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[番外地9] バブルかどうかはバフェット指数で見るものだよ 中川隆
4. 中川隆[-6979] koaQ7Jey 2021年3月02日 07:52:49 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[1]

tanaka tanaka
その100を越えてからアップルやAmazon、その他諸々に投資しているわけですよね。

リーマンショック時にもまだ高い段階でゴールドマン買っているわけです。

何がいいたいかというとマーケットタイミングの人ではないということ。

77 7
@tanaka tanaka
暴落の前が一番上がり易いからだろ。株がどんどん上がっている時に撤退したら顧客に申し訳が立たなくなるんだよ。
誤解してるアホが多いけど、バフェットはヘッジファンドをやっているんだ、個人投資家じゃないんだよ
失敗しても自分が損するわけじゃないしね

tanaka tanaka
そりゃ個人投資家じゃないでしょ(笑)

一番儲けやすいのかどうか知らないけどコロナ暴落でガッツリ儲けられなかったのは事実。


​ @tanaka tanaka
航空株を損切りしたから利益が減っただけだよ:
2020年05月13日
バフェット投資は終わったか? 損失を認めたバフェット

5兆円の損失を発表するバフェット、損を出しても「儲かった儲かった」と自慢話をする男とどちらを信用するか?

バークシャー・ハサウェイ5兆円の損失

Wバフェットのファンドがコロナで打撃を受け5兆円の損失を出したのが話題になっています。

デルタ、アメリカン、サウスウエスト、ユナイテッドの4社で40億ドル相当の米航空株をすべて売却した。

バークシャー・ハサウェイの2020年1月-3月期決算は株安で497億ドル(106円換算で5兆2,682億円)の赤字だった。

手元資金は、2019年末から100億ドル増加して過去最大の1,370億ドル(約14兆4,220億円)になった。

手元現金は株を売却して増えたので、今すぐ投資に使える現金の事で、株などに投資したものは含まないようです。

バフェットは「買いたいものがないので何もしない」と暫く静観すると話している。


バフェットは10年前のリーマンショック時にも同じように損失を出し、同じように「暫く投資しない」と言って引退を噂された。

だが米景気が2010年頃回復に向かうとやおら起き上がり、怒涛の勢いで株を買いあさりその後大儲けした。

これがバフェットのスタイルで、景気後退期はいつも損失を出し、景気上昇期に利益を出してきた。


世の中には景気後退期に巨額の利益を上げる投資家が居て、その筆頭は魔王と呼ばれたJソロスでした。

ソロスは国家や中央銀行、巨大企業に何度も空売りをしかけて破産に追い込み利益を上げるのを得意としている。

リーマンショック時にも米住宅ローン破産を予言し空売りで莫大な利益を上げた投資グループが存在した。

バフェットと孫正義の違い

だがこうした空売りする投資家は、継続して利益を上げる事は無く数年で破産し無一文になる。

ソロスはインタビューで「空売りでは通算すると赤字で、利益はすべて通常の買い注文によるものだ」「空売りはするな」とまで忠告している。

今回も米ヘッジファンド「ルネッサンス」が暴落時に巨額の利益を上げ、創始者のジム・シモンズは神格化されている。


ジム・シモンズはバフェットと違って秘密主義で手法や考え方は非公開、数学や統計を駆使していると言われている。

米ヘッジファンドは10年で99%破産しているが、「ルネッサンス」が10年後も生き残っているか興味深い。

バフェットは経済危機になると「負けた。もう投資はやめた」とすぐ白旗を挙げるのが特徴です。


それとは正反対の態度を取っているのがソフトバンクファンドの孫正義で、1兆円以上の損失を出した。

しかもソフトバンクは以前から自分に有利な会計や手法を用いて発表する癖があり、実際はもっと損失を出している可能性が高い。

にも拘わらず数日後に携帯電話の「ソフトバンク」(ファンドのソフトバンクGとは別会社)は「過去最高の利益」を発表した。


かなりの人は頭が混乱したはずで、同じ名前の会社が「1兆円の大損失」、数日後に「過去最高利益」を発表した。

孫正義は米電話会社スプリントが年数千億円の赤字を出していた時も、合法的な会計手法で黒字に見せかけて「大儲けした」と自慢していました。

バフェットの態度と孫正義の態度のどちらを信用できるか、自分ならどちらに金を任せるかは言うまでもない。
http://www.thutmosev.com/archives/82929470.html#more

コロナ禍の3ヶ月間で米国富裕層の資産62兆円増 背景に大規模金融緩和
2020年6月14日


 新型コロナ危機が始まってからの約3カ月間、米国の富裕層が資産を約5650億j(62兆円)増やしていたことがわかった。

 この間、資産を飛躍的に延ばした主な富裕層は以下の通り。IT大手や投資関連の大企業が目立っている。

ジェフ・ベゾス(アマゾンCEO)362億j増

マッケンジー・ベゾス(前妻)126億j増

マーク・ザッカーバーグ(フェイスブックCEO)300億j増

イーロン・マスク(テスラCEO)141億j増

セルゲイ・ブリン(グーグル共同創業者)139億j増

ラリー・ペイジ(グーグル元CEO)137億j増

スティーブ・バルマー(マイクロソフト元CEO)133億j増

ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)118億j増

フィル・ナイト(ナイキ創業者)116億j増

ラリー・エリソン(オラクル会長)85億j増

ウォーレン・バフェット(バークシャー・ハサウェイCEO)77億j増
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/128.html#c4

[近代史5] 経済学の歴史、信用貨幣論、MMT 中川隆
10. 2021年3月02日 08:05:24 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[2]
長期金利を左右するもの
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1558.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/384.html#c10
[近代史5] 経済学の歴史、信用貨幣論、MMT 中川隆
11. 2021年3月02日 08:30:30 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[3]
インフレで起きる事
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/384.html#c11
[番外地9] ダボス会議の「グレート・リセット」_ グローバリゼーションの時代以後の「国家資本主義」の体制 中川隆
3. 中川隆[-6978] koaQ7Jey 2021年3月02日 09:41:43 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[4]
新自由主義者が敵だと考えているのは中共ではなく労働者階級だよ:
「世界の支配者」が反中のトランプ大統領を排斥した理由
中国の上場企業の大株主はすべて欧米のファンドだった
https://www.youtube.com/watch?v=l25ziXAxM8E&feature=emb_title

アメリカ中央銀行はアメリカ政府から利子付きアメリカ国債を買ってドルを発行しているので、利子の分だけドルの発行量が毎年毎年増えていく、従ってドルの貨幣価値も毎年毎年減ってインフレが進行していく。

ドルの増加分はすべて資本家の所に行き、労働者の賃金は大して上がらず、実質賃金は毎年毎年下がっていく。従って、内需は毎年毎年減っていき、失業が増え、貧富の差が開いていってマルクスが預言した階級社会が完成する。国債金利がゼロに近づいているというのは、企業が民間銀行から借金して投資する額がこれ以上は増やせない上限に到達してしまい、投資して利子と配当で儲ける資本主義システムが破綻したという事です。 資本主義システムが破綻してできた階級社会の混乱と暴動に対処する方法としては今まで次の3案が考えられています:


・マルクス主義革命:階級闘争で階級を無くし、総中流社会に変える
・エンデの地域通貨発行論:民間銀行の信用創造による企業への融資を止めて、公的機関が利子ゼロで融資する。
・グレートリセット: 階級を永遠に固定化して、労働者を スマホ情報の監視、マイクロチップ体内埋め込みや監視カメラを使って徹底管理して反体制活動ができない様にする


現在のドルを基軸通貨とするアメリカ中心の経済システムは破綻が間近に迫っている。金融マジックで生きながらえてきたが、それも限界が近づき、何も手を打たなければ2030年までに崩壊すると考える人が少なくなかった。そこで資本主義システムを大々的に「リセット」しようというわけだ。


TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)に含まれているISDS(投資家対国家紛争解決)条項は、巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制を政府や議会が作ることを事実上、禁止している。巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制は賠償の対象になることになっていた。


 つまり、生産活動やサービスのルールを決め、労働条件、環境汚染、食糧の安全などに関する規制、あるいは健康保険や年金など社会保障の仕組みを決める最終的な権限を持つのは巨大資本になる。


 私的権力が国を凌駕する力を持ち、政府を所有している状態をフランクリン・ルーズベルトはファシズムと定義した。1938年のこと。私的権力が民主的国家そのものより強大になることを人びとが許すなら民主主義は危機に陥ると警鐘を鳴らしたのだ。こうした体制を「近代農奴制」と呼ぶ人もいる。

グレートリセットはジョージ・オーウェルのディストピア小説「1984」から多くのアイデアをもらっている。「1984」は米国アマゾンでベストセラーになっている。米国だけでなく日本でもベストセラー1位だ。この現象自体が1984的だ。


グレートリセットは「私有財産の没収」まで到達するという説すらある。UBIは「国民総生活保護」であり、その裏側に私有財産禁止がある。もちろん私有を禁じられるのは平民だけで、政治力を持つ大金持ちは例外だ。今のコモディティの値上がりが超インフレになり、ドル崩壊に至るが、その過程で農産物の価格が高騰し、それを統制するために農地が公有化される。それを先取りして、MSのビル・ゲイツが米国各地で広大な農地を買い集め、全米最大の農地保有者になっているという。公有地の「公」は政府でなくネット大企業の経営者というわけだ。


ダボス会議の「グレート・リセット」_ グローバリゼーションの時代以後の「国家資本主義」の体制
それは、「ロスチャイルド」などが後ろ盾となり、世界の支配エリートが結集している「ダボス会議」のアジェンダ、「グレート・リセット」である。
これは、新型コロナウイルスのパンデミック以降、地球温暖化を抑制し持続可能な社会の形成へと向けて、既存の資本主義を根本的に転換することを目指すものである。
「グレート・リセット」は2021年の「ダボス会議」のテーマであり、8月にシンガポールで開催される年次総会で本格的に討議される予定だ。


「ダボス会議」の主催者のクラウス・シュワブが昨年の7月に著した著書、「COVID-19: ザ・グレート・リセット(COVID-19: The Great Reset)」には新型コロナウイルスのパンデミック以降の変化を次のような点にまとめている。

<その1:崩れた経済>
新型コロナウイルスのパンデミックは世界経済の80%に大きな打撃を与えた。企業倒産が相次ぎ、賃金は下がり失業率は急上昇している。その結果、もともと存在していた社会的格差はさらに拡大した。

<その2:格差の拡大と社会的信用の低下>
パンデミックのなか、社会のデジタル化が急速に進んでいる。オンライン診療など、ITやAIを活用した社会サービスが爆発的に拡大している。この結果、あらゆる分野で仕事を失う人が増え、これが格差をさらに拡大させている。これが背景となり、世界的な抗議運動が起こっている。

<その3:巨大だが非効率な政府>
経済の落ち込みと社会的格差拡大の歯止めとして、各国政府は巨額の財政支出を行っている。それは巨額な赤字の原因となっているが、政府の財政支出では思ったような効果が出ていない。非効率である。

<その4:巨大化するIT産業>
テレワークやオンラインショッピングなど、コロナ禍のなかでIT産業はさらに巨大化した。少数の巨大IT企業が社会サービスのあらゆる分野を担うことになるだろう。しかし、こうした企業によって個人情報が握られることになる。これが新たな問題を引き起こしている。巨大IT企業の全面的な支配を許してしまうことになる。

<その5:地政学的な緊張>
コロナ禍のなかで、かねてから激しさを増していた米中対立は一層激化している。このまま行くと、新冷戦から世界の多極化が進み、世界は混沌とした状態に向かう。

<その6:関係者すべてが関与する企業>
新型コロナウイルスのパンデミックがもたらしたプラスの効果があるとすれば、企業の形態に変化が見られることだ。企業のなかにはこれまでの利益中心の経営方針を見直し、従業員を含めたすべての関係者に積極的に関与してもらう新しい経営スタイルを模索する企業も多くなっている。しかし、これが大きなトレンドとして定着するためには、従来の企業の概念を変更せねばならず、そのためには政府の積極的な関与と支援が必要になる。

この本では、以上のような6つを新型コロナウイルスのパンデミックが引き起こした深刻な問題として提起し、これを解決するためには現在のグローバル資本主義のリセットが必要なのだと力説する。

しかし、これがどのような体制になるのか具体的なプランは提示されていない。

ただ、2018年にやはり「ダボス会議」から出された論文、「敏捷な統治」によると、ビッグデータ、AI、ロボット、そしてブロックチェーンなどの先端的なITテクノロジーを徹底的に駆使して、社会問題が発生する前にそれらを予期し、事前に対処してしまう体制のことのようだ。

ITによる人間の管理
この本には、AI、IoT、5Gなどの先端的なテクノロジーの普及で、我々の生活で使われる家電などのディバイスが自動化されるようになると、政府の管理する中央コンピューターに個人のあらゆるデータが集積するとしている。

シュワブは、スマホなどの個人が身につけるデバイスは極小化され、最終的には人間の身体に埋め込まれると予測する。すると、そうした身体に内蔵したITデバイスを通して、個人の思考や想念さえも通信することができるとしている。この本のなかでシュワブは次のようにいう。つまり、犯罪のことを思い浮かべただけで、厳しい監視の対象になるということである。

デジタルIDで個人が管理される時代には免許証やパスポートは必要なくなり、それがなければカネの出し入れもできない。つまり生活が極めて困難になり、支配者に服従せざるをえなくなる。
https://www.mag2.com/p/money/1019624
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/126.html#c3

[リバイバル3] ヒューズも重要な「音質改善」のアイテム 中川隆
5. 2021年3月02日 09:47:19 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[5]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
サブシステムの音質が上がって来ている 2021年03月02日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/fb7f247dbd1c5e42fb8e99e63bb41952


サブシステムの「音質」が上がって来ている。その理由はプリアンプの「オーディオグレードヒューズ」の活性化であると思う。

SONYのプリアンプ2台には、昨年11月にフルテック製オーディオグレードヒューズの取り付けを実施した。ヒューズのグレードを上げる事で、自作電源ケーブルの威力が倍増される。このプリアンプのヒューズ交換は素人では難しかったので「ゴッドハンド」にお願いして実施した。

音の粒立ちの良さや、音数の増加、ヌケ・キレ・ノビの良さが引き出されてきた。ヒューズを交換した直後とは雲泥の差がある。最近はサブシステムの前に座ったら動きたくなる症候が現れ始めた。

メイン・サブシステムのどのシステムも「その場を動きたくなくなる」症候群になりつつある。嬉しいはずであるが、「最後は1セット」を考えると頭が痛くなる。

https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/fb7f247dbd1c5e42fb8e99e63bb41952
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1018.html#c5

[番外地9] ダボス会議の「グレート・リセット」_ グローバリゼーションの時代以後の「国家資本主義」の体制 中川隆
4. 中川隆[-6977] koaQ7Jey 2021年3月02日 09:59:15 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[6]
新自由主義者が敵だと考えているのは中共ではなく労働者階級だよ:
「世界の支配者」が反中のトランプ大統領を排斥した理由
中国の上場企業の大株主はすべて欧米のファンドだった
https://www.youtube.com/watch?v=l25ziXAxM8E&feature=emb_title

アメリカ中央銀行はアメリカ政府から利子付きアメリカ国債を買ってドルを発行しているので、利子の分だけドルの発行量が毎年毎年増えていく、従ってドルの貨幣価値も毎年毎年減ってインフレが進行していく。

ドルの増加分はすべて資本家の所に行き、労働者の賃金は大して上がらず、実質賃金は毎年毎年下がっていく。従って、内需は毎年毎年減っていき、失業が増え、貧富の差が開いていってマルクスが預言した階級社会が完成する。国債金利がゼロに近づいているというのは、企業が民間銀行から借金して投資する額がこれ以上は増やせない上限に到達してしまい、投資して利子と配当で儲ける資本主義システムが破綻したという事です。 資本主義システムが破綻してできた階級社会の混乱と暴動に対処する方法としては今まで次の3案が考えられています:


・マルクス主義革命:階級闘争で階級を無くし、総中流社会に変える
・エンデの地域通貨発行論:民間銀行の信用創造による企業への融資を止めて、公的機関が利子ゼロで融資する。
・グレートリセット: 階級を永遠に固定化して、労働者を スマホ情報の監視、マイクロチップ体内埋め込みや監視カメラを使って徹底管理して反体制活動ができない様にする

バイデン政権の背後にいる「外交問題評議会 CFR」や、それと連動して動いていると思われる「ダボス会議」が目標にする「グレート・リセット」

「CFR」の核となる企業が、「ゴールドマン・サックス」、「JPモーガン」、「モーガンスタンレー」、「シティ」、「バンク・オブ・アメリカ」、「ムーディーズ」などの国際的な金融資本、また「グーグル」や「フェースブック」、「AT&T」などの大手IT・通信企業、さらに「エクソンモービル」や「シェブロン」などの国際エネルギー企業などであることを見ると、グローバリゼーションの促進で国家と政府の規制が弱められ、世界のあらゆる地域が彼らの自由な投資領域として確保されることは、まさに「CFR」の利害に合致している。もちろんこれらの企業は、「ダボス会議」にも名前を連ねている。

これを推進してきたのは、まさに「CFR」や「ダボス会議」などに結集し、独自のアジェンダを追求している欧米の支配勢力。彼らが提示する次のアジェンダこそ、ITによる社会管理を全面的に取り入れた新しい社会状態への「グレート・リセット」だ。

社会矛盾の爆発によって既存の支配勢力が民衆の怒りのターゲットとなり、自分たちが排除される前に、新しい社会状態を先行して導入し、支配勢力としての地位を継続して維持するために行っていること。
これは規制緩和、ならびに富裕層と企業への減税を条件に民間の債務を増やし、経済成長を最優先した政策だ。
グレートリセットはジョージ・オーウェルのディストピア小説「1984」から多くのアイデアをもらっている。
こうした体制を「近代農奴制」と呼ぶ人もいる。

現在のドルを基軸通貨とするアメリカ中心の経済システムは破綻が間近に迫っている。金融マジックで生きながらえてきたが、それも限界が近づき、何も手を打たなければ2030年までに崩壊すると考える人が少なくなかった。そこで資本主義システムを大々的に「リセット」しようというわけだ。

TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)に含まれているISDS(投資家対国家紛争解決)条項は、巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制を政府や議会が作ることを事実上、禁止している。巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制は賠償の対象になることになっていた。


 つまり、生産活動やサービスのルールを決め、労働条件、環境汚染、食糧の安全などに関する規制、あるいは健康保険や年金など社会保障の仕組みを決める最終的な権限を持つのは巨大資本になる。


 私的権力が国を凌駕する力を持ち、政府を所有している状態をフランクリン・ルーズベルトはファシズムと定義した。1938年のこと。私的権力が民主的国家そのものより強大になることを人びとが許すなら民主主義は危機に陥ると警鐘を鳴らしたのだ。こうした体制を「近代農奴制」と呼ぶ人もいる。

グレートリセットはジョージ・オーウェルのディストピア小説「1984」から多くのアイデアをもらっている。「1984」は米国アマゾンでベストセラーになっている。米国だけでなく日本でもベストセラー1位だ。この現象自体が1984的だ。

グレートリセットは「私有財産の没収」まで到達するという説すらある。UBIは「国民総生活保護」であり、その裏側に私有財産禁止がある。もちろん私有を禁じられるのは平民だけで、政治力を持つ大金持ちは例外だ。今のコモディティの値上がりが超インフレになり、ドル崩壊に至るが、その過程で農産物の価格が高騰し、それを統制するために農地が公有化される。それを先取りして、MSのビル・ゲイツが米国各地で広大な農地を買い集め、全米最大の農地保有者になっているという。公有地の「公」は政府でなくネット大企業の経営者というわけだ。


ダボス会議の「グレート・リセット」_ グローバリゼーションの時代以後の「国家資本主義」の体制
それは、「ロスチャイルド」などが後ろ盾となり、世界の支配エリートが結集している「ダボス会議」のアジェンダ、「グレート・リセット」である。「ダボス会議」の主催者のクラウス・シュワブが昨年の7月に著した著書、「COVID-19: ザ・グレート・リセット(COVID-19: The Great Reset)」には新型コロナウイルスのパンデミック以降の変化を次のような点にまとめている。

<その1:崩れた経済>
新型コロナウイルスのパンデミックは世界経済の80%に大きな打撃を与えた。企業倒産が相次ぎ、賃金は下がり失業率は急上昇している。その結果、もともと存在していた社会的格差はさらに拡大した。

<その2:格差の拡大と社会的信用の低下>
パンデミックのなか、社会のデジタル化が急速に進んでいる。オンライン診療など、ITやAIを活用した社会サービスが爆発的に拡大している。この結果、あらゆる分野で仕事を失う人が増え、これが格差をさらに拡大させている。これが背景となり、世界的な抗議運動が起こっている。

<その4:巨大化するIT産業>
テレワークやオンラインショッピングなど、コロナ禍のなかでIT産業はさらに巨大化した。少数の巨大IT企業が社会サービスのあらゆる分野を担うことになるだろう。しかし、こうした企業によって個人情報が握られることになる。これが新たな問題を引き起こしている。巨大IT企業の全面的な支配を許してしまうことになる。

この本では、以上のような6つを新型コロナウイルスのパンデミックが引き起こした深刻な問題として提起し、これを解決するためには現在のグローバル資本主義のリセットが必要なのだと力説する。

2018年にやはり「ダボス会議」から出された論文、「敏捷な統治」によると、ビッグデータ、AI、ロボット、そしてブロックチェーンなどの先端的なITテクノロジーを徹底的に駆使して、社会問題が発生する前にそれらを予期し、事前に対処してしまう体制のことのようだ。

この本には、AI、IoT、5Gなどの先端的なテクノロジーの普及で、我々の生活で使われる家電などのディバイスが自動化されるようになると、政府の管理する中央コンピューターに個人のあらゆるデータが集積するとしている。
つまり、犯罪のことを思い浮かべただけで、厳しい監視の対象になるということである。

デジタルIDで個人が管理される時代には免許証やパスポートは必要なくなり、それがなければカネの出し入れもできない。つまり生活が極めて困難になり、支配者に服従せざるをえなくなる。
https://www.mag2.com/p/money/1019624
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/126.html#c4

[近代史02] 昭和天皇が戦争狂になった訳 中川隆
91. 2021年3月02日 10:30:20 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[7]
昭和恐慌と子殺し 2021年03月01日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1419.html

