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[近代史4] 英米はドイツ軍がソ連に勝てないとわかる迄は、ウォール街のエージェントのヒトラーと戦う気は全く無かった 中川隆
21. 中川隆[-11760] koaQ7Jey 2024年1月24日 03:23:51 : 4wyKaZfgIA : OXVzU1JTd2NLa1k=[1]
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2024.01.24XML
「崩れる『無敵国家米国』神話」について
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202401240000/


 日本に限らないでしょうが、アメリカは無敵だと信じている人が少なくありませんでした。1991年12月にソ連が消滅して以降、そうした信仰は強まったようですが、その神話が崩れ始め、アメリカの求心力は弱まっています。アメリカを中心とする支配システムが崩壊し始めたということです。

 ソ連消滅後、ネオコンと呼ばれるシオニストの好戦派は世界制覇計画を作成して侵略戦争を開始、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃されると、そうした動きは加速しました。その結果、ロシア軍部隊がアメリカ支配層の手先として利用している武装勢力と衝突する事態が生じ、ロシア軍の強さを明確にしたのです。

 ソ連の消滅の結果、ロシア文化の影響下にない国々はソ連圏から米英圏へ移動していきました。軍事的に見るとロシアの防衛システムが弱体化したと言えますが、経済的に見るとソ連圏の国々を「養う」必要がなくなったという側面もあります。ロシアは自分たちの稼ぎを自分たちのために使うことができるようになり、早いペースで国力を回復させたと言えるでしょう。

 旧ソ連圏のうち、東ドイツはナチスが台頭してからソ連を攻撃する中核になった国の一部であり、チェコの半分は1939年にナチスドイツに吸収され、スロバキアの半分はドイツの同盟国でした。ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアも同様です。

 カトリック国のポーランドは歴史的に反ロシア感情が強いことで知られています。16世紀から18世紀にかけて同国はリトアニアと「ポーランド・リトアニア連邦」を構成、その領土が最も広かった1600年当時の復活を夢見みる人びとがいました。そうした人びとを率いていたひとりがユゼフ・ピウスツキで、1904年に来日、彼の運動に協力するよう日本側を説得しています。

 1917年に帝政ロシアが崩壊すると、再興されたポーランドは現在のウクライナとベラルーシへ軍事侵攻しました。ロシアの革命政権は反発して反撃、1920年夏までにポーランド軍を押し出してワルシャワ近くまで攻め込みました。ピウスツキは1925年に「プロメテウス同盟」という地下組織を作っています。

 ポーランドは1934年1月、ナチス体制下のドイツと不可侵条約を締結しました。1938年にポーランドはチェコスロバキアの一部を占領しますが、この年、イギリスとフランスはチェコスロバキアに対し、ズデーテン(スデーティ)地方をドイツへ引き渡すように強い圧力を加えています。

 1938年9月に英仏伊独はミュンヘンで首脳会談を開催、ズデーテンの帰属を巡って討議、ドイツへの割譲が認められました。そして1938年10月1日からドイツ軍はズデーテンを占領し始め、ポーランド軍はチェシン・シレジアへ軍事侵攻しています。この時期、ポーランドとドイツとの関係は悪くなかったのです。

 そのドイツは第1次世界大戦の敗北で領土を削られ、ドイツ本国と東プロイセンの間にポーランド領(ポーランド回廊)ができ、東プロイセンは飛び地になっていました。

 この問題でドイツはポーランドに対し、住民投票を実施してドイツへ回廊を返還する意見が多ければ返還、その際にドイツはポーランドに鉄道やバルト海へ通じる高速道路を渡すと提案、その条件で交渉はほぼ合意に達します。

 その調印のため、1939年3月21日にポーランドのジョセフ・ベック外相がドイツの首都ベルリンを訪問することになったのですが、姿を現しませんでした。ロンドンへ向かったのです。その日、ロンドンではアドルフ・ヒトラーをどうするか決めるため、西側各国の指導者が集まっていました。そして26日、ポーランドはドイツに対し、回廊をドイツに返還しないと通告、軍事的な緊張は一気に高まります。

 ドイツの動きを警戒していたソ連に対し、イギリスはこの年の7月23日に交渉を申し入れますが、話し合いが始まったのは8月11日。しかもイギリスは文書に署名できる立場の人間を送り込んでいません。

