http://www.asyura2.com/acat/n/ne/nej/NEJNVjVPL3B6Skk=/100000.html
1. 2022年1月24日 04:50:41 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[1]
ブラームス: 交響曲第1番
ヘルマン・アーベントロート 、 バイエルン国立管弦楽団
爆演の金字塔、ブラ1演奏史に輝く凄演。
アーベントロート+バイエル国立管アカデミーコンサート1956
これが没年の演奏と言うことが信じられないアーベントロート会心の名演。爆演中の爆演であるブラ1がUHQCD化。すっかり東ドイツの人になっていたアーベントロートが珍しくバイエルン国立歌劇場管弦楽団(バイエルン国立管)の定期演奏会である「アカデミーコンサート」に登場。冒頭からして力こぶが盛り上がる様な雄々しく逞しいサウンドに圧倒されます。剛直でセンチメンタリズムに堕さない第2楽章。疾走する第3楽章。そして白眉は勿論のことフィナーレで、物をぶっ壊すかのようなティンパニの強打、旋律美が壊れるのを無視してまでブロック的に楽想を分断し、思う存分の変化をつけまくる超個性的解釈!アーベントロート屈指の名演として名高いものです。この前日には同会場でクナッパーツブッシュがミュンヘンフィルと演奏会を開いていたと言う正に神々の時代の記録。至高音質として知られたDISQUES REFRAIN盤のマスターを使用。テープの傷は可能な限り修正しUHQCD化しました。英日のライナーノート付です。
ミューズ貿易
【曲目】
ブラームス:交響曲第1番
[13:00][9:02][4:21][15:03]
【演奏】
アーベントロート指揮
バイエルン国立管
【録音】
1956年1月16日
バイエル国立管弦楽団アカデミーコンサート
ミュンヘン・ドイツ博物館ライヴ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/689.html#c1
2. 2022年1月24日 04:55:06 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[3]
アーベンロートの芸術 ヘルマン・アーベンロート
http://www.heibonnotomo.jp/classic/id23.htm
凄まじい情熱!ついに原音で蘇ったドイツの巨匠!! 宇野功芳監修によるアーベントロートのCDベスト5、ハイパー・リマスタリングでよみがえる!
今こそ聴くべし、アーベントロート!【宇野功芳】
アーベントロートは旧東ドイツで活躍していたため、もう一つ知名度が弱いが、フルトヴェングラーより3歳年上のこの巨匠の個性は極めて強烈で、ブラームスの一番と「悲愴」はフルトヴェングラーよりもはるかに雄弁であり、「第九」も部分的に上まわる。一方、ハイドンやモーツァルトの交響曲における、きりりとした造型の中に宿る豊かな内容は、この指揮者の芸風の広さを示して余すところがない。今こそ聴くべし、アーベントロート!
ヘルマン・アーベントロート(1883-1956)はフルトヴェングラー(1886-1954)やクナッパーツブッシュ(1888-1965)と同世代のドイツの巨匠指揮者。旧東ドイツのライプツィヒを拠点に活躍していたため、西側にとっては”幻”の指揮者であったが、ドイツシャルプラッテンと契約した徳間音工が”幻”の音源を発掘、1974年はじめてLPシリーズで発売、宇野功芳氏の推薦紹介とあいまって、業界に大反響をまきおこしたであった。その後CD化されたが、国内LP盤の音質には達していないのがファンの不満でもあった。そのCDも長らく廃盤になっている中、宇野功芳氏がLPで20枚分ある音源の中から自ら推薦演奏のみ厳選し全曲を解説、キング独自のハイパー・リマスタリング技術を施して発売!
ハイパー・リマスタリングとは歴史的アナログ録音の持ち味を最大限デジタル・マスタリングに生かすべく@管球式ハイパワー・ライン・アンプの使用A純粋正弦波交流電源の使用B伝送系ケーブルの使い分け−等々マスタリングの機器や周辺環境を整備して行う、当社独自の技術です。“世界最高水準の音質”との評価を誇るスーパー・アナログ・ディスクの技術に裏打ちされた、わが社のみが成しえる職人芸術の粋をCDで堪能できます。
アーベンロートの芸術 ヘルマン・アーベンロート 各巻
SOLD OUT
ヘルマン・アーベンロート
@ハイドン:交響曲 第88番ト長調「V字」
Aハイドン:交響曲 第97番ハ長調
Bヘンデル:管弦楽のための二重協奏曲第3番 ヘ長調
ヘルマン・アーベントロート指揮 @ライプツィヒ放送交響楽団 ABベルリン放送交響楽団
録音:@ 1956年ライプツィヒ放送局スタジオ(SRKホール) A1956年ベルリン放送局スタジオ(SRKホール)B1955年9月15日ベルリン放送局スタジオ(SRKホール)
ヘルマン・アーベンロート
モーツァルト:
@交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」
Aディベルティメント第7番ニ長調K.205(167A)
B四つのオーケストラのためのセレナード ニ長調K.286(269A)
ヘルマン・アーベントロート指揮 @ライプツィヒ放送交響楽団 Aライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 Bベルリン放送交響楽団
録音:@A1956年3月26日ライプツィヒ放送局スタジオ(SRKホール) B1956年4月12日ベルリン放送局スタジオ(SRKホール)
ヘルマン・アーベンロート
ベートーヴェン:交響曲第9番 二短調Op.125「合唱付き」
ヘルマン・アーベントロート指揮 ライプツィヒ放送交響楽団/エディット・ラウクス(ソプラノ)/ディアナ・オイストラティ(アルト)/ルートヴィヒ・ズートハウス(テノール)/カール・パウル(バス)/ライプツィヒ放送合唱団/ライプツィヒ音楽大学合唱団
録音:1951.06.29ライプツィヒ放送局スタジオ(SRKホール)
ヘルマン・アーベンロート
ブラームス:
@交響曲第1番ハ短調Op.68
A交響曲第3番ヘ短調Op.90
ヘルマン・アーベントロート指揮 ライプツィヒ放送交響楽団
録音:@1949年10月20日ライプツィヒ放送局スタジオ(SRKホール)A1952年3月17日ライプツィヒ・コングレスハーレ
ヘルマン・アーベンロート
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調Op.74「悲愴」
ヘルマン・アーベントロート指揮 ライプツィヒ放送交響楽団
録音:1952年1月28日ライプツィヒ放送局スタジオ(SRKホール)
アーベントロートのプロフィール
1883年フランクフルトの大きな書籍商の息子として生まれた。7歳からヴァイオリンを始める。
1900年からミュンヘン音楽院でフェリックス・モットルに指揮法を、ルートヴィヒ・テュイレに楽理と作曲を、ピアノはアンナ・ランゲンハム・ヒルツェルに師事した。
1905年からリューベック市でプロの指揮者としてスタートする。
1911年から1914年までエッセン市の音楽監督をつとめた。
1914年ケルン音楽院の院長となり、1915年から1934年までケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団を指揮。1918年にケルン市の音楽監督に就任。1919年教授になる。
1922年からはベルリン国立歌劇場でも指揮し始める。
1934年1月、ナチス・ドイツより「ナチスの政策に非協力的であること」「ユダヤ人社会ならびにユダヤ人とその文化に好意的であること」などの理由から、ケルン音楽大学学長などの職務を解任され、公職追放された。同年、ライプツィヒに移住。ブルーノ・ワルターが亡命して空席となっていたライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団常任指揮者に就任し、終戦まで務めた。
1943年・1944年バイロイト音楽祭でニュルンベルクのマイスタージンガーを指揮。
1945年末にゲヴァントハウス管弦楽団を退任し、翌1946年よりヴァイマル音楽大学学長ならびにリスト博物館館長に着任。
1949年よりライプツィヒでの指揮活動を再開し、ライプツィヒ放送交響楽団首席指揮者に、1953年からは ベルリン放送交響楽団首席指揮者に就任。
1949年08月25日ドイツ民主共和国から国家賞を受賞。
戦後は東ドイツに留まったが、西ドイツのオーケストラへも度々客演している。1951年にはプラハの春音楽祭に東ドイツ代表として参加。1954年から1955年まで、東欧各地やバルカン半島でも演奏活動を行っている。1956年5月下旬、イェナに演奏旅行で滞在中に脳卒中に倒れ、いったんは手術により小康状態を保つが、5月29日に病院内の庭を散策中に再び倒れ、そのまま帰らぬ人となった。葬儀は6月2日に、東ドイツにより国葬として行われた。
戦後の10年間、東西に分割されたドイツ楽壇において、西のフルトヴェングラーに対し東ではアーベントロートのみが最重鎮としてその存在をあらしむものであった。
http://www.heibonnotomo.jp/classic/id23.htm
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/689.html#c2
3. 2022年1月24日 04:56:56 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[4]
■指揮者アーベントロートについて
http://www.sakaiyama.jp/conduct_brahms.html#:~:text=%E3%80%8C%E3%80%8E%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%BB,%E3%83%A0%E3%82%B9%E6%BC%94%E5%A5%8F%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%82
このところ、「爆演指揮者」という形容がつくことの多いアーベントロートですが、資料によっては
「楽譜の代弁者」
「作曲家の書いたスコア・作曲家の意図に対し忠実、温かみのある表現」
という説明がされています。
(アーベントロート70歳の誕生日に寄せて文章を書いているProf.Dr. カール・ラウクス [ LP・ET-1514の解説書に日本語訳が載っている ]によると、 アーベントロートという指揮者は以下の様な表現になっている。)
>「彼は多くの指揮者がするように楽譜を勝手に独自の解釈で演奏するのではなく、楽譜に書かれた内容を 作曲家の意思の伝達道具であることに常に敬意を払い、偉大なエネルギーと精神的熱慮をもって 実際の音に移し変えていった。」
>「ドイツ古典派のモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス(フリッツ・シュタインバッハの真の意味の後継者として!)、 そしてブルックナーが特に彼の心のよりどころであったが、外国の芸術に対しても決して拒否反応は 示さなかった。いや、まったくその逆で、世界の音楽史上で有名な曲の多くが彼によってドイツで 初演された・・・・・」
■指揮者と「ブラームス・シュタインバッハの伝統」について
(1)「ブラームス・シュタインバッハの伝統」に基づいた演奏
次の太字の部分は、ブラームス演奏における「ブラームス・シュタインバッハの伝統」と指揮者に関することで色々伺った話をまとめたもの。
「『ブラームス・シュタインバッハの伝統』とは、テンポを自在に変え、シュタインバッハの楽譜への書き込みに基づいたブラームス演奏のこと。
この伝統に忠実なのはアーベントロート。
ヴァント、サヴァリッシュ、ベームのブラームスは楽譜の範囲内で『ブラームス・シュタインバッハの伝統』を解釈している。
(よくアーベントロートの指揮を19世紀的と言う人がいるが、実際にはそうではない、とのこと。)
ブラームスの演奏における『ブラームス・シュタインバッハの伝統』をシュタインバッハから継いだのは、ライナー、ストラヴィンスキー、アーベントロート。 アーベントロートから教わったのが、ヴァント。
なお、サヴァリッシュ・ベームは誰から教わったのかははっきりとは分からないが、サヴァリッシュ・ベームの振るブラームスも『ブラームス・シュタインバッハの伝統』の系統の演奏と考えられる。」
「ムラヴィンスキーのブラームスも『ブラームス・シュタインバッハの伝統』に基づいていて(誰から教わったのかは不明)、振り方そのものは大変近代的、モダンである。」
「ノリントン、マッケラスはシュタインバッハの楽譜への書き込みを意識してはいる。しかしその演奏そのものは『ブラームス・シュタインバッハの伝統』の再現というのとは少し違うようだ。」
「一方、クナッパーツブッシュの振るブラームスは『ブラームス・シュタインバッハの伝統』とは、異なる。クナッパーツブッシュはブラームスが楽譜に書いた通りにやろうとしていて、テンポを途中で変えないやり方。R.シュトラウスやセル、チェリビダッケの指揮するブラームスも同じ系統。」
「なお、トスカニーニはシュタインバッハのブラームス演奏を大変意識してはいたが、トスカニーニの演奏は「歌う」部分が強いので、この2つの系統とはまた異なるブラームス演奏と考えられる。」
(2)次に、「(1)以外」の点について以下に補足しておきます。
(1)の内容に関して思ったのですが、ブラームスの演奏をする時に楽譜通りにやるか、あるいはプラスアルファの要素としてシュタインバッハのやり方を取り入れるかどうか、その辺が指揮者自身の考え方により違うのだろうか、と思います。
ブラームスの演奏解釈を研究されている方などが、現在では
「ブラームス・シュタインバッハの伝統」
「マイニンゲンの伝統 ( Meiningen Tradition )」
というキーワードを度々使われることがあります。
しかし、アーベントロートやヴァント、サヴァリッシュなど、実際にシュタインバッハの楽譜への書き込みに基づいたブラームス演奏をしている指揮者達は、こうしたキーワードを使って説明したりすることはなかったのだそうです。
アーベントロートは
「ブラームス先生から教わったシュタインバッハ先生から、自分は教わったんだけど」
という感じで説明をしていたらしいです。また、アーベントロートから教わった方も
「シュタインバッハ先生が言ってたこと」
「シュタインバッハ先生から教わったことを、アーベントロート先生はこう言っていた」
という感じで説明していたそうです。
「マイニンゲンの伝統」とは、シュタインバッハに師事したことのあるヴァルター・ブルーメという人物が最初に呼んだものだそうですが、その後、ブラームス研究をする方のうち「シュタインバッハの楽譜への書き込み」に着目した人々(ウォルター・フリッシュなど)がこの「マイニンゲンの伝統」というキーワードを使うようになっています。
一方、アーベントロートが教えた指揮者、音楽家など、演奏する側の人々は
「シュタインバッハ先生が言ってたこと」
そういう言い方をされている。
この「シュタインバッハの書き込み」に関し研究者が本に書いたり論文で検証している内容というのは、演奏をしている現場でのやり取り、 指揮者や音楽家達の直接の伝承とはイロイロ異なる点などあるかもしれませんので、重く考え過ぎてはいけないのかもしれません。 (私、境山の個人的な感想ですが。)
また、「**の伝統」というキーワードが独り歩きすることも、余り好ましくないことなのかもしれません。
(シュタインバッハとトスカニーニは、どういうつながりがあったかは分からないのですが)
シュタインバッハの指揮するブラームスを聴いた経験のあるトスカニーニは
ニューヨークのある社交の場で、その演奏を聴いた時のことを
「それは素晴らしかった。音楽が難なくそう進んでいったのだ」
と語った、という話が伝わっているのだそうです。
ヴァントは、正しいテンポとは何か、という問いに対して
「・・ブラームスの交響曲や、ムソルグスキー/ラヴェルの『展覧会の絵』のような 管弦楽作品で大事なのは、むしろ、演奏のテンポが全体として納得できるものであること、 つまり『正しい』と感じられることなのである。」
ということを語っており、その際にこの、シュタインバッハの指揮するブラームスを聴いた トスカニーニの話に触れています。
「ギュンター・ヴァント」
ヴォルフガンフ・ザイフェルト( Wolfgang Seifert )著、根岸一美訳
(音楽之友社)
P.291-P.297 参照
「 Performing Brahms 」
アメリカのコロンビア大学音楽科の教授、ウォルター・フリッシュ(Walter Frisch)はこの本「 Performing Brahms 」の
Chapter 10
In search of Brahms's First Symphony :
Steinbach, the Meiningen tradition, and the recordings of Hermann Abendroth
ここで、
「アーベントロートのブラームス解釈がシュタインバッハの書き込みに一番近く、
ビューロー・シュタインバッハからの生きた伝統をアーベントロートは継承した」
と述べています。
「 Performing Brahms 」に関わった
ベルナルド・D・シェルマン( Bernard D. Sherman ) 氏、
私はこの方のサイトは2002年頃に気付いたのですが、
http://homepages.kdsi.net/~sherman/performingbrahms.htm
http://www.bsherman.org/mack.html
シェルマン自身がサイトでも書いていましたが、「シュタインバッハの楽譜への書き込み」を ノリントン、マッケラスも参考にして Meiningen Tradition のブラームス演奏を試みているけれども、 例えばマッケラスの演奏はシュタインバッハの書き込みとは異なる部分もある、等述べており、 シェルマンも、シュタインバッハのブラームス演奏については Meiningen Tradition に直接の接点が 有ったアーベントロートの演奏に注目しています。
(3)以下は 「 Performing Brahms 」が出版される前に
2003年01月時点で私が自分なりに調べてまとめた中からの転記。
Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは、 1914〜1915年にかけフリッツ・シュタインバッハ( Fritz Steinbach 1855〜1916)に師事したヴァルター・ブルーメ( Walter Blume )という人が呼んだもの。 ( Brahms in der Meininger Tradition )
ブルーメは、シュタインバッハがブラームスの4つの交響曲とブラームス・ハイドンの主題による変奏曲の楽譜に書き込んだものを転記して、1933年に出版している人なのですが、ブルーメによると 「マイニンゲンの伝統的演奏では、正確なリズムと常に変化する柔軟性のあるテンポとは、相互協力の関係にあった」
とのこと。
1886年、ビューローからマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra )を引継いだのがシュタインバッハ。マイニンゲン宮廷楽団というのは、ビューローによって鍛えられ、その緻密なアンサンブルにより当時高く評価を受けていたオーケストラ。シュタインバッハ自身はブラームスの指揮を手本にして演奏、マイニンゲン宮廷楽団の演奏を信頼していたブラームス自身が、シュタインバッハのブラームス演奏を評価していた。
シュタインバッハの書き込みというのは、ブラームス自身は楽譜にはテンポを変えるような指示はしていない部分で、詳細にテンポに関し指示しているなど、楽譜通りではない箇所があるとのことです。ブラームスと直接の接点を持っていたシュタインバッハが、指揮者としての考えで書き込みをしているのか、それとも、作曲家自身に確認を取って書き込んだものなのか、この点は不明です。
音楽家や音楽学者の間で現在でも 「 Meiningen Tradition 」 はまだ研究中であるらしいが、マイニンゲン宮廷楽団を鍛えたビューロー、そのマイニンゲン宮廷楽団を 継いでブラームス本人にもその演奏を評価されたシュタインバッハ、そしてケルンのギュルツェニヒ管弦楽団という接点でアーベントロートと直接つながりのあった シュタインバッハからアーベントロートへ、そしてアーベントロートからヴァントへ引き継がれていった、ブラームスの演奏解釈、それが Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」
と呼ばれるものだとのこと。
なお、アーベントロートが自分の教え子にブラームスの演奏解釈を教えた際には、 Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは言っていない。
「ブラームス先生から教わったシュタインバッハ先生から、自分は教わったんだけど」
と、教え子には演奏のテンポ等の説明をしていたらしい。
なお、アーベントロートのブラームス演奏というのは、この Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統)とイコールということでは「無い」。
アーベントロートの演奏は、 Passion を抑えきれていない時があって、そのため楽譜や演奏解釈を超えてテンポが変わることがある、ということなんですが、 しかしそれでも結果として「演奏のテンポが全体として納得できるものである」演奏になっているので、素晴らしい演奏であり、 Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統)の流れの中から生れた演奏として考えられる、とのこと。
http://www.sakaiyama.jp/conduct_brahms.html#:~:text=%E3%80%8C%E3%80%8E%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%BB,%E3%83%A0%E3%82%B9%E6%BC%94%E5%A5%8F%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%82
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/689.html#c3
4. 中川隆[-14087] koaQ7Jey 2022年1月24日 04:58:19 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[5]
■ Performing Brahms ■
Cambridge University Press ISBN : 0521652731
2003.11-2004.01 境山
http://www.sakaiyama.jp/performing_brahms.html
「 Performing Brahms 」
この本、やっと2003年10月出版になりました。
http://books.cambridge.org/0521652731.htm
2002年秋に見た時には2003年1月出版予定だったのが、3月→4月→5月→6月→7月→8月→9月→10月、と 出版予定が遅れた、という・・・。 (私自身は以前丸善へ注文してたので、2003年10月29日にこの本入手しました。 自分は楽器演奏経験の無いリスナーなもので、分からない点を人に伺って教わりながらに なりますので、読んで知ったことをサイトへ反映させるまでには大変時間がかかります。 すみません・・・・・。)
◇◇◇
(1) まず、本の内容詳細はコチラ。この本の編集者であるベルナルド・D・シェルマン ( Bernard D. Sherman ) 氏のサイトへ。
http://homepages.kdsi.net/~sherman/performingbrahms.htm
なお、本の入手はしたいがお急ぎではないという方の場合、ネット通販がやはり便利かと思います。
「 Performing Brahms 」@ www.amazon.co.jp
◇◇◇
(2) この本が出る前から私が読みたくて仕方が無かったのが、この第10章。
Chapter 10
In search of Brahms's First Symphony :
Steinbach, the Meiningen tradition, and the recordings of Hermann Abendroth
( Walter Frisch --- アメリカのコロンビア大学音楽科の教授、ウォルター・フリッシュ)
自分はシロウトなので残念ながら翻訳出来るほどには キチンとは読めている訳では無いのですが・・・・・。
この Chapter 10 をざっと読んでみると、この章でフリッシュ教授は、
「アーベントロートのブラームス解釈が シュタインバッハの書き込みに一番近く、ビューロー・シュタインバッハから の生きた伝統をアーベントロートは継承した」
と述べています。
そしてこの第10章の要点は、p.294のココだと思いました。 フリッシュはココを言うために色々な根拠を提示した、という感じがします。
[ p.294 , Fig.10.1 ]
Fig.10.1 では
・ビューローからシュタインバッハ、そしてアーベントロートへ、という Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」継承の流れと、
・ブラームスが評価した若手指揮者がシュタインバッハとモットルだったが、そのモットルから アーベントロートは学んだ、
ということに関して記述している。
◇◇◇
(3) 付属CDの内容です。本の巻末の記載から参照。:
1. The Violin Playing of Joseph Joachim
Track 1. Bach : Bourrée (Partita in B minor)
Track 2. Bach : Adagio (Sonata in G minor)
Track 3. Joachim : Romance in C major
2. Brahms : Ein deutsches Requiem
Track 4. Fifth Movement , bars 1-26 : Furtwängler / Musikaliska Sällskapet Kor; Stockholms Konsertförenings Orkester, Kerstin Lindberg-Torlind, soprano (1948)
3. Brahms : Symphonies
Excerpts from Symphony No. 1 : First movement, bars 117-158
Track 5 Abendroth / London Symphony 1928
Track 6 Weingartner / London Symphony 1939
Finale, bars 1-13
Track 7 Abendroth / London Symphony 1928
Track 8 Stokowski / Philadelphia1927
Track 9 Klemperer / Berlin State Opera 1928
Finale, bars 279-302
Track 10 Abendroth / London Symphony 1928
Track 11 Walter / Vienna Philharmonic 1937
Track 12 Furtwängler / Berlin Philharmonic (1945)
Finale, bars 386-396
Track 13 Abendroth / London Symphony 1928
Track 14. Walter / Vienna Philharmonic 1937
Track 15 Furtwängler / Berlin Philharmonic (1945)
Excerpts from Symphony No. 3 , Third movement (to letter C)
Track 16 Clemens Kraus / Vienna Philharmonic 1930
Track 17 Walter / Vienna Philharmonic, 1937
4. Brahms. Piano Music
Track 18 Trio in C Minor, op. 101: opening of the third movement as rendered impromptu by Ilona Eibenschütz (recorded by the BBC, 1952)
Track 19. Ballade in G Minor, Op. 118/3 Ilona Eibenschütz, piano
Track 20. Intermezzo in E minor, Op. 119/2. Ilona Eibenschütz, piano
Track 21. Intermezzo in E flat, Op.117/1. Adelina de Lara
Track 22. Rhapsody in G minor, Op. 79/2. Adelina de Lara.
Track 23. Capriccio in B minor, Op 76/2. Alfred Grünfeld.
Track 24. Waltz in E, Op 39/2. Ilona Eibenschütz;
Track 25. Waltz in E, Op 39/2: Alfred Grünfeld.
Track 26. Waltz in A flat, Op. 39/15: Ilona Eibenschutz, piano
Track 27. Waltz in A flat, Op. 39/15: Alfred Grünfeld
5. Brahms in the Style Hongrois
Track 28. Brahms : Hungarian Dance No 1 in G minor (Johannes Brahms ,piano): cylinder. Digitally remastered by Jonathan Berger.
Track 29. Brahms : Hungarian Dance No. 1 in G minor. (Joseph Joachim, violin)
Track 30. Brahms : Hungarian Dance No. 2 in D minor. (Joseph Joachim, violin)
Track 31. Brahms : Hungarian Dance No.1 in G minor (Leopold Auer, violin)
Track 32. Brahms : Hungarian Dance No.7 in A major: Bronislaw Huberman, violin)
Track 33. Brahms : Hungarian Dance No.6 in E-flat major: Henri Marteau, violin)
Track 34. Brahms : Hungarian Dance No. 5 in G minor (Eugène Ysaÿe: violin)
Track 35. Brahms : Clarinet Quintet, Op. 115, Second movement, bars 52-86 Charles Draper / Lener Quartet,
・「 Performing Brahms 」付属CDの
Brahms in the Style Hongrois この中で、
Track 28. Brahms : Hungarian Dance No 1 in G minor ( Johannes Brahms , piano )
: cylinder. Digitally remastered by Jonathan Berger.
エジソンがシリンダー方式の蓄音機「フォノグラフ(Phonograph)」を発明したのは1877年。
このTrack 28の録音の当時は蝋管式蓄音機。
1889年にトーマス・エジソンのアシスタントの方がウィーンを訪れて、その時、幸運にも ブラームス自身が Hungarian Dance とシュトラウスのワルツをピアノでひいたので、 蝋管(シリンダー)による録音が一部残ったのだそうです。
このTrack 28は、 Hungarian Dance No. 1 だ、というのは、何とか分かる・・・という程度です。
最初、ブラームス御本人(?)が何かワーワー喋っている様子なんですが 全然分からないので、ドイツ語の堪能な知人(日本人)に伺いますと
「さっぱり分からない」
とのことでした。
(あの声はブラームスのものでは無い、という話も聞いたことがあります。)
「山野楽器:ピアニズムの20世紀」の 「第1回 失われた響き−SP録音最初期のピアニストたち」のこちらの記事では
>ブラームスがエジソンのために蝋管録音した『ハンガリー舞曲』・・・この中で
>「ミスター・エジソン! アイ・アム・ブラームス! ドクター・ブラームス!」と
>甲高い声で叫んでいるブラームスの声
とありました。
◇◇◇
(4)以下は「 Performing Brahms 」が出版される前の、
2003年01月時点で自分なりに調べてまとめた中からの転記。
Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは、 1914〜1915年にかけフリッツ・シュタインバッハ( Fritz Steinbach 1855〜1916)に 師事したヴァルター・ブルーメ( Walter Blume )という人が呼んだもの。
( Brahms in der Meininger Tradition )
ブルーメは、シュタインバッハがブラームスの4つの交響曲とブラームス・ハイドンの主題による変奏曲 の楽譜に書き込んだものを転記して、1933年に出版している人なのですが、ブルーメによると
「マイニンゲンの伝統的演奏では、正確なリズムと常に変化する柔軟性のあるテンポとは、 相互協力の関係にあった」
とのこと。
1886年、ビューローからマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra )を 引継いだのがシュタインバッハ。マイニンゲン宮廷楽団というのは、ビューローによって鍛えられ、 その緻密なアンサンブルにより当時高く評価を受けていたオーケストラ。 シュタインバッハ自身はブラームスの指揮を手本にして演奏、マイニンゲン宮廷楽団の演奏を信頼していた ブラームス自身が、シュタインバッハのブラームス演奏を評価していた。
シュタインバッハの書き込みというのは、ブラームス自身は楽譜にはテンポを変えるような指示はしていない 部分で、詳細にテンポに関し指示しているなど、楽譜通りではない箇所があるとのことです。 ブラームスと直接の接点を持っていたシュタインバッハが、指揮者としての考えで書き込みをしているのか、 それとも、作曲家自身に確認を取って書き込んだものなのか、この点は不明です。
音楽家や音楽学者の間で現在でも 「 Meiningen Tradition 」 はまだ研究中であるらしいが、 マイニンゲン宮廷楽団を鍛えたビューロー、そのマイニンゲン宮廷楽団を継いで ブラームス本人にもその演奏を評価されたシュタインバッハ、そして ケルンのギュルツェニヒ管弦楽団という接点でアーベントロートと直接つながりのあった シュタインバッハからアーベントロートへ、そしてアーベントロートから ヴァント、サヴァリッシュへ引き継がれていった、ブラームスの演奏解釈、それが
Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」
と呼ばれるものだとのこと。
なお、アーベントロートが自分の教え子にブラームスの演奏解釈を教えた際には、 Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは言っていない。
「ブラームス先生から教わったシュタインバッハ先生から、自分は教わったんだけど」
と、教え子には演奏のテンポ等の説明をしていたらしい。
アーベントロートのブラームス演奏というのは、この Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統) とイコールということでは無い。
アーベントロートの演奏は、 Passion を抑えきれていない時があって、そのため楽譜や演奏解釈を超えて テンポが変わることがある、ということなんですが、しかしそれでも結果として 「演奏のテンポが全体として納得できるものである」演奏になっているので、素晴らしい演奏であり、 Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統)の流れの中から生れた演奏として考えられる、とのこと。
http://www.sakaiyama.jp/performing_brahms.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/689.html#c4
5. 2022年1月24日 04:59:17 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[6]
■ アーベントロートと Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統) ■
2003.01 境山
http://www.sakaiyama.jp/abendroth_brahms.html
アーベントロートとブラームスに関して調べるうちにたどり着いたキーワードが
Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」
です。
私なりに調べたことなどを、まとめて書いてみたいと思います。
◇◇◇
以下の話へと続く前に、まずお話させて頂きたいのですが、私個人は音楽に関する専門的知識は乏しいので、 楽譜の解釈等に関する話などは専門家の意見や著作物を参照しています。
自分の目についたことだけを材料にして考えると誤解・曲解したりする危険性もあると考えましたので、 知人を通じて音楽をやっておられる方にも伺って、
「 アーベントロートのブラームス演奏 ←←← Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統) 」
ということに関し色々と確認をさせて頂いた上で書いています。
◇◇◇
まず、この Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは何かというと、 1914〜1915年にかけフリッツ・シュタインバッハ( Fritz Steinbach 1855〜1916)に 師事したヴァルター・ブルーメ( Walter Blume )という人が呼んだものです。
( Brahms in der Meininger Tradition )
ブルーメは、シュタインバッハがブラームスの4つの交響曲とブラームス・ハイドンの主題による変奏曲 の楽譜に書き込んだものを転記して、1933年に出版している人なのですが、ブルーメによると
「マイニンゲンの伝統的演奏では、正確なリズムと常に変化する柔軟性のあるテンポとは、 相互協力の関係にあった」
のだそうです。
1886年、ビューローからマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra )を 引継いだのがシュタインバッハなのですが、マイニンゲン宮廷楽団というのは、ビューローによって鍛えられ、 その緻密なアンサンブルにより当時高く評価を受けていたオーケストラです。 シュタインバッハ自身はブラームスの指揮を手本にして演奏、マイニンゲン宮廷楽団の演奏を信頼していた ブラームス自身が、シュタインバッハのブラームス演奏を評価していました。 シュタインバッハの書き込みというのは、ブラームス自身は楽譜にはテンポを変えるような指示はしていない 部分で、詳細にテンポに関し指示しているなど、楽譜通りではない箇所があるとのことです。 ブラームスと直接の接点を持っていたシュタインバッハが、指揮者としての考えで書き込みをしているのか、 それとも、作曲家自身に確認を取って書き込んだものなのか、この点は不明です。
(シュタインバッハからトスカニーニは楽譜の解釈を教わっていたことがあるそうなのですが)
シュタインバッハの指揮するブラームスを聴いた経験のあるトスカニーニは
ニューヨークのある社交の場で、その演奏を聴いた時のことを
「それは素晴らしかった。音楽が難なくそう進んでいったのだ」
と語った、という話が伝わっているのだそうです。
ヴァントは、正しいテンポとは何か、という問いに対して
「・・ブラームスの交響曲や、ムソルグスキー/ラヴェルの『展覧会の絵』のような 管弦楽作品で大事なのは、むしろ、演奏のテンポが全体として納得できるものであること、 つまり『正しい』と感じられることなのである。」
ということを語っており、その際にこの、シュタインバッハの指揮するブラームスを聴いた トスカニーニの話に触れています。
「ギュンター・ヴァント」
ヴォルフガンフ・ザイフェルト( Wolfgang Seifert )著、根岸一美訳
(音楽之友社)
P.291-P.297 参照
アメリカのコロンビア大学音楽科の教授、ウォルター・フリッシュの著書
「ブラームス4つの交響曲」
ウォルター・フリッシュ ( Walter Frisch ) 著 (天崎浩二 訳)
(音楽之友社)
この本で、歴史的録音の中では、ヘルマン・アーベントロートのブラームス解釈が シュタインバッハと色々な点で近い、とウォルター・フリッシュは述べています。
(フリッシュがこの本でアーベントロートの録音に関し触れていたのは、 ロンドン交響楽団とのブラームス交響曲第1番(1928年)と ブラームス交響曲第4番(1927年)の2つ。)
また、ベルナルド・D・シェルマン( Bernard D. Sherman ) は、フリッシュの研究も参照した上で文章を書いており、 アーベントロートの録音には大変関心を持っているようで、(Tahra のTAH 141-142 あるいはTAH 490-491 の) アーベントロート指揮ブラームス交響曲第1番 (1956年1月16日)(バイエルン国立管弦楽団) も聴いている人です。
http://homepages.kdsi.net/~sherman/
シェルマン自身、自分のHPでも書いていますが、 「シュタインバッハの楽譜への書き込み」をノリントン、マッケラスも参考にして Meiningen Tradition のブラームス演奏を試みているけれども、例えば マッケラスの演奏はシュタインバッハの書き込みとは異なる部分もある、等述べており、 シェルマンは、シュタインバッハのブラームス演奏については Meiningen Tradition に直接の 接点が有ったアーベントロートの演奏を大変重視しています。
**「 Performing Brahms 」**
この本が紹介されているページを見つけ、 Contents-Introduction で
In search of Brahms’s First Symphony:
Steinbach, the Meiningen tradition and the recordings of Hermann Abendroth
Walter Frisch
というのを見てから大変読んでみたいと昨年からずっと思っていたのですが、
やっと今年2003年10月出版になりました。
http://books.cambridge.org/0521652731.htm
2002年秋に見た時には2003年1月出版予定だったのが、3月→4月→5月→6月→7月→8月→9月→10月、と 出版予定が遅れた、という・・・。 (私自身は以前丸善へ注文してたので、2003年10月29日にこの本入手しました。 自分は楽器演奏経験の無いリスナーなもので、分からない点を人に伺って教わりながらに なりますので、読んで知ったことをサイトへ反映させるまでには大変時間がかかります。 すみません・・・・・。)
内容詳細はコチラ。
http://homepages.kdsi.net/~sherman/performingbrahms.htm
なお、本の入手はしたいがお急ぎではないという方には、コチラ。
◇◇◇
音楽家や音楽学者の間で現在でも 「 Meiningen Tradition 」 はまだ研究中であるらしいのですが、 マイニンゲン宮廷楽団を鍛えたビューロー、そのマイニンゲン宮廷楽団を継いで ブラームス本人にもその演奏を評価されたシュタインバッハ、そして ケルンのギュルツェニヒ管弦楽団という接点でアーベントロートと直接つながりのあった シュタインバッハからアーベントロートへ、そしてアーベントロートから ヴァント、サヴァリッシュへ引き継がれていった、ブラームスの演奏解釈、それが
Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」
と呼ばれるものだとのことです。
なお、アーベントロートが自分の教え子にブラームスの演奏解釈を教えた際には、 Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは言っていないらしいです。
「ブラームス先生から教わったシュタインバッハ先生から、自分は教わったんだけど」
と、教え子には演奏のテンポ等の説明をしていたらしい。 (シュタインバッハ先生は大変厳しい先生だったようで、教えて貰いにいっても結局逃げ出す 指揮者もいたそうで、その中で、アーベントロートはシュタインバッハからケルンの ギュルツェニヒ管弦楽団を引き継いでますので、どういう師弟関係だったのでしょうか・・・。)
ただ、伺った話によると アーベントロートのブラームス演奏というのは、この Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統) とイコールということでは無い様です。
アーベントロートの演奏は、 Passion を抑えきれていない時があって、そのため楽譜や演奏解釈を超えて テンポが変わることがある、ということなんですが、しかしそれでも結果として 「演奏のテンポが全体として納得できるものである」演奏になっているので、素晴らしい演奏であり、 Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統)の流れの中から生れた演奏として考えられる、とのことです。
【参照】
■マイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra )
***1880年、マンハイムの君侯ゲオルグはハンス・フォン・ビューロー(1830-1894)を、 「好きなだけ練習を行って良い、楽員の解雇権限をビューローに与える」、 という条件でマンハイム劇場における楽団・マイニンゲン宮廷楽団 ( the Meiningen Court Orchestra )へ指揮者として招く。
このマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra ) は48人での構成で、ビューローが納得するまでとことん練習を積み重ね、演奏会では暗譜で演奏した。 レパートリーの中心はベートーヴェン、当時の習慣で楽譜は部分的に改訂されたものが使用された。 全ヨーロッパを演奏旅行した最初の楽団であり、その緻密なアンサンブルにより高く評価を受けた。
1881年、ビューローはブラームスにこのオーケストラを作品発表するオーケストラとして 提供し、このオーケストラを高く評価したブラームス自身も指揮する機会を持った。 1885年、ビューローとブラームスは演奏旅行の際に仲違いし、個人的な関係は以後疎遠になるが、 しかしそれでもビューローはブラームス作品を評価しており、生涯に渡って取り上げ指揮している。
1886年、ビューローからこのマイニンゲン宮廷楽団をシュタインバッハ (1881年から既にマイニンゲン宮廷楽団を指揮していたようです) が引継ぎ、1903年まで指揮した。 シュタインバッハはブラームスの指揮を手本にして演奏、ブラームス自身も シュタインバッハのブラームス演奏を評価。 (なお、このマイニンゲン宮廷楽団でR.シュトラウスが1884年に指揮者デビュー、 1885年この楽団の副指揮者になり、1886年マイニンゲンを去っている 。) ***
■ハンス・フォン・ビューローとハンス・リヒターのブラームス演奏
***ハンス・フォン・ビューロー(1830-1894)もハンス・リヒター(1843-1916)は、両者共に ブラームスの交響曲を積極的に取り上げており、ブラームスも彼らの演奏を聴いています。
(ブラームスの交響曲第2番・第3番の世界初演をウィーンで行ったのはリヒターでしたが) リヒターによるブラームスの交響曲の演奏をブラームス自身は好まなかったそうです。 ブラームス自身はテンポ・リズム・フレージングが柔軟なことを好み、自分が指揮する際にも その様に演奏したそうなんですが、そのブラームスでも、ビューローはかなり自由に 「やり過ぎている」ために頭を悩ませていたそうで、一方ビューローは、ブラームスからは 好きに演奏していいと言われていた、と話していたとか。2人の間に「どこまで自由にやって OKか」ということに関してずれがあったようです。 しかしそれでも、作曲家自身はリヒターよりはビューローの演奏をむしろ好んでいたとのこと。 ***
■フリッツ・シュタインバッハ( Fritz Steinbach 1855〜1916)
***1886年、ビューローからマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra )を 引継ぎ、1903年まで指揮した。
なお、シュタインバッハは1903年〜1914年の間はケルンのギュルツェニヒ管弦楽団で指揮しているが、 この時期にアーベントロートはシュタインバッハと直接の接点があったようです。
(アーベントロートはシュタインバッハの後を引き継いで 1914年から1934年の間ケルンのギュルツェニヒ管弦楽団を指揮。 なお1946年から1974年までヴァントはケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のカペルマイスターを務めている。) ***
■アーベントロート指揮ブラームス交響曲第1番 (バイエルン国立管弦楽団)1956年1月16日
***他と演奏スタイルが大変異なる、ということで、 アーベントロートについて触れられることの多いブラームス交響曲第1番の録音、
アーベントロート指揮「 ブラームス 交響曲第1番 」
(1956年1月16日)(バイエルン国立管弦楽団)
以前ディスク・ルフランで発売され、TAHRAからはTAH141/142で出ていましたが、 昨年2002年末にTAH 490/1という番号で再プレスされています。 (なお、CD-RではRE DISCOVER RED 34で入手可能。) ***
(初稿UP)2003.01
(「 Performing Brahms 」に関し一部加筆)2003.11
(一部追記)2006.04
http://www.sakaiyama.jp/abendroth_brahms.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/689.html#c5
6. 中川隆[-14086] koaQ7Jey 2022年1月24日 05:02:27 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[7]
about Abendroth
Since 2002.08.24
http://www.sakaiyama.jp/index.html
Hermann Abendroth (ヘルマン・アーベントロート)
(1883年01月19日生〜1956年05月29日没)
について、自分なりに調べて知ったこと、分かったことを、
覚え書としてまとめてゆくホームページです。
参照した資料はこちら --> reference.html
指揮者と「ブラームス・シュタインバッハの伝統」については
こちら --> conduct_brahms.html
Hermann Abendroth _____ Profile
(* 19.01.1883 Frankfurt/Main; † 29.05.1956 Jena)
(1883年-1934年)
(1934年-1945年)
(1945年-1956年)
Naxosで聴けるアーベントロート
Naxos Classical Archivesで聴ける、アーベントロート指揮の録音一覧。
Jube-NML1208 グレート・コンダクターズで、シュターツカペレ・ベルリンとのグレーナー「コメディエッタ」、 ドホナーニ「女ピエロのヴェール-婚礼のワルツ」が聴けます、要チェック。
http://ml.naxos.jp/artist/43334
YouTubeで聴けるアーベントロート
YouTubeで、アーベントロート指揮のSP、LPの録音をUPして下さった方々が居られます。感謝
z650さんがUPされた
1922年アーベントロート指揮ベルリンフィル・ベートーヴェン交響曲第1番第1楽章
http://www.youtube.com/watch?v=I6m5okCj1Yg
これはまだCD化されていない録音ではないかと思います。
つっちぃさんがUPされた
1930年代アーベントロート指揮リスト・ハンガリー狂詩曲第1番、英Parlophone E11334
http://www.youtube.com/watch?v=Y1PoBmdMeqU
凄い楽しめる音。
(リスト・ハンガリー狂詩曲第1番はODEON O-7734&7887のがRICHTHOFEN DISCというCD-Rレーベルから以前出てましたが、そっちは 残念ながら余り音がよろしくない。)
注目サイト
50. Todestag von Hermann Abendroth (DRA)
DRA(Deutsches Rundfunkarchiv)のサイトで、Hermann Abendrothに
ついてのPDFファイルが22ページ出ています。
内容凄いです。
まだCD化されていないと思われる録音がここに沢山載っています。
ちなみに、2003年はアーベントロート生誕120周年、2006年はアーベントロート没後50年でした。 アーベントロート指揮の歌劇の録音とか(録音状態によっては、全曲・・・は難しいかもしれないので抜粋版で)、 DRA(Deutsches Rundfunkarchiv)で既に把握していてサイトでもリストが出ているこれらの録音などが、 もっとどんどんCD化されるといいのですが。
アーベントロートの本
Hermann Abendroth. Ein Musiker im Wechselspiel der Zeitgeschichte
Dr. phil. Irina Lucke-Kaminiarz
(www.amazon.co.jpで2011年2月時点では604円、2009年06月には1,709円でした。)
アーベントロートのバイオグラフィー、ついに2007年5月末ドイツで出版。
www.amazon.deではEUR 12,90。
写真、演奏会でのプログラムなど情報満載。
アーベントロート・ファン必見の本。
ヘルマン・アーベントロートの新譜情報
2017/04/25更新 New!
