http://www.asyura2.com/acat/n/nv/nvz/NVZsaVNGQzJVQkE=/100000.html
20. 2021年8月10日 05:10:32 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[1]
2021/8/9
ふじあざみラインに沈む・・・激坂チャレンジ
緊急事態宣言の3連休初日、台風接近で天候は不安定ですが、自転車乗りの聖地の一つ、「ふじあざみライン」を登って来ました。
『弱虫ペダル』のインターハイのゴールを目指して、小野田坂道と真波山岳が熾烈な戦いを繰り広げた激坂コース。平均斜度10%、距離11.4kmのコースプロフィールに騙され易いのですが、途中馬返しの区間は最大斜度22%、平均斜度も15%は越えているでしょう。17%〜20%の劇坂が繰り返し襲って来る凶悪な区間で、多くの自転車乗り達が脚を着き、或いは立ちごけし、或いはUターンを余儀なくされる。
登り切った人の多くも、道幅イッパイの蛇行しなければ登れない。(これとて切り返しで前輪が浮きそうになるので、それなりのテクニックが必要)
そんな激坂に55歳のメタボオヤジが挑みました。
https://green.ap.teacup.com/pekepon/2751.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1048.html#c20
50. 2021年8月10日 05:35:40 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[2]
長崎投下Little Boyはプルトニウム型原爆。小型で破壊力はFat Manを超えている事が写真から確認出来る。睦仁天皇殺しPEDO長州イボ侍孫、李裕仁承認の日本人生体実験により、米は対ソ戦略上、Little Boyを主力とする決定。米空爆で東京都10万人死者にも関わらず、日英両国籍、李裕仁の江戸城は無傷。 pic.twitter.com/ONrs2UGVNz
— 片山徹 (@_9105294027642) August 8, 2021
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html#c50
51. 2021年8月10日 05:36:57 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[3]
原爆ドーム今昔。広島にFat Manが投下されて76年経過。街並みは見事に復活、しかし、被災者の心の傷は癒えない。李家体制を条件に日本人の命を生体実験に提供。広島、長崎の空爆無しは、米が原爆の一発効果検証目的。原爆投下前後の米軍公開写真はこの事実証明。日本人排除により朝鮮人国とする意図。 pic.twitter.com/Pg5Xw3yhio
— 片山徹 (@_9105294027642) August 7, 2021
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html#c51
52. 中川隆[-17322] koaQ7Jey 2021年8月10日 05:38:10 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[4]
戦中、米駐日大使グルーとゴルフ三昧の李信介。50年経過しCIA公開。敗戦を見越して米に内通。進駐軍下士官サムが父に語った内通者は李信介。情報筒抜け。ほぼ丸腰の竹槍戦法と焼夷弾、原爆などで日本人ホロコースト。日米開戦半年で既に日本は敗戦状態。国民に嘘ついて日本人を死に追いやった李家。 pic.twitter.com/W6ZYWYb6X5
— 片山徹 (@_9105294027642) August 6, 2021
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html#c52
10. 2021年8月10日 05:40:03 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[5]
香淳皇后チマチョゴリで解けた昭和偽天皇李裕仁正体。父は米軍下士官サム通訳、私の小学生時代家に来ていた。敗戦の理由を「日本に内通者有り」告発。在日米大使グルーを戦中に開放しゴルフ三昧岸(李)信介写真CIA公開。サムは反日李家を指摘。日英両国籍売国朝鮮人李裕仁は英のスパイ。李信介は叔父。 pic.twitter.com/346hUDSfuo
— 片山徹 (@_9105294027642) August 6, 2021
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1170.html#c10
53. 2021年8月10日 05:41:31 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[6]
香淳皇后のチマチョゴリで解けた昭和偽天皇李裕仁の正体。父は米軍下士官の通訳、日本に内通者有り告発。在日米大使グルーを戦中に開放しゴルフ三昧の岸(李)信介写真がCIAより公開。李信介は大正偽天皇と異母兄弟、裕仁叔父。李裕仁は江戸城、広島、長崎無空爆対価として日本人を原爆生体実験に提供。 pic.twitter.com/gdUT8AnpoB
— 片山徹 (@_9105294027642) August 5, 2021
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html#c53
11. 中川隆[-17321] koaQ7Jey 2021年8月10日 05:41:47 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[7]
香淳皇后のチマチョゴリで解けた昭和偽天皇李裕仁の正体。父は米軍下士官の通訳、日本に内通者有り告発。在日米大使グルーを戦中に開放しゴルフ三昧の岸(李)信介写真がCIAより公開。李信介は大正偽天皇と異母兄弟、裕仁叔父。李裕仁は江戸城、広島、長崎無空爆対価として日本人を原爆生体実験に提供。 pic.twitter.com/gdUT8AnpoB
— 片山徹 (@_9105294027642) August 5, 2021
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1170.html#c11
54. 2021年8月10日 05:42:46 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[8]
広島・長崎原爆比較。米国核爆弾投下は李家昭和偽天皇了解の核人体実験。効果検証の為、広島と長崎及び皇居は空爆無し。定点観測写真。米国は対ソ戦略上、ウランとプルトニウムとの二者択一に。広島の三日後に長崎投下。李裕仁偽天皇(佐藤栄作)は投下した米空軍大将カーチス・ルメイに最高勲章授与。 pic.twitter.com/wiTZkeiqz6
— 片山徹 (@_9105294027642) August 6, 2021
原爆投下後ドームと原爆投下前。広島・長崎原爆は米軍により周到に計画された一発の日本人生体実験。日英二重国籍李家昭和偽天皇は体制維持条件に取引。カーチス・ルメイに最高勲章授与。江戸城・広島・長崎に空爆無し。さらに、事前に同一場所から建物撮影。長崎は対ソ戦略上のプルトニウム型検証。 pic.twitter.com/3U7aBjumpO
— 片山徹 (@_9105294027642) August 5, 2021
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html#c54
55. 2021年8月10日 05:44:56 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[9]
李家日本人ホロコースト政策に貢献カーチス・ルメイに、菅がPEDOビルケイツに授与した同じ最高勲章を、李裕仁(李信介)授与。対価、江戸城、広島、長崎にB29空爆免除。日本人生体実験。米は李裕仁承諾で、対ソ戦略上一発の威力を科学的に検証。事前・事後の同一場所原爆ドーム写真が上記の事実を証す。 pic.twitter.com/itdFaZoGLG
— 片山徹 (@_9105294027642) August 3, 2021
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html#c55
22. 2021年8月10日 05:46:46 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[10]
読者から質問「下関と朝鮮」。朝鮮ゲート指摘のメラニア夫人。両手にチマチョゴリ安倍(李)晋三とチマチョゴリ昭恵。私の長年の疑問「長州と朝鮮」関係。エリザベス女王公開「睦仁天皇暗殺」写真に統一教会創設文鮮明の父慶裕。貧乏長州は朝鮮と手を組んで明治テロクーデター。朝鮮自公政権の反日政策。 pic.twitter.com/sCla5nFyYw
— 片山徹 (@_9105294027642) August 3, 2021
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/390.html#c22
6. 中川隆[-17320] koaQ7Jey 2021年8月10日 05:47:54 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[11]
読者から質問「下関と朝鮮」。朝鮮ゲート指摘のメラニア夫人。両手にチマチョゴリ安倍(李)晋三とチマチョゴリ昭恵。私の長年の疑問「長州と朝鮮」関係。エリザベス女王公開「睦仁天皇暗殺」写真に統一教会創設文鮮明の父慶裕。貧乏長州は朝鮮と手を組んで明治テロクーデター。朝鮮自公政権の反日政策。 pic.twitter.com/sCla5nFyYw
— 片山徹 (@_9105294027642) August 3, 2021
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/383.html#c6
11. 2021年8月10日 06:33:05 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[12]
【ゆっくり解説】ゆっくり解説の闇に関する一考察
2021/08/09
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1000.html#c11
19. 2021年8月10日 06:36:20 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[13]
【ゆっくり解説】悪天候に襲われた老人ツアーグループ。段々と気力を失い倒れていき…「トムラウシ山遭難事故」
2021/08/09
ゆっくり災難資料館【裏】
トムラウシ山遭難事故は、2009年7月16日早朝から夕方にかけて北海道大雪山系トムラウシ山が悪天候に見舞われ、ツアーガイドを含む登山者8名が低体温症で死亡した事故だ。夏山の山岳遭難事故としては近年まれにみる数の死者を出した惨事となったぜ。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/717.html#c19
12. 2021年8月10日 06:41:42 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[14]
遭難や漂流について - YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCTdItKPm4lGYkaXdPnPXZiA/videos
ゆっくり災難資料館【裏】 - YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCuPuxHDxM7eCIb5_Vw_NwqA/videos
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/792.html#c12
1. 中川隆[-17319] koaQ7Jey 2021年8月10日 06:42:21 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[15]
遭難や漂流について - YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCTdItKPm4lGYkaXdPnPXZiA/videos
ゆっくり災難資料館【裏】 - YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCuPuxHDxM7eCIb5_Vw_NwqA/videos
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/430.html#c1
4. 中川隆[-17318] koaQ7Jey 2021年8月10日 06:42:41 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[16]
遭難や漂流について - YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCTdItKPm4lGYkaXdPnPXZiA/videos
ゆっくり災難資料館【裏】 - YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCuPuxHDxM7eCIb5_Vw_NwqA/videos
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/422.html#c4
1. 2021年8月10日 07:20:31 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[17]
リヒテル
Grieg: Piano Concerto in A minor // RICHTER
Sviatoslav Richter (piano)
Lovro Von Matacic (conductor)
Monte Carlo National Opera Orchestra (1974)
Richter plays Grieg Piano Concerto in A minor Op 16 with Matacic
Svjatoslav Richter - Edvard Grieg: Concerto en La mineur, Op. 16 Pour Piano & Orchestre
XXIème Septembre Musical de Montreux 1966 (Live Recording)
Svjatoslav Richter, Piano
Orchestre de la Philharmonie de Prague
Lovro von Matacic, Conductor
Grieg - Piano concerto - Richter / Kondrashin
Sviatoslav Richter
Moscow Philharmonic Orchestra
Kirill Kondrashin
Live recording, Moscow, 23.III.1964
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/336.html#c1
1. 中川隆[-17317] koaQ7Jey 2021年8月10日 07:21:21 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[18]
リヒテル
Grieg: Piano Concerto in A minor // RICHTER
Sviatoslav Richter (piano)
Lovro Von Matacic (conductor)
Monte Carlo National Opera Orchestra (1974)
Richter plays Grieg Piano Concerto in A minor Op 16 with Matacic
Svjatoslav Richter - Edvard Grieg: Concerto en La mineur, Op. 16 Pour Piano & Orchestre
XXIème Septembre Musical de Montreux 1966 (Live Recording)
Svjatoslav Richter, Piano
Orchestre de la Philharmonie de Prague
Lovro von Matacic, Conductor
Grieg - Piano concerto - Richter / Kondrashin
Sviatoslav Richter
Moscow Philharmonic Orchestra
Kirill Kondrashin
Live recording, Moscow, 23.III.1964
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/989.html#c1
2. 2021年8月10日 07:24:18 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[19]
最美の音楽は何か? _ ラフマニノフ『ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/338.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/989.html#c2
1. 中川隆[-17316] koaQ7Jey 2021年8月10日 07:25:16 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[20]
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
逢びき Brief Encounter 1945年
監督 デヴィッド・リーン
出演者 セリア・ジョンソン、トレヴァー・ハワード
音楽 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
ピアノ独奏はアイリーン・ジョイス
動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9417500
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9416813
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9416338
アイリーン・ジョイス _ エロい美女は天才でも評価されない?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/431.html
2020年06月13日
ラヂオ
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/52304705.html
終戦後ロンドン郊外ミルフォード・ジャンクション駅の待合室
ふたりのテーブルには紅茶と菓子パン
「これでも自分の専門に関しては野心家でね」
「専門は?」
「予防医学・・知ってる?」
「わからない」
「良心的な医者は若い時は夢を持つが、多くは職業医にとどまる。退屈かい?」「いいえ、わからないけど」
「医者には何より情熱が必要だ、作家や画家と同じく使命感を持つこと、それを忘れてはいけない」
「そうね」
「病気の予防策1つには、50の治療法と同じ価値がある、というのが僕の信念、予防医学は生活、衛生、市民の共通認識、あらゆることに関わってくる」
「例えば炭疽病、ここには炭鉱があるから研究には最適だ」
「あなた、急に若く見えてきた。少年みたい」
「なぜそんなことを?」
「わからない、さあ、なぜかしら」
「聞かせてください」
「えーと、炭鉱の話でしたわね」
待合室のベルが鳴る
「汽車の時間よ、遅れるわ」
「わかってる」
「どうしたの?」
「いや、別に」
「ほんと楽しい午後だった」
「僕こそ、退屈な話をして悪かった」
「理解できなくてごめんなさい」
「・・・また会いたい、来週の木曜、同じ時刻に?」
汽車の音
「向こうのプラットフォームでしょ、走らないと」
「また会いたい」
「ええ、日曜日、ケッチワースの家で、きっと家族も喜ぶわ」
「どうか、お願いです、来週、同じ時間に」
「そんな、無理よ」
「無理は承知、どうか」
「乗り遅れるわ」
「じゃあ」と立ち上がる
「わたし、やっぱり行く」
「ほんと!ありがとう!じゃあ来週!」
アイリーン・ジョイスのピアノでラフマニノフの2番が流れる映画「逢びき」(1945年デイヴィド・リーン監督)をラヂオで聴いた。
ずいぶん前のこと、クーダムの裏通りにある小さな電気店のウィンドウの前に立ち止まったベルリンの友人、「ちょっと見ろよ、いいだろ?」と指さしたのがこのラヂオ。
当時と同じデザインながら最新モデルはBluetooth対応と聞いて、決めた。小さな箱のわりにずっしり重い。タブレットから音声を送ると思い通りの音が出た。まさしくラヂオの音!楽しくて置く場所をいろいろ試した。結局デスクの上の棚が一番空気を震わせてくれた。快適な音の環境が整った。シェーンベルクのピアノの低音が潤ってほぐれている。とても3インチのスピーカの音とは思えない。梅雨の季節、外に出られないとき。ディジタル臭さがないせいか、装置を気にせずにゆたかな音に包まれる。今となっては贅沢な音。棚自体が大きなスピーカボックスとなって、デスクに座れば前の壁に音が舞い降りてくる。映画の音声をラヂオに飛ばして聞く。
夫婦の居間
憔悴しきった妻に
「ローラ」
「なに」
「そんなに思い詰めて。あまり楽しくない夢のようだね?
「ええ」
「私で力になれるかな?」
「ありがとう、あなた」
「ずいぶん遠くへ旅していたんだね」
「そう」
「よく戻ってきた」
映画の主役はラフマニノフ、彼の音楽なしにドラマは成り立たない。セリフと演技だけでは退屈な一本だったはず。ラフマニノフもおかげでレコードが売れた。
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/52304705.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/338.html#c1
2. 中川隆[-17315] koaQ7Jey 2021年8月10日 07:33:57 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[21]
バックハウス
Grieg:Piano Concerto in a minor-Opus16-Backhaus-Piano w. Barbirolli & NewSymOr 1931-6sides78's
Wilhelm Backhaus, Klavier
New Symphony Orchestra
Sir John Barbirolli, Leitung
Six Sides Of 78 rpm records-recorded in 1931.Lane Audio Research.
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/336.html#c2
24. 2021年8月10日 07:46:52 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[22]
【ゆっくり解説】コーヒーを毎日のむとどうなる?缶コーヒーとドリップコーヒーの違いについて
目次
00:00 缶コーヒーとドリップコーヒー
01:08 コーヒーの歴史
03:57 コーヒー消費量が多い地域
・日本は何位?
06:04 コーヒーを飲みすぎると現れる症状
09:01 缶コーヒーを毎日飲むと
・添加物は体に悪い
10:58 ドリップコーヒーを毎日飲むと
・ポリフェノールの量が多い
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/736.html#c24
17. 2021年8月10日 08:18:29 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[23]
習近平の野望。独裁者が誕生するのは、独裁して欲しいと思う人がいるから
2021.08.10
ひとりのトップがふんぞり返り、上層部が個人崇拝を強制し、関わっている全員が自分の人生を捨ててトップのために人生のすべてを捧げる。そんな狂ったような世界がある。個人崇拝を強制する組織は、それがどんな組織であれ人々を不幸にするのは100パーセント間違いない。(鈴木傾城)
習近平は着々と独裁者としての地位を固めている
コロナ禍の中であまり目立たなかったが、2021年7月1日に中国共産党創立100周年の祝賀行事が行われ、国家主席である習近平が人民服を着て天安門の楼上から演説した。
すでに数年前から言われていることだが、習近平は毛沢東を意識して自分を神格化させることに力を注いでいる。中国共産党は一党独裁だが、習近平はこの中国共産党を個人的に乗っ取って皇帝になろうとしているのである。
習近平は絶対に自分に対抗する人間を認めない。それが政敵であれ人民であれ、ことごとく脅迫・拘束・逮捕・殺害によって葬っていく。こうした神格化に向けた闘争は長く続けられてきて習近平の独裁の足元は固められつつある。
しかしながら、習近平には毛沢東ほどのカリスマ性はまったくなく、中国人民も別に習近平を熱烈に崇拝しているわけでもない。ただ単に、面倒くさいことに巻き込まれたくないから服従しているだけのように見える。
何しろ、今の中国はインターネットと監視カメラでガチガチにコントロールされた監視国家である。とりあえず、中国共産党という「長いもの」に巻かれていれば、それなりにメシが食えるので、一般市民としてはそれでいいとささやかな幸せを享受している。
それを見越して、習近平は着々と独裁者としての地位を固めている。
組織をまとめる方法はいくつもあって、百人百様でもある。それぞれの指導者が、自分に合った方法を採用して組織運営に当たっている。しかし、指導者が自身の神格化を進めていくというのは、最終的には国家そのものを衰弱させる。
崇拝を強制するような指導者が世の中に存在する
異様な組織運営の最たるものは、「自身の神格化」と「崇拝の強制」である。ドイツのヒトラーも、中国の毛沢東も、ソ連のスターリンも、カンボジアのポル・ポトも、強烈な独裁で国を支配して崇拝強制を国民に強制した。
こういった独裁体制は現在は通用しなくなりつつあるが、それでも絶滅したわけではない。北朝鮮ではまだそのような異常な体制が続いている。北朝鮮の場合は金(キム)一族が3代に渡って独裁政治を敷き、国民が今も崇拝から抜け出せないのだからどうかしている。
国家だけではなく、組織という名前の付く集団の中には、規模が大きくても小さくても、無理やり人を洗脳し、崇拝させるようなやり方をする指導者が星の数ほどいる。
独裁者が国というスケールでそれを行うだけでなく、企業家が自分の企業の内部でそうすることもあるし、カルト教団が信者に崇拝を押し付けることもある。
これらの「強制崇拝」をする指導者は規模の大小に関わらずどこにでもいて、あの手この手で人間を押さえつけて、その人の人生を奪う。
ひとりのトップがふんぞり返り、上層部が個人崇拝を強制し、関わっている全員が自分の人生を捨ててトップのために人生のすべてを捧げる。そんな狂ったような世界がある。
個人崇拝を強制する組織は、それがどんな組織であれ人々を不幸にするのは100パーセント間違いない。
誰かを盲目的崇拝するというのは、まさにその人の奴隷になるということだ。自分が誰かの歯車や、都合の良い人間になる。そんな馬鹿げた人生があるだろうか。
優れた人間を見ると、誰もが自然な尊敬の念を抱く。誰でも人生の中で尊敬する人をひとりやふたりは持つ。
しかし、神のような絶対的存在として「崇拝させられる」というのは、自然な尊敬とはまた別種のものだ。それは、異様なことなのだ。
崇拝を強制する組織は、その人の人生を奪う
自分の人生を生きるというのは、迷い、ぶつかりながらも、自分の頭で考えて、自分の意思で行動することである。他人を崇拝して、奴隷になることではない。
しかし、世の中には往々にして崇拝を強制する力が働くことがあり、大勢の人々がそれに巻き込まれる。崇拝を強制され、誰かの奴隷にされる。
「誰かを崇拝せよ」と言われれば全身全力で反撥する必要がある。崇拝を強制する人間や社会に抵抗し、戦わなければ生きている意味がなくなる。抵抗しないと、身も、心も、金も、すべて奪われる。
崇拝するということ自体が危険なのに、それを強制させるのだから異様であると感じなければならないのだ。
崇拝を強制する組織は、そこに属する人の人生を奪う。それは人を「奴隷化」する。それは一種の地獄だと言ってもいい。本当は信じていないものを強制されるほど、人間の尊厳を破壊するものはない。
独裁国家は国民全員に指導者の崇拝を強制する。
独裁者やその一族を崇拝することは、どんな任務よりもまして優先される。国民は、あらゆる仕事、あらゆる法律、そして親兄弟よりも優先しなければならない。
その個人崇拝は全執行部によって徹底され、裏切り者は家族もろとも処刑される。市民・軍隊はすべてひとりの人間の指示によって行動し、自ら考えてはならない。
忠実に命令を執行しなければならない。そして、命令のためには生命を投げ出さないとならない。独裁者が「指導」したら、それがどんなに理不尽であっても従う必要がある。
それはあまりにも馬鹿げた世界だ。
しかし、このような他人を強制崇拝や隷属化させる組織が存続できるというのは、逆に言えば、他人に隷属してもいいと考える従順な人がいるということでもある。
なぜ「他人に人生を委ねてもいい」と思うのか?
誰も彼もが反逆者の精神があったら、強大な独裁者は生まれることはない。
独裁者が誕生するというのは、「他人に人生を委ねてもいい」という人も大量にいるということを意味している。逆らうよりも前に、相手に委ねる人がいるのだ。
なぜ、そのような人たちが生まれるのだろうか。その答えは「楽だから」だ。「考えなくてもいいから」だ。
自分の人生を自分で切り拓いて生きるというのは、とても大変で面倒なことだ。生き方を自分で決めて、生活を自分の力で成り立たせるというのは並大抵ではない努力が必要だ。
誰かに服従して、その誰かが食べさせてくれるのであれば、自分でどうするか考えるよりも「楽でいい」と考える人が確かにいる。
指導者が独裁的であればあるほど、すべてを委ねて何も考えずに生きていける。ロボットや歯車になるというのは、責任はすべて独裁者に取ってもらえるということでもある。
世の中が共産主義や社会主義や全体主義になったら、上が何か言えばそれに従って生きれば、少なくとも生活は保障してくれるのでとても楽なのだ。
もちろん、自分のやりたいこと、好きなことはできないが、責任は取らなくてもいいし、どう生きるかという「面倒なこと」を考える必要もない。
だから、我が指導者が「自身の神格化」と「崇拝の強制」を押しつけてきても、面従腹背でも何でもそれに従って長いものに巻かれていく。
ところが、人間の心は単純にできていない。崇拝がこれでもか、これでもかと続くと、いずれは反撥心も不満も怒りも湧きあがっていく。
しかし、そのときに反撥しても遅い。崇拝することによって、人生のすべてを掌握されてしまっており、もうそこから逃れられなくなっているからだ。崇拝に染まりきっていると、ある時点でそこからもう抜け出せなくなってしまう。
だから、私たちは崇拝を強制するような社会現象に気を付けなければならない。崇拝を強制してくる人間にはロクな人間がいない。毛沢東になりたがっている習近平も、その類いだということだ。
『独裁の中国現代史 毛沢東から習近平まで(楊 海英)』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07NQ9B49X/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=asyuracom-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=B07NQ9B49X&linkId=01cb2c1c0f10f03005de30cc83db3854
https://blackasia.net/?p=1003
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/806.html#c17
138. 2021年8月10日 08:43:47 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[24]
ディスクリートDACを考える(1)ーなぜいまディスクリートDACが注目されるのか?
山之内 正 2021年08月10日
https://www.phileweb.com/review/column/202108/10/1342.html
家庭用オーディオ機器に本格的なDA変換回路(DAC)が組み込まれた最初の例はCDプレーヤーだ。それから約40年かけて着実な進化を遂げたDACに、いま再び熱い視線が注がれている。汎用DACチップを置き換える形でオーディオメーカーが独自設計のディスクリートDACを導入する例が相次ぎ、注目を集めているのだ。
これまでは独自性を重んじる海外のハイエンドメーカーがその動きを牽引してきたが、ここにきてマランツやエソテリックなど一部の国内メーカーもDACの独自設計に踏み込み、ミドルグレードの製品にまで投入するなど、積極姿勢に転じている。何がメーカーをディスクリートDACの開発へと駆り立てているのだろうか。
■ディスクリートDACとは何か?
