15. はしら[314] gs2CtYLn 2024年3月16日 21:17:14 : AvlgHCHJ1U : NWR5YW1MWmFpMm8=[1]
そんな極右は日本会議とも強く繋がっています。
右翼団体と街宣右翼 その目的と正体は?
https://www.japanpi.com/ja/blog/background/right-wing/
総理大臣が発案した街宣右翼
東西冷戦時代の1960年代に、当時の吉田茂総理大臣が、共産党勢力を制圧する為に、暴力団に「反共抜刀隊」として右翼団体を設立するよう指示したと言われています。暴力団が右翼団体を設立して反共政策に協力すれば、現行犯以外の賭博開張図利罪の適用を免除する、という裏取引があったとされています。
この政策が、暴力団の勢力拡大に大きく貢献したことは言うまでもありません。いわば、政府の承認と支援のもと、暴力団が勢力を拡大する絶好の機会を得たとも言えます。また、こうした背景がある為、日本のマフィアである暴力団は、他の多くの国のマフィアと異なり、幹部が堂々とメディアに登場することができます。暴対法や暴排条例で、暴力団がマフィア化していると言われていますが、元来、日本の暴力団は社会に認知されたパブリックフィギュアであったわけです。この点は、日本特有の現象であり、海外メディアが理解に苦しむ点となっています。
暴力団と関連した街宣右翼
1987年、次期総裁の指名の際に、皇民党事件が発生しています。その時、中曽根康弘元総理から、後継者に指名された竹下登元総理は、皇民党から執拗な批判的街宣活動を受けました。街宣活動は表面的には、竹下元総理を皮肉的に褒めちぎっていました。そのため、この攻撃は「褒め殺し」とも呼ばれました。
攻撃された原因は、竹下氏が恩師である田中角栄元首相を裏切ったためと言われています。この事件では、当時の金丸信自民党幹事長をはじめとする複数の自民党議員が、東京佐川急便の渡辺広康を仲介して、稲川会のドンであった石井隆匡(本名:石井進)会長に仲裁を働きかけ、解決に至りました。
右翼団体の皇民党は、稲川会傘下の団体です。稲川会が、裏で竹下元総理を脅し、表で仲裁したということかもしれません。つまり、皇民党褒め殺し事件は、稲川会が政界に影響力を確保する為のマッチポンプ戦略だったと言えます。
その後、闇献金や稲川会への不正利益供与を中心とした東京佐川急便事件が発生します。この事件で、当時の金丸信自民党幹事長は失脚しました。この事件は、暴力団が右翼団体を利用して、政界中枢部掌握するに至ったエポックメイキングな事件です。
このように、街宣右翼は大企業や著名人を恐喝するツールとして、驚くべき威力を発揮することになります。〜〜〜中略
主な任侠右翼
任侠系右翼としては、以下が有名です。実質的には、暴力団と任侠右翼は表裏一体の関係ですが、建前的には別組織とされています。
大行社、日本皇民党、憂国清心同友会(稲川会系)
日本青年者、大日本朱光会(住吉会系)
司政会議(山口組系)
暴対法や暴排条例で規制が厳しくなってきた昨今、暴力団から街宣右翼へ移籍する組織が増えている、という報道もあります。エセ右翼であっても、表向きは総務省で認められた政治団体です。裏で暴力団と密接な関わりがあっても、表向きは政治団体であるため、暴対法や暴排条例の適用を直接受けることはありません。 後に詳しい解説あり。
麻生がギャング姿してマフィアに憧れるのはお爺さんがやくざを大躍進したからなのかもしれません。