ヘルマン・アーベントロート 新譜情報
今後出る予定の&既に出たヘルマン・アーベントロートのCD情報はコチラ。
ヘルマン・アーベントロートCDリスト
Hermann Abendroth Discography(レーベル別)
レーベル別CDリストの入り口はコチラ。
Gerhard Taschner (ゲルハルト・タシュナー)
2009/08/22更新
Gerhard Taschner Cd List
アーベントロートも好きですがタシュナーも好きです。CDリストはコチラ。
(アーベントロート生誕120周年にあたる2003年1月19日よりカウント)
http://www.sakaiyama.jp/index.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/689.html#c6
5. 2022年1月24日 05:08:18 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[8]
ブラームス交響曲第2番に挑戦
2015 MAR 30 11:11:56 am by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/03/30/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac2%e7%95%aa%e3%81%ab%e6%8c%91%e6%88%a6/
現在ブログのためにブラームス交響曲第2番の聴き比べをしていますが、記憶に頼って書いているわけではなく、書こうと思ったものは全曲いちいち聴きかえしています。いまやっと31種類の演奏についてコメントを書き終えたところなので、全曲を31回聴いたということです。
どんな音楽でも短期間に立て続けに31回聴けば飽きると思うのですが、やってみて驚くのはそういうことが全然ありません。それは僕が2番が大好きだということがあるのでしょうが、やっぱり曲が良くできているということに尽きるのではないでしょうか。
所有している2番は86 種類あり、LP、カセット、CD、SACDと異なるフォーマットで重複して持っている19枚を入れると105枚あります。実演はこれまで7回聴いており、重要な指揮者の解釈はほとんど耳にしたように思います。
この週末はピアノリダクションの楽譜で第1、2楽章を初めて通して弾いてみました。左手は和音だけにしたり難しい所は右手だけにする等いい加減ではありますが、耳だけではわかっていなかったことを発見でき勉強になりました。この曲は構造的にも和声的にも対位法的にも、本当に名曲なんですね。
趣向を変えてラヴェルのト長調ピアノ協奏曲の第2楽章も。一人ピアノだと中間の所は音が抜けますが最初と最後は一人でも充分で、これを弾くのは無上の喜びです。中間の複調的な所はバイオリン・ソナタにそっくりだなと、これも弾いてみて初めて気がついたことです。
あとひとつ、ベートーベンの悲愴ソナタの第2楽章。弾いているとベートーベンのバスや目立たない中声部の音の選び方のセンスの良さに気づきます。巨匠とか楽聖とかではなく、耳がいい、センスがいい人というイメージができます。
ブラームスの譜面は難しくていままで敬遠気味でしたが、2番を機にすこしチャレンジしてみようかなと思います。
指揮者は演奏する曲のスコアをまずピアノで弾かなくてはいけません。次に、それを科学的な眼で研究するのです。それを人生の中で時間をかけてすることで、解釈はおのずと、地面から泉がわくようにしみ出てくるのです。
リッカルド・ムーティ
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/03/30/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac2%e7%95%aa%e3%81%ab%e6%8c%91%e6%88%a6/
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/592.html#c5
6. 2022年1月24日 05:09:15 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[9]
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(1)
2015 MAR 24 0:00:43 am by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/03/24/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9/
オーストリアのザルツカンマーグートは映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台です。バート・イシュルはヨハン・シュトラウスお気に入りの温泉地であり、トラウン湖畔のグムンデンはブラームスが1890年 から6年間、シューベルトは1825年から2年間暮らしました。どちらもスイス時代の夏休みに車で旅行しましたが、息をのむほど美しい所です。
交響曲第2番ニ長調作品73はヴェルター湖畔のペルチャハで着想され、クララ・シューマンの家があったドイツはバーデンバーデンのリヒテンタールで完成されました。そこで彼が借りていた高台の家の風情はまことに好みであり、拙宅はそれに似せました。彼が好んだ避暑地はどれも非常に好きで、単に景勝地として美しいという以上に趣味に合うものを感じます。彼の音楽に深く共鳴するのは、そういう底流があるかもしれないと思っております。
以下、前回に書きました通り、2番の録音で印象にある物につきコメントします。順不同であり、どれがお薦めというわけでもありません。(総合点)は1〜5点で、自分が仮に2番を初めて聞くとしたならこれだというのが5点、そうではないのが1点です。
エヴゲニ・スヴェトラーノフ/ U.S.S.R.国立アカデミー交響楽団
20502672645381982年、ソ連時代のオケがどういう音がしたかはドイツものでわかる。冒頭ホルンの音がロシアで、トランペットも弦に混じらない。コーダのホルンソロ、ヴィヴラートのかかった特異な音!テンポは恰幅が良くフレーズはごつごつと武骨で第2主題の弦のフレージングも念を押すようだ。第2楽章は遅いテンポでねばるが、各セクションが融和せず鳴りっぱなし。第3楽章のアンサンブルはどこか洗練されずコーダのそっけなさも妙だ。終楽章も遅めのテンポで最後まで通しだんだん白熱する鋼鉄のような質感。最後のトロンボーンの和音を切らずに引き伸ばすのはびっくりするが、総じて大変に面白い。曲を知り尽くした通向きの演奏だ。(総合点 : 2)
ハンス・スワロフスキー / 南ドイツフィルハーモニー管弦楽団
147テンポは模範的で楷書体の演奏だ。木管は古いドイツ風でフルートはうまいがオーボエ以下は落ちる。弦は少人数でヴィヴラートが大きくピッチが合わず下手だ。しかし、録音がオンでありオペラのピットのオケがブラームスのシンフォニーをやっているようなあり得ない風情が僕には貴重で、この全集は珍重している。アバド、メータ、ヤンソンス、尾高忠明の指揮の先生スワロフスキーの頑固で理屈っぽく四角四面の指揮もブラームスのそういう一面を投射している。スヴェトラーノフもそうだが終楽章コーダが狂乱の場みたいにならないのがいい。通向き。(総合点 : 3)
ラファエル・クーベリック / バイエルン放送交響楽団
こ934れぞブラームスという音であり表現である。湿度があって練れた弦のブレンド、これがあって第1、4楽章の第2主題は生きるのだ。第2楽章のチェロを聴いてほしい。特にうまいわけではない、このうねりだ。これ全オーケストラに伝播して「うまみ」や「コク」を醸し出す。ホルン、フルート、トロンボーンは自己主張をちゃんとしながら浮き上がらず、ティンパニのアクセントは決然と打ち込まれる。熟練の指揮だ。第3楽章のオーボエの歌!ここはこれでなくては。終楽章は見事なテンポで進み合奏は彫りが深い。良い装置で聴くと理想的な音で心からの満足感が得られるだろう。名録音であり、万人向け、ファーストチョイス向けである。(総合点 : 5)
カール・シューリヒト / シュトゥットガルト放送交響楽団(16 March 1966、ライブ)
ARC-2_5シューリヒトというドイツの名指揮者の指揮の細部を悪くないステレオ録音で味わえるライブ。アルプスを望むような悠揚迫らざる開始だがテンポは終始生き物のように動く。コーダのホルンが素晴らしい。第2楽章のチェロの音色は森のように暗くホルンの木漏れ日の和声がほのかに射すが、ここはテンポはあまり伸縮せず淡々とすすむのが良い。第3楽章はオーボエが上質でなく落ちる。終楽章はかなり遅めのテンポに聞こえるがスコアを見ると4分音符を4つ振りするアレグロだからこれが正しいのだろう。最近の指揮者は2分音符2つ振りのテンポが多いうえに、コーダはアッチェレランドまでかける不届き者がいる。ブラームスの本旨と程遠いといえよう。傾聴に値する演奏だ。通向き。(総合点 : 3)
ゲオルグ・ショルティ / シカゴ交響楽団
947このオケは実演も録音もだがうまい割に出だしが不調なことが多い(ここでもヴァイオリンの音程が良くない)。次第にエンジンがかかりショルティ流のエッジとリズムのばねが効いてくる。1,4番はそれがうまく作用しても2番は違うだろうと思うのだが、聴き通すと納得してしまう。管楽器がどれもうまいのだ。もうこの技量は他オケと雲泥の差である。第3楽章のオーボエやホルンを聴いてほしい。だから全奏に透明感がありこういうブラームスもありかなと思ってしまう。終楽章は最速クラスで僕は上記のようにこれを支持しないが、若造の思いつきテンポと違い、第2主題の減速なども堂に入っていてショルティらしい堅固な造形と一体化しているうえにオケの圧倒的な力でねじ伏せられて感動してしまう。コーダ第401小節の第1トロンボーンの下降音型など、普通のテンポですら危ないオケが続出でここでトチられると非常に興ざめになるのだが、この快速テンポで難なく吹いてしまう!シカゴ響恐るべしだ。終止和音のタメと古来ゆかしい減速。ショルティさん参りました。セカンドチョイスだが是非一聴をお薦めしたい。(総合点 : 4)
ピエール・モントゥー / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
4988005845733ブラームスを敬愛していたモントゥーだが正規盤は2番だけ2種類あって、もうひとつロンドン響盤があるが第1楽章コーダのホルン独奏を聴いていただきたい。ロンドンのオケにこんな音は出ない。第2楽章のチェロ、これもそう。ヴァイオリンもオーボエも自然にブラームス語でしゃべっている。モントゥーは何も変わったことをしていないがこれがブラームスでしょということ、それで気難しいVPOがちゃんとついていってる。というよりVPOペースでコトが進んだ観の部分もあるが、テンポについては概ね穏当であり、終楽章コーダは加速していない。見識である。現場は認めてるのにDecca経営陣が彼をフランス屋と決めつけて全曲録音しなかったのが惜しい。持っていたい1枚。(総合点 : 4)
(補遺・21 july 17)
ピエール・モントゥー / サンフランシスコ管弦楽団(1951)
マイクが楽器に近接して管の生音が目立ち主旋律よりオーボエの対旋律が浮き出す。バランスが悪いうえ、音程の甘い弦楽器がクリアに拾えていてアンサンブルはかなり荒っぽいときている。ブラームスのリアライゼーションには誠にふさわしくなく、オケそのものの技術レベルも低い。モントゥーはかなり熱くなっておりVPO盤とは全くの別物。こちらが本音かもしれないがせめてBSOとやってほしかった。SFSO盤は2種あるらしいがこれしか聞いておらずマニアには珍重されるが何がいいかわからない。Mov4のテンポ、第2主題への減速はあまりなく常に突っ走る。コーダはティンパニがずれたりしながら突進し、軽微ながら最後の最後で加速してしまっており、やはりVPO盤はVPOの演奏だったかとも思う。。(総合点 : 2)
ピエール・モントゥー / ロンドン交響楽団
第1楽章に提示部の繰り返しがあり20分もかかるから全体のバランスとしてどうかとも思うが、第二主題のテンポを落とし句読点を刻む万感こもるフレージング(VPO盤にはない)、弦の内声部の強調、終結に向けてのテンポの伸縮(ホルンソロに入る直前!)などを聴くとこの曲への指揮者の耽溺を知ることになる。モントゥー(1875−1964)最晩年1962年の録音であり、ブラームスのスコアに想いを刻印するには伝統に縛られたVPOよりLPOが好適だった(技術も上だ)と想像する。終楽章に至るまで自然体の素晴らしい2番であり、モントゥーが敬愛したブラームスが自分の培ってきたそれとそんなに違わないことを知って伝統というものの重みを再確認する。終楽章コーダに興奮をあおるアッチェレランドのような無用のものはかけないのはもちろんである。
ウィルヘルム・フルトヴェングラー / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (7 May 1952、ライブ)
フルトヴェングラーと聞くとすべて神憑りの名演奏と信じている人が多い日本という国は世界でも稀有な国家である。これはその迷信を解くいい例だろう。第1楽章の第1主題、45年のVPO盤は第2主題に入る前(第50小節)に突然に意味不明のアッチェレランドがかかって凍りつくが、ここでは第59小節のfに向けて徐々に加速する(48年のロンドンSO盤はその中間)。僕はその(彼としては最大限に抑えた)加速でも違和感を覚える。第134小節のつんざくトランペット、その先のポルタメント、227小節の地獄落ちのごときffは僕の趣味とは程遠い。終楽章は第1主題がどんどん速くなっていき、再現部も同じ羽目になって第2主題は快速になってしまう。これでは深みや滋味など雲散霧消である。そしてコーダに向けてはティンパニが暴れまくる。大変な名演である1番そのままの流儀の2番というユニークなアプローチは敬意を表するが、解釈のスタンスとして僕はまったく賛同することができない。初聴して絶句してから2度と聞いておらず、今回本稿のために2度目にチャレンジしたがもう聴くことはないだろう。好事家向け。(総合点 : 1)
シャルル・ミュンシュ / ボストン交響楽団
200x200_P2_G5360403W良いテンポで始まる。なんていい曲が始まったんだろうと。弦が極めて上質で録音も本当に素晴らしい。このオケは高性能でありながら米国で最も欧州的な音色を持ち金管はフランス的な軽さもある。ミュンシュのリズムはスタッカート気味にはずみ、推進力に加勢する。それが活きた彼の1,4番は実に男らしいブラームスで僕は好きだが2番は第2楽章の呼吸だけは浅く深みに欠けるきらいがある。終楽章は速めだが羽目は外れず、オケが鳴りきっている。ミュンシュは爆演指揮者だと思われているが、コーダは興奮を加えながらもアッチェレランドなしであるのにご留意いただきたい。そんな安物ではないのだ。トランペットが明るすぎるのが唯一欠点だ。セカンドチョイス。(総合点 : 3)
オットー・クレンペラー / フィルハーモニア管弦楽団
200x200_P2_G3281644W第1楽章は弦と木管のフレージングに細かな配慮があるのに耳がいく。まったく一筋縄でいかない指揮者だ。加速、減速があるがシューリヒト同様に意味を感じ不自然さがない。オーボエが目立つなどDGやフィリップスの感性ではないEMIの音で細部の分解能が高めの録音はあまりブラームス的ではないが、不思議なバランスで様になってしまうのは指揮の力だ。テンポも表情も違和感なく、立派な2番を聴いたという感興だけ残る。一度は聴いておきたい名演。(総合点 : 4)
(補遺、3月28日)
カール・シューリヒト / NDR交響楽団
71eDJ5ZFR-L._SL1261_1953年1月8日、ハンブルグでのライブ。Urania(イタリア盤)の音は意外に良い。演奏は上記シュトゥットガルト盤よりあっさりして速めで、これほどもたれない2番も希少だ。では淡泊かというとテンポの動きが即興と思われるほど自在であって表情は濃いから良いブラームスを聴いた充実感が残る。薄味だがうまみの芳醇な出汁という所で、指揮者の至芸だ。オケは充分にうまく、良く反応していて聴かせる。適度な速さでティンパニを効かせた終楽章は特に素晴らしく、これほどテンポを自由に操ってきたシューリヒトがコーダでほとんどアッチェレランドをかけないというのをぜひお聴きいただきたい。僕が何故それにこだわっているか。これぞこのスコアに対する良識と敬意であり、それを選択する趣味の良さの問題であって、こういうことは人に教わるというより人間そのものだから争えないものであると思うからだ。僕はこのCDを聴くのが喜びだ。(総合点:4.5)
カール・シューリヒト / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
41p31a3pW5L._SS28053年、ムジークフェラインでの録音でこれがシューリヒトの正規盤とされ定評がある。しかし申しわけないが僕には何が良いのかさっぱりわからない。第1楽章は主部が加速したと思うとブレーキがかかり、ヴァイオリンにポルタメントがかかる。こういうのはウィーン風と喜ぶ人もいるようだが僕はブラームスの本質に資するものとぜんぜん思わない。和音は音程が悪く興ざめである。第2楽章の冒頭チェロセクションは不揃いで実にヘタ、第2主題も同様であり内声部に回っても音程もフレージングもいい加減だ。棒がテンポをあおるとアンサンブルはライブかと思うほど雑になる。この楽章は楽器の録音のバランスも悪く正規盤としては相当低レベルな部類と言わざるを得ない。第3楽章はVPOの木管の魅力で救われるが弦はかなりひどい。終楽章はヴァイオリンの雑なのに閉口で、第2主題の弦の安っぽい音は救い難い。コーダのテンポの扱いは順当に思う。指揮はNDR盤とそう大きくは変わらないが、とにかくオケが今ならアマチュアなみであって到底もう一度聴きたいとは思わない。これがウィーン・フィルとクレジットされていなかったらこの世評はなかったのではないか。こういうのをプラシーボ効果というのであって、未開地の人に歯磨き粉を薬だと教えて飲ますと本当に風邪が治ってしまうあれだ。この演奏で幸せになれるい人が多いならあれこれ書くこともないが、僕は常に本音でいたい。(総合点:1.5)
(補遺・シカゴ響のうまさについて、16年1月18日)
「もうこの技量は他オケと雲泥の差である」と本文に書きました。全盛期末期のフィラデルフィア管を2年間定期会員として聴いた僕が「うまい」と驚くオケはもう世の中にほぼ皆無なのです。ところがこのビデオで冒頭のトランペットにいきなり耳がくぎづけになった。ムソルグスキー(ラヴェル編)「展覧会の絵」です。
いや、すごい、この金管、木管・・・。弦も半端でないのに格落ちに聞こえてしまうではないですか。ライナー時代にレベルアップしましたが、ショルティの耳でしょう。85年2月にロンドンのロイヤル・フェスティバルホールでチャイコフスキー4番を聴きましたが終楽章の物凄さは言葉もなし(この演奏会はDVDになってます)。そして、このバルトークだ。技量においてこれを上回るものは、まず、もう出てこないでしょう。最後の減速もなく、まったくもって素晴らしい。
7. 2022年1月24日 05:10:06 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[10]
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(2)
2015 MAR 25 1:01:35 am by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/03/25/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%92%ef%bc%89/
ハンス・クナッパーツブッシュ / ドレスデン国立管弦楽団(27 Nov 1959、ライブ)
871同指揮者ではミュンヘンPO盤(56年)、VPO盤(59年)も持っているがこのDSK盤(仏TAHRA)が音に深みがありオケにコクもある。第1楽章のテンポは意外に普通で展開部でティンパニを強打して頂点を築き、終結のホルンは感動的。第2楽章もオケの美しさが活きる。第3楽章のPrestoはずいぶん遅く田園風景を各駅停車で眺めるよう。終楽章の入りはさらに遅く主部はティンパニがくさびを打ち込む物々しさで何だこれはとびっくりするが、オケは納得して熱い不思議な演奏である。コーダに入るとほんの少しテンポが上がり、また下がる。まったく特異な演奏だが彼のシューベルトのグレートを楽しめる人には面白いだろう。(総合点 : 2)
ジョン・バルビローリ / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
Cover 2僕のCDは右のRoyal Classics盤。EMIのVPO録音はDeccaの艶と華に欠ける。第2楽章中間部と第3楽章はVPOの管の魅力が聞こえるが、いつくしむような解釈はわかるが指揮者が目論んだほどオケが反応していない感じがあり時に微温的にきこえる。終楽章再現部ではフォルテでトランペットが派手に音をはずしておりスタジオ録音なのに杜撰だ。コーダも安全運転でオケがちっとも熱くない。世評の非常に高い全集だがどれも僕にはピンとこない。(総合点: 2)
湯浅卓夫 / 大阪センチュリー交響楽団(3 Nov 2005、ライブ)
793第1楽章の弦がやや薄いのはVPOの後に聴いてしまうと分が悪いが管はとても良いピッチで鳴っており聴き劣りがしないのはライブという条件を考えると大変立派だ。ホルンが好演でブラームスらしい彩りを添える。第2楽章もホルンと木管とのアンサンブルは秀逸、第3楽章Allegretto、Prestoのテンポも快適である。終楽章は腰が重い快速でティンパニのアクセントを効かし第2主題の歌わせ方も満足、コーダのトロンボーンもまったく危なげなしだ。素晴らしい。湯浅の解釈は彫の深さを感じ、良いブラームスを聴いたという手ごたえが残る。(総合点 : 4)
アルトゥーロ・トスカニーニ / フィルハーモニア管弦楽団 (29 Sep 1952、ライブ)
710inwxsbvL__SL1059_このロンドンライブも世界中で伝説の名演と語り尽くされたものだ。しかし僕の結論はトスカニーニもフルトヴェングラーと同じぐらい2番には向いていなかったということだ。第1楽章に漲る緊張感は先を期待させるが第2楽章が速すぎる。Adagio non troppo でこれはないだろう。第3楽章中間部はPrestoだからこれでいいがどうも全体にせかせかした印象を受ける。終楽章は大変なエネルギーを噴射しつつ突っ走る。会場は熱狂しているし、これが好きだった時期もあるがずいぶんと昔のことという気がする。(総合点 : 2)
ブルーノ・ワルター / コロンビア交響楽団
819lqKBwIDL__SL1500_僕のCDは89年にロンドンで買ったJohn McClure盤(右)でこれは音がいい。第1楽章の第1主題が展開してゆくのびやかなフレージング、第2主題の素晴らしい呼吸。本物のブラームスを聴いている実感がある。最後の和音の素晴らしいブレンドなどプロ中のプロと感じ入る。第2楽章のチェロの歌の見事さ!深いロマンの森に分け入っていく心地よさ。第3楽章のAllegretto はまさにgrazioso だ。終楽章のテンポはこれだろう、これならあまり急ブレーキを踏まずに第2主題に移行できる。すべての楽器がバランス良く鳴って血が通っており、ワルターの意志で強力にコントロールされているが自然に聞こえるという大変に高度な指揮がなされている。ファーストチョイスに選びたい名解釈、名演奏である。(総合点 : 5)
ウイリアム・スタインバーグ / ピッツバーグ交響楽団
steinbergスタインバーグ(1899−1978)はクララ・シューマンのピアノの孫弟子で、ケルンでクレンペラーが助手に選びNYではトスカニーニがNBC響の稽古をさせた人物である。このブログに書いたマーラー「巨人」がこのスタインバーグの指揮だった(米国放浪記(7))が、亡くなる9か月前だったことになる。オーマンディーと同い年で19世紀生まれの人というのが感無量。右のCDは88年ごろロンドンで購入。冒頭は木管のピッチがいま一つ。弦も固いがこれは残念ながら録音のせいだ。第1楽章はこれぞ2番というまことに良いテンポである。トスカニーニばりに筋肉質で第3楽章のアンサンブルは緊密だ。終楽章は速めで無用のアッチェレランドなど一切の虚飾を排したストレートな解釈。ちなみにこのCDに入っている4番はさらに素晴らしい名演である。玄人向きだが一聴をお薦めしたい。(総合点 : 3.5)
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(補遺、16年2月12日)
まったく同じ音源による全集が右のMemoriesで出ており、これのほうが音が良い。LPはもともとCommandレーベルでのイシューだったが、61-62年のピッツバーグ(ソルジャーズ・アンド・セイラーズ・ホール)での録音は当時の最先端技術である35mm磁気テープで行われ演奏のクラリティを忠実にとらえている(はず)。このブラームス2番とラフマニノフ交響曲第2番がCommandへのデビュー(May 1/2, 1961に両曲を録音している) でありブラームス2番は1962年のグラミー賞クラシック部門にノミネートされている。4番が大変な名演であり、これを所有する価値は大いにある。
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー / ハレ管弦楽団
bra2フィラデルフィアでブルックナー8番に感動し楽屋へ行って会話までしたMr.S(この指揮者の略称)のブラームス。87年頃にロンドンでワクワクして買った思い出のCDだ(右)。第1楽章は遅めだが意味深く実に素晴らしい。音楽のひだに添ったダイナミクスの振幅が大きく、弱音はデリケートでフォルテのティンパニの打ち込みは心に響く。第2楽章のチェロもいいなあ、これぞブラームスだ。第3楽章、音程がいい、彼の指揮を聴くといつも作曲家の耳を感じる。ミネソタO.を振ったVoxのラヴェルやストラヴィンスキーのピッチの良さときたらブーレーズより上なほどであり、ここのハレO.も同様なのがお分かりいただけるだろうか。最後のトロンボーンが下手なので0.5点減点するがファーストチョイスでもOKと思う。悲劇的序曲の濃い表現もぜひ聴いていただきたい。(総合点 : 5)
(補遺、3月29日)
アルトゥーロ・トスカニーニ / NBC交響楽団
R-1514545-1299855271.jpeg52年録音で日にち記載がないのでスタジオ録音と思われ、こちらが正規盤ということになっている(らしい、そういうことはよく知らない)。第1楽章第2主題のぶつ切れのフレージングが不似合に思う。f は気合が入るがブラームスの本質と無縁の頑張りと思う。コーダの重要な場面でホルンがよく入っておらずがさつな弦が勝った音も、録音スタッフがブラームスを心得ていない。第2楽章、速すぎでありヴァイオリンのヴィヴラートが過剰でうるさい。シューリヒトのVPO盤のように音程がおかしくないのは一抹の救いだが。終楽章アレグロはコン・スピリトを地で行くが、このオケは非常にうまいはずでありそれをトスカニーニが振っていてこれかというレベルに留まる。硬派の2番であり叙情的な部分では常に不満であるのだからアレグロでずば抜けないと感動はうすい。ハイティンクの稿に書いたがコーダは@の最後でタメを作ってサスペンディッド・コードに敬意を表する(疑似終止)が、それを補おうとAでスコアにない安っぽい加速をしない。こういう楽譜の読みがトスカニーニのトスカニーニたるゆえんなのである。しかし、総じた印象として彼が2番に向いているとは思わない。(総合点:1.5)
(補遺、11 June17)
シャルル・ミュンシュ / フランス国立管弦楽団 (16 Nov 1965 ライブ)
パリのシャンゼリゼ劇場でのステレオ録音。僕のは88年にロンドンで買った右のディスク・モンターニュ盤で音はいい。第1楽章は管がフランスの音色とヴィヴラートで音程が良くないが、ティンパニを強打した骨太の表現にミュンシュの声もきこえ弦のレガートの色も濃いなど尋常の気合いではなく、だんだん引き込まれる。第2楽章はテンポが動くが自然の脈動と感じる。第3楽章は速めだが表情は深い。終楽章。アレグロで棒があおっているのでアンサンブルが雑になるがミュンシュの指揮というのはそれが持ち味である。再現部の第2主題はいいテンポで入り、そこからコーダまで一気呵成の一筆書きだ。もちろんアッチェレランドがかかるが、この一流の芸に異を唱える気にはならない。終結は大時代的な急ブレーキがかかり最後の音が長く長く伸び、こらえきれず聴衆の拍手がかぶる。こんな演奏はもう体験できないだろう。歴史ドラマだ。(総合点:4)
(補遺、21 July 17)
ジェームズ・レヴァイン / シカゴ交響楽団
まだレヴェイン30台前半の演奏で、そんな小僧がブラームス?と、この全集は日本の評論家に無視されたと記憶する。しかし、彼らと違いCSOのプロたちは小僧の才能を鋭く見抜いている。このオケが真面目にやればどうなるかは若かりし小澤の春の祭典やトーゥランガリラでわかる。指揮者は何歳であれ、音楽評論家ではなくオケをその気にさせるかが勝負だ。第2,3楽章のデリケートなニュアンスも老成の感すらあり録音もそれにうまくフォーカスする録り方で大変好感が持てる。数年後にCSOはショルティと全集を録るがそれはあくまでショルティのブラームスであり、このレヴァイン盤は(微妙にアンサンブルの齟齬があり、あまり入念に練習した感はないものの)その見事な生命力と柔軟性で独自の美質を誇る。終楽章第2主題への減速など堂にいったもの、コーダは微塵も安物のアッチェレランドなどせず。本質追求型の大物の指揮だ。(総合点:4)
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/03/25/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%92%ef%bc%89/
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/592.html#c7
8. 2022年1月24日 05:11:02 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[11]
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(3)
2015 MAR 27 1:01:07 am by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/03/27/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%93%ef%bc%89/
ハンス・シュミット・イッセルシュテット / 北ドイツ放送交響楽団
110第1楽章は微妙に速めのテンポでコクのある表現だ。本物の手触りがある。オケは弦がトップクラスとは言えないが自然体で立派なブラームスになってしまうという風情。第2楽章ももたれずテンポは曲想に添って自在に変化する。第3楽章のオーボエは歌うというより何か主張している。終楽章もトスカニーニのように速いが無機的な響きにならない。筋肉質で武骨に聞こえるが第2主題に絶妙なギアチェンジなど細かい芸が見え隠れしている。コーダはやや加速して熱く締めくくる。オケは素晴らしい集中力で弾ききっており破綻は一切なし。録音がややくぐもっているのが実に惜しく0.5減点するが、これは純正北ドイツ流かつ達人の一筆書きの勢いある誠に立派な2番である。厳しい男性的なブラームスとしては最右翼の演奏だろう。(総合点 : 4.5)
カルロ・マリア・ジュリーニ / ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団
510冒頭のゆったりしたテンポからジュリーニの世界に引き込まれる。全楽章にわたるこの特異な遅さについていけるかどうかで好悪が分かれるだろう。晩年のジュリーニはロンドンやアムスで何度も実演に接したが、バッハもロッシーニもフランクもそういうテンポでなくては語れないことを語る指揮者であったしそれをVPOがやらせてくれる指揮者は当時数人しかいなかっただろうと思う。細部にまで考え抜かれ神経が通った演奏は満足をくれるがそのアプローチが最も成功したのは4番であり、この2番は個人的には求める物とちがう。(総合点 : 3)
ホルスト・シュタイン / バンベルグ交響楽団 (July 1997、ライブ)
51hxQfCYaZL95年にフランクフルトでこのコンビのベートーベン「田園」とブラームスピアノ協奏曲第2番(ルドルフ・ブッフビンダーpf)を聴いて大変感動した。郊外にあるヘキストの体育館みたいなホールで日本人は僕しかいなかったかと思うほどドイツの奥座敷みたいな所。そんな中でブラームスを聴く幸せは人生格別の思い出のひとつになた。このKochの全集も地味だがあのときの音がしている。何も肩ひじ張らない、ドイツ地方都市の普段着のブラームスはこういうものだと思って聴いていただきたい。2番のコーダでこんなにゆったりと慈しみ、興奮をあおらないのは見識だ。これをベルリンPOやシカゴSOの名技やらデモーニッシュな指揮者の切る見栄に欠けると批判するのは簡単だが、逆にそういう演奏のほうがよく出会えるのだ。(総合点 : 4)
エンリケ・バティス / メキシコ国立交響楽団
429シュタインとは対照的な速さ。湿気のないラテン的な音。指揮は実にメリハリに富み、旋律をじっくり歌うというよりリズミックな音型をすべてスタッカート気味に処理するというブラームス演奏においてあまり意味を感じないことに力点が置かれ、句読点を切った早口言葉にきこえる。と思えば意外なところで内声部が浮き出たりする変幻自在さを持ちあわせ先が読めない。第2楽章冒頭チェロ旋律はもうModeratoの別な曲だ。普通は9分ほどかかる終楽章が上記のシュタインは10分半と最遅クラスで、一方このバティスは7分台と超快速のショルティよりさらに1分近く速いというウルトラぶりである。初めての人にこれとシュタインを連続して聞かせたら同じ曲と思わないだろう。クラシックの面白さだ。マニア向き。(総合点 : 1)
ヤッシャ・ホーレンシュタイン / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(8 Sep 1966、ライブ)
SOMMCD037モントルー音楽祭のライブ。ホーレンシュタインはロシア系ユダヤ人で現代音楽に強く、GHQ憲法草案制定会議のメンバーとして日本国憲法の起草(特に第24条)に関わったベアテ・シロタ・ゴードンは彼の姪である。チェコPOは主席アンチェルの指揮のようには好調ではない。ホルンソロがこのオケ特有の音で第2楽章のヴィオラ、チェロとの絡みは美しい。指揮者のブラームス演奏への適性は感じるがなにせオケが不調で終楽章コーダの第一トロンボーンはよれよれだ。(総合点 : 1.5)
エーリッヒ・ラインスドルフ / ボストン交響楽団
leinsdorf客演が好評だったスタインバーグをBSO理事会はミュンシュの後任として音楽監督に据えるつもりだったが、レコード会社のRCAがリストのトップに持っていたラインスドルフを押し込んだのだった。そうでなければこれはスタインバーグのCDになっていただろう。しかしこれは前任者ミュンシュをさらに正統派にしたような名演でオケがウィーン・フィルだったら歴史的名盤ものだったのだからRCAの独断には感謝しなくてはならない。BSOも大変見事な演奏をしておりまったく文句はつけようがない。カセットを留学中に愛聴したせいもあり耳に焼きついて僕の2番の原型を形成している演奏の一つで、右のCDは89年にロンドンで買って夢中で聴いたもの。ラインスドルフは最晩年にNYでブルックナーの3番を聴いた(NYPO)がワルターの弟子であり独墺ものは実に素晴らしい。ベートーベンとブラームスは広く聴かれてほしい。(総合点 : 5)
クルト・ザンデルリンク / ドレスデン国立管弦楽団
sanderling2番の滋味あふれる表現は何度聴いても飽きず、いつまでも聴いていたい。DSKの木質の管弦のブレンドはブラームスに実にふさわしく、全楽章が理想的なテンポで揺るぎのない堅固な構成を見せる。この全集の1番がLP(独オイロディスク)で出たのが僕の高校の頃で、当時の日本の評論家に凡庸な指揮だと酷評されたのを記憶している。そうではないからこの録音が欧米で長く生き残っているのであって、何か奇天烈な個性がないと無能という評価はまったく音楽の本質と遠いものだ。ザンデルリンクは96年にチューリッヒでシューベルト9番の名演を聴いたが、やはりこういう語り口で感動的だった。ドイツ人がドイツ語でやったブラームスがどんなものか、まずそれを熟知するのがブラームスを味わう第一歩と思う。(総合点 : 5)
キリル・コンドラシン / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 (29 Nov 1975、ライブ)
51S6Wz7A4ZL__SL500_僕のCD(右)は93年にドイツで買ったもの。指揮者晩年のアムス・ライブ・シリーズで全部が格別に素晴らしく、全部買っておいた判断に感謝している。2番は全体に速めで第2楽章などそっけなく聞こえるが、語るべきは語っている真打の落語のようなもの。コンドラシンがN響を振ったビデオを見ると特異な魔性を感じる男前の風貌で、ださいロシアの田舎もんのイメージが覆った。ACOをここまで自在に歌わせコントロールする磁力は納得だ。並録のシベリウス5番がこれまた魅力的でこのCDは大事にしている。セカンドチョイスとしてぜひ一聴してみて欲しい。(総合点 : 4)
(補遺、2月28日)
ダニエル・バレンボイム / シカゴ交響楽団
51NWRQBNYBLこのコンビの2番はフランクフルトのアルテ・オーパーで聴いたがあまり印象がない。これで聴き直すと、重量級だ。第1、4楽章第2主題はCSOの弓の圧の強い弦の合奏、このたっぷりした歌はききもの。第1楽章コーダ前のホルンソロのpp、そこからの滑らかな起伏は逸品だ。2番で非常に重要な金管アンサンブルも敢然とするところなし。うまい。第2楽章は彼のロマン的な表現がはまっており名演である。しかし終楽章のコーダの加速がいらないのだ。トロンボーンのソロなど全演奏でも特筆ものなのだが、どうしても趣味に合わない。(総合点:3.5)
(補遺、3月28日)
カルロ・マリア・ジュリーニ / ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団
51XCKSqLWZL79年12月11日、ドロシー・チャンドラー・パビリオンでのライブ。アンサンブルは荒っぽく、録音も高音がやせて弦が薄い。テンポのアップダウンが少ないのは上記盤VPOと同じだがライブのせいかこちらは熱気がある。同じオケでのDG録音はこれの約1年後になるがここから練り上げていったということだろう。ジュリーニ節は既に健在だがいかんせん音が悪い。終楽章コーダは大人の扱いで加速は少ないがティンパニが1発多くたたいたり最後は楽譜と違うので気になってしまう。(総合点:2)
(補遺、2018年8月26日)
サイモン・ラトル / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
youtubeのビデオですが、あまりに素晴らしいので。この第1楽章の出だし、すぐに惹きこまれ心がふるえる。深い呼吸は最高に素晴らしい。これぞ2番だ!第2楽章も弦も楽器奏者たちの歌ごころを引きだしてあまりなく第3楽章が室内楽アンサンブルのよう。指揮者は奏者たちの呼吸を合わせているだけだからだろう、終楽章第2主題への減速が実に自然だ。展開部最後の深い霧。堂々たるインテンポの終結。BPO音楽監督就任2年後である。ラトルを選んだ理由がわかる。(総合点:5+)
ヨーゼフ・クリップス / チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団
1960年5〜6月 、トーンハレ (チューリッヒ)の録音。オケは好調で技術も音程も良く、弦が主体のアンサンブルが中心だが木管とVa、Vcの内声が希少なほどくっきりと聞こえ、しかしバランスを損なわない録音のセンスも良し。クリップスは活躍の場がウィーンで王道。昔は微温的と評されていたが、我々世代がこれぞブラームスと安心、納得する音楽をやってくれる。終楽章コーダだけが僕の賛同しかねる部分だが、これが好きな方はおられるだろう。(総合点:3)
カルロ・マリア・ジュリーニ / ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団
ジュリーニがLAPOとドイツ・グラモフォンに録音したベートーベン(5)、シューマン(3)、ドヴォルザーク(9)は評価が高く(9)、特にブラームス(1,2)は垂涎だった。ジュリーニ一流の遅めのテンポ。濃厚な時を刻んだ2番の第1楽章はブラームスの後期ロマン派的側面を意識させるのはいいが総じてVPO盤に書いたことになる。オケの魅力は落ち、fではバックの金管(特にホルンはうるさい)、ティンパニが弦とは浮いて聞こえるバランスもあまりブラームスには好ましくない。終楽章コーダはトランペットの信号音のところで速くなるが(VPO盤も)全く賛同できない(総合点:2)。
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9. 2022年1月24日 05:11:49 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[12]
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(4)
2015 APR 2 22:22:57 pm by 東 賢太郎
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クリストフ・フォン・ドホナーニ / クリーヴランド管弦楽団
51raZ580e4L__SX425_ドホナーニの祖父でハンガリーの作曲家エルンスト・フォン・ドホナーニはバルトークの同窓生で、自作をブラームスに称賛された人だ。また兄のクラウスはSPD(ドイツ社会民主党)の政治家で、ブラームスの生地ハンブルグの市長だ。彼のブラームスが筋金入り正統派であることに何の不思議もない。ロンドンでこのコンビのマーラー5番を聴いたが、音のクリスタルな透明度では同じ頃に同じロイヤル・フェスティバルホールで聴いたショルティとシカゴ響を上回る気がした。この2番のピュアトーンも格別だ。遅い部分もまったくもたれずすがすがしいほど。速い部分のきびきびした弦のアーティキュレーションと管のタンギングの縦線の合い方も名人級だ。速めでエネルギッシュな終楽章が一切安っぽくならず上質感を保ったまま最高の興奮を与えてくれる。こういうのを高級品という。(総合点 : 5)
ジャン・バプティスト・マリ / コンセール・ラムルー管弦楽団
mariフランス人にブラームスがどう聞こえているか?このCDはその回答として最高に面白い珍品だ。60年にパリのサレ・プレイエルにて録音。冒頭のホルンが薄く軽めのフランス管で期待が高まるが、コーダのソロはここまでいくと何が始まったのかと唖然とするしかない音で鳴る。トロンボーンは実に音程がいい加減で日本の学生オケでも低レベルな部類。金管アンサンブルは各楽器ばらばらに聞こえ、ティンパニのリズムは垢抜けない。弦は多少ましだが終楽章でトランペットが入れる合いの手が浮き出て祭りのお囃子(はやし)みたいになって吹きだしてしまう。第2主題も何ともいえず奇妙だ。大真面目にやってるだけに実に興味深い。並録のアルト・ラプソディのエレーヌ・ブーヴィエ(メッツォ)もどうも違う。大学祝典序曲の金管のコラール風の部分はエキゾティズムに溢れる。しかし、どうしてどうしてこのオケはドビッシーの「夜想曲」「海」、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」「ピアノ協奏曲ト長調」を初演した由緒ある団体なのだ。まあフランス人にシュバイン・ハクセ(ドイツ料理、豚のすね肉ロースト)食べろといってもきっと無理なんだろう。曲をよく知っている利点は、それをプリズムとしていろんなものの微妙な差異を投影して分析できることだ。それにしても文化の違いというのはどうしようもない。これを聴くと独仏が混じりあうなんて千年たってもないだろうし、やっぱりユーロは破たんするしかないんだろうと思ってしまう。(総合点 : 0.5)
カール・ベーム / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
IMG_9557a1975年、ベーム80歳のスタジオ録音で、この全集が出てLPで聴いた時の興奮はよく覚えている。ちょうどVPOと来日して話題でもあった。1番は名盤の誉れ高いBPO盤があるが、こちらは「VPOでやるブラームス」という意識を感じた。BPOのハガネのように硬質で緊張感が支配する世界ではなく、アルペンホルンが響くザルツ・カンマーグートの自然ののどかさを包含したアプローチだ。そしてこの2番は後者の路線でVPOの美質を最も活かした演奏と思う。第2楽章のゆったりした深い情感、第3楽章の絶妙なリタルダンド、ハンス・フォン・ビューローが「ブラームスの田園交響曲」と呼んだ意味が分かる気がするがこのテンポと歌はVPOでなくてはもたないだろう。終楽章もあわてず急がず4分音符4つ振りのテンポで、僕はこれがしっくりとくる。この速度のままコーダで音楽を加熱させられるかどうか?それが指揮者の腕であり、オケを野放図に走らせてもそうなるわけではない。再現部の前でテンポはかなり落ち、そこからコーダまでの高め方は実にうまい。奏者が真っ赤になって熱くなっている感じはないが、音楽の方はちゃんと高まっていく。VPOの音を活かす、それは奏者がウィーン流の自然の摂理で出す音を引き出すことであって奏者たちも求める音楽になる。ベームでなければ退屈で凡庸と言われかねないアプローチがかえってオケをのせている。このオケをドライブするには腕力でねじ伏せるかこれしかないと思うが、晩年のベームにして為せる熟練の業であったと思う。2番鑑賞のマストアイテムだ。(総合点 : 5)
レナード・バーンスタイン / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
41KH1BPB9WL97年のニューイヤー・コンサートの後にウィーンフィルのヴィオラ・セクションの人たちと同じテーブルで食事したが、バーンスタインを異口同音にほめていた。それはマーラーだけの話であったが、この2番はブラームスでもそうだったんじゃないかと思わせる好演だ。ベーム盤ではやや弾かされているような部分にも自発性を感じる。バーンスタインのリハーサルに立ち会ってみて、オケを乗せるのがうまいのに感心したがそれは学生オケでもVPOでも等しく効果を発揮したと思われ、ベームやカラヤンとは違う要求にオケが嬉々として付いていったのかなと思う場面もある。ややアンサンブルに精度を欠く部分があり、終楽章コーダへの持ち込みはベームの方が一枚上だ。(総合点 : 4 )
朝比奈隆 / 大阪フィルハーモニー交響楽団
zaP2_J2025041W「オーケストラ、それは我なり」(中丸 美繪著)によると朝比奈はフルトヴェングラーに会って「スコアは原典版を使いなさい」と薫陶をうけたと語ったそうだが、それはAKBに握手してもらったファンみたいなものだったろうと推察する。京大卒で阪急電鉄のサラリーマンだった彼はドイツの巨匠に憧れる偉大なるアマチュアだった。誤解を恐れずいえば朝比奈の指揮は芝居であり、音大で教育されたら恥ずかしくてできないような「ドイツ巨匠風」の演技ができた。ちなみにドイツ人でもそんな人はおらず、朝比奈の演奏がドイツで懐かしがられたという話も僕はドイツに3年住んで聞いたことがない。ところが今はティーレマンという若手が出てきてドイツで高く評価されているではないか。彼がウィーンフィルでベートーベンを振ったライブを聴いたがあれは復古調路線であって、それなら朝比奈の方が先輩だったといってもいい。「ブラームスはセンチメンタルで多情多感」、「大衆小説、メロドラマ的な要素がある」と語った朝比奈に僕は賛成だ。彼もそういう資質の人だったかもしれず、ブラームスに向いていたと思う。同じメロドラマでもこれは老いらくの恋であり、渡辺淳一の世界だ。ブラームスという人にはそういう面があり、交響曲の2番、3番はそれが色濃く出た曲だ。僕は朝比奈のおっかけではないからこのポニーキャニオン盤しか知らないが第1楽章は名演で、彼の憧れの人フルトヴェングラーよりいい。クラリネットが上質でない、弦のアンサンブルはアバウトなど欠点も多いが、そういうこととは違う次元に価値観をおいた演奏様式だからそれも美質とすら思わされてしまう。作曲家と気質の合ったアマチュアが演奏したものは気質の合わないプロの演奏よりしっくりくるということはあるのだということを教えてくれる。彼の「ドイツ巨匠風」はここまでやれば立派な芸であり、ブラームスが欧州でロマンティックに解釈されていた時代の空気を伝え、そういう演奏を聴いて育った僕より上の日本のクラシックファンの琴線に触れる。僕は彼の「オヤジを泣かせるブラームス」を高く評価している。(総合点 : 4.5)
ルドルフ・ケンペ / ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
kempe2ケンペは好きな指揮者でありこれが大学時代76年3月に出てきたときは大いに期待して1番(LP)を買ったが、がっかりだったという印象が残ってしまっている。演奏はMPOのアンサンブルが特に上質ではないが、それよりなにより録音のせいだ。弦が薄いのは致命的であり、トゥッティは各セクションのブレンドが不満、ホールトーンもいまひとつ。ブラームス録音において必要なものをこれほど外してしまうセンスのなさは残念。1番で戦意喪失してしまったので2−4番を買ったのは89年、ロンドンからの一時帰国時になった。ところがこのCD(テイチク)がまただめなのだ。この全集とは不幸な出会いになってしまったが、ケンペが2番を録音したのは1975年12月12、13,15日で1976年5月12日に彼は亡くなったからラストメッセージなのだ。3番など大変な名演と思われ(不味い録音から推察するしかないのだ)、損失である。点数は録音を考慮。(総合点 : 3)
ジョージ・セル / クリーヴランド管弦楽団
szell brahms右は1985年に買った全集CD。ロンドンでCDが出始めのころでデンオンのプレーヤーを購入して新しいフォーマットの音にワクワクしていたころを思い出す。前年までいた米国ではアパート住まいで大きな音が出せずに欲求不満が貯まっていたものだからロンドンのタウンハウスでこれらを聴くのは楽しかった。セルの指揮はオケを自由に走らせたという感じの部分が皆無でピアノ演奏を想起させる。ピアノはそうでなければ弾けないようにすべてはアンダー・コントロールでありそこが好悪の分かれ目だろう。朝比奈と完全に対極にあるプロ中のプロの芸であり、アンサンブルの精妙さは格別である。しかしホルンの鳴らし方が時としてあざとく人工的に感じられることがあり、そのために僕は彼のドヴォルザークは好きでない。この2番にもややそれを感じ、第3楽章などのテンポの緩急にあまり同意できない。(総合点 : 2)
(補遺、2月28日)
小澤征爾 / サイトウ・キネン・オーケストラ
329このコンビのLDで聴いた4番にはたいそう感動した。小澤さんは僕がアメリカにいた82〜84年頃よくBSOでブラームスの交響曲をやっていて、FM放送をカセットに録音してある。ただそれらは彼の良さが充分出ているとは思わなかった。この2番はSKOの透明感のある管と棒に反応の良い弦セクションがプラスになり、オランダのホールトーンがブレンドした名演となっている。第1楽章は文句なし。緩徐楽章も高雅な室内楽のようだ。終楽章のティンパニも効いている。問題のコーダだが小澤さんは「@のみ派」だ。ABCのアッチェレランドは微塵もない(参照: ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(8))。指揮者の譜読みの見識と品格であり、安っぽい興奮を煽る輩とは一線を画している。伊達に米国でトップに登りつめたわけではないのはしかるべき理由があったのだろうと思う。(総合点:4.5)
(補遺、3月27日)
ルドルフ・ケンぺ / バンベルグ交響楽団
91a015e4d36f7ddda9c99ce7aff212ec鄙びたホルン、くすんだ弦。バンベルグSOの素朴で古色蒼然の味が効いていて第1楽章は格別の暖かみがある。木管の音色もピッチも素晴らしいのである。僕はこれのLPを77年6月、大学3年の時に買い魅せられてしまい、のちに右のCDも買った。こういうオーケストラの音色を愛でる文化は世界的にほぼ消滅したように思う。いわば猫も杓子も食事はマクドナルドでOKの時代だ。ストラヴィンスキーを古楽器でやりました?コカコーラが「クラシック」と銘打ったのとおんなじだ。あほらしい。人類の耳がどんどん子供になってる。終楽章、アレグロに入るや指揮がほんの少しテンポを上げるとアンサンブルががさつになるなど高性能オケではないのが如実だ。しかしブラームスにそんなものが必要だろうか?この手作りの惣菜のような味は捨てがたい。コーダの加速の扱いもきわめて穏当で大人の演奏である。トロンボーンも危なげない。録音もまずまずで、ケンぺを聴くならこっちだろう。(総合点:4)
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10. 2022年1月24日 05:12:43 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[13]
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(5)
2015 APR 5 5:05:29 am by 東 賢太郎
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セルジュ・チェリビダッケ / シュトゥットガルト放送交響楽団
celi今は亡き石丸電気クラシック売り場。大学時代まで僕のLPはほとんどそこで買った。海外で16年過ごす間も帰国の度に秋葉原へ嬉々として足を向けた。今やアキバは別世界でもう行くこともないだろう。帰国して2000−03年あたりに石丸にはAUDIORというレーベルの海賊版と思しきチェリビダッケがたくさんあり、ぜんぶ買ってしまった。その一枚がこれだ。このシリーズ、録音がややフォーカスに欠けてエッジが甘いのだがそれが不思議なものでドイツものにはおいしい効果をもたらしてくれ、けっこう僕の宝物になってしまっている。この2番は1975年4月11日ライヴと思われる(確証なし)がただ者ではない。第1楽章、弦のフレージングに聴き慣れない読みがあったりするが、彼としてはオーソドックスな解釈。ただコーダ前の弦の合奏部分はロマン的な耽溺をみせる。第2楽章は後半、第1ヴァイオリンが1拍を6分割する旋律以後の遅さは類例なく、8分の12以降、ブラームスがマニアックな書法で書きこんだリズムを解析するように解きほぐす。それが音楽的に必要かどうかは異論もあるが、丸めて言ってしまうと理系的、科学者的な眼を感じる。彼のリハーサルを見ていて感じたことでもある。彼はルーマニア人だが隣りのハンガリー、旧ユーゴにもこういう乾いた原理主義的な眼力と熱くて男っぽいエネルギーを併せ持った感じの人がいる。ショルティがそうだし、違う業界だがサッカー全日本代表監督をしたイビチャ・オシムがそうだ。オシムは名門サラエヴォ大学理数学部数学科で大学に残らないかと言われた秀才で、それでも中退してプロサッカー選手になってしまった熱い男だ。僕は彼の原理主義的で明晰なサッカー語録の大ファンだ。終楽章でチェリビダッケの男っぽい熱さが前面に出てきて、オケは全力で弾き、最後は加速して加熱する。この譜読みは僕は頭では反対なのだがなにせこのエネルギッシュで内から湧き上がる推進力には抗しがたいものがある。ブラヴォー!彼の指揮はなんとなくパルスというか気質が合うのだ。このCDはもう手に入らないだろうが異盤があるかもしれない。ベートーベン8番も非常に面白く、両曲をよくご存じの方には一聴をお薦めしたい。今回聴きなおして印象に残った一枚だ。(総合点 : 4)
ギュンター・ヴァント / 北ドイツ放送交響楽団 (9,10,11 July 1996、ライブ)
414HG72XJ1Lヴァントはクナッパーツブッシュ、H・シュタインと同郷(ヴッパータール)の出身。彼が晩年に来日した時の称賛の受け方はベームと似ており、ドイツ好き親父のAKB後継者といった存在だった。しかし彼の指揮は音楽の構造的、建築的な特性を明らかにする傾向が強い。「正しいテンポの決定は指揮者の仕事の基本」と語った彼の信条はベームとは違う。ましてフルトヴェングラーやクナや朝比奈とは全く別物であり、ヴェーベルンを振っても互換性のあるアプローチであった。これらを「ドイツ的」と、ドイツ語に訳しようのない日本語でくくってしまうアバウトな文系的精神には僕は到底ついていけない。この2番は非常に立派な演奏であり、どこをとっても違和感なく模範的なスコアの読み方と思う。初めて聴く人にはいいかもしれない。ヴァントは直球とカーブしか投げずフォークは邪道と切り捨てたマサカリ投法の村田 兆治に通ずる。そこは好きだがこの2番は僕にとってはインテンポで入る終楽章コーダ(これは正しい)がちっとも熱くならないなどロマンの香りや情熱などブラームスの人間くささにわき目もふらないのがもどかしい。村田は晩年フォークで鳴らす大転身をしたがヴァントは死ぬまでそのままの頑固寿司の親父だった。彼はベートーベンの方が向いていると思う。(総合点 : 4)
ヴィトルド・ロヴィツキ / ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団
ロヴィツキポーランドの地場オケ、地場オペラは音楽的レベルが高い。2006年に上野で国立ワルシャワ室内オペラのモーツァルト(ドン・ジョバンニ、フィガロ、魔笛、レクイエム)を片っ端から聴いたが生き生きとした音楽が実に楽しかった。WPOというオケはショパンコンクールの伴奏オケみたいに思ってる人もいるが、その国でトップのオケだ。これを97年にルツェルン音楽祭でカジミエシュ・コルトの指揮で聴いたが、はっきりいってうまくはないのだが中欧の田舎くさい音色と奏者各人の自発性に感心した。この2番もそういう音だ。初めから指揮は熱を帯びており、ごつごつと武骨でワンフレーズごとにヨイショという感じのフレージングセンスはあんまり好きではないが主張は強い。弦のアンサンブルはどこか雑然としてトゥッティがなんとなく暑苦しいが自然に合って音楽になってしまうという塩梅だ。62年の録音はマイクがオンであり、1、4番にはいいが2、3番には適性がない。(総合点 : 2)
リッカルド・ムーティ / フィラデルフィア管弦楽団
phcp-1686_jNj_extralarge88年録音。僕のいた82−4年にはやらなかった。ロンドンで買ったこのCDはそれが悔しいほどの名演だった。このオケの管のうまさはここでも絶品ですばらしいピッチだ。弦のアーティキュレーションも見事に統一されアンサンブルに透明感と気品があることでは最上位の演奏である。音楽の起伏と生気もまったく理想的と言え、フォルテのメリハリも至極納得である。中間楽章のロマンの息吹も入念に描かれ、テンポが落ちても人工的な感じがない。アレグロの部分の縦線の合い方はオケ演奏の規範というべきレベルなのに、それをひけらかして終楽章コーダを安っぽくアッチェレランドなどしない。難しい第1トロンボーンは余裕すら漂わせる。上質の音楽を上質の演奏家がやれば自然に感動がやってくるというもの。イタリア人がアメリカのオケを振ったブラームスなんてという偏見をお持ちの方にぜひ聴いてほしい。ファーストチョイスにも自信を持ってお薦めできる。(総合点 : 5)
カレル・アンチェル / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
640チェコフィルはワシントンDCでドヴォルザークの8番を聴いたが、ヴィオラ、チェロのセクションがまったく特別なビロードの手触りのまろやかな音がしていたのは今も記憶に生々しく残っている。8番の冒頭はそれを念頭に書いた音だろう。それはブラームスにも向いているが、67年プラハ芸術家の家での録音はやや硬いのが残念。当時のホルンの音も個性的でドイツよりもソ連に近いのはあまり好まない。マッチョで筋肉質のブラームスはセルを思わせる直截的なもので、ロマン的なふくらみは薄く僕の趣味とは相いれない。彼は1番の方が向いていたと思う。(総合点 : 3)
ウォルフガング・サヴァリッシュ / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
サヴァリッシュ ブラームスヨッフムと同様にEMIが大指揮者の晩年のブラームス全集を振らせたのはLPOだった。マーラーのテンシュテットもそうだった。このオケは便利屋っぽいがそういう仕事でもそれなりに本気で燃えた演奏を残している。第1楽章はティンパニを強く打ちこみ弦は歌い、ウィーン風の表現意欲が見える。第2楽章、弦の旋律を支える木管とホルンの暗めの和声のブレンド。これこそブラームスだ。ここも弦が歌う。第3楽章も英語のオケにドイツ語を喋らせる感じだがLPOがちゃんとついていく。終楽章はちょっと指揮者の意図より重量感に欠け燃焼不足ではないか。良い演奏だが、良いだけにこれがベートーベン全集と同じくACOとであったらと思ってしまう。(総合点 : 4)
ウォルフガング・サヴァリッシュ / ウィーン交響楽団
1959年録音。古き良きウィーンの音に何も足さず何も引かずだが、かような飾り気のないサバリッシュの音楽に当時の日本の評論家は冷淡だった。今回25枚組のDeccaの名盤集を買ってこれを聴いたが、第2楽章コーダの暗雲のようなティンパニには主張があり、感興こめて歌う木管は耳を捉えるではないか。終楽章のテンポも王道のゆるぎなさであり見事。僕が違和感を覚えるものは一切なかった。良いブラームスというしかないが、こういうものを個性がないと評するなら個性を売らんかなのビジネスに毒されているだろう。2番が好きな人でこれがつまらないというのは鑑賞環境が良くないのかどうか、ともあれ僕は想定できない。(総合点 : 4.5)
エマニュエル・クリヴィヌ / バンベルグ交響楽団
1526825フランス人がドイツのオケを指揮した異色の全集。93年のデンオンの制作。このオケはフランクフルト時代にH・シュタインで聴いたが弦が東欧風の古風な音色を持っており、彼が録音したシューベルトの交響曲の初期(1,2番)に最良の音が刻まれている。この2番は曲のロマンティックな側面を掘り起こした非常にユニークな演奏で、第1楽章からオケの音が柔らかく湿度を含み音楽の作り方も常に鋭角、唐突を避け丸みを帯びる。第2楽章のチェロの旋律が異例なほど情緒をこめて朗々と歌われ、粘り気のあるホルンと弦がこってりと絡まって後期ロマン派風のエロティックですらある世界を作る様は他では体験できないオンリーワン。第3楽章は一転軽やかで木管が実に美しい。やや速めの終楽章は冒頭トゥッティでヴァイオリンが脱兎のごとく出てしまいアンサンブルに乱れが生じてハッとするがやがてこのオケの本来のコクのある合奏力が発揮され音楽は見事に走る。第2主題を経てテンポは微妙に動き、けっしてあっけらかんとゴールに向けて駆け込む単調な棒ではなく再現部前はロマンの森に再び彷徨いこむ。再現部第2主題の歌い方、続くアレグロの目の立った合奏と金管の立体感あるからみなどオトナの耳をそばだてさせる味付けであり、最後のトロンボーン一音一音まで指揮者の神経が回っているのがわかる。これは通しかわからない京料理の隠れ家の名店みたいなもので、クリヴィヌがドイツでも特にしっとりと古雅な音色を残しているバンベルグ響を得てこれをやったのは非常に意味があると思う。(総合点 : 4.5)
(補遺、2月29日)
ロジャー・ノリントン / ロンドン・クラシカル・プレーヤーズ
img_0古楽器演奏のブラームスである。第1・4楽章ホルン主題と第2主題の「歌わなさ」、管楽器のテヌートのなさ、第2楽章主題を奏するチェロの室内楽のような佇まい、対位法の見通しの良さ(管に比して弦が少ない、これはブラームス時代のオケの標準)、第3楽章の速度と管のフレージング(非ロマン的、古典的)、速めの終楽章は@での加速に加えてAの後半でさらに加速(私見では誤り)が特徴。1877年のハンス・リヒターの演奏時間(最初の繰り返しを含めて43分)に近い(42分)この演奏は示唆に富む試みと評価するが、演奏としての感銘度は特に高くはない。(総合点: 3)
フェリックス・ワインガルトナー / ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団
ウィーンフィルの指揮者でありヨーゼフ・クリップスの師匠だったワインガルトナーはブラームス交響曲全集を録音した史上二人目の人だ(初はストコフスキー)。最晩年の1940年に録音した2番はスコアに指示のない恣意は一切排除した速めのテンポで、フルトヴェングラーとは実に対極的だ。終楽章などこの快速であればコーダでアッチェレランドなどかけようもない。現代の耳にはもう少し感情の起伏が欲しいが、作曲家でもあった彼の読みは今の演奏ルーティーンであるところも多々あり流石と思う。(総合点: 3)
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11. 2022年1月24日 05:13:43 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[14]
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(6)
2015 APR 10 2:02:31 am by 東 賢太郎
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オトマール・スイトナー / ベルリン国立歌劇場管弦楽団
suitnerベルリンはブランデンブルグ門を少し入ったウンター・デン・リンデンにシュターツ・オーパー(国立歌劇場)がある。ドイツ赴任中ここでワーグナーをよく聴いたが、まことにドイツ風情の古風な味わい、つまり東独時代の音色が残っているオケであり至福の時を味わった。この2番はそのオケの美質が良く出ている。繰り返しのある第1楽章は指揮者の曲への愛情に満ちている。ベルリン・イエスキリスト教会の残響の中、木管が浮き出ず古雅なホルンが茫洋と弦と溶け合って薄明の中をまどろむような第2楽章の風情がすばらしく、第3楽章のオーボエのチャーミングなこと、クラリネットの木質の響きなど何物にも代えがたい。残念でならないのは終楽章で、開始部と主部のテンポの落差はどういう譜読みなのか意味不明でひっかかる。僕が住んでいたころのドイツのオケの日常的なコンサートはこんなものだったとはいえアンサンブルの質もやや落ちる。コーダのアッチェレランドはまったく賛同しがたい。(総合点 : 3、1−3楽章のみ5)
ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
karajan21983年、カラヤン最後の全集の2番。右は87年にロンドンで買ったCDで「made in West Germany」とある今や歴史的一品だ。ロンドンはロイヤル・フェスティバルホールで聴いた彼の第1交響曲はBPOの低弦の威力に度肝を抜かれたが、この2番は中声部(ヴィオラ、チェロ)に力点を置いている風に聞こえる。しかしやはりホルン、トロンボーンのfは威圧的に響きティンパニも雄弁で、音楽の劇性に訴えるアプローチだ。中声部の力点もオケの自然な美質の発露というよりも、計算して作られた素材としてカラヤンの信じる劇性表現のための素材として組み込まれているという性質の印象をどうしてもうける。第3楽章の木管のうまさ、アンサンブルのピッチの良さなど超がつく一級品で、このコンビの実力が伊達でなかったことが証明される側面もある。終楽章はトゥッティで木管が聞こえ過ぎるなどミキシングもどことなく人工的。コーダの第1トロンボーンはBPOと思えぬ恥ずかしい出来だ。パリで当時ピカイチの3つ星だったアラン・デュカスで食した?万円のフレンチ、たしかに美味しいんだけど「美味しいフレンチ」というコンセプトで煙に巻かれた感なきにしもあらずの食後感と似たものを覚える演奏だ。(総合点 : 3)