そもそもディスクリートDACに明確な定義があるわけではない。ディスクリートは「個別」の意味があり、単機能の素子を指す。その逆は、複数の素子を集めた大規模な集積回路だ。DACの場合、汎用チップを使わず独自アルゴリズムでDA変換を実現する回路をディスクリートDACと呼ぶわけだが、回路構成やアルゴリズムは各社各様。FPGAやDSPなど集積回路を活用しつつ、最終段のフィルターなど回路の一部を個別の素子群で構成する例が多いため、ディスクリートDACの大半は物理的な回路規模が大きくなり、チップ単体と比べて面積が100倍以上に及ぶこともある。
半導体は世代を経るごとに小型化し稠密化していく。たとえば高級オーディオ製品でよく使われるESSのES9038Proのサイズはおおよそ1cm角。一方たとえばエソテリックの「Grandioso D1X」に搭載されたディスクリートDAC部(右)はA4サイズほどの大きさになる
ディスクリートDACの開発が進む背景について考えてみよう。たとえ専有面積が大きく高コストでもディスクリートDACをあえて導入するのは、そこになんらかのメリットがあるからで、特に重要なのが既存のデバイスに頼らず自由に設計でき、目指す音に近付けやすいということだ。
音にこだわるメーカーは、DACチップを用いる場合も実際に使う要素を最小限に抑え、デジタルフィルターやオーバーサンプリングなど主要回路の一部を独自に設計する取り組みを進めてきた。自社で開発する要素が増えるほど、設計の自由度が上がり、技術の蓄積も進む。そうした取り組みの延長線上に、既存のDACチップを一切使わないディスクリートDACが誕生したと考えるとわかりやすいかもしれない。
現在、ディスクリートDACを手がけるメーカーは10社近くに及ぶ。海外ではdCS、CHORD、Playback Designs、MSB Technology、EMM Labsなどがよく知られた存在だ。さらに、オランダのmola molaなど、日本では知名度が低いメーカーも意欲的な製品を投入している。
FPGAを用いたDAコンバーターをいち早く世界に送り出したイギリスのCHORD。DAC技術者のロバート・ワッツ氏のアイデアによるもので、独自のデジタルフィルターで高次のオーバーサンプリングを行っている
dCSは、独自のアルゴリズムで動作するFPGAによるデジタル処理と、高精度抵抗を並べた抵抗ラダー型DACで構成されており、デジタル信号がDACの中で「輪を描く」ことからRing DACと名付けられている
比較的最近に参入したのがマランツとエソテリックで、それぞれ複数の製品を投入し、急速に存在感が強まっている。トップエンドではなくミドルクラス製品への製品の投入も積極的だ。またリンが新世代のKLIMAX DSMに載せた「ORGANIK」は、順番では後発ということになるが、強い影響力を持つ同社がディスクリートDACを開発したことの意味は大きい。
■半導体産業を取り巻く環境変化からの影響も
この10年ほどの間にディスクリートDACを開発するメーカーが増えた間接的な理由として、半導体産業を取り巻く環境変化やメーカーごとの事情も考慮する必要がある。DACに限らず、音響メーカー向けの高音質で高機能な素子は需要が先細りとみなされることが多く、積極的な新製品開発が行われにくくなってしまった。オーディオメーカーにとっては選択肢が狭まり、同じDACチップを複数のメーカーが取り合うような事態も起きている。
それと並行して、家電や自動車のIT化が加速し、そちらに生産の比重がシフトする現象も顕著だ。そんなときに昨年の旭化成エレクトロニクスの火災のような不測の事態が起こると、ただでさえ不足気味の半導体が致命的な供給不足に陥り、オーディオメーカーは代替素子への置き換えや大幅な設計変更を余儀なくされる。
DACに限らず、複数のオーディオメーカーが少数のデバイスメーカーの製品に依存する現状を変えない限り、同様な事態が起こるリスクは解消しないだろう。
■DACの音質改善の次のステップにも期待
第一号機が2007年に発売されたリンのKLIMAX DS/DSMは、内蔵のDACチップを何度か変更し、さらにデジタルフィルターなど主要回路のプログラムもリニューアルを重ねるなど、着実な進化を重ねてきた。一方、4月に発売された新世代のKLIMAX DSMは、4個のFPGAとアナログFIRフィルターで構成される独自設計のDACアーキテクチャー「ORGANIK」を採用し、オーディオ回路の心臓部を一新。プリアンプと統合してボリューム回路もDACのなかに組み込み、ディスクリートDACの最先端を切り開いた。
LINNはフラグシップ機「KLIMAX DSM」において、初のフルディスクリート構成となるオリジナルDACアーキテクチャ「ORGANIK」を発表
ディスクリートDACにこだわるメーカーは、デジタルオーディオ技術の豊富な蓄積に加えて、音を追い込む姿勢や独自性を重んじる自負の強さが共通して感じられる。
だが一方で、汎用DACを活用して開発するデバイスメーカーにも独自のノウハウがあり、経験豊富なオーディオメーカーでも克服できないような課題を解決する高い技術力がそなわる。さらに、DAC回路全体のディスクリート化には踏み切っていないものの、DSD専用のアナログフィルターを独自設計するなど、DA変換の精度に強いこだわりを持つオーディオメーカーも存在する。
アキュフェーズの「DC-1000」では、ES9038PROを8回路並列駆動する独自の「MDS++変換方式」を採用し、変換誤差を抑えるといった工夫を凝らしている
それら立場が異なるメーカー同士が、今後はディスクリートDACへの注目の高まりを媒介に互いに刺激し合う状況が生まれる可能性もある。DACの音質改善を次のステップに進めるために、そんな相乗効果が求められているのではないだろうか。
https://www.phileweb.com/review/column/202108/10/1342.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/842.html#c138
14. 2021年8月10日 09:07:40 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[25]
ワクチンが効かない、重症化を防げない
2021年08月09日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1581.html
日本政府やメディアは、ワクチンを打てば感染を防ぎ、重症化を防げると宣伝してきた。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/vaccine/qa/detail/qa_01.html
ところが、日本と同じファイザー社製ワクチンを世界でいち早く導入し、国民の大半が接種を終えたイスラエルで、ワクチン接種完了者に重症化が相次いでいるとの報告があった。
国もマスコミも、このことを隠して、いまだに「ワクチン接種が必要」と煽っているが、現実ははるかに恐ろしい事態に進んでいる。
「コロナ重症患者の95%がワクチンを接種した人たちで占められている」 : エルサレムの病院長が報道で深刻なイスラエルの感染状況を述べる 2021年8月8日
https://earthreview.net/dr-kobi-haviv-95-of-the-severe-patients-are-vaccinated/
世界で最速最大規模のコロナワクチン(主にファイザー社 mRNA ワクチン)の接種を展開したイスラエルですが、ここに来て新型コロナウイルス感染状況に歯止めがかからなくなっています。
歯止めがかからなくなっているだけではなく、「重症患者が大変多い」という事が懸念されています。
以下は、過去三ヶ月のイスラエルでの 100万人あたりの新たな感染確認数と、集中治療室 / ICU への新たな搬送患者数の推移です。
wakutin01.jpg
感染数の拡大と共に重症患者数が激しい増加を示していることがわかりますが、8月6日、エルサレムにあるヘルツォーク病院の院長であるコビ・ハビブ博士(Dr. Kobi Haviv)という方が、イスラエルの報道、ニュースイスラエル13にオンライン出演し、
「重症患者の 95%がコロナワクチンを接種している」
ということと、
「入院患者の 85- 90%がコロナワクチンを接種した人たち」
だと述べたことが報じられています。
ニュースイスラエル13より
https://twitter.com/RanIsraeli/status/1423322271503028228
Dr. Kobi Haviv on Chanel 13
ハビブ博士は、以下のように述べていたようです。
エルサレムにあるヘルツォーク病院の院長コビ・ハビブ博士の発言
「重症患者の 95%がワクチン接種を受けています」
「入院患者の 85-90%は二度の完全なワクチン接種を受けた人たちです」
「私たち病院は現在ますます多くのコロナ病棟を開設しています」
「ワクチンの有効性が衰えています」
つまり、あくまで、このヘルツォーク病院に限ったことなのかもしれないですが、
「重症化しているコロナ患者のほとんどすべてがワクチン接種を受けた人たち」
であると述べているのでした。
このイスラエルの例は極端な数値ですが、同じようなことは、他の国でも起きていまして、シンガポールとイギリスの例を以下の記事で取りあげています。
シンガポールの新たなコロナ感染者の75%が「ワクチン接種者」だと政府が発表 2021年7月28日
https://earthreview.net/vaccinated-people-make-up-75-of-recent-cases-in-singapore/
英国の感染確認数が過去半年で最大となり、死者数は過去三ヶ月で最大を記録する中、「コロナ重症患者の大半が二回のワクチン接種を受けた人たち」であることが露呈 2021年7月22日
https://earthreview.net/uk-corona-cases-hit-record-high-in-six-months-0722-2021/
これらが、いわゆる ADE (抗体依存性増強)と関係するのかどうかはわかりませんが、ただ、以下の In Deep の記事でご紹介していますように、
「ワクチン接種者がデルタ変異種感染を拡大させている」
というデータは、CDC によって示されています。
「接種者がデルタ感染を広げており、もはやワクチンは機能していない」:米ワシントンポストが CDC の内部資料を公開。今後、世界各国でワクチン接種者同士での感染爆発が無制御になることは避けられない模様 2021年8月1日
https://indeep.jp/the-corona-vaccine-is-not-working-already/
今回のイスラエルのことで注目すべきは、同国は、世界で最も早くに大規模なワクチン展開を始めまして(2020年12月19日から開始)、2月には、すでに現在に至る最大接種率(全国民の60数パーセント)に達していますので、時期的には、ワクチンを接種した人たちが中心となっている新たな感染拡大は、ワクチン接種開始から 7ヶ月後くらい、国民の大多数がワクチン接種を終えてから 5ヶ月後くらいということになります。
つまり、他の国でも、大規模接種をおこなった国々は、同じような時期に同じようなことが起きる可能性があるかもしれないということです。
日本に当てはめれば、最初にワクチン接種が始まった 3月頃からの約 7ヶ月後の 11月頃、あるいは年齢層を拡大して接種が始まった 5月頃から 7ヶ月後の 12月頃からイスラエルと同じ状況に陥る可能性があるということです。
もちろん、これはその時になってみたいとわからないですが、イスラエル、イギリス、シンガポール、アメリカなど、多くの国で同じようなことが起きている以上、日本で起きても不思議ではないと思われます。このあたりは、In Deep の以下の記事をご参照いただいてもいいかと思います。
国立感染症研究所の報告、あるいはビオンテック社CEOの発言からわかる「すでに ADE (抗体依存性増強)の時期に達している」可能性。日本は11月頃から? 2021年7月28日
https://indeep.jp/the-possibility-that-the-time-of-ade-has-already-been-reached/
特に、11月 12月というのは、時期が冬ですので、さらに深刻な状況となってもおかしくはないです。
ワクチンを接種していないのであれば、コロナ変異種により重症化する可能性自体があまりないですので、さほど気にすることもないでしょうが、仮にコロナワクチンを接種された方であれば、この秋以降は、注意されて生活されたほうがよろしいかと思われます。
これから起きていくことが抗体の軋轢の本番であり、しかもまだ本番の序章だと思われます。
*******************************************************************************
引用以上
上のリンクで、もっとも重大な問題は、今年の11月ごろから、ワクチン接種者に重症化患者が激増する可能性があるということだ。
日本で使われたワクチンの大半が、ファイザー社製のものであり、イスラエルの轍を踏むことになる。
私は、過去のパンデミックを起こした疫病の大半が、数年程度で収束した理由は、空気中に放出されたウイルスを、人々が無意識に極微量を吸い込むことで、抗体や交差免疫=集団免疫を獲得したことによると考えている。
もちろんウイルス量が多ければ発病してしまうので、マスクや花粉眼鏡などで、ウイルスとの接触を最大限抑制しながらも、強い免疫力さえあれば、極微量の接触が身を守ってくれると考えるべきだと思う。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1475.html
したがって、本当に大切な対策は、ワクチンではなく、免疫力を強めることだと考えてきた。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1405.html
免疫力を強化するために必要なことは、第一に歩いて体液の循環を確保すること。第二にビタミンDを体内に生成すること。(太陽光を浴びること)第三に汗をかいて、呼吸機能を強化すること。可能なら森林浴をルーチンワークとすること。
を提唱してきた。
この方が、ワクチンより何倍も感染予防効果が高いと確信している。
新型コロナワクチンは、本来5〜10年を必要とする治験を行っておらず、緊急避難として認可されたにすぎず、本当のところ、効くのか有害なのかは五年を経てみなければわからないと考えてきた。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1543.html
だが、免疫力強化は、年数の問題ではなく、人間のホメオステーシスの原理的問題である。ワクチンなど関係ない。極微量のウイルスとの接触を避けられないのだから、歴史の浅い、軽い人工智ではなく、我々は自然由来の免疫力を選択すべきだと思う。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1581.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/624.html#c14
1. 2021年8月10日 10:22:24 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[26]
フルトヴェングラー
Wilhelm Furtwängler "Concerto grosso Op 6 No 5" Händel
Berlin Philharmonic
Wilhelm Furtwägler, conductor
13.IX.1939
Handel - Concerto grosso op.6 No.5 Furtwangler Berliner
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1954年4月27日
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/341.html#c1
1. 2021年8月10日 10:39:46 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[27]
フルトヴェングラー ヘンデル : 合奏協奏曲 Op.6-10(追跡#18)解説:徳岡直樹
2019/06/15
フルトヴェングラーの指揮したバロック作品の数々、こんにちでは演奏スタイルの変化もあり、その評価はさまざま。しかし宗教作品とは違って器楽作品、特にこのヘンデルの合奏協奏曲Op.6-10 ニ短調では、フルトヴェングラーの堂々としたドラマティックな演奏が楽しめる。通常このフルトヴェングラーの演奏では「第五、第六章が入れ替えて演奏されている」と言われるが、そこにはどのような意図があったのか…? そして単純に「入れ替え」と言ってしまっていいのか…? 色々取りまとめてお話ししています(解説:徳岡直樹)。
ヘンデル:合奏協奏曲ニ短調 Op.6-10
1944年2月7-8日 ベルリンフィル:https://www.youtube.com/watch?v=vMX5uRjF0uE&t=0s
1950年4月23日 ブエノスアイレス・コロン劇場(リンク不明)
1950年6月20日 ベルリンフィル:https://www.youtube.com/watch?v=ZDJUf1VEyl4
1954年3月21日 ヴェネズエラ・カラカス:https://www.youtube.com/watch?v=pwrnhCPaJuQ&t=0s
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/342.html#c1
1. 中川隆[-17314] koaQ7Jey 2021年8月10日 11:03:59 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[28]
リヒテル
Handel - The Keyboard Suites + Presentation (reference recording : Sviatoslav Richter)
Georg Friedrich Haendel (1685-1759) - The Keyboard Suites.
*Click to activate the English subtitles for the presentation* (00:00-01:48)
Keyboard Suite No.2 in F
I.Adagio (00:00) II.Allegro (03:28)
III.Adagio (05:41) IV.Fuga : Allegro (07:26)
Keyboard Suite No.3 in D minor
I.Prélude : Presto (10:02) II.Fuga : Allegro (11:04)
III.Allemande : Andantino quasi allegretto (13:26)
IV.Courante (16:57) V.Air : Lento non troppo (18:47)
VI.Presto (29:10)
Keyboard Suite No.5 in E
I.Prélude : Allegro moderato (33:49)
II.Allemande : Andantino quasi allegretto (35:37)
III.Courante : Allegro (40:24)
IV.Air con variazioni : Andantino (42:40)
Keyboard Suite No.8 in F minor
I.Prélude : Allegro (47:10) II.Fuga : Allegro (49:57)
III.Allemande : Allegro moderato (53:03)
IV.Courante : Allegro (55:55) V.Gigue : Presto (57:49)
Keyboard Suite No.9 in G minor
I.Allemande : Allegro con fuoco (1:00:05)
II.Courante : Allegro vivace (1:05:20)
III.Gigue : Presto (1:09:13)
Keyboard Suite No.12 in E minor
I.Allemande : Andante (1:13:49)
II.Sarabande : Allegro moderato (1:17:00)
III.Gigue : Vivo (1:20:05)
Keyboard Suite No.14 in G
I.Allemande (1:23:18) II.Allegro (1:25:18)
III.Courante : Allegro vivace (1:27:57)
IV.Air : Presto (1:30:55) V.Menuet : Vivace (1:32:27)
VI.Gavotte : Allegro (1:34:46) VII.Gigue : Presto (1:39:33)
Keyboard Suite No.16 in G minor
I.Allemande : Andantino quasi allegretto (1:41:59)
II.Courante : Allegro assai (1:44:34)
III.Sarabande : Andante (1:46:39)
IV.Gigue : Presto (1:50:11)
Piano : Sviatoslav Richter
Live recording in 1979, at France, Château de Marcilly-Sur-Maulne (Tours Festival)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/343.html#c1
1. 中川隆[-17313] koaQ7Jey 2021年8月10日 11:08:54 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[29]
ヘンデル オペラ 『アグリッピナ』 _ ヘンデルのオペラ・オラトリオはどんな曲でもモーツァルトのオペラより上
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/824.html
ヘンデル オラトリオ 『エジプトのイスラエル人』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/825.html
ヘンデル オペラ 『エジプトのジュリアス・シーザー』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/826.html
ヘンデル 音楽劇 『ヘラクレス』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/828.html
ヘンデル オペラ 『フラーヴィオ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/830.html
ヘンデル 音楽劇 『セメレ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/831.html
ヘンデル オラトリオ 『サムソン』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/829.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/344.html#c1
1. 2021年8月10日 12:05:06 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[30]
ミュンヒンガー
G.F. Handel Water Music, Karl Munchinger
1. Water Music Suite in F Major, HWV 348 0:00
2. Water Music Suite in G Major, HWV 350 30:04
3. Water Music Suite in D Major, HWV 349 40:34
Stuttgart Chamber Orchestra
Karl Munchinger Conductor
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/346.html#c1
2. 2021年8月10日 12:18:38 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[31]
パイヤール
Jean Francois Paillard Orchestra
Handel - Water Music - Suite No. 1 in F major
Handel - Water Music - Suite No. 2 in D Major
Handel - Water Music - Suite No. 3 in G-major
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/346.html#c2
3. 2021年8月10日 12:21:42 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[32]
ピノック
G. F. HÄNDEL - Water Music - Trevor Pinnock, The English Concert
Suite in Fa Maggiore HWV 348
- I. Ouverture (Largo - Allegro) (00:15)
- II. Adagio e staccato (03:33)
- III. (Allegro) - Andante - (Allegro da capo) (05:47)
- IV. (Menuet) (13:36)
- V . Air (16:50)
- VI. Menuet (19:53)
- VII. Bourrée (23:17)
- VIII. Hornpipe (25:25)
- IX. (Andante) (28:03)
Suite in Re/Sol Maggiore HWV 349/350
- I. (Ouverture) (31:17)
- II. Alla Hornpipe (33:26)
- III. (Menuet) (37:42)
- IV. Rigaudon (40:36)
- V . Lentement (43:20)
- VI. Bourrée (45:23)
- VII. Menuet (46:44)
- VIII. (Andante) (47:51)
- IX. (Country Dance I/II) (49:30)
- X . Menuet (50:59)
The English Concert (con strumenti originali), dir. Trevor Pinnock, (1983)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/346.html#c3
4. 2021年8月10日 12:26:44 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[33]
水上の音楽
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/watermusic.html
ヘンデルの一番有名なオーケストラもので、ウォーター・ミュージック、「水上の音楽」です。
これとより華々しい「王宮の花火の音楽」が組の ように言われて最も知られており、それから合奏協奏曲とオルガン協奏曲という順番じゃないかと思います。こうした曲に解説が要るかどうかは分かりません が、水上のは王様の舟遊び、花火のは花火大会というわけじゃないけれども花火も上がる戦争終結の祝典での音楽であり、どちらも屋外イベントものということ になります。というわけで人数が多くてブラスも活躍する当時のいわばフルオーケストラ。その中では水上の、の方がどちらかというとしっとりした部分の多い 音楽です。では舟遊びというのはどういうことをするのかというと、夏の晴れた日に、夕食を挟んで王様が特別に仕立てた専用の舟に乗り込んでテムズ川に乗り 出しま す。天蓋付きの豪華なものですが手漕ぎであって現代のクルーザーほど大きな舟ではありません。一緒に乗船を許されたのは厳選された親しい人たちだけで、伯 爵などの男性もいましたが多くは貴族の婦人たちであり、女性が多かったようです。そしてその舟とは別の舟に分乗した音楽家たちが王の舟にくっついて来て、 そばで音楽を奏でるのです。王様はそのために作ったヘンデルの曲を大変気に入ったようです。
また、曲にまつわるエピソードとして必ず触れられるのは次のような話です: このときの王様というのはジョージ1世のことであり、元々はヘンデルの住ん でいた土地の領主であるドイツの貴族(選帝侯)だったのがお母さんの血筋によってイギリスの王として迎えられたのでした。ヘンデルはイギリスに出かけたま ま帰って来ずでこの人から帰国命令が出ていて無視している状態のときに、今度はその領主の方が追いかけるようにイギリスにやって来たことになり、ヘンデル としては叱られる立場にありました。それでご機嫌取りにこの曲を作ったとされてきたけれどもそれは嘘で、王様は元々責める気なんかなかったということで す。
華々しい音楽ですが、曲自体が有名であってその中のメロディが一人歩きをしているという感じでもありません。第1〜第3までの組曲になっていますが、こ の中で有名な旋律としては、第1組曲の静かな第5曲「エアー」と第2組曲 第2番の調子の良い「アラ・ホーンパイプ」が単独でよく聞かれるでしょうか。ホーンパイプというのはフォークダンスの形式です。水兵が踊ったりもするので 漫画のポパイにも出てきました。個人的には第1組曲 第2番の美しいオーボエのアダージョが最も好きで、第3番の途中でゆっくりになるアンダンテもいいなと思ったりしています。ということはこの曲の真性の ファンではないことになり、そういう者が選んで来る演奏は真のファンの方々にとってはちょっと違う、となるかもしれません。
演奏マナーとしてはピリオド楽器の運動が起きる前の伝統的なものとして、今となっては大変遅く、スラーで切れ目なくつないで行くように感じるものが一つ の極、その反対の極が速いテンポをとってスタッカートで隙間を空け、滑らかに歌わせずに切れ上がるようにリズミカルに行く、ピリオド奏法の中でも最も元気 なものということになります。ここではその中間、古楽器の楽団を中心にして、その中でなるべくメロディ・ラインを切らずによく歌わせる抑揚のものを選ぶ結 果となりました。有名な曲だけに古楽のバンドはほとんど全て演奏しており、大体のところは聞きましたので全部を比較するのも手ではあるのですが、好みでな いものの美点を表現するのは骨が折れる作業なので、ほぼ好きなものだけチョイスしました。しかしこうした管弦楽ものはほとんどの演奏が高い水準に達してお り、 無責任ながら案外どれをとっても間違いはないという気もします。
また、「水上の音楽」などのヘンデルの曲には自筆譜がなく、そのためもあって色々な楽譜の版が存在しています。クリュザンダー版、レートリヒ(ハレ) 版、ハーティ版などですが、それぞれに編纂時期と曲数、曲順などが違っています。現在行われているのはレートリヒ版が多いですが他のもあり、演奏によって はあの曲がないぞと か、順序が違うぞということになります。学問的には細かくこだわるべきでしょうけれども、大雑把に言えば旧ヘンデル全集である最初のクリュザンダー版はド イツの音楽学者、カール・フランツ・クリュザンダー(Karl Franz Friedrich Chrysander 1826-1901)の編纂によるもので、19(20)曲構成です。この方が良いとして現代でもそちらの版を使う演奏者もいます。それに対して1962年 に出た新ヘンデル全集であるレートリヒ版(ハレ版)はオーストリア生まれでイギリスで活躍した音楽学者、ハンス・フェルディナント・レートリヒ(Hans Ferdinand Reidlich 1903-1968)によるもので、全部で25曲あって順序も前者とは違います。このハレという名前はイギリスのオーケストラのことではなく、ヘンデル協 会があるドイツの地名です。こんなことを書いておいてこのページではこの二つの版のどちらを使っているかについて項目ごとに触れてはいません。演奏の違い の方が気になるためにあまり大事に考えておらず、すみません。一方でハーティ版というのはアイルランド生まれのイギリスの音楽学者、ハミルトン・ハーティ (Hamilton Harty 1879-1941)がクリュザンダー版を元に1920年に現代のオーケストラ向きに6曲構成に編曲したものです。曲自体に手を入れてあって楽器も違いま す。紛らわしいですが、この人はイギリスのハレ管弦楽団の指揮者でした。
paillardwatermusic.jpg
Handel Water Music
Jean-François Paillard Orchestre De Chamble Jean-François Paillard ♥♥
ヘンデル / 水上の音楽
ジャン=フランソワ・ パイヤール / パイヤール室内管弦楽団 ♥♥
水上の音楽の最初の盤はモダン・オーケストラによるものです。といってもさすがに重たい運びのものは川に沈んでしまいそうでこの曲に合わない印象なの で、さっぱりと爽やかな夏の水辺の夕方に相応しいものとしてパイヤールのものを取り上げます。これがモダン楽器のものではマリナーの演奏と並んでベストな 気がします。オーボエ・ソロの見事さもあり、個人的には最も好きです。繊細で流れるような美しい表情があります。
このパイヤール、実は三度録音しています。エラートで60年と68年、デジタルになってからの RCA で80年(BMG)です。エラートのものもアメリカでは RCA として売ってたのか、そういう表示になっているものがあるので紛らわしいです。80年盤は「王宮の花火の音楽」が最初に来ています。この中で60年のもの が最も伝統的オーケストラによる演奏様式に近く、音を切らずにスラーというよりもテヌートするようにつなげて行きます。テンポも速くはありません。次の 72年のものはテンポそのものが大きく変わったわけではないのですが、拍にメリハリをつけて弾むようにやっており、それが80年のデジタル盤になると、今 度はより力が抜けて若干速く進める箇所も出て来るという具合になります。こういう推移はひょっとすると古楽器奏法の普及とともに指揮者であるパイヤール自 身もスタイルを少し現代的に合わせてきたせいかなとも思うのですが、他の曲ではこの変化の方向とは全く逆になっていたのでちょっと戸惑います。というの も、パイヤールの代表曲にして彼がそれを世に広めたと言っても良いパッヘルベルのカノンなどは、最初の60年代のものが最も溌剌としてテンポも良く、すっ きりと歌わせていて未だにこの曲のベストだと思えるのに、後の再録音のものは過剰なサービスと言えば主観に過ぎないながら、テンポが落ちてより大きな抑揚 を付けるようになっているのです。結論から言えば、私は水上の音楽に関しては68年のも素晴らしいですが、新しい80年盤、RCA のレーベルになっているものがそれより少し良かった気がします。運びとしてはピリオド楽団のピノック盤などと比べてもあまり違和感はない一方で、第1組曲 二番目のアダージョで吹かれるオーボエが大変見事です。現代楽器らしい細身で表情の豊かな音ですが、誰なのでしょう、ホリガーもかくやというこの息遣い は。前の盤だとそれぞれピエルロやジャック・シャンボン、ジャン・クロード・ジャンブレーらの名前がクレジットされていたのですが。
