55. 2021年5月12日 22:47:49 : 7HUOxS74m2 : NFlPVEpFL0xBU1k=[1]
>26さん
比喩ではないですよ。 薙刀ももあり竹ヤリもありだったのでしょう。
戦中に生きた母親は、小学校(尋常小学校)も兄弟の面倒や母親(祖母)の手伝いで満足に
行けなかったようですが、戦争に勝ち目の無いことはわかっていたようです。
竹ヤリ訓練は、B29を撃墜しパラシュートで米兵が地上に降りた時に備えての訓練。
薙刀でも同じ。 学校に行っていない母親でも「竹ヤリでB29を落とす」と言わなかった。
地方に住んでいて、B29の飛来は、昔のガラス窓(すりガラス)の振動でわかり、
田舎は艦載機(空母の攻撃機)の機銃掃射が恐ろしかったと。 B29の飛来に高射砲や
迎撃機で応戦していたが、B29の飛行高度まで、高射砲も迎撃機も、とどかなったのを眺め
ていたと。 また、田舎は、都市攻撃後の帰投で、残る爆弾を落とす(機体を軽くする)ので
怖かったと。 防火は必要としても、竹ヤリ訓練は撃墜できないので無意味とわかっていたとか。
比喩として使う政治記事ので「踏み絵」。 キリシタンが転ぶ(改宗)と習うのだと思う。
その意味から、賛成反対のどちらかに転ぶとして使う。 踏み絵は、江戸時代の国民の
ほとんどを仏教徒(寺院に帰属)させた政策になる。 「南蛮誓詞」「日本誓詞」という
転び証文をもとに、寺院の戸籍制度(寺請制)が始まっていった。 時代劇の無宿人は、
寺院の戸籍簿から外れた者、戸籍管理の寺院は、通行手形(パスポート)、出生死亡、
婚姻、転入転出の証文を発行していた。 キリシタンでは、転ばない信者は、江戸送り。
江戸の切支丹屋敷に送られた。 新井白石と宣教師シドッチが歴史に残る。
改宗したキリシタンでも、耳孫(5代)までキリシタン類族帳で追跡された。 戦中の隣組は、
江戸時代の五人組を真似たもの。 この五人組仕置(百姓の掟)は、キリシタンと浪人対策
として始まった。 踏み絵も比喩として使う際に、宗教政策を知っているのか疑問ですね。