オイゲン・ヨッフム / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
R-4321125-1384029374-3577_jpeg第1楽章、第2主題に持っていくやや速めのテンポが自然で実に良い。この「自然で」という風情がなかなか出るものではない。展開部も速めで重みや巨匠的風格は後退するが交響曲としての骨格を明示した表現で僕は好きだ。彼の指揮はフィラデルフィアとロンドンでベートーベンの7番を2回聴いたが、正に同じアプローチで素晴らしかった。第2楽章は一転、森のような深い音色と情感のこもった歌だ。テンポは刻々と微妙に動くが音楽の脈絡と遊離せず、コーダは止まりそうなまでに沈静する。これがツボにはまっていて良いのだ。第3楽章は普通だ。アンサンブルはあまり整っておらず、ぎちぎちとリハーサルで詰めた感じではない大らかさがあるが、実演でもそういう奏者の音楽性まかせの遊びの余地ある指揮だったように思う。終楽章もやや速めのテンポで開始。カラヤンと対照的に低音をゴリゴリ出さないので風通しが良く、軽量級に聞こえるが曲のエッセンスは語り尽くしているという真打の芸だ。76年録音でBPOやVPOは使えないEMIはLPOを使ったわけだが、オケが棒に納得してヨッフム晩年の記録を刻もうという意欲を感じる。最後の加速だけ余計だが全体のライブ的な流れの中では許容しよう。(総合点 : 4.5)
ヨーゼフ・カイルベルト / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
083無人島に持っていくブラームスの2番をどうしても1枚だけ選べといわれれば僕はこれにとどめをさすことになる。理想的なテンポ、堅固な造形、いぶし銀の音色、絶品のフレージング、飾りのない表情、精緻な楽器のバランス、どれをとっても最高であり、安手なポーズや虚飾など目もくれない。人工調味料の味つけなど微塵もない老舗の名品、渋めの名優の大石内蔵助みたいなもの。どこをとっても押しても引いても揺るぎのない確固たる信念に満ちた表現であり、場当たり的でオケ任せな部分は皆無。第2楽章の絶妙な間、呼吸の深さなどこれをしのぐものは考えられない。終楽章の鋼鉄のような重みと質感のあるトゥッティのアレグロのアンサンブルと第2主題の仄かで柔和な光をたたえたレガートの歌の対比など、これぞブラームスであると特筆大書したい。この録音がバンベルグSOやハンブルグPOではなくBPOで行われたことを音楽の神様に感謝したい。コーダのテンポはこうでなくてはいけないという決定的なものだ。本当に素晴らしい!何度聴いても心からの感動をいただける最高のブラームス2番である。(総合点 : 5+)
ダニエル・ ライスキン / ライン州立フィルハーモニー管弦楽団
209サンクトペテルブルク生まれの全く知らない若手指揮者だがなかなか正統派のブラームスだ。アバドやプレヴィンがデビューしたての頃、我が国の評論家は若僧あつかいしてブラームスなんかやろうものなら10年早いぐらいの勢いでこきおろしていた印象がある。こっちがそういうトシになって1970年生まれの指揮をきいている。ねばらないブラームスで、ライブでもあり弦など目が粗いしオケも一流とは言い難い。第2、3楽章は僕には速いしコクに欠ける。終楽章はやや速めの部類でリズムと強弱にメリハリをつけるのが小気味良く快調で、こういう表現が好きな人はいるだろう。(総合点 : 3)
マリン・オルソップ / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
MI0001110199女が指揮したブラームス?そんなもん聞けるか!とは僕のオヤジ世代のドイツ硬派の反応(想像だが)で女性の皆さん申しわけございません。そういう時代でした。昔はオケは男の牙城、まして指揮者が女性となると陸軍大将に女性が就任したようなもの(ちょっと大袈裟か・・・)。米国人オルソップは史上初めてブラームス交響曲全集を録音した女性である。それは壮挙だがしかし音楽にジェンダーはない。鳴る音楽以外にそれを生みだす人のパーソナルデータなど僕にはどうでもいいのである。第1楽章はよく統率され整った演奏で最も好感を覚えるがテンポやフレージングはやや常套的だ。中間の2楽章は特に何もなし。きれいではあるが夢幻や隠避の滓は含まれていない。終楽章第2主題の減速は人工的でブラームスの陰のある憧れがきこえず、内的な熱さを伴わないコーダへ向けての加速は何度も書くが賛同はできない。(総合点 : 3)
イシュトヴァン・ケルテス / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
uccd7207-m-01-dl73年にケルテスはテルアヴィヴにて遊泳中に高波にさらわれ溺死した。43歳。20世紀クラシック界の最大の損失の一つと思う。この2番は64年に35歳の彼がVPOを振ったもの。67年にLSOとの録音もあり(新世界と同じパターンだ)、亡くなる直前にブラームス全集をVPOと録音中で2番は再録音予定だったが果たされなかった。未完で残ったハイドン変奏曲の最後の変奏はVPOの総意で指揮者なしで録音された。やや弦の音が固いが第1楽章の陰影が濃い。VPOはオーストリアのオケだがウィーンという都市は東欧のコスモポリタンでハンガリー、チェコの影響も強い。VPOに愛されたハンガリー人の彼は名門オケからドイツの四角四面に縛られないエスニックな喜びを解き放つことができる人材だったように思う。逆にそれができるから愛されたのかもしれない。2番には1,4番と違いそれが活きる要素があるのは終楽章の若々しい爆発、音を割るホルン、立体感のある音楽のうねりをきけばわかる。すばらしく熱してelectrifyingなコーダ!30代にしてVPOとそんな蜜月関係を築けた者はカラヤン、ベームらを含めても誰もいない。彼が2番を再録していたら?そしてもし今生きていれば86才、さらにVPOを振ってこれを聴かせてくれたらどんなすごい音楽になったろう?返す返すも20世紀クラシック界の最大の損失の一つである。(総合点 : 4)
(補遺、2月15日)
オイゲン・ヨッフム / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
17581年、カール・ベームが急逝した後の定期演奏会でのライブ(ムジークフェライン)。ヨッフムはVPOを4回しか指揮していないが、この2番は素晴らしい。第1楽章はオーケストラに自由に弾かせながら知情意のバランス良くまとめ上げ、テンポにはうねりを与え、追悼演奏ということもあったのか、第2楽章コーダ、第3楽章の緩徐部で深い情念を語っている。終楽章は合奏に乱れやティンパニの先走りがあるが棒がオケにまかせて勢いを引き出す風だったかもしれない。コーダのテンポは納得いく。(総合点:4)
ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
zaP2_G5378398W1963年録音。第1楽章、さすがBPOという音だ。このオーケストラのドライブ力は見事。 第2楽章は室内楽のようで弦を深い呼吸で歌わせるがヴァイオリン高音部がやや美感に欠ける。第3楽章は平凡。終楽章は大層な勢いとパワーで開始、コーダは二分音符の減速は浅く、ヴァイオリンの高音の頂点でややブレーキを踏み、Aの前半とCでほんの微妙に加速と芸が細かいが、ほぼ王道を行っていると評することができる。若いころからカラヤンは大物の証明を刻んでいる。(総合点:3.5)
(補遺、3月29日)
ヨゼフ・カイルベルト / バイエルン放送交響楽団
41QC791D6HL66年12月8日、ミュンヘンのヘルクレス・ザールでのライブ。上記BPO盤と同様に、心の底から僕を説きふせる何かのある解釈。2番はこうなんですよと言われれば降参するしかない。カイルベルトとハイティンクが無意識にベンチマークになっているかもしれず辛口評価になった演奏はそれから距離があるということか。オケは一流感には乏しいがツボにはまった音が鳴っていて、最低限の技術と正確な音程さえあればそれ以上の何がいるかとさえ思わせる。終楽章はコーダに向けて音楽が熱してくるのがライブで、微妙だが一貫してアッチェレランドがかかる。ここは禁欲的に行って欲しかった。(総合点:4)
(補遺、21 July 17)
クルト/ザンデルリンク / ベルリン交響楽団
1971−72年の第1回に続く2回目の全集。1990年にベルリン・イエス・キリスト教会での録音である。第1楽章のスローテンポはちょっとつらい。コーダの夕陽は心にしみてくるが。中間2楽章も黄昏の表情を湛える。終楽章すら遅く始まり、第2主題はもちろんさらに減速するし展開部の最後は止まりそうになる。コーダは入りでやや加速して(それでも異例に遅い)そのままインテンポで終わる。それはいいが、全体に僕にはよくわからない。非常に特異な2番である。80才になったらいいと思うかもしれないが。(総合点 : 2.5)
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/04/10/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%96%ef%bc%89/
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/592.html#c11
12. 2022年1月24日 05:14:33 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[15]
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(7)
2015 APR 12 14:14:33 pm by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/04/12/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%97%ef%bc%89/
フリッツ・ブッシュ / デンマーク国立放送交響楽団
31EEA5VE93L1690年創立のマイニンゲン宮廷楽団の指揮者には1880年にハンス・フォン・ビューロー,85年にリヒャルト・シュトラウス、86年にフリッツ・シュタインバッハが就く。そして85年10月にこのオケが初演した曲がある。それがブラームスの交響曲第4番であり、そこでオケに入ってトライアングルをたたいたのがリヒャルト・シュトラウスだった。シュタインバッハはブラームスと親交が深く彼をマイニンゲンに招き、彼の作品によるザクセン=マイニンゲン地方音楽祭を立ち上げた名高いブラームス指揮者であった。後年そのシュタインバッハがケルン音楽院で指揮法の教授になった時の生徒がハンス・クナッパーツブッシュとフリッツ・ブッシュである。この二人のブラームス2番が聴けるというのは幸運なことだが、両者は違う。クナは自分のブラームスは先生のまねだと言ったらしいがバイロイトに行ってワーグナー指揮者として名を成した芸風の人であり一概には信じ難い。両者はテンポからして異なり、ブッシュの終楽章は7分55秒と最速クラスだ。モーツァルトを得意とした彼のフィガロやドン・ジョバンニの芸風を持ってきた2番と言えそうだが、はて、こっちもこれが直伝かというと迷う。かたや4番を聴くと両者には通じ合うものがあるのだが・・・。そこに関してはやはりブラームスと親しく、演奏会で自分の代わりに第2協奏曲を弾かないかと誘われ(断った)、この交響曲2番の作曲者指揮によるライプチヒ初演を聴き、どれかはわからないがブラームス臨席の演奏会で彼の交響曲を指揮し少なくとも解釈にクレームはつかなかったという逸話を持つマックス・フィードラーの終楽章を信頼すべきだろう。これは驚いたことに四つ振りのやや遅めのテンポで始まり、全奏で速くなる。以後もテンポはよく動きとても流動的だ。ピアノ協奏曲2番をブラームスはとても情熱的に激しく弾きテンポはよく動いたという証言をどこかで読んだ記憶もあり、ほぼ同時期の44歳の作品である第2交響曲も同様の解釈が正解なのかもしれない。フィードラーの演奏を聴いていて僕はふとこれは蒸気機関車から見た光景か?と思ってしまった。彼はエジソンの蓄音機に録音を試みたように機械やニューテクノロジーに並々ならぬ関心を示しており、イタリアやペルチャッハへもSLで行った筈なのである。このブッシュ盤はSLどころか快速電車だが。このCD、モーツァルトの「リンツ」はやはり快速、メンデルスゾーンの「イタリア」冒頭主題は歌いまくる。ドイツ語圏音楽の解釈を考古学的に探ってみたい僕には非常に貴重な音源である。(総合点 : 4)
リボール・ペシェク / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
pesekぺシェックはチェコPOの常任も務めた同国の名指揮者である。右のCDは89年ごろロンドンで買ってもう忘れていたもの。今回のきき比べの試みがなければもう聴くことはなかったかもしれないが、このクオリティの高さは新発見だった。冒頭より実に細やかな神経の通った音がする。木管の音程の良さも一級品だ。指揮者の耳の良さがすぐわかる。オケの各声部のテクスチャーも透明感があり第1楽章は文句なしだ。第2楽章のチェロも秀逸で、それに重なる絶妙のピッチのフルートなどそれだけで耳がくぎづけになるし第3楽章の木管アンサンブルは音楽性のかたまり。欲を言えば弦の質が木管の域にはないがこれだけ良い音がすると弦も含めて全員が耳を澄ましてお互いを聴き合うしかないのだろう、上質の室内楽を聴くようだ。こういうところが指揮者の腕前なのである。終楽章は常識的なテンポで始まり再現部のまえで落とす。第2主題の歌ごころも素晴らしく、コーダへの道のりでティンパニをはっきりと鳴らし強いインパクトを与えながら熱していく。個性はどこといってないかもしれないが少しも小手先の感じがない立派なブラームスだ。i-tunesで900円の廉価盤となっており経済的にもファーストチョイスに推したい。(総合点 : 5)
小林研一郎 / ハンガリー国立管弦楽団
kobaken1996年5月19日にアムステルダムで小林先生と仲間でゴルフをやった。接待でなく遊びであり真剣勝負させていただいたが大変にお強く完敗した。終わったホールの僕のスコアから2打目に使ったアイアンの番手までよくご覧になっていて完璧にいい当てられるのは驚いた。頭脳も身体能力も人心掌握力も常人ではない。100余人のプロ集団を指揮台で率いる人kobaken1はこうなのだと思い知った。このCDはその時にいただいたもので、僕の好きな4番の冒頭をサインと一緒に書いて下さった宝物だ。第1楽章はゆったりした歩みで第2主題の入りには一瞬の間をとる。第2楽章のドイツの暗い森を思わせる雰囲気やチェロの表情はブラームスそのものであり、重めのホルンの音色がぴったりで木管のピッチも非常に良い。ヴァイオリンの入りをそっと息をひそめるなどデリケートな味わいにあふれるが後半の激する部分では低弦を強調しており、このロマンに満ちながらも尋常ならざる緊張感も秘める表現は幻想交響曲の第3楽章に通じるものを感じる。この楽章の解釈は秀逸だと思う。第3楽章の田園風景は管弦のまろやかなブレンドが見事である。終楽章は一転速めのテンポをとりオケは深みある音で見事に棒に反応している。いいオケだ。第2主題への減速は自然でありこういう呼吸の上手さを聴くとついあのゴルフ場での卓越した距離感の寄せを思い出してしまう。再現部の第2主題も同様だがコーダ前の減速から例のトロンボーン下降に向けてやや加速し、コーダにさらに加速する部分、僕の趣味として合わないのはここだけだ。今の先生はさらに円熟されているだろう、是非実演で聴いてみたい。(総合点 : 4.5)
ヴァ−ツラフ・ノイマン / フィルハーモニア管弦楽団
CL-12031900499年に香港で買い、ダルでつまらないという印象しかなく2度と聴かなかったCD。これがなかなかいいじゃないかと思うようになっているというのはトシを取ったということだろうか。とにかく牛歩のごとく遅い。コバケンさんのように何か起きる予感を秘めた遅さではなく、老人が道端の草花を愛でながらゆっくり散歩するようでそれに44歳の僕は辟易してしまった。2番に何を見るか?当時はロマンとパッションだったし、やはりこれを書いた時に44歳だったブラームス自身もそうだったかもしれないとフィードラーの演奏から思う。今はこれいい曲なんでじっくり味わわせてよねという要求の方が勝っている。そして69歳のノイマンの目に共感している。老成した指揮者がやりたがるのはむしろ4番だろうが、もう70の声をきけば2番のブラームスも4番のブラームスもないのかもしれない。64歳までしか生きなかった作曲者自身の知らない世界だろうか。そういう男がやった2番は、終楽章コーダで加速しないのだ。当時の僕はそれがないのでダメだった。青かったなあと思う。(総合点: 4)
ニコラス・アーノンクール / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (96年、ライブ)
39997年7月にアーノンクールはヨーロッパ室内Oとチューリッヒ・トーンハレでブラームス全曲をやった。僕は1,2番を聴いた。1番はノリが良かったが2番はあまり共感しなかった記憶がある。当時はすでに古楽器の泰斗がヴェルディをやってしまう時代だったがブラームス界への進出も意外だった。このBPOとの2番、弦やオーボエソロのフレージング等にクリティカルにスコアを読んだ痕跡があるのはイメージ通りだが、とにかくハートが熱い。なるほどけっこうであり、ライブもそうだったしそういう気質でないと椿姫など振らないだろうが、それが部分部分でショートテンパー気味に感じられてしまう。ブラームスというのはそういう小手先のミクロの熱の集積で暖まっていく音楽ではなく、あくまで大河のごとき流れが底流にあって徐々に聴き手の内面にある情をかきたてながら気がついたら体の芯から暖まっていて2~3時間は冷めないというものだと僕は思う。元気に爆発する劇的な終楽章など3分で冷めてしまう。H先生、とても見事ですが気が合いませんねと言うしかない。(総合点 : 2)
エヴゲニ・ムラヴィンスキー / レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 (13June 1978、ウィーンでのライブ)
muraこのLPはオケの音像が遠目で録音レベルも低く冴えない。しかし高音を上げ低音は絞り、最大音量に近づけるとムジークフェラインの中央よりやや後ろの席あたりの音に近づく。これが実際にどんな音だったかはこのホールの音の記憶から推察するしかないが、第1楽章の終結へ向かう部分の弱音などさぞインパクトがあっただろう。このコンビの音量の振幅というのはエネルギー、カロリーの増減を伴うことで物理的なものを超越しており、他の演奏とは一線を画する印象的なものと思う。ここもppに近い静寂と緊張感から終楽章の解放に至るまでのドラマを演じるが細部が良くわからないのが惜しい。コーダは少しくアッチェレランドがかかるが音楽の情動が許容するぎりぎり範囲内のものであり、会場で聴いたらさぞ感動しただろう。ホルン、トロンボーン、オーボエの音色にやや違和感を感じることを置けば傾聴に値する2番と思う。(総合点 : 3)
マレク・ヤノフスキ / ロイヤル・リバプールフィルハーモニー管弦楽団
janowski87年ごろロンドン時代に買ったLP。第1楽章はゆったりした大河の様な流れで提示部の繰り返しもあり、ブラームスにたっぷりとひたることができる。LPの音は木質で大変すばらしい。第2楽章も同様で弦のやや湿度を帯びた音が好ましい。第3楽章はさらに同曲で最も遅い部類であり、精神をいやすヒーリング効果すら感じる。そして終楽章だが、常識的なテンポであったのがコーダに至ってものすごいアクセルが踏まれ脱兎のごとくゴールへ飛び込むことになる。それさえなければ大人のブラームスであったろうに惜しい。(総合点 : 3)
(補遺、3月23日)
フリッツ・ライナー / ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団
71GEq7yT-ML._SL1442_1960年3月12日のライブ(放送録音か)。楽器の生音をよく拾ったモノラル録音であり鑑賞には耐える。強奏するホルンの音が重め、オーボエなど木管の色気がないなどNYPOがドイツ系の音だったことがうかがえる。解釈は至極まっとうで文句なし。ただ第3楽章の弦のアンサンブルなどライナーのCSOとの演奏の水準にはなく荒い。ロマンの息吹もやや不満だ。このディスクの白眉は終楽章。ティンパニを強打したエネルギー満点の主部は見事で、コーダに至る前からすでに加速(こういう手があったんだ、脱帽!)、コーダは@で加速、Aで常識の範囲内でやや加速で納得感あり。ところがBの前半で(編集のミスか?)1小節落ちていて大変ずっこける。ということで好事家向けであることは否めまないが僕には感心するものがある演奏。ちなみにこのCD、余禄のピッツバーグSOとのハンガリー舞曲がすばらしい。(総合点:2)
(補遺、11 June17)
ジョージ・セル / クリーブランド管弦楽団 (5 Jan1967、ライブ)
クロアチアのVIRTUOSOレーベルから出たセル&クリーヴランド管弦楽団〜1967-69未発表ライヴ集Vol.1の3枚組CDでゼルキンのPC1番と交響曲4番と組まれている。セヴェランスホールでのステレオ録音で放送用だろうか、悪くはないがややドライだ。第1楽章提示部を繰り返すのは珍しい。ライブにおいてもセルらしくコントロールされるが金管にミスがありこのオケも万能ではないことがわかる。正規録音のほうにも書いたが、僕はロマン派楽曲でのセルのホルンの扱い方が苦手であり、ここでも大いにそれがあるため引いてしまう。中間楽章は僕の欲しいロマンはあまりない。終楽章は巨大な室内楽の如き立派なアンサンブルであるが、だから何だというところ。彼のベートーベンは最高の敬意を払うがブラームスはだめだ。(総合点:2)
(補遺、2018年8月25日)
アンタール・ドラティ / ロンドン交響楽団
Mercury Living Presence (The Collector’s Edition-3)より。シリーズ共通の近接したマイクで弦の内声部が聞こえすぎる感なきにしもあらず。しかしLSOの細部にアラがあるわけもなく、この演奏の風格は抗いがたい。19世紀から脈々と受け継がれた伝統を一切外すことなく、ドラティ一流の筋肉質なアンサンブルでまとめた2番。僕は1986年にロンドンでドラティがロイヤル・フィルを振った交響曲1番とPC1番を聴いたが同質のものだった。終楽章コーダはどうかと思って聴いたが、ドラティがチープなアッチェレランドなどするはずもなく、杞憂であった(総合点:4)。
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/04/12/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%97%ef%bc%89/
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/592.html#c12
13. 2022年1月24日 05:15:24 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[16]
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(8)
2015 APR 14 3:03:58 am by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/04/14/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%98%ef%bc%89/
ブラームス2番の聴き比べ、これで8稿目になります。
今回は趣向を変えましょう。ブラームスの2番について述べるのにこのレコードについてふれなければ自分史という観点で背任になってしまう、そのぐらい僕に決定的な影響を与えたのがこのベルナルド・ハイティンク / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のLPでした。haitink
大学に入った年75年にこれが新譜で出たさいに音楽評論家の大木正興さんが激賞したのがこれとチャイコフスキー5番だったのをよく覚えています。当時僕はレコード芸術誌の大木さんの文章を熟読していて、ドイツ的なるもの、本質的、精神的(形而上)なるものへの肯定とショーマンシップ、表層的、商業的なるものへの蔑視という価値観に深く共鳴していました。
どうしてこのレコードに興味を持ったかといいますと、単に大木さんが誉めたからではありません。それまで大木さんはハイティンクをぼろかすに貶(けな)していた急先鋒だったからなのです。その君子豹変ぶりが意外で、一体どうしたんだという興味から聴いてみようとなり、これとチャイコフスキー5番をすぐ買いました。
果たして、スピーカーから流れ出た音楽はそんな経緯はどうあれ僕の耳に問答無用で心地よく、それまで聴いていたワルター/コロンビアSOよりも良く、これこそが俺の好みなんだと確信しました。そうしてハイティンクを聴きこんだ結果、僕にとってブラームスの2番とはまぎれもなくこれとなったのです。
これがそうして刷り込まれた演奏だということは、それから40年の歳月を経てもう自分の中で自覚できなくなっています。しかし、今回のきき比べをするうちに「終楽章コーダのアッチェレランド」の問題がどうしてもひっかかってきます。僕はどうもそこでの加速が蛇蝎のように嫌いなのです。それがこのハイティンク盤と深くかかわっていることは後述しましょう。
スコアにaccelerandoと書いてないという原典主義的な理由ではなく、とにかく蛇蝎より蜘蛛より嫌いである、これはもう生理的なものです。困ったことにこれが曲全体のフィナーレなものですから、これをやられてしまうといくらそこまでいいぞと思っていても感動が台無しになるのです。9回裏ツーアウトから逆転サヨナラホームランを食らうようなものですね。
今回書いてきたものでそれがいかに多いかお分かりいただけますでしょうか。だから僕は2番のコンサートは敬遠しています。サヨナラ負けの可能性多いですし指揮者に先に「かけます?」なんてきけませんしね。アバドとアルブレヒトだけでした、良かったの。
それがコーダのどこのことか?加速できる可能性のある個所は4つあります。第1ヴァイオリンのパートで見てみましょう。
まずここです・・・@(pからsfまで)
bra2 4
次にここです・・・A(cresc .からffの前まで)
bra2 5
ここでトロンボーンの下降が入ります。そして次にここ・・・B
bra2 2
ちなみにこれが最後に来るトランペットのパートです・・・C
bra2 3
@のフレーズは4-5小節の3つの二分音符でテンポにブレーキがかかることがほとんどです。だから6小節目のpの「入り」は遅く、そして最後の最後であるCはほとんどの場合、@の入りよりは速いのです。
ということは@ABCのどれかで加速しなくてはなりません。
まず@です。4-5小節の3つの二分音符にアクセント記号(> )がついていて各音を重く強い音で弾く指示なのでテンポを落して行われるのは自然です。最後のsfに向けて今度は増音(クレッシェンド)していく過程で漸強、漸弱(< >)の呼吸を3回はさんで興奮が高まり、それはVnの音高がオクターヴ高くなる最後の4小節で最高潮に達します。
この過程で落としたテンポを速くしていく、これは弦を重く弾く奏法の物理的原則によって速度が落ちたものを@の1-3小節までの速いテンポに復元する行為であって、ここにaccelerando(アッチェレランド)と書いてなくても加速が行われることは、二分音符に rallentando (徐々に遅く)と書いてないのに遅くなったことの裏返しです。
ちなみにハイティンクは二分音符でやや多めに減速していますから、インテンポ派の指揮者のなかでは@の加速も必然として多めで、それは最後の4小節で来ます。しかしそれが最高潮に達する音楽の摂理とあいまって外面的には感じられずに興奮を高める効果を上げているのが見事です。
そして問題のAです。ここで加速するとなるとそれはテンポの回復ではなく本当のアッチェレランドであり、スコアにそう書いてないことは意味を持つと思います。それに対して、cresc.とあるので@と同じだから音量増加イコール速度増加でいいだろうということか、ここで加速する人がいます。
マックス・フィードラーもフリッツ・ブッシュもハイティンクと同じ@のみ(やや振幅は小さい)であり、Aの加速は僕は間違った解釈であると思っています。ベーム、トスカニーニ、ショルティ、ヴァント、アバド、ミュンシュ、ケルテスも@のみです。ムーティも@のみで、スカラ座Oとのビデオを見るとAで弦が興奮して走らないように手で制止してます。見識ですね。
クナッパーツブッシュ(ドレスデン・シュターツカペレ盤)は楽章冒頭から4つ振りで遅く異例ですが、@を準備するトゥッティ部分で加速するというのがまた異例で、他の演奏の記憶からここから終結に向けてさらに速くなる予測がよぎりますが、そうならない。その加速は@の二分音符での減速で完全に打ち消され、そこの停止感が強調されるのです。そして最後の4小節への音高上昇の興奮とともにほんの少しの加速をしますが、最後のa音に伴うsuspended 4th→A7をカデンツとしてまた減速。そしてトランペットを強奏してAの最初の4小節のフォルテの意味を際立たせ、Aのクレッシェンドで微小な加速がありますがほぼ無しに等しく、つまり堂々たるインテンポでティンパニを強打して終わります。実に深い読みであり、ブラームスの直伝の解釈をうかがわせる可能性のある演奏として注目します。
一方、フルトヴェングラーは二分音符の減速がほとんどなくスタート地点のpから速い上に、まず@で加速、そしてAでさらに加速、Bまで二分休符で前のめってCになだれこむという3段ロケット方式で、とうてい僕には耐えられませんしブラームスも認容しなかったろうと信じます。
バーンスタインは奇妙で旧盤(NYPO)もVPO盤も@は最後に減速!し、Aで加速しますが僅少でそのままゴールインします。これをVPOにさせられるのは彼ぐらいでしょう。ケンペは@がなくてAだけであり、これは全く賛同できません。Bだけというのはクレンペラーです。@Cもほんの少しありますがAでやってないのは見識です。
珍しい派としてはCというのがあって朝比奈/大フィルは@がなくAでやってBがなくさらにCの前でやる。ミュンシュは@−BはなくCだけという希少派です。べイヌムが@とCであり、先輩の影響かオケの伝統かハイティンクもほんの微妙ですがCでかけています。
ティーレマンは@だけですが一気に超快速に持っていってしまうのでABCがいらないという作戦です。@は二分音符前のテンポに回復するのが音楽の摂理であり人工的というしかありません。カルロス・クライバーは@+A派ですが減速が少なかった分だけ加速も少なく済んでます。ワルター/NYPO、ムラヴィンスキー東京ライブは明確に@+Aです。後者はオケがとても下手で高いカネを払った人が気の毒です。
カラヤン/BPOは減速が少なく、そのぶん@Aの加速もほとんどないインテンポ派であり、堂々たる王者の風格といえましょう。カラヤンを表面的と評する人が多かったですが、そういう人がだいたい信奉するフルトヴェングラーの方がよほど表面的と思います。カラヤンをさらに遅くしたのがチェリビダッケです(スコアどおり減速なし)。それで終わりまで持っていくのは凄味すらあります。
以上まとめますと、このシリーズで僕が終楽章のコーダにいちゃもんをつけているのはAの加速だということです。なぜならAの背景ではオーボエ、クラリネット、トロンボーン、チューバによる素晴らしい劇的な和声のドラマが展開しているのです。それなのに加速で興奮をあおってその効果を減殺するなどもってのほか。ここのインテンポはマストです。
書いている時にその判断基準はなかったのですが、「@のみ派」のベーム、トスカニーニ、ショルティ、ヴァント、アバド、ミュンシュ、ケルテスに概ね好意的なことを記しているのはいま思うとその大減点がないからと思われます(こういうことは自分でもあとから分析してわかるというものです)。
そして、冒頭に戻りますが、その趣味ができたのはハイティンク盤を聴きこんだからです。それにより曲だけでなくコンセルトヘボウというオケとホールの音響の魅力まで覚えたので、僕のクラシック音楽のテーストに甚大な影響があったはずです。こういうことも自分ではわからない。あとになってこうやって検証して、傍証を得て、初めて推察ができるという性質のものです。
だから初心者の方に申し上げたいのは、もし真剣にクラシックと一生つき合っていこうという志をお立てならば「最初に曲を覚える演奏は大事だよ」ということです。それが無意識のうちに「おふくろの味」になってしまうからです。僕はこのハイティンクの2番でブラームス入門、コンセルトヘボウ入門を果たしましたが、演奏のクオリティの高さ、品格、音質、どれをとっても今もってまぎれもなくベストの選択でした。それは大木正興さんというその道をきわめた達人がおられ、何も考えずに彼に従った、まあ僕にしては例外的に素直だったこと、それが人生でラッキーだったと思います。
410TVMV2KXL
僕のブラームス入門に追い打ちをかけて決定的な影響があったのはフルトヴェングラー指揮の交響曲第1番だったのですが、その神と仰いだ指揮者が2番ではご覧のとおりぼろかすに書くしかないというのも不思議なところです。しかし大木さんのような専門家でも、ハイティンクの評価は180度変わりました。自分の耳に正直であるという虚飾のない姿勢は立派ですし、音楽鑑賞に限らず万事そうあるべきと勉強になったものです。ちなみに1,3,4番では僕はハイティンク盤をここまで信奉しているわけではありません。
ハイティンクの2番を今聴くとシューマンの3番の稿に書いたことがそのまま当てはまります。彼はこの後に別なオケ(BSO、LSO)でも同曲を録音しましたが、ブラームスに最もふさわしいPhilips録音があの名ホールでACOの真髄をとらえたこれ以上にいいとはどうしても思えず未だに浮気する気も起きません。僕にはこれとカイルベルト盤とが双璧であります。(総合点 : 5+)
ちなみに、ライブのエアチェックなので本文ではご紹介しませんでしたが以上書いたことをほぼ完ぺきに満たすアポロ的均整をもったマックス・ルドルフ指揮ナショナル交響楽団の演奏をご紹介します。この演奏は僕がウォートンスクールに留学中にフィラデルフィアのWFLNで放送されたもので、そこでしか聴けなかった超レアものです。ルドルフは4番は商業録音がありますが2番はありません。このライブのオンエアは1984年ですが演奏がこの年だった保証はありません。当時なけなしの金で買った安物のカセットで録音したもので音は良くないし、30年も倉庫で眠っていたテープなので固有の音揺れがありますが、僕にとっては値千金で隅々まで記憶しているの思い出深い演奏です(ちなみにMov4コーダにフルートの残念なミスがあります)。
P.S.
「バーンスタインの@の終結での減速」について
僕の推測ですが、最後の二分音符(a)についているA7sus4というコードに対する反応なのではないかと考えています。Ddurのドミナントのsuspended 4th→A7というカデンツと彼は解釈しているのではないかということです。だからここは減速したわけではなく、和声構造からくる帰結としての「終結」なのかなと(追記:後に分かったが、上記のとおり、これはブラームス直伝のクナッパーツブッシュに前例があります)。
たしかにそう見るとブラームスがここにフルート、オーボエ、第4ホルン、ヴィオラでd→ cisを書きこんだのは、そこでsfで鳴っているaの音価のなかでドミナントへの解決を強調し、次のトニックへのD→Tのカデンツの安定感、回帰感を際立たせるためと見ることも可能なように思います。ここに加速してつっこんでくるとaの音価が短くてそれは得られにくいと僕も思います。
このことはバーンスタインと話してみたかったですね。彼はエモーショナルな感性が勝った音楽家のように思われていますし、実際に話してみてそういう側面が見えたのは事実ですが、僕は彼の指揮を聴くといつも作曲家としての目線と理性のほうを強く感じます。
この部分はその一例で、感性による思いつきでそうしているのではなく、ロジカルにスコアを読んでるなと感じます。そしてブラームスのような微細に緻密に細部にこだわる人が意味なくサスペンディッドのコードを書きこんだはずはないとも感じるのです。
ちなみにトスカニーニは@を多少の加速をしながらa音に突入しますが、4拍目のトランペットのa音をタメを作って強く長めに吹かせることで「疑似終結感」を出すという高等技術でブラームスの書いたサスペンディッド・コードへの義理を果たしています。なんとなく罪悪感があったんでしょうか(笑)とても面白い。
そこで終結感を出すとAの加速でそれを取り戻したくなるでしょう。Aの加速はそういう誘惑に負けた人の妥協策にきこえる場合もあります。しかし、トスカニーニはそれを全くしませんしバーンスタインもほんのわずかです。
それは上述のように大事な転調の場面で(だからコーダで鳴り続けのD、Tをたたくティンパニがここだけは沈黙する)テンポ変化という非常に劇薬的効果のある余計なことを同時にしたくないという、いちいち言わなくても了解される演奏家の良心みたいなものではないでしょうか。こういう人たちはプロ中のプロだなと思います。
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/04/14/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%98%ef%bc%89/
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/592.html#c13
14. 2022年1月24日 05:16:20 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[17]
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(9)
2015 APR 23 23:23:38 pm by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/04/23/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%99%ef%bc%89/
ブラームス2番の聴き比べ、これで9稿目、最終回になります。
エドリアン・ボールト / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
MI000105685987年ごろロンドンでLP全集を買ったが、あんまり印象はよろしくなかった。その理由はこうしてハイティンクの後にきいてみるとわかる。ACOに比べてしまうとオケに全然魅力がない。いま聴き直すとボールトの曲への愛情とオケへのグリップがわかるし、速めのテンポですいすい行く枯淡の境地は男らしくて好ましいのだがヴァイオリン、チェロのパート音程の不揃いがどうしても気になる。第3楽章の中間部のアンサンブルも雑だ。要はLPOの弦が下手くそであって、それではいいブラームスになりようもない。ボールトにはウイーン・フィルを指揮して欲しかった。バルビローリよりずっといい全集になっていただろう。(総合点 : 3)
クラウディオ・アバド / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
51GTk5DBhXL95年3月10日、フランクフルトのアルテ・オーパーでドイツ銀行の創立125年記念式典が行われノムラ・ドイツ社長として招かれた。もうあれから20年になるのか・・・。昨日のように覚えているが、コール首相と頭取がスピーチし、式の掉尾を飾るべく舞台に現れたのがアバドとベルリン・フィルであったから究極の贅沢だった。ドイツ赴任の幸運をかみしめたがその2か月後にチューリッヒに異動になりこれがドイツへのお別れにもなってしまった。その演目がブラームスの2番であった。選んだのがアバドなのかドイツ銀行の企画室なのか、なんとも素敵な選曲ではないか。それはうららかな春の息吹のように始まり、堂々たる巨人の歩みのコーダで閉じた。アッチェレランドせず最後の和音を長く響かせたのもこのCDと同じだ。この演奏、どうしても私情が入ってしまう。内容をあれこれするのは控えたい。
エドゥアルド・べイヌム / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
697べイヌムは後輩ハイティンクより筋肉質で曲の核心に切り込む指揮をした。それがよくわかるのはブルックナーだがこのブラームス全集も例外でない。1番が有名だが2番も一切無駄のない見事なものでこれがベートーベンにつながる音楽だということを明確にしている。第1楽章の展開部の起伏は本当に素晴らしい。その分中間楽章のロマン性はやや後退するがACOの管楽器の純音楽的な美は捨てがたい。終楽章はやや弦のアンサンブルが弱いが主張は強い。(総合点 : 3)
エルネスト・アンセルメ / スイス・ロマンド管弦楽団
4109041128怖いもの見たさ?で買ったCDだ(06年、写真とは違うジャケット)。ところが冒頭のテンポは普通で木管もホルンも違和感なく、オーボエが「おふらんす」な以外はマリ盤のように絶句するものはひとつもない。弦はLPOといい勝負。アンセルメが連れて来日したSROはレコードより下手だったという説が流れたが、この2番をきく限りレコードでも下手だ。トロンボーンの和音は危なく、第2楽章は今の日本の大学オケ未満だ。ハイドン変奏曲の木管のユニゾンの音程などプロとは信じられないほどひどいもので、チェリビダッケやセルのような指揮者だったらその場で奏者を解雇したんじゃないかというレベルだ。アンセルメがそういうのを許容する人だったのか部下がかわいかったのかその程度のスタンスで制作された録音だったのか。終楽章はそこそこ速めで入るがコーダはトロンボーンがとちらない安全なテンポに抑えたのかなという感じもある。アンセルメは同じDeccaにも起用されたモントゥーを強くライバル視していたそうだが、ドイツものを振るのはその意味でも大事だったのだろう。(総合点 : 1.5)
ネーメ・ヤルヴィ / モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団(22Apr1966、ライブ)
jarvi父ヤルヴィの若かりし頃のモスクワ音楽院での録音。98年ごろ香港で買ったCDだ。共産時代にソ連でブラームスがどう鳴っていたかを知る興味深い音源だが、ホルンの音色を除けば下記のオイストラフ盤ほど違和感はなく、ティンパニを強打してメリハリをつけるなど若さを感じる部分はあるが、 オケのコントロールは万全で辣腕であったことがわかる。MPOの弦は独特の光沢があって優秀だが管のピッチは第3楽章など不安定である。かなり硬派だが中間楽章のロマンも欠いていない。(総合点 : 3)
ユージン・オーマンディ / フィラデルフィア管弦楽団
ormandyこのコンビのブラームスというとのっけから馬鹿にしてる人もおられるだろう。僕のCD(写真)は97年にスイスで買ったオランダプレスで悪くなく、2年間このオケを眼前できいて耳に焼きついている特徴がよく確認できる。特に松脂が飛ぶ強靭な弓使いによる弦の驚異的合奏力だ。このオケは管の華麗さばかりが著名だが、当時の弦は巨大な室内楽という印象だった。ブルックナー8番を振り終えたスクロヴァチェフスキーを楽屋に訪ねたらやはり弦の強さと優秀さを強調していて意外に思ったのを覚えている。第1楽章第2主題や第2楽章チェロセクションの大きなうねりの歌、第3楽章のフレージングはブラームスの節度を超える観もあるが大方の聴き手の先入観を覆すだろう。オーマンディーが2番に何を見ていたかを雄弁に物語る。終楽章のテンポもやや遅めの部類で弦合奏優位であり、ブラームス演奏においてまったく正攻法である。トランペットの音色がやや明るいものの管楽器全体の技術的安定度は盤石で、ラストの第1トロンボーンの上手さなど敬服するしかない。コーダまでほぼインテンポであり、安っぽいアッチェレランドの誘惑など一顧だにしていないまことに堂々たる立派なブラームスである。(総合点 : 4.5)
ユージン・オーマンディ / サンフランシスコ交響楽団
こちらは僕が米国留学中にフィラデルフィアのFM放送を1984年4月11日にカセット録音したもの。オーマンディーはこの翌年3月に亡くなったから最晩年の貴重な音源となってしまった。このコンサートは前半にドビッシーの「牧神」と「海」が演奏され、それらも名演でyoutubeにアップロードしてあるのでお聴きいただきたい。これをフィラデルフィアでやってほしかったが、アカデミー・オブ・ミュージックの音響では演奏はこうはならなかっただろう。SFSOの本拠Davies Symphony Hallのほうがずっとましであり、そこでこの録音が残ったのは僕を含め後世のクラシックファンには福音になったのではないだろうか。悠揚迫らざる大河のようなテンポが揺るぎなく、オーマンディーの人柄がにじみ出るような優しく温かいブラームスだ。それにふさわしい2番を選んだのも彼らしく、枯れてはいない幸福な老境を思わせる。コーダについても上記正規盤のコメントそのままが当てはまる、世俗の甘さやチープな興奮などまったく目もくれぬ骨太の堂々たる終結だ。CBSのキンキンドンシャリの録音で日本では彼は色モノ、ショーマンのようにイメージづくりされてしまったがとんでもない、スコアの本質を最高のバランスで提示する本格派のシェフ、マエストロであった。
エドゥアルド・リンデンバーグ / 北西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団
809274987969僕の記憶違いでなければこの演奏は70年代に廉価盤(テイチクのLP?)で銀色のジャケットで市場に出ていた。食指が動いたがカネがない時で逡巡していたら廃盤になってしまい悔しかった思い出がある。03年にCDを見つけ勇躍して聴いてみるといかにもドイツの地方都市のホールで日常にやっている雰囲気の演奏だ。個人的にはノスタルジックな気持ちにひたれるが、こういうのがいいかどうか言葉がみつからない。オケははっきりいって二流であり、指揮も垢抜けず大まか。アンサンブルの細部に神経が行ったなと思う瞬間はほぼ皆無であり鳴りっぱなしの声部も多い。千円廉価盤には後になってどうしてという名演があったものだが、これは見事にそれなりだ。しかし食べ物もB級、時にはC級グルメである僕はこういうのが嫌いでない。ベトナムの屋台でおばちゃんに具は全部入れてねと注文して出てくるアバウトなフォーを食べてる感じだ。(総合点 : 1)
クルト・マズア / ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
mazurロンドン時代に買ったオランダ・フィリップス盤(LP)で、弦楽器の音が格別に素晴らしい。CDは知らないがヴァイオリンのG線、ヴィオラ、チェロのハイトーンが織りなす中声部のくすんだ響きの魅力はあらゆる2番録音でも最高クラスである。このコンビでフランクフルトでフィデリオを聴いたが、まさにこの音だった。これぞブラームスの音であり、ひたるともうそれだけで他に何がいるかと思ってしまう。マズアの解釈は凡庸で前回のノイマン同様一般の評判を取り得るものではないが、僕は逆に何もしていないのでオケの魅力だけを堪能できることに感謝だ。終楽章も遅めのテンポで進みながら最後だけあおる、こういうのは全く余計だがそこまでに十分楽しんでいるので無視しよう。(総合点 : 3)
ゲルト・アルブレヒト / ハンブルグ国立フィルハーモニー管弦楽団 (Jan97、ライブ)
albrechtアルブレヒトがVPOを振ったシューマン2番のライブが78年ごろFMで放送され、これが大変な名演で衝撃を受けた。カセットに録音して何度も聴き、同曲にのめりこんでしまった。05年3月13日には彼が読響を振ったブラームス2番を芸劇で聴いたがそれも筋肉質でメリハリがあり、あのシューマンの質感をそなえた名演であった。このCDはスイスで97年に買ったもの。ハンブルグのライブ音源で録音のせいか弦がやや薄いが低音を若干補強すればブラームスにふさわしい音が聴ける。演奏の勢いはアルブレヒトのものだ。コーダの安直な興奮を誘うテンポの問題もなく、ストレートで硬派のブラームスが堪能できる。(総合点: 4)
ダヴィッド・オイストラフ / ソビエト国立交響楽団 (20Dec68、ライブ)
oistrakh大ヴァイオリニストの指揮。ホルン、オーボエ、トランペット、トロンボーンがロシア丸出しの音色で異色であり、特にホルンは第1楽章の最後のソロなどこれでブラームスといわれると厳しい領域にある。第2楽章のヴァイオリンのヴィヴラートは妖艶なほど過激だ。彼の作品への愛情はよくわかったが、お国によって愛情表現というものは甚だしく違うものだ。同じロシアのオケでやったヤルヴィと比べるとオケはばらばらで素人の指揮であり、まったく楽しめないが終楽章のテンポ設定はまともで面目躍如という所だ。(総合点 : 1)
トーヴェ・レンスコウ、ロドルフォ・ラムビアス (ピアノ)
71Y3SV-giZL__SY450_ブラームスによる2台ピアノ版とあるが終楽章に弾かれていない3連符があり、正確なところはよくわからない。スコアを見ながらじっくり聴いた。住みなれた我が家の建築時の精密な図面を見るようだ。これをさらに自分で弾いてみた二手版と比べてみる(これはさすがに録音がない)。家の梁など骨格ができ、基礎工事が済んだ状態が二手版。それにガラス窓や内外壁やフローリングが施され家らしくなったのがこれだ。そしてこれに家具や壁紙や空調などが完備し、オシャレなシャンデリアが入ったものが管弦楽の完成版というところだ。2台ピアノ版で充分「住める」という印象で、ブラームスの図面は実にmeticulousに書かれているものだから、彼がどこに重点を置いて「基礎工事」を「住宅」に、「住居」を「邸宅」に仕上げたかがよくわかる。ベートーベンの交響曲は基礎工事で充分に住め、そこから一気に邸宅に仕上がった観があるが、ブラームスは「住宅」にしたこと自体で大きな付加価値が加わっており、その段階で豪邸として売りにだしていいぐらい完成度も高い。このことは彼の作曲プロセスと楽器編成の選択の関係という重要なテーマの解明にヒントを与えるものだ。このCDは演奏として特にどうということはないが、スコアをプロフェッショナルに音化しているということで充分に聴く価値があると思う。マニア向け。(総合点 : 3)
エピローグ
以上、いかがでしたでしょう?フリッチャイ/VPO盤とカルロス・クライバー/BPO盤についてはすでに別稿に書いておりますので、それを含めてブラームス交響曲第2番について僕の想いや思い出をまじえ64種類のCDにつき拙文を陳列させていただきました。これで僕が持ってる2番の半分強というところですが最近の若い指揮者のはあんまりもってません。
埃にまみれた40年来のLPやCDを眺めてみると、我ながらずいぶんと酔狂なものでカネにもならんことを長年やってきたものだと思います。でもカネにまつわる商売をしてますとカネにならんことをどれだけマジメにやれたかが人生大事な気がしていまして、ますますこういう無価値なことを思いっきりやってやろうとむくむくとファイトがわいて来ます。
64回たてつづけに聴いたおかげで2番という曲がちょっとはわかりかけてきました。でも今回なにより驚いているのは、聞けば聞くほどますますこの曲をいとおしく感じている自分がいるということでした。よくわかりました。自分がいかにブラームスが好きかということ、そして、本物というものは飽きるということがないのだということをです。ブラームスの2番にブラヴォー!
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/04/23/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%99%ef%bc%89/
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/592.html#c14
15. 2022年1月24日 05:17:23 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[18]
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(10)
2019 FEB 9 12:12:17 pm by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2019/02/09/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%91%ef%bc%90%ef%bc%89/
本シリーズは(9)でいったん終了しましたが、さらに書き加えるべき演奏がありますので追加いたします。
マリス・ヤンソンス / バイエルン放送交響楽団
ムラヴィンスキーの弟子であるこの指揮者の力量を知ったのはオスロPOとの春の祭典のCDとラフマニノフの交響曲だ。ソ連出身だがウィーンでスワロフスキーにも学び、BRSOとコンセルトヘボウ管のポストについており独欧系の指揮は正攻法だ。BRSOもブラームスに好適なオケだがクーベリック盤、カイルベルト盤しかなく貴重。この2番はミュンヘンで聴いたままのやや暖色系で馥郁とした音を歌に活かした王道の解釈。コーダは微妙に加速するが内側から白熱する感動に添ったと感じられ、それが最後の和音を大きめに溜めて完全終止感を出すクラシックな終結は納得できる(総合点:4.5)。
ジョン・エリオット・ガーディナー / オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティック
時代楽器による演奏らしいがオケの厚みがなく響きが薄い。時代考証による音色で変わった味をつけたいのはチャレンジとして結構だしブラームスの時代はこうだったのかもしれないが、我々はよりふさわしい充実した厚い響きを知ってしまっており作曲者も聴けばそっちを選んだろうと思う。Mov1第1主題のトゥッティなど変速などに意味不明のものが頻出しついていくのに一苦労だ。新味を解釈でも狙ったのかもしれないがなんら本質的なことではなく、説得力はかけらも感じない(総合点:1)。
ヘルベルト・ブロムシュテット / NDRエルプ・フィルハーモニー管弦楽団
この指揮者はドヴォルザーク8番のLP(DSK)で知って感動したが、以来レコードはシベリウスのSym全集以外はあまりぱっとした印象がなく、ライブもN響定期で何度か接したが一度もいいと思ったことがない。ところがこの2番のビデオを見てわけがわからなくなった。文句のつけようのないドイツ純正の堂々たる2番ではないか!オケとホールの音響というTPOで指揮者はこうも変わってしまうのか。緩徐楽章は雲間から弱い日差しが見え隠れするようなドイツの森そのもの、そこを歩く人の心の陰影。ブロムシュテットは完全を期する厳格な人だろう、N響の時はこうではなかったがオケを信頼してしまえばジュリーニと同じくキューを仕切るタイプでなく表情一つで雄弁にそれを伝える。終楽章コーダのほんの少しの加速は心臓の心拍数が僅少に上がる程度で生理的に自然で慎ましい興奮をそそる。ホルンのお姉さんがうまく、オケの各所からブラームスのエキスのような音が滴ってくるドイツ語の素晴らしいブラームスだ。残念ながらこういう音は日本のオケとホールからは絶対に出ない。これに毎週のように浸っていたフランクフルトの3年を思い出して幸せな気分になれた。ブロムシュテットさん、楽員たちのハートから自発的なブラームスへの敬意を引き出しましたね、それを心から愛する作曲者の地元ハンブルグの聴衆にまっすぐに伝わった。感動的な記録です。お元気なうちにこのコンビで全曲録音を残すべきだろうと切に思う(総合評価:5+)
ジョン・バルビローリ / バイエルン放送交響楽団
VPOとのEMIによる全集にも書いたことだが、この指揮者がブラームスに何を感じ何をやろうとしたのか僕には皆目理解不能だ。珍重するのはこれを滋味深いと評する日本人と英国のバルビローリマニアぐらいだろう。元から遅いMov2だけがなんとか耐えられたがMov4”Allegro con spirito“ をどう読むとこんなに遅くなるんだ。BRSOがもたれて再現部直前のObがつんのめっているがごもっともである。異星人のブラームスとしか思えない(総合点:0.5)
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2019/02/09/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%91%ef%bc%90%ef%bc%89/
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/592.html#c15
16. 2022年1月24日 05:18:23 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[19]
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(11)
2021 AUG 17 14:14:32 pm by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2021/08/17/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%91%ef%bc%91%ef%bc%89/
ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1959)
このライブ演奏はカラヤン51才のものだ。3年前(1956年)にフルトヴェングラーの後を襲ってベルリン・フィルの終身首席指揮者兼芸術総監督に就任し、この前年にディオールのトップ・モデルだった3人目の妻エリエッテと結婚している。同年にウィーン・フィルと来日公演を行い、フィルハーモニア管と2番をEMIに録音、数年後にDGにBPOとの最初のブラームス交響曲集を録音する。人生の絶頂時であったことは想像に難くなく、オーケストラが新しいシェフに全幅の信頼で渾身の妙技を見せている。しかも素晴らしいことにフルトヴェングラー時代のBPOの音がする。Mov1は大きなうねりを作るが大仰な作為はまったくなく、なにより歌に満ちているのが最高だ。コーダの弦の高揚は誠に魅力的。Mov2でも弦の表情が濃く音楽は深く呼吸しテンポも呼応する。ポルタメントもかかるが自然で有機的。木管はfl、obの歌が印象的で超一流のオケの音を出している。この楽章は非常に秀逸。Mov3でも木管が活き、ブラームスの語法を骨の髄まで知り尽くした音楽家たちの合奏の喜びが伝わってくる。Mov4はこれでなくてはという素晴らしいテンポで始まる。再現部の第2主題の減速は命懸けで、その弦のコクの濃さはどうだ。コーダはギアチェンジの所でいっときの溜めを作り、熱を加えながら一気に走り抜ける。この解釈は生涯変わることなく、カラヤンという指揮者の音楽性の証明。これを会場で聴いたならその感動は、僕が94年にベルリンで聴いたカルロス・クライバーの4番に匹敵しただろうと想像する(総合点:5)。
リヴィウ国立フィルハーモニック交響楽団
ウクライナの西部の都市リヴィヴの国際指揮者ワークショップ。リヴィヴはポーランドの国境に近くロシアより西欧文化圏の一部だ。8人の指揮者(学生かプロの卵か?)がブラームスの交響曲4つを楽章を割り振って指揮。このビデオは2,4番である。ウクライナ最古のオケはプロフェッショナルに振った通り弾いている感じであり、なかでは4番のMov1チェン氏、Mov4レディンガー氏は中々であった。耳の肥えた本稿の読者の皆様には一興と思う。終わって見れば何やら尋常でないものが聳え立っていたという感興が残る。ブラームスは神だ。
アンドレス・オロスコ=エストラーダ / フランクフルト放送交響楽団
音楽の抑揚が曲想、分節ごとに変転し、第1楽章は歌わせようとすればするほど違和感がある。展開部のテンポのギアチェンジもなくもがなで音楽の本筋に入りこめない。木管も野放図に歌って管弦の音色の統一感に指揮者はまったく意を用いていない。第2楽章の弦のぶつぶつ切れるフレージングは興ざめで、トロンボーンの伴奏が漫然と鳴っていてうるさい。第3楽章は速めのテンポは結構だが主旋律も伴奏もぶつぶつ切れるフレージングなのはいったい何なのか、不可思議というしかなくこれほどレガートを感じない演奏も珍しい。終楽章のテンポは良い。リズムのエッジを効かせて進むのも悪くないが、ティンパニが無意味な爆音を轟かせてみたり、音色のコクがないために p の部分で音楽にすきま風が吹いており、弦の合奏は粗くどう見ても入念の練習を積んだと思えない。棒がドイツ的感性でないためオケが遊離しているのを何とか指揮技術でまとめましたという感じで、音楽が内側からこんこんと湧き出るエネルギーで燃えることがなく、コーダはオケのほうが馬なりにアッチェレランドして安物の空疎な盛り上げで終わる。こういうのを抑えるのが指揮者の仕事なのであって、上掲のカラヤンと比べるだけで失礼だが、雲泥の差である。プロっぽい外形を意味のない個性でアピールしようという指揮者に放送局のオケがそれなりにお仕事でつき合いましたという演奏で、上掲のワークショップのほうがよほど面白い。この指揮者がブラームスを振る意味がどこにあるのかさっぱり理解できないし、こんなものを愛でているドイツの聴衆も放送局も大丈夫だろうかと心配になる(総合点:0.5)。
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2021/08/17/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%91%ef%bc%91%ef%bc%89/
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/592.html#c16
12. 2022年1月24日 05:20:54 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[20]
ブラームス 交響曲第1番ハ短調 作品68
2021 MAY 7 23:23:03 pm by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2021/05/07/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9-%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%91%e7%95%aa%e3%83%8f%e7%9f%ad%e8%aa%bf-%e4%bd%9c%e5%93%81%ef%bc%96%ef%bc%98/
(1)僕にとって「ブラ1」とは
作曲家の芥川也寸志さんの最期の言葉が「ブラームスの交響曲第1番をもう一度ききたい」だったとどこかで読んだことがある。わかる。この曲には僕も思い入れがあり、何も書かずに終わりたくない。けれども、ブラームスが21年も費やして書いたものについて文章を書くならスコアより多いページ数になるだろう。時間と体力の都合以前に恐れをなしてなかなか手が出なかったのだ。本稿はレヴァインという音楽家について思いを致していたものが、それをするならいよいよ御本尊にふれるしかないという方向に筆が進み覚悟をきめる羽目になったものだ。それでも一気に書くにはいま僕は忙しすぎる。それはいつか晴耕雨読になった日の楽しみにとっておくことにして、今回はこの曲のいわば看板である冒頭の序奏部のテンポについてとしたい。およそ指揮者でこれを考えない人はいないだろうし、その人がブラームスの音楽についてどういう視座を持っているかわかるテーマと思う。
曲について書く時は地下の書庫からスコアを取り出す。この曲の場合は大学時代に買った音楽之友社のポケットスコアとロンドンのFoylsで買った1~4番のピアノ2手スコア(ペータース版)である。僕がブラ1に没入していたことは前者(写真)に刻印がある。第1楽章の最後の「録音12〜19 Feb1995」の書き込みだ(こういう記載をこまめにするのは習性)。おかげで26年前の忘却の彼方が明らかになる。それはProteusとDOMのシンセサイザーを音源に電子ピアノ(クラビノーバ)で全楽器、全音符を弾いてMacに第1楽章のMIDI録音が7日かけて完了したことを示している。経験者には分かっていただけようがキーボード打ちではなくスコアを睨みながら右手でピアノの鍵盤で各楽器を弾く気の遠くなるような膨大な作業。その1週間が休暇だったのか仕事は上の空だったのかは不明だが、その時期に休みはないから後者であることを白状せざるを得ないだろう。第104小節には「14 Dec ’91」の記載もある。92年6月までは東京の本社勤務であり、秋葉原でこのシンセ、PC、電子ピアノ等を買い揃えた。そこで第2主題への経過部分まで作っていたのを、何がモチベーションだったかドイツでその気になり、第1楽章を一気に終えたようだ。フランクフルトへ転勤となったごたごたで作業が3年中断していたが、95年5月の定期異動でそろそろと予感する時期にドイツへの惜別の気持ちがあったのを記憶している。その証しであったなら、自分とこの曲との深い因縁をそれほど物語るものもない。
第2楽章からは残念ながらまだ作っていない。作らないままに、もうあんなことは一生無理だという年齢になってしまった。それでもこのスコアは一種の “書物” という存在であって、めくれば全曲を頭の中で再現できるし、出張に携帯すれば新幹線で退屈しない。そうやっているだけでも気づくことは幾つかあって、例えば、第2楽章の第101小節のVnソロの d# はクラリネットと第1Vnの d♮と短2度でぶつかるのが気持ちが悪い。ほとんどの指揮者はそのまま振っているが長らく疑問に思っていた。そうしたら、トスカニーニをきいていて、彼はそうではない、NBC響との録音は d# のままだがフィルハーモニア管には d♮で弾かせていることに気がついた。枝葉末節かもしれない。このライブの巨大な感動には関係ないという意見もあろう。僕自身そう思うのだが、その音を聞き流すことも習性としてできない。トスカニーニという指揮者を論じる場面になったなら、彼もそういう種類の人だったということに思いを寄せながらするのが僕なりの礼儀になろう。
トスカニーニの第1楽章序奏部のテンポ(♪=100~104)は慧眼だ。さすがと言うしかない(何故かは後に詳しく述べる)。彼を一概にテンポの速い指揮者で片付けるのは簡単だし、それ故に無味乾燥で好かないという人も多い。僕自身ブラ1で始めて衝撃を受けたのはフルトヴェングラーであり、カラヤンはロンドンで最後のブラ1を聴き、やはり打ちのめされた。本稿は彼らを否定するものではなく、トスカニーニの d♮のようにクラシックの鑑賞はいろいろな視点があって奥が深いということに触れてみたい。ブラームスは1番の作曲に21年の歳月を費やしたが、ドイツの交響曲の伝統を担うべく「疑似古典的」な管弦楽を採用し、先人たちの作法の延長線上に自作を位置づけようと苦心したというのが通説だ。それは第1楽章に序奏部を設け主部をAllegroにするハイドン流のソナタ形式、「闇から光へ」のテーマを単純な動機から組み上げるベートーベン流の主題労作(しかもハ短調であり運命動機を引用)などである。確かにそう思うが、ひとつの解けない疑問が長らく僕の脳裏にあった。「モーツァルトはどこへ行ってしまったんだろう?」である。
(2)序奏部はどこから来たか?
