48. 2020年7月14日 10:15:38 : Ib00MSioDk : OC9Eay5kdldyNnc=[1]
大西発言
若者の命を優先するあまり、年寄りの治療を後回しにする考え方は、早く言えば昔々の「楢山節考」と同じ考え方のように思う。
食糧危機の折、、年寄りの分の食糧を浮かし若者を生かす為に、或る年齢に達した寄りを子供が山へ捨てに行くと言う、あの「楢山節考」の習わし。
年寄りは犬猫以下か?
年をとることは、それだけで罪なのか?
確かに大量の患者が溢れ、命のトリアージを迫られた時、したくない選択を迫られる医師の苦悩はいかばかりかと思うし、もし政治的に「迷ったときは若い方を優先せよ」と言う法律があれば、医師の罪の意識は少しは減るかもしれないが、本当にそれが正しい事なのか?
長い事順番を持っている年寄りをそのままにして、若い方若い方と選別され、取り残されていく絶望を考えると、それもとても酷な気がする。
そんなに年をとることが罪ならば、長生きしようと頑張ることも悪ではないかとさえ思えてくる。
人としての価値とは、只歳をとるごとに減っていくだけのものなのか?
他者の役に立つという事が人間の価値なのか?
歳をとった人間の能力は若者より必ず減るものなのか?
もしそうだとしても人それぞれに脳力も違えば体力も違うし、寿命も違う。
健康の面でも年齢だけでは計れないものが有ると思う。
又、ある能力には劣るとしても、他の能力に長けている人もいる。
ひとの価値など本来トリアージできるものではない。
だが、それでもトリアージが必要な時は、やはり人を救うために医師の道を選んだ医師だけが、その選択をすべきだと私は思う。
政治家はその任にないと確信する。