1980年 RCA レーベルで音が大変きれいです。デジタル初期ながら弦は痩せもせず繊細で、艶もありながらやわらかく響きます。全体のバランスもベストな状態です。
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Handel Water Music
Neville Marriner Academy of St. Martin-in-the-Fields '80 ♥
ヘンデル / 水上の音楽
ネヴィル・マリナー / アカデミー室内管弦楽団 '80 ♥
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Handel Water Music
Neville Marriner Academy of St. Martin-in-the-Fields '93 ♥♥
ヘンデル / 水上の音楽
ネヴィル・マリナー / アカデミー室内管弦楽団 '93 ♥♥
古楽の分野において、モダン楽器による演奏でいつもいいなと思ってきたのがマリナーの演奏です。速いテンポのピリオド奏法の楽団ほどではないけれども少 し速めで颯爽としており、それでいて滑らかで繊細、過度な表現がなく洗練されていることが多いのです。緩徐楽章ではよく歌わせます。この水上の音楽も同様 で、上記のパイヤール盤と比べて違うのは、パイヤールの方が抑揚の付け方がより流線型というか、撓みしなうように感じるところがあり、弱音での繊細さ、静 けさの方に若干寄ってるかなという気もします。マリナーはもう少し歌が控え目で、パイヤールが優雅だとするなら端正で溌剌とした印象です。どちらも良いで すが、パイヤールのところで述べた通り、第1組曲二番目のアダージョのオーボエなどにおいてより個性が感じられるところが個人的にはあちらの方が若干好み かなという感じでした。結局そこしか聞いてないのかと言われそうですが。
問題はマリナーの場合、録音の数が多くて迷うということです。手に入るもので古い方から行くと1971年録音のアーゴ/デッカ盤、80年のフィリップス 盤、88年の EMI 盤、そして93年のヘンスラー盤です。ここまでやるのかと思うほどですが、パイヤールも三回でしたし売れるのでしょう、それだけ皆が喜んで聞く有名曲だと いうことです。そしてこの水上の音楽についてはマリナーの演奏、どれも表現上の狙いは全くぶれずに同質であり、良く出来ていて互いに似ているので選ぶのが 難しいのです。音色もどれかが特別録音が悪いということもなく、楽団員がソロを演奏するので、どれかの盤の管だけが特に上手いというような違いもありませ ん。したがってここではコンディションの大変良いフィリップス盤と一番新しいヘンスラー盤を取り上げます。フィリップスは潔く水上の音楽だけなのが良く、 ヘンスラーの方は二枚組で「王宮の花火の音楽」はもちろん、管楽器が活躍する作品3の方の合奏協奏曲がアイオナ・ブラウンの指揮でカップリングされていま す。95年録音のその合奏協奏曲も良い演奏なのでお得感があります。オーボエのソロについてはどちらも悪くないですが、飾りの入れ方などの違いでヘンス ラー盤の方が若干好みでした。音についてはフィリップスは弦が繊細でハイが伸びた印象なのに対して、ヘンスラーの方は少しおとなしくて生っぽい自然なバラ ンスです。
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Handel Water Music
Trever Pinnock The English Concert ♥♥
ヘンデル / 水上の音楽
トレヴァー・ピノック / イングリッシュ・コンサート ♥♥
やはりこれがいいかもなどと言うと、なんだいつまで経っても結局ピノックか、と言われてしまいそうですが、この演奏、誰かの後塵を拝することにはならな いようです。コレッリの合奏協奏曲も結局この人たちのを一番に挙げてしまいました。
昔のことながら、知識自慢をせずに楽しそうにやってる FM のバロック番組があり、故人になられた皆川達夫氏ら解説者がこぞってピノックの演奏を絶賛するという時代がありました。ちょうど彼の一連の録音が世に出て 来た頃だったと思います。古楽器奏法の中でも生きいきとして情緒豊かなスタイルは大変魅力的だったのです。以来この見方は世に定着しましたが、横に並ぶ演 奏が色々出る中で、単なる権威主義でなくその輝きは今も失われないのです。
演奏のマナーとしては、メロディの流れを断ち切ることなく流動的に、柔軟に歌わせます。ゆったりの楽章だけでなく、少しテンポの良い部分でも目立った歌 のあるところでは流れを感じさせます。それは品良くおっとりとしていながら敏感であり、爽やかさを感じさせるものです。イギリス流という風に言ってしまう と単純ながら、モダン楽器のマリナー/アカデミー室内管の洗練とも共通するところです。マリナーの印象がちょっと速めのテンポであるのに対してピノックは むしろゆったりの感覚がありますが、実際に比べるとそういうことはなく、どちらが速いというわけでもありません。それはマリナーの方がモダン・オーケスト ラの割に、ピノックの方が古楽器オーケストラの割に、という但し書きが頭の中に先にあるからかもしれません。ただ、ピノックの演奏はモダン楽器による演奏 に慣れた耳にも抵抗が少ないとはいえ、ピリオド奏法的な特徴は持っています。それは弦で拍を刻むところなどによく表れており、リズム感良く切れるので軽く 感じるものです。ちょっと跳ねる感じがあり、それが絶妙の案配で曲に彩りを添えています。歌のある部分では浮き沈みがやや強い抑揚でもあります。それと、 古楽器は弦の音色が決定的に違います。少し線の細い輝きで繊細であり、ピリオド奏法特有の、一音の弓の途中を撓ませるようにして強めるあの作法も心地良く 響きます。加えて1番の二曲目などで活躍するソロのオーボエも、パイヤール80年盤の個性とは違いますが歌心のあるものです。
1983年アルヒーフの録音です。デジタル初期ながら、親会社の DG がときにそうなることがあるような硬く張った音ではなく、この古楽レーベルらしいもので細身のバロック・ヴァイオリンの音を良く捉えながらバランスの取れ た好録音です。オリジナルは水上の音楽だけですが、後の盤には王宮の花火の音楽(84年録音)と組み合わせた OIBP リマスター盤もあります。王宮の〜が入ってないオリジナルで OIBP とは表記されないリマスター盤もあるようです。
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Handel Water Music Suite from "Il Pastor Fido", HWV 8c (VersionUfrom 1734)
Jeanne Lamon Tafelmusik Baroque Orchestra ♥♥
ヘンデル / 水上の音楽
「忠実な羊飼い」組曲 HWV 8c
ジーン・ラモン / ターフェルムジーク・バロック管弦楽団 ♥♥
ピリオド楽器による演奏の中で、その癖が最も少ないのがカナダのヴァイオリニストで指揮者のジーン・ラモンが率いるターフェルムジーク・バロック管弦楽 団の演奏でした。弦の音のきれいさは格別で、ピノック盤とどちらか迷うところですが、マイ・フェイヴァリットという観点ではこっちかもしれません。
古楽器演奏風の癖というのは、一続きのフレーズの最後の音を延ばさないことや、少し速く歌ってスタッカート気味に跳ねるようなアクセントを付ける作法の ことです。そういうのはスパイスになる上自然にやると大変良いもので、もはやこのムーヴメントも定着してすっかり慣れてしまった感がありますが、やり過ぎ るとやはりメロディ・ラインが途切れがちになったりします。このターフェルムジーク管の演奏は前述のモダン楽器楽団、アカデミー室内管のと比べても歌わせ 方にさほど差のないものであり、軽快なところもあって大変安らげます。この楽団はいつもそんな特徴があるのですが、この曲については特にあの穏やかな節回 しのピノックと比べても自然な歌わせ方をしています。そしてこの盤、何よりもバロック・ヴァイオリンの流れるような弦が大変美しいのです。録音の加減もあ るのでしょうか。細身の艶のあるあの音ですが、他の古楽楽団のものの中にあってもこの瑞々しい弦のバランスは特筆に値します。金管の音もまろやかで、ア ラ・ホーンパイプも軽快に弾みます。全体に耳の快楽です。
レーベルはソニーで1995年の録音。音は申し上げた通り大変良く、古楽器楽団によるものとしては一、二を争うと思います。弦の音色のバランスとしては 一番良好で、傾向は違うけど他に良かったのは次のガーディナー盤、コープマン盤でしょうか。このターフェルムジーク盤のカップリング曲はオリジナルの輸入 盤は「忠実な羊飼い」序曲(もしくは組曲) HWV 8c です。同名のオペラに付随する音楽で、序曲としては長く、本来はそのオペラとは関係のない管弦楽の組曲だったのではないかという説もあるようです(オペラ の中には美しいメロディでそれだけ取り出されて演奏される「メヌエット」もあるものの、この組曲には入っていません)。そしてピノック盤にもこれが組み合 わされたものがありましたが、水上の音楽とは大変波長が合い、カップリングとしてはベストな気がします。まるでコレッリのクリスマス協奏曲を思わせる音遣 いの牧歌的な曲です。水上の音楽より良いぐらい、とまでは言いませんが。そんなわけで通しで聞くと至福を感じるのに、国内盤はなんということをしてくれる のでしょう、これを切って「王宮の花火」に差し替えています。でも仕方ないのです。ドンパチの王宮は有名曲で皆が欲しがります。それと実は、このラモン& ターフェルムジークの「王宮の花火の音楽」、同曲の中で最も節度のある、それを聞くならこれというぐらいのきれいな演奏なのです。どうするべきでしょう、 国内盤か、輸入盤を取り寄せるか。
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Handel Water Music
John Eliot Gardiner English Baroque Soloists ♥
ヘンデル / 水上の音楽
ジョン・エリオット・ガーディナー / イングリッシュ・バロック・ソロイスツ ♥
ピノックと常に比べられるのは同じイギリスでホグウッドとガーディナーです。ホグッドは水上の音楽ではもう少しリズムに癖があって短く弾むような活気が 感じられ、オーボエなどにも装飾が多い印象ですが、この人もハイドンの朝・昼・晩ではピノックより気に入っていたりして、常に誇張し過ぎない優雅さを感じ させるお気に入りの演奏家です。ベートーヴェンの初期のシンフォニーなんてベストじゃないかと思います。この曲もピノックと比べて決して劣ることなどあり ません。音楽学者としての考証に基づく大変根拠のある演奏のようです。
もう一方のガーディナーですが、そちらの盤も水上の音楽としては傑作じゃないかと思います。ピノックのやわらかな歌に対して、ガーディナーは若いときか らそのキャリアのほとんどの間、比べれば出過ぎず、より端正だった印象があります。ともすると楽譜に忠実で思い切って個性的に歌わせるところが少ないよう にも言われがちですが、無表情なのではなく、非常に微細な仕方で独特の洗練された抑揚を聞かせます。後にはより大胆な面も出すようになり、深い宗教的な感 情も聞かせるのですが、この水上の音楽は1991年で彼が四十八歳の時の録音ですから、はきはきしていながら端正で完成度の高い音を聞かせてていた時期だ と言えるでしょう。他の時期の録音もありますが、この方が却って個性的だとも言えるでしょう。
フィリップスの録音であることがこの盤の大きな魅力でもあります。明るさと弦の艶がありながら自然さも失いません。ターフェルムジーク盤と並んで、バラ ンスは違うけれども古楽ではベストな録音かもしれません。
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Handel Water Music
Akademie für Alte Musik Berlin ♥♥
ヘンデル / 水上の音楽
ベルリン古楽アカデミー ♥♥
これは生きいきした演奏です。東西統一前に東ベルリンで設立された古楽器アンサンブル、ベルリン古楽アカデミーです。ブランデンブルク協奏曲をはじめ 数々の名演奏で有名な楽団ですが、表記でその頭に付くことがあるゲオルグ・カールヴァイトというのはコンサート・マスターの名前です。エージ・オブ・エン ライトメント管と同様指揮者を置かない団体なのです。演奏様式としては大陸側ドイツの楽団らしく、くっきりとしたピリオド奏法特有のアクセントは持ってい るものの、エキセントリックに様式を強調しようという意図は感じられないこなれたものです。今やそういう意識自体が時代遅れな感じですが、この人たちの演 奏で常に感じるのは、全員が同じ呼吸をしているかのように一つにまとまった意志を表しているということです。技巧的な意味で上手だと言えば簡単ですが、拍 の頭が時間的に揃うというような次元ではなく、音楽を奏でる心の動きのようなものまでもが等質で、大変納得の行く形で独特の一体化した歌を聞かせてくれる のです。全体としては軽快で速めのテンポを取っており、スタッカートももちろんありますが、それらを消化して有機的な、つながった流れを出してきます。部 分ごとに言うならば、ゆったりな歌の部分は滑らかにデリケートな抑揚を付け、速いところではリズム感が良く、その両者が切れ目なくつながります。正に joy の感覚でしょうか、きびきびはきはきして喜びに溢れ、しなやかです。これほど心地良く乗れて美しさも感じさせる演奏は滅多にないと思います。
ハルモニア・ムンディ2015年の録音は分解が良く、角が尖るほどではないけど明るく明晰な弦で倍音が繊細です。決してオフではないながらしなやかさも 感じられます。
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Handel Water Music
Ton Koopman The Amsterdam Baroque Orchestra ♥
ヘンデル / 水上の音楽
トン・コープマン / アムステルダム・バロック管弦楽団 ♥
イギリスの古楽バンドが穏やかによく歌わせ、リズムの切れもテンポも中庸なのに対して、大陸側のはより過激なアクセントで演奏するという一般的な理解が あるようです。効率的な分類で分かりやすいですが、でも一概には言えないような気もします。その場合の大陸側というのはアーノンクールやコープマン、ブ リュッヘンとクイケン兄弟たち、ゲーベル、フランスのカフェ・ツィンマーマンとかイタリア勢のいくつかの楽団のことでしょうか。アーノンクールは尖った四 季など、確かにそういうところがありましたし、78年のこの「水上の音楽」でもホルンにフラッタータンギングという、震える音で吹かせ続けるという大胆な 仕掛けで挑戦しています。しかし主に晩年と言えるのかどうか、しっとりと自然に歌わせる宗教的な曲や思い入れたっぷりのドヴォルザークもやった人です。ク イケン兄弟たちも運動の初めの頃のソロや少人数の曲では尖ったアクセントが聞かれますが、室内アンサンブルでは案外誇張のない素直なのも多かったし、ブ リュッヘンも晩年に指揮したものではしんみりとしたお別れの挨拶も聞かれました。
そしてこのオランダのコープマンですが、この人にも簡単には割り切れない二つの面があるような気がします。確かに多くの曲でリズムがかなり弾み、切れ良 く駆けるので敬遠することもあります。その一方でバッハの G 線上のアリア(旧盤)など、これ以上ない繊細な歌わせ方は他を寄せ付けなかったりもします。この水上の音楽については独特の優雅にたゆたうところが感じら れます。出だしの一曲などどうでしょうか、どの盤よりもやわらかな抑揚をしっかり付けてゆったりと静かに始めています。全体にはリズム・セクションの拍を くっきりと区切るところもあり、軽快なテンポの部分も多く、特に飾りの多さに特徴があるのですが、それでも何か色気のようなものを感じさせます。色気と いっても格別セクシュアルなものではなく、ユリア・フィッシャーが時折出して来ることがあるロマンティックな恋愛感情のような種類ではありません。弱音を 駆使し、もっと静謐です。コープマンというのは元来が繊細な感性の人なのではないでしょうか。大陸的な古楽のアクセントがあっても挑戦的な感じが一切しま せん。アラ・ホーンパイプなど、切れとやわらかさのバランスが見事です。
エラート1992年の録音です。ガルサンの時代ではなくワーナー傘下に入る頃ですが、これもこのレーベルらしい見事なバランスの録音です。弦は繊細な倍 音を響かせつつ前に出過ぎず、自然なやわらかさを感じさせて少し軽めのきれいな音です。ターフェルムジーク、ガーディナーと並んでピリオド系では最も良い ものの一つと言って良いと思います。
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Handel Water Music Music for the Royal Fireworks
Hervé Niquet Le Concert Spirituel
ヘンデル / 水上の音楽 / 王宮の花火の音楽
エルヴェ・ニケ / ル・コンセール・スピリチュエル
こちらはいわばハードからの攻めの姿勢の、考証に秀でた演奏です。新しい学問的な成果を踏まえてヘンデルの時代にはこうやられていただろうというアイ ディアを形にしています。そういう方面に好奇心のある方にとってはまたとない一枚でしょう。フランス人とフランスの古楽バンドによるもので、ホルンやトラ ンペット等のホーン類の仕様に限らず、オーボエなども当時の形のものをわざわざ多数造らせて吹かせています。
その結果大変面白く、今まで聞いたことのない音がします。オカリナみたいなフルートが聞こえてきたり、どの楽器がどれか、編成が違うのではないかと思え るほど不思議で分からないところもあります。管の類は平均率ではないそうで、合わさった和音の響きが独特です。楽器の扱いが難しいだろうということだけで なく、音色の点でも音のずれが感じられるのですが、合っているところはそんな音律特有というのか、ホーンが大変きれいであり、その面のこだわりも意義があ ることだと思います。ジョージ1世は舟の上からこんな響きを聞いていたのでしょうか。時折サーカスのラッパのように聞こえてしまうと言ったら顰蹙を買うこ とでしょう。
一方で楽器や編成などの形式の部分を除いて、どう抑揚を付けているかという表現の面に目を向けると、敢えてじっくりメロディを歌わせずにさっと流した り、小節の後半、特に最後の音に捻り上げる強調を置いたりする古楽のアクセントが施されており、音に酔うよりも覚醒の方へ向かう意識の傾向を感じました。 静かに歌う部分でも直線的に聞こえます。そういうアーティキュレーションがそのまま当時の習慣だったのかどうかは分かりません。こだわっているのだから恐 らくそうだったのでしょう。ただ、歴史的検証とて学問の世界は常に新しい仮説を必要としますから、知に働くものは知の挑戦を受け、何年か経ったらまた違う 解釈が出て来るかもしれません。それでも静かなパートでは力を抜いて流しつつ、撓ませる古楽のボウイング等によってそよ風のような吹かれ感が心地良いとこ ろもあります。これでなければ味わえないホーンのきれいな響きも聞けます。
全体では100人という大掛かりな人数だそうで、川遊びのときは50人と言われていなかったでしょうか。そのあたりのことも解説する力がありませんが、 ここまでするなら響きの良いホールを使わず、実際に屋外でやるというのはどうでしょう。テムズ川は飛行機や自動車の騒音で無理だとしても、どこか郊外を流 れる大きめの川の上で実際に舟を浮かべてやってみたのを聞いてみたい気がします。王様たちの喋り声もドイツ訛りに加えて当時のイントネーションの貴族の英 語を役者にやらせてブレンドし、時々舟の位置を調整するオールの水音が聞こえたら臨場感たっぷりでしょう。この演奏のように学究的な方向とちょっと似たも のがロトとレ・シエクルの「幻想交響曲」でも見られましたから、フランスの最近の世代はこういうリアリズム傾向なのでしょうか。古楽の世界が特にそうなの かもしれません。
カップリングは鳴り物入りの登場でと言うとネガティブな含みが出るでしょうか、お待ちかねの「王宮の花火の音楽」です。これは人数も人数で見せ物感満点 であり、この曲らしい華やかな響きが好きな方にはうれしい企画でしょう。当時のイベントも屋外で、式典の花火は失敗だったようですがさぞかし賑やかだった ことと思います。ここでも軍隊か警察か分かりませんが、まるで大きなブラスバンドの行進のようであり、あるいは近衛兵の屋外演奏みたいな音です。少し遠め で、それにしてはホールトーンが乗るので室内と分かるわけですが。
最後におまけでハッピーバースデイ・トゥー・ユーをやりますが、ここが一番楽しそうでいい雰囲気です。楽団の発足十五周年記念のようです。
レーベルはスペインのグロッサ・クラシクスで2002年の録音です。演奏と企画の意欲の高さに対して音自体は落ち着いていて音像が少し奥まってます。き つい音ではないのが良いと思います。前述の通りよく響きますが、距離感からか光溢れる戸外で聞いているかのような印象があります。
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/watermusic.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/346.html#c4
3. 2021年8月10日 13:16:41 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[34]
2021年08月09日 中東の人口史
https://sicambre.at.webry.info/202108/article_9.html
中東の人口史に関する研究(Almarri et al., 2021)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。世界的な全ゲノム配列計画は、ヒトの多様性と拡散と過去の混合事象への洞察を提供してきました(関連記事1および関連記事2)。しかし、多くの人口集団はまだ研究されておらず、そのため、遺伝的多様性と人口史の理解を制約し、健康の不平等性を悪化させるかもしれません。大規模な配列計画によりとくに研究対象とされている地域は中東です。中東はアフリカとヨーロッパとアジア南部の間に位置しており、ヒトの進化と歴史と移住を理解するうえで重要地域となります。中東ではアフリカ外の現生人類(Homo sapiens)の最初の証拠のいくつかが得られており、177000年前頃のレヴァント(関連記事)や85000年前頃のアラビア半島北西部(関連記事)で年代測定された化石が発見されています。さらに、現生人類のものとされる12万年前頃の道具と足跡も、アラビア半島で特定されました(関連記事1および関連記事2)。
現在、アラビア半島の大半は超乾燥砂漠ですが、過去には「緑のアラビア」をもたらしたいくつかの湿潤期があり、その時期にはヒトの拡散が促進され、現在の砂漠気候の始まりは6000年前頃に始まった、と考えられています。後期更新世と完新世における湿潤期から乾燥期への移行は、気候に適応した人口集団の移動をもたらした、と提案されてきました。アラビア半島内の新石器時代の移行は、地域内で独立して発展したか、あるいはレヴァントの新石器時代農耕民の南方への拡大によるものでした。こうした問題に取り組むため、アラビア半島とレヴァントとイラクの人口集団からの高網羅率の物理的に位相の揃ったデータセットが生成され、分析されました。将来の医学研究に役立つだろうあまり研究されていない地域における遺伝的多様性の目録の作成に加えて、人口構造、人口統計学および選択の歴史、現生人類および絶滅ホモ属(古代型ホモ属)との混合事象が調べられました。
●データセット
短い読み取りから長い情報を保存する手法を用いて中東の8人口集団(図1A)の137個体の全ゲノムが配列され、その平均網羅率は32倍です。この「連鎖読み取り(linked-read)」技術を用いる利点は、短い読み取りの整列を区別しない反復領域における、物理的に位相のそろったハプロタイプの再構築と、改善された整列です。調査対象の全人口集団はアフロ・アジア語族のセム語派であるアラブ語を話しますが、例外はイラクのクルド人集団で、インド・ヨーロッパ語族のイラン語群であるクルド語を話します。
品質管理の後、2310万ヶ所の一塩基多様体(SNV)が特定されました。このデータセットが、ヒトゲノム多様性計画(HGDP)で特定された多様体(関連記事)と比較されました。本論文のデータセットでは、HGDPでは見つかっていない480万ヶ所のSNVが見つかりました。予測されたように、これらの多様体のほとんどは稀で、その93%は1%未満の頻度ですが、37万ヶ所は一般的(頻度1%以上)です。興味深いことに、これらの一般的な多様体のほとんどは、以前の研究(関連記事)により定義された利用可能性被覆外となります(246000ヶ所の多様体)。これは、中東人など遺伝的にあまり知られていない人口集団の配列決定と、将来の医学研究における地域固有の多様体の包摂の重要性を示します。これは、標準的な短い読み取りを利用しにくい領域に、かなりの量の未知の変異が存在することも示します。以下は本論文の図1です。
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●人口構造と混合
人口構造と過去の混合事象を明らかにすることは、人口史の理解と医学研究の設計および解釈に重要です。単一の多様体およびハプロタイプの両方に基づく手法を用いて、本論文のデータセットの構造と多様性が調べられました。本論文のデータセットを世界規模の人口集団と統合した後、fineSTRUCTUREで、地理と合致した遺伝的クラスタが識別され、自己標識された人口集団は一般的に異なるクラスタを形成する、と示されました(図1C)。レヴァントとイラク(レバノン人、シリア人、ヨルダン人、ドゥルーズ派、ベドウィンA、イラクのアラブ人)が一まとまりになったのに対して、イラクのクルド人はイラン中央部人口集団とまとまりました。アラビア半島の人口集団(エミラティA、サウジ人、イエメン人、オマーン人)はHGDPのベドウィンBとまとまりました。エミラティ人口集団(アラブ首長国連邦集団)内では、過剰なイランおよびアジア南部祖先系統(祖先系譜、ancestry)を有する下位人口集団(エミラティBおよびエミラティC)が特定されました(図1B)。また、比較的高いアフリカ祖先系統を有する下位人口集団(サウジBおよびエミラティD)も見つかりました。
次に古代の地域的および世界的人口集団の文脈で本論文の標本が分析されました。主成分分析(図1D)では、現代の中東人は古代レヴァントの狩猟採集民であるナトゥーフィアン人(Natufian)と新石器時代レヴァント人(レヴァントN)と青銅器時代ヨーロッパ人と古代イラン人との間に位置する、と示されます。アラブ人とベドウィンは古代レヴァント人の近くに位置しますが、現代のレヴァント人は青銅器時代ヨーロッパ人の方に引き寄せられています。イラクのアラブ人およびクルド人とアッシリア人は古代イラン人に比較的近いようです。
ほとんどの中東現代人は、4古代人口集団の祖先系統からの派生としてモデル化できる、と明らかになりました。それは、レヴァントN、新石器時代イラン人であるガンジュダレー(GanjDareh)N、ヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)、4500年前頃のアフリカ東部人であるモタ(Mota)個体です。レヴァントとアラビア半島の人口集団間での差異が観察されました。レヴァント人は過剰なEHG祖先系統を有しており(図1E)、これは以前の研究(関連記事)で示された、青銅器時代後に古代ヨーロッパ南東部およびアナトリア半島祖先系統を有する人々とともに到来した祖先系統です。本論文の結果は、この祖先系統がアラビア半島と比較してレヴァントでずっと高い、と示します。
レヴァントとアラビア半島との間の別の差異は、アラビア半島の人口集団におけるアフリカ祖先系統の過剰です。本論文のデータセットにおけるほとんどの人口集団にとってのアフリカ祖先系統の密接な供給源は、エチオピアのナイル・サハラ語族話者に加えて、ケニアのバンツー語族話者である、と明らかになりました。中東におけるアフリカ人との混合は過去2000年以内に起きたと推定され、ほとんどの人口集団は1000〜500年前頃の混合の兆候を示しており、以前の研究と一致します。
4方向混合の選択は、レヴァントNおよびガンジュダレーNが古代近東人にかなりの祖先系統をもたらしたこと(関連記事)、EHG/草原地帯祖先系統が青銅器時代後に中東に浸透したこと(関連記事)、ほとんどのレヴァント人とアラブ人でアフリカ祖先系統が現在見られることといった、中東に関する以前の知識に基づきます。本論文では検証において7つの外群が用いられ、それは、45000年前頃となるシベリア西部のウスチイシム(Ust’-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された個体と、ヨーロッパロシアにあるコステンキ−ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で発見された38000年前頃の若い男性1個体と、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)と、コーカサス狩猟採集民(CHG)と、ナトゥーフィアン人もしくはレヴァントNと、パプア人と、ムブティ人です。
EHGとアフリカの祖先系統における違いに加えて、レヴァントと比較してアラビア半島ではナトゥーフィアン祖先系統の過剰が観察されました(図1BおよびE)。中東における祖先系統の供給源としてレヴァントNをナトゥーフィアン人と置換すると、アラブ人はモデル化に成功できますが、レヴァントの現代人はどれもそのようにモデル化できませんでした。モデル準拠クラスタ化でも、アラビア半島の人口集団はレヴァント現代人と比較してかなり低いアナトリア半島新石器時代(アナトリアN)祖先系統を有する、と示されました(図1Bの紫色の構成要素)。古代アナトリア半島祖先系統におけるこの違いは、アラビア半島への限定的なレヴァントNの拡大に由来するかもしれません。なぜならば、レヴァントNはアナトリアNとかなりの祖先系統を共有しているものの(関連記事)、レヴァントへのアナトリアN祖先系統を有する人口集団の拡大とともに青銅器時代後の事象にも由来するからです(関連記事)。
続旧石器時代/新石器時代の人々からの在来の祖先系統に加えて、古代イラン人と関連する祖先系統が見つかり、それは現在すべての中東人に遍在します(図1Bの橙色の構成要素)。以前の研究では、この祖先系統は新石器時代のレヴァントには存在しなかったものの、青銅器時代には見られ、在来の祖先系統の最大50%が古代イラン人関連祖先系統を有する人口集団に置換された、と示されました。この祖先系統がレヴァントとアラビア半島の両方に同時に浸透したのかどうか調べられ、混合年代は北方から南方への勾配にほぼ従っており、最古の混合はレヴァントで5900〜3300年前頃に置き、その後アラビア半島で3500〜2000年前頃に、アフリカ東部で3300〜2100年前頃に混合が起きた、と明らかになりました。
これらの年代は、語彙データから推定された中東およびアフリカ東部におけるセム語派の青銅器時代起源および拡大の年代と重なります(図2)。この人口集団は、レヴァントとアラビア半島にY染色体ハプログループ(YHg)J1をもたらした可能性があります。本論文のデータセットにおけるYHg-J1の大半は5600年前頃に合着(合祖)し、青銅器時代の拡大の可能性と一致しますが、17000年前頃に分岐した稀なより早期の系統も見つかりました。そのYHgはナトゥーフィアン人で一般的なE1b1bで、本論文のデータセットでもよく見られ、ほとんどの系統は8300年前頃に合着しますが、39000年前頃に合着する稀なより深く分岐したYHgも見つかりました。以下は本論文の図2です。
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次に、標本抽出された地域的な青銅器時代人口集団の一つからの祖先系統の派生として人口集団がモデル化できるのかどうか検証され、レバノンのシドン(Sidon)遺跡の中東青銅器時代人口集団(シドンBA)が一部の現代のレヴァントおよびアラビア半島の人口集団の祖先系統の供給源であり得る、と明らかになりました。本論文の系統発生モデル化では、レヴァント現代人はシドンBA関連人口集団に直接的に由来する祖先系統を有しているかもしれない、と示唆されます。しかし、アラブ人はナトゥーフィアン関連人口集団からの追加の祖先系統が必要です(図3)。以下は本論文の図3です。
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●有効人口規模と分離の歴史
歴史的な有効人口規模は、母集団から標本抽出された染色体間の合着年代の分布から推測できます。しかし、単一のヒトゲノムを用いた場合、最近の期間では解像度が限定されますが、複数のゲノムを用いると、ハプロタイプ位相のエラーにより不自然な結果が作成されます。位相のないゲノムからアレル(対立遺伝子)頻度範囲を組み込むことによりこれらの範囲を拡張する手法が開発されましたが、最近では、たとえば金属器時代を通じて解像度がありません。
ゲノム規模系統生成における最近の発展と、本論文の多数の物理的位相標本を活用することで、本論文のデータセットにおける各人口集団のごく最近(1000年前頃)までの有効人口規模を推定できます(図4A)。全中東人の祖先は、7万〜5万年前頃の出アフリカ事象の頃に人口規模の顕著な減少を示す、と明らかになりました。このボトルネック(瓶首効果)からの回復は、レヴァントとアラビア半島の間の差異が出現し始める20000〜15000年前頃まで、同様のパターンをたどります。レヴァントとイラクの全人口集団はかなりの人口拡大を示し続けますが、アラブ人は類似の人口規模を維持しました。この差異は注目に値します。それは、この差異が最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)の終了後に始まり、新石器時代に顕著になるからで、新石器時代には肥沃な三日月地帯で農耕が発達し、より大きな人口集団を支える定住社会へとつながりました。
