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[近代史5] ハプログループ D1a2a (Y染色体) 中川隆
7. 中川隆[-7932] koaQ7Jey 2025年1月18日 13:24:00 : EXTX8cl48k : Q0FuaDF6QzhnOC4=[1]
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アイヌ人と沖縄人のDNAを比べると・・・(Y染色体ハプログループDの研究)
2021年5月12日Joji Kanehira
http://www.jojikanehira.com/archives/15377873.html

●Y染色体DNAのD系統について

Y染色体DNAのD系統(Y染色体ハプログループD)は、日本人のDNAの話をする時に盛んに注目されてきた系統です。日本全体では、O系統が一番多く、D系統が二番目に多くなっています(Hammer 2006ではO系統51.8%、D系統34.7%、Nonaka 2007ではO系統54.4%、D系統39.2%)。

D系統が注目されてきたのは、O系統が日本の近隣地域によく見られるのに対して、D系統が日本の近隣地域にほとんど見られないからです(図はWang 2013より引用)。

D系統の分布は独特です。チベット側と日本側に分かれています。昔の人々は歩いて移動していたわけですから、かつてはチベットと日本の間の領域にもD系統がたくさん存在したはずです。D系統が支配的だった空間が、O系統が支配的な空間に変わったことが窺えます。農耕の誕生・発展(黄河文明と長江文明)が大きく影響したことは間違いないでしょう。

ちなみに、O系統とD系統の割合は日本内部でも地域差があります(Hammer 2006、Nonaka 2007)。明らかにO系統が優勢なのは、西日本(沖縄を除く)の日本人です。西日本(沖縄を除く)の日本人→東日本の日本人→沖縄の日本人→アイヌ人の順にD系統が強くなっていきます。大陸から日本に農耕を伝えた人々の遺伝学的影響は、特に西日本(沖縄を除く)において顕著であるということです。

D系統はチベットと日本によく見られますが、チベットに見られるD系統と日本に見られるD系統は非常に遠い関係にあります。

前回の記事で、Y染色体DNAのC系統、D系統、F系統がアフリカ以外の世界に広がっていったことをお話ししました。しかし、アフリカの外の男性のY染色体DNAは、ほとんどがF系統です。F系統は、人数が多く、分布域が広いので、G、H、I、J、K・・・のような細かな下位系統に分類されています。それに対して、D系統は、人数が少なく、分布域が狭いので、そのように細かく分類されていません。

例えば、ヨーロッパによく見られるR系統とインディアンによく見られるQ系統の隔たりより、チベットによく見られるD系統と日本によく見られるD系統の隔たりのほうがずっと大きいです。ここでいう隔たりとは、分かれてから経過した時間のことです。

D系統は世界の中ですっかり稀少になっており、わずかな手がかりからその歴史を探らなければなりません。D系統の内部を細かく調べるための分析手法として、Short Tandem Repeatの話をします。Short Tandem Repeatは、生物学・人類学における重要な分析手法の一つです。

●Short Tandem Repeatを理解する

Short Tandem Repeat(ショートタンデムリピート)は、Microsatellite(マイクロサテライト)と呼ばれることもあります。

Y染色体DNAは、他のDNAと同じように、アデニンA、チミンT、グアニンG、シトシンCという四種類の物質が列を作っています。延々と続く長い列ですが、ところどころにある配列が繰り返されている箇所があります。

(注意! 以下では、Short Tandem Repeatのポイントをすばやく伝えるために、話を実際より単純にしてあります。)

例えば、上の図ではTCTAという配列が10回繰り返されています。このような配列の繰り返しを、Short Tandem Repeatといいます。なぜShort Tandem Repeatが重要かというと、配列が繰り返されている箇所は、その他の箇所より変異(変化)しやすいのです。上の図ではTCTAという配列が10回繰り返されていますが、この10回という繰り返し回数が、遠くない将来に11回になったり、9回になったりします(繰り返し回数が1回増えたり1回減ったりするのが普通です)。さらに、11回だった繰り返し回数が12回になることもあるし、9回だった繰り返し回数が8回になることもあります。

上の図のTCTAという配列が繰り返されている領域を「繰り返し領域1」と呼ぶことにしましょう。同じようになんらかの配列が繰り返されている領域を次々に見つけ、それらに「繰り返し領域2、繰り返し領域3、繰り返し領域4、繰り返し領域5、繰り返し領域6、繰り返し領域7」と名前をつけます。繰り返し領域1ではTCTAという配列が何回か繰り返されている、繰り返し領域2では別の配列が何回か繰り返されている、繰り返し領域3ではさらに別の配列が何回か繰り返されている・・・という具合です。

繰り返し領域1で配列が10回繰り返されている
繰り返し領域2で配列が10回繰り返されている
繰り返し領域3で配列が10回繰り返されている
繰り返し領域4で配列が10回繰り返されている
繰り返し領域5で配列が10回繰り返されている
繰り返し領域6で配列が10回繰り返されている
繰り返し領域7で配列が10回繰り返されている

このようになっている場合に、それを「10‒10‒10‒10‒10‒10‒10」と書き表すことにします。D系統のY染色体DNAを持つ日本人男性10名を集め、繰り返し領域1~7を調べたところ、以下のようになっていたとしましょう。

日本人男性1~4は「10‒10‒10‒10‒10‒10‒10」のタイプです。日本人男性5のタイプは、日本人男性1~4のタイプと比べて、領域2で数値が1減っています。日本人男性6のタイプは、日本人男性1~4のタイプと比べて、領域3で数値が1減っています。日本人男性7のタイプは、日本人男性1~4のタイプと比べて、領域3で数値が1増えています。日本人男性8のタイプは、日本人男性1~4のタイプと比べて、領域5で数値が1増えています。

日本人男性5のタイプ、日本人男性6のタイプ、日本人男性7のタイプ、日本人男性8のタイプは、日本人男性1~4のタイプから1ステップずれていますが、ずれ方がそれぞれに異なります。日本人男性1~8は、以下のように書き表すことができます。

日本人男性9と日本人男性10はどうでしょうか。日本人男性9のタイプと日本人男性10のタイプは、日本人男性8のタイプから1ステップずれているタイプです。日本人男性9と日本人男性10は、以下のように書き表すことができます。

このように、Short Tandem Repeatを調べると、D系統のY染色体DNAを持つ日本人男性同士が互いにどのような関係にあるのか明らかにすることができます。Y染色体DNAの系統分類は繰り返し領域以外で行われますが、繰り返し領域も調べることによって細かな区別が可能になります。

大変興味深いことに、小金渕佳江氏らがD系統のY染色体DNAを持つアイヌ人と沖縄人のShort Tandem Repeatを調べています(図はKoganebuchi 2012より引用)。

