9. 2019年3月26日 11:19:37 : HzRWGAz0M6 : ODBzU3Y1Q0dzakE=[1]
かんじをにほんごからとりはらってしまうと、にほんごのせいかくじょう、
ひじょうによみづらくなってしまいます。
そのうえ、どうおんいぎごがくべつしづらくなることで、
ただでさえあいまいなにほんごがさらにあいまいになり、
ほうりつやろんぶんなどのげんみつせいのひつようなぶんしょうが、
ひじょうにわかりづらくなってしまいます。
がいらいごにおきかえるといっても、にほんごてきなかんせいのめんで、
それにもげんどがあるようにおもえます。
そもそも、こくさいせいゆたかなもじとはなんなのか。
ひらがなはにほんげんていだから、えいごのあるふぁべっとですかね。
げんごごとにきょうつうめんはあれど、
ちがうもじをさいようしていますから、
もじにこくさいせいをもとめることじたいがまちがいです。
それにこくさいごとしてのかのうせいをうしなうとありますが、
そもそもげんごはいっていのしゅうだんのなかでつうじればいいのであって、
わざわざこくさいごにするひつうようせいもありません。
そもそも、にほんごがかんじをはぶいてもぶんぽうがむずかしいので、
こくさいごになることは、ほぼないといっていいでしょう。
それに、よくこくさいかっていうことばがつかわれるけど、
ほんとうのこくさいかってぶんかのたようせいをおたがいにみとめあうこと、
なのではないでしょうか。
とするならば、にほんはにほんでどくじのぶんかをだいじにまもりつつ、
あいてとのそうごりかいをはかることこそじゅうようなのではないかとおもいます。
はいしするのはかんたんですが、それをまちがえたとふっかつさせるのは、
ひじょうにおおきなろうりょくがかかり、ほぼふかのうです。
かんこくも、「みんぞくのぶんかをだいじにしよう」ということで、
かんじをつかわず、はんぐるをもっぱらつかうようになったのですが
やっぱりふべんだから、ということで、かんじをふっかつさせようという
うごきもあるみたいです。でも、やっぱりなかなかすすんでないみたいですね。
そんなわけで、わたしはかんじはいしろんにはんたいです。
非常に読みづらいでしょう。
自分で読み返すのも面倒です。
簡単なものでさえ、これなのですから
新聞や雑誌が全部かなになったら、と考えると
やはり漢字は廃止するものではないと思います。
漢字は覚えてしまえばそれまでですが、
全てかなにしてしまうと、文章を読むたびに推定しなければなりません。
長い目で見ると、漢字はそのままにしておいたほうが、効率的です。
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/356.html#c9