102. 中川隆[-8568] koaQ7Jey 2021年1月05日 18:29:50 : 7LFOdaLgys : MVEvSFdXTk5SYXM=[1]
「グッドバイ」の意味
2006年12月05日
http://doujinobigaku.jugem.jp/
大学時代に「美術史」という授業の試験で、“美”に関することならどんなテーマでも内容でも構わないというので、前期・後期ともに、「森田童子の歌に見る“青春の破滅と美学”」というタイトルで小論文を書いて提出した。
後にも先にも「秀」という成績を取ったのはこの授業だけ。
「青春の破滅と美学」というのは、森田童子自身が使っていた言葉で、色紙などに書いていた時期もあった。
高校生だった彼女が、新宿の「風月堂」という喫茶店で、少し年上の仲間たちの会話に耳を傾け、その仲間たちが学生紛争に加わり、クスリをやっている姿を見ていた時期。
自分自身はまだ行動に移せない、でもいつかは直接行動できると思っていた。
彼女のとても大切な人が、おそらく一緒に暮らしていたその人が、捕まったそのときも、まだその期待はあったのではないか。
「さよならぼくの友だち」を聴くと、この曲が始まりであり、本当はここで終結していたことを感じる。
「ぼくたちの失敗」は明らかにその続編であり、アンサーソング(過去の自分とその人への)ともいえる曲。
デビュー前、森田童子はソングライターとしてのみで、本当は他のシンガーに歌ってもらう予定だったと、本人から聞いたことがあった。
しかし、歌える人がいなかったので、仕方なく自分で歌ったのだとー。
デビューアルバム1枚で終わるつもりで「グッドバイ」というタイトルをつけたのだとも。
そのとき交わした彼女と私の会話はこんな風だった。
私「グッドバイというタイトルは、太宰治から取ったんですよね」
童子「そう」
私「もしかして、このデビューアルバムで終わるつもりで?」
童子「(笑いながら)へえ、よくわかったわね。本当はこの1枚で終わるつもりでつけたんだけど」
過去の自己と決別するために作ったアルバムだったのかもしれない。
でも、ライブで歌ううちに、彼女はそこに来る“病んだ”若者たち、“今に失望している”若者たちを目の前にして、「変わっていった」ではないか―。
本質的なものはもちろん変わってはいなかっただろうが、一種の「使命」のようなものを感じたように思うのだ。
そして、その必要がなくなった、と感じだときに、消えていったのではないかと。
しかし、時代を超えて今なお、どこか自分と社会(あるいはもっと目に見えないもの)に折り合いをつけることのできない人たちの耳にとまり、心を動かす―。
そして、聴いた者は彼女の歌に癒され、救われていく。
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