第1楽章序奏部の冒頭、いきなり腹に響くハ音のオスティナート・バスに乗って轟々たる全オーケストラのフォルテで始まるこの序奏は一度聴けば忘れない、あらゆる交響曲の内でもベートーベンの5番と並んで最も意表を突いたショッキングな開始と思う。最強打でパルスを刻むティンパニはホールの隅々まで轟きわたり、瞬時に空気を重苦しく圧し、まったく無慈悲である。地獄行きの最後の審判が下されるが如しだ。この交響曲の基本コンセプトは運命交響曲と同じ「闇から光へ」「苦悩から勝利へ」「地獄から天国へ」というフリーメーソン・テーゼと思われ、ブラームスはメーソンに関係があり(ドイツ国立フリーメーソン博物館による)、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンもしかりである。ブラ1が地獄行きの峻烈な場面で幕が開くとすれば結末がもたらす天国の喜びのインパクトは強大になろう。
モーツァルトのピアノ協奏曲第20番(k.466)と24番(k.491)はブラームスの愛奏曲であり、交響曲第40番ト短調(k.550)の自筆スコアはクラリネット入りとなしと2種あるが、どちらも1860年代にブラームスが所有していた。興味深いことに、1855〜1876年に作曲されたブラ1だが、1862年版草稿スコアには序奏部がなかったことがわかっている。つまりそれを付け加えたのはちょうどk.550を手に入れた頃かそれ以降ということになる。
全管弦楽の短調の強奏で地獄行きの最後の審判を想起させる風情の音楽は他にもあるが、それを冒頭に持ってきていきなりパンチを食らわすものというと僕は他にひとつしか知らない。ドン・ジョバンニ序曲である。
ヴェリズモ・オペラが現れる1世紀も前、貴族の娯楽の場だった歌劇場でこういう不吉な音で幕開けを告げようと当時の誰が考えただろう。大管弦楽はいらない、なぜなら曲想自体にパンチがあるからだ。「疑似古典的」な管弦楽編成を遵守しつつ旧習を打破したかったブラームスの頭にこれを使うアイデアが浮かんでいても僕は不思議ではないと思う。
(3)「古い皮袋」に「新しい酒」の真相
ブラームスは意気ごんでいた。29才だった1862年にウィーンを初めて訪れた後、ジングアカデミーの指揮者としての招聘を受けそのまま居着くことになり、1869年までには活動の本拠地とすることを決める。当然、当地の聴衆の評価をあまねく得なくてはならない。それがオペラでなく交響曲であったのは彼の資質からだろうが、そうであるなら立ちはだかる巨人はベートーベンである。
ベートーベンの交響曲で序奏部があるのは1、2、4、7番だが、ブラームスが最初に着想したのは3、5番のスタイルだったことは序奏部がなかったことでわかる。その案を放棄し7番と同じUn poco sostenutoの表示で序奏を加えた。僕は巨大なドイツの先人たちの後継者たるべく「序奏でどえらいものを書いてやろう」とああいう音響を想起したのだと思っていた。だから音友社のスコア(写真)をめくった時の軽いめまいと失望感は忘れない。
何だこれは?上掲の2つのスコアを比べて欲しい。ブラ1の冒頭はドン・ジョバンニのオケにコントラ・ファゴット1丁とホルン2本を足しただけである。18世紀の歌劇場のピットに収まっちまうサイズだ、これがシューマン作ならマーラー版ができたんじゃないか?
思い出した。シンセを買ったのはこれで本当にあの音が出るのかどうか「実験」したくなったのだ。出ないはずないのだが、ウソだろう?という衝撃が払拭できなかった。やってみた。出た。手が震えた。当たり前だ。ここは声部が3グループあり、上昇する旋律、下降する3度和声、オスティナートだ。バスのドスの効きがポイントで、なんのことない、ピアノ2手で弾いても立派にオーケストラのイメージを出せる。ならばオケで出来ないはずがないではないか。
しかし思った。なぜ終楽章には使っている(よって舞台に乗っている)トロンボーン3本を使わないのか?ハ調ホルンの持続低音cよりチューバの方が適任じゃないか?そうやって管を厚くすればお休みのトランペットもティンパニに重ねて威圧効果が増すんじゃないか?となるとコントラ・ファゴットはあんまり意味ないんじゃないの?
つまり、ワーグナー派ならこうはしないんじゃないか?という疑問が満載なのだが、ブラームスはわざとそうしなかった。意図的に「疑似古典的編成」にしたというのが通説だが、確かに納得性はある。コントラ・ファゴットの採用も、タタタターンを借用しまくっている運命交響曲と同じである(ピッコロがないだけ)という依怙地な意志表示に思えるし(独特の効果を終結部であげているが)、古典派の編成でこれだけ新しい音楽が書ける、楽器を増やして新音楽を気取ってる連中とは違うんだということであったろう。
その動機は何だったのか?なぜそこまで執心してワーグナー派に対抗する必要があったのか?アンチの辛辣な批評に辟易し、保守的で慎ましい性格であるため「古い皮袋」に「新しい酒」を盛ろうとしたというのが一般的な解釈だ。ところがその比喩の起源である新約聖書はそんなことを奨励していない。むしろマタイ伝第九章に「新しい酒を古い革袋に盛るな」と戒めており、ブラームスはあえてそれに逆らっているのである。その箴言は「新しいキリスト教がそれまでのユダヤ教を信じる古い腐敗した人の心には染み渡らない」ことへの暗喩である。
彼は1番を作曲中に3年かけて(1865 〜1868)ある曲を作っている。「ドイツ・レクイエム」だ。この曲は旧約と新約の “ドイツ語版” (ルター聖書)からブラームス自身が編んだ章句を歌詞としているが、それはメンデルスゾーンが独唱、合唱付カンタータ楽章を伴う交響曲第2番「讃歌」で採用した方法である。プライベートな歌曲ではなく公衆を前にする交響曲というジャンルでの「歌詞」の存在は、自身の出自(ユダヤ性)と育った言語・文化(ドイツ性)の内的矛盾、そして聴衆がドイツ人である試練への相克を「讃歌」は解決し、同曲は初演当初ベートーベンの第9に擬せられ成功した。
「ドイツ・レクイエム」は1865年2月に母が亡くなったことで書き始めたが、ブラームスにとって「実験」の意味もあったと思う。彼が同曲を “Ein deutsches Requiem” と呼んだ最初の例は1865年のクララ・シューマンへの手紙だが、そこで同曲を “eine Art deutsches Requiem” だとも書いている。意訳すれば「いわゆるひとつのドイツのレクイエム」である。「ドイツ」はルターが聖書を記述したたまたまの言語に過ぎず、自分はドイツに生まれ育ったからそれを使うが、ドイツ人だけに聴いてもらう意図ではない。そう言いたかったことは、別な機会に彼は「名称は人類のレクイエム(Ein menschliches Requiem)でもよかった」と述べていることでわかる。後に彼はロベルト・シューマンも同名のレクイエムを書こうとしていたことを知り心を揺さぶられているが、クララへの記述には深い含意があるように思う。
かようにブラームスは『ドイツ』に対しアンビバレントな態度を見せているのである。ドイツ人であることはキリスト教徒(ルター派プロテスタント)であることだからだ。スコットランド交響曲の稿に書いたことだが、同様の態度はユダヤ系であるメンデルスゾーンにもクレンペラーにも見出すことができる。つまり、私見ではブラームスは交友関係からもユダヤ系か混血であった可能性がある(珍しいことではない、ワーグナーもヒトラーもそうだ)。『ドイツ』への分裂的な態度という自己の尊厳、存立に関わる重たい意識が、ドイツの作曲家として身をたてるにおいてドイツ音楽の歴史に連なる条件としての「作曲技法上の問題」(ドイツ的なるもの)と複雑な相克を引き起こしていたと理解すれば「疑似古典的」の疑問は氷解するのである。何らかの理由から音楽史はそれを認めていない、それ故に、我々はベートーベンの9曲が偉大過ぎて1番の作曲に21年もの歳月がかかったという皮相的なストーリーを学校で教わっているのだろう。
(4)なぜ序奏部に速度指示がないのか
ティンパニのリズムは8分音符3個(タタタ)を束とした分子の連続であり、Vnの旋律にはその最後(3つ目)の「タ」で弱起で上昇する等のイベントが仕掛けられる。それが3つに分散されるとベートーベンの運命リズムになる。
その仕掛けによってこの楽章は運命リズムが底流に見えかくれするが、最後の審判の印象はそのリズムが元来内包していたものでもあった。終結部(Meno Allegroから)はコントラファゴットの不気味に重い低音を従えてティンパニがタタタンを執拗に繰り返す。まるで葬送だ。第1楽章を強奏で終えて一旦完結させるのではなく第4楽章の終結に向けてひとつの高い山を築くことで圧倒的なカタルシスの解消を打ち立てることに成功している。ベートーベンは5番で得たかった高みに聴衆を “確実に” 届けようと終楽章の終結にこれでもかと多くの音符を費やしたが、ブラームスはその道を採らず、第1楽章序奏部に全曲の霊峰の荘厳な登山口を設けることで “より確実に” 聴衆をそこまで送り届ける方法を見つけたのだ。
序奏部を設けることでブラームスは「Adagio−Allegroモデル」とでも称すべきハイドン以来の交響曲の古典的フォルムを獲得している。のみならず、序奏部の素材を主部に用いて楽章全体の統一感を得たかのように見せた。見せたというのは、前述のように序奏部は「後付け」のリバースエンジニアリングであったからだ。ところがそこにAdagioのような速度指示ではなく、Un poco sostenuto(音を充分に保って)と書き込んだ。前述のようにこれはベートーベン交響曲第7番第1楽章の導入部と同じ指示だがそちらにはメトロノーム表示(♩=69)がある。有機的に主部と結合した割に「速さはご随意に」は解せないとずっと思っていたが、そうではなかった。第1主題のAllegroがメトロノームで120とするならば、どこにも記載はないが、序奏のテンポは100ほどになるのが望ましい。そう結論する合理的な根拠をブラームスは与えているのである。
(5)カラヤン63年盤はブラームスの指示に反する
それを説明するにはまず、結尾の入りに当たる第495小節(さきほどの葬送が始まる所)に、初稿においては曲頭と同じpoco sostenutoと書かれていた事実を基礎知識としてお示ししなくてはならない。ブラームスはそれを現行譜のMeno Allegro(第1主題Allegroより「少し遅く」)に書き換えた。理由はここが「遅くなりすぎるのを回避するため」だった。序奏の速度をa、主部をb、結尾をcとしよう。c=aにするとcは遅すぎになりがちなのだ。Allegroの標準速度は120~150であるがbは速めでも120であり、bより少し遅いcを100にとって、aも100なのである。
これを検証できる部分がある。終結部に木管とVn、Vaに出るタタータの上昇音型は第1主題にまったく同じものが頻出しており、これを少し遅くしたのが序奏部のテンポだという比較可能な物証を作曲家は与えている。主部のAllegroは ♪3つを1と数えた(2つ振り)ビートが120〜130ということであり、終結では ♪=120 より少し遅い。例えばカラヤンの63年盤の終結部は2つ振り50で、これは主部の Allegro(100)の半分しかなく、同じであるべき序奏( ♪=76) より4割も遅いことになる。
音楽における音量やフレージングが肉付けであるなら、テンポは骨格である。ブラームスが21年も考え抜いた作品の骨組みがアバウトにできているとは考え難く、恣意が入りこむ余地はAllegro、Menoの2箇所しかないように第1楽章は組み立てられていると僕は考えている。つまり、カラヤンは@終結をもっと速くするかA序奏をもっと遅くするかB両者を歩み寄らせるべきである。ただでさえ理想の100より3割遅い序奏を4割遅くするなら、最も遅い朝比奈、チョン・ミュン・フンの69を3割も下回って、もはや奇怪な演奏にしか聴こえないだろう。従ってカラヤン63年盤の批評は「第1楽章終結が遅すぎる」が正答であり、@が解決という結論になる。しかしまあそんなことを僕ごときが言うまでもない、ブラームス先生がびしっとMeno Allegroに書き換えておられるからだ。
では序奏と終結の理想のテンポはどのぐらいか?AllegroとMenoだけが指揮者の主観が入る余地である。僕の主観であるが、前者を120、後者を1~2割として、96~108という所ではないかと考える。
(6)巨匠たちのテンポ比較
では実際の指揮者たちの主観はどうだったろう?延べ85人の指揮者たちの序奏のテンポをメトロノームで計ってみた(多くの演奏でテンポは多少増減するので中間を採用)。
♪ のメトロノーム値は速い順に以下の通りである。
104 ワインガルトナー、トスカニーニ(PO)、ガーディナー
100 トスカニーニ(NBC)、セル、レヴァイン(CSO)
98 メンゲルベルグ、ヴァント、ゲルギエフ、アルブレヒト
96 F・ブッシュ、カイルベルト、シャイー、ヤノフスキ
92 スワロフスキー、ドラティ、クーベリック、オーマンディ(旧)、ビシュコフ
88 ラインスドルフ、レヴァイン(VPO)
87 以下(順不同)
フルトヴェングラー、アーベントロート、C.クラウス、ワルター、クレンペラー、ベイヌム、アンセルメ、コンヴィチュニー、ストコフスキー、モントゥー、スタインバーグ、カラヤン、アンチェル、ベーム、ハンス・シュミット・イッセルシュテット、クリップス、ホーレンシュタイン、カンテルリ、ヨッフム、ショルティ、ボールト、ムラヴィンスキー、テンシュテット、ルイ・フレモー、マズア、コンドラシン、バーンスタイン、ザンデルリンク、サヴァリッシュ、ヤルヴィ、サラステ、アバド、チェリビダッケ、ムーティ、ドホナーニ、スヴェトラノフ、パイタ、バティス、ロジンスキー、クリヴィヌ、ハイティンク(ACO、LSO)、マタチッチ、H・シュタイン、マゼール、ヤンソンス、メータ、インバル、アーノンクール、ジュリーニ(LAPO、VPO)、ミュンシュ(BSO、パリO)、スクロヴァチェフスキー、バルビローリ、バレンボイム、ギーレン、朝比奈、チョン・ミュン・フン(69!)、エッシェンバッハ、アシュケナージ、ティーレマン、ネルソン
(7)結論
皆さんの耳に「普通」に聴こえるテンポはおそらく ♪=87より遅いものだろう。調べた85種類のうち75%は開始が♪=87より遅い演奏であり、25%の「速い」録音は代表盤をあまり含んでいないことを考えると、75%以上の愛好者の皆さんが「遅い」部類のレコード、CDを聴きなじんでいる可能性が高いからだ。聴衆の好みのマジョリティはそのようなプロセスで形成・増幅され、人気商売であることは避けられない演奏側も「ピリオド楽器演奏」を標榜しない限り徐々にそれに寄って行くだろう。その証拠に19世紀に当然だったベートーベンやショパンのテンポは聴衆の好みの変遷とともに20世紀の当然になりかわってきている。同様の結果としてのブラ1冒頭のテンポの現状が75%の指揮者が採用したものであり、1世紀もたてば♪=87以下の演奏ばかりになるかもしれない。それが世の中の害になるわけではないが、僕はアートというものは大衆の嗜好やCDの売れ行きに添ってゆくものではなく、多数決も民主主義もなく、アーティストの感性と独断に依ってのみ価値が生み出されると信じる者だ。
指揮者の生年をカッコ内に記すが、ワインガルトナー(1863)、トスカニーニ(1867)、メンゲルベルグ(1871)、フリッツ・ブッシュ(1890)、スワロフスキー(1899)はブラームス(1897年没)の最晩年とほぼ重なる時代の空気を吸った指揮者たちであり、いずれも88以上の「速い組」に属している。この事実を僕はかみしめたいと思う。古楽器アプローチのガーディナーがワインガルトナー、トスカニーニと肩を並べて最速なのは、既述のロジックを辿れば100前後が適当という結論に行き着き、それを「ピリオド」と解釈した結果ではないかと推察する。
本稿をしたためるきっかけとなったレヴァイン の旧盤(シカゴ交響楽団、1975年7月23日、メディナ・テンプルでの録音)にやっとふれる段になった。ジェームズ・ローレンス・レヴァイン(1943 – 2021)はRCAからレコードデビューした当時に酷評されたせいか、世界の檜舞台で引く手あまたとなる実力に比して日本での人気、評価は最後までいまひとつであり、日本の楽界の名誉に関わるお門違いとすら僕は考える。
この演奏を僕は熱愛している。43分で走り抜けるこのブラ1にフルトヴェングラーやカラヤンを求めるのはナンセンスだ。レヴァインはスコアと真正面から向き合って外連味のかけらもない清冽なアプローチで曲のエッセンスをえぐり出しており、スコアと真正面から向き合ったことのある僕として文句のつけようもない。かけ出しの青くさい芸と根拠も示さず断じた音楽評論家たちは何を聞いていたのだろう?唯一未熟を感じる場面があるとすると終楽章の緩徐部のVnの煽りすぎだが、それとて一筆書きの若々しいエネルギーの奔流の内であり、ライブの如く奏者が棒にビビッドに反応しているのにはむしろ驚く。天下のCSOといえどもこれだけの演奏がレヴァインへの心服なくして為し得たとは考え難い。弱冠32才のマネージャーに向けられた敬意、評価!指揮のみならずあらゆる業種、業界において異例中の異例のホットな場面を記録したこの演奏は、才能ある大人たちが新しい才能を見つけた喜びにあふれているのであり、これから世に出るすべての若者たちに勇気を与えてくれるだろう。ちなみにこのブラ1に匹敵する、若手がCSOを振った快演がもう一つ存在する。2年後の1977年に現れた小澤征爾の「春の祭典」で、このレコードは日本で評判になり「若手のホープ」「世界のオザワ」と騒がれたが、そのとき彼は42才であった。
レヴァインの快演が単なるまぐれの勢いまかせでない指摘をして本稿を閉じたい。このブラ1はセルとほぼ同じテンポ、♪=100で開始する。録音史上最も速い6人のひとりだ。師匠セルの薫陶があったかもしれないが、デビューしたての新人が「遅めの多数派」に背を向ける。感性と独断に依ってのみ価値を生み出すことのできた数少ないアーティストの記録である。この演奏、主部Allegroは2つ振りで115~120、終結部Meno Allegroは100、序奏も100であったから計算したかのようにぴったり平仄があっている。これを理屈から紡ぎだしたのか意の向くままであったのかはわからない。ともあれ、好きであれ嫌いであれ、これがほぼブラームスが意図したテンポ、プロポーションを体現した唯一の演奏だと僕は確信する。
PS
ジョン・エリオット・ガーディナー / オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティックのブラ1。Vnのポルタメントや弦をまたぐ和声を際立たせるなど名前のとおり革命的な音がするが、スコアの視覚的イメージに近い音が聴ける意味で貴重だ。ただ冒頭は ♪=104のテンポだがMov1終結部にスコア無視のリタルダンドがかかり原典主義に妥協が入るのは中途半端である。頭で作った演奏と思う。
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2021/05/07/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9-%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%91%e7%95%aa%e3%83%8f%e7%9f%ad%e8%aa%bf-%e4%bd%9c%e5%93%81%ef%bc%96%ef%bc%98/
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/593.html#c12
14. 2022年1月24日 06:36:40 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[21]
2022/1/24
日銀当座預金は引き出せる
https://green.ap.teacup.com/pekepon/2787.html
■ 「日銀当座預金引きだし」についての日銀の説明 ■
当ブログのコメント欄で「日銀当座預金は引き出せない」「日銀当座預金は市場に流通しない」などの書き込みがありますが、これは明らかに間違え。
下記は日銀のホームページからの引用です。
お札はどのようにして日本銀行から世の中に送り出されるのですか?(日銀ホームページより)
https://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/money/c03.htm/
銀行券(お札)は、個人や企業への支払いに必要な分を用意するため、金融機関が日本銀行当座預金から引き出して、日本銀行の窓口から受け取ることによって世の中に送り出されます。これを「銀行券の発行」といいます。
その後、実際に、個人や企業の方々が金融機関から預金を引き出して銀行券を入手し、財(モノ)・サービスの購入や税金の納付といった様々な目的に銀行券が利用されていくことになります。
■ 日銀当座預金とは現金である ■
日銀当座預金は金融機関が引き出そうとしたら、即座に引出しに応じる必要があります。
1)銀行は預金(現金)の一部を準備預金として日銀当座預金として預ける
2)銀行は預金者の引出し要求に応じて現金を預金者に支払う
3)銀行の手持ち現金が枯渇した場合、準備預金を引き出して現金化して預金者に支払う
日銀当座預金を銀行が引き出した時点で「現金」となります。
マネタリーベース=「日本銀行券発行高」+「貨幣流通高」+「日銀当座預金」
マネタリーベースは日銀が経済に供給する「リアルなお金」なので、日銀当座預金が引き出し要求に応じる場合は「現金」として金融機関に支払われます。
銀行券・貨幣の発行・管理の概要(日銀ホームページより)
https://www.boj.or.jp/note_tfjgs/note/outline/index.htm/
日本銀行法では、日本銀行は、銀行券を発行すると定めています。銀行券は、独立行政法人国立印刷局によって製造され、日本銀行が製造費用を支払って引き取ります。そして、日本銀行の取引先金融機関が日本銀行に保有している当座預金を引き出し、銀行券を受け取ることによって、世の中に送り出されます。この時点で、銀行券が発行されたことになります。
■ 日銀当座預金が引き出せなければ公共事業費を政府は支払えない ■
MMTの序段は次の様に説明されます。
1)政府が国債を発行する
2)金融機関などが国債を購入して代金を支払う
3)日銀当座預金で、金融機関の口座から政府の口座に支払われる
4)政府が公共事業を発注してその代金を受注業者に支払う
4)をもう少し細かく解説します
A)政府が受注業者の口座を持つ金融機関の日銀当座預金に政府の日銀当座預金から支払う
B)金融機関は受注業者の口座に該当金額を記入する(現金での支払い義務が生じる)
政府は受注業者の保有する民間銀行の口座に直接支払う事は出来ないので、日銀当座預金を通じて民間銀行に支払いを代行させているのです。
国庫制度の概要財務省ホームページより
https://www.mof.go.jp/policy/exchequer/summary/index.htm
財務省ホームページより
国庫金とは
国庫に属する現金のことです。
国庫金には、国が所有する現金(預金を含む)のほか、国が法令又は契約に基づき一般私人等から提出され一時保管している現金(保管金、供託金)や、公庫から国庫に預託された業務上の現金(公庫預託金)も含まれます。
一方、地方公共団体や独立行政法人等に属する現金は国庫金には含まれません。
国庫金は、会計法第34条、予算決算及び会計令第106条の規定により、日本銀行に政府預金として預けられています。
国庫金は日銀当座預金に預けられていますが、財務省の説明でも「国庫金は現金」と明記されているので、日銀当座預金は現金と同じものだという事が分かります。
■ MMT支持者の一部の勘違い ■
MMT支持者の一部に「日銀当座預金は引き出せない」という誤解があるのは、「民間の銀行が公共事業の受注者や年金の受け取り者の口座に代金を記入した時に信用創造が発生する」と勘違いしているからでは無いか?
1)政府が民間に国債を売却して民間の現金を政府の日銀当座預金の国庫として保管する
2)事業受注代金の支払いや、年金支払いの要求に応じて、支払い対象者が口座を保有する
民間銀行の日銀当座預金に、政府の日銀当座預金から支払う
この状態では、民間の現金と政府の現金のやり取りだけなので、プライマリーバランスは保たれますが、マネタリーベースは増えません。信用創造は働きません。
複雑になるので、次の記事で、主流派経済学とMMTの違いを考察します
https://green.ap.teacup.com/pekepon/2787.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1604.html#c14
15. 2022年1月24日 08:06:00 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[22]
2022/1/24
主流派経済学とMMTの違いは金利が内生か外生かの違い
https://green.ap.teacup.com/pekepon/2788.html
前の記事はマネタリーベースの拡大と投資マネー (人力でGO 2022.01.13)のコメント欄で「日銀当座預金は引き出せない」というコメントが寄せられたので、その誤解を解くものでした。
今回は、MMT的な通貨論と、主流派的な通貨論の何が違うのかを考察してみます。
■ 「通貨の価値を担保するもの論」は無意味 ■
MMT系の方々が主流派経済学を否定する場合、「金属通貨」の否定から入ります。
「通貨が何故価値を持つのか」というそもそも論は昔から有りますが、金兌換制度では「通貨は金に交換出来るから価値がある」とされていました。
しかし、「金に何故価値があるのか」と聞かれたら答えに窮します。「昔からそうだった」、或いは「金は希少故に価値が有る」としか答えられませんが、これは価値の答えとしては不十分です。むしろ、「金は通貨として流通するから価値がある」と答えた方が分かり易い。
ニクソンショックで金兌換制度が中止されてからも通過の価値は失われませんでした。人々は変らずに通貨(お金)を求めました。
一般的に考えれば「モノを買う為にはお金が必要」だから人々は通貨を欲します。従来の経済学では通貨は「交換」と「価値の保存」に便利だから価値が認められると説明されました。通貨はモノを買う喜びと、お金を貯める喜びを私達に与えてくれます。
ところが、MMT派の方々は「通貨の価値は、その通貨でしか納税出来ないから確保される」と説明します。・・・ハアァ??って感じです。だって、納税義務を負わない人もお金を欲するではないですか・・・。
尤も、通貨を利用する時に人々は「通貨の価値」などを考える事は一切ありあせん。支払い手段がそれしか無く、便利だから使っているに過ぎない。
要はMMT派の人達が、主流派経済学を否定する「未だ金属通貨に固執するのか」という批判は、批判にもなっていない。「通貨はモノが買えて納税も出来る便利なツール」としてしまえば
MMT派も主流派も「そだねぇー」って言ってオシマイ。
■ 国債(政府の負債)が通貨を生む事を主流派経済学者も否定しない ■
MMT派が次に主流派経済学を否定する方法は、「通貨は国債発行で生まれる」という事を会計学的に示す方法です。しかし、先の記事で書いた様に、プライマリーバランスが保たれている状態では日銀の信用創造は働かないので、国債を発行しても通過は生まれません。
日銀の信用創造が働くのは、日銀が国債を市場で民間から買い入れた時点です。
1)日銀が市場から国債を買い入れる
2)日銀は国債を購入した相手先の日銀当座預金に買い入れ額を記入する
3)日銀当座預金に記入された金額は現金と同じ性格を持つ
4)日銀当座預金は現金と同様に日銀の負債
MMTでは、「日銀(中央銀行)は政府の子会社だから、日銀の保有する国債は政府の資産である」と説明されます。
中央銀行は法律で政府から直接国債を買い入れる事を禁じられていますが、市場から間接的に国債を買い入れても、結果は同じです。
政府が国債を発行して、中央銀行が現金化する
これは分かり易く言えば・・・次と同義です。
政府が約束手形を発行して、政府の子会社である中央銀行が現金を発行して政府に支払う
日銀が直接的に国債を引き受けようが(財政ファイナンス)、間接的に国債を市場から購入しようが(隠れ財政ファイナンス)、日銀は信用創造によって通貨(現金)を作り出している事になります。
MMTが主張する「政府の債務が通貨を生む」という主張は、財政ファイナンス的な状況においては主流派経済学的にも否定は出来ませし、現実的に彼らはこれを否定いていません。
■ 外生的通貨供給説(主流派経済学) ■
主流派経済学とMMTの差は、通貨供給が内生的(ベースマネーの増加がマネーサプライの増加に必ずしも直結しない)のか、通貨供給が外生的(ベースマネーの供給がマネーサプライの増加を促す)のかの違いです。
主流派経済学の教科書では、銀行の信用創造(マネーサプライ)は次の様に説明されます。
1)預金者が現金を銀行に預ける
2)銀行は準備預金(今は10%)を中央銀行の当座預金に預けて、残りの90%を貸し出せる
4)銀行から90万円駆り出されたお金は、経済活動の結果銀行に90万円よきんされる
3)銀行は9万円を準備預金し、89万円を貸し出す
4)この繰り返しで100万円の預金は900万円の信用創造を生む
この信用創造の元になる100万円の現金は中央銀行の供給したベースマネーです。主流派経済学者はこのベースマネーを調節する事で、銀行の信用創造をコントロールして経済(インフレ率)をコントロール出来ると主張しています。これを外生通貨供給説と呼びます。
「外生」とは「外生変数」の略で、任意にコントロール出来る変数の経済用語です。主流派経済学では政府支出や、マネタリーベースは政府や中央銀行が任意にコントロールされるので「外生関数」と考えます。
外生的通貨供給説(主流派経済学)とは、マネタリーベースを任意にコントロールする事でマネーサプライをコントロールするという考え方です。
実際の金融政策でのマネタリーベースのコントロールは次の方法で行われます。
1)中央銀行がある金利でコール市場など短期に市場に資金を供給する
2)コール市場の金利を資金需要に見合った金利にする事で銀行間の資金調達を活性化する
以前は中央銀行が日銀当座預金の金利操作(公定歩合)によって、市場の資金の放出と吸収を行っていました。しかし、近年は市場原理を重視して、コール市場で超短期金利を操作しています。
■ ゼロ金利下では資金需要の枯渇によってマネタリーベースがコントロール出来ない ■
金利が正常に作用する時には、通貨供給は「外生的」です。民間の資金需要があるので、資金需要に応じた金利にコール市場金利を操作すれば、マネーサプライは適切な水準に調節され、結果的にインフレ率を適正範囲内に誘導する事が可能でした。(可能だと信じられていた)
ところが、「資金需要が極端に低い状態=コール市場金利がゼロ金利」では、中央銀行の金利操作は働きません。資金需要を生もうとしても、ゼロ金利より下は存在しないからです。この状態ではマネタリーベースの拡大が出来ませんから、通貨の外生的な供給が不可能になります。
そこで主流派経済学者が導入したのが「量的緩和=非伝統的金融手法」です。
ゼロ金利下では短期金利操作で資金需要が増えないので、国債やその他の資産を中央銀行が直接買い入れて、金融機関の当座預金に現金を積む事で、マネタリーベースを強引に拡大する政策です。
ところが、実体経済が冷え切っている場合、金利と投資のリスクバランスが崩れているので、民間金融機関は貸し出し先を拡大する事が難しい。一方で、中央銀行の当座預金に金利が付く状態では、ゼロリスクで金利収益が得られるので、金融機関は中央銀行の当座預金に資金をブタ積みして、ゼロリスクで収益を上げようとします。
主流派経済学者の一部(リフレ派)はリーマンショック後に、「量的緩和でマネタリーベースを拡大すれば実質金利が下がり資金需要が復活する」と主張し、政策が実行されましたが、これは失敗に終わります。資金需要を「外生的」にコントロールする事が出来ない事が証明されました。
■ MMTではマエネタリーベースは内生的と考える ■
MMT(現代貨幣論)では貨幣供給は内生的と考えられています。内生変数は任意に操作できない変数です。
民間の資金需要が枯渇して金利がゼロに張り付いた状態では、中央銀行がマネタリーベースのマネタリーベースの操作が機能しません。
そこで、財政支出によって直接的に市場にお金を注入するというのが、MMT派の主張です。政府の財政支出の極端な例は「直接給付」です。お金を欲しくてもお金が無い人に直接お金を配れば消費を活性化し、経済も活性化します。
これは当たり前の事なので、主流派経済学者の中でもブランシャールやサマーズは「政府はもっと財政赤字を拡大すべき」と主張しています。
プリンストン大学のシムズが、「物価水準の財政理論(FTPL,Fiscal Theory of the Price Level)」として体系化しています。
ゼロ金利の制約に直面した状況で金融政策が有効性を失う場合は、インフレを生むように意図した追加財政が代役となり得る。その場合の追加財政は、将来の増税や歳出削減で賄うことを前提にした通常の財政赤字ではなく、インフレでファイナンスされた財政赤字だとする考え方。ゼロ金利下では金融政策によって物価を上げる効果は小さいため、財政政策の拡大によって意図的にインフレを起こし、債務の一部を増税ではなく物価上昇で相殺させると宣言することで人々のインフレ期待を高める。
これをして、MMT派の主張と、主流派の主張の差が無くなった様に錯覚する人も居ますが、キーポイントはインフレ率(金利)が外生的か、外生的かという点です。
■ 金利を外生的(政府がコントロール出来る)と考えるMMT ■
通貨が外生的か内生的かという議論は、ケインズ派と古典派や新古典派経済学(主流派)の間では古くからある論争です。
しかし、ゼロ金利下では通貨は内生的という事は主流派経済学者も認めています。マネーサプライによって通貨が生み出されるというのは、金利が正常に働く状態で観測されるのであって、ゼロ金利下ではこれは観測し難い。
ではゼロ金利下ではMMTが全面的に正しいのかと言えば、問題は金利の捉え方にあります。
MMT派は財政支出を拡大して仮にインフレの兆候が表れたら、財政支出を減らせばインフレ率の上昇を抑える事が出来ると主張します。これはインフレ率は「外生変数」で政府が任意にコントロール出来ると言っているに等しい。
「金利がゼロであるならば、統合政府の負債は無限に持続可能」(極論ですが)と考えるMMTでは、財政拡大によって金利がコントロール出来ない状態は想定していないし、そうなると理論そのものが崩壊します。
一方、主流派経済学者は財政支出によって金利が上昇して、政府支出の増大はインフレによってファイナンスされると考えています。(いわゆるインフレ税)
この場合インフレ率は政府にコントロール出来ない「内生的」と考えられています。
■ インフレ率の上昇と国債の持続可能性、或いはインフレ税 ■
MMT的な財政拡大が継続する条件は「金利<名目成長率」である事です。これが崩れると、財政赤字が急拡大して、財政は発散します。
1)何等かの原因で金利が上昇し始める
2)国債金利は市場金利の最低金利と連動する
3)市場金利以下の金利の国債を保有する事で金融機関には含み損が発生する
4)金融機関が国債を売却して損失を最小に抑えようとするので、
国債価格が下落(金利上昇)する
5)新発国債と借換債の金利が上昇する
6)ある金利を越えると、国債の利払い費が雪だるま式に膨らみ始める
7)赤字国債の発効量が膨大になり市場で国債が消化出来ずに国債金利の上昇が止まらなくなる
ここまで行くと、日銀は直接国債を政府から購入して国債金利を抑え込む必要が生じます。所謂「財政ファイナンス」です。
ここまで酷い事にならないまでも、財政拡大がインフレ率の上昇を生むならば、金利が引くい預金(国民の資産)の価値が減少して、国の負債は実質的に減少します。国民は増税される事無くとも、インフレ税を国家に払う事になります。
■ アメリカの直接給付は明らかにインフレを生み出した ■
コロナショックは経済と財政の実験場でもありますが、アメリカの直接給付は、明らかに消費を活性化させ、アメリカのインフレ率は7%台に跳ね上がっています。
但し、コロナによる供給制約もインフレの要因に含まれるので、消費がどの程度インフレ率を引き上げたのかは、経過を見る必要があります。
一方、日本では、コロナ給付は貯蓄されたと言われています。これはちょっと間違った言い方で、我が家を始め一般的な家庭では、それなりに消費に回ったと思われますが、その先でお金は企業の内部留保や、企業が支給した給与からの預金に変わった。
日本でもインフレ率は高まっていますが、その原因は原油高に代表される輸入物価の上昇。アメリカのインフレ率が高まった事で、内外金利差から円安傾向になるので、輸入インフレはさらに加速しそうです。
コロナ給付や、コロナ後の経済の活性化を見込んだインフレなので、短期的なインフレ率の上昇で再びインフレ率が下がれば問題有りませんが、インフレ率の上昇が継続し続けると、中央銀行の緩和的金融政策は持続不可能になります。
FRBは量的緩和の縮小や、利上げを匂わせています。
これによって、財政のアンバランス化よりも、資産バブルが崩壊する方が圧倒的に早く訪れます。リーマンバブル、コロナバブルが崩壊する。
主流派とMMTのどちらが正しかったのかという決着以前に、経済の崩壊によって、この論争はウヤムヤにされる可能性が高いと私は妄想しています。
https://green.ap.teacup.com/pekepon/2788.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1604.html#c15
16. 2022年1月24日 09:52:23 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[23]
外生的貨幣供給論・貨幣数量説と内生的貨幣供給論について教えてください
質問日:2009/01/15
ベストアンサーに選ばれた回答
端的に言うと、マネーサプライがベースマネーの増減と比例するのか、銀行の貸出によるのかという議論です。
一般的な金融の教科書で書かれているのが外生的貨幣供給説です。
銀行は預金を貸出し、その金が銀行に戻ってくるたびに貸出すわけですが、預金準備を日銀の当座預金におく必要があるので徐々に貸し出す金が減っていきます。
例)ベースマネーが100円、預金準備率が10%のとき
100円預金→90円貸出→90円預金→81円貸出→81円預金→…
といった感じで、もとのベースマネーが信用創造されて出回ります。日銀がベースマネーを増やすことで、上記の例の100円の部分を増え、マネーサプライが増えることになります。注意すべき点は例にあるように、銀行には無限の貸出機会があるということです。
内生的貨幣供給説はいわゆる日銀理論です。
マネーサプライの増減はベースマネーではなく銀行の貸出行動によるというものです。この理論では銀行は貸出機会が有限です。
ベースマネーを増やしても銀行が貸し出さないとベースマネーが信用創造されてマネーサプライになることはないという考えです。
You can lead a horse to water, but you can't make him drink.
金利の引き下げも、ベースマネーの増加も貸出をしやすくすることにはなりますが、強制することはできません。
https://finance.yahoo.co.jp/brokers-hikaku/experts/questions/q1322229343
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1604.html#c16
17. 2022年1月24日 10:02:12 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[24]
名古屋女子大学 紀要 63(人・社)51〜63 2017
外生的貨幣供給論の非現実性
――初期のイングランド銀行券に注目して――
金井 雄一
名古屋女子大学紀要 第63号(人文・社会編)
file:///C:/Users/777/Downloads/kojinjinbun63_51-63.pdf
1 問題の所在
資本主義経済下の貨幣を巡って、貨幣は経済の外から増減させうるとする外生的貨幣供給
論(以下では外生説)と、貨幣は経済の内において生成・消滅するとする内生的貨幣供給論
(以下では内生説)とが長く対立してきた。両者間の論争は、既に18世紀のスチュアート(J.
Stuart)によるヒューム(D. Hume)批判において確認できるが、その後も地金論争、通貨論争、
さらに近年のマネーサプライ論争等々と、幾度も蒸し返されてきている。各論争の基盤にあっ
た現実の経済問題の違いを反映して当事者の主張の力点は必ずしも同一ではないため、外生説
的見解としては物価・正貨流出入機構論(貨幣数量説)、地金主義、通貨原理、マネタリズム等々
が出現したし、内生説的見解としては流通必要量説、反地金主義、銀行原理、「日銀理論」1)等々
が対抗することになったが、そこで議論されていることに本質的な違いはない。外生説と内生
説の対立は、スチュアート『経済の原理』2)の刊行から数えると、約250年間続いてきたわけ
である3)。
この対立が一向に決着しない理由は、両説の信用創造論を見れば分かる。まず外生説の信用
創造論は、本源的預金(あるいは中央銀行の貨幣供給増加分)がそれを受け入れた銀行によっ
て(払戻し準備として一部を残した上で)貸し出され、それが支払いに使われ、その受取人に
よって他の銀行に預金され、その預金がまた貸し出され…、という過程の連鎖によって預金が
増えていくというものである。すなわち、準備率の逆数倍の預金が形成されるという、フィリッ
プス(C. A. Phillips)の貨幣(信用)乗数アプローチに基づくものである4)。それゆえ金融政
策については、「ハイパワード・マネーの供給量が増加すると、その増加したハイパワード・
マネーに貨幣乗数をかけた金額だけマネーサプライの増加が起こる」5)との認識を基に、中央
銀行は「ハイパワード・マネーをコントロールすることによってマネーサプライをコントロー
ルすること」6)ができると主張する。
これに対して内生説の方は、既にどこかに存在している貨幣が銀行に集められて貸し出され
ていくという外生説的な把握とは異なり、銀行の信用供与は自己宛て債務の創出によって行な
われると捉えている。「貨幣がまずあって、それが貸借されるのではなく、逆に貸借関係から
貨幣が生まれてくる」7)。手形交換所や日銀ネットのような金融機関間の決済システムが形成
されていれば、貸出によって設定される預金は帳簿上の名目的存在に留まらず、実際に支払い
手段として機能できる預金通貨になる。それゆえ、「銀行が貸せば、というより貸すときにのみ、
それと見合いに預金ができる」8)、換言すれば「貸出をすることによって、貸出の元手になる
資金が信用機構の中に新しく生まれ」9)る、と捉えるのである。したがって、中央銀行がベー
スマネー(ハイパワードマネー)の増減を通じてマネーストック(マネーサプライ)10)をコン
トロールできるとは考えない。マネーストックは市中銀行の信用創造によって形成されるので
あり、ベースマネーはそれを受動的に反映するだけであると主張するのが内生説である。
以上から分かるように、外生説と内生説の論争が繰り返されるのは、端的に言えば、ベース
マネーがマネーストックを規定するのか、それとも逆なのか、この問題に決着がつかないか
らである。そのことを具体的に示すため、事例として近年の日本で見られた現象を取り上げよ
う。まず「量的緩和政策」が始められた2001年から数年間を見てみると、図1が示すように、
ベースマネーは大きく変動しているのにマネーストックはあまり変動していない。したがって
ベースマネーの増減によってマネーストックを増減させるという外生説は成立しないと主張で
きそうであるが、マネーストックがそれほど変動しないのにベースマネーは変動するという事
態は、ベースマネーはマネーストックの結果であるという内生説をも否定しているように思わ
れる。もっとも、ベースマネー増加の内訳を確認してみると、図は控えるが、発券高は増えて
おらず、金融機関が日本銀行に置く預金(日銀当預)が膨張している。日銀当預は1990年代に
は3〜5兆円程度であったが、2002年頃から10兆円を超すようになり、03年には20兆円台、04
年には30兆円台になり、14年の年末には170兆円を超え、16年3月には258兆円になった11)。こ
こで、GDPが現在と大きく違わない時期に金融機関間の決済は5兆円程度の日銀当預によっ
て無理なく行なわれていたことを想起すると、この膨大に増加した預金通貨はほとんど動いて
いないと言えそうである。そしてそうであれば、日銀はベースマネーをみずから増加させえな
いのだから貨幣供給は内生説的に認識されるべきであるとなろう。ただし、その論証には預金
通貨の流通速度を正確に測定する必要がある。貨幣の流通速度としては「マーシャルのK」の
逆数があるが、それはここで必要な預金通貨の短期的流通速度ではない。つまり、預金通貨の
短期的流通速度は当面得られないとすると、外生説と内生説の対立はベースマネーやマネース
トックの変動分析によっては決着しないと言わねばならないのである12)。蒸し返される論争に
決着をつけるには、何か別のアプローチを考えねばならないと思われる。
図1 ベースマネーとマネーストックの変動(対前年比)
出典)日本銀行ホームページ、時系列統計データ検索サイト。
注)「ベースマネー」として表示されているのは、日銀券発行高、貨幣流通高、日銀当座預金の合計額(日銀統
計では「マネタリーベース」と呼ばれている)。
外生的貨幣供給論の非現実性――初期のイングランド銀行券に注目して――
そこで着目したいのが、金融論における「古くて新しい問題」13)、すなわち資本主義の金融
システムにおいては「預金が先か、貸出が先か」という問題である。伝統的な問いの端的な表
現が誤解を招く恐れもあるので念のため敷衍すれば、「預金が先」とは、銀行業務の出発点は
受信であって「銀行は預金を受け入れてそれを貸す」という見解であり、「貸出が先」とは、
出発点は与信であって「銀行が貸出をするので預金が生まれる」という見解である。ここから
分かるように、預金先行という主張は外生説であり、貸出先行という主張は内生説である。と
すれば、外生説と内生説の対立を預金先行論と貸出先行論の対立に置き換えて、後者の対立に
決着をつけられないかと考えてみるというアプローチは、検討に値するのではないだろうか。
そこで、「預金が先か、貸出が先か」であるが、史実としては、流通金属貨幣が預金されて
貸し出される場合(預金が先)も、預金口座に記帳された貸与額から引き出された貨幣が預金
される場合(貸出が先)も、共に否定できない。すなわち、どちらが先かは歴史的に決定する
ことはできない14)。しかも、そもそも外生説と内生説の対立は資本主義における金融システム
をいかに理解すべきかを巡るものであり、事態の歴史的生成順序の問題ではない。では、歴史
の実証的検討は何の意義も持たないのだろうか。
実は、問題を銀行券と預金の関係に限定するならば、歴史的事実の解明にも意味が出てくる
可能性がある。銀行券と預金の関係の最も常識的な理解は、「貨幣が先で信用が後」と考える
通説に沿って、まず銀行券が流通し、それが銀行に預金され、それを銀行が貸し出すというも
のであろう。しかし本当にそうだろうか。金融論における「古くて新しい問題」を問い直す意
義は、まさにここにある。銀行券が発行されて流通し始め、それが銀行に預けられるようになっ
て預金が生成したのか。それとも、預金が生成し、その預金の預り証あるいは支払い指図証等
が生まれて流通し始めていったのか。言い換えれば、銀行券流通による決済が普及した後に預
金通貨振替による決済が始まるのか、それとも預金通貨振替による決済が普及した後に銀行券
流通による決済が始まるのか。このような視点から歴史を見たとき、もし銀行券が預金からし
か生まれていないとすれば、それは単なる史実には留まらない意味をもつ。つまり、銀行券と
は信用関係の形成なしに生まれえないものであり、経済の外から恣意的に増減させうるもので
はない、ということになるだろう。
以上の次第で、外生説と内生説の対立をまず預金先行論と貸出先行論の対立に置き換えて考
察しようとした本稿は、それをさらに「銀行券が預金されたのか」対「預金が銀行券を生んだ
のか」に置き換えて考察することになった。外生説・内生説の対立決着を目指す本稿が、なぜ
初期のイングランド銀行券の検討を試みるのかも、古い歴史的事象の確認が極めて現代的な意
義をもつ課題であることも、理解されたと思う。本稿は、およそ外生説的な認識は成立する筈
がないことを提示しようとするものであるが、現時点では未だ予備的考察に留まるものである
ことをお断りしておかねばならない15)。
2 預金に対する預り証の付与
イングランド銀行創立に際して出された勅許状(Charter)が署名された1694年7月27日の
午後、同行の最初の理事会(Court of Directors)が開催されるが、真っ先に議論されたのは、
ランニング・キャッシュ(running cash)と呼ばれていた当座預金に対して預り証を付与する
方法についてだった16)。理事会は、長い議論の後に三つの方法が実施されるべきであると決議
し、31日の理事会でも同じ内容を確認した。三つの方法とは以下である。
〈1〉持参人に対して支払われる、また裏書によって譲渡されうる、ランニング・キャッシュ手形(running cash note)17)を与える。
〈2〉勘定が記入される帳簿(Book)または文書(Paper)を保存する。
〈3〉勘定口座手形(accomptable note ※綴りは元資料のまま)を与える。
〈1〉は、一部分のみを現金化して受け取り、残額は残しておくということも可能なものだっ
た。また〈3〉は、イングランド銀行が引き受ける手形を振り出すことができるというもので
ある。容易に推測しうるように、三つの方法のうち〈1〉が後世の一覧払兌換銀行券の原型に
なるものであるが、ここで忘れてならないのは、このランニング・キャッシュ手形はイングラ
ンド銀行にその意思さえあれば「発券」できるものではなく、預金取引があって初めて発行さ
れるという点である。この手形は預金から独立には存在できず、預金口座と結びついたものな
のである。
さて、三つの方法を決定した理事会は同じ7月31日の午後、これに伴って必要となるランニ
ング・キャッシュ手形の印刷について決議する。日付欄、金額欄などを空白にした様式である。
現物はイングランド銀行博物館の展示や各種印刷物の写真などによって今日でも見ることがで
きるが、ここには、後世に作成されたイングランド銀行の文書18)の中に再現されているもの
を掲げておこう(資料1)。「枠は印刷されている。日付、名前および金額は手書きである」と
の説明が付されているが、イングランド銀行がジョン・ライト氏または持参人に200ポンドを
支払うことを約束する、1699年に発行された手形である。この手形にも既に、今日のイギリス
で流通しているイングランド銀行券に今もなお印刷されている「私は□□ポンド(額面)の金
額を持参人に要求あり次第支払うことを約束します」という一文と同じような文言が入ってい
る。
たまたま資料1の金額には端数がないが、ランニング・キャッシュ手形は預金の受領証とし
て発行されるものである以上、金額に端数が付いている場合も少なくなかった19)。しかし、名
義人だけでなく持参人にも支払われ、また一部を現金化した後に残額を保持することも可能
だったこの手形は、他の手形類が比較的早期に使われなくなっていくのとは違って広く普及
していった。「イングランド銀行紙券の初期の諸形態の内で唯一生き残ったのはランニング・
キャッシュ手形だった」20)のである。そして、「完全には印刷されていない、しばしば半端な
資料1 ランニング・キャッシュ手形(再現)
出典)BoE Archive: ADM6/77.
