1. 中川隆[-7527] koaQ7Jey 2021年2月09日 08:18:19 : nj2wZVzJqY : NVZrUnB3QWFMNkE=[1]
@Art Vagabond
国つ神は弥生人、天津神は百済人だよ、高天原は chousen の地名だよ:
日本人は c house n から縄文時代の終わりにアイヌ人(縄文人)が住む日本列島に移民して来たんだよ、アテルイはアイヌ人、秦氏は長江人だ:
日本語の起源は朝鮮半島にあり?方言の共通祖先を発見、東大
2011年5月5日 発信地:パリ/フランス
【5月5日 AFP】日本語の方言の多くは約2200年前に c house n 半島から移住してきた農民たちに由来することが、進化遺伝学の観点から明らかになったとする論文が、4日の学術専門誌「英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)」に発表された。
日本語は、世界の主要言語の中では唯一、起源をめぐって現在も激しい議論が戦わされている。
主要な説は2つある。
1つ目は、定住が始まった3万年〜1万2000年前の石器時代文化に直接由来しているというもの。この時代は原始的な農業も一部で行われていたが、主に狩猟採集生活が営まれていた。アジア大陸からは紀元前200年ごろに人の流入があり、金属製の道具やコメ、農業技術がもたらされたが、言語発達にはほとんど影響を及ぼさなかったというのがこの説の主張だ。
もう1つの説は、紀元前200年ごろのc house n 半島からの人の大量流入が日本の先住文化に非常に大きな影響を及ぼしたとするもので、先住民が大規模な移住を余儀なくされ、彼らの話していた言語もほとんどが置き換えられたと考える。最近の考古学上およびDNAの証拠は、いずれもこちらの説が有力であることを示している。
■方言の共通祖先の年代は?
さらなる証拠を求めて、東京大学(University of Tokyo)の長谷川寿一(Toshikazu Hasegawa)教授とリー・ショーン(Sean Lee)氏は、数十の方言の年代をさかのぼり、共通祖先を見つけようと試みた。
この手法はもともと進化生物学において、化石から採取したDNA断片から系統樹を作成し、数百万年前の祖先までさかのぼる目的で開発されたもの。リー氏によると、言語に適用することには異論もあるが、これまでの実験結果などから、言語には遺伝子のような特性があり、代々の継承を通じて進化することが推定されるという。
2人は、体の部位、基本動詞、数字、代名詞などの主な210単語について、59方言でリストを作成。数千世代にわたり改変されていない、いわゆる「高度保存遺伝子」を見つけ出すのと同じ要領で、他の方言に影響されていない「変化耐性」を持つと思われる単語を選び出し、コンピューターでモデル化した。
すると、これらの単語はすべて約2182年前の共通祖先に行き当たった。この年代は、c house n 半島から大量の渡来人が来た時代に当たる。
リー氏は、農民の流入が始まった時期はこの時期より少し前の可能性があると指摘しつつ、「日本に流入した最初の農民たちが、日本人と日本語の起源に深い影響を及ぼした」と結論付けている
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日本のアイヌ語地名―東北から沖縄まで (三一新書) – 1997/10/31
大友 幸男 (著)
九州から琉球諸島にかけて残るアイヌ語の地名
アイヌ人と琉球諸島の人々の同祖論の根拠は入れ墨だけではない。北海道の各地にアイヌ語の地名が数多く残されていることは、「アイヌ人の尊厳回復へ」に記したが、九州や琉球諸島にも、アイヌ表示の地名が残されている。
『九州の先住民はアイヌ』の著者・根中治氏は、アイヌ語は関西から四国、九州にかけて広範に残されているが、中でも九州が最も多く、その中でも北九州の福岡・佐賀・熊本にかけてが特に多いと述べている。
http://www.y-asakawa.com/nihon-tansaku%202007-2008/ainu2.htm
>北方民族との関係などは沖縄ではどうなのでしょうか?
青森)沖縄で出土の「亀ケ岡式土器」、弘前大で鑑定
2017年3月7日
沖縄県北谷町教育委員会の職員(右)に、つがる市で出土した亀ケ岡式土器を見せる関根教授=弘前大学
縄文晩期の東北で栄えた「亀ケ岡式土器」と見られる土器片が沖縄県で出土したことを受け、弘前大で6日、出土した土器片の鑑定があった。人文社会科学部の関根達人教授は「東北の土器に影響を受けたことは間違いない」と話した。
亀ケ岡式土器は主に東北が「本場」で、北海道から九州でよく似た土器が出ている。沖縄の土器片は2010年に北谷(ちゃたん)町の「平安山原(はんざんばる)B遺跡」で出土。本場の土器と見比べるため、町教育委員会が持参した。
つがる市の亀ケ岡遺跡から出た「大洞A1式」(約2500年前)の台付き浅鉢と並べると、台の高さや「工」の字を組み合わせた特徴的な文様がそっくり。一方、漆による加工や線の深さに違いがあった。このことから関根教授は「産地は東北でも沖縄でもない」と分析。今後、理工学部の柴正敏教授が含有鉱物を元に産地を探るという。
今回の土器片は同じ地層から同時代の現地の土器が出ておらず、年代推定が難航。関根教授は「類例が出て、リアルタイムに縄文土器が沖縄に運ばれていたと証明されれば、人々の交流を知るきっかけになる」と期待した。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/795.html#c1