 大恐慌といえば1929年のニューデール恐慌だが、これが日本に波及した「昭和大恐慌」について語り継がれたものは少ない。我々の世代ですら、何が起きたのか知らない者が多い。

 昭和恐慌とは何か?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E6%81%90%E6%85%8C

 1930年〜1932年くらいまで続いた昭和最大の不況だが、満州事変による中国侵攻の軍事特需が生まれて事実上収束した。
 しかし、この不況の本質は、台湾・朝鮮を領土化した日本政府が、1930年(昭和5年)の大豊作時に、植民地である台湾・朝鮮から米を大量に輸入したことにより、日本本土の農業が壊滅状態に陥り、農村地方の民衆生活を激しく崩壊させたことにある。

 いったい、何が起きたのか?

syouwakyoukou01.jpg
 


 ニューデール大恐慌は、生糸市場を直撃したので、日本の農村で生糸に依存した生活を行っていた土地では、ほとんど収入が失われ、維新以来最悪の貧苦に見舞われた。

 語り継ぐ戦争 貧しい漁村、子殺しの悲劇 エッセイストの川口祐二さん 2018/08/16
 https://www.youtube.com/watch?v=cH5SMjcYqLo&ab_channel=%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE 

 「三重県の漁村の女房たちは、亭主との間に出来た子供を間引した廉(かど)で、1小隊ほども法廷に立たされた」
 この村のことと違うかな。ピンときました。

 尋常小学生のころ、母に尋ねたんです。学校で学年別に整列すると、僕らは90人いるのに、1年上の31(昭和6)年生まれだけが、半分くらいしかいない。「なんでかな」。すると、母が「実はな……」と教えてくれた。

 貧しい母親たちは、産んだばかりの赤ん坊を殺して油紙に包んで海に流した。それが波で押し返され、見つかった。産婆も関係しており、姉の同級生の母親も摘発された、と姉からも聴いた。

 その前からあったが、31年が不景気のどん底でひどかったらしい。満州事変の年ですね。当時、今と違って魚はとれたが、値段が安く、輸送手段が乏しかった。人力で荷車を引き、半日がかりで伊勢まで運んだそうだ。

 僕は何とも言えない気持ちになった。事件のころ、僕も母のおなかに入っていたわけで、もう半年早く宿っていたら、同じ運命をたどったんだろうか。何しろ僕は7人きょうだいの一番下でしたから。

 農地もわずかしかなく、都会へ働きにいくほか、海外への出稼ぎも多かった。志摩郡に仕事を紹介する会社があり、うちも姉2人と兄の3人がフィリピンへ渡った。看護師になったり、ビール会社で働いたりした。

 一番上の姉は開戦直前、2人の子どもを連れて帰国した。現地では「アメリカと戦争になるらしい」といううわさが流れていたそうだ。大戦末期、残ったその夫や兄は現地召集、2番目の姉も米軍に追われて逃げ惑った。タガログ語ができたので、イモを分けてもらい、生き延びた。

 《嬰児(えいじ)殺し事件》 1933(昭和8)年10月24日付の伊勢新聞などによると、三重県南勢地方の村で摘発され、後に18人に執行猶予付きの有罪判決があった。
 三重県警察史(66年)も「生活上の苦悩から惨忍(ざんにん)な犯行を犯す者も増加した」としてこの事件に触れ、「被疑者三十余名、三十数件の嬰児殺事件を検挙」とある。
*******************************************************************
私が、昭和恐慌における娘の身売りや嬰児殺しの事実を知ったのは、もう半世紀以上前に夢中になって読んだ民俗学者、宮本常一のルポであった。
 宮本は全国の貧しい農漁村を歩いて、直接取材した膨大な民俗学ルポルタージュを遺した。未来社から全集が出ているが、高価なので買えず、私は図書館に通って貪り読んだ。

 今は、その内容を具体的に示すことができないが、鮮明に記憶しているのは、東北地方の農家では、戦後、1960年代くらいまで、子供を育てる見通しが立たないとき、母親が産んだ後の嬰児を川に沈めて死なせるというルポがあったことだ。
 上に挙げた伊勢地方では、戦前の1933年に30余名の嬰児殺しが摘発されているが、東北地方の奥地では、昭和30年代でも、育てられないための子殺しは普通に起きていた。

 昭和恐慌では、生糸だけが唯一の現金手段という地方の村が無数にあって、それが大恐慌で突然ゼロになり、多くの人々が途方に暮れ、子殺しをするしかなかった。
 だから1931年(昭和6年)生まれは、特別に人数が少ないということになった。

 上の説明を補完する出生数推移情報を探したが、昭和恐慌による「子殺し」を示す統計データで分かりやすいものは見つからなかった。全国の大数データに埋もれて、極度に貧しい農村の特異性を示すデータが出てこない。
 しかし、昭和恐慌を題材にした人間ドラマは少なくない。「おしん」は、とりわけ説得力をもって当時の凄惨な現実を教えてくれた。

 現在、「子殺し」は、殺人と同等の扱いとして、事情があっても情け容赦なく犯罪として扱うようになっている。
 
  https://news.yahoo.co.jp/articles/7f4707e3443e4428041c17003ea6837c4a22c775

  https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50695

 私は、これもおかしな話だと思う。子殺しをするには、必ず生活が追い詰められたという事情を前提にしている。好き好んで趣味で子殺しをする者は滅多にいないだろう。
 日本政府は、生活に追い詰められた彼らを一切支援せず、新自由主義の「自助努力」だけを押しつけて、子殺しや一家心中に向かう人々に対して、非人情で冷酷極まりない対応を行い、処罰だけ熱心だ。
 こういう思想の連中には、いつか天罰が下ることを望む。

 昭和恐慌で、冷害凶作も重なって、もっとも残酷な被害を受けたのは東北地方だが、秋田県・岩手県などで、その凄惨な状況が記録されている。
 http://www.pref.akita.jp/fpd/rekishi/rekishi-index.htm

 昭和恐慌とあいつぐ凶作で被害を受けた村の実態を「凶作地帯をゆく」(昭和9(1934)年10月26日付け秋田魁新聞)と題する現地レポートには次のように記されている。

 「秋晴れの鳥海は清らかな山姿を、紺碧の空にクッキリ浮かせている。
 しかし、山裾にある町村は、未曾有の凶作に悩み、木の実・草の根、人間の食べられるものは全部刈り取り掘り尽くし、米の一粒だに咽喉を通すことのできぬ飢餓地獄にのたうつ惨状、秋田県由利郡直根村百宅部落のごときは、空飛ぶ鳥類さえ斃死したかと思われ、400名の部落民からは生色がほとんど奪われ、天に号泣し地に哀訴の術も空しく飢え迫る日を待つのみの状態である。(アマ註・由利本荘市直根を調べたが見つからないので集落が消えたようだ)

 同部落は戸数100戸、作付け反別80町歩、これは冷害のためほとんど全滅だ。同分教場には90名の児童を収容しているが、欠食児童は3割に当たる30名、欠席者は非常に多く、1日平均20名、また早引きするものもかなり多い。

 これは家人の働きに出た後の留守居や、でなければ山に入って栗・トチ・山ぶどうなどの木の実、山ゆり・山ごぼう・フキなどの草の根・木の葉を集めるために欠席する。糧食なくして何の教育ぞやの感を深くさせられる。

 垢に汚れたヨレヨレのボロ着にまとった赤児をおんぶして、授業を受ける児童の多いこと、一人泣き出せば又一人、背の赤児はまだしも自分でもママ末に負えなくなって泣き叫ぶ子守りもいる。

 こうした名目ばかりの義務教育を終えて、やっと15,6になると、雀の涙ほどの前借金で丁稚とか酌婦に売り出される。
 生まれ落ちて布団もろくろくないワラの中に育ち、食うや食わずにやっと6年を終えたら、知らぬ他国に涙の生活、彼ら山間奥地の住民は、永劫に光を持たぬ運命を約束されてきた。」

売られゆく娘たち
 凶作が決定的となった昭和9年、県保安課がまとめた娘の身売りの実態によると「父母を兄弟を飢餓線より救うべく、悲しい犠牲となって他国に嫁ぐ悲しき彼女たち」の数は、1万1,182人、前年の4,417人に比べて実に2.7倍にも増加している。
 身売り娘が多かったのは、秋田の米どころと言われる雄勝・平鹿・仙北三郡であった。
 娘の身売りは人道上のこととして、大きな社会的関心を呼び、これを防止しようと身売り防止のポスターを作って広く呼びかけた。
 しかし、小作農民の貧しさの根本的解決がない限り、娘の身売りの根絶は困難であった。
**********************************************************
 引用以上

 私は、この記事を見て憤った。当時、満州事変を境にして、日本軍部は軍備増強に突き進み、太平洋戦争敗戦までの間、現在価値にして、実に4000兆円を超える資金を投じた。その多くが、アヘンやヘロインを諸外国に売りさばいた密売資金だったが。
 東北の悲惨な子殺しや身売りは、そのうち、わずか0.1%でも救援に回せば、瞬時に解決したものだ。

 だが、日本政府・軍部は、日本国民の窮状に背を向けて、戦争への道を突っ走っていた。だから、すでに、この段階で、第二次世界大戦の敗北は必至だったのだ。

 今、コロナ禍で、昨年1月当時の予想からすれば、ちょっと信じられないほど深刻な事態に突き進んでいる。みんな、まだ事態の深刻さを見ていても、それがどれほど恐ろしい、残酷・苛酷な事態を招くのか、ピンときている人が、ほとんどいないのに驚かされる。
 もう、数ヶ月先にも、ワクチンが普及し、事態が収まって元通りに社会が動き始めると勘違いしている人が大半なのだ。

 事実は違う。コロナ禍は、まだ始まったばかりだ。多重感染者が増えれば、ウイルスの突然変異による毒性、感染力が上がり、これまでとは桁違いの被害が出る。
 百年前のスペイン風邪のときがそうだ。
 1918年から始まったといわれるが、最初はたいした症状ではなかったが、二年目の多重感染者が著しい毒性の変異株を生み出し、集落を絨毯爆撃するほどの死者が出始めた。
 当時20億人だった地球人口の全員が感染し、うち一割が死亡した。

 RNAウイルスは、もの凄い変異を繰り返すうちに、毒性を弱めて、一種の「自家中毒」を起こして軽い病気に変わってゆくが、スペイン風邪は4年目にそうなった。
 もっとも激しい毒性の暴風は2〜3年目だ。そのときは健全な免疫を持った屈強な若者や、地の果てのエスキモーまで感染死亡させられた。
 新型コロナ禍は、まだその段階に至っておらず、これから、それがやってくる可能性が大いにある。
 日本政府・厚労省の対応が、あまりに非科学的で、愚かすぎるからだ。

 このままでは、私は昭和恐慌なみの、恐ろしい経済崩壊が避けられないと思う。金が動くには人が動かなければならない。その人が動けないのだから、金が回るはずがない。
 もう、新自由主義などという馬鹿げた迷妄思想の出番ではない。金儲けだけが人間最高の価値と決めつけたフリードマンは、もはや法王とともに地獄に墜ちている。

 変わって、この社会に登場してくる思想は、「共同体」だとくり返し書いている。「金儲け」という利己主義などに何の価値も見いださず、「人の笑顔を食べて生きる」利他主義の価値観の人々が社会の中核を占めるようになる。
 そうでなければ、日本社会は滅亡するしかない。共同体思想だけが、日本の未来を拓いてゆく。

 もしも、人が「共同」を失ったなら、昭和恐慌と同じことが起きると私は思う。もう子供たちを育ててゆけない。かといって新自由主義の政府は、自助だけを要求して、絶対に民衆を助けない。
 すると最期に犠牲になるのは、生まれてくる子供であり、「未来」そのものなのだ。
 昭和恐慌が何をもたらしたのか?
 それは太平洋戦争なのだ。日本人450万人が死亡させられたといわれる、あの戦争だ。
 
 もしも、今のまま未来への適切なビジョンが示せなければ、再び世界戦争に翻弄されるだけだろう。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1419.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html#c91

[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
239. 中川隆[-6976] koaQ7Jey 2021年3月02日 10:30:45 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[8]
昭和恐慌と子殺し 2021年03月01日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1419.html

 大恐慌といえば1929年のニューデール恐慌だが、これが日本に波及した「昭和大恐慌」について語り継がれたものは少ない。我々の世代ですら、何が起きたのか知らない者が多い。

 昭和恐慌とは何か?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E6%81%90%E6%85%8C

 1930年〜1932年くらいまで続いた昭和最大の不況だが、満州事変による中国侵攻の軍事特需が生まれて事実上収束した。
 しかし、この不況の本質は、台湾・朝鮮を領土化した日本政府が、1930年(昭和5年)の大豊作時に、植民地である台湾・朝鮮から米を大量に輸入したことにより、日本本土の農業が壊滅状態に陥り、農村地方の民衆生活を激しく崩壊させたことにある。

 いったい、何が起きたのか?

syouwakyoukou01.jpg
 


 ニューデール大恐慌は、生糸市場を直撃したので、日本の農村で生糸に依存した生活を行っていた土地では、ほとんど収入が失われ、維新以来最悪の貧苦に見舞われた。

 語り継ぐ戦争 貧しい漁村、子殺しの悲劇 エッセイストの川口祐二さん 2018/08/16
 https://www.youtube.com/watch?v=cH5SMjcYqLo&ab_channel=%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE 

 「三重県の漁村の女房たちは、亭主との間に出来た子供を間引した廉(かど)で、1小隊ほども法廷に立たされた」
 この村のことと違うかな。ピンときました。

 尋常小学生のころ、母に尋ねたんです。学校で学年別に整列すると、僕らは90人いるのに、1年上の31(昭和6)年生まれだけが、半分くらいしかいない。「なんでかな」。すると、母が「実はな……」と教えてくれた。

 貧しい母親たちは、産んだばかりの赤ん坊を殺して油紙に包んで海に流した。それが波で押し返され、見つかった。産婆も関係しており、姉の同級生の母親も摘発された、と姉からも聴いた。

 その前からあったが、31年が不景気のどん底でひどかったらしい。満州事変の年ですね。当時、今と違って魚はとれたが、値段が安く、輸送手段が乏しかった。人力で荷車を引き、半日がかりで伊勢まで運んだそうだ。

 僕は何とも言えない気持ちになった。事件のころ、僕も母のおなかに入っていたわけで、もう半年早く宿っていたら、同じ運命をたどったんだろうか。何しろ僕は7人きょうだいの一番下でしたから。

 農地もわずかしかなく、都会へ働きにいくほか、海外への出稼ぎも多かった。志摩郡に仕事を紹介する会社があり、うちも姉2人と兄の3人がフィリピンへ渡った。看護師になったり、ビール会社で働いたりした。

 一番上の姉は開戦直前、2人の子どもを連れて帰国した。現地では「アメリカと戦争になるらしい」といううわさが流れていたそうだ。大戦末期、残ったその夫や兄は現地召集、2番目の姉も米軍に追われて逃げ惑った。タガログ語ができたので、イモを分けてもらい、生き延びた。

 《嬰児(えいじ)殺し事件》 1933(昭和8)年10月24日付の伊勢新聞などによると、三重県南勢地方の村で摘発され、後に18人に執行猶予付きの有罪判決があった。
 三重県警察史(66年)も「生活上の苦悩から惨忍(ざんにん)な犯行を犯す者も増加した」としてこの事件に触れ、「被疑者三十余名、三十数件の嬰児殺事件を検挙」とある。
*******************************************************************
私が、昭和恐慌における娘の身売りや嬰児殺しの事実を知ったのは、もう半世紀以上前に夢中になって読んだ民俗学者、宮本常一のルポであった。
 宮本は全国の貧しい農漁村を歩いて、直接取材した膨大な民俗学ルポルタージュを遺した。未来社から全集が出ているが、高価なので買えず、私は図書館に通って貪り読んだ。

 今は、その内容を具体的に示すことができないが、鮮明に記憶しているのは、東北地方の農家では、戦後、1960年代くらいまで、子供を育てる見通しが立たないとき、母親が産んだ後の嬰児を川に沈めて死なせるというルポがあったことだ。
 上に挙げた伊勢地方では、戦前の1933年に30余名の嬰児殺しが摘発されているが、東北地方の奥地では、昭和30年代でも、育てられないための子殺しは普通に起きていた。

 昭和恐慌では、生糸だけが唯一の現金手段という地方の村が無数にあって、それが大恐慌で突然ゼロになり、多くの人々が途方に暮れ、子殺しをするしかなかった。
 だから1931年(昭和6年)生まれは、特別に人数が少ないということになった。

 上の説明を補完する出生数推移情報を探したが、昭和恐慌による「子殺し」を示す統計データで分かりやすいものは見つからなかった。全国の大数データに埋もれて、極度に貧しい農村の特異性を示すデータが出てこない。
 しかし、昭和恐慌を題材にした人間ドラマは少なくない。「おしん」は、とりわけ説得力をもって当時の凄惨な現実を教えてくれた。

 現在、「子殺し」は、殺人と同等の扱いとして、事情があっても情け容赦なく犯罪として扱うようになっている。
 
  https://news.yahoo.co.jp/articles/7f4707e3443e4428041c17003ea6837c4a22c775

  https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50695

 私は、これもおかしな話だと思う。子殺しをするには、必ず生活が追い詰められたという事情を前提にしている。好き好んで趣味で子殺しをする者は滅多にいないだろう。
 日本政府は、生活に追い詰められた彼らを一切支援せず、新自由主義の「自助努力」だけを押しつけて、子殺しや一家心中に向かう人々に対して、非人情で冷酷極まりない対応を行い、処罰だけ熱心だ。
 こういう思想の連中には、いつか天罰が下ることを望む。

 昭和恐慌で、冷害凶作も重なって、もっとも残酷な被害を受けたのは東北地方だが、秋田県・岩手県などで、その凄惨な状況が記録されている。
 http://www.pref.akita.jp/fpd/rekishi/rekishi-index.htm

 昭和恐慌とあいつぐ凶作で被害を受けた村の実態を「凶作地帯をゆく」(昭和9(1934)年10月26日付け秋田魁新聞)と題する現地レポートには次のように記されている。

 「秋晴れの鳥海は清らかな山姿を、紺碧の空にクッキリ浮かせている。
 しかし、山裾にある町村は、未曾有の凶作に悩み、木の実・草の根、人間の食べられるものは全部刈り取り掘り尽くし、米の一粒だに咽喉を通すことのできぬ飢餓地獄にのたうつ惨状、秋田県由利郡直根村百宅部落のごときは、空飛ぶ鳥類さえ斃死したかと思われ、400名の部落民からは生色がほとんど奪われ、天に号泣し地に哀訴の術も空しく飢え迫る日を待つのみの状態である。(アマ註・由利本荘市直根を調べたが見つからないので集落が消えたようだ)

 同部落は戸数100戸、作付け反別80町歩、これは冷害のためほとんど全滅だ。同分教場には90名の児童を収容しているが、欠食児童は3割に当たる30名、欠席者は非常に多く、1日平均20名、また早引きするものもかなり多い。

 これは家人の働きに出た後の留守居や、でなければ山に入って栗・トチ・山ぶどうなどの木の実、山ゆり・山ごぼう・フキなどの草の根・木の葉を集めるために欠席する。糧食なくして何の教育ぞやの感を深くさせられる。

 垢に汚れたヨレヨレのボロ着にまとった赤児をおんぶして、授業を受ける児童の多いこと、一人泣き出せば又一人、背の赤児はまだしも自分でもママ末に負えなくなって泣き叫ぶ子守りもいる。

 こうした名目ばかりの義務教育を終えて、やっと15,6になると、雀の涙ほどの前借金で丁稚とか酌婦に売り出される。
 生まれ落ちて布団もろくろくないワラの中に育ち、食うや食わずにやっと6年を終えたら、知らぬ他国に涙の生活、彼ら山間奥地の住民は、永劫に光を持たぬ運命を約束されてきた。」

売られゆく娘たち
 凶作が決定的となった昭和9年、県保安課がまとめた娘の身売りの実態によると「父母を兄弟を飢餓線より救うべく、悲しい犠牲となって他国に嫁ぐ悲しき彼女たち」の数は、1万1,182人、前年の4,417人に比べて実に2.7倍にも増加している。
 身売り娘が多かったのは、秋田の米どころと言われる雄勝・平鹿・仙北三郡であった。
 娘の身売りは人道上のこととして、大きな社会的関心を呼び、これを防止しようと身売り防止のポスターを作って広く呼びかけた。
 しかし、小作農民の貧しさの根本的解決がない限り、娘の身売りの根絶は困難であった。
**********************************************************
 引用以上

 私は、この記事を見て憤った。当時、満州事変を境にして、日本軍部は軍備増強に突き進み、太平洋戦争敗戦までの間、現在価値にして、実に4000兆円を超える資金を投じた。その多くが、アヘンやヘロインを諸外国に売りさばいた密売資金だったが。
 東北の悲惨な子殺しや身売りは、そのうち、わずか0.1%でも救援に回せば、瞬時に解決したものだ。

 だが、日本政府・軍部は、日本国民の窮状に背を向けて、戦争への道を突っ走っていた。だから、すでに、この段階で、第二次世界大戦の敗北は必至だったのだ。

 今、コロナ禍で、昨年1月当時の予想からすれば、ちょっと信じられないほど深刻な事態に突き進んでいる。みんな、まだ事態の深刻さを見ていても、それがどれほど恐ろしい、残酷・苛酷な事態を招くのか、ピンときている人が、ほとんどいないのに驚かされる。
 もう、数ヶ月先にも、ワクチンが普及し、事態が収まって元通りに社会が動き始めると勘違いしている人が大半なのだ。

 事実は違う。コロナ禍は、まだ始まったばかりだ。多重感染者が増えれば、ウイルスの突然変異による毒性、感染力が上がり、これまでとは桁違いの被害が出る。
 百年前のスペイン風邪のときがそうだ。
 1918年から始まったといわれるが、最初はたいした症状ではなかったが、二年目の多重感染者が著しい毒性の変異株を生み出し、集落を絨毯爆撃するほどの死者が出始めた。
 当時20億人だった地球人口の全員が感染し、うち一割が死亡した。

