26. どんなもんだ[30] gseC8YLIguCC8YK@ 2023年10月23日 10:19:21 : qcAUU6hDQg : Q01weVR6VkpORWs=[1]
マハティール元首相に応える:
アメリカ(帝国)とは偉大なる「テロ国家」である。
ウォーライク・アッサラーム。
南の島在住:ゴジラ研究者
http://www.asyura2.com/23/holocaust7/msg/325.html#c26
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ウォーライク・アッサラーム。
南の島在住:ゴジラ研究者
http://www.asyura2.com/23/holocaust7/msg/325.html#c26
過剰死亡の増大と共に真実は私の誤りと共に明らかにされてゆくだろうが,ワクチンパスポートを全世界民に強制しようとするWHOのパシリであることに間違いはない。
http://www.asyura2.com/23/iryo11/msg/820.html#c21
現在滋賀県の新近江市長某のフリースクール不要論であり,従来の教育破壊に警鐘を鳴らす教育批判である。維新系だが彼の発言は貴重である。それは学校教育法の根幹にかかわる問題であるからである。
日本の教育‐初等・中等教育は世界に冠たる教育と言われていた。それが良かったかどうかは別にして日本の教育に注目する外国人は多かった。インドに住んでいたころ日本の学校に入れたいとする知識階級のインド人が数人いた。全体として何人いたか分からないが,海外出兵をせず平和な教育日本の水準の高さは車の性能のみならず世界有数であった。それがいつからそうでなくなったのか。
それイラク派兵以後である。日本はアメリカに追随して教育程度を下げた。結果は御覧の通りだが,下村や統一教会が出て来てからさらにひどくなった。特に江戸のしぐさなんて言うのはデタラメである。ないものをあったとして論じている。しかしこれを解決したとしても今日の教育問。の根本的解決には至らない。しかるに今日の教育問題の根本とは何か。それは学校における科目数の多寡である。最近では英会話まで教えられるようになってきた。中国が一帯一路でロシヤがSCOで中央アジアで経済活動を活発にしようとしている中で,G7の7か国のGNPは下がり続けているばかりでなく,物価高に苦しんでいる。かくして子ども食堂や登校拒否児28万人とかにも苦しんでいる文科省。しかしそういう問題が解決したとしても教科数の問題は変わらない。正確に言えば教科・領域数だが,前川以前からこの問題は議論されてこなかった。以後もない。
教科領域数が多ければ子どもは関心を失うだろう。なぜなら子ども一人ひとりの興味関心は違うから同じ教科領域に満足すること満足しない子とあるいは別な教科領域に走る子どもがいるだろう。しかし義務教育は自由ではない。なぜなら義務を英語に直せば「強制」である。何を強制し何をしないか。その選択が与党の政策選択にある。しかし憲法の理想を実現するために教育基本法は存在する。それが逆でないことは先に指摘した。
完全なフリースクールはない。したがって教育研究者は何が時代の要請であり,親御の要請であり、政党の狙いなのかを研究しなければならない。しかも子どもの要請も取り入れなければならない。教育は簡単ではない。ここアシュラ欄で簡単に議論できるものでもない。
しかしながら意見を戦わせることは必要だからワタチも参戦しているが,特に問題なのは教科・領域数の問題であることは先に少し触れた。初等・中等教育は子どもの人生に失するものでなければならないが,その中身をどう決定するか。戦後の文部・文科省はこれに失敗してきた。文科省は「当分の間」学習指導要領は文科省・文部省が定めるとしてきたが,「当分の間」はとっくに過ぎたが相変わらず文科省が定めて成果を上げていない。というより失敗してきた。ゆとり教育で失敗して分数のできない大学生を産んだ。漢字の書けない大学生も生産した。いろいろ原因はあるだろうが,アタチは教科領域の数が多すぎるのが原因だと睨んでいる。必修教科数を減らして,フリースクールのように自由にさせず学校教育行う。これが義務教育としての在り方にふさわしいのではないだろうか。
ワタチの間違いはワタチが天国に近づいたことを意味するだろう。ご寛恕あれ。
皆様、左様なら。天国で会いまひょう。
http://www.asyura2.com/23/senkyo292/msg/204.html#c62
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