31. 2020年7月05日 11:20:48 : XL1xDGozQI : ODhqb0RhbWhray4=[1]
(政治学上の自由主義/リベラルの定義)
https://kotobank.jp/word/カデット-45506
ロシアの政党。立憲民主党 Konstitutsionno-Demokraticheskaya Partiyaの略称。 1905年革命のさなか,専制政府が「十月宣言」を発して国会 (ドゥーマ ) の開設を誓約し,政治結社の自由を認めたとき,「解放同盟」を基礎に歴史家 P. N.ミリュコーフの指導によって結成された,ロシアの代表的な自由主義政党。勤労大衆の支持を得るために「人民自由党」とも称したが,実際は都市ブルジョアジーと農村の進歩的な中小地主,自由職業階級の穏健分子を主要な地盤とし,前2者の階級的利害の調整によって,専制体制の倒壊からくる既成秩序の全面的崩壊を阻止することを目標とした。国会選挙中は,完全な市民権,国有地,教会領の解放,「必要なとき」は有償による私有地の分配をも公約し,06年第1国会で 478議席中 179議席を押えて一躍最大政党にのしあがった。 07年の第2国会では 520議席中 99議席となり,第2党に後退した。 17年二月革命でブルジョア臨時政府が形成されると,党首ミリュコーフは外相に就任,連合国との協調路線を踏襲して,同年4月戦争継続を宣言したが,戦争反対の大衆示威に屈服,辞職を強いられた。その頃を党勢の最高潮期として,以後「一切の権力をソビエトへ」のスローガンを掲げ急速に台頭したボルシェビキの前に,再び勢力を回復することはなかった。
http://www.asyura2.com/20/senkyo273/msg/833.html#c31