 RNAウイルスは、もの凄い変異を繰り返すうちに、毒性を弱めて、一種の「自家中毒」を起こして軽い病気に変わってゆくが、スペイン風邪は4年目にそうなった。
 もっとも激しい毒性の暴風は2〜3年目だ。そのときは健全な免疫を持った屈強な若者や、地の果てのエスキモーまで感染死亡させられた。
 新型コロナ禍は、まだその段階に至っておらず、これから、それがやってくる可能性が大いにある。
 日本政府・厚労省の対応が、あまりに非科学的で、愚かすぎるからだ。

 このままでは、私は昭和恐慌なみの、恐ろしい経済崩壊が避けられないと思う。金が動くには人が動かなければならない。その人が動けないのだから、金が回るはずがない。
 もう、新自由主義などという馬鹿げた迷妄思想の出番ではない。金儲けだけが人間最高の価値と決めつけたフリードマンは、もはや法王とともに地獄に墜ちている。

 変わって、この社会に登場してくる思想は、「共同体」だとくり返し書いている。「金儲け」という利己主義などに何の価値も見いださず、「人の笑顔を食べて生きる」利他主義の価値観の人々が社会の中核を占めるようになる。
 そうでなければ、日本社会は滅亡するしかない。共同体思想だけが、日本の未来を拓いてゆく。

 もしも、人が「共同」を失ったなら、昭和恐慌と同じことが起きると私は思う。もう子供たちを育ててゆけない。かといって新自由主義の政府は、自助だけを要求して、絶対に民衆を助けない。
 すると最期に犠牲になるのは、生まれてくる子供であり、「未来」そのものなのだ。
 昭和恐慌が何をもたらしたのか?
 それは太平洋戦争なのだ。日本人450万人が死亡させられたといわれる、あの戦争だ。
 
 もしも、今のまま未来への適切なビジョンが示せなければ、再び世界戦争に翻弄されるだけだろう。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1419.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c239

[近代史4] 昭和天皇はウォール街のエージェントだったので、共産主義者のルーズベルト大統領と対立して対米戦争を起こした 中川隆
17. 中川隆[-6975] koaQ7Jey 2021年3月02日 10:31:19 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[9]
昭和恐慌と子殺し 2021年03月01日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1419.html

 大恐慌といえば1929年のニューデール恐慌だが、これが日本に波及した「昭和大恐慌」について語り継がれたものは少ない。我々の世代ですら、何が起きたのか知らない者が多い。

 昭和恐慌とは何か?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E6%81%90%E6%85%8C

 1930年〜1932年くらいまで続いた昭和最大の不況だが、満州事変による中国侵攻の軍事特需が生まれて事実上収束した。
 しかし、この不況の本質は、台湾・朝鮮を領土化した日本政府が、1930年(昭和5年)の大豊作時に、植民地である台湾・朝鮮から米を大量に輸入したことにより、日本本土の農業が壊滅状態に陥り、農村地方の民衆生活を激しく崩壊させたことにある。

 いったい、何が起きたのか?

syouwakyoukou01.jpg
 


 ニューデール大恐慌は、生糸市場を直撃したので、日本の農村で生糸に依存した生活を行っていた土地では、ほとんど収入が失われ、維新以来最悪の貧苦に見舞われた。

 語り継ぐ戦争 貧しい漁村、子殺しの悲劇 エッセイストの川口祐二さん 2018/08/16
 https://www.youtube.com/watch?v=cH5SMjcYqLo&ab_channel=%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE 

 「三重県の漁村の女房たちは、亭主との間に出来た子供を間引した廉(かど)で、1小隊ほども法廷に立たされた」
 この村のことと違うかな。ピンときました。

 尋常小学生のころ、母に尋ねたんです。学校で学年別に整列すると、僕らは90人いるのに、1年上の31(昭和6)年生まれだけが、半分くらいしかいない。「なんでかな」。すると、母が「実はな……」と教えてくれた。

 貧しい母親たちは、産んだばかりの赤ん坊を殺して油紙に包んで海に流した。それが波で押し返され、見つかった。産婆も関係しており、姉の同級生の母親も摘発された、と姉からも聴いた。

 その前からあったが、31年が不景気のどん底でひどかったらしい。満州事変の年ですね。当時、今と違って魚はとれたが、値段が安く、輸送手段が乏しかった。人力で荷車を引き、半日がかりで伊勢まで運んだそうだ。

 僕は何とも言えない気持ちになった。事件のころ、僕も母のおなかに入っていたわけで、もう半年早く宿っていたら、同じ運命をたどったんだろうか。何しろ僕は7人きょうだいの一番下でしたから。

 農地もわずかしかなく、都会へ働きにいくほか、海外への出稼ぎも多かった。志摩郡に仕事を紹介する会社があり、うちも姉2人と兄の3人がフィリピンへ渡った。看護師になったり、ビール会社で働いたりした。

 一番上の姉は開戦直前、2人の子どもを連れて帰国した。現地では「アメリカと戦争になるらしい」といううわさが流れていたそうだ。大戦末期、残ったその夫や兄は現地召集、2番目の姉も米軍に追われて逃げ惑った。タガログ語ができたので、イモを分けてもらい、生き延びた。

 《嬰児(えいじ)殺し事件》 1933(昭和8)年10月24日付の伊勢新聞などによると、三重県南勢地方の村で摘発され、後に18人に執行猶予付きの有罪判決があった。
 三重県警察史(66年)も「生活上の苦悩から惨忍(ざんにん)な犯行を犯す者も増加した」としてこの事件に触れ、「被疑者三十余名、三十数件の嬰児殺事件を検挙」とある。
*******************************************************************
私が、昭和恐慌における娘の身売りや嬰児殺しの事実を知ったのは、もう半世紀以上前に夢中になって読んだ民俗学者、宮本常一のルポであった。
 宮本は全国の貧しい農漁村を歩いて、直接取材した膨大な民俗学ルポルタージュを遺した。未来社から全集が出ているが、高価なので買えず、私は図書館に通って貪り読んだ。

 今は、その内容を具体的に示すことができないが、鮮明に記憶しているのは、東北地方の農家では、戦後、1960年代くらいまで、子供を育てる見通しが立たないとき、母親が産んだ後の嬰児を川に沈めて死なせるというルポがあったことだ。
 上に挙げた伊勢地方では、戦前の1933年に30余名の嬰児殺しが摘発されているが、東北地方の奥地では、昭和30年代でも、育てられないための子殺しは普通に起きていた。

 昭和恐慌では、生糸だけが唯一の現金手段という地方の村が無数にあって、それが大恐慌で突然ゼロになり、多くの人々が途方に暮れ、子殺しをするしかなかった。
 だから1931年(昭和6年)生まれは、特別に人数が少ないということになった。

 上の説明を補完する出生数推移情報を探したが、昭和恐慌による「子殺し」を示す統計データで分かりやすいものは見つからなかった。全国の大数データに埋もれて、極度に貧しい農村の特異性を示すデータが出てこない。
 しかし、昭和恐慌を題材にした人間ドラマは少なくない。「おしん」は、とりわけ説得力をもって当時の凄惨な現実を教えてくれた。

 現在、「子殺し」は、殺人と同等の扱いとして、事情があっても情け容赦なく犯罪として扱うようになっている。
 
  https://news.yahoo.co.jp/articles/7f4707e3443e4428041c17003ea6837c4a22c775

  https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50695

 私は、これもおかしな話だと思う。子殺しをするには、必ず生活が追い詰められたという事情を前提にしている。好き好んで趣味で子殺しをする者は滅多にいないだろう。
 日本政府は、生活に追い詰められた彼らを一切支援せず、新自由主義の「自助努力」だけを押しつけて、子殺しや一家心中に向かう人々に対して、非人情で冷酷極まりない対応を行い、処罰だけ熱心だ。
 こういう思想の連中には、いつか天罰が下ることを望む。

 昭和恐慌で、冷害凶作も重なって、もっとも残酷な被害を受けたのは東北地方だが、秋田県・岩手県などで、その凄惨な状況が記録されている。
 http://www.pref.akita.jp/fpd/rekishi/rekishi-index.htm

 昭和恐慌とあいつぐ凶作で被害を受けた村の実態を「凶作地帯をゆく」(昭和9(1934)年10月26日付け秋田魁新聞)と題する現地レポートには次のように記されている。

 「秋晴れの鳥海は清らかな山姿を、紺碧の空にクッキリ浮かせている。
 しかし、山裾にある町村は、未曾有の凶作に悩み、木の実・草の根、人間の食べられるものは全部刈り取り掘り尽くし、米の一粒だに咽喉を通すことのできぬ飢餓地獄にのたうつ惨状、秋田県由利郡直根村百宅部落のごときは、空飛ぶ鳥類さえ斃死したかと思われ、400名の部落民からは生色がほとんど奪われ、天に号泣し地に哀訴の術も空しく飢え迫る日を待つのみの状態である。(アマ註・由利本荘市直根を調べたが見つからないので集落が消えたようだ)

 同部落は戸数100戸、作付け反別80町歩、これは冷害のためほとんど全滅だ。同分教場には90名の児童を収容しているが、欠食児童は3割に当たる30名、欠席者は非常に多く、1日平均20名、また早引きするものもかなり多い。

 これは家人の働きに出た後の留守居や、でなければ山に入って栗・トチ・山ぶどうなどの木の実、山ゆり・山ごぼう・フキなどの草の根・木の葉を集めるために欠席する。糧食なくして何の教育ぞやの感を深くさせられる。

 垢に汚れたヨレヨレのボロ着にまとった赤児をおんぶして、授業を受ける児童の多いこと、一人泣き出せば又一人、背の赤児はまだしも自分でもママ末に負えなくなって泣き叫ぶ子守りもいる。

 こうした名目ばかりの義務教育を終えて、やっと15,6になると、雀の涙ほどの前借金で丁稚とか酌婦に売り出される。
 生まれ落ちて布団もろくろくないワラの中に育ち、食うや食わずにやっと6年を終えたら、知らぬ他国に涙の生活、彼ら山間奥地の住民は、永劫に光を持たぬ運命を約束されてきた。」

売られゆく娘たち
 凶作が決定的となった昭和9年、県保安課がまとめた娘の身売りの実態によると「父母を兄弟を飢餓線より救うべく、悲しい犠牲となって他国に嫁ぐ悲しき彼女たち」の数は、1万1,182人、前年の4,417人に比べて実に2.7倍にも増加している。
 身売り娘が多かったのは、秋田の米どころと言われる雄勝・平鹿・仙北三郡であった。
 娘の身売りは人道上のこととして、大きな社会的関心を呼び、これを防止しようと身売り防止のポスターを作って広く呼びかけた。
 しかし、小作農民の貧しさの根本的解決がない限り、娘の身売りの根絶は困難であった。
**********************************************************
 引用以上

 私は、この記事を見て憤った。当時、満州事変を境にして、日本軍部は軍備増強に突き進み、太平洋戦争敗戦までの間、現在価値にして、実に4000兆円を超える資金を投じた。その多くが、アヘンやヘロインを諸外国に売りさばいた密売資金だったが。
 東北の悲惨な子殺しや身売りは、そのうち、わずか0.1%でも救援に回せば、瞬時に解決したものだ。

 だが、日本政府・軍部は、日本国民の窮状に背を向けて、戦争への道を突っ走っていた。だから、すでに、この段階で、第二次世界大戦の敗北は必至だったのだ。

 今、コロナ禍で、昨年1月当時の予想からすれば、ちょっと信じられないほど深刻な事態に突き進んでいる。みんな、まだ事態の深刻さを見ていても、それがどれほど恐ろしい、残酷・苛酷な事態を招くのか、ピンときている人が、ほとんどいないのに驚かされる。
 もう、数ヶ月先にも、ワクチンが普及し、事態が収まって元通りに社会が動き始めると勘違いしている人が大半なのだ。

 事実は違う。コロナ禍は、まだ始まったばかりだ。多重感染者が増えれば、ウイルスの突然変異による毒性、感染力が上がり、これまでとは桁違いの被害が出る。
 百年前のスペイン風邪のときがそうだ。
 1918年から始まったといわれるが、最初はたいした症状ではなかったが、二年目の多重感染者が著しい毒性の変異株を生み出し、集落を絨毯爆撃するほどの死者が出始めた。
 当時20億人だった地球人口の全員が感染し、うち一割が死亡した。

 RNAウイルスは、もの凄い変異を繰り返すうちに、毒性を弱めて、一種の「自家中毒」を起こして軽い病気に変わってゆくが、スペイン風邪は4年目にそうなった。
 もっとも激しい毒性の暴風は2〜3年目だ。そのときは健全な免疫を持った屈強な若者や、地の果てのエスキモーまで感染死亡させられた。
 新型コロナ禍は、まだその段階に至っておらず、これから、それがやってくる可能性が大いにある。
 日本政府・厚労省の対応が、あまりに非科学的で、愚かすぎるからだ。

 このままでは、私は昭和恐慌なみの、恐ろしい経済崩壊が避けられないと思う。金が動くには人が動かなければならない。その人が動けないのだから、金が回るはずがない。
 もう、新自由主義などという馬鹿げた迷妄思想の出番ではない。金儲けだけが人間最高の価値と決めつけたフリードマンは、もはや法王とともに地獄に墜ちている。

 変わって、この社会に登場してくる思想は、「共同体」だとくり返し書いている。「金儲け」という利己主義などに何の価値も見いださず、「人の笑顔を食べて生きる」利他主義の価値観の人々が社会の中核を占めるようになる。
 そうでなければ、日本社会は滅亡するしかない。共同体思想だけが、日本の未来を拓いてゆく。

 もしも、人が「共同」を失ったなら、昭和恐慌と同じことが起きると私は思う。もう子供たちを育ててゆけない。かといって新自由主義の政府は、自助だけを要求して、絶対に民衆を助けない。
 すると最期に犠牲になるのは、生まれてくる子供であり、「未来」そのものなのだ。
 昭和恐慌が何をもたらしたのか?
 それは太平洋戦争なのだ。日本人450万人が死亡させられたといわれる、あの戦争だ。
 
 もしも、今のまま未来への適切なビジョンが示せなければ、再び世界戦争に翻弄されるだけだろう。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1419.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/614.html#c17

[近代史4] 関東軍の中枢は共産主義者の巣窟であった。 中川隆
1. 中川隆[-6974] koaQ7Jey 2021年3月02日 10:31:46 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[10]
昭和恐慌と子殺し 2021年03月01日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1419.html

 大恐慌といえば1929年のニューデール恐慌だが、これが日本に波及した「昭和大恐慌」について語り継がれたものは少ない。我々の世代ですら、何が起きたのか知らない者が多い。

 昭和恐慌とは何か?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E6%81%90%E6%85%8C

 1930年〜1932年くらいまで続いた昭和最大の不況だが、満州事変による中国侵攻の軍事特需が生まれて事実上収束した。
 しかし、この不況の本質は、台湾・朝鮮を領土化した日本政府が、1930年(昭和5年)の大豊作時に、植民地である台湾・朝鮮から米を大量に輸入したことにより、日本本土の農業が壊滅状態に陥り、農村地方の民衆生活を激しく崩壊させたことにある。

 いったい、何が起きたのか?

syouwakyoukou01.jpg
 


 ニューデール大恐慌は、生糸市場を直撃したので、日本の農村で生糸に依存した生活を行っていた土地では、ほとんど収入が失われ、維新以来最悪の貧苦に見舞われた。

 語り継ぐ戦争 貧しい漁村、子殺しの悲劇 エッセイストの川口祐二さん 2018/08/16
 https://www.youtube.com/watch?v=cH5SMjcYqLo&ab_channel=%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE 

 「三重県の漁村の女房たちは、亭主との間に出来た子供を間引した廉(かど)で、1小隊ほども法廷に立たされた」
 この村のことと違うかな。ピンときました。

 尋常小学生のころ、母に尋ねたんです。学校で学年別に整列すると、僕らは90人いるのに、1年上の31(昭和6)年生まれだけが、半分くらいしかいない。「なんでかな」。すると、母が「実はな……」と教えてくれた。

 貧しい母親たちは、産んだばかりの赤ん坊を殺して油紙に包んで海に流した。それが波で押し返され、見つかった。産婆も関係しており、姉の同級生の母親も摘発された、と姉からも聴いた。

 その前からあったが、31年が不景気のどん底でひどかったらしい。満州事変の年ですね。当時、今と違って魚はとれたが、値段が安く、輸送手段が乏しかった。人力で荷車を引き、半日がかりで伊勢まで運んだそうだ。

 僕は何とも言えない気持ちになった。事件のころ、僕も母のおなかに入っていたわけで、もう半年早く宿っていたら、同じ運命をたどったんだろうか。何しろ僕は7人きょうだいの一番下でしたから。

 農地もわずかしかなく、都会へ働きにいくほか、海外への出稼ぎも多かった。志摩郡に仕事を紹介する会社があり、うちも姉2人と兄の3人がフィリピンへ渡った。看護師になったり、ビール会社で働いたりした。

 一番上の姉は開戦直前、2人の子どもを連れて帰国した。現地では「アメリカと戦争になるらしい」といううわさが流れていたそうだ。大戦末期、残ったその夫や兄は現地召集、2番目の姉も米軍に追われて逃げ惑った。タガログ語ができたので、イモを分けてもらい、生き延びた。

 《嬰児(えいじ)殺し事件》 1933(昭和8)年10月24日付の伊勢新聞などによると、三重県南勢地方の村で摘発され、後に18人に執行猶予付きの有罪判決があった。
 三重県警察史(66年)も「生活上の苦悩から惨忍(ざんにん)な犯行を犯す者も増加した」としてこの事件に触れ、「被疑者三十余名、三十数件の嬰児殺事件を検挙」とある。
*******************************************************************
私が、昭和恐慌における娘の身売りや嬰児殺しの事実を知ったのは、もう半世紀以上前に夢中になって読んだ民俗学者、宮本常一のルポであった。
 宮本は全国の貧しい農漁村を歩いて、直接取材した膨大な民俗学ルポルタージュを遺した。未来社から全集が出ているが、高価なので買えず、私は図書館に通って貪り読んだ。

 今は、その内容を具体的に示すことができないが、鮮明に記憶しているのは、東北地方の農家では、戦後、1960年代くらいまで、子供を育てる見通しが立たないとき、母親が産んだ後の嬰児を川に沈めて死なせるというルポがあったことだ。
 上に挙げた伊勢地方では、戦前の1933年に30余名の嬰児殺しが摘発されているが、東北地方の奥地では、昭和30年代でも、育てられないための子殺しは普通に起きていた。

 昭和恐慌では、生糸だけが唯一の現金手段という地方の村が無数にあって、それが大恐慌で突然ゼロになり、多くの人々が途方に暮れ、子殺しをするしかなかった。
 だから1931年(昭和6年)生まれは、特別に人数が少ないということになった。

 上の説明を補完する出生数推移情報を探したが、昭和恐慌による「子殺し」を示す統計データで分かりやすいものは見つからなかった。全国の大数データに埋もれて、極度に貧しい農村の特異性を示すデータが出てこない。
 しかし、昭和恐慌を題材にした人間ドラマは少なくない。「おしん」は、とりわけ説得力をもって当時の凄惨な現実を教えてくれた。

 現在、「子殺し」は、殺人と同等の扱いとして、事情があっても情け容赦なく犯罪として扱うようになっている。
 
  https://news.yahoo.co.jp/articles/7f4707e3443e4428041c17003ea6837c4a22c775

  https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50695

 私は、これもおかしな話だと思う。子殺しをするには、必ず生活が追い詰められたという事情を前提にしている。好き好んで趣味で子殺しをする者は滅多にいないだろう。
 日本政府は、生活に追い詰められた彼らを一切支援せず、新自由主義の「自助努力」だけを押しつけて、子殺しや一家心中に向かう人々に対して、非人情で冷酷極まりない対応を行い、処罰だけ熱心だ。
 こういう思想の連中には、いつか天罰が下ることを望む。

 昭和恐慌で、冷害凶作も重なって、もっとも残酷な被害を受けたのは東北地方だが、秋田県・岩手県などで、その凄惨な状況が記録されている。
 http://www.pref.akita.jp/fpd/rekishi/rekishi-index.htm

 昭和恐慌とあいつぐ凶作で被害を受けた村の実態を「凶作地帯をゆく」(昭和9(1934)年10月26日付け秋田魁新聞)と題する現地レポートには次のように記されている。

 「秋晴れの鳥海は清らかな山姿を、紺碧の空にクッキリ浮かせている。
 しかし、山裾にある町村は、未曾有の凶作に悩み、木の実・草の根、人間の食べられるものは全部刈り取り掘り尽くし、米の一粒だに咽喉を通すことのできぬ飢餓地獄にのたうつ惨状、秋田県由利郡直根村百宅部落のごときは、空飛ぶ鳥類さえ斃死したかと思われ、400名の部落民からは生色がほとんど奪われ、天に号泣し地に哀訴の術も空しく飢え迫る日を待つのみの状態である。(アマ註・由利本荘市直根を調べたが見つからないので集落が消えたようだ)

 同部落は戸数100戸、作付け反別80町歩、これは冷害のためほとんど全滅だ。同分教場には90名の児童を収容しているが、欠食児童は3割に当たる30名、欠席者は非常に多く、1日平均20名、また早引きするものもかなり多い。

 これは家人の働きに出た後の留守居や、でなければ山に入って栗・トチ・山ぶどうなどの木の実、山ゆり・山ごぼう・フキなどの草の根・木の葉を集めるために欠席する。糧食なくして何の教育ぞやの感を深くさせられる。

 垢に汚れたヨレヨレのボロ着にまとった赤児をおんぶして、授業を受ける児童の多いこと、一人泣き出せば又一人、背の赤児はまだしも自分でもママ末に負えなくなって泣き叫ぶ子守りもいる。

 こうした名目ばかりの義務教育を終えて、やっと15,6になると、雀の涙ほどの前借金で丁稚とか酌婦に売り出される。
 生まれ落ちて布団もろくろくないワラの中に育ち、食うや食わずにやっと6年を終えたら、知らぬ他国に涙の生活、彼ら山間奥地の住民は、永劫に光を持たぬ運命を約束されてきた。」