上に説明した要領で、アイヌ人男性と沖縄人男性のY染色体DNAのShort Tandem Repeatが調べられ、それらの男性が線で結ばれています。赤い数字は、何ステップ隔たっているかを示しています。YAP(+)と書いてある側が、Y染色体DNAのD系統のデータです。アイヌ人も沖縄人も含めて、日本に見られるD系統は、ほぼすべてD-M55という下位系統です。アイヌ人にD-M55系統が多く見られる、沖縄人にD-M55系統が多く見られるというところで話が終わってしまうことが多いですが、小金渕氏らの研究はさらに踏み込んでShort Tandem Repeatまで調べています。

見ての通り、Short Tandem Repeatのバリエーションはアイヌ人と沖縄人で大きく違います。沖縄人がアイヌ人に対してバリエーションの豊かさを見せています。沖縄人の調査人数に比べてアイヌ人の調査人数が少ないということもありますが、それを差し引いても、大きな差がありそうです。D系統は南から北へ広がっていった(つまり南にいた集団の一部が北に広がっていった)のではないかと思わせるデータです。

H. Shi氏らが東ユーラシアでD系統の男性のShort Tandem Repeatを広く調べていますが、チベットのD系統もとても北(中央アジアやモンゴル)から来たようには見えず、南から来たと考えざるをえません(Shi氏らが指摘しているように、Short Tandem Repeatに基づいて図を描いた時に、中央アジアやモンゴルのD系統の男性はことごとく、中心ではなく、末端に位置します。D系統に関しては、中央アジアやモンゴルからチベットに広がっているのではなく、チベットから中央アジアやモンゴルに広がっているのです)(Shi 2008)。

実は、チベットと日本のほかにもう一つ、D系統が多く見られる場所があります。それは、インド洋東部に浮かぶアンダマン諸島です(図はWikipediaより引用)。

南から広がったように見える日本のD系統、南から広がったように見えるチベットのD系統、そしてアンダマン諸島に残るD系統・・・。こうなると、D系統はアフリカから中東に出て、中東から南アジアを通って東南アジアに達したのではないかと考えたくなります。これは、どこかで見たルートです。そうです、前回の記事でお話ししたC系統と同じルートです。しかし、不思議なことに、古くに東南アジアに達したC系統はオーストラリア・パプアニューギニア方面によく見られますが、同じく古くに東南アジアに達したはずのD系統はオーストラリア・パプアニューギニア方面に全然見られません。この問題はほとんど触れられないまま現在に至っていますが、東アジアの歴史を考えるうえで重要な問題と思われます。なぜそのようになっているのでしょうか。

補説

ついにアフリカで発見されたD系統

Y染色体DNAのD系統は東ユーラシアでしか見つかっていなかったため、D系統はアフリカで生じたのか、西ユーラシアで生じたのか、東ユーラシアで生じたのかという問題がありました。しかし、M. Haber氏らの研究によって、D系統のY染色体DNAを持つアフリカ(ナイジェリア)の男性がいることが明らかにされました(Haber 2019)。正確に言うと、これらの男性のY染色体DNAは、チベット、アンダマン諸島、日本などのD系統に極めて近いが、チベット、アンダマン諸島、日本などのD系統に共通しているM174という変異を持っていませんでした。M174という変異が起きる少し前に分かれて、そこからM-174という変異を経験しなかったのが今回のタイプ、M-174という変異を経験したのがチベット、アンダマン諸島、日本などのタイプということです。

今回の発見により、D系統はM174という変異ではなく、CTS3946という変異によって定義されるようになりました。D系統と姉妹関係にあるE系統がアフリカで生じていることを考えると、上のCTS3946という変異はアフリカで起き、M174という変異はアフリカの外で起きた可能性が濃厚です。謎めくD系統の研究が一歩前進しました。

参考文献

Haber M. et al. 2019. A rare deep-rooting D0 African Y-chromosomal haplogroup and its implications for the expansion of modern humans out of Africa. Genetics 212(4): 1421-1428.

Hammer M. F. et al. 2006. Dual origins of the Japanese: Common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes. Journal of Human Genetics 51(1): 47-58.

Koganebuchi K. et al. 2012. Autosomal and Y-chromosomal STR markers reveal a close relationship between Hokkaido Ainu and Ryukyu islanders. Anthropological Science 120(3): 199-208.

Nonaka I. et al. 2007. Y-chromosomal binary haplogroups in the Japanese population and their relationship to 16 Y-STR polymorphisms. Annals of Human Genetics 71(4): 480-495.

Shi H. et al. 2008. Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations. BMC Biology 6: 45.

Wang C. et al. 2013. Inferring human history in East Asia from Y chromosomes. Invetigative Genetics 4(1): 11.

http://www.jojikanehira.com/archives/15377873.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/173.html#c7

[近代史5] ハプログループ O1a (Y染色体) 中川隆
1. 中川隆[-7931] koaQ7Jey 2025年1月18日 13:50:22 : EXTX8cl48k : Q0FuaDF6QzhnOC4=[2]
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パズルの最後の1ピースを探し求めて、注目される山東省のDNAのデータ
2022年5月14日Joji Kanehira
http://www.jojikanehira.com/archives/16213215.html

前回の記事でお話しした、朝鮮半島と日本列島には多く見られるが、中国を含むその他の地域にはほとんど見られないY染色体DNAのO-M176に焦点を当てましょう(日本人のY染色体ハプログループOの研究、人と稲作と言語の広がりは必ずしも一致しないを参照)。

O系統はO-M119(旧O1)、O-M95(旧O2a)、O-M176(旧O2b)、O-M122(旧O3)という四つの下位系統に大きく分けられますが、そのO系統自体はN系統と比較的近い関係にあります。N系統は、現在では、遼河流域の左上に位置するブリヤート地方東部、その北のヤクート地方、その西のウラル地方、さらに西のフィンランド周辺に多く見られます(ウラル語族の秘密を参照)。

※O系統の中でごくわずかしか見られないマイナーな下位系統は図から省いてあります。

以下の地図は、Wen 2016からの引用で、6000年前頃の東アジアの様子を示しています。

※HONGSHAN——遼河流域の紅山文化(こうさんぶんか)、YANGSHAO——黄河上流域・中流域の仰韶文化(ぎょうしょうぶんか)、DAWENKOU——黄河下流域の大汶口文化(だいぶんこうぶんか)、DAXI——長江中流域の大渓文化(だいけいぶんか)、SONGZE——長江下流域のッ沢文化(すうたくぶんか)。上記の大汶口文化の後の時代が、すでに取り上げた山東龍山文化で、上記のッ沢文化の後の時代が、すでに取り上げた良渚文化です。

Wen Shaoqing氏らが述べているように、この時代は、五つの文化圏の間に全く交流がなかったわけではありませんが、五つの文化圏がはっきり区別できました。のちの時代に、遼河流域にいた人々が山東省に南下したり、殷が西から山東省に侵攻したりしますが、まだそういうことが起きていない時代です。東アジアの歴史を考えるうえで、一つ重要な時代です。