注)英語の綴りは原資料のまま。
........1699 .....
No.163
I promise to Pay to Mr.John Wright -------- or Bearer
on demand the Summe of Two hundred pounds
London the 23rd day of January 1699.
£200
For the Governor and Company
of the Bank of England.
Joseph .........
出典)BoE Archive: ADM6/77.
注)英語の綴りは原資料のまま。
外生的貨幣供給論の非現実性――初期のイングランド銀行券に注目して――
金額で作成されたこれらの紙券が、徐々に流通し始めた。…(中略)…人々は、もともと価値
のある金貨や銀貨よりもむしろ、払い戻す約束が書かれている1枚の紙の方を好んだ」21)とい
うわけである。
流通し始めたこの紙券は、預金者本人ではなく流通を経た後に持参人に対して支払われると
いう場合があったとしても、預金に対して発行されたものである。銀行券とは本来そういうも
のであるとしたら、それを一般的な通貨として経済に投入されうるものとして理解して良いの
だろうか。ランニング・キャッシュ手形は預金すなわち信用関係形成に伴って生まれ、それが
なければ生まれなかったものなのである。
3 清算簿
すでに述べたようにランニング・キャッシュ手形は一部のみの払い戻しを受けることができ
たのであるが、そういう扱いを可能にするためにイングランド銀行では清算簿(Clearer)と
いう帳簿が作成されていた。全部あるいは一部が支払われていない手形についての記録である。
これもまたランニング・キャッシュ手形とは、したがって銀行券とは、そもそもいかなるもの
だったのかを良く理解させてくれるものなので、注目しておきたい。
資料2は、1697年3月26日から1722年6月26日までの記録が載っている、現存する最も古い
清算簿22)から12頁の一部分を抜粋したものである。左から4つの欄は、未払いのランニング・
キャッシュ手形の発行日付、それが記録されている帳簿の番号、記録されている頁、通し番号
であり、それに次いで預金者(手形名宛人)、預金額が記されており、一番右の欄がここで注
目しようとしている支払い記録である。
資料2の預金者欄二人目 Badmering 氏の場合を例にとると、清算簿から分かるのは以下の
ことである。1701年10月7日に84ポンド5シリング8ペンスが預金され、それに対して発行さ
資料2 清算簿(一部抜粋)
出典)BoE Archive: C96/211.
注)英語の綴り等は原資料のまま。
発行日付 頁 預金者 £ s d 支払日付 £ s d
出典)BoE Archive: C96/211.
注)英語の綴り等は原資料のまま。
(1701年)
Oct. 7. 53 596 153 Tho. Clarke 100 − − 1702. Oct. 9. 100 − −
− − 599 51 Jn. Badmering 84 5 8 1704. Oct. 20. 34 5 8
1705. Ap. 26. 30 − −
1705. Aug. 31. 20 − −
84 5 8
Oct. 8 − 609 86 John Dillingham 80 − − 1702. Sep. 30 80 − −
− − 610 129 Jn. Holditch 18 5 6 1702. Decem. 7. 18 5 6
Oct. 10 − 637 96 Jam Brailsford 190 14 4 1703. July 7. 141 13 4
Sep. 8. 49 1
190 14 4
れた手形は51という通し番号を付けられて、第53番帳簿の599頁に記録された。その手形は、
その後1704年10月20日に34ポンド5シリング8ペンス支払われ、残る50ポンドの内30ポンドが
翌05年4月26日に、20ポンドが8月31日にそれぞれ支払われて、全額が決済された。イングラ
ンド銀行と預金者の間のこうした信用関係(貸借)の生成・消滅に伴い、01年10月7日にラン
ニング・キャッシュ手形が生まれ、05年8月31日にそれが消滅したわけである。
なお、先にランニング・キャッシュ手形は端数が付いている場合も少なくなかったと述べた
が、資料2からその一端が確認できるだろう。また、名宛人ないし持参人に一度で全額が支払
われない場合が珍しくないことも、資料2から伺えよう。ランニング・キャッシュ手形が裏書
譲渡によってどの程度流通したのかは清算簿からは分からないが、資料2にある5例を見る限
り、1701年10月に発行されたランニング・キャッシュ手形は1705年8月までに決済されている。
もっとも、長期間にわたり決済されないままのものもあったようである。たとえば、1764年10
月1日から1828年1月10日までの清算簿23)は、額面別に作成されていて、左から発行日、転
記される前の清算簿の頁(フォリオ)、通し番号、名宛人、額面が記されているが、1791年に
発行された10ポンド券が並ぶ頁に、10ポンドが消され7(ペンス)と記録されている券がある。
そしてこの券は、さらに次の清算簿(1880年−1958年)24)においても依然として7ペンスが未
払いとして記載されているのである。
いま述べた次の清算簿とは、「目録」の「解説」(本稿の注22)を参照)において「見たとこ
ろ1880年の残高計算のために用意されたもの。1909年から若干の支払い数値あり」と記されて
いるもので、表紙には「第7番清算簿の摘要(Abstract of No7 Clearer)」25)の文字がある。
おそらく「第7番清算簿」から未払い分が残っているものだけを抽出したのであろう。この清
算簿には発行日、転記される前の清算簿の頁(フォリオ)、通し番号、額面の4欄しかなく、
1764年10月から1794年9月に発行された未払の手形(銀行券)が10,15,20,25,30,40,
50,100,200の各額面別に記録されているのであるが、ところどころに「支払済み(Paid)」
の文字と日付が朱書きされて、通し番号と額面に朱の抹消線が引かれている券がある。したがっ
て、たとえば1793年3月13日に発行された10ポンド券3枚が1910年9月15日に支払われたこと
が分かるし、1772年10月3日発行の20ポンド券が1909年4月20日に支払われたことも分かる。
20世紀になっても18世紀に発行した未払手形が決済される、ということもあるのが銀行券なの
である。
上記の清算簿には1794年9月までに発行された未払券が記載されていたが、それに続く94年
10月からを記録する清算簿(1794年10月1日−1926年8月18日)26)は10ポンドのみで1巻になっ
ている。そこにはこの時期の清算簿ならではという内容があるので見ておくことにしたい。こ
の巻は様式も変わり、全てが10ポンド券であるから額面欄はなく、上段に発行日付、下段に通
し番号が書かれているだけになっているのだが、通し番号の両側に「終了(STOPPED)」の
朱印が押されている券がときおり現れる。そして、巻末に償却済み銀行券の一覧表が付けられ
ている(資料3参照)。したがって、一覧表に記載されている券の清算簿の頁(フォリオ)へ
戻ると、そこに「終了」の朱印が押された同一券がある筈なので、両者を照合して確認できる
のである。償却済み一覧表には誰に支払われたかも記録されており、また、清算簿には表示さ
れていない終了日付も分かるので、各券の「寿命」も分かる。
– 57 –
外生的貨幣供給論の非現実性――初期のイングランド銀行券に注目して――
いま見てきた清算簿(1794年10月1日−1926年8月18日)に続く次の清算簿(1926年8月19
日−1936年10月19日)27)にも償却済み銀行券の一覧表が付されている。その表の「被支払人」
欄にはバークレイズ銀行やロイズ銀行、さらにはスイス銀行やフランス銀行なども登場するよ
うになって興味深いが、たとえば1927年3月17日発行の10ポンド券(番号94971)が29年2月
2日に支払われている等、1920年代にも銀行券の償却が行なわれている記録が何件も見られる。
要するに、清算簿などというものを必要とするのが銀行券なのである。銀行券とは、それが
清算簿を必要とするものであったという点のみからでも経済の外から恣意的に増減しうるもの
ではないと言わねばならないが、さらにその清算簿の記録内容からは、経済の内において何ら
かの信用取引が行なわれた日に生まれ、その信用関係が消滅した日に消えていくものであるこ
とが明らかにされていた。すなわち、銀行券は内生説的に把握されるべきであることが語りだ
されていた。そしてそれは、イングランド銀行創設時のみではなく、1920年代においても同じ
ように起こっていたのである。
4 額面の印刷
ここまで述べてきたようにランニング・キャッシュ手形の金額欄は手書きであったが、実は
金額の印刷が検討されるのは意外に早く、イングランド銀行創設の翌年1695年5月1日の理事
会においてである。理事会はその日、持参人に支払う手形の様式を新たに決め、AからGまで
の7つのアルファベット文字を割り当てた、5、10、20、30、40、50、100の各ポンド、計7
種の印刷をそれぞれの枚数も含めて指示した28)。もっとも、このいわゆる「飾り文字付き手形
(“Lettered Notes”)」は「1695年の6月13日から8月14日まで発行された」29)ものの「成功し
なかった」30)。偽造されていたことが数か月後に判明し、回収されてしまったのである。
「飾り文字付き手形」回収後は行なわれていなかった金額の印刷が再び始まるのは1725年で
ある。この年、イングランド銀行の理事会は20、30、40、50、100の各ポンド用の銅版準備を
命じている。それは、「ヒルトン・プライス氏が彼の『ロンドン銀行家ハンドブック』の中で『お
そらくこれまでに知られている中で最初の印刷された銀行券(Bank Notes)』」だったと述べ
ている、チャイルド銀行(Messrs. Child & Co.)の最初の印刷された券(1729年)より4年も
資料3 償却済み銀行券の一覧表(一部抜粋)
出典)BoE Archive: 13A 123/1
清算簿の頁 発行日付 通し番号 終了日付 被支払人
7 20 September 1798 9982 17 October 1798 Mr. Dunn
8 3 January 1799 2338 7 March 1799 Mr. Hunt
8 18/19 January 1799 8727 4 March 1799 Mr. Jones
8 8 April 1799 2960 28 October 1799 Mr. Wallace
9 3 September 1799 2066 15 November 1799 Wright & Co.
9 18 September 1799 8786 15 November 1799 Wright & Co.
9 20 December 1799 1765 19 March 1800 Mr. Hall
10 24/25 June 1800 9307 24 September 1800 Esdaile & Co.
10 4 July 1800 6632 12 September 1800 Lefeire & Co.
11 29 November 1800 1400 1 January 1801 Mr. Parkin
出典)BoE Archive: 13A 123/1
早い」31)ものだった。ただし、「額面が印刷されるようになった時でさえ、預金の正確な額を
示すため預金受領係は手形に手で記入できた。この慣行は18世紀の遅くまで続いた」32)。つまり、
実際にはいろいろな場合があったようである。「(知られている限りでは)金額が(部分的に)
印刷されている、現存する最も初期の券は1736年7月28日のそれである」が、「二十(Twenty)」
が印刷され、それに続いて「五ポンド(Five pounds)」と手で書かれているその券は、1847
年に提示され支払われている。さらに、「五十(Fifty)」が印刷され、それに続く「ポンド」
の語は手で書かれている1748年1月20日付けの券も現存している。そして、初めに流通に入っ
た銀行券の額面は10ポンド、15ポンド、20ポンド、25ポンド、30ポンド、50ポンドであり、そ
れ以外の各額面の最初の発行日は以下のとおりである。5ポンド:1793年4月5日、200ポン
ド:94年10月11日、100ポンド:94年10月24日、300ポンド:95年1月10日、500ポンド:95年9
月19日、1ポンド:97年3月2日、2ポンド:97年3月4日、1000ポンド:1802年10月1日33)。
ともあれイングランド銀行が発行する持参人払いの手形は金額が印刷されているものになっ
ていき、次第に今日の銀行券へと進化していくのであるが、本稿「2」・「3」で述べたことが
ここでも銘記されねばならない。ランニング・キャッシュ手形(銀行券)はイングランド銀行
の業務に伴って発行されるのであり、イングランド銀行に提示すると持参人に支払われる紙券
が先に存在していて、それを用いて業務が行なわれるということではない。たとえ額面金額が
印刷済みとなっても、それによって手形(銀行券)が先に存在するようになったわけではなく、
それは単なる紙片であって、特定の取引=信用関係が形成されて初めてイングランド銀行の債
務として発行される、すなわち経済の中へ出ていくのである。経済の外から「通貨として経済
へ投入する」などということができるものではない。
5 まとめ
ランニング・キャッシュ手形すなわち後のイングランド銀行券は、預金の預り証であり、部
分的に決済可能なので清算簿を必要とし、額面が印刷されるようになったと言っても、先に銀
行券があってそれで業務を行なうというわけではなく、業務が行なわれるのでその中から生ま
れるというものだった。銀行に債務を生じさせる信用取引なしに銀行券が出回り、その既にど
こかにあった銀行券が預金される、ということは起こりえない。信用関係の形成が先である。
銘記されるべきは、「発券」は信用取引なしに行なえることではないという点である。そのこ
とは、経済活動の外から貨幣量を増減させうるとする外生説的見解は銀行券に関しては成り立
ちえないことを示しているのではないだろうか。
ところで、本稿はイングランド銀行が創立早々に預金の受領証について検討したところから
考察を始めたが、では、同行への預金はなぜ行なわれるのであろうか。この点に関して想起さ
れるべきはゴールドスミス(goldsmith)である。既に先行研究が明らかにしているように34)、
ロンドンではイングランド銀行創設に先立つ17世紀半ば頃から、元来はその名のとおり金細工
商であったゴールドスミスが金貨の保管のみでなく両替、為替業務も営み、さらに預金を受入
れて預り証を発行し、支払い・決済業務を担うようになっていた。預金者に渡されるゴールド
スミス手形(goldsmith note)は裏書譲渡可能な持参人払手形として預金からの支払いに使用
され、また転々と流通するようにもなっていたのである。しかも、当時ロンドンにあったとい
われている数十行ほどのゴールドスミスは、その内の有力2行に勘定を開設していた。つまり、
ゴールドスミス手形を用いた預金通貨振替決済が普及していたのである。そして、研究史が指
摘しているように、イングランド銀行のランニング・キャッシュ手形はそのゴールドスミス手
– 59 –
外生的貨幣供給論の非現実性――初期のイングランド銀行券に注目して――
形を受け継いだものであり、したがって、同行へ預金が行なわれるのは、あるいは同行がそれ
を見越して真っ先に預金受領証について検討したのは、預金通貨振替決済の普及が前提にあっ
たからなのである。
こうして我々は、銀行券が預金から生まれたということだけではなく、預金通貨振替決済が
展開していることが預金を生む、したがって銀行券を生む、という点も確認できる。ランニン
グ・キャッシュ手形普及の前提に預金通貨振替決済の展開があった。銀行券は、預金受領証と
してだけでなく支払指図証として重要な意義があったのである。預金が先に生まれ、銀行券は
「預金残高を増減するための手段」35)として現れるのである。この点もまた、銀行券の本質的
性格を浮彫にして、銀行券の内生性への理解を深めるであろう。
もっとも、ここには未だ課題が残っている。上に引用した「預金残高を増減するための手段」
という銀行券の規定は初期の銀行券についてではなく、実は現代の日本銀行券について述べら
れているものである。しかし、言うまでもなく今日の銀行券は特定の預金口座と一体化してい
るものではない。それゆえ、初期の銀行券については本稿が示してきたような預金預り証や支
払指図証としての規定を納得できるとしても、現代の銀行券については直ちにそれを受け入れ
ることは難しいかも知れない。しかし、特定の預金口座と一体化してないということは、信用
関係の形成なしに「発券」されるようになったことを意味するものではない。中央銀行は、不
換制下の今日においても、金融機関との間での取引なしに「発券」することはできない36)。す
なわち、しばしば言われる「銀行券の増刷」などということはできることではない。銀行券は
何らかの信用関係が形成されなければ生まれないという点を忘れてはならないのである。もっ
とも、外生説へ陥らないためには、すなわち本稿の主張がさらに説得力を増すためには、次の
課題が果たされねばならないだろう。
本稿で検討した時期の銀行券は、やがて、特定の預金口座あるいは特定の信用取引との結び
付きを次第に希薄化して言わば無因証券化していくのであるが、その過程を正確に解明する必
要がある。それをしないと、今日の銀行券が本質的には初期の銀行券と依然として同じもので
あるということが忘却されてしまうのである。実は、為替手形については同様の問題が既に論
じられてきた。為替手形は、その振出しをもたらした特定の為替契約と一体であった筈なのに、
次第に元契約から離れて譲渡可能な証券となっていき、イギリスにおいては17世紀中頃になる
と、為替手形所持人は元の取引に存在した債権債務関係とは全く別の権利を持つことが認めら
れるようになったのである37)。つまり、為替手形はある特定の取引があって初めて生まれるも
のでありながら、その原取引から独立した支払い手段になっていったのである。この為替手形
の場合を参考にしつつ、銀行券についても、それが原預金口座等との関係が薄れていく過程を
明確に解明せねばならない。それによって、たとえ今日では見えにくくなってはいても、銀行
券は信用取引からしか生まれないことが認識され、銀行券の内生性への理解が深まると思われ
る。
本稿は外生説と内生説の対立を「銀行券が預金されたのか」対「預金が銀行券を生んだのか」
に置き換えて、つまり「銀行券流通決済から預金振替決済へ」(外生説)対「預金振替決済か
ら銀行券流通決済へ」(内生説)に置き換えて考察しようとした。そして、初期のイングラン
ド銀行券の検討を通じて銀行券の本来の姿を改めて確認し、外生説的な認識の成立は難しいこ
との提示を試みたわけであるが、未だ課題は残った。現代の金融政策を的確に評価するために
は避けられないその課題に、引き続き取り組みたい。
Summary
The controversy over money supply by the exogenous theory and the endogenous theory
has continued for many years since the mid-18th century. This means that we have to find
a way to settle the dispute other than an econometric approach, which could not resolve the
controversy. This paper suggests that giving the nature of bank notes some consideration
from a historical perspective contributes toward settling the controversy. If bank notes
were not born without the formation of a credit relation(deposit dealing), we just have to
recognize that bank notes were born endogenously.
付記:本研究は日本学術振興会・科学研究費(研究課題番号15K03574)の助成を受けたもの
である。
注
1)「日銀理論」という表現については、岩田[1992]ならびに翁[1992]を参照。また両者の論争については、
古川[1994]、建部[1994]を参照。
2)Steuart[1767].
3)各論争については個々に研究が蓄積されており、また諸論争を見渡して理論史的に考察する研究も少なく
ないが、後者の最近のものとして平山[2015]がある。なお、金融論の教科書には貨幣(信用)乗数アプロー
チが圧倒的に多く見られるが、イングランド銀行が近年、明確に内生説的な説明をし始めているのが注目
される。Cf. McLeay et al.[2014a]; do.[2014b]. この論文については斉藤[2015]が的確な解説をしている。
4)フィリップスの信用創造論については、古川[2014]が「彼の考え方は問題をいたずらに複雑化させ, 間違っ
た方向に議論を誘導する結果に終わった」(39頁)と指摘している。また吉田[2003]は、「準備があって
信用創造が始まるのではなく、準備は後から求められる。フィリップス流の乗数論的信用創造論は逆立ち
した議論である」(35頁)と述べている。横山[2015]84頁も参照。
5)岩田[1993]、59頁。
6)岩田[1993]、B頁。
7)西川[1984]、94頁。横山[1977]、外山[1980]、板倉[1995]、も参照。
8)横山[2015]、31頁。
9)板倉[1995]、xi頁。
10)貨幣供給量については従来「マネーサプライ」と表現されてきたが、日本銀行は2008年から統計において「マ
ネーストック」と表記している。本稿でも以下では特に断らない限り「マネーストック」を使用する。
11)日銀当預の激増の裏側には日銀の国債購入=保有額の激増(2005年1月の94兆円から2016年3月の349兆円
(長期国債のみでは303兆円へ)がある。大量の国債を購入しても市場への日銀券供給は実現せず日銀当預
の増加をもたらしたのみだったので、2016年2月から日銀当預の内の政策金利残高にマイナス金利を付す
政策が始まったわけである。
12)金井[2015]14−17頁を参照。
13)建部[2005]、45頁。この問題を取り上げている近年のものを二〜三挙げておく。
田中[2011]、濱田[2014]、山口[2015]。
14)貨幣が生成した後にその貸借が始まるという常識的な理解に対して、歴史的には債権債務関係が先に生じ、
その記録や清算などのために観念的計算貨幣が登場したという見解(筆者は便宜的に信用先行説と呼んで
いる。金井[2015]参照)があるが、本稿がここで「どちらが先かは歴史的に決定することはできない」
と述べているのは、信用先行説の否定ではない。既に金属貨幣が流通し、商品交換を媒介しているような
社会においては、金属貨幣の預け入れとその貸し出しも、与信によって創出された預金からの金属貨幣引
出しも共にある。そういう意味で預金先行か貸出先行かについては史実からは決着をつけられないということであり、金属貨幣が信用に先行して登場する場合もあったという主張をしているわけではない。いず
れにせよ、本稿で検討されているのは貨幣の生成過程ではない。
15)周知の如くイングランド銀行に関しては多くの研究が蓄積されており、同行の初期の銀行券に関して言及するものも少なくないので、本稿は以下から多くの教示を得ている。
Andréadès, translated by Meredith
[1931](町田・吉田共訳、1971年);Feavearyear[1931](一ノ瀬・川合・中島訳、1984年);Mackenzie
[1953];Coppieters[1955];Clapham[1958]( 英 国 金 融 史 研 究 会 訳、1970年 );Richards[1958];
Morgan[1965](小竹豊治監訳、1992年);Giuseppi[1966];ヤッフェ、三輪訳[1965];田中[1966];
楊枝[1982];楊枝[2004]。ただし、イングランド銀行の初期銀行券を外生的貨幣供給論の歴史実証的否
定という視点から検討した先行研究は管見の限りではないため、本稿は、本稿の見解と先行研究の関係を
示す研究史整理を「問題の所在」において行なっていない。
16)Cf. Bank of England Archive(以下BoE Archive):G 4/1, pp.1-4.
17)7月31日の決議では単に「手形」と記されているが、その決議が同一の内容であると認めている27日の決
議には「ランニング・キャッシュ手形」と記されている。Cf. BoE Archive: G 4/1.
18)BoE Archive: ADM 6/77. 表紙に「Bank Notes ‐ General 1901-1965」と記されているこのファイルに1
番目の文書として、上端に「PRIVATE AND CONFIDENTIAL.」と記されている以外にはタイトルらし
きものの無い6ページのものが収められているが、その3ページ目から5ページ目に「MEMORANDUM
ON BANK OF ENGLAND NOTES.」と題された3ページの文書が挿入されており、その3ページの文書
の末尾に「経理局長室(Chief Accountant’s Office) 1901年11月」との記載がある。
19)イングランド銀行創設時の元帳(General Ledger)には顧客別の出入金記録がある。Cf. BoE Archive:
ADM 7/1; ADM 7/2; ADM 7/10; C 98/2512; C 98/2513; C 98/2514; C 98/2515.
20)Anon.[1969]p.212.
21)Keyworth (Bank of England Museum Booklet)[2003]p.2.
22)BoE Archive: C 96/211. イングランド銀行文書室の「目録(Catalogue)」には各資料について「解説
(Description)」が付されているが、C 96/211の「解説」に「最も古い現存する『清算簿』」との記述がある。
23)BoE Archive: C 96/214.
24)BoE Archive: C 96/215.
25)「7番清算簿」というのは、一つ前の「1764年10月1日から1828年1月10日までの清算簿」(C 96/214)を指す。
したがって、ここで言っている「次の清算簿」(C 96/215)は、C 96/214の摘要なのであり、それゆえ共に
1764年10月〜の未払手形(銀行券)を対象にしているのである。
26)BoE Archive: 13A 123/1.
27)BoE Archive: 13A 123/2.
28)Cf. BoE Archive: G 4/2, pp.18-19.
29)Richards[1958], p.163.
30)BoE Archive: ADM 6/77.
31)Ibid.
32)Keyworth (Bank of England Museum Booklet)[2003]p.2.
33)BoE Archive: ADM 6/77.
34)Cf. Andréadès, translated by Meredith, C.[1931](町田・吉田共訳、1971年);Feavearyear[1931](一ノ瀬・
川合・中島訳、1984年);Clapham[1958](英国金融史研究会訳、1970年);田中[1966];楊枝嗣朗
[2004].なお、ゴールドスミスに関しては以下も参照。The National Archives: C 6/405/23; C 11/112/30;
C 107/112.
35)木下[2015]、25頁。
36)少なくともイギリスの実態においては、金本位制下においてさえ、たとえば金準備増加時に銀行券流通が
減少するなど、銀行券量は金準備額に規制されず、銀行券は内生的に供給されていたことについては、金
井[1989]、金井[2004]を参照。
37)Cf. Rogers[1995](川分訳、2011年).
〈資料〉
Bank of England Archive
ADM 6/77 The Issue Department: Bank Notes − General
ADM 7/1 Banking Department General Ledger(1695−1698)
– 62 –
名古屋女子大学紀要 第63号(人文・社会編)
ADM 7/2 Banking Department General Ledger(Supplement)
ADM 7/10 Banking Department General Ledger(1 Sep 1725−31 Aug 1732)
C 96/211 Bank Notes(Clearers): Clearing Note Book(26 Mar 1697−26 Jun 1722)
C 96/214 Bank Notes(Clearers): Odd Sums Ledger(1 Oct 1764−10 Jan 1828)
C 96/215 Bank Notes(Clearers): Abstract of No7 Clearer(1880−1958)
C 98/2512 Drawing Office: Customer Account Ledger A-Z(Aug 1694−Dec 1694)
C 98/2513 Drawing Office: Customer Account Ledger A-Z(Dec 1694−Feb 1695)
C 98/2514 Drawing Office: Customer Account Ledger A-K(Mar 1694−May 1695)
C 98/2515 Drawing Office: Customer Account Ledger L-Z(Mar 1694−May 1695)
G 4/1 Court of Directors: Minutes(27 Jul 1694 〜 20 Mar 1695)
G 4/2 Court of Directors: Minutes(27 Mar 1695 〜 14 Jul 1697)
13A 123/1 Bank Notes(Clearers): £10 Clearer(1 Oct 1794−18 Aug 1926)
13A 123/2 Bank Notes(Clearers): £10 Clearer(19 Aug 1926−19 Oct 1936)
The National Archives
C 6/405/23 Dickenson v Lindsey. Plaintiffs: Richard Dickenson mariner of London.
C 11/112/30 Lake v Hales. Document type: two bills and three answers.
C 107/112 Re Vyner, bankrupt: Papers relating to Sir Robert Vyner, goldsmith: London.
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file:///C:/Users/777/Downloads/kojinjinbun63_51-63.pdf
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1604.html#c17
18. 2022年1月24日 10:04:11 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[25]
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http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1604.html#c18
19. 2022年1月24日 10:07:26 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[26]
商品貨幣論および外生的貨幣供給説の誤り −『マンキュー マクロ経済学』を例として−
シェイブテイル&朴勝俊
2020 年 3 月 18 日
https://economicpolicy.jp/wp-content/uploads/2020/03/How-Mankiw-is-wrong.pdf
1. はじめに
大学で用いられているマクロ経済学の教科書は、ほとんどが「商品貨幣論」と「外生的貨幣供給
説」に立っています。これらの考え方は、貨幣量は有限であり、預金の結果として貸出が可能となる
(言い換えれば家計の貯蓄が企業や政府の債務を支える)という間違った議論につながります。現
在の主なマクロ経済理論が現実をうまく説明できないのは、この 2 つの考え方に立脚しているから
だと考えられます。
本稿では、まず 2 節で商品貨幣論の代表として、大学等で広く使われている教科書のひとつで
ある『マンキュー マクロ経済学 I 入門編(第 3 版)』(マンキュー 2011)に記された貨幣進化説を確
認し、3 節で商品貨幣論と信用貨幣論の違いを押さえた上で、4 節以降では、『マンキュー マクロ
経済学 II 応用編(第 3 版)』(マンキュー 2012)に示された、バランスシートを用いた信用創造の説
明を批判的に検討し、その誤りを明らかにします。
2. マンキューの教科書における貨幣の進化
マンキューの教科書の「入門編」では、貨幣の進化について次のように書かれています。
---------------------
貨幣の諸機能をよく理解するには、貨幣のない経済(物々交換経済)を想像してみればいい。
貨幣のない世界で取引が成立するには、(ちょうどよい場所でちょうどよいときに)2 人の人間が互
いに相手の欲しい物をもっているという希な偶然、すなわち欲求の二重の一致(double coincidence
of wants)が必要である。物々交換経済では、単純な取引しか行えない。
貨幣を使うと、もっと間接的な取引が可能となる(以下略)。
第 2 次世界大戦中のナチの捕虜収容所では、独特の商品貨幣が使われていた。捕虜たちには
赤十字から食料、衣服、タバコなどさまざまな物資が供給されていた(中略)。最終的に「通貨」にな
ったのはタバコであった(以下略)。
どんなに原始的な社会であっても、何らかの形の商品貨幣が出現して、交換が簡単になること
は驚くにはあたらない。人々は金のような内在的価値を持った商品貨幣であれば、喜んで受け取
るからである。しかしながら、不換紙幣の出現を説明するのは少し難しい。どうして、人々は内在的
価値をまったくもたないものを価値あるものとして扱うようになったのだろうか。
商品貨幣から不換紙幣への進化を理解するには、人々が金を詰め込んだ鞄を持ち歩いている
経済を創造してみればよい。そのような経済では、商品の購入が決まったら、買い手は金の適量を
ECONOMIC POLICY REPORT NO.15
2
はからなければならない。そして売り手が金の重量と品質に納得してはじめて、売り手と買い手の
取引が成立するのである。
政府の貨幣システムへの介入の初期段階は、人々の取引コストを引き下げるものであっただろ
う。金そのものを貨幣として使うと、純度と重量の確認に手間がかかるので、取引コストが高い。そう
したコストを節約するために、政府は一定の純度と重量を持った金貨を鋳造する。金貨の価値が一
般に知れわたれば、金の延べ板よりも使いやすくなる。
次の段階では、政府は民間から金を受け取って、代わりに金証書(金兌換紙幣)を発行するように
なる。兌換紙幣は、一定量の金との交換が政府によって補償されている(以下略)。
最後の段階では、金による価値補償がいらなくなる。兌換紙幣を金に換える人がいなくなれば、
金との交換補償が放棄されても誰も気にしなくなるだろう。交換の際に紙幣を皆が受け取り続ける
限り、紙幣には価値があり、貨幣としての役割を果たす。このような経緯を経て、商品貨幣のシステ
ムから不換紙幣のシステムへと、ゆっくりと進化してきたのである(マンキュー 2011、pp.110-112)。
-----------------------------
ここでははっきりと、貨幣のない物々交換経済を創造するところから話が始められていますが、こ
れは「商品貨幣論(theory of commodity money)」に立つ教科書の常套的
じ ょ う と う て き
な説明です。物々交換は
「欲求の二重の一致」という問題のために不便であり、まもなくある商品が貨幣の役割を果たすよう
になり、やがて金がその商品の頂点の位置に立ち、政府が貨幣を鋳造し、そこから兌換紙幣そして
不換紙幣へと貨幣が進化するというストーリーです。まだ「入門編」においては、銀行預金などの
「信用貨幣(credit money)」の発生が十分に説明されていませんが、貨幣量の指標であるマネーサ
プライ(日本でマネーストックと呼ばれるものと同じ)の説明が行われ、そこには「要求払い預金」や
「貯蓄性預金」が貨幣に含まれるべきであると述べられています(マンキュー 2011、p.116)。
銀行が貸出しの連鎖を通じて、現金の何倍もの預金通貨を創り出してゆく仕組みについては、
「応用編」(マンキュー 2012)の第 7 章で論じられています。ただし、「信用創造」は英語の money
creation の訳語であるため、日本語の教科書に「信用創造」という用語が出てくるからといって、そ
のことによって、マンキューが貨幣を「信用(credit)」として捉えていたということはできません。
次節では、商品貨幣論と信用貨幣論について比較検討を行います。
2. 商品貨幣論と信用貨幣論
前節で見たように、マンキューのものをはじめとするマクロ経済学の主な教科書では、主に商品
貨幣論に基づいた経済理論の説明が行われています。商品貨幣論では、貨幣はあくまでも商品
が姿を変えたものという立場をとっています。
それに対する信用貨幣論では、貨幣とは誰かが負債を負った時に、同時に生じる信用(債権)だ
という立場を取ります(図表 1)。
とはいえ現代ではどちらの論でも、銀行(中央銀行と民間銀行)によって信用創造が行われるとい
う理解は共通しています。
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3
主な違いは、商品としての貨幣が預金されてはじめて貸出
か し だ し
が可能となると考えるのか、貸出がお
こなわれた結果として預金が創造されると考えるのか、という点です。前者の立場は「貨幣外生説」
あるいは「外生的貨幣供給論」とよばれます。これは、商品としての貨幣の量は金融取引の「外で」
決まっているという意味です。それに対して後者の立場は「貨幣内生説」あるいは「内生的貨幣供
給論」とよばれます(ラヴォア 2008, p.77)。金融取引の内部の働きの結果として貨幣の量が決まると
いう意味です。
図表 1 商品貨幣論と信用貨幣論の比較
商品貨幣論 信用貨幣論
貨幣の本質 貴金属など商品の一種 貸借関係から生まれる「信用(債権)」
根拠 アダム・スミスの神話 歴史および現代の貨幣分析
信用創造 外生的貨幣供給論 内生的貨幣供給論
銀行の意義 預金から貸出する 貸出が預金を生みだす
経済学派 新古典派系および、ポスト
ケインズ派以外のケインズ派
MMT を含むポストケインズ派
出典: 筆者作成
実は、商品貨幣論の常套的な説明は事実ではなく、物々交換の神話に基づいています(グレー
バー 2016、第二章)。これはアダム・スミスの『諸国民の富(国富論)』によって広められたものです
(スミス 1959 [1776]、第 1 編)。そのため、本稿ではこれを「アダム・スミスの神話」と呼びます。
世界で最初の鋳造金貨は、紀元前 600 年頃のリュディア王国(現在のトルコあたり)のものとされ
ています(グレーバー 2016、p.337)。それよりも古い時代にはおカネがなかったので、商品貨幣説
の神話では、まず物々交換がされていて、そのうち取引の媒介をするのに便利な特定のモノ(貝殻
や貴金属など)が利用されるようになり、それが現在のような貨幣(硬貨や紙幣)へと進化し、銀行
や信用が発展したとされています。マンキューの教科書(上記の引用箇所)でも、このような説明が
行われています。
しかし、1776 年以降、宣教師や冒険家、植民地の行政官たちはスミスの本を片手に世界中に散
らばりましたが、物々交換の国を発見することはありませんでした。人類学者のキャロライン・ハンフ
リーは「物々交換経済について純粋で単純な事例が記述されたことなどない。物々交換から貨幣
の発生についてはなおさらである。入手可能なあらゆる民族誌が、そんなものは存在していなかっ
たことを示している」と結論づけました(Humphrey 1985、訳文はグレーバー 2016、p.46 より引用)。
つまり、物々交換が貨幣の起源であるとする商品貨幣論には歴史的、人類学的な根拠がみつかっ
ていないのです。
それに対して、信用貨幣論はどうでしょうか。実は、損害や罪を償う義務という意味を含む債務
は、人類数千年の歴史があります。グレーバーによれば、「信用制度や借用証(tabs)さらには経費
勘定(expense accounts)さえも、現金よりもはるかむかしから存在していた。こういった事象はほとん
ど文明と同じぐらい古い」のです(グレーバー 2016、p.30)。
商品貨幣説を真っ向から否定し、古代からの歴史に基づいて「信用のみが貨幣である」、「信用
は現金よりはるかに古い」として、信用(債権)こそが貨幣発展の起源であると喝破した最初の人物
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4
が、ミッチェル・イネスという人物です。イネスが 1913 年に発表した論文は、ケインズの書評によっ
て酷評されました。当時はまだ、ケインズ自身が新古典派の経済学者であり、商品貨幣論に立って
いたためです。しかしイネスの論文の歴史的記述に触発され、ケインズは古代バビロニア等の貨幣
研究を進め、ついには鋳造貨幣以前に物々交換がなされていたことを否定し、「貸出や契約を表
示する計算貨幣の導入が、新に未開社会の経済状態を変化させた」と論じるに至るのです(古川
2018)。
イネスを源流とする信用貨幣論は、歴史的・考古学的な事実とも合致し、現在の貨幣制度の記
述としても適切です。しかも、商品貨幣論に立った経済理論や、それに基づく財政破綻論の誤り
を、大きく修正する基盤となりうるものなのです。
とはいえ、大学で現在教えられているマクロ経済学は、この信用貨幣論に立っていません。主な
教科書がいまだに、商品貨幣論に立っているからです。その代表が、広く使われているマンキュー
の教科書と言えるでしょう。
4. マンキューによる「信用創造」の説明
マンキューの「応用編」では、信用創造の説明がいわゆる「預金又貸し説」によって行われていま
す。「第一銀行」が現金を預かり、その大部分を誰かに又貸しし、その誰かが現金を「第二銀行」に
預け、「第二銀行」がさらにその大部分を誰かに又貸しし、その誰かが「第三銀行」に現金を預け
る、という連鎖を、バランスシートを用いて説明しています。
この教科書では、他の多くの教科書とは異なり、珍しくバランスシートを用いた図解がなされてい
ます(図表 2)。マンキューが示したバランスシート(貸借対照表)は、この 4 枚だけです。ここでは、
銀行は預け入れられたおカネの 20%を手元に残して 80%を貸し出すものとして、数値例が作られ
ています(現実の日本の準備預金率は 1%程度かそれよりもはるかに低く設定されています)。
図表 2 マンキューが信用創造の説明に用いた貸借対照表
(1) 第一銀行の貸借対照表(A)
資産 負債
準備 1000 ドル 預金 1000 ドル
(2) 第一銀行の貸借対照表(B)
資産 負債
準備 200 ドル
貸出 800 ドル
預金 1000 ドル
(3) 第二銀行の貸借対照表
資産 負債
準備 160 ドル
貸出 640 ドル
預金 800 ドル
(4) 第三銀行の貸借対照表
資産 負債
準備 128 ドル
貸出 512 ドル
預金 640 ドル
出典: マンキュー(2012)、pp.235-237
注:それぞれの表の表題に含まれる(1)〜(4)および(A)と(B)の記号は筆者による追加。
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5
ところで、図表 2 では銀行が預金者から預かった現金は、バランスシート上の資産として「現金」
ではなく「準備」(中央銀行に預けられる準備預金のこと)と記されていますが、図解においては、中
央銀行のことは一切明示されていません(マンキュー 2012、pp.235-237)。このことは後述のよう
に、マンキューが銀行と中央銀行の間の取引の実務を、十分に理解していなかった可能性を示唆
しています。
(1)では、第一銀行は家計から現金 1000 ドルを預かり、これを準備として保有します。預かった預
金の 100%を準備として保有せねばならない「100%準備銀行」の場合、貸出を行うことはできませ
ん。
(2)では、第一銀行は準備預金率 20%のもとで、預金の 80%ぶん(800 ドル)を貸出に回します。
(3)では、借入者が第二銀行にこの 800 ドルを預け入れることで(あるいは借入者が支払った 800
ドルの受取人が預金すれば)、第二銀行に 800 ドルの預金が発生し、さらに第二銀行はこのうちの
80%(640 ドル)を貸出に回します。
(4)では、借入者が第三銀行にこの 640 ドルを預け入れることで、第二銀行に 640 ドルの預金が
発生し、さらに第二銀行はこのうちの 80%(512 ドル)を貸出に回します。
かれは「準備・預金比率(reserve-deposit ratio)、rr」という指標を用いて、この連鎖が無限に続く
ことによって、
本源的預金=1000 ドル
第一銀行貸出=(1-rr)×1000 ドル
第二銀行貸出=(1-rr)2×1000 ドル
第三銀行貸出=(1-rr)3×1000 ドル
:
:
マネーサプライの総量={1 + (1-rr) + (1-rr)2 + (1-rr)3 + ・・・}×1000 ドル
=(1/rr)×1000 ドル ---(式 1)
という式を導いていますが、これはこの手の教科書ではおなじみの「預金又貸し説」の公式であり、
日本の公務員試験の問題にもよく登場するものです。彼が設定した rr は 20%ですから、簡単な計
算でマネーサプライの総量は 5000 ドルにふくれあがります(マネーサプライは、マネーストックと同
じ意味です)。
さらに、マネーサプライの定義式(M=C+D)と、マネタリーベースの定義式(B=C+R)を設定しま
す。M はマネーサプライ、C は現金通貨、D は預金(要求払い預金)、B はマネタリーベース、R は
準備預金、です。R/D は先出の準備・預金比率(rr)に相当し、C/D は現金・預金比率(cr)となりま
す。以下、これらの定義式を用いて計算をすすめると、
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6
𝑀
𝐵
=
𝐶 + 𝐷
𝐶 + 𝑅
=
𝐶/𝐷 + 𝐷/𝐷
𝐶/𝐷 + 𝑅/𝐷
=
𝑐𝑟 + 1
𝑐𝑟 + 𝑟𝑟
− − − (式 2)
𝑀 =
𝑐𝑟 + 1
𝑐𝑟 + 𝑟𝑟
𝐵 = 𝑚𝐵 − − − (式 3)
∆𝑀 =
𝑐𝑟 + 1
𝑐𝑟 + 𝑟𝑟
∆𝐵 = 𝑚∆𝐵 − − − (式 4)
となります。式 4 は、マネタリーベースが ΔB だけ増加すると、その m 倍にあたる ΔM だけマネ
ーサプライが増加することを意味しています。m=(cr+1)/(cr+rr)を貨幣乗数(または信用乗数)
と言います。
さて、人々が一切現金を保有しない場合には、cr=0 となりますから、
𝑐𝑟 + 1
𝑐𝑟 + 𝑟𝑟
=
1
𝑟𝑟
− − − (式 5)
ですから、この時の貨幣乗数は、式 1 のものと一致することになります。準備・預金比率が 0.2
ですから、マネーサプライは 5 倍になるわけで、本源的預金が 1000 ドルなら、マネーサプライ
は 5000 ドルになります。なるほど、どちらのアプローチでも結果が一致するように見えます。結
果的には図表 3 のようになるという話です。
図表 3 マンキューの信用創造の結末(間違い)
中央銀行の貸借対照表
資産 負債
準備 +1000
現金 −1000
全ての銀行の連結貸借対照表
資産 負債
準備 1000 ドル
貸出 4000 ドル
預金 5000 ドル
出典: マンキュー(2012)、第 7 章を参考に筆者作成
でも、ここには間違いが含まれています。図表 2 で示されたマンキューの数値例では、マネーサ
プライは 5000 ドルではなく、4000 ドルにしかならないので、両者の結果は一致しないのです。
正しくは、図表 4 のようになります。マンキューが見落としていたのは、家計が最初に現金を手放
すという点です。つまり、図表 2-(1)で、最初に現金 1000 ドルが預け入れられた時に、現金は使え
なくなっていたのです。ですから、5000 ドルの預金が生まれたとしても、使えるマネーストックは預
金の 5000 ドルから現金を差し引いた 4000 ドルにしかなりません。そして、これがちょうど借入の
4000 ドルと釣り合っているのです(バランスしています)。
ECONOMIC POLICY REPORT NO.15
7
図表 4 マンキューの)信用創造の結末(正しい)
中央銀行の貸借対照表
資産 負債
準備 +1000
現金 −1000
全ての銀行の連結貸借対照表
資産 負債
準備 +1000
貸出 +4000
預金 +5000
全ての家計の連結貸借対照表
資産 負債
現金 -1000
預金 +5000
借入 +4000
出典: マンキュー(2012)、第 7 章を参考に筆者作成
とはいえ、式 1 の欠陥は分かりましたが、式 2 から式 5 までの展開には誤りはありません。ここか
ら生じるマネーストックの差は、どのように解釈すればよいのでしょうか。次節で、より詳細にバラン
スシート展開を行って検討してゆきましょう。
5. マンキューのバランスシートを詳細に検討する。
<100%準備銀行>
まず、図表 2 の第 1 段階で、「100%準備銀行」に言及されていたことをご確認ください。100%
準備銀行は仮想的な制度ですが、負債側にある預金と同じだけの準備を確保しないといけないの
で、貸出ができなくなります。なお、マンキューは「銀行が受け入れてはいるが貸し出さない預金
は、準備(reserves)と呼ばれる)」(p.234)としていますが、これは間違いです。準備とは正確には、銀
行が預かった現金を中央銀行の当座預金に換えたものです。
家計が 100%準備銀行預金を預け入れた時のバランスシートの変化(BS 変化分)は、筆者独
自の「取引図」でみると、図表 5 のとおりです。バランスシートは、ある主体の中では資産と負債が
必ずバランスしなければなりませんし、異なる主体間の取引では、同じ項目が、資産と負債の両側
に同じ符号で現れるか、資産か負債の一方の側に別の符号で現れるか、していなければなりませ
ん。図表 5 では、家計の資産として現金が減って預金が増え、第一銀行の負債として預金が増
え、預かった現金はすぐに準備に換えたことになります。マンキューの図表では、家計が明示され
ていなかったので、家計の現金の減少を見落としたと考えられます。
図表 5 「100%準備銀行」の預金受入れ
出典:マンキュー(2012、pp.234-235)の記述に基づき筆者作成
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さて、この図でマネーサプライとは何かと言えば、それは家計部門(無数の家計)が保有する現
金と預金の合計です。銀行が預かった現金や、それを準備に換えたものは、マネーサプライには
含まれません(日本銀行調査統計局 2019、p.2−1)。ですから、現金が減った分だけ預金が増え
たということは、マネーサプライに変化がないということを意味します。
ここで、マンキューの 100%準備銀行モデルに、中央銀行を明示しましょう。マンキューは「準備」
という用語を用いているので、中央銀行の存在を前提としているはずだからです。第一銀行(銀1)
が、家計(民間人α=民α)から預かった現金を、中央銀行の当座預金としての準備に換えたとい
うことは、図表 6 でより正確に表現できます。
図表6 中央銀行を導入した 100%準備銀行モデル
中銀 民α 銀1
A L A L A L
(1)民αが銀 1 に 現−1000 現+1000 預+1000
現金預入 預+1000
(2)銀 1 が現金返還 現−1000 現−1000
準備獲得 準+1000 準+1000
(1)+(2) 現−1000 現−1000 準+1000 預+1000
準+1000 預+1000
MS 変化 ±0
出典:マンキュー(2012、pp.234-235)の記述に基づき筆者作成
注: 準は準備、現は現金、貸は貸出、預は預金、借は借入、A は資産、L は負債を意味する。
図表 6 を各ステップに分けて見てゆきましょう。
(1)真ん中の家計(民α)は、タンス預金していた現金を第一銀行(銀1)に預け入れ、預金を得ま
す(資産側 A [Asset]の変化)。一番右の銀 1 では資産側(A)に現金が、負債側(L [Liability])に預
金が発生します。
(2)銀1は、中央銀行(中銀)に現金を持ち込んで準備に換えます。中銀では、現金は負債扱い
ですから、負債側(L)の現金が減って準備が増えたということになります。
ここで再度、マネーサプライとマネタリーベースの定義を確認します。全ての非金融の民間人の
資産(民αの A)に含まれる預金と現金の合計がマネーサプライです。そして、マネタリーベースは
中央銀行の負債側(中銀の L)にある、準備と現金の合計です。図表 6 に現れるのは BS の変化
分だけです。したがって預金変化分と現金変化分が相殺されてマネーサプライ(MS)の変化はゼ
ロ、準備変化分と現金変化分が相殺されてマネタリーベースの変化もゼロ、となっています。
<部分準備制度>
続いてマンキューは「部分準備制度」の説明に移ります。部分準備制度のもとでは、銀行は負債
側の預金の一定比率(数値例では 20%)を、資産側の準備として保有せねばなりません。ですか
ら、準備率が 20%であれば、現金 1000 を受け入れて準備 1000 を獲得した場合、その準備のうち
200 は貸し出すことができず、800 だけを貸し出すことができます(図表 2-(2))。
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準備は、一般人が使うことができない「銀行ネットワーク」内のおカネですので、マンキューが「第
一銀行は 1000 ドルの預金のうち 200 ドルだけを準備として保有し、残り 800 ドルを貸し出すことと
なる」(マンキュー2012、p.236)と説明しているのはやや粗雑ですが、結果的には間違っていません
(図表 7)。
図表 7 第一銀行貸出の詳細な過程
中銀 銀1 民β
A L A L A L
(c)民βが銀 1 から借入 貸+800 預+800 預+800 借+800
(d)民βの現金引出に 準−800 準−800
銀 1 が応じる 現+800 現+800
現−800 預−800 預−800
現+800
(c)+(d) 準−800 貸+800 現+800 借+800
現+800 準−800
マネーサプライの変化 +800
出典: 筆者作成
注: 準は準備、現は現金、貸は貸出、預は預金、借は借入を意味する。
(c) 最初の預け入れをした家計(図表 6 の家計、民α)とは別の、民間人β(民β)が第一銀行(銀
1)から 800 ドルの借り入れを行います。この時、民βのバランスシートには、資産側(A)に預金(預
+800)と、負債側(L)に借入(借+800)が発生します。逆に、銀1のバランスシートには A に貸出
+800 と、L に預金+800 が発生します。この段階では、現金の移動はなく、いわゆる万年筆マネ
ー(またはキーストロークマネー)で、預金通貨の形で貸し付けが行われます。銀行は無からおカネ
を創ることができる、というのは、まさにこの部分です。
(d) 民βは銀 1 に対して、現金の引き出しを求めます。銀 1 は中央銀行との間で、準備と現金の
交換を行います。民βに対して、預金と引き換えに現金を渡します。
(c)と(d)を通算すると、民βは借入 800 ドルを現金の形で得たことになります。他方、銀 1 は貸出が
800 増え、準備が 800 減ることになります。中央銀行は負債のうち、準備を 800 ドル減らして現金ド
ル増やします。最終的にはこの過程で、貸出によってマネーサプライが 800 だけ増加し、それが現
金の形をとっていることが分かります。
図表 4 と図表 7 を通算すると図表 8 のようになります。当初の預け入れではマネーサプライは変
化しませんが、第一銀行貸出の結果として、マネーサプライが 800 増えています。民間に流通する
現金は 200 ドルだけ減り、準備が 200 ドル増えています。マネタリーベースに変化はありません。
同様に、第二銀行(銀 2)による信用創造(図表 2-(3)に相当するもの)を図表 9 として表示し、第
三銀行(銀行 3)による信用創造(図表 2-(4)に相当するもの)を図表 10 として表示します。いずれ
の場合も、貸し出しが行われた時点で信用創造が行われ、マネーサプライが増加していることが分
かります。また、中銀の負債としての現金がだんだんと減少し、準備に変わってゆくことが分かりま
す。
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同様に第四銀行、第五銀行・・・・と、無限の連鎖が続くと、最終的に 5000 ドルの預金が生まれ
ます。
最終的には図表 4 と同じ状態になります。最終的には 4000 ドルの借入が行われ、(当初の預金
1000 ドルも含めて)5000 ドルの預金が生まれますが、現金が 1000 ドル失われたことによって、
4000 ドルだけがマネーサプライとなるのです。
図表 8 当初の預け入れと第一銀行貸出を合算した結果
中銀 民α 銀1 民β
A L A L A L A L
(a)+(b) 当初
の預け入れ 現−1000 預+1000 準+1000 預+1000
準+1000 現−1000
(c)+(d) 第一 準−800 貸+800 現+800 借+800
銀行貸出 現+800 準−800
(a)+(b) 準+200 貸+800 預+1000 現+800 借+800
+(c)+(d) 現−200 準+200
MS の変化 ±0 +800
出典: 筆者作成
注: 準は準備、現は現金、貸は貸出、預は預金、借は借入を意味する。
図表 9 第二銀行による信用創造
中銀 民β 銀2 民γ
A L A L A L A L
(e)民βが 現−800 現+800 預+800
銀 2 に現金預入 預+800
(f)銀 2 が現金返還 現−800 現−800
・準備獲得 準+800 準+800
(e)+(f) 現−800 現−800 準+800 預+800
準+800 預+800
MS 変化 ±0
(g)民γが銀 2 から借入 貸+640 預+640 預+640 借+640
(h)民γの現金引出に 準−640 準−640
銀 2 が応じる 現+640 現+640
現−640 預−640 預−640
現+640
中銀と銀 2 の通算 BS 現−360 準+160
準備率 20%を満足 準+360 貸+640 預+800
出典: 筆者作成
注: 準は準備、現は現金、貸は貸出、預は預金、借は借入を意味する。
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図表 10 第三銀行による信用創造
中銀 民γ 銀 3 民δ
A L A L A L A L
(i)民γが銀 3 に 現−640 現+640 預+640
現金預入 預+640
(j)銀 3 が現金返還 現−640 現−640
・準備獲得 準+640 準+640
(i)+(j) 現−640 現−640 準+640 預+640
準+640 預+640
MS 変化 ±0
(k)民δ銀 3 から借入 貸+512 預+512 預+512 借+512
(12)民δの現金引出に 準−512 準−512
銀 3 が応じる 現+512 現+512
現−512 預ー512 預−512
現+512
(11)+(12) 準−512 貸+640 現+512 借+512
現+512 準ー640
MS 変化 +512
中銀と銀行 2 の通算 BS 現−488 準+128
準備率 20%を満足 準+488 貸+512 預+640
出典: 筆者作成
注: 準は準備、現は現金、貸は貸出、預は預金、借は借入を意味する。
<実際には信用創造は準備預金の金額に制約されない>
ここまでは、銀行は誰かから預かった現金を、別の人に又貸ししているというかたちで説明をし
てきました。一般に、マンキューをはじめとするほとんどのマクロ経済学の教科書がこの「預金又貸
し説」をとっています。しかし現実には、銀行は借り入れた現金を貸付に回しているのではありませ
ん。むしろ、現金や準備を持っていなくても、融資を行うことができるのです(図表 11)。
図表 11 現実の銀行の貸出
出典:横山(横山 2015, pp.110-113)の記述に基づき筆者作成
第一銀行はある企業に対して、無から「キーストロークマネー」によって 100 ドルの貸出を行い、
預金 100 を与えます。企業には資産として預金が、負債として借入が発生します。ここで、第一銀
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行は預金の 20%にあたる 20 ドルの準備を保有する必要が生じますが、それは事後的に調達すれ
ばよいのです。他の銀行から準備を借りることもできますし、中央銀行から準備を借りることもできま
す(図表 11 は中銀から借りる場合です)。他の銀行から準備を借りた場合は、銀行システム全体の
準備の金額は変わりませんが、中央銀行から借りた場合は、準備が増えることになります。
全ての銀行が全体として 4000 ドルの貸出をして 4000 ドルの預金を生み、中銀から準備を 1000
ドル借りることになった場合、図表 12 のようになります。図表 4 と似ていますが、少し違います。ま
たこれも、式1や式 3 を用いて計算されるように、マネーサプライが 5 倍になっているわけではあり
ません。マネタリーベースは 1000 ドル増えていますが、マネーサプライは 4000 ドルしか増えてい
ないのです。
図表 12 全ての銀行が事前に信用創造を行いあとで中銀から準備を借りた場合
中央銀行の貸借対照表
資産 負債
中銀貸+1000 準備 +1000
全ての銀行の連結貸借対照表
資産 負債
準備 +1000
貸出 +4000
中銀借+1000
預金 +4000
全ての家計の連結貸借対照表
資産 負債
預金 +4000 借入 +4000
出典: 筆者作成
<貨幣乗数が正確な意味を持つ場合とは>
では、貨幣乗数が正確な意味を持つ場合とは、どのような場合でしょうか。言い換えれば、実際
に式 1 の結果と式 3 の結果が一致し、マンキューの言うような信用創造がどちらの式で見ても正し
くなるのはどのような場合でしょうか? それは、政府によって現金が追加的に家計に与えられる場
合に限られます。例えば、政府(中央銀行を含む政府)がある個人に、なんらかの理由で 1000 ドル
の現金を与えるところから出発したとしましょう(図表 13)。
図表 13 政府から家計に現金が与えられた場合
政府(中央銀行を含む)の貸借対照表
資産 負債
@現金 +1000
@純資産−1000
A現金 -1000
A準備 +1000
全ての銀行の連結貸借対照表
資産 負債
A現金 +1000
A現金 -1000
A準備 +1000
B貸付 +800
C貸付 +640
D貸付 +512
E :
A預金 +1000
B預金 +800
C預金 +640
D預金 +512
E :
全ての家計の連結貸借対照表
資産 負債
@現金 +1000
A現金 -1000
A預金 +1000
B預金 +800
C預金 +640
D預金 +512
E :
@純資産+1000
B借入 +800
C借入 +640
D借入 +512
E :
出典: 筆者作成
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図表 13 は次のような過程を表しています。
@政府がある家計に現金で賞金 1000 ドルを与える。政府の純資産は減り、家計の純資産は増
える。
Aその家計が現金を銀行に預け、銀行がそれを中央銀行で準備に換える。
B第一銀行が 800 ドルの貸付を行う。借入人はこの預金を第二銀行に送金し、準備も第一銀
行から第二銀行の所有となるが、中央銀行の準備の総額と、全ての銀行の準備および預金の総額
は変化しないので記さない。
C第二銀行が 640 ドルの貸付を行う。以下Bと同様。
D第三銀行が 512 ドルの貸付を行う。以下Bと同様。
E 以下同様
この貸付の過程が無限に続くと、最終的には図表 14 のようになります。結局は 4000 ドルの貸付が
行われて 4000 ドルの預金が生まれ、当初の預金 1000 ドルと合わせて 5000 ドルがマネーサプラ
イとなります。また、家計には 1000 ドルの純資産が生まれていますが、政府(中央銀行を含む)に
は純負債が発生しています。
式 1 と式 3 が同じ意味を持つのはこのように、政府が最初に(負債を負うか資産を減らす形で)
貨幣を発行するケースに限られます。マンキューは図表 2 をもって、式 1 を説明する数値例とした
のですから、ここに一つ目の明らかな誤りがあるのです。
図表 14 政府から家計に現金が与えられた場合(最終形)
政府(中央銀行を含む)の貸借対照表
資産 負債
準備 +1000
純資産 −1000
全ての銀行の連結貸借対照表
資産 負債
準備 +1000
貸出 +4000
預金 +5000
全ての家計の連結貸借対照表
資産 負債
預金 +5000 純資産 +1000
借入 +4000
出典: 筆者作成
6. マネタリーベースはマネーサプライを生まない(マンキュー第 2 の誤り)
マンキューのテキストでは、マネタリーベースが増えるとマネーサプライが増える、という間違った
因果関係が、明確に、繰り返されています。例えば 1 式に相当する数式を示した直後の「準備 1 ド
ルごとに 1/rr ドルの貨幣が生まれるのである」(マンキュー2012、p.237)という記述や、3 式に相当
する数式を示した直後の「マネタリーベース 1 ドルは、m ドルの貨幣を生みだす」(同 p.239)という
記述、あるいは「中央銀行から民間が国債を買うときには、中央銀行が支払う金額がマネタリーベ
ースの増加となり、マネーサプライの増大をもたらす」(同 p.240)という箇所がそれです。
マンキューが、マネーサプライはマネタリーベースの m 倍になると考えたことは、第 2 節で紹介し
た「外生的貨幣供給論」につながります。マネタリーベースは政府が決める値なので、その m 倍に
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あたるマネーサプライも、政府によって決められた値となり、いわゆる「外生変数」となるという話で
す。この外生的貨幣供給論に則って、教科書的な IS-LM モデルなどが導かれます。
しかし、外生的貨幣供給論は誤りであり、正しいのは内生的貨幣供給論に基づく信用貨幣論で
す。マネタリーベースが増えてもマネーサプライが増えないということは、2013 年以降の安倍政権
のもとで行われている量的緩和政策によって、マネタリーベースが増やされても、それに応じてマ
ネーサプライがほとんど増えていないことから、誤っていることが明らかです。
式 2 を再掲して、これに基づいて考えましょう。
𝑀
𝐵
=
𝐶 + 𝐷
𝐶 + 𝑅
=
𝐶/𝐷 + 𝐷/𝐷
𝐶/𝐷 + 𝑅/𝐷
=
𝑐𝑟 + 1
𝑐𝑟 + 𝑟𝑟
− − − (式 2[再掲])
現在の日本のような状況は、B が増加しても M がほとんど増加していないことを意味しています。
この式を用いて説明するならば、現金・預金比率(C/D=cr)を一定(例えば 0.1)として、準備・預金
比率(R/D=rr)がどんどん増加する(0.2, 0.5, 0.8, 1 と増えてゆく)状況を考えるとよいでしょう。これ
は、準備が増えても貸出が増えないのと同じことです。
cr=0.1, rr=0.2 のとき、m=(0.1+1)/(0.1+0.2)≒3.67 倍
cr=0.1, rr=0.5 のとき、m=(0.1+1)/(0.1+0.5)≒1.83 倍
cr=0.1, rr=0.8 のとき、m=(0.1+1)/(0.1+0.8)≒1.22 倍
cr=0.1, rr=1.0 のとき、m=(0.1+1)/(0.1+1)≒1 倍
このように、rr が高まるのにつれて貨幣乗数(信用乗数)が低下することになります。rr が 1 になっ
たとき、準備と預金の金額が一致することになりますが、この時には「100%準備預金制度」と同様の
状態になります。
マンキューの誤りは、マネタリーベースが増えればその数倍だけマネーサプライが増えるとしたこ
とです。これは、銀行が準備預金制度のもとで許される限りの貸付をしようとすれば、それに応じる
借り手が必ず存在すると、想定していたことを意味します。マンキューがマクロ経済や貨幣の研究
をしていた頃は、借入需要が旺盛で、銀行も準備を最小限にとどめてできるかぎりの貸出を行って
いたため、この理論が実際をうまく説明できているように見えたのかもしれません。
しかし現在では、不況が続くなかで借り手が十分に存在せず、銀行は資産のかなりの部分を貸
出ではなく、法律で求められる以上の準備(超過準備)で保有するようになってきています。このよ
うな場合には、マネーサプライは借入需要によって決まることになります。つまり、図表 13 や図表
14 の一番右の表に記された「借入」こそが、マネーサプライの量を決定づけるものなのです。
また、マンキューが誤謬に陥った原因には、準備とは何かを正確に把握できていなかったこと
と、マネーサプライの世界とマネタリーベースの世界が全く別の世界だということを、認識しそこなっ
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ていた可能性が考えられます。これは「第一銀行は 1000 ドルの預金のうち 200 ドルだけを準備と
して保有し、残り 800 ドルを貸し出すこととなる」という乱暴な記述に現れています。
ここまでを小括するならば、マンキューが依拠する外生的貨幣供給論は誤りであり、これに基づく
IS-LM モデルなどの各種マクロ経済モデルの説明力も、極めて限定的なものに留まるということで
す。
7. 現金についての留意事項
本節は、現金とは何か、マネーサプライとマネタリーベースに含まれる現金はどう違うのかについ
て、補足説明を行いますが、これは別段マンキューの誤りを指摘するものではなく、比較的些末な
問題です。
改めて式 2 を再掲しますと、マネーサプライとマネタリーベースには、現金として同じ C が用いら
れています。
𝑀
𝐵
=
𝐶 + 𝐷
𝐶 + 𝑅
=
𝐶/𝐷 + 𝐷/𝐷
𝐶/𝐷 + 𝑅/𝐷
=
𝑐𝑟 + 1
𝑐𝑟 + 𝑟𝑟
− − − (式 2[再掲])
しかし実際には、マネーサプライに含まれる現金は、非金融部門で流通する現金のみです(これ
を Cc とします)。銀行が預金の引き出しに備えて保有する現金は、マネタリーベースには含まれま
すが、マネーストックには含まれません(これを CB とします)。だとすれば、非金融部門の現金・預
金比率 cr は(Cc/D)と書き換える必要が生じます。
𝑀
𝐵
=
𝐶𝐶 + 𝐷
𝐶𝐶 + 𝐶𝐵 + 𝑅
=
𝐶𝐶/𝐷 + 𝐷/𝐷
𝐶𝐶/𝐷 + 𝐶𝐵/𝐷 + 𝑅/𝐷
=
𝑐𝑟 + 1
𝑐𝑟 + 𝐶𝐵/𝐷 + 𝑟𝑟
− − − (式 6)
このように、式 2 と式 6 には若干の違いが生じます。ただし、銀行が資産として現金を全く保有せ
ず、準備預金に換えて保有する場合には、式 2 と式 6 は全く同じになります。
8. 結論
一般的なマクロ経済学の教科書の代表例であるグレゴリー・マンキューの教科書は、商品貨幣論
と「預金又貸し説」に基づく素朴な貨幣観(外生的貨幣供給論)に基づいています。彼がバランス
シートを用いて示した数値例は、彼自身のマネーサプライの式の数値例になっていません。彼の
数値例は、「マネーサプライの総量=(1/rr)×1000」の式に合致せず、また「M=m×B」の式にも相当
していません。
その理由は、彼の不十分なバランスシートと本文の粗雑な記述を見る限り、
(1)「本源的預金」と呼んだものの元となる現金の発生を見落としていること、
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(2)準備は非金融の一般人が使えないおカネだということを理解できていない可能性、
および中央銀行、銀行、非金融の一般人のバランスシートを同時に把握しないことによって、
(3)マネタリーベースとマネーサプライがバランスシート上で明確にとらえられておらず、準備とマネ
ーサプライが別の世界の貨幣であるということが理解されていない可能性、
さらには、
(4)ある部門のバランスシート項目の変化が必ず他の部門で同様の項目の(資産・負債が逆の、ま
たは符号が逆の)変化をもたらすことが把握できず、検算が十分にできていない可能性、
が考えられます。
現実の日本のデータが如実に示しているように、「M=m×B」の因果関係を B から M の方向にと
らえて、準備預金を増やせばマネーストックが増えるというのは誤りです。マネーストックを増やすた
めには、政府が負債を負う形で貨幣(現金か預金)を創造してこれを非金融の一般人に手渡すか、
十分な借入の需要が存在して実際に貸付が行われるようになることが必要となります。このことは、
商品貨幣論に対する信用貨幣論(内生的貨幣供給論)の正しさの傍証となっています。
外生的貨幣供給論が間違いだとすれば、それに基づく IS-LM モデルなどの標準的な経済モデ
ルの説明力が否定されます。むしろ、政府や民間非金融が借入を行うことによって貨幣を増やし、
経済にテコ入れできる可能性に、明かりが灯されることになるのです。これは、日本のような長期停
滞経済から脱却する道が、まずもって政府支出の増加であるということを示唆しています。
参考文献
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佐々木夏子 訳)以文社
スミス、アダム(1959 [1776])『諸国民の富(一)』岩波文庫
日本銀行調査統計局 (2019) 『マネーサプライ統計の解説』2019 年 10 月
https://www.boj.or.jp/statistics/outline/exp/data/exms01.pdf
古川顕(2018)「イネスとケインズの貨幣論」『甲南経済学論集』、58 巻 3・4 号、pp. 47-94
マンキュー、グレゴリー(2011)『マンキューマクロ経済学1 入門篇(第 3 版)』(足立英之、地主敏
樹、中谷武、柳川隆訳)、東洋経済新報社
マンキュー、グレゴリー(2012)『マンキューマクロ経済学 II 応用篇(第 3 版)』(足立英之、地主敏
樹、中谷武、柳川隆訳)、東洋経済新報社
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横山昭雄(2015) 『真説 経済・金融の仕組み』日本評論社
ラヴォア、マルク(2008)『ポストケインズ派経済学入門』(宇仁宏幸訳)、ナカニシヤ出版
Humphrey, Caroline (1985) “Barter and Economic Disintegration”, Man, No. 20, pp. 48-72
https://economicpolicy.jp/wp-content/uploads/2020/03/How-Mankiw-is-wrong.pdf
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1604.html#c19
20. 2022年1月24日 10:12:01 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[27]
内生的貨幣供給の功罪
2019年02月26日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12442794398.html
今回のコラムはMMTを解説する予定でしたが、その前に「内生的貨幣供給論」の解説を行います。
(「内生的貨幣供給論」はMMTの基盤の一つとなっています。)
「内生的貨幣論」はMMTだけでなく、ポスト・ケインジアンの中で広く論じられている理論です。
今回は、内藤敦之「内生的貨幣供給理論の再構築―ポスト・ケインズ派の貨幣・信用アプローチ」から、「内生的貨幣論」を紹介します。
(なおこの本は、L..ランダル・レイの議論の紹介が多く、MMT/現代貨幣論という言葉こそ出ていませんが、表券主義という言葉でJGPを含むレイの現代貨幣論の一部を解説しています。)
「内生的貨幣供給論」とは何か?