売られゆく娘たち
 凶作が決定的となった昭和9年、県保安課がまとめた娘の身売りの実態によると「父母を兄弟を飢餓線より救うべく、悲しい犠牲となって他国に嫁ぐ悲しき彼女たち」の数は、1万1,182人、前年の4,417人に比べて実に2.7倍にも増加している。
 身売り娘が多かったのは、秋田の米どころと言われる雄勝・平鹿・仙北三郡であった。
 娘の身売りは人道上のこととして、大きな社会的関心を呼び、これを防止しようと身売り防止のポスターを作って広く呼びかけた。
 しかし、小作農民の貧しさの根本的解決がない限り、娘の身売りの根絶は困難であった。
**********************************************************
 引用以上

 私は、この記事を見て憤った。当時、満州事変を境にして、日本軍部は軍備増強に突き進み、太平洋戦争敗戦までの間、現在価値にして、実に4000兆円を超える資金を投じた。その多くが、アヘンやヘロインを諸外国に売りさばいた密売資金だったが。
 東北の悲惨な子殺しや身売りは、そのうち、わずか0.1%でも救援に回せば、瞬時に解決したものだ。

 だが、日本政府・軍部は、日本国民の窮状に背を向けて、戦争への道を突っ走っていた。だから、すでに、この段階で、第二次世界大戦の敗北は必至だったのだ。

 今、コロナ禍で、昨年1月当時の予想からすれば、ちょっと信じられないほど深刻な事態に突き進んでいる。みんな、まだ事態の深刻さを見ていても、それがどれほど恐ろしい、残酷・苛酷な事態を招くのか、ピンときている人が、ほとんどいないのに驚かされる。
 もう、数ヶ月先にも、ワクチンが普及し、事態が収まって元通りに社会が動き始めると勘違いしている人が大半なのだ。

 事実は違う。コロナ禍は、まだ始まったばかりだ。多重感染者が増えれば、ウイルスの突然変異による毒性、感染力が上がり、これまでとは桁違いの被害が出る。
 百年前のスペイン風邪のときがそうだ。
 1918年から始まったといわれるが、最初はたいした症状ではなかったが、二年目の多重感染者が著しい毒性の変異株を生み出し、集落を絨毯爆撃するほどの死者が出始めた。
 当時20億人だった地球人口の全員が感染し、うち一割が死亡した。

 RNAウイルスは、もの凄い変異を繰り返すうちに、毒性を弱めて、一種の「自家中毒」を起こして軽い病気に変わってゆくが、スペイン風邪は4年目にそうなった。
 もっとも激しい毒性の暴風は2〜3年目だ。そのときは健全な免疫を持った屈強な若者や、地の果てのエスキモーまで感染死亡させられた。
 新型コロナ禍は、まだその段階に至っておらず、これから、それがやってくる可能性が大いにある。
 日本政府・厚労省の対応が、あまりに非科学的で、愚かすぎるからだ。

 このままでは、私は昭和恐慌なみの、恐ろしい経済崩壊が避けられないと思う。金が動くには人が動かなければならない。その人が動けないのだから、金が回るはずがない。
 もう、新自由主義などという馬鹿げた迷妄思想の出番ではない。金儲けだけが人間最高の価値と決めつけたフリードマンは、もはや法王とともに地獄に墜ちている。

 変わって、この社会に登場してくる思想は、「共同体」だとくり返し書いている。「金儲け」という利己主義などに何の価値も見いださず、「人の笑顔を食べて生きる」利他主義の価値観の人々が社会の中核を占めるようになる。
 そうでなければ、日本社会は滅亡するしかない。共同体思想だけが、日本の未来を拓いてゆく。

 もしも、人が「共同」を失ったなら、昭和恐慌と同じことが起きると私は思う。もう子供たちを育ててゆけない。かといって新自由主義の政府は、自助だけを要求して、絶対に民衆を助けない。
 すると最期に犠牲になるのは、生まれてくる子供であり、「未来」そのものなのだ。
 昭和恐慌が何をもたらしたのか?
 それは太平洋戦争なのだ。日本人450万人が死亡させられたといわれる、あの戦争だ。
 
 もしも、今のまま未来への適切なビジョンが示せなければ、再び世界戦争に翻弄されるだけだろう。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1419.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1055.html#c1

[近代史4] 近衛上奏文 中川隆
5. 中川隆[-6973] koaQ7Jey 2021年3月02日 10:32:08 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[11]
昭和恐慌と子殺し 2021年03月01日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1419.html

 大恐慌といえば1929年のニューデール恐慌だが、これが日本に波及した「昭和大恐慌」について語り継がれたものは少ない。我々の世代ですら、何が起きたのか知らない者が多い。

 昭和恐慌とは何か?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E6%81%90%E6%85%8C

 1930年〜1932年くらいまで続いた昭和最大の不況だが、満州事変による中国侵攻の軍事特需が生まれて事実上収束した。
 しかし、この不況の本質は、台湾・朝鮮を領土化した日本政府が、1930年(昭和5年)の大豊作時に、植民地である台湾・朝鮮から米を大量に輸入したことにより、日本本土の農業が壊滅状態に陥り、農村地方の民衆生活を激しく崩壊させたことにある。

 いったい、何が起きたのか?

syouwakyoukou01.jpg
 


 ニューデール大恐慌は、生糸市場を直撃したので、日本の農村で生糸に依存した生活を行っていた土地では、ほとんど収入が失われ、維新以来最悪の貧苦に見舞われた。

 語り継ぐ戦争 貧しい漁村、子殺しの悲劇 エッセイストの川口祐二さん 2018/08/16
 https://www.youtube.com/watch?v=cH5SMjcYqLo&ab_channel=%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE 

 「三重県の漁村の女房たちは、亭主との間に出来た子供を間引した廉(かど)で、1小隊ほども法廷に立たされた」
 この村のことと違うかな。ピンときました。

 尋常小学生のころ、母に尋ねたんです。学校で学年別に整列すると、僕らは90人いるのに、1年上の31(昭和6)年生まれだけが、半分くらいしかいない。「なんでかな」。すると、母が「実はな……」と教えてくれた。

 貧しい母親たちは、産んだばかりの赤ん坊を殺して油紙に包んで海に流した。それが波で押し返され、見つかった。産婆も関係しており、姉の同級生の母親も摘発された、と姉からも聴いた。

 その前からあったが、31年が不景気のどん底でひどかったらしい。満州事変の年ですね。当時、今と違って魚はとれたが、値段が安く、輸送手段が乏しかった。人力で荷車を引き、半日がかりで伊勢まで運んだそうだ。

 僕は何とも言えない気持ちになった。事件のころ、僕も母のおなかに入っていたわけで、もう半年早く宿っていたら、同じ運命をたどったんだろうか。何しろ僕は7人きょうだいの一番下でしたから。

 農地もわずかしかなく、都会へ働きにいくほか、海外への出稼ぎも多かった。志摩郡に仕事を紹介する会社があり、うちも姉2人と兄の3人がフィリピンへ渡った。看護師になったり、ビール会社で働いたりした。

 一番上の姉は開戦直前、2人の子どもを連れて帰国した。現地では「アメリカと戦争になるらしい」といううわさが流れていたそうだ。大戦末期、残ったその夫や兄は現地召集、2番目の姉も米軍に追われて逃げ惑った。タガログ語ができたので、イモを分けてもらい、生き延びた。

 《嬰児(えいじ)殺し事件》 1933(昭和8)年10月24日付の伊勢新聞などによると、三重県南勢地方の村で摘発され、後に18人に執行猶予付きの有罪判決があった。
 三重県警察史(66年)も「生活上の苦悩から惨忍(ざんにん)な犯行を犯す者も増加した」としてこの事件に触れ、「被疑者三十余名、三十数件の嬰児殺事件を検挙」とある。
*******************************************************************
私が、昭和恐慌における娘の身売りや嬰児殺しの事実を知ったのは、もう半世紀以上前に夢中になって読んだ民俗学者、宮本常一のルポであった。
 宮本は全国の貧しい農漁村を歩いて、直接取材した膨大な民俗学ルポルタージュを遺した。未来社から全集が出ているが、高価なので買えず、私は図書館に通って貪り読んだ。

 今は、その内容を具体的に示すことができないが、鮮明に記憶しているのは、東北地方の農家では、戦後、1960年代くらいまで、子供を育てる見通しが立たないとき、母親が産んだ後の嬰児を川に沈めて死なせるというルポがあったことだ。
 上に挙げた伊勢地方では、戦前の1933年に30余名の嬰児殺しが摘発されているが、東北地方の奥地では、昭和30年代でも、育てられないための子殺しは普通に起きていた。

 昭和恐慌では、生糸だけが唯一の現金手段という地方の村が無数にあって、それが大恐慌で突然ゼロになり、多くの人々が途方に暮れ、子殺しをするしかなかった。
 だから1931年(昭和6年)生まれは、特別に人数が少ないということになった。

 上の説明を補完する出生数推移情報を探したが、昭和恐慌による「子殺し」を示す統計データで分かりやすいものは見つからなかった。全国の大数データに埋もれて、極度に貧しい農村の特異性を示すデータが出てこない。
 しかし、昭和恐慌を題材にした人間ドラマは少なくない。「おしん」は、とりわけ説得力をもって当時の凄惨な現実を教えてくれた。

 現在、「子殺し」は、殺人と同等の扱いとして、事情があっても情け容赦なく犯罪として扱うようになっている。
 
  https://news.yahoo.co.jp/articles/7f4707e3443e4428041c17003ea6837c4a22c775

  https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50695

 私は、これもおかしな話だと思う。子殺しをするには、必ず生活が追い詰められたという事情を前提にしている。好き好んで趣味で子殺しをする者は滅多にいないだろう。
 日本政府は、生活に追い詰められた彼らを一切支援せず、新自由主義の「自助努力」だけを押しつけて、子殺しや一家心中に向かう人々に対して、非人情で冷酷極まりない対応を行い、処罰だけ熱心だ。
 こういう思想の連中には、いつか天罰が下ることを望む。

 昭和恐慌で、冷害凶作も重なって、もっとも残酷な被害を受けたのは東北地方だが、秋田県・岩手県などで、その凄惨な状況が記録されている。
 http://www.pref.akita.jp/fpd/rekishi/rekishi-index.htm

 昭和恐慌とあいつぐ凶作で被害を受けた村の実態を「凶作地帯をゆく」(昭和9(1934)年10月26日付け秋田魁新聞)と題する現地レポートには次のように記されている。

 「秋晴れの鳥海は清らかな山姿を、紺碧の空にクッキリ浮かせている。
 しかし、山裾にある町村は、未曾有の凶作に悩み、木の実・草の根、人間の食べられるものは全部刈り取り掘り尽くし、米の一粒だに咽喉を通すことのできぬ飢餓地獄にのたうつ惨状、秋田県由利郡直根村百宅部落のごときは、空飛ぶ鳥類さえ斃死したかと思われ、400名の部落民からは生色がほとんど奪われ、天に号泣し地に哀訴の術も空しく飢え迫る日を待つのみの状態である。(アマ註・由利本荘市直根を調べたが見つからないので集落が消えたようだ)

 同部落は戸数100戸、作付け反別80町歩、これは冷害のためほとんど全滅だ。同分教場には90名の児童を収容しているが、欠食児童は3割に当たる30名、欠席者は非常に多く、1日平均20名、また早引きするものもかなり多い。

 これは家人の働きに出た後の留守居や、でなければ山に入って栗・トチ・山ぶどうなどの木の実、山ゆり・山ごぼう・フキなどの草の根・木の葉を集めるために欠席する。糧食なくして何の教育ぞやの感を深くさせられる。

 垢に汚れたヨレヨレのボロ着にまとった赤児をおんぶして、授業を受ける児童の多いこと、一人泣き出せば又一人、背の赤児はまだしも自分でもママ末に負えなくなって泣き叫ぶ子守りもいる。

 こうした名目ばかりの義務教育を終えて、やっと15,6になると、雀の涙ほどの前借金で丁稚とか酌婦に売り出される。
 生まれ落ちて布団もろくろくないワラの中に育ち、食うや食わずにやっと6年を終えたら、知らぬ他国に涙の生活、彼ら山間奥地の住民は、永劫に光を持たぬ運命を約束されてきた。」

売られゆく娘たち
 凶作が決定的となった昭和9年、県保安課がまとめた娘の身売りの実態によると「父母を兄弟を飢餓線より救うべく、悲しい犠牲となって他国に嫁ぐ悲しき彼女たち」の数は、1万1,182人、前年の4,417人に比べて実に2.7倍にも増加している。
 身売り娘が多かったのは、秋田の米どころと言われる雄勝・平鹿・仙北三郡であった。
 娘の身売りは人道上のこととして、大きな社会的関心を呼び、これを防止しようと身売り防止のポスターを作って広く呼びかけた。
 しかし、小作農民の貧しさの根本的解決がない限り、娘の身売りの根絶は困難であった。
**********************************************************
 引用以上

 私は、この記事を見て憤った。当時、満州事変を境にして、日本軍部は軍備増強に突き進み、太平洋戦争敗戦までの間、現在価値にして、実に4000兆円を超える資金を投じた。その多くが、アヘンやヘロインを諸外国に売りさばいた密売資金だったが。
 東北の悲惨な子殺しや身売りは、そのうち、わずか0.1%でも救援に回せば、瞬時に解決したものだ。

 だが、日本政府・軍部は、日本国民の窮状に背を向けて、戦争への道を突っ走っていた。だから、すでに、この段階で、第二次世界大戦の敗北は必至だったのだ。

 今、コロナ禍で、昨年1月当時の予想からすれば、ちょっと信じられないほど深刻な事態に突き進んでいる。みんな、まだ事態の深刻さを見ていても、それがどれほど恐ろしい、残酷・苛酷な事態を招くのか、ピンときている人が、ほとんどいないのに驚かされる。
 もう、数ヶ月先にも、ワクチンが普及し、事態が収まって元通りに社会が動き始めると勘違いしている人が大半なのだ。

 事実は違う。コロナ禍は、まだ始まったばかりだ。多重感染者が増えれば、ウイルスの突然変異による毒性、感染力が上がり、これまでとは桁違いの被害が出る。
 百年前のスペイン風邪のときがそうだ。
 1918年から始まったといわれるが、最初はたいした症状ではなかったが、二年目の多重感染者が著しい毒性の変異株を生み出し、集落を絨毯爆撃するほどの死者が出始めた。
 当時20億人だった地球人口の全員が感染し、うち一割が死亡した。

 RNAウイルスは、もの凄い変異を繰り返すうちに、毒性を弱めて、一種の「自家中毒」を起こして軽い病気に変わってゆくが、スペイン風邪は4年目にそうなった。
 もっとも激しい毒性の暴風は2〜3年目だ。そのときは健全な免疫を持った屈強な若者や、地の果てのエスキモーまで感染死亡させられた。
 新型コロナ禍は、まだその段階に至っておらず、これから、それがやってくる可能性が大いにある。
 日本政府・厚労省の対応が、あまりに非科学的で、愚かすぎるからだ。

 このままでは、私は昭和恐慌なみの、恐ろしい経済崩壊が避けられないと思う。金が動くには人が動かなければならない。その人が動けないのだから、金が回るはずがない。
 もう、新自由主義などという馬鹿げた迷妄思想の出番ではない。金儲けだけが人間最高の価値と決めつけたフリードマンは、もはや法王とともに地獄に墜ちている。

 変わって、この社会に登場してくる思想は、「共同体」だとくり返し書いている。「金儲け」という利己主義などに何の価値も見いださず、「人の笑顔を食べて生きる」利他主義の価値観の人々が社会の中核を占めるようになる。
 そうでなければ、日本社会は滅亡するしかない。共同体思想だけが、日本の未来を拓いてゆく。

 もしも、人が「共同」を失ったなら、昭和恐慌と同じことが起きると私は思う。もう子供たちを育ててゆけない。かといって新自由主義の政府は、自助だけを要求して、絶対に民衆を助けない。
 すると最期に犠牲になるのは、生まれてくる子供であり、「未来」そのものなのだ。
 昭和恐慌が何をもたらしたのか?
 それは太平洋戦争なのだ。日本人450万人が死亡させられたといわれる、あの戦争だ。
 
 もしも、今のまま未来への適切なビジョンが示せなければ、再び世界戦争に翻弄されるだけだろう。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1419.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1126.html#c5

[近代史4] 寺島英弥 引き裂かれた時を越えて――「二・二六事件」に殉じた兄よ 中川隆
12. 中川隆[-6972] koaQ7Jey 2021年3月02日 10:32:29 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[12]
昭和恐慌と子殺し 2021年03月01日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1419.html

 大恐慌といえば1929年のニューデール恐慌だが、これが日本に波及した「昭和大恐慌」について語り継がれたものは少ない。我々の世代ですら、何が起きたのか知らない者が多い。

 昭和恐慌とは何か?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E6%81%90%E6%85%8C

 1930年〜1932年くらいまで続いた昭和最大の不況だが、満州事変による中国侵攻の軍事特需が生まれて事実上収束した。
 しかし、この不況の本質は、台湾・朝鮮を領土化した日本政府が、1930年(昭和5年)の大豊作時に、植民地である台湾・朝鮮から米を大量に輸入したことにより、日本本土の農業が壊滅状態に陥り、農村地方の民衆生活を激しく崩壊させたことにある。

 いったい、何が起きたのか?

syouwakyoukou01.jpg
 


 ニューデール大恐慌は、生糸市場を直撃したので、日本の農村で生糸に依存した生活を行っていた土地では、ほとんど収入が失われ、維新以来最悪の貧苦に見舞われた。

 語り継ぐ戦争 貧しい漁村、子殺しの悲劇 エッセイストの川口祐二さん 2018/08/16
 https://www.youtube.com/watch?v=cH5SMjcYqLo&ab_channel=%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE 

 「三重県の漁村の女房たちは、亭主との間に出来た子供を間引した廉(かど)で、1小隊ほども法廷に立たされた」
 この村のことと違うかな。ピンときました。

 尋常小学生のころ、母に尋ねたんです。学校で学年別に整列すると、僕らは90人いるのに、1年上の31(昭和6)年生まれだけが、半分くらいしかいない。「なんでかな」。すると、母が「実はな……」と教えてくれた。

 貧しい母親たちは、産んだばかりの赤ん坊を殺して油紙に包んで海に流した。それが波で押し返され、見つかった。産婆も関係しており、姉の同級生の母親も摘発された、と姉からも聴いた。

 その前からあったが、31年が不景気のどん底でひどかったらしい。満州事変の年ですね。当時、今と違って魚はとれたが、値段が安く、輸送手段が乏しかった。人力で荷車を引き、半日がかりで伊勢まで運んだそうだ。

 僕は何とも言えない気持ちになった。事件のころ、僕も母のおなかに入っていたわけで、もう半年早く宿っていたら、同じ運命をたどったんだろうか。何しろ僕は7人きょうだいの一番下でしたから。

 農地もわずかしかなく、都会へ働きにいくほか、海外への出稼ぎも多かった。志摩郡に仕事を紹介する会社があり、うちも姉2人と兄の3人がフィリピンへ渡った。看護師になったり、ビール会社で働いたりした。

 一番上の姉は開戦直前、2人の子どもを連れて帰国した。現地では「アメリカと戦争になるらしい」といううわさが流れていたそうだ。大戦末期、残ったその夫や兄は現地召集、2番目の姉も米軍に追われて逃げ惑った。タガログ語ができたので、イモを分けてもらい、生き延びた。

 《嬰児(えいじ)殺し事件》 1933(昭和8)年10月24日付の伊勢新聞などによると、三重県南勢地方の村で摘発され、後に18人に執行猶予付きの有罪判決があった。
 三重県警察史(66年)も「生活上の苦悩から惨忍(ざんにん)な犯行を犯す者も増加した」としてこの事件に触れ、「被疑者三十余名、三十数件の嬰児殺事件を検挙」とある。
*******************************************************************
私が、昭和恐慌における娘の身売りや嬰児殺しの事実を知ったのは、もう半世紀以上前に夢中になって読んだ民俗学者、宮本常一のルポであった。
 宮本は全国の貧しい農漁村を歩いて、直接取材した膨大な民俗学ルポルタージュを遺した。未来社から全集が出ているが、高価なので買えず、私は図書館に通って貪り読んだ。

 今は、その内容を具体的に示すことができないが、鮮明に記憶しているのは、東北地方の農家では、戦後、1960年代くらいまで、子供を育てる見通しが立たないとき、母親が産んだ後の嬰児を川に沈めて死なせるというルポがあったことだ。
 上に挙げた伊勢地方では、戦前の1933年に30余名の嬰児殺しが摘発されているが、東北地方の奥地では、昭和30年代でも、育てられないための子殺しは普通に起きていた。

 昭和恐慌では、生糸だけが唯一の現金手段という地方の村が無数にあって、それが大恐慌で突然ゼロになり、多くの人々が途方に暮れ、子殺しをするしかなかった。
 だから1931年(昭和6年)生まれは、特別に人数が少ないということになった。

 上の説明を補完する出生数推移情報を探したが、昭和恐慌による「子殺し」を示す統計データで分かりやすいものは見つからなかった。全国の大数データに埋もれて、極度に貧しい農村の特異性を示すデータが出てこない。
 しかし、昭和恐慌を題材にした人間ドラマは少なくない。「おしん」は、とりわけ説得力をもって当時の凄惨な現実を教えてくれた。

 現在、「子殺し」は、殺人と同等の扱いとして、事情があっても情け容赦なく犯罪として扱うようになっている。
 
  https://news.yahoo.co.jp/articles/7f4707e3443e4428041c17003ea6837c4a22c775

  https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50695

 私は、これもおかしな話だと思う。子殺しをするには、必ず生活が追い詰められたという事情を前提にしている。好き好んで趣味で子殺しをする者は滅多にいないだろう。
 日本政府は、生活に追い詰められた彼らを一切支援せず、新自由主義の「自助努力」だけを押しつけて、子殺しや一家心中に向かう人々に対して、非人情で冷酷極まりない対応を行い、処罰だけ熱心だ。
 こういう思想の連中には、いつか天罰が下ることを望む。

 昭和恐慌で、冷害凶作も重なって、もっとも残酷な被害を受けたのは東北地方だが、秋田県・岩手県などで、その凄惨な状況が記録されている。
 http://www.pref.akita.jp/fpd/rekishi/rekishi-index.htm

 昭和恐慌とあいつぐ凶作で被害を受けた村の実態を「凶作地帯をゆく」(昭和9(1934)年10月26日付け秋田魁新聞)と題する現地レポートには次のように記されている。

