は生まれながらに、この四つの機能、すべてを備えている。

では、なぜ、性格に違いがあるのか?
前述の通り、人はこのうちのどれかを、好んで使うようになります。何を主に用いるかによって、性格は違ってくる。また、現実に対する態度が“外向的”か“内向的”かによって、同じ機能でも、違いが出てきます。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。

思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。

感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。

直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


感覚は、五感を通して受け取る機能。景色や色、肌触り、温度、音、におい、味、などを受け取る。また、イメージも受け取ります(五感を通して感じるような、イメージ)。

直観は、可能性を受け取る機能。これは何になるのか? 何に使えるか? どうなっていくのか? それを――理屈を越えて――受け取ります。いわゆる、第六感というものでしょうか。

思考は、分類したり、照らし合わせたりします。それは何に属するのか? それはどういうものか? そういうことを考えたり、組み合わせたりする。それを判断材料にします。

感情は、言葉の通り、感情によって分類したり、判断したりする。好きか嫌いか? 心地好いのか、不快なのか? 美しいと思うのか、醜いと思うのか? そうやって、判断する。

人は、受け取る機能である“非合理的機能”を一つと、判断する機能である“合理的機能”を一つの、計二つを、主に使います。

ただ、主に使う二つの中でも、どちらかが優位に立ちます。どちらかといえば判断が優先されるのか、どちらかといえば受け取ることが優先されるのか、そういった差が出る。


この内、一番よく使われる機能を、“主要機能”(主機能)、あるいは“優越機能”と呼び、二番目に使われる機能を、“補助機能”と呼びます。

そして、残りの二つの機能はあまり使われず、無意識に存在することになる。これを、“劣等機能”と呼びます。

劣等機能は無意識に留まり、あまり使われないので、影と関係していくことになります。

今まで書いてきた、生きてない半面などが、これに関わってくる。

非合理的機能である「感覚と直観」、合理的機能である「思考と感情」は、それぞれ、対立するペアになります。

受け取り方は一つ、判断の仕方は一つ、両方は使えません。(まったく使えないわけでもありませんが)


五感を通して知覚する感覚タイプは、脳の処理をそれに使うので、可能性はあまり知覚しない。直観に対し、脳を使いません。使うにしても、ごくわずかしか使わない。

逆に、可能性を知覚する直観タイプは、脳の処理をそれに使うので、感覚に対して疎かになる。まったく使わないわけではないですが、ごく限られたものになる。

処理領域が決まっているので、主に使う機能に大部分を使えば、それ以外に使える領域は、どうしても少なくなるんですね。(パソコンと同じです)


同じ原理で、思考と感情も、対立します。

思考で判断する人は、それに脳を使うので、感情を受け取ることには、淡白です。

逆に、感情で判断する人は、それに脳を使うので、考えることはあまりしない。

脳を何かに使えば使うほど、他に処理する領域が狭くなり、反対の機能に使える分が少なくなります。


人間が物事に対処するには、受け取る機能と判断する機能がいる。

その二つのために脳の処理機能を使えば、残りの機能に対して使える領域は、わずかになる。

したがって、残りの二つの機能は、未活性なままになります。
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1880.html
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/761.html#c7

[番外地11] 要するに、アメリカの思想家は外向的な性格だ、というだけの事ですね。 それに対してヨーロッパやインドの思想家は内向的性格で… 中川隆
8. 中川隆[-10526] koaQ7Jey 2024年5月23日 06:29:18 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[8]
<■112行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
要するに、アメリカの思想家は外向的な性格、ヨーロッパやインドの思想家は内向的性格、というだけの事ですね:
ユング性格学 八つの心理学的タイプ
「外向的・内向的の二つの態度 、“感覚” “思考” “感情” “直観” の四つの機能 、 2×4 で八つの心理学的タイプが定義できます。」
アメリカの思想家は外向的思考型か外向的直観型、ヨーロッパやインドの思想家は内向的思考型か内向的直観型。

内向的直観型
釈迦、ゾロアスター、老子、イエス、ソクラテス、レオナルド・ダ・ヴィンチ、コペルニクス、空也、親鸞、日蓮、シェークスピア、モンテヴェルディ、ヘンデル、モーツァルト、ショパン、エドガー・アラン・ポー、マーク・トウェイン、プーシキン、ボードレール 、ゴーギャン、ゴッホ、ニーチェ、チェーホフ、カフカ、ドビュッシー、アンリ・ルソー、ピカソ、ムンク、ユング 、アインシュタイン 、ディラック、ファインマン、ホーキング

内向的思考型
ナーガールジュナ(竜樹)、 ヴァスバンドゥ(世親)、孔子、プラトン、アリストテレス、マホメット、最澄、空海、道元、法然、ルター、カルヴァン、カント、ヘーゲル 、バッハ、ハイドン、ゲーテ、ベートーヴェン、ブルックナー、ワーグナー、ブラームス、マルクス、トルストイ、ドストエフスキー、セザンヌ 、フロイト、レーニン、バルトーク、パウリ、ハイゼンベルク、ジョン・フォン・ノイマン、ソルジェニーツィン、プーチン


我々には、自我があります。自我により、それぞれのわたしを、わたしと感じることができる。“わたし”や“わたしでないもの”を、区別できます。また、自分の外側にあるものや自分の内側にあるものを知覚し、反応する。
それぞれの人間には、受け取り方や反応の、パターンがあります。人間には、物事を知覚し受け取る機能や、それに対して反応する機能が、備わっている。人間の「タイプ」というのは、いわば、その機能の使い方。どれを好んで使うかという傾向です。

タイプ論における2つの態度(内向的・外向的)

外向的の特徴
興味関心が外の世界へと向かい、外界の刺激に影響を受けやすい態度のこと。

何か物事をした後で考える。経験してみないと理解できない。
新しい未知の世界に気安く飛び込んでいく。
関心と注意は、身近な環境、人間と物の現実世界に注がれる。
行動から思考へ行き、行動へと戻る。
大事な事を行う時、常に客観的な条件を重んじる。
理解されやすく、受容的で、しばしば社交的。
観念の世界よりも人と物の世界にいるほうが心地よい。
情熱を内に秘めず、随時気持ちを発散させる。
よく見られる欠点は、知的浅薄さの傾向で、極端な外向タイプに顕著。
健康で円満であるためには、つりあいを取る内向性を適度に発達させる事が必要。


内向的の特徴
興味関心が自分の内なる世界へと向かい、自己に関心が集まりやすい態度。
※単に他者とのコミュニケーションが上手とかおしゃべりとかそういう話ではない。

何か物事をする前に考える。理解しないと動けない。
未知の世界へと飛び込む事には慎重である。
関心と注意は心的現実、観念と悟性の内的世界に注がれる。
思索から行動へ行き、思索へと戻る。
大事な事を行う時、常に主観的価値を重んじる。
ミステリアスな部分が多く、深みがある。しばしば寡黙で内気。
人と物の世界よりも観念の世界にいるほうが心地よい。
激しい情熱をうちに姫、これを大切なものとして大事にする。
よく見られる欠点は、非現実的な傾向で、これは極端な内的タイプに顕著である。
健康で円満であるためには、つりあいを取る外交性を適度に発達させる事が必要。


ユング性格学「四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚” “思考” “感情” “直観” と呼びました。
人は生まれながらに、この四つの機能、すべてを備えている。

では、なぜ、性格に違いがあるのか?
前述の通り、人はこのうちのどれかを、好んで使うようになります。何を主に用いるかによって、性格は違ってくる。また、現実に対する態度が“外向的”か“内向的”かによって、同じ機能でも、違いが出てきます。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。

思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。

感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。

直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


感覚は、五感を通して受け取る機能。景色や色、肌触り、温度、音、におい、味、などを受け取る。また、イメージも受け取ります(五感を通して感じるような、イメージ)。

直観は、可能性を受け取る機能。これは何になるのか? 何に使えるか? どうなっていくのか? それを――理屈を越えて――受け取ります。いわゆる、第六感というものでしょうか。

思考は、分類したり、照らし合わせたりします。それは何に属するのか? それはどういうものか? そういうことを考えたり、組み合わせたりする。それを判断材料にします。

感情は、言葉の通り、感情によって分類したり、判断したりする。好きか嫌いか? 心地好いのか、不快なのか? 美しいと思うのか、醜いと思うのか? そうやって、判断する。

人は、受け取る機能である“非合理的機能”を一つと、判断する機能である“合理的機能”を一つの、計二つを、主に使います。

ただ、主に使う二つの中でも、どちらかが優位に立ちます。どちらかといえば判断が優先されるのか、どちらかといえば受け取ることが優先されるのか、そういった差が出る。


この内、一番よく使われる機能を、“主要機能”(主機能)、あるいは“優越機能”と呼び、二番目に使われる機能を、“補助機能”と呼びます。

そして、残りの二つの機能はあまり使われず、無意識に存在することになる。これを、“劣等機能”と呼びます。

劣等機能は無意識に留まり、あまり使われないので、影と関係していくことになります。

今まで書いてきた、生きてない半面などが、これに関わってくる。

非合理的機能である「感覚と直観」、合理的機能である「思考と感情」は、それぞれ、対立するペアになります。

受け取り方は一つ、判断の仕方は一つ、両方は使えません。(まったく使えないわけでもありませんが)


五感を通して知覚する感覚タイプは、脳の処理をそれに使うので、可能性はあまり知覚しない。直観に対し、脳を使いません。使うにしても、ごくわずかしか使わない。

逆に、可能性を知覚する直観タイプは、脳の処理をそれに使うので、感覚に対して疎かになる。まったく使わないわけではないですが、ごく限られたものになる。

処理領域が決まっているので、主に使う機能に大部分を使えば、それ以外に使える領域は、どうしても少なくなるんですね。(パソコンと同じです)


同じ原理で、思考と感情も、対立します。

思考で判断する人は、それに脳を使うので、感情を受け取ることには、淡白です。

逆に、感情で判断する人は、それに脳を使うので、考えることはあまりしない。

脳を何かに使えば使うほど、他に処理する領域が狭くなり、反対の機能に使える分が少なくなります。


人間が物事に対処するには、受け取る機能と判断する機能がいる。

その二つのために脳の処理機能を使えば、残りの機能に対して使える領域は、わずかになる。

したがって、残りの二つの機能は、未活性なままになります。
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1880.html
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/761.html#c8

[番外地11] 要するに、アメリカの思想家は外向的な性格だ、というだけの事ですね。 それに対してヨーロッパやインドの思想家は内向的性格で… 中川隆
9. 中川隆[-10525] koaQ7Jey 2024年5月23日 06:54:22 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[9]
<■115行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
要するに、アメリカの思想家は外向的な性格、ヨーロッパやインドの思想家は内向的性格、というだけの事ですね:
ユング性格学 八つの心理学的タイプ
「外向的・内向的の二つの態度 、“感覚” “思考” “感情” “直観” の四つの機能 、 2×4 で八つの心理学的タイプが定義できます。」
アメリカの思想家は外向的思考型か外向的直観型、ヨーロッパやインドの思想家は内向的思考型か内向的直観型。

内向的直観型
釈迦、ゾロアスター、老子、イエス、ソクラテス、レオナルド・ダ・ヴィンチ、コペルニクス、シェークスピア、モンテヴェルディ、ヘンデル、モーツァルト、ショパン、フォーレ、ストラヴィンスキー、シベリウス、ショーペンハウアー、エドガー・アラン・ポー、マーク・トウェイン、プーシキン、ボードレール 、ゴーギャン、ゴッホ、ニーチェ、チェーホフ、カフカ、ドビュッシー、アンリ・ルソー、ピカソ、ムンク、ユング 、アインシュタイン 、ディラック、ファインマン、ホーキング
柿本人麻呂、親鸞、日蓮、世阿弥、松尾芭蕉、宮沢賢治、石川啄木、折口信夫、小林秀雄、中原中也、梅原猛、つげ義春、宮崎駿

内向的思考型
ナーガールジュナ(竜樹)、 ヴァスバンドゥ(世親)、孔子、プラトン、アリストテレス、マホメット、ミケランジェロ、ルター、カルヴァン、カント、ヘーゲル 、バッハ、ハイドン、ゲーテ、ベートーヴェン、ブルックナー、ワーグナー、ブラームス、マルクス、トルストイ、ドストエフスキー、セザンヌ 、フロイト、レーニン、バルトーク、パウリ、ハイゼンベルク、ジョン・フォン・ノイマン、ソルジェニーツィン、プーチン
最澄、空海、道元、法然、柳田國男


我々には、自我があります。自我により、それぞれのわたしを、わたしと感じることができる。“わたし”や“わたしでないもの”を、区別できます。また、自分の外側にあるものや自分の内側にあるものを知覚し、反応する。
それぞれの人間には、受け取り方や反応の、パターンがあります。人間には、物事を知覚し受け取る機能や、それに対して反応する機能が、備わっている。人間の「タイプ」というのは、いわば、その機能の使い方。どれを好んで使うかという傾向です。

タイプ論における2つの態度(内向的・外向的)

外向的の特徴
興味関心が外の世界へと向かい、外界の刺激に影響を受けやすい態度のこと。

何か物事をした後で考える。経験してみないと理解できない。
新しい未知の世界に気安く飛び込んでいく。
関心と注意は、身近な環境、人間と物の現実世界に注がれる。
行動から思考へ行き、行動へと戻る。
大事な事を行う時、常に客観的な条件を重んじる。
理解されやすく、受容的で、しばしば社交的。
観念の世界よりも人と物の世界にいるほうが心地よい。
情熱を内に秘めず、随時気持ちを発散させる。
よく見られる欠点は、知的浅薄さの傾向で、極端な外向タイプに顕著。
健康で円満であるためには、つりあいを取る内向性を適度に発達させる事が必要。


内向的の特徴
興味関心が自分の内なる世界へと向かい、自己に関心が集まりやすい態度。
※単に他者とのコミュニケーションが上手とかおしゃべりとかそういう話ではない。

何か物事をする前に考える。理解しないと動けない。
未知の世界へと飛び込む事には慎重である。
関心と注意は心的現実、観念と悟性の内的世界に注がれる。
思索から行動へ行き、思索へと戻る。
大事な事を行う時、常に主観的価値を重んじる。
ミステリアスな部分が多く、深みがある。しばしば寡黙で内気。
人と物の世界よりも観念の世界にいるほうが心地よい。
激しい情熱をうちに姫、これを大切なものとして大事にする。
よく見られる欠点は、非現実的な傾向で、これは極端な内的タイプに顕著である。
健康で円満であるためには、つりあいを取る外交性を適度に発達させる事が必要。


ユング性格学「四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚” “思考” “感情” “直観” と呼びました。
人は生まれながらに、この四つの機能、すべてを備えている。

では、なぜ、性格に違いがあるのか?
前述の通り、人はこのうちのどれかを、好んで使うようになります。何を主に用いるかによって、性格は違ってくる。また、現実に対する態度が“外向的”か“内向的”かによって、同じ機能でも、違いが出てきます。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。

思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。

感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。

直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


感覚は、五感を通して受け取る機能。景色や色、肌触り、温度、音、におい、味、などを受け取る。また、イメージも受け取ります(五感を通して感じるような、イメージ)。

直観は、可能性を受け取る機能。これは何になるのか? 何に使えるか? どうなっていくのか? それを――理屈を越えて――受け取ります。いわゆる、第六感というものでしょうか。

思考は、分類したり、照らし合わせたりします。それは何に属するのか? それはどういうものか? そういうことを考えたり、組み合わせたりする。それを判断材料にします。

感情は、言葉の通り、感情によって分類したり、判断したりする。好きか嫌いか? 心地好いのか、不快なのか? 美しいと思うのか、醜いと思うのか? そうやって、判断する。

人は、受け取る機能である“非合理的機能”を一つと、判断する機能である“合理的機能”を一つの、計二つを、主に使います。

ただ、主に使う二つの中でも、どちらかが優位に立ちます。どちらかといえば判断が優先されるのか、どちらかといえば受け取ることが優先されるのか、そういった差が出る。


この内、一番よく使われる機能を、“主要機能”(主機能)、あるいは“優越機能”と呼び、二番目に使われる機能を、“補助機能”と呼びます。

そして、残りの二つの機能はあまり使われず、無意識に存在することになる。これを、“劣等機能”と呼びます。

劣等機能は無意識に留まり、あまり使われないので、影と関係していくことになります。

今まで書いてきた、生きてない半面などが、これに関わってくる。

非合理的機能である「感覚と直観」、合理的機能である「思考と感情」は、それぞれ、対立するペアになります。

受け取り方は一つ、判断の仕方は一つ、両方は使えません。(まったく使えないわけでもありませんが)


五感を通して知覚する感覚タイプは、脳の処理をそれに使うので、可能性はあまり知覚しない。直観に対し、脳を使いません。使うにしても、ごくわずかしか使わない。

逆に、可能性を知覚する直観タイプは、脳の処理をそれに使うので、感覚に対して疎かになる。まったく使わないわけではないですが、ごく限られたものになる。

処理領域が決まっているので、主に使う機能に大部分を使えば、それ以外に使える領域は、どうしても少なくなるんですね。(パソコンと同じです)


同じ原理で、思考と感情も、対立します。

思考で判断する人は、それに脳を使うので、感情を受け取ることには、淡白です。

逆に、感情で判断する人は、それに脳を使うので、考えることはあまりしない。

脳を何かに使えば使うほど、他に処理する領域が狭くなり、反対の機能に使える分が少なくなります。


人間が物事に対処するには、受け取る機能と判断する機能がいる。

その二つのために脳の処理機能を使えば、残りの機能に対して使える領域は、わずかになる。

したがって、残りの二つの機能は、未活性なままになります。
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1880.html
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/761.html#c9

[番外地11] 要するに、アメリカの思想家は外向的な性格だ、というだけの事ですね。 それに対してヨーロッパやインドの思想家は内向的性格で… 中川隆
10. 中川隆[-10524] koaQ7Jey 2024年5月23日 07:04:27 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[10]
<■115行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
要するに、アメリカの思想家は外向的な性格、ヨーロッパやインドの思想家は内向的性格、というだけの事ですね:
ユング性格学 八つの心理学的タイプ
「外向的・内向的の二つの態度 、“感覚” “思考” “感情” “直観” の四つの機能 、 2×4 で八つの心理学的タイプが定義できます。」
アメリカの思想家は外向的思考型か外向的直観型、ヨーロッパやインドの思想家は内向的思考型か内向的直観型。

内向的直観型
釈迦、ゾロアスター、老子、イエス、ソクラテス、ショーペンハウアー 、ニーチェ、ユング
シェークスピア、エドガー・アラン・ポー、マーク・トウェイン、プーシキン、ボードレール、チェーホフ、カフカ
コペルニクス、アインシュタイン 、ディラック、ファインマン、ホーキング
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ゴーギャン、ゴッホ、アンリ・ルソー、ピカソ、ムンク
モンテヴェルディ、ヘンデル、モーツァルト、ショパン、フォーレ、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、シベリウス
柿本人麻呂、親鸞、日蓮、世阿弥、松尾芭蕉、宮沢賢治、石川啄木、折口信夫、小林秀雄、中原中也、梅原猛、つげ義春、宮崎駿

内向的思考型
ナーガールジュナ(竜樹)、 ヴァスバンドゥ(世親)、孔子、プラトン、アリストテレス、マホメット、ルター、カルヴァン、カント、ヘーゲル 、マルクス、フロイト、レーニン、プーチン
ゲーテ、トルストイ、ドストエフスキー、ソルジェニーツィン
パウリ、ハイゼンベルク、ジョン・フォン・ノイマン
ミケランジェロ、セザンヌ
バッハ、ハイドン、ベートーヴェン、ブルックナー、ワーグナー、ブラームス、バルトーク
最澄、空海、道元、法然、柳田國男