簡単に言えば「需要に応じて貨幣が供給されるという考え方を軸に、貨幣経済の姿を描く理論」です。
現代の内生的貨幣供給論には主に3つの派閥があります。
・ホリゾンタリズム(カルドア、ムーアなど)
・ストラクチュラリズム(レイ、ポーリンなど)
・サーキュレイショニスト(ブールヴァ、ラヴォワ、ロションなど)
ここではこの3つの派閥の説明は、議論が細かくなりすぎるため行いません。
なお、現代的な内生的貨幣供給論は、カルドアに始まる、とされています。
「内生的貨幣供給論」と対立する概念に「外生的貨幣供給論」があります。
この両者の違いを見ていきましょう。
そもそも貨幣供給が内生的、外生的とはどういった意味なのでしょう?
貨幣供給が内生的というのは、「銀行と民間という経済の『内部』の貸借で『貨幣(銀行貨幣)が生まれる』」、というものです。反対に貨幣供給が外生的というのは、「銀行と民間という経済の『外部』である中央銀行が『貨幣を生み』、それを銀行と民間の内部に供給する」、というものになります。
「内生的貨幣供給論」vs「外生的貨幣供給論」
内生的貨幣供給、外生的貨幣供給という概念自体は20世紀以前の古典派の時代から存在しています。
銀行学派が内生的貨幣供給を、通貨学派が外生的貨幣供給をそれぞれ主張し、対立していました。
もう少し詳しく両者の理論を見てみましょう。
「内生的貨幣供給論」は「銀行の貸出ありき」です。
銀行が民間に貸出を行った結果、預金(マネーストック)が創造されます。そして民間が銀行から借入れた預金を返済すると、預金(マネーストック)は消滅します。
銀行は貸出を行って預金を創造した後、預金額に応じた一定の額を中央銀行の当座預金に預けること(準備預金制度)が義務付けられてます。私の準備預金についてのコラムでも解説した通り、準備預金は貸出の後で銀行が用意すると想定されています。銀行は、保有現金か、インターバンク市場から掻き集めるか、中央銀行に借入れすることで、準備預金を用意します。すなわち、貸出(マネーストック)の増加に応じて、受動的に準備預金(ベースマネー)を用意することになります。このときの準備率やインターバンク市場の金利や借入れの利子率は中央銀行により「外生的」に決定されます。
なお、「内生的貨幣供給論」は「信用貨幣説」と密接な関係があります。
(「信用貨幣説」については以前のコラムで解説しました。)
信用貨幣論では貨幣供給は内生的となるため、中央銀行は貨幣量を直接操作することは出来ません。
一方、「外生的貨幣供給論」は、「中央銀行の意志ありき」です。
中央銀行が銀行に、買いオペや貸出などで銀行の準備預金を供給すると、銀行はそれに応じて民間への貸出を拡大できます。そして売りオペや貸出の返済などで準備預金を削減すると、銀行は貸出を縮小します。すなわち、中央銀行がベースマネーの量を制御することによって、マネーストックの量をも制御できるという理論です。(もっと簡単に言えばベースマネーの量とマネーストックの量は比例するため、ベースマネーの量を制御することでベースマネーの量を決めることができる。)
なお、「外生的貨幣供給論」は「商品貨幣説」と密接な関係があります。
(貨幣の供給が商品と同様に、供給者が外生的に制御可能と考えるためです。)
なぜ量的緩和(QE)は目標達成できなかったか?
これは内生的貨幣供給論から簡単にわかるでしょう。
内生的貨幣供給論によれば、中央銀行は貨幣(マネーストック)の量を直接制御できないからです。
日本で量的緩和が行われる以前、マネーストックを巡って、岩田規久男ら経済学者と翁邦雄ら日銀職員との間で論争が有りました、
翁邦雄らの理論は日銀理論と呼ばれるもので、これは「日銀はマネーストックの量を制御できない」という「内生的貨幣供給論」と同様の理論と言えます。
「内生的貨幣供給論」は、「馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」という比喩で表現されることもあります。
内生的貨幣供給の功罪
内生的貨幣供給のもとでは、銀行はアニマル・スピリッツを発揮し、企業に融資を行います。
企業側からみると、企業はアニマル・スピリッツを発揮して投資を決意、投資計画を作成した上で、銀行へ借入れを申し込みます。この投資計画では、銀行貸出の利子率を上回る利潤を獲得することが必要になります。
こうして銀行から貸出を受けて始めて、貨幣が銀行貨幣(銀行預金)として創造されます。
企業は投資計画に従って投資し、生産を拡大していきます。
こうしたアニマル・スピリッツの発揮による預金の創造と投資・生産の拡大は、資本主義が爆発的に発展した理由のひとつとして挙げられています。
これが内生的貨幣供給の「功」の部分になります。
内生的貨幣供給の「罪」の部分は、金融が不安定になることです。
経済が調子の良いとき、銀行はリスクを過小に見積もり貸出することがあります。(マネーストック増加)
ここで何らかのショックが起きたとき、そのリスクは拡大します。
それに反応して投資家らが資産を売却し、資産の価値が暴落していきます。
そうなると、投資家や銀行が債務超過になり、破綻に追い込まれてしまいます。
これがいわゆる金融危機であり、ハイマン・ミンスキーの唱えた「金融不安定仮説」です。
(金融危機を説明するハイマン・ミンスキーの「金融不安定仮説」はストラクチュラリズムに大きな影響を与えています。)
こうした金融危機に対して、銀行の預金準備率を100%にすることで銀行の貸出を抑制して金融危機を防ぐ、「ナローバンク構想」が持ち出されています。
しかし、これは先に述べた、企業と銀行のアニマルスピリッツの発揮を抑制するものです。
資本主義の成長も抑制されることになるでしょう。
内生的貨幣供給と国債発行
最後に、「内生的貨幣供給論」と国債発行の関係の解説をしたいと思います。
ここでは、建部正義「国債問題と内生的貨幣供給理論」の議論を紹介します。
(なお、ここで議論する国債はすべて自国通貨建ての国債になります。)
政府が新規国債を発行して財政支出を行う場合、次のステップを踏むことになります。
@銀行が新規国債を購入すると、銀行保有の日銀当座預金が、政府が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる
A政府は、たとえば公共事業の発注にあたり、請負企業に政府小切手によってその代金を支払う
B企業は、政府小切手を自己の取引銀行に持ち込み、代金の取立を依頼する
C 取立を依頼された銀行は、それに相当する金額を企業の口座に記帳する(ここで新たな民間預金が生まれる)と同時に,代金の取立を日本銀行に依頼する
D この結果、政府保有の日銀当座預金(これは国債の銀行への売却によって入手されたものである)が、銀行が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる
この後、銀行は戻ってきた日銀当座預金でふたたび政府の新規国債を購入することができます。
このループを図にしたものが下図になります。(中野剛志氏が作成した図になります。)
一般通念とは逆に、銀行は民間からの預金で国債を購入するわけではありません。銀行は政府の発行した国債を購入することで、預金が生み出されます。「預金を資金源として国債発行する」のではなく「国債発行で預金が生まれる」のです。
それ故、「内生的貨幣供給論」の立場では国債発行量に資金的限界はありません。
政府は財源を気にせず国債を発行でき、銀行はいくらでもそれを購入することができるのです。
(実際には国債発行を大量に行うと、需要と供給の関係が崩れインフレ率が向上していきます。)
このことは今の日本のようなデフレ経済にとって大きな利点と言えるでしょう。
以上で「内生的貨幣供給論」の解説を終わります。
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12442794398.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1604.html#c20
21. 中川隆[-14085] koaQ7Jey 2022年1月24日 10:17:13 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[28]
貨幣負債論(信用貨幣論)について
2019年01月29日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12436111979.html
今回のコラムでは「貨幣負債論(信用貨幣論)」について解説します。
今回のコラムの発端は、「進撃の庶民」様のコメント欄における論争で「貨幣負債論」「租税貨幣論」「MMT」の特徴解説を依頼されたことになります。
今回はその第一弾として「貨幣負債論(信用貨幣論)」を、中野剛志『富国と強兵』、デヴィッド・グレーバー『負債論』、フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』から紹介します。
ではまず「貨幣負債論(信用貨幣論)」とは一体何なのでしょうか?
『富国と強兵』では、イングランド銀行の機関紙(2014年春号)に掲載された解説記事『現代経済における貨幣:入門』から次のように引用しています。
「今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済において受け入れた特殊な負債である。」
この引用から筆者は
「貨幣を一種の負債とみなす貨幣観を『信用貨幣論』と言う。」と定義しています。
この「負債」と「信用」とはどういった関係なのでしょうか?
『富国と強兵』ではこの答えを簡潔にまとめています。
「『負債』とは、言うまでもなく『信用』の対概念であり、AのBに対する負債は、BのAに対する信用である」
本書では更に続けて、学者の言葉を引用しています。
ケインズに影響を与えたA・ミッチェル・イネス:
「貨幣とは信用であり、信用以外の何物でもない。Aの貨幣はBのAに対する負債であり、Bが負債を支払えば、Aの貨幣は消滅する。これが貨幣の理論の全てである。」
社会学者ジェフェリー・インガム:
貨幣とは「計算貨幣の単位によって示された信用と負債の社会関係。」
こうして本書では「貨幣が負債の一形式であるというのは以上のような意味においてである。あらゆる貨幣が負債なのである。」と結論しています。
では、そもそも、「負債」、「信用」とは何なのでしょうか?
まず「負債」について見ていきましょう。
『負債論』では、まず「義務」と「負債」の違いを確認し、そこから「負債」を定義づけ、「信用」や「貨幣」との関連を示唆しています。
「ただの義務、すなわちあるやり方でふるまわなければならないという感覚、あるいは誰かに何かを負っている[借りがある]という感覚、それとの負債との違いは正確に言えばなんであろうか?」
「負債と義務の違いは、負債が厳密に数量化できることである。このことが貨幣を要請するのである。」
「貨幣とは負債はまったく同時に登場している。」
人類最初期の文書であるメソポタミアの銘板に「記録されていたのは、信用による貸借、神殿による支給の配分、神殿領地の地代、穀物と銀それぞれの価格などである。おなじく、モラル哲学の最初期の文章のいくつかは、モラルを負債として想像すること、つまりそれを貨幣という観点から想像することが何を意味するのか、についての考察である。」
「したがって、負債の歴史とは必然的に貨幣の歴史なのである。」
まとめると、「負債」とはすなわち「数量化した義務」であり、歴史上、「貨幣」と同時に登場した、ということになります。
「このことが貨幣を要請する」とはどういう意味でしょうか?
単純に解釈すると、負債という存在があったから貨幣が必要になった、となります。
負債という概念が先にあるのです。貨幣はその後すぐに誕生したということになります。
この『負債論』での「負債」の説明は、『富国と強兵』で引用されたイングランド銀行の機関紙の説明
「今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済において受け入れた特殊な負債である。」
と同じです。
なお、「貨幣が負債である」というのは、貨幣の発行者から貨幣を見たときの記述です。
貨幣の保有者から見ると「貨幣は債権(資産)」になります。
この「貨幣は発行者にとって負債で、保有者にとっては資産」というのは、MMTにおいては定義になっています。
次に「信用」とは何なのでしょうか?
『富国と強兵』では負債について、以下の指摘をしています。
「負債とは、現在と将来という異時点間の取引によって生じるものであるが、将来は不確実であるから、負債はデフォルト(債務不履行)の可能性を伴う。」
「信用」とは「負債」の将来のデフォルトの可能性を勘案して決断されます。
このお客なら将来ちゃんとお金を払ってくれるだろうと。
この将来は一時間後でも構いませんし、数日、数ヶ月、数年でも構いません。
実際、わたしたちは、料理店で提供された料理を食べた後に、決済しています。
これはお店がわたしたちを信用して料理を提供し、わたしたちは発生した負債を食べた後に決済します。
また、お店と客の信頼関係によっては、ツケ払い、つまり将来のいつかの時点での決済、を許可している場合もあります。
食事に限らず、実際の財・サービスの交換には時間差があります。
例えば家のローンなどは、購入から返済までに数十年単位でかかります。
この時間差が生む不確実性を容認するのが「信用」なのです。
『富国と強兵』では、イングランド銀行の解説からこのように引用しています。
「貨幣は、この信頼の欠如という問題を解決する社会制度である。」
「負債」と「信用」の意味、そして貨幣との関係はこれで判りました。
次に、「貨幣が負債である」ことの正しさを、以下の2つの観点から確認します。
@会計上正しいこと
A歴史的に見ても正しいこと
@会計上正しいこと
これは実在する貨幣発行者のバランスシート(貸借対照表)を見れば、すぐにわかります。
わが国の国定貨幣である日本銀行券は日本銀行によって発行されていますので、日本銀行のHPからバランスシートを探してみましょう。
以下のPDFは、日本銀行のHPに掲載されている、2018年度の日本銀行の財務諸表になります。
https://www.boj.or.jp/about/account/data/zai1805a.pdf
このPDFに貸借対照表が掲載されており、その負債の部の先頭に「発行銀行券」と記載されています。
日本銀行の「発行銀行券」といえば「日本銀行券」のことです。
なお、資産の部にも「現金」とありますが、その額は「発行銀行券」よりずっと少ないため、自ら発行した日本銀行券を回収して保有している、と解釈することができます。(これは誤りです。詳細はコメント欄で。)
まとめますと、日本銀行から見ると発行した「日本銀行券」は紛れもなく「負債」であり、日本銀行自身が「日本銀行券」を持つと「資産」ということになります。
(勿論これは相殺が可能ですが、相殺が必然というわけではありません。)
しかしこれだけでは、会計学上で(発行者にとって)貨幣を負債としていることは解っても、それ(貨幣を負債とする)が妥当なのかまでは判りません。
この妥当性をAで検討していきましょう。
A歴史的に見ても正しいこと
歴史学上、貨幣がどの年代に発見されたか?
これは古代メソポタミアです。
そしてこの古代メソポタミアでは、既に信用取引が一般的な決済方法でした。
例えば、彼ら古代メソポタミアの民は、居酒屋の支払いを毎回ツケ払いしていました。
居酒屋のオーナーからすると、お客を相当「信用」しないとできない行為です。
そして飲んだ客は、膨らんだ「負債」を後でまとめて、自分で収穫した農産物などで払う、というような行為が一般的であったようです。
古代メソポタミアから発掘された銘板にはこうした信用取引の記録が大量に残されています。
そして将来の支払い義務が記された銘板は、貨幣として流通していました。
(この銘板の持ち主に誰々がどれだけの支払い義務を負っているか、が記された銘板です。)
つまり、この銘板を保有するということは、銘板に記載されている支払額と同額の資産を保有するということになります。
これは現代で言えば、企業の発行する約束手形が流通するようなものです。
まさに、古代メソポタミアでは負債としての貨幣が流通していた、ということになります。
『21世紀の貨幣論』には、古代メソポタミアでは「現存する証拠資料の示すところであれば、ほとんどの取引が信用(クレジット)を基盤としていた。」と記載されています。
一般的な経済学では、物々交換経済→貨幣経済→信用経済へと発展していったと記述されていますが、人類学者の長年に渡る調査によると「物々交換経済から貨幣に発展した例は、いかなる社会にも見当たらなかった」そうです。
物々交換は部族と部族の間の取引のように、信用できるかわからない相手との取引など、限定的には見られたそうですが、決して主流にはなりませんでした。
人類学者が調査した社会の中には、古代メソポタミアのように最初から信用取引が発達していた社会が有りました。
例えば、有名なヤップ島の話です。
ヤップ島では発見当時、主要な生産物が3つ(魚、ヤシの実、唯一の贅沢品であるナマコ)しかありませんでした。あとは家畜にブタがいる程度です。
物々交換をするのにこれ以上最適な社会を探し出すのは難しいでしょう。
しかし、彼らはフェイという代用貨幣(トークン)を使って、現代的な信用取引をしていました。
『21世紀の貨幣論』から引用してみましょう。
「ヤップの島民は魚、ヤシの実、ブタ、ナマコの取引から発生する債権と債務を帳簿につけていった。債権と債務は互いに相殺して決済をする。決済は一回の取引ごと、あるいは1日の終わり、一週間の終わりなどに行われる。決済後に残った差額は繰り越され、取引の相手が望めば、その価値に等しい通貨、つまりフェイを交換して決済される。」
これは実に現代的な信用経済です。
実際、今の日本にもこれと同様のシステムが存在しています。
日本の金融機関が日銀を介して行っている、即時グロス決済と時点ネット決済です。
一回の取引ごとに行われる決済が即時グロス決済、ある時点で行われる相殺決済が時点ネット決済です。
ヤップ島では決済後に残った差額はフェイを交換しますが、これは日本では決済後の銀行間での日銀当座預金の残高の移動に相当します。
また、このフェイの交換というのも、あくまで「所有権の交換」であって「所有の交換」ではなかったそうです。
そのため、既に所有権が移ったフェイが相手に渡されること無く、今までどおり庭に置かれているという状態でした。
実際にフェイを所有する必要はないのです。
そのため、かつて海に沈んだフェイが、現在は誰も見たこともないのにその存在を信じられており、これも財産として数えられていました。
これがフェイが代用貨幣(トークン)である所以です。
「ヤップ島のマネーはフェイではなく、その根底にある、債権と債務を管理しやすくするための信用取引・清算システムだったのだ。」
と、『21世紀の貨幣論』には記載されています。
人類学者が調べたのは、古代メソポタミアやヤップ島だけではありません。
様々な時期の様々な社会を調べました。
長年の調査の結果に対する人類学者や一部の経済学者の同じようなコメントが、『21世紀の貨幣論』に長々と記載されていますが、その結論部を抜き出します。
「21世紀初めには、実証的証拠に関心を持つ学者の間で、物々交換から貨幣が生まれたという従来の考え方はまちがっているというコンセンサスができあがっていた。経済学の世界ではこれは珍しいことである。人類学者のデビッド・グレーバーは2011年に(引用者注:2011年は『負債論』のこと)次のように冷ややかに説明している。
『そうしたことが起きたという証拠は一つもなく、そうしたことが起きなかったことを示唆する証拠は山ほどある。』」
貨幣は物々交換から生まれたものではありませんでした。
そうすると、貨幣は何から生まれたのでしょう?
言うまでもなく負債と信用の関係から貨幣は生まれたのです。
最後にハイマン・ミンスキー(師はシュンペーターとレオンチェフ、MMTerのランダル・レイは弟子)の言葉でこの記事を締めくくります。
「誰でも貨幣を創造できる。」「問題は、その貨幣を受け入れさせることにある。」
これは「誰でも負債(借用証書)を創造できる」「問題は、その負債(借用証書)を受け入れさせることにある。」と言い換えることができます。
本当に誰でも貨幣(借用証書)を作れるのかというと、企業は手形という借用証書を発行できます。
また、個人でも小切手という借用証書を発行することができます。
『21世紀の貨幣論』には2001年のアルゼンチンでの金融危機で実際に起ったことが記載されています。
政府は銀行システムの流動性を維持するために、銀行預金の引き出しを厳しく制限しました。
お金が突然なくなるという緊急事態において、代替貨幣(トークン)が自然発生的に生まれました。
州や市はもちろん、スーパーマーケットチェーンまでが独自の借用書を発行し始め、借用書はまたたく間に通貨として流通するようになりました。
このように本当に「誰でも貨幣を創造できる」のです。
では「誰でも貨幣を創造できる」のなら、なぜ、国定貨幣がその国内の最大の主流通貨として流通しているのでしょうか?
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12436111979.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1604.html#c21
1. 中川隆[-14084] koaQ7Jey 2022年1月24日 10:17:48 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[29]
貨幣負債論(信用貨幣論)について
2019年01月29日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12436111979.html
今回のコラムでは「貨幣負債論(信用貨幣論)」について解説します。
今回のコラムの発端は、「進撃の庶民」様のコメント欄における論争で「貨幣負債論」「租税貨幣論」「MMT」の特徴解説を依頼されたことになります。
今回はその第一弾として「貨幣負債論(信用貨幣論)」を、中野剛志『富国と強兵』、デヴィッド・グレーバー『負債論』、フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』から紹介します。
ではまず「貨幣負債論(信用貨幣論)」とは一体何なのでしょうか?
『富国と強兵』では、イングランド銀行の機関紙(2014年春号)に掲載された解説記事『現代経済における貨幣:入門』から次のように引用しています。
「今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済において受け入れた特殊な負債である。」
この引用から筆者は
「貨幣を一種の負債とみなす貨幣観を『信用貨幣論』と言う。」と定義しています。
この「負債」と「信用」とはどういった関係なのでしょうか?
『富国と強兵』ではこの答えを簡潔にまとめています。
「『負債』とは、言うまでもなく『信用』の対概念であり、AのBに対する負債は、BのAに対する信用である」
本書では更に続けて、学者の言葉を引用しています。
ケインズに影響を与えたA・ミッチェル・イネス:
「貨幣とは信用であり、信用以外の何物でもない。Aの貨幣はBのAに対する負債であり、Bが負債を支払えば、Aの貨幣は消滅する。これが貨幣の理論の全てである。」
社会学者ジェフェリー・インガム:
貨幣とは「計算貨幣の単位によって示された信用と負債の社会関係。」
こうして本書では「貨幣が負債の一形式であるというのは以上のような意味においてである。あらゆる貨幣が負債なのである。」と結論しています。
では、そもそも、「負債」、「信用」とは何なのでしょうか?
まず「負債」について見ていきましょう。
『負債論』では、まず「義務」と「負債」の違いを確認し、そこから「負債」を定義づけ、「信用」や「貨幣」との関連を示唆しています。
「ただの義務、すなわちあるやり方でふるまわなければならないという感覚、あるいは誰かに何かを負っている[借りがある]という感覚、それとの負債との違いは正確に言えばなんであろうか?」
「負債と義務の違いは、負債が厳密に数量化できることである。このことが貨幣を要請するのである。」
「貨幣とは負債はまったく同時に登場している。」
人類最初期の文書であるメソポタミアの銘板に「記録されていたのは、信用による貸借、神殿による支給の配分、神殿領地の地代、穀物と銀それぞれの価格などである。おなじく、モラル哲学の最初期の文章のいくつかは、モラルを負債として想像すること、つまりそれを貨幣という観点から想像することが何を意味するのか、についての考察である。」
「したがって、負債の歴史とは必然的に貨幣の歴史なのである。」
まとめると、「負債」とはすなわち「数量化した義務」であり、歴史上、「貨幣」と同時に登場した、ということになります。
「このことが貨幣を要請する」とはどういう意味でしょうか?
単純に解釈すると、負債という存在があったから貨幣が必要になった、となります。
負債という概念が先にあるのです。貨幣はその後すぐに誕生したということになります。
この『負債論』での「負債」の説明は、『富国と強兵』で引用されたイングランド銀行の機関紙の説明
「今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済において受け入れた特殊な負債である。」
と同じです。
なお、「貨幣が負債である」というのは、貨幣の発行者から貨幣を見たときの記述です。
貨幣の保有者から見ると「貨幣は債権(資産)」になります。
この「貨幣は発行者にとって負債で、保有者にとっては資産」というのは、MMTにおいては定義になっています。
次に「信用」とは何なのでしょうか?
『富国と強兵』では負債について、以下の指摘をしています。
「負債とは、現在と将来という異時点間の取引によって生じるものであるが、将来は不確実であるから、負債はデフォルト(債務不履行)の可能性を伴う。」
「信用」とは「負債」の将来のデフォルトの可能性を勘案して決断されます。
このお客なら将来ちゃんとお金を払ってくれるだろうと。
この将来は一時間後でも構いませんし、数日、数ヶ月、数年でも構いません。
実際、わたしたちは、料理店で提供された料理を食べた後に、決済しています。
これはお店がわたしたちを信用して料理を提供し、わたしたちは発生した負債を食べた後に決済します。
また、お店と客の信頼関係によっては、ツケ払い、つまり将来のいつかの時点での決済、を許可している場合もあります。
食事に限らず、実際の財・サービスの交換には時間差があります。
例えば家のローンなどは、購入から返済までに数十年単位でかかります。
この時間差が生む不確実性を容認するのが「信用」なのです。
『富国と強兵』では、イングランド銀行の解説からこのように引用しています。
「貨幣は、この信頼の欠如という問題を解決する社会制度である。」
「負債」と「信用」の意味、そして貨幣との関係はこれで判りました。
次に、「貨幣が負債である」ことの正しさを、以下の2つの観点から確認します。
@会計上正しいこと
A歴史的に見ても正しいこと
@会計上正しいこと
これは実在する貨幣発行者のバランスシート(貸借対照表)を見れば、すぐにわかります。
わが国の国定貨幣である日本銀行券は日本銀行によって発行されていますので、日本銀行のHPからバランスシートを探してみましょう。
以下のPDFは、日本銀行のHPに掲載されている、2018年度の日本銀行の財務諸表になります。
https://www.boj.or.jp/about/account/data/zai1805a.pdf
このPDFに貸借対照表が掲載されており、その負債の部の先頭に「発行銀行券」と記載されています。
日本銀行の「発行銀行券」といえば「日本銀行券」のことです。
なお、資産の部にも「現金」とありますが、その額は「発行銀行券」よりずっと少ないため、自ら発行した日本銀行券を回収して保有している、と解釈することができます。(これは誤りです。詳細はコメント欄で。)
まとめますと、日本銀行から見ると発行した「日本銀行券」は紛れもなく「負債」であり、日本銀行自身が「日本銀行券」を持つと「資産」ということになります。
(勿論これは相殺が可能ですが、相殺が必然というわけではありません。)
しかしこれだけでは、会計学上で(発行者にとって)貨幣を負債としていることは解っても、それ(貨幣を負債とする)が妥当なのかまでは判りません。
この妥当性をAで検討していきましょう。
A歴史的に見ても正しいこと
歴史学上、貨幣がどの年代に発見されたか?
これは古代メソポタミアです。
そしてこの古代メソポタミアでは、既に信用取引が一般的な決済方法でした。
例えば、彼ら古代メソポタミアの民は、居酒屋の支払いを毎回ツケ払いしていました。
居酒屋のオーナーからすると、お客を相当「信用」しないとできない行為です。
そして飲んだ客は、膨らんだ「負債」を後でまとめて、自分で収穫した農産物などで払う、というような行為が一般的であったようです。
古代メソポタミアから発掘された銘板にはこうした信用取引の記録が大量に残されています。
そして将来の支払い義務が記された銘板は、貨幣として流通していました。
(この銘板の持ち主に誰々がどれだけの支払い義務を負っているか、が記された銘板です。)
つまり、この銘板を保有するということは、銘板に記載されている支払額と同額の資産を保有するということになります。
これは現代で言えば、企業の発行する約束手形が流通するようなものです。
まさに、古代メソポタミアでは負債としての貨幣が流通していた、ということになります。
『21世紀の貨幣論』には、古代メソポタミアでは「現存する証拠資料の示すところであれば、ほとんどの取引が信用(クレジット)を基盤としていた。」と記載されています。
一般的な経済学では、物々交換経済→貨幣経済→信用経済へと発展していったと記述されていますが、人類学者の長年に渡る調査によると「物々交換経済から貨幣に発展した例は、いかなる社会にも見当たらなかった」そうです。
物々交換は部族と部族の間の取引のように、信用できるかわからない相手との取引など、限定的には見られたそうですが、決して主流にはなりませんでした。
人類学者が調査した社会の中には、古代メソポタミアのように最初から信用取引が発達していた社会が有りました。
例えば、有名なヤップ島の話です。
ヤップ島では発見当時、主要な生産物が3つ(魚、ヤシの実、唯一の贅沢品であるナマコ)しかありませんでした。あとは家畜にブタがいる程度です。
物々交換をするのにこれ以上最適な社会を探し出すのは難しいでしょう。
しかし、彼らはフェイという代用貨幣(トークン)を使って、現代的な信用取引をしていました。
『21世紀の貨幣論』から引用してみましょう。
「ヤップの島民は魚、ヤシの実、ブタ、ナマコの取引から発生する債権と債務を帳簿につけていった。債権と債務は互いに相殺して決済をする。決済は一回の取引ごと、あるいは1日の終わり、一週間の終わりなどに行われる。決済後に残った差額は繰り越され、取引の相手が望めば、その価値に等しい通貨、つまりフェイを交換して決済される。」
これは実に現代的な信用経済です。
実際、今の日本にもこれと同様のシステムが存在しています。
日本の金融機関が日銀を介して行っている、即時グロス決済と時点ネット決済です。
一回の取引ごとに行われる決済が即時グロス決済、ある時点で行われる相殺決済が時点ネット決済です。
ヤップ島では決済後に残った差額はフェイを交換しますが、これは日本では決済後の銀行間での日銀当座預金の残高の移動に相当します。
また、このフェイの交換というのも、あくまで「所有権の交換」であって「所有の交換」ではなかったそうです。
そのため、既に所有権が移ったフェイが相手に渡されること無く、今までどおり庭に置かれているという状態でした。
実際にフェイを所有する必要はないのです。
そのため、かつて海に沈んだフェイが、現在は誰も見たこともないのにその存在を信じられており、これも財産として数えられていました。
これがフェイが代用貨幣(トークン)である所以です。
「ヤップ島のマネーはフェイではなく、その根底にある、債権と債務を管理しやすくするための信用取引・清算システムだったのだ。」
と、『21世紀の貨幣論』には記載されています。
人類学者が調べたのは、古代メソポタミアやヤップ島だけではありません。
様々な時期の様々な社会を調べました。
長年の調査の結果に対する人類学者や一部の経済学者の同じようなコメントが、『21世紀の貨幣論』に長々と記載されていますが、その結論部を抜き出します。
「21世紀初めには、実証的証拠に関心を持つ学者の間で、物々交換から貨幣が生まれたという従来の考え方はまちがっているというコンセンサスができあがっていた。経済学の世界ではこれは珍しいことである。人類学者のデビッド・グレーバーは2011年に(引用者注:2011年は『負債論』のこと)次のように冷ややかに説明している。
『そうしたことが起きたという証拠は一つもなく、そうしたことが起きなかったことを示唆する証拠は山ほどある。』」
貨幣は物々交換から生まれたものではありませんでした。
そうすると、貨幣は何から生まれたのでしょう?
言うまでもなく負債と信用の関係から貨幣は生まれたのです。
最後にハイマン・ミンスキー(師はシュンペーターとレオンチェフ、MMTerのランダル・レイは弟子)の言葉でこの記事を締めくくります。
「誰でも貨幣を創造できる。」「問題は、その貨幣を受け入れさせることにある。」
これは「誰でも負債(借用証書)を創造できる」「問題は、その負債(借用証書)を受け入れさせることにある。」と言い換えることができます。
本当に誰でも貨幣(借用証書)を作れるのかというと、企業は手形という借用証書を発行できます。
また、個人でも小切手という借用証書を発行することができます。
『21世紀の貨幣論』には2001年のアルゼンチンでの金融危機で実際に起ったことが記載されています。
政府は銀行システムの流動性を維持するために、銀行預金の引き出しを厳しく制限しました。
お金が突然なくなるという緊急事態において、代替貨幣(トークン)が自然発生的に生まれました。
州や市はもちろん、スーパーマーケットチェーンまでが独自の借用書を発行し始め、借用書はまたたく間に通貨として流通するようになりました。
このように本当に「誰でも貨幣を創造できる」のです。
では「誰でも貨幣を創造できる」のなら、なぜ、国定貨幣がその国内の最大の主流通貨として流通しているのでしょうか?
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12436111979.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1750.html#c1
2. 中川隆[-14083] koaQ7Jey 2022年1月24日 10:18:34 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[30]
内生的貨幣供給の功罪
2019年02月26日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12442794398.html
今回のコラムはMMTを解説する予定でしたが、その前に「内生的貨幣供給論」の解説を行います。
(「内生的貨幣供給論」はMMTの基盤の一つとなっています。)
「内生的貨幣論」はMMTだけでなく、ポスト・ケインジアンの中で広く論じられている理論です。
今回は、内藤敦之「内生的貨幣供給理論の再構築―ポスト・ケインズ派の貨幣・信用アプローチ」から、「内生的貨幣論」を紹介します。
(なおこの本は、L..ランダル・レイの議論の紹介が多く、MMT/現代貨幣論という言葉こそ出ていませんが、表券主義という言葉でJGPを含むレイの現代貨幣論の一部を解説しています。)
「内生的貨幣供給論」とは何か?
簡単に言えば「需要に応じて貨幣が供給されるという考え方を軸に、貨幣経済の姿を描く理論」です。
現代の内生的貨幣供給論には主に3つの派閥があります。
・ホリゾンタリズム(カルドア、ムーアなど)
・ストラクチュラリズム(レイ、ポーリンなど)
・サーキュレイショニスト(ブールヴァ、ラヴォワ、ロションなど)
ここではこの3つの派閥の説明は、議論が細かくなりすぎるため行いません。
なお、現代的な内生的貨幣供給論は、カルドアに始まる、とされています。
「内生的貨幣供給論」と対立する概念に「外生的貨幣供給論」があります。
この両者の違いを見ていきましょう。
そもそも貨幣供給が内生的、外生的とはどういった意味なのでしょう?
貨幣供給が内生的というのは、「銀行と民間という経済の『内部』の貸借で『貨幣(銀行貨幣)が生まれる』」、というものです。反対に貨幣供給が外生的というのは、「銀行と民間という経済の『外部』である中央銀行が『貨幣を生み』、それを銀行と民間の内部に供給する」、というものになります。
「内生的貨幣供給論」vs「外生的貨幣供給論」
内生的貨幣供給、外生的貨幣供給という概念自体は20世紀以前の古典派の時代から存在しています。
銀行学派が内生的貨幣供給を、通貨学派が外生的貨幣供給をそれぞれ主張し、対立していました。
もう少し詳しく両者の理論を見てみましょう。
「内生的貨幣供給論」は「銀行の貸出ありき」です。
銀行が民間に貸出を行った結果、預金(マネーストック)が創造されます。そして民間が銀行から借入れた預金を返済すると、預金(マネーストック)は消滅します。
銀行は貸出を行って預金を創造した後、預金額に応じた一定の額を中央銀行の当座預金に預けること(準備預金制度)が義務付けられてます。私の準備預金についてのコラムでも解説した通り、準備預金は貸出の後で銀行が用意すると想定されています。銀行は、保有現金か、インターバンク市場から掻き集めるか、中央銀行に借入れすることで、準備預金を用意します。すなわち、貸出(マネーストック)の増加に応じて、受動的に準備預金(ベースマネー)を用意することになります。このときの準備率やインターバンク市場の金利や借入れの利子率は中央銀行により「外生的」に決定されます。
なお、「内生的貨幣供給論」は「信用貨幣説」と密接な関係があります。
(「信用貨幣説」については以前のコラムで解説しました。)
信用貨幣論では貨幣供給は内生的となるため、中央銀行は貨幣量を直接操作することは出来ません。
一方、「外生的貨幣供給論」は、「中央銀行の意志ありき」です。
中央銀行が銀行に、買いオペや貸出などで銀行の準備預金を供給すると、銀行はそれに応じて民間への貸出を拡大できます。そして売りオペや貸出の返済などで準備預金を削減すると、銀行は貸出を縮小します。すなわち、中央銀行がベースマネーの量を制御することによって、マネーストックの量をも制御できるという理論です。(もっと簡単に言えばベースマネーの量とマネーストックの量は比例するため、ベースマネーの量を制御することでベースマネーの量を決めることができる。)
なお、「外生的貨幣供給論」は「商品貨幣説」と密接な関係があります。
(貨幣の供給が商品と同様に、供給者が外生的に制御可能と考えるためです。)
なぜ量的緩和(QE)は目標達成できなかったか?
