197. 2020年8月27日 15:45:09 : nyu03ZPPFA : OWNyT3Ayd1RldjI=[1]
靖国の墓であるか神社であるかの概念は、大きく4変しているので、何処を指して何と定義するかは、正体を何れと定義するかにかかっている。
(@初期状態・基本概念)
>>183指摘のように、招魂社とは高杉晋作の提唱によって、ただ「招魂社」として長門国・下関に設営され、その目的は、薩長同盟及び勝海舟を含む幕府潜入スパイを網羅しての、戊辰革命において落命するであろう、ここに集まりし共謀者たちが、一同に合祀されることを目的にされている。
フルベッキの写真中央に座す、この映写物の主人公として存在する大室寅之助とは、のちの明治天皇その人であり、此処に、「招魂社とは、後の明治天皇の合祀される習合墓地として考案された」ことに疑うところは無い。
(A第一次転換期・東京招魂社・靖国神社の設置)
ただし、これは山口県下関市に存在する現在の櫻山神社のことなので、九段下の靖国神社と同一に扱うことは、その評価として分かれるところだろう。
本質を言えば、東京に本宮が移設されても、明治天皇の集合墓地である概念は変わらぬだろうが、公への告示として、明治天皇の正体は大室寅之助であるとは発表できないことや、大きかったのは靖国神社の壮行責任者である大村益次郎が、神代直人らに殺害されたことに起因し、明治建国貢献者の慰霊所として告示され、表の顔(慰霊所)裏の顔(明治天皇の集合墓地)との施設となる。
(B第二次転換期・西南戦争を受けて)
その後、佐賀の乱に端を発した維新元老同士の内ゲバは、その激しさを増し、遂に西郷隆盛・江藤新平・前原一誠というフルベッキの写真に映った明治元老は、国家反逆者となり、靖国より表裏両方の顔は抹殺され、陸海軍省の推薦者が顕彰されるという軍事カルト施設に変貌する。
結果、明治天皇の合祀・奉納は行われなかったので、明治天皇の集合墓地として考案されたこの施設は、明治天皇の集合墓地としては利用されなかった。
(C戦後、宗教法人としての再出発)
戦後、GHQは、靖国焼却を当初計画してたが、ヴィッテル神父らカトリック系エージェントたちは、靖国の宗教法人として残留施設とするようGHQに働きかけ、以後、靖国は政教分離を義務つけられた非国家機関として、国家護持を補佐する機能の全てを放棄することで生き延びた。
GHQ見解とは、靖国がAの「表」またはB施設であると認めれば、英霊とは陸海軍が顕彰した戦没者なのだから、裕仁天皇が参拝した瞬間、速攻、国家護持と結びついてしまう。
そこで裕仁天皇の靖国参拝を可能にする方便に、@ということにして、これを目こぼしした。
結果的には、GHQは、(知っていたけれども、騙されてやる) 明治天皇のお墓なら、昭和天皇が参拝しても良いだろうということで、靖国は生き残れないところを生き延びさせてもらった訳である。
A級戦犯の合祀を最も嘆いたのが裕仁天皇であったことは、富田朝彦の「富田メモ」に証明されるとおりで、この瞬間、皇室は、政教分離施設でなくなった靖国の参拝を自ら禁じられた。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/258.html#c197