22. アラハバキ[377] g0GDiYNug2@DTA 2024年8月17日 06:48:03 : p4Sv7Gm4fA : NFBVbElnYnF1dC4=[1]
マスコミで垂れ流されているような平準的視点から離れて
被写体に対し、もっとズームアップしたり遠景的に見たりしないと
見えてこないと思うんだよね。
ここでいわれてる
特攻のような自爆攻撃が可能となるには集団主義に加えて
死の崇拝文化という背景性が必要だったりするんだよ。
その一つとしてテロで国を奪った薩長の思想が
尾を引いている面はあると思うね。
(招魂教を東京へ持って来て神社(東京招魂社)としたのも彼ら)
薩摩の「捨て奸」なども歴史的には有名な自爆戦術だろう。
戦前戦後の死の崇拝文化については
集団イズムの日本独特なところがあって、
例えば、
敗戦国であろうが戦勝国であろうが、・空襲で負傷した市民や遺族
・戦死した兵士と遺族、それぞれに国家から保障があるんだけど、
日本はそうじゃない→
GHQと自民党政治は、空襲で死んだ無辜の市民何十万人と
その遺族&負傷者の救援は捨て置いて特攻はクローズアップし、
多くの日本国民もそれで留飲を下げた。
なぜそうなったかと言えば、一つとしては
アメリカがやった虐殺規模が大き過ぎたことがある。
もう一つとして集団主義による全動員によって
兵士の食料・衣服や戦闘機の製造まで全国民体制で支え
それを背負って代表してるのが特効兵であるという意識が
軍人・民間双方に浸透していることが挙げられる。
(オリンピアンが「皆さんに支えられて」と
常に集団に気遣う姿勢と共通するものはある)
それだけの労力と「思い」が連なっているのだから、
特効による死に対し意義を持たさざるを得なくなる図式だ。
ここに一般人市民の死と保障がすっとばされてしまう
乖離がうまれるというわけ。
個人主義社会が 市民の自律性と
合理的な自己選択を思想中心に据えているが故
集団への帰属意識と忠誠が必要な特効戦術は
無理であるというのも対比的に見えてくるでしょ。
http://www.asyura2.com/24/senkyo295/msg/307.html#c22