29. 2019年12月18日 12:57:52 : ehZQKyWBJI : NTV3cktkUTdwVGM=[1]
「温暖化だ」、「いや違う寒冷化だ」という互いの主張の陰には
CO2の存在があるわけだ。
人間を生産、消費という側面で単純に分ければ、
(生産によって利益を得る)側と消費(生産を買う)側とに分けられる。
CO2量をこれ以上増やしたら危ないと主張する側は、大概的には消費側であり、
CO2量はどんなに増やしても大丈夫と主張する側は、大概的には生産側だと
考えるのが妥当である。
さて、人類あるいは地球の歴史を遡ってその過程から考えれば、
地球をとりまくCO2排出量の増加はその量を実測しなくても明白であろう。
そして、容疑者はといえば、
便利さを追い求めてきた人類の文化活動と推測することに疑問の余地はない。
誰でも一旦手に入れた便利さを手放したくない。
誰でも一旦手に入れた利権は失いたくない。
だから、温暖化だ、いや寒冷化だという争いになる。
ここで仮(もう仮ではないが)の話をしよう。
昨日は真夏のような天気だったのに、今朝目覚めたらあたり一面の雪だった。
さて、この現象をあなたは温暖化だと考えるか、それとも寒冷化だと?
おそらく寒冷化だと言うだろう。
しかし、雪の次の日、真夏日がまたやってきたとする。
あなたは何と言うだろうか?
これは決して物語の世界のはなしではない。
多かれ少なかれ、私たちの身のまわりで起きてくる現象である。
主人は地球であり、平和な生産者の植物である。
身勝手かつ独尊の人類ではない。