43. 2020年2月04日 12:05:06 : X51LxokuvU : OXBtcU51YnpiUzI=[1]
アヘサマさぽーたーくらぶのお方も混じっておられるようで必死。
ちんチンは国家なりデンデンというイメージがつい浮かびますた。
まるで大筋はソックリ。
「天上天下唯我独尊」
「あの人はいつも唯我独尊な態度だ」
「唯我独尊な人生を生きていて気楽そうだな」
などと「自分が一番」と偉ぶってうぬびれている人に対して「唯我独尊」という言葉が使われますが、これは本当の意味ではありません。
本当の「天上天下唯我独尊」はすべての人の命に等しい価値があることを教えられた言葉なのです。
朕は国家なり(読み)ちんはこっかなり(英語表記)L'Etat, c'est moi
フランス国王ルイ 14世が宣言したといわれ,絶対主義王制を象徴する言葉として知られる。
彼は最高国務会議,顧問会議を主宰し,国内のいかなる独立的権力も容認せず,行政,統帥,外交の全権を掌握したが,さらに,高等法院の権威が王の権威に対立するものと考えられるかぎり,国家に悪影響を生ぜしめるとして,高等法院を自己の権威のもとに屈服させた。
この言葉もそのときに発言されたものとして伝えられている。
フランス・ブルボン朝の国王(在位1643〜1715年)。
「太陽王」といわれたフランス絶対王政の全盛期の国王。
ルイ13世とアンヌ=ドートリシュ(スペイン・ハプスブルク家の王女)の間に生まれ、1643年にわずか5歳で即位、当初は母のアンヌが摂政となり、枢機卿マザランが政治にあたった。
即位間もない1648年に、王権の強化によって既得権を奪われることを恐れた貴族たちによるフロンドの乱が起こり、一時王家がパリから退去する事態となったが、1653年マザランの巧みな手腕によって鎮圧、王国の危機は回避され、むしろそれを機に王権は強化された。
フランスはルイ14世の当時、人口約2000万でヨーロッパ随一の国力を持ち、ヨーロッパ最大の陸軍力を実際に発揮して、侵略戦争をつづけ領土拡張を実現、現在のフランスの領土とほぼ同じ範囲を領土とした。
国力の充実を示す事業として、ヴェルサイユ宮殿などを造営した。
しかし、うち続く侵略戦争と宮廷の奢侈は次第に財政を苦しくさせていった。
ルイ14世は約50年にわたるフランスの統治を行って1715年に死去、ひ孫のルイ15世・次のルイ16世がブルボン朝を継承したが、18世紀を通じて国家の財政難、絶対王政の硬直化、いわゆるアンシャンレジーム社会の矛盾が深刻化して世紀末にフランス革命が起きることとなる。
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