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雑記帳
2022年01月09日
フェロー諸島におけるヴァイキング以前の人類の存在
https://sicambre.at.webry.info/202201/article_10.html
フェロー諸島におけるヴァイキング以前の人類の存在を報告した研究(Curtin et al., 2021)が公表されました。以下、年代は明記しない限り全て紀元後です。アイスランドとノルウェーとブリテン諸島の間に位置するフェロー諸島は、北大西洋を横断するヴァイキングの探検の足がかりでした。一般的な合意は、古代スカンジナビア人がフェロー諸島に定住した最初のヒトなので、フェロー諸島における最初の考古学的構造は800〜900年頃になる、というものです。これは、ヴァイキング時代(800〜1100年頃)におけるより広範な古代スカンジナビア人拡大の時期と一致しており、その頃に古代スカンジナビア人はフェロー諸島とグリーンランドとさらには北アメリカ大陸に新たな居住地を確立しました(関連記事)。
9世紀におけるフェロー諸島での古代スカンジナビア人の最初の居住を示すほぼ全ての考古学的証拠にも関わらず、古代スカンジナビア人の居住の主要段階前に人々がフェロー諸島に移住したかもしれない、と示唆する間接的な証拠があります。825年、ディクイル(Dicuil)という名のアイルランドの修道士が、一部の北方の島々は少なくとも100年にわたって隠者により居住されてきた、と記録しています。さらに、フェロー諸島の多くの地名はゲルト語に由来し、ケルトの墓標がフェロー諸島では特定されてきました。
フェロー諸島の人々の現代の人口集団の遺伝学は、父系と母系の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の間で強く非対称的で、父系はおもにスカンジナビア人ですが、母系はおもにブリテン諸島に由来します。北大西洋の他地域もこの非対称性を示しますが、フェロー諸島はブリテン諸島の母系祖先系統の割合と遺伝的非対称性の水準が最高で、おもにブリテン諸島の子孫の既存の人口集団が存在したかもしれない、と示唆されます。
しかし、ディクイルの文献がフェロー諸島に言及しているのかどうか、議論の余地があり、地名と墓標と現代の人口集団の遺伝学的証拠は、古代スカンジナビア人が最初の移住者だった、との仮説と矛盾していません。じっさい800年までに、ヴァイキングはすでにブリテン諸島のに到達していました。ヴァイキングはすでにケルト文化の影響を受けており、ブリテン諸島からフェロー諸島へ妻を連れてきた可能性があります。フェロー諸島における初期のヒトの到来に関するほぼ全ての証拠は決定的ではなく、直接的な物理的証拠が欠けています。
フェロー諸島の初期定住に関する議論は、サンドイ(Sandoy)島のアソンドゥム(À Sondum)遺跡で発見された、平均年代が351〜543年となる、いくつかの炭化したオオムギ穀粒の発見で再燃しました。オオムギの加工は、穀粒が見つかった人為的な灰の堆積物とともに、古代スカンジナビア人の到来前にフェロー諸島に何らかの形のヒトの開拓地が存在した、と示唆します。しかし、フェロー諸島へのヒトの初期到来を裏づける追加の考古学的証拠はありませんでした。
堆積物コアからの環境記録は、フェロー諸島へのヒトの最初の到来に関する貴重な制約を提供できます。考古学的記録の性質により、それらは一時的で断片的ですが、堆積物記録は景観の環境史の継続的記録を提供します。フェロー諸島におけるヒトの景観利用による攪乱の環境記録は、おもに湖と沼地の花粉と植物の大型化石の分析を通じて調査されてきました。花粉と大型化石の分析が示してきたのは、完新世の初期には、フェロー諸島の植生にはカバノキ属(カバノキ)やビャクシン属(セイヨウネズ)やヤナギ属(ヤナギ)など木本植生が含まれていた、ということです。木本植生被覆の減少は、地域的な寒冷化と乾燥化に起因する可能性がありますが、フェロー諸島の主要な植生変化はヒトの到来後のみに起き、そのさい放牧動物が木本植生を除去した、と考えられています。
