21. 2021年3月29日 14:55:17 : K5usCtGymI : R2J6NnhiRlJqbVU=[1]
メディアは本年5月13日、米国カリフォルニア州の陪審員による裁判所が、「除草剤ラウンドアップを約30年間使用したことが原因でがんを発症した」という訴訟で、ドイツのバイエル(モンサントを買収)に20億ドル(約2180億円)余りの賠償金を支払う義務があると認定した」と報じている。バイエル側は、米環境保護庁(EPA)が先月、除草剤の使用に関する暫定的なレビューでも、グリホサートには発がん性がないとしており、また世界の主要な保健当局もグリホサートの発がん性を否定していることを主張したが、陪審の判断はまったくそれとは矛盾する判決となった。バイエルは控訴すると表明している。 この裁判でのバイエル(モンサント)の敗訴の理由はグリホサートの発がん性そのものというより「ラウンドアップの潜在的な危険性について十分な警告をしなかった」という理由である。とはいえ、同州でのラウンドアップの発がん性に関する裁判では3件目の敗訴であり、これでラウンドアップ批判派(遺伝子組換え反対派)の活動はますます活発になるだろう。しかし、幅広く科学的根拠を確認しながら判断を下している我が国の食品安全委員会をはじめ米環境保護庁、EUの欧州食品安全機関(EFSA)などがグリホサートの発がん性を否定していることを忘れないでほしい。
読者諸氏は自信をもってラウンドアップを使用基準に従って利用すべきだし、その根拠をこの特集を通してご理解いただきたい。
ラウンドアップはなぜ風評被害に遭っているのか?
公益財団法人食の安全・安心財団理事長東京大学名誉教授
唐木英明
農学博士、獣医師。1964年、東京大学農学部獣医学科卒業。同大学助手、助教授、テキサス大学ダラス医学研究所研究員を経て、87年に東京大学教授、2003年に名誉教授。その後、倉敷芸術科学大学学長、日本学術会議副会長、内閣府食品安全委員会専門委員などを歴任。
安全性が高く、有用な除草剤として古くから世界中で使用されているラウンドアップが危険な農薬であるかのような風評被害に遭っている。不正確な論文や恐怖をあおる映画が作られ、非科学的な風評が拡散し、それが裁判にまで影響し、ラウンドアップを必要としている農業者に不安が広がっている。このような事態になった原因は、ラウンドアップが遺伝子組換え(GM)反対の道具に使われたことである。その顛末と対策について考える。
(1)ラウンドアップ
ラウンドアップは米国モンサント社(※1)が1974年に発売した除草剤であり、有効成分はグリホサートという化学物質である。ほとんどの種類の雑草を除草することができるのだが、散布すると短時間で土壌に吸着され、微生物により分解されて消失するので、環境汚染の可能性は小さい。また、後で述べるように安全性が高く、適切に使用する限り人の健康被害はない。このような優れた性質を持つため、世界の160カ国以上で広く使用され、日本や米国では最も多く使用されている。
発売されてから約20年間、ラウンドアップは広く使われ、その安全性について特段の議論はなかった。しかしその後、ラウンドアップの運命は大きく変わり、一部の人たちから毛嫌いされるようになった。そのきっかけは1996年に始まった遺伝子組換え(GM)作物の商業栽培だった。
(2)ラウンドアップレディー
最初に栽培されたGM作物はモンサント社が開発した「ラウンドアップレディー」(ラウンドアップ耐性)と呼ばれるもので、ラウンドアップを散布しても枯れない性質を持った大豆やトウモロコシだった。このGM作物が育つ畑にラウンドアップを散布するとすべての雑草は枯れてしまい、GM作物だけが生き残る。そんな夢のような新技術だ。農業労働の大きな部分を占める除草が簡単になるというメリットのため、ラウンドアップレディーは世界中に広がり、GM作物の大きな部分を占めるようになった。日本でもその安全性の審査が行なわれ、ラウンドアップレディーのトウモロコシ、大豆、菜種、綿などの安全性が確認されている。ラウンドアップもラウンドアップレディーと一体になって売り上げを伸ばした。