これは内生的貨幣供給論から簡単にわかるでしょう。
内生的貨幣供給論によれば、中央銀行は貨幣(マネーストック)の量を直接制御できないからです。
日本で量的緩和が行われる以前、マネーストックを巡って、岩田規久男ら経済学者と翁邦雄ら日銀職員との間で論争が有りました、
翁邦雄らの理論は日銀理論と呼ばれるもので、これは「日銀はマネーストックの量を制御できない」という「内生的貨幣供給論」と同様の理論と言えます。
「内生的貨幣供給論」は、「馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」という比喩で表現されることもあります。
内生的貨幣供給の功罪
内生的貨幣供給のもとでは、銀行はアニマル・スピリッツを発揮し、企業に融資を行います。
企業側からみると、企業はアニマル・スピリッツを発揮して投資を決意、投資計画を作成した上で、銀行へ借入れを申し込みます。この投資計画では、銀行貸出の利子率を上回る利潤を獲得することが必要になります。
こうして銀行から貸出を受けて始めて、貨幣が銀行貨幣(銀行預金)として創造されます。
企業は投資計画に従って投資し、生産を拡大していきます。
こうしたアニマル・スピリッツの発揮による預金の創造と投資・生産の拡大は、資本主義が爆発的に発展した理由のひとつとして挙げられています。
これが内生的貨幣供給の「功」の部分になります。
内生的貨幣供給の「罪」の部分は、金融が不安定になることです。
経済が調子の良いとき、銀行はリスクを過小に見積もり貸出することがあります。(マネーストック増加)
ここで何らかのショックが起きたとき、そのリスクは拡大します。
それに反応して投資家らが資産を売却し、資産の価値が暴落していきます。
そうなると、投資家や銀行が債務超過になり、破綻に追い込まれてしまいます。
これがいわゆる金融危機であり、ハイマン・ミンスキーの唱えた「金融不安定仮説」です。
(金融危機を説明するハイマン・ミンスキーの「金融不安定仮説」はストラクチュラリズムに大きな影響を与えています。)
こうした金融危機に対して、銀行の預金準備率を100%にすることで銀行の貸出を抑制して金融危機を防ぐ、「ナローバンク構想」が持ち出されています。
しかし、これは先に述べた、企業と銀行のアニマルスピリッツの発揮を抑制するものです。
資本主義の成長も抑制されることになるでしょう。
内生的貨幣供給と国債発行
最後に、「内生的貨幣供給論」と国債発行の関係の解説をしたいと思います。
ここでは、建部正義「国債問題と内生的貨幣供給理論」の議論を紹介します。
(なお、ここで議論する国債はすべて自国通貨建ての国債になります。)
政府が新規国債を発行して財政支出を行う場合、次のステップを踏むことになります。
@銀行が新規国債を購入すると、銀行保有の日銀当座預金が、政府が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる
A政府は、たとえば公共事業の発注にあたり、請負企業に政府小切手によってその代金を支払う
B企業は、政府小切手を自己の取引銀行に持ち込み、代金の取立を依頼する
C 取立を依頼された銀行は、それに相当する金額を企業の口座に記帳する(ここで新たな民間預金が生まれる)と同時に,代金の取立を日本銀行に依頼する
D この結果、政府保有の日銀当座預金(これは国債の銀行への売却によって入手されたものである)が、銀行が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる
この後、銀行は戻ってきた日銀当座預金でふたたび政府の新規国債を購入することができます。
このループを図にしたものが下図になります。(中野剛志氏が作成した図になります。)
一般通念とは逆に、銀行は民間からの預金で国債を購入するわけではありません。銀行は政府の発行した国債を購入することで、預金が生み出されます。「預金を資金源として国債発行する」のではなく「国債発行で預金が生まれる」のです。
それ故、「内生的貨幣供給論」の立場では国債発行量に資金的限界はありません。
政府は財源を気にせず国債を発行でき、銀行はいくらでもそれを購入することができるのです。
(実際には国債発行を大量に行うと、需要と供給の関係が崩れインフレ率が向上していきます。)
このことは今の日本のようなデフレ経済にとって大きな利点と言えるでしょう。
以上で「内生的貨幣供給論」の解説を終わります。
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12442794398.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1750.html#c2
3. 2022年1月24日 10:20:54 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[31]
日本の準備預金制度について
2019年01月18日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12433564528.html
このブログは誤解されがちな思想を解説するブログになります。
記念すべき初回の記事は、某所で話題?になっている準備預金制度の解説となります。
============================================================================
準備預金制度は、一般的に、銀行が預金者の引出しに応じるため中央銀行(日本では日銀)にお金を預けておく制度と理解されています。
が、しかし、日本の準備預金制度の詳細は、ほとんど解説されることがないため、あまり知られていません。
日本銀行や市中銀行に関する書籍でも、数行触れられていればラッキーという有様です。
そこで今回は、あまり知られていない日本の準備預金制度の解説をします。
日本における準備預金制度は、1957年に「準備預金制度に関する法律」という法律で施行されました。
以下のサイトに法律原文が記載されていますが、書かれていることが難しく、一般人にはイマイチわかりません。
日本銀行も解りにくいと思ったのか、この法律の解説記事を出しています。
http://www3.boj.or.jp/josa/past_release/chosa195706i.pdf
今回の解説は、この日銀の解説記事の要点を掻い摘む形で、日本の準備預金制度を紹介していきます。
@法律の目的
準備預金制度は各国で施行されていますが、その目的は大きく2つあります。
『預金者保護』と『通貨調節手段』です。
『預金者保護』というのは、預金者の引出しに応じるための支払準備金を中央銀行に強制的に預け入れさせる、というものです。
もう一方の『通貨調節手段』は、後述する「準備率」を上下させることで、銀行の信用創造機能を通して、市場での資金需給を調整する、というものです。
準備預金制度は歴史的には『預金者保護』として生まれましたが、
諸外国では『通貨調節手段』として準備預金制度を設けている国が多く、
『預金者保護』と『通貨調節手段』の両方を目的としている国も存在するようです。
日本ではどうかというと、準備預金制度を『通貨調節手段』を目的として整備しました。
『預金者保護』が目的ではないのです。
実際、法律の目的が記されている第1条にも「通貨調節手段としての準備預金制度」と記載されています。
そのため、制度の名前も、『預金者保護』を意味する「支払準備制度」という名前を避け、「準備預金制度」という名前になっています。
ただし、現在は、日本含め世界各国で『通貨調節手段』の意味合いは薄くなっています。
短期金融市場を通して通貨調節をするようになっていったためです。
A日銀当座預金
中央銀行の当座預金口座とは、市中銀行などの金融機関や政府が日本銀行に開設が義務付けられている口座のことです。
当座預金なので基本的には無利子になります。
銀行が日銀当座預金口座から引き出すと、同額の現金、つまり日本銀行券が銀行に供給されます。
この日本銀行券の供給は、発券とも言われています。
これは日本銀行券は、日銀の外に出ることで初めて、紙幣に記載されている額の価値を持つからです。日銀の中にいる間は、日本銀行券は価値を持ちません。複雑な偽造防止処理を施されたただの紙切れです。
ちなみに、日銀当座預金と日本銀行券を合わせて「ベースマネー」と呼ばれています。
さて、この日銀当座預金には3つの役割があるとされています。
(1)金融機関が他の金融機関・日本銀行・国と取引を行う際の「決済手段」
(2)金融機関が個人や企業などの顧客に支払う現金通貨の「支払準備」
(3)準備預金制度の対象となっている金融機関の「準備預金」
準備預金制度は、(3)の市中銀行などの特定の金融機関が日銀当座預金へ一定金額預ければならない制度、ということになります。
この一定金額、つまり日銀に預け入れる最低金額のことを、「法定準備預金額」「所要準備額」と呼び、実際に預け入れている金額を「準備預金」と呼びます。
B準備率
市中銀行等の金融機関が預金額の「一定比率」以上の金額を日銀当座預金に預け入れるというのが準備預金制度ですが、この比率が「準備率」「法定準備率」「預金準備率」です。
この法律において、準備率の最高限度は10%であり、これを越えることはできないとされています。
その一方で、準備率の最低限度は定められていません。先述したように、準備率の最低限度は『預金者保護』の意味を持つものと考えられるものだからです。
現在の準備率は1991年に設定されたもので、0.05%〜1.3%となります。
(金融機関の種類や預金等の種類によって数値が変わります。
定期預金など安定的な預金に対しては数値が低く設定されています。)
具体的な数値は日銀のHPに記載されています。
https://www.boj.or.jp/statistics/boj/other/reservereq/junbi.htm/
C準備預金の二つの期問
さて、準備預金の金額はどのように計算されているのでしょう。
実は、準備預金を計算するには二つの計算期問があります。
1つ目の計算期間は、準備預金額を計算する期間です。
ある月(仮に1月とします)の毎日の終業時における預金残高に、その時の準備率をかけた額の合計をその月の日数で割ります。つまり、毎日の預金残高×準備率の平均です。
2つ目の計算期間は、預け金額の計算期間、つまり、1つ目の計算で得られた金額を維持しなければならない期間です。
この期間は当月(1月)の16日から1ヶ月間(2月15日)とされています。
ただし、毎日この準備金を厳格に維持する必要はなく、16日からの1か月間の平均額として充たされていれば良い、とされています。
上述の説明は日銀の紹介記事に解りやすい図があるので、下図にこれを掲載します。
D預け金の額が不足した場合の措置
市中銀行が預け金額を維持できなくても、即座に法律違反になるわけではありません。
ちゃんと救済措置が用意されています。
この場合、市中銀行は、不足額に対し一定比率をかけた金額を期日(3月15日)までに日銀に納めればよいのです。日銀はこの金額を期日(4月15日)までに納めます。
これまた、日銀の紹介記事に解りやすい図があるので、下図にこれを掲載します。
まとめ
3行でまとめます。
・日本の準備預金制度は『預金者保護』ではなく『通貨調節手段』。
・銀行は預金額に準備率(現在は1%前後)をかけた金額を、後日の指定された期日の間(その月の半月後から1ヶ月間)、日銀当座預金に預けなければならない。
・たとえ準備金が維持できなくても、救済措置が用意されている。
これで日本の準備預金制度の解説は以上になります。
読者様にとって、少しでもためになる知識になれば幸いです。
(了)
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12433564528.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1750.html#c3
22. 中川隆[-14082] koaQ7Jey 2022年1月24日 10:21:18 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[32]
日本の準備預金制度について
2019年01月18日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12433564528.html
このブログは誤解されがちな思想を解説するブログになります。
記念すべき初回の記事は、某所で話題?になっている準備預金制度の解説となります。
============================================================================
準備預金制度は、一般的に、銀行が預金者の引出しに応じるため中央銀行(日本では日銀)にお金を預けておく制度と理解されています。
が、しかし、日本の準備預金制度の詳細は、ほとんど解説されることがないため、あまり知られていません。
日本銀行や市中銀行に関する書籍でも、数行触れられていればラッキーという有様です。
そこで今回は、あまり知られていない日本の準備預金制度の解説をします。
日本における準備預金制度は、1957年に「準備預金制度に関する法律」という法律で施行されました。
以下のサイトに法律原文が記載されていますが、書かれていることが難しく、一般人にはイマイチわかりません。
日本銀行も解りにくいと思ったのか、この法律の解説記事を出しています。
http://www3.boj.or.jp/josa/past_release/chosa195706i.pdf
今回の解説は、この日銀の解説記事の要点を掻い摘む形で、日本の準備預金制度を紹介していきます。
@法律の目的
準備預金制度は各国で施行されていますが、その目的は大きく2つあります。
『預金者保護』と『通貨調節手段』です。
『預金者保護』というのは、預金者の引出しに応じるための支払準備金を中央銀行に強制的に預け入れさせる、というものです。
もう一方の『通貨調節手段』は、後述する「準備率」を上下させることで、銀行の信用創造機能を通して、市場での資金需給を調整する、というものです。
準備預金制度は歴史的には『預金者保護』として生まれましたが、
諸外国では『通貨調節手段』として準備預金制度を設けている国が多く、
『預金者保護』と『通貨調節手段』の両方を目的としている国も存在するようです。
日本ではどうかというと、準備預金制度を『通貨調節手段』を目的として整備しました。
『預金者保護』が目的ではないのです。
実際、法律の目的が記されている第1条にも「通貨調節手段としての準備預金制度」と記載されています。
そのため、制度の名前も、『預金者保護』を意味する「支払準備制度」という名前を避け、「準備預金制度」という名前になっています。
ただし、現在は、日本含め世界各国で『通貨調節手段』の意味合いは薄くなっています。
短期金融市場を通して通貨調節をするようになっていったためです。
A日銀当座預金
中央銀行の当座預金口座とは、市中銀行などの金融機関や政府が日本銀行に開設が義務付けられている口座のことです。
当座預金なので基本的には無利子になります。
銀行が日銀当座預金口座から引き出すと、同額の現金、つまり日本銀行券が銀行に供給されます。
この日本銀行券の供給は、発券とも言われています。
これは日本銀行券は、日銀の外に出ることで初めて、紙幣に記載されている額の価値を持つからです。日銀の中にいる間は、日本銀行券は価値を持ちません。複雑な偽造防止処理を施されたただの紙切れです。
ちなみに、日銀当座預金と日本銀行券を合わせて「ベースマネー」と呼ばれています。
さて、この日銀当座預金には3つの役割があるとされています。
(1)金融機関が他の金融機関・日本銀行・国と取引を行う際の「決済手段」
(2)金融機関が個人や企業などの顧客に支払う現金通貨の「支払準備」
(3)準備預金制度の対象となっている金融機関の「準備預金」
準備預金制度は、(3)の市中銀行などの特定の金融機関が日銀当座預金へ一定金額預ければならない制度、ということになります。
この一定金額、つまり日銀に預け入れる最低金額のことを、「法定準備預金額」「所要準備額」と呼び、実際に預け入れている金額を「準備預金」と呼びます。
B準備率
市中銀行等の金融機関が預金額の「一定比率」以上の金額を日銀当座預金に預け入れるというのが準備預金制度ですが、この比率が「準備率」「法定準備率」「預金準備率」です。
この法律において、準備率の最高限度は10%であり、これを越えることはできないとされています。
その一方で、準備率の最低限度は定められていません。先述したように、準備率の最低限度は『預金者保護』の意味を持つものと考えられるものだからです。
現在の準備率は1991年に設定されたもので、0.05%〜1.3%となります。
(金融機関の種類や預金等の種類によって数値が変わります。
定期預金など安定的な預金に対しては数値が低く設定されています。)
具体的な数値は日銀のHPに記載されています。
https://www.boj.or.jp/statistics/boj/other/reservereq/junbi.htm/
C準備預金の二つの期問
さて、準備預金の金額はどのように計算されているのでしょう。
実は、準備預金を計算するには二つの計算期問があります。
1つ目の計算期間は、準備預金額を計算する期間です。
ある月(仮に1月とします)の毎日の終業時における預金残高に、その時の準備率をかけた額の合計をその月の日数で割ります。つまり、毎日の預金残高×準備率の平均です。
2つ目の計算期間は、預け金額の計算期間、つまり、1つ目の計算で得られた金額を維持しなければならない期間です。
この期間は当月(1月)の16日から1ヶ月間(2月15日)とされています。
ただし、毎日この準備金を厳格に維持する必要はなく、16日からの1か月間の平均額として充たされていれば良い、とされています。
上述の説明は日銀の紹介記事に解りやすい図があるので、下図にこれを掲載します。
D預け金の額が不足した場合の措置
市中銀行が預け金額を維持できなくても、即座に法律違反になるわけではありません。
ちゃんと救済措置が用意されています。
この場合、市中銀行は、不足額に対し一定比率をかけた金額を期日(3月15日)までに日銀に納めればよいのです。日銀はこの金額を期日(4月15日)までに納めます。
これまた、日銀の紹介記事に解りやすい図があるので、下図にこれを掲載します。
まとめ
3行でまとめます。
・日本の準備預金制度は『預金者保護』ではなく『通貨調節手段』。
・銀行は預金額に準備率(現在は1%前後)をかけた金額を、後日の指定された期日の間(その月の半月後から1ヶ月間)、日銀当座預金に預けなければならない。
・たとえ準備金が維持できなくても、救済措置が用意されている。
これで日本の準備預金制度の解説は以上になります。
読者様にとって、少しでもためになる知識になれば幸いです。
(了)
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12433564528.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1604.html#c22
15. 2022年1月24日 11:02:00 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[33]
MMTほどインフレについて真剣に考えている経済学はない
2019年12月10日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12539392492.html
MMTに対する典型的な批判に、政府支出を拡大すると「インフレ率が制御不能となる」「ハイパーインフレを誘発する」という批判があります。
こういった批判に対し、ケルトン教授などのMMTの学者は、MMTほどインフレについて真剣に考えている経済学はないと断言しています。言い換えれば、MMTの批判者はインフレ対策に対して不十分な分析しか行っていないということになります。
MMTは政府支出とインフレに対してどのような考え方を持っているのでしょうか?
何が政府支出の制約になっているのか?
主流派経済学の見方では、政府支出には財政制約と実物制約があり、この制約を破るとインフレが起こると考えられています。また、少なくとも長期的には財政均衡しなければならないと考えています。LSTMもこの類の考え方です。
図1.MMTの政府支出の制約の評価(ビル・ミッチェル教授の講演資料より)
主流派経済学がこのような結論に行き着くのは、MMTと異なり主権通貨という概念がないからです。
主流派経済学の見方に対して、MMTの見方では主権通貨を発行する国には財政制約はありません。
図2.MMTの政府支出の制約の評価(ビル・ミッチェル教授の講演資料より)
日本のような主権通貨を発行している国家においては、完全雇用かそうでないかで、政府支出の制約が異なります。
現在の日本のように完全雇用でない場合は、政府支出に制約はありません。政府は完全雇用に達するまで政府支出を行うことができます。
完全雇用の場合は実物資源が制約となります。実物資源の制約(つまり経済の生産能力)を超えた政府支出を行った場合には、悪性のインフレが生じます。
MMT流インフレとの戦い方
では、MMTはインフレとどう向き合うべきなのでしょうか?この問いに対してケルトン教授がインタビューで回答しているので、その和訳記事から一部抜粋します。
ステファニー・ケルトン教授、財政赤字神話について、財政とインフレについて
http://erickqchan.blog.shinobi.jp/theanswer/47
インフレに対する最善の防御は上手に攻めることなのですよ。MMTがやるのは、インフレのリスクに対しては物凄く神経質に考えるようにすることです。 マクロ経済の学派の中で、私たちほどインフレリスクの問題に注意を向けているところがあるとは思えません。私たちや議会が新しい支出法案を検討するときって、その新しい支出が赤字を増やしたり借金を増やしたりするかどうかが考慮されているわけですが、それはやめて、こう考えるべきです。その新たな支出にはインフレを加速させるリスクがどれくらいあるだろうと。そして、やり方を変えるのです。
これまでは議会予算局に行って「この法律をチェックして結果を教えてください。この支出によって債務と赤字が今後どうなりますか?」と聞いたものでした。これからはそうではなく、議会予算局なり他の政府機関なりに行って、こう聞きましょう。「インフラへのこの1兆ドルの投資を通過させることを検討しています。これが明細ですがチェックしていただけますか?この支出は今後5年間に分けて支払う予定ですが、これが実体経済に問題を起こすかどうかを教えてください。つまりインフレのリスクを計算してその結果を教えてください。」
それから、完全雇用に近づくほどに、追加の財政支出には常にインフレのリスクが伴うことになっていきます。政府支出だけではありません。米国で生産される商品やサービスの需要が海外で急増し、そのとき完全雇用であれば、外需にインフレリスクが伴うことになります。あるいは、消費者がとても楽観的になった場合、仮に住宅バブルが発生していて、人々が住居を元手に新たな支出をするとすれば、これもインフレリスクです。つまり、私たちの過剰支出には常にインフレリスクがあります。 MMTがやろうとしているのは、全体の支出水準を、完全雇用と物価の安定と両立する水準に維持しようとすることです。
もしインフレが問題になったら何をすると聞かれますが、その質問はちょっと違います。最初にこう問うべきなはずです。「このインフレをもたらすものは何だろう?このインフレ圧の原因は何だろう?」。なにしろ、政府の総支出が多すぎることで経済が過熱する結果、将来のある時点でインフレが重大な問題になる可能性が高いと考える、そのことが信じられません。
それはこういうことです。米国経済がデマンドプルインフレと呼べるものを経験したことは、この一世紀ほどもうないのです。米国で重要とされてきたインフレの実例は、ほぼぜんぶコスト面の要因から来たものです。これはコストプッシュインフレと呼ばれるものです
ですから、インフレとの戦い方を考える場合に最初に問われるべきことは、そのインフレ圧力の源がいったい何であるかを理解することであり、次に、そのインフレを撃つのにふさわしい政策ツールで対応していくことだと考えています。 エネルギー価格の上昇によってインフレが発生した場合は、FRBに金利を引き上げさせたり、議会に税金を引き上げさせたりしてもおそらくあまり効果はありません。もっと有効な何かをしなければなりません。
MMTはインフレと闘うために税を使うという考えを拒否します。それは私たちが書いてきた内容のほとんどすべてと相容れない誤解なのですが、なぜか皆さんはいつもそうだと言うのですね。
まとめると、MMTの考え方では、政府支出をする場合に、その個々の支出によってどれだけのインフレ圧が生じるかどうか事前に計算することがインフレ対策になります。予想されるインフレ圧が大きければ、その支出内容をインフレ圧が小さくなるように変更すれば良いのです。
外部ショックによるインフレの場合も、そのインフレ圧が何かを特定することからインフレ対策を始めます。例えば原油価格の高騰の場合、天然ガスの規制緩和を行うことによりインフレは緩和するでしょう。
またMMTにおいて、税はインフレ対策だと言われることがありますが、このケルトンのインタビューではそれは誤解とされています。インフレ圧力の特定とその特定したインフレ圧力に対する個別対処がMMTのインフレ対策なのです。
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12539392492.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/511.html#c15
23. 2022年1月24日 11:20:43 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[34]
「租税貨幣論」概論
2019年02月12日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12439405717.html
今回のコラムは「租税貨幣論」と「債務ヒエラルキー」の解説になります。
前回の「貨幣負債論(信用貨幣論)」と同様、「進撃の庶民」様のコメント欄における論争で「貨幣負債論」「租税貨幣論」「MMT」の特徴解説を依頼されたことが今回のコラムの発端となります。
それでは、前回に引き続く第二弾、「租税貨幣論」(とおまけで「債務ヒエラルキー」)を、MMTの入門書である、L.ランダル・レイの「現代貨幣論」から紹介します。
「租税貨幣論」とは、税の存在こそが国定通貨を流通させるという理論です。
一般的には、税金には4つの機能があるとされています。
@公共サービスの費用調達機能
A所得の再分配機能
B経済への阻害効果
C景気の調整機能
今回はこのどれにも触れません。
(次回のMMTの解説では、このうちのいくつかについて触れることになります。)
つまり一般的に言われている税の機能以外にも、税には特別な機能がある、というのが「租税貨幣論」の主張になります。
不換通貨の流通
人類は、歴史を遡ると、金、銀、銅といった貴金属を通貨にしていました。
数十年前までの金本位制の時代には、貴金属ではなく紙幣を通貨にしていましたが、その通貨には「ゴールド」という貴金属の裏付けがありました。
その時代の通貨は、「貴金属」という人類史上その価値が高水準で推移してきた「モノ」に交換することが出来ました。
また現在でも「ドルペッグ」といった、特定の通貨に固定(裏付け)された通貨があります。
しかし、日本を含む先進国の通貨は、このような裏付けのない「不換通貨」が主流です。
しかも、「不換通貨」には貴金属のような内在的な価値はありません。
しかし現実に、貴金属による裏付けも内在的価値もない「不換通貨」で商取引が行われています。
コンビニやスーパーでの買い物も「不換通貨」で支払うことが一般的です。
最近ではキャッシュレスで「紙幣」や「硬貨」を使う人々が少なくなりつつありますが、このようなキャッシュレスも「不換通貨」に裏付けられています。(Tポイントなどの通貨での支払いについては後述します。)
なぜ裏付けのない通貨が流通するのでしょう?
この疑問に対する一つの回答として、「法律で決まっているから」というものがあります。
しかし、歴史的には、法律で通貨の種類を決めても、民間においてその通貨での支払いを拒否されることはもちろん、政府への支払いを拒否する例があったそうです。
これでは、「法律で決まっているから」、というのは回答になりそうにありません。
もう一つの回答として、「信頼」- 誰かしらがそれを受け取るという期待 - があります。
あなたは、他の人がその通貨を受け入れるだろうということを知っているので、あなたはあなたの国の通貨を受け入れるだろうという理屈です。
しかしこれは、哲学で言うところの無限後退にあたります。
確かに、通貨の流通は確かに「信頼」で成り立っている部分があります。
しかし、それだけでは、裏付けのない通貨がその国の主流の通貨として流通しているという現状を十分に説明できません。
それでは一体何が主流の通貨となる決め手なのでしょう?
税が貨幣を駆動する
「税金その他の政府への支払い義務」
以下では簡単のために、政府と呼ぶときは、特別な断りがない限り、統合政府のことを指します。
政府は、「どの通貨で、納税およびその他の政府への支払いができるのか」を決めることが出来ます。
その他の政府への支払いというのは、罰金や手数料といったものを指します。
ここで政府は、政府自身が発行する通貨(「日本銀行券」や「日銀当座預金」、「硬貨」など)を「納税に使用できる通貨」に指定できます。
このような通貨を、以下では「国定納税通貨」と呼ぶことにします。
なお、「国定納税通貨」は私の造語です。(レイ「現代貨幣理論」に適当な言葉がなかったためです。)
税金の未払いには罰則があります。
政府がこの罰則を確実に執行する力を持っていれば、
民間はこの罰則を回避するために、指定された通貨を取得して納税に使う必要があります。
つまり、政府は納税義務を民間に課すことができ、義務の不履行に対する罰を執行できる能力を持っていれば、民間の納税通貨に対する需要が確実になります。
言い換えると、民間には納税義務があるので、「国定納税通貨」に対する貨幣需要が生まれるのです。
納税は税務署でもできますが、大半の納税は銀行経由で行われています。
納税者の預金口座から納税額分の預金額が引かれると同時に、銀行の日銀当座預金から政府の日銀当座預金へ納税額分の準備預金が移動します。
このとき銀行の純金融資産は変化しません。
(銀行の負債となる銀行預金と資産となる日銀当座預金で相殺されます。)
銀行は、納税者と政府の仲介者となるわけです。
納税者は納税に使ったっ通貨、つまり国定通貨を他の目的に使用することが出来ます。
政府硬貨や日本銀行券を使って、国内で買い物をすることが出来ますし、住宅ローンなどの民間債務の支払いに充てることも出来ます。
民間企業同士の取引に使うことも出来ます。
使用せずに貯金しておくことも可能です。
ですが、国定通貨のこのような使用法はあくまで派生的なもので、本来は政府への納税のためでした。
民間から政府への納税に先立って、政府は国定納税通貨を民間に供給する必要があります。
先に民間に供給しておかなければ、民間は国定納税通貨を取得できないからです。
国定納税通貨の供給手段には、政府支出や買いオペなどがあります。
政府は税金その他の政府への支払いが、政府自身が発行した通貨で行われる場合、この通貨での支払いを拒むことは出来ません。
自身で発行した借用書に対して対価(納税などの支払い義務の解除)を支払えないということは、デフォルトになってしまうからです。
これは民間からすると、国定納税通貨は政府への支払いとして確実に受領される通貨として保証されることになります。
このことが、民間が国定納税通貨を保有し流通する最大の動機になります。
このように、通貨に確実な使い途があることを、MMTでは通貨の「最終需要」と呼びます。
後述しますが、「最終需要」はどの通貨にも存在し、通貨ごとにその中身は異なります。
国定納税通貨には、「租税」という「強制力を伴った」確実な「最終需要」があるが故に、その国の主流の通貨として流通するのです。
以上が「租税貨幣論」の概論になります。
おまけとして、「租税貨幣論」と関係が深い「債務ピラミッド」という考え方にも簡単に触れておきます。
「債務ピラミッド」には現状いろんな表現(「債務ヒエラルキー」「決済ヒエラルキー」など)がありますが、これらは全て同一の概念です。
前回のコラムでも最後に触れましたが
レイの師であるハイマン・ミンスキーは「誰でもお金は発行できる」「問題は受け入れられるかどうかだ」と言いました。
前回のコラムで説明した通り、通貨とは負債であり、負債とは数値化した義務です。
そして義務は、きっかけさえあれば、誰もが他人に負わせることが出来ます。
しかし債務者はその義務を無視することが可能です。
したがって、債務者にとってその義務を履行するメリットや、その義務を無視したときのデメリットがあれば、債務者がその義務を履行する動機になります。
「租税貨幣論」では納税しなかった時の罰が、債務者が納税義務を履行する動機になりました。
義務を履行するメリットや義務を無視したときのデメリットが、その通貨の「最終需要」となります。
通貨には色々な種類がありますが、その通貨が流通するか(通貨の受け入れやすさ)は「最終需要」によって決まります。
これはヒエラルキー構造を成しており、これを説明するのが「債務ピラミッド」になります。
「債務ピラミッド」の構成
「債務ピラミッド」は以下のような構成でなりたっています。
頂点には統合政府が発行する通貨(「日本銀行券」「日銀当座預金」等)があります。(政府のIOU)
頂点から二番目には銀行通貨(銀行預金など)が位置します。(銀行のIOU)
三番目には銀行以外の金融機関の発行する通貨、負債。(金融機関のIOU)
そしてその下に、会社等が発行する手形などが位置します。(会社のIOU)
底辺は個人が発行する借用書です。(個人のIOU)
統合政府が発行する通貨がピラミッドの頂点にあるのは、前述した通り、「租税」という「強制力を伴った」確実な「最終需要」があるためです。
その国の殆どの場所で決済できるので、その国の主流の通貨としてとして流通します。
対して、底辺の個人が発行する借用書は確実な「最終需要」が殆どないため、通貨としてはとても狭い範囲でしか流通しません。
「債務ピラミッド」には、下位の負債を上位の通貨で必ず決済できるという特徴があります。
まず、銀行による貸付は「日本銀行券」で決済することが出来ます。
銀行以外の金融機関の負債は「日本銀行券」や「銀行通貨」で決済することが出来ます。
手形も「日本銀行券」や「銀行通貨」、銀行以外の金融機関が発行する通貨で決済することが出来ます。
とは言え、ピラミッドの低い位置の負債への決済は、普通、銀行のIOUを使用します。
そして銀行は、政府のIOU(日銀当座預金)を使用して、自分のIOUを精算します。
ここでも銀行は、債務者と債権者の仲介者となるわけです。
もちろん銀行の純金融資産は変化しません。
その逆、上位の負債を下位の通貨で決済すること、は納税の例のように可能ではありますが、以下で示すように必ず決済できるとは保証できません。
Tポイントのようなポイントや電子マネー、暗号通貨も債務ピラミッドのどこかに位置します。
どこに位置するかはその通貨の信用度、言い換えると「最終需要」の確実さによって決まります。
例えば暗号通貨は、どこかの国の債務ピラミッド上位の通貨に交換できるだろうという「信頼」が「最終需要」となるため、ピラミッドの比較的低い位置になります。
上位ヒエラルキーの通貨に交換できるという「信頼」がなくなると、その暗号通貨の価値は暴落します。
したがって、現状の暗号通貨が主流の通貨に取って代わるということは有り得ません。
(暗号通貨に現状以上の「最終需要」が与えられると話は変わってきます。)
最後の個人が発行する借用書ですが、「現代貨幣論」では思考実験として「家族通貨」という通貨を考察しています。
親が子供に家の仕事をさせることで、子供に家族通貨を支払います。
ここで親は子供に納税義務を課します。家族通貨を子供から徴収するのです。
もし納税されなかった場合に罰を与えるとすると、子供は一生懸命働くでしょう。
これは政府と民間の関係と同じであることがわかります。
以上が「債務ピラミッド」の概要です。
次回は、本丸「MMT」とは何ぞや?の解説になります。
追記
「租税貨幣論」で注意すべきことがいくつかあります。
まず、「増税すると経済が拡大する」と言う理論ではないことです。
「租税貨幣論」はあくまで、納税の機能がしっかり働いていれば貨幣が流通する、という話です。
課税額の大小の話ではないのです。
また、「納税の機能がしっかり働かない場合はどうなるの」という疑問が出てくるかと思います。
発展途上国では、脱税や納税回避が横行しており、納税の機能がしっかり働いていません。
ギリシャもその典型です。
そうなると、「高い財政赤字の割に高インフレを招く」ことになります。
通貨が政府に回収されないと生産物の供給量以上に民間に通貨がダブつき、高インフレになります。
現在の日本とは真逆の状態です。
高インフレの状態では、公共事業や防衛装備などの購入はさらなるインフレの上昇を招き、結果として、財政出動による経済発展は困難になります。
このことをMMTでは「国内政策空間」の余地が減少する、と言います。
納税の機能がしっかり働かないと、経済成長を目指す政府にとっては「八方塞がり」になります。
(了)
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12439405717.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1604.html#c23
4. 中川隆[-14081] koaQ7Jey 2022年1月24日 11:21:05 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[35]
「租税貨幣論」概論
2019年02月12日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12439405717.html
今回のコラムは「租税貨幣論」と「債務ヒエラルキー」の解説になります。
前回の「貨幣負債論(信用貨幣論)」と同様、「進撃の庶民」様のコメント欄における論争で「貨幣負債論」「租税貨幣論」「MMT」の特徴解説を依頼されたことが今回のコラムの発端となります。
それでは、前回に引き続く第二弾、「租税貨幣論」(とおまけで「債務ヒエラルキー」)を、MMTの入門書である、L.ランダル・レイの「現代貨幣論」から紹介します。
「租税貨幣論」とは、税の存在こそが国定通貨を流通させるという理論です。
一般的には、税金には4つの機能があるとされています。
@公共サービスの費用調達機能
A所得の再分配機能
B経済への阻害効果
C景気の調整機能
今回はこのどれにも触れません。
(次回のMMTの解説では、このうちのいくつかについて触れることになります。)
つまり一般的に言われている税の機能以外にも、税には特別な機能がある、というのが「租税貨幣論」の主張になります。
不換通貨の流通
人類は、歴史を遡ると、金、銀、銅といった貴金属を通貨にしていました。
数十年前までの金本位制の時代には、貴金属ではなく紙幣を通貨にしていましたが、その通貨には「ゴールド」という貴金属の裏付けがありました。
その時代の通貨は、「貴金属」という人類史上その価値が高水準で推移してきた「モノ」に交換することが出来ました。
また現在でも「ドルペッグ」といった、特定の通貨に固定(裏付け)された通貨があります。
しかし、日本を含む先進国の通貨は、このような裏付けのない「不換通貨」が主流です。
しかも、「不換通貨」には貴金属のような内在的な価値はありません。
しかし現実に、貴金属による裏付けも内在的価値もない「不換通貨」で商取引が行われています。
コンビニやスーパーでの買い物も「不換通貨」で支払うことが一般的です。
最近ではキャッシュレスで「紙幣」や「硬貨」を使う人々が少なくなりつつありますが、このようなキャッシュレスも「不換通貨」に裏付けられています。(Tポイントなどの通貨での支払いについては後述します。)
なぜ裏付けのない通貨が流通するのでしょう?
この疑問に対する一つの回答として、「法律で決まっているから」というものがあります。
しかし、歴史的には、法律で通貨の種類を決めても、民間においてその通貨での支払いを拒否されることはもちろん、政府への支払いを拒否する例があったそうです。
これでは、「法律で決まっているから」、というのは回答になりそうにありません。
もう一つの回答として、「信頼」- 誰かしらがそれを受け取るという期待 - があります。
あなたは、他の人がその通貨を受け入れるだろうということを知っているので、あなたはあなたの国の通貨を受け入れるだろうという理屈です。
しかしこれは、哲学で言うところの無限後退にあたります。
確かに、通貨の流通は確かに「信頼」で成り立っている部分があります。
しかし、それだけでは、裏付けのない通貨がその国の主流の通貨として流通しているという現状を十分に説明できません。
それでは一体何が主流の通貨となる決め手なのでしょう?
税が貨幣を駆動する
「税金その他の政府への支払い義務」
以下では簡単のために、政府と呼ぶときは、特別な断りがない限り、統合政府のことを指します。
政府は、「どの通貨で、納税およびその他の政府への支払いができるのか」を決めることが出来ます。
その他の政府への支払いというのは、罰金や手数料といったものを指します。
ここで政府は、政府自身が発行する通貨(「日本銀行券」や「日銀当座預金」、「硬貨」など)を「納税に使用できる通貨」に指定できます。
このような通貨を、以下では「国定納税通貨」と呼ぶことにします。
なお、「国定納税通貨」は私の造語です。(レイ「現代貨幣理論」に適当な言葉がなかったためです。)
税金の未払いには罰則があります。
政府がこの罰則を確実に執行する力を持っていれば、
民間はこの罰則を回避するために、指定された通貨を取得して納税に使う必要があります。
つまり、政府は納税義務を民間に課すことができ、義務の不履行に対する罰を執行できる能力を持っていれば、民間の納税通貨に対する需要が確実になります。
言い換えると、民間には納税義務があるので、「国定納税通貨」に対する貨幣需要が生まれるのです。
納税は税務署でもできますが、大半の納税は銀行経由で行われています。
納税者の預金口座から納税額分の預金額が引かれると同時に、銀行の日銀当座預金から政府の日銀当座預金へ納税額分の準備預金が移動します。
このとき銀行の純金融資産は変化しません。
(銀行の負債となる銀行預金と資産となる日銀当座預金で相殺されます。)
銀行は、納税者と政府の仲介者となるわけです。
納税者は納税に使ったっ通貨、つまり国定通貨を他の目的に使用することが出来ます。
政府硬貨や日本銀行券を使って、国内で買い物をすることが出来ますし、住宅ローンなどの民間債務の支払いに充てることも出来ます。
民間企業同士の取引に使うことも出来ます。
使用せずに貯金しておくことも可能です。
ですが、国定通貨のこのような使用法はあくまで派生的なもので、本来は政府への納税のためでした。
民間から政府への納税に先立って、政府は国定納税通貨を民間に供給する必要があります。
先に民間に供給しておかなければ、民間は国定納税通貨を取得できないからです。
国定納税通貨の供給手段には、政府支出や買いオペなどがあります。
政府は税金その他の政府への支払いが、政府自身が発行した通貨で行われる場合、この通貨での支払いを拒むことは出来ません。
自身で発行した借用書に対して対価(納税などの支払い義務の解除)を支払えないということは、デフォルトになってしまうからです。
これは民間からすると、国定納税通貨は政府への支払いとして確実に受領される通貨として保証されることになります。
このことが、民間が国定納税通貨を保有し流通する最大の動機になります。
このように、通貨に確実な使い途があることを、MMTでは通貨の「最終需要」と呼びます。
後述しますが、「最終需要」はどの通貨にも存在し、通貨ごとにその中身は異なります。
国定納税通貨には、「租税」という「強制力を伴った」確実な「最終需要」があるが故に、その国の主流の通貨として流通するのです。
以上が「租税貨幣論」の概論になります。
おまけとして、「租税貨幣論」と関係が深い「債務ピラミッド」という考え方にも簡単に触れておきます。
「債務ピラミッド」には現状いろんな表現(「債務ヒエラルキー」「決済ヒエラルキー」など)がありますが、これらは全て同一の概念です。
前回のコラムでも最後に触れましたが
レイの師であるハイマン・ミンスキーは「誰でもお金は発行できる」「問題は受け入れられるかどうかだ」と言いました。
前回のコラムで説明した通り、通貨とは負債であり、負債とは数値化した義務です。
そして義務は、きっかけさえあれば、誰もが他人に負わせることが出来ます。
しかし債務者はその義務を無視することが可能です。
したがって、債務者にとってその義務を履行するメリットや、その義務を無視したときのデメリットがあれば、債務者がその義務を履行する動機になります。
「租税貨幣論」では納税しなかった時の罰が、債務者が納税義務を履行する動機になりました。
義務を履行するメリットや義務を無視したときのデメリットが、その通貨の「最終需要」となります。
通貨には色々な種類がありますが、その通貨が流通するか(通貨の受け入れやすさ)は「最終需要」によって決まります。
これはヒエラルキー構造を成しており、これを説明するのが「債務ピラミッド」になります。
「債務ピラミッド」の構成
「債務ピラミッド」は以下のような構成でなりたっています。
頂点には統合政府が発行する通貨(「日本銀行券」「日銀当座預金」等)があります。(政府のIOU)
頂点から二番目には銀行通貨(銀行預金など)が位置します。(銀行のIOU)
三番目には銀行以外の金融機関の発行する通貨、負債。(金融機関のIOU)
そしてその下に、会社等が発行する手形などが位置します。(会社のIOU)
底辺は個人が発行する借用書です。(個人のIOU)
統合政府が発行する通貨がピラミッドの頂点にあるのは、前述した通り、「租税」という「強制力を伴った」確実な「最終需要」があるためです。
その国の殆どの場所で決済できるので、その国の主流の通貨としてとして流通します。
対して、底辺の個人が発行する借用書は確実な「最終需要」が殆どないため、通貨としてはとても狭い範囲でしか流通しません。
「債務ピラミッド」には、下位の負債を上位の通貨で必ず決済できるという特徴があります。
まず、銀行による貸付は「日本銀行券」で決済することが出来ます。
銀行以外の金融機関の負債は「日本銀行券」や「銀行通貨」で決済することが出来ます。
手形も「日本銀行券」や「銀行通貨」、銀行以外の金融機関が発行する通貨で決済することが出来ます。
とは言え、ピラミッドの低い位置の負債への決済は、普通、銀行のIOUを使用します。
そして銀行は、政府のIOU(日銀当座預金)を使用して、自分のIOUを精算します。
ここでも銀行は、債務者と債権者の仲介者となるわけです。
もちろん銀行の純金融資産は変化しません。
その逆、上位の負債を下位の通貨で決済すること、は納税の例のように可能ではありますが、以下で示すように必ず決済できるとは保証できません。
Tポイントのようなポイントや電子マネー、暗号通貨も債務ピラミッドのどこかに位置します。
どこに位置するかはその通貨の信用度、言い換えると「最終需要」の確実さによって決まります。
例えば暗号通貨は、どこかの国の債務ピラミッド上位の通貨に交換できるだろうという「信頼」が「最終需要」となるため、ピラミッドの比較的低い位置になります。
上位ヒエラルキーの通貨に交換できるという「信頼」がなくなると、その暗号通貨の価値は暴落します。
したがって、現状の暗号通貨が主流の通貨に取って代わるということは有り得ません。
(暗号通貨に現状以上の「最終需要」が与えられると話は変わってきます。)
最後の個人が発行する借用書ですが、「現代貨幣論」では思考実験として「家族通貨」という通貨を考察しています。
親が子供に家の仕事をさせることで、子供に家族通貨を支払います。
ここで親は子供に納税義務を課します。家族通貨を子供から徴収するのです。
もし納税されなかった場合に罰を与えるとすると、子供は一生懸命働くでしょう。
これは政府と民間の関係と同じであることがわかります。
以上が「債務ピラミッド」の概要です。
次回は、本丸「MMT」とは何ぞや?の解説になります。
追記
「租税貨幣論」で注意すべきことがいくつかあります。
まず、「増税すると経済が拡大する」と言う理論ではないことです。
「租税貨幣論」はあくまで、納税の機能がしっかり働いていれば貨幣が流通する、という話です。
課税額の大小の話ではないのです。
また、「納税の機能がしっかり働かない場合はどうなるの」という疑問が出てくるかと思います。
発展途上国では、脱税や納税回避が横行しており、納税の機能がしっかり働いていません。
ギリシャもその典型です。
そうなると、「高い財政赤字の割に高インフレを招く」ことになります。
通貨が政府に回収されないと生産物の供給量以上に民間に通貨がダブつき、高インフレになります。
現在の日本とは真逆の状態です。
高インフレの状態では、公共事業や防衛装備などの購入はさらなるインフレの上昇を招き、結果として、財政出動による経済発展は困難になります。
このことをMMTでは「国内政策空間」の余地が減少する、と言います。
納税の機能がしっかり働かないと、経済成長を目指す政府にとっては「八方塞がり」になります。
(了)
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12439405717.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1750.html#c4
1. 中川隆[-14080] koaQ7Jey 2022年1月24日 11:23:10 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[36]
貨幣負債論(信用貨幣論)について
2019年01月29日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12436111979.html
今回のコラムでは「貨幣負債論(信用貨幣論)」について解説します。
今回のコラムの発端は、「進撃の庶民」様のコメント欄における論争で「貨幣負債論」「租税貨幣論」「MMT」の特徴解説を依頼されたことになります。
今回はその第一弾として「貨幣負債論(信用貨幣論)」を、中野剛志『富国と強兵』、デヴィッド・グレーバー『負債論』、フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』から紹介します。
ではまず「貨幣負債論(信用貨幣論)」とは一体何なのでしょうか?
『富国と強兵』では、イングランド銀行の機関紙(2014年春号)に掲載された解説記事『現代経済における貨幣:入門』から次のように引用しています。
「今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済において受け入れた特殊な負債である。」
この引用から筆者は
「貨幣を一種の負債とみなす貨幣観を『信用貨幣論』と言う。」と定義しています。
この「負債」と「信用」とはどういった関係なのでしょうか?
『富国と強兵』ではこの答えを簡潔にまとめています。
「『負債』とは、言うまでもなく『信用』の対概念であり、AのBに対する負債は、BのAに対する信用である」
本書では更に続けて、学者の言葉を引用しています。
ケインズに影響を与えたA・ミッチェル・イネス:
「貨幣とは信用であり、信用以外の何物でもない。Aの貨幣はBのAに対する負債であり、Bが負債を支払えば、Aの貨幣は消滅する。これが貨幣の理論の全てである。」
社会学者ジェフェリー・インガム:
貨幣とは「計算貨幣の単位によって示された信用と負債の社会関係。」
こうして本書では「貨幣が負債の一形式であるというのは以上のような意味においてである。あらゆる貨幣が負債なのである。」と結論しています。
では、そもそも、「負債」、「信用」とは何なのでしょうか?
まず「負債」について見ていきましょう。
『負債論』では、まず「義務」と「負債」の違いを確認し、そこから「負債」を定義づけ、「信用」や「貨幣」との関連を示唆しています。
「ただの義務、すなわちあるやり方でふるまわなければならないという感覚、あるいは誰かに何かを負っている[借りがある]という感覚、それとの負債との違いは正確に言えばなんであろうか?」
「負債と義務の違いは、負債が厳密に数量化できることである。このことが貨幣を要請するのである。」
「貨幣とは負債はまったく同時に登場している。」
人類最初期の文書であるメソポタミアの銘板に「記録されていたのは、信用による貸借、神殿による支給の配分、神殿領地の地代、穀物と銀それぞれの価格などである。おなじく、モラル哲学の最初期の文章のいくつかは、モラルを負債として想像すること、つまりそれを貨幣という観点から想像することが何を意味するのか、についての考察である。」
「したがって、負債の歴史とは必然的に貨幣の歴史なのである。」
まとめると、「負債」とはすなわち「数量化した義務」であり、歴史上、「貨幣」と同時に登場した、ということになります。
「このことが貨幣を要請する」とはどういう意味でしょうか?
単純に解釈すると、負債という存在があったから貨幣が必要になった、となります。
負債という概念が先にあるのです。貨幣はその後すぐに誕生したということになります。
この『負債論』での「負債」の説明は、『富国と強兵』で引用されたイングランド銀行の機関紙の説明
「今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済において受け入れた特殊な負債である。」
と同じです。
なお、「貨幣が負債である」というのは、貨幣の発行者から貨幣を見たときの記述です。
貨幣の保有者から見ると「貨幣は債権(資産)」になります。
この「貨幣は発行者にとって負債で、保有者にとっては資産」というのは、MMTにおいては定義になっています。
次に「信用」とは何なのでしょうか?
『富国と強兵』では負債について、以下の指摘をしています。
「負債とは、現在と将来という異時点間の取引によって生じるものであるが、将来は不確実であるから、負債はデフォルト(債務不履行)の可能性を伴う。」
「信用」とは「負債」の将来のデフォルトの可能性を勘案して決断されます。
このお客なら将来ちゃんとお金を払ってくれるだろうと。
この将来は一時間後でも構いませんし、数日、数ヶ月、数年でも構いません。
実際、わたしたちは、料理店で提供された料理を食べた後に、決済しています。
これはお店がわたしたちを信用して料理を提供し、わたしたちは発生した負債を食べた後に決済します。
また、お店と客の信頼関係によっては、ツケ払い、つまり将来のいつかの時点での決済、を許可している場合もあります。
食事に限らず、実際の財・サービスの交換には時間差があります。
例えば家のローンなどは、購入から返済までに数十年単位でかかります。
この時間差が生む不確実性を容認するのが「信用」なのです。
『富国と強兵』では、イングランド銀行の解説からこのように引用しています。
「貨幣は、この信頼の欠如という問題を解決する社会制度である。」
「負債」と「信用」の意味、そして貨幣との関係はこれで判りました。
次に、「貨幣が負債である」ことの正しさを、以下の2つの観点から確認します。
@会計上正しいこと
A歴史的に見ても正しいこと
@会計上正しいこと
これは実在する貨幣発行者のバランスシート(貸借対照表)を見れば、すぐにわかります。
わが国の国定貨幣である日本銀行券は日本銀行によって発行されていますので、日本銀行のHPからバランスシートを探してみましょう。
以下のPDFは、日本銀行のHPに掲載されている、2018年度の日本銀行の財務諸表になります。
https://www.boj.or.jp/about/account/data/zai1805a.pdf
このPDFに貸借対照表が掲載されており、その負債の部の先頭に「発行銀行券」と記載されています。
日本銀行の「発行銀行券」といえば「日本銀行券」のことです。
なお、資産の部にも「現金」とありますが、その額は「発行銀行券」よりずっと少ないため、自ら発行した日本銀行券を回収して保有している、と解釈することができます。(これは誤りです。詳細はコメント欄で。)
まとめますと、日本銀行から見ると発行した「日本銀行券」は紛れもなく「負債」であり、日本銀行自身が「日本銀行券」を持つと「資産」ということになります。
(勿論これは相殺が可能ですが、相殺が必然というわけではありません。)
しかしこれだけでは、会計学上で(発行者にとって)貨幣を負債としていることは解っても、それ(貨幣を負債とする)が妥当なのかまでは判りません。
この妥当性をAで検討していきましょう。
A歴史的に見ても正しいこと
歴史学上、貨幣がどの年代に発見されたか?
これは古代メソポタミアです。
そしてこの古代メソポタミアでは、既に信用取引が一般的な決済方法でした。
例えば、彼ら古代メソポタミアの民は、居酒屋の支払いを毎回ツケ払いしていました。
居酒屋のオーナーからすると、お客を相当「信用」しないとできない行為です。
そして飲んだ客は、膨らんだ「負債」を後でまとめて、自分で収穫した農産物などで払う、というような行為が一般的であったようです。
古代メソポタミアから発掘された銘板にはこうした信用取引の記録が大量に残されています。
そして将来の支払い義務が記された銘板は、貨幣として流通していました。
(この銘板の持ち主に誰々がどれだけの支払い義務を負っているか、が記された銘板です。)
つまり、この銘板を保有するということは、銘板に記載されている支払額と同額の資産を保有するということになります。
これは現代で言えば、企業の発行する約束手形が流通するようなものです。
まさに、古代メソポタミアでは負債としての貨幣が流通していた、ということになります。
『21世紀の貨幣論』には、古代メソポタミアでは「現存する証拠資料の示すところであれば、ほとんどの取引が信用(クレジット)を基盤としていた。」と記載されています。
一般的な経済学では、物々交換経済→貨幣経済→信用経済へと発展していったと記述されていますが、人類学者の長年に渡る調査によると「物々交換経済から貨幣に発展した例は、いかなる社会にも見当たらなかった」そうです。
物々交換は部族と部族の間の取引のように、信用できるかわからない相手との取引など、限定的には見られたそうですが、決して主流にはなりませんでした。
人類学者が調査した社会の中には、古代メソポタミアのように最初から信用取引が発達していた社会が有りました。
例えば、有名なヤップ島の話です。
ヤップ島では発見当時、主要な生産物が3つ(魚、ヤシの実、唯一の贅沢品であるナマコ)しかありませんでした。あとは家畜にブタがいる程度です。
物々交換をするのにこれ以上最適な社会を探し出すのは難しいでしょう。
しかし、彼らはフェイという代用貨幣(トークン)を使って、現代的な信用取引をしていました。
『21世紀の貨幣論』から引用してみましょう。
「ヤップの島民は魚、ヤシの実、ブタ、ナマコの取引から発生する債権と債務を帳簿につけていった。債権と債務は互いに相殺して決済をする。決済は一回の取引ごと、あるいは1日の終わり、一週間の終わりなどに行われる。決済後に残った差額は繰り越され、取引の相手が望めば、その価値に等しい通貨、つまりフェイを交換して決済される。」
これは実に現代的な信用経済です。
実際、今の日本にもこれと同様のシステムが存在しています。
日本の金融機関が日銀を介して行っている、即時グロス決済と時点ネット決済です。
一回の取引ごとに行われる決済が即時グロス決済、ある時点で行われる相殺決済が時点ネット決済です。
ヤップ島では決済後に残った差額はフェイを交換しますが、これは日本では決済後の銀行間での日銀当座預金の残高の移動に相当します。
また、このフェイの交換というのも、あくまで「所有権の交換」であって「所有の交換」ではなかったそうです。
そのため、既に所有権が移ったフェイが相手に渡されること無く、今までどおり庭に置かれているという状態でした。
実際にフェイを所有する必要はないのです。
そのため、かつて海に沈んだフェイが、現在は誰も見たこともないのにその存在を信じられており、これも財産として数えられていました。
これがフェイが代用貨幣(トークン)である所以です。
「ヤップ島のマネーはフェイではなく、その根底にある、債権と債務を管理しやすくするための信用取引・清算システムだったのだ。」
と、『21世紀の貨幣論』には記載されています。
人類学者が調べたのは、古代メソポタミアやヤップ島だけではありません。
様々な時期の様々な社会を調べました。
長年の調査の結果に対する人類学者や一部の経済学者の同じようなコメントが、『21世紀の貨幣論』に長々と記載されていますが、その結論部を抜き出します。
「21世紀初めには、実証的証拠に関心を持つ学者の間で、物々交換から貨幣が生まれたという従来の考え方はまちがっているというコンセンサスができあがっていた。経済学の世界ではこれは珍しいことである。人類学者のデビッド・グレーバーは2011年に(引用者注:2011年は『負債論』のこと)次のように冷ややかに説明している。
『そうしたことが起きたという証拠は一つもなく、そうしたことが起きなかったことを示唆する証拠は山ほどある。』」
貨幣は物々交換から生まれたものではありませんでした。
そうすると、貨幣は何から生まれたのでしょう?
言うまでもなく負債と信用の関係から貨幣は生まれたのです。
最後にハイマン・ミンスキー(師はシュンペーターとレオンチェフ、MMTerのランダル・レイは弟子)の言葉でこの記事を締めくくります。
「誰でも貨幣を創造できる。」「問題は、その貨幣を受け入れさせることにある。」
これは「誰でも負債(借用証書)を創造できる」「問題は、その負債(借用証書)を受け入れさせることにある。」と言い換えることができます。
本当に誰でも貨幣(借用証書)を作れるのかというと、企業は手形という借用証書を発行できます。
また、個人でも小切手という借用証書を発行することができます。
『21世紀の貨幣論』には2001年のアルゼンチンでの金融危機で実際に起ったことが記載されています。
政府は銀行システムの流動性を維持するために、銀行預金の引き出しを厳しく制限しました。
お金が突然なくなるという緊急事態において、代替貨幣(トークン)が自然発生的に生まれました。
州や市はもちろん、スーパーマーケットチェーンまでが独自の借用書を発行し始め、借用書はまたたく間に通貨として流通するようになりました。
このように本当に「誰でも貨幣を創造できる」のです。
では「誰でも貨幣を創造できる」のなら、なぜ、国定貨幣がその国内の最大の主流通貨として流通しているのでしょうか?
