36. 2019年11月09日 19:48:35 : FWIkB8vvhQ : N2hJWFE4c2hxdU0=[1]
04>「読むに値しない内容だった、重箱の隅をつついているだけだ」
山本太郎の心の雄叫びを見落とすな
れいわ山本党主張と政策に、倉重意見は警告を投げかけるが、山本太郎は生きにくいデフレ社会からの脱却に、MMTをよく引用してるのは事実だ。但しそれは、デフレ脱却のための1つの手段であって、幸便なツールとしてMMTは参考になる、使える所は使おう、じゃけん山本党にとってはそれ以上でもそれ以下でもないと、そのレベルでMMTに対応する、ここがミソだ。MMTに危険性や弱点あるといっても、その故もって鬼の首とったかのように山本党政策叩きに興じる、そげんなレベルの話はありえない。木を見て森を見ないつうが、手垢のついた喩えだが、れいわ山本党主張の核心、すなわち長期不況を脱して、この生きにくい格差と差別が深まる現代日本社会を何としても作り変える、このスケールでかい山本ヴィジョンを、見落としてはだめだ。MMTなんざは、山本政策の斉合性のために、臨時に一時停車しただけなんだ。
倉重意見は、自称アベノミクス(別名アホノミクス)とMMTとの関係性を論じてるので、先月10/8阿修羅サイト<(東海アマ)右翼のチャンネル桜勢力が山本太郎支持へ! >で下記コメ載せたので、今回関連ありで再掲する。
<異次元金融緩和とは、流通通貨を増やせば物価は上昇する筈という前提の政策だが、金融機関が日銀に預けてある当座預金と流通現金(マネタリーベース)は確かに急上昇したが、残念ながらその資金は実体経済に廻ることはなかった。日銀が増刷した紙幣で買い集めた株価だけは、確かに上昇したが。すなわち 自称”アベノミクス”とは実質は株高政策であり、年金や日銀が全力で株を買い集める政策であった。
こんたなアベノミクスと、現代通貨理論(MMT)が“ほとんど同じ”と言うが、似て異なるもんだろう。アベノミクスの核心の異次元金融緩和は、上述のように流通通貨を増やせば物価は上昇するを基本だが、MMTはむしろ金融体制崩壊を回避し、金融恐慌を予防する点に、ウエイト置くのでは。米のQ1〜3でも、マネタリーベースは3倍にも4倍にも跳ね上げ、金融恐慌対策に余念がないのがいい例だ。こんたな金融政策を反映する理論がMMTでは。
故に、MMTはれいわ山本党の政策と比較した方がよい。れいわ党は、20年間にも及ぶ長期不況から如何に脱却し、いかに国民経済を興隆し再発展させるかを、課題としてる。より根底的な国家経済の再興を、目指してる。山本党は“その失敗したアベノミクスをもっともっとやれと言っている”と言うが、国債発行という現象面はにてるが、その狙いとする底は、全く異なる。
MMTをもう少し検討しよう。現代貨幣理論(Modern Monetary Theory、略称MMT)は、ケインズ経済学の亜流だろうが、根本で異なる。ケインズ経済は、「不況期には大胆に政府支出を増やすべきだが、経済が軌道に乗ったら、増税などによって、それら赤字を賄うべきだと言う考え」(出所:クリプトピックス)であった。昭和恐慌後の高橋財政なども、恐慌脱出した後は、禁じ手の日銀国債発行などは止めるべきの考えであったから、ケインズ経済学に通じるものであった。MMTでは、そのケインズ経済さえ更に飛び超え、不況期の無制限の国債発行を主張するのが特色である、自国通貨発行国という条件付きながら。実際既に、米でのQ1〜3のBバーナンキによるヘリによるドル上空撒布的状況なんかも、MMT有効性の先導的試験であったかも。
当然に2点から、MMTに対する危惧の主張がなされる、1つはハイパー・インフレであり、他はジョン・ロー的貨幣制度破綻的状況の招致である。前者については、金子勝教授の批判の詳細は小生は不識だが、仮に国債の無制限発行がハイパーを招くつう単純な批判であるとすれば、ハイパー状況招致についての金子教授の理解度は、大先輩に申しわけないが、浅いとも言える。ハイパー・インフレは、紙幣供給側より、対応する実体経済側の物資供給面でのアンバランスで起きる。戦後昭和21後半〜23年の我が国ハイパー・インフレが正にそれであったが、ここでは詳細は差し控える。後者は、1720年のミシシッピ会社の破綻によるインフレ到来で、ルイ14世仏財政破綻を指すが、「ローがやったことは、現代世界における量的緩和政策、あるいは財政フアイナンス(国債の貨幣化)とまったく同じもの」(出所:野口悠紀雄『金融政策の死』日本経済新聞出版社、2014、P196)との指摘もあり、無制限の国債発行も、もろ手を挙げて賛成するにも危惧がある。
何れにしても現代貨幣理論は、“現代Modern”ちゅう新しさを装って登場だが、
300年もの前のジョン・ローのやり方と酷似であり、90年前の高橋財政でも似たもんが試行されたし、決して新しいものでもないので、十分なる検討が要るだろう >