ところが、GM技術には当初から反対運動があった。そもそも「遺伝子は神の領域であり、人間がこれに手を付けることは許されない」という神学的な反対や、「自然ではない遺伝子が入っているものなんか食べたくない」という感情的な反対である。これが世界的な運動に広がったきっかけは、企業の間違いにより起こったスターリンク事件だった。
(3)スターリンク事件
1998年に除草剤耐性だけでなく害虫抵抗性も持つGMトウモロコシ「スターリンク」がフランスのアベンティス社により開発された。すべてのGM作物は発売前に安全性と環境への影響について国の審査を受け、とくにアレルギーについては厳しく審査される。スターリンクはアレルギーに関するデータが不足していたため食用には許可にならず、飼料用として栽培が始まった。
ところが2000年に米国で、メキシコ料理のタコスの材料であるトウモロコシにスターリンクが混入していることを反GM団体が見つけた。輸送や貯蔵の過程で混入してしまったのだ。米国では何か問題があればすぐに訴訟になる。このニュースを聞いた消費者から、スターリンクを食べたため体調を崩したという訴えが続出し、中にはアレルギーを起こした人もいた。アレルギーとスターリンクの関連は医学的に否定されたが、2002年にアベンティス社はアレルギーを起こしたと訴えた3人に900万ドル(約10億円)を支払うことで和解した。こうしてGM作物はアレルギーを起こすという間違った情報が広がり、スターリンクは栽培停止と回収に追い込まれ、米国トウモロコシ関連業界は大混乱に陥った。そして、この問題をきっかけにしてGM作物に対する反対運動が世界的に大きく広がった。
日本ではスターリンクを承認していなかったが、輸入した飼料用トウモロコシにスターリンクが混入していることを反GM団体が見つけた。これについての政府の発表が遅れたため、「遺伝子組換えはアレルギーの原因」、「未承認遺伝子組換えが食品に混入」、「政府の情報隠し」などのセンセーショナルな新聞、テレビ報道が相次ぎ、恐怖が広がり、GM作物への反対が増えていった。
(4)ラウンドアップ潰し
スターリンクが消えた後に反GM団体のターゲットになったのがラウンドアップレディーだが、これは厳しい審査を経て承認されたもので、安全性に疑問を持たせる材料に乏しかった。そこで目をつけられたのがラウンドアップだった。これを潰せばラウンドアップレディーも潰せるだろうという目論見だ。そして、「ラウンドアップには発がん性がある」、「ラウンドアップレディーは危険」といった映画が次々作られた。主なものだけでも『ザ・フューチャー・オブ・フード』(2004)、『モンサントの不自然な食べもの』(2008)、『遺伝子組み換えルーレット−私たちの生命のギャンブル』(2012)、『パパ、遺伝子組換えってなぁに?』(2013)、『たねと私の旅』(2017)などがある。
同様の内容の単行本も多数が出版され、それがSNSなどを通じて拡散し、多くの人の「常識」になってしまった。それらが流す内容は、「モンサント社はベトナム戦争で使われた枯葉剤を作った最悪の企業」、「ラウンドアップにも遺伝子組換え作物にも発がん性があるにもかかわらず、モンサント社と政治の癒着の中でその事実が隠されている」、「科学的データを出そうとするとセラリーニ教授のように弾圧され排除される」、「こうしてモンサント社のような世界的大企業が政治を動かし、作物の種子を独占し、世界の農業を支配しようとしている」などの陰謀論である。米国の調査では国民の半分以上がこのような途方もない陰謀論を信じているという。
それではラウンドアップの安全性に問題はあるのだろうか。
(5)ラウンドアップの安全性