 「秋晴れの鳥海は清らかな山姿を、紺碧の空にクッキリ浮かせている。
 しかし、山裾にある町村は、未曾有の凶作に悩み、木の実・草の根、人間の食べられるものは全部刈り取り掘り尽くし、米の一粒だに咽喉を通すことのできぬ飢餓地獄にのたうつ惨状、秋田県由利郡直根村百宅部落のごときは、空飛ぶ鳥類さえ斃死したかと思われ、400名の部落民からは生色がほとんど奪われ、天に号泣し地に哀訴の術も空しく飢え迫る日を待つのみの状態である。(アマ註・由利本荘市直根を調べたが見つからないので集落が消えたようだ)

 同部落は戸数100戸、作付け反別80町歩、これは冷害のためほとんど全滅だ。同分教場には90名の児童を収容しているが、欠食児童は3割に当たる30名、欠席者は非常に多く、1日平均20名、また早引きするものもかなり多い。

 これは家人の働きに出た後の留守居や、でなければ山に入って栗・トチ・山ぶどうなどの木の実、山ゆり・山ごぼう・フキなどの草の根・木の葉を集めるために欠席する。糧食なくして何の教育ぞやの感を深くさせられる。

 垢に汚れたヨレヨレのボロ着にまとった赤児をおんぶして、授業を受ける児童の多いこと、一人泣き出せば又一人、背の赤児はまだしも自分でもママ末に負えなくなって泣き叫ぶ子守りもいる。

 こうした名目ばかりの義務教育を終えて、やっと15,6になると、雀の涙ほどの前借金で丁稚とか酌婦に売り出される。
 生まれ落ちて布団もろくろくないワラの中に育ち、食うや食わずにやっと6年を終えたら、知らぬ他国に涙の生活、彼ら山間奥地の住民は、永劫に光を持たぬ運命を約束されてきた。」

売られゆく娘たち
 凶作が決定的となった昭和9年、県保安課がまとめた娘の身売りの実態によると「父母を兄弟を飢餓線より救うべく、悲しい犠牲となって他国に嫁ぐ悲しき彼女たち」の数は、1万1,182人、前年の4,417人に比べて実に2.7倍にも増加している。
 身売り娘が多かったのは、秋田の米どころと言われる雄勝・平鹿・仙北三郡であった。
 娘の身売りは人道上のこととして、大きな社会的関心を呼び、これを防止しようと身売り防止のポスターを作って広く呼びかけた。
 しかし、小作農民の貧しさの根本的解決がない限り、娘の身売りの根絶は困難であった。
**********************************************************
 引用以上

 私は、この記事を見て憤った。当時、満州事変を境にして、日本軍部は軍備増強に突き進み、太平洋戦争敗戦までの間、現在価値にして、実に4000兆円を超える資金を投じた。その多くが、アヘンやヘロインを諸外国に売りさばいた密売資金だったが。
 東北の悲惨な子殺しや身売りは、そのうち、わずか0.1%でも救援に回せば、瞬時に解決したものだ。

 だが、日本政府・軍部は、日本国民の窮状に背を向けて、戦争への道を突っ走っていた。だから、すでに、この段階で、第二次世界大戦の敗北は必至だったのだ。

 今、コロナ禍で、昨年1月当時の予想からすれば、ちょっと信じられないほど深刻な事態に突き進んでいる。みんな、まだ事態の深刻さを見ていても、それがどれほど恐ろしい、残酷・苛酷な事態を招くのか、ピンときている人が、ほとんどいないのに驚かされる。
 もう、数ヶ月先にも、ワクチンが普及し、事態が収まって元通りに社会が動き始めると勘違いしている人が大半なのだ。

 事実は違う。コロナ禍は、まだ始まったばかりだ。多重感染者が増えれば、ウイルスの突然変異による毒性、感染力が上がり、これまでとは桁違いの被害が出る。
 百年前のスペイン風邪のときがそうだ。
 1918年から始まったといわれるが、最初はたいした症状ではなかったが、二年目の多重感染者が著しい毒性の変異株を生み出し、集落を絨毯爆撃するほどの死者が出始めた。
 当時20億人だった地球人口の全員が感染し、うち一割が死亡した。

 RNAウイルスは、もの凄い変異を繰り返すうちに、毒性を弱めて、一種の「自家中毒」を起こして軽い病気に変わってゆくが、スペイン風邪は4年目にそうなった。
 もっとも激しい毒性の暴風は2〜3年目だ。そのときは健全な免疫を持った屈強な若者や、地の果てのエスキモーまで感染死亡させられた。
 新型コロナ禍は、まだその段階に至っておらず、これから、それがやってくる可能性が大いにある。
 日本政府・厚労省の対応が、あまりに非科学的で、愚かすぎるからだ。

 このままでは、私は昭和恐慌なみの、恐ろしい経済崩壊が避けられないと思う。金が動くには人が動かなければならない。その人が動けないのだから、金が回るはずがない。
 もう、新自由主義などという馬鹿げた迷妄思想の出番ではない。金儲けだけが人間最高の価値と決めつけたフリードマンは、もはや法王とともに地獄に墜ちている。

 変わって、この社会に登場してくる思想は、「共同体」だとくり返し書いている。「金儲け」という利己主義などに何の価値も見いださず、「人の笑顔を食べて生きる」利他主義の価値観の人々が社会の中核を占めるようになる。
 そうでなければ、日本社会は滅亡するしかない。共同体思想だけが、日本の未来を拓いてゆく。

 もしも、人が「共同」を失ったなら、昭和恐慌と同じことが起きると私は思う。もう子供たちを育ててゆけない。かといって新自由主義の政府は、自助だけを要求して、絶対に民衆を助けない。
 すると最期に犠牲になるのは、生まれてくる子供であり、「未来」そのものなのだ。
 昭和恐慌が何をもたらしたのか?
 それは太平洋戦争なのだ。日本人450万人が死亡させられたといわれる、あの戦争だ。
 
 もしも、今のまま未来への適切なビジョンが示せなければ、再び世界戦争に翻弄されるだけだろう。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1419.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1128.html#c12

[近代史5] 天皇一族は反日売国奴でアメリカ金融資本のエージェントだった 中川隆
5. 中川隆[-6971] koaQ7Jey 2021年3月02日 10:33:01 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[13]
昭和恐慌と子殺し 2021年03月01日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1419.html

 大恐慌といえば1929年のニューデール恐慌だが、これが日本に波及した「昭和大恐慌」について語り継がれたものは少ない。我々の世代ですら、何が起きたのか知らない者が多い。

 昭和恐慌とは何か?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E6%81%90%E6%85%8C

 1930年〜1932年くらいまで続いた昭和最大の不況だが、満州事変による中国侵攻の軍事特需が生まれて事実上収束した。
 しかし、この不況の本質は、台湾・朝鮮を領土化した日本政府が、1930年(昭和5年)の大豊作時に、植民地である台湾・朝鮮から米を大量に輸入したことにより、日本本土の農業が壊滅状態に陥り、農村地方の民衆生活を激しく崩壊させたことにある。

 いったい、何が起きたのか?

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 ニューデール大恐慌は、生糸市場を直撃したので、日本の農村で生糸に依存した生活を行っていた土地では、ほとんど収入が失われ、維新以来最悪の貧苦に見舞われた。

 語り継ぐ戦争 貧しい漁村、子殺しの悲劇 エッセイストの川口祐二さん 2018/08/16
 https://www.youtube.com/watch?v=cH5SMjcYqLo&ab_channel=%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE 

 「三重県の漁村の女房たちは、亭主との間に出来た子供を間引した廉(かど)で、1小隊ほども法廷に立たされた」
 この村のことと違うかな。ピンときました。

 尋常小学生のころ、母に尋ねたんです。学校で学年別に整列すると、僕らは90人いるのに、1年上の31(昭和6)年生まれだけが、半分くらいしかいない。「なんでかな」。すると、母が「実はな……」と教えてくれた。

 貧しい母親たちは、産んだばかりの赤ん坊を殺して油紙に包んで海に流した。それが波で押し返され、見つかった。産婆も関係しており、姉の同級生の母親も摘発された、と姉からも聴いた。

 その前からあったが、31年が不景気のどん底でひどかったらしい。満州事変の年ですね。当時、今と違って魚はとれたが、値段が安く、輸送手段が乏しかった。人力で荷車を引き、半日がかりで伊勢まで運んだそうだ。

 僕は何とも言えない気持ちになった。事件のころ、僕も母のおなかに入っていたわけで、もう半年早く宿っていたら、同じ運命をたどったんだろうか。何しろ僕は7人きょうだいの一番下でしたから。

 農地もわずかしかなく、都会へ働きにいくほか、海外への出稼ぎも多かった。志摩郡に仕事を紹介する会社があり、うちも姉2人と兄の3人がフィリピンへ渡った。看護師になったり、ビール会社で働いたりした。

 一番上の姉は開戦直前、2人の子どもを連れて帰国した。現地では「アメリカと戦争になるらしい」といううわさが流れていたそうだ。大戦末期、残ったその夫や兄は現地召集、2番目の姉も米軍に追われて逃げ惑った。タガログ語ができたので、イモを分けてもらい、生き延びた。

 《嬰児(えいじ)殺し事件》 1933(昭和8)年10月24日付の伊勢新聞などによると、三重県南勢地方の村で摘発され、後に18人に執行猶予付きの有罪判決があった。
 三重県警察史(66年)も「生活上の苦悩から惨忍(ざんにん)な犯行を犯す者も増加した」としてこの事件に触れ、「被疑者三十余名、三十数件の嬰児殺事件を検挙」とある。
*******************************************************************
私が、昭和恐慌における娘の身売りや嬰児殺しの事実を知ったのは、もう半世紀以上前に夢中になって読んだ民俗学者、宮本常一のルポであった。
 宮本は全国の貧しい農漁村を歩いて、直接取材した膨大な民俗学ルポルタージュを遺した。未来社から全集が出ているが、高価なので買えず、私は図書館に通って貪り読んだ。

 今は、その内容を具体的に示すことができないが、鮮明に記憶しているのは、東北地方の農家では、戦後、1960年代くらいまで、子供を育てる見通しが立たないとき、母親が産んだ後の嬰児を川に沈めて死なせるというルポがあったことだ。
 上に挙げた伊勢地方では、戦前の1933年に30余名の嬰児殺しが摘発されているが、東北地方の奥地では、昭和30年代でも、育てられないための子殺しは普通に起きていた。

 昭和恐慌では、生糸だけが唯一の現金手段という地方の村が無数にあって、それが大恐慌で突然ゼロになり、多くの人々が途方に暮れ、子殺しをするしかなかった。
 だから1931年(昭和6年)生まれは、特別に人数が少ないということになった。

 上の説明を補完する出生数推移情報を探したが、昭和恐慌による「子殺し」を示す統計データで分かりやすいものは見つからなかった。全国の大数データに埋もれて、極度に貧しい農村の特異性を示すデータが出てこない。
 しかし、昭和恐慌を題材にした人間ドラマは少なくない。「おしん」は、とりわけ説得力をもって当時の凄惨な現実を教えてくれた。

 現在、「子殺し」は、殺人と同等の扱いとして、事情があっても情け容赦なく犯罪として扱うようになっている。
 
  https://news.yahoo.co.jp/articles/7f4707e3443e4428041c17003ea6837c4a22c775

  https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50695

 私は、これもおかしな話だと思う。子殺しをするには、必ず生活が追い詰められたという事情を前提にしている。好き好んで趣味で子殺しをする者は滅多にいないだろう。
 日本政府は、生活に追い詰められた彼らを一切支援せず、新自由主義の「自助努力」だけを押しつけて、子殺しや一家心中に向かう人々に対して、非人情で冷酷極まりない対応を行い、処罰だけ熱心だ。
 こういう思想の連中には、いつか天罰が下ることを望む。

 昭和恐慌で、冷害凶作も重なって、もっとも残酷な被害を受けたのは東北地方だが、秋田県・岩手県などで、その凄惨な状況が記録されている。
 http://www.pref.akita.jp/fpd/rekishi/rekishi-index.htm

 昭和恐慌とあいつぐ凶作で被害を受けた村の実態を「凶作地帯をゆく」(昭和9(1934)年10月26日付け秋田魁新聞)と題する現地レポートには次のように記されている。

 「秋晴れの鳥海は清らかな山姿を、紺碧の空にクッキリ浮かせている。
 しかし、山裾にある町村は、未曾有の凶作に悩み、木の実・草の根、人間の食べられるものは全部刈り取り掘り尽くし、米の一粒だに咽喉を通すことのできぬ飢餓地獄にのたうつ惨状、秋田県由利郡直根村百宅部落のごときは、空飛ぶ鳥類さえ斃死したかと思われ、400名の部落民からは生色がほとんど奪われ、天に号泣し地に哀訴の術も空しく飢え迫る日を待つのみの状態である。(アマ註・由利本荘市直根を調べたが見つからないので集落が消えたようだ)

 同部落は戸数100戸、作付け反別80町歩、これは冷害のためほとんど全滅だ。同分教場には90名の児童を収容しているが、欠食児童は3割に当たる30名、欠席者は非常に多く、1日平均20名、また早引きするものもかなり多い。

 これは家人の働きに出た後の留守居や、でなければ山に入って栗・トチ・山ぶどうなどの木の実、山ゆり・山ごぼう・フキなどの草の根・木の葉を集めるために欠席する。糧食なくして何の教育ぞやの感を深くさせられる。

 垢に汚れたヨレヨレのボロ着にまとった赤児をおんぶして、授業を受ける児童の多いこと、一人泣き出せば又一人、背の赤児はまだしも自分でもママ末に負えなくなって泣き叫ぶ子守りもいる。

 こうした名目ばかりの義務教育を終えて、やっと15,6になると、雀の涙ほどの前借金で丁稚とか酌婦に売り出される。
 生まれ落ちて布団もろくろくないワラの中に育ち、食うや食わずにやっと6年を終えたら、知らぬ他国に涙の生活、彼ら山間奥地の住民は、永劫に光を持たぬ運命を約束されてきた。」

売られゆく娘たち
 凶作が決定的となった昭和9年、県保安課がまとめた娘の身売りの実態によると「父母を兄弟を飢餓線より救うべく、悲しい犠牲となって他国に嫁ぐ悲しき彼女たち」の数は、1万1,182人、前年の4,417人に比べて実に2.7倍にも増加している。
 身売り娘が多かったのは、秋田の米どころと言われる雄勝・平鹿・仙北三郡であった。
 娘の身売りは人道上のこととして、大きな社会的関心を呼び、これを防止しようと身売り防止のポスターを作って広く呼びかけた。
 しかし、小作農民の貧しさの根本的解決がない限り、娘の身売りの根絶は困難であった。
**********************************************************
 引用以上

 私は、この記事を見て憤った。当時、満州事変を境にして、日本軍部は軍備増強に突き進み、太平洋戦争敗戦までの間、現在価値にして、実に4000兆円を超える資金を投じた。その多くが、アヘンやヘロインを諸外国に売りさばいた密売資金だったが。
 東北の悲惨な子殺しや身売りは、そのうち、わずか0.1%でも救援に回せば、瞬時に解決したものだ。

 だが、日本政府・軍部は、日本国民の窮状に背を向けて、戦争への道を突っ走っていた。だから、すでに、この段階で、第二次世界大戦の敗北は必至だったのだ。

 今、コロナ禍で、昨年1月当時の予想からすれば、ちょっと信じられないほど深刻な事態に突き進んでいる。みんな、まだ事態の深刻さを見ていても、それがどれほど恐ろしい、残酷・苛酷な事態を招くのか、ピンときている人が、ほとんどいないのに驚かされる。
 もう、数ヶ月先にも、ワクチンが普及し、事態が収まって元通りに社会が動き始めると勘違いしている人が大半なのだ。

 事実は違う。コロナ禍は、まだ始まったばかりだ。多重感染者が増えれば、ウイルスの突然変異による毒性、感染力が上がり、これまでとは桁違いの被害が出る。
 百年前のスペイン風邪のときがそうだ。
 1918年から始まったといわれるが、最初はたいした症状ではなかったが、二年目の多重感染者が著しい毒性の変異株を生み出し、集落を絨毯爆撃するほどの死者が出始めた。
 当時20億人だった地球人口の全員が感染し、うち一割が死亡した。

 RNAウイルスは、もの凄い変異を繰り返すうちに、毒性を弱めて、一種の「自家中毒」を起こして軽い病気に変わってゆくが、スペイン風邪は4年目にそうなった。
 もっとも激しい毒性の暴風は2〜3年目だ。そのときは健全な免疫を持った屈強な若者や、地の果てのエスキモーまで感染死亡させられた。
 新型コロナ禍は、まだその段階に至っておらず、これから、それがやってくる可能性が大いにある。
 日本政府・厚労省の対応が、あまりに非科学的で、愚かすぎるからだ。

 このままでは、私は昭和恐慌なみの、恐ろしい経済崩壊が避けられないと思う。金が動くには人が動かなければならない。その人が動けないのだから、金が回るはずがない。
 もう、新自由主義などという馬鹿げた迷妄思想の出番ではない。金儲けだけが人間最高の価値と決めつけたフリードマンは、もはや法王とともに地獄に墜ちている。

 変わって、この社会に登場してくる思想は、「共同体」だとくり返し書いている。「金儲け」という利己主義などに何の価値も見いださず、「人の笑顔を食べて生きる」利他主義の価値観の人々が社会の中核を占めるようになる。
 そうでなければ、日本社会は滅亡するしかない。共同体思想だけが、日本の未来を拓いてゆく。

 もしも、人が「共同」を失ったなら、昭和恐慌と同じことが起きると私は思う。もう子供たちを育ててゆけない。かといって新自由主義の政府は、自助だけを要求して、絶対に民衆を助けない。
 すると最期に犠牲になるのは、生まれてくる子供であり、「未来」そのものなのだ。
 昭和恐慌が何をもたらしたのか?
 それは太平洋戦争なのだ。日本人450万人が死亡させられたといわれる、あの戦争だ。
 
 もしも、今のまま未来への適切なビジョンが示せなければ、再び世界戦争に翻弄されるだけだろう。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1419.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/105.html#c5

[近代史5] 関東大震災とJPモルガン 中川隆
5. 中川隆[-6970] koaQ7Jey 2021年3月02日 10:33:29 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[14]
昭和恐慌と子殺し 2021年03月01日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1419.html

 大恐慌といえば1929年のニューデール恐慌だが、これが日本に波及した「昭和大恐慌」について語り継がれたものは少ない。我々の世代ですら、何が起きたのか知らない者が多い。

 昭和恐慌とは何か?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E6%81%90%E6%85%8C

 1930年〜1932年くらいまで続いた昭和最大の不況だが、満州事変による中国侵攻の軍事特需が生まれて事実上収束した。
 しかし、この不況の本質は、台湾・朝鮮を領土化した日本政府が、1930年(昭和5年)の大豊作時に、植民地である台湾・朝鮮から米を大量に輸入したことにより、日本本土の農業が壊滅状態に陥り、農村地方の民衆生活を激しく崩壊させたことにある。

 いったい、何が起きたのか?

syouwakyoukou01.jpg
 


 ニューデール大恐慌は、生糸市場を直撃したので、日本の農村で生糸に依存した生活を行っていた土地では、ほとんど収入が失われ、維新以来最悪の貧苦に見舞われた。

 語り継ぐ戦争 貧しい漁村、子殺しの悲劇 エッセイストの川口祐二さん 2018/08/16
 https://www.youtube.com/watch?v=cH5SMjcYqLo&ab_channel=%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE 

 「三重県の漁村の女房たちは、亭主との間に出来た子供を間引した廉(かど)で、1小隊ほども法廷に立たされた」
 この村のことと違うかな。ピンときました。

 尋常小学生のころ、母に尋ねたんです。学校で学年別に整列すると、僕らは90人いるのに、1年上の31(昭和6)年生まれだけが、半分くらいしかいない。「なんでかな」。すると、母が「実はな……」と教えてくれた。

 貧しい母親たちは、産んだばかりの赤ん坊を殺して油紙に包んで海に流した。それが波で押し返され、見つかった。産婆も関係しており、姉の同級生の母親も摘発された、と姉からも聴いた。

 その前からあったが、31年が不景気のどん底でひどかったらしい。満州事変の年ですね。当時、今と違って魚はとれたが、値段が安く、輸送手段が乏しかった。人力で荷車を引き、半日がかりで伊勢まで運んだそうだ。

 僕は何とも言えない気持ちになった。事件のころ、僕も母のおなかに入っていたわけで、もう半年早く宿っていたら、同じ運命をたどったんだろうか。何しろ僕は7人きょうだいの一番下でしたから。

 農地もわずかしかなく、都会へ働きにいくほか、海外への出稼ぎも多かった。志摩郡に仕事を紹介する会社があり、うちも姉2人と兄の3人がフィリピンへ渡った。看護師になったり、ビール会社で働いたりした。

 一番上の姉は開戦直前、2人の子どもを連れて帰国した。現地では「アメリカと戦争になるらしい」といううわさが流れていたそうだ。大戦末期、残ったその夫や兄は現地召集、2番目の姉も米軍に追われて逃げ惑った。タガログ語ができたので、イモを分けてもらい、生き延びた。

 《嬰児(えいじ)殺し事件》 1933(昭和8)年10月24日付の伊勢新聞などによると、三重県南勢地方の村で摘発され、後に18人に執行猶予付きの有罪判決があった。
 三重県警察史(66年)も「生活上の苦悩から惨忍(ざんにん)な犯行を犯す者も増加した」としてこの事件に触れ、「被疑者三十余名、三十数件の嬰児殺事件を検挙」とある。
*******************************************************************
私が、昭和恐慌における娘の身売りや嬰児殺しの事実を知ったのは、もう半世紀以上前に夢中になって読んだ民俗学者、宮本常一のルポであった。
 宮本は全国の貧しい農漁村を歩いて、直接取材した膨大な民俗学ルポルタージュを遺した。未来社から全集が出ているが、高価なので買えず、私は図書館に通って貪り読んだ。

 今は、その内容を具体的に示すことができないが、鮮明に記憶しているのは、東北地方の農家では、戦後、1960年代くらいまで、子供を育てる見通しが立たないとき、母親が産んだ後の嬰児を川に沈めて死なせるというルポがあったことだ。
 上に挙げた伊勢地方では、戦前の1933年に30余名の嬰児殺しが摘発されているが、東北地方の奥地では、昭和30年代でも、育てられないための子殺しは普通に起きていた。