新石器時代に続いて、6000年前頃となるアラビア半島の乾燥化の始まりとともに、アラビア半島の人口集団はボトルネックを経ましたが、レヴァント人は人口規模が増加し続けました。その後、レヴァント人の拡大は停滞期に入り、4200年前頃の乾燥化事象で人口規模は減少します。エミラティ人(アラブ首長国連邦人)の減少はとくに顕著で、有効人口規模は5000人となり、同時期のレヴァント人およびイラク人の1/20程度でした。人口回復は過去2000年で観察されます。本論文の結果は、以前の人口規模推定に影響を及ぼした可能性のある、中東で一般的な最近の近親結婚に対しても堅牢で、それは、分析において標本ごとに単一のハプロタイプを含めたからです。
次に、中東の人口集団の、中東人口集団内および世界の人口集団との人口分離の歴史が調べられました。この分析における正確な位相調整の重要性は、統計的に位相データに基づいて、現代パプア人がアフリカからの現生人類(Homo sapiens)の初期の拡大の祖先系統を有している、と提案した以前の知見(関連記事)により示されます。しかし、その以前の知見は、物理的に位相化されたゲノムデータを用いて複製されなかったので、統計的に不自然な結果が原因だった、と示唆されました(関連記事)。
逆に、最近の人口分離の歴史を調べるさいには、稀な多様体がより多くの情報をもたらすものの、統計的手法により正確に位相化されておらず、参照パネルに存在する可能性は低くなります。本論文ではまず、中東の現代人が出アフリカ現生人類の初期拡大からの祖先系統を有しているのかどうか、HGDPからの物理的に位相化された標本と本論文の人口集団との分岐年代の比較により検証されました(図4B)。分岐年代の発見的推定値として相対的な交差合着率(rCCR)を0.5とすると、レヴァント人とアラブ人とサルデーニャ島人と漢人は同じ分岐年代と、さらに12万年前頃以降のムブティ人からの同じ漸進的な分離パターンを共有している、と明らかになりました。次に、本論文のデータセットの人口集団とサルデーニャ島人が比較され、両者は2万年前頃に分岐し、レヴァント人はアラブ人よりもわずかに最近の分岐を示す、と明らかになりました。
ムブティ人との漸進的な分離パターンとは対照的に、サルデーニャ島人は中東の全人口集団とのより明確な分岐を示します。注目すべきことに、レヴァントおよびアラビア半島内の全系統と、さらに全ての中東人口集団およびサルデーニャ島人の内部の系統は、過去4万年以内で合着します。これらの結果をまとめると、現代の中東人口集団は、出アフリカ現生人類のより早期の拡大からの顕著な痕跡を有しておらず、全ての人口集団は6万〜5万年前頃にアフリカから拡大した同じ人口集団の子孫だった、と示唆されます。
次に、中東内の人口集団の分離年代が比較され、最古の分離年代はアラビア半島とレヴァント/イラクとの間だった、と明らかになりました(図4C)。エミラティ人はイラクのクルド人と1万年前頃に、ヨルダン人およびシリア人およびイラクのアラブ人とはもっと新しく7000年前頃に分岐しました。同じ人口集団からのサウジ人の分岐年代はもっと最近のようで7000〜5000年前頃ですが、イエメン人の分離曲線はエミラティ人とサウジ人の曲線間の中間です。アラビア半島とレヴァントの人口集団間の分岐年代は青銅器時代に先行し、本論文の系統発生モデル化と一致しますが、青銅器時代にアラビア半島への拡大が起きたならば、祖先系統の完全な置換は起きませんでした。以下は本論文の図4です。
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レヴァントとイラクの内部では、全ての分岐は過去3000〜4000年間に起きました。アラビア半島内では、イエメン人がエミラティ人と4000年前頃に分岐し、サウジ人はエミラティ人およびイエメン人の両方と最も分岐度の低い人口集団として現れ、過去2000年以内となる最近の分岐です。注意すべきは、この地域内の分離曲線が漸進的なように見えることで、明確な分岐よりもむしろ、分離後の継続的な遺伝子流動が示唆されます。また、この分離曲線にはこれらの人口集団の混合史が反映されていることにも要注意です。
●中東における古代の遺伝子移入と深い祖先系統
ほとんどの非アフリカ人口集団における類似のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)祖先系統量と、遺伝子移入されたハプロタイプの低い多様性から、現生人類はアフリカ外に拡大したさいにネアンデルタール人との単一の混合の波を経た可能性が高い、と示唆されています(関連記事)。中東の人口集団は以前に、ヨーロッパおよびアジア東部の人口集団よりもネアンデルタール人祖先系統が少ない、と示されましたが、この知見の解釈は、ネアンデルタール人祖先系統を「希釈する」最近のアフリカ人との混合により複雑になっています。
さらに、一部の分析では外群の使用が必要ですが、外群にネアンデルタール人祖先系統が含まれる場合、推定を偏らせる可能性があります(関連記事)。本論文のデータセットにおけるネアンデルタール人からの遺伝子移入を調べるため、標本の正確な位相調整を利用し、高網羅率となるクロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)のネアンデルタール人のゲノム(関連記事)と、交差合着率が比較されました。全ての中東人は、他のユーラシア人と同様の時期に古代型混合の兆候を示しました(図5A)。
次に、同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD。かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示し、IBD領域の長さは2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります)に基づく手法であるIBDmixが用いられました。IBDmixは、標的集団とネアンデルタール人のゲノムを直接的に比較し、ネアンデルタール人起源のハプロタイプを検出します(関連記事)。
本論文の標本とHGDPデータセットでIBDmixが実行され、ネアンデルタール人起源の可能性が高そうな合計12億7000万塩基対の区域が回収されました。本論文のデータセットに固有ではあるものの、他の非中東地域ユーラシア人には存在しないネアンデルタール人のハプロタイプの量を比較すると、合計で2500万塩基対しか見つからず、中東人におけるネアンデルタール人のハプロタイプの大半が他の人口集団と共有されている、と示されます。しかし、世界では比較的稀であるものの、アラビア半島では高頻度に達する、比較的大きな遺伝子移入されたハプロタイプ(最大50万塩基対程度)が見つかりました。
次に、人口集団あたりの合計のネアンデルタール人由来の塩基対の平均数が比較され、レヴァント人を含む他のユーラシア人口集団と比較してアラビア半島ではより低い値が見つかりました。たとえば、ドゥルーズ派とサルデーニャ島人は類似の量(1個体平均5640万塩基対)のネアンデルタール人祖先系統を有しています(図5B)。対照的にアラビア半島では、エミラティAとサウジAのネアンデルタール人祖先系統は平均してそれぞれ5270万塩基対と5210万塩基対で、ドゥルーズ派やサルデーニャ島人よりも8%、漢人よりも20%少なくなっています。
エミラティAとサウジAのアフリカ祖先系統は3%未満なので、アラビア半島におけるネアンデルタール人祖先系統の希釈はアフリカ祖先系統だけでは説明できません。以前の研究では、ネアンデルタール人祖先系統の割合が低いか皆無の基底部ユーラシア人集団が、古代および現代のユーラシア人にさまざまな割合で寄与し、新石器時代イラン人とナトゥーフィアン人では50%に達する、と提案されました(関連記事)。アラブ人は中東の他地域集団と比較してナトゥーフィアン的祖先系統を過剰に有しているので、アラブ人はネアンデルタール人祖先系統を減少させるだろう基底部ユーラシア人祖先系統も過剰に有している、と明らかになりました。
さらに、ほとんどの中東現代人は最近の混合からアフリカ祖先系統を有しており、それも主要なユーラシア祖先系統を有する時期と比較して、中東現代人の深い祖先系統に寄与しています。中東現代人では、深い祖先系統の増加とネアンデルタール人祖先系統量との間で負の相関関係が見つかりました。全ての古代人口集団を検証すると、ネアンデルタール人祖先系統の希釈を説明する2つの勾配(図5C)が明らかになりました。一方はアフリカ祖先系統により、もう一方は基底部ユーラシア人祖先系統により形成されます。中東人は、両方の祖先系統を有するので、両方の勾配に影響を受けたようです。以下は本論文の図5です。
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●選択
現在の超乾燥気候は、アラビア半島の人口集団における適応に選択圧を及ぼした可能性があります。これを調べるため、控えめなゲノム規模閾値でひじょうに急速に拡大した変異を有する系統のゲノム規模系図が調べられました。以前の研究では、アラビア半島におけるラクターゼ(乳糖分解酵素)活性持続(LP)と関連する、ヨーロッパの既知の多様体(rs4988235)とは異なる2つの相関する多様体(rs41380347とrs55660827)が特定されました。アラブ人の多様体rs41380347について、本論文では強い選択の証拠が明らかになりました(図6A)。同様ではあるものの、やや弱く、ヨーロッパ人ではrs4988235における強い選択が報告されています。
rs41380347はアラビア半島人口集団において最高頻度で存在し、サウジ人とエミラティ人では50%となりますが、レヴァントとイラクでは4%とずっと低頻度になります。注目すべきことに、この多様体は1000人ゲノム計画(1KG)ではユーラシアもしくはアフリカの人口集団に存在しませんが、一部のアフリカ東部集団には低頻度で見られます。この多様体は、レヴァントとイランの古代人を含む既知の古代ユーラシア人157個体でも見つからず、中東内のハプロタイプの最近の起源および選択によるその後の頻度増加と一致します。この多様体は9000年前頃から現代の間に頻度が急速に増加した、と明らかになりました(図6A)。注目すべきことに、この期間はアラビア半島における狩猟採集民から牧畜採集民への生活様式移行と重なります。
最近の頻度増加を示す追加の多様体も特定されました。多くの遺伝子には発現量的形質遺伝子座(eQTL)でもある、LMTK2遺伝子内の多様体rs11762534は、推定上の選択の証拠を示します(図6B)。LMTK2遺伝子は、アポトーシスや成長因子シグナリングを含む多様な細胞過程に関わり、マウスでは精子形成に不可欠と思われる、セリン/セロトニンキナーゼをコードします。中東以外では、この多様体はひじょうに層序化されており、ヨーロッパ人で最高頻度(1KGで45%)となりますが、アフリカ人とアジア東部人では1%未満と稀です。
この多様体の頻度は、アラビア半島人口集団では66%、ベドウィンBでは81%ですが、ドゥルーズ派とパレスチナ人ではともに55%とやや頻度か低いようです。rs35241117における強い推定上の選択の兆候も見つかりました(図6C)。この多様体は、サウジ人とイエメン人で最高の世界規模の頻度(最大で60%)を示し、糸球体濾過や利尿や高血圧やBMIなど、多くの代謝や骨格や免疫特性と関連しています。rs35241117はクウェート人サウジ人で選択下にあると最近示唆された40万塩基対外に位置しますが、それとは中程度の連鎖不平衡(LD)です。
さらに、アラビア半島とレヴァント/イラクとの間の強く違う多様体が探されました。エミラティ人とサウジ人の両方では、7番染色体の97000塩基対で分化の強い兆候が見つかりました。このハプロタイプ(rs1734235)の多様体はアラブ人ではほぼ固定しており、培養線維芽細胞におけるlincRNA AC003088.1の発現増加と関連しています。イエメンで最も極端な人口集団分枝統計はrs2814778で、rs2814778では派生的アレルがダッフィー・ヌル(Duffy null)表現型をもたらし、1KGではアフリカの人口集団においてほぼ排他的に見られます。
しかし、この多様体はイエメン人ではひじょうに一般的で(74%)、アラビア半島を北上するにつれて頻度が減少します(サウジ人では59%ですが、イラクのアラブ人では6%です)。ゲノム全体でこの領域は中東においてアフリカ祖先系統が最も濃縮されており、以前の研究と一致する、と明らかになりました。イエメン人とサウジ人におけるアフリカ祖先系統の平均量はそれぞれ9%と3%なので、この多様体の高頻度はアフリカ人との混合後の正の選択と一致しているようです。この派生的なアレルは、アラビア半島において歴史的に存在してきた三日熱マラリア原虫感染を防ぐ、と考えられてきました。
ゲノム規模の系統を用いる利点は、比較的弱い選択を検出する力があることです。そこで、とくに過去2000年間の、20の多遺伝子性特徴全体のアラビア半島人口集団における多遺伝子適応の証拠が探されました。ほとんどの特徴では、身長や肌の色やBMIなど、最近の方向選択の証拠は見つからないか、決定的ではありませんでした(図6D)。しかし、いくつかの特徴は証拠を示しており、最も強い選択兆候は、現代西洋社会の教育年数と関連する遺伝子多様体に現れ、全アラビア半島人口集団で一貫しています。これはイギリスの人口集団でも報告されていますが、その兆候は他の特徴で条件付けした後には減少すると示されており、相関する特性を介した間接的選択が示唆されます。
イギリスの人口集団の知見とは対照的に、日焼けや髪の色などの特徴に作用する推定上の選択の証拠は見つかりませんでした。アラビア半島内では、ほとんどの特徴の推定上の選択の方向性は、おそらく共有された祖先系統の結果として、人口集団全体で類似しています。しかし注意すべきは、アラビア半島全体の現在の変化している環境は、さまざまな最近の選択圧を起こす可能性がある、ということです。エミラティ人では、2型糖尿病を増加させる多様体の推定上の選択の証拠が見つかりました。エミラティ人における2型糖尿病の発症率は世界で最も高く、それは部分的に定住性生活様式への強い最近の変化に起因すると考えられているので、興味深い結果です。同じ人口集団で、低密度リポ蛋白質の水準を向上させ、アポリプロテインBの水準を減少させる推定上の選択のわずかな証拠も見つかりましたが、多重検定を調整すると、これらの証拠は示唆的になりました。以下は本論文の図6です。
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●考察
本論文は、遺伝的に充分に研究されていなかった中東地域の高網羅率のゲノム配列の生成を報告しました。研究された全ての標本は、連鎖読み取り配列を用いて実験的に位相化され、大規模で正確なハプロタイプの再構築を可能とします。以前の世界規模の配列計画では分類されていなかった何百万もの多様体が見つかり、そのかなりの割合が中東では一般的です。これら一般的な多様体の大半は短い読み取りの利用可能な被覆外にあり、標準的な短い読み取りの配列に基づく研究の限界を浮き彫りにします。
多数の物理的に位相化されたハプロタイプにより、比較的古い期間(10万年以上前)からごく最近(1000年前頃)までの人口史の研究が可能になりました。アフリカからのヒトの初期拡大が、中東の現代の人口集団に遺伝的に寄与した証拠は見つかりませんでした。この知見は、全ての非アフリカ系現代人はアフリカからの単一の拡大の子孫で、その後すぐにネアンデルタール人と混合し、それは世界の他地域に移住する前だった、という支持を集めつつする合意に追加されます(関連記事)。
中東の人口集団は地域固有のネアンデルタール人由来のDNAをほとんど有しておらず、その大半が他のユーラシア人と共有されている、と明らかになりました。アラビア半島の人口集団は、レヴァントやヨーロッパやアジア東部の人口集団よりもネアンデルタール人祖先系統の割合が低く、これは、ネアンデルタール人と混合しなかった基底部ユーラシア人からの祖先系統の増加と、ネアンデルタール人の遺伝的影響をユーラシア西部現生人類から間接的にしか受けなかったアフリカ人との最近の混合に起因する、と示されます。
古代人のゲノムを用いて現代の人口集団をモデル化することにより、レヴァントとアラビア半島の人口集団間の違いが識別されました。レヴァントの人口集団はヨーロッパ/アナトリア半島関連祖先系統の割合がより高い一方で、アラビア半島人口集団はアフリカおよびナトゥーフィアン的祖先系統の割合がより高くなっています。レヴァントとアラビア半島との間の差異は、人口規模の歴史によっても示されます。両者は新石器時代前の20000〜15000年前頃に分岐し、定住農耕生活様式への移行はレヴァントで人口増加を可能にしたものの、アラビア半島では並行していなかったことを示唆します。
アラビア半島では後期更新世と前期完新世の間で人口集団の不連続性が起き、アラビア半島は肥沃な三日月地帯からの新石器時代農耕民により再移住された、と示唆されています。本論文の結果は、レヴァントの農耕民によるアラビア半島人口集団の完全な置換を支持しません。さらに、本論文のモデルでは、アラビア半島の人々は、レヴァントの農耕民ではなく、ナトゥーフィアン的な在来狩猟採集民人口集団に祖先系統が由来する、と示唆されます。アラビア半島北部石器群は、その一部がレヴァントの農耕民により製作された石器群と類似しているように見えると識別されており、さらにレヴァントとアラビア半島との間の家畜動物の移動から、人口集団の移動もしくは文化的拡散のどちらかによるものだった、と提案されてきました。本論文の結果は、文化的拡散および/もしくはレヴァントからの限定的な移住を示唆します。
中東現代人のモデル化に必要な系統の追加の供給源は、古代イラン人と関連しています。本論文の混合検証では、古代イラン人祖先系統がまずレヴァントに到達し、その後でアラビア半島とアフリカ東部に到達した、と示されます。これらの事象の年代は、興味深いことにセム語派の起源および拡大と重なっており、この祖先系統を有する(おそらくはレヴァントもしくはメソポタミアのまだ標本抽出されていない)人口集団がセム語派を拡大させた、と示唆されます。乾燥化事象と関連する気候変化が人口集団のボトルネックと関連していることも明らかになり、アラビア半島では6000年前頃に砂漠気候の始まりとともに人口規模が減少しましたが、レヴァントでは、4200年前頃の乾燥化事象で人口が減少しました。この深刻な旱魃は、中東とアジア南部の王国および帝国の崩壊の原因になった、と示唆されており、本論文で特定された兆候に遺伝的に反映されている可能性があります。
多様体の進化史の再構築への祖先的組換え図の適用は、自然選択研究に強力な手法を提供します。本論文は、アラビア半島の人口集団において、選択の兆候を洗練して特定しました。過去数千年に50%にまで頻度が達し、アラビア半島外ではほぼ存在しない多様体と関連するラクターゼ活性持続の事例は、ヒトの歴史と適応の理解において、あまり研究されていない人口集団の研究が重要だと示します。
本論文の結果から、多遺伝子性選択は、過去に有益だった可能性があるものの、現在では2型糖尿病などの疾患と関連している多様体の頻度増加に役割を果たしたかもしれない、と示唆されます。本論文では、他の人口集団と比較して、アラビア半島人口集団では多遺伝子性選択の兆候がほとんど見つからず、これは理論的に選択の強度を低下させるだろう長期の小さな有効人口規模の結果かもしれません。長期の小さな有効人口規模は、とくに最近の近親結婚の習慣(関連記事)と相まって、メンデル型や複雑な特徴の研究に利用できます。なぜならば、個体群はホモ接合型の機能喪失変異を有し、自然な「ヒトノックアウト」として機能するからです。本論文と中東地域における最近の国立バイオバンク設立は、健康格差是正への第一歩であり、将来、中東における複雑で疾患性の特徴を調べるための、刺激的な機会を提供します。以下は本論文の要約図です。
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本論文は最後に限界も指摘しています。アラビア半島人口集団の形成を洗練し、レヴァントとアラビア半島との間の先史時代のつながりをさらに明らかにするには、アラビア半島からの将来の古代DNA研究が必要です。中東の人口集団はゲノム規模関連解析では最も注目されていない集団の一つなので、選択兆候の理解や多遺伝子性特徴の分析には限界があります。中東集団に関する将来のゲノム規模関連解析は、これらの人口集団における多遺伝子性選択の影響を理解するのに必要です。
参考文献:
Almarri MA. et al.(2021): The genomic history of the Middle East. Cell.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2021.07.013
古人類学
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2021年08月08日
Y染色体の詳細な分析に基づく新石器時代のヨーロッパ西部への農耕民の拡大経路
古人類学
Y染色体の詳細な分析に基づく新石器時代のヨーロッパ西部への拡大経路に関する研究(Rohrlach et al., 2021)が公表されました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)やY染色体の非組換え領域(NRY)のような片親性遺伝標識は、その歴史を単純な進化系統樹により表せるという事実のため、集団の人口史についての魅力的な情報源です。1980年代の先駆的研究以来、ゲノム研究以前には、人類の遺伝的歴史と世界への移住のほとんどは、片親性遺伝標識のmtDNAとNRYから推測されていました。細胞内のコピー数が多く、ゲノムが短くて(17000塩基対未満)、比較的高い置換率のため、mtDNAはとくによく研究されてきており、人口集団の遺伝的変異性についての安価ではあるものの信頼できる情報源を産出してきました。
逆に、NRYのマッピング可能な部分(古代DNA研究などで短い読み取りが確実にマッピングされている領域)はmtDNAよりもずっと長く(10445000塩基対)、男性個体の細胞で単一コピーとしてのみ表れます。進化的置換率(年間の部位あたりの置換数)は、NRYではmtDNAよりも最大で2桁低い、と推定されました。たとえば、7.77×10⁻¹⁰〜8.93×10⁻¹⁰で、ミトコンドリアゲノムでは1.36×10⁻⁸〜1.95×10⁻⁸となりますが、置換率の推定に関しては多くの議論があります。しかし、mtDNAと比較してNRYのゲノムがより長いことは、これらの置換率から、および単一系統の場合に、ミトコンドリアゲノムでは約3094〜4440年に起きる点変異と比較して、NRYでは約108〜123年ごとに点変異が起きることを意味します。その結果、NRYは集団の父方の人口史についてより多くの情報を含み、男性主導の移住もしくは父方居住など、男性に偏った集団の人口統計学的変化について多くの情報を提供できるので、人口集団の父方の歴史を調べることは、ひじょうに重要かもしれません。
人口史の研究では、古代DNAはかけがえのない情報源として示されてきました。古代DNA研究は、ユーラシア西部における大規模な人口集団の移動と遺伝的交替事象を明らかにしてきており(関連記事1および関連記事2および関連記事3)、これらの事象は現代の人口集団の遺伝的データからの復元は不可能でした。古代人の片親性遺伝標識の研究も、現代人のみの研究では検出できない結果をもたらしてきました。たとえば、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)後のヨーロッパの再移住に続くmtDNAの多様性喪失、もしくは新石器時代拡大に続くヨーロッパ東部および中央部における狩猟採集民Y染色体系統多様性の減少と部分的な置換(関連記事)や、紀元前三千年紀初めにおける草原地帯的祖先系統(祖先系譜、ancestry)の到来に伴う、その後の新石器時代Y染色体系統の多様性喪失です(関連記事1および関連記事2)。
古代DNAデータを用いる研究者たちは、通常、標本の品質に関連する問題、とくに死後のDNA崩壊と環境汚染による内在性DNAの減少に直面します。Y染色体は男性細胞の全DNAの2%未満程度を占めており、これが意味するのは、研究者たちが単一コピーのNRYで充分な情報価値のある部位を適切に網羅するためにショットガン(SG)配列の使用を望むならば、良好なDNA保存状態の標本でさえ、かなりの配列作業が必要になる、ということです。
標的捕捉分析評価の開発により、古代DNA研究者たちは配列においてゲノムの特定の部位と領域を濃縮できるようになり、古代標本からのヒト内在性DNAの収量は大きく改善しました。そうした一般的な分析評価の一つが1240kアッセイ(分析評価)で、ヒトゲノムにおける124万ヶ所の祖先系統の情報価値のある部位を標的とし、そのうち32000ヶ所はY染色体上の既知の多様体の選択を表します。これは、情報価値のあるY染色体の一塩基多型の遺伝子系譜学国際協会(ISOGG)の一覧に基づきます。注目すべきことに、市販の利用可能版(myBaits Expert Human AffinitiesやDaicel Arbor Biosciences)では、ISOGGにより特定された追加の46000ヶ所のY染色体一塩基多型が含まれており、現代人男性で変異が見られます。
現在知られている情報価値のあるY染色体の一塩基多型の数(ISOGGでは73163ヶ所、Yfullでは173801ヶ所)と比較して、標的Y染色体一塩基多型の数は比較的少なく、基本的なY染色体ハプログループ(YHg)の分類は可能ですが、現代の多様性と特定地域に大きく偏っています。結果として、1240kアッセイにおける特定のY染色体一塩基多型の表示に応じて、得られるYHgの分類は低く不均一な解像度になる可能性がありますが、標的を絞る手法は、ヒトの過去における隠れたおよび/もしくは消滅した可能性のある系統の検出ができません。
人口集団の男性の歴史をよりよく研究して理解するために、すでによく知られている一塩基多型だけを標的にするのではなく、NRYの部位の配列データをとくに濃縮する標的分析評価の必要性が認識されました。そのため、YMCA(Y染色体マッピング可能捕獲分析評価)が設計され、実装されました。これは造語で、古代DNAに典型的な短いリードをヒトゲノムに確実にマッピングできるNRYの領域を標的とします。類似の手法はすでに以前の研究で調べられました(関連記事)。しかし本論文では、その研究で提示された精査セットとの詳細な比較は避けられます。その研究では、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)といったずっと古い標本のために設計され、690万塩基対を標的としているので、「マッピング可能」の定義が本論文よりもずっと控えめで制約されています。一方、別の研究では890万塩基対領域が報告され、本論文の標的領域をほぼ完全に(99.97%)含んでいます。本論文は、標的領域の残りの150万塩基対で確実にマッピングされた部位を得られる、と示します。
本論文は、YMCA がショットガン配列と比較してNRY部位の相対的な網羅率を大きく改善し、同じ配列作業でNRY部位を濃縮できる、と示します。また本論文は、YMCAが2つの点で1240k一塩基多型アッセイ配列よりもずっと性能が優れていることを示します。本論文は実験的に、YMCAが網羅されているNRY部位の数を改善する、と示します。また本論文は、関連するbedファイル(標的領域を記述したタブ区切りのテキストファイル)により定義された標的NRY部位の考慮により、および抽出への高い複雑性を有する標本を配列する場合、YMCAが1240kアッセイ配列と比較して、YHg分類と新たな診断に役立つ一塩基多型の発見に対して、解像度改善の可能性を有することも示します。
本論文は、YHg-H2(P96)の分析によりYMCA経由で得られた性能改善を強調します。YHg-H2は、ユーラシア西部の新石器時代移行期の初期農耕民と関連した低頻度のハプログループです。本論文は、既知の46個体(古代人45個体と現代人1個体)と、新たにYMCAで配列された49個体(全員古代人)のデータセットを精選しました。おもに現代人20個体の標本に基づくYHg-H2の現在の理解は、本論文のYHg-H2の個体群の古代の多様性と一致しない、と本論文は示します。この古代のYHgの解決において、アナトリア半島からヨーロッパ西部への新石器時代集団にとっての、地中海とドナウ川に沿った異なる2経路を示せます。地中海由来の集団は、最終的にブリテン島とアイルランド島にも到達しました。
●YMCAの性能の検証
YMCAの性能を評価するため、さまざまな保存状態水準の標本について、内在性ヒトDNAの実験上の倍増が計算されました。ショットガンと1240kとYMCAの配列データについての、多すぎる環境変数の影響を避けるため、同じ遺跡から標本が選択されました。それはドイツのレウビンゲン(Leubingen)遺跡です。次に、網羅されたNRY部位の数と、少なくとも一度各ライブラリタイプで網羅されたISOGGの数を調べることにより、同じライブラリでの標準的なショットガン配列と1240kキャプチャに対するYMCAの実験上の性能が比較されました。ヒト内在性リードのみを選別し、次に500万の内在性リードごとに網羅された部位・一塩基多型の数を正規化することにより、同じ品質と入力配列労力が説明されます。ショットガン配列をYMCAと比較すると、内在性ヒトDNAの量で顕著な増加が観察され、以下ではこれが「濃縮」と呼ばれます。標本の保存状態が増加するにつれて濃縮が減少する、と明らかになりました。つまり、より高い開始内在性DNAの割合が高い標本では、濃縮効果が減少するものの、それでも有意でした。
ショットガン配列と比較すると、YMCA捕捉ライブラリにより網羅されたNRY部位の数では、15.2倍の顕著な平均増加が観察され、1240k配列と比較した場合は1.84倍となり、YMCAは平均してショットガン配列および1240k配列の両方よりも多くのNRY部位を網羅する、と示されます(図1)。またこれは、ショットガン配列の500万リードあたり平均15.2倍のISOGG一塩基多型を網羅しているので、YMCAのわずか500万リードと比較して、ショットガン配列では同じ数のNRY部位を網羅するのに7600万のリードを配列する必要がある、と示唆します。以下は本論文の図1です。
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興味深いことに、1240k配列と比較すると、YMCA捕捉ライブラリで少なくとも1回網羅されたISOGG一塩基多型の数では、平均4.36倍増加していることも明らかになりました。これは、同じ配列作業でYMCAがより多くの情報価値のある一塩基多型を網羅していることも示唆します。網羅されたNRY部位の数と、ショットガン配列および1240k配列の内在性DNAの割合は相関していないことと、網羅されたISOGG一塩基多型の数と1240k配列の内在性DNAの割合は相関していないことが明らかになり、これらの結果が標本における回収可能なヒトDNAの相対的量に依存しないことを示唆します。したがって、Y染色体で網羅される一塩基多型は1240kアッセイを用いると追加のボーナスですが、それはおもに男性と女性の常染色体ゲノムの分析で使用されるので、研究者が効率的かつ徹底的にY染色体の非組換え部分を調べたいならば、YMCAは明らか顕著な改善である、と明らかになります。
次に、各bedファイルにしたがって、1240kアッセイとYMCAにも含まれる、ISOGG一塩基多型一覧14.8版におけるハプログループの情報をもたらす一塩基多型の割合が比較されました。YMCAと1240kアッセイは同じ技術に基づき、同じ実験室の手順で捕捉されているので、この比較はとくに強力です。1240kアッセイは現在掲載されているISOGG一塩基多型の24.44%を標的としますが、YMCAは90.01%を標的とします(図2)。注意すべきは、ISOGG一塩基多型の残り9.99%はNRY領域に存在し、古代DNAで一般的な短いリードでは「マッピングできない」と考えられることです。
1240kアッセイの各部位は2つの精査(アレルと代替アレル)および多様体のそれぞれの側の5200塩基対により標的とされるので、追加の隣接する「標的」部位もマッピングされたリードから回収可能です。したがって、1240kアッセイの各一塩基多型の120塩基対(それぞれの側で60塩基対)の解析単位(window)も許可され、これは古代DNAの妥当な平均リード長です。この1240k+120塩基対の部位の一覧では、標的とされるISOGG一塩基多型の割合が45.34%にまで増加しますが、これは、1240k一塩基多型アッセイが、情報価値のあるY染色体一塩基多型が含まれる総数により基本的に制約されることも示します。ISOGG標的一塩基多型におけるこの顕著な増加は、同じ配列作業でYMCAがより多くISOGG一塩基多型を網羅する理由も説明します。以下は本論文の図2です。
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さらに、NRYをできるだけ多く回収することは、とくに研究者がY染色体の新たな多様体を探すか、もはや存在しないかもしれない過去の多様性の解明に関心を持っている場合に、たいへん重要です。1240kアッセイにより標的とされた部位の数をYMCAと比較すると、1240k捕捉アッセイは合計で32670ヶ所の部位を標的とする可能性があり、これはYMCAにより標的とされた部位の数の約0.31%になる、と観察されます。しかし、各一塩基多型の周囲の120塩基対の解析単位を含めると、1240kアッセイは3953000ヶ所の部位、もしくはYMCAを用いての分析できる可能性のある部位の数の37.82%を、標的とする可能性があります。したがって、YMCAは新たな祖先系統の情報をもたらす一塩基多型のNRYを探すための手法としてより優れている、と予測されます。
この研究では、YMCAと1240kにより標的とされた利用可能なISOGG一塩基多型を考えて、YHg分類の可能な潜在的解像度の比較にも関心がもたれました。各bedファイルのISOGG一塩基多型によると、32000ヶ所のY染色体の周囲の120塩基対を含めた時でさえ、一塩基多型YHgの解像度は改善できないことも明らかになりました。これは、現在優勢なYHgと、とくに、既知の過去の人口集団と関連するものの、現代の人口集団では顕著に頻度が低下しており、1240kアッセイの診断一塩基多型では充分に網羅されないYHgの両方で当てはまります。