「ラウンドアップは危険」という話が時々出てきて話題になった。その一つが、遺伝子組換えに反対しているフランスのセラリーニ教授が2012年に発表した、ラウンドアップがラットの乳がんを増やすという論文である。多くのメディアがこれを報道して不安が広がった。しかし、それまでの多くの研究でラウンドアップには発がん性がないことが確認されている。それなのにこの論文だけが発がん性があると主張している理由について多くの研究者が検証した結果、論文に科学的な誤りがあることが分かった。この実験に使われたラットは自然の状態でも加齢とともに多くのがんができる種類であり、実験に使われたラットの数が少なかったので、自然にできるがんとそれ以外のがんを区別することが難しく、自然にできたがんをラウンドアップの影響にしてしまったのだ。多くの批判の結果、この論文は取り消された。これはモンサント社の陰謀だとセラリーニ教授は主張したが、まともな研究者が信じる話ではない。ところが、別の科学雑誌がこれをそのまま掲載し、現在も読むことができる。このことは一部の研究者と科学雑誌には問題があることと、これまでの定説と違う論文が出たと言って大騒ぎをすると間違えることを示している。
大きな誤解を招いたのが国際がん研究機関(IARC)の発表である。IARCの仕事は化学物質などに発がん性があることを示す「根拠の強さ」を評価することで、その物質の発がん性の強さや、実際にがんを起こすリスクがあるのかは評価していない。といっても分かりにくいので、IARCの評価結果(表)で説明する。グループ1は「発がん性を示す十分な証拠があるもの」だが、ここに加工肉(ハム、ソーセージ、ベーコンなど)、たばこ、酒、エックス線などが含まれる。ここまでがIARCの仕事である。そこから先はリスク評価機関が行なう仕事で、その評価結果によれば、たばこは発がん性が強く、実際にがんを引き起こすが、ハムやベーコンは発がん性が弱く、がんを引き起こす可能性は小さい。グループ2Aは「ヒトに対しておそらく発がん性がある」ものだが、ここにはコーヒーに含まれるカフェ酸が入っている。これを見て「コーヒーは危険」と思うのは間違いで、カフェ酸の発がん性は弱いのでIARCもコーヒーをグループ2Aには入れていない。
IARCは2015年にラウンドアップをグループ2Aに分類した。主な根拠はラウンドアップが非ホジキンリンパ腫というがんを引き起こすかもしれないという論文だが、これはラウンドアップに発がん性はないというこれまでの多くの研究結果とは違う結論であり、世界の多くの研究機関が間違いを指摘した。たとえば、日本の食品安全委員会は2016年にラウンドアップに発がん性はないと判断し、IARCは科学的に価値が低い問題がある論文まで取り上げて結論を出しているが、食品安全委員会は国際的に合意された試験法に従って行なわれた信頼できる試験結果をもとにしたと述べている(※2)。ごく最近、米国環境保護庁もラウンドアップは健康に悪影響がないことを報告し(※3)、各国の専門機関も同様の評価をしている。その一覧はモンサント社のホームページに掲載されている(※4)。
IARCの評価結果を報道したメディアにも誤解があった。評価は発がん性の「根拠の強さ」に過ぎないことを十分に理解せず、実際に「がんを引き起こす強さ」と誤解した記事も見られ、その影響は大きかった。たとえば、IARCが本拠を置くフランスは2019年に果樹園等で用いるラウンドアッププロ360という製品を禁止した。さらに誤解は米国にも及んだ。
(6)カリフォルニア州の裁判
2018年にカリフォルニア州でラウンドアップを使用したため、非ホジキンリンパ腫になったという訴えがあった。裁判の争点はラウンドアップが発がん性を持つのかではなく、モンサント社がラウンドアップの危険性を使用者に十分伝えていたのかという点だった。モンサント社がIARCの分類を否定したこともあり、陪審員はモンサント社の責任を認め、懲罰的損害賠償を含む3億ドル(310億円)近い賠償を命じ、後に7800万ドル(約86億円)に減額した。
2019年にもカリフォルニア州で2件の裁判が行なわれ、ここではラウンドアップががんの原因であることを認めてモンサント社に1件は8000万ドル(約88億円)、もう1件は懲罰的損害賠償を含む約20億ドル(約2200億円)の賠償を命じた。評決は一般から選任された陪審員によるもので、原告の訴えやIARCの評価を見てラウンドアップに発がん性があると誤解をした結果と考えられる。モンサント社が上告したので判決は確定していない。