 昭和恐慌では、生糸だけが唯一の現金手段という地方の村が無数にあって、それが大恐慌で突然ゼロになり、多くの人々が途方に暮れ、子殺しをするしかなかった。
 だから1931年(昭和6年)生まれは、特別に人数が少ないということになった。

 上の説明を補完する出生数推移情報を探したが、昭和恐慌による「子殺し」を示す統計データで分かりやすいものは見つからなかった。全国の大数データに埋もれて、極度に貧しい農村の特異性を示すデータが出てこない。
 しかし、昭和恐慌を題材にした人間ドラマは少なくない。「おしん」は、とりわけ説得力をもって当時の凄惨な現実を教えてくれた。

 現在、「子殺し」は、殺人と同等の扱いとして、事情があっても情け容赦なく犯罪として扱うようになっている。
 
  https://news.yahoo.co.jp/articles/7f4707e3443e4428041c17003ea6837c4a22c775

  https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50695

 私は、これもおかしな話だと思う。子殺しをするには、必ず生活が追い詰められたという事情を前提にしている。好き好んで趣味で子殺しをする者は滅多にいないだろう。
 日本政府は、生活に追い詰められた彼らを一切支援せず、新自由主義の「自助努力」だけを押しつけて、子殺しや一家心中に向かう人々に対して、非人情で冷酷極まりない対応を行い、処罰だけ熱心だ。
 こういう思想の連中には、いつか天罰が下ることを望む。

 昭和恐慌で、冷害凶作も重なって、もっとも残酷な被害を受けたのは東北地方だが、秋田県・岩手県などで、その凄惨な状況が記録されている。
 http://www.pref.akita.jp/fpd/rekishi/rekishi-index.htm

 昭和恐慌とあいつぐ凶作で被害を受けた村の実態を「凶作地帯をゆく」(昭和9(1934)年10月26日付け秋田魁新聞)と題する現地レポートには次のように記されている。

 「秋晴れの鳥海は清らかな山姿を、紺碧の空にクッキリ浮かせている。
 しかし、山裾にある町村は、未曾有の凶作に悩み、木の実・草の根、人間の食べられるものは全部刈り取り掘り尽くし、米の一粒だに咽喉を通すことのできぬ飢餓地獄にのたうつ惨状、秋田県由利郡直根村百宅部落のごときは、空飛ぶ鳥類さえ斃死したかと思われ、400名の部落民からは生色がほとんど奪われ、天に号泣し地に哀訴の術も空しく飢え迫る日を待つのみの状態である。(アマ註・由利本荘市直根を調べたが見つからないので集落が消えたようだ)

 同部落は戸数100戸、作付け反別80町歩、これは冷害のためほとんど全滅だ。同分教場には90名の児童を収容しているが、欠食児童は3割に当たる30名、欠席者は非常に多く、1日平均20名、また早引きするものもかなり多い。

 これは家人の働きに出た後の留守居や、でなければ山に入って栗・トチ・山ぶどうなどの木の実、山ゆり・山ごぼう・フキなどの草の根・木の葉を集めるために欠席する。糧食なくして何の教育ぞやの感を深くさせられる。

 垢に汚れたヨレヨレのボロ着にまとった赤児をおんぶして、授業を受ける児童の多いこと、一人泣き出せば又一人、背の赤児はまだしも自分でもママ末に負えなくなって泣き叫ぶ子守りもいる。

 こうした名目ばかりの義務教育を終えて、やっと15,6になると、雀の涙ほどの前借金で丁稚とか酌婦に売り出される。
 生まれ落ちて布団もろくろくないワラの中に育ち、食うや食わずにやっと6年を終えたら、知らぬ他国に涙の生活、彼ら山間奥地の住民は、永劫に光を持たぬ運命を約束されてきた。」

売られゆく娘たち
 凶作が決定的となった昭和9年、県保安課がまとめた娘の身売りの実態によると「父母を兄弟を飢餓線より救うべく、悲しい犠牲となって他国に嫁ぐ悲しき彼女たち」の数は、1万1,182人、前年の4,417人に比べて実に2.7倍にも増加している。
 身売り娘が多かったのは、秋田の米どころと言われる雄勝・平鹿・仙北三郡であった。
 娘の身売りは人道上のこととして、大きな社会的関心を呼び、これを防止しようと身売り防止のポスターを作って広く呼びかけた。
 しかし、小作農民の貧しさの根本的解決がない限り、娘の身売りの根絶は困難であった。
**********************************************************
 引用以上

 私は、この記事を見て憤った。当時、満州事変を境にして、日本軍部は軍備増強に突き進み、太平洋戦争敗戦までの間、現在価値にして、実に4000兆円を超える資金を投じた。その多くが、アヘンやヘロインを諸外国に売りさばいた密売資金だったが。
 東北の悲惨な子殺しや身売りは、そのうち、わずか0.1%でも救援に回せば、瞬時に解決したものだ。

 だが、日本政府・軍部は、日本国民の窮状に背を向けて、戦争への道を突っ走っていた。だから、すでに、この段階で、第二次世界大戦の敗北は必至だったのだ。

 今、コロナ禍で、昨年1月当時の予想からすれば、ちょっと信じられないほど深刻な事態に突き進んでいる。みんな、まだ事態の深刻さを見ていても、それがどれほど恐ろしい、残酷・苛酷な事態を招くのか、ピンときている人が、ほとんどいないのに驚かされる。
 もう、数ヶ月先にも、ワクチンが普及し、事態が収まって元通りに社会が動き始めると勘違いしている人が大半なのだ。

 事実は違う。コロナ禍は、まだ始まったばかりだ。多重感染者が増えれば、ウイルスの突然変異による毒性、感染力が上がり、これまでとは桁違いの被害が出る。
 百年前のスペイン風邪のときがそうだ。
 1918年から始まったといわれるが、最初はたいした症状ではなかったが、二年目の多重感染者が著しい毒性の変異株を生み出し、集落を絨毯爆撃するほどの死者が出始めた。
 当時20億人だった地球人口の全員が感染し、うち一割が死亡した。

 RNAウイルスは、もの凄い変異を繰り返すうちに、毒性を弱めて、一種の「自家中毒」を起こして軽い病気に変わってゆくが、スペイン風邪は4年目にそうなった。
 もっとも激しい毒性の暴風は2〜3年目だ。そのときは健全な免疫を持った屈強な若者や、地の果てのエスキモーまで感染死亡させられた。
 新型コロナ禍は、まだその段階に至っておらず、これから、それがやってくる可能性が大いにある。
 日本政府・厚労省の対応が、あまりに非科学的で、愚かすぎるからだ。

 このままでは、私は昭和恐慌なみの、恐ろしい経済崩壊が避けられないと思う。金が動くには人が動かなければならない。その人が動けないのだから、金が回るはずがない。
 もう、新自由主義などという馬鹿げた迷妄思想の出番ではない。金儲けだけが人間最高の価値と決めつけたフリードマンは、もはや法王とともに地獄に墜ちている。

 変わって、この社会に登場してくる思想は、「共同体」だとくり返し書いている。「金儲け」という利己主義などに何の価値も見いださず、「人の笑顔を食べて生きる」利他主義の価値観の人々が社会の中核を占めるようになる。
 そうでなければ、日本社会は滅亡するしかない。共同体思想だけが、日本の未来を拓いてゆく。

 もしも、人が「共同」を失ったなら、昭和恐慌と同じことが起きると私は思う。もう子供たちを育ててゆけない。かといって新自由主義の政府は、自助だけを要求して、絶対に民衆を助けない。
 すると最期に犠牲になるのは、生まれてくる子供であり、「未来」そのものなのだ。
 昭和恐慌が何をもたらしたのか?
 それは太平洋戦争なのだ。日本人450万人が死亡させられたといわれる、あの戦争だ。
 
 もしも、今のまま未来への適切なビジョンが示せなければ、再び世界戦争に翻弄されるだけだろう。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1419.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/278.html#c5

[近代史5] 明治維新と太平洋戦争の真相 中川隆
5. 中川隆[-6969] koaQ7Jey 2021年3月02日 10:34:06 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[15]
昭和恐慌と子殺し 2021年03月01日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1419.html

 大恐慌といえば1929年のニューデール恐慌だが、これが日本に波及した「昭和大恐慌」について語り継がれたものは少ない。我々の世代ですら、何が起きたのか知らない者が多い。

 昭和恐慌とは何か?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E6%81%90%E6%85%8C

 1930年〜1932年くらいまで続いた昭和最大の不況だが、満州事変による中国侵攻の軍事特需が生まれて事実上収束した。
 しかし、この不況の本質は、台湾・朝鮮を領土化した日本政府が、1930年(昭和5年)の大豊作時に、植民地である台湾・朝鮮から米を大量に輸入したことにより、日本本土の農業が壊滅状態に陥り、農村地方の民衆生活を激しく崩壊させたことにある。

 いったい、何が起きたのか?

syouwakyoukou01.jpg
 


 ニューデール大恐慌は、生糸市場を直撃したので、日本の農村で生糸に依存した生活を行っていた土地では、ほとんど収入が失われ、維新以来最悪の貧苦に見舞われた。

 語り継ぐ戦争 貧しい漁村、子殺しの悲劇 エッセイストの川口祐二さん 2018/08/16
 https://www.youtube.com/watch?v=cH5SMjcYqLo&ab_channel=%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE 

 「三重県の漁村の女房たちは、亭主との間に出来た子供を間引した廉(かど)で、1小隊ほども法廷に立たされた」
 この村のことと違うかな。ピンときました。

 尋常小学生のころ、母に尋ねたんです。学校で学年別に整列すると、僕らは90人いるのに、1年上の31(昭和6)年生まれだけが、半分くらいしかいない。「なんでかな」。すると、母が「実はな……」と教えてくれた。

 貧しい母親たちは、産んだばかりの赤ん坊を殺して油紙に包んで海に流した。それが波で押し返され、見つかった。産婆も関係しており、姉の同級生の母親も摘発された、と姉からも聴いた。

 その前からあったが、31年が不景気のどん底でひどかったらしい。満州事変の年ですね。当時、今と違って魚はとれたが、値段が安く、輸送手段が乏しかった。人力で荷車を引き、半日がかりで伊勢まで運んだそうだ。

 僕は何とも言えない気持ちになった。事件のころ、僕も母のおなかに入っていたわけで、もう半年早く宿っていたら、同じ運命をたどったんだろうか。何しろ僕は7人きょうだいの一番下でしたから。

 農地もわずかしかなく、都会へ働きにいくほか、海外への出稼ぎも多かった。志摩郡に仕事を紹介する会社があり、うちも姉2人と兄の3人がフィリピンへ渡った。看護師になったり、ビール会社で働いたりした。

 一番上の姉は開戦直前、2人の子どもを連れて帰国した。現地では「アメリカと戦争になるらしい」といううわさが流れていたそうだ。大戦末期、残ったその夫や兄は現地召集、2番目の姉も米軍に追われて逃げ惑った。タガログ語ができたので、イモを分けてもらい、生き延びた。

 《嬰児(えいじ)殺し事件》 1933(昭和8)年10月24日付の伊勢新聞などによると、三重県南勢地方の村で摘発され、後に18人に執行猶予付きの有罪判決があった。
 三重県警察史(66年)も「生活上の苦悩から惨忍(ざんにん)な犯行を犯す者も増加した」としてこの事件に触れ、「被疑者三十余名、三十数件の嬰児殺事件を検挙」とある。
*******************************************************************
私が、昭和恐慌における娘の身売りや嬰児殺しの事実を知ったのは、もう半世紀以上前に夢中になって読んだ民俗学者、宮本常一のルポであった。
 宮本は全国の貧しい農漁村を歩いて、直接取材した膨大な民俗学ルポルタージュを遺した。未来社から全集が出ているが、高価なので買えず、私は図書館に通って貪り読んだ。

 今は、その内容を具体的に示すことができないが、鮮明に記憶しているのは、東北地方の農家では、戦後、1960年代くらいまで、子供を育てる見通しが立たないとき、母親が産んだ後の嬰児を川に沈めて死なせるというルポがあったことだ。
 上に挙げた伊勢地方では、戦前の1933年に30余名の嬰児殺しが摘発されているが、東北地方の奥地では、昭和30年代でも、育てられないための子殺しは普通に起きていた。

 昭和恐慌では、生糸だけが唯一の現金手段という地方の村が無数にあって、それが大恐慌で突然ゼロになり、多くの人々が途方に暮れ、子殺しをするしかなかった。
 だから1931年(昭和6年)生まれは、特別に人数が少ないということになった。

 上の説明を補完する出生数推移情報を探したが、昭和恐慌による「子殺し」を示す統計データで分かりやすいものは見つからなかった。全国の大数データに埋もれて、極度に貧しい農村の特異性を示すデータが出てこない。
 しかし、昭和恐慌を題材にした人間ドラマは少なくない。「おしん」は、とりわけ説得力をもって当時の凄惨な現実を教えてくれた。

 現在、「子殺し」は、殺人と同等の扱いとして、事情があっても情け容赦なく犯罪として扱うようになっている。
 
  https://news.yahoo.co.jp/articles/7f4707e3443e4428041c17003ea6837c4a22c775

  https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50695

 私は、これもおかしな話だと思う。子殺しをするには、必ず生活が追い詰められたという事情を前提にしている。好き好んで趣味で子殺しをする者は滅多にいないだろう。
 日本政府は、生活に追い詰められた彼らを一切支援せず、新自由主義の「自助努力」だけを押しつけて、子殺しや一家心中に向かう人々に対して、非人情で冷酷極まりない対応を行い、処罰だけ熱心だ。
 こういう思想の連中には、いつか天罰が下ることを望む。

 昭和恐慌で、冷害凶作も重なって、もっとも残酷な被害を受けたのは東北地方だが、秋田県・岩手県などで、その凄惨な状況が記録されている。
 http://www.pref.akita.jp/fpd/rekishi/rekishi-index.htm

 昭和恐慌とあいつぐ凶作で被害を受けた村の実態を「凶作地帯をゆく」(昭和9(1934)年10月26日付け秋田魁新聞)と題する現地レポートには次のように記されている。

 「秋晴れの鳥海は清らかな山姿を、紺碧の空にクッキリ浮かせている。
 しかし、山裾にある町村は、未曾有の凶作に悩み、木の実・草の根、人間の食べられるものは全部刈り取り掘り尽くし、米の一粒だに咽喉を通すことのできぬ飢餓地獄にのたうつ惨状、秋田県由利郡直根村百宅部落のごときは、空飛ぶ鳥類さえ斃死したかと思われ、400名の部落民からは生色がほとんど奪われ、天に号泣し地に哀訴の術も空しく飢え迫る日を待つのみの状態である。(アマ註・由利本荘市直根を調べたが見つからないので集落が消えたようだ)

 同部落は戸数100戸、作付け反別80町歩、これは冷害のためほとんど全滅だ。同分教場には90名の児童を収容しているが、欠食児童は3割に当たる30名、欠席者は非常に多く、1日平均20名、また早引きするものもかなり多い。

 これは家人の働きに出た後の留守居や、でなければ山に入って栗・トチ・山ぶどうなどの木の実、山ゆり・山ごぼう・フキなどの草の根・木の葉を集めるために欠席する。糧食なくして何の教育ぞやの感を深くさせられる。

 垢に汚れたヨレヨレのボロ着にまとった赤児をおんぶして、授業を受ける児童の多いこと、一人泣き出せば又一人、背の赤児はまだしも自分でもママ末に負えなくなって泣き叫ぶ子守りもいる。

 こうした名目ばかりの義務教育を終えて、やっと15,6になると、雀の涙ほどの前借金で丁稚とか酌婦に売り出される。
 生まれ落ちて布団もろくろくないワラの中に育ち、食うや食わずにやっと6年を終えたら、知らぬ他国に涙の生活、彼ら山間奥地の住民は、永劫に光を持たぬ運命を約束されてきた。」

売られゆく娘たち
 凶作が決定的となった昭和9年、県保安課がまとめた娘の身売りの実態によると「父母を兄弟を飢餓線より救うべく、悲しい犠牲となって他国に嫁ぐ悲しき彼女たち」の数は、1万1,182人、前年の4,417人に比べて実に2.7倍にも増加している。
 身売り娘が多かったのは、秋田の米どころと言われる雄勝・平鹿・仙北三郡であった。
 娘の身売りは人道上のこととして、大きな社会的関心を呼び、これを防止しようと身売り防止のポスターを作って広く呼びかけた。
 しかし、小作農民の貧しさの根本的解決がない限り、娘の身売りの根絶は困難であった。
**********************************************************
 引用以上

 私は、この記事を見て憤った。当時、満州事変を境にして、日本軍部は軍備増強に突き進み、太平洋戦争敗戦までの間、現在価値にして、実に4000兆円を超える資金を投じた。その多くが、アヘンやヘロインを諸外国に売りさばいた密売資金だったが。
 東北の悲惨な子殺しや身売りは、そのうち、わずか0.1%でも救援に回せば、瞬時に解決したものだ。

 だが、日本政府・軍部は、日本国民の窮状に背を向けて、戦争への道を突っ走っていた。だから、すでに、この段階で、第二次世界大戦の敗北は必至だったのだ。

 今、コロナ禍で、昨年1月当時の予想からすれば、ちょっと信じられないほど深刻な事態に突き進んでいる。みんな、まだ事態の深刻さを見ていても、それがどれほど恐ろしい、残酷・苛酷な事態を招くのか、ピンときている人が、ほとんどいないのに驚かされる。
 もう、数ヶ月先にも、ワクチンが普及し、事態が収まって元通りに社会が動き始めると勘違いしている人が大半なのだ。

 事実は違う。コロナ禍は、まだ始まったばかりだ。多重感染者が増えれば、ウイルスの突然変異による毒性、感染力が上がり、これまでとは桁違いの被害が出る。
 百年前のスペイン風邪のときがそうだ。
 1918年から始まったといわれるが、最初はたいした症状ではなかったが、二年目の多重感染者が著しい毒性の変異株を生み出し、集落を絨毯爆撃するほどの死者が出始めた。
 当時20億人だった地球人口の全員が感染し、うち一割が死亡した。

 RNAウイルスは、もの凄い変異を繰り返すうちに、毒性を弱めて、一種の「自家中毒」を起こして軽い病気に変わってゆくが、スペイン風邪は4年目にそうなった。
 もっとも激しい毒性の暴風は2〜3年目だ。そのときは健全な免疫を持った屈強な若者や、地の果てのエスキモーまで感染死亡させられた。
 新型コロナ禍は、まだその段階に至っておらず、これから、それがやってくる可能性が大いにある。
 日本政府・厚労省の対応が、あまりに非科学的で、愚かすぎるからだ。

 このままでは、私は昭和恐慌なみの、恐ろしい経済崩壊が避けられないと思う。金が動くには人が動かなければならない。その人が動けないのだから、金が回るはずがない。
 もう、新自由主義などという馬鹿げた迷妄思想の出番ではない。金儲けだけが人間最高の価値と決めつけたフリードマンは、もはや法王とともに地獄に墜ちている。

 変わって、この社会に登場してくる思想は、「共同体」だとくり返し書いている。「金儲け」という利己主義などに何の価値も見いださず、「人の笑顔を食べて生きる」利他主義の価値観の人々が社会の中核を占めるようになる。
 そうでなければ、日本社会は滅亡するしかない。共同体思想だけが、日本の未来を拓いてゆく。

 もしも、人が「共同」を失ったなら、昭和恐慌と同じことが起きると私は思う。もう子供たちを育ててゆけない。かといって新自由主義の政府は、自助だけを要求して、絶対に民衆を助けない。
 すると最期に犠牲になるのは、生まれてくる子供であり、「未来」そのものなのだ。
 昭和恐慌が何をもたらしたのか?
 それは太平洋戦争なのだ。日本人450万人が死亡させられたといわれる、あの戦争だ。
 
 もしも、今のまま未来への適切なビジョンが示せなければ、再び世界戦争に翻弄されるだけだろう。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1419.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/390.html#c5

[近代史5] 現代アフリカ人の起源 中川隆
3. 中川隆[-6968] koaQ7Jey 2021年3月02日 10:54:09 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[16]
2021年03月02日
アフリカの人口史
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_2.html


 アフリカの人口史に関する研究(Hollfelder et al., 2021)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。アフリカは現生人類(Homo sapiens)の起源地として特定されており、それはアフリカにおいて人々の最も高い遺伝的多様性と深い分岐が見られることからも明らかです。初期現生人類の最古級の化石群がアフリカで発見されてきたという事実は、初期現生人類の進化におけるアフリカの重要性をさらに指摘します(関連記事)。初期現生人類のアフリカの化石記録は、大きな形態的多様性、および他の現生人類もしくは異なる種の今では絶滅した系統との共存の可能性を示します(関連記事)。

 アフリカにおける現生人類の複雑な初期の歴史は、現生人類がどのように出現したのか、深い分岐人口構造とその起源、アフリカにおける現生人類との深く構造化された集団および/もしくは古代型集団との遺伝的交換があったのかどうか、という問題を提起します。多様なアフリカの集団から利用可能なゲノムが増え、古代DNA配列が進めば、アフリカ人の遺伝的多様性に関してより多くの情報をしだいに得られ、これらのゲノムデータは、移住もしくは混合前の情報の提供により未知の系統もしくは遺伝的構成を明らかにでき、人口集団継続の指標を与えることができます。

 狩猟と採集は、新石器時代の移行と農耕および牧畜の出現前には、全現生人類の生活様式でした。ほとんどの狩猟採集民集団は、拡大する農耕民および牧畜民集団により置換されるか、現在狩猟採集生活様式を実践していたとしてもごくわずかで、アフリカを含む世界中のさまざまな地域に散在しています。現在、狩猟採集民集団のほとんどは、農耕もしくは放牧に適さない、熱帯雨林や砂漠のような地域に居住しています。その結果、狩猟採集民集団(およびそれを実践している個体群)の数は過去数千年で大きく減少してきており、それは農耕民と牧畜民の人口規模の拡大と増加に起因します(関連記事)。

