11. エリック・カートマン[137] g0eDioNig06BRYNKgVuDZ4N9g5M 2019年3月17日 21:09:57 : e0cF6v6DWw : Q0FHY3BIWUloZ0k=[1]
「緑禍論」という言葉をご存知であろうか。日本人などの「黄色人種」に対する憎悪と恐怖心を示す「黄禍論」から転用されて、欧米キリスト教社会でのイスラムへの嫌悪感を指すようになった。緑はイスラムの象徴する色である。緑禍論は「イスラムの脅威」論とコインの表裏の関係にある。ソ連が崩壊して冷戦が終わったとき、共産主義という「赤禍」がなくなると、新たな「敵」としてアメリカでは「緑禍」がささやかれ始めた。
アメリカ人の一部にはイスラムという宗教そのものがテロを生み出しているかのように考えている人がいる。事件後、米国でイスラム教徒への嫌がらせが急増しているところにもその偏見が現れている。無知が憎悪や恐怖心を生み出していることだけはたしかである。
しかし、欧米社会でのイスラムへの憎悪と恐怖心に歴史的な理由がないわけではない。中世にはイスラム世界がヨーロッパ・キリスト教世界を軍事的にも文化的にも凌駕していたからだ。十字軍は東西貿易でのイスラムの脅威を排除する試みであり、大航海時代の始まりは貿易路を阻む当時のイスラム世界の雄、オスマン帝国を迂回し、包囲するためだった。そのオスマン帝国は十七世紀末にヨーロッパに侵攻したがその軍勢はウィーンで押し止められた。ヨーロッパはウィーン包囲の苦い経験を歴史的な記憶として共有している。
ヨーロッパはイスラムを好戦的な宗教として「コーランか、剣か」、つまり「信仰か、戦争か」と一方的に断罪したが、自らの尺度で偽りのイスラム像をねつ造したものだった。正確には「コーランか、剣か、それとも納税か」とすべきであろう。というのも、イスラム統治下のキリスト教徒やユダヤ教徒などは「啓典の民」として税金を払えば(むろん重税の場合もあるが)生命の安全と宗教的自治が保障されたからであった。宗教が生活のすべてを律していた当時の基準からいえば、異端審問で処刑まで行なった中世カトリックよりもイスラムはずっと寛容な宗教だったというのが研究者の共通の認識であるといえる。
十字軍時代のヨーロッパではイスラムが支配した時は
異教徒税を科せらるだけでキリスト教徒は共存させてもらったが
キリスト教徒が支配した時はイスラムは徹底的に排除された
思うに
現代イスラムのテロが目立つのはキリスト教が世界を支配しているからであって
もし現代世界をイスラムが支配していればキリスト教徒過激派はもっと派手に
テロをしているかもしれない。
どちらも一神教だが
あえて比べればイスラムの方がはるかに異教に寛容
逆に言えば
キリスト教徒は異教に世界を支配されることに絶対に耐えられなかったからこそ
現在キリスト教徒が世界を支配している