13. 保守や右翼には馬鹿し[247] lduO54LiiUWXg4LJgs2Ubo6tgrU 2023年6月21日 12:32:58 : cHwnzJYQYs : QW1rZHZjVWl3QWs=[1]
2023年06月21日
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12808792336.html
これまで究極の便利を目指す「AI社会化ファンタジー」について、私は人間社会との相性が悪いことで、結局廃れてゆく運命にあることを何回も書いてきた。
マイナカード問題も根は同じで、人間社会には、すべての情報を一元管理できる能力が元々存在しないのだ。その必要もない。一元化管理は、合理性と逆の結果しか生まない。
「人は必ずミスをする自然存在」という本質を考えれば、全自動化、コンピュータ依存、統一管理など安易な合理化構想は、必ず失敗するに決まっているのである。
というより、「ミスをすること」が、人間と人生の本質であること、そして、人間社会の未来を定める、もっとも大切な属性であること。
失敗=ミスによってのみ、社会の安全と永続性が保たれているという哲学的本質を理解できる人なら、AI自動化社会は人類の未来に敵対するものだと理解できるはずだ。
AI評価の最前線 2023年05月16日
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6037443.html
自動運転問題 2021年08月28日
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5830907.html
高速道路“規制箇所”での事故増加 「運転支援機能」の“過信”で…6/19(月)
https://news.yahoo.co.jp/articles/6010f0b5d962755247e99ff39872579e87c1cb24
まさに高速道路のミサイル 「工事帯に突っ込む車」衝撃映像が話題 「スマホいじってるの丸見えです 6/18(日)
https://news.yahoo.co.jp/articles/3b9e3061450b76349de5cae893519342b3464b3d
上のリンクは、高速道路工事現場に突っ込む車が急増している理由は、「運転支援機能=オートパイロット」を過信して、前をよく見ずにスマホを眺めていたり、居眠りしたりしてることが挙げられている。
ところが、自動運転プログラムや状況把握センサー機能は、突発的に発生する、さまざまな状況の1割もカバーできていないといわれていて、工事現場を示す標識などセンサーは無視するし、前車が突然方向転換した状況に対応できるプログラムも存在していない。
アメリカのテスラ自動走行では、道路を横断する老人をセンサーが認識できず、はね殺してしまい、運転者が重過失に問われている。
また空から鳥がフロントガラスにバードストライクを起こしたり、鹿や熊がとびだしてくる状況に対応できるプログラムも存在していない。
中津川のような山里に住んでいると、年に数回以上、森から鹿やカモシカなどの動物が道路に突然飛び出してくるのだが、オートパイロットに頼っていたら、ほとんど事故になるしかない。
人間が運転していれば、瞬時に状況を判断して、ブレーキを踏んだり、ハンドル操作で事故を回避できるので、私はとりあえず無事でいる。
突然現れる高速道路上の工事現場も、鹿が飛び出してくるに等しい。運転支援機能に頼って前方注意を怠っていたなら、ほぼ確実に事故になり、しかも周囲を巻き込むケースが多い。事故の責任は、100%前方不注意の運転者に帰結する。
それでは、そうした突発的な特殊状況に対応できる自動運転プログラムが開発できるかといえば、100時間に一回起きるレベルなら対応できるかもしれないが、10000時間に一回起きるレベルになると、現在のプログラム量を、数百倍にしなければならなくなるだろう。
私は運転歴50年を超えているが、10年に一度しか遭遇しない突発的な出来事も決して珍しくなく、対応を誤れば大きな事故になる。
例えば、前述の動物飛び出し、そして落石、土石流による通行障害、視認できない道路陥没、欠損、集中豪雨や濃霧による視界不良、道路冠水などだ。
私は大型二種免なので、横断歩道を渡ろうとしている人がいれば必ず停車するが、後続車が右から追い抜いて、横断歩道上の歩行者を恐怖させたことも一度や二度ではない。
横断歩道の標識が鮮明に見えることなど少なく、後続車には単なる停車にしか見えないわけだ。
自動運転プログラムも、先行車の停車が、追い抜くべき停車なのか、横断歩道の停車なのか判断できない。また、50センチより低いものは認識されないともいわれる。
身長50センチの幼児が、横断歩道を渡っていたら、自動運転プログラムは、どうするつもりなんだ?