古代人のY染色体DNAのデータはまだ限られていますが、遼河流域(上の地図のHONGSHANのあたり)ではNが支配的だったこと、黄河上流域・中流域(YANGSHAOのあたり)ではO-M122が支配的だったこと、長江中流域(DAXIのあたり)では複雑だがO-M122が一番多かったこと、長江中流域と下流域の間(DAXIとSONGZEの間のあたり)ではO-M95が支配的だったこと、長江下流域(SONGZEのあたり)ではO-M119が支配的だったことが明らかになっています(Li 2007、Cui 2013)。ちなみに、古代の遼河流域と黄河流域の間の地域のY染色体DNAを調べた貴重な研究もあり、そこでは当初はNが支配的で、のちにO-M122が支配的になったことが明らかになっています(Zhang 2017)。

簡単にまとめると、HONGSHANのあたりはN、YANGSHAOのあたりはO-M122、DAXIのあたりは複雑だがO-M122、DAXIとSONGZEの間のあたりはO-M95、SONGZEのあたりはO-M119という具合です。お察しかと思いますが、現時点では、残念ながら古代の黄河下流域(DAWENKOUのあたり)のY染色体DNAのデータが欠けています。しかし、快調に進む最近の中国の研究を考えると、古代の黄河下流域(DAWENKOUのあたり)のY染色体DNAのデータが出てくるのは、時間の問題と見られます。

現時点でも、推測することは十分に可能です。考えてみてください。朝鮮半島と日本列島に多く見られるO-M176が、HONGSHANのあたりに見られない、HONGSHANとYANGSHAOの間のあたりに見られない、YANGSHAOのあたりに見られない、DAXIのあたりに見られない、DAXIとSONGZEの間のあたりに見られない、SONGZEのあたりに見られないのです。こうなると、もうDAWENKOUのあたりしか残っていません。唯一のデータ欠落地域です。

古代ではなく現代の山東省のY染色体DNAのデータはあります。非常に詳しく調べられていますが、O-M176はごくわずかです。現代の山東省には、インド・ヨーロッパ語族と関係の深いRやインディアンと関係の深いQまで少し見られますが、O-M176はそれらよりも断然少ないです。以下はYin 2020のデータで、上が雲南省のデータ、下が山東省のデータです。

※最近の研究なので、最新式の表記が用いられています。「O1a」がO-M119に一致、「O1b」がO-M95に大体一致、「O1b2」がO-M176に一致、「O2」以下すべてを合わせたものがO-M122に一致します。雲南省でも、山東省でも、O-M176が完全にゼロでないことには留意する必要があります。

ぱっと見たところ、かつて山東省でO-M176が繁栄していたようにはとても見えません。なぜこんなことになっているのでしょうか(もちろん、6000年前頃から現在に至るまでに中国は幾多の激動の歴史を経ており、Y染色体DNAのバリエーションや分布が複雑になっていることは言うまでもありません)。とはいえ、上で説明したように、これまで発表されている古代人のY染色体DNAのデータから推測する限りでは、朝鮮半島と日本列島に多く見られるO-M176はDAWENKOUのあたりから来たとしか考えられないので、あっさりと引き下がるわけにはいきません(上の図の山東省のデータで、O-M122が圧倒的に多いのは当然です。黄河中流域の勢力が拡大して、中国が形成されていったからです。しかし、それと逆の意味で、O-M176の少なさが目立ちます。O-M119、O-M95、Nと比べても、明らかに少ないです。殷が山東省に大々的に侵攻したことを思い出してください。そこからさらに、周の時代、春秋戦国時代が続きます。古代中国の戦乱が最も激しく襲いかかったのが、O-M176の集団だったのではないかと考えたくなるところです。O-M176の異様な少なさに説得力が感じられるのです)。

先ほど言及したZhang 2017の研究で、古代の遼河流域と黄河流域の間の地域のY染色体DNAを調べているにもかかわらず、O-M176が見られないので、O-M176の起源という観点からは、山東省の南部とその南側の隣接地域に注目したほうがよさそうです。冒頭の系統図からわかるように、O-M176に最も近いのはO-M95であり、このO-M95が長江中流域と下流域の間で支配的だったことはわかっているので、O-M176の起源という観点から山東省の南部とその南側の隣接地域に注目することは適切と思われます(地図は中国国家観光局駐大阪代表処のウェブサイトより引用)。

山東省の南部は、河南省(かなんしょう)、安徽省(あんきしょう)、江蘇省(こうそしょう)に隣接しています。河南省、安徽省、江蘇省には、淮河(わいが)とその支流が流れています。淮河は、巨大な黄河と長江に挟まれているのであまり目立ちませんが、結構大きな川で、多くの支流を持ちます。実は、淮河は長江、黄河に次ぐ中国第三の大河なのです(もちろん、長江、黄河は別格ですが)。謎めくY染色体DNAのO-M176の起源を探し求めて、河南省、安徽省、江蘇省の考古学調査をのぞいてみることにしましょう。

参考文献

Cui Y. et al. 2013. Y Chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China. BMC Evolutionary Biology 13(1): 216.

Li H. et al. 2007. Y chromosomes of prehistoric people along the Yangtze River. Human Genetics 122(3-4): 383–388.

Wen S. et al. 2016. Y-chromosome-based genetic pattern in East Asia affected by Neolithic transition. Quaternary International 426: 50-55.

Yin C. et al. 2020. Genetic reconstruction and forensic analysis of Chinese Shandong and Yunnan Han population by co-analyzing Y chromosomal STRs and SNPs. Genes 11(7): 743.

Zhang Y. et al. 2017. Genetic diversity of two Neolithic populations provides evidence of farming expansions in North China. Journal of Human Genetics 62(2): 199-204.

http://www.jojikanehira.com/archives/16213215.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/200.html#c1

[近代史5] ハプログループ O1b2 (Y染色体) 中川隆
3. 中川隆[-7930] koaQ7Jey 2025年1月18日 13:50:43 : EXTX8cl48k : Q0FuaDF6QzhnOC4=[3]
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パズルの最後の1ピースを探し求めて、注目される山東省のDNAのデータ
2022年5月14日Joji Kanehira
http://www.jojikanehira.com/archives/16213215.html

前回の記事でお話しした、朝鮮半島と日本列島には多く見られるが、中国を含むその他の地域にはほとんど見られないY染色体DNAのO-M176に焦点を当てましょう(日本人のY染色体ハプログループOの研究、人と稲作と言語の広がりは必ずしも一致しないを参照)。

O系統はO-M119(旧O1)、O-M95(旧O2a)、O-M176(旧O2b)、O-M122(旧O3)という四つの下位系統に大きく分けられますが、そのO系統自体はN系統と比較的近い関係にあります。N系統は、現在では、遼河流域の左上に位置するブリヤート地方東部、その北のヤクート地方、その西のウラル地方、さらに西のフィンランド周辺に多く見られます(ウラル語族の秘密を参照)。