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12436111979.html
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内生的貨幣供給の功罪
2019年02月26日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12442794398.html
今回のコラムはMMTを解説する予定でしたが、その前に「内生的貨幣供給論」の解説を行います。
(「内生的貨幣供給論」はMMTの基盤の一つとなっています。)
「内生的貨幣論」はMMTだけでなく、ポスト・ケインジアンの中で広く論じられている理論です。
今回は、内藤敦之「内生的貨幣供給理論の再構築―ポスト・ケインズ派の貨幣・信用アプローチ」から、「内生的貨幣論」を紹介します。
(なおこの本は、L..ランダル・レイの議論の紹介が多く、MMT/現代貨幣論という言葉こそ出ていませんが、表券主義という言葉でJGPを含むレイの現代貨幣論の一部を解説しています。)
「内生的貨幣供給論」とは何か?
簡単に言えば「需要に応じて貨幣が供給されるという考え方を軸に、貨幣経済の姿を描く理論」です。
現代の内生的貨幣供給論には主に3つの派閥があります。
・ホリゾンタリズム(カルドア、ムーアなど)
・ストラクチュラリズム(レイ、ポーリンなど)
・サーキュレイショニスト(ブールヴァ、ラヴォワ、ロションなど)
ここではこの3つの派閥の説明は、議論が細かくなりすぎるため行いません。
なお、現代的な内生的貨幣供給論は、カルドアに始まる、とされています。
「内生的貨幣供給論」と対立する概念に「外生的貨幣供給論」があります。
この両者の違いを見ていきましょう。
そもそも貨幣供給が内生的、外生的とはどういった意味なのでしょう?
貨幣供給が内生的というのは、「銀行と民間という経済の『内部』の貸借で『貨幣(銀行貨幣)が生まれる』」、というものです。反対に貨幣供給が外生的というのは、「銀行と民間という経済の『外部』である中央銀行が『貨幣を生み』、それを銀行と民間の内部に供給する」、というものになります。
「内生的貨幣供給論」vs「外生的貨幣供給論」
内生的貨幣供給、外生的貨幣供給という概念自体は20世紀以前の古典派の時代から存在しています。
銀行学派が内生的貨幣供給を、通貨学派が外生的貨幣供給をそれぞれ主張し、対立していました。
もう少し詳しく両者の理論を見てみましょう。
「内生的貨幣供給論」は「銀行の貸出ありき」です。
銀行が民間に貸出を行った結果、預金(マネーストック)が創造されます。そして民間が銀行から借入れた預金を返済すると、預金(マネーストック)は消滅します。
銀行は貸出を行って預金を創造した後、預金額に応じた一定の額を中央銀行の当座預金に預けること(準備預金制度)が義務付けられてます。私の準備預金についてのコラムでも解説した通り、準備預金は貸出の後で銀行が用意すると想定されています。銀行は、保有現金か、インターバンク市場から掻き集めるか、中央銀行に借入れすることで、準備預金を用意します。すなわち、貸出(マネーストック)の増加に応じて、受動的に準備預金(ベースマネー)を用意することになります。このときの準備率やインターバンク市場の金利や借入れの利子率は中央銀行により「外生的」に決定されます。
なお、「内生的貨幣供給論」は「信用貨幣説」と密接な関係があります。
(「信用貨幣説」については以前のコラムで解説しました。)
信用貨幣論では貨幣供給は内生的となるため、中央銀行は貨幣量を直接操作することは出来ません。
一方、「外生的貨幣供給論」は、「中央銀行の意志ありき」です。
中央銀行が銀行に、買いオペや貸出などで銀行の準備預金を供給すると、銀行はそれに応じて民間への貸出を拡大できます。そして売りオペや貸出の返済などで準備預金を削減すると、銀行は貸出を縮小します。すなわち、中央銀行がベースマネーの量を制御することによって、マネーストックの量をも制御できるという理論です。(もっと簡単に言えばベースマネーの量とマネーストックの量は比例するため、ベースマネーの量を制御することでベースマネーの量を決めることができる。)
なお、「外生的貨幣供給論」は「商品貨幣説」と密接な関係があります。
(貨幣の供給が商品と同様に、供給者が外生的に制御可能と考えるためです。)
なぜ量的緩和(QE)は目標達成できなかったか?
これは内生的貨幣供給論から簡単にわかるでしょう。
内生的貨幣供給論によれば、中央銀行は貨幣(マネーストック)の量を直接制御できないからです。
日本で量的緩和が行われる以前、マネーストックを巡って、岩田規久男ら経済学者と翁邦雄ら日銀職員との間で論争が有りました、
翁邦雄らの理論は日銀理論と呼ばれるもので、これは「日銀はマネーストックの量を制御できない」という「内生的貨幣供給論」と同様の理論と言えます。
「内生的貨幣供給論」は、「馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」という比喩で表現されることもあります。
内生的貨幣供給の功罪
内生的貨幣供給のもとでは、銀行はアニマル・スピリッツを発揮し、企業に融資を行います。
企業側からみると、企業はアニマル・スピリッツを発揮して投資を決意、投資計画を作成した上で、銀行へ借入れを申し込みます。この投資計画では、銀行貸出の利子率を上回る利潤を獲得することが必要になります。
こうして銀行から貸出を受けて始めて、貨幣が銀行貨幣(銀行預金)として創造されます。
企業は投資計画に従って投資し、生産を拡大していきます。
こうしたアニマル・スピリッツの発揮による預金の創造と投資・生産の拡大は、資本主義が爆発的に発展した理由のひとつとして挙げられています。
これが内生的貨幣供給の「功」の部分になります。
内生的貨幣供給の「罪」の部分は、金融が不安定になることです。
経済が調子の良いとき、銀行はリスクを過小に見積もり貸出することがあります。(マネーストック増加)
ここで何らかのショックが起きたとき、そのリスクは拡大します。
それに反応して投資家らが資産を売却し、資産の価値が暴落していきます。
そうなると、投資家や銀行が債務超過になり、破綻に追い込まれてしまいます。
これがいわゆる金融危機であり、ハイマン・ミンスキーの唱えた「金融不安定仮説」です。
(金融危機を説明するハイマン・ミンスキーの「金融不安定仮説」はストラクチュラリズムに大きな影響を与えています。)
こうした金融危機に対して、銀行の預金準備率を100%にすることで銀行の貸出を抑制して金融危機を防ぐ、「ナローバンク構想」が持ち出されています。
しかし、これは先に述べた、企業と銀行のアニマルスピリッツの発揮を抑制するものです。
資本主義の成長も抑制されることになるでしょう。
内生的貨幣供給と国債発行
最後に、「内生的貨幣供給論」と国債発行の関係の解説をしたいと思います。
ここでは、建部正義「国債問題と内生的貨幣供給理論」の議論を紹介します。
(なお、ここで議論する国債はすべて自国通貨建ての国債になります。)
政府が新規国債を発行して財政支出を行う場合、次のステップを踏むことになります。
@銀行が新規国債を購入すると、銀行保有の日銀当座預金が、政府が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる
A政府は、たとえば公共事業の発注にあたり、請負企業に政府小切手によってその代金を支払う
B企業は、政府小切手を自己の取引銀行に持ち込み、代金の取立を依頼する
C 取立を依頼された銀行は、それに相当する金額を企業の口座に記帳する(ここで新たな民間預金が生まれる)と同時に,代金の取立を日本銀行に依頼する
D この結果、政府保有の日銀当座預金(これは国債の銀行への売却によって入手されたものである)が、銀行が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる
この後、銀行は戻ってきた日銀当座預金でふたたび政府の新規国債を購入することができます。
このループを図にしたものが下図になります。(中野剛志氏が作成した図になります。)
一般通念とは逆に、銀行は民間からの預金で国債を購入するわけではありません。銀行は政府の発行した国債を購入することで、預金が生み出されます。「預金を資金源として国債発行する」のではなく「国債発行で預金が生まれる」のです。
それ故、「内生的貨幣供給論」の立場では国債発行量に資金的限界はありません。
政府は財源を気にせず国債を発行でき、銀行はいくらでもそれを購入することができるのです。
(実際には国債発行を大量に行うと、需要と供給の関係が崩れインフレ率が向上していきます。)
このことは今の日本のようなデフレ経済にとって大きな利点と言えるでしょう。
以上で「内生的貨幣供給論」の解説を終わります。
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12442794398.html
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日本の準備預金制度について
2019年01月18日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12433564528.html
このブログは誤解されがちな思想を解説するブログになります。
記念すべき初回の記事は、某所で話題?になっている準備預金制度の解説となります。
============================================================================
準備預金制度は、一般的に、銀行が預金者の引出しに応じるため中央銀行(日本では日銀)にお金を預けておく制度と理解されています。
が、しかし、日本の準備預金制度の詳細は、ほとんど解説されることがないため、あまり知られていません。
日本銀行や市中銀行に関する書籍でも、数行触れられていればラッキーという有様です。
そこで今回は、あまり知られていない日本の準備預金制度の解説をします。
日本における準備預金制度は、1957年に「準備預金制度に関する法律」という法律で施行されました。
以下のサイトに法律原文が記載されていますが、書かれていることが難しく、一般人にはイマイチわかりません。
日本銀行も解りにくいと思ったのか、この法律の解説記事を出しています。
http://www3.boj.or.jp/josa/past_release/chosa195706i.pdf
今回の解説は、この日銀の解説記事の要点を掻い摘む形で、日本の準備預金制度を紹介していきます。
@法律の目的
準備預金制度は各国で施行されていますが、その目的は大きく2つあります。
『預金者保護』と『通貨調節手段』です。
『預金者保護』というのは、預金者の引出しに応じるための支払準備金を中央銀行に強制的に預け入れさせる、というものです。
もう一方の『通貨調節手段』は、後述する「準備率」を上下させることで、銀行の信用創造機能を通して、市場での資金需給を調整する、というものです。
準備預金制度は歴史的には『預金者保護』として生まれましたが、
諸外国では『通貨調節手段』として準備預金制度を設けている国が多く、
『預金者保護』と『通貨調節手段』の両方を目的としている国も存在するようです。
日本ではどうかというと、準備預金制度を『通貨調節手段』を目的として整備しました。
『預金者保護』が目的ではないのです。
実際、法律の目的が記されている第1条にも「通貨調節手段としての準備預金制度」と記載されています。
そのため、制度の名前も、『預金者保護』を意味する「支払準備制度」という名前を避け、「準備預金制度」という名前になっています。
ただし、現在は、日本含め世界各国で『通貨調節手段』の意味合いは薄くなっています。
短期金融市場を通して通貨調節をするようになっていったためです。
A日銀当座預金
中央銀行の当座預金口座とは、市中銀行などの金融機関や政府が日本銀行に開設が義務付けられている口座のことです。
当座預金なので基本的には無利子になります。
銀行が日銀当座預金口座から引き出すと、同額の現金、つまり日本銀行券が銀行に供給されます。
この日本銀行券の供給は、発券とも言われています。
これは日本銀行券は、日銀の外に出ることで初めて、紙幣に記載されている額の価値を持つからです。日銀の中にいる間は、日本銀行券は価値を持ちません。複雑な偽造防止処理を施されたただの紙切れです。
ちなみに、日銀当座預金と日本銀行券を合わせて「ベースマネー」と呼ばれています。
さて、この日銀当座預金には3つの役割があるとされています。
(1)金融機関が他の金融機関・日本銀行・国と取引を行う際の「決済手段」
(2)金融機関が個人や企業などの顧客に支払う現金通貨の「支払準備」
(3)準備預金制度の対象となっている金融機関の「準備預金」
準備預金制度は、(3)の市中銀行などの特定の金融機関が日銀当座預金へ一定金額預ければならない制度、ということになります。
この一定金額、つまり日銀に預け入れる最低金額のことを、「法定準備預金額」「所要準備額」と呼び、実際に預け入れている金額を「準備預金」と呼びます。
B準備率
市中銀行等の金融機関が預金額の「一定比率」以上の金額を日銀当座預金に預け入れるというのが準備預金制度ですが、この比率が「準備率」「法定準備率」「預金準備率」です。
この法律において、準備率の最高限度は10%であり、これを越えることはできないとされています。
その一方で、準備率の最低限度は定められていません。先述したように、準備率の最低限度は『預金者保護』の意味を持つものと考えられるものだからです。
現在の準備率は1991年に設定されたもので、0.05%〜1.3%となります。
(金融機関の種類や預金等の種類によって数値が変わります。
定期預金など安定的な預金に対しては数値が低く設定されています。)
具体的な数値は日銀のHPに記載されています。
https://www.boj.or.jp/statistics/boj/other/reservereq/junbi.htm/
C準備預金の二つの期問
さて、準備預金の金額はどのように計算されているのでしょう。
実は、準備預金を計算するには二つの計算期問があります。
1つ目の計算期間は、準備預金額を計算する期間です。
ある月(仮に1月とします)の毎日の終業時における預金残高に、その時の準備率をかけた額の合計をその月の日数で割ります。つまり、毎日の預金残高×準備率の平均です。
2つ目の計算期間は、預け金額の計算期間、つまり、1つ目の計算で得られた金額を維持しなければならない期間です。
この期間は当月(1月)の16日から1ヶ月間(2月15日)とされています。
ただし、毎日この準備金を厳格に維持する必要はなく、16日からの1か月間の平均額として充たされていれば良い、とされています。
上述の説明は日銀の紹介記事に解りやすい図があるので、下図にこれを掲載します。
D預け金の額が不足した場合の措置
市中銀行が預け金額を維持できなくても、即座に法律違反になるわけではありません。
ちゃんと救済措置が用意されています。
この場合、市中銀行は、不足額に対し一定比率をかけた金額を期日(3月15日)までに日銀に納めればよいのです。日銀はこの金額を期日(4月15日)までに納めます。
これまた、日銀の紹介記事に解りやすい図があるので、下図にこれを掲載します。
まとめ
3行でまとめます。
・日本の準備預金制度は『預金者保護』ではなく『通貨調節手段』。
・銀行は預金額に準備率(現在は1%前後)をかけた金額を、後日の指定された期日の間(その月の半月後から1ヶ月間)、日銀当座預金に預けなければならない。
・たとえ準備金が維持できなくても、救済措置が用意されている。
これで日本の準備預金制度の解説は以上になります。
読者様にとって、少しでもためになる知識になれば幸いです。
(了)
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12433564528.html
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「租税貨幣論」概論
2019年02月12日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12439405717.html
今回のコラムは「租税貨幣論」と「債務ヒエラルキー」の解説になります。
前回の「貨幣負債論(信用貨幣論)」と同様、「進撃の庶民」様のコメント欄における論争で「貨幣負債論」「租税貨幣論」「MMT」の特徴解説を依頼されたことが今回のコラムの発端となります。
それでは、前回に引き続く第二弾、「租税貨幣論」(とおまけで「債務ヒエラルキー」)を、MMTの入門書である、L.ランダル・レイの「現代貨幣論」から紹介します。
「租税貨幣論」とは、税の存在こそが国定通貨を流通させるという理論です。
一般的には、税金には4つの機能があるとされています。
@公共サービスの費用調達機能
A所得の再分配機能
B経済への阻害効果
C景気の調整機能
今回はこのどれにも触れません。
(次回のMMTの解説では、このうちのいくつかについて触れることになります。)
つまり一般的に言われている税の機能以外にも、税には特別な機能がある、というのが「租税貨幣論」の主張になります。
不換通貨の流通
人類は、歴史を遡ると、金、銀、銅といった貴金属を通貨にしていました。
数十年前までの金本位制の時代には、貴金属ではなく紙幣を通貨にしていましたが、その通貨には「ゴールド」という貴金属の裏付けがありました。
その時代の通貨は、「貴金属」という人類史上その価値が高水準で推移してきた「モノ」に交換することが出来ました。
また現在でも「ドルペッグ」といった、特定の通貨に固定(裏付け)された通貨があります。
しかし、日本を含む先進国の通貨は、このような裏付けのない「不換通貨」が主流です。
しかも、「不換通貨」には貴金属のような内在的な価値はありません。
しかし現実に、貴金属による裏付けも内在的価値もない「不換通貨」で商取引が行われています。
コンビニやスーパーでの買い物も「不換通貨」で支払うことが一般的です。
最近ではキャッシュレスで「紙幣」や「硬貨」を使う人々が少なくなりつつありますが、このようなキャッシュレスも「不換通貨」に裏付けられています。(Tポイントなどの通貨での支払いについては後述します。)
なぜ裏付けのない通貨が流通するのでしょう?
この疑問に対する一つの回答として、「法律で決まっているから」というものがあります。
しかし、歴史的には、法律で通貨の種類を決めても、民間においてその通貨での支払いを拒否されることはもちろん、政府への支払いを拒否する例があったそうです。
これでは、「法律で決まっているから」、というのは回答になりそうにありません。
もう一つの回答として、「信頼」- 誰かしらがそれを受け取るという期待 - があります。
あなたは、他の人がその通貨を受け入れるだろうということを知っているので、あなたはあなたの国の通貨を受け入れるだろうという理屈です。
しかしこれは、哲学で言うところの無限後退にあたります。
確かに、通貨の流通は確かに「信頼」で成り立っている部分があります。
しかし、それだけでは、裏付けのない通貨がその国の主流の通貨として流通しているという現状を十分に説明できません。
それでは一体何が主流の通貨となる決め手なのでしょう?
税が貨幣を駆動する
「税金その他の政府への支払い義務」
以下では簡単のために、政府と呼ぶときは、特別な断りがない限り、統合政府のことを指します。
政府は、「どの通貨で、納税およびその他の政府への支払いができるのか」を決めることが出来ます。
その他の政府への支払いというのは、罰金や手数料といったものを指します。
ここで政府は、政府自身が発行する通貨(「日本銀行券」や「日銀当座預金」、「硬貨」など)を「納税に使用できる通貨」に指定できます。
このような通貨を、以下では「国定納税通貨」と呼ぶことにします。
なお、「国定納税通貨」は私の造語です。(レイ「現代貨幣理論」に適当な言葉がなかったためです。)
税金の未払いには罰則があります。
政府がこの罰則を確実に執行する力を持っていれば、
民間はこの罰則を回避するために、指定された通貨を取得して納税に使う必要があります。
つまり、政府は納税義務を民間に課すことができ、義務の不履行に対する罰を執行できる能力を持っていれば、民間の納税通貨に対する需要が確実になります。
言い換えると、民間には納税義務があるので、「国定納税通貨」に対する貨幣需要が生まれるのです。
納税は税務署でもできますが、大半の納税は銀行経由で行われています。
納税者の預金口座から納税額分の預金額が引かれると同時に、銀行の日銀当座預金から政府の日銀当座預金へ納税額分の準備預金が移動します。
このとき銀行の純金融資産は変化しません。
(銀行の負債となる銀行預金と資産となる日銀当座預金で相殺されます。)
銀行は、納税者と政府の仲介者となるわけです。
納税者は納税に使ったっ通貨、つまり国定通貨を他の目的に使用することが出来ます。
政府硬貨や日本銀行券を使って、国内で買い物をすることが出来ますし、住宅ローンなどの民間債務の支払いに充てることも出来ます。
民間企業同士の取引に使うことも出来ます。
使用せずに貯金しておくことも可能です。
ですが、国定通貨のこのような使用法はあくまで派生的なもので、本来は政府への納税のためでした。
民間から政府への納税に先立って、政府は国定納税通貨を民間に供給する必要があります。
先に民間に供給しておかなければ、民間は国定納税通貨を取得できないからです。
国定納税通貨の供給手段には、政府支出や買いオペなどがあります。
政府は税金その他の政府への支払いが、政府自身が発行した通貨で行われる場合、この通貨での支払いを拒むことは出来ません。
自身で発行した借用書に対して対価(納税などの支払い義務の解除)を支払えないということは、デフォルトになってしまうからです。
これは民間からすると、国定納税通貨は政府への支払いとして確実に受領される通貨として保証されることになります。
このことが、民間が国定納税通貨を保有し流通する最大の動機になります。
このように、通貨に確実な使い途があることを、MMTでは通貨の「最終需要」と呼びます。
後述しますが、「最終需要」はどの通貨にも存在し、通貨ごとにその中身は異なります。
国定納税通貨には、「租税」という「強制力を伴った」確実な「最終需要」があるが故に、その国の主流の通貨として流通するのです。
以上が「租税貨幣論」の概論になります。
おまけとして、「租税貨幣論」と関係が深い「債務ピラミッド」という考え方にも簡単に触れておきます。
「債務ピラミッド」には現状いろんな表現(「債務ヒエラルキー」「決済ヒエラルキー」など)がありますが、これらは全て同一の概念です。
前回のコラムでも最後に触れましたが
レイの師であるハイマン・ミンスキーは「誰でもお金は発行できる」「問題は受け入れられるかどうかだ」と言いました。
前回のコラムで説明した通り、通貨とは負債であり、負債とは数値化した義務です。
そして義務は、きっかけさえあれば、誰もが他人に負わせることが出来ます。
しかし債務者はその義務を無視することが可能です。
したがって、債務者にとってその義務を履行するメリットや、その義務を無視したときのデメリットがあれば、債務者がその義務を履行する動機になります。
「租税貨幣論」では納税しなかった時の罰が、債務者が納税義務を履行する動機になりました。
義務を履行するメリットや義務を無視したときのデメリットが、その通貨の「最終需要」となります。
通貨には色々な種類がありますが、その通貨が流通するか(通貨の受け入れやすさ)は「最終需要」によって決まります。
これはヒエラルキー構造を成しており、これを説明するのが「債務ピラミッド」になります。
「債務ピラミッド」の構成
「債務ピラミッド」は以下のような構成でなりたっています。
頂点には統合政府が発行する通貨(「日本銀行券」「日銀当座預金」等)があります。(政府のIOU)
頂点から二番目には銀行通貨(銀行預金など)が位置します。(銀行のIOU)
三番目には銀行以外の金融機関の発行する通貨、負債。(金融機関のIOU)
そしてその下に、会社等が発行する手形などが位置します。(会社のIOU)
底辺は個人が発行する借用書です。(個人のIOU)
統合政府が発行する通貨がピラミッドの頂点にあるのは、前述した通り、「租税」という「強制力を伴った」確実な「最終需要」があるためです。
その国の殆どの場所で決済できるので、その国の主流の通貨としてとして流通します。
対して、底辺の個人が発行する借用書は確実な「最終需要」が殆どないため、通貨としてはとても狭い範囲でしか流通しません。
「債務ピラミッド」には、下位の負債を上位の通貨で必ず決済できるという特徴があります。
まず、銀行による貸付は「日本銀行券」で決済することが出来ます。
銀行以外の金融機関の負債は「日本銀行券」や「銀行通貨」で決済することが出来ます。
手形も「日本銀行券」や「銀行通貨」、銀行以外の金融機関が発行する通貨で決済することが出来ます。
とは言え、ピラミッドの低い位置の負債への決済は、普通、銀行のIOUを使用します。
そして銀行は、政府のIOU(日銀当座預金)を使用して、自分のIOUを精算します。
ここでも銀行は、債務者と債権者の仲介者となるわけです。
もちろん銀行の純金融資産は変化しません。
その逆、上位の負債を下位の通貨で決済すること、は納税の例のように可能ではありますが、以下で示すように必ず決済できるとは保証できません。
Tポイントのようなポイントや電子マネー、暗号通貨も債務ピラミッドのどこかに位置します。
どこに位置するかはその通貨の信用度、言い換えると「最終需要」の確実さによって決まります。
例えば暗号通貨は、どこかの国の債務ピラミッド上位の通貨に交換できるだろうという「信頼」が「最終需要」となるため、ピラミッドの比較的低い位置になります。
上位ヒエラルキーの通貨に交換できるという「信頼」がなくなると、その暗号通貨の価値は暴落します。
したがって、現状の暗号通貨が主流の通貨に取って代わるということは有り得ません。
(暗号通貨に現状以上の「最終需要」が与えられると話は変わってきます。)
最後の個人が発行する借用書ですが、「現代貨幣論」では思考実験として「家族通貨」という通貨を考察しています。
親が子供に家の仕事をさせることで、子供に家族通貨を支払います。
ここで親は子供に納税義務を課します。家族通貨を子供から徴収するのです。
もし納税されなかった場合に罰を与えるとすると、子供は一生懸命働くでしょう。
これは政府と民間の関係と同じであることがわかります。
以上が「債務ピラミッド」の概要です。
次回は、本丸「MMT」とは何ぞや?の解説になります。
追記
「租税貨幣論」で注意すべきことがいくつかあります。
まず、「増税すると経済が拡大する」と言う理論ではないことです。
「租税貨幣論」はあくまで、納税の機能がしっかり働いていれば貨幣が流通する、という話です。
課税額の大小の話ではないのです。
また、「納税の機能がしっかり働かない場合はどうなるの」という疑問が出てくるかと思います。
発展途上国では、脱税や納税回避が横行しており、納税の機能がしっかり働いていません。
ギリシャもその典型です。
そうなると、「高い財政赤字の割に高インフレを招く」ことになります。
通貨が政府に回収されないと生産物の供給量以上に民間に通貨がダブつき、高インフレになります。
現在の日本とは真逆の状態です。
高インフレの状態では、公共事業や防衛装備などの購入はさらなるインフレの上昇を招き、結果として、財政出動による経済発展は困難になります。
このことをMMTでは「国内政策空間」の余地が減少する、と言います。
納税の機能がしっかり働かないと、経済成長を目指す政府にとっては「八方塞がり」になります。
(了)
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12439405717.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1452.html#c1
47. 2022年1月24日 11:28:24 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[37]
>>46
>アホっぽく見えて掲示板の品位が下がります。
何をやろうが投稿者の自由だよ
政治板や原発板の嘘八百記事よりはマシだ。
そもそも阿修羅掲示板はアホ陰謀論掲示板というレッテルを貼られていて、Google でも youtube でも5ちゃん でも阿修羅へのリンクは貼れなくなっている。
阿修羅より品位が低い掲示板なんか世界中に一つも無いんだよ。
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/630.html#c47
2. 2022年1月24日 11:49:37 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[38]
MMTの源流にして基礎、ゴドリーのSFCモデルとは?
2019年08月13日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12499226242.html
先月(2019年7月)、MMTの提唱者として脚光を浴びているステファニー・ケルトン教授が来日し、日本で2日にわたって講演をしました。
私も2日目の講演に参加しました。(1日目の講演にも応募したのですが、落選しました。)
2日目の講演の様子は、Kestrelさんが記事に纏めてくださっていますので、皆さんご覧ください。(記事には私も登場しています。)
この講演のはじめに、ケルトン教授はMMTの源流となる経済学者を3人紹介しました。
アバ・ラーナー
ハイマン・ミンスキー
ウェイン・ゴドリー
この中で最も知名度が低いのはウェイン・ゴドリー(1926〜2010)でしょう。(Wikipediaでも彼だけ日本語版の記事がありませんし。)講演会場でもケルトン教授が「ゴドリーを知っている人は手を上げて」と言ったのですが、挙手したのは60人いる参加者のうちのたった3人だけでした。
しかしウェイン・ゴドリーのMMTへの寄与は、ラーナーやミンスキーに比肩します。
ゴドリーの経歴は省略しますが、かなり変わった経歴を持つ経済学者です。
イギリス人のゴドリーは渡米後、レヴィ研究所でハイマン・ミンスキーやランダル・レイと出会い、MMTの源流となる理論を生み出しています。
それがSFCモデル(ストック・フロー一貫モデル)です。
SFCモデルはとてもシンプルなモデルです。
「ある経済部門(政府部門/民間部門/海外部門)の黒字(赤字)は、その他の部門の赤字(黒字)である。」というものです。
例えば政府が黒字(赤字)である場合は、民間部門と海外部門の合計が赤字(黒字)になります。
経済部門間のフロー(貸し借り)が経済部門のストック(金融資産/金融負債)を積み上げるため、「ストック・フロー一貫モデル」と呼ばれています。これは簿記会計を知っている人であれば、誰もが頷くかと思います。
このシンプルなモデルは、シンプルが故に想像以上に強力なモデル、すなわち予言ができるモデルです。
クリントン政権時代にアメリカ政府は政府黒字を達成しました。多くの専門家や当局者は喜びの声を上げましたが、ゴドリーやレイ、モズラーらは政府黒字に警告を発しました。政府黒字が発生しているということは(海外部門を無視すれば)過剰な民間赤字が発生していることになります。過剰な民間赤字は借り過ぎということですからバブルの発生を意味します。この警告はITバブルの崩壊という形で具現化しました。ゴドリーらの予言が的中したのです。これはMMTの最初の業績でもあります。意外なことに、MMTは経済黒字への警告から出発しているのです。
以下にアメリカの経済部門ごとの収支の図を示します。(この図はケルトン教授の講演でも使われました。)
図の青色が民間部門、赤色が政府部門、緑色が海外部門です。
2000年前後に政府黒字・民間赤字が発生しているのがわかります。2006年にも民間赤字が発生していますが(この時は政府黒字ではない)、これは住宅バブル(サブプライムローン問題)が発生していることを示しています。
次に日本での同じ図を示します。
1990年前後に政府黒字・民間赤字が発生しています。この時期は言うまでもなくバブルの時期です。
多くの主流派の経済学者は財政収支のバランスを気にしますが、SFCやMMTは違います。政府黒字はバブルが発生している証拠かもしれないこと、政府赤字は民間黒字であることを知っているからです。ランダル・レイは「経済の通常の状態は政府赤字である。」とまで言っています。常に拡大する資本主義経済では、民間黒字が継続し(フロー)、民間の金融資産(ストック)が拡大し続けなければなりません。そうでなければバブルのような良くないことが起きている証拠です。そのためには、政府部門と海外部門の合計が赤字である必要があります。政府は海外部門に主体的に関与できませんから、政府部門の赤字を目指さなければなりません。すなわち財政赤字です。
ケルトン教授も言及していましたが、財政収支のバランスを気にするのは間違いです。経済のバランスを目指さなくてはなりません。
ゴドリーのSFCモデルは、シンプルに経済が今どういう状態なのかのシグナルを教えてくれます。
ウェイン・ゴドリーについてはこちらの記事も参考になります。
「ウェイン・ゴドリー 危機をモデル化した経済学者【MMTの先駆者シリーズ@道草】」
「MMTについてEストック・フロー・アプローチまたはGoldilocksの経済学」
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12499226242.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1452.html#c2
3. 2022年1月24日 12:17:34 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[39]
【翻訳記事】政府が無限のお金を持っているという過激な理論【MMT入門向け】
2019年03月10日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12445770102.html
このコラムは以下の記事の翻訳です。Tom Streithorst氏によるMMT創設史の紹介となります。
ttps://www.vice.com/en_ca/article/a34n54/modern-monetary-theory-explained
政府が無限のお金を持っているという過激な理論
政府が支出する前には税が必要なのは常識だ。現代貨幣理論の前提は、その必要はないということらしい。
背の高い、ひげを生やし穏やかな茶色の目をした、「ウォール街を占拠せよ」のベテラン、ジャシー・マイヤーソンは、インディアナ州南部の寂れた地域のドアを毎日ノックして回っている。有権者にこの国の莫大な富に思いを巡らせてもらおうと。進歩的な草の根グループ「Hoosier Action」の主催者としての彼のメッセージは、アメリカ合衆国はそれはそれは裕福な国なのであり、その富は南インディアナ州の貧しい人々にも行き渡らせることができるし、そうすべきだ、というものだ。
「人々がひどい経済的苦痛を受け続けてきたために、地域社会の魂が死んでしまった。」マイヤーソンは彼が巡回するこの地域のことをそう語ってくれた。薬物中毒の蔓延は自殺のようなものなのだと。「人々の苦しみを受け止めるてくれるようなまともな組織が一つもない。右派の外国人嫌悪運動だけなんだ。」
彼が言うには、貧しいインディアナ州の人心の奪い合いにおける彼のグループの最大の競争相手は伝統主義労働党と呼ばれる白人至上主義者グループであるとのことだ。「彼らはも私たちと同じ方向性で組織されている - ヤツら寡頭者は専制的で俺達を搾取している、そして俺達にも平和と繁栄が必要だ - 。違いは、彼らが『欠乏』の枠組みに乗っていることだ。」「彼らの言い方はこうだ。『みんなに行き渡るには足りないのだから、我々白人は固く結束し奪われないように気を付けよう』って。」
対してマイヤーソンは、「私たちは豊かさという価値に沿って組織している。つまりみんなに行き渡るだけの豊かさはあり、私たちは全員、自由と尊厳を享受することができる。」と言う。
アメリカの主流の政治からは、「広く行き渡るのに十分なものがある」という言い方はほとんど聞こえてこない。特に共和党員は連邦政府の財政赤字を増加させるという理由でセーフティネットや財政刺激策を批判している。支出に大ナタを振るう過激な法案を推進している人たちもいる。民主党もまた、共和党員が1兆5000億ドルの減税法案を支持したときのように、赤字財政支出に反対する議論をすることがある。バーニー・サンダースの「メディケア・フォ・オール」のような、多くの金銭的な費用がかかる野心的な提案は、費用がかかるという理由から毎回却下される。1970年以来連邦政府は四回の例外を除き毎年財政赤字を計上していて、債務残高(これらの財政赤字の累積)は20.6兆ドル積み増すことになった。ほとんどの有権者はこれについて世論調査で尋ねられると、国は負債に関して間違った方向に進んでおり、議会がこの問題に取り組むことを望んでいると答える。
マイヤーソンは赤字に悩んだりしない:「国家の歴史の中でも、富の歴史の中でも私たちは最も豊かな国だ。もちろんお金の心配はない。」さらに彼は指摘する。議会が国防総省の予算を増やしたり、遠く離れた国に侵入することを決めたときに、値札を心配する人はいないではないかと。
政府支出についての彼の楽観的な見方のバックグランウンドになっているのが現代金融理論(MMT)だ。この学派は、政府の財政赤字に対する私達のパニックは妄想であり、世迷い事であり、金本位制の誤った名残であると論じている。MMTは左派への影響力をどんどん増しており、マイヤーソンのような進歩主義者が「米国はメディケアのような幅広い社会改革を、値札が高いことを理由にしてやめるべきではない」と主張する根拠を与えている。
現代貨幣理論の基本原則はあからさまなことのように思われる。不換通貨システムの下にある政府は、紙幣を好きなだけ刷ることが出来る。労働、機械、原材料という必要な実資源を動員できる限り、国は公共サービスを提供することが可能だ。MMTによると、私たちの赤字に対する恐れは、貨幣に関する深刻な誤解に由来している。
五歳児はみな貨幣を理解している。素敵な女性に渡すとアイスクリームがもらえる - 商品やサービスと交換できる内在的な価値を持った物。ところが現代通貨理論のレンズを通すと、ドルは米国政府によって発行された負債にほかならない。そして政府はそれを税金の支払いとして受け取ることを約束している。あなたのポケットの中のドルは連邦政府があなたに負っている借金を表している。お金は金の塊ではなく、むしろIOU(借用証書)だ。
このどこか形而上学的な区別が、大きな実用的帰結をもたらしている。連邦政府はあなたや私とは違い、お金を使い果たすことがありえないという意味になる。お金で買えるものが尽きることはあり得る - 価格を押し上げインフレとして表れるだろう - しかし、お金を使い果たすことはあり得ない。Deficit Owlsという名前でつぶやく経済学の大学院生、Sam Levey が私にこう説明してくれた。「メイシーズはメイシーズのギフト券を使い果たすことはできない」。
とりわけ、政府は市民に対してもっと多くのサービスを提供せよと望む人々にとって、これは説得力のある議論であり、経済学者でない人にも理解できる議論だ。マイヤーソンは、「私は、お金がどのように機能しているかについて、これ以上に説得力のある説明を聞いたことがない」と述べた。「あの連中があらゆる種類の人々と議論するのを見てきたが、誰かが彼らを論破するのを見たことがない。」
九月、「あの連中」はカンザスシティで開催された最初の現代通貨理論学会に集まった。225人の学者、活動家、個人投資家が参加し、ライブストリームを何千人もが視聴した。
UMKCスチューデントセンター講堂で、背が高くテレビ映えする、バーニー・サンダースの前経済顧問のステファニー・ケルトンは、熱心な群衆向け、今日のアメリカ経済の基本的な問題は「慢性的失業」につながる「総需要の欠如」であると語った。つまり、アメリカの問題は、物を作れない(供給)ということではなく、私たちが作ることができる物をすべて買う余裕(需要)がないということだ。私達の潜在生産力は私達の消費能力を凌駕している。
「政府がやりたいプログラムの支出に困ることはありません。増税する必要はありません。」とケルトンは付け加えた。何しろこれを理解しない左右の政治家が言うからだ。「子供たちが腹を空かせてしまう - 橋を建設するな」と。
マスメディアではほとんど報道されないが、この見解は経済学者の間で特に論争の的になっているわけではない。オックスフォードの経済学者、サイモン・レン-ルイスは私にEメールで次のように書いてくれた。「イデオロギー的でないほとんどの主流経済学者は、米国がより多くのインフラ投資を必要としていて、その財源は公債の借入で賄うのが最善であることに同意だろう。」彼は続けて、「ほとんどの人が緊縮主義は主流のマクロ経済学であると考えているが、そうではない。反緊縮主義者は、MMTが提供するような代替理論を探している。」
不十分な支出によって引き起こされる失業や不完全雇用の問題をどうすれば解決できるかは、経済学者なら知っている。どの入門教科書を見ても、減税(民間部門に残す貨幣を増やすとそれらが支出される)または支出を直接増やす(ドルを創出し、それを政府支出を通じて経済に注ぎ込む)ことによって政府は意のままに需要を増やすことができるとされている。
問題は、これらの政策がいずれにせよ財政赤字(ほとんどの政治家が悪いものだと考えいてる)を増やすことにある。保守派は、政府支出の増加が民間部門の投資を「締め出す」ことを恐れている。MMTの支持者は、その時点で経済がフル稼働している場合でないかぎり、クラウディング・アウトは発生しないと答えるだろう。現在の賃金の停滞および低金利が示しているのは、経済はまだインフレが始まる以前で、まだ大量の「緩み」があることを示している。
MMTの論者たちは、赤字の支出はインフレにつながるとはっきり考えており、むしろ財政を増やすときの不都合な側面はインフレのみであると考えている。遡って1960年代に起こったのがこれだった。リンドン・ジョンソン大統領は、民間部門経済が活況を呈していたにもかかわらず、ベトナム戦争と彼のスローガン「偉大な社会」への支出に支払うための増税を拒んだ。その結果、1970年代にインフレ率が上昇することになり、ロナルド・レーガンの当選につながったいくつかの経済的要因の一つとなった。
しかし最近の35年間は、インフレは無視できる程度だった。連邦準備制度理事会は、2012年に2%のインフレ目標を承認したが、以来それはずっと未達成のままだ。現在の世界経済にとってはデフレの方が大きな脅威だ。MMTに賛成している人にとっては、私たちがもっと支出する必要があることは明白で、そのことが人々に十分理解されていないことにじれったい思いをしている。
MMTの最初の提唱者はウォーレン・モズラーだ。彼はウォール街の投資家だった30年前に、連邦政府がいったいどのように課税し、借入し、また支出するのかを深く掘り下げることにより、他の投資家との競争において優位に立とうと考えた。
この壮健で、日焼けした、節税目的でセントクロイ島に住んでいる68歳の億万長者は、進歩的な経済運動の風変わりなスポークスマンになった。彼の友人でヘッジファンドのパートナーであるSanjiv Sharmaは私にこう語った。「ウォーレンはより政治にとらわれない」。
子供時代、彼は機械がどのように動き、どのやれば修理でき、どのように組み合わせるかに魅了された。モズラーは工学を専攻するつもりだったが、ある経済学の講座を受講したときに、こちらの方がはるかに簡単だと理解し経済学に切り替えたのだ、と語ってくれた。1971年にコネチカット大学を卒業すると、地元の銀行に雇われ、気がつけば急速に昇進していた。まもなく彼はニューイングランドを離れウォール街に発った。
「私は物事を要素レベルで見るんだ」とモズラーは私に語った。彼は連邦準備制度と財務省が一般経済とどのように相互作用しているかを雑草をかき分けるように正確に調べた。彼は、財務省が税金を徴収し、債券を取引し、支出し、お金を生み出したときにバランスシートに何が起きたのかを理解したいと考えた。その結果、従来の知恵は政府と民間部門の関係をあべこべに捉えていると信じるようになった。
私たちのほとんどは、政府が支出する前に課税しなければならないと仮定している。あなたや私が商品を購入する前にはお金を稼いでおく必要があるから。政府が徴税額よりも多くの支出をしたいのであれば - そしてそれはほとんどいつもそうなのだが - 債券市場から借り入れなくてはならない。しかし、政府がその支出をどのように会計処理しているのかを調べることによってモズラーは、どの場合でも支出が最初であることを見抜いた。あなたの社会保障小切手が期日になったとき、財務省はそれに支払うために十分なお金があるかどうか確認しようしたりしない。財務省は単に、あなたの銀行口座に直接その金額をキーボード入力し、同時に自分の口座の借方に記入する。あなたに支払うお金は、このことによって虚空から作り出される。
あなたが税金を払うときのプロセスは、ちょうどこの逆だ。連邦政府はあなたの口座からドルを差し引き、政府の口座の負債側から同じ金額を減額することによって、あなたが今支払ったばかりのお金を、文字通り破壊する。家庭や企業、あるいは州や地方自治体とさえも異なり、連邦政府はドルを生み出す権限を与えられている。政府が支出すると経済にお金が注入され、徴税するとお金が除去される。2005年の公聴会で当時のFRB議長であったアラン・グリーンスパンは述べている。「連邦政府が望むだけの金額を創出して誰かに支払うことを妨げるものは何もない。」
オックスフォードのエコノミスト、レン・ルイスは、MMTは実際よりも過激に聞こえてしまうと私に語った。「私の見解では、彼らが言うことの多くは主流も言っているものだ。金利がゼロ下限にあるとき、彼らの反緊縮政策は完全に主流のものになる。」と彼は言った。「理論的枠組みの観点から見ると、MMTは1970年代ケインジアンに非常に近いものと捉えている。それに銀行貨幣がどのように創造されるかについての非常に現代的な理解を加えたものだ。」ケルトンはこう言う。MMTは支出と課税の方法を変えようとしているのではなく、単にそれらがどのように行われているかを説明しているだけだ、と。
モズラーは貨幣についての理解から次の洞察を得た:自国紙幣を印刷する政府は破産することができない。この洞察が彼を億万長者にした。
1990年代初頭、イタリアは多額の借金と低税収に苦しんでいた。経済学者やトレーダーはイタリアは破綻に近づいていると恐れていた。イタリア国債の利回りは必然的に急上昇した。モズラーはイタリアがデフォルトに強制され得ないことを認識していた:イタリアは必要なだけ多くのリラを印刷することができる。(これはユーロ以前の時代だ。)彼はイタリアの国債が支払っていた金利よりも低い金利でイタリアの銀行からリラを借り、そのリラで他の投資家が投げ売りしているイタリアの政府債務を買った。この後数年間、この取引で彼と彼のクライアントは1億ドル以上儲けた。
それ以来、モズラーは学界の経済学者と対話を始めたいと思うようになった。彼はハーバード大学、プリンストン大学、そしてエール大学に、連邦準備制度の支払いとそれらの驚くべき影響についての分析を説明し書き送ったが、無視された。そのとき、ドナルド・ラムズフェルドの紹介で、アーサー・ラッファー(サプライサイドのラッファー曲線で有名)とランチを供にした際に論争となったことがあった。ラッファーはモズラーにこう言った。アイビーリーグの経済学部からは何も期待しないように、但し、ポスト・ケインジアンというイカれた異端派グループがあるから、彼らなら興味をもつかもしれないな、と言った。
ランダル・レイ、ビル・ミッチェル、ステファニー・ケルトンを含むこれらの経済学者は、モズラーに表券主義者、20世紀初頭にモズラーと同じように貨幣は政府が生み出した借金であると考えた経済学者たちのグループ、のことを教えた。(MMTは「新表券主義」と呼ばれることもある。)アバ・ラーナーの機能的財政論もまたMMTの源流の一つだ。世紀半ばのイギリスの経済学者であるラーナーは、公僕は財政赤字に捉われず、経済を完全雇用に保つのに十分な需要を維持することに集中せよと主張した。失業率が高すぎる場合、政府は支出を増やすか、減税すべきだ。インフレの脅威には、支出を減らすか、増税するべきだ。ラーナーにとって、また同じくMMT派にとって、政府赤字の規模を気にする理由が存在しないのだ。
ポスト・ケインジアン達に対しモズラーは、税と借入が政府支出の財源になっていないということを説明した。当初、ケルトンは彼を信じなかった。「ウォーレンが出したこれ、出口はそこなのです。私たちが教えられてきたことすべての逆。」と彼女は私に言った。彼女はモズラーの理論が誤りであることを証明する論文を書こうと決めたのだが、そのために連邦準備制度、財務省、そして民間銀行システムの相互作用を深く調べた結果、彼女は自分自身驚いたことに、モズラーが正しいと結論に至ってしまった。「このリサーチのプロセスを通じて」と彼女は言った、そして「私は、ウォーレンとまったく同じ場所にたどり着いた。細かい複雑な事柄がたくさんありましたけれど。」徴税と債券の売却は、政府支出のあとに行われる。それらの目的は政府に資金を供給することではなく、経済システムの過熱を防ぐために貨幣を除去することだ。
モズラーは学界の外から来ましたが、彼の理論は経済学者のいくつかの理論と一致していた。「ある意味でウォーレンがしたことは、知っておくべきことを我々に思い出させるものだった。」と彼女は私に言った。「彼は確かにオリジナルの貢献をしましたが、彼はまた私達に文字通り60、80年前に確立されたけれども忘れられていた教訓を思い出させてくれたのです。」
ケルトンとレイはウェイン・ゴドリーの部門別バランス分析をモズラーに紹介した。それは政府赤字に害がないというばかりか、実際にはむしろ有益なものであることを示唆するものだ。ゴドリーの理論を単純化して、どの経済にも2つの部門があるとする。民間部門と公共部門(または政府部門)とする。政府が徴税額以上の支出をすると、財政赤字が発生する。そして、公共部門の赤字はそのまま民間部門の黒字を意味している。
ケルトンは次のように説明してくれた:私が政府部門全体で、あなたが民間部門全体であると想像してみてください。私は100ドルを戦費や橋の修理や教育の改善に支出します。民間部門はこれらを実現するために必要な仕事をします。そして政府は100ドルを支払いました。次に90ドルを税として取り返すと民間部門の手元に10ドルが残ります。これが政府の赤字です。税金で回収する以上に支出しました。しかし民間部門のあなたは、以前持っていなかった10ドルを持っています。民間部門がお金をためるためには、政府の赤字が必要なのです。
モズラーのヘッジファンドはこの理論から利益を得た。1990年代後半は、ほとんどの人々がクリントンの財政黒字が米国経済を強化していると単純に考えていた。しかしモズラーは、クリントンの財政黒字において、政府は支出に費すよりも多くの貨幣を民間部門から税で取り出していることを意味していると認識していた。モズラーはこの民間部門の赤字(政府の黒字の裏側)は必ずや景気後退につながると予測し、彼は金利の下落(実際に2001年に下落)に賭け、彼のヘッジファンドは再び詐欺師のように利益を上げた。
いま、MMTの支持者たちが興味を持っているのは私腹を肥やすよりも大きな問題である。ケルトンにとって、アメリカ経済の最大の問題は失業や就職難だ。彼女によれば、2000万人のアメリカ人がフルタイムの仕事を望んでいるににできていないとのことだ。これは彼女にとっては衝撃的な資源と才能の無駄遣いだ。彼女の説明によると、雇用を創出するためには総需要を増やす必要があり、それを達成するただ一つの方法は支出を増やすことだ。こう説明してくれた。「売上に基づく経済の中では支出が敵になります。」「資本主義は売上で動いています。経済の活性化、GDPの活性化のために必要なのは財政支出を増やすことなのです。」
支出を刺激する1つの方法は減税である。特にその利益はトップ1パーセントよりもむしろ平均的なアメリカ人に行きわたる。「労働者への減税は、彼らの所得に対して昇給と同じ効果を与えます」ケルトンは言う。「あなたの雇用主が最後に昇給を実行したのはいつでしたか?」
MMTerはインフラ投資や減税などあらゆる財政刺激策を支持するだろうが、彼らの特徴的な政策は連邦政府が資金を提供し、地方が運営される雇用保証(ジョブギャランティ)政策だ。フルタイムでもパートタイムでも、仕事を望んでいる人は誰でも、その地域社会にとって価値があると思われるプロジェクトに1時間あたり15ドルが支払われるというものだ。道路の建設の場合もあるだろうし、高齢者の世話や託児所での仕事もあるだろう。必要なサービスが提供され、同時に失業者および潜在失業者が仕事を見つけられるようになる。
「これは...」、カンファレンスのパネルでランダル・レイは言った。「とても効果的な貧困対策プログラムなのです」。フルタイムの場合、これらの仕事には年間31,000ドル以上が支払われ、5人家族を貧困から救うことができることになる。このパネルでレイとケルトンは、同プログラムが1400万人から1900万人の雇用を創出し、GDPとして5000億ドルから6000億ドルが加算されし、物価の上昇は1パーセント未満に留まるだろうとした。モズラー氏はこれを「一時的な雇用プログラム」と呼ぶ。なぜなら彼はこの連邦政府の支出によって生み出された余分な需要が民間部門の雇用の急増の火付け役となると確信しているからだ。
金融危機から10年が経った今も、アメリカ経済はくたくたになっている。ケルトンはこれを「がらくた経済(a junk economy)」と呼ぶ。公式の失業者数は比較的低いが、賃金の長期的な停滞と、失業統計にカウントされない就業意欲の喪失を引き起こしている。今日の実質賃金の中央値は、ジミー・カーターが大統領だったときより低い。米国の歴史で初めて、ほとんどのアメリカ人の暮らしぶりが両親世代よりより悪化するということになりそうだ。昨年、ドナルド・トランプが勝利した要因の一つには、私たちの多くにとって、アメリカンドリームは死んでおり、経済が壊れているということに彼が気づいていた点にもあっただろう。
MMTは、この経済を修復することは可能なのであり、雇用を創出してより良いアメリカを築くために必要なのは、政府の赤字を心配することをやめることなのだと言う。「政府だって分不相応な出費なんてできない。人々がそう言うのをよく聞きますよね」とケルトン氏。「全く違うのです。今、私たちはその「分」をはるかに下回る生活しかしていないのです。」
モズラーは言う。「政治家が赤字に囚われるのは有権者がこう言うからだ。「私たちが選んだのは、赤字が大きすぎるから削減する必要があると信じる代表者だ。」MMTを支持する学者や左派の活動家たちは、自分たちはアメリカを変えられるのだと人々の考えが変わることを願っている。モズラーは続けた。人々はひとたびMMTの洞察を理解すれば、二度とそれらを忘れることはないと確信している。「元に戻る人はいないよ」
マイヤーソンはそこまで楽天的ではない。彼は知的な議論で勝てば十分とは信じていない。「億万長者が権力を握っているのだから、彼らのアジェンダを支持する経済学が優勢になるんだ。もしMMTが主流になって公共支出を増やすことが当たり前になったら、権力と富が支配階級からシフトすることになるだろう。マイヤーソンは、それは闘争なしでは起こらないのではと疑っている。カンファレンスで、グループ「Debt Collective」のアン・ラーソンとローラ・ハンナが会議で述べた言葉が印象に残っているという。「トリクルダウンによるMMTはあり得ません。それは組織された人々によってもたらされる以外にないのです。」
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12445770102.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1452.html#c3
1. 中川隆[-14079] koaQ7Jey 2022年1月24日 16:06:10 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[40]
>緊縮原理主義では、デフレ脱却出来ないし
逆なんだよ、金融緩和・財政出動すると20年後、30年後にデフレ・スタグフレーションになるんだよ。
日本でもプラザ合意後に金融緩和・財政出動したから、平成バブルとその後の失われた30年になった。
アメリカもベトナム戦争で金融緩和・財政出動したから1980年以降にデフレ・スタグフレーションになった。
大きな政府だと、政治家は票田になる分野にだけ金をばら撒いて、本当に必要な所には金を出さないから、票田関係分野が供給過剰になってデフレになるんだ。
消費税というのは輸出企業優遇策だ、それで内需関連がデフレになったんだ。
最近もGOTOとかオリンピックとか無意味な所にだけ金をばら撒いてるだろ。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/262.html#c1
3. 2022年1月24日 18:30:49 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[41]
Vol.11 1995年9月15日 別離 24.2%
Aishiteiru to Ittekure Episode 11 English subbed
Vol.12 1995年9月22日 僕の声 生野慈朗 28.1%
Aishiteiru to Ittekure Episode 12 English subbed
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/855.html#c3
7. 中川隆[-14078] koaQ7Jey 2022年1月24日 18:32:52 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[42]
Vol.4 1995年7月28日 キッス
Aishiteiru to Ittekure Episode 4 English subbed
https://www.youtube.com/watch?v=OPeoJlW9DQs
Vol.5 1995年8月4日 会えない 生野慈朗
Aishiteiru to Ittekure Episode 5 English subbed
https://www.youtube.com/watch?v=AMuiEAcLmig
Vol.11 1995年9月15日 別離 24.2%
Aishiteiru to Ittekure Episode 11 English subbed
Vol.12 1995年9月22日 僕の声 生野慈朗 28.1%
Aishiteiru to Ittekure Episode 12 English subbed
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/988.html#c7
7. 2022年1月24日 18:43:47 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[43]
【ゆっくり解説】知りたくなかった...本当は怖い日本昔話6選
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1373.html#c7
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