7. 2019年11月29日 17:06:20 : YERQGWdi0s : QUZ5dUJFU0hpeUE=[1]
01>「日航123便・・・あの事件以来、売国が加速した」
03>「思えばあの年あの夏から日本が変になっていった・・・その真相についてて 公に話題にする人が仮に減っていくとしても解明を望む想いは逆に強まり民 族的無意識のようなものにまで濃縮、強化されていく」
“ロンヤス関係”とかノーテンキな表現が、当阿修羅コメでも未だに散見されるが、日米折衝史検討の過程でヨーケ吟味しおった方がええぞ。中曽根在位中の5年間は、日米利害対立関係がが最も先鋭化した時代であった。日本の経済的躍進・経済的成功に対し、米国民のフラストレーションが最高潮に達し、ジャップ叩け!打倒ジャップのスローガンが、全米に彩られた時代だった。貿易摩擦、鉄鋼摩擦、自動車摩擦、半導体摩擦等の日米経済戦争の状況は、1985年の春先から初夏にかけワシントン視察した大来佐武郎に言わせれば“最早日米戦争前夜の様じゃった”とレポートしおる。全米各地で、多くのアメリカ人が“コンチクショウ!コノヤロウメ!ファックジャップ!”ちゅってハンマーでジャップカーを叩き壊しまくってた時代だった。当時、アメリカを守れという、保護主義的通商関連法案は300本以上も議会へ提出されたと言われる。
で、こっからはアンマシ、オッ恐ろしいんでヨーケ書けんが、ワインバーガーは1984 年11 月のワシントンNPCでのスピーチで、アメリカ国民の支持がほどほどに確実である時はやると明言しおる。計画は何時頃始まったか、そんなに前じゃあねえだろう、ベーカーと竹下が折衝した6月頃じゃあねえかな、円安をどーしても簡単には呑むまねえうんで、ヤルきゃあねえだろうとなった。最終的にはレーガンがサインしおったろう。“ロンヤス関係”ちゅうが、何だったんだ、何か友好関係があったんかい。以後日本はツルベ落としに沈みだし、小泉から安倍へと急降下艦爆みてえに低下だ。
03氏が“真相について・・・解明を望む想いは逆に強まり民族的無意識のよのようなものにまで濃縮、強化”と指摘するが、宗主国による占領状態継続で、自由に物が言えない状況で、真相には遠いが、“解明を望む想い”を“ロンヤス関係”なんちゅう美辞麗句で覆ってはだめだろう。
http://www.asyura2.com/19/cult23/msg/509.html#c7