※O系統の中でごくわずかしか見られないマイナーな下位系統は図から省いてあります。

以下の地図は、Wen 2016からの引用で、6000年前頃の東アジアの様子を示しています。

※HONGSHAN——遼河流域の紅山文化(こうさんぶんか)、YANGSHAO——黄河上流域・中流域の仰韶文化(ぎょうしょうぶんか)、DAWENKOU——黄河下流域の大汶口文化(だいぶんこうぶんか)、DAXI——長江中流域の大渓文化(だいけいぶんか)、SONGZE——長江下流域のッ沢文化(すうたくぶんか)。上記の大汶口文化の後の時代が、すでに取り上げた山東龍山文化で、上記のッ沢文化の後の時代が、すでに取り上げた良渚文化です。

Wen Shaoqing氏らが述べているように、この時代は、五つの文化圏の間に全く交流がなかったわけではありませんが、五つの文化圏がはっきり区別できました。のちの時代に、遼河流域にいた人々が山東省に南下したり、殷が西から山東省に侵攻したりしますが、まだそういうことが起きていない時代です。東アジアの歴史を考えるうえで、一つ重要な時代です。

古代人のY染色体DNAのデータはまだ限られていますが、遼河流域(上の地図のHONGSHANのあたり)ではNが支配的だったこと、黄河上流域・中流域(YANGSHAOのあたり)ではO-M122が支配的だったこと、長江中流域(DAXIのあたり)では複雑だがO-M122が一番多かったこと、長江中流域と下流域の間(DAXIとSONGZEの間のあたり)ではO-M95が支配的だったこと、長江下流域(SONGZEのあたり)ではO-M119が支配的だったことが明らかになっています(Li 2007、Cui 2013)。ちなみに、古代の遼河流域と黄河流域の間の地域のY染色体DNAを調べた貴重な研究もあり、そこでは当初はNが支配的で、のちにO-M122が支配的になったことが明らかになっています(Zhang 2017)。

簡単にまとめると、HONGSHANのあたりはN、YANGSHAOのあたりはO-M122、DAXIのあたりは複雑だがO-M122、DAXIとSONGZEの間のあたりはO-M95、SONGZEのあたりはO-M119という具合です。お察しかと思いますが、現時点では、残念ながら古代の黄河下流域(DAWENKOUのあたり)のY染色体DNAのデータが欠けています。しかし、快調に進む最近の中国の研究を考えると、古代の黄河下流域(DAWENKOUのあたり)のY染色体DNAのデータが出てくるのは、時間の問題と見られます。

現時点でも、推測することは十分に可能です。考えてみてください。朝鮮半島と日本列島に多く見られるO-M176が、HONGSHANのあたりに見られない、HONGSHANとYANGSHAOの間のあたりに見られない、YANGSHAOのあたりに見られない、DAXIのあたりに見られない、DAXIとSONGZEの間のあたりに見られない、SONGZEのあたりに見られないのです。こうなると、もうDAWENKOUのあたりしか残っていません。唯一のデータ欠落地域です。

古代ではなく現代の山東省のY染色体DNAのデータはあります。非常に詳しく調べられていますが、O-M176はごくわずかです。現代の山東省には、インド・ヨーロッパ語族と関係の深いRやインディアンと関係の深いQまで少し見られますが、O-M176はそれらよりも断然少ないです。以下はYin 2020のデータで、上が雲南省のデータ、下が山東省のデータです。

※最近の研究なので、最新式の表記が用いられています。「O1a」がO-M119に一致、「O1b」がO-M95に大体一致、「O1b2」がO-M176に一致、「O2」以下すべてを合わせたものがO-M122に一致します。雲南省でも、山東省でも、O-M176が完全にゼロでないことには留意する必要があります。

ぱっと見たところ、かつて山東省でO-M176が繁栄していたようにはとても見えません。なぜこんなことになっているのでしょうか(もちろん、6000年前頃から現在に至るまでに中国は幾多の激動の歴史を経ており、Y染色体DNAのバリエーションや分布が複雑になっていることは言うまでもありません)。とはいえ、上で説明したように、これまで発表されている古代人のY染色体DNAのデータから推測する限りでは、朝鮮半島と日本列島に多く見られるO-M176はDAWENKOUのあたりから来たとしか考えられないので、あっさりと引き下がるわけにはいきません(上の図の山東省のデータで、O-M122が圧倒的に多いのは当然です。黄河中流域の勢力が拡大して、中国が形成されていったからです。しかし、それと逆の意味で、O-M176の少なさが目立ちます。O-M119、O-M95、Nと比べても、明らかに少ないです。殷が山東省に大々的に侵攻したことを思い出してください。そこからさらに、周の時代、春秋戦国時代が続きます。古代中国の戦乱が最も激しく襲いかかったのが、O-M176の集団だったのではないかと考えたくなるところです。O-M176の異様な少なさに説得力が感じられるのです)。

先ほど言及したZhang 2017の研究で、古代の遼河流域と黄河流域の間の地域のY染色体DNAを調べているにもかかわらず、O-M176が見られないので、O-M176の起源という観点からは、山東省の南部とその南側の隣接地域に注目したほうがよさそうです。冒頭の系統図からわかるように、O-M176に最も近いのはO-M95であり、このO-M95が長江中流域と下流域の間で支配的だったことはわかっているので、O-M176の起源という観点から山東省の南部とその南側の隣接地域に注目することは適切と思われます(地図は中国国家観光局駐大阪代表処のウェブサイトより引用)。

山東省の南部は、河南省(かなんしょう)、安徽省(あんきしょう)、江蘇省(こうそしょう)に隣接しています。河南省、安徽省、江蘇省には、淮河(わいが)とその支流が流れています。淮河は、巨大な黄河と長江に挟まれているのであまり目立ちませんが、結構大きな川で、多くの支流を持ちます。実は、淮河は長江、黄河に次ぐ中国第三の大河なのです(もちろん、長江、黄河は別格ですが)。謎めくY染色体DNAのO-M176の起源を探し求めて、河南省、安徽省、江蘇省の考古学調査をのぞいてみることにしましょう。

参考文献

Cui Y. et al. 2013. Y Chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China. BMC Evolutionary Biology 13(1): 216.

Li H. et al. 2007. Y chromosomes of prehistoric people along the Yangtze River. Human Genetics 122(3-4): 383–388.

Wen S. et al. 2016. Y-chromosome-based genetic pattern in East Asia affected by Neolithic transition. Quaternary International 426: 50-55.

Yin C. et al. 2020. Genetic reconstruction and forensic analysis of Chinese Shandong and Yunnan Han population by co-analyzing Y chromosomal STRs and SNPs. Genes 11(7): 743.