我々には、自我があります。自我により、それぞれのわたしを、わたしと感じることができる。“わたし”や“わたしでないもの”を、区別できます。また、自分の外側にあるものや自分の内側にあるものを知覚し、反応する。
それぞれの人間には、受け取り方や反応の、パターンがあります。人間には、物事を知覚し受け取る機能や、それに対して反応する機能が、備わっている。人間の「タイプ」というのは、いわば、その機能の使い方。どれを好んで使うかという傾向です。

タイプ論における2つの態度(内向的・外向的)

外向的の特徴
興味関心が外の世界へと向かい、外界の刺激に影響を受けやすい態度のこと。

何か物事をした後で考える。経験してみないと理解できない。
新しい未知の世界に気安く飛び込んでいく。
関心と注意は、身近な環境、人間と物の現実世界に注がれる。
行動から思考へ行き、行動へと戻る。
大事な事を行う時、常に客観的な条件を重んじる。
理解されやすく、受容的で、しばしば社交的。
観念の世界よりも人と物の世界にいるほうが心地よい。
情熱を内に秘めず、随時気持ちを発散させる。
よく見られる欠点は、知的浅薄さの傾向で、極端な外向タイプに顕著。
健康で円満であるためには、つりあいを取る内向性を適度に発達させる事が必要。


内向的の特徴
興味関心が自分の内なる世界へと向かい、自己に関心が集まりやすい態度。
※単に他者とのコミュニケーションが上手とかおしゃべりとかそういう話ではない。

何か物事をする前に考える。理解しないと動けない。
未知の世界へと飛び込む事には慎重である。
関心と注意は心的現実、観念と悟性の内的世界に注がれる。
思索から行動へ行き、思索へと戻る。
大事な事を行う時、常に主観的価値を重んじる。
ミステリアスな部分が多く、深みがある。しばしば寡黙で内気。
人と物の世界よりも観念の世界にいるほうが心地よい。
激しい情熱をうちに姫、これを大切なものとして大事にする。
よく見られる欠点は、非現実的な傾向で、これは極端な内的タイプに顕著である。
健康で円満であるためには、つりあいを取る外交性を適度に発達させる事が必要。


ユング性格学「四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚” “思考” “感情” “直観” と呼びました。
人は生まれながらに、この四つの機能、すべてを備えている。

では、なぜ、性格に違いがあるのか?
前述の通り、人はこのうちのどれかを、好んで使うようになります。何を主に用いるかによって、性格は違ってくる。また、現実に対する態度が“外向的”か“内向的”かによって、同じ機能でも、違いが出てきます。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。

思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。

感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。

直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


感覚は、五感を通して受け取る機能。景色や色、肌触り、温度、音、におい、味、などを受け取る。また、イメージも受け取ります(五感を通して感じるような、イメージ)。

直観は、可能性を受け取る機能。これは何になるのか? 何に使えるか? どうなっていくのか? それを――理屈を越えて――受け取ります。いわゆる、第六感というものでしょうか。

思考は、分類したり、照らし合わせたりします。それは何に属するのか? それはどういうものか? そういうことを考えたり、組み合わせたりする。それを判断材料にします。

感情は、言葉の通り、感情によって分類したり、判断したりする。好きか嫌いか? 心地好いのか、不快なのか? 美しいと思うのか、醜いと思うのか? そうやって、判断する。

人は、受け取る機能である“非合理的機能”を一つと、判断する機能である“合理的機能”を一つの、計二つを、主に使います。

ただ、主に使う二つの中でも、どちらかが優位に立ちます。どちらかといえば判断が優先されるのか、どちらかといえば受け取ることが優先されるのか、そういった差が出る。


この内、一番よく使われる機能を、“主要機能”(主機能)、あるいは“優越機能”と呼び、二番目に使われる機能を、“補助機能”と呼びます。

そして、残りの二つの機能はあまり使われず、無意識に存在することになる。これを、“劣等機能”と呼びます。

劣等機能は無意識に留まり、あまり使われないので、影と関係していくことになります。

今まで書いてきた、生きてない半面などが、これに関わってくる。

非合理的機能である「感覚と直観」、合理的機能である「思考と感情」は、それぞれ、対立するペアになります。

受け取り方は一つ、判断の仕方は一つ、両方は使えません。(まったく使えないわけでもありませんが)


五感を通して知覚する感覚タイプは、脳の処理をそれに使うので、可能性はあまり知覚しない。直観に対し、脳を使いません。使うにしても、ごくわずかしか使わない。

逆に、可能性を知覚する直観タイプは、脳の処理をそれに使うので、感覚に対して疎かになる。まったく使わないわけではないですが、ごく限られたものになる。

処理領域が決まっているので、主に使う機能に大部分を使えば、それ以外に使える領域は、どうしても少なくなるんですね。(パソコンと同じです)


同じ原理で、思考と感情も、対立します。

思考で判断する人は、それに脳を使うので、感情を受け取ることには、淡白です。

逆に、感情で判断する人は、それに脳を使うので、考えることはあまりしない。

脳を何かに使えば使うほど、他に処理する領域が狭くなり、反対の機能に使える分が少なくなります。


人間が物事に対処するには、受け取る機能と判断する機能がいる。

その二つのために脳の処理機能を使えば、残りの機能に対して使える領域は、わずかになる。

したがって、残りの二つの機能は、未活性なままになります。
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1880.html
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/761.html#c10

[番外地11] 要するに、アメリカの思想家は外向的な性格だ、というだけの事ですね。 それに対してヨーロッパやインドの思想家は内向的性格で… 中川隆
11. 中川隆[-10523] koaQ7Jey 2024年5月23日 07:23:46 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[11]
<■113行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
要するに、アメリカの思想家は外向的な性格、ヨーロッパやインドの思想家は内向的性格、というだけの事ですね:
ユング性格学 八つの心理学的タイプ
「外向的・内向的の二つの態度 、“感覚” “思考” “感情” “直観” の四つの機能 、 2×4 で八つの心理学的タイプが定義できます。」
アメリカの思想家は外向的思考型か外向的直観型、ヨーロッパやインドの思想家は内向的思考型か内向的直観型。

内向的直観型
釈迦、ゾロアスター、老子、イエス、ソクラテス、ショーペンハウアー 、ニーチェ、ユング
シェークスピア、ヘルダーリン、エドガー・アラン・ポー、マーク・トウェイン、プーシキン、ボードレール、チェーホフ、カフカ、マルセル・プルースト
コペルニクス、アインシュタイン 、ディラック、ファインマン、ホーキング
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ゴーギャン、ゴッホ、アンリ・ルソー、ピカソ、ムンク
モンテヴェルディ、ヘンデル、モーツァルト、ショパン、フォーレ、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、シベリウス
柿本人麻呂、親鸞、日蓮、世阿弥、松尾芭蕉、宮沢賢治、石川啄木、夏目漱石、芥川龍之介、折口信夫、小林秀雄、中原中也、梅原猛、つげ義春、宮崎駿

内向的思考型
ナーガールジュナ(竜樹)、 ヴァスバンドゥ(世親)、孔子、プラトン、アリストテレス、マホメット、ルター、カルヴァン、スピノザ、カント、ヘーゲル 、マルクス、フロイト、ハイデッガー、レーニン、プーチン
ゲーテ、トルストイ、ドストエフスキー、ソルジェニーツィン
パウリ、ハイゼンベルク、ジョン・フォン・ノイマン
ミケランジェロ、セザンヌ
バッハ、ハイドン、ベートーヴェン、ブルックナー、ワーグナー、ブラームス、バルトーク
最澄、空海、道元、法然、柳田國男


我々には、自我があります。自我により、それぞれのわたしを、わたしと感じることができる。“わたし”や“わたしでないもの”を、区別できます。また、自分の外側にあるものや自分の内側にあるものを知覚し、反応する。
それぞれの人間には、受け取り方や反応の、パターンがあります。人間には、物事を知覚し受け取る機能や、それに対して反応する機能が、備わっている。人間の「タイプ」というのは、いわば、その機能の使い方。どれを好んで使うかという傾向です。

タイプ論における2つの態度(内向的・外向的)

外向的の特徴
興味関心が外の世界へと向かい、外界の刺激に影響を受けやすい態度のこと。

何か物事をした後で考える。経験してみないと理解できない。
新しい未知の世界に気安く飛び込んでいく。
関心と注意は、身近な環境、人間と物の現実世界に注がれる。
行動から思考へ行き、行動へと戻る。
大事な事を行う時、常に客観的な条件を重んじる。
理解されやすく、受容的で、しばしば社交的。
観念の世界よりも人と物の世界にいるほうが心地よい。
情熱を内に秘めず、随時気持ちを発散させる。
よく見られる欠点は、知的浅薄さの傾向で、極端な外向タイプに顕著。
健康で円満であるためには、つりあいを取る内向性を適度に発達させる事が必要。


内向的の特徴
興味関心が自分の内なる世界へと向かい、自己に関心が集まりやすい態度。
※単に他者とのコミュニケーションが上手とかおしゃべりとかそういう話ではない。

何か物事をする前に考える。理解しないと動けない。
未知の世界へと飛び込む事には慎重である。
関心と注意は心的現実、観念と悟性の内的世界に注がれる。
思索から行動へ行き、思索へと戻る。
大事な事を行う時、常に主観的価値を重んじる。
ミステリアスな部分が多く、深みがある。しばしば寡黙で内気。
人と物の世界よりも観念の世界にいるほうが心地よい。
激しい情熱をうちに姫、これを大切なものとして大事にする。
よく見られる欠点は、非現実的な傾向で、これは極端な内的タイプに顕著である。
健康で円満であるためには、つりあいを取る外交性を適度に発達させる事が必要。


ユング性格学「四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚” “思考” “感情” “直観” と呼びました。
人は生まれながらに、この四つの機能、すべてを備えている。

では、なぜ、性格に違いがあるのか?
前述の通り、人はこのうちのどれかを、好んで使うようになります。何を主に用いるかによって、性格は違ってくる。また、現実に対する態度が“外向的”か“内向的”かによって、同じ機能でも、違いが出てきます。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。

思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。

感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。

直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


感覚は、五感を通して受け取る機能。景色や色、肌触り、温度、音、におい、味、などを受け取る。また、イメージも受け取ります(五感を通して感じるような、イメージ)。

直観は、可能性を受け取る機能。これは何になるのか? 何に使えるか? どうなっていくのか? それを――理屈を越えて――受け取ります。いわゆる、第六感というものでしょうか。

思考は、分類したり、照らし合わせたりします。それは何に属するのか? それはどういうものか? そういうことを考えたり、組み合わせたりする。それを判断材料にします。

感情は、言葉の通り、感情によって分類したり、判断したりする。好きか嫌いか? 心地好いのか、不快なのか? 美しいと思うのか、醜いと思うのか? そうやって、判断する。

人は、受け取る機能である“非合理的機能”を一つと、判断する機能である“合理的機能”を一つの、計二つを、主に使います。

ただ、主に使う二つの中でも、どちらかが優位に立ちます。どちらかといえば判断が優先されるのか、どちらかといえば受け取ることが優先されるのか、そういった差が出る。


この内、一番よく使われる機能を、“主要機能”(主機能)、あるいは“優越機能”と呼び、二番目に使われる機能を、“補助機能”と呼びます。

そして、残りの二つの機能はあまり使われず、無意識に存在することになる。これを、“劣等機能”と呼びます。

劣等機能は無意識に留まり、あまり使われないので、影と関係していくことになります。

今まで書いてきた、生きてない半面などが、これに関わってくる。

非合理的機能である「感覚と直観」、合理的機能である「思考と感情」は、それぞれ、対立するペアになります。

受け取り方は一つ、判断の仕方は一つ、両方は使えません。(まったく使えないわけでもありませんが)


五感を通して知覚する感覚タイプは、脳の処理をそれに使うので、可能性はあまり知覚しない。直観に対し、脳を使いません。使うにしても、ごくわずかしか使わない。

逆に、可能性を知覚する直観タイプは、脳の処理をそれに使うので、感覚に対して疎かになる。まったく使わないわけではないですが、ごく限られたものになる。

処理領域が決まっているので、主に使う機能に大部分を使えば、それ以外に使える領域は、どうしても少なくなるんですね。(パソコンと同じです)


同じ原理で、思考と感情も、対立します。
思考で判断する人は、それに脳を使うので、感情を受け取ることには、淡白です。
逆に、感情で判断する人は、それに脳を使うので、考えることはあまりしない。
脳を何かに使えば使うほど、他に処理する領域が狭くなり、反対の機能に使える分が少なくなります。
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1880.html
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/761.html#c11

[番外地11] 要するに、アメリカの思想家は外向的な性格だ、というだけの事ですね。 それに対してヨーロッパやインドの思想家は内向的性格で… 中川隆
12. 中川隆[-10522] koaQ7Jey 2024年5月23日 07:33:43 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[12]
<■114行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
要するに、アメリカの思想家は外向的な性格、ヨーロッパやインドの思想家は内向的性格、というだけの事ですね:
ユング性格学 八つの心理学的タイプ
「外向的・内向的の二つの態度 、“感覚” “思考” “感情” “直観” の四つの機能 、 2×4 で八つの心理学的タイプが定義できます。」
アメリカの思想家は外向的思考型か外向的直観型、ヨーロッパやインドの思想家は内向的思考型か内向的直観型。

内向的直観型
釈迦、ゾロアスター、老子、イエス、ソクラテス、ショーペンハウアー 、ニーチェ、ユング
シェークスピア、ヘルダーリン、エドガー・アラン・ポー、マーク・トウェイン、プーシキン、ボードレール、チェーホフ、カフカ、マルセル・プルースト
コペルニクス、アインシュタイン 、ディラック、ファインマン、ホーキング
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ゴーギャン、ゴッホ、アンリ・ルソー、ピカソ、ムンク
モンテヴェルディ、ヘンデル、モーツァルト、ショパン、フォーレ、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、シベリウス
柿本人麻呂、親鸞、日蓮、世阿弥、松尾芭蕉、宮沢賢治、石川啄木、夏目漱石、芥川龍之介、折口信夫、小林秀雄、中原中也、梅原猛、つげ義春、楳図かずお、花輪和一、宮崎駿

内向的思考型
ナーガールジュナ(竜樹)、 ヴァスバンドゥ(世親)、孔子、プラトン、アリストテレス、マホメット、ルター、カルヴァン、スピノザ、カント、ヘーゲル 、マルクス、フロイト、ハイデッガー、レーニン、プーチン
ゲーテ、トルストイ、ドストエフスキー、ソルジェニーツィン
パウリ、ハイゼンベルク、ジョン・フォン・ノイマン
ミケランジェロ、セザンヌ
バッハ、ハイドン、ベートーヴェン、ブルックナー、ワーグナー、ブラームス、バルトーク
最澄、空海、道元、法然、柳田國男、手塚治虫


我々には、自我があります。自我により、それぞれのわたしを、わたしと感じることができる。“わたし”や“わたしでないもの”を、区別できます。また、自分の外側にあるものや自分の内側にあるものを知覚し、反応する。
それぞれの人間には、受け取り方や反応の、パターンがあります。人間には、物事を知覚し受け取る機能や、それに対して反応する機能が、備わっている。人間の「タイプ」というのは、いわば、その機能の使い方。どれを好んで使うかという傾向です。

タイプ論における2つの態度(内向的・外向的)

外向的の特徴
興味関心が外の世界へと向かい、外界の刺激に影響を受けやすい態度のこと。

何か物事をした後で考える。経験してみないと理解できない。
新しい未知の世界に気安く飛び込んでいく。
関心と注意は、身近な環境、人間と物の現実世界に注がれる。
行動から思考へ行き、行動へと戻る。
大事な事を行う時、常に客観的な条件を重んじる。
理解されやすく、受容的で、しばしば社交的。
観念の世界よりも人と物の世界にいるほうが心地よい。
情熱を内に秘めず、随時気持ちを発散させる。
よく見られる欠点は、知的浅薄さの傾向で、極端な外向タイプに顕著。
健康で円満であるためには、つりあいを取る内向性を適度に発達させる事が必要。


内向的の特徴
興味関心が自分の内なる世界へと向かい、自己に関心が集まりやすい態度。
※単に他者とのコミュニケーションが上手とかおしゃべりとかそういう話ではない。

何か物事をする前に考える。理解しないと動けない。
未知の世界へと飛び込む事には慎重である。
関心と注意は心的現実、観念と悟性の内的世界に注がれる。
思索から行動へ行き、思索へと戻る。
大事な事を行う時、常に主観的価値を重んじる。
ミステリアスな部分が多く、深みがある。しばしば寡黙で内気。
人と物の世界よりも観念の世界にいるほうが心地よい。
激しい情熱をうちに姫、これを大切なものとして大事にする。
よく見られる欠点は、非現実的な傾向で、これは極端な内的タイプに顕著である。
健康で円満であるためには、つりあいを取る外交性を適度に発達させる事が必要。


ユング性格学「四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚” “思考” “感情” “直観” と呼びました。
人は生まれながらに、この四つの機能、すべてを備えている。

では、なぜ、性格に違いがあるのか?
前述の通り、人はこのうちのどれかを、好んで使うようになります。何を主に用いるかによって、性格は違ってくる。また、現実に対する態度が“外向的”か“内向的”かによって、同じ機能でも、違いが出てきます。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。

思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。

感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。

直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


感覚は、五感を通して受け取る機能。景色や色、肌触り、温度、音、におい、味、などを受け取る。また、イメージも受け取ります(五感を通して感じるような、イメージ)。

直観は、可能性を受け取る機能。これは何になるのか? 何に使えるか? どうなっていくのか? それを――理屈を越えて――受け取ります。いわゆる、第六感というものでしょうか。

思考は、分類したり、照らし合わせたりします。それは何に属するのか? それはどういうものか? そういうことを考えたり、組み合わせたりする。それを判断材料にします。

感情は、言葉の通り、感情によって分類したり、判断したりする。好きか嫌いか? 心地好いのか、不快なのか? 美しいと思うのか、醜いと思うのか? そうやって、判断する。

人は、受け取る機能である“非合理的機能”を一つと、判断する機能である“合理的機能”を一つの、計二つを、主に使います。

ただ、主に使う二つの中でも、どちらかが優位に立ちます。どちらかといえば判断が優先されるのか、どちらかといえば受け取ることが優先されるのか、そういった差が出る。


この内、一番よく使われる機能を、“主要機能”(主機能)、あるいは“優越機能”と呼び、二番目に使われる機能を、“補助機能”と呼びます。

そして、残りの二つの機能はあまり使われず、無意識に存在することになる。これを、“劣等機能”と呼びます。

劣等機能は無意識に留まり、あまり使われないので、影と関係していくことになります。

今まで書いてきた、生きてない半面などが、これに関わってくる。

非合理的機能である「感覚と直観」、合理的機能である「思考と感情」は、それぞれ、対立するペアになります。

受け取り方は一つ、判断の仕方は一つ、両方は使えません。(まったく使えないわけでもありませんが)


五感を通して知覚する感覚タイプは、脳の処理をそれに使うので、可能性はあまり知覚しない。直観に対し、脳を使いません。使うにしても、ごくわずかしか使わない。

逆に、可能性を知覚する直観タイプは、脳の処理をそれに使うので、感覚に対して疎かになる。まったく使わないわけではないですが、ごく限られたものになる。

処理領域が決まっているので、主に使う機能に大部分を使えば、それ以外に使える領域は、どうしても少なくなるんですね。(パソコンと同じです)


同じ原理で、思考と感情も、対立します。
思考で判断する人は、それに脳を使うので、感情を受け取ることには、淡白です。
逆に、感情で判断する人は、それに脳を使うので、考えることはあまりしない。
脳を何かに使えば使うほど、他に処理する領域が狭くなり、反対の機能に使える分が少なくなります。
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1880.html
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/761.html#c12