初期狩猟採集民のYHg-C1a2(V20)や、新石器時代の拡大と関連するYHg-G(Z38202)やYHg-H2(P96)などのハプログループでは低解像度がよく観察されます。これらのYHgに関して、1240kアッセイのY染色体一塩基多型は、それぞれ関連するISOGG一塩基多型の0.8%と0%と13%を標的とします。120塩基対の解析単位を含めると、これらの割合はそれぞれ32.5%と31.2%と36.2%に増加しますが、依然としてYMCAにより標的とされた一塩基多型の場合の、89.6%と90.6%と95.2%よりもずっと低くなります(図2)。さらに、初期ヒト集団の移動において存在すると考えられているものの、現代人集団では比較的多く見られるYHgの理論的網羅率が低いことも、1240kアッセイの部位に関して問題となる可能性があります。たとえば、アメリカ大陸への人類最初の移住と関連する、YHg-Q1b1a1a(M3)は、1240kアッセイでは関連する診断上の一塩基多型の11.9%(120塩基対の解析単位を含めると33.5%)しか網羅されていないのに対して、YMCAでは92%となります。
まとめると、ショットガン配列および1240kアッセイと比較して、YMCAはNRYへのマッピングリードの相対的割合を高めます。またYMCAは、1240kアッセイよりもNRYの部位を2.5倍以上標的としており、新たな診断一塩基多型の検出を可能とします。しかし重要なことは、YMCAが、すでに情報価値があると知られているものの、1240kアッセイでは標的とできない一塩基多型を標的とすることです。
●事例研究としてのYHg-H2へのYMCAの適用
標本選別のショットガン配列の手順適用と、実験室での適切な標本へのその後の1240kキャプチャを通じて、古代の男性個体におけるさまざまなYHgについて新たなYMCAの性能を調べられました。本論文は、YHg-H2(P96)の事例を紹介します。データ不足と現代の人口集団では低頻度であるため、YHg-H2では進化系統樹の解像度が依然として不明です。現在の古代DNA記録から判断すると、YHg-Hは過去には、とくに新石器時代化の時期のユーラシア西部全域で農耕拡大と関連する男性の間でもっと一般的だったようです。本論文は結果として、古代DNA研究、とくにYHgの高解像度型は、過去と現在のY染色体の進化関係の解明に役立つ、と示せます。
YHg-H(L901)はアジア南部で48000年前頃に形成された、と考えられています。その下位区分のYHg-H1a(M69)とH2(P96)とH3(Z5857)は、その後4000年で急速に形成されたようです。YHg-H1およびH3は44300年前頃に形成されたと推定されていますが、YHg-H2はわずかに早く45600年前頃に形成された、と推定されています(yfull)。
YHg-H1およびH3はアジア南部ではまだ20%の頻度で見られますが、ヨーロッパではひじょうに頻度が低く、YHg-H1はロマ人の900年前頃の拡大との関連のみで見られます。逆に、YHg-H2は少なくとも1万年前以来ユーラシア西部に存在してきており、農耕拡大と強く関連していますが、現代のヨーロッパ西部人口集団では0.2%以下の頻度です。対照的に、YHg-H2は新石器時代集団ではより一般的で(関連記事1および関連記事2)、観察されたYHgの1.5〜9%を構成しますが、中には例外的に30%に達する個体群も存在します。
5000年前頃となる草原地帯関連祖先系統の到来とともに、YHg-R1aやR1bなど侵入してくるYHgが、YHg-G2やT1aやH2などより古い「新石器時代」YHgの多くをほぼ置換し、YHg-H2はとくに、新石器時代個体群において高頻度で見られませんでしたが、その多様性も大きく減少し、多くの下位系統が完全に失われたかもしれない、と予測されます。
本論文のYMCAがハプロタイプ決定品質を向上させて系統地理学的推論も導き出せるのかどうか検証するため、先史時代古代人のDNAデータと、暫定的にYHg-H2に分類された選択された個体群の新たな収集が用いられました。49個体の新たなデータが生成され、既知の46個体のY染色体ゲノムデータと統合されました。
YHg-H2は、新石器時代のより優勢なYHg-G2a2b2a1a2a(Z38302)とともに一般的に見られますが、本論文ではYHg-H2の低頻度が注目されます。とくに、YHg-G2a個体群の相対的な高頻度と比較してのYHg-H2個体群の相対的な少なさから、系統選別のより強い影響と、したがって観察される地理的パターンのより高い変化を予測するように、「系統の歴史」、したがって潜在的には拡散経路をよりよく追跡できます。この特定の事例では、YHg-H2個体群と関連する固有の遺伝標識を用いて、アナトリア半島からヨーロッパ西部への拡大する新石器時代農耕民を追跡でき、新石器時代拡大の提案されたいわゆる「ドナウ川もしくは内陸部」経路と「地中海」経路を遺伝的に識別可能なのかどうか、検証できます。これらの新石器時代拡大経路は、最近核ゲノム分析でも裏づけられました(関連記事)。
残念ながら、Y染色体の進化系統樹のYHg-H2の下位区分は、YHg-H2個体の現代人標本の不足とYHg-H2の古代人の相対的な少なさのため現在よく理解されておらず、多くの場合、既知および未報告の古代人標本のほぼ全ての系統樹的歴史と一致しません。本論文では、1例を除く全事例で、YHg-H2個体群は、YHg-H2 a1やH2b1など、現在のISSOG分類における2つの分岐クレード(単系統群)から派生した一塩基多型の混合を有している、と明らかになりました。したがって、上述のYMCAの性能から、さらにYHg-H2個体群が分析され、この系統の分岐パターンの解明が試みられました。
Y染色体DNAの非組換え部分では、進化史は系統樹構造に従うと予測されるので、たとえばISOGGでのYHg-H2aとH2b1とH2c1aなどの混合ハプログループはあり得ません。これらの個体群のよりよく理解された進化史を見つけるため、IQ-TREEを用いて最尤(ML)系統発生樹が構築されました。ML系統樹(図3A)から2つの主要なクレードが識別され、暫定的にH2m(青色)およびH2d(緑色)と表示されます。現在のISOGGの命名法に関して、YHg-H2mはYHg-H2とH2aとH2a1とH2c1aの一塩基多型の混合により定義づけられることに要注意です。YHg-H2dは、2ヶ所のYHg-H2b1の一塩基多型と、以前には検出されなかった追加の4ヶ所の一塩基多型により定義されるようです。したがって、YHg-H2dは、トルコとドイツの個体群から成る下位クレードを含んでおり、それらは、YHg-H2b1と関連する追加の10ヶ所の一塩基多型により独自に定義され、さらなる下位区分の可能性が示唆されることに要注意です。
診断一塩基多型の拡張セットに基づいて、ML系統樹に含まれるための最小限の網羅率要件を満たしていない個体も含めてさえ、58個体をYHg-H2mとH2dのどちらか、あるいは(基底部)H2*(低網羅率のため)に分類できました。最終的に、これら追加の一塩基多型のどれにも由来せず、YHg-H2の一塩基多型の多くにとって祖先型である3個体も確認され、基底部の3個体と表示されます。
本論文の全標本をヨーロッパの地図に投影すると、系統地理的パターンがはっきりと現れました(図3B)。YHg-H2d個体は全員、ヨーロッパ中央部へのいわゆる内陸部・ドナウ川経路沿いで見つかり、YHg-H2mは1個体を除いて全て、ヨーロッパ西部とイベリア半島と最終的にはアイルランド島へのいわゆる地中海経路で見つかりました。ドイツ中央部で見つかった孤立したYHg-H2mの個体(LEU019)は、年代が後期新石器時代・前期青銅器時代で、新石器時代拡大の2000〜3000年後となります。ミシェスベルク(Michelsberg)文化のような中期・後期新石器時代集団の東方への拡大の考古学およびmtDNAの証拠は、この単一の地理的に離れた観察結果を説明できるかもしれません。以下は本論文の図3です。
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本論文で用いられた古代人標本の不完全でさまざまな網羅率のため、古代人標本の放射性炭素年代測定を用いての、分岐年代推定のための信頼できる較正を作成できませんでした。本論文は代わりに、個体の各組み合わせの最新の共通祖先(TMRCA)以来の年代を推定し、新たに識別されたYHg-H2クレードの分岐年代を調べました。まず、相対的な置換率が構成され、YHg-A0と他の全てのYHgの平均TMRCAが161300年前と推定されました。この較正された置換率を用いてのTMRCAは、YHg-A1が133200年前、YHg-HIJKが48000年前と推定され、これは現在のそれぞれの推定年代(yfull)である133400年前および48500年前とひじょうに近くなっています。本論文はYHg-H2のTMRCAを24100年前と推定し、これは現在の推定年代(17100年前)よりもわずかに古く、高網羅率のYHg-H2の現代人標本を1個体しか利用できず、古代人標本が増加したことで説明できます。
YHg-H2dとH2mの推定TMRCA年代は15400年前で、それぞれの推定TMRCA年代は11800年前と11900年前です(図4)。しかし、重複する一塩基多型が少ないために関連するエラーバーがより広くなっている場合でも、平均推定年代は依然として比較的一貫していることに要注意です。これらの推定値に加えて、YHg-H2dとH2mの個体がアナトリア半島とレヴァントでも見つかった事実から、YHg-H2の多様性は農耕および家畜の確立以前に近東狩猟採集民に存在していた可能性が最も高く、初期農耕民にも存在し、その後で新石器時代拡大を経てヨーロッパ中央部および西部に広がった可能性が高い、と示されます。以下は本論文の図4です。
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●YHg-H2の解像度向上のための診断用一塩基多型の特定
YMCAを用いてYHg-H2の新たな下位クレードを特定した後、参照ヒトゲノム配列(hs37d5)と比較して、どの一塩基多型がこれらの下位クレードの診断用なのか、識別することも目的とされました。そのために、次の特性を有する分離部位が探されました。(1)集団内のどの個体もその部位では祖先的ではない場合。(2)その部位では集団内の複数個体が網羅されている場合。(3)その部位では集団外のどの個体も派生的ではない場合。(4)その部位では集団外の複数の個体が網羅されている場合。そのうえで、「新たな」一塩基多型の調査は、CからTもしくはGからAではなく、したがって古代DNA損傷の結果である可能性が低い置換に限定されましたが、本論文の結果でCからTもしくはGからAである多様体も、それらがISOGG もしくはYFullで以前に発見されているならば、含まれました。
YHg-H2(全て)とH2d(緑色)とH2m(青色)として定義される図3の下位ハプログループ・分枝の、312ヶ所の診断用の可能性のある一塩基多型が特定されました。心強いことに、本論文で特定された312ヶ所の診断用一塩基多型のうち258ヶ所(80.1%)はすでに、ISOGGもしくはYFullの一覧においてYHg-H2(P96)もしくはより派生的な下位区分と関連している、と明らかになっています。本論文では、YHg-H2と関連づけられていなかった、以前に発見された一塩基多型を2ヶ所(0.31%)のみ見つけました。それは、YHg-R1a1およびR1a1aと関連づけられたCからTの置換です。これはYHg-H2標本31点のうち17点で見つかったので、CからTの置換が損傷に起因する可能性は低そうです。さらに、本論文のYHg-H2の古代人(フランスのYHg-H2の1個体を除いて)では、134ヶ所の既知の基底部YHg-H2一塩基多型のうち110ヶ所を見つけられました。
上述のさまざまなYHgで新たに発見された残りの62ヶ所の一塩基多型は、未発見の診断用一塩基多型か、失われたYHg-H2の多様性を表します。しかし、部位8611196におけるAからGの置換のような、新たに発見された一塩基多型のいくつか(本論文のYHg-H2の31個体のうち20個体)では、新たな真の診断用一塩基多型の圧倒的な証拠が見つかりました。これら明確なYHg-H2の下位ハプログループを検出する本論文の手法の能力、したがって新石器時代拡大における情報価値のあるYHgの分岐年代をさらに解明して推定する能力は、網羅率の増加と、YMCAで標的をとできる部位の数の増加によってのみ可能となります(ショットガン配列もしくは1240k配列と比較した場合)。
●考察
人口集団のY染色体の歴史の分析は、人口史を理解するうえでひじょうに重要かもしれません。この目的のため、本論文は古代のY染色体配列データの標的配列戦略の採用を提唱します。本論文で提示された焦点を絞った研究では、ショットガン配列もしくは1240k配列と比較した場合、内在性ヒトDNA含有量を考慮したうえで、同じ配列作業量YMCAを用いたさいに達成可能な一塩基多型の網羅率と数の改善が浮き彫りになります。
標的となる内在性ヒトDNAの濃縮は、古代DNA研究における不充分な標本の保存状態を克服するためにひじょうに重要です。現代人男性から確認された1240kアッセイのY染色体一塩基多型は単に、信頼できるYHg分類のためのNRY上の診断用一塩基多型を、とくに現代の多様性に先行するYHgの事例では充分に網羅できない、と示され、最新の「Y染色体一塩基多型パネル」のために連続する領域を標的とする必要性が浮き彫りになります。YMCAは、他のキャプチャに使用され、追加の抽出もしくはライブラリの準備を必要としない、同じライブラリに適用できます。YMCAを本論文では試みられていない他のキャプチャアッセイと組み合わせることは確かに可能ですが、管理された研究における選択された男性標本の特注YMCAは、追加の配列作業を伴う(男性および女性標本への)手順複合適用よりも優れているかもしれない、と本論文は主張します。
YHg-H2(P96)のより詳細な分析を通じて、古代のYHg-H2の多様性に関する現在の理解は、系統樹的な歴史(NRYの歴史にも当てはまるはずです)と矛盾し、この多様性の解決は近東からヨーロッパへの新石器時代拡大の2経路へのさらなる裏づけにつながる、と示せます。それは、YMCAによりもたらされた改善された解像度なしには可能ではなかっただろう観察結果です。ユーラシア西部狩猟採集民のY染色体(YHg-I2aやI2bやC1a)の下位構造の研究や、青銅器時代ユーラシア西部やアジア中央部および南部YHg-R1aおよびR1bの多様化をよりよく特徴づけるために、こうした手法が将来適用されるよう期待されます。
参考文献:
Rohrlach AB. et al.(2021): Using Y-chromosome capture enrichment to resolve haplogroup H2 shows new evidence for a two-path Neolithic expansion to Western Europe. Scientific Reports, 11, 15005.
https://doi.org/10.1038/s41598-021-94491-z
古人類学
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2021年08月07日
小林登志子『古代メソポタミア全史 シュメル、バビロニアからサーサーン朝ペルシアまで』
読書 アフロユーラシア史前近代
中公新書の一冊として、中央公論新社より2020年10月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書が対象とするのはメソポタミアで、年代では都市文化が始まる紀元前3500年頃からおもに紀元前539年の新バビロニア王国の滅亡までで、その後もアラブ人勢力による支配の始まりとなる紀元後651年のサーサーン王朝の滅亡までが扱われています。メソポタミアは地理的に大きくは、南部のバビロニアと北部のアッシリアの2地域に区分されます。メソポタミアは現在の国境線ではおおむねイラク共和国に相当しますが、この南北の違いは、現在のスンニ派(北部)とシーア派(南部)の対立にも続いている、と本書は指摘します(妥当な見解なのか、疑問は残りますが)。
世界最古の都市文化は、紀元前四千年紀後半にユーフラテス河畔で勃興しました。ユーフラテス河はアジア南西部における交易の大動脈で、それが都市の発展を促したのでしょう。ユーフラテス河の東方を流れるティグリス河は、ユーフラテス河と比較する短く、支流が山地から直接本流に流れ込むため水位が急増し、大洪水が頻繁に起きました。そのため、メソポタミアの災害といえば洪水で、「大洪水伝説」が語り継がれ、それは『聖書』にも取り入れられました。ユーフラテス河とティグリス河という「(両)河の間の地」を意味するギリシア語がメソポタミアです。メソポタミア南部のバビロニアは地理的に、北部のアッカドと南部のシュメルに二分されます。ただ、シュメル人は自らをシュメルではなく「キエンギ(ル)」と呼んでおり、シュメルは後代のアッカド語となります。
メソポタミア南部に人々が最初に定住したのはウバイド文化期(紀元前5500〜紀元前3500年頃)で、歴史時代は都市文化が成立したウルク文化期(紀元前3500〜紀元前3100年頃)に始まります。その担い手は、「民族」系統不詳のシュメル人です。広い沖積平野が続くメソポタミア南部では高度な灌漑農業が営まれの下が、鉱物や石材や木材には恵まれず、オオムギなど農産物を対価としてそれらの物資を入手しました。都市文化の当初より、内向きでは生き残れず、外部との関係が不可欠だった、というわけです。そのため、メソポタミア南部全体が共通の経済観念を有していたようで、その証拠が文字の祖型とされるトークン(小型粘土製品)です。紀元前三千年紀後半には、メソポタミアやシリアなどで次々と都市が形成されていきますが、都市の周辺には、都市と関わる遊牧社会も存在しました。
紀元前3100〜紀元前2900年頃となるジェムデット・ナスル期にはバビロニア全域に都市文化が広まり、初期王朝時代が続きます。シュメルでは複数の都市国家が交易路や領土問題で争いました。初期王朝時代には第I期(紀元前2900〜紀元前2750年頃)に都市を囲む城壁が出現し、第IIIB期(紀元前2500〜紀元前2335年頃)に覇権をめぐる都市間の合従連衡が活発になり、ついにはウルクがシュメルを統一します。ウルクはアッカド語の呼称で、シュメル語ではウヌグです。ウルクにはすでにウバイド文化期に定住が始まり、紀元後634年のアラブ人によるメソポタミアへの侵攻の前後に放棄されたようです。ウルクで発明された文字が完全な文字体系(楔形文字)に整備されたのは紀元前2500年頃でした。メソポタミアの都市国家の王は、都市全域を支配して全住民に人頭税や地租を課すのではなく、広大な耕地と所属員から構成される家産的な独立自営の組織に依存していたようです。
メソポタミア南部のバビロニアを統一したのは、ウルクではなくバビロニア北部のアッカドのサルゴン王(在位は紀元前2334〜紀元前2279年)でした。シュメルとアッカドでは、言語により呼称は違うものの、ほぼ同じ神々が祀られていました。たとえば大地母神は、シュメル語ではイナンナ、アッカド語ではイシュタルです。余談ですが、これが高橋克彦『竜の柩』の設定にも取り入れられていたことを思い出しました。アッカドはバビロニアを統一しましたが、その後もシュメル人がたびたび反乱を起こしました。こともあり、支配が安定したのは第3代のマニシュトゥシュ王の時代だったようです。アッカドの衰退後、シュメル人による最後の統一王朝を築いたのがウル第三王朝でした。ウル第三王朝時代には、現存最古の法典となるシュメル語の『ウルナンム法典』が作成されました。『ウルナンム法典』では、傷害罪は銀で償うと規定されており、『ハンムラビ法典』などに見られる後の同害復讐法とは異なります。ウル第三王朝の滅亡とともに、シュメル人は政治的・「民族的」独立を失い、日常語はアッカド語となりますが、その後も学校ではシュメル語が教えられ、シュメル語の文学作品が作られました。
ウル第三王朝滅亡後のメソポタミア南部は古バビロニア時代と呼ばれ、前半は群雄割拠の混乱期だったイシン・ラルサ時代、後半はハンムラビ王(在位は紀元前1792〜紀元前1750年)以降のバビロン第一王朝時代と区分されます。紀元前二千年紀前半のメソポタミアで大きな役割を果たしたのは、シリア砂漠からメソポタミアへ侵入してきた、西方セム語族のアムル(アモリ)人でした。メソポタミア北部のアッシリアの歴史は、紀元前2000年頃以降にようやく明確になってきて、アッシリア時代(紀元前2000〜紀元前1600年頃)と呼ばれます。アッシリアはアナトリア半島やシリアとメソポタミアとの間の遠距離交易活動を優位に展開した商業国家で、紀元前三千年紀にはアッカド王朝やウル第三王朝に従属していました。バビロン第一王朝は、ヒッタイト王国に攻められて紀元前1595年に滅亡しましたが、都市としてのバビロンの優位は失われず、バビロンを首都とする王朝が新バビロニアまで1000年以上にわたって断続的に続きました。
紀元前二千年紀後半のメソポタミアでは、同じくアッカド語を使い、同じ神々を祀るなど同一文化を担う二大勢力として、バビロニアとアッシリアによる覇権争いが展開します。この間、バビロニアを長期にわたって支配したのが、「民族」系統不詳のカッシート王朝(紀元前1500〜紀元前1155年)でした。一方、アッシリアは不明な点が多くいミタンニ(ミッタニ)王国(紀元前16〜紀元前14世紀)に制圧されていましたが、紀元前14世紀後半にミタンニの支配から脱し、メソポタミア北部で勢力を回復します。ただ、アッシリアがバビロニアに軍事的に勝利しても、バビロニア文化に圧倒されることは珍しくなかったようです。この時期のメソポタミアには、このミタンニやアナトリア半島中央部のヒッタイト王国が関わり、さらにはエジプトもアジアへと侵出してきます。こうしてメソポタミアも含めてアジア南西部で諸勢力が並存し、「世界最古」の「国際社会」が形成されます。ミタンニはフリ(フルリ)人の国で、その言語は膠着語であり、紀元前千年紀前半にアナトリア半島東部およびアルメニアを支配したウラルトゥ王国(紀元前9世紀中期〜紀元前6世紀初頭)の言語と類縁関係にあります。こうして諸勢力が興亡を繰り返しつつ政治・文化・経済的に交流を続けた「国際社会」は、「紀元前12世紀の危機」で大打撃を受けます(関連記事)。
「紀元前12世紀の危機」を経た後、紀元前千年紀前半のメソポタミアでは「世界帝国」の興亡が繰り広げられます。この時代の「世界帝国」としてまず台頭したのは、「紀元前12世紀の危機」で中期アッシリアが衰退した後に復興した新アッシリア(紀元前1000〜紀元前609年)で、その武力により版図を拡大しました。その背景には鉄器時代の到来があり、鉄製の農具や工具の普及により人類の居住世界が大きく広がるとともに、鉄製武器と騎兵の本格的出現により軍事力が向上しました。この間、アラム語がアジア南西部で広く用いられるようになります。
紀元前8世紀後半のティグラト・ピレセル3世(在位は紀元前744〜紀元前727年)の代にアッシリアは大きく拡大し、「帝国」としての実態を有するようになっていきます。その後、紀元前8世紀末から紀元前7世紀前半にかけて、アッシリア帝国全盛期を迎え、ついにはメソポタミアのみならずエジプト全土も支配しますが、この支配は長続きしませんでした。新アッシリアは複雑な官僚組織で広大な帝国を運営し、多くの属国が存在しました。しかし、アッシュル・バニパル王が紀元前627年に死ぬと、新アッシリア帝国は急速に崩壊していき、紀元前609年に滅亡します。
新アッシリア帝国を単独では滅ぼせなかったものの、新バビロニアは新アッシリア帝国の滅亡後にメソポタミアで大きな勢力を有し、とくに有名な王は「バビロニア捕囚」を行なったネブカドネザル2世です。新バビロニアの都市住民は自由人と奴隷と「半自由人(王室や宮殿または個人に属している人や小作人)」に分かれ、商人の経済活動が活発だったようです。しかし、新バビロニアはペルシアに勃興したハカーマニシュ王朝により紀元前539年に滅ぼされ、本書はこれを古代メソポタミア史の終わりと指摘します。もはやメソポタミアは歴史を動かす主役たり得ず、以後はもっぱら東西の強国に蹂躙されていった、というわけです。紀元後7世紀のアラブ人勢力の支配により、メソポタミア地域の言語がアラビア語へと変わったのは、それを象徴しています。
読書
アフロユーラシア史前近代
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2021年08月06日
ヤンガードライアスを同期させるラーハ湖の噴火の正確な年代
古人類学
ヤンガードライアスを同期させるドイツのラーハ湖噴火(LSE)の正確な年代に関する研究(Reinig et al., 2021)が公表されました。LSEは、後期更新世におけるヨーロッパ最大級の火山事象の一つと位置づけられています。LSEのテフラ堆積物は、後期氷期から前期完新世への移行期における代理指標アーカイブを同期させるための重要な等時性を示していますが、噴火の年代については不確かさが残っています。
この研究は、火砕堆積物に埋もれた半化石樹木の年輪年代測定と放射性炭素測定を行ない、LSEの年代を13006±9年前(1950年を基点とする較正年代)と確定しました。これは、じゅうらい認められていた年代より1世紀以上古くなります。LSEの年代が修正されたことで、ヨーロッパの氷縞粘土湖の年代は、グリーンランドの氷床コア記録に対して必然的にシフトし、これによりヤンガードライアスの開始時期は12807±12年前(較正年代)となりました。
これは、じゅうらいの推定年代より約130年古くなります。この結果は、ヤンガードライアスの開始時期を北大西洋とヨーロッパで同期させるもので、LSEとグリーンランド 亜氷期1の寒冷化の直接的関連性を排除し、温暖化条件下での大西洋の南北方向の鉛直循環の弱化という大規模な共通機構を示唆しています。ヤンガードライアスは、大型動物の絶滅や農耕への移行とも関連している可能性があり、人類史の観点からひじょうに注目される事象だけに、今後の研究の進展が期待されます。
参考文献:
Reinig F. et al.(2021): Precise date for the Laacher See eruption synchronizes the Younger Dryas. Nature, 595, 7865, 66–69.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03608-x
https://sicambre.at.webry.info/202108/article_9.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/369.html#c3
7. 中川隆[-17312] koaQ7Jey 2021年8月10日 13:17:14 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[35]
2021年08月09日 中東の人口史
https://sicambre.at.webry.info/202108/article_9.html
中東の人口史に関する研究(Almarri et al., 2021)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。世界的な全ゲノム配列計画は、ヒトの多様性と拡散と過去の混合事象への洞察を提供してきました(関連記事1および関連記事2)。しかし、多くの人口集団はまだ研究されておらず、そのため、遺伝的多様性と人口史の理解を制約し、健康の不平等性を悪化させるかもしれません。大規模な配列計画によりとくに研究対象とされている地域は中東です。中東はアフリカとヨーロッパとアジア南部の間に位置しており、ヒトの進化と歴史と移住を理解するうえで重要地域となります。中東ではアフリカ外の現生人類(Homo sapiens)の最初の証拠のいくつかが得られており、177000年前頃のレヴァント(関連記事)や85000年前頃のアラビア半島北西部(関連記事)で年代測定された化石が発見されています。さらに、現生人類のものとされる12万年前頃の道具と足跡も、アラビア半島で特定されました(関連記事1および関連記事2)。
現在、アラビア半島の大半は超乾燥砂漠ですが、過去には「緑のアラビア」をもたらしたいくつかの湿潤期があり、その時期にはヒトの拡散が促進され、現在の砂漠気候の始まりは6000年前頃に始まった、と考えられています。後期更新世と完新世における湿潤期から乾燥期への移行は、気候に適応した人口集団の移動をもたらした、と提案されてきました。アラビア半島内の新石器時代の移行は、地域内で独立して発展したか、あるいはレヴァントの新石器時代農耕民の南方への拡大によるものでした。こうした問題に取り組むため、アラビア半島とレヴァントとイラクの人口集団からの高網羅率の物理的に位相の揃ったデータセットが生成され、分析されました。将来の医学研究に役立つだろうあまり研究されていない地域における遺伝的多様性の目録の作成に加えて、人口構造、人口統計学および選択の歴史、現生人類および絶滅ホモ属(古代型ホモ属)との混合事象が調べられました。
●データセット
短い読み取りから長い情報を保存する手法を用いて中東の8人口集団(図1A)の137個体の全ゲノムが配列され、その平均網羅率は32倍です。この「連鎖読み取り(linked-read)」技術を用いる利点は、短い読み取りの整列を区別しない反復領域における、物理的に位相のそろったハプロタイプの再構築と、改善された整列です。調査対象の全人口集団はアフロ・アジア語族のセム語派であるアラブ語を話しますが、例外はイラクのクルド人集団で、インド・ヨーロッパ語族のイラン語群であるクルド語を話します。
品質管理の後、2310万ヶ所の一塩基多様体(SNV)が特定されました。このデータセットが、ヒトゲノム多様性計画(HGDP)で特定された多様体(関連記事)と比較されました。本論文のデータセットでは、HGDPでは見つかっていない480万ヶ所のSNVが見つかりました。予測されたように、これらの多様体のほとんどは稀で、その93%は1%未満の頻度ですが、37万ヶ所は一般的(頻度1%以上)です。興味深いことに、これらの一般的な多様体のほとんどは、以前の研究(関連記事)により定義された利用可能性被覆外となります(246000ヶ所の多様体)。これは、中東人など遺伝的にあまり知られていない人口集団の配列決定と、将来の医学研究における地域固有の多様体の包摂の重要性を示します。これは、標準的な短い読み取りを利用しにくい領域に、かなりの量の未知の変異が存在することも示します。以下は本論文の図1です。
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●人口構造と混合
人口構造と過去の混合事象を明らかにすることは、人口史の理解と医学研究の設計および解釈に重要です。単一の多様体およびハプロタイプの両方に基づく手法を用いて、本論文のデータセットの構造と多様性が調べられました。本論文のデータセットを世界規模の人口集団と統合した後、fineSTRUCTUREで、地理と合致した遺伝的クラスタが識別され、自己標識された人口集団は一般的に異なるクラスタを形成する、と示されました(図1C)。レヴァントとイラク(レバノン人、シリア人、ヨルダン人、ドゥルーズ派、ベドウィンA、イラクのアラブ人)が一まとまりになったのに対して、イラクのクルド人はイラン中央部人口集団とまとまりました。アラビア半島の人口集団(エミラティA、サウジ人、イエメン人、オマーン人)はHGDPのベドウィンBとまとまりました。エミラティ人口集団(アラブ首長国連邦集団)内では、過剰なイランおよびアジア南部祖先系統(祖先系譜、ancestry)を有する下位人口集団(エミラティBおよびエミラティC)が特定されました(図1B)。また、比較的高いアフリカ祖先系統を有する下位人口集団(サウジBおよびエミラティD)も見つかりました。
次に古代の地域的および世界的人口集団の文脈で本論文の標本が分析されました。主成分分析(図1D)では、現代の中東人は古代レヴァントの狩猟採集民であるナトゥーフィアン人(Natufian)と新石器時代レヴァント人(レヴァントN)と青銅器時代ヨーロッパ人と古代イラン人との間に位置する、と示されます。アラブ人とベドウィンは古代レヴァント人の近くに位置しますが、現代のレヴァント人は青銅器時代ヨーロッパ人の方に引き寄せられています。イラクのアラブ人およびクルド人とアッシリア人は古代イラン人に比較的近いようです。
ほとんどの中東現代人は、4古代人口集団の祖先系統からの派生としてモデル化できる、と明らかになりました。それは、レヴァントN、新石器時代イラン人であるガンジュダレー(GanjDareh)N、ヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)、4500年前頃のアフリカ東部人であるモタ(Mota)個体です。レヴァントとアラビア半島の人口集団間での差異が観察されました。レヴァント人は過剰なEHG祖先系統を有しており(図1E)、これは以前の研究(関連記事)で示された、青銅器時代後に古代ヨーロッパ南東部およびアナトリア半島祖先系統を有する人々とともに到来した祖先系統です。本論文の結果は、この祖先系統がアラビア半島と比較してレヴァントでずっと高い、と示します。
レヴァントとアラビア半島との間の別の差異は、アラビア半島の人口集団におけるアフリカ祖先系統の過剰です。本論文のデータセットにおけるほとんどの人口集団にとってのアフリカ祖先系統の密接な供給源は、エチオピアのナイル・サハラ語族話者に加えて、ケニアのバンツー語族話者である、と明らかになりました。中東におけるアフリカ人との混合は過去2000年以内に起きたと推定され、ほとんどの人口集団は1000〜500年前頃の混合の兆候を示しており、以前の研究と一致します。
4方向混合の選択は、レヴァントNおよびガンジュダレーNが古代近東人にかなりの祖先系統をもたらしたこと(関連記事)、EHG/草原地帯祖先系統が青銅器時代後に中東に浸透したこと(関連記事)、ほとんどのレヴァント人とアラブ人でアフリカ祖先系統が現在見られることといった、中東に関する以前の知識に基づきます。本論文では検証において7つの外群が用いられ、それは、45000年前頃となるシベリア西部のウスチイシム(Ust’-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された個体と、ヨーロッパロシアにあるコステンキ−ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で発見された38000年前頃の若い男性1個体と、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)と、コーカサス狩猟採集民(CHG)と、ナトゥーフィアン人もしくはレヴァントNと、パプア人と、ムブティ人です。
EHGとアフリカの祖先系統における違いに加えて、レヴァントと比較してアラビア半島ではナトゥーフィアン祖先系統の過剰が観察されました(図1BおよびE)。中東における祖先系統の供給源としてレヴァントNをナトゥーフィアン人と置換すると、アラブ人はモデル化に成功できますが、レヴァントの現代人はどれもそのようにモデル化できませんでした。モデル準拠クラスタ化でも、アラビア半島の人口集団はレヴァント現代人と比較してかなり低いアナトリア半島新石器時代(アナトリアN)祖先系統を有する、と示されました(図1Bの紫色の構成要素)。古代アナトリア半島祖先系統におけるこの違いは、アラビア半島への限定的なレヴァントNの拡大に由来するかもしれません。なぜならば、レヴァントNはアナトリアNとかなりの祖先系統を共有しているものの(関連記事)、レヴァントへのアナトリアN祖先系統を有する人口集団の拡大とともに青銅器時代後の事象にも由来するからです(関連記事)。