Zhang Y. et al. 2017. Genetic diversity of two Neolithic populations provides evidence of farming expansions in North China. Journal of Human Genetics 62(2): 199-204.

http://www.jojikanehira.com/archives/16213215.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/176.html#c3

[近代史5] ハプログループ O2 (Y染色体) 中川隆
3. 中川隆[-7929] koaQ7Jey 2025年1月18日 13:50:58 : EXTX8cl48k : Q0FuaDF6QzhnOC4=[4]
<■111行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
パズルの最後の1ピースを探し求めて、注目される山東省のDNAのデータ
2022年5月14日Joji Kanehira
http://www.jojikanehira.com/archives/16213215.html

前回の記事でお話しした、朝鮮半島と日本列島には多く見られるが、中国を含むその他の地域にはほとんど見られないY染色体DNAのO-M176に焦点を当てましょう(日本人のY染色体ハプログループOの研究、人と稲作と言語の広がりは必ずしも一致しないを参照)。

O系統はO-M119(旧O1)、O-M95(旧O2a)、O-M176(旧O2b)、O-M122(旧O3)という四つの下位系統に大きく分けられますが、そのO系統自体はN系統と比較的近い関係にあります。N系統は、現在では、遼河流域の左上に位置するブリヤート地方東部、その北のヤクート地方、その西のウラル地方、さらに西のフィンランド周辺に多く見られます(ウラル語族の秘密を参照)。

※O系統の中でごくわずかしか見られないマイナーな下位系統は図から省いてあります。

以下の地図は、Wen 2016からの引用で、6000年前頃の東アジアの様子を示しています。

※HONGSHAN——遼河流域の紅山文化(こうさんぶんか)、YANGSHAO——黄河上流域・中流域の仰韶文化(ぎょうしょうぶんか)、DAWENKOU——黄河下流域の大汶口文化(だいぶんこうぶんか)、DAXI——長江中流域の大渓文化(だいけいぶんか)、SONGZE——長江下流域のッ沢文化(すうたくぶんか)。上記の大汶口文化の後の時代が、すでに取り上げた山東龍山文化で、上記のッ沢文化の後の時代が、すでに取り上げた良渚文化です。

Wen Shaoqing氏らが述べているように、この時代は、五つの文化圏の間に全く交流がなかったわけではありませんが、五つの文化圏がはっきり区別できました。のちの時代に、遼河流域にいた人々が山東省に南下したり、殷が西から山東省に侵攻したりしますが、まだそういうことが起きていない時代です。東アジアの歴史を考えるうえで、一つ重要な時代です。

古代人のY染色体DNAのデータはまだ限られていますが、遼河流域(上の地図のHONGSHANのあたり)ではNが支配的だったこと、黄河上流域・中流域(YANGSHAOのあたり)ではO-M122が支配的だったこと、長江中流域(DAXIのあたり)では複雑だがO-M122が一番多かったこと、長江中流域と下流域の間(DAXIとSONGZEの間のあたり)ではO-M95が支配的だったこと、長江下流域(SONGZEのあたり)ではO-M119が支配的だったことが明らかになっています(Li 2007、Cui 2013)。ちなみに、古代の遼河流域と黄河流域の間の地域のY染色体DNAを調べた貴重な研究もあり、そこでは当初はNが支配的で、のちにO-M122が支配的になったことが明らかになっています(Zhang 2017)。

簡単にまとめると、HONGSHANのあたりはN、YANGSHAOのあたりはO-M122、DAXIのあたりは複雑だがO-M122、DAXIとSONGZEの間のあたりはO-M95、SONGZEのあたりはO-M119という具合です。お察しかと思いますが、現時点では、残念ながら古代の黄河下流域(DAWENKOUのあたり)のY染色体DNAのデータが欠けています。しかし、快調に進む最近の中国の研究を考えると、古代の黄河下流域(DAWENKOUのあたり)のY染色体DNAのデータが出てくるのは、時間の問題と見られます。

現時点でも、推測することは十分に可能です。考えてみてください。朝鮮半島と日本列島に多く見られるO-M176が、HONGSHANのあたりに見られない、HONGSHANとYANGSHAOの間のあたりに見られない、YANGSHAOのあたりに見られない、DAXIのあたりに見られない、DAXIとSONGZEの間のあたりに見られない、SONGZEのあたりに見られないのです。こうなると、もうDAWENKOUのあたりしか残っていません。唯一のデータ欠落地域です。

古代ではなく現代の山東省のY染色体DNAのデータはあります。非常に詳しく調べられていますが、O-M176はごくわずかです。現代の山東省には、インド・ヨーロッパ語族と関係の深いRやインディアンと関係の深いQまで少し見られますが、O-M176はそれらよりも断然少ないです。以下はYin 2020のデータで、上が雲南省のデータ、下が山東省のデータです。

※最近の研究なので、最新式の表記が用いられています。「O1a」がO-M119に一致、「O1b」がO-M95に大体一致、「O1b2」がO-M176に一致、「O2」以下すべてを合わせたものがO-M122に一致します。雲南省でも、山東省でも、O-M176が完全にゼロでないことには留意する必要があります。

ぱっと見たところ、かつて山東省でO-M176が繁栄していたようにはとても見えません。なぜこんなことになっているのでしょうか(もちろん、6000年前頃から現在に至るまでに中国は幾多の激動の歴史を経ており、Y染色体DNAのバリエーションや分布が複雑になっていることは言うまでもありません)。とはいえ、上で説明したように、これまで発表されている古代人のY染色体DNAのデータから推測する限りでは、朝鮮半島と日本列島に多く見られるO-M176はDAWENKOUのあたりから来たとしか考えられないので、あっさりと引き下がるわけにはいきません(上の図の山東省のデータで、O-M122が圧倒的に多いのは当然です。黄河中流域の勢力が拡大して、中国が形成されていったからです。しかし、それと逆の意味で、O-M176の少なさが目立ちます。O-M119、O-M95、Nと比べても、明らかに少ないです。殷が山東省に大々的に侵攻したことを思い出してください。そこからさらに、周の時代、春秋戦国時代が続きます。古代中国の戦乱が最も激しく襲いかかったのが、O-M176の集団だったのではないかと考えたくなるところです。O-M176の異様な少なさに説得力が感じられるのです)。

先ほど言及したZhang 2017の研究で、古代の遼河流域と黄河流域の間の地域のY染色体DNAを調べているにもかかわらず、O-M176が見られないので、O-M176の起源という観点からは、山東省の南部とその南側の隣接地域に注目したほうがよさそうです。冒頭の系統図からわかるように、O-M176に最も近いのはO-M95であり、このO-M95が長江中流域と下流域の間で支配的だったことはわかっているので、O-M176の起源という観点から山東省の南部とその南側の隣接地域に注目することは適切と思われます(地図は中国国家観光局駐大阪代表処のウェブサイトより引用)。

山東省の南部は、河南省(かなんしょう)、安徽省(あんきしょう)、江蘇省(こうそしょう)に隣接しています。河南省、安徽省、江蘇省には、淮河(わいが)とその支流が流れています。淮河は、巨大な黄河と長江に挟まれているのであまり目立ちませんが、結構大きな川で、多くの支流を持ちます。実は、淮河は長江、黄河に次ぐ中国第三の大河なのです(もちろん、長江、黄河は別格ですが)。謎めくY染色体DNAのO-M176の起源を探し求めて、河南省、安徽省、江蘇省の考古学調査をのぞいてみることにしましょう。

参考文献

Cui Y. et al. 2013. Y Chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China. BMC Evolutionary Biology 13(1): 216.