[番外地11] 要するに、アメリカの思想家は外向的な性格だ、というだけの事ですね。 それに対してヨーロッパやインドの思想家は内向的性格で… 中川隆
13. 中川隆[-10521] koaQ7Jey 2024年5月23日 07:57:54 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[13]
<■112行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
要するに、アメリカの思想家は外向的な性格、ヨーロッパやインドの思想家は内向的性格、というだけの事ですね:
ユング性格学 八つの心理学的タイプ
「外向的・内向的の二つの態度 、“感覚” “思考” “感情” “直観” の四つの機能 、 2×4 で八つの心理学的タイプが定義できます。」
アメリカの思想家は外向的思考型か外向的直観型、ヨーロッパやインドの思想家は内向的思考型か内向的直観型。

内向的直観型
釈迦、ゾロアスター、老子、イエス、ソクラテス、ショーペンハウアー 、ニーチェ、ユング
シェークスピア、ヘルダーリン、エドガー・アラン・ポー、マーク・トウェイン、プーシキン、ボードレール、チェーホフ、カフカ、マルセル・プルースト
コペルニクス、アインシュタイン 、ディラック、ファインマン、ホーキング
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ゴーギャン、ゴッホ、アンリ・ルソー、ピカソ、ムンク
モンテヴェルディ、ヘンデル、モーツァルト、ショパン、フォーレ、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、シベリウス
チャップリン、ヒッチコック、フェリーニ、タルコフスキー、ベルイマン、スタンリー・キューブリック、テオ・アンゲロプロズ
柿本人麻呂、親鸞、日蓮、世阿弥、松尾芭蕉、宮沢賢治、石川啄木、夏目漱石、芥川龍之介、折口信夫、小林秀雄、中原中也、黒澤明、梅原猛、つげ義春、楳図かずお、花輪和一、宮崎駿、野島伸司

内向的思考型
ナーガールジュナ(竜樹)、 ヴァスバンドゥ(世親)、孔子、プラトン、アリストテレス、マホメット、ルター、カルヴァン、スピノザ、カント、ヘーゲル 、マルクス、フロイト、ハイデッガー、レーニン、プーチン
ゲーテ、トルストイ、ドストエフスキー、ソルジェニーツィン
パウリ、ハイゼンベルク、ジョン・フォン・ノイマン
ミケランジェロ、セザンヌ
バッハ、ハイドン、ベートーヴェン、ブルックナー、ワーグナー、ブラームス、バルトーク
グリフィス、エイゼンシュテイン、ヴィスコンティ、パゾリーニ
最澄、空海、道元、法然、柳田國男、手塚治虫


我々には、自我があります。自我により、それぞれのわたしを、わたしと感じることができる。“わたし”や“わたしでないもの”を、区別できます。また、自分の外側にあるものや自分の内側にあるものを知覚し、反応する。
それぞれの人間には、受け取り方や反応の、パターンがあります。人間には、物事を知覚し受け取る機能や、それに対して反応する機能が、備わっている。人間の「タイプ」というのは、いわば、その機能の使い方。どれを好んで使うかという傾向です。

タイプ論における2つの態度(内向的・外向的)

外向的の特徴
興味関心が外の世界へと向かい、外界の刺激に影響を受けやすい態度のこと。

何か物事をした後で考える。経験してみないと理解できない。
新しい未知の世界に気安く飛び込んでいく。
関心と注意は、身近な環境、人間と物の現実世界に注がれる。
行動から思考へ行き、行動へと戻る。
大事な事を行う時、常に客観的な条件を重んじる。
理解されやすく、受容的で、しばしば社交的。
観念の世界よりも人と物の世界にいるほうが心地よい。
情熱を内に秘めず、随時気持ちを発散させる。
よく見られる欠点は、知的浅薄さの傾向で、極端な外向タイプに顕著。
健康で円満であるためには、つりあいを取る内向性を適度に発達させる事が必要。


内向的の特徴
興味関心が自分の内なる世界へと向かい、自己に関心が集まりやすい態度。
※単に他者とのコミュニケーションが上手とかおしゃべりとかそういう話ではない。

何か物事をする前に考える。理解しないと動けない。
未知の世界へと飛び込む事には慎重である。
関心と注意は心的現実、観念と悟性の内的世界に注がれる。
思索から行動へ行き、思索へと戻る。
大事な事を行う時、常に主観的価値を重んじる。
ミステリアスな部分が多く、深みがある。しばしば寡黙で内気。
人と物の世界よりも観念の世界にいるほうが心地よい。
激しい情熱をうちに姫、これを大切なものとして大事にする。
よく見られる欠点は、非現実的な傾向で、これは極端な内的タイプに顕著である。
健康で円満であるためには、つりあいを取る外交性を適度に発達させる事が必要。


ユング性格学「四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚” “思考” “感情” “直観” と呼びました。
人は生まれながらに、この四つの機能、すべてを備えている。

では、なぜ、性格に違いがあるのか?
前述の通り、人はこのうちのどれかを、好んで使うようになります。何を主に用いるかによって、性格は違ってくる。また、現実に対する態度が“外向的”か“内向的”かによって、同じ機能でも、違いが出てきます。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。

思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。

感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。

直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


感覚は、五感を通して受け取る機能。景色や色、肌触り、温度、音、におい、味、などを受け取る。また、イメージも受け取ります(五感を通して感じるような、イメージ)。

直観は、可能性を受け取る機能。これは何になるのか? 何に使えるか? どうなっていくのか? それを――理屈を越えて――受け取ります。いわゆる、第六感というものでしょうか。

思考は、分類したり、照らし合わせたりします。それは何に属するのか? それはどういうものか? そういうことを考えたり、組み合わせたりする。それを判断材料にします。

感情は、言葉の通り、感情によって分類したり、判断したりする。好きか嫌いか? 心地好いのか、不快なのか? 美しいと思うのか、醜いと思うのか? そうやって、判断する。

人は、受け取る機能である“非合理的機能”を一つと、判断する機能である“合理的機能”を一つの、計二つを、主に使います。

ただ、主に使う二つの中でも、どちらかが優位に立ちます。どちらかといえば判断が優先されるのか、どちらかといえば受け取ることが優先されるのか、そういった差が出る。


この内、一番よく使われる機能を、“主要機能”(主機能)、あるいは“優越機能”と呼び、二番目に使われる機能を、“補助機能”と呼びます。

そして、残りの二つの機能はあまり使われず、無意識に存在することになる。これを、“劣等機能”と呼びます。

劣等機能は無意識に留まり、あまり使われないので、影と関係していくことになります。

今まで書いてきた、生きてない半面などが、これに関わってくる。

非合理的機能である「感覚と直観」、合理的機能である「思考と感情」は、それぞれ、対立するペアになります。

受け取り方は一つ、判断の仕方は一つ、両方は使えません。(まったく使えないわけでもありませんが)


五感を通して知覚する感覚タイプは、脳の処理をそれに使うので、可能性はあまり知覚しない。直観に対し、脳を使いません。使うにしても、ごくわずかしか使わない。

逆に、可能性を知覚する直観タイプは、脳の処理をそれに使うので、感覚に対して疎かになる。まったく使わないわけではないですが、ごく限られたものになる。
処理領域が決まっているので、主に使う機能に大部分を使えば、それ以外に使える領域は、どうしても少なくなるんですね。(パソコンと同じです)
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1880.html
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/761.html#c13

[番外地11] 要するに、アメリカの思想家は外向的な性格だ、というだけの事ですね。 それに対してヨーロッパやインドの思想家は内向的性格で… 中川隆
14. 中川隆[-10520] koaQ7Jey 2024年5月23日 08:11:24 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[14]
<■112行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
要するに、アメリカの思想家は外向的な性格、ヨーロッパやインドの思想家は内向的性格、というだけの事ですね:
ユング性格学 八つの心理学的タイプ
「外向的・内向的の二つの態度 、“感覚” “思考” “感情” “直観” の四つの機能 、 2×4 で八つの心理学的タイプが定義できます。」
アメリカの思想家は外向的思考型か外向的直観型、ヨーロッパやインドの思想家は内向的思考型か内向的直観型。

内向的直観型
釈迦、ゾロアスター、老子、イエス、ソクラテス、ショーペンハウアー 、ニーチェ、ユング
シェークスピア、ヘルダーリン、エドガー・アラン・ポー、マーク・トウェイン、プーシキン、ボードレール、チェーホフ、カフカ、マルセル・プルースト
コペルニクス、アインシュタイン 、ディラック、ファインマン、ホーキング
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ゴーギャン、ゴッホ、アンリ・ルソー、ピカソ、ムンク
モンテヴェルディ、ヘンデル、モーツァルト、ショパン、フォーレ、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、シベリウス
チャップリン、ヒッチコック、フェリーニ、タルコフスキー、ベルイマン、スタンリー・キューブリック、テオ・アンゲロプロズ
柿本人麻呂、親鸞、日蓮、世阿弥、松尾芭蕉、宮沢賢治、石川啄木、夏目漱石、芥川龍之介、折口信夫、小林秀雄、中原中也、太宰治、黒澤明、梅原猛、つげ義春、楳図かずお、花輪和一、宮崎駿、野島伸司

内向的思考型
ナーガールジュナ(竜樹)、 ヴァスバンドゥ(世親)、孔子、プラトン、アリストテレス、マホメット、ルター、カルヴァン、スピノザ、カント、ヘーゲル 、マルクス、フロイト、ハイデッガー、レーニン、プーチン
ゲーテ、トルストイ、ドストエフスキー、ソルジェニーツィン
パウリ、ハイゼンベルク、ジョン・フォン・ノイマン
ミケランジェロ、セザンヌ
バッハ、ハイドン、ベートーヴェン、ブルックナー、ワーグナー、ブラームス、バルトーク
グリフィス、エイゼンシュテイン、ヴィスコンティ、パゾリーニ
最澄、空海、道元、法然、柳田國男、手塚治虫


我々には、自我があります。自我により、それぞれのわたしを、わたしと感じることができる。“わたし”や“わたしでないもの”を、区別できます。また、自分の外側にあるものや自分の内側にあるものを知覚し、反応する。
それぞれの人間には、受け取り方や反応の、パターンがあります。人間には、物事を知覚し受け取る機能や、それに対して反応する機能が、備わっている。人間の「タイプ」というのは、いわば、その機能の使い方。どれを好んで使うかという傾向です。

タイプ論における2つの態度(内向的・外向的)

外向的の特徴
興味関心が外の世界へと向かい、外界の刺激に影響を受けやすい態度のこと。

何か物事をした後で考える。経験してみないと理解できない。
新しい未知の世界に気安く飛び込んでいく。
関心と注意は、身近な環境、人間と物の現実世界に注がれる。
行動から思考へ行き、行動へと戻る。
大事な事を行う時、常に客観的な条件を重んじる。
理解されやすく、受容的で、しばしば社交的。
観念の世界よりも人と物の世界にいるほうが心地よい。
情熱を内に秘めず、随時気持ちを発散させる。
よく見られる欠点は、知的浅薄さの傾向で、極端な外向タイプに顕著。
健康で円満であるためには、つりあいを取る内向性を適度に発達させる事が必要。


内向的の特徴
興味関心が自分の内なる世界へと向かい、自己に関心が集まりやすい態度。
※単に他者とのコミュニケーションが上手とかおしゃべりとかそういう話ではない。

何か物事をする前に考える。理解しないと動けない。
未知の世界へと飛び込む事には慎重である。
関心と注意は心的現実、観念と悟性の内的世界に注がれる。
思索から行動へ行き、思索へと戻る。
大事な事を行う時、常に主観的価値を重んじる。
ミステリアスな部分が多く、深みがある。しばしば寡黙で内気。
人と物の世界よりも観念の世界にいるほうが心地よい。
激しい情熱をうちに姫、これを大切なものとして大事にする。
よく見られる欠点は、非現実的な傾向で、これは極端な内的タイプに顕著である。
健康で円満であるためには、つりあいを取る外交性を適度に発達させる事が必要。


ユング性格学「四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚” “思考” “感情” “直観” と呼びました。
人は生まれながらに、この四つの機能、すべてを備えている。

では、なぜ、性格に違いがあるのか?
前述の通り、人はこのうちのどれかを、好んで使うようになります。何を主に用いるかによって、性格は違ってくる。また、現実に対する態度が“外向的”か“内向的”かによって、同じ機能でも、違いが出てきます。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。

思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。

感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。

直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


感覚は、五感を通して受け取る機能。景色や色、肌触り、温度、音、におい、味、などを受け取る。また、イメージも受け取ります(五感を通して感じるような、イメージ)。

直観は、可能性を受け取る機能。これは何になるのか? 何に使えるか? どうなっていくのか? それを――理屈を越えて――受け取ります。いわゆる、第六感というものでしょうか。

思考は、分類したり、照らし合わせたりします。それは何に属するのか? それはどういうものか? そういうことを考えたり、組み合わせたりする。それを判断材料にします。

感情は、言葉の通り、感情によって分類したり、判断したりする。好きか嫌いか? 心地好いのか、不快なのか? 美しいと思うのか、醜いと思うのか? そうやって、判断する。

人は、受け取る機能である“非合理的機能”を一つと、判断する機能である“合理的機能”を一つの、計二つを、主に使います。

ただ、主に使う二つの中でも、どちらかが優位に立ちます。どちらかといえば判断が優先されるのか、どちらかといえば受け取ることが優先されるのか、そういった差が出る。


この内、一番よく使われる機能を、“主要機能”(主機能)、あるいは“優越機能”と呼び、二番目に使われる機能を、“補助機能”と呼びます。

そして、残りの二つの機能はあまり使われず、無意識に存在することになる。これを、“劣等機能”と呼びます。

劣等機能は無意識に留まり、あまり使われないので、影と関係していくことになります。

今まで書いてきた、生きてない半面などが、これに関わってくる。

非合理的機能である「感覚と直観」、合理的機能である「思考と感情」は、それぞれ、対立するペアになります。

受け取り方は一つ、判断の仕方は一つ、両方は使えません。(まったく使えないわけでもありませんが)


五感を通して知覚する感覚タイプは、脳の処理をそれに使うので、可能性はあまり知覚しない。直観に対し、脳を使いません。使うにしても、ごくわずかしか使わない。

逆に、可能性を知覚する直観タイプは、脳の処理をそれに使うので、感覚に対して疎かになる。まったく使わないわけではないですが、ごく限られたものになる。
処理領域が決まっているので、主に使う機能に大部分を使えば、それ以外に使える領域は、どうしても少なくなるんですね。(パソコンと同じです)
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1880.html
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/761.html#c14

[番外地11] アメリカの思想家はユング性格学では外向的思考型か外向的直観型のどちらかです 中川隆
1. 中川隆[-10519] koaQ7Jey 2024年5月23日 08:20:43 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[15]
<■70行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
アメリカの思想家はユング性格学では外向的思考型か外向的直観型のどちらかです:
外向的思考型 (extraverted thinking)
官僚やエリート・サラリーマンは大抵このタイプです:
 C.G.ユングが「タイプ論」で提唱した4つの心的機能の一つである思考機能のうちの、外向的な態度を指します。

このタイプの人の特徴
 自分の生活を知性の与える結論に従わせようと努めています。そして、その考えの方向づけは客観的な外的事実によってなされます。つまり、外向思考型の人は客観的な事実に基づき筋道を立てて考える人です。複雑な状況にあってもすぐにポイントを発見して対処することができます。その状況判断はとても筋が通っていて正しい場合が多いです。
 このような人は、周囲の人々の考えを基にしたり、取り入れたりしている場合が多いです。内的なことや哲学や宗教を問題にしていることはあまりありません。
 新しい独創的な考え方よりも、一般に受け入れられる考えの図式を作り上げ、例外を許さない態度により、これを守ろうとします。これがうまく行われるとき、実際的な問題について、よい組織を作り上げたり、社会に役立つ理論を提供する人となります。
 しかし、個性が強すぎると、この図式が柔軟性を失い、公式やルールを無理矢理他人に押し付けたりします。
わかりきったことでも必ずしゃべりたがる一言居士や、他のひとも自分と同じように考えていると決め込んで、一つの型にはめこもうとする人になるのです。

反対のタイプを抑圧しすぎた場合
 このタイプの人は、感情を抑圧している点が特徴的です。芸術や趣味、友達づきあいなどを軽視します。これらのことを抑圧しがたくなった場合でも、自分の思考の図式の中にそれを取り入れようとしていることが容易に認められる場合が多いです。つまり、あくまで趣味と実益を兼ねる趣味だとか、考えることを主体とする趣味などを取り上げられているからなのです。
 感情があまりにも抑圧されているときは、ときに本人の意識的な制御を越えて、表面に現れることがあります。
 その例として以下のものが考えられます。

常に論理的・合理的であることを誇りとする学者が、自分の反対の学説に関して、感情的としか思えない言動をする。
道徳の守護者といいたいほど堅い道徳観をもって行動していたひとが、誰が見ても下品と思われる女性に魅せられて、破廉恥な事件に巻き込まれたりする
 これほどにひどくないにしても、一般に堅い外向思考型のひとは、その例外を許さない態度や、息抜きとしての未分化な感情反応によって家族を苦しめていることが多くなります。
http://rinnsyou.com/archives/327

▲△▽▼

外向的直観型 (extraverted intuition)
ジャーナリストは大抵このタイプです:
 C.G.ユングが「タイプ論」で提唱した4つの心的機能の一つである直観機能のうちの、外向的な態度を指します。

このタイプの人の特徴
外向的直観型の人は、外的なものに対して、すべての人が認めている現実の価値ではなく、可能性を求めて行動します。
 良い思いつきで特許をとろうとする人、相場、仲買、あるいは対人関係においては隠れている情報を嗅ぎつけたり、未完の大器を掘り出したりすることに情熱を傾ける人などがそうです。
 この直観が思考や感情の判断によって補助されていないときは、この型は種はまくが、収穫は得られない人になる危険性が高くなります。つまり、一つの可能性を見出しても、その仕事が完成しない前に、彼は次の新たな可能性に気をとられて、そちらに行ってしまい、ひとところに腰をおちつけて仕事の成果を楽しむことができないのです。結局は彼のあとにきたひとがこの成果を得ることになってしまって、直観型のひとは、他人を富ますことに力を傾けながら、自分はいつも貧困に苦しまなければなりません。
 このような傾向が強くなると、抑圧されていた感覚機能が制御を破って現れます。これは荒唐無稽な点で感覚型の人が陥りやすい状態に似ています、感覚型の人が、何か宗教的・神秘的なものにとらわれるのに反して、この型の人は、現実的な物事にとらわれます。

反対のタイプ(内向的感覚型)を抑圧しすぎた場合
 外向的直観型の反対のタイプは内向的感覚型です。内向的感覚型は、日常生活などから豊かなイメージを膨らませることが出来るタイプです。それゆえに毎日が平凡であっても満足することができるタイプであるといえます。
 この抑圧された現実感覚が姿を表す際には、一般に直観型の人が突然いかにも似つかわしくない異性に入れ込むといった形をとるなどが生じます。また身体感覚も無視するので過労に気付かないなども起こり得ます。あるいは身体感覚を過度に気にし過ぎて心気症(病気でもないのに病気と思い込んでしまう神経症)を発症することもありえます。
http://rinnsyou.com/archives/345
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/762.html#c1

[番外地11] 要するに、アメリカの思想家は外向的な性格だ、というだけの事ですね。 それに対してヨーロッパやインドの思想家は内向的性格で… 中川隆
15. 中川隆[-10518] koaQ7Jey 2024年5月23日 08:46:27 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[16]
<■115行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
要するに、アメリカの思想家は外向的な性格、ヨーロッパやインドの思想家は内向的性格、というだけの事ですね:
ユング性格学 八つの心理学的タイプ
「外向的・内向的の二つの態度 、“感覚” “思考” “感情” “直観” の四つの機能 、 2×4 で八つの心理学的タイプが定義できます。」
アメリカの思想家は外向的思考型か外向的直観型、ヨーロッパやインドの思想家は内向的思考型か内向的直観型。