続旧石器時代/新石器時代の人々からの在来の祖先系統に加えて、古代イラン人と関連する祖先系統が見つかり、それは現在すべての中東人に遍在します(図1Bの橙色の構成要素)。以前の研究では、この祖先系統は新石器時代のレヴァントには存在しなかったものの、青銅器時代には見られ、在来の祖先系統の最大50%が古代イラン人関連祖先系統を有する人口集団に置換された、と示されました。この祖先系統がレヴァントとアラビア半島の両方に同時に浸透したのかどうか調べられ、混合年代は北方から南方への勾配にほぼ従っており、最古の混合はレヴァントで5900〜3300年前頃に置き、その後アラビア半島で3500〜2000年前頃に、アフリカ東部で3300〜2100年前頃に混合が起きた、と明らかになりました。
これらの年代は、語彙データから推定された中東およびアフリカ東部におけるセム語派の青銅器時代起源および拡大の年代と重なります(図2)。この人口集団は、レヴァントとアラビア半島にY染色体ハプログループ(YHg)J1をもたらした可能性があります。本論文のデータセットにおけるYHg-J1の大半は5600年前頃に合着(合祖)し、青銅器時代の拡大の可能性と一致しますが、17000年前頃に分岐した稀なより早期の系統も見つかりました。そのYHgはナトゥーフィアン人で一般的なE1b1bで、本論文のデータセットでもよく見られ、ほとんどの系統は8300年前頃に合着しますが、39000年前頃に合着する稀なより深く分岐したYHgも見つかりました。以下は本論文の図2です。
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次に、標本抽出された地域的な青銅器時代人口集団の一つからの祖先系統の派生として人口集団がモデル化できるのかどうか検証され、レバノンのシドン(Sidon)遺跡の中東青銅器時代人口集団(シドンBA)が一部の現代のレヴァントおよびアラビア半島の人口集団の祖先系統の供給源であり得る、と明らかになりました。本論文の系統発生モデル化では、レヴァント現代人はシドンBA関連人口集団に直接的に由来する祖先系統を有しているかもしれない、と示唆されます。しかし、アラブ人はナトゥーフィアン関連人口集団からの追加の祖先系統が必要です(図3)。以下は本論文の図3です。
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●有効人口規模と分離の歴史
歴史的な有効人口規模は、母集団から標本抽出された染色体間の合着年代の分布から推測できます。しかし、単一のヒトゲノムを用いた場合、最近の期間では解像度が限定されますが、複数のゲノムを用いると、ハプロタイプ位相のエラーにより不自然な結果が作成されます。位相のないゲノムからアレル(対立遺伝子)頻度範囲を組み込むことによりこれらの範囲を拡張する手法が開発されましたが、最近では、たとえば金属器時代を通じて解像度がありません。
ゲノム規模系統生成における最近の発展と、本論文の多数の物理的位相標本を活用することで、本論文のデータセットにおける各人口集団のごく最近(1000年前頃)までの有効人口規模を推定できます(図4A)。全中東人の祖先は、7万〜5万年前頃の出アフリカ事象の頃に人口規模の顕著な減少を示す、と明らかになりました。このボトルネック(瓶首効果)からの回復は、レヴァントとアラビア半島の間の差異が出現し始める20000〜15000年前頃まで、同様のパターンをたどります。レヴァントとイラクの全人口集団はかなりの人口拡大を示し続けますが、アラブ人は類似の人口規模を維持しました。この差異は注目に値します。それは、この差異が最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)の終了後に始まり、新石器時代に顕著になるからで、新石器時代には肥沃な三日月地帯で農耕が発達し、より大きな人口集団を支える定住社会へとつながりました。
新石器時代に続いて、6000年前頃となるアラビア半島の乾燥化の始まりとともに、アラビア半島の人口集団はボトルネックを経ましたが、レヴァント人は人口規模が増加し続けました。その後、レヴァント人の拡大は停滞期に入り、4200年前頃の乾燥化事象で人口規模は減少します。エミラティ人(アラブ首長国連邦人)の減少はとくに顕著で、有効人口規模は5000人となり、同時期のレヴァント人およびイラク人の1/20程度でした。人口回復は過去2000年で観察されます。本論文の結果は、以前の人口規模推定に影響を及ぼした可能性のある、中東で一般的な最近の近親結婚に対しても堅牢で、それは、分析において標本ごとに単一のハプロタイプを含めたからです。
次に、中東の人口集団の、中東人口集団内および世界の人口集団との人口分離の歴史が調べられました。この分析における正確な位相調整の重要性は、統計的に位相データに基づいて、現代パプア人がアフリカからの現生人類(Homo sapiens)の初期の拡大の祖先系統を有している、と提案した以前の知見(関連記事)により示されます。しかし、その以前の知見は、物理的に位相化されたゲノムデータを用いて複製されなかったので、統計的に不自然な結果が原因だった、と示唆されました(関連記事)。
逆に、最近の人口分離の歴史を調べるさいには、稀な多様体がより多くの情報をもたらすものの、統計的手法により正確に位相化されておらず、参照パネルに存在する可能性は低くなります。本論文ではまず、中東の現代人が出アフリカ現生人類の初期拡大からの祖先系統を有しているのかどうか、HGDPからの物理的に位相化された標本と本論文の人口集団との分岐年代の比較により検証されました(図4B)。分岐年代の発見的推定値として相対的な交差合着率(rCCR)を0.5とすると、レヴァント人とアラブ人とサルデーニャ島人と漢人は同じ分岐年代と、さらに12万年前頃以降のムブティ人からの同じ漸進的な分離パターンを共有している、と明らかになりました。次に、本論文のデータセットの人口集団とサルデーニャ島人が比較され、両者は2万年前頃に分岐し、レヴァント人はアラブ人よりもわずかに最近の分岐を示す、と明らかになりました。
ムブティ人との漸進的な分離パターンとは対照的に、サルデーニャ島人は中東の全人口集団とのより明確な分岐を示します。注目すべきことに、レヴァントおよびアラビア半島内の全系統と、さらに全ての中東人口集団およびサルデーニャ島人の内部の系統は、過去4万年以内で合着します。これらの結果をまとめると、現代の中東人口集団は、出アフリカ現生人類のより早期の拡大からの顕著な痕跡を有しておらず、全ての人口集団は6万〜5万年前頃にアフリカから拡大した同じ人口集団の子孫だった、と示唆されます。
次に、中東内の人口集団の分離年代が比較され、最古の分離年代はアラビア半島とレヴァント/イラクとの間だった、と明らかになりました(図4C)。エミラティ人はイラクのクルド人と1万年前頃に、ヨルダン人およびシリア人およびイラクのアラブ人とはもっと新しく7000年前頃に分岐しました。同じ人口集団からのサウジ人の分岐年代はもっと最近のようで7000〜5000年前頃ですが、イエメン人の分離曲線はエミラティ人とサウジ人の曲線間の中間です。アラビア半島とレヴァントの人口集団間の分岐年代は青銅器時代に先行し、本論文の系統発生モデル化と一致しますが、青銅器時代にアラビア半島への拡大が起きたならば、祖先系統の完全な置換は起きませんでした。以下は本論文の図4です。
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レヴァントとイラクの内部では、全ての分岐は過去3000〜4000年間に起きました。アラビア半島内では、イエメン人がエミラティ人と4000年前頃に分岐し、サウジ人はエミラティ人およびイエメン人の両方と最も分岐度の低い人口集団として現れ、過去2000年以内となる最近の分岐です。注意すべきは、この地域内の分離曲線が漸進的なように見えることで、明確な分岐よりもむしろ、分離後の継続的な遺伝子流動が示唆されます。また、この分離曲線にはこれらの人口集団の混合史が反映されていることにも要注意です。
●中東における古代の遺伝子移入と深い祖先系統
ほとんどの非アフリカ人口集団における類似のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)祖先系統量と、遺伝子移入されたハプロタイプの低い多様性から、現生人類はアフリカ外に拡大したさいにネアンデルタール人との単一の混合の波を経た可能性が高い、と示唆されています(関連記事)。中東の人口集団は以前に、ヨーロッパおよびアジア東部の人口集団よりもネアンデルタール人祖先系統が少ない、と示されましたが、この知見の解釈は、ネアンデルタール人祖先系統を「希釈する」最近のアフリカ人との混合により複雑になっています。
さらに、一部の分析では外群の使用が必要ですが、外群にネアンデルタール人祖先系統が含まれる場合、推定を偏らせる可能性があります(関連記事)。本論文のデータセットにおけるネアンデルタール人からの遺伝子移入を調べるため、標本の正確な位相調整を利用し、高網羅率となるクロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)のネアンデルタール人のゲノム(関連記事)と、交差合着率が比較されました。全ての中東人は、他のユーラシア人と同様の時期に古代型混合の兆候を示しました(図5A)。
次に、同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD。かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示し、IBD領域の長さは2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります)に基づく手法であるIBDmixが用いられました。IBDmixは、標的集団とネアンデルタール人のゲノムを直接的に比較し、ネアンデルタール人起源のハプロタイプを検出します(関連記事)。
本論文の標本とHGDPデータセットでIBDmixが実行され、ネアンデルタール人起源の可能性が高そうな合計12億7000万塩基対の区域が回収されました。本論文のデータセットに固有ではあるものの、他の非中東地域ユーラシア人には存在しないネアンデルタール人のハプロタイプの量を比較すると、合計で2500万塩基対しか見つからず、中東人におけるネアンデルタール人のハプロタイプの大半が他の人口集団と共有されている、と示されます。しかし、世界では比較的稀であるものの、アラビア半島では高頻度に達する、比較的大きな遺伝子移入されたハプロタイプ(最大50万塩基対程度)が見つかりました。
次に、人口集団あたりの合計のネアンデルタール人由来の塩基対の平均数が比較され、レヴァント人を含む他のユーラシア人口集団と比較してアラビア半島ではより低い値が見つかりました。たとえば、ドゥルーズ派とサルデーニャ島人は類似の量(1個体平均5640万塩基対)のネアンデルタール人祖先系統を有しています(図5B)。対照的にアラビア半島では、エミラティAとサウジAのネアンデルタール人祖先系統は平均してそれぞれ5270万塩基対と5210万塩基対で、ドゥルーズ派やサルデーニャ島人よりも8%、漢人よりも20%少なくなっています。
エミラティAとサウジAのアフリカ祖先系統は3%未満なので、アラビア半島におけるネアンデルタール人祖先系統の希釈はアフリカ祖先系統だけでは説明できません。以前の研究では、ネアンデルタール人祖先系統の割合が低いか皆無の基底部ユーラシア人集団が、古代および現代のユーラシア人にさまざまな割合で寄与し、新石器時代イラン人とナトゥーフィアン人では50%に達する、と提案されました(関連記事)。アラブ人は中東の他地域集団と比較してナトゥーフィアン的祖先系統を過剰に有しているので、アラブ人はネアンデルタール人祖先系統を減少させるだろう基底部ユーラシア人祖先系統も過剰に有している、と明らかになりました。
さらに、ほとんどの中東現代人は最近の混合からアフリカ祖先系統を有しており、それも主要なユーラシア祖先系統を有する時期と比較して、中東現代人の深い祖先系統に寄与しています。中東現代人では、深い祖先系統の増加とネアンデルタール人祖先系統量との間で負の相関関係が見つかりました。全ての古代人口集団を検証すると、ネアンデルタール人祖先系統の希釈を説明する2つの勾配(図5C)が明らかになりました。一方はアフリカ祖先系統により、もう一方は基底部ユーラシア人祖先系統により形成されます。中東人は、両方の祖先系統を有するので、両方の勾配に影響を受けたようです。以下は本論文の図5です。
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●選択
現在の超乾燥気候は、アラビア半島の人口集団における適応に選択圧を及ぼした可能性があります。これを調べるため、控えめなゲノム規模閾値でひじょうに急速に拡大した変異を有する系統のゲノム規模系図が調べられました。以前の研究では、アラビア半島におけるラクターゼ(乳糖分解酵素)活性持続(LP)と関連する、ヨーロッパの既知の多様体(rs4988235)とは異なる2つの相関する多様体(rs41380347とrs55660827)が特定されました。アラブ人の多様体rs41380347について、本論文では強い選択の証拠が明らかになりました(図6A)。同様ではあるものの、やや弱く、ヨーロッパ人ではrs4988235における強い選択が報告されています。
rs41380347はアラビア半島人口集団において最高頻度で存在し、サウジ人とエミラティ人では50%となりますが、レヴァントとイラクでは4%とずっと低頻度になります。注目すべきことに、この多様体は1000人ゲノム計画(1KG)ではユーラシアもしくはアフリカの人口集団に存在しませんが、一部のアフリカ東部集団には低頻度で見られます。この多様体は、レヴァントとイランの古代人を含む既知の古代ユーラシア人157個体でも見つからず、中東内のハプロタイプの最近の起源および選択によるその後の頻度増加と一致します。この多様体は9000年前頃から現代の間に頻度が急速に増加した、と明らかになりました(図6A)。注目すべきことに、この期間はアラビア半島における狩猟採集民から牧畜採集民への生活様式移行と重なります。
最近の頻度増加を示す追加の多様体も特定されました。多くの遺伝子には発現量的形質遺伝子座(eQTL)でもある、LMTK2遺伝子内の多様体rs11762534は、推定上の選択の証拠を示します(図6B)。LMTK2遺伝子は、アポトーシスや成長因子シグナリングを含む多様な細胞過程に関わり、マウスでは精子形成に不可欠と思われる、セリン/セロトニンキナーゼをコードします。中東以外では、この多様体はひじょうに層序化されており、ヨーロッパ人で最高頻度(1KGで45%)となりますが、アフリカ人とアジア東部人では1%未満と稀です。
この多様体の頻度は、アラビア半島人口集団では66%、ベドウィンBでは81%ですが、ドゥルーズ派とパレスチナ人ではともに55%とやや頻度か低いようです。rs35241117における強い推定上の選択の兆候も見つかりました(図6C)。この多様体は、サウジ人とイエメン人で最高の世界規模の頻度(最大で60%)を示し、糸球体濾過や利尿や高血圧やBMIなど、多くの代謝や骨格や免疫特性と関連しています。rs35241117はクウェート人サウジ人で選択下にあると最近示唆された40万塩基対外に位置しますが、それとは中程度の連鎖不平衡(LD)です。
さらに、アラビア半島とレヴァント/イラクとの間の強く違う多様体が探されました。エミラティ人とサウジ人の両方では、7番染色体の97000塩基対で分化の強い兆候が見つかりました。このハプロタイプ(rs1734235)の多様体はアラブ人ではほぼ固定しており、培養線維芽細胞におけるlincRNA AC003088.1の発現増加と関連しています。イエメンで最も極端な人口集団分枝統計はrs2814778で、rs2814778では派生的アレルがダッフィー・ヌル(Duffy null)表現型をもたらし、1KGではアフリカの人口集団においてほぼ排他的に見られます。
しかし、この多様体はイエメン人ではひじょうに一般的で(74%)、アラビア半島を北上するにつれて頻度が減少します(サウジ人では59%ですが、イラクのアラブ人では6%です)。ゲノム全体でこの領域は中東においてアフリカ祖先系統が最も濃縮されており、以前の研究と一致する、と明らかになりました。イエメン人とサウジ人におけるアフリカ祖先系統の平均量はそれぞれ9%と3%なので、この多様体の高頻度はアフリカ人との混合後の正の選択と一致しているようです。この派生的なアレルは、アラビア半島において歴史的に存在してきた三日熱マラリア原虫感染を防ぐ、と考えられてきました。
ゲノム規模の系統を用いる利点は、比較的弱い選択を検出する力があることです。そこで、とくに過去2000年間の、20の多遺伝子性特徴全体のアラビア半島人口集団における多遺伝子適応の証拠が探されました。ほとんどの特徴では、身長や肌の色やBMIなど、最近の方向選択の証拠は見つからないか、決定的ではありませんでした(図6D)。しかし、いくつかの特徴は証拠を示しており、最も強い選択兆候は、現代西洋社会の教育年数と関連する遺伝子多様体に現れ、全アラビア半島人口集団で一貫しています。これはイギリスの人口集団でも報告されていますが、その兆候は他の特徴で条件付けした後には減少すると示されており、相関する特性を介した間接的選択が示唆されます。
イギリスの人口集団の知見とは対照的に、日焼けや髪の色などの特徴に作用する推定上の選択の証拠は見つかりませんでした。アラビア半島内では、ほとんどの特徴の推定上の選択の方向性は、おそらく共有された祖先系統の結果として、人口集団全体で類似しています。しかし注意すべきは、アラビア半島全体の現在の変化している環境は、さまざまな最近の選択圧を起こす可能性がある、ということです。エミラティ人では、2型糖尿病を増加させる多様体の推定上の選択の証拠が見つかりました。エミラティ人における2型糖尿病の発症率は世界で最も高く、それは部分的に定住性生活様式への強い最近の変化に起因すると考えられているので、興味深い結果です。同じ人口集団で、低密度リポ蛋白質の水準を向上させ、アポリプロテインBの水準を減少させる推定上の選択のわずかな証拠も見つかりましたが、多重検定を調整すると、これらの証拠は示唆的になりました。以下は本論文の図6です。
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●考察
本論文は、遺伝的に充分に研究されていなかった中東地域の高網羅率のゲノム配列の生成を報告しました。研究された全ての標本は、連鎖読み取り配列を用いて実験的に位相化され、大規模で正確なハプロタイプの再構築を可能とします。以前の世界規模の配列計画では分類されていなかった何百万もの多様体が見つかり、そのかなりの割合が中東では一般的です。これら一般的な多様体の大半は短い読み取りの利用可能な被覆外にあり、標準的な短い読み取りの配列に基づく研究の限界を浮き彫りにします。
多数の物理的に位相化されたハプロタイプにより、比較的古い期間(10万年以上前)からごく最近(1000年前頃)までの人口史の研究が可能になりました。アフリカからのヒトの初期拡大が、中東の現代の人口集団に遺伝的に寄与した証拠は見つかりませんでした。この知見は、全ての非アフリカ系現代人はアフリカからの単一の拡大の子孫で、その後すぐにネアンデルタール人と混合し、それは世界の他地域に移住する前だった、という支持を集めつつする合意に追加されます(関連記事)。
中東の人口集団は地域固有のネアンデルタール人由来のDNAをほとんど有しておらず、その大半が他のユーラシア人と共有されている、と明らかになりました。アラビア半島の人口集団は、レヴァントやヨーロッパやアジア東部の人口集団よりもネアンデルタール人祖先系統の割合が低く、これは、ネアンデルタール人と混合しなかった基底部ユーラシア人からの祖先系統の増加と、ネアンデルタール人の遺伝的影響をユーラシア西部現生人類から間接的にしか受けなかったアフリカ人との最近の混合に起因する、と示されます。
古代人のゲノムを用いて現代の人口集団をモデル化することにより、レヴァントとアラビア半島の人口集団間の違いが識別されました。レヴァントの人口集団はヨーロッパ/アナトリア半島関連祖先系統の割合がより高い一方で、アラビア半島人口集団はアフリカおよびナトゥーフィアン的祖先系統の割合がより高くなっています。レヴァントとアラビア半島との間の差異は、人口規模の歴史によっても示されます。両者は新石器時代前の20000〜15000年前頃に分岐し、定住農耕生活様式への移行はレヴァントで人口増加を可能にしたものの、アラビア半島では並行していなかったことを示唆します。
アラビア半島では後期更新世と前期完新世の間で人口集団の不連続性が起き、アラビア半島は肥沃な三日月地帯からの新石器時代農耕民により再移住された、と示唆されています。本論文の結果は、レヴァントの農耕民によるアラビア半島人口集団の完全な置換を支持しません。さらに、本論文のモデルでは、アラビア半島の人々は、レヴァントの農耕民ではなく、ナトゥーフィアン的な在来狩猟採集民人口集団に祖先系統が由来する、と示唆されます。アラビア半島北部石器群は、その一部がレヴァントの農耕民により製作された石器群と類似しているように見えると識別されており、さらにレヴァントとアラビア半島との間の家畜動物の移動から、人口集団の移動もしくは文化的拡散のどちらかによるものだった、と提案されてきました。本論文の結果は、文化的拡散および/もしくはレヴァントからの限定的な移住を示唆します。
中東現代人のモデル化に必要な系統の追加の供給源は、古代イラン人と関連しています。本論文の混合検証では、古代イラン人祖先系統がまずレヴァントに到達し、その後でアラビア半島とアフリカ東部に到達した、と示されます。これらの事象の年代は、興味深いことにセム語派の起源および拡大と重なっており、この祖先系統を有する(おそらくはレヴァントもしくはメソポタミアのまだ標本抽出されていない)人口集団がセム語派を拡大させた、と示唆されます。乾燥化事象と関連する気候変化が人口集団のボトルネックと関連していることも明らかになり、アラビア半島では6000年前頃に砂漠気候の始まりとともに人口規模が減少しましたが、レヴァントでは、4200年前頃の乾燥化事象で人口が減少しました。この深刻な旱魃は、中東とアジア南部の王国および帝国の崩壊の原因になった、と示唆されており、本論文で特定された兆候に遺伝的に反映されている可能性があります。
多様体の進化史の再構築への祖先的組換え図の適用は、自然選択研究に強力な手法を提供します。本論文は、アラビア半島の人口集団において、選択の兆候を洗練して特定しました。過去数千年に50%にまで頻度が達し、アラビア半島外ではほぼ存在しない多様体と関連するラクターゼ活性持続の事例は、ヒトの歴史と適応の理解において、あまり研究されていない人口集団の研究が重要だと示します。
本論文の結果から、多遺伝子性選択は、過去に有益だった可能性があるものの、現在では2型糖尿病などの疾患と関連している多様体の頻度増加に役割を果たしたかもしれない、と示唆されます。本論文では、他の人口集団と比較して、アラビア半島人口集団では多遺伝子性選択の兆候がほとんど見つからず、これは理論的に選択の強度を低下させるだろう長期の小さな有効人口規模の結果かもしれません。長期の小さな有効人口規模は、とくに最近の近親結婚の習慣(関連記事)と相まって、メンデル型や複雑な特徴の研究に利用できます。なぜならば、個体群はホモ接合型の機能喪失変異を有し、自然な「ヒトノックアウト」として機能するからです。本論文と中東地域における最近の国立バイオバンク設立は、健康格差是正への第一歩であり、将来、中東における複雑で疾患性の特徴を調べるための、刺激的な機会を提供します。以下は本論文の要約図です。
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本論文は最後に限界も指摘しています。アラビア半島人口集団の形成を洗練し、レヴァントとアラビア半島との間の先史時代のつながりをさらに明らかにするには、アラビア半島からの将来の古代DNA研究が必要です。中東の人口集団はゲノム規模関連解析では最も注目されていない集団の一つなので、選択兆候の理解や多遺伝子性特徴の分析には限界があります。中東集団に関する将来のゲノム規模関連解析は、これらの人口集団における多遺伝子性選択の影響を理解するのに必要です。
参考文献:
Almarri MA. et al.(2021): The genomic history of the Middle East. Cell.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2021.07.013
古人類学
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2021年08月08日
Y染色体の詳細な分析に基づく新石器時代のヨーロッパ西部への農耕民の拡大経路
古人類学
Y染色体の詳細な分析に基づく新石器時代のヨーロッパ西部への拡大経路に関する研究(Rohrlach et al., 2021)が公表されました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)やY染色体の非組換え領域(NRY)のような片親性遺伝標識は、その歴史を単純な進化系統樹により表せるという事実のため、集団の人口史についての魅力的な情報源です。1980年代の先駆的研究以来、ゲノム研究以前には、人類の遺伝的歴史と世界への移住のほとんどは、片親性遺伝標識のmtDNAとNRYから推測されていました。細胞内のコピー数が多く、ゲノムが短くて(17000塩基対未満)、比較的高い置換率のため、mtDNAはとくによく研究されてきており、人口集団の遺伝的変異性についての安価ではあるものの信頼できる情報源を産出してきました。
逆に、NRYのマッピング可能な部分(古代DNA研究などで短い読み取りが確実にマッピングされている領域)はmtDNAよりもずっと長く(10445000塩基対)、男性個体の細胞で単一コピーとしてのみ表れます。進化的置換率(年間の部位あたりの置換数)は、NRYではmtDNAよりも最大で2桁低い、と推定されました。たとえば、7.77×10⁻¹⁰〜8.93×10⁻¹⁰で、ミトコンドリアゲノムでは1.36×10⁻⁸〜1.95×10⁻⁸となりますが、置換率の推定に関しては多くの議論があります。しかし、mtDNAと比較してNRYのゲノムがより長いことは、これらの置換率から、および単一系統の場合に、ミトコンドリアゲノムでは約3094〜4440年に起きる点変異と比較して、NRYでは約108〜123年ごとに点変異が起きることを意味します。その結果、NRYは集団の父方の人口史についてより多くの情報を含み、男性主導の移住もしくは父方居住など、男性に偏った集団の人口統計学的変化について多くの情報を提供できるので、人口集団の父方の歴史を調べることは、ひじょうに重要かもしれません。
人口史の研究では、古代DNAはかけがえのない情報源として示されてきました。古代DNA研究は、ユーラシア西部における大規模な人口集団の移動と遺伝的交替事象を明らかにしてきており(関連記事1および関連記事2および関連記事3)、これらの事象は現代の人口集団の遺伝的データからの復元は不可能でした。古代人の片親性遺伝標識の研究も、現代人のみの研究では検出できない結果をもたらしてきました。たとえば、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)後のヨーロッパの再移住に続くmtDNAの多様性喪失、もしくは新石器時代拡大に続くヨーロッパ東部および中央部における狩猟採集民Y染色体系統多様性の減少と部分的な置換(関連記事)や、紀元前三千年紀初めにおける草原地帯的祖先系統(祖先系譜、ancestry)の到来に伴う、その後の新石器時代Y染色体系統の多様性喪失です(関連記事1および関連記事2)。
古代DNAデータを用いる研究者たちは、通常、標本の品質に関連する問題、とくに死後のDNA崩壊と環境汚染による内在性DNAの減少に直面します。Y染色体は男性細胞の全DNAの2%未満程度を占めており、これが意味するのは、研究者たちが単一コピーのNRYで充分な情報価値のある部位を適切に網羅するためにショットガン(SG)配列の使用を望むならば、良好なDNA保存状態の標本でさえ、かなりの配列作業が必要になる、ということです。
標的捕捉分析評価の開発により、古代DNA研究者たちは配列においてゲノムの特定の部位と領域を濃縮できるようになり、古代標本からのヒト内在性DNAの収量は大きく改善しました。そうした一般的な分析評価の一つが1240kアッセイ(分析評価)で、ヒトゲノムにおける124万ヶ所の祖先系統の情報価値のある部位を標的とし、そのうち32000ヶ所はY染色体上の既知の多様体の選択を表します。これは、情報価値のあるY染色体の一塩基多型の遺伝子系譜学国際協会(ISOGG)の一覧に基づきます。注目すべきことに、市販の利用可能版(myBaits Expert Human AffinitiesやDaicel Arbor Biosciences)では、ISOGGにより特定された追加の46000ヶ所のY染色体一塩基多型が含まれており、現代人男性で変異が見られます。
現在知られている情報価値のあるY染色体の一塩基多型の数(ISOGGでは73163ヶ所、Yfullでは173801ヶ所)と比較して、標的Y染色体一塩基多型の数は比較的少なく、基本的なY染色体ハプログループ(YHg)の分類は可能ですが、現代の多様性と特定地域に大きく偏っています。結果として、1240kアッセイにおける特定のY染色体一塩基多型の表示に応じて、得られるYHgの分類は低く不均一な解像度になる可能性がありますが、標的を絞る手法は、ヒトの過去における隠れたおよび/もしくは消滅した可能性のある系統の検出ができません。
人口集団の男性の歴史をよりよく研究して理解するために、すでによく知られている一塩基多型だけを標的にするのではなく、NRYの部位の配列データをとくに濃縮する標的分析評価の必要性が認識されました。そのため、YMCA(Y染色体マッピング可能捕獲分析評価)が設計され、実装されました。これは造語で、古代DNAに典型的な短いリードをヒトゲノムに確実にマッピングできるNRYの領域を標的とします。類似の手法はすでに以前の研究で調べられました(関連記事)。しかし本論文では、その研究で提示された精査セットとの詳細な比較は避けられます。その研究では、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)といったずっと古い標本のために設計され、690万塩基対を標的としているので、「マッピング可能」の定義が本論文よりもずっと控えめで制約されています。一方、別の研究では890万塩基対領域が報告され、本論文の標的領域をほぼ完全に(99.97%)含んでいます。本論文は、標的領域の残りの150万塩基対で確実にマッピングされた部位を得られる、と示します。
本論文は、YMCA がショットガン配列と比較してNRY部位の相対的な網羅率を大きく改善し、同じ配列作業でNRY部位を濃縮できる、と示します。また本論文は、YMCAが2つの点で1240k一塩基多型アッセイ配列よりもずっと性能が優れていることを示します。本論文は実験的に、YMCAが網羅されているNRY部位の数を改善する、と示します。また本論文は、関連するbedファイル(標的領域を記述したタブ区切りのテキストファイル)により定義された標的NRY部位の考慮により、および抽出への高い複雑性を有する標本を配列する場合、YMCAが1240kアッセイ配列と比較して、YHg分類と新たな診断に役立つ一塩基多型の発見に対して、解像度改善の可能性を有することも示します。
本論文は、YHg-H2(P96)の分析によりYMCA経由で得られた性能改善を強調します。YHg-H2は、ユーラシア西部の新石器時代移行期の初期農耕民と関連した低頻度のハプログループです。本論文は、既知の46個体(古代人45個体と現代人1個体)と、新たにYMCAで配列された49個体(全員古代人)のデータセットを精選しました。おもに現代人20個体の標本に基づくYHg-H2の現在の理解は、本論文のYHg-H2の個体群の古代の多様性と一致しない、と本論文は示します。この古代のYHgの解決において、アナトリア半島からヨーロッパ西部への新石器時代集団にとっての、地中海とドナウ川に沿った異なる2経路を示せます。地中海由来の集団は、最終的にブリテン島とアイルランド島にも到達しました。
●YMCAの性能の検証
YMCAの性能を評価するため、さまざまな保存状態水準の標本について、内在性ヒトDNAの実験上の倍増が計算されました。ショットガンと1240kとYMCAの配列データについての、多すぎる環境変数の影響を避けるため、同じ遺跡から標本が選択されました。それはドイツのレウビンゲン(Leubingen)遺跡です。次に、網羅されたNRY部位の数と、少なくとも一度各ライブラリタイプで網羅されたISOGGの数を調べることにより、同じライブラリでの標準的なショットガン配列と1240kキャプチャに対するYMCAの実験上の性能が比較されました。ヒト内在性リードのみを選別し、次に500万の内在性リードごとに網羅された部位・一塩基多型の数を正規化することにより、同じ品質と入力配列労力が説明されます。ショットガン配列をYMCAと比較すると、内在性ヒトDNAの量で顕著な増加が観察され、以下ではこれが「濃縮」と呼ばれます。標本の保存状態が増加するにつれて濃縮が減少する、と明らかになりました。つまり、より高い開始内在性DNAの割合が高い標本では、濃縮効果が減少するものの、それでも有意でした。
ショットガン配列と比較すると、YMCA捕捉ライブラリにより網羅されたNRY部位の数では、15.2倍の顕著な平均増加が観察され、1240k配列と比較した場合は1.84倍となり、YMCAは平均してショットガン配列および1240k配列の両方よりも多くのNRY部位を網羅する、と示されます(図1)。またこれは、ショットガン配列の500万リードあたり平均15.2倍のISOGG一塩基多型を網羅しているので、YMCAのわずか500万リードと比較して、ショットガン配列では同じ数のNRY部位を網羅するのに7600万のリードを配列する必要がある、と示唆します。以下は本論文の図1です。