このような経緯を見ると、反GM団体の作戦が着々と成果を上げているように見える。モンサント社が「ラウンドアップは安全」という科学的に正しい主張をすればするほど反対派の反発は強くなる。人間の判断の背景には先入観があり、「ラウンドアップは危険」と信じている人にとってはモンサントの反論は虚偽に聞こえる。「科学的事実を見てほしい」と言われると「確証バイアス」という心理が働き、自分が信じていることを裏付ける情報ばかり探し、自分の考えとは違う情報はフェイクニュースと考えて無視する。こうして一度でき上がった先入観はますます強固になり、これを変えることは極めて難しい。すべての陪審員に正しい科学の知識を持ってもらうことは難しく、といって誤解を広げている風評を止めることも難しい。ラウンドアップをめぐる訴訟が1万件以上控えているといわれ、その行方は予断を許さない。
(7)どう対処したらいいのか?
日本はGM作物を輸入しているが、国内で栽培はしていない。これは食料の安定供給を輸入に頼らざるを得ない事情と、反GM団体の活動を無視できない事情の接点かもしれないが、海外から見ると「おかしな日本」ということになる。ところが、反GM団体はGM作物の輸入を認めているわけでもない。セラリーニ教授の論文やIARCの評価などを口実にしてGM作物もラウンドアップも危険と主張している。このような状況に農業者はどのように対処したらいいのだろうか。それは以下の3点と考える。
第1に、何が正しいのかを見極め、確信を持つことである。食品安全委員会などの日本の政府機関も国際機関も、そして多くの研究者も、ラウンドアップとGM作物は「安全」と断言している。IARCやセラリーニ教授のように、ほんの一部の人が「危険」というとメディア的には面白く、大きく報道する。すると、それを信じる人がニュースを拡散する。しかし、元をたどればそれはフェイクニュースに過ぎない。食品安全委員会やリスク管理を担当する行政の情報を信じてほしい。
第2は、正しい情報を周囲に伝えて仲間を作り、増やすことである。ラウンドアップのメリットを実感する農業者は多い。しかし、「危険」という風評に惑わされている人もいる。「安全」と確信して使い続ける仲間が増えることは周囲を元気づけるとともに、風評の影響を受けている人たちに別の影響を及ぼすことができるようになる。
情報源が新聞やテレビからインターネットに代わり、情報を受け取るだけの時代から自由に発信できる時代になった。新聞・テレビ時代には情報の内容を編集長がチェックしていたが、ネット時代の情報発信をチェックする人はいないため、ネット情報のほとんどがフェイクニュースになった。そんな時代にはフェイクニュースを見極める「情報リテラシー」が求められる。さらに、フェイクニュースに対抗するためにはそれらに対抗できる量の情報発信が必要であり、そのためにも仲間の力を結集することも必要である。そして、これは次に述べる消費者対応にも役に立つ。
第3は、消費者を味方につけることである。消費者は悪い評判があるものは避けるのだが、これに対抗する手段は丁寧な説明により消費者の信頼を得ることと、そして何よりも農作物に魅力があることである。ラウンドアップに神経質な消費者や小売業者がそれほど多いとは考えられないが、質問などがあれば科学的でわかりやすい説明が重要であり、そのために十分な準備が必要である。そして、あらゆる手段を使った情報発信の継続も重要である。
注】
※1 2018年にモンサント社はドイツのバイエル社に買収された。
※2 https://www.fsc.go.jp/iken-bosyu/iken-kekka/kekka.data/no_glyphosate_280406.pdf
※3 https://www.epa.gov/newsreleases/epa-takes-next-step-review-process-herbicide-glyphosate-reaffirms-no-risk-public-health
※4