内向的直観型
釈迦、ゾロアスター、老子、イエス、ソクラテス、ショーペンハウアー 、ニーチェ、ユング 、チェ・ゲバラ
シェークスピア、ヘルダーリン、エドガー・アラン・ポー、マーク・トウェイン、プーシキン、ボードレール、チェーホフ、カフカ、マルセル・プルースト
コペルニクス、アインシュタイン 、ディラック、ファインマン、ホーキング
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ゴーギャン、ゴッホ、アンリ・ルソー、ピカソ、ムンク
モンテヴェルディ、ヘンデル、モーツァルト、ショパン、フォーレ、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、シベリウス
チャップリン、ヒッチコック、フェリーニ、タルコフスキー、ベルイマン、スタンリー・キューブリック、テオ・アンゲロプロズ
柿本人麻呂、親鸞、日蓮、世阿弥、松尾芭蕉、宮沢賢治、石川啄木、夏目漱石、芥川龍之介、折口信夫、小林秀雄、中原中也、太宰治、黒澤明、梅原猛、つげ義春、楳図かずお、花輪和一、宮崎駿、野島伸司

内向的思考型
ナーガールジュナ(竜樹)、 ヴァスバンドゥ(世親)、孔子、プラトン、アリストテレス、マホメット、ルター、カルヴァン、スピノザ、カント、ヘーゲル 、マルクス、フロイト、ハイデッガー、レーニン、トロツキー、スターリン、ムッソリーニ、ヒトラー、チャーチル、フランクリン・ルーズベルト、毛沢東、ケネディー、ケ小平、プーチン 、習近平、ベンヤミン・ネタニヤフ
ゲーテ、トルストイ、ドストエフスキー、ソルジェニーツィン
パウリ、ハイゼンベルク、ジョン・フォン・ノイマン
ミケランジェロ、セザンヌ
バッハ、ハイドン、ベートーヴェン、ブルックナー、ワーグナー、ブラームス、バルトーク
グリフィス、エイゼンシュテイン、ヴィスコンティ、パゾリーニ
最澄、空海、道元、法然、柳田國男、手塚治虫


我々には、自我があります。自我により、それぞれのわたしを、わたしと感じることができる。“わたし”や“わたしでないもの”を、区別できます。また、自分の外側にあるものや自分の内側にあるものを知覚し、反応する。
それぞれの人間には、受け取り方や反応の、パターンがあります。人間には、物事を知覚し受け取る機能や、それに対して反応する機能が、備わっている。人間の「タイプ」というのは、いわば、その機能の使い方。どれを好んで使うかという傾向です。

タイプ論における2つの態度(内向的・外向的)

外向的の特徴
興味関心が外の世界へと向かい、外界の刺激に影響を受けやすい態度のこと。

何か物事をした後で考える。経験してみないと理解できない。
新しい未知の世界に気安く飛び込んでいく。
関心と注意は、身近な環境、人間と物の現実世界に注がれる。
行動から思考へ行き、行動へと戻る。
大事な事を行う時、常に客観的な条件を重んじる。
理解されやすく、受容的で、しばしば社交的。
観念の世界よりも人と物の世界にいるほうが心地よい。
情熱を内に秘めず、随時気持ちを発散させる。
よく見られる欠点は、知的浅薄さの傾向で、極端な外向タイプに顕著。
健康で円満であるためには、つりあいを取る内向性を適度に発達させる事が必要。


内向的の特徴
興味関心が自分の内なる世界へと向かい、自己に関心が集まりやすい態度。
※単に他者とのコミュニケーションが上手とかおしゃべりとかそういう話ではない。

何か物事をする前に考える。理解しないと動けない。
未知の世界へと飛び込む事には慎重である。
関心と注意は心的現実、観念と悟性の内的世界に注がれる。
思索から行動へ行き、思索へと戻る。
大事な事を行う時、常に主観的価値を重んじる。
ミステリアスな部分が多く、深みがある。しばしば寡黙で内気。
人と物の世界よりも観念の世界にいるほうが心地よい。
激しい情熱をうちに姫、これを大切なものとして大事にする。
よく見られる欠点は、非現実的な傾向で、これは極端な内的タイプに顕著である。
健康で円満であるためには、つりあいを取る外交性を適度に発達させる事が必要。


ユング性格学「四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚” “思考” “感情” “直観” と呼びました。
人は生まれながらに、この四つの機能、すべてを備えている。

では、なぜ、性格に違いがあるのか?
前述の通り、人はこのうちのどれかを、好んで使うようになります。何を主に用いるかによって、性格は違ってくる。また、現実に対する態度が“外向的”か“内向的”かによって、同じ機能でも、違いが出てきます。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。

思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。

感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。

直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


感覚は、五感を通して受け取る機能。景色や色、肌触り、温度、音、におい、味、などを受け取る。また、イメージも受け取ります(五感を通して感じるような、イメージ)。

直観は、可能性を受け取る機能。これは何になるのか? 何に使えるか? どうなっていくのか? それを――理屈を越えて――受け取ります。いわゆる、第六感というものでしょうか。

思考は、分類したり、照らし合わせたりします。それは何に属するのか? それはどういうものか? そういうことを考えたり、組み合わせたりする。それを判断材料にします。

感情は、言葉の通り、感情によって分類したり、判断したりする。好きか嫌いか? 心地好いのか、不快なのか? 美しいと思うのか、醜いと思うのか? そうやって、判断する。

人は、受け取る機能である“非合理的機能”を一つと、判断する機能である“合理的機能”を一つの、計二つを、主に使います。

ただ、主に使う二つの中でも、どちらかが優位に立ちます。どちらかといえば判断が優先されるのか、どちらかといえば受け取ることが優先されるのか、そういった差が出る。


この内、一番よく使われる機能を、“主要機能”(主機能)、あるいは“優越機能”と呼び、二番目に使われる機能を、“補助機能”と呼びます。

そして、残りの二つの機能はあまり使われず、無意識に存在することになる。これを、“劣等機能”と呼びます。

劣等機能は無意識に留まり、あまり使われないので、影と関係していくことになります。

今まで書いてきた、生きてない半面などが、これに関わってくる。

非合理的機能である「感覚と直観」、合理的機能である「思考と感情」は、それぞれ、対立するペアになります。

受け取り方は一つ、判断の仕方は一つ、両方は使えません。(まったく使えないわけでもありませんが)


五感を通して知覚する感覚タイプは、脳の処理をそれに使うので、可能性はあまり知覚しない。直観に対し、脳を使いません。使うにしても、ごくわずかしか使わない。

逆に、可能性を知覚する直観タイプは、脳の処理をそれに使うので、感覚に対して疎かになる。まったく使わないわけではないですが、ごく限られたものになる。
処理領域が決まっているので、主に使う機能に大部分を使えば、それ以外に使える領域は、どうしても少なくなるんですね。(パソコンと同じです)
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1880.html
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/761.html#c15

[番外地11] 要するに、アメリカの思想家は外向的な性格だ、というだけの事ですね。 それに対してヨーロッパやインドの思想家は内向的性格で… 中川隆
16. 中川隆[-10517] koaQ7Jey 2024年5月23日 08:48:14 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[17]
<■115行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
要するに、アメリカの思想家は外向的な性格、ヨーロッパやインドの思想家は内向的性格、というだけの事ですね:
ユング性格学 八つの心理学的タイプ
「外向的・内向的の二つの態度 、“感覚” “思考” “感情” “直観” の四つの機能 、 2×4 で八つの心理学的タイプが定義できます。」
アメリカの思想家は外向的思考型か外向的直観型、ヨーロッパやインドの思想家は内向的思考型か内向的直観型。

内向的直観型
釈迦、ゾロアスター、老子、イエス、ソクラテス、ショーペンハウアー 、ニーチェ、ユング 、チェ・ゲバラ
シェークスピア、ヘルダーリン、エドガー・アラン・ポー、マーク・トウェイン、プーシキン、ボードレール、チェーホフ、カフカ、マルセル・プルースト
コペルニクス、アインシュタイン 、ディラック、ファインマン、ホーキング
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ゴーギャン、ゴッホ、アンリ・ルソー、ピカソ、ムンク
モンテヴェルディ、ヘンデル、モーツァルト、ショパン、フォーレ、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、シベリウス
チャップリン、ヒッチコック、フェリーニ、タルコフスキー、ベルイマン、スタンリー・キューブリック、テオ・アンゲロプロズ
柿本人麻呂、親鸞、日蓮、世阿弥、松尾芭蕉、宮沢賢治、石川啄木、夏目漱石、芥川龍之介、折口信夫、小林秀雄、中原中也、太宰治、黒澤明、梅原猛、つげ義春、楳図かずお、花輪和一、宮崎駿、野島伸司

内向的思考型
ナーガールジュナ(竜樹)、 ヴァスバンドゥ(世親)、孔子、プラトン、アリストテレス、マホメット、ルター、カルヴァン、スピノザ、カント、ヘーゲル 、マルクス、フロイト、ハイデッガー
レーニン、トロツキー、スターリン、ムッソリーニ、ヒトラー、チャーチル、フランクリン・ルーズベルト、毛沢東、ケネディー、ケ小平、プーチン 、習近平、ベンヤミン・ネタニヤフ
ゲーテ、トルストイ、ドストエフスキー、ソルジェニーツィン
パウリ、ハイゼンベルク、ジョン・フォン・ノイマン
ミケランジェロ、セザンヌ
バッハ、ハイドン、ベートーヴェン、ブルックナー、ワーグナー、ブラームス、バルトーク
グリフィス、エイゼンシュテイン、ヴィスコンティ、パゾリーニ
最澄、空海、道元、法然、柳田國男、手塚治虫


我々には、自我があります。自我により、それぞれのわたしを、わたしと感じることができる。“わたし”や“わたしでないもの”を、区別できます。また、自分の外側にあるものや自分の内側にあるものを知覚し、反応する。
それぞれの人間には、受け取り方や反応の、パターンがあります。人間には、物事を知覚し受け取る機能や、それに対して反応する機能が、備わっている。人間の「タイプ」というのは、いわば、その機能の使い方。どれを好んで使うかという傾向です。

タイプ論における2つの態度(内向的・外向的)

外向的の特徴
興味関心が外の世界へと向かい、外界の刺激に影響を受けやすい態度のこと。

何か物事をした後で考える。経験してみないと理解できない。
新しい未知の世界に気安く飛び込んでいく。
関心と注意は、身近な環境、人間と物の現実世界に注がれる。
行動から思考へ行き、行動へと戻る。
大事な事を行う時、常に客観的な条件を重んじる。
理解されやすく、受容的で、しばしば社交的。
観念の世界よりも人と物の世界にいるほうが心地よい。
情熱を内に秘めず、随時気持ちを発散させる。
よく見られる欠点は、知的浅薄さの傾向で、極端な外向タイプに顕著。
健康で円満であるためには、つりあいを取る内向性を適度に発達させる事が必要。


内向的の特徴
興味関心が自分の内なる世界へと向かい、自己に関心が集まりやすい態度。
※単に他者とのコミュニケーションが上手とかおしゃべりとかそういう話ではない。

何か物事をする前に考える。理解しないと動けない。
未知の世界へと飛び込む事には慎重である。
関心と注意は心的現実、観念と悟性の内的世界に注がれる。
思索から行動へ行き、思索へと戻る。
大事な事を行う時、常に主観的価値を重んじる。
ミステリアスな部分が多く、深みがある。しばしば寡黙で内気。
人と物の世界よりも観念の世界にいるほうが心地よい。
激しい情熱をうちに姫、これを大切なものとして大事にする。
よく見られる欠点は、非現実的な傾向で、これは極端な内的タイプに顕著である。
健康で円満であるためには、つりあいを取る外交性を適度に発達させる事が必要。


ユング性格学「四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚” “思考” “感情” “直観” と呼びました。
人は生まれながらに、この四つの機能、すべてを備えている。

では、なぜ、性格に違いがあるのか?
前述の通り、人はこのうちのどれかを、好んで使うようになります。何を主に用いるかによって、性格は違ってくる。また、現実に対する態度が“外向的”か“内向的”かによって、同じ機能でも、違いが出てきます。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。

思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。

感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。

直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


感覚は、五感を通して受け取る機能。景色や色、肌触り、温度、音、におい、味、などを受け取る。また、イメージも受け取ります(五感を通して感じるような、イメージ)。

直観は、可能性を受け取る機能。これは何になるのか? 何に使えるか? どうなっていくのか? それを――理屈を越えて――受け取ります。いわゆる、第六感というものでしょうか。

思考は、分類したり、照らし合わせたりします。それは何に属するのか? それはどういうものか? そういうことを考えたり、組み合わせたりする。それを判断材料にします。

感情は、言葉の通り、感情によって分類したり、判断したりする。好きか嫌いか? 心地好いのか、不快なのか? 美しいと思うのか、醜いと思うのか? そうやって、判断する。

人は、受け取る機能である“非合理的機能”を一つと、判断する機能である“合理的機能”を一つの、計二つを、主に使います。

ただ、主に使う二つの中でも、どちらかが優位に立ちます。どちらかといえば判断が優先されるのか、どちらかといえば受け取ることが優先されるのか、そういった差が出る。


この内、一番よく使われる機能を、“主要機能”(主機能)、あるいは“優越機能”と呼び、二番目に使われる機能を、“補助機能”と呼びます。

そして、残りの二つの機能はあまり使われず、無意識に存在することになる。これを、“劣等機能”と呼びます。

劣等機能は無意識に留まり、あまり使われないので、影と関係していくことになります。

今まで書いてきた、生きてない半面などが、これに関わってくる。

非合理的機能である「感覚と直観」、合理的機能である「思考と感情」は、それぞれ、対立するペアになります。

受け取り方は一つ、判断の仕方は一つ、両方は使えません。(まったく使えないわけでもありませんが)


五感を通して知覚する感覚タイプは、脳の処理をそれに使うので、可能性はあまり知覚しない。直観に対し、脳を使いません。使うにしても、ごくわずかしか使わない。

逆に、可能性を知覚する直観タイプは、脳の処理をそれに使うので、感覚に対して疎かになる。まったく使わないわけではないですが、ごく限られたものになる。
処理領域が決まっているので、主に使う機能に大部分を使えば、それ以外に使える領域は、どうしても少なくなるんですね。(パソコンと同じです)
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1880.html
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/761.html#c16

[番外地11] 要するに、アメリカの思想家は外向的な性格だ、というだけの事ですね。 それに対してヨーロッパやインドの思想家は内向的性格で… 中川隆
17. 中川隆[-10516] koaQ7Jey 2024年5月23日 08:56:06 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[18]
<■114行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
要するに、アメリカの思想家は外向的な性格、ヨーロッパやインドの思想家は内向的性格、というだけの事ですね:
ユング性格学 八つの心理学的タイプ
「外向的・内向的の二つの態度 、“感覚” “思考” “感情” “直観” の四つの機能 、 2×4 で八つの心理学的タイプが定義できます。」
アメリカの思想家は外向的思考型か外向的直観型、ヨーロッパやインドの思想家は内向的思考型か内向的直観型。

内向的直観型
釈迦、ゾロアスター、老子、イエス、ソクラテス、ショーペンハウアー 、ニーチェ、ヒトラー、ユング 、チェ・ゲバラ
シェークスピア、ヘルダーリン、エドガー・アラン・ポー、マーク・トウェイン、プーシキン、ボードレール、チェーホフ、カフカ、マルセル・プルースト
コペルニクス、アインシュタイン 、ディラック、ファインマン、ホーキング
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ゴーギャン、ゴッホ、アンリ・ルソー、ピカソ、ムンク
モンテヴェルディ、ヘンデル、モーツァルト、ショパン、フォーレ、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、シベリウス
チャップリン、ヒッチコック、フェリーニ、タルコフスキー、ベルイマン、スタンリー・キューブリック、テオ・アンゲロプロズ
柿本人麻呂、親鸞、日蓮、世阿弥、松尾芭蕉、宮沢賢治、石川啄木、夏目漱石、芥川龍之介、折口信夫、小林秀雄、中原中也、太宰治、黒澤明、梅原猛、つげ義春、楳図かずお、花輪和一、宮崎駿、野島伸司

内向的思考型
ナーガールジュナ(竜樹)、 ヴァスバンドゥ(世親)、孔子、プラトン、アリストテレス、マホメット、ルター、カルヴァン、スピノザ、カント、ヘーゲル 、マルクス、フロイト、ハイデッガー
レーニン、トロツキー、スターリン、毛沢東、ケ小平、プーチン 、習近平、ベンヤミン・ネタニヤフ
ゲーテ、トルストイ、ドストエフスキー、ソルジェニーツィン
パウリ、ハイゼンベルク、ジョン・フォン・ノイマン
ミケランジェロ、セザンヌ
バッハ、ハイドン、ベートーヴェン、ブルックナー、ワーグナー、ブラームス、バルトーク
グリフィス、エイゼンシュテイン、ヴィスコンティ、パゾリーニ
最澄、空海、道元、法然、柳田國男、手塚治虫


我々には、自我があります。自我により、それぞれのわたしを、わたしと感じることができる。“わたし”や“わたしでないもの”を、区別できます。また、自分の外側にあるものや自分の内側にあるものを知覚し、反応する。
それぞれの人間には、受け取り方や反応の、パターンがあります。人間には、物事を知覚し受け取る機能や、それに対して反応する機能が、備わっている。人間の「タイプ」というのは、いわば、その機能の使い方。どれを好んで使うかという傾向です。

タイプ論における2つの態度(内向的・外向的)

外向的の特徴
興味関心が外の世界へと向かい、外界の刺激に影響を受けやすい態度のこと。

何か物事をした後で考える。経験してみないと理解できない。
新しい未知の世界に気安く飛び込んでいく。
関心と注意は、身近な環境、人間と物の現実世界に注がれる。
行動から思考へ行き、行動へと戻る。
大事な事を行う時、常に客観的な条件を重んじる。
理解されやすく、受容的で、しばしば社交的。
観念の世界よりも人と物の世界にいるほうが心地よい。
情熱を内に秘めず、随時気持ちを発散させる。
よく見られる欠点は、知的浅薄さの傾向で、極端な外向タイプに顕著。
健康で円満であるためには、つりあいを取る内向性を適度に発達させる事が必要。


内向的の特徴
興味関心が自分の内なる世界へと向かい、自己に関心が集まりやすい態度。
※単に他者とのコミュニケーションが上手とかおしゃべりとかそういう話ではない。

何か物事をする前に考える。理解しないと動けない。
未知の世界へと飛び込む事には慎重である。
関心と注意は心的現実、観念と悟性の内的世界に注がれる。
思索から行動へ行き、思索へと戻る。
大事な事を行う時、常に主観的価値を重んじる。
ミステリアスな部分が多く、深みがある。しばしば寡黙で内気。
人と物の世界よりも観念の世界にいるほうが心地よい。
激しい情熱をうちに姫、これを大切なものとして大事にする。
よく見られる欠点は、非現実的な傾向で、これは極端な内的タイプに顕著である。
健康で円満であるためには、つりあいを取る外交性を適度に発達させる事が必要。


ユング性格学「四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚” “思考” “感情” “直観” と呼びました。
人は生まれながらに、この四つの機能、すべてを備えている。

では、なぜ、性格に違いがあるのか?
前述の通り、人はこのうちのどれかを、好んで使うようになります。何を主に用いるかによって、性格は違ってくる。また、現実に対する態度が“外向的”か“内向的”かによって、同じ機能でも、違いが出てきます。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。

思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。

感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。

直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


感覚は、五感を通して受け取る機能。景色や色、肌触り、温度、音、におい、味、などを受け取る。また、イメージも受け取ります(五感を通して感じるような、イメージ)。

直観は、可能性を受け取る機能。これは何になるのか? 何に使えるか? どうなっていくのか? それを――理屈を越えて――受け取ります。いわゆる、第六感というものでしょうか。

思考は、分類したり、照らし合わせたりします。それは何に属するのか? それはどういうものか? そういうことを考えたり、組み合わせたりする。それを判断材料にします。

感情は、言葉の通り、感情によって分類したり、判断したりする。好きか嫌いか? 心地好いのか、不快なのか? 美しいと思うのか、醜いと思うのか? そうやって、判断する。

