78. 前河[8196] kU@JzQ 2023年8月19日 01:24:33 : Xh0f97B3hY : NnEvQU4uZ0xZZVU=[1]
それを置いとくとして、尚コメ内容にはいくつも突っ込み所があり、指摘するエネルギーも時間も私にはありませんが、少々言及します。
お子ちゃま脳ワードが好きなようで、私は楽老さんにはその言葉は使いませんが。
なぜなら核心が完全にわからない可能性がある中で、それを使うと自分の未熟さに気づいた時は、治に跳ね返って来るというかなり恥ずかしい事になるからです。まあ、それは横道話ではあるけど。
>たとえ真珠湾攻撃が無くても、別の理由(工作)により米国は参戦した。
何が洗脳かよくわかりませんが、楽老さんは陰謀論者?または、思い込みが強すぎるんじゃあ?
二つの疑問(反論と言うべきか)がありますね。
まず、ひとつは、何度も言ってるように工作を回避するのは国のトップの役割であり、戦争をし始めるように米が促したら、それに乗らない術を見つけ戦争を回避すべき。その責任が日本政府にあると言ってるのです。
国民に対する責任です。
戦力が大幅に違う相手国の挑発に乗ったら終わりだと。
楽老さんは、「あらゆる手で挑発してくるから、日本から戦争を始めたのは仕方がない」と言ってる訳でしょ?
私は、「それが違うんじゃないですか?」 と言ってる。
だからロシアも擁護する訳ですね? 国際社会は戦争を始めたら悪であり、決して許される事ではないという共通の認識がある訳です。
当時の日本や今のロシアの間違いはそこに尽きる。(これは共通認識か?)
世界の人々の認識を前提に政治をしなければないらい。
もう1つの疑問は、楽老さんのいいう「米国が参戦した」というイフの部分の根拠です。今までのしんのすけさんとの議論や前レスを見てもその根拠に乏しい気がします。
それが絶対に間違っているという根拠も私にはないし、その可能性もあるのかもしれませんが、始めからアメリカ絶対悪から側の(例えばロシアや中国の学者のように)見方に過ぎないのでは?という気もしますね。
インディアンからの西に覇権拡大政策だけで片付けられる話ではないのではないでしょうか。(そういう要因もあるかもしれないが。)
戦争には様々な要因がある。
例えば、楽老さんは、私が言ってる「権力者の支持拡大政策で、時の政権が権力を守るために戦争に踏み切る選択をする」コメには一切触れませんね。
タブーなんですか?その視点。私はむしろそっちが本質にあるという視点。
アラジンと同じでアメリカ絶対悪、アメリカ憎し のように感じなくもない。
私は、アメリカは大量破壊兵器疑惑の捏造などイラク戦争など酷い事もして来たが、絶対悪ではなく必要悪ではないか。という見方。
白馬の王子は論外だと言ってるに、同じセリフは何か印象操作でもしたいんですか?
>何故なら、米国の意図はアジア地域での白人権益を守ることであったから。
あったかもしれないが、それを全て太平洋戦争に結びつけるのはムリがあるのでは?推測の域を出ないのでは?
>前にも言及しましたが、その後の今に至るまでの米国の行動が証明している。
利権を守るための何かしらの働きかけをしてるのはわかりますが、戦争を始めるかどうかは別の話では?
>戦争とは策略の塊なんだから、それを許すとか許されないなんて議論をしたつもりもありません。
それはあなたの価値観でしょう。戦争が策略の塊でも、開戦・始め方ややり方に許される許されないはあるに決まってるでしょ。人間社会の話なんだから。
ただ、これも私は国民や国際社会では許されない という意味であり、(前レスで話した通り) アメリカに対して許されないという意味ではない。これは私の説明不足かも。
一応、そういう意味で後文を記して置きます。
>日本がバカで幼稚であった結果、戦略を誤り、戦争を自ら仕掛けたのもまた大きな罪なんですよ。国際社会では大義名分が大事。
>相手が口で挑発したら、つい殴ってしまったみたいな話でしょう。挑発した方も問題があるが、殴った方が圧倒的に悪いという話です。
故意に相手に殴らそうと始めから画策していたとしてもです。
>そんな大事な事に日本の不手際があったのなら言い訳にはならないかと。あらゆる相手の工作は想定すべき。
↑これも国際社会に対する責任の話。
>【先に手を出した方が悪い】
これは、まさにお子ちゃまの喧嘩の場面です。戦後民主主義の悪弊と言っても良い。
>前後左右上下を調査分析しなければならないのです。どちらが良いとか悪いとか、善悪の話ではないのです。
いやあ、間違っていますね。何が間違っているのかと言えば、各論と総論。現実的賠償責任論と道義的責任論がごっちゃになってますよ。
先に戦争を始めたら現実的な賠償責任など戦争責任を問われます。
歴史的背景をちゃんと調べるのは勿論大切な事です。しかし、歴史的背景から分析すると必ず解釈の違いが出ます。
解釈の違いは中々埋めるのが難しいが、ある一定の価値基準で善悪にまで踏み込みべきと私は考えます。
でなければ、歴史修正主義などが現れ、勝手な事を言い出す。また、ドイツの様に過去を総括反省しナチが悪だと周辺国に謝ったからこそ欧州各国の信頼を得た。
日本は分析、総括をしないで反省しないから、いつまでも韓国や中国に言われるのでしょ。
楽老さんもわかっているはず。
ロシアの教育では、事実よりも解釈の方が大事だと教え込んでいる。楽老さんの意見はこれに近い気がしますが?
まず、事実認識こそが大事である。戦争を始めたという事実認識が大事で、それが許されない(言葉のあやではなくそういう人間社会の価値基準)としなければならない。
それは、情緒的でも感情論でもなく、そういう価値基準を設けなければ国際秩序が保たれないからです。
戦争を開始した側に、理由や根拠を言わせると開始した側がいくらでも言い訳をするから、戦争を始めた方が悪い と国際社会は決めたのです。
国際法があるでしょ。「武力行使禁止原則」のルールが。
国連憲章条約2条4項
「国が他の国に対して武力を行使したり、武力を行使すると威嚇したりすることを原則として禁止」
例外は、「自国が攻撃された場合に反撃する自衛権のみ」と。
これが過去から学んだ人類のルール。
ロシアはこれに違反している。
>アングロサクソン的な策略が許せなくもアングロサクソン的な戦略法、大義名分法を使って返すしか道はないと私は考えます。それが大人脳ですよ楽老さん。
に対して、
>当然です。それに失敗したのが日本であり、プーチンです。
ここは共通認識ですね。だから、日本やロシアは失敗し、そこから学ばないと というのが私が1番言いたい事の1つであり、自民議員はこれを学んでいないのでは?というのが私の見方・懸念。
アングロサクソン的な戦略法、大義名分法を使って返す というのは、日本の独自戦略や独自コンセプトを持つ事でもあり、アメポチになる事とは全く違う事だと思っています。
ロシアとウクライナの過去の成り行きをまた書かれているが、そういう話はウクライナの人々には通用しませんよ。
いちばん大事な事はウクライナ人が今の自分の国家に誇りを持ってロシアの侵略を許さないで戦っているという事。
許す許さないの問題は人間ですからあるんです。「理不尽な行為が許されない」というのは情緒的な話しではなく、人間社会の基本ですよ。
そういう過去の話しは侵略戦争の言い訳にはならない。と楽老さんも認めてはいると思いますが、ロシア頑張れとかいうバカもいるので言及しました。
話が前部読みきれてないので、今回はこの辺で。
定義や論点を絞らないと永遠と議論が続く。