フェロー諸島におけるヘラオオバコ(Plantago lanceolata)の初期(4250年前頃)の出現は、元々はひじょうに初期のヒトの定住によるものだった、と考えられていました。しかし、ヘラオオバコの花粉は、アイスランドではよく確立された古代スカンジナビア人の定住期に先行し、北大西洋諸島の初期のヒトの定住を確証するのに用いることはできません。穀物花粉は、フェロー諸島では農耕開始後のみに見られ、以前の堆積物コアで特定され、年代は1500年前頃となり、フェロー諸島には古代スカンジナビア人以前に人類が存在した、と提案されました。しかし、これらの研究の手法は、ヒトの到来を制約するにはあまりにも不確実で、それは、家畜の放牧も広範な侵食をもたらしたからです。この侵食は、湖と沼地へ古い有機物を供給したので、多数の年代値なしに堆積性環境記録についての放射性炭素年代をしっかりと確立することは困難です。結果として、ヒトによりもたらされた植物の最初の到来の理解は限られています。
本論文は、フェロー諸島でのヒトの存在の識別特性を特定できる、糞便生物標識の湖の堆積記録と堆積物の古代DNAを提示します。フェロー諸島における家畜の存在のこれら明確な標識を、広範な放射性炭素年代測定および火砕物(テフラ)年代学と組み合わせて用いることにより、フェロー諸島へのヒトと家畜到来が、古代スカンジナビア人に約300年先行していた、と確認します。本論文で調査対象地となったエストゥロイ(Eysturoy)島のエイジ湖(Eiðisvatn)は、アルギスブレッカ(Argisbrekka)と呼ばれる夏季の農耕集落である、古代スカンジナビア人の夏期放牧場の近くです(図1)。アルギスブレッカは、エイジ(Eiði)村と関連する夏期放牧場で、重要な沿岸部ヴァイキング集落遺跡でした。アルギスブレッカは、エイジ湖がダムで堰き止められ、湖の領域が拡大し、遺跡が浸水した直前の1985〜1987年に発掘されました。本論文の対象遺跡が主要な遺跡とエイジ村に近接していることにより、本論文の記録は局所的な考古学的記録の文脈に位置づけられます。以下は本論文の図1です。
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コプロスタノールやβスティグマスタノールなど糞便生物標識は、哺乳類の消化管で産生される脂質分子で、流域におけるヒトと家畜の集団の存在の特定に用いることができます。コレステロールとシトステロールのこれら分解生成物は、哺乳類の糞便での背景濃度よりも高濃度で見られます。花粉や炭や堆積物蓄積率などヒトの散在と景観利用を示すのに用いられる多くの環境追跡子は、自然景観の発生と気候変動の影響を受ける可能性があります。しかし、糞便生物標識はヒトと家畜の存在について明白な証拠を提供します。この手法は、全ての哺乳類が元々はヒトにより導入されたフェロー諸島で、とくに有効だと証明されています。
次世代DNA配列技術の出現により、堆積物記録の網羅的解析の適用が可能になりました。堆積物古代DNAの網羅的解析により、経時的な在来の植物と哺乳類の集団構成の変化の検出が可能となります。植物の堆積物古代DNAは、過去の植物集団の再構築に用いることができますが、堆積物における哺乳類、とくに家畜のDNAの特定は、沼地におけるヒトが導入した種の存在について否定できない証拠を提供します。植物と哺乳類の堆積物DNAおよび糞便生物標識を組み合わせると、ヒトがフェロー諸島に家畜を導入したの歯、古代スカンジナビア人の定住の少なくとも300年前だった、と結論づけられます。
●年代モデルと堆積物の特性
エイジ湖の堆積物の年代モデルの制約として、10点の放射性炭素年代と5点の地化学的に痕跡のある火砕物層が用いられました。ベイズ年代モデル化ソフトウェアパッケージ(Bacon)を用いて年代モデルが作成され、堆積物コアの各間隔の年代不確実性が計算されました。年代モデルは、完新世全体でほぼ継続的な堆積速度を示し、高い強熱減量(loss-on-ignition、略してLOI)値と異常に古い放射性炭素年代を有する間隔では、堆積速度がわずかに増加します。最初に2400年前頃と提案された攪乱間隔の開始は、1点の放射性炭素年代の追加と、大半の堆積物年代の除去と、877±1年と知られているランドナム(Landnám)火砕物の暫定的な特定に基づいて、1500年前頃と改定されました。