人は、受け取る機能である“非合理的機能”を一つと、判断する機能である“合理的機能”を一つの、計二つを、主に使います。

ただ、主に使う二つの中でも、どちらかが優位に立ちます。どちらかといえば判断が優先されるのか、どちらかといえば受け取ることが優先されるのか、そういった差が出る。


この内、一番よく使われる機能を、“主要機能”(主機能)、あるいは“優越機能”と呼び、二番目に使われる機能を、“補助機能”と呼びます。

そして、残りの二つの機能はあまり使われず、無意識に存在することになる。これを、“劣等機能”と呼びます。

劣等機能は無意識に留まり、あまり使われないので、影と関係していくことになります。

今まで書いてきた、生きてない半面などが、これに関わってくる。

非合理的機能である「感覚と直観」、合理的機能である「思考と感情」は、それぞれ、対立するペアになります。

受け取り方は一つ、判断の仕方は一つ、両方は使えません。(まったく使えないわけでもありませんが)


五感を通して知覚する感覚タイプは、脳の処理をそれに使うので、可能性はあまり知覚しない。直観に対し、脳を使いません。使うにしても、ごくわずかしか使わない。

逆に、可能性を知覚する直観タイプは、脳の処理をそれに使うので、感覚に対して疎かになる。まったく使わないわけではないですが、ごく限られたものになる。
処理領域が決まっているので、主に使う機能に大部分を使えば、それ以外に使える領域は、どうしても少なくなるんですね。(パソコンと同じです)
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1880.html
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/761.html#c17

[番外地11] アメリカの思想家はユング性格学では外向的思考型か外向的直観型のどちらかです 中川隆
2. 中川隆[-10515] koaQ7Jey 2024年5月23日 09:28:02 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[19]
<■100行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
アメリカの思想家はユング性格学では外向的思考型か外向的直観型のどちらかです。
外向的な人間ばかりのアメリカ人はドストエフスキーを探偵小説として読んでいます、川端康成の雪国を純愛小説だと思って読んでいます、タルコフスキーの惑星ソラリスをSF映画として見ています。ヨーロッパ人と同じものを鑑賞しても捉え方が全然違っています。アメリカ人には文学も美術も音楽も全く理解できないのです。

戦時中にナチスの迫害を逃れて、バルトーク、シェーンベルク、ストラヴィンスキー、ハイフェッツ、エルマン、アドルフ・ブッシュ、ブルーノ・ワルター、クレンペラー、ホロヴィッツの様なヨーロッパで最高の人気を誇った音楽家がアメリカに移住しましたが、全員渡米してからダメになっています。
芸術や文学や思想は内向的な人間が作ったものなので、外向的な人間ばかりのアメリカ人には理解できないのです。

▲△▽▼

アメリカ人には音楽の陰影が理解できない
オーディオ談義〜フルレンジSPユニットの聴き比べ〜 - 「音楽&オーディオ」の小部屋

・リチャードアレン(写真右側)とアルテック403A(写真左側)から試聴。

アルテックの方をはじめに鳴らしてみた。
音を目方で表現するのも何だが、実に軽快そのものの音には驚いた。スカッと抜けきっていて、単純明快で隠し事のない音。人生バラ色、悩みなんて一切ありませんという印象がしてまさに典型的に陽気なアメリカ人を思わせる。
これはこれでいいんだろうが、もっと陰影が欲しい気もする。好き嫌いがはっきり分かれそうな音だ。

・これに比べるとリチャードアレンはまったく正反対でひとひねりも、ふたひねりもした音。音に適度の湿り気があって陰影がそこはかとなく漂ってくる。
人生を慎み深く、そして思慮深く生きていくイギリス人という感じ。
こういう音でないと表現できない音楽もたしかにある
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/12f18fe300c6b753750512890609680d?fm=entry_awp

▲△▽▼

外向的思考型 (extraverted thinking)
官僚やエリート・サラリーマンは大抵このタイプです:
 C.G.ユングが「タイプ論」で提唱した4つの心的機能の一つである思考機能のうちの、外向的な態度を指します。

このタイプの人の特徴
 自分の生活を知性の与える結論に従わせようと努めています。そして、その考えの方向づけは客観的な外的事実によってなされます。つまり、外向思考型の人は客観的な事実に基づき筋道を立てて考える人です。複雑な状況にあってもすぐにポイントを発見して対処することができます。その状況判断はとても筋が通っていて正しい場合が多いです。
 このような人は、周囲の人々の考えを基にしたり、取り入れたりしている場合が多いです。内的なことや哲学や宗教を問題にしていることはあまりありません。
 新しい独創的な考え方よりも、一般に受け入れられる考えの図式を作り上げ、例外を許さない態度により、これを守ろうとします。これがうまく行われるとき、実際的な問題について、よい組織を作り上げたり、社会に役立つ理論を提供する人となります。
 しかし、個性が強すぎると、この図式が柔軟性を失い、公式やルールを無理矢理他人に押し付けたりします。
わかりきったことでも必ずしゃべりたがる一言居士や、他のひとも自分と同じように考えていると決め込んで、一つの型にはめこもうとする人になるのです。

反対のタイプを抑圧しすぎた場合
 このタイプの人は、感情を抑圧している点が特徴的です。芸術や趣味、友達づきあいなどを軽視します。これらのことを抑圧しがたくなった場合でも、自分の思考の図式の中にそれを取り入れようとしていることが容易に認められる場合が多いです。つまり、あくまで趣味と実益を兼ねる趣味だとか、考えることを主体とする趣味などを取り上げられているからなのです。
 感情があまりにも抑圧されているときは、ときに本人の意識的な制御を越えて、表面に現れることがあります。
 その例として以下のものが考えられます。

常に論理的・合理的であることを誇りとする学者が、自分の反対の学説に関して、感情的としか思えない言動をする。
道徳の守護者といいたいほど堅い道徳観をもって行動していたひとが、誰が見ても下品と思われる女性に魅せられて、破廉恥な事件に巻き込まれたりする
 これほどにひどくないにしても、一般に堅い外向思考型のひとは、その例外を許さない態度や、息抜きとしての未分化な感情反応によって家族を苦しめていることが多くなります。
http://rinnsyou.com/archives/327

▲△▽▼

外向的直観型 (extraverted intuition)
ジャーナリストは大抵このタイプです。 頭が良い、仕事ができる、と言われている女性もこのタイプです:
 C.G.ユングが「タイプ論」で提唱した4つの心的機能の一つである直観機能のうちの、外向的な態度を指します。

このタイプの人の特徴
外向的直観型の人は、外的なものに対して、すべての人が認めている現実の価値ではなく、可能性を求めて行動します。
 良い思いつきで特許をとろうとする人、相場、仲買、あるいは対人関係においては隠れている情報を嗅ぎつけたり、未完の大器を掘り出したりすることに情熱を傾ける人などがそうです。
 この直観が思考や感情の判断によって補助されていないときは、この型は種はまくが、収穫は得られない人になる危険性が高くなります。つまり、一つの可能性を見出しても、その仕事が完成しない前に、彼は次の新たな可能性に気をとられて、そちらに行ってしまい、ひとところに腰をおちつけて仕事の成果を楽しむことができないのです。結局は彼のあとにきたひとがこの成果を得ることになってしまって、直観型のひとは、他人を富ますことに力を傾けながら、自分はいつも貧困に苦しまなければなりません。
 このような傾向が強くなると、抑圧されていた感覚機能が制御を破って現れます。これは荒唐無稽な点で感覚型の人が陥りやすい状態に似ています、感覚型の人が、何か宗教的・神秘的なものにとらわれるのに反して、この型の人は、現実的な物事にとらわれます。

反対のタイプ(内向的感覚型)を抑圧しすぎた場合
 外向的直観型の反対のタイプは内向的感覚型です。内向的感覚型は、日常生活などから豊かなイメージを膨らませることが出来るタイプです。それゆえに毎日が平凡であっても満足することができるタイプであるといえます。
 この抑圧された現実感覚が姿を表す際には、一般に直観型の人が突然いかにも似つかわしくない異性に入れ込むといった形をとるなどが生じます。また身体感覚も無視するので過労に気付かないなども起こり得ます。あるいは身体感覚を過度に気にし過ぎて心気症(病気でもないのに病気と思い込んでしまう神経症)を発症することもありえます。
http://rinnsyou.com/archives/345
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/762.html#c2

[番外地11] アメリカの思想家はユング性格学では外向的思考型か外向的直観型のどちらかです 中川隆
3. 中川隆[-10514] koaQ7Jey 2024年5月23日 09:44:38 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[20]
<■118行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
アメリカの政治学者や思想家はユング性格学では外向的思考型か外向的直観型のどちらかです。
外向的な人間ばかりのアメリカ人はドストエフスキーを探偵小説として読んでいます、川端康成の雪国を純愛小説だと思って読んでいます、タルコフスキーの惑星ソラリスをSF映画として見ています。ヨーロッパ人と同じものを鑑賞しても捉え方が全然違っています。アメリカ人には文学も美術も音楽も全く理解できないのです。

戦時中にナチスの迫害を逃れて、バルトーク、シェーンベルク、ストラヴィンスキー、ハイフェッツ、エルマン、アドルフ・ブッシュ、ブルーノ・ワルター、クレンペラー、ホロヴィッツの様なヨーロッパで最高の人気を誇った音楽家がアメリカに移住しましたが、全員渡米してからダメになっています。
芸術や文学や思想は内向的な人間が作ったものなので、外向的な人間ばかりのアメリカ人には理解できないのです。

▲△▽▼

アメリカ人には音楽の陰影が理解できない
オーディオ談義〜フルレンジSPユニットの聴き比べ〜 - 「音楽&オーディオ」の小部屋

・リチャードアレン(写真右側)とアルテック403A(写真左側)から試聴。

アルテックの方をはじめに鳴らしてみた。
音を目方で表現するのも何だが、実に軽快そのものの音には驚いた。スカッと抜けきっていて、単純明快で隠し事のない音。人生バラ色、悩みなんて一切ありませんという印象がしてまさに典型的に陽気なアメリカ人を思わせる。
これはこれでいいんだろうが、もっと陰影が欲しい気もする。好き嫌いがはっきり分かれそうな音だ。

・これに比べるとリチャードアレンはまったく正反対でひとひねりも、ふたひねりもした音。音に適度の湿り気があって陰影がそこはかとなく漂ってくる。
人生を慎み深く、そして思慮深く生きていくイギリス人という感じ。
こういう音でないと表現できない音楽もたしかにある
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/12f18fe300c6b753750512890609680d?fm=entry_awp


ヨーロッパの装置で聴けるクラシックというのは、アメリカの装置で聴くクラシックとは何かが違っている。ほとんど苦労しないで、ちゃんとクラシックが聴けるというところで、最初から全くレベルが違う。
アメリカ製品を使い始めて、濃厚な感じにどっぷりと嵌ってきたので、久々にこういう音を聴くと、こっちも必要だと思うようになった。

最初はちょっと物足りない感じがしたが、次第にこの方が正しいのじゃないか?と思い始めた。
前に、ムジークフェラインの1階のど真ん中で聴いたときに、ずいぶんと物足りなさを感じた。
ああ、実際は、こんな音だったんだ・・・と思ったのを覚えている。
どこから音がとんできているのか、さっぱりわからないくらいに、音がブレンドされまくっていて、その響きがまさにムジークフェラインのホールの特質というか、美点というのか、だろう。
アメリカ製のオーディオで聴くような、セパレーションの良い音なんて、全くのウソっぱちだった。


 今まで沢山のウェスタンサウンドを聴いてきましたがどのサウンドも一つの共通点がありました、
ウェスタンの音は一言で云うなら音にコクと味が少なくしかも奥に展開するサウンドにはならない、
聴いていると味のない食パンを食べているようなサウンドだ、

▲△▽▼

外向的思考型 (extraverted thinking)
官僚やエリート・サラリーマンは大抵このタイプです:
 C.G.ユングが「タイプ論」で提唱した4つの心的機能の一つである思考機能のうちの、外向的な態度を指します。

このタイプの人の特徴
 自分の生活を知性の与える結論に従わせようと努めています。そして、その考えの方向づけは客観的な外的事実によってなされます。つまり、外向思考型の人は客観的な事実に基づき筋道を立てて考える人です。複雑な状況にあってもすぐにポイントを発見して対処することができます。その状況判断はとても筋が通っていて正しい場合が多いです。
 このような人は、周囲の人々の考えを基にしたり、取り入れたりしている場合が多いです。内的なことや哲学や宗教を問題にしていることはあまりありません。
 新しい独創的な考え方よりも、一般に受け入れられる考えの図式を作り上げ、例外を許さない態度により、これを守ろうとします。これがうまく行われるとき、実際的な問題について、よい組織を作り上げたり、社会に役立つ理論を提供する人となります。
 しかし、個性が強すぎると、この図式が柔軟性を失い、公式やルールを無理矢理他人に押し付けたりします。
わかりきったことでも必ずしゃべりたがる一言居士や、他のひとも自分と同じように考えていると決め込んで、一つの型にはめこもうとする人になるのです。

反対のタイプを抑圧しすぎた場合
 このタイプの人は、感情を抑圧している点が特徴的です。芸術や趣味、友達づきあいなどを軽視します。これらのことを抑圧しがたくなった場合でも、自分の思考の図式の中にそれを取り入れようとしていることが容易に認められる場合が多いです。つまり、あくまで趣味と実益を兼ねる趣味だとか、考えることを主体とする趣味などを取り上げられているからなのです。
 感情があまりにも抑圧されているときは、ときに本人の意識的な制御を越えて、表面に現れることがあります。
 その例として以下のものが考えられます。

常に論理的・合理的であることを誇りとする学者が、自分の反対の学説に関して、感情的としか思えない言動をする。
道徳の守護者といいたいほど堅い道徳観をもって行動していたひとが、誰が見ても下品と思われる女性に魅せられて、破廉恥な事件に巻き込まれたりする
 これほどにひどくないにしても、一般に堅い外向思考型のひとは、その例外を許さない態度や、息抜きとしての未分化な感情反応によって家族を苦しめていることが多くなります。
http://rinnsyou.com/archives/327

▲△▽▼

外向的直観型 (extraverted intuition)
ジャーナリストは大抵このタイプです。 頭が良い、仕事ができる、と言われている女性もこのタイプです:
 C.G.ユングが「タイプ論」で提唱した4つの心的機能の一つである直観機能のうちの、外向的な態度を指します。

このタイプの人の特徴
外向的直観型の人は、外的なものに対して、すべての人が認めている現実の価値ではなく、可能性を求めて行動します。
 良い思いつきで特許をとろうとする人、相場、仲買、あるいは対人関係においては隠れている情報を嗅ぎつけたり、未完の大器を掘り出したりすることに情熱を傾ける人などがそうです。
 この直観が思考や感情の判断によって補助されていないときは、この型は種はまくが、収穫は得られない人になる危険性が高くなります。つまり、一つの可能性を見出しても、その仕事が完成しない前に、彼は次の新たな可能性に気をとられて、そちらに行ってしまい、ひとところに腰をおちつけて仕事の成果を楽しむことができないのです。結局は彼のあとにきたひとがこの成果を得ることになってしまって、直観型のひとは、他人を富ますことに力を傾けながら、自分はいつも貧困に苦しまなければなりません。
 このような傾向が強くなると、抑圧されていた感覚機能が制御を破って現れます。これは荒唐無稽な点で感覚型の人が陥りやすい状態に似ています、感覚型の人が、何か宗教的・神秘的なものにとらわれるのに反して、この型の人は、現実的な物事にとらわれます。

反対のタイプ(内向的感覚型)を抑圧しすぎた場合
 外向的直観型の反対のタイプは内向的感覚型です。内向的感覚型は、日常生活などから豊かなイメージを膨らませることが出来るタイプです。それゆえに毎日が平凡であっても満足することができるタイプであるといえます。
 この抑圧された現実感覚が姿を表す際には、一般に直観型の人が突然いかにも似つかわしくない異性に入れ込むといった形をとるなどが生じます。また身体感覚も無視するので過労に気付かないなども起こり得ます。あるいは身体感覚を過度に気にし過ぎて心気症(病気でもないのに病気と思い込んでしまう神経症)を発症することもありえます。
http://rinnsyou.com/archives/345
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/762.html#c3

[番外地11] アメリカの思想家はユング性格学では外向的思考型か外向的直観型のどちらかです 中川隆
4. 中川隆[-10513] koaQ7Jey 2024年5月23日 09:50:44 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[21]
<■118行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
アメリカの政治学者や思想家はユング性格学では外向的思考型か外向的直観型のどちらかです。
外向的な人間ばかりのアメリカ人はドストエフスキーを探偵小説として読んでいます、川端康成の雪国を純愛小説だと思って読んでいます、タルコフスキーの惑星ソラリスをSF映画として見ています。ヨーロッパ人と同じものを鑑賞しても捉え方が全然違っています。アメリカ人には文学も美術も音楽も全く理解できないのです。

戦時中にナチスの迫害を逃れて、バルトーク、シェーンベルク、ストラヴィンスキー、ハイフェッツ、エルマン、アドルフ・ブッシュ、ブルーノ・ワルター、クレンペラー、ホロヴィッツの様なヨーロッパで最高の人気を誇った音楽家がアメリカに移住しましたが、全員渡米してからダメになっています。
芸術や文学や思想は内向的な人間が作ったものなので、外向的な人間ばかりのアメリカ人には理解できないのです。

▲△▽▼

アメリカ人には音楽の陰影が理解できない
オーディオ談義〜フルレンジSPユニットの聴き比べ〜 - 「音楽&オーディオ」の小部屋

・リチャードアレン(写真右側)とアルテック403A(写真左側)から試聴。

アルテックの方をはじめに鳴らしてみた。
音を目方で表現するのも何だが、実に軽快そのものの音には驚いた。スカッと抜けきっていて、単純明快で隠し事のない音。人生バラ色、悩みなんて一切ありませんという印象がしてまさに典型的に陽気なアメリカ人を思わせる。
これはこれでいいんだろうが、もっと陰影が欲しい気もする。好き嫌いがはっきり分かれそうな音だ。

・これに比べるとリチャードアレンはまったく正反対でひとひねりも、ふたひねりもした音。音に適度の湿り気があって陰影がそこはかとなく漂ってくる。
人生を慎み深く、そして思慮深く生きていくイギリス人という感じ。
こういう音でないと表現できない音楽もたしかにある
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/12f18fe300c6b753750512890609680d?fm=entry_awp


ヨーロッパの装置で聴けるクラシックというのは、アメリカの装置で聴くクラシックとは何かが違っている。ほとんど苦労しないで、ちゃんとクラシックが聴けるというところで、最初から全くレベルが違う。

前に、ムジークフェラインの1階のど真ん中で聴いたときに、ずいぶんと物足りなさを感じた。
ああ、実際は、こんな音だったんだ・・・と思ったのを覚えている。
どこから音がとんできているのか、さっぱりわからないくらいに、音がブレンドされまくっていて、その響きがまさにムジークフェラインのホールの特質というか、美点というのか、だろう。
アメリカ製のオーディオで聴くような、セパレーションの良い音なんて、全くのウソっぱちだった。


 今まで沢山のウェスタンサウンドを聴いてきましたがどのサウンドも一つの共通点がありました、
ウェスタンの音は一言で云うなら音にコクと味が少なくしかも奥に展開するサウンドにはならない、
聴いていると味のない食パンを食べているようなサウンドだ

音楽は音色がすべてで、ベートーヴェンはベートーヴェンの音色、モーツァルトはモーツァルトの音色で鳴らないと全く別の音楽になってしまうのですね。アメリカ人にはベートーヴェンの音色とモーツァルトの音色の違いが全くわからないのです。

▲△▽▼

外向的思考型 (extraverted thinking)
官僚やエリート・サラリーマンは大抵このタイプです:
 C.G.ユングが「タイプ論」で提唱した4つの心的機能の一つである思考機能のうちの、外向的な態度を指します。