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興味深いことに、1240k配列と比較すると、YMCA捕捉ライブラリで少なくとも1回網羅されたISOGG一塩基多型の数では、平均4.36倍増加していることも明らかになりました。これは、同じ配列作業でYMCAがより多くの情報価値のある一塩基多型を網羅していることも示唆します。網羅されたNRY部位の数と、ショットガン配列および1240k配列の内在性DNAの割合は相関していないことと、網羅されたISOGG一塩基多型の数と1240k配列の内在性DNAの割合は相関していないことが明らかになり、これらの結果が標本における回収可能なヒトDNAの相対的量に依存しないことを示唆します。したがって、Y染色体で網羅される一塩基多型は1240kアッセイを用いると追加のボーナスですが、それはおもに男性と女性の常染色体ゲノムの分析で使用されるので、研究者が効率的かつ徹底的にY染色体の非組換え部分を調べたいならば、YMCAは明らか顕著な改善である、と明らかになります。
次に、各bedファイルにしたがって、1240kアッセイとYMCAにも含まれる、ISOGG一塩基多型一覧14.8版におけるハプログループの情報をもたらす一塩基多型の割合が比較されました。YMCAと1240kアッセイは同じ技術に基づき、同じ実験室の手順で捕捉されているので、この比較はとくに強力です。1240kアッセイは現在掲載されているISOGG一塩基多型の24.44%を標的としますが、YMCAは90.01%を標的とします(図2)。注意すべきは、ISOGG一塩基多型の残り9.99%はNRY領域に存在し、古代DNAで一般的な短いリードでは「マッピングできない」と考えられることです。
1240kアッセイの各部位は2つの精査(アレルと代替アレル)および多様体のそれぞれの側の5200塩基対により標的とされるので、追加の隣接する「標的」部位もマッピングされたリードから回収可能です。したがって、1240kアッセイの各一塩基多型の120塩基対(それぞれの側で60塩基対)の解析単位(window)も許可され、これは古代DNAの妥当な平均リード長です。この1240k+120塩基対の部位の一覧では、標的とされるISOGG一塩基多型の割合が45.34%にまで増加しますが、これは、1240k一塩基多型アッセイが、情報価値のあるY染色体一塩基多型が含まれる総数により基本的に制約されることも示します。ISOGG標的一塩基多型におけるこの顕著な増加は、同じ配列作業でYMCAがより多くISOGG一塩基多型を網羅する理由も説明します。以下は本論文の図2です。
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さらに、NRYをできるだけ多く回収することは、とくに研究者がY染色体の新たな多様体を探すか、もはや存在しないかもしれない過去の多様性の解明に関心を持っている場合に、たいへん重要です。1240kアッセイにより標的とされた部位の数をYMCAと比較すると、1240k捕捉アッセイは合計で32670ヶ所の部位を標的とする可能性があり、これはYMCAにより標的とされた部位の数の約0.31%になる、と観察されます。しかし、各一塩基多型の周囲の120塩基対の解析単位を含めると、1240kアッセイは3953000ヶ所の部位、もしくはYMCAを用いての分析できる可能性のある部位の数の37.82%を、標的とする可能性があります。したがって、YMCAは新たな祖先系統の情報をもたらす一塩基多型のNRYを探すための手法としてより優れている、と予測されます。
この研究では、YMCAと1240kにより標的とされた利用可能なISOGG一塩基多型を考えて、YHg分類の可能な潜在的解像度の比較にも関心がもたれました。各bedファイルのISOGG一塩基多型によると、32000ヶ所のY染色体の周囲の120塩基対を含めた時でさえ、一塩基多型YHgの解像度は改善できないことも明らかになりました。これは、現在優勢なYHgと、とくに、既知の過去の人口集団と関連するものの、現代の人口集団では顕著に頻度が低下しており、1240kアッセイの診断一塩基多型では充分に網羅されないYHgの両方で当てはまります。
初期狩猟採集民のYHg-C1a2(V20)や、新石器時代の拡大と関連するYHg-G(Z38202)やYHg-H2(P96)などのハプログループでは低解像度がよく観察されます。これらのYHgに関して、1240kアッセイのY染色体一塩基多型は、それぞれ関連するISOGG一塩基多型の0.8%と0%と13%を標的とします。120塩基対の解析単位を含めると、これらの割合はそれぞれ32.5%と31.2%と36.2%に増加しますが、依然としてYMCAにより標的とされた一塩基多型の場合の、89.6%と90.6%と95.2%よりもずっと低くなります(図2)。さらに、初期ヒト集団の移動において存在すると考えられているものの、現代人集団では比較的多く見られるYHgの理論的網羅率が低いことも、1240kアッセイの部位に関して問題となる可能性があります。たとえば、アメリカ大陸への人類最初の移住と関連する、YHg-Q1b1a1a(M3)は、1240kアッセイでは関連する診断上の一塩基多型の11.9%(120塩基対の解析単位を含めると33.5%)しか網羅されていないのに対して、YMCAでは92%となります。
まとめると、ショットガン配列および1240kアッセイと比較して、YMCAはNRYへのマッピングリードの相対的割合を高めます。またYMCAは、1240kアッセイよりもNRYの部位を2.5倍以上標的としており、新たな診断一塩基多型の検出を可能とします。しかし重要なことは、YMCAが、すでに情報価値があると知られているものの、1240kアッセイでは標的とできない一塩基多型を標的とすることです。
●事例研究としてのYHg-H2へのYMCAの適用
標本選別のショットガン配列の手順適用と、実験室での適切な標本へのその後の1240kキャプチャを通じて、古代の男性個体におけるさまざまなYHgについて新たなYMCAの性能を調べられました。本論文は、YHg-H2(P96)の事例を紹介します。データ不足と現代の人口集団では低頻度であるため、YHg-H2では進化系統樹の解像度が依然として不明です。現在の古代DNA記録から判断すると、YHg-Hは過去には、とくに新石器時代化の時期のユーラシア西部全域で農耕拡大と関連する男性の間でもっと一般的だったようです。本論文は結果として、古代DNA研究、とくにYHgの高解像度型は、過去と現在のY染色体の進化関係の解明に役立つ、と示せます。
YHg-H(L901)はアジア南部で48000年前頃に形成された、と考えられています。その下位区分のYHg-H1a(M69)とH2(P96)とH3(Z5857)は、その後4000年で急速に形成されたようです。YHg-H1およびH3は44300年前頃に形成されたと推定されていますが、YHg-H2はわずかに早く45600年前頃に形成された、と推定されています(yfull)。
YHg-H1およびH3はアジア南部ではまだ20%の頻度で見られますが、ヨーロッパではひじょうに頻度が低く、YHg-H1はロマ人の900年前頃の拡大との関連のみで見られます。逆に、YHg-H2は少なくとも1万年前以来ユーラシア西部に存在してきており、農耕拡大と強く関連していますが、現代のヨーロッパ西部人口集団では0.2%以下の頻度です。対照的に、YHg-H2は新石器時代集団ではより一般的で(関連記事1および関連記事2)、観察されたYHgの1.5〜9%を構成しますが、中には例外的に30%に達する個体群も存在します。
5000年前頃となる草原地帯関連祖先系統の到来とともに、YHg-R1aやR1bなど侵入してくるYHgが、YHg-G2やT1aやH2などより古い「新石器時代」YHgの多くをほぼ置換し、YHg-H2はとくに、新石器時代個体群において高頻度で見られませんでしたが、その多様性も大きく減少し、多くの下位系統が完全に失われたかもしれない、と予測されます。
本論文のYMCAがハプロタイプ決定品質を向上させて系統地理学的推論も導き出せるのかどうか検証するため、先史時代古代人のDNAデータと、暫定的にYHg-H2に分類された選択された個体群の新たな収集が用いられました。49個体の新たなデータが生成され、既知の46個体のY染色体ゲノムデータと統合されました。
YHg-H2は、新石器時代のより優勢なYHg-G2a2b2a1a2a(Z38302)とともに一般的に見られますが、本論文ではYHg-H2の低頻度が注目されます。とくに、YHg-G2a個体群の相対的な高頻度と比較してのYHg-H2個体群の相対的な少なさから、系統選別のより強い影響と、したがって観察される地理的パターンのより高い変化を予測するように、「系統の歴史」、したがって潜在的には拡散経路をよりよく追跡できます。この特定の事例では、YHg-H2個体群と関連する固有の遺伝標識を用いて、アナトリア半島からヨーロッパ西部への拡大する新石器時代農耕民を追跡でき、新石器時代拡大の提案されたいわゆる「ドナウ川もしくは内陸部」経路と「地中海」経路を遺伝的に識別可能なのかどうか、検証できます。これらの新石器時代拡大経路は、最近核ゲノム分析でも裏づけられました(関連記事)。
残念ながら、Y染色体の進化系統樹のYHg-H2の下位区分は、YHg-H2個体の現代人標本の不足とYHg-H2の古代人の相対的な少なさのため現在よく理解されておらず、多くの場合、既知および未報告の古代人標本のほぼ全ての系統樹的歴史と一致しません。本論文では、1例を除く全事例で、YHg-H2個体群は、YHg-H2 a1やH2b1など、現在のISSOG分類における2つの分岐クレード(単系統群)から派生した一塩基多型の混合を有している、と明らかになりました。したがって、上述のYMCAの性能から、さらにYHg-H2個体群が分析され、この系統の分岐パターンの解明が試みられました。
Y染色体DNAの非組換え部分では、進化史は系統樹構造に従うと予測されるので、たとえばISOGGでのYHg-H2aとH2b1とH2c1aなどの混合ハプログループはあり得ません。これらの個体群のよりよく理解された進化史を見つけるため、IQ-TREEを用いて最尤(ML)系統発生樹が構築されました。ML系統樹(図3A)から2つの主要なクレードが識別され、暫定的にH2m(青色)およびH2d(緑色)と表示されます。現在のISOGGの命名法に関して、YHg-H2mはYHg-H2とH2aとH2a1とH2c1aの一塩基多型の混合により定義づけられることに要注意です。YHg-H2dは、2ヶ所のYHg-H2b1の一塩基多型と、以前には検出されなかった追加の4ヶ所の一塩基多型により定義されるようです。したがって、YHg-H2dは、トルコとドイツの個体群から成る下位クレードを含んでおり、それらは、YHg-H2b1と関連する追加の10ヶ所の一塩基多型により独自に定義され、さらなる下位区分の可能性が示唆されることに要注意です。
診断一塩基多型の拡張セットに基づいて、ML系統樹に含まれるための最小限の網羅率要件を満たしていない個体も含めてさえ、58個体をYHg-H2mとH2dのどちらか、あるいは(基底部)H2*(低網羅率のため)に分類できました。最終的に、これら追加の一塩基多型のどれにも由来せず、YHg-H2の一塩基多型の多くにとって祖先型である3個体も確認され、基底部の3個体と表示されます。
本論文の全標本をヨーロッパの地図に投影すると、系統地理的パターンがはっきりと現れました(図3B)。YHg-H2d個体は全員、ヨーロッパ中央部へのいわゆる内陸部・ドナウ川経路沿いで見つかり、YHg-H2mは1個体を除いて全て、ヨーロッパ西部とイベリア半島と最終的にはアイルランド島へのいわゆる地中海経路で見つかりました。ドイツ中央部で見つかった孤立したYHg-H2mの個体(LEU019)は、年代が後期新石器時代・前期青銅器時代で、新石器時代拡大の2000〜3000年後となります。ミシェスベルク(Michelsberg)文化のような中期・後期新石器時代集団の東方への拡大の考古学およびmtDNAの証拠は、この単一の地理的に離れた観察結果を説明できるかもしれません。以下は本論文の図3です。
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本論文で用いられた古代人標本の不完全でさまざまな網羅率のため、古代人標本の放射性炭素年代測定を用いての、分岐年代推定のための信頼できる較正を作成できませんでした。本論文は代わりに、個体の各組み合わせの最新の共通祖先(TMRCA)以来の年代を推定し、新たに識別されたYHg-H2クレードの分岐年代を調べました。まず、相対的な置換率が構成され、YHg-A0と他の全てのYHgの平均TMRCAが161300年前と推定されました。この較正された置換率を用いてのTMRCAは、YHg-A1が133200年前、YHg-HIJKが48000年前と推定され、これは現在のそれぞれの推定年代(yfull)である133400年前および48500年前とひじょうに近くなっています。本論文はYHg-H2のTMRCAを24100年前と推定し、これは現在の推定年代(17100年前)よりもわずかに古く、高網羅率のYHg-H2の現代人標本を1個体しか利用できず、古代人標本が増加したことで説明できます。
YHg-H2dとH2mの推定TMRCA年代は15400年前で、それぞれの推定TMRCA年代は11800年前と11900年前です(図4)。しかし、重複する一塩基多型が少ないために関連するエラーバーがより広くなっている場合でも、平均推定年代は依然として比較的一貫していることに要注意です。これらの推定値に加えて、YHg-H2dとH2mの個体がアナトリア半島とレヴァントでも見つかった事実から、YHg-H2の多様性は農耕および家畜の確立以前に近東狩猟採集民に存在していた可能性が最も高く、初期農耕民にも存在し、その後で新石器時代拡大を経てヨーロッパ中央部および西部に広がった可能性が高い、と示されます。以下は本論文の図4です。
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●YHg-H2の解像度向上のための診断用一塩基多型の特定
YMCAを用いてYHg-H2の新たな下位クレードを特定した後、参照ヒトゲノム配列(hs37d5)と比較して、どの一塩基多型がこれらの下位クレードの診断用なのか、識別することも目的とされました。そのために、次の特性を有する分離部位が探されました。(1)集団内のどの個体もその部位では祖先的ではない場合。(2)その部位では集団内の複数個体が網羅されている場合。(3)その部位では集団外のどの個体も派生的ではない場合。(4)その部位では集団外の複数の個体が網羅されている場合。そのうえで、「新たな」一塩基多型の調査は、CからTもしくはGからAではなく、したがって古代DNA損傷の結果である可能性が低い置換に限定されましたが、本論文の結果でCからTもしくはGからAである多様体も、それらがISOGG もしくはYFullで以前に発見されているならば、含まれました。
YHg-H2(全て)とH2d(緑色)とH2m(青色)として定義される図3の下位ハプログループ・分枝の、312ヶ所の診断用の可能性のある一塩基多型が特定されました。心強いことに、本論文で特定された312ヶ所の診断用一塩基多型のうち258ヶ所(80.1%)はすでに、ISOGGもしくはYFullの一覧においてYHg-H2(P96)もしくはより派生的な下位区分と関連している、と明らかになっています。本論文では、YHg-H2と関連づけられていなかった、以前に発見された一塩基多型を2ヶ所(0.31%)のみ見つけました。それは、YHg-R1a1およびR1a1aと関連づけられたCからTの置換です。これはYHg-H2標本31点のうち17点で見つかったので、CからTの置換が損傷に起因する可能性は低そうです。さらに、本論文のYHg-H2の古代人(フランスのYHg-H2の1個体を除いて)では、134ヶ所の既知の基底部YHg-H2一塩基多型のうち110ヶ所を見つけられました。
上述のさまざまなYHgで新たに発見された残りの62ヶ所の一塩基多型は、未発見の診断用一塩基多型か、失われたYHg-H2の多様性を表します。しかし、部位8611196におけるAからGの置換のような、新たに発見された一塩基多型のいくつか(本論文のYHg-H2の31個体のうち20個体)では、新たな真の診断用一塩基多型の圧倒的な証拠が見つかりました。これら明確なYHg-H2の下位ハプログループを検出する本論文の手法の能力、したがって新石器時代拡大における情報価値のあるYHgの分岐年代をさらに解明して推定する能力は、網羅率の増加と、YMCAで標的をとできる部位の数の増加によってのみ可能となります(ショットガン配列もしくは1240k配列と比較した場合)。
●考察
人口集団のY染色体の歴史の分析は、人口史を理解するうえでひじょうに重要かもしれません。この目的のため、本論文は古代のY染色体配列データの標的配列戦略の採用を提唱します。本論文で提示された焦点を絞った研究では、ショットガン配列もしくは1240k配列と比較した場合、内在性ヒトDNA含有量を考慮したうえで、同じ配列作業量YMCAを用いたさいに達成可能な一塩基多型の網羅率と数の改善が浮き彫りになります。
標的となる内在性ヒトDNAの濃縮は、古代DNA研究における不充分な標本の保存状態を克服するためにひじょうに重要です。現代人男性から確認された1240kアッセイのY染色体一塩基多型は単に、信頼できるYHg分類のためのNRY上の診断用一塩基多型を、とくに現代の多様性に先行するYHgの事例では充分に網羅できない、と示され、最新の「Y染色体一塩基多型パネル」のために連続する領域を標的とする必要性が浮き彫りになります。YMCAは、他のキャプチャに使用され、追加の抽出もしくはライブラリの準備を必要としない、同じライブラリに適用できます。YMCAを本論文では試みられていない他のキャプチャアッセイと組み合わせることは確かに可能ですが、管理された研究における選択された男性標本の特注YMCAは、追加の配列作業を伴う(男性および女性標本への)手順複合適用よりも優れているかもしれない、と本論文は主張します。
YHg-H2(P96)のより詳細な分析を通じて、古代のYHg-H2の多様性に関する現在の理解は、系統樹的な歴史(NRYの歴史にも当てはまるはずです)と矛盾し、この多様性の解決は近東からヨーロッパへの新石器時代拡大の2経路へのさらなる裏づけにつながる、と示せます。それは、YMCAによりもたらされた改善された解像度なしには可能ではなかっただろう観察結果です。ユーラシア西部狩猟採集民のY染色体(YHg-I2aやI2bやC1a)の下位構造の研究や、青銅器時代ユーラシア西部やアジア中央部および南部YHg-R1aおよびR1bの多様化をよりよく特徴づけるために、こうした手法が将来適用されるよう期待されます。
参考文献:
Rohrlach AB. et al.(2021): Using Y-chromosome capture enrichment to resolve haplogroup H2 shows new evidence for a two-path Neolithic expansion to Western Europe. Scientific Reports, 11, 15005.
https://doi.org/10.1038/s41598-021-94491-z
古人類学
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2021年08月07日
小林登志子『古代メソポタミア全史 シュメル、バビロニアからサーサーン朝ペルシアまで』
読書 アフロユーラシア史前近代
中公新書の一冊として、中央公論新社より2020年10月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書が対象とするのはメソポタミアで、年代では都市文化が始まる紀元前3500年頃からおもに紀元前539年の新バビロニア王国の滅亡までで、その後もアラブ人勢力による支配の始まりとなる紀元後651年のサーサーン王朝の滅亡までが扱われています。メソポタミアは地理的に大きくは、南部のバビロニアと北部のアッシリアの2地域に区分されます。メソポタミアは現在の国境線ではおおむねイラク共和国に相当しますが、この南北の違いは、現在のスンニ派(北部)とシーア派(南部)の対立にも続いている、と本書は指摘します(妥当な見解なのか、疑問は残りますが)。
世界最古の都市文化は、紀元前四千年紀後半にユーフラテス河畔で勃興しました。ユーフラテス河はアジア南西部における交易の大動脈で、それが都市の発展を促したのでしょう。ユーフラテス河の東方を流れるティグリス河は、ユーフラテス河と比較する短く、支流が山地から直接本流に流れ込むため水位が急増し、大洪水が頻繁に起きました。そのため、メソポタミアの災害といえば洪水で、「大洪水伝説」が語り継がれ、それは『聖書』にも取り入れられました。ユーフラテス河とティグリス河という「(両)河の間の地」を意味するギリシア語がメソポタミアです。メソポタミア南部のバビロニアは地理的に、北部のアッカドと南部のシュメルに二分されます。ただ、シュメル人は自らをシュメルではなく「キエンギ(ル)」と呼んでおり、シュメルは後代のアッカド語となります。
メソポタミア南部に人々が最初に定住したのはウバイド文化期(紀元前5500〜紀元前3500年頃)で、歴史時代は都市文化が成立したウルク文化期(紀元前3500〜紀元前3100年頃)に始まります。その担い手は、「民族」系統不詳のシュメル人です。広い沖積平野が続くメソポタミア南部では高度な灌漑農業が営まれの下が、鉱物や石材や木材には恵まれず、オオムギなど農産物を対価としてそれらの物資を入手しました。都市文化の当初より、内向きでは生き残れず、外部との関係が不可欠だった、というわけです。そのため、メソポタミア南部全体が共通の経済観念を有していたようで、その証拠が文字の祖型とされるトークン(小型粘土製品)です。紀元前三千年紀後半には、メソポタミアやシリアなどで次々と都市が形成されていきますが、都市の周辺には、都市と関わる遊牧社会も存在しました。
紀元前3100〜紀元前2900年頃となるジェムデット・ナスル期にはバビロニア全域に都市文化が広まり、初期王朝時代が続きます。シュメルでは複数の都市国家が交易路や領土問題で争いました。初期王朝時代には第I期(紀元前2900〜紀元前2750年頃)に都市を囲む城壁が出現し、第IIIB期(紀元前2500〜紀元前2335年頃)に覇権をめぐる都市間の合従連衡が活発になり、ついにはウルクがシュメルを統一します。ウルクはアッカド語の呼称で、シュメル語ではウヌグです。ウルクにはすでにウバイド文化期に定住が始まり、紀元後634年のアラブ人によるメソポタミアへの侵攻の前後に放棄されたようです。ウルクで発明された文字が完全な文字体系(楔形文字)に整備されたのは紀元前2500年頃でした。メソポタミアの都市国家の王は、都市全域を支配して全住民に人頭税や地租を課すのではなく、広大な耕地と所属員から構成される家産的な独立自営の組織に依存していたようです。
メソポタミア南部のバビロニアを統一したのは、ウルクではなくバビロニア北部のアッカドのサルゴン王(在位は紀元前2334〜紀元前2279年)でした。シュメルとアッカドでは、言語により呼称は違うものの、ほぼ同じ神々が祀られていました。たとえば大地母神は、シュメル語ではイナンナ、アッカド語ではイシュタルです。余談ですが、これが高橋克彦『竜の柩』の設定にも取り入れられていたことを思い出しました。アッカドはバビロニアを統一しましたが、その後もシュメル人がたびたび反乱を起こしました。こともあり、支配が安定したのは第3代のマニシュトゥシュ王の時代だったようです。アッカドの衰退後、シュメル人による最後の統一王朝を築いたのがウル第三王朝でした。ウル第三王朝時代には、現存最古の法典となるシュメル語の『ウルナンム法典』が作成されました。『ウルナンム法典』では、傷害罪は銀で償うと規定されており、『ハンムラビ法典』などに見られる後の同害復讐法とは異なります。ウル第三王朝の滅亡とともに、シュメル人は政治的・「民族的」独立を失い、日常語はアッカド語となりますが、その後も学校ではシュメル語が教えられ、シュメル語の文学作品が作られました。
ウル第三王朝滅亡後のメソポタミア南部は古バビロニア時代と呼ばれ、前半は群雄割拠の混乱期だったイシン・ラルサ時代、後半はハンムラビ王(在位は紀元前1792〜紀元前1750年)以降のバビロン第一王朝時代と区分されます。紀元前二千年紀前半のメソポタミアで大きな役割を果たしたのは、シリア砂漠からメソポタミアへ侵入してきた、西方セム語族のアムル(アモリ)人でした。メソポタミア北部のアッシリアの歴史は、紀元前2000年頃以降にようやく明確になってきて、アッシリア時代(紀元前2000〜紀元前1600年頃)と呼ばれます。アッシリアはアナトリア半島やシリアとメソポタミアとの間の遠距離交易活動を優位に展開した商業国家で、紀元前三千年紀にはアッカド王朝やウル第三王朝に従属していました。バビロン第一王朝は、ヒッタイト王国に攻められて紀元前1595年に滅亡しましたが、都市としてのバビロンの優位は失われず、バビロンを首都とする王朝が新バビロニアまで1000年以上にわたって断続的に続きました。
紀元前二千年紀後半のメソポタミアでは、同じくアッカド語を使い、同じ神々を祀るなど同一文化を担う二大勢力として、バビロニアとアッシリアによる覇権争いが展開します。この間、バビロニアを長期にわたって支配したのが、「民族」系統不詳のカッシート王朝(紀元前1500〜紀元前1155年)でした。一方、アッシリアは不明な点が多くいミタンニ(ミッタニ)王国(紀元前16〜紀元前14世紀)に制圧されていましたが、紀元前14世紀後半にミタンニの支配から脱し、メソポタミア北部で勢力を回復します。ただ、アッシリアがバビロニアに軍事的に勝利しても、バビロニア文化に圧倒されることは珍しくなかったようです。この時期のメソポタミアには、このミタンニやアナトリア半島中央部のヒッタイト王国が関わり、さらにはエジプトもアジアへと侵出してきます。こうしてメソポタミアも含めてアジア南西部で諸勢力が並存し、「世界最古」の「国際社会」が形成されます。ミタンニはフリ(フルリ)人の国で、その言語は膠着語であり、紀元前千年紀前半にアナトリア半島東部およびアルメニアを支配したウラルトゥ王国(紀元前9世紀中期〜紀元前6世紀初頭)の言語と類縁関係にあります。こうして諸勢力が興亡を繰り返しつつ政治・文化・経済的に交流を続けた「国際社会」は、「紀元前12世紀の危機」で大打撃を受けます(関連記事)。
「紀元前12世紀の危機」を経た後、紀元前千年紀前半のメソポタミアでは「世界帝国」の興亡が繰り広げられます。この時代の「世界帝国」としてまず台頭したのは、「紀元前12世紀の危機」で中期アッシリアが衰退した後に復興した新アッシリア(紀元前1000〜紀元前609年)で、その武力により版図を拡大しました。その背景には鉄器時代の到来があり、鉄製の農具や工具の普及により人類の居住世界が大きく広がるとともに、鉄製武器と騎兵の本格的出現により軍事力が向上しました。この間、アラム語がアジア南西部で広く用いられるようになります。
紀元前8世紀後半のティグラト・ピレセル3世(在位は紀元前744〜紀元前727年)の代にアッシリアは大きく拡大し、「帝国」としての実態を有するようになっていきます。その後、紀元前8世紀末から紀元前7世紀前半にかけて、アッシリア帝国全盛期を迎え、ついにはメソポタミアのみならずエジプト全土も支配しますが、この支配は長続きしませんでした。新アッシリアは複雑な官僚組織で広大な帝国を運営し、多くの属国が存在しました。しかし、アッシュル・バニパル王が紀元前627年に死ぬと、新アッシリア帝国は急速に崩壊していき、紀元前609年に滅亡します。
新アッシリア帝国を単独では滅ぼせなかったものの、新バビロニアは新アッシリア帝国の滅亡後にメソポタミアで大きな勢力を有し、とくに有名な王は「バビロニア捕囚」を行なったネブカドネザル2世です。新バビロニアの都市住民は自由人と奴隷と「半自由人(王室や宮殿または個人に属している人や小作人)」に分かれ、商人の経済活動が活発だったようです。しかし、新バビロニアはペルシアに勃興したハカーマニシュ王朝により紀元前539年に滅ぼされ、本書はこれを古代メソポタミア史の終わりと指摘します。もはやメソポタミアは歴史を動かす主役たり得ず、以後はもっぱら東西の強国に蹂躙されていった、というわけです。紀元後7世紀のアラブ人勢力の支配により、メソポタミア地域の言語がアラビア語へと変わったのは、それを象徴しています。
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アフロユーラシア史前近代
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2021年08月06日
ヤンガードライアスを同期させるラーハ湖の噴火の正確な年代
古人類学
ヤンガードライアスを同期させるドイツのラーハ湖噴火(LSE)の正確な年代に関する研究(Reinig et al., 2021)が公表されました。LSEは、後期更新世におけるヨーロッパ最大級の火山事象の一つと位置づけられています。LSEのテフラ堆積物は、後期氷期から前期完新世への移行期における代理指標アーカイブを同期させるための重要な等時性を示していますが、噴火の年代については不確かさが残っています。
この研究は、火砕堆積物に埋もれた半化石樹木の年輪年代測定と放射性炭素測定を行ない、LSEの年代を13006±9年前(1950年を基点とする較正年代)と確定しました。これは、じゅうらい認められていた年代より1世紀以上古くなります。LSEの年代が修正されたことで、ヨーロッパの氷縞粘土湖の年代は、グリーンランドの氷床コア記録に対して必然的にシフトし、これによりヤンガードライアスの開始時期は12807±12年前(較正年代)となりました。
これは、じゅうらいの推定年代より約130年古くなります。この結果は、ヤンガードライアスの開始時期を北大西洋とヨーロッパで同期させるもので、LSEとグリーンランド 亜氷期1の寒冷化の直接的関連性を排除し、温暖化条件下での大西洋の南北方向の鉛直循環の弱化という大規模な共通機構を示唆しています。ヤンガードライアスは、大型動物の絶滅や農耕への移行とも関連している可能性があり、人類史の観点からひじょうに注目される事象だけに、今後の研究の進展が期待されます。
参考文献:
Reinig F. et al.(2021): Precise date for the Laacher See eruption synchronizes the Younger Dryas. Nature, 595, 7865, 66–69.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03608-x
https://sicambre.at.webry.info/202108/article_9.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/468.html#c7
15. 2021年8月10日 13:19:10 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[36]
2021.08.10
COVID-19の「感染」予防に効果のない「ワクチン」で多くの犠牲者が出ている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108090001/
「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」が深刻な副作用を引き起こしていることは本ブログでも指摘してきたが、その一方で「感染」予防に効果がないことも確認されてきた。
イスラエルの場合、深刻な病状で入院した人の95%は「ワクチン」を2度接種、オーストラリアのシドニーではCOVID-19で入院した人のうち「ワクチン」を接種していない人はひとりだけで、またシンガポールでは「感染者」の75%が「ワクチン」を接種していた。
すでに書いたことだが、アメリカのマサチューセッツ州で7月に開かれたイベントで住民469名が「感染」、そのうち346名、つまり74%が「ワクチン」を2度接種していたことも伝えられている。
CDC(疾病予防管理センター)によると、COVID-19で入院、死亡した患者の中で「ワクチン」を接種していた人の比率が4月から急増しているほか、「ワクチン」の接種が進んでいるアイスランドで「感染者」が急増している。
マスコミが「確認された感染者」としている人の約9割は無症状だとされている。無症状で「感染者」だと判定された人はPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査で陽性になった人だ。
COVID-19騒動が始まった当初、死亡した陽性者の平均はどの国でも80歳に近く、しかも大半の人は心臓病、高血圧、脳卒中、糖尿病、悪性腫瘍、肺疾患、肝臓や腎臓の病気を複数抱えていた。CDCは昨年8月の段階で、COVID-19だけが死因だと言える人は全体の6%にすぎないと認めている。
イタリアでは健康省の科学顧問を務めるウォルター・リッチアルディは早い段階で、SARS-CoV-2を直接的な原因として死亡した人数を全体の12%だとしていたほか、ビットリオ・スガルビ議員はこのウイルスが原因で死亡したとされる患者のうち96.3%の死因は別にあると主張していた。
比較的最近明らかになったリスボンの裁判所が公表したデータによると、2020年1月から21年4月までにCOVID-19で死亡した人の数は政府が主張する1万7000名ではなく152名だという。0.9%だ。
アメリカではPCRすら使わない水増しがあった。スコット・ジャンセン上院議員が2020年4月8日にFoxニュースの番組の中で語ったところによると、病院では死人が出ると検査をしないまま死亡診断書にCOVID-19と書き込んでいると話している。COVID-19に感染していたことにすると、病院が受け取れる金額が多くなるからだという。また人工呼吸器をつけると受け取れる金額が3倍になることから必要のない患者に使われることがあり、それが原因で死亡するケースもあったようだ。
実際、そうした指示は出ていた。CDC(疾病予防管理センター)は昨年4月、死亡した患者の症状がCOVID-19によるものだと考えて矛盾しないなら、死因をCOVID-19として良いと通達、同じ時期に同じ趣旨の通達をWHOも出している。
ドイツの場合、SARS-CoV-2の危険性は通常のレベルを超えていないとし、戒厳令的な政策を推進したことは間違いだとする内務省の報告書がリークされた。シュピーゲル誌によると、内務省はこの文書についてステファン・コーンという内務省の官僚が個人的に書いたものにすぎないと弁明しているが、実際は同省のKM4というチームが作成したものだという。
ニューヨーク・タイムズ紙は2007年1月に掲載した記事で、PCRのような高感度の簡易検査は「偽パンデミック」の原因になる可能性があると警鐘を鳴らしている。その例としてニューハンプシャー州にあるダートマース・ヒッチコック医療センターでの出来事が紹介されている。