http://www.monsantoglobal.com/global/jp/products/pages/does-glyphosate-cause-cancer.aspx
グリホサートの安全性に関する所感
一般財団法人残留農薬研究所理事長
原田孝則
1972年、鳥取大学大学院修士課程修了(農学修士)。86年、農学博士取得(東京大学)。
72年、財団法人残留農薬研究所に入所し、以来毒性部に所属して47年間にわたり実験動物を用いた農薬・医薬等の化学物質の毒性試験に携わってきた。その間、カナダオンタリオ州立獣医科大学(76-78年)で喫煙の毒性・発がん性について、87-89年に米国国立健康科学研究所(NIEHS)にて肝発がん過程における前がん病変について研究を進め、現在は一般財団法人残留農薬研究所の理事長として勤務する。また、2013〜16年の3年間、国際毒性病理学会連合(IFSTP)の会長を務めた。専門は「化学による発がん研究」で、国内外の学術雑誌(農薬学会、米国毒性病理学会、欧州毒性病理学会)の編集委員を務めるとともに、国際毒性病理用語・診断基準の統一化計画(INHAND)事業の推進委員会(GESC)委員も現在務めている。
グリホサート(商標名:ラウンドアップ)は、1970年に米国のバイオ化学企業モンサント社によって開発された農薬(アミノ酸系除草剤)で、1974年に米国にて登録され、安全で有効な除草剤として世界的に普及し、現在も各国にて幅広く使用されている。ところが、2015年3月にIARCが、グリホサートを「ヒトに対しおそらく発がん性がある」とするGroup 2Aに分類したことを発表(※1)したため、その波紋が各国に波及し、農薬業界関係者のみならず農業作業者や一般消費者にまでグリホサートの安全性に対する不安を煽る結果となった。このIARCのグリホサートをGroup 2Aに分類した根拠(※1、2)は、以下の如くである。
1.限定的ではあるが、ヒトの疫学的調査結果からグリホサートの農業上暴露と非ホジキンリンパ腫(Non-Hodgkin lymphoma)の発生との間に相関性がみられた。
2.動物実験において発がん性を示唆する所見がみられた。
3.農場に隣接する住民の血液検査において、グリホサート製剤散布後に染色体損傷を示唆する小核の増加がみられた。また、ヒト細胞を用いたinvitro試験においてDNA・染色体の損傷が観察された。
4.ヒト細胞を用いたinvitro試験及び動物実験において、グリホサートの原体、製剤及び代謝物に酸化ストレスを誘導する所見が観察された。
このIARCの発表(※1、2)を受けて米国EPA(US Environmental Protection Agency)をはじめ、関係各国の規制当局が再度今までに提出されたグリホサートの安全性試験データ及び関連文献を見直し、その安全性について以下の如く見解を述べている。
米国EPAは、グリホサートに関しては最初の登録時(1974年)以降15年ごとに提出されたGLP試験データを現代毒性学・毒性病理学を含む最新の科学的知見に照らし合わせ見直すとともに、上記のIARCの報告を考慮して実施された再評価結果(※3)を2017年に公表し、加えて2019年4月30日付の報告(※4)の中で「現時点ではグリホサートに発がん性は認められず、ラベル表示された方法に従い適正に使用する限り、ヒト及び環境に対し悪影響を及ぼすことはない」という見解を述べている。また、非ホジキンリンパ腫の発生を含む広範囲にわたる疫学的調査結果から、グリホサート暴露とヒトにおける発がんとの相関性はいずれの臓器・組織においても明らかではないとの認識を示している。EPAは他国の規制当局と同様に常に科学を基盤に農薬の安全性評価を実施しており、安全性をより完全なものにするため、不明な点があれば最新の科学的知見・手法に基づき明らかにしてゆく姿勢を今後も貫く所存であることを強調している。