このタイプの人の特徴
 自分の生活を知性の与える結論に従わせようと努めています。そして、その考えの方向づけは客観的な外的事実によってなされます。つまり、外向思考型の人は客観的な事実に基づき筋道を立てて考える人です。複雑な状況にあってもすぐにポイントを発見して対処することができます。その状況判断はとても筋が通っていて正しい場合が多いです。
 このような人は、周囲の人々の考えを基にしたり、取り入れたりしている場合が多いです。内的なことや哲学や宗教を問題にしていることはあまりありません。
 新しい独創的な考え方よりも、一般に受け入れられる考えの図式を作り上げ、例外を許さない態度により、これを守ろうとします。これがうまく行われるとき、実際的な問題について、よい組織を作り上げたり、社会に役立つ理論を提供する人となります。
 しかし、個性が強すぎると、この図式が柔軟性を失い、公式やルールを無理矢理他人に押し付けたりします。
わかりきったことでも必ずしゃべりたがる一言居士や、他のひとも自分と同じように考えていると決め込んで、一つの型にはめこもうとする人になるのです。

反対のタイプを抑圧しすぎた場合
 このタイプの人は、感情を抑圧している点が特徴的です。芸術や趣味、友達づきあいなどを軽視します。これらのことを抑圧しがたくなった場合でも、自分の思考の図式の中にそれを取り入れようとしていることが容易に認められる場合が多いです。つまり、あくまで趣味と実益を兼ねる趣味だとか、考えることを主体とする趣味などを取り上げられているからなのです。
 感情があまりにも抑圧されているときは、ときに本人の意識的な制御を越えて、表面に現れることがあります。
 その例として以下のものが考えられます。

常に論理的・合理的であることを誇りとする学者が、自分の反対の学説に関して、感情的としか思えない言動をする。
道徳の守護者といいたいほど堅い道徳観をもって行動していたひとが、誰が見ても下品と思われる女性に魅せられて、破廉恥な事件に巻き込まれたりする
 これほどにひどくないにしても、一般に堅い外向思考型のひとは、その例外を許さない態度や、息抜きとしての未分化な感情反応によって家族を苦しめていることが多くなります。
http://rinnsyou.com/archives/327

▲△▽▼

外向的直観型 (extraverted intuition)
ジャーナリストは大抵このタイプです。 頭が良い、仕事ができる、と言われている女性もこのタイプです:
 C.G.ユングが「タイプ論」で提唱した4つの心的機能の一つである直観機能のうちの、外向的な態度を指します。

このタイプの人の特徴
外向的直観型の人は、外的なものに対して、すべての人が認めている現実の価値ではなく、可能性を求めて行動します。
 良い思いつきで特許をとろうとする人、相場、仲買、あるいは対人関係においては隠れている情報を嗅ぎつけたり、未完の大器を掘り出したりすることに情熱を傾ける人などがそうです。
 この直観が思考や感情の判断によって補助されていないときは、この型は種はまくが、収穫は得られない人になる危険性が高くなります。つまり、一つの可能性を見出しても、その仕事が完成しない前に、彼は次の新たな可能性に気をとられて、そちらに行ってしまい、ひとところに腰をおちつけて仕事の成果を楽しむことができないのです。結局は彼のあとにきたひとがこの成果を得ることになってしまって、直観型のひとは、他人を富ますことに力を傾けながら、自分はいつも貧困に苦しまなければなりません。
 このような傾向が強くなると、抑圧されていた感覚機能が制御を破って現れます。これは荒唐無稽な点で感覚型の人が陥りやすい状態に似ています、感覚型の人が、何か宗教的・神秘的なものにとらわれるのに反して、この型の人は、現実的な物事にとらわれます。

反対のタイプ(内向的感覚型)を抑圧しすぎた場合
 外向的直観型の反対のタイプは内向的感覚型です。内向的感覚型は、日常生活などから豊かなイメージを膨らませることが出来るタイプです。それゆえに毎日が平凡であっても満足することができるタイプであるといえます。
 この抑圧された現実感覚が姿を表す際には、一般に直観型の人が突然いかにも似つかわしくない異性に入れ込むといった形をとるなどが生じます。また身体感覚も無視するので過労に気付かないなども起こり得ます。あるいは身体感覚を過度に気にし過ぎて心気症(病気でもないのに病気と思い込んでしまう神経症)を発症することもありえます。
http://rinnsyou.com/archives/345
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/762.html#c4

[近代史3] 昔の日本映画は熱かった _ 高畑勲 野坂昭如_火垂るの墓 (スタジオジブリ 1988年) 中川隆
6. 中川隆[-10512] koaQ7Jey 2024年5月23日 13:08:02 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[22]
【アメリカのリアル】君たちが知らないアメリカの本当の貧困を教えます【岡田斗司夫 / サイコパスおじさん / 人生相談 / 切り抜き】
おかだぬき夫の超解説【岡田斗司夫切り抜き】2024/05/18
https://www.youtube.com/watch?v=e0MPn62p6oM

00:00 ダイジェスト
00:21 貧乏だけど豊かだった日本
05:45 海外の貧乏だけど豊かな都市
07:27 言葉を失うほどの光景
12:46 本当の感動とは
14:55 貧乏と貧困の違い

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/163.html#c6

[リバイバル4] スタジオジブリ 『火垂るの墓』 1988年 東宝 中川隆
17. 中川隆[-10511] koaQ7Jey 2024年5月23日 13:08:19 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[23]
【アメリカのリアル】君たちが知らないアメリカの本当の貧困を教えます【岡田斗司夫 / サイコパスおじさん / 人生相談 / 切り抜き】
おかだぬき夫の超解説【岡田斗司夫切り抜き】2024/05/18
https://www.youtube.com/watch?v=e0MPn62p6oM

00:00 ダイジェスト
00:21 貧乏だけど豊かだった日本
05:45 海外の貧乏だけど豊かな都市
07:27 言葉を失うほどの光景
12:46 本当の感動とは
14:55 貧乏と貧困の違い

http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/104.html#c17

[番外地11] 要するに、アメリカの思想家は外向的な性格だ、というだけの事ですね。 それに対してヨーロッパやインドの思想家は内向的性格で… 中川隆
18. 中川隆[-10510] koaQ7Jey 2024年5月23日 18:54:10 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[24]
<■115行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
要するに、アメリカの思想家は外向的な性格、ヨーロッパやインドの思想家は内向的性格、というだけの事ですね:
ユング性格学 八つの心理学的タイプ
「外向的・内向的の二つの態度 、“感覚” “思考” “感情” “直観” の四つの機能 、 2×4 で八つの心理学的タイプが定義できます。」

アメリカの思想家は外向的思考型か外向的直観型、ヨーロッパやインドの思想家は内向的思考型か内向的直観型。

宗教の教祖や預言者、シャーマン・霊媒 は殆どが内向的直観型です。
感情型は女性だけです。頭が良い女性は全員 外向的直観型です。
官僚やエリートは外向的思考型か外向的感覚型。ジャーナリストは外向的直観型。スポーツマンや料理人は外向的感覚型。

内向的直観型
釈迦、ゾロアスター、老子、イエス、ソクラテス、ショーペンハウアー 、ニーチェ、ヒトラー、ユング 、チェ・ゲバラ
ヘルダーリン、ハイネ、エドガー・アラン・ポー、マーク・トウェイン、プーシキン、ボードレール、チェーホフ、カフカ
コペルニクス、アインシュタイン 、ディラック、ファインマン、ホーキング
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ゴーギャン、ゴッホ、アンリ・ルソー、ピカソ、ムンク、キリコ
モンテヴェルディ、ヘンデル、モーツァルト、ショパン、フォーレ、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、シベリウス
チャップリン、フェリーニ、タルコフスキー、スタンリー・キューブリック、テオ・アンゲロプロズ
柿本人麻呂、親鸞、日蓮、世阿弥、松尾芭蕉、宮沢賢治、石川啄木、芥川龍之介、折口信夫、小林秀雄、中原中也、太宰治、梅原猛、つげ義春、楳図かずお、花輪和一、宮崎駿、野島伸司

内向的思考型
ナーガールジュナ(竜樹)、 ヴァスバンドゥ(世親)、孔子、プラトン、アリストテレス、マホメット、ルター、カルヴァン、スピノザ、カント、ヘーゲル 、マルクス、フロイト、ハイデッガー
レーニン、トロツキー、スターリン、毛沢東、ケ小平、プーチン 、習近平、ベンヤミン・ネタニヤフ
ゲーテ、トルストイ、ドストエフスキー、ソルジェニーツィン
パウリ、ハイゼンベルク、ジョン・フォン・ノイマン
ミケランジェロ、セザンヌ
バッハ、ハイドン、ベートーヴェン、ブルックナー、ワーグナー、フランク、ブラームス、バルトーク
グリフィス、エイゼンシュテイン、ヴィスコンティ、パゾリーニ
最澄、空海、道元、法然、柳田國男、手塚治虫


我々には、自我があります。自我により、それぞれのわたしを、わたしと感じることができる。“わたし”や“わたしでないもの”を、区別できます。また、自分の外側にあるものや自分の内側にあるものを知覚し、反応する。
それぞれの人間には、受け取り方や反応の、パターンがあります。人間には、物事を知覚し受け取る機能や、それに対して反応する機能が、備わっている。人間の「タイプ」というのは、いわば、その機能の使い方。どれを好んで使うかという傾向です。

タイプ論における2つの態度(内向的・外向的)

外向的の特徴
興味関心が外の世界へと向かい、外界の刺激に影響を受けやすい態度のこと。

何か物事をした後で考える。経験してみないと理解できない。
新しい未知の世界に気安く飛び込んでいく。
関心と注意は、身近な環境、人間と物の現実世界に注がれる。
行動から思考へ行き、行動へと戻る。
大事な事を行う時、常に客観的な条件を重んじる。
理解されやすく、受容的で、しばしば社交的。
観念の世界よりも人と物の世界にいるほうが心地よい。
情熱を内に秘めず、随時気持ちを発散させる。
よく見られる欠点は、知的浅薄さの傾向で、極端な外向タイプに顕著。
健康で円満であるためには、つりあいを取る内向性を適度に発達させる事が必要。


内向的の特徴
興味関心が自分の内なる世界へと向かい、自己に関心が集まりやすい態度。
※単に他者とのコミュニケーションが上手とかおしゃべりとかそういう話ではない。

何か物事をする前に考える。理解しないと動けない。
未知の世界へと飛び込む事には慎重である。
関心と注意は心的現実、観念と悟性の内的世界に注がれる。
思索から行動へ行き、思索へと戻る。
大事な事を行う時、常に主観的価値を重んじる。
ミステリアスな部分が多く、深みがある。しばしば寡黙で内気。
人と物の世界よりも観念の世界にいるほうが心地よい。
激しい情熱をうちに姫、これを大切なものとして大事にする。
よく見られる欠点は、非現実的な傾向で、これは極端な内的タイプに顕著である。
健康で円満であるためには、つりあいを取る外交性を適度に発達させる事が必要。


ユング性格学「四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚” “思考” “感情” “直観” と呼びました。
人は生まれながらに、この四つの機能、すべてを備えている。

では、なぜ、性格に違いがあるのか?
前述の通り、人はこのうちのどれかを、好んで使うようになります。何を主に用いるかによって、性格は違ってくる。また、現実に対する態度が“外向的”か“内向的”かによって、同じ機能でも、違いが出てきます。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。

思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。

感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。

直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


感覚は、五感を通して受け取る機能。景色や色、肌触り、温度、音、におい、味、などを受け取る。また、イメージも受け取ります(五感を通して感じるような、イメージ)。

直観は、可能性を受け取る機能。これは何になるのか? 何に使えるか? どうなっていくのか? それを――理屈を越えて――受け取ります。いわゆる、第六感というものでしょうか。

思考は、分類したり、照らし合わせたりします。それは何に属するのか? それはどういうものか? そういうことを考えたり、組み合わせたりする。それを判断材料にします。

感情は、言葉の通り、感情によって分類したり、判断したりする。好きか嫌いか? 心地好いのか、不快なのか? 美しいと思うのか、醜いと思うのか? そうやって、判断する。

人は、受け取る機能である“非合理的機能”を一つと、判断する機能である“合理的機能”を一つの、計二つを、主に使います。

ただ、主に使う二つの中でも、どちらかが優位に立ちます。どちらかといえば判断が優先されるのか、どちらかといえば受け取ることが優先されるのか、そういった差が出る。


この内、一番よく使われる機能を、“主要機能”(主機能)、あるいは“優越機能”と呼び、二番目に使われる機能を、“補助機能”と呼びます。

そして、残りの二つの機能はあまり使われず、無意識に存在することになる。これを、“劣等機能”と呼びます。

劣等機能は無意識に留まり、あまり使われないので、影と関係していくことになります。

今まで書いてきた、生きてない半面などが、これに関わってくる。


非合理的機能である「感覚と直観」、合理的機能である「思考と感情」は、それぞれ、対立するペアになります。
受け取り方は一つ、判断の仕方は一つ、両方は使えません。(まったく使えないわけでもありませんが)

五感を通して知覚する感覚タイプは、脳の処理をそれに使うので、可能性はあまり知覚しない。直観に対し、脳を使いません。使うにしても、ごくわずかしか使わない。
逆に、可能性を知覚する直観タイプは、脳の処理をそれに使うので、感覚に対して疎かになる。まったく使わないわけではないですが、ごく限られたものになる。
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1880.html
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/761.html#c18

[番外地11] アメリカの思想家はユング性格学では外向的思考型か外向的直観型のどちらかです 中川隆
5. 中川隆[-10509] koaQ7Jey 2024年5月23日 19:00:27 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[25]
<■114行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
アメリカの政治学者や思想家はユング性格学の分類では殆どが外向的です。性格は遺伝的なものなので教育や努力では変えられません。
外向的な人間ばかりのアメリカ人はドストエフスキーを探偵小説として読んでいます、川端康成の雪国を純愛小説だと思って読んでいます、タルコフスキーの惑星ソラリスをSF映画として見ています。ヨーロッパ人と同じものを鑑賞しても捉え方が全然違っています。アメリカ人には文学も美術も音楽も全く理解できないのです。

戦時中にナチスの迫害を逃れて、バルトーク、シェーンベルク、ストラヴィンスキー、ハイフェッツ、エルマン、アドルフ・ブッシュ、ブルーノ・ワルター、クレンペラー、ホロヴィッツの様なヨーロッパで最高の人気を誇った音楽家がアメリカに移住しましたが、全員渡米してからダメになっています。
芸術や文学や思想は内向的な人間が作ったものなので、外向的な人間ばかりのアメリカ人には理解できないのです。

▲△▽▼

アメリカ人には音楽の陰影が理解できない
オーディオ談義〜フルレンジSPユニットの聴き比べ〜 - 「音楽&オーディオ」の小部屋

・リチャードアレン(写真右側)とアルテック403A(写真左側)から試聴。

アルテックの方をはじめに鳴らしてみた。
音を目方で表現するのも何だが、実に軽快そのものの音には驚いた。スカッと抜けきっていて、単純明快で隠し事のない音。人生バラ色、悩みなんて一切ありませんという印象がしてまさに典型的に陽気なアメリカ人を思わせる。
これはこれでいいんだろうが、もっと陰影が欲しい気もする。好き嫌いがはっきり分かれそうな音だ。

・これに比べるとリチャードアレンはまったく正反対でひとひねりも、ふたひねりもした音。音に適度の湿り気があって陰影がそこはかとなく漂ってくる。
人生を慎み深く、そして思慮深く生きていくイギリス人という感じ。
こういう音でないと表現できない音楽もたしかにある
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/12f18fe300c6b753750512890609680d?fm=entry_awp


ヨーロッパの装置で聴けるクラシックというのは、アメリカの装置で聴くクラシックとは何かが違っている。ほとんど苦労しないで、ちゃんとクラシックが聴けるというところで、最初から全くレベルが違う。

前に、ムジークフェラインの1階のど真ん中で聴いたときに、ずいぶんと物足りなさを感じた。
ああ、実際は、こんな音だったんだ・・・と思ったのを覚えている。
どこから音がとんできているのか、さっぱりわからないくらいに、音がブレンドされまくっていて、その響きがまさにムジークフェラインのホールの特質というか、美点というのか、だろう。
アメリカ製のオーディオで聴くような、セパレーションの良い音なんて、全くのウソっぱちだった。


 今まで沢山のウェスタンサウンドを聴いてきましたがどのサウンドも一つの共通点がありました、
ウェスタンの音は一言で云うなら音にコクと味が少なくしかも奥に展開するサウンドにはならない、
聴いていると味のない食パンを食べているようなサウンドだ

音楽は音色がすべてで、ベートーヴェンはベートーヴェンの音色、モーツァルトはモーツァルトの音色で鳴らないと全く別の音楽になってしまうのですね。アメリカ人にはベートーヴェンの音色とモーツァルトの音色の違いが全くわからないのです。

▲△▽▼

外向的思考型 (extraverted thinking)
このタイプの人の特徴
 自分の生活を知性の与える結論に従わせようと努めています。そして、その考えの方向づけは客観的な外的事実によってなされます。つまり、外向思考型の人は客観的な事実に基づき筋道を立てて考える人です。複雑な状況にあってもすぐにポイントを発見して対処することができます。その状況判断はとても筋が通っていて正しい場合が多いです。
 このような人は、周囲の人々の考えを基にしたり、取り入れたりしている場合が多いです。内的なことや哲学や宗教を問題にしていることはあまりありません。
 新しい独創的な考え方よりも、一般に受け入れられる考えの図式を作り上げ、例外を許さない態度により、これを守ろうとします。これがうまく行われるとき、実際的な問題について、よい組織を作り上げたり、社会に役立つ理論を提供する人となります。
 しかし、個性が強すぎると、この図式が柔軟性を失い、公式やルールを無理矢理他人に押し付けたりします。
わかりきったことでも必ずしゃべりたがる一言居士や、他のひとも自分と同じように考えていると決め込んで、一つの型にはめこもうとする人になるのです。

反対のタイプを抑圧しすぎた場合
 このタイプの人は、感情を抑圧している点が特徴的です。芸術や趣味、友達づきあいなどを軽視します。これらのことを抑圧しがたくなった場合でも、自分の思考の図式の中にそれを取り入れようとしていることが容易に認められる場合が多いです。つまり、あくまで趣味と実益を兼ねる趣味だとか、考えることを主体とする趣味などを取り上げられているからなのです。
 感情があまりにも抑圧されているときは、ときに本人の意識的な制御を越えて、表面に現れることがあります。
 その例として以下のものが考えられます。

常に論理的・合理的であることを誇りとする学者が、自分の反対の学説に関して、感情的としか思えない言動をする。
道徳の守護者といいたいほど堅い道徳観をもって行動していたひとが、誰が見ても下品と思われる女性に魅せられて、破廉恥な事件に巻き込まれたりする
 これほどにひどくないにしても、一般に堅い外向思考型のひとは、その例外を許さない態度や、息抜きとしての未分化な感情反応によって家族を苦しめていることが多くなります。
http://rinnsyou.com/archives/327

▲△▽▼

外向的直観型 (extraverted intuition)
ジャーナリストは大抵このタイプです。 頭が良い、仕事ができる、と言われている女性もこのタイプです:

外向的直観型の人は、外的なものに対して、すべての人が認めている現実の価値ではなく、可能性を求めて行動します。
 良い思いつきで特許をとろうとする人、相場、仲買、あるいは対人関係においては隠れている情報を嗅ぎつけたり、未完の大器を掘り出したりすることに情熱を傾ける人などがそうです。
 この直観が思考や感情の判断によって補助されていないときは、この型は種はまくが、収穫は得られない人になる危険性が高くなります。つまり、一つの可能性を見出しても、その仕事が完成しない前に、彼は次の新たな可能性に気をとられて、そちらに行ってしまい、ひとところに腰をおちつけて仕事の成果を楽しむことができないのです。結局は彼のあとにきたひとがこの成果を得ることになってしまって、直観型のひとは、他人を富ますことに力を傾けながら、自分はいつも貧困に苦しまなければなりません。
 このような傾向が強くなると、抑圧されていた感覚機能が制御を破って現れます。これは荒唐無稽な点で感覚型の人が陥りやすい状態に似ています、感覚型の人が、何か宗教的・神秘的なものにとらわれるのに反して、この型の人は、現実的な物事にとらわれます。

