[政治・選挙・NHK264] 日本は韓国を「無視」し続けるしかない。(日々雑感) 笑坊
12.
2019年8月24日 19:41:46
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「クソ味噌に」罵られた経験と言えば、徒に齢を重ねただけに、若き諸賢よりも遥かにその数を誇る老境の私であるが、雑感が「味噌もクソも」と怒り出した以上、こちらは血圧を下げる思いで冷静に振り返ってみよう。我が人生で罵倒されしは、やはり圧倒的に心当たりのあるのが、誠に僭越ながら世に言う芸術へ挑戦した時であった。もしかすると、それらの多くは素直になれない褒め言葉だったのかもしれないし、或いは裏を返せば激励のメッセージだったのかもしれないが、実はそうだったと断言する人が夢にも現れず、若き日の我が「芸術風」創造行為においてはついに受容者を見出すことが叶わなかったわけである。そのおかげで、むしろ自分には到底不可能な境地に達した優れた芸術の数々を観たり読んだり語ったりする受容者の行為について、劣等生なりに多少は意識的にもなり得たような気もするし、また我が日本国憲法の保障する「表現の自由」、そしてそこに含まれる「表現を受領する自由」と、それを統治者へ約束させてくれた我が先人には、ひたすら感謝の念しかないのである。
斯様に、芸術に関しては創造よりもむしろ受容を通して、凡そ他人とは冷淡にして無関心であるという人間社会の常なる厳しい現実と向き合ってきたつもりの私ではあったが、改めて思うに、例えば「語り得ぬものについては沈黙しなければならぬ」と気付いた高名な哲学者がその先を孤独に思索し始める遥か以前から、およそ古今東西の芸術家が「語り得ぬものの表現の可能性」を果敢に追求するフロンティアに陣を張る人々であったことに、いま尚変わらぬ尊敬の念を抱いてしまうことも或いは許されよう。つまり、芸術作品の受容においては、未来の受容者を獲得すべく、他人の無関心と冷淡さへ訴え続けるという作者の外的・社会的活動のイメージとともに、語り得ぬ限界の先へ表現の可能性を開き普遍的な価値を得ようとする挑戦、或いは対立や葛藤を乗り越えた先に新たなものを生み出す使命に身を捧げようとする、作者自身の内的なイメージが、作品そのものとあわせて鑑賞の対象とされてきたと言えようか。
無知無教養な私ですら憶えているのだが、嘗て同じ敗戦国ドイツの1960年代であったかに、その社会的かつ学問的な要請を背景に受容美学が芽生えたのは、誠に興味深い現象であった。つまり、研究者によって違いはあるものの、そもそも作品には受容者の参加しうる「不確定箇所=空白」が存在し、作者だけでなく、受容者の解釈なり批評もまた芸術作品の重要な構成要素であると見なされたわけで、それは英米圏他に前後する批評的態度とも多かれ少なかれ影響関係が見られなくもなかったことが知られていたはずである。少々古めかしくもあるが、この作品内部における「不確定箇所=空白」を埋める創造的な行為の意義が『少女像』に援用できるならば、或いはまた違った展開が期待できたかもしれない。何故なら、この「不確定箇所=空白」の認識こそは、受容者が作者とともにより高次元の普遍的な価値を得るための創造行為へ参加する契機となり、また作者と受容者が平等に共有しうる点で自ずと生まれる寛容的な姿勢と調和への理想を可能とするかもしれないからである。蓋し戦後我が国の出発点と改めて心得えねばならぬは、例えば別のスレッドで紹介されていた「韓国は植民地支配を100年忘れない」という言葉がそうであるが、その出発点から仮に100年経とうとも、いわば開かれた作品としての『少女像』の「不確定箇所=空白」を埋める協同作業を通じて、作者とともに受容者すべてが創造的な参画を成し遂げ、作品としての普遍的な価値がより高められるよう、あらゆる努力を積んでいかねばなるまい。
重ねて思うに、我が国の先人は戦争について、戦後に生まれた者に対して積極的には語りたがらない方も多かったし、それ故に、わずかに聞き知る体験話を手掛かりに、先人の雰囲気全体で以って「語り得ぬ戦争の諸相」と言うべきものの把握に努める必要もあったはずである。そして、我が国は勿論、相手国に与えた人的・物的被害の具体的状況については、或る時は詳しい方に直接教えを請い、或る時は図書館の蔵書カードを捲り倒し、自ら文献を探し出し正確な情報を得る必要に迫られたし、また同じ枢軸国がどのように償ってきたのか見聞を広めることで、そこにこそ我が国の精神的な進歩の可能性を見出そうとしたのではなかったか? ここに、戦後大陸から引き揚げて来られた或る方が、その重い口を開き、言語・文化・習慣の違いを互いに尊重しあうべき教訓として、次のような話を語って下さった日を懐かしく思い出す:「『日本人は味噌くさい』なんて言われちゃったりしたけどね、よくよく考えりゃ、お国が違うんだから、味噌もクソも同じさ(笑)」。
雑感よ、お前の冷蔵庫の「味噌」は手前味噌かもしれないが、相手方にとっては「クソ」かもしれないのが、我々の生きる「世界」ではないか? もし仮に雑感と上記エピソードを共有する機会があったなら、或いはお前もまたそこまで感傷的な歴史認識に凝り固まらずに済んだかもしれぬと、せめて信じたいのだが?(笑)
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