欧州食品安全機関EFSA(European Food Safety Authority)の再評価(※5、6)では、提出された数多くのGLP長期発がん性試験結果及び関連文献からグリホサートには発がん性は認められず、ヒトに対しても発がん性は示さないものと判断され、EUにおける危険有害物質の分類法であるCLP規則(Regulation of classification, labelling and packaging of substances and mixtures)に従ってグリホサートを分類・表示する必要性はないと結論付けた。一方、IARCは前述の如くグリホサートをGroup 2Aに分類した根拠として、一部の長期発がん性試験の高用量群において腎尿細管腫瘍(雄マウス)、血管肉腫(雄マウス)、肝細胞腺腫(雄ラット)あるいは甲状腺C−細胞腺腫(雌ラット)の発生に増加傾向が見られたことを挙げているが、これらの変化には統計学的に有意差はなく、用量相関性に乏しく、腫瘍の発生部位・種類に一貫性がなく、発生も片性のみで頻度的に自然発生腫瘍の背景データ範囲内にあり、前腫瘍性病変も見られないことから、EFSAではグリホサート投与との因果関係はないものと解釈された。遺伝毒性に関しては、GLPに準拠して実施されたin vitro試験及び多数の公表論文において結果は陰性であったことから、EFSAではグリホサートには遺伝毒性はないと判断された。IARCが採択した一部の論文では、in vitro試験において染色体異常やDNA損傷が見られたと報告されているが、in vivo試験ではそのような異常を示唆する所見は観察されていない。また、酸化ストレスの増加に関してもメカニズムが不明瞭で確証が得られていない。なお、ヒトにおけるバイオモニタリング調査結果(※7)から、製剤を含むグリホサート暴露と酸化ストレスによるDNA損傷との因果関係はないものと報告されている。EFSAでは、IARCの指摘事項を考慮した上で、総合的に評価した結果において、グリホサートには遺伝毒性はないものと解釈された。なお、IARCが指摘したグリホサート製剤と非ホジキンリンパ腫との疫学的因果関係については、調査データが極めて限定的であり、結論付けるのに十分な証拠が得られていないという見解をEFSAは述べている。
日本の食品安全委員会(Food Safety Commission of Japan)では、IARCの報告を考慮した上で、提出されたすべての安全性試験データを再評価し、グリホサートの安全性に関する見解を以下のように述べている(※8)。グリホサート原体の各種毒性試験結果から、グリホサート投与の影響は、主に体重(増加抑制)、消化管(下痢、盲腸重量増加、腸管拡張・粘膜肥厚等)及び肝臓(肝細胞肥大、ALP上昇等)にみられたが、遺伝毒性、発がん性、発生毒性、生殖毒性、神経毒性を示唆する所見は認められなかった。動物を用いたすべての毒性試験における最小無毒性量は100mg/kg/dayであったことから、安全係数100で除し、一日許容摂取量(Acceptable Daily Intake:ADI)を1mg/kg/dayと設定した。
その他、ドイツ(German Federal Institute for Risk Assessment)、カナダ(Health Canada Pest Management Regulatory Agency)、オーストラリア(Australian Pesticide and Veterinary Medicines Authority)、ニュージーランド(New Zealand Environmental Protection Agency)の規制当局ならびに欧州化学機関(ECHA)及び国際残留農薬専門家会議(FAO/WHO−JMPR)においても、「グリホサートの発がん性あるいは遺伝毒性の可能性は低い」という見解で一致している。