反対のタイプ(内向的感覚型)を抑圧しすぎた場合
 外向的直観型の反対のタイプは内向的感覚型です。内向的感覚型は、日常生活などから豊かなイメージを膨らませることが出来るタイプです。それゆえに毎日が平凡であっても満足することができるタイプであるといえます。
 この抑圧された現実感覚が姿を表す際には、一般に直観型の人が突然いかにも似つかわしくない異性に入れ込むといった形をとるなどが生じます。また身体感覚も無視するので過労に気付かないなども起こり得ます。あるいは身体感覚を過度に気にし過ぎて心気症(病気でもないのに病気と思い込んでしまう神経症)を発症することもありえます。
http://rinnsyou.com/archives/345
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/762.html#c5

[番外地11] アメリカの思想家はユング性格学では外向的思考型か外向的直観型のどちらかです 中川隆
6. 中川隆[-10508] koaQ7Jey 2024年5月23日 19:06:51 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[26]
<■116行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
アメリカ人はユング性格学の分類では殆どが外向的です。性格は遺伝的なものなので教育や努力では変えられません。
外向的な人間には内向的人間の考え方は全く理解できません。内向的人間を異常性格者か発達障害者としか思わないのですね。
外向的な人間ばかりのアメリカ人はドストエフスキーを探偵小説として読んでいます、川端康成の雪国を純愛小説だと思って読んでいます、タルコフスキーの惑星ソラリスをSF映画として見ています。ヨーロッパ人と同じものを鑑賞しても捉え方が全然違っています。アメリカ人には文学も美術も音楽も全く理解できないのです。

戦時中にナチスの迫害を逃れて、バルトーク、シェーンベルク、ストラヴィンスキー、ハイフェッツ、エルマン、アドルフ・ブッシュ、ブルーノ・ワルター、クレンペラー、ホロヴィッツの様なヨーロッパで最高の人気を誇った音楽家がアメリカに移住しましたが、全員渡米してからダメになっています。
芸術や文学や思想は内向的な人間が作ったものなので、外向的な人間ばかりのアメリカ人には理解できないのです。

▲△▽▼

アメリカ人には音楽の陰影が理解できない
オーディオ談義〜フルレンジSPユニットの聴き比べ〜 - 「音楽&オーディオ」の小部屋

・リチャードアレン(写真右側)とアルテック403A(写真左側)から試聴。

アルテックの方をはじめに鳴らしてみた。
音を目方で表現するのも何だが、実に軽快そのものの音には驚いた。スカッと抜けきっていて、単純明快で隠し事のない音。人生バラ色、悩みなんて一切ありませんという印象がしてまさに典型的に陽気なアメリカ人を思わせる。
これはこれでいいんだろうが、もっと陰影が欲しい気もする。好き嫌いがはっきり分かれそうな音だ。

・これに比べるとリチャードアレンはまったく正反対でひとひねりも、ふたひねりもした音。音に適度の湿り気があって陰影がそこはかとなく漂ってくる。
人生を慎み深く、そして思慮深く生きていくイギリス人という感じ。
こういう音でないと表現できない音楽もたしかにある
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/12f18fe300c6b753750512890609680d?fm=entry_awp


ヨーロッパの装置で聴けるクラシックというのは、アメリカの装置で聴くクラシックとは何かが違っている。ほとんど苦労しないで、ちゃんとクラシックが聴けるというところで、最初から全くレベルが違う。

前に、ムジークフェラインの1階のど真ん中で聴いたときに、ずいぶんと物足りなさを感じた。
ああ、実際は、こんな音だったんだ・・・と思ったのを覚えている。
どこから音がとんできているのか、さっぱりわからないくらいに、音がブレンドされまくっていて、その響きがまさにムジークフェラインのホールの特質というか、美点というのか、だろう。
アメリカ製のオーディオで聴くような、セパレーションの良い音なんて、全くのウソっぱちだった。


 今まで沢山のウェスタンサウンドを聴いてきましたがどのサウンドも一つの共通点がありました、
ウェスタンの音は一言で云うなら音にコクと味が少なくしかも奥に展開するサウンドにはならない、
聴いていると味のない食パンを食べているようなサウンドだ

音楽は音色がすべてで、ベートーヴェンはベートーヴェンの音色、モーツァルトはモーツァルトの音色で鳴らないと全く別の音楽になってしまうのですね。アメリカ人にはベートーヴェンの音色とモーツァルトの音色の違いが全くわからないのです。

▲△▽▼

外向的思考型 (extraverted thinking)
このタイプの人の特徴
 自分の生活を知性の与える結論に従わせようと努めています。そして、その考えの方向づけは客観的な外的事実によってなされます。つまり、外向思考型の人は客観的な事実に基づき筋道を立てて考える人です。複雑な状況にあってもすぐにポイントを発見して対処することができます。その状況判断はとても筋が通っていて正しい場合が多いです。
 このような人は、周囲の人々の考えを基にしたり、取り入れたりしている場合が多いです。内的なことや哲学や宗教を問題にしていることはあまりありません。
 新しい独創的な考え方よりも、一般に受け入れられる考えの図式を作り上げ、例外を許さない態度により、これを守ろうとします。これがうまく行われるとき、実際的な問題について、よい組織を作り上げたり、社会に役立つ理論を提供する人となります。
 しかし、個性が強すぎると、この図式が柔軟性を失い、公式やルールを無理矢理他人に押し付けたりします。
わかりきったことでも必ずしゃべりたがる一言居士や、他のひとも自分と同じように考えていると決め込んで、一つの型にはめこもうとする人になるのです。

反対のタイプを抑圧しすぎた場合
 このタイプの人は、感情を抑圧している点が特徴的です。芸術や趣味、友達づきあいなどを軽視します。これらのことを抑圧しがたくなった場合でも、自分の思考の図式の中にそれを取り入れようとしていることが容易に認められる場合が多いです。つまり、あくまで趣味と実益を兼ねる趣味だとか、考えることを主体とする趣味などを取り上げられているからなのです。
 感情があまりにも抑圧されているときは、ときに本人の意識的な制御を越えて、表面に現れることがあります。
 その例として以下のものが考えられます。

常に論理的・合理的であることを誇りとする学者が、自分の反対の学説に関して、感情的としか思えない言動をする。
道徳の守護者といいたいほど堅い道徳観をもって行動していたひとが、誰が見ても下品と思われる女性に魅せられて、破廉恥な事件に巻き込まれたりする
 これほどにひどくないにしても、一般に堅い外向思考型のひとは、その例外を許さない態度や、息抜きとしての未分化な感情反応によって家族を苦しめていることが多くなります。
http://rinnsyou.com/archives/327

▲△▽▼

外向的直観型 (extraverted intuition)
ジャーナリストは大抵このタイプです。 頭が良い、仕事ができる、と言われている女性もこのタイプです:

外向的直観型の人は、外的なものに対して、すべての人が認めている現実の価値ではなく、可能性を求めて行動します。
 良い思いつきで特許をとろうとする人、相場、仲買、あるいは対人関係においては隠れている情報を嗅ぎつけたり、未完の大器を掘り出したりすることに情熱を傾ける人などがそうです。
 この直観が思考や感情の判断によって補助されていないときは、この型は種はまくが、収穫は得られない人になる危険性が高くなります。つまり、一つの可能性を見出しても、その仕事が完成しない前に、彼は次の新たな可能性に気をとられて、そちらに行ってしまい、ひとところに腰をおちつけて仕事の成果を楽しむことができないのです。結局は彼のあとにきたひとがこの成果を得ることになってしまって、直観型のひとは、他人を富ますことに力を傾けながら、自分はいつも貧困に苦しまなければなりません。
 このような傾向が強くなると、抑圧されていた感覚機能が制御を破って現れます。これは荒唐無稽な点で感覚型の人が陥りやすい状態に似ています、感覚型の人が、何か宗教的・神秘的なものにとらわれるのに反して、この型の人は、現実的な物事にとらわれます。

反対のタイプ(内向的感覚型)を抑圧しすぎた場合
 外向的直観型の反対のタイプは内向的感覚型です。内向的感覚型は、日常生活などから豊かなイメージを膨らませることが出来るタイプです。それゆえに毎日が平凡であっても満足することができるタイプであるといえます。
 この抑圧された現実感覚が姿を表す際には、一般に直観型の人が突然いかにも似つかわしくない異性に入れ込むといった形をとるなどが生じます。また身体感覚も無視するので過労に気付かないなども起こり得ます。あるいは身体感覚を過度に気にし過ぎて心気症(病気でもないのに病気と思い込んでしまう神経症)を発症することもありえます。
http://rinnsyou.com/archives/345
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/762.html#c6

[番外地11] アメリカの思想家はユング性格学では外向的思考型か外向的直観型のどちらかです 中川隆
7. 中川隆[-10507] koaQ7Jey 2024年5月23日 19:11:34 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[27]
<■120行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
アメリカ人はユング性格学の分類では殆どが外向的です。性格は遺伝的なものなので教育や努力では変えられません。
外向的な人間には内向的人間の考え方は全く理解できません。内向的人間を異常性格者か発達障害者としか思わないのですね。
外向的な人間ばかりのアメリカ人はドストエフスキーを探偵小説として読んでいます、川端康成の雪国を純愛小説だと思って読んでいます、タルコフスキーの惑星ソラリスをSF映画として見ています。ヨーロッパ人と同じものを鑑賞しても捉え方が全然違っています。アメリカ人には文学も美術も音楽も全く理解できないのです。

戦時中にナチスの迫害を逃れて、バルトーク、シェーンベルク、ストラヴィンスキー、ハイフェッツ、エルマン、アドルフ・ブッシュ、ブルーノ・ワルター、クレンペラー、ホロヴィッツの様なヨーロッパで最高の人気を誇った音楽家がアメリカに移住しましたが、全員渡米してからダメになっています。
芸術や文学や思想は内向的な人間が作ったものなので、外向的な人間ばかりのアメリカ人には理解できないのです。

▲△▽▼

アメリカ人には音楽の陰影が理解できない
オーディオ談義〜フルレンジSPユニットの聴き比べ〜 - 「音楽&オーディオ」の小部屋

・リチャードアレン(写真右側)とアルテック403A(写真左側)から試聴。

アルテックの方をはじめに鳴らしてみた。
音を目方で表現するのも何だが、実に軽快そのものの音には驚いた。スカッと抜けきっていて、単純明快で隠し事のない音。人生バラ色、悩みなんて一切ありませんという印象がしてまさに典型的に陽気なアメリカ人を思わせる。
これはこれでいいんだろうが、もっと陰影が欲しい気もする。好き嫌いがはっきり分かれそうな音だ。

・これに比べるとリチャードアレンはまったく正反対でひとひねりも、ふたひねりもした音。音に適度の湿り気があって陰影がそこはかとなく漂ってくる。
人生を慎み深く、そして思慮深く生きていくイギリス人という感じ。
こういう音でないと表現できない音楽もたしかにある
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/12f18fe300c6b753750512890609680d?fm=entry_awp


ヨーロッパの装置で聴けるクラシックというのは、アメリカの装置で聴くクラシックとは何かが違っている。ほとんど苦労しないで、ちゃんとクラシックが聴けるというところで、最初から全くレベルが違う。

前に、ムジークフェラインの1階のど真ん中で聴いたときに、ずいぶんと物足りなさを感じた。
ああ、実際は、こんな音だったんだ・・・と思ったのを覚えている。
どこから音がとんできているのか、さっぱりわからないくらいに、音がブレンドされまくっていて、その響きがまさにムジークフェラインのホールの特質というか、美点というのか、だろう。
アメリカ製のオーディオで聴くような、セパレーションの良い音なんて、全くのウソっぱちだった。


 今まで沢山のウェスタンサウンドを聴いてきましたがどのサウンドも一つの共通点がありました、
ウェスタンの音は一言で云うなら音にコクと味が少なくしかも奥に展開するサウンドにはならない、
聴いていると味のない食パンを食べているようなサウンドだ

音楽は音色がすべてで、ベートーヴェンはベートーヴェンの音色、モーツァルトはモーツァルトの音色で鳴らないと全く別の音楽になってしまうのですね。アメリカ人にはベートーヴェンの音色とモーツァルトの音色の違いが全くわからないのです。

▲△▽▼

外向的思考型 (extraverted thinking)
このタイプの人の特徴
 自分の生活を知性の与える結論に従わせようと努めています。そして、その考えの方向づけは客観的な外的事実によってなされます。つまり、外向思考型の人は客観的な事実に基づき筋道を立てて考える人です。複雑な状況にあってもすぐにポイントを発見して対処することができます。その状況判断はとても筋が通っていて正しい場合が多いです。
 このような人は、周囲の人々の考えを基にしたり、取り入れたりしている場合が多いです。内的なことや哲学や宗教を問題にしていることはあまりありません。
 新しい独創的な考え方よりも、一般に受け入れられる考えの図式を作り上げ、例外を許さない態度により、これを守ろうとします。これがうまく行われるとき、実際的な問題について、よい組織を作り上げたり、社会に役立つ理論を提供する人となります。
 しかし、個性が強すぎると、この図式が柔軟性を失い、公式やルールを無理矢理他人に押し付けたりします。
わかりきったことでも必ずしゃべりたがる一言居士や、他のひとも自分と同じように考えていると決め込んで、一つの型にはめこもうとする人になるのです。

反対のタイプを抑圧しすぎた場合
 このタイプの人は、感情を抑圧している点が特徴的です。芸術や趣味、友達づきあいなどを軽視します。これらのことを抑圧しがたくなった場合でも、自分の思考の図式の中にそれを取り入れようとしていることが容易に認められる場合が多いです。つまり、あくまで趣味と実益を兼ねる趣味だとか、考えることを主体とする趣味などを取り上げられているからなのです。
 感情があまりにも抑圧されているときは、ときに本人の意識的な制御を越えて、表面に現れることがあります。
 その例として以下のものが考えられます。

常に論理的・合理的であることを誇りとする学者が、自分の反対の学説に関して、感情的としか思えない言動をする。
道徳の守護者といいたいほど堅い道徳観をもって行動していたひとが、誰が見ても下品と思われる女性に魅せられて、破廉恥な事件に巻き込まれたりする
 これほどにひどくないにしても、一般に堅い外向思考型のひとは、その例外を許さない態度や、息抜きとしての未分化な感情反応によって家族を苦しめていることが多くなります。
http://rinnsyou.com/archives/327


外向的感覚型 (extraverted sensation)
 外向的感覚型のひとはリアリストです。客観的事実を、事実そのままに受け取って、その経験を集積していきます。
 このタイプの人は、思考や感情の助けが加わらないときは、気楽な、そのときその場の現実の享受者となります。あちこちの料理店の場所や味をよく覚えて仲間で飲みにいこうというときは、適当な場所に連れていき、愉快に楽しむことのできる人です。これが低級化すると、粗野な享楽主義者となり、異性を感覚で楽しませる対象としてしか考えられなくなったりします。
 一方で、思考や感情の助けが加わった場合は、洗練された芸術家、職人、研究者となります。感情機能と適当に結びついて、音楽や絵画の才能として現われたり、思考機能の助けを借りて、的確にして膨大な資料の蓄積を得意とする学者にもなりえるのです。
http://rinnsyou.com/archives/339


外向的直観型 (extraverted intuition)
ジャーナリストは大抵このタイプです。 頭が良い、仕事ができる、と言われている女性もこのタイプです:

外向的直観型の人は、外的なものに対して、すべての人が認めている現実の価値ではなく、可能性を求めて行動します。
 良い思いつきで特許をとろうとする人、相場、仲買、あるいは対人関係においては隠れている情報を嗅ぎつけたり、未完の大器を掘り出したりすることに情熱を傾ける人などがそうです。
 この直観が思考や感情の判断によって補助されていないときは、この型は種はまくが、収穫は得られない人になる危険性が高くなります。つまり、一つの可能性を見出しても、その仕事が完成しない前に、彼は次の新たな可能性に気をとられて、そちらに行ってしまい、ひとところに腰をおちつけて仕事の成果を楽しむことができないのです。結局は彼のあとにきたひとがこの成果を得ることになってしまって、直観型のひとは、他人を富ますことに力を傾けながら、自分はいつも貧困に苦しまなければなりません。
 このような傾向が強くなると、抑圧されていた感覚機能が制御を破って現れます。これは荒唐無稽な点で感覚型の人が陥りやすい状態に似ています、感覚型の人が、何か宗教的・神秘的なものにとらわれるのに反して、この型の人は、現実的な物事にとらわれます。
http://rinnsyou.com/archives/345
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/762.html#c7

[番外地11] アメリカの思想家はユング性格学では外向的思考型か外向的直観型のどちらかです 中川隆
8. 中川隆[-10506] koaQ7Jey 2024年5月23日 19:25:23 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[28]
<■116行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
アメリカ人はユング性格学の分類では殆どが外向的です。
性格は幼年期に決まってしまうので、その後の教育や努力では変えられません。
外向的な人間には内向的人間の考え方は全く理解できません。内向的人間を異常性格者か発達障害者としか思わないのですね。
外向的な人間ばかりのアメリカ人はドストエフスキーを探偵小説として読んでいます、川端康成の雪国を純愛小説だと思って読んでいます、タルコフスキーの惑星ソラリスをSF映画として見ています。ヨーロッパ人と同じものを鑑賞しても捉え方が全然違っています。アメリカ人には文学も美術も音楽も全く理解できないのです。

戦時中にナチスの迫害を逃れて、バルトーク、シェーンベルク、ストラヴィンスキー、ハイフェッツ、エルマン、アドルフ・ブッシュ、ブルーノ・ワルター、クレンペラー、ホロヴィッツの様なヨーロッパで最高の人気を誇った音楽家がアメリカに移住しましたが、全員渡米してからダメになっています。
芸術や文学や思想は内向的な人間が作ったものなので、外向的な人間ばかりのアメリカ人には理解できないのです。

▲△▽▼

アメリカ人には音楽の陰影が理解できない
オーディオ談義〜フルレンジSPユニットの聴き比べ〜 - 「音楽&オーディオ」の小部屋

・リチャードアレン(写真右側)とアルテック403A(写真左側)から試聴。

アルテックの方をはじめに鳴らしてみた。
音を目方で表現するのも何だが、実に軽快そのものの音には驚いた。スカッと抜けきっていて、単純明快で隠し事のない音。人生バラ色、悩みなんて一切ありませんという印象がしてまさに典型的に陽気なアメリカ人を思わせる。
これはこれでいいんだろうが、もっと陰影が欲しい気もする。好き嫌いがはっきり分かれそうな音だ。

・これに比べるとリチャードアレンはまったく正反対でひとひねりも、ふたひねりもした音。音に適度の湿り気があって陰影がそこはかとなく漂ってくる。
人生を慎み深く、そして思慮深く生きていくイギリス人という感じ。
こういう音でないと表現できない音楽もたしかにある
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/12f18fe300c6b753750512890609680d?fm=entry_awp


ヨーロッパの装置で聴けるクラシックというのは、アメリカの装置で聴くクラシックとは何かが違っている。ほとんど苦労しないで、ちゃんとクラシックが聴けるというところで、最初から全くレベルが違う。

前に、ムジークフェラインの1階のど真ん中で聴いたときに、ずいぶんと物足りなさを感じた。
ああ、実際は、こんな音だったんだ・・・と思ったのを覚えている。
どこから音がとんできているのか、さっぱりわからないくらいに、音がブレンドされまくっていて、その響きがまさにムジークフェラインのホールの特質というか、美点というのか、だろう。
アメリカ製のオーディオで聴くような、セパレーションの良い音なんて、全くのウソっぱちだった。


