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“日本人”に第3のルーツ 富山の遺跡から出土した「人骨」が貢献
その他
2021年9月22日
https://www.tulip-tv.co.jp/news/news_detail.html?nid=6111&dd=20210922
現代の日本人は、縄文人と弥生人がルーツと考えられてきましたが、遺跡から出土した人骨の遺伝情報、いわゆるゲノムデータの解析で「第3のルーツ」をもつことがわかりました。
この日本人のルーツに迫る研究に富山市から出土した人骨が大きく貢献しているんです。
県埋蔵文化財センターで日本人のルーツに迫った人骨を見せてもらいました。
「これが今回分析に使った人骨の側頭骨の、耳の穴になるんですけど、そこから削って粉上にして分析をしたと」(県埋蔵文化財センター・河西健二所長)
現代日本人のルーツについて新たな研究成果を発表したのは、金沢大学の覚張隆史(がくはり・たかし)助教を中心とする研究チームです。
遺跡から出土した人骨のゲノムデータを抽出し解析する「パレオゲノミクス」という手法で、今回、縄文時代から古墳時代までの人骨と中国など大陸から見つかった人骨のデータを比較、解析しました。
「これまであくまで2つの祖先集団を基本にして考えられているものですけど、今回少なくとも3つ、それ以上になる可能性があるという新しいモデルを提示したことが今回の論文のキモになります」(金沢大・覚張隆史助教)
解析の結果、早期の縄文人は約2万年前から1万5000年前に大陸からやってきた1000人程度の小さな集団で、弥生時代には北東アジアから人々が日本列島に流入し、さらに古墳時代には東アジアに起源をもつ人々と混血していることがわかったということです。
今回ゲノム解析された国内の12体の人骨のうち4体が富山市の小竹貝塚(おだけかいづか)から出土した人骨でした。
「これが耳の穴になるんですが、穴の中の部分がすい体。そこに非常にゲノムがよく残っていると」「我々これ10年前に発掘した人骨なんですけど、10年前の技術ではでなかったんです。ところがどうも人骨の場所によって取れるということがわかってきたのがここ数年でありまして」(県埋蔵文化財センター・河西所長)
富山市呉羽町の小竹貝塚は現在は海岸線から遠く離れていますが、6000年前はすぐそばに潟湖が広がっていて、人々は貝などを採取しながら定住していました。
北陸新幹線の建設工事に伴う発掘調査で、小竹貝塚からは縄文前期では国内最多となる91体の人骨が見つかりました。
人骨の保存状態がいいため、今回、縄文人のゲノムの基礎的なデータ作成に貢献しました。
今回の研究成果について県埋蔵文化財センターの河西健二所長は。
「古墳時代の人が現代人のほぼ原型、類似しているということがわかったというのは考古学的にはすごく衝撃的」「古墳時代に須恵器が入ってくるとか金属器が入ってくるという大きな動きがあることはわかっていたんです。それが人を伴って来たのかというところはなかなか検証できなかったので、今回古墳時代に血が混じってきているのがわかりましたから、これまでの研究に当てはめながら検証することができるようになる」(県埋蔵文化財センター・河西所長)
ゲノムデータの進化した解析技術を使って、県埋蔵文化財センターでは今後、小竹貝塚そのものの謎の解明に着手したいとしています。
「この12号さんは男性なんですけど、今でも亡くなった人の使っていた物を焼いたりするでしょ。そういう行為は縄文時代からあるんですよ。マイ石斧。この人は磨製石斧、これ7点あるんだけど、砥石を一緒に墓で埋葬している」「この方が他の人骨との兄弟関係とか家族関係とか見えてくるとどんどん面白いストーリーが見えてくるんだろうと」(河西所長)
ゲノムデータの解析が新たな縄文ロマンの扉を開こうとしています。
研究が進めば保管された91体以上の人骨の1人1人のプロフィールが見えてくるかもしれません。
「小竹という土地に住んでいた縄文人がどんな人々でどんな生活をしていたのかが知りたいのが一番ですから。あとは人間関係ですよね、どんな親子関係だったのか、男性が何をしていたのか、女性が何をしていたのか、そういったところまでゲノムの解析で見えてくると、もっとリアルな縄文人の生活が見えてくるだろう」(河西所長)
「縄文人」といえば「小竹貝塚」と言われるように、謎に包まれた縄文人のリアルに迫りたいとしています。
https://www.tulip-tv.co.jp/news/news_detail.html?nid=6111&dd=20210922
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/465.html#c9