Li H. et al. 2007. Y chromosomes of prehistoric people along the Yangtze River. Human Genetics 122(3-4): 383–388.

Wen S. et al. 2016. Y-chromosome-based genetic pattern in East Asia affected by Neolithic transition. Quaternary International 426: 50-55.

Yin C. et al. 2020. Genetic reconstruction and forensic analysis of Chinese Shandong and Yunnan Han population by co-analyzing Y chromosomal STRs and SNPs. Genes 11(7): 743.

Zhang Y. et al. 2017. Genetic diversity of two Neolithic populations provides evidence of farming expansions in North China. Journal of Human Genetics 62(2): 199-204.

http://www.jojikanehira.com/archives/16213215.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/177.html#c3

[近代史5] ハプログループ O1a (Y染色体) 中川隆
2. 中川隆[-7928] koaQ7Jey 2025年1月18日 15:10:50 : EXTX8cl48k : Q0FuaDF6QzhnOC4=[5]
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台湾とオーストロネシア語族
2020年12月22日Joji Kanehira
http://www.jojikanehira.com/archives/16172546.html

現在の台湾は、中国語を話す人々によってほぼ占められていますが、わずかに少数民族が残っています。アタヤル族、アミ族、パイワン族などが知られています。もともと台湾にいたのは、これらの少数民族です。中国語を話す人々がやって来るようになったのは、17世紀頃からで、歴史上最近です。

台湾の少数民族の言語は、フィリピン、インドネシア、マレーシア、そして太平洋地域の多くの島々の言語と系統関係があり、この言語群は「オーストロネシア語族」と呼ばれます。オーストロネシア語族の広大な分布域を見れば、オーストロネシア語族の人々が極めて高い航海能力を持っていたことは明らかです。

※驚くべきことに、オーストロネシア語族の言語はアフリカ大陸のすぐ横にあるマダガスカルにも分布しています。東南アジアからマダガスカルまでの距離を考えると、びっくりです。マダガスカルの人々は、東アフリカと東南アジアの両方にルーツを持っています。マダガスカルは、アフリカ大陸のすぐ近くにあるのに、ずっと人がおらず、この2000年ぐらいの間に、ようやく人が住むようになった独特の島です(Pierron 2017)。

オーストロネシア語族は、全体的によく保存されています。大陸のように大規模な戦乱で大量の言語が失われるということがなかったと思われます(ただし、オーストロネシア語族自身は他の言語を大量に消滅させたと見られます)。

オーストロネシア語族の言語は非常に数が多いですが、中でも注目されるのが台湾の少数民族の言語です。なぜかというと、台湾は狭いのに台湾の少数民族の言語は互いに大きく異なっており、対照的に、台湾以外の地域(フィリピン、インドネシア、マレーシア、太平洋地域、マダガスカル)は広いのにその広い地域の言語は互いによく似ているからです。言語学の見地からすれば、台湾で話されていた言語の一部が台湾以外の地域に広がっていったことは明らかなのです。

最近では、かつて台湾にいた人々と言語がどのように広がっていったのかという研究だけでなく、かつて台湾にいた人々と言語がどこから来たのかという研究も充実してきました。C. Tsang氏らやL. Sagart 氏らは、5000年ほど前から見られ始める台湾の初期の農耕が、意外なことに、イネよりむしろアワ・キビを盛んに栽培していたことを明らかにしています(Tsang 2017、Sagart 2018)。意外というのは、中国の農耕は北方はアワ・キビ中心、南方はイネ中心という理解があったからです。イネを中心とする長江文明よりもっと南に、アワ・キビを盛んに栽培する農耕社会があったというのが意外なのです。台湾の向かいの福建省でもそれに近い時代のアワ・キビが見つかっており、Tsang氏らやSagart 氏らの研究を裏づけています(Deng 2017)。Sagart氏らは、以下のような人々の移動があったのではないかと考えています(図はSagart 2018より引用)。

山東省のあたりにいた人々が、中国東海岸沿いを南下し、福建省のあたりに辿り着き、そこから台湾に入ったのではないかということです。こう考えると、台湾の初期の農耕にアワ・キビとイネの両方が存在していたことが無理なく説明できます。

※Sagart氏らは、山東省のあたりで7000年前頃に始まった特徴的な抜歯の儀式が南(台湾も含めて)に伝わっていることも指摘しています。日本の縄文時代後期・晩期〜弥生時代にも抜歯の儀式が認められているので、日本の歴史にとっても無視できない問題です(Han 1996)。麻酔なしの抜歯は大変痛かったでしょう。

山東省のあたりにいた人々が台湾に向かうといっても、行く先行く先で人が流入してくるので、山東省のあたりにいた人々がそのまま台湾に現れるわけではありません。しかしそれでも、L. Wei氏らは、大陸に見られるY染色体DNAのO系統とオーストロネシア語族に見られるY染色体DNAのO系統を詳細に調べ、中国東海岸地域とオーストロネシア語族のつながりを示しており、もとのタイプが中国東海岸沿いおよびその近くに見られ、下位のタイプがオーストロネシア語族に見られています(Wei 2017)。

前回の記事で、中国の北東のほうで東アジア・東南アジアの運命を大きく決定する潜在的な動き(文明発生直前の段階)があったのではないかと推測しましたが、やはり遼河文明の領域と黄河文明の領域と長江文明の領域に囲まれたあたりは怪しいです。ベトナム系言語(オーストロアジア語族)の根源を辿っても、タイ系言語(タイ・カダイ語族)の根源を辿っても、オーストロネシア語族の根源を辿っても、その辺に行き着くのです。

これは、日本の歴史を考える時に注意しなければならない点でもあります。日本と東南アジアの間になんらかの共通点(例えば、品物、技術、生活様式、風習、文化、人間の遺伝学的特徴など)が見つかっても、それは、日本と東南アジアを直接結ぶというより、かつての中国東海岸地域から双方に広がったものかもしれないということです(ここでいう中国とは、もちろん国家ではなく、あくまで位置を示す語です)。

ベトナム系言語、タイ系言語、オーストロネシア系言語、日本語が近い系統関係にないことは確かです。しかし、これらの言語がかつて近くに集まっていたのも確かなようです。その言語学的根拠を示すことにしましょう。日本語の起源をめぐる問題がまた大きく前進することになります。

参考文献

Deng Z. et al. 2017. The ancient dispersal of millets in southern China: New archaeological evidence. The Holocene 28(1): 34-43.

Han K. et al. 1996. A comparative study of ritual tooth ablation in ancient China and Japan. Anthropological Science 104(1): 43-64.