PCRの開発者で、1993年にノーベル化学賞を受賞したキャリー・マリスもPCRをウイルスの検査に使ってはならないと語っていた。この技術は特定の遺伝子型を試験管の中で増幅することが目的であり、ウイルスそのものを見つけることはできない。そもそもCOVID-19の原因だとされる「SARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)」を単離できないまま今回の騒動が始まったことをCDCも認めている。
また、増幅サイクル(Ct)を増やせば、医学的に意味のないほど微量の遺伝子が存在しても陽性になり、偽陽性の比率が高まる。偽陽性を排除しようとすると、Ct値は17に留めなければならないとする報告もある。勿論、それではパンデミックを演出できない。
WHO(世界保健機関)は今年1月20日、PCR検査はCOVID-19に感染しているかどうかを診断するための補助手段にすぎないと通達、CDCは7月21日、自らがFDA(食品医薬品局)へ発行を求めて認められていた「2019年新型コロナウイルス(2019-nCoV)リアルタイムRT-PCR診断パネル」のEUA(緊急使用許可)を今年12月31日を限りに取り下げると発表している。
「ワクチン」の接種が始まる前、局所的に重症患者がまとまって現れていたが、世界全体では「感染」が見えてこない。WHO、西側を中心とする政府や自治体、「専門家」、有力メディアが発表しているだけだ。
しかし、「ワクチン」の接種で状況は大きく変化した。この「ワクチン」が心臓や血管を含む血液の循環システムにダメージを与えて血栓を作り出したり出血を引き起こし、ADE(抗体依存性感染増強)の原因になることは早い段階から指摘されていた。人間の免疫システムに任せておけば何も問題のなかった微生物で深刻な病気になる人が出てくる可能性がある。エイズのように。
血栓は大きいと脳梗塞や心筋梗塞を引き起こすが、Dダイマー検査でしか探せないような微小血栓も深刻な影響を及ぼし、脳、脊髄、心臓、肺のように細胞が再生しない部分にダメージを与え、死ぬまで修復されないとも警告されている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108090001/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/624.html#c15
41. 2021年8月10日 14:31:06 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[37]
「音楽&オーディオ」の小部屋
音楽と耳の機能にまつわる話
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/aa9e0729bc431cc237b540665df99928
ようやく終ったかと思えば、またやってくるコロナ禍の猛威。
こういうご時世では個人ごとの「免疫力」がいちばん頼りになるので「適度な運動とリラックス」は必須ですね。
リラックスといえば我が家では「音楽&オーディオ」に尽きるが、そういう輩にとって「耳が遠くなる」ことほど悲しいことはない。
自分などは、そうなるともう死んだ方がマシとさえ思うが、悲しい現実として「聴力は20歳ころをピークに徐々に低下しはじめていき、65歳以上の4人に1人、75歳以上の2人に1人は補聴器が必要な状態だ」と、ショッキングな書き出しで始まるのが「耳トレ!」である。
https://www.amazon.co.jp/%E8%80%B3%E3%83%88%E3%83%AC-%E3%81%93%E3%81%A1%E3%82%89%E9%9B%A3%E8%81%B4%E3%83%BB%E8%80%B3%E9%B3%B4%E3%82%8A%E5%A4%96%E6%9D%A5%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82-%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E9%9B%85%E6%96%87/dp/476781202X
自分なんぞは年齢からしてよくもまあこんな耳でオーディオを楽しめるものだと我ながら感心するが、いまだにもっと「いい音を」という欲求が尽きないのだからおそらく傍から見ても呆れかえっている人が多いことだろう(笑)。
さて、大学教授で現役のお医者さんが書いたこの本には「耳の健康」に対する情報が満載で実に”ため”になる本だった。
以下、とりわけ興味を引いた点を自分のために忘れないように箇条書きスタイルで整理してみた。
なお、※の部分は勝手な独り言なのでけっして鵜呑みにしないでくださいね(笑)。
☆ 難聴の大きな要因は「騒音」と「動脈硬化」
2007年10月、日本の国立長寿医療研究センターから「加齢と難聴には相関関係がない」というショッキングなニュースが発表された。主として難聴に関係していたのは「騒音」と「動脈硬化」の二つだという。
「騒音」の原因には「騒音職場」とともに「ヘッドフォン難聴」「イヤフォン難聴」が挙げられ、一方の「動脈硬化」は言わずと知れたメタボリック・シンドロームである。
この二つは日常生活の中で十分予防が可能だが、比較的若い時期から一人ひとりが心がけていかない限り、近い将来「大難聴時代」がやってくることは必至だという。
☆ 日本語は世界一「難聴者」にやさしい言語
どの国の言語にもそれぞれ固有の周波数帯というものがあり、母国の言語を繰り返し聞いて育つうちにその周波数帯以外の音を言語として聞き取る脳の感受性が失われていく。
そのため生後11歳くらいまでには母国語を聞いたり発音する能力に特化した脳が出来上がる。
日本語で頻繁に使われる周波数帯は125〜1500ヘルツだが、これが英語ともなると200〜12000ヘルツとなって随分違う。日本語は世界の言語の中でもっとも低い周波数帯の言語で、英語は世界一高い周波数帯の言語である。
したがって、英語民族は高齢になると早い段階で高い音が聞き取りにくくなって不自由を感じるが、日本人はすぐには不自由を感じない。その点で日本語は世界一難聴者にやさしい言語である。
※ これは一人で二か国の言語を操るバイリンガルの「臨界期」が10歳前後と言われる所以でもある。
また、英語圏の国で製作されたアンプやスピーカーなどのオーディオ製品には、高音域にデリカシーな響きをもったものが多いが、これで謎の一端が解けたような気がする。その一方で、とかく高音域に鈍感な日本人、ひいては日本のオーディオ製品の特徴も浮かび上がってくる。
☆ 聴力の限界とは
音の高い・低いを表す単位がヘルツなら、音の強さや大きさ(=音圧レベル)は「デシベル(dB)」であらわす。
人間が耳で聞き取ることのできる周波数の範囲は「20〜2万ヘルツ(空気中の1秒間の振動が20回〜2万回)」の間とされているが、イルカやコウモリなどは耳の形や構造が違うのでこの範囲外の超音波でさえ簡単に聞き取れる。
ただし人間の場合は20ヘルツ以下の音は聴覚ではなく体性感覚(皮膚感覚)で感じ取り、2万ヘルツ以上の音(モスキート音)は光や色として感じ取りその情報を脳に伝えている。
※ 人間の耳は一人ひとりその形も構造も微妙に違うし、音を認知する脳の中味だって生まれつき違う。
したがって同じオーディオ装置の音を聴いたとしても各人によって受け止め方が千差万別というのが改めてよくわかるが、音に光や色彩感覚があるように感じるのは超高音域のせいだったのだ!
☆ 音が脳に伝わるまでの流れ
耳から入った空気の振動は外耳道と呼ばれる耳の穴を通り、アナログ的に増幅されて鼓膜に伝わり、アブミ骨などの小さな骨に伝わってリンパ液のプールである蝸牛へ。そこで有毛細胞によって振動が電気信号に変換され、聴神経から脳に伝わる。これで耳の中の伝達経路はひとまず終了。
この電気信号が言語や感情と結びついた「意味のある音」として認識されるまでにはもう少し脳内での旅が続く。
電気信号が聴神経や脳幹を経て脳内に入ると、まず、大脳の中心部にある「視床」に送られる。ここは、脳内の情報伝達の玄関口となっている。視覚、聴覚、皮膚感覚などあらゆる感覚情報が必ず通る場所で、単純に音だけを聴いているつもりでも、様々な感覚情報とクロスオーバーしている。
また「視床」を通過すると音の伝達経路は「言語系ルート」と「感情系ルート」の二つに大きく分かれる。前者は最終的に「言語野」に到達するが、後者は大脳の一次聴覚野を通らず、いきなり「扁桃体」に直結していて「イヤな音」「うれしい音」というように音を直感的・情緒的に受け止める。
※ 音楽を聴くときにカーテンなどでスピーカーを隠してしまったり、あるいは目を瞑って聴いたりすると、機器の存在を意識しないでより一層音楽に集中できるのは経験上よく分かる。
さらに、直感的なイメージとして述べると、オーディオ愛好家が音楽を聴くときには心が揺り動かされるので主として「感情系ルート」がはたらき、それ以外の普通の人たちが(音楽を)聴くときには主として「言語系ルート」が働いているように思うが果たしてどうだろう・・・。
ほかにも本書には「音楽好きための難聴予防テクニック」など貴重な情報が満載で、末永く「音楽&オーディオ」を楽しみたいと思われる方は是非ご一読されることをお薦めしたい。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/aa9e0729bc431cc237b540665df99928
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/756.html#c41
110. 2021年8月10日 14:34:32 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[38]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
Olympusシステムの本領を発揮できないのが残念
2021年08月10日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/1213c4e19e444d33cf645e14b37c80d2
OLYMPUSシステムを作ってから、このシステムの「本領」を発揮させる部屋に恵まれなかった。床面は「直打ち」の床出ないと、低域のエネルギーに対抗できない。シングルウーハーだけど、へたなWウーハーのシステムでは太刀打ちできない程「凄み」のある低音を出す。「下の下の下の音」が出るシステムです。お店をやっていた時に、直打ちの床だったのでその迫力は凄まじかった。心臓に悪い位の立ち上がりと圧倒的パワーが出て来る。その上に中高域がバランスよく乗っている。
ただ現在の部屋では、ボリューム位置9時の方向以上は上げられない。床面が持ちません。年も重ねて来ましたので、今では心臓に悪い低域は必要ありません。のんびり聴くには良いのですが、床が弱いと、切れの良い低音が出にくくなります。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/1213c4e19e444d33cf645e14b37c80d2
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/655.html#c110
3. 2021年8月10日 14:59:59 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[39]
COVID-19騒動は2020年3月11日にWHO(世界保健機関)がパンデミックを宣言したところから始まる。
この国際機関に対する2018年から19年にかけての上位寄付者を見ると、第1位はアメリカ、第2位はビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団、第3位はイギリス、そして第4位はGaviだ。Gaviはワクチンを推進するため、2000年にWEF(世界経済フォーラム)の年次総会で設立された。活動資金はWHO、UNICEF(国連児童基金)、世界銀行、ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団などから得ている。ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団は有力メディアのスポンサーでもある。
要するに、WHOは西側の強大な私的権力の強い影響下にある。そうした私的権力の広報的な役割を果たしているWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは2020年6月、COVID-19を利用して資本主義を大々的に「リセット」するとしている。
2020年12月にはバチカンを巻き込み、「包括的資本主義会議」を発足させた。この会議で看板的な役割を果たしている人物はリン・フォレスター・ド・ロスチャイルド。ロンドンを拠点とするNMロスチャイルド銀行の取り仕切ってきたエベリン・ド・ロスチャイルドの3番目の妻だ。ふたりは1998年のビルダーバーグ・グループの会議でヘンリー・キッシンジャーに紹介されて知り合い、2000年に結婚、新婚旅行の際にクリントン夫妻からホワイトハウスへ招待されている。
こうした私的権力の構成員はいずれも富豪だが、ATF(税の公正さを求めるアメリカ人)によると、COVID-19のパンデミックが宣言されてから昨年12月7日までの間に651人の富豪が保有する財産の勝ちは1兆ドル以上増えて4兆ドルに達した。
財産が急増した理由のひとつは相場が上昇し、金融資産の評価額が増えたこと。製造やサービスを生業にしている人びとは苦境に陥り、倒産が増えれば金融で生きている人びとは安値で手に入れることができる。
金融資本の実働部隊として注目されているのはブラックロック、バンガード、ステート・ストリートをはじめとする「闇の銀行」。金融業者だが、銀行のような規制は受けない会社だ。1970年代から始まった金融規制の大幅な緩和によって誕生、この3社が大株主になっている会社はアメリカの主要500社の9割に近いという。
この私的権力は経済システムを破壊するだけでなく、社会を収容所化しようとしている。そのために「ロックダウン(監禁策)」や「自粛」が使われた。
こうした政策によって生産活動や商業活動は麻痺し、企業や商店の経営は悪化した。倒産が増え、必然的に失業者が増え、ホームレス、そして自殺者を増加させることになる。働き、集うことが「ノーマル」ではなくなり、公的な情報を知る権利、あるいは表現する自由などが奪われつつあり、「デジタル・パスポート」を携帯させ、国境を越えて人間を集中管理しようとしている。
彼らの計画はそこにとどまらない。クラウス・シュワブは2016年1月にスイスのテレビ番組で話をしているのだが、その中で彼はマイクロチップで人びとを管理する計画を疲労している。最初は服、さらに皮膚や脳へ埋め込み、最終的にはコンピュータ・システムと人間を融合するというのだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108090000/
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/160.html#c3
27. 中川隆[-17311] koaQ7Jey 2021年8月10日 15:01:34 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[40]
COVID-19騒動は2020年3月11日にWHO(世界保健機関)がパンデミックを宣言したところから始まる。
この国際機関に対する2018年から19年にかけての上位寄付者を見ると、第1位はアメリカ、第2位はビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団、第3位はイギリス、そして第4位はGaviだ。Gaviはワクチンを推進するため、2000年にWEF(世界経済フォーラム)の年次総会で設立された。活動資金はWHO、UNICEF(国連児童基金)、世界銀行、ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団などから得ている。ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団は有力メディアのスポンサーでもある。
要するに、WHOは西側の強大な私的権力の強い影響下にある。そうした私的権力の広報的な役割を果たしているWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは2020年6月、COVID-19を利用して資本主義を大々的に「リセット」するとしている。
2020年12月にはバチカンを巻き込み、「包括的資本主義会議」を発足させた。この会議で看板的な役割を果たしている人物はリン・フォレスター・ド・ロスチャイルド。ロンドンを拠点とするNMロスチャイルド銀行の取り仕切ってきたエベリン・ド・ロスチャイルドの3番目の妻だ。ふたりは1998年のビルダーバーグ・グループの会議でヘンリー・キッシンジャーに紹介されて知り合い、2000年に結婚、新婚旅行の際にクリントン夫妻からホワイトハウスへ招待されている。
こうした私的権力の構成員はいずれも富豪だが、ATF(税の公正さを求めるアメリカ人)によると、COVID-19のパンデミックが宣言されてから昨年12月7日までの間に651人の富豪が保有する財産の勝ちは1兆ドル以上増えて4兆ドルに達した。
財産が急増した理由のひとつは相場が上昇し、金融資産の評価額が増えたこと。製造やサービスを生業にしている人びとは苦境に陥り、倒産が増えれば金融で生きている人びとは安値で手に入れることができる。
金融資本の実働部隊として注目されているのはブラックロック、バンガード、ステート・ストリートをはじめとする「闇の銀行」。金融業者だが、銀行のような規制は受けない会社だ。1970年代から始まった金融規制の大幅な緩和によって誕生、この3社が大株主になっている会社はアメリカの主要500社の9割に近いという。
この私的権力は経済システムを破壊するだけでなく、社会を収容所化しようとしている。そのために「ロックダウン(監禁策)」や「自粛」が使われた。
こうした政策によって生産活動や商業活動は麻痺し、企業や商店の経営は悪化した。倒産が増え、必然的に失業者が増え、ホームレス、そして自殺者を増加させることになる。働き、集うことが「ノーマル」ではなくなり、公的な情報を知る権利、あるいは表現する自由などが奪われつつあり、「デジタル・パスポート」を携帯させ、国境を越えて人間を集中管理しようとしている。
彼らの計画はそこにとどまらない。クラウス・シュワブは2016年1月にスイスのテレビ番組で話をしているのだが、その中で彼はマイクロチップで人びとを管理する計画を疲労している。最初は服、さらに皮膚や脳へ埋め込み、最終的にはコンピュータ・システムと人間を融合するというのだ。
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8. 中川隆[-17310] koaQ7Jey 2021年8月10日 15:01:58 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[41]
COVID-19騒動は2020年3月11日にWHO(世界保健機関)がパンデミックを宣言したところから始まる。
この国際機関に対する2018年から19年にかけての上位寄付者を見ると、第1位はアメリカ、第2位はビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団、第3位はイギリス、そして第4位はGaviだ。Gaviはワクチンを推進するため、2000年にWEF(世界経済フォーラム)の年次総会で設立された。活動資金はWHO、UNICEF(国連児童基金)、世界銀行、ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団などから得ている。ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団は有力メディアのスポンサーでもある。
要するに、WHOは西側の強大な私的権力の強い影響下にある。そうした私的権力の広報的な役割を果たしているWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは2020年6月、COVID-19を利用して資本主義を大々的に「リセット」するとしている。
2020年12月にはバチカンを巻き込み、「包括的資本主義会議」を発足させた。この会議で看板的な役割を果たしている人物はリン・フォレスター・ド・ロスチャイルド。ロンドンを拠点とするNMロスチャイルド銀行の取り仕切ってきたエベリン・ド・ロスチャイルドの3番目の妻だ。ふたりは1998年のビルダーバーグ・グループの会議でヘンリー・キッシンジャーに紹介されて知り合い、2000年に結婚、新婚旅行の際にクリントン夫妻からホワイトハウスへ招待されている。
こうした私的権力の構成員はいずれも富豪だが、ATF(税の公正さを求めるアメリカ人)によると、COVID-19のパンデミックが宣言されてから昨年12月7日までの間に651人の富豪が保有する財産の勝ちは1兆ドル以上増えて4兆ドルに達した。
財産が急増した理由のひとつは相場が上昇し、金融資産の評価額が増えたこと。製造やサービスを生業にしている人びとは苦境に陥り、倒産が増えれば金融で生きている人びとは安値で手に入れることができる。
金融資本の実働部隊として注目されているのはブラックロック、バンガード、ステート・ストリートをはじめとする「闇の銀行」。金融業者だが、銀行のような規制は受けない会社だ。1970年代から始まった金融規制の大幅な緩和によって誕生、この3社が大株主になっている会社はアメリカの主要500社の9割に近いという。
この私的権力は経済システムを破壊するだけでなく、社会を収容所化しようとしている。そのために「ロックダウン(監禁策)」や「自粛」が使われた。
こうした政策によって生産活動や商業活動は麻痺し、企業や商店の経営は悪化した。倒産が増え、必然的に失業者が増え、ホームレス、そして自殺者を増加させることになる。働き、集うことが「ノーマル」ではなくなり、公的な情報を知る権利、あるいは表現する自由などが奪われつつあり、「デジタル・パスポート」を携帯させ、国境を越えて人間を集中管理しようとしている。
彼らの計画はそこにとどまらない。クラウス・シュワブは2016年1月にスイスのテレビ番組で話をしているのだが、その中で彼はマイクロチップで人びとを管理する計画を疲労している。最初は服、さらに皮膚や脳へ埋め込み、最終的にはコンピュータ・システムと人間を融合するというのだ。
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1. 中川隆[-17309] koaQ7Jey 2021年8月10日 15:02:19 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[42]
COVID-19騒動は2020年3月11日にWHO(世界保健機関)がパンデミックを宣言したところから始まる。
この国際機関に対する2018年から19年にかけての上位寄付者を見ると、第1位はアメリカ、第2位はビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団、第3位はイギリス、そして第4位はGaviだ。Gaviはワクチンを推進するため、2000年にWEF(世界経済フォーラム)の年次総会で設立された。活動資金はWHO、UNICEF(国連児童基金)、世界銀行、ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団などから得ている。ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団は有力メディアのスポンサーでもある。
要するに、WHOは西側の強大な私的権力の強い影響下にある。そうした私的権力の広報的な役割を果たしているWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは2020年6月、COVID-19を利用して資本主義を大々的に「リセット」するとしている。
2020年12月にはバチカンを巻き込み、「包括的資本主義会議」を発足させた。この会議で看板的な役割を果たしている人物はリン・フォレスター・ド・ロスチャイルド。ロンドンを拠点とするNMロスチャイルド銀行の取り仕切ってきたエベリン・ド・ロスチャイルドの3番目の妻だ。ふたりは1998年のビルダーバーグ・グループの会議でヘンリー・キッシンジャーに紹介されて知り合い、2000年に結婚、新婚旅行の際にクリントン夫妻からホワイトハウスへ招待されている。
こうした私的権力の構成員はいずれも富豪だが、ATF(税の公正さを求めるアメリカ人)によると、COVID-19のパンデミックが宣言されてから昨年12月7日までの間に651人の富豪が保有する財産の勝ちは1兆ドル以上増えて4兆ドルに達した。
財産が急増した理由のひとつは相場が上昇し、金融資産の評価額が増えたこと。製造やサービスを生業にしている人びとは苦境に陥り、倒産が増えれば金融で生きている人びとは安値で手に入れることができる。
金融資本の実働部隊として注目されているのはブラックロック、バンガード、ステート・ストリートをはじめとする「闇の銀行」。金融業者だが、銀行のような規制は受けない会社だ。1970年代から始まった金融規制の大幅な緩和によって誕生、この3社が大株主になっている会社はアメリカの主要500社の9割に近いという。
この私的権力は経済システムを破壊するだけでなく、社会を収容所化しようとしている。そのために「ロックダウン(監禁策)」や「自粛」が使われた。
こうした政策によって生産活動や商業活動は麻痺し、企業や商店の経営は悪化した。倒産が増え、必然的に失業者が増え、ホームレス、そして自殺者を増加させることになる。働き、集うことが「ノーマル」ではなくなり、公的な情報を知る権利、あるいは表現する自由などが奪われつつあり、「デジタル・パスポート」を携帯させ、国境を越えて人間を集中管理しようとしている。
彼らの計画はそこにとどまらない。クラウス・シュワブは2016年1月にスイスのテレビ番組で話をしているのだが、その中で彼はマイクロチップで人びとを管理する計画を疲労している。最初は服、さらに皮膚や脳へ埋め込み、最終的にはコンピュータ・システムと人間を融合するというのだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108090000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/570.html#c1
8. 2021年8月10日 15:06:38 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[43]
Lener Quartet - Beethoven : String Quartet No.15 a - moll op.132 (1935) 再復刻
recorded in 1935
transferred from Jpn Columbia 78s / JW-49/50(CAX-7482-7485)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/224.html#c8
1. 2021年8月10日 15:13:51 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[44]
Schumann: Piano Quartet in E Flat Major, Op. 47 - 3. Andante cantabile (Live)
ミッシャ・マイスキー
℗ 2018 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/348.html#c1
2. 2021年8月10日 15:16:37 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[45]
アルゲリッチ
Piano Quartet in E-Flat Major, Op. 47: III. Andante cantabile (Live)
Live from the Lugano Festival 2006
Cello: Gautier Capuçon
Viola: Lida Chen
Piano: Martha Argerich
Violin: Renaud Capuçon
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/348.html#c2
1. 2021年8月10日 16:09:57 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[46]
シェリング
Mozart - Violin Sonata No. 25, F Major K. 377 [Szeryng/Haebler]
Henryk Szeryng, violin and Ingrid Haebler, piano
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/352.html#c1
2. 2021年8月10日 16:11:58 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[47]
チョン・キョンファ
Kyung Wha Chung plays Mozart violin sonata K.377
in Seoul, Korea in 1999.
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/352.html#c2
1. 中川隆[-17308] koaQ7Jey 2021年8月10日 17:43:44 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[48]
20世紀の音楽を切り開いたストラヴィンスキー「春の祭典」の衝撃
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/818.html
ストラヴィンスキー バレエ音楽 『ペトルーシュカ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/821.html
ストラヴィンスキー バレエ音楽 『火の鳥』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/822.html
ストラヴィンスキー バレエ音楽『オルフェウス』・3楽章の交響曲
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/823.html
ストラヴィンスキー 自作自演
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/701.html
▲△▽▼
世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html
20世紀初めはこういう時代だった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/612.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/359.html#c1
1. 中川隆[-17307] koaQ7Jey 2021年8月10日 17:48:55 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[49]
グスタフ・マーラー 『アダージェット』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/882.html
グスタフ・マーラー 『大地の歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/887.html
グスタフ・マーラー 交響曲第9番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html
グスタフ・マーラー 交響曲第10番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/892.html
マーラー ピアノロールで自作自演
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/699.html
世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/360.html#c1
13. 2021年8月10日 20:29:39 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[50]
【ゆっくり解説】江戸時代に流行った特殊すぎる詐欺10選
2021/08/10
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/606.html#c13
11. 中川隆[-17306] koaQ7Jey 2021年8月10日 20:34:06 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[51]
【ゆっくり解説】集団死を遂げた狂気のカルト「ヘブンズゲート」を知っていますか?
2021/08/10
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/437.html#c11
9. 2021年8月10日 20:57:10 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[52]
スメタナ四重奏団
String Quartet No. 15 in A minor, Op. 132
℗ 2016 SUPRAPHON a.s.
Beethoven String Quartet No.15 T Assai sostenuto - Smetana Quartet
Jan.23〜28, 1967 Prague
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/224.html#c9
6. 2021年8月10日 21:05:08 : vQyPMzu3FY : NVZsaVNGQzJVQkE=[53]
スメタナ四重奏団
String Quartet No. 13 in B flat major + Grosse Fuge, Op. 130 (+ Op. 133) - Adagio ma non troppo...
℗ 1965 SUPRAPHON a.s.
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/225.html#c6
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