21. 2019年5月31日 15:21:23 : Sxfv4ADGII : Q2l5UmNKZy9ndTI=[1]
家庭内で親などに暴力を振るったり、罵言を投げつける引き籠もりは少なくはないかもしれないが、それは後ろめたさや、劣等感の裏返しだ。
「普通の人間」は毎日学校に通い、卒業したら会社か役所に雇われて働くことでそこそこの収入を得、やがて結婚して子供を産み育てるものであるという概念は今も強固に世間に浸透している。
なんの疑問もなく自分たちがその「常識」に則って生きてきた両親ほど、我が子がその路線からはずれてしまったら、どうして良いかわからないだろう。
隣の子ではなく、なんでうちの子が?あるいは兄弟姉妹がいれば、お兄ちゃんや妹はいい子なのに、なんでこの子だけが?
そう思って嘆くあまり、言葉に出す出さないは別にしても本人をますます追いつめてしまう。(特に親類や近所など、世間への体裁を繕いたい親ほどそうしてしまうだろう)
本人にしてみれば、世間よりも前に、親から受け入れられない人間であることは辛い。それは本人自身の自己否定感につながる。
そのことが特に男子の場合にはしばしば家庭内の暴力を引き出し、女子の場合にはリストカットなどの自傷行為を引き出す。
何故ならば、結局のところ親の価値観を子供は引き継ぐものであり、上記のような「普通の人生」が本当は正しいものだと子供自身が信じているからだ。そしてそれを親の期待どおりに実行できない我が身を不甲斐ないものとして責めるのである。他の誰よりも、実は自身を責めているのは引き籠もりの本人たちなのだ。
むしろ、親や世間の持つそうした価値観からすっぱりと決別出来る人々は引きこもりにはならない。彼らは伝統工芸の職人になったり、アーティストや「自給自足」の田舎暮らしを目指すなど、独自の道を求めて活動を始める。
引き籠もりになる人はそうした強さがない。あるいは親の縛りが強烈でそこから逃れられないことにその原因がある。
だから、彼らを救うには親子共にその価値観から解放するしかない。
ただでさえ、組織に忠誠を尽くしてまじめに働けば報われるという時代は終わったのだ。未来が見えないのは引き籠もりの人々だけではない。
初めから欲張ることはない。「老後の人生設計」まで一気に解決しなくても良いのだ。
人生の「キャリア」に長い空白があっても出来ることはある。どんな小さなことからでも良いのだ。社会につながる、つながれることを始める。そして、その中で本人の出来る範囲で金を稼いで自立につなげられる一歩を探すのだ。
ともかく、引き籠もりであろうとなかろうと、社会全体を恨んで無差別な凶行に及ぶ人間は滅多にいるわけではない。
引き籠もりの家庭内暴力も直ちに家庭外での凶悪犯罪に結びつくわけではない。
もし、そうなるとしたら、何か別の要因が絡んでいるはずだ。
引き籠もりの子を持つ家庭への支援はあるべきだろうが、引き籠もり本人を「犯罪予備軍」などと白眼視しながら行うなどしたら、彼らをますます社会から孤立させてしまうだけであり、けして本人たちの「解放」にはならないだろう。