堆積物の有機物含有量を表すLOIは、堆積物コア全体で10〜40%の範囲です。LOIはコアの底からゆっくり増加し、深さ約53cmで急造します(図2)。これは、本論文の年代モデルによると、1514年前頃(95%信頼範囲で1670〜1415年前)に相当します。LOIは深さ29cmまで20%以上のままです。この高いLOI間隔において、8点の放射性炭素標本が年代逆転をもたらします。有機物堆積増加と異常に古い放射性炭素年代の帰還は、より古い植物大型化石を含む有機物の豊富な堆積物を湖にもたらす、集水における泥炭質土壌の浸食促進の証拠として解釈されます。この解釈は、湖の堆積物における陸生由来の葉の蝋の生物標識の濃度増加、それら生物標識の炭素同位体値の増加、土壌由来のグリセロールジアルキルグリセロールテトラエーテル(GDGT)の濃度増加により裏づけられます。以下は本論文の図2です。
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●糞便生物標識
全標本で糞便のスタノールが同定され、定量化されました。スティグマスタノールとそのエピマー(エピ異性体)であるエピスティグマスタノール、コプロスタノールとそのエピ異性体であるエピコプロスタノールを合計すると、これらは流域における哺乳類の存在を示唆します。記録が景観攪乱期間の有機物堆積の増加により影響を受けないよう、有機物量へ正規化された糞便のステロール濃度が報告されます。スティグマスタノールとコプロスタノール両方(およびそのエピ異性体)の濃度は、50cmの深さの攪乱間隔中、もしくは1433年前(95%信頼範囲で1565〜1317年前)に増加し、攪乱以前の最大値を超えました(図2)。両者は主要な攪乱期以降に減少し、その後、現代の標本では最高値に増加します。
●堆積物古代DNA
攪乱間隔にまたがる11点の深さから採取された14点の堆積物標本から、DNAが抽出されました。網羅的解析により、植物と哺乳類のDNAが増幅され、3点の標本ではヒツジのDNAが確認されました。これら3点のヒツジのDNAは全て、主要な攪乱間隔で採取され、最古のヒツジのDNAは深さ50.88cm、もしくは1458年前(95%信頼範囲で1580〜1343年前)で特定されました(図2)。ヒツジのDNAが確認された3点の標本全てでシカのDNAが、1点のPCR複製ではヒトのDNAが、1点のPCR複製ではウシのDNAが含まれていました。これらの読み取り数はヒツジと比較してずっと少なく、その識別が汚染(ヒトとシカ)もしくはウシ科間の誤配列が原因である可能性を示唆します。1点の追加のヒツジのDNAが確認された標本では、1点のCR複製にヒトのDNAが含まれていました。
14点の堆積物古代DNA標本で、40の植物分類群が特定されました。イグサとワタスゲとスゲとベントグラスを含む4種のイネ科型草本が、有機物堆積の増加開始後により高頻度で特定され、ヒツジのDNAの最初の特定と同年代です(図2)。キンポウゲ属(とキンポウゲとイトキンポウゲ)とアカバナ属(ヤナギソウとスパイクプリムローズ)も、同時により高頻度になります。同じ移行期全体で、木本植物のカバノキ属やビャクシン属(セイヨウネズ)、広葉草本のスイカズラ科やセリ科など、いくつかの属の特定頻度が低下します。
●考察
ヒツジのDNAの最初の出現を伴う堆積物層準と、コアにおける堆積物の1cm以内の糞便生物標識の濃度増加が特定されます(約25年に相当します)。流域における家畜存在についてのこれら2つの独立した分子指標の共起は、この時点までのエイジ湖集水域におけるヒトの到来の決定的証拠を提供します。この層準の年代は、ヒツジのDNAの最初の検出と、95%信頼期間に基づく1317年前(633年)の下限年代となるスティグマスタノールの最初の増加に基づくと、1458〜1433年前(492〜517年)です(図3)。以下は本論文の図3です。