Pierron D. et al. 2017. Genomic landscape of human diversity across Madagascar. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 114(32): E6498-6506.

Sagart L. et al. 2018. A northern Chinese origin of Austronesian agriculture: New evidence on traditional Formosan cereals. Rice 11(1): 57.

Tsang C. et al. 2017. Broomcorn and foxtail millet were cultivated in Taiwan about 5000 years ago. Botanical Studies 58(1): 3.

Wei L. et al. 2017. Phylogeography of Y-chromosome haplogroup O3a2b2-N6 reveals patrilineal traces of Austronesian populations on the eastern coastal regions of Asia. PLoS One 12(4): e0175080.

http://www.jojikanehira.com/archives/16172546.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/200.html#c2

[近代史5] ハプログループ O1b2 (Y染色体) 中川隆
4. 中川隆[-7927] koaQ7Jey 2025年1月18日 15:11:03 : EXTX8cl48k : Q0FuaDF6QzhnOC4=[6]
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台湾とオーストロネシア語族
2020年12月22日Joji Kanehira
http://www.jojikanehira.com/archives/16172546.html

現在の台湾は、中国語を話す人々によってほぼ占められていますが、わずかに少数民族が残っています。アタヤル族、アミ族、パイワン族などが知られています。もともと台湾にいたのは、これらの少数民族です。中国語を話す人々がやって来るようになったのは、17世紀頃からで、歴史上最近です。

台湾の少数民族の言語は、フィリピン、インドネシア、マレーシア、そして太平洋地域の多くの島々の言語と系統関係があり、この言語群は「オーストロネシア語族」と呼ばれます。オーストロネシア語族の広大な分布域を見れば、オーストロネシア語族の人々が極めて高い航海能力を持っていたことは明らかです。

※驚くべきことに、オーストロネシア語族の言語はアフリカ大陸のすぐ横にあるマダガスカルにも分布しています。東南アジアからマダガスカルまでの距離を考えると、びっくりです。マダガスカルの人々は、東アフリカと東南アジアの両方にルーツを持っています。マダガスカルは、アフリカ大陸のすぐ近くにあるのに、ずっと人がおらず、この2000年ぐらいの間に、ようやく人が住むようになった独特の島です(Pierron 2017)。

オーストロネシア語族は、全体的によく保存されています。大陸のように大規模な戦乱で大量の言語が失われるということがなかったと思われます(ただし、オーストロネシア語族自身は他の言語を大量に消滅させたと見られます)。

オーストロネシア語族の言語は非常に数が多いですが、中でも注目されるのが台湾の少数民族の言語です。なぜかというと、台湾は狭いのに台湾の少数民族の言語は互いに大きく異なっており、対照的に、台湾以外の地域(フィリピン、インドネシア、マレーシア、太平洋地域、マダガスカル)は広いのにその広い地域の言語は互いによく似ているからです。言語学の見地からすれば、台湾で話されていた言語の一部が台湾以外の地域に広がっていったことは明らかなのです。

最近では、かつて台湾にいた人々と言語がどのように広がっていったのかという研究だけでなく、かつて台湾にいた人々と言語がどこから来たのかという研究も充実してきました。C. Tsang氏らやL. Sagart 氏らは、5000年ほど前から見られ始める台湾の初期の農耕が、意外なことに、イネよりむしろアワ・キビを盛んに栽培していたことを明らかにしています(Tsang 2017、Sagart 2018)。意外というのは、中国の農耕は北方はアワ・キビ中心、南方はイネ中心という理解があったからです。イネを中心とする長江文明よりもっと南に、アワ・キビを盛んに栽培する農耕社会があったというのが意外なのです。台湾の向かいの福建省でもそれに近い時代のアワ・キビが見つかっており、Tsang氏らやSagart 氏らの研究を裏づけています(Deng 2017)。Sagart氏らは、以下のような人々の移動があったのではないかと考えています(図はSagart 2018より引用)。

山東省のあたりにいた人々が、中国東海岸沿いを南下し、福建省のあたりに辿り着き、そこから台湾に入ったのではないかということです。こう考えると、台湾の初期の農耕にアワ・キビとイネの両方が存在していたことが無理なく説明できます。

※Sagart氏らは、山東省のあたりで7000年前頃に始まった特徴的な抜歯の儀式が南(台湾も含めて)に伝わっていることも指摘しています。日本の縄文時代後期・晩期〜弥生時代にも抜歯の儀式が認められているので、日本の歴史にとっても無視できない問題です(Han 1996)。麻酔なしの抜歯は大変痛かったでしょう。

山東省のあたりにいた人々が台湾に向かうといっても、行く先行く先で人が流入してくるので、山東省のあたりにいた人々がそのまま台湾に現れるわけではありません。しかしそれでも、L. Wei氏らは、大陸に見られるY染色体DNAのO系統とオーストロネシア語族に見られるY染色体DNAのO系統を詳細に調べ、中国東海岸地域とオーストロネシア語族のつながりを示しており、もとのタイプが中国東海岸沿いおよびその近くに見られ、下位のタイプがオーストロネシア語族に見られています(Wei 2017)。

前回の記事で、中国の北東のほうで東アジア・東南アジアの運命を大きく決定する潜在的な動き(文明発生直前の段階)があったのではないかと推測しましたが、やはり遼河文明の領域と黄河文明の領域と長江文明の領域に囲まれたあたりは怪しいです。ベトナム系言語(オーストロアジア語族)の根源を辿っても、タイ系言語(タイ・カダイ語族)の根源を辿っても、オーストロネシア語族の根源を辿っても、その辺に行き着くのです。

これは、日本の歴史を考える時に注意しなければならない点でもあります。日本と東南アジアの間になんらかの共通点(例えば、品物、技術、生活様式、風習、文化、人間の遺伝学的特徴など)が見つかっても、それは、日本と東南アジアを直接結ぶというより、かつての中国東海岸地域から双方に広がったものかもしれないということです(ここでいう中国とは、もちろん国家ではなく、あくまで位置を示す語です)。

ベトナム系言語、タイ系言語、オーストロネシア系言語、日本語が近い系統関係にないことは確かです。しかし、これらの言語がかつて近くに集まっていたのも確かなようです。その言語学的根拠を示すことにしましょう。日本語の起源をめぐる問題がまた大きく前進することになります。

参考文献

Deng Z. et al. 2017. The ancient dispersal of millets in southern China: New archaeological evidence. The Holocene 28(1): 34-43.

Han K. et al. 1996. A comparative study of ritual tooth ablation in ancient China and Japan. Anthropological Science 104(1): 43-64.

Pierron D. et al. 2017. Genomic landscape of human diversity across Madagascar. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 114(32): E6498-6506.

Sagart L. et al. 2018. A northern Chinese origin of Austronesian agriculture: New evidence on traditional Formosan cereals. Rice 11(1): 57.