私は長年の(通算数百万キロ走行)の経験の上で、道路の微妙な変化や、対向車運転手の表情、交通量の異変などから、先に待ち構える異常事態をある程度予測できるが、自動運転プログラムは、せいぜい数千キロ走行程度の経験値から抽象された法則を適用できるにすぎない。
この先で警察がねずみ取りをやってるなんて、自動運転では予測不可能なのだ。しかし、オービスの前で急ブレーキをかける人が多いので、予測しないと危険である。
このように、現在の自動運転プログラムは、運転中起きうる、あらゆる事態に対処可能かといえば、不可能である。だが、人間の五感は、AIプログラムの何千倍もの異常や危機を検知できるのだ。
そもそも、ほとんどの人が意識していないが、道路の狭隘部分ですれ違いするとき、なぜか、無意識に対向車の有無を事前に理解できる人が多い。
理由は、人間には本能的な予知能力が備わっているからだ。これを書くと、「またエビデンスの存在しない妄想を」と思う人もいるだろうが、これは半世紀以上の私の体験から導き出した法則である。
ファクトチェックできない真実が存在するのである。これは体験で同意してもらうしかない。
私は、自分が凍結路でスリップして大事故を起こすことを数ヶ月前から正確に予知していた。今日、これから事故など異変が起きるときも、特別な重い不快な予感がする。
私は、こんな予知能力を大切にし、カラスの騒ぎ方や、動物の異変で、これから起きる事態を察知することができる。
こんなエビデンスのない不可解な予知を大切にすることで、異変に対処できるのである。
この感覚を軽視する人は、早死にすると思っている。AIにそんな感覚は存在しない。
この意味で、AIが、どれほど経験値情報量を蓄積しても、人間の能力に追いつくことなどできない。私は、せいぜい数パーセント程度しか人間の代替はできないと思っている。
それに冒頭に書いたが、人間と人生にとって、もっとも大切なことは、「失敗すること」である。
失敗体験の上で、人間は、遭遇する事態への対処方針と、人生の指針を、たえず修正できるのだ。もし人間が失敗しなくばれば、たちまち能力を劣化させ滅亡してしまうだろう。
失敗だけが、人を戒め、絶えずアップデートを要求し、人生に対し緊張感を持って対峙し、自分を高めてゆけるのだ。
AIは人間から失敗体験を奪い、能力を減退させ、滅亡に追い込むものである。
だから人間が依存してはならない、悪魔の誘惑なのだ。イブのリンゴといってもいい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%81%E6%96%AD%E3%81%AE%E6%9E%9C%E5%AE%9F
これは「便利さを求める」こと、「合理化」という概念そのものにまつわる負の側面全体を指すものだ。
我々が便利になれば、その分、不便さを克服するための知能と体力、忍耐力を失うのである。
便利になって良いことよりも、むしろ悪いことの方が多い。
人間にとって一番大切なことは、便利になることではなく、不便を克服できる能力を高めることなのだ。
私は、人間が安易にAIに依存し、便利さを追求することは、結局、人間の人生に必要な健全な能力を退化させているとしか思えない。
人生は、困難に遭遇し、苦労することのなかに本当の喜びがあるのではないか?
このことが理解できない人は、結局、本当に必要な未来のビジョンも理解できず、ダボス会議やビルダーバーグ会議による牢獄都市構想(スーパーシティ)に放り込まれて、ゴイム(家畜)としての監視された人生を送るしかなくなると考える。
便利さに騙されてはいけない。不便さのなかに、人間としての基本的な能力・体力を大切にしてゆくことだけが、子供たちの未来を保証するのだと私は強く思う。
AIもEV電気自動車も、たぶん水素自動車も、そしてリニアも主役に上り詰める可能性は存在しない。それはオモチャの地位を超えることはできない。
もし未来に主役となれる交通機関があるとすれば、それは、せいぜい自転車であることを理解する必要がある。
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12808792336.html
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/122.html#c13