 今まで沢山のウェスタンサウンドを聴いてきましたがどのサウンドも一つの共通点がありました、
ウェスタンの音は一言で云うなら音にコクと味が少なくしかも奥に展開するサウンドにはならない、
聴いていると味のない食パンを食べているようなサウンドだ

音楽は音色がすべてで、ベートーヴェンはベートーヴェンの音色、モーツァルトはモーツァルトの音色で鳴らないと全く別の音楽になってしまうのですね。アメリカ人にはベートーヴェンの音色とモーツァルトの音色の違いが全くわからないのです。

▲△▽▼

外向的思考型 (extraverted thinking)
このタイプの人の特徴
 自分の生活を知性の与える結論に従わせようと努めています。そして、その考えの方向づけは客観的な外的事実によってなされます。つまり、外向思考型の人は客観的な事実に基づき筋道を立てて考える人です。複雑な状況にあってもすぐにポイントを発見して対処することができます。その状況判断はとても筋が通っていて正しい場合が多いです。
 このような人は、周囲の人々の考えを基にしたり、取り入れたりしている場合が多いです。内的なことや哲学や宗教を問題にしていることはあまりありません。
 新しい独創的な考え方よりも、一般に受け入れられる考えの図式を作り上げ、例外を許さない態度により、これを守ろうとします。これがうまく行われるとき、実際的な問題について、よい組織を作り上げたり、社会に役立つ理論を提供する人となります。
 しかし、個性が強すぎると、この図式が柔軟性を失い、公式やルールを無理矢理他人に押し付けたりします。
わかりきったことでも必ずしゃべりたがる一言居士や、他のひとも自分と同じように考えていると決め込んで、一つの型にはめこもうとする人になるのです。

反対のタイプを抑圧しすぎた場合
 このタイプの人は、感情を抑圧している点が特徴的です。芸術や趣味、友達づきあいなどを軽視します。これらのことを抑圧しがたくなった場合でも、自分の思考の図式の中にそれを取り入れようとしていることが容易に認められる場合が多いです。つまり、あくまで趣味と実益を兼ねる趣味だとか、考えることを主体とする趣味などを取り上げられているからなのです。
 感情があまりにも抑圧されているときは、ときに本人の意識的な制御を越えて、表面に現れることがあります。
 その例として以下のものが考えられます。

常に論理的・合理的であることを誇りとする学者が、自分の反対の学説に関して、感情的としか思えない言動をする。
道徳の守護者といいたいほど堅い道徳観をもって行動していたひとが、誰が見ても下品と思われる女性に魅せられて、破廉恥な事件に巻き込まれたりする
 これほどにひどくないにしても、一般に堅い外向思考型のひとは、その例外を許さない態度や、息抜きとしての未分化な感情反応によって家族を苦しめていることが多くなります。
http://rinnsyou.com/archives/327


外向的感覚型 (extraverted sensation)
 外向的感覚型のひとはリアリストです。客観的事実を、事実そのままに受け取って、その経験を集積していきます。
 このタイプの人は、思考や感情の助けが加わらないときは、気楽な、そのときその場の現実の享受者となります。あちこちの料理店の場所や味をよく覚えて仲間で飲みにいこうというときは、適当な場所に連れていき、愉快に楽しむことのできる人です。これが低級化すると、粗野な享楽主義者となり、異性を感覚で楽しませる対象としてしか考えられなくなったりします。
 一方で、思考や感情の助けが加わった場合は、洗練された芸術家、職人、研究者となります。感情機能と適当に結びついて、音楽や絵画の才能として現われたり、思考機能の助けを借りて、的確にして膨大な資料の蓄積を得意とする学者にもなりえるのです。
http://rinnsyou.com/archives/339


外向的直観型 (extraverted intuition)
ジャーナリストは大抵このタイプです。 頭が良い、仕事ができる、と言われている女性もこのタイプです:

外向的直観型の人は、外的なものに対して、すべての人が認めている現実の価値ではなく、可能性を求めて行動します。
 良い思いつきで特許をとろうとする人、相場、仲買、あるいは対人関係においては隠れている情報を嗅ぎつけたり、未完の大器を掘り出したりすることに情熱を傾ける人などがそうです。
 この直観が思考や感情の判断によって補助されていないときは、この型は種はまくが、収穫は得られない人になる危険性が高くなります。つまり、一つの可能性を見出しても、その仕事が完成しない前に、彼は次の新たな可能性に気をとられて、そちらに行ってしまい、ひとところに腰をおちつけて仕事の成果を楽しむことができないのです。結局は彼のあとにきたひとがこの成果を得ることになってしまって、直観型のひとは、他人を富ますことに力を傾けながら、自分はいつも貧困に苦しまなければなりません。
http://rinnsyou.com/archives/345
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/762.html#c8

[番外地11] 要するに、アメリカの思想家は外向的な性格だ、というだけの事ですね。 それに対してヨーロッパやインドの思想家は内向的性格で… 中川隆
19. 中川隆[-10505] koaQ7Jey 2024年5月23日 20:11:59 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[29]
<■115行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
要するに、アメリカの思想家は外向的な性格、ヨーロッパやインドの思想家は内向的性格、というだけの事ですね:
ユング性格学 八つの心理学的タイプ
「外向的・内向的の二つの態度 、“感覚” “思考” “感情” “直観” の四つの機能 、 2×4 で八つの心理学的タイプが定義できます。」

アメリカの思想家は外向的思考型か外向的直観型、ヨーロッパやインドの思想家は内向的思考型か内向的直観型。

宗教の教祖や預言者、シャーマン・霊媒 は殆どが内向的直観型です。
感情型は女性だけです。頭が良い女性は全員 外向的直観型です。
官僚やエリートは外向的思考型か外向的感覚型。ジャーナリストは外向的直観型。スポーツマンや料理人は外向的感覚型。

内向的直観型
釈迦、ゾロアスター、老子、イエス、ソクラテス、ショーペンハウアー 、ニーチェ、ヒトラー、グスタフ・ユング 、チェ・ゲバラ
ヘルダーリン、ハイネ、エドガー・アラン・ポー、プーシキン、ボードレール、ランボー、マラルメ、チェーホフ、カフカ
コペルニクス、アインシュタイン 、ディラック、ファインマン、ホーキング
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ゴーギャン、ゴッホ、アンリ・ルソー、ピカソ、ムンク、キリコ
モンテヴェルディ、ヘンデル、モーツァルト、ショパン、フォーレ、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、シベリウス
チャップリン、ピエトロ・ジェルミ、フェリーニ、イエジー・カワレロウィッチ、タルコフスキー、テオ・アンゲロプロズ
柿本人麻呂、親鸞、日蓮、世阿弥、松尾芭蕉、宮沢賢治、石川啄木、芥川龍之介、折口信夫、小林秀雄、中原中也、太宰治、梅原猛、つげ義春、楳図かずお、花輪和一、宮崎駿、野島伸司

内向的思考型
ナーガールジュナ(竜樹)、 ヴァスバンドゥ(世親)、孔子、プラトン、アリストテレス、マホメット、ルター、カルヴァン、スピノザ、カント、ヘーゲル 、マルクス、フロイト、ハイデッガー
レーニン、トロツキー、スターリン、毛沢東、ケ小平、プーチン 、習近平、ベンヤミン・ネタニヤフ
ゲーテ、トルストイ、ドストエフスキー、ソルジェニーツィン
パウリ、ハイゼンベルク、ジョン・フォン・ノイマン
ミケランジェロ、セザンヌ
バッハ、ハイドン、ベートーヴェン、ブルックナー、ワーグナー、フランク、ブラームス、バルトーク
グリフィス、エイゼンシュテイン、ヴィスコンティ、パゾリーニ
最澄、空海、道元、法然、柳田國男、手塚治虫


我々には、自我があります。自我により、それぞれのわたしを、わたしと感じることができる。“わたし”や“わたしでないもの”を、区別できます。また、自分の外側にあるものや自分の内側にあるものを知覚し、反応する。
それぞれの人間には、受け取り方や反応の、パターンがあります。人間には、物事を知覚し受け取る機能や、それに対して反応する機能が、備わっている。人間の「タイプ」というのは、いわば、その機能の使い方。どれを好んで使うかという傾向です。

タイプ論における2つの態度(内向的・外向的)

外向的の特徴
興味関心が外の世界へと向かい、外界の刺激に影響を受けやすい態度のこと。

何か物事をした後で考える。経験してみないと理解できない。
新しい未知の世界に気安く飛び込んでいく。
関心と注意は、身近な環境、人間と物の現実世界に注がれる。
行動から思考へ行き、行動へと戻る。
大事な事を行う時、常に客観的な条件を重んじる。
理解されやすく、受容的で、しばしば社交的。
観念の世界よりも人と物の世界にいるほうが心地よい。
情熱を内に秘めず、随時気持ちを発散させる。
よく見られる欠点は、知的浅薄さの傾向で、極端な外向タイプに顕著。
健康で円満であるためには、つりあいを取る内向性を適度に発達させる事が必要。


内向的の特徴
興味関心が自分の内なる世界へと向かい、自己に関心が集まりやすい態度。
※単に他者とのコミュニケーションが上手とかおしゃべりとかそういう話ではない。

何か物事をする前に考える。理解しないと動けない。
未知の世界へと飛び込む事には慎重である。
関心と注意は心的現実、観念と悟性の内的世界に注がれる。
思索から行動へ行き、思索へと戻る。
大事な事を行う時、常に主観的価値を重んじる。
ミステリアスな部分が多く、深みがある。しばしば寡黙で内気。
人と物の世界よりも観念の世界にいるほうが心地よい。
激しい情熱をうちに姫、これを大切なものとして大事にする。
よく見られる欠点は、非現実的な傾向で、これは極端な内的タイプに顕著である。
健康で円満であるためには、つりあいを取る外交性を適度に発達させる事が必要。


ユング性格学「四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚” “思考” “感情” “直観” と呼びました。
人は生まれながらに、この四つの機能、すべてを備えている。

では、なぜ、性格に違いがあるのか?
前述の通り、人はこのうちのどれかを、好んで使うようになります。何を主に用いるかによって、性格は違ってくる。また、現実に対する態度が“外向的”か“内向的”かによって、同じ機能でも、違いが出てきます。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。

思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。

感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。

直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


感覚は、五感を通して受け取る機能。景色や色、肌触り、温度、音、におい、味、などを受け取る。また、イメージも受け取ります(五感を通して感じるような、イメージ)。

直観は、可能性を受け取る機能。これは何になるのか? 何に使えるか? どうなっていくのか? それを――理屈を越えて――受け取ります。いわゆる、第六感というものでしょうか。

思考は、分類したり、照らし合わせたりします。それは何に属するのか? それはどういうものか? そういうことを考えたり、組み合わせたりする。それを判断材料にします。

感情は、言葉の通り、感情によって分類したり、判断したりする。好きか嫌いか? 心地好いのか、不快なのか? 美しいと思うのか、醜いと思うのか? そうやって、判断する。

人は、受け取る機能である“非合理的機能”を一つと、判断する機能である“合理的機能”を一つの、計二つを、主に使います。

ただ、主に使う二つの中でも、どちらかが優位に立ちます。どちらかといえば判断が優先されるのか、どちらかといえば受け取ることが優先されるのか、そういった差が出る。


この内、一番よく使われる機能を、“主要機能”(主機能)、あるいは“優越機能”と呼び、二番目に使われる機能を、“補助機能”と呼びます。

そして、残りの二つの機能はあまり使われず、無意識に存在することになる。これを、“劣等機能”と呼びます。

劣等機能は無意識に留まり、あまり使われないので、影と関係していくことになります。

今まで書いてきた、生きてない半面などが、これに関わってくる。


非合理的機能である「感覚と直観」、合理的機能である「思考と感情」は、それぞれ、対立するペアになります。
受け取り方は一つ、判断の仕方は一つ、両方は使えません。(まったく使えないわけでもありませんが)

五感を通して知覚する感覚タイプは、脳の処理をそれに使うので、可能性はあまり知覚しない。直観に対し、脳を使いません。使うにしても、ごくわずかしか使わない。
逆に、可能性を知覚する直観タイプは、脳の処理をそれに使うので、感覚に対して疎かになる。まったく使わないわけではないですが、ごく限られたものになる。
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1880.html
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/761.html#c19

[番外地11] 要するに、アメリカの思想家は外向的な性格だ、というだけの事ですね。 それに対してヨーロッパやインドの思想家は内向的性格で… 中川隆
20. 中川隆[-10504] koaQ7Jey 2024年5月23日 20:27:14 : 10XJSgi8MI : RE05QWEwOTUwUnM=[30]
<■115行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
要するに、アメリカの思想家は外向的な性格、ヨーロッパやインドの思想家は内向的性格、というだけの事ですね:
ユング性格学 八つの心理学的タイプ
「外向的・内向的の二つの態度 、“感覚” “思考” “感情” “直観” の四つの機能 、 2×4 で八つの心理学的タイプが定義できます。」

アメリカの思想家は外向的思考型か外向的直観型、ヨーロッパやインドの思想家は内向的思考型か内向的直観型。

宗教の教祖や預言者、シャーマン・霊媒 は殆どが内向的直観型です。
感情型は女性だけです。頭が良い女性は全員 外向的直観型です。
官僚やエリートは外向的思考型か外向的感覚型。ジャーナリストは外向的直観型。スポーツマンや料理人は外向的感覚型。

内向的直観型
釈迦、ゾロアスター、老子、イエス、ソクラテス、ショーペンハウアー 、ニーチェ、ヒトラー、グスタフ・ユング 、チェ・ゲバラ
ヘルダーリン、ハイネ、エドガー・アラン・ポー、プーシキン、ボードレール、ランボー、マラルメ、チェーホフ、カフカ
コペルニクス、アインシュタイン 、ディラック、ファインマン、ホーキング
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ゴーギャン、ゴッホ、アンリ・ルソー、ピカソ、ムンク、キリコ
モンテヴェルディ、ヘンデル、モーツァルト、ショパン、フォーレ、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、シベリウス
チャップリン、ピエトロ・ジェルミ、フェリーニ、イエジー・カワレロウィッチ、タルコフスキー、テオ・アンゲロプロズ
柿本人麻呂、親鸞、日蓮、世阿弥、松尾芭蕉、宮沢賢治、石川啄木、芥川龍之介、折口信夫、小林秀雄、中原中也、太宰治、梅原猛、つげ義春、楳図かずお、花輪和一、宮崎駿、野島伸司

内向的思考型
ナーガールジュナ(竜樹)、 ヴァスバンドゥ(世親)、孔子、プラトン、アリストテレス、ルター、カルヴァン、スピノザ、カント、ヘーゲル 、マルクス、フロイト、ハイデッガー、ヴィトゲンシュタイン
レーニン、トロツキー、スターリン、毛沢東、ケ小平、プーチン
ゲーテ、トルストイ、ドストエフスキー、ソルジェニーツィン
パウリ、ハイゼンベルク、ジョン・フォン・ノイマン
ミケランジェロ、セザンヌ
バッハ、ハイドン、ベートーヴェン、ブルックナー、ワーグナー、フランク、ブラームス、バルトーク
グリフィス、エイゼンシュテイン、ヴィスコンティ、パゾリーニ
最澄、空海、道元、法然、柳田國男、手塚治虫


我々には、自我があります。自我により、それぞれのわたしを、わたしと感じることができる。“わたし”や“わたしでないもの”を、区別できます。また、自分の外側にあるものや自分の内側にあるものを知覚し、反応する。
それぞれの人間には、受け取り方や反応の、パターンがあります。人間には、物事を知覚し受け取る機能や、それに対して反応する機能が、備わっている。人間の「タイプ」というのは、いわば、その機能の使い方。どれを好んで使うかという傾向です。

タイプ論における2つの態度(内向的・外向的)

外向的の特徴
興味関心が外の世界へと向かい、外界の刺激に影響を受けやすい態度のこと。

何か物事をした後で考える。経験してみないと理解できない。
新しい未知の世界に気安く飛び込んでいく。
関心と注意は、身近な環境、人間と物の現実世界に注がれる。
行動から思考へ行き、行動へと戻る。
大事な事を行う時、常に客観的な条件を重んじる。
理解されやすく、受容的で、しばしば社交的。
観念の世界よりも人と物の世界にいるほうが心地よい。
情熱を内に秘めず、随時気持ちを発散させる。
よく見られる欠点は、知的浅薄さの傾向で、極端な外向タイプに顕著。
健康で円満であるためには、つりあいを取る内向性を適度に発達させる事が必要。


内向的の特徴
興味関心が自分の内なる世界へと向かい、自己に関心が集まりやすい態度。
※単に他者とのコミュニケーションが上手とかおしゃべりとかそういう話ではない。

何か物事をする前に考える。理解しないと動けない。
未知の世界へと飛び込む事には慎重である。
関心と注意は心的現実、観念と悟性の内的世界に注がれる。
思索から行動へ行き、思索へと戻る。
大事な事を行う時、常に主観的価値を重んじる。
ミステリアスな部分が多く、深みがある。しばしば寡黙で内気。
人と物の世界よりも観念の世界にいるほうが心地よい。
激しい情熱をうちに姫、これを大切なものとして大事にする。
よく見られる欠点は、非現実的な傾向で、これは極端な内的タイプに顕著である。
健康で円満であるためには、つりあいを取る外交性を適度に発達させる事が必要。


ユング性格学「四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚” “思考” “感情” “直観” と呼びました。
人は生まれながらに、この四つの機能、すべてを備えている。

では、なぜ、性格に違いがあるのか?
前述の通り、人はこのうちのどれかを、好んで使うようになります。何を主に用いるかによって、性格は違ってくる。また、現実に対する態度が“外向的”か“内向的”かによって、同じ機能でも、違いが出てきます。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。

思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。

感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。

直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


感覚は、五感を通して受け取る機能。景色や色、肌触り、温度、音、におい、味、などを受け取る。また、イメージも受け取ります(五感を通して感じるような、イメージ)。

直観は、可能性を受け取る機能。これは何になるのか? 何に使えるか? どうなっていくのか? それを――理屈を越えて――受け取ります。いわゆる、第六感というものでしょうか。

思考は、分類したり、照らし合わせたりします。それは何に属するのか? それはどういうものか? そういうことを考えたり、組み合わせたりする。それを判断材料にします。

感情は、言葉の通り、感情によって分類したり、判断したりする。好きか嫌いか? 心地好いのか、不快なのか? 美しいと思うのか、醜いと思うのか? そうやって、判断する。

人は、受け取る機能である“非合理的機能”を一つと、判断する機能である“合理的機能”を一つの、計二つを、主に使います。

ただ、主に使う二つの中でも、どちらかが優位に立ちます。どちらかといえば判断が優先されるのか、どちらかといえば受け取ることが優先されるのか、そういった差が出る。


この内、一番よく使われる機能を、“主要機能”(主機能)、あるいは“優越機能”と呼び、二番目に使われる機能を、“補助機能”と呼びます。

そして、残りの二つの機能はあまり使われず、無意識に存在することになる。これを、“劣等機能”と呼びます。

劣等機能は無意識に留まり、あまり使われないので、影と関係していくことになります。

今まで書いてきた、生きてない半面などが、これに関わってくる。


非合理的機能である「感覚と直観」、合理的機能である「思考と感情」は、それぞれ、対立するペアになります。
受け取り方は一つ、判断の仕方は一つ、両方は使えません。(まったく使えないわけでもありませんが)

五感を通して知覚する感覚タイプは、脳の処理をそれに使うので、可能性はあまり知覚しない。直観に対し、脳を使いません。使うにしても、ごくわずかしか使わない。
逆に、可能性を知覚する直観タイプは、脳の処理をそれに使うので、感覚に対して疎かになる。まったく使わないわけではないですが、ごく限られたものになる。
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1880.html
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