Tsang C. et al. 2017. Broomcorn and foxtail millet were cultivated in Taiwan about 5000 years ago. Botanical Studies 58(1): 3.

Wei L. et al. 2017. Phylogeography of Y-chromosome haplogroup O3a2b2-N6 reveals patrilineal traces of Austronesian populations on the eastern coastal regions of Asia. PLoS One 12(4): e0175080.

http://www.jojikanehira.com/archives/16172546.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/176.html#c4

[近代史5] ハプログループ O2 (Y染色体) 中川隆
4. 中川隆[-7926] koaQ7Jey 2025年1月18日 15:11:20 : EXTX8cl48k : Q0FuaDF6QzhnOC4=[7]
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台湾とオーストロネシア語族
2020年12月22日Joji Kanehira
http://www.jojikanehira.com/archives/16172546.html

現在の台湾は、中国語を話す人々によってほぼ占められていますが、わずかに少数民族が残っています。アタヤル族、アミ族、パイワン族などが知られています。もともと台湾にいたのは、これらの少数民族です。中国語を話す人々がやって来るようになったのは、17世紀頃からで、歴史上最近です。

台湾の少数民族の言語は、フィリピン、インドネシア、マレーシア、そして太平洋地域の多くの島々の言語と系統関係があり、この言語群は「オーストロネシア語族」と呼ばれます。オーストロネシア語族の広大な分布域を見れば、オーストロネシア語族の人々が極めて高い航海能力を持っていたことは明らかです。

※驚くべきことに、オーストロネシア語族の言語はアフリカ大陸のすぐ横にあるマダガスカルにも分布しています。東南アジアからマダガスカルまでの距離を考えると、びっくりです。マダガスカルの人々は、東アフリカと東南アジアの両方にルーツを持っています。マダガスカルは、アフリカ大陸のすぐ近くにあるのに、ずっと人がおらず、この2000年ぐらいの間に、ようやく人が住むようになった独特の島です(Pierron 2017)。

オーストロネシア語族は、全体的によく保存されています。大陸のように大規模な戦乱で大量の言語が失われるということがなかったと思われます(ただし、オーストロネシア語族自身は他の言語を大量に消滅させたと見られます)。

オーストロネシア語族の言語は非常に数が多いですが、中でも注目されるのが台湾の少数民族の言語です。なぜかというと、台湾は狭いのに台湾の少数民族の言語は互いに大きく異なっており、対照的に、台湾以外の地域(フィリピン、インドネシア、マレーシア、太平洋地域、マダガスカル)は広いのにその広い地域の言語は互いによく似ているからです。言語学の見地からすれば、台湾で話されていた言語の一部が台湾以外の地域に広がっていったことは明らかなのです。

最近では、かつて台湾にいた人々と言語がどのように広がっていったのかという研究だけでなく、かつて台湾にいた人々と言語がどこから来たのかという研究も充実してきました。C. Tsang氏らやL. Sagart 氏らは、5000年ほど前から見られ始める台湾の初期の農耕が、意外なことに、イネよりむしろアワ・キビを盛んに栽培していたことを明らかにしています(Tsang 2017、Sagart 2018)。意外というのは、中国の農耕は北方はアワ・キビ中心、南方はイネ中心という理解があったからです。イネを中心とする長江文明よりもっと南に、アワ・キビを盛んに栽培する農耕社会があったというのが意外なのです。台湾の向かいの福建省でもそれに近い時代のアワ・キビが見つかっており、Tsang氏らやSagart 氏らの研究を裏づけています(Deng 2017)。Sagart氏らは、以下のような人々の移動があったのではないかと考えています(図はSagart 2018より引用)。

山東省のあたりにいた人々が、中国東海岸沿いを南下し、福建省のあたりに辿り着き、そこから台湾に入ったのではないかということです。こう考えると、台湾の初期の農耕にアワ・キビとイネの両方が存在していたことが無理なく説明できます。

※Sagart氏らは、山東省のあたりで7000年前頃に始まった特徴的な抜歯の儀式が南(台湾も含めて)に伝わっていることも指摘しています。日本の縄文時代後期・晩期〜弥生時代にも抜歯の儀式が認められているので、日本の歴史にとっても無視できない問題です(Han 1996)。麻酔なしの抜歯は大変痛かったでしょう。

山東省のあたりにいた人々が台湾に向かうといっても、行く先行く先で人が流入してくるので、山東省のあたりにいた人々がそのまま台湾に現れるわけではありません。しかしそれでも、L. Wei氏らは、大陸に見られるY染色体DNAのO系統とオーストロネシア語族に見られるY染色体DNAのO系統を詳細に調べ、中国東海岸地域とオーストロネシア語族のつながりを示しており、もとのタイプが中国東海岸沿いおよびその近くに見られ、下位のタイプがオーストロネシア語族に見られています(Wei 2017)。

前回の記事で、中国の北東のほうで東アジア・東南アジアの運命を大きく決定する潜在的な動き(文明発生直前の段階)があったのではないかと推測しましたが、やはり遼河文明の領域と黄河文明の領域と長江文明の領域に囲まれたあたりは怪しいです。ベトナム系言語(オーストロアジア語族)の根源を辿っても、タイ系言語(タイ・カダイ語族)の根源を辿っても、オーストロネシア語族の根源を辿っても、その辺に行き着くのです。

これは、日本の歴史を考える時に注意しなければならない点でもあります。日本と東南アジアの間になんらかの共通点(例えば、品物、技術、生活様式、風習、文化、人間の遺伝学的特徴など)が見つかっても、それは、日本と東南アジアを直接結ぶというより、かつての中国東海岸地域から双方に広がったものかもしれないということです(ここでいう中国とは、もちろん国家ではなく、あくまで位置を示す語です)。

ベトナム系言語、タイ系言語、オーストロネシア系言語、日本語が近い系統関係にないことは確かです。しかし、これらの言語がかつて近くに集まっていたのも確かなようです。その言語学的根拠を示すことにしましょう。日本語の起源をめぐる問題がまた大きく前進することになります。

参考文献

Deng Z. et al. 2017. The ancient dispersal of millets in southern China: New archaeological evidence. The Holocene 28(1): 34-43.

Han K. et al. 1996. A comparative study of ritual tooth ablation in ancient China and Japan. Anthropological Science 104(1): 43-64.

Pierron D. et al. 2017. Genomic landscape of human diversity across Madagascar. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 114(32): E6498-6506.

Sagart L. et al. 2018. A northern Chinese origin of Austronesian agriculture: New evidence on traditional Formosan cereals. Rice 11(1): 57.

Tsang C. et al. 2017. Broomcorn and foxtail millet were cultivated in Taiwan about 5000 years ago. Botanical Studies 58(1): 3.

Wei L. et al. 2017. Phylogeography of Y-chromosome haplogroup O3a2b2-N6 reveals patrilineal traces of Austronesian populations on the eastern coastal regions of Asia. PLoS One 12(4): e0175080.

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