 アフリカでは、狩猟採集民集団は南部および東部とコンゴ盆地で見られます。アフリカ南部では、狩猟採集民のサン人と、アフリカ東部の牧畜民と接触した後に牧畜生活様式を採用した牧畜民のコイコイ人が、農耕に適さない乾燥地域に居住しています。こうした人々は、他の点では無関係な5言語族に属する「吸着音(クリック)」が豊富な言語で構成されるコイサン語に対応して、まとめコイサン人と呼ばれています。アフリカ東部では、狩猟採集生活様式をまだ実践しているか、最近まで実践していたさまざまな集団が存在します。アフリカ東部の狩猟採集民(EAHG)は、アフリカの他の狩猟採集民集団よりも相互と遺伝的に密接に関連しています。さらに、ビアカ(Biaka)やバカ(Baka)やバコラ(Bakola)やベヅァン(Bedzan)やバトゥア(Batwa)やトゥワ(Twa)やムブティ(Mbuti)などの狩猟採集民集団が、赤道付近のアフリカ熱帯雨林に居住しています。これら熱帯雨林狩猟採集民(RHG)集団は、近隣の農耕集団の言語を採用してきました。アフリカにおける過去5000年の急速な拡大と、他の最近の移住は、サハラ砂漠以南のアフリカにおける深い人口構造のパターンを曖昧にし、亜赤道帯アフリカの大半は現在、バンツー語族話者のアフリカ西部系の人々が居住しています。

 アフリカにおける現生人類集団は8万年前頃の出アフリカ移住の前に階層化していた、と今ではますます認識されており、アフリカ南部および西部とアフリカ外へ拡大したアフリカ東部における単一の任意交配人口集団という見解は棄却されています(関連記事)。10万年を超える深い人口構造を調べるためには、完新世後半に到来した新たな集団の前に、該当地域に居住する集団の子孫を表す可能性がある、広い地理的範囲の人口集団の調査が必要です。狩猟採集民集団と古代の個体群のDNA標本は、最近の大規模な移住の混同要因により曖昧になっていないより深い人口史への洞察を提供できます。最近の混合は、たとえば、分岐年代の過小評価につながる可能性があります(関連記事)。

 また古代DNAは、現代人の遺伝子プールでは失われた遺伝的多様性の解明の可能性を提供します。ゲノム配列技術は急速に発達しましたが、アフリカのほとんどは考古学者により広範には調査されておらず、DNAは高温多湿の気候ではとくによく保存されない、という事実にも関わらず、現代の狩猟採集民の利用可能な全ゲノム配列と、アフリカの考古学的標本からのゲノム規模情報の数は近年急速に増加しています。2015年にアフリカ東部の最初の古代ゲノムが刊行されて以来(関連記事)、いくつかの古代アフリカ人標本のゲノム規模情報の回収に成功し、それは地理的にはアフリカ大陸全域や島嶼部にまで、時間的には15000年前頃にまで及んでいます(関連記事)。


●狩猟採集民の人口構造

 アフリカの高い遺伝的多様性は、おそらくは気候変動のために起きた孤立により形成された、深い人口構造の結果です(関連記事)。比較的高いアレル(対立遺伝子)の豊富さやヘテロ接合性やホモ接合性の短さや遺伝的多様性のさまざまな測定値は、アフリカで最も極端な値を示します。アフリカ人のゲノムは平均して、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)にさかのぼる系統を除いて、現代人全員の中で最も分岐した系統を有しています(関連記事)。アフリカの狩猟採集民集団は、最も遺伝的に多様な現代人集団で、最も基底的な片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)と(関連記事)、最も深い常染色体分枝を有している、と以前に示されてきました(関連記事)。

 さまざまな現代の地域的狩猟採集民集団間の遺伝的関係は、距離による孤立でモデル化でき、狩猟採集人口集団が、潜在的に重複する地域でつながり、より大きな地域に居住していた、と明らかになります(関連記事)。コイサン人と他のアフリカの狩猟採集人口集団間の、相互に分岐した後の遺伝子流動の指標があり(関連記事)、遺伝的交換が完新世まで続いたことを示唆します。たとえば、アフリカ南部のサン人集団とアフリカ東部の狩猟採集民との間には勾配のつながりがあるように見えます。現在のマラウイの先史時代個体群は、サン人集団およびアフリカ東部狩猟採集民との類似性を示しており(関連記事)、サン人的な系統はアフリカ東部の古代の個体群で検出されます(関連記事)。現在、アフリカ東部の狩猟採集民は、人口調査の規模が小さいため、低い有効人口規模を示します。

 現在知られている散在する人口集団につながる、かつて広範に存在し重複していた狩猟採集人口集団の縮小は、そのゲノムに痕跡を残しました。たとえば、多くの狩猟採集人口集団は、完新世に有効人口規模の増加を示さず、多くの他集団とは対照的です(関連記事)。現在、熱帯雨林狩猟採集民は周囲の農耕民よりも低い有効人口規模を示します。アフリカ南部のコイサン人は世界規模の比較で最高の遺伝的多様性を示す、と繰り返し指摘されてきており、これは、コイサン人の現生人類史の大半での大きな有効人口規模と、非コイサン人集団との混合に起因します(関連記事)。

 現代コイサン人集団につながる系統は、現代のアフリカ南部狩猟採集民の分布よりも広範な地域に居住していた可能性が高そうです(関連記事)。コイサン人の祖先はアフリカ南部の先史時代の大半においてこの地域唯一の居住者だった可能性が最も高い、との仮説が提示されています。コイサン人と他の全集団との間では、有効人口規模は30万〜20万年前頃に異なり始めており、その時点で人口構造が存在し、その後に人口減少が続いて人口集団に異なる影響を及ぼした、と示されます。たとえば、サン人と熱帯雨林狩猟採集民は6万年以上前には他のアフリカ人集団よりも大きな有効人口規模を維持していましたが、コイサン人と熱帯雨林狩猟採集民を含む全集団は、この期間に人口減少を示します。

 アフリカ北部の人口集団は、深いアフリカの歴史を議論するさいに、よく除外されます。それは、アフリカ北部の人口集団がおもにユーラシア人系統を示し、サハラ砂漠以南のアフリカに分類される系統構成が多くないからです。しかし、15000年前頃にさかのぼるモロッコの化石標本に関する最近の古代DNA研究からは、アフリカ北部の当時の狩猟採集民の系統の大半は非アフリカ系で、最もよく適合するのはアジア南西部の14500〜11000年前頃の文化であるナトゥーフィアン(Natufians)の担い手であるものの、系統の1/3はサハラ砂漠以南のアフリカ人に由来する、と明らかになりました(関連記事)。

 サハラ砂漠以南のアフリカ系統の構成要素は、アフリカ東部系統と西部系統の混合のようであるものの、明確な起源はなく、むしろ、アフリカ西部および東部両方の現代人と関連している標本抽出されていない人口集団に由来する可能性が高そうです。これらモロッコの個体群のうち新しい標本(7000〜5000年前頃)は、経時的なサハラ砂漠以南のアフリカ系統の減少を示しており、この傾向はエジプトでも観察されました。このパターンは上部旧石器時代以降のマグレブにおける孤立から生じた可能性があります(関連記事)。非アフリカ系統が早期にユーラシアからアフリカに戻って来た混合事象に由来するのかどうか、あるいはアフリカ北部と非アフリカ系人口集団との間の長期の遺伝子流動があったのか、まだ解明されていません。


●現生人類進化のモデルと人口集団分岐年代の推定

 人類の進化史を分岐した樹としてモデル化し、分枝間の分岐年代を推定することは一般的です。系統樹は単純化されており、遺伝子流動など人口史の一部の特徴を欠いていますが、集団間の関係と集団間の相対的分岐を理解するのにモデルとして役立ちます。特定の事象の推定は通常、モデルの手法と仮定、基準パラメータ(たとえば、変異率や1世代の時間)、比較に用いられる個体群と人口集団の組み合わせにより異なります。あるいは、人類進化はメタ個体群(アレルの交換といった、ある水準で相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群の集団)モデルで表すことができるものの(関連記事)、深い人類史の問題に対処するためのそうしたモデルはまだ稀です。

 図1は、高網羅率の常染色体ゲノムに基づく現生人類の人口史における、深い分岐の推定範囲の概観を示しています。連続マルコフ合祖(MSMC)およびMSMC2手法は、前者が分岐年代として交差合祖の中間点を使用するという事実に起因する可能性があり、系統的一致、頻度に基づく手法、ベイジアン計算分析(同じ変異率での再基準化後)に基づく推定よりも新しい年代となることに注意が必要です。しかし、分岐年代の順序は、異なる手法間であまり違いはなく、これは手法全体で一貫した集団形態を示します。

 コイサン人の祖先と残りの現代人の祖先との間の分岐は、34万(関連記事)〜20万年前頃(関連記事)と推定されており、MSMCに基づくより新しい推定年代は16万〜9万年前頃です(関連記事)。単純化した分岐系統樹を想定した次の事象は、熱帯雨林狩猟採集民の祖先と(コイサン人の祖先を除く)残りの現代人の祖先との間の分岐です。この分岐の推定年代は35万〜7万年前頃までさまざまですが(関連記事)、一般的にコイサン人の祖先と他の現代人の祖先との分岐よりもずっと新しくなります。ハッザ人(Hadza)やサンダウェ人(Sandawe)のような狩猟採集民を含むアフリカ東部集団は、アフリカ西部人を含む他の全アフリカ人集団とは14万〜7万年前頃に分岐しました。以下、本論文の図1です。
画像

 ほとんどの研究では、分岐点が現生人類間の最も深い分岐と明らかになっていますが、後述のように未知の集団の潜在的な影響を考慮に入れる必要があります。たとえば、ミトコンドリアDNA(mtDNA)と完全なゲノムでは、コイサン人と他の全集団との間の最も深い分岐が繰り返し見つかっています。しかし、一部の研究では代替案が指摘されており、たとえば、カメルーン西部のグラスフィールド(Grassfields)地域に位置するシュムラカ(Shum Laka)岩陰遺跡の8000年前頃の人類遺骸(関連記事)に部分的に基づく、熱帯雨林狩猟採集民を含むひじょうに深い分岐、もしくはコイサン人とアフリカ西部人と熱帯雨林狩猟採集民との間の最も深い分岐としての3分岐です。8000年前頃のシュムラカ遺跡の1個体は、興味深いことにアフリカ西部人系統と熱帯雨林狩猟採集民系統の両方を示しました。この個体の分岐年代を推定すると、コイサン人とは35万〜26万年前頃、アフリカ西部人および熱帯雨林狩猟採集民とは22万〜12万年前頃と示されます(図2)。これにより、8000年前頃のシュムラカ遺跡個体を、コイサン人分枝、アフリカ西部人関連系統、熱帯雨林狩猟採集民系統(の混合もしくは共有系統の結果)として確実に位置づけられます。以下、本論文の図2です。
画像

 よく研究されていませんが、サン人の南北間の分岐の推定年代も、17万〜3万年前頃と大きな範囲を示します。これは恐らく、距離による孤立モデルがこれらの集団間の関係をよりよく表しているかもしれない、という事実を反映しています。アフリカ西部および東部の熱帯雨林狩猟採集民の共通起源が示されており、その分岐は6万〜4万年前頃と推定されています。これらの推定値は全てMSMC・MSMC2に基づいており、それは通常より新しい分岐年代を提供することに注意が必要です。


●絶滅系統からの遺伝子移入

 アフリカに関しては、古代型ホモ属(絶滅ホモ属)との混合の問題に再び関心が集まっています。非アフリカ系現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人やデニソワ人からの遺伝的影響は、現在では有力説と確立しています(関連記事)。遺伝子移入元の系統からの参照ゲノムを必要としない新たな手法と、より良好なゲノムデータにより、アフリカにおける絶滅系統からの遺伝子移入の問題を調査できるようになりました。こうした新たな手法は、ネアンデルタール人のゲノム解読前に現生人類とネアンデルタール人の交雑を推測でき(関連記事)、アフリカ系現代人における未知の系統の遺伝的痕跡(関連記事)や、アフリカ西部の現代人集団に見られる未知の人類系統の遺伝的痕跡(関連記事)を検出しています。

 アフリカにおける豊かな人類史を考えると、現代人へとつながる系統が、過去に現代人系統と分岐した人類集団と相互作用して混合した可能性があり、おそらくその系統は、ネアンデルタール人やデニソワ人と同じ頃(60万年前頃)に現代人系統と分岐しました。また、おそらく数十万年前もしくはそれ以降に現代人系統と分岐し、後に何らかの理由で絶滅した、異なる現生人類集団が存在した可能性もあります。そうした人口集団は、現代アフリカ人の主要な遺伝的祖先集団と混合したかもしれません。後者の事象は「ゴースト」人口集団からの遺伝子移入、前者は「古代型」遺伝子移入と呼べます。これら2つの遺伝子移入過程を分離する1つの方法は、現代人の中で最も深い分岐前(30万年前頃以前)の系統から分離した人類集団に関わるものが「古代型」遺伝子移入、30万年前頃以降に現代人と分離した絶滅現生人類に関わるものが「ゴースト」遺伝子移入、とそれぞれ定義することです。

 ネアンデルタール人と現生人類との混合に関してはすでに多くの研究がありますが、これはアフリカの人口史にも関連しています。アフリカ西部のヨルバ人は、ネアンデルタール人系統の割合が小さいと示されてきており、世界中の現代人におけるネアンデルタール人の遺伝的影響の割合を推定するさいに、ネアンデルタール人と混合していない人口集団としてよく用いられてきましたが、新たな手法(IBDmix)を用いたその後の研究で、アフリカ人のゲノムにおけるネアンデルタール人系統の割合は以前の推定よりも高い、と示されました(関連記事)。この研究では、平均して1個体につき1700万塩基対のネアンデルタール人配列が見つかり、そのうち94%は非アフリカ系現代人と共有されています。別の研究では、ネアンデルタール人およびデニソワ人と共有され、非アフリカ系現代人では存在しない古代型多様体がアフリカ西部現代人で見つかり、アフリカにおけるより大きな遺伝的多様性を反映しています。現代アフリカ人のゲノムにおけるネアンデルタール人系統は、ヨーロッパ人的な祖先集団のアフリカへの「逆移住」により説明できます(関連記事)。この想定は、ユーラシア系統の割合と相関するネアンデルタール人系統の割合を明らかにした他の研究(関連記事)により裏づけられます。

 上述のように、ネアンデルタール人のゲノムデータが公開される前でも、現代アフリカ人集団で深く分岐した集団からの遺伝子移入の兆候が検出されていました。この観察の可能性な説明は、これら他の人口集団は今では絶滅し、現代の人口集団にその遺伝的痕跡を残しているのみである、というものです。ネアンデルタール人とデニソワ人のゲノムデータ公開後の研究の進展により、ネアンデルタール人とデニソワ人は非アフリカ系現代人の古代型混合の全てを説明できるものの、現代アフリカの人口集団で観察される古代型混合の兆候を説明できない、と明らかになりました。この古代型集団を表す参照ゲノムが存在しないため、古代型およびゴースト遺伝子移入はよく、強く関連した祖先型多様体を含み、および/もしくは深い合着(合祖)年代を示す、ゲノムにおける分岐した領域として識別されます。この方法で識別された配列は、標本抽出されていない絶滅「ゴースト」人口集団に由来するか、過去の集団間の深い階層化を含む、いくつかの代替的な複雑な人口統計から生じるパターンを表しているかもしれません。しかし、これまでに提示された分析では、深い構造、古代型および/もしくはゴースト人口集団からの真の遺伝子移入、統計上の産物を区別することは困難です。

 表1で示されるように、「ゴースト」人口集団さらには「古代型集団」との混合は、さまざまなアフリカの人口集団の特別な多様性パターンを説明するために提案されてきました(関連記事)。古代型人口集団との交雑は頻繁に起きたものの、低水準だった、との仮説が提示されています。とくにアフリカ西部現代人では、古代型系統を有する、とよく識別されてきました。この兆候は、現代人の祖先とネアンデルタール人の祖先が分岐したのと同じ頃か、やや早い年代に分岐した、1つもしくは複数の人口集団に由来する、と示されてきました(関連記事)。

 古代型遺伝子移入への別の兆候もしくは代替的な説明はアフリカ西部現代人で提案されてきており、それは30万年前頃に分岐したゴースト人口集団からの遺伝子移入です(関連記事)。アフリカ西部における古代型もしくはゴースト人口集団からの混合の兆候は、アフリカ西部および東部人口集団へのコイサン人口集団の非対称的な関係と一致します(関連記事)。さらに、アフリカ全体における古代型系統の割合の違いから、人口構造は遺伝子移入の時点ですでに確立していたか、あるいはこの観察が上述した非アフリカ系集団からの遺伝子流動の結果かもしれない、と示唆されます。

 またいくつかの研究では、遺伝子移入配列は大きな有効人口規模の人口集団に由来し、それは自身が構造化された人口集団であることを示唆している、と提案されています。別の可能性は、大きな有効人口規模が異なる系統からの複数の遺伝子移入により形成され、古代型参照配列なしに区別することは困難である、というものです。残念ながら、アフリカにおける古代型もしくはゴースト遺伝子移入の多くの研究は少数の人口集団に焦点を当てており、および/もしくは推定に1つの手法しか用いていないので、識別された古代型もしくはゴースト遺伝子移入の影響は、まだ体系的な方法では現代人の主要な分枝全てにわたって比較することはできません。

 興味深いことに、多くの研究はアフリカにおける絶滅系統からの遺伝子移入に関してかなり最近の時期を特定しており、非アフリカ系人口集団と分岐した後にさえ遺伝子移入事象があった、と想定しています。これは、比較的最近まで古代型人口集団が存続していたことを示唆します。これは、10万年前以前に形態的多様性のほとんどが消滅したことを示す、化石記録からの観察とは対照的です。ただ、16300〜11700年前頃と推定されているナイジェリアのイホエレル(Iwo Eleru)で発見された個体や、25000〜20000年前頃と推定されているコンゴのイシャンゴ(Ishango)で発見された個体では、祖先的な形態的特徴が指摘されています(関連記事)。


●今後の展望

 まだ解決されていない問題の一つは、現生人類がどのように出現したのか、ということです。現生人類の起源もしくは出現が比較的長期間の進化的過程であることは明らかですが、いくつかの時間制限を設定することにより、現生人類の起源に関する問題を絞り込めます。現在から始まって過去にさかのぼると、現生人類間の最も深い分岐は30万年前頃となり、充分に発達した(行動と認知両方でその可能性が高い)現生人類(必ずしも解剖学的現代人ではありません)の存在の下限とみなせます。それは単に、この最初の分岐の(現存している)子孫集団が、確かに現生人類であるからです。現生人類とネアンデルタール人およびデニソワ人との65万年前頃の分岐は、現生人類固有の特徴の発達の上限とみなせます。

 換言すると、これらの制約の使用により、現生人類がネアンデルタール人およびデニソワ人との共通祖先から分岐して、現在観察される人類の階層化の開始時期までに、固有の特徴をどのように発達させたのか、という問題を提起できます。そうした固有の特徴は、頻度変化や潜在的にはエピジェネティックな変化を含む遺伝的変化に制御されている可能性があります。アフリカにおける現生人類の起源に関しては、さまざまなモデルがあります。これらのいくつかには、(1)拡大し他の全ての人口集団を置換した単一起源説、(2)いくつかのアフリカ人集団(地理的には分離していた可能性が高そうです)がおそらくは孤立により深く階層化されていたとするアフリカ複数地域モデル、(3)1つの集団および地域からの拡大ではあるものの、一部の地域的継続および/もしくは古代型遺伝子移入を伴う、といった見解があります。

 化石の発見からの多様な形態と物質文化と遺伝学は、アフリカにおける現生人類の純粋に単一の起源を示唆しますが(関連記事)、散在した多様な人口集団からの散発的な遺伝子流動の可能性もあります(関連記事)。しかし、構造化されたメタ個体群のモデルが、現生人類の発達に重要な遺伝的多様体が人口集団間で同時に拡大することを可能としながら、階層化を引き起こす遺伝子流動に対する障壁をどのように維持するのか、明確ではありません。

 現生人類の複雑な可能性がある初期の歴史を解明することは、遺伝子流動や移住のさまざまな形態を含む後の事象が遺伝的兆候を歪めるかもしれないので、やりがいのある研究です。より複雑なモデル、より多様なデータ、より優れた統計手法により、単純な分岐モデルを超えて観察することや、アフリカの人口集団の複雑な人口統計を解明することや、上述したような現生人類の起源のモデルに関する情報を提供することができます。より多くのデータを収集するための努力はありますが、データ標本抽出における偏りが依然として見られます。とくにアフリカ南部は現在、現代人と古代人のゲノムデータの両方で大きな割合を占めます。充分に研究されていない地域からのより多くのゲノムデータと、古代DNA分析における可能な改善により、アフリカの先史時代の時空間的理解が洗練され、現生人類進化の初期の事象を解明できるようになるでしょう。


参考文献:
Hollfelder N. et al.(2021): The deep population history in Africa. Human Molecular Genetics.
https://doi.org/10.1093/hmg/ddab005


https://sicambre.at.webry.info/202103/article_2.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/352.html#c3

[近代史4] インフレで起きる事 中川隆
1. 2021年3月02日 12:03:22 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[17]
大規模金融緩和でインフレ起こるか?対策銘柄を紹介
2021/02/22





http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html#c1
[近代史4] インフレで起きる事 中川隆
2. 中川隆[-6967] koaQ7Jey 2021年3月02日 12:12:56 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[18]
世界最大のヘッジファンド: 紙幣印刷で経済成長率は救える
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11736

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で人々はリッチになったような気がする
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10616

世界最大のヘッジファンド: 紙幣の刷り過ぎでドルが暴落するとき
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685

世界最大のヘッジファンド: ドルは既に紙くずになっている
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

金融市場にインフレの兆し: 金、原油、穀物価格が高騰
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11801

米国経済、個人消費が鈍化、インフレは止まらず
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11782

世界最大のヘッジファンド: インフレで株式市場が暴落する理由
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11715

世界最大のヘッジファンド: オランダ海洋帝国が繁栄した理由
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10891

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で暴落した世界初の基軸通貨
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10903

世界最大のヘッジファンド: 大英帝国の繁栄と衰退
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10922

世界最大のヘッジファンド: 大英帝国の基軸通貨ポンドはいかに暴落したか
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10953

世界最大のヘッジファンド: ドルが下落したらアメリカは終わり
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11762

世界最大のヘッジファンド、コロナ株高でも米国株買い増さず
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11643

世界最大のヘッジファンド: 政府が金融危機から守ってくれると思うな
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世界最大のヘッジファンド: 共産主義の悪夢が資本主義にのしかかる
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世界最大のヘッジファンド: 中国が覇権を握りドルは基軸通貨でなくなる
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世界最大のヘッジファンド: アメリカの覇権が中国に奪われる4つの道筋
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9934

レイ・ダリオ氏、「現金がゴミ」になったニクソンショックの経験を語る
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9645

「現金はゴミ」発言のレイ・ダリオ氏、リスクオフできず新型コロナ株安で20%損失
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9134

新型コロナによる世界恐慌でユーロが下落する理由
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10392

ドラッケンミラー氏: 金融緩和こそがデフレの元凶
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/7103

元米国財務長官ラリー・サマーズ氏が長期停滞論とは何かを語る
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/2489

ヘリコプターマネーはインフレをもたらすか
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9767

ガンドラック氏、新型コロナでの企業救済とヘリコプターマネーを痛烈批判
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9681
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html#c2

[近代史4] インフレで起きる事 中川隆
3. 中川隆[-6966] koaQ7Jey 2021年3月02日 12:17:03 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[19]
ドラッケンミラー氏が物価高騰を予想、米国債を空売り、コモディティを爆買い
2021年2月8日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12182

ジム・ロジャーズ氏: 日本は買い、コモディティはほぼ全部上がる
2021年2月18日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12322

パウエル議長、根拠不明の2%インフレ目標に固執、物価高騰は不可避
2021年2月24日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12500

ジム・ロジャーズ氏: 物価高騰になれば中央銀行は緩和を止めるか
2021年2月26日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12581

米国GDPはコロナ禍から回復も低金利に依存、金利高騰で株価と共倒れへ
2021年2月28日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12654
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html#c3

[近代史4] インフレで起きる事 中川隆
4. 中川隆[-6965] koaQ7Jey 2021年3月02日 12:24:40 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[20]
貨幣数量説 _ 貨幣の総量とその流通速度が物価の水準を決定している
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1065.html

紙幣の刷り過ぎでドルが暴落する
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1039.html

インフレと失業率の関係
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1154.html

スタグフレーション
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/936.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html#c4

[近代史5] 株式投資の方法 中川隆
5. 中川隆[-6964] koaQ7Jey 2021年3月02日 15:20:36 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[21]
「米金利上昇で株価下落」は古い?下げ相場しらぬ新人投資家が波乱要因、今後の2シナリオ=栫井駿介
2021年3月2日

日経平均株価は先週末に1,200円超えの急落を演じ、昨日3月1日には697円高と反発して2万9,663円となりました。米長期金利の上昇とその一服が原因とされていますが、なぜ株価は上下したのか。その原理と今後の展開について解説します。ワイルドカードとなるのは、恐れを知らない個人投資家の存在です。(『バリュー株投資家の見方|つばめ投資顧問』栫井駿介)

大きく上下する日経平均株価。コロナが終わると株価は下がる?

