1. 中川隆[-11970] koaQ7Jey 2020年8月03日 09:07:33 : eW7LEVJZWc : Q2xaVjcwU2F6SWc=[1]
日本人は縄文人の子孫ではなく 半島からの渡来人だと証明されているよ:
土井ヶ浜弥生人 最終更新: 2019年03月30日
https://newwikilihct.memo.wiki/d/%C5%DA%B0%E6%A5%F6%C9%CD%CC%EF%C0%B8%BF%CD
形質は北方新モンゴロイド。
弥生時代の北部九州・山口に分布していた弥生人。頭蓋骨の形質的に純粋な大陸系渡来人だと見られていたが
最新の核ゲノム解析により、少なくとも北部九州弥生人は実は縄文人の遺伝子を受け継いでいることが判明し*1、その割合は東京周辺の現代日本人と同じ1〜2割程度である。
縄文人に近い形質を持つ西北九州弥生人と互いに混血していたようである。
またxx半島南部に進出していた縄文人との混血を経た渡来系弥生人の集団だった可能性もある。
また土井ヶ浜弥生人の居住地域からも西北九州弥生人型の頭蓋骨が発見されており*2、
弥生時代初期段階の縄文系弥生人社会と土井ヶ浜弥生人社会は対立関係になかったと考えられる。
水稲稲作や鉄器を日本に最初にもたらした集団だと考えられている。
核ゲノム解析の結果、現代大和民族のほとんどはこの土井ヶ浜・北部九州弥生人の遺伝子に近いクラスタに属していると判明した。
便宜上、この項目では北部九州弥生人も土井ヶ浜弥生人としているが、厳密には北部九州と土井ヶ浜では微妙に違いがある。
現代日本人の頭蓋骨は土井ヶ浜弥生人より北部九州弥生に近い。
形質
頭型は基本的には短頭(頭の前後が短い)だが中頭も多い。
高顔でのっぺりとした起伏のない顔立ち。
胴長短足で顔が大きく寒冷地適応をしていた。
歯が大きく、噛み合わせは鋏状咬合。
縄文人に比べると比較的身長が高く男で165cm程度。
酒に弱い(ALDH2不活性型・失活型)。
体毛が薄く、髭がほとんど生えない。
髪は直毛。
華奢で骨細な体格。体格に関しては縄文でも北方黄色人種でもないようだ。
唇は薄い。口は小さい。
目は切れ長で小さい。
風習的抜歯を行うなど縄文人の文化風俗も取り入れていたようだ。
土井ヶ浜弥生人の復元図。
*1 : 安徳台遺跡
*2 : 土井ヶ浜・701号人骨
▲△▽▼
アイヌ語を話していた縄文人は旧石器時代に樺太から渡来した
日本語を話していた西日本縄文時代人は縄文時代後期に南xxから渡来した
神澤 秀明 2019年6月
x国加徳島獐遺跡出土人骨のDNA分析
https://researchmap.jp/hk-k/misc/21287393
現代「本土」集団における「縄文人」系統の割合は、神澤論文では9〜15%、覚張論文では8%程度と推定されています。
弥生時代以降に日本列島に到来した集団における長江流域稲作集団の影響は、遺伝的には小さく、文化的には間接的だった、と考えられます。
https://sicambre.at.webry.info/202007/article_5.html
朝鮮半島における無文土器文化の担い手は現代日本語の祖先となる日本語族に属する言語を話していたという説が複数の学者から提唱されている。これらの説によれば現代の朝鮮語の祖先となる 朝鮮語族に属する言語は古代満州南部から朝鮮半島北部にわたる地域で確立され、その後この朝鮮語族の集団は北方から南方へ拡大し、朝鮮半島中部から南部に存在していた日本語族の集団に置き換わっていったとしている。またこの過程で南方へ追いやられる形となった日本語族話者の集団が弥生人の祖であるとされる。
この朝鮮語族話者の拡大及び日本語族話者の置き換えが起きた時期については諸説ある。ジョン・ホイットマンや宮本一夫らは満州から朝鮮半島南部に移住した日本語族話者が無文土器時代の末まで存続し、琵琶形銅剣の使用に代表される朝鮮半島青銅器時代に朝鮮語話者に置き換わったとしている。 一方でAlexander Vovinは朝鮮半島の三国時代において高句麗から朝鮮語族話者が南下し、百済・新羅・加耶などの国家を設立するまで朝鮮半島南部では日本語族話者が存在していたとする。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/145.html#c1