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アルギスブレッカでの考古学的発掘は、これらのデータの解釈に重要な文脈を提供します。アルギスブレッカは、夏季放牧場、もしくはヒツジの放牧のための一時的な夏季集落でした。その考古学的構造の放射性炭素年代測定から、ヴァイキング期の夏季放牧場は元々9世紀半ばに作られ、活動の複数段階の後、11世紀半ばに放棄された、と示唆されます。ヒツジのDNAの最初の出現と糞便生物標識の増加は、古代スカンジナビア人によるアルギスブレッカ遺跡の最初の記録された使用に約300年に先行します。スティグマスタノールの増加の程度はコプロスタノールのそれより大きく、ヒツジの糞便はコプロスタノールよりスティグマスタノールの方を多く含んでおり(約6:1)、ブタ(約2:1)もしくはヒトなどの雑食動物と比較して高い比率で、ヒツジはヒトよりも多い可能性が高く、景観の糞便へのより重要な寄与者だった、との見解と一致します。
フェロー諸島の現代の植物群は、草やスゲやイグサなど草本植物が優占します。しかし、完新世の花粉記録が示すのは、木本と低木の植生は、完新世の初期にはより豊富だった、ということです。低木と他の木本植生は現在、フェロー諸島全域で広範に放牧されているヒツジが容易に到達できない地域でのみ成長します。ヒトの定住前の植生は、ヤナギ属やガンコウラン属やカルーナ属の通常種やヒメカンバ(Betula nana)の小規模な生息を含んでいた、と考えられていました。ヨーロッパダケカンバ(Betula pubescens)やビャクシン属の大型化石の切り株がアルギスブレッカ遺跡で発見され、その年代は4450年前頃ですが、同遺跡の花粉分析ではこれらの種の花粉が欠けており、木本分類群の存在もしくは欠如は花粉分析により正確には表すことができない、と示唆されます。木本植生はヒトの定住まで持続した可能性が高い、と考えられます。
本論文の堆積物古代DNAは、景観にヒツジが最初に出現した直後の、カバノキ属やビャクシン属など木本植生の消滅を示唆します(図2)。これは、近くの花粉および大型化石記録と一致し、ヒトの定住開始と同年代のこれら分類群の減少を示し、それは草の花粉と微小木炭断片の増加により特定されます。しかし、ヤナギ属のDNAはヒトの攪乱間隔全体で存続します。
最初のヒトの到来に関する本論文の証拠は、サンドイのアソンドゥム遺跡で回収された炭化したオオムギ穀粒と一致しており、古代スカンジナビア人の到来以前にヒトがフェロー諸島に到来し、少なくとも一時的に居住していた、と確証します。これはヴァイキング期間の考古学よりも早いものの、ヒトの定住に関するいくつかの他の刊行された古植物学とよく一致します。エイジ湿原に最も近いハイマヴァトゥン(Heimavatn)では、570年頃となるオオムギ属の花粉が大型野生イネ科の花粉および大きな炭の断片とともに見つかっています。フェロー諸島の他の場所では、穀物の花粉が600年頃に記録されています。しかし、以前に刊行された古生態学的記録は、ほとんど年代測定されていない系列に由来し、花粉再構築と本論文のデータと考古学的データとの間の比較を妨げます。
ランドナムの火砕物は877年に北大西洋全域で広く堆積しており、ヴァイキングの植民期の有用な層序標識となります。本論文は深さ33cmでエイジ湖の堆積物におけるランドナムの火砕物を暫定的に特定し、それは層序学的にフェロー諸島におけるヒトの存在の最初の証拠の17cm上です。本論文におけるランドナムの火砕物標本の地球科学は、フェロー諸島の他の場所の標本で以前に報告された値の範囲と一致しますが、本論文の標本の酸化チタン値は以前に刊行された標本の酸化チタンの平均から外れます。ランドナムの火砕物を本論文の年代モデルから除外するならば、この灰の堆積物の発生は875年(95%信頼区間で871〜879年)となり、ヒトの存在に関する本論文の証拠の年代は大きく変化するわけではありません。
