12. 新共産主義クラブ[-14196] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2020年12月26日 22:29:06 : 0Dnh6jozdI :TOR QVNuYU5RaHJaYVU=[1]
>彼らは嘆いた。日本は西欧近代を神格化し、「外発的」(夏目漱石)に国を変造し、「近代史の飛ばし読み」(三島由紀夫)が招いた「真の混乱」(福田恆存)は、保守を自称する勢力による国家の否定という倒錯に行き着いた。(適菜収)
とはいえ、夏目漱石さんは個人主義の立場から、三宅雪嶺さんらのような国粋主義者たちとは一線を画していた。
◆ 三宅雪嶺
三宅 雪嶺(みやけ せつれい、1860年7月7日(万延元年5月19日) - 1945年(昭和20年)11月26日)は、日本の哲学者、国粋主義者、評論家。
1888年(明治21年)、志賀重昂・杉浦重剛らと政教社を設立し、国粋主義の立場を主張する為、『日本人』を創刊する(後に『日本及日本人』に改題)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%AE%85%E9%9B%AA%E5%B6%BA
◆ 日本及日本人
《日本大百科全書(ニッポニカ)の解説》
評論雑誌。1906年(明治39)12月、国粋主義団体政教社の機関誌『日本人』(1888創刊)を改題し、07年1月1日号(通巻第450号)として三宅雪嶺(みやけせつれい)主宰でスタート。
https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%8A%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA-110085
◆ 国粋主義
国粋主義は、幕末より台頭した尊王攘夷論を源流とし、これが明治に入ってから政府による条約改正交渉や欧化政策への反発として現れる[6]。
これは、1888年、志賀重昂や三宅雪嶺らの政教社が出版していた雑誌『日本人』に積極的な西洋文化の導入によって国内の近代化を図っていた明治政府が推進する欧化主義に反発する志賀の論文「国粋保存旨義」が発表されたのをきっかけとして使われるようになり、明治政府の政策を非難し、日本本来の長所を重視することを主張した。この「国粋保存旨義」が「国粋」や「国粋主義」の語源である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%B2%8B%E4%B8%BB%E7%BE%A9
◆ 夏目漱石『私の個人主義』(青空文庫)
――大正三年十一月二十五日学習院輔仁会において述――
私がかつて朝日新聞の文芸欄を担任していた頃、だれであったか、三宅雪嶺さんの悪口を書いた事がありました。もちろん人身攻撃ではないので、ただ批評に過ぎないのです。しかもそれがたった二三行あったのです。出たのはいつごろでしたか、私は担任者であったけれども病気をしたからあるいはその病気中かも知れず、または病気中でなくって、私が出して好いと認定したのかも知れません。とにかくその批評が朝日の文芸欄に載ったのです。
すると「日本及び日本人」の連中が怒りました。私の所へ直接にはかけ合わなかったけれども、当時私の下働きをしていた男に取消を申し込んで来ました。それが本人からではないのです。雪嶺さんの子分――子分というと何だか博奕打のようでおかしいが、――まあ同人といったようなものでしょう、どうしても取り消せというのです。それが事実の問題ならもっともですけれども、批評なんだから仕方がないじゃありませんか。私の方ではこちらの自由だというよりほかに途はないのです。しかもそうした取消を申し込んだ「日本及び日本人」の一部では毎号私の悪口を書いている人があるのだからなおのこと人を驚ろかせるのです。
私は直接談判はしませんでしたけれども、その話を間接に聞いた時、変な心持がしました。というのは、私の方は個人主義でやっているのに反して、向うは党派主義で活動しているらしく思われたからです。当時私は私の作物をわるく評したものさえ、自分の担任している文芸欄へ載せたくらいですから、彼らのいわゆる同人なるものが、一度に雪嶺さんに対する評語が気に入らないと云って怒ったのを、驚ろきもしたし、また変にも感じました。失礼ながら時代後れだとも思いました。封建時代の人間の団隊のようにも考えました。
しかしそう考えた私はついに一種の淋しさを脱却する訳に行かなかったのです。私は意見の相違はいかに親しい間柄でもどうする事もできないと思っていましたから、私の家に出入りをする若い人達に助言はしても、その人々の意見の発表に抑圧を加えるような事は、他に重大な理由のない限り、けっしてやった事がないのです。私は他の存在をそれほどに認めている、すなわち他にそれだけの自由を与えているのです。だから向うの気が進まないのに、いくら私が汚辱を感ずるような事があっても、けっして助力は頼めないのです。そこが個人主義の淋しさです。個人主義は人を目標として向背を決する前に、まず理非を明らめて、去就を定めるのだから、ある場合にはたった一人ぼっちになって、淋しい心持がするのです。それはそのはずです。槙雑木でも束になっていれば心丈夫ですから。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/772_33100.html
http://www.asyura2.com/20/senkyo278/msg/205.html#c12