株価が下落傾向に転じています。先週末の2月26日、日経平均株価は久々に1日で1,000円以上の下落となり3万円を割り込みました(※編注:原稿執筆時点2月28日。週明けの3月1日の日経平均終値は前週末比+697円と反発、2万9,663円となっています)。

日経平均株価 日足(SBI証券提供)
https://www.mag2.com/p/money/1025020

株価が下落している最大の要因は、米長期金利の上昇です。10年国債利回りは1年ぶりの高水準となっています。

米国国債10年 日足(SBI証券提供)
https://www.mag2.com/p/money/1025020

私はこれまで口を酸っぱくして言い続けてきたように、米国の景気回復傾向が見られるとFRBは金融緩和の終了(テーパリング)に向けて動き出します。

すなわち、コロナ禍の終了によって金利が上昇するのです。

金利上昇で株価が下落する理由
これまで株式市場の上昇を牽引してきたのが、この金融緩和によるバリュエーション水準の上昇でした。この原理は、以下の計算式によって導かれます。

PER=1/(rーg)
※r=金利+α、g=成長率

この計算式に数値を代入すると理解しやすいと思いますが、金利が下落すると分母が小さくなるので、PER水準は上昇します。さらに、成長率(g)が高い企業ほど分母が小さくなり、PER水準は高くなることがわかるでしょう。

これによって、成長率が高いと目されるハイテク企業を中心にバリュエーション水準の切り上げが起こり、株価が上昇したのです。

今起こっていることはそれとは反対です。金利の上昇によって分母が大きくなったことで、PER水準の切り下げが起こるのです。また、成長率が高い企業ほど金利への感応度は高くなりますから、株価も下落しやすい状況になります。

だからこそ、多くの投資家は金利上昇に敏感に反応しているのです。

それではなぜ金利が上がっているのかといえば、景気回復への期待感があります。米国の失業率は最悪期から低下し、期待インフレ率は2%を超えました。FRBは金融緩和の出口(テーパリング)の目安をインフレ率2%としており、景気回復が早期の金利上昇を意識させているのです。

もっとも、景気回復を伴う金利の上昇は「良い金利上昇」と言われ、この後本当に景気が回復するようなら株価にはプラスの影響を与えます。上記の計算式で言えばgが上昇するからです。


政府の手厚い支援は貯蓄に回った
一方で、必ずしも望ましくないシナリオもあります。それが景気回復を伴わないインフレです。

目下失業率は低下していますが、その裏にはそもそも求職活動を諦めてしまった「隠れた失業者」が存在すると言われます。彼らは統計には出てこないのです。これが、景気回復の判断を誤らせる可能性があります。

景気回復の主体にも注意が必要です。一般的に、所得が低い層ほど、限界消費性向が高いと言われます。限界消費性向とは、収入が増えた分どれだけの割合を消費に回すかという指標です。すなわち、所得の低い層の収入が増えた方が、実体経済を回復させる力があるということになります。

ところが、日米問わず所得の低い層ほど飲食やサービスなどの現場で働いている割合が高くなります。そして、これらの業種はコロナ禍で危機的な状況です。したがって、彼らの収入が増える状況ではないのです。

では、どこの景気が回復しているのかと言えば、ITなどホワイトカラーにおいてです。彼らの収入は安定していますが、もともと貯蓄性向が高い上にコロナ禍で消費する場所もありませんから、その多くは貯蓄に回ることになるでしょう。

実際に、日本でも米国でも、支給された給付金の大半は貯蓄に回っているのです。

あり余るマネーが向かう先は?
そこで私たちが見るべきは、貯蓄に回ったお金の行方です。

米国ではゲームストップ株の騒乱に見られるように、個人が直接的に投機によって市場を揺るがしています。ビットコインの上昇もその一端でしょう。彼らが直接投資せずとも、銀行預金や投資信託などを介して金融資産にお金が流れることになります。

このお金がこれまでは株に流れていましたが、それだけでは物足りなくなり、やがて資源(コモディティ)や不動産に流れることになるでしょう。すでに原油価格の上昇が見られますし、銅価格は11年ぶりの高値を記録しています。

Copper先物<COMEX> 週足(SBI証券提供)
https://www.mag2.com/p/money/1025020/2


株価の上昇は実体経済に直接的な影響を与えにくいのですが、資源や不動産価格は私たちの生活に直接的な影響を与えます。1970年代のオイルショックはその典型的な例ですし、上記で挙げた銅も電気自動車をはじめさまざまなハイテク製品で利用されます。

ここに投機的な資金が流れ込んでしまうとどうなるでしょう。

景気回復を伴わないインフレの懸念
原油価格が上昇すれば世の中のあらゆる製品が値上がりしますし、不動産価格が上がれば住む場所にも困る人が出てきます。

現にアメリカでは、家賃の上昇で住む場所を追われる低所得者も少なくありません。失業はこれにダブルパンチを与えるでしょう。

このようなコスト・プッシュ型のインフレになると、誰にとっても良いことはありませんから、投機的な動きを抑えるために、FRBも金利を引き上げざるを得なくなってくるのです。

私は景気過熱によるインフレよりも、投機的な動きによるインフレの可能性の方が高いと考えています。したがって、私たちが今後気にすべきは原油や銅などの資源価格、不動産価格と言うことになるでしょう。

上記のシナリオは、数年単位の長期的な話になる可能性もあります。じっくり見ていく必要がありそうです。

今週も下がるようなら大きく崩れそう
それでは、長期投資家として私たちはどのように動いたら良いでしょうか。

これまで株価上昇が続いたおかげで、多くの機関投資家はそろそろ利確したい思惑に駆られていると思います。その証拠に、この1週間はハイテク株の下落が目立ちます。代わって割安株に資金が流れつつありますが、成長性の見込みにくい割安株に資金が流れ込む時はおおよそ相場の終盤です。

ただし、ここでワイルドカードとなっているのが、恐れを知らない個人投資家の存在です。

最近参入したばかりの投資家は下げ相場を知りませんから、先週のような少しの下落があれば喜んで買いを入れる可能性があります。マクロ的に見ても、その資金余力がある状態でしょう。

一方で、下げ相場を知らないからこそ、今後下げが続く場合はパニックになり、一斉に売り浴びせる可能性もあります。この両方の可能性が、相場の見通しを難しくしているのです。

ただ、パターンはそんなに多くありません。ここで下げ止まるならさらなる上昇を呼び込むでしょうし、さらに下がるなら大きく崩れることになるでしょう。どちらになるかは、一旦は今週の動きによって左右されそうです。

そんな中で、私たちが取るべき行動はさらにシンプルです。上がるようなら無理についていくことはありませんし、下がるようなら絶好の買い時となります。

長期投資家として、久々にワクワクしてきました。来るべき時に備え、心の準備を整えたいと思います。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/389.html#c5

[お知らせ・管理21] 2021年03月 困った時、意見、提案、相談などなんでも。管理人が24時間以内に必ず見るスレ 管理人さん
6. 2021年3月02日 17:02:30 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[22]
赤かぶは中国の工作員グループだよ
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/618.html#c6
[リバイバル3] ロッテアライリゾート 中川隆
38. 中川隆[-6963] koaQ7Jey 2021年3月02日 17:41:14 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[23]
スキー場積雪ランキング2021年3月2日更新
https://weather.goo.ne.jp/ski/ranking/

1ロッテアライリゾート新潟 積雪量 529cm
2ニセコマウンテンリゾート グラン・ヒラフ道央 積雪量 465cm
3湯殿山山形 積雪量 460cm
4関温泉新潟 積雪量 450cm
5夏油高原岩手 積雪量 420cm
6八甲田青森 積雪量 400cm
7キロロスノーワールド道央 積雪量 390cm
8シャルマン火打新潟 積雪量 370cm
9白山一里野温泉石川 積雪量 370cm
10札幌国際道央 積雪量 340cm
11ニセコアンヌプリ国際道央 積雪量 340cm
12白山千丈温泉セイモア石川 積雪量 340cm
13かぐら新潟 積雪量 340cm
14キューピットバレイ新潟 積雪量 335cm
15HAKUBA VALLEY 白馬八方尾根長野 積雪量 320cm
16赤倉温泉新潟 積雪量 315cm
17HAKUBA VALLEY エイブル白馬五竜長野 積雪量 310cm
18松之山温泉新潟 積雪量 310cm
19HAKUBA VALLEY Hakuba47ウィンタースポーツパーク長野 積雪量 310cm
20湯沢高原新潟 積雪量 300cm
21野沢温泉(やまびこゲレンデ)長野 積雪量 290cm
22舞子スノーリゾート新潟 積雪量 285cm
23スノーウェーブパーク白鳥高原岐阜 積雪量 280cm
24HAKUBA VALLEY 栂池高原長野 積雪量 274cm
25サッポロテイネ道央 積雪量 270cm
26HAKUBA VALLEY 白馬コルチナ長野 積雪量 270cm
27森吉山阿仁秋田 積雪量 260cm
28丸沼高原群馬 積雪量 260cm
29上越国際新潟 積雪量 260cm
30富良野道北 積雪量 260cm
31ニュー・グリーンピア津南新潟 積雪量 260cm
32黒伏高原スノーパーク ジャングル・ジャングル山形 積雪量 250cm
33赤倉観光リゾート新潟 積雪量 250cm
34川場群馬 積雪量 250cm
35スキージャム勝山福井 積雪量 250cm
36石打丸山新潟 積雪量 250cm
37魚沼須原新潟 積雪量 245cm
38ムイカスノーリゾート新潟 積雪量 240cm
39さかえ倶楽部長野 積雪量 240cm
40十日町市松代ファミリー新潟 積雪量 240cm
41NASPAスキーガーデン新潟 積雪量 230cm
42竜王スキーパーク長野 積雪量 230cm
43神立スノーリゾート新潟 積雪量 225cm
44美唄国設道央 積雪量 225cm
45ジュネス栗駒秋田 積雪量 225cm
46高鷲スノーパーク岐阜 積雪量 220cm
47福井和泉福井 積雪量 220cm
48たんばらスキーパーク群馬 積雪量 220cm
49安比高原岩手 積雪量 220cm
50星野リゾート トマム道北 積雪量 220cm
51湯沢中里スノーリゾート新潟 積雪量 220cm
52桂沢国設道央 積雪量 220cm
53野沢温泉長野 積雪量 215cm
54奥志賀高原長野 積雪量 210cm
55志賀高原 焼額山長野 積雪量 210cm
56ホワイトワールド尾瀬岩鞍群馬 積雪量 210cm
57斑尾高原長野 積雪量 210cm
58八海山麓新潟 積雪量 210cm
59岩原新潟 積雪量 210cm
60志賀高原 横手山・渋峠長野 積雪量 200cm
61小出新潟 積雪量 200cm
62鷲ヶ岳岐阜 積雪量 200cm
63たざわ湖秋田 積雪量 200cm
64志賀高原中央エリア タンネの森 オコジョ長野 積雪量 200cm
65ひだ流葉(国設ゲレンデ)(上部)岐阜 積雪量 200cm
66ダイナランド岐阜 積雪量 200cm
67志賀高原中央エリア 一の瀬山の神長野 積雪量 200cm
68志賀高原中央エリア 一の瀬ダイヤモンド長野 積雪量 200cm
69ニノックススノーパーク新潟 積雪量 200cm
70志賀高原 熊の湯長野 積雪量 200cm
71ハンターマウンテン塩原栃木 積雪量 200cm
72志賀高原中央エリア 高天ヶ原マンモス長野 積雪量 200cm
73志賀高原中央エリア 一の瀬ファミリー長野 積雪量 200cm
74HAKUBA VALLEY 鹿島槍スキー場(鹿島槍スポーツヴィレッジ)長野 積雪量 195cm
75めいほう岐阜 積雪量 195cm
76戸狩温泉長野 積雪量 195cm
77グランデコスノーリゾート福島 積雪量 195cm
78志賀高原中央エリア 寺小屋長野 積雪量 190cm
79五日町新潟 積雪量 190cm
80ウイングヒルズ白鳥リゾート岐阜 積雪量 190cm
81奥中山高原岩手 積雪量 190cm
82カムイスキーリンクス道央 積雪量 190cm
83ホワイトピアたかす岐阜 積雪量 190cm
84ルスツリゾート道央 積雪量 190cm
85網張温泉岩手 積雪量 190cm
86音威富士道北 積雪量 185cm
87北海道グリーンランドホワイトパーク道央 積雪量 183cm
88片品オグナほたか群馬 積雪量 180cm
89山形県最上町赤倉温泉山形 積雪量 180cm
90スノーパーク尾瀬戸倉群馬 積雪量 180cm
91かたしな高原群馬 積雪量 180cm
92水上高原スキーリゾート群馬 積雪量 180cm
93宝台樹群馬 積雪量 180cm
94妙高 杉ノ原新潟 積雪量 180cm
95HAKUBA VALLEY 白馬岩岳スノーフィールド長野 積雪量 180cm
96羽黒山山形 積雪量 180cm
97志賀高原中央エリア 東館山長野 積雪量 180cm
98湯沢パーク新潟 積雪量 180cm
99グランスノー奥伊吹滋賀 積雪量 180cm
100戸隠長野 積雪量 180cm

https://weather.goo.ne.jp/ski/ranking/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/935.html#c38

[近代史3] 呪われたスキー場 _ 妙高 新井スキー場(ロッテアライリゾート) 中川隆
124. 中川隆[-6962] koaQ7Jey 2021年3月02日 17:41:56 : FnXfRqdhm6 : NHdEMUozR20zbHc=[24]
スキー場積雪ランキング2021年3月2日更新
https://weather.goo.ne.jp/ski/ranking/

1ロッテアライリゾート新潟 積雪量 529cm
2ニセコマウンテンリゾート グラン・ヒラフ道央 積雪量 465cm
3湯殿山山形 積雪量 460cm
4関温泉新潟 積雪量 450cm
5夏油高原岩手 積雪量 420cm
6八甲田青森 積雪量 400cm
7キロロスノーワールド道央 積雪量 390cm
8シャルマン火打新潟 積雪量 370cm
9白山一里野温泉石川 積雪量 370cm
10札幌国際道央 積雪量 340cm
11ニセコアンヌプリ国際道央 積雪量 340cm
12白山千丈温泉セイモア石川 積雪量 340cm
13かぐら新潟 積雪量 340cm
14キューピットバレイ新潟 積雪量 335cm
15HAKUBA VALLEY 白馬八方尾根長野 積雪量 320cm
16赤倉温泉新潟 積雪量 315cm
17HAKUBA VALLEY エイブル白馬五竜長野 積雪量 310cm
18松之山温泉新潟 積雪量 310cm
19HAKUBA VALLEY Hakuba47ウィンタースポーツパーク長野 積雪量 310cm
20湯沢高原新潟 積雪量 300cm
21野沢温泉(やまびこゲレンデ)長野 積雪量 290cm
22舞子スノーリゾート新潟 積雪量 285cm
23スノーウェーブパーク白鳥高原岐阜 積雪量 280cm
24HAKUBA VALLEY 栂池高原長野 積雪量 274cm
25サッポロテイネ道央 積雪量 270cm
26HAKUBA VALLEY 白馬コルチナ長野 積雪量 270cm
27森吉山阿仁秋田 積雪量 260cm
28丸沼高原群馬 積雪量 260cm
29上越国際新潟 積雪量 260cm
30富良野道北 積雪量 260cm
31ニュー・グリーンピア津南新潟 積雪量 260cm
32黒伏高原スノーパーク ジャングル・ジャングル山形 積雪量 250cm
33赤倉観光リゾート新潟 積雪量 250cm
34川場群馬 積雪量 250cm
35スキージャム勝山福井 積雪量 250cm
36石打丸山新潟 積雪量 250cm
37魚沼須原新潟 積雪量 245cm
38ムイカスノーリゾート新潟 積雪量 240cm
39さかえ倶楽部長野 積雪量 240cm
40十日町市松代ファミリー新潟 積雪量 240cm
41NASPAスキーガーデン新潟 積雪量 230cm
42竜王スキーパーク長野 積雪量 230cm
43神立スノーリゾート新潟 積雪量 225cm
44美唄国設道央 積雪量 225cm
45ジュネス栗駒秋田 積雪量 225cm
46高鷲スノーパーク岐阜 積雪量 220cm
47福井和泉福井 積雪量 220cm
48たんばらスキーパーク群馬 積雪量 220cm
49安比高原岩手 積雪量 220cm
50星野リゾート トマム道北 積雪量 220cm
51湯沢中里スノーリゾート新潟 積雪量 220cm
52桂沢国設道央 積雪量 220cm
53野沢温泉長野 積雪量 215cm
54奥志賀高原長野 積雪量 210cm
55志賀高原 焼額山長野 積雪量 210cm
56ホワイトワールド尾瀬岩鞍群馬 積雪量 210cm
57斑尾高原長野 積雪量 210cm
58八海山麓新潟 積雪量 210cm
59岩原新潟 積雪量 210cm
60志賀高原 横手山・渋峠長野 積雪量 200cm
61小出新潟 積雪量 200cm
62鷲ヶ岳岐阜 積雪量 200cm
63たざわ湖秋田 積雪量 200cm
64志賀高原中央エリア タンネの森 オコジョ長野 積雪量 200cm
65ひだ流葉(国設ゲレンデ)(上部)岐阜 積雪量 200cm
66ダイナランド岐阜 積雪量 200cm
67志賀高原中央エリア 一の瀬山の神長野 積雪量 200cm
68志賀高原中央エリア 一の瀬ダイヤモンド長野 積雪量 200cm
69ニノックススノーパーク新潟 積雪量 200cm
70志賀高原 熊の湯長野 積雪量 200cm
71ハンターマウンテン塩原栃木 積雪量 200cm
72志賀高原中央エリア 高天ヶ原マンモス長野 積雪量 200cm
73志賀高原中央エリア 一の瀬ファミリー長野 積雪量 200cm
74HAKUBA VALLEY 鹿島槍スキー場(鹿島槍スポーツヴィレッジ)長野 積雪量 195cm
75めいほう岐阜 積雪量 195cm
76戸狩温泉長野 積雪量 195cm
77グランデコスノーリゾート福島 積雪量 195cm
78志賀高原中央エリア 寺小屋長野 積雪量 190cm
79五日町新潟 積雪量 190cm
80ウイングヒルズ白鳥リゾート岐阜 積雪量 190cm
81奥中山高原岩手 積雪量 190cm
82カムイスキーリンクス道央 積雪量 190cm
83ホワイトピアたかす岐阜 積雪量 190cm
84ルスツリゾート道央 積雪量 190cm
85網張温泉岩手 積雪量 190cm
86音威富士道北 積雪量 185cm
87北海道グリーンランドホワイトパーク道央 積雪量 183cm
88片品オグナほたか群馬 積雪量 180cm
89山形県最上町赤倉温泉山形 積雪量 180cm
90スノーパーク尾瀬戸倉群馬 積雪量 180cm
91かたしな高原群馬 積雪量 180cm
92水上高原スキーリゾート群馬 積雪量 180cm
93宝台樹群馬 積雪量 180cm
94妙高 杉ノ原新潟 積雪量 180cm
95HAKUBA VALLEY 白馬岩岳スノーフィールド長野 積雪量 180cm
96羽黒山山形 積雪量 180cm
97志賀高原中央エリア 東館山長野 積雪量 180cm
98湯沢パーク新潟 積雪量 180cm
99グランスノー奥伊吹滋賀 積雪量 180cm
100戸隠長野 積雪量 180cm

https://weather.goo.ne.jp/ski/ranking/
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