●まとめ
本論文は糞便生物標識と堆積物古代DNAの組み合わせを用いて、考古学的記録で広く報告されているヴァイキング期の古代スカンジナビア人の植民期の3〜4世紀前に、ヒトがフェロー諸島に家畜を導入した、という決定的な証拠を示します。ヒトはエイジ湖の集水域に500年頃までに到来した可能性が最も高く、これはヴァイキングのフェロー諸島への植民の約350年前となります。本論文のベイズ年代モデルの95%信頼区間で許容される到来の下限は630年頃で、最初に記録されている古代スカンジナビア人の活動がフェロー諸島で始まる約200年前です。
歴史の記録は、ヴァイキング時代以前のフェロー諸島にケルト人修道士が存在した、と示唆しますが、この期間からのヒトの活動の考古学的証拠は、炭化したオオムギ穀粒がいくつかあるだけで、本論文の証拠は、これら初期の植民者が誰なのか、直接的には語れません。しかし、古代スカンジナビア人は航海技術の後期の採用者で、750〜820年頃という、航海技術採用の一般的に受け入れられている年代の前に古代スカンジナビア人がフェロー諸島に到達することは難しかった、と考えられます。これは、初期のフェロー諸島の入植者が古代スカンジナビア人ではなかったことを示唆しますが、これら初期北大西洋の探検家の正体は未解決の問題です。
また本論文は、脆弱な低木の広範な侵食が、フェロー諸島における後期完新世植生の発展の年代の理解に影響を及ぼし、低木から草やスゲ主体の泥炭地への移行は、後期完新世の気候変化ではなく、人為的及び家畜の活動により起きた可能性が高い、と示します。堆積物の古代DNA研究は近年ますます盛んになっており、今後は適用される地域や年代が拡大していくのではないか、と期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
人類学:フェロー諸島に初めて定住した人類の証拠
人類がフェロー諸島に定住したのは西暦500年ごろと考えられ、これまで考えられていたよりも約300年早かったことを示唆する論文が、Communications Earth & Environment に掲載される。フェロー諸島での家畜の飼育は、ノルウェーのバイキングが上陸した頃に行われていたとする報告があるが、今回の研究では、それよりも前に行われていたことが示された。
西暦800〜900年にバイキングがフェロー諸島に上陸したことは、人類がフェロー諸島に定住したことを示す最古の直接的証拠となっている。しかし、それよりも前に定住者(おそらくブリテン諸島からやって来たケルト人)がおり、バイキングより前にすでに上陸していたことが示唆されている。しかし、それを裏付ける証拠は、ほとんどなかった。
今回、Lorelei Curtinたちは、フェロー湖の湖底の1500年前の堆積層に堆積したDNAを調べた。その結果、西暦500年ごろのヒツジのDNAと糞便の痕跡が発見され、同じ頃にさまざまな草のDNAが増えて、木本植物のDNAが消失したことが判明した。これらはいずれも、放牧が行われていたことの徴候とされる。今回の知見は、バイキングより前に定住した人類が、島内で家畜を放牧していたことを示唆しており、フェロー諸島の初期の定住についての我々の理解を変えるものになるかもしれない。
参考文献:
Curtin L. et al.(2021): Sedimentary DNA and molecular evidence for early human occupation of the Faroe Islands. Communications Earth & Environment, 2, 253.
https://doi.org/10.1038/s43247-021-00318-0
https://sicambre.at.webry.info/202201/article_10.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/473.html#c9