 この時、ソ連軍の代表だったクリメント・ボロシロフ国防相(国防人民委員)とボリス・シャポシニコフ参謀総長はポーランドの反対が解決されれば、ドイツを封じ込めるために軍隊をドイツとの国境へ派遣する用意があるとイギリスやフランスの代表に提案しました。

 イギリスのテレグラフ紙によると、部隊の規模は120歩兵師団と16騎兵師団。それに対してイギリスの代表だったレジナルド・ドラクス提督は交渉する権限がないという理由から回答を拒否しています。ソ連がドイツを不可侵条約を結んだのはその直後、1939年8月23日のことです。(Nick Holdsworth, “Stalin ‘planned to send a million troops to stop Hitler if Britain and France agreed pact’, the Telegraph, 18 October 2008)

 イギリスのウィンストン・チャーチル政権はシティを後ろ盾とする帝国主義者として知られ、ソ連征服を目指していました。そのチャーチルと同じように、ソ連を敵視、ルーズベルト政権の打倒を目指していたのがウォール街、つまりアメリカの巨大金融機関でした。この辺の事情は本ブログでも繰り返し書いていますので、ここでは割愛します。

 そしてドイツ軍は1939年9月1日にポーランドへ軍事侵攻、9月3日にイギリスとフランスはドイツに宣戦布告しますが、しばらくは目立った戦闘がありません。「奇妙な戦争」です。戦局が動き始めるのは半年ほど後です。

 その当時、ポーランドの反ロシア運動で大きな影響力を持っていたウラジスラフ・シコルスキーはパリへ脱出、1939年9月30日に亡命政権を作り、翌年6月19日にチャーチル首相と会談、ポーランドがイギリスと一緒に戦うことを約束します。そして亡命政権はロンドンへ移動しました。

 ドイツ軍は1941年6月にソ連に対する奇襲攻撃「バルバロッサ作戦」を開始します。西側に約90万人だけを残し、東側に310万人を投入するという非常識なもので、まるで西側から攻撃してこないことを知っていたかのようです。

 大きな軍事作戦では準備のためにそれなりの期間が必要です。バルパロッサ作戦を始める直前、1940年9月から41年5月までの期間、ドイツ軍はイギリスを空爆していました。ドイツは本気でイギリスへ軍事侵攻する意思はなかったと見る人もいます。つまり陽動作戦。

 ドイツ軍は1941年7月にレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達しました。ヒトラーはソ連軍が敗北したと確信、再び立ち上がることはないと10月3日にベルリンで語り、英首相の軍事首席補佐官だったヘイスティングス・イスメイは、3週間以内にモスクワは陥落すると推測しながら傍観していました。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015)

 しかし、ソ連軍の抵抗でこうした予想通りにことは進まず、ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入します。ここでソ連軍に敗北、1943年1月に降伏しました。この段階でドイツの敗北は決定的。ここからアメリカやイギリスは慌てて動き始めたわけで、ナチスに勝ったのはソ連です。

 アメリカはその事実を消し去り、自分たちが勝ったのだというイメージを広めるため、ハリウッド映画を利用しました。ソ連とドイツが不可侵条約を結んだ際に登場する地図の「解釈」もイメージ戦略のひとつだと言えるでしょう。ポーランドを「可哀想な犠牲者」として描くことも同じです。ドイツに占領されていた当時、ポーランドでもユダヤ人をはじめとする少数民族が虐殺されていますが、偶然ではないのです。責任の全てをドイツに押し付けることは正しくありません。

 つまり、かつてソ連圏に含まれていた東ヨーロッパ諸国の相当部分はナチズムを受け入れ、協力関係にあったと言えます。ナチスを米英金融資本が金融支援していたことも知られてきました。こうした国々がロシアから離れたことでロシアは復活できたと言えるでしょう。

 その一方、アメリカではニューディール派が消えました。大きな節目になったのは1963年11月22日のジョン・F・ケネディ大統領暗殺でしょう。その後、体制の腐敗が進み、アメリカは金融資本を後ろ盾とするネオコンに支配されるようになります。そして1990年代から侵略戦争を本格化させました。

 その腐敗した体制を維持するため、ネオコンを含むアメリカの支配層は自国が「無敵」だとするイメージを世界に人びとに植え付けたのですが、侵略戦争の中でロシア軍と戦う場面が生じ、アメリカは無敵でないということが知られてしまいました。軍事力を行使すればするほど支配システムの崩壊は速まっています。
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