以上のように、各国の規制当局の見解は、「グリホサートには発がん性や遺伝毒性は認められず、ラベル表示された適用方法で使用する限りは安全である」という意見で一致している。農薬の登録に必要な試験の種類は各国の規制当局のテストガイドライン(EPA、OECD、MAFF等)によって定められており、使用者安全、消費者安全及び環境保全を担保することを目的に、表1及び2に示す如く原体及び製剤を含めさまざまな安全性試験が要求されており、医薬を含む化学物質の中では最も厳しい多彩な試験項目と検査内容が課せられている。また、そのテストガイドラインも今までに蓄積された膨大な試験データならびに関連情報と現代毒性学を含む幅広い科学的知見に基づいて作成されたものであり、加えてガイドラインに従う試験はGLP制度に準拠して実施されることから、試験結果の信頼性は極めて高い。すなわち、GLP試験は、試験計画書の作成から最終報告書の作成まで一連のプロセスを試験実施機関における信頼性保証部門(Quality Assurance Unit:QAU)によってチェックされ、試験から得られた生データが報告書に正確に反映されていることを確認した上で、報告書が最終化される。一方、IARCの発がん性評価は、対象とする作用因子(物理的、化学的、環境的因子等)のハザードに関する性質を定性的に評価し、その結果に基づき対象物質をグループ別に分類するものである。つまり、リスク評価に用いる安全性試験結果の定量的評価とは異なり、一般に公表されている学術論文等(一般にGLP試験のように信頼性保証部門による査察・審査は行なわれていないケースが多い)の中から陽性結果の報告を抽出し、それに基づき「疑わしきは罰する」というスタンスで評価されることから、陽性方向に傾く過評価Over-estimationに陥りやすく、偽陽性False-positiveを生み出す可能性は否定できない。また、IARCの指摘する疫学的調査によるグリホサートと非ホジキンリンパ腫との相関性についても、対象者が実際に暴露されたか否かとその被暴量がどの程度なのかが明らかにされていないので、因果関係を明らかにするにはかなり無理がある。疫学的調査は、ヒト集団について疾病の原因あるいは化学物質の有害影響を判断するために行なう調査研究で、ヒトへの影響を直接評価できる方法として有用性は高い。ただし、動物実験とは異なり、対象集団の大きさ、調査時期・期間、個人の生活習慣・環境、遺伝形質など評価に影響を与えるさまざまな交絡要因が存在するため、信頼性の高い調査結果を得るためには可能な限り正確な情報収集と統計解析を含め慎重な解析が必要である。すなわち、調査結果が対象集団及び関連情報の抽出法・範囲ならびに統計解析手法等によって左右されるため、可能な限り大きな集団から多くの正しい情報を収集することが重要であり、特に化学物質の場合には被験者のバイオモニタリング等(血液検査や尿検査など)により正確な暴露状況を定性的あるいは定量的に把握することが必須と思われる。これらの点を考慮して疫学の専門家集団が最近実施した疫学的調査結果(※9)では、グリホサート暴露と非ホジキンリンパ腫との間に因果関係はみられなかったと報告されている。IARCのように危険性を事前に察知して警鐘を鳴らすことはリスク軽減の観点からは意味があると思われるが、その根拠が不十分で確かでない場合には、いたずらに不安を煽り、社会を混乱に陥れる結果となり、人類が必要としているものを失う可能性も否定できない。食の安全に関してゼロリスクを求める姿勢は間違ってはいないが、余りこだわりすぎると何も食べられなくなり、生きる術を失ってしまう。現在世界人口は75億人で、2050年には100億を超えると予測されている。この巨大な人口を支えるためには農業増産による食料確保が必要であり、その農業生産には農薬は必須である。上記のグリホサートの安全性に関する規制当局の結論は、膨大なGLP試験結果に基づき現代毒性学・毒性病理学を含む最新の科学的知見に照らし合わせて導き出されたものであり、信頼性や客観性も高く、正しい判断と考えられる。したがって、グリホサートは、ラベルに表示された方法(適用作物残留基準値及び環境基準値がADIよりも小さくなるように散布量・時期・方法が指示されている)で使用される限り、ヒト及び環境に対し安全であると断言される。筆者としては、本稿が実際に使用される農業作業者及び一般消費者にとってグリホサートの安